ロシアの高等教育機関における日本語教育
−極東国立人文大学 1 における日本語教育の実情と問題点−
Japanese Language Education in Russian High Education Establishment:
Results and Problem Points of Teaching Japanese Language at Far East State Humanities University
マシニナ・アナスタシア Anastasia Mashnina
Abstract
Students who majored in foreign languages at Russia’s high education establishments are able to achieve a relatively high level. The same can be said about Japanese language Department of the Faculty of Oriental languages, Far Eastern State Humanities University, which the author has graduated.
In this report the author researched the background of such results in studying Japanese at Russia’s high education establishments, taking the Japanese language department of the above university as an example.
First, the author states that the features that give learning effectiveness are 1. starting specialization studies from the first year of learning and much time for studies 2. state exam as a graduation exam.
The author points out the characteristic features of the Japanese language department of the above university. These include not only the small group system and much time for studying, but also an attitude of Russians towards learning Japanese language. These features positively affect the learning process. Thus, it is believed that both lecturers and students prefer high level content, and that students are eager to use the language perfectly and freely, which brings high results.
Four problem points of the same Japanese language department are pointed out, including lack of curriculum maintenance and grammar-translational method as a major teaching method.
【キーワード】 極東国立人文大学、ロシアの高等教育システム、日本語教育、
カリキュラム、教授法
1.はじめに
伝統的にロシアの高等教育は充実した内容と高いレベルを誇っている。帝政ロシアやソ
1 極東国立人文大学:2005 年 9 月まで「ハバロフスク国立教育大学」
連時代の教育システムが非常に強固だったからである。しかし、ソ連邦崩壊後、1990 年代 以降のロシアの高等教育システムは「厳しい危機の瀬戸際にある」(ワシレフスキー、2001)
し、全体的なレベルの低下が、現場の教員などから指摘されている。ただ、外国語教育に 限って言えば、大学で外国語を専攻したロシア人の多くが、比較的高度なレベルの語学力 を身に付けていることは否定できない事実である。外国語教育が成果をあげている背景に はどんな現状があるのだろうか。以下、極東地域の中心都市であるハバロフスク市の極東 国立人文大学東洋語学部日本語学科を例にとり、そこにおける日本語教育の実情と問題点 を明らかにし、この問題について考えていきたい。
極東国立人文大学(旧ハバロフスク国立教育大学)では、1990 年から日本語教育が行わ れている。筆者は 2000 年から 2006 年まで、同大学の東洋語学部日本語学科の日本語学・
日本語教育コースで学んだ経験がある。同大学の実情と問題点については、これまで学生 の立場からは認識していたが、このたび現職教員の意見を聞くために、2008 年 8 月 20 日、
同大学の若手教師2を対象にインタビューを実施した。本稿は、まずロシアにおける日本語 教育の歴史背景を概観する。ついでロシアの高等教育システム全体の特徴について言及す る。そして筆者の経験と現職教員の意見をもとに、極東国立人文大学における日本語教育 の実情を考察し、問題点を指摘する。
2.ロシアにおける日本語教育の背景
ロシアにおける日本語教育は 300 年以上の長い伝統と歴史がある。1705 年、ロシア皇帝 ピョートル一世は、漂流民としてカムチャツカ半島に流れついた大阪出身の商人デンベイ に日本語教育の実施を命じ、当時のロシア帝国の首都であったサンクト・ペテルブルグに ヨーロッパ最初の日本語学校を設立した。また、1736 年、日本語学校が科学アカデミーの 内部に設立された。のち日本語教育が中断される時期もあったが、19 世紀になると歴史的 要請もあり、日本語学、日本語研究への関心が高まり、1870 年にはサンクトぺテルブルグ 大学に日本語・日本文化講座が開設された。その後、モスクワ国立大学にも日本語講座が 開設され、旧ロシア(帝国時代のロシア)における日本語教育及び日本語研究は、日本か ら遠く離れたサンクト・ペテルブルグとモスクワを中心に行われてきた。1899 年には、政 治と経済情勢も背景にあり、ロシアの極東にあるウラジオストク市に東洋学大学(1920 年 から「極東総合大学」)が設立され、サンクトペテルブルグ大学から研究者たちが派遣さ れた。そこでは実用日本語、通訳養成を目的とする日本語教育が行われた。その後、ソビ エト革命の時代からソ連邦崩壊に至るまでサンクトペテルブルグ、モスクワ、ウラジオス トクが日本語教育・日本語研究の拠点となった。ただ当時、日本語専攻の学習者数は非常 に限られていた。1976 年の調査によると、ソビエト連邦の高等機関で日本語を専攻する学
2 極東国立人文大学の若手日本語教師は毎年新潟大学国際センターへ派遣され、一年間研究生 として日本語と日本語教育のトレーニングを受ける。インタビュー対象者は平成 20 年度の研 究生である。
生は 310 人にすぎなかった(藪崎、2006)。
しかし、ソ連邦崩壊後のロシアでは、この集中体制が崩れ、日本語教育機関が急増し、
地方の大学にも次々と日本語コースが設置されるようになった。また、高等教育機関だけ でなく、初中等教育機関から民間の語学学校に至るまで、日本語教育が広まった。2006 年、
国際交流基金が実施した「海外日本語教育機関調査」の結果によると、ロシアの 82 の高等 教育機関で日本語を学ぶ学生は 5,453 人であった(国際交流基金、2006)。
ロシア連邦の極東地域の中心都市であるハバロフスク市においても、1990 年、ハバロフ スク国立教育大学外国語学部に日本語コースが設置され、1995 年には外国語学部を離れた 中国語学科、日本語学科、韓国語学科から成る東洋語学部が新設された。設立当時、この 日本語学科は、ハバロフスク市で日本語を主専攻として学ぶことのできる唯一の学科であ った。そして数年後、同市の他の高等教育機関にも日本語コースが開設された。
のち、同大学は極東国立人文大学と名称を変えたが、もともと教育大学であったから、
当初、外国語教育に関しては、中学校や高校、大学の教員養成が主な目的とされた。その ため、日本語学科が設置された時、日本語学・日本語教育コースのみであったが、大学を とりまく状況の変化にともない、2001 年から日本語学・通訳・翻訳コースが加えられた。
その後、2003 年から日本語教育コースの学生募集がなくなり、2008 年現在、日本語学・通 訳・翻訳コースのみとなっている。
3.ロシアの高等教育システムについて
ここでロシアにおける高等教育システムの特徴について簡単に説明する。
大学は「高等教育機関」(VUZ, Высшеее
учебное заведение)と位置づけられている。入
学できる最低の条件は、普通学校の「中等一般教育」課程ないし専門学校の「中等専門教 育」課程を修了していることである。通常6月に学生募集があり、受験生は各大学に組織化されている入学委員会に所定の書 類を提出する。7月、場合によっては8月に入学試験が行われる。入学試験に課される科 目の例を挙げると、2008 年度の極東国立人文大学東洋語学部の試験は、英語(口頭及び筆 記)、ロシア語(筆記)となっており、筆記試験と口頭試験、両方を受けなければならない。
卒業学校の評価点数も考慮され、総合点により合格者が決定される。ただし、統一国家試 験の成績提出を求める大学では、入学試験がない。
ソ連時代には小・中・高と同様に大学での教育も無料であった。しかし、現在は高等教 育の有料化が[0]急ピッチで進められている最中である。もっとも、各大学には「有料部 門」のほか、国の援助によって教育が受けられる「無料部門」が存在しており、どちらに 入学するかは、ロシアのほとんどの大学で受験生が自由に選択できる。有料部門と無料部 門は、受験の際の提出書類が異なり、試験は一般的に無料部門の方が難しい。国の予算で 教育を受けるには、厳しい競争を突破しなければならないのである。入学後の教育につい て言えば、2つの部門が異なる授業を行う大学もあれば、共通の授業を行う大学もある。
ロシアの大学における学位制度や教育カリキュラムは独自のもので、欧米や日本とは異 なる制度を保持していた。現在は転換期にあり、できるだけ欧米の制度に合わせようとし ている。数年前までは、卒業するのに5年を要し、専門士という称号が与えられた。更に 進学する者は、博士課程に入った。現在は多くの大学に4年で「学士」(Bachelor)、5年 で「専門士」(Specialist)、6年で「修士」(Master)を獲得するというシステムが導入さ れている。ほとんどの学生は、少なくとも「専門士」号の獲得を希望する3。したがって、
ほとんどの学生は5年間在学することになる。
学年暦は9月1日に始まり、2つの学期に分けられる。第1学期(前期)は 12 月末ま で続き、その後は、1月末まで冬季試験期間があり、それが終わると2週間ぐらいの冬休 みとなる。2月中旬に第2学期(後期)が始まり、6月に行われる夏季試験で終わる。6 月末からは夏休みである。なお、ロシアの大学の定期試験は日本と異なり、「本試験」を受 ける資格を得るための「準試験」に合格しなければならないという二段構えになっている。
成績評価は、「2〜5」の4段階である。最終成績が「2」(不合格)と評価された学生 には当該科目の試験を再び受ける機会が与えられるが、それでも合格点に達しない場合は 退学処分になる。この厳しい規定により、学生はいやおうなく勉学に励まざるを得ない。
また、動機づけに影響するものとして、奨学金制度があげられる。「無料部門」で教育を受 けている学生は毎月奨学金を支給されているが、学期末試験の成績により、奨学金の給付 額が異なってくる。例えば、最高の成績(オール「5」)を取った学生は、次の学期に通常 の二倍の奨学金がもらえる。逆に、試験の成績が悪かった場合、奨学金をもらえなくなる などの規定がある。
1年次から専門科目を学び始めるが、1年次と2年次では、教養科目(ロシア語、ロシ ア史、一般心理学、経済学、外国語など)も多い。日本と異なり、教養科目を自由に選択 することはほとんどできず、大学側が指定する科目を必ず履修しなければいけない。3年 次からは専門性がより強くなり、少人数の特別クラスの時間が増える。カリキュラムに関 して特徴的なことは、日本の高等教育とは異なり、全て大学側に指定されているというこ とである。学生には基本的に科目を選択する権利はなく(あっても非常に少なく)、全科目 が必修という形になっている。授業は普通、週に5日間、毎日行われる。形態としては講 義、ゼミナール、実習に分けられる。
最終学年には「インターンシップ」があり、学生が選んだ専門に関係ある機関で行われ る。インターンシップは単位として認定され、卒業資格の不可欠な要件である。学生はそ れと並行して卒業論文を書く。その後、卒業論文の審査と専門科目の国家試験が行われる。
3 4年で「学士」(Bachelor)―5年で「専門士」(Specialist)―6年で「修士」(Master)を 獲得するというシステムは、数年前から導入されている。ロシアはいわゆるボローニャ・プロ セスとの学位の統一をめざし、米国やヨーロッパの諸国の教育制度と統一をはかり、このシス テムを取り入れようとしている。かつては、ロシアの高等教育制度は5年制であり、5年間で
「学士」号を獲得するという規定になっていた。
合格すれば、「高等教育機関卒業証書」が与えられ、卒業する。いわゆる就職活動は、基本 的に大学卒業後(「高等教育機関卒業証書」を得てから)、卒業生が各自行う。このように、
ロシアでは大学での修業期間が比較的長く、5年次後期でも必修科目(特に専門に関わる 科目)がある。
冒頭「はじめに」で提起した「ロシアの大学生が比較的高度な外国語運用能力を獲得で きるのはなぜか」という問題を考えるには、まず、ここに示した「ロシアの高等教育シス テムの特徴」を考慮に入れる必要があるだろう。すなわち、成績不良者には退学処分があ ること、奨学金の給付額が学業成績に左右されること、専門科目の学習期間が長いこと、
大卒資格を得るための国家試験があることなどが、外国語教育にも影響を及ぼしていると 考えられるのである。
4.極東国立人文大学における日本語教育の実情と問題点
ロシア・ロシア語圏における日本語教育の実情については、すでにいくつかの調査やア ンケートが行われ、結果が公表されている(木谷 1998;稲垣他 2003;福永他 2007)。極東 国立人文大学東洋語学部日本語学科を対象とした研究に関しては、動機づけ調査(アンナ・
バルスコワ 2006)やプロジェクトワークの試み(黒崎 2007)があげられる。以下、筆者の 学生としての経験と同大学の若手日本語教師を対象に実施したインタビューの結果に基づ き、同大学の日本語教育の実情と問題点について述べる。
4−1 日本語教育全般と学習者に関して
・日本語を専攻する学生数
現在(2008‑2009 年度)、極東国立人文大学の東洋語学部日本語学科では、1年生から5 年生まで 115 名が日本語を主専攻として学び、副専攻として(第二外国語として)英語を 学んでいる。語学の授業は少人数制であり、一つの学年は、10 人から 15 人ぐらいの2ク ラス(グループ)に分けられている。学年別の学生数を表1に示す。
表1 東洋語学部日本語学科の学生数(2008‑2009 年度)
1年生 2 年生 3 年生 4 年生 5 年生 合計 12+10 14+14 13+12 10+7 12+11
人数
22 28 25 17 23
115
このようなグループ分けは、少人数制による学習効果の向上を目的とする。実際、ロシ ア人学習者の高い日本語能力にもつながっていると思われる。
・カリキュラム
日本語の学習に関する科目は全て必修であり、大きく二つのコースに分けられる。低学 年(1,2年生の時)では「実習日本語」(
Практический курс японского языка
)というコ ースを履修する。高学年(3年次以降)では「日本語コミュニケーション実習」(Практикум
по культуре речевого общения
)を履修する。学年別日本語学習時間数は、表2の通りであ る。数字はアカデミック時間数を表す。1アカデミック時間は 45 分であり、括弧内の数字は、教室内学習と自主学習を合わせた時間数である。
表2 学年別日本語学習時間数 学年・学期 コース
実習日本語 日本語コミュニケーション実習 前期 118(237)
1年
後期 126(254)
前期 128(257) 32(72)
2年
後期 110(221) 44(96)
前期 188(396)
3年
後期 192(403)
前期 200(416)
4年
後期 196(412)
前期 158(412)
5年
後期 162(347)
日本語学習のための時間は多く、卒業時までの日本語の授業時間は 1500 時間を超えて いる。また、自主学習(宿題や課題、試験やテストの準備など)が重視され、時間的には 自習と教室内の学習の割合は、自習時間がやや多い。なお、すでに述べたように1アカデ ミック時間は 45 分であるが、実際の1コマの授業は 90 分、つまり2アカデミック時間に 相当する。したがって各学期の日本語の授業回数は、表2に示された数字の半分になる。
1学期はたいてい 16 週間である。
日本語の授業は1年次で週3〜4回、2年次で週5回となっており、学年が上がるに連 れて日本語学習時間数も増える。教室内の学習時間も、自主学習の時間も比較的多く設け られており、それはもちろん学生の日本語能力を上げることを目的にしている。
上述したように、日本語の学習は大きく二つのコース、あるいは二段階に分けられる。
1,2年次は、「実習日本語」というコースを、3年次以降は、「日本語コミュニケーション 実習」を履修する。前者は基本的な文法、漢字、語彙を学習し、日常生活レベルの会話が でき、簡単な文章が読み書きできる能力を身につけることを目的とする。つまり初級日本 語を学習するコースで、2年次を終了した時、日本語能力試験の3級に到達していなけれ ばならない。このコースの主な日本語教材は『みんなの日本語初級Ⅰ』、『みんなの日本語 初級Ⅱ』(東京 : スリーエーネットワーク編著,1998)である。
高学年で履修する「日本語コミュニケーション実習」というコースは中・上級日本語の コースであり、このコースの主な目的は、高度な文法、漢字、語彙を習得し、総合的な日 本語能力を身につけることにある。指定の教材はないが、よく使われる教科書には『外国 人のための日本語・中級から上級へ』、『現代日本語コース中級』などがある。その他、生
教材、ビデオ教材が用いられ、4年次以降は生教材中心となる。また、高学年では、「通訳・
翻訳実習」、「新聞読解」、「極東事情」、「専門読解・翻訳」、「パテント書の翻訳」という科 目も必修である。3年次以降は実践的な日本語が重視されると言えるが、現職の教員によ ると、実際にはこの目的にかなった授業内容を確保できないことが多く、大きな問題とな っている。
例えば、「日本語実習」と「日本語コミュニケーション実習」のカリキュラムは、1年 次から5年次を通しての確立したものがない。1年次と2年次で主教材が指定されている とはいえ、実際の授業は学期ごとの精細なカリキュラムに基づいて行われているわけでは ない。また、3年次以降の主教材が指定されていない上に具体的な計画もない。理想的に はコース全体のカリキュラムに基づき、同じ科目であればクラスが違ってもほぼ同じ内容 の日本語の授業が行われ、コース終了後、学生の日本語能力がほぼ同じレベルまで到達し ているべきであろう。しかし、実際にはクラスの担当教員の能力や各クラスの学生の実力 により、クラスの間の到達レベルには差が生じる。高学年では、生教材が中心になること が多いが、学生のレベルにより、その使用が困難になる場合もあるという。
なお、国際交流基金から毎年1名日本人教師が派遣される。原則として、3,4年次で は日本人教師による授業が実施される。日本人教師が担当する授業は週に1〜2回、主に 会話クラスである。
・日本語学習の特徴と教授法
木谷(1998)は、ロシアの言語教育の特徴についての先行研究をまとめ、以下の4点に 要約している。
(1) 文法訳読法と徹底した暗記練習と翻訳練習を中心とする授業方法 (2) 対照言語学的な文法分析に基づいた知識重視の学習
(3) 公式の場で通用する「正しい」「正確な」運用力という価値観の強さ (4) 書き言葉(漢字を含む)や抽象度の高い内容を重視する傾向
この特徴は、極東国立人文大学の日本語教育にもほぼ当てはまると思われる。例えば(1)
に関しては、低学年、高学年を問わず、教師から与えられた課題を翻訳していくことが多 い。学期末試験では、ロシア語で書かれた課題をその場で日本語に訳し、口頭で発表する などのテストが行われている。ロシア人教師が担当する会話の授業でも、与えられた会話 文を暗記することが多い。高学年の主なコースは「日本語コミュニケーション実習」と名 づけられているが、実際にコミュニケーション能力を育むことのできる内容の授業は少な いようである。この問題に関しては黒崎(2007)にも指摘がある。
(2)の対照言語学分析に基づいた知識重視に関しても、大いに当てはまると思われる。
極東国立人文大学の日本語コースの学生は「日本語学」と「翻訳・通訳」を専攻している ため、このような学習観が生まれるのは当然のことなのかもしれない。また、2年次以降 は「日本語音声論」、「日本語表記入門」、「日本語史」、「日本語文法論」、「日本語語彙論」、
「翻訳・通訳学論」という科目も必修であり、ロシア語による講義が行われる。これらの
講義で得られた知識は日本語実習の授業で使いこなすことが望ましく、当然、日本語教師 は授業中これを指摘することが多くなる。
(3)の「正確さ」の重視はロシアの外国語教育全体の特徴とも言える。極東国立人文 大学の日本語教育も、最近の日本語教育がコミュニケーション重視になっているのに対し て、文型・文法指導とコミュニケーション指導は相反するものではないという立場をとっ ている。文型の正確さにこだわる必要はない、相手とコミュニケーションがうまく取れれ ばよいなどといった考え方は、同大学のロシア人教師には支持されていないようだ。もち ろん、通訳・翻訳者を育成する学部では、学生の日本語の「正確さ」が非常に重要である。
また、日本語の授業を担当する教師の多くは、最近盛んになった様々な教授法(コミュニ カティブ・アプローチなど)を授業に取り入れないで、文法訳読法とオーディオ・リンガ ルアプローチで授業を行うことが多い。
(4)で示されているように、ロシア人外国語学習者は高度な内容を重視する傾向があ り、極東国立人文大学の日本語教育も同様である。教師も学習者自身も、高度な内容の例 文や作文などを好む。また、昔からロシアでは、「外国語を勉強するなら、完璧に使いこな せるレベルにまで到達すべきだ」という意識が非常に強く、実際、そのように考えている 日本語教師や学習者が少なくないと思われる。
漢字教育に関しては、数年前、極端にコミュニケーション重視の教育が主張された一時 期、カリキュラムからほとんど消えた。しかし、現在、上述したように、コミュニケーシ ョン教育と書き言葉や正確な文型を重視する教育の両立をめざす教授法が行われるように なってきたため、漢字教育も以前と同じように重視されるようになった。ただし、漢字教 育のためのカリキュラム、学年別に学ぶべき漢字の配当表などはない。
・インターンシップと卒業後の進路、就職
4年次と5年次にはインターンシップがある。学生は各自インターンシップ先を探し、
日本語の翻訳・通訳の実習を受ける。極東国立人文大学の学生がよく行くインターンシッ プ先の例をあげよう。
ハバロフスクは、ロシアの極東地域の観光都市として有名であり、日本からの観光客が 多いため、旅行会社の翻訳(観光ツアーの行程表などの作成)、通訳やツアーガイドをイン ターンシップに選ぶ学生の割合が大きい。また、卒業後の進路として観光ビジネスを選ぶ 学生もいる。最も優秀な学生は、大学の教師の推薦でハバロフスクに進出している日本企 業でインターンシップを行い、卒業後、その企業への就職も保証されている。その他、木 材輸出関係、中古車輸入関係の会社においてインターンシップを行う場合もあり、それが 就職につながることもある。
また、近年「外国語を専攻するだけでは就職には不十分である」という考え方が強くな り、学生の多くは、副専攻として法学、経済学、経営学などを学んでいる。卒業後、主専 攻の日本語学ではなく、副専攻を生かして就職先を選ぶ学生も多い。
卒業後のもう一つの可能性として考えられるのは、大学院への進学である。しかし、ロ
シア国内の大学院に進学する学生は非常に少ない。この道を選ぶ学生のほとんどは日本へ の留学を考え、日本文部科学省のプログラムに応募する。
4−2 日本語と日本語教育研究に関して
極東国立人文大学で行われている日本語の研究は、日本語学、翻訳論が中心である。今 までの卒業生の卒業研究テーマには、「日本語の待遇表現」、「マスコミの日本語の特徴」、
「日本語のレアリアを訳す際に」などがある。日本語教師による研究テーマは、日本語教 育と外国語教育全体に関するものが中心である。
学部卒業後の日本への留学の問題点は以下の通りである。
日本の大学で取得した修士号や博士号が、ロシアの高等教育制度の中ではあまり評価さ れないことが最大の問題である。福永他(2007)が指摘するように、ロシア国内は「自国 中心主義」のため、ロシア国内の学位のほうが優位にある。また、日本の修士課程並びに 博士課程が、ロシアと比べると、修業年限も短く、論文のページ数も少ないため、同等の 学位としては認定されにくい。例えば、日本の修士号はロシア国内の学部卒(修業期間 5‑6 年)と同じ評価であり、博士号はロシア国内の修士号と同じ程度とみなされている。つま り自国の学位が優先され、優遇されている。日本で修得した修士号、博士号はアカデミッ ク・キャリアとしては、あくまでも「プラス・アルファ」の学位として評価されるくらい である。
近年の動きとして、ロシアはボローニャ・プロセスとの学位の統一を目指し、米国やヨ ーロッパの諸国の教育制度を受け入れようとしている。これらが実現したら、上記の問題 は解消されるであろうが、現在はまだ困難な状況にある。
5.まとめ
以上、ロシアにおける日本語教育の特徴を極東国立人文大学の事例を中心に考察してき た。主な特徴をまとめると以下の通りである。
1.少人数制をとっている。
2.日本語学習時間が長い。
3.自主学習が重視されている。
4.文法訳読法が主な教授法であるが、近年、コミュニケーションも重視されるように なった。
5.高度な内容の日本語が教員にも学習者にも好まれる。
6.外国語を完璧に使いこなしたいという意識が強く、それが高い日本語運用能力につ ながっている。
また、問題点としては次のようなことが挙げられる。
1.カリキュラムが整備されていない。
2.一般に使われている教授法は文法訳読法であり、コミュニケーション能力を育てる には不十分である。
3.日本で獲得した修士号、博士号が評価されない。
しかし、これらの問題点は、解決できないものではない。1,2のカリキュラムと教授法 の問題に関しては、担当教員の指導力の向上と教授法の工夫によって解決可能であり、実 際、若手教員の研修制度など、改善に向けた方策が実施されている。また、3の学位の問 題も、今後、ロシアの高等教育制度が国際基準に変われば、解消されるに違いない。
6.おわりに
極東国立人文大学東洋語学部日本語学科の日本語学・日本語教育は、わずか 30 年ほど の歴史を持つにすぎない。しかし、同学科における日本語教育は着実に成果をあげている。
改善の余地はまだ多く残されているが、今後の発展と成長を望める状況にある。
このようなロシアの大学における日本語教育の状況をふまえ、日本の外国語教育の現状 を見た時、次のような問題点があるように思われる。
1.学生の学習時間が絶対的に不足している。
2.外国語教育にふさわしい少人数教育が実施されていない。
3.成績優秀者と成績不良者に対する指導が不徹底である。
4.外国語教育担当者の研修制度が確立していない。
これらはいずれも常識的な事柄である。また、金沢大学に限らず、日本の多くの大学に 共通する問題である。例えば外国語教育の場合、20 人を超えたら少人数クラスの効果を得 ることは望めない。むろん多人数でも可能な授業もあるけれども、コミュニケーションの 授業などは、10 人ほどのクラス編成で実施することが望ましい。
さらに大きな問題は、学生の学習時間不足である。上述したように、ロシアの大学では 自主学習が不可欠であり、これが不十分だと試験に合格できず、退学になる。だから5年 という修業年限の間、学生は勉学に打ち込まざるを得ない。日本に留学して不思議に思っ たことは、授業よりもアルバイトに熱心な学生がいることと、4年生になると授業に出席 せずに、就職活動に精を出す学生が多いことである。奨学金制度の充実、就職協定の見直 しといった施策を講じないと、日本の高等教育は崩壊してしまうのではないだろうか。
少し出過ぎた発言と感じつつも、ロシアの大学に学んだ者として、また、日本が好きで 日本語を勉強している者として、あえて一言加えさせていただいた。なお、本稿では、日 本語教師の待遇面を含めた実情や、学生の日本への留学の機会等について触れることがで きなかった。これは今後の課題としたい。
【参考文献】
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