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(1)

第九議会治安警察法案考察の前提として︑次に予戒令の廃止論に

移るのが順序である︒ただその前に成立事情についてみ落しがある

ので補足をしておく︒まず当時枢密院議長の伊藤博文にあて側近の

伊東巳代治が報じた︑明治二四年一○月一○日づけの書簡がある︒

﹁壮士取締りのことに付ては内務省より提案有之︑⁝⁝其の実御熟知

の通り当方にて案を作り有之候得共︑閣下の御許可も無之故松方伯

へも提出不致︑内務省にも全く知らさる為に︑別に案を起し閣議に

提出致候由に御座候︒其后松方伯より壮士を北海道に移住せしむる

の案を起し呉れとの依嘱に付︑過般相認置候文案差出置候︒此の如く

閣議は壮士の処分の必要なるを認め且右の提案を採用した⁝⁝﹂

それからもう一つ︑その当時法制局長官の尾崎三良が自伝の中で

予戒令にふれている︒明治二四年九月か一○月辺りの箇所である︒

﹁此頃壮士横行︑貴衆両議員及び府県会議員外官公吏を威嚇して︑

其説を柾げしめんとして或は暴行を加ふることあり︒⁝⁝何とか之を 四予戒令廃止建議案

第九議会治安警察法案日︵新井勉︶ 第九議会治安警察法案日

取締り鎮圧するの方法なかるべからずとて内務︑司法両大臣協議の

上︑譽保局長小松原︑同次長大浦︑司法参事官の横田国臣等を法制

局に会して協議を為す︒平山書記官長も之に参加し数回審議の末︑

予戒令と云ふものを成案し︑閣議の上勅裁を経て発表せり:⁝・﹂

右の二つをよんで︑予戒令の立案の時期は明治二四年一○月頃の

ことだと考えてよい︒今少し正確にいえば︑その原案の立案時期が

その頃だという訳だ︒最初の解散も第二回の総選挙もまだ先の話︒

選挙対策から立案したのだとみるのは無理︒

大筋は次のようか︒その時点で松方内閣は壮士取締の法令を作成

したものの憲法六七条問題で閣内は紛糾中︑伊東の同じ日の後便に

﹁壮士処分案も折角上奏の運相済居候得共︑暫らく総理の手許に

留置更に適当の時機を見計︑枢府の議に附せらる︑様可取計方得策

ならんと⁝⁝当分見合の事に被決申候﹂とあるよ︑フ結局発令せず︑

尾崎がのべたように︑その草案に関係者が修補を加えたのであり︑

﹁十一月中に調成し内閣にて決議したるも︑枢密院の御諮詞を経る

とき彼れ是れ議論あり︑年内に発表すること能はず﹂︒

新井

(2)

衆議院を解散し総選挙を前にして政府は︑明治二四年の内に作成

しておいた予戒令の成案を枢密院に回した︒伊東は伊藤へ書簡で︑

﹁是は例之壮士処分法案にて︑⁝⁝尚法律上の問題としても又実施上

之効用より論するも︑多少改削増補不致ては其儘賛成難致に付充分

修正を試可申と存居候︒兎も角総選挙之際には各地厳重之取締法を

要すへきに付︑大体論に於ては賛同を表す﹂べきものだとかいた︒

﹁壮士取締一条に付ては井上毅何分不同意にて困却候へとも︑最早

此上は致方なし︒政府は晏然傍観すへきにあらすと副議長にも堅く

執られ居候︒今日委員会を開き修正案成り候に付⁝⁝﹂とのべた︒

明治二五年一月一五日と一月一九日のもの︒枢府の中で政府に近い

立場にいた伊東書記官長の意見と副島副議長の態度がよみとれる︒

松方内閣の認識と同一のものだとみてよい︒ 第九議会治安警察法案日︵新井勉︶

さて予戒令の存廃論を同じ要領でみるが︑貴衆両院において論争

がくり広げられた先の保安条例とは異なり︑衆議院が舞台である︒

というのは廃止法案の形をとらず単に廃止建議案として帝国議会に

でてきたからである︒貴衆各院の建議について帝国憲法の四○条︑

﹁両議院ハ法律又ハ其ノ他ノ事件二付各其ノ意見ヲ政府二建議スル

コトヲ得但シ其ノ採納ヲ得サルモノハ同会期中二於テ再上建議スル

コトヲ得ス﹂とある︒議会としてはそれら二法令を廃止するには︑

法律事項を内容とする保安条例については廃止法案を成立させるか

廃止建議案を可決するか二つの方法があり︑大権事項を内容とする

予戒令については今度は一つしか手がない︒廃止建議として政府に

呈出するだけである︒各議院が単独で行うのだから容易であるが︑

政府に採納されるかどうかは全く分らない︒

第一三議会 第一二議会 第一○議会 第八議会 第四議会 第三議会 議会

釦・岨・3〜犯.3.9 剖・5.蛆〜別・6.皿 羽・皿・妬〜刈・3・別 ・皿・別〜朋・3.昭 妬・皿・羽〜茄・2.邪 踊・5.6〜妬・6.M 会期

加藤政之助外一名憲政本党塊・2・邪 金山従革進歩党皿・5.皿 竹内正志外二名進歩党羽・岨・開 平田筬外一名自由党朋・1.8 長谷場純孝外四名弥生倶楽部妬・皿・8 長谷場純孝外四名弥生倶楽部 提出者所属党派提出 予戒令廃止建議案

犯・3.4可決 別・5.妬可決 刈・3.週可決 朋・1.略可決 茄・2.別可決 未決 衆議院議決

塊・3.4 皿・5・妬 刈・3.週 羽・1・坊 茄・2.別 建議呈出

25建

6議

・案

6出

14日

備考

(3)

しかし仮に予戒令が緊急勅令であるなら︑議会が退けるにしても

その手続は別である︒帝国憲法八条によれば﹁㈲天皇ハ公共ノ安全

ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由り帝国議会閉会ノ

場合二於テ法律二代ルヘキ勅令ヲ発スロ此ノ勅令ハ次ノ会期二於テ

帝国議会二提出スヘシ若議会二於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来二

向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ﹂と︒廃止法律を成立させる

のでもなく廃止建議を呈出するのでもなく︑ただそれに対して承諾

を与えなければよい︒議会の承諾は法律協賛と同じように両議院の

議決が一致して成立︑一院が承諾しても他の一院が否決したり未決

に終ると議会としての承諾はないのだから︑衆議院が単独でそれを

失効させることは何も難しい話ではないが︑元々それが憲法八条の

緊急勅令でないことは次にみる通りである︒

予戒令についても︑初めに見当がつけばと衆議院での廃止建議案

提出と政府への廃止建議呈出だけを選んだ︒右に掲げた表である︒

提出者が複数いても筆頭の一人を記入した︒党派はその人の党派︒

保安条例の場合に倣い作成した表であるが︑前の場合と違い今度は

内容の乏しいものだ︒先走り印象をいえば︑弥生倶楽部は自由党と

よみかえを行うしまた憲政本党は系統上元の進歩党のことだから︑

党派の欄が前の半分と後ろ半分で判然と分れているのが目につく︒

第九議会を境界にして自由党と進歩党という代表的な二つの政党の

廃止に対する姿勢の違いが顕在化したのだ︒次に印象をもう一つ︑

建議案の提出日と建議の呈出日をみ比べて︑廃止建議というものが

衆議院で比較的楽に成立したらしい感じと︑それは何の効果もなく

政府に常にすておかれたという感じがする︒

第九議会治安警察法案日︵新井勉︶ 第三議会衆議院における予戒令の存廃論を公布後初めての議会から順にみていこう︒第三議会閉会日当日の明治二五年六月一四日かその前日のことだ︒弥生倶楽部の三議員長谷場純孝︑折田兼至︑河野広中︑無所属議員の河島醇︑議員集会所の犬養毅︑五人連名により予戒令廃止建議案を提出したのである︒議場に議長星亨の報告

として一言報道されて審議もなく会期ぎれ︒

右の廃止建議案については提出者の構成と提出の時期というもの

が問題になると思う︒まず二党の領袖の名から五月九日の選挙干渉

上奏案の場合同様民党の歩調の揃いが分る︒その党派の比率は多分

予戒令廃止の熱意の︑その施行によりうけた被害の違いの現れか︒

長谷場と折田と河島︑三人までも鹿児島選出の議員がしめたことは

恐らく同県下の厳重な施行を物語るようだ︒

次に閉会真際に提出したのはなぜなのか︒第四議会で右の折田が

予戒令は憲法のどの条により発布されたか︑もし八条によるのなら

﹁自ラ緊急命令デゴザリマスカラ︑宜シク次期ノ議会二向ヅテ事後

ノ承諾ヲ求メナケレバナラヌ⁝⁝︑然ルー政府ハ事後ノ承諾ヲ求メ

ナカッタ点カラ考ヘテ見マスレバ︑政府ハ此予戒令ナルモノハーノ

行政命令トシテ発布シダ﹂よ︑フだとのべた︒開設後日の浅い議会は

緊急勅令かと政府が承諾を求めてくることを疑いながら期待した︒

それがないと分り廃止建議案提出に及んだ︒

議会はともかく政府はもう揺藍期にない︒明治二四年勅令四六号

0 3

大津事件の新聞等事前検閲の勅令は予戒令と違い緊急勅令と記載︑

第二議会も第三議会も開会日に提出をした︒衆議院が忘れたのか︒

承知の上なら閉会中の施行への牽制なのか︒

(4)

第四議会同じ明治二五年の一二月八日︑第三議会と同じ五人︑

長谷場純孝を筆頭に︑折田兼至︑河野広中︑河島醇と犬養毅の名で

再び予戒令廃止建議案を提出したのである︒その年一月の予戒令は

国民の権利を保護するため行政上必要として発布されたにしても︑

﹁第二帝国議会議員総選挙二際シ地方官ノ処置甚夕偏頗二失シ実二

濫用ヲ極メタリ若シ如此ノ命令永ク存立スルアラハ却テ国民ハ安心

ヲ鉄キ大二権利ヲ押屈サル︑二至ランコト疑うヘカラサルナリ﹂と

0 3

いうのが政府に建議をしようとい︑フ理由だ︒

それがでて暫くして警視庁が一二月二一日から予戒令を発動した

ことは既に一見した︒新聞の記事によれば︑壮士が賊属して華族に

狼籍を働こうという者がいたり現に渋沢栄一を要撃する者がいたり

議員に対して脅迫したりするなど種々不法を働いたためであるが︑

﹁之を命ずべき予定の者凡そ百名近くありて⁝⁝︑今度の予戒令は

0 0

政治上の事にて受けたる者割合に少き由﹂︒

その被予戒者の中に国民新聞社々員がいたというので衆議院では

翌一二月二二日早速︑長谷場と犬養に加えて弥生倶楽部の二議員︑

長谷川泰と立川雲平の四人が連名で政府に対して質問書をだした︒

熊本県平民阿部充家︑﹁右ハ平素謹慎ニシテ孜々国民新聞ノ記事二

従事セシノミニテ未夕曾テ人ヲ教唆シ或ハ金銭ヲ強請セシ等ノコト

無之然ルー昨二十一日突然予戒令二処セラレタリ右ハ如何ナル理由

ナルヤ大二人権上二関スル事ナルヲ以テ其始末最モ詳細ナル答弁ヲ

望ム﹂というのだが︑政府は翌二三日に内相井上馨の答弁書により

﹁警視総監ハ熊本県平民阿部充家ノ行為ヲ以テ予戒令第一条第三項

二該当セルモノト認定シ公共ノ︷悪亭秩序ヲ保持スルノ必要ニ由り明治 第九議会治安警察法案日︵新井勉︶

二十五年十二月二十一日其職権ヲ以テ本人二対シ同令第二条第三項

0 1

ノ命令ヲ執行シタルモノナリ﹂と一蹴した︒

衆議院が右の答弁をえた翌一二月二四日︑四人の提出者は重ねて

再質問書を提出して︑内相の答弁はきくまでもないところであり︑

﹁本員等ノ確カニ答弁ヲ得ン卜欲スル処ハ:⁝・前質問書二所謂平素

謹慎ニシテ業務二孜々タルモノヲ以テ予戒令第一条第三二該当スル

モノト認ムト称スルハ如何ナル事実ト理由二依ルヤ是ナリ﹂として

明確な答弁を求めた︒休会あけの翌二六年一月一二日付内相答弁は

﹁当初ノ質問二対シ既二答弁シ置キタルニ因り其答弁書二掲クル所

0 1

ノ外更二弁明スルノ限ニアラス﹂と木で鼻︒

さて衆議院と政府の右のような応酬の後︑明治二六年二月二○日

初めて衆議院の議場に予戒令廃止建議案が登場してきたのである︒

折田が登壇して建議案提出の理由をのべた︒予戒令は憲法第何条に

より発布されたのか︑もし八条によるのなら緊急命令だから議会に

対して承諾を求めなければならない訳だが︑政府はそれをしない︑

それからみると政府は九条により行政命令として発布したものだ︒

﹁憲法第九条ヲ見マスルニ⁝⁝シテ見レバ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ︑

若クハ臣民ノ幸福ヲ増進スルタメニ発布サレタモノデアルト想像シ

ナヶレバナラヌ︑果シテ此予戒令ナルモノガ発布サレタ其ノ趣意ノ

如ク︑公共ノ安寧秩序ヲ保持シ臣民ノ幸福ヲ増進シタルヤ否ヤ:⁝.︑

此予戒令其物ヲバ調ベテ見ルー何ノ必要アッテ︑此時二於テ此予戒

令ヲ発布スルノ要用ガアッタカ⁝⁝前二遡ツテ昨年ノ総選挙ノ時分

ノコトヲ考へレバ斯様ナ命令ヲ発布スルノ必要ハ人民へハナカッタ

ガ︑政府ノ之ヲ利用スルニ於テ非常ノ必要ガアッタト想像スル﹂と 七四

(5)

前口上の後が違憲論︑﹁此予戒令ナルモノハ果シテ憲法二抵触スル

所ガアルヤ否ヤト云フコトヲ先ヅ第一二論断致シマセウト思上マス︑

⁝⁝予戒令ノ第三条ヲ見マスレバ︑予戒命令ヲ受ケタル者其現住居

ヲ転スルトキハ転居ノ前二十四時間内二其旨ヲ旧住居ノ所轄警察署

二届出転居ノ後二十四時間内二其旨ヲ新住居ノ所轄警察署二届出ツ

ヘシト云フコトガ挙ゲテゴザイマス︑ソレ故二此第三条ナルモノハ

取モ直サズ此住居若クハ移転ノ自由ハ妨ゲタルモノト云フコトハ︑

此成文ヲ解釈スレバ筍モ道理ヲ解スルコトノ出来ル者ハ誰デモ明二

住居移転ノ自由ヲ妨害シタルモノデアルト云フコトハ了解シ得ルー

難カラザルコト︑存ジマス︑初此住居及移転ノ自由ハ憲法第二十二条

二於テ人民ノ自由タルコトハ明二示サレテアル所デアル︑二十二条

一天何トアルカト見ルト︑日本臣民ハ法律ノ範囲内二於テ居住及

移転ノ自由ヲ有スト云フコトガ掲ゲテゴザイマス︑若シ予戒令其物

ガ法律デアリマスナレバ︑此住居及移転ノ自由ヲ予戒令ガ支配スル

コトガ出来ルノハ当然デアル︑憲法ノ範囲内デ許サレテアリマス︑

然ルー予戒令其物ガ行政命令デアルトスレバ︑予戒令ヲ以テ住居及

移転ノ自由ヲ拘束スルコトハ出来ナイ︑若シモ出来ルトスレバ憲法

第二十二条ハ無用トナラナケレバナラナイ︑之二違反シダ行政命令

ヲ発シタモノガアルトスレバ憲法二違反シタモノデアル﹂とのべて

保安条例廃止論がすておいた居住移転の自由違反を主張したのだ︒

予戒令はその上諭に﹁公共ノ安寧秩序ヲ保持スル為メ⁝⁝公布﹂

とみえるように確かに憲法九条独立命令だ︒その中で法規の性質を

もつ警察命令である︒提案理由にいうように法律でない命令により

居住移転の自由を制約することはできない︒だが問題の三条という

第九議会治安警察法案日︵新井勉︶ のは単に警察署へ届出を義務づけるにすぎず居住移転の自由を侵害

0 O

するものとはいえず︑違憲論の根拠としては説得力がまるでない︒

第二の理由として︑提案者は初め少しいいかけた予戒令の不要論

を展開して憲法九条の行政命令は濫発するものでないとした上で︑

﹁昨年ノー月二十八日ハ第二総選挙ノ以前デアリマシテ︑彼ノ武断

政治ヲ以テ組織セラレタ所ノ前内閣ガ非立憲運動ヲシヤウト云う考

ヲ以テ選挙二干渉ヲシヤウトシタ︑其当時デアルカラ前内閣ノ考デ

ハ︑勿論斯様ナモノヲ必要トシタニ違ヒアリマセヌヶレドモ︑本員

マ︑ハ人民二於テ当時二於テ斯ノ如キ法律ヲ必要卜感ジナカヅタト云フ

コトヲ断言シヤウト思上マス︑又併セテ其他ノ場合二於テ斯ル命令

マ︑ハ必要ガナ︑今日二於テハ斯ル命令ノ必要ハナイト云フコトヲ併セ

テ論ジヤウト考へマス﹂と一条の一項から四項まで検討を加えた︒

まず公私の業務行為の妨害については衆議院の選挙であれば衆議院

議員選挙法があるし︑通常の事務の場合なら刑法の脅迫罪の規定か

行政上の説諭がある︒次に集会の妨害については集会政社法に制裁

がある外行政警察として説諭も可能である︒また生業のない粗暴な

言論行為は刑法の違警罪で処分すればよく︑終りに以上の者の使用

についても刑法上教唆者として処分することができると論じた後︑

﹁故二四箇ノ取扱二対シテ十分ニ此取締ノ上二於テ不足ガナイト

思上マス︑少シク文字二於テ予戒令其他ノ法律卜︑差異ガゴザイマス

ケレドモ︑其法文ノ精神二於テハ幾卜異ナルコトガアリマセヌカラ︑

予戒令二明記シテアル事柄ヲ処理スルニハ︑総テ日本二於テハ法律ガ

十分デアルト断言致シマスルモノデゴザイマス︑既二十分デゴザイ

マシタナラバ予戒令ナルモノ入用ノナイコトハ明デアリマス︑

七五

(6)

又既二法律二規定シテアルモノガアルニ︑行政命令ヲ以テ斯ノ如キ

モノヲスルト云ヘバ︑取リモ直サズ行政命令ヲ以テ他ノモノヲ素ル

ト云うモノデアリマス︑此予戒令ナルモノハ取モ直サズ不都合ナル

0 9

モノ卜私ハ断言シマス﹂とせめたてたのだ︒

予戒令が不要な上に不都合でもあると論じたことを補強するため

その日衆議院で可決されたばかりの明治二三年法律八四号改正案︑

命令に二○○円以内の罰金か一年以下の禁鋼の罰則を委任した法律

の罰則を五○円以内の罰金か拘留にまで縮減するものに言及した︒

﹁当議会ハ殆ド全会一致ヲ以テ夫ノ行政命令二罰則ヲ附スルコトニ

就イテ法律第八十四号二改正ヲ致シマシタ︑其改正ノ制限シダ所ヲ

見ルー⁝⁝然ルー予戒令ノ罰則ヲ見マスル⁝⁝︑唯本院ガ通過シダ

計リデアリマスカラ︑此末如何ナルコトニナル力知レモセヌガ⁝⁝

世人モ以ツテ憲法伯ト称シ︑自ラモ信ジテ憲法擁護者立憲的運動ヲ

懐ク所ノ大臣︑伊藤内閣総理大臣デアリマス以上ハ︑本院ノ決議二

反対スルコトハナイト万々疑ハヌ者デアリマス︑若モ伊藤内閣ガ之

二反対スレバ言行一致セザルモノトシナケレバナラヌ︑故二本院ガ

議決シタル夫ノ八十四号ナルモノハ︑既二有効卜私ハ認メテ差支

ナイト思上マス︑既二有効卜認メテ差支ナケレバ︑此予戒令ハ五十

円以上ノ罰金十日以上ノ拘留ヲ規定シテアリマスカラ︑既二此予戒

令ハ不都合千万ナル命令デアルト云フコトハ其レ自身ガ表明スルニ

至リマシタ﹂とかけひきにせよ政府の本質も貴族院の存在も忘れた

かのよ﹃フな粗い論理をくみたてたのである︒

第三の理由として︑提案者は初めにふれた予戒令が公布の趣意と

違い公共の安寧秩序を混乱させていることを事実をあげてのべた︒ 第九議会治安警察法案日︵新井勉︶

﹁第二総選挙ノ時ノ有様ヲ見マスルト︑此予戒令ヲ濫用シタコトハ

如何デゴザイマス︑先ヅ当時ノ有様二於テ当然予戒令ヲ施行スベキ

者ヲ調べタナラバ︑土地二依ツテ違上マセウケレドモ︑私ノ県地杯

デハ一番最初二巡査二予戒命令ヲ施クノ外ナイ有様ヲ呈シタノデ

ゴザイマス︑巡査ナルモノハ選挙二干渉致シテ非常ナ強迫ヲ致シタ

ノデアル︑斯様ナ者二向ツテ予戒令ヲ施クノ必要ハアッタケレドモ︑

他ノ人民ハ決シテ選挙人ヲ強迫スル如キコトハ致サナカヅタ:.:.︑

然ルー此予戒令ナルモノヲ官吏其他政府党二向ツテ施行シタコトガ

ゴザイマスカ︑殆ド私ハ見ザル所デアッテ︑唯一方ノ世二謂フ所ノ

民党ナルモノ︑ミニ向ツテ︑此予戒令ナルモノヲ施行シタノデゴザイ

マス︑私ノ県地杯デハ殆ド九十人ノ多数ノ予戒命令ヲ受ケタ者ガ

ゴザイマスガ︑ソレハ悉ク民党デ︑其人物ヲ調ベテ見レバ多クハ県会

ノ議員或ハ町村会ノ議員或ハ村長若クハ医師杯ト云う如キ︑先ヅ田舎

二於テ上流二位スル所ノ人二向ツテ此命令ヲ施行シダ﹂のである︒

鹿児島だけでなく石川県でも多額納税者や市参事会員に予戒命令を

施行したし近頃は国民新聞記者を処分した︒﹁斯様ナモノガアッテ

過チヲ生ジ︑施クベカラザル所ノ人二斯様ナ命令ヲ施クニ至リマシテマ︑ハ︑遂二人民ヲシテ激昂セシルコトニナッテ︑上下ノ和衷協同卜云フ

コトハ望ンデ出来ベカラザルコト二立至ルデアラウト思上マス﹂と

人民のため政府のためその廃止を希望した︒

議員倶楽部小野隆助が反対意見をのべた︒﹁今日之ヲ廃止スルニ

於テハ国民ノ保護ヲ鉄キ国民ノ保護ヲ峡キ権利ヲ薄弱ナラシムルニ

至ル訳ダ⁝⁝純良ナル人民ハ迷惑ヲスル﹂と存置論を主張したが︑

多数の賛成により廃止建議案は可決された︒

(7)

第八議会先の廃止建議呈出から二年後の明治二八年一月八日︑

自由党の平田筬と浜名信平が連名で三度廃止建議案の提出をした︒

﹁予戒令ハ公共ノ安寧ヲ保持スル為メ行政上必要トシテ発布セラレ

タルモノナルヘシト錐モ却テ国民ハ権利ヲ押屈セラレ安心ヲ鉄クニ

至ルノ疑ナキ能ハス殊二本令発布ノ当時卜現今トハ大二其状勢ヲ異二

シ如斯命令施行ノ必要ナキヲ認ム﹂からだ︒マ︑一月一六日の会議で平田が趣旨説明の冒頭﹁本案ハ⁝⁝第三議会

二於キマシテ提出ニ相成りマシテ︑最大多数ヲ以テ可決セラレテ

其後毎回提出セラレル案デゴザイマス﹂とか建議案賛成者の意見中

﹁此問題ハ殆ド毎回衆議院二現レテサウシテ毎回可決ヲスルモノデ

アル︑甚ダ容易ク通過ヲスル﹂とかのべて︑衆議院になじみの議案

だから態々説明しなくても通過するとした︒だが実は既にみてきた

ように三度目であり︑その思い違いは恐らく明治二三年法律八四号

改廃法案や保安条例廃止法案との混同によるものだと考えられる︒

さて提案者が廃止理由として説明するのは理由書にある社会状勢

の変化の外もう一点︑前回もでた法律八四号の改正案との関係だ︒

﹁明治二十五年二於テハ行政庁ガ仮二斯ノ如キモノガ必要トシテ発布

セラレタモノトシテモ︑其当時ト現今トハ頗ル社会ノ情勢ヲ異ニシテ

居ルコトデゴザイマスカラ︑決シテ今日斯ノ如キ非常ナル行政命令

ヲ存スルノ必要ハナイト思上マス︑殊二過日本院二於テ可決セラレ

タル彼ノ明治二十三年法律第八十四号デゴザイマスガ︑彼ノ改正案

ニシテ幸二貴族院二於テモ通過シマシテ法律トナッテ発布ニナッタ

以上ニハ甚ダ妙ナ結果ヲ来サウト思上マス︑何トナレバ⁝⁝五十円

以内ノ罰金拘留ノ罰二附スルヲ得ト云フヤウニ︑其範囲ヲ狭メラレテ

第九議会治安警察法案日︵新井勉︶ 規定ガ低クナリマシタノニ︑其八十四号ノ枝葉ダル所ノ予戒命令ノ罰ノ存スルコトニナリマシテハ甚ダ不均衡ニナラウト思上マス︑妾々今日是ヲ存スル必要ハナイト思ヒマスカラ本案ヲ提出シダ所以デゴザイマス︑デ又本案ト同性質トモ申スベキ彼ノ保安条例廃止案ハ既二満場一致ヲ以テ過日本院ヲ通過シタモノデゴザイマスレバ︑本案モ御賛成ノコト︑存ジマスルカラ幸二満場諸君ノ御賛成ヲ得マシテ通過シマシタ上二於テハ政府二於キマシテモ飽マデ自説ヲ固執スルコトナク速二輿論ヲ採納﹂してほしい︒

予戒令と同質のものだという保安条例は︑一月一○日に廃止法案

を衆議院は大多数の賛成の下可決していた︒またその根幹だという

明治二三年法律八四号命令の条項違犯に関する罰則の件についても

一月一二日に改正法案を可決していたのだ︒

無所属小西甚之助が廃止建議案に賛成して予戒命令を道理上から

実際上から攻撃をして﹁固ョリ人ハ悪事ヲナスノ権利アリトハ言ハ

ナイ︑然しドモ未ダ悪事ヲナサナイニ前以テ之ヲ防グト云フコトハ

果シテ政治ノ上二於テ法律ノ上二於テナスヲ得ベキモノデアル力︑

決シテナシ得ベカラザルモノデアル︑政府ハ人民二向ツテ刑ヲ科スル

ノ権能ヲ持ツテ居ルモノデアル︑然しドモ是ハ或ル非行或ル悪徳ヲ

ナシタ時分二始メテ是二対シテ此権能ヲ施スモノデアル︑未ダ非行

ヲナサナイ︑未ダ悪徳ヲ施サナイニ前以テ悪ルイコトヲナスナト

命ズルコトハ決シテナシ得ベカラザルモノデアル︑何トナラバ其罪

ヲ犯サナイマデハ矢張一様二善良ナル者ト看倣サナヶレバナラヌカラ

ノ事デアル︑サレバ人ハ悪事ヲナスノ権利ハナイガ悪事ヲナサナイ

前二悪事ヲナスナカレト命ゼラレルニ当ツテ是二従フノ義務ハ無イ

七七

(8)

ト云フテモ宜イコトデアル︑然ルー命令ヲ以テ之二背イタ時二於テ

ハ罰スルゾト云フノ威圧ヲ意味シテ︑是ヲ命ズルガ如キハ甚ダ道理

ノ許サナイモノデアル﹂とせめたてて予戒令の核心である予防的な

予戒命令という考え方に対して根本からする非難をあびせてから︑

﹁縦シバ法律ヲ以テ是ヲ命ズルコト則チ政治上ョリ斯ノ如キ非行ヲ

ナスナ︑斯ノ如キ悪徳ヲナスナト云フコトハ命ゼラル︑トシ夕所ガ︑

はて実際二於テ是ヲ命ジテ果シテ効力ガアルヤ否ヤ︑⁝⁝申スマデモ

ナク資本卜云フモノガナケレバ決シテ事業二就クコトハ出来ナイ︑

或ハ技芸其他自ラ生活ヲシテ往クノ土台ヲ極メナケレバナラナイ︑

又其土台ガアルニシタ所ガ之ヲ使ツテ呉レル者ガ無ケレバナラヌト

云フコトデアリマスカラ︑決シテ容易ク生業二就クト云フコトハ出来

ナイモノデアル︑況ヤ最モ短イ所ノ期限ヲ定メテ是非此中二生業二

就カナケレバナラヌト云フニ至ツテハ︑決シテ本当二生業二就クコト

ハ出来ヌ︑左リナガラ此期限内二生業二就カナイトキニ於テハ罰セ

ラル︑モノデゴザイマスガ故二︑止ムヲ得ズ唯名義上生業二就イタ

ト云フノ表面ヲ装フト云フコトニナル﹂としてその二条一項の命令を

下命したところでその内容が壮士連中に対して実効性の乏しいもの

であることを明らかにしてみせたのである︒

続いて小西は二条の二項以下の予戒命令について同じ論理により

批判をしたのである︒一々批判をして結論は﹁総テ道理上二於テ

命ズベカラザルモノデアル︑縦シ一歩ヲ譲ツテ︑数歩ヲ譲ツテ是ヲ

命ジ得ルトシタ所ガ実際二於テ効能ノナイモノデアル︑音二実際二

於テ効能ノナイノミナラズ却テ弊害ガアルモノデアルト云フコトヲ

断言シテ憧ラナイノデアル﹂と捲したてた︒ 第九議会治安警察法案日︵新井勉︶

その末尾に予戒令の不要論を付言したが︑第四議会の場合の他に

法令が幾つもあるので予戒令はいらないというものとは別である︒

﹁警察上二於テ監視的注意ヲ徴密ニシタナラバ決シテ斯ノ如キ命令

ハ発シナクテモ屹度其目的ヲ達スルモノデアル⁝⁝︑試二当局者ガ

此予戒命令ヲ発シタカラト云ツテ其儘二うつちやって置クベキモノ

デアルカト云う卜決シテサウデナイ︑必ズ命令ヲ受ケタ者二対シテ

厳密ナル監視的注意ヲ為スニ違ヒナイノデアル︑若シ此監視的注意

ヲ怠ルー於テハ折角命ジタル所ノ効能ハ寸毫モ挙ラナイモノデアル︑

故二必ズ監視的注意ヲ為スハ勿論ノコトゞ思う︑然ラバ何モ此命令

ヲ施サナクテモ宜カラウ・⁝:十分監視シタナラバ︑監視ノ上二於テ

其治安ヲ保ツト云フコトハ明カナモノデアル﹂と保安条例に関する

貴族院での論議を想起させる考えをのべた︒

政府委員内務省土木局長都筑馨六が登壇︑予戒令の廃止に対する

政府の意見をのべた︒﹁政府ハ未ダ今日ノ社会ノ状勢デハ予戒令ト

云フモノハ必要デアルト認メテ居りマス︑政治上ノ点カラ見テモ︑

行政上ノ秩序或ハ政談集会ノ安寧ヲ保護スルタメ︑或ハ良民ヲシテ

堵二安ンジテ其業二就力シムルタメニモ︑亦社交上カラ見テモ︑着実

ノ人民ヲシテ其業務ヲ執ラシムルタメニモ︑今日ノ所デハ未ダ必要

ト見テ居りマス︑特二大都会ノ如ク流動的元素ヲ含ムデ居ル処デハ

尚更必要デアラウト思上マス︑⁝⁝ソレ等ノ理由二基イテ政府ハ今日

ノ所デハ未ダ予戒令ヲ廃スルニ必要ナル社会ノ程度二進ムデ居ラヌ

ト認メマス﹂と抽象論で廃止論を退けたが︑賛成意見の外反対意見

はでないようなので︑すぐ議長が採決をして大多数の賛成により︑

右の廃止建議案は再度可決されたのである︒ 七八

(9)

側伊藤博文関係文書研究会﹁伊藤博文関係文書﹂二巻昭和四九年一四六頁︒

②尾崎三良﹁尾崎三良自叙略伝﹂中巻昭和五二年二九○頁︒

③本稿㈲九七頁﹁政府は干渉策を採用して⁝⁝そのため一月二八日︑特に

予戒令を公布したのである﹂という叙述は︑予戒令を選挙干渉のため立案

したかのような表現であり︑適切ではない︒日本文にかいた通り既に立案

しておいたものを︑その目的から明治二五年一月の時点で公布したのだ︒

側前掲伊藤博文関係文書二巻一四八頁︑前掲尾崎三良自叙略伝二九○頁︒

右の自伝において尾崎は二度予戒令に言及しているが︑三○六〜七頁には

﹁予戒令のことは旧臘以来警視総監︑警保局長︑司法参事官等︑数次会談

の末漸く成案を具へ内閣に呈出し︑夫より本年一月に至り枢密院の議に

付せられ⁝⁝﹂とあり︑成案の時期が二月なのか臘月︵一二月︶なのか

少しずれがでる︒議会の開会を下旬に控えて二月中に成案を急いだとは

いえないか︒因に新聞集成明治編年史編纂会﹁新聞集成明治編年史﹂八巻

昭和九年一五二頁の明治二四年二月一七日付東京日々新聞の雑報として

﹁昨今譽保局と警視庁との往復頻繁なること未曾有なり︑且つ小松原局長

と園田総監との会合は一日数次に及ぶこともありとは信乎﹂とある︒

⑤前掲伊藤博文関係文書二巻一七六︑一七八頁︒同文書の一巻昭和四八年

四二六〜七頁に明治二五年一月一九日付井上顧問官の反対意見がみえる︒

なお同文書七巻昭和五四年一四四頁に同二五年一月四日付松方首相の伊藤

枢府議長宛の書簡があり︑新年の祝詞をのべ伊藤の帰京を強く促した後︑

﹁井上毅且伊東巳代治⁝⁝右両君の輔助にて小生も今日迄どうやこうやと

相勤候事に御座候︒御推察可被下候﹂︒

⑥保安条例は憲法公布前勅令の形式で公布されたものだから︑それを廃止

するには必ずしも法律によることを要せず勅令でもたりたかもしれない︒

政党や議会でなく政府がその廃止を望んだ場合のことである︒松隈内閣は

第一○議会に廃止法案を提出して結局果せず︑本稿口六八頁の表を参照︒

なお参考までに美濃部達吉は︑緊急勅令を議会提出前に廃止する場合には

先例のように緊急勅令によるべきでなく普通の勅令によるべきだとして︑

第九議会治安警察法案日︵新井勉︶ ﹁憲法上法律ヲ必要トスルハ新二法規ヲ定ムル場合ニシテ法規ヲ廃止スル場合二非ズ︑⁝⁝其勅令ヲ以テ定メラレタル場合一天其規定事項ノ如何ヲ問ハズ之ヲ廃止スルハ法律ヲ要スル限二在ラズ﹂と解した︑﹁憲法撮要﹂大正一二年四二六〜七頁︒例前掲憲法撮要四二三〜四頁︒⑧帝国修史会﹁帝国議会通鑑﹂上巻明治四一年一二三七︑一二四一︑一二

六八︑一二九二︑一二九七︑一三○七頁︒衆議院参議院︑議会制度七十年

史二巻﹁帝国議会議案件名録﹂昭和三六年に建議案は収載されていない︒

⑨﹁帝国議会衆議院議事速記録﹂第三議会六二七頁︒前掲帝国議会通鑑に

廃止建議案提出日はみ当らず︑六月一四日議長報告としてよみあげられた

他の法案提出日を前掲帝国議会議案件名録により六月一三日と確認の上︑

廃止建議案を六月一三日か一四日とみる︒

⑩衆議院参議院︑議会制度七十年史六巻﹁政党会派編﹂昭和三六年二六六

頁以下︑第三議会衆議院議員の党派と選出府県参照︒

伽﹁帝国議会衆議院議事速記録﹂第四議会八八六頁︒

⑰前掲帝国議会議案件名録付表三頁から勅令について承諾を求めた議案は

第一議会なし︑第二議会一件︑第三議会一件︑その後第七議会までない︒

第二・第三議会は同じ議案︑明治二四年五月一六日勅令四六号大津事件に

際して新聞等の外交関係記事について内相に事前検閲と記載禁止の権限を

与えたものである︒当時は公文式の時代であり︑後の公式令の下のように

﹁帝国憲法第八条第一項又ハ第七十条第一項二依り発スル勅令ノ上諭ニハ

其ノ旨ヲ記載ス﹂という要請はないにもかかわらず︑右の勅令の上諭には

﹁朕鼓二緊急ノ必要アリト認メ枢密顧問ノ諮詞ヲ経テ帝国憲法第八条二依り

新聞紙雑誌又ハ文書図画二関スル件ヲ裁可シ之ヲ公布セシム﹂とみえる︒

予戒令の上諭と比較すれば違いが歴然︒右の緊急勅令は第二・第三議会の

開会日に議会に提出され︑第二議会は解散で審議未了︑第三議会貴族院が

承諾し衆議院は承諾せず︑結局政府は失効公布においこまれたのである︒

前掲憲法撮要四二三頁は︑議会への提出を当然開会初めだと論じる︒

七九

(10)

側﹁帝国議会衆議院議事速記録﹂第四議会一○九︑八八五頁︒

側前掲新聞集成明治編年史八巻三三四頁︑明治二五年一二月二二日付時事

新報︑同月二三日付時事新報︒

側前掲衆議院速記録第四議会四六一〜二頁︒予算案審議の際も長谷場純孝

が政府を追及︑同書四四二頁︒

㈹前掲衆議院速記録第四議会五一八︑七二一頁︒折田兼至の発言によると

﹁国民新聞記者阿部充家ナル者二向ツテ予戒令ヲ施イタ如キハ︑聞ク所二

拠レバ人間違ヲシタト云フコトデゴザイマス︑事実ヲ偽ツテ或ル某ナル者

ノ宅二至ツテ金銭ヲ強請シダ者ガアル︑ソレガタメニ阿部充家二此命令ヲ

施イタト云フコトデアル︑事実ナルヤ否ヤ分リマセヌヶレドモ﹂という話

である︑同書八八八頁︒

伽前掲衆議院速記録第四議会八八六頁︒提案者は行政命令という言葉を︑

執行命令も独立命令も含めた政府による命令だという程度に用いている︒

なお一般に法規を内容とする命令を法規命令︑そうでない命令を行政命令

というが︑法規を内容とするものを行政命令︑そうでないものを行政規程

とよぶ場合もある︑﹁岩波法律学小辞典﹂昭和一二年一九二︑二○二頁︒

前掲憲法撮要四三一頁以下参照︒

⑱美濃部達吉﹁行政法撮要﹂総論大正一三年六一〜二頁︑届出に対しては

﹁其効果ガ専ラ法規二依リテ定マリ︑行政権ノ意思ノ内容二依リテ定マル

モノニ非ザル﹂受理が行われる︒許可とは本質的に違う︒

側前掲衆議院速記録第四議会八八六〜七頁︒

剛前掲衆議院速記録第四議会八八七頁︒明治二三年法律八四号を関係する

ところまでみておくと︑最初の議会では無所属の渡辺又三郎から廃止案を

提出して審議未了︑第三議会は議員集会所の福田久松・丸山名政が連名で

改正案を提出して同じく未了︑第四議会は弥生倶楽部野出鋪三郎・無所属

加賀美嘉兵衛・右の福田久松の三人の名を連ねて提出した改正案であり︑

明治二六年二月二○日衆議院が可決したが二月二八日貴族院が否決した︑

前掲帝国議会議案件名録︑前掲政党会派編︒さて野出の提案理由にみると 第九議会治安警察法案日︵新井勉︶

﹁此憲法ノ実施セラル︒僅カニ三箇月以前二当ツテ此八十四号ノ如キ法律ノ

出タト云フコトハ実二私等ノ怪ム所デゴザイマシタ︑当時如何ナル必要ガ

アッテ斯様ナ法律ガ出マシタカ其辺ハ分リマセヌ︑ケレドモ兎二角八十四

号ノ法律ガアリマスルタメニ其結果二於テドウ云フコトガ生ジタカト云上

マスト︑諸君モ御承知デゴザイマセウガ︑本年一月二十八日二於テ予戒令

ト云フモノヲ発布セラレタノデアル︑此予戒令ト云フモノハ即チニ十三年ノ

法律第八十四号二依ツテ発布セラレタノデゴザイマセウ︑デ予戒令ハ如何

ナル場合二之ガ生レタモノデアルカト申シマスルナラバ︑彼ノ選挙干渉ノ

タメニ大二之ヲ利用スルト云う︑即チ選挙干渉二大ニ之ヲ利用セラレタト

云フノデアル︑斯様ナ当時選挙干渉ノタメニ却ツテ法律第八十四号ヲ利用

セラレタノデ︑其害タルヤ実二非常ナコトデゴザイマシタ︑現二予戒令ノ

実施セラレタ県ハー府七県力八県ゴザイマス⁝⁝﹂と二つの法令の密接な

関係を明確にしている︑前掲衆議院速記録第四議会七五頁︒予戒令を審議

して法律八四号をひきあいにするのは︑むしろ当然の話だ︒

伽前掲衆議院速記録第四議会八八八〜九頁︒明治二三年法律八四号の審議

の際︑同書七七頁で議員集会所橋本久太郎は予戒令と選挙干渉について︑

﹁初メョリ戒ムルコトハセズシテサウシテカラニ︑戒ヲ受クル事柄ヲシテ

居ラヌ良民ヲ初メカラ拘留見タヤウナ第四条二当籍メテ罰シタヤウナ仕方

ヲシテ居ル︑私ハ⁝⁝目撃シテ居ル︑丁度選挙ノ手前ノ日.二当ツテ選挙人

l選挙人及其他ノ良民ヲ故ナク裁判所︑デハナイ警察署一一呼上ゲテ選挙

ノ終ルマデ故ナク留メテ︑拘留トハ違ウカモ知レマセヌガ︑矢張其留メタ

結果ハ拘留卜同様デアリマス︑選挙ノ終ル時分二放シダ︑斯ウ云う残酷ナル

事実二遇ブタ者ハ私ノ選挙区二於テモニ百四十人アル︑其他ノ選挙区徳島

県ノ第五区二於テハ四五百名モアッタ有様デアル⁝⁝﹂とのべた︒それが

事実とすれば余りに数が多い︒橋本は徳島四区の選出︒

剛前掲衆議院速記録第四議会八八九〜九○頁︒議員倶楽部は国民協会所属

議員の団体である︒小野の演説は吏党の立場から政府を支持したもので︑

民党の物笑いになり民党からやじり倒された︒ 八○

(11)

㈱ 卿 伽 倒

帥 側 側 伽

前掲衆議院速記録第八議会一三一〜二頁︒

前掲衆議院速記録第八議会四六〜七︑七二頁︒保安条例廃止法案は既に

みたように︑自由党徳増源太郎提出のもので︑一月二三日貴族院で否決︒

明治二三年法律八四号改正法案は︑自由党高橋安爾・中島又五郎の連名の

もので︑一月二八日貴族院で否決された︒序でに註側の後をみておくと︑

第五議会では弥生倶楽部藤野政高・野出錨三郎が提出して衆議院は可決︑

貴族院で審議未了︑第六議会も立憲改進党肥塚竜が提出︑衆議院で未了︑

第八議会では高橋・中島の外︑立憲改進党橋本久太郎・村上芳太郎・丸尾

文六が連名で提出してもいる︑前掲帝国議会議案件名録︑前掲政党会派編

による︒

﹁帝国議会衆議院議事速記録﹂第八議会九︑一三一頁︒前掲衆議院速記録第八議会一三一〜二頁︒

前掲衆議院速記録第八議会一

前掲衆議院速記録第八議会一

前掲衆議院速記録第八議会一

前掲衆議院速記録第八議会一

第九議会治安警察法案日︵新井勉︶

一三三頁︒ 一三三頁︒ 一三三〜四頁︒ 三二頁︒

参照

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