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郷 土 の 名 勝 偽 ケ 浦 観 察 記

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(1)

郷土の名勝偽ケ浦観察記

(2)

我が郷土下北牛島の西岸大間崎から南方牛首崎ハ脇野津

村新井田附近)に至る聞は第コ紀又は火山岩の険崖と一部

に秩父古生唐が露出して岩石に某一く勝景が津山ある︒就中

幅浦崎と牛瀧崎との間にある侵蝕海岸の是盤上には︑永年

月の間丹念に彫刻された神仰鬼仙人乃至は斎生の様左形を

してゐる脊岩怪石が羅列し︑その背後の翠緑と相まって元

天下位⁝鶴見の沿岩勝医をたしてゐる︒との奇勝に釣し古来地

人民は自ら信仰の驚異を抱かしめられて︑仰ケ宇陀ハ歌叉

は宇多とも書きウクとはアイヌ諾の砂演の義だと云はれて

る﹀と崇呼し今日に至ったのである︒此所は交泊が不便な

所である震によく世現には知られなかったが大E十一年文

豪大町桂月翁が日本山水文皐の基礎を築く目的で遥々同地

を探勝され︑共自然彫刻の巧妙さを嘆賞して﹁紳のわざ鬼

の手造り悌浦︑人の世ならね所たりけり﹂と詠じたが︑との

名歌は給葉蓄に迄はいる桜になってから悌ケ浦の名目で次

第に世の中に知られる絞になったのである︒私は昨年九月

廿=Lに滞在して親しく調奈する機舎を得

︑ましたので︑との記事を認めて背絞に御参考に供します︒

一偽ヶ濁の所在地及び現扶

との所は数理上北緯四十一度十七分乃至凹十一度十九分

郷土の名勝悌LP浦現察記 東経百四十度凶十九分︑行政区上青森牒下北郡佐井村字牛瀧の北方海上約二粁牛の上陸し得る地黙で︑佐井脅林署管内佐井村大字長宇縫道石一占有闘有林の一部第百十六林班いホ小班に属する所である︒

併ケ浦の地形は喜々弦月欣に湾入した帯欣の山浦で︑そ

の延長海岸線約一粁半幅約二百米に達す︑断崖背後は高さ

約百米乃至三百米の雑木林になってゐる︑段丘は約二十米

乃至凶十米の深線海岸に接してゐる︑岩礁は自然の防波堤

とたり小舟の碇泊に遡してゐる︑波打際と断崖との聞は概

して平澗で白砂を布詰めた座敷の絞で︑諸所に高さ約六米

乃至九十米位に濯する形紋様々︑友脊崇怪石が無数に銭立叉

は稗在し︑見方によっては悌像又は仰具類に似てゐる篤夫

々例数上に因んだ名栴がつけられてゐる︑即ち一門/併︑十

三悌一︑蓮華岩︑天龍岩︑如来岩︑香焔岩︑燭裏岩︑蝋燭岩

例府一岩︑五百羅漢︑親子岩︑二見岩等とれで︑牛瀧附近の

奇崇怪洞の景勝と北ハに逝化の巧妙に異彩が放たれてゐる︒

舟上からの眺は一目千岩穀列して如何にも明朗的の風景

であるが︑いざ上陸して地滅の聞から奥深く踏入ると︑境

内の凶聞は悉く怪E岩に緩うされ妖穴にはいった桜で波上

の眺とは一風打襲った感じがする︑彼方此方と諜ふてゐる

聞に絶間在く働く波浪の一背色は薄暗い岩角に迄響き渡って

物凄く︑突営るE岩左仰眺すると終に吾をして犀せむばか

(3)

郷土の名勝悌ケ浦視察記

りの自然威を示し︑加ふるに西方から吹来る潮風は強く冷

かで痛く身にしみ込み︑さながら地獄と極策とを併せた桜

な物淋しさを感じ

上陸する際に先づ斎服されるのは地裁の問を格成してゐ

る鯨岩で︑治の形は恰皮鯨州胞の浮いた時に似てゐるといふ

包み自然に防波の桜になってゐる︒とLから上院し岩礁

を渡り海岸俸に北方に進んで二見崇と名つくる岩の聞を通

り︑約二百米位行くと五百続漢に達します︑との怪岩は一

名夷悌と稀し高さ約二十二米幅約七十三米とほ崖で︑岩の

表商は具献風化を受け一見多数の仰壇でも鼓ぺた桜に見

え︑表面は裕色で所々に風蝕を受けて例られた皿形の窪ん

だ部分があって︑下から見ると推茸の菌傘の内面の絞に白

く見えてゐます︑とLの前面に嘗てゐる浅い海面には親子岩と稀する高くない大小二つの奇岩が隆起してゐる︑その

大きな方を税岩と名つけ少し離れた小さい方を子岩と云ふ

てゐる︑親岩は岩樫の中央部から高低二州%に裂けてゐる

が︑何れも岩鑓の頂部は巧妙に彫刻され︑低い方は一寸見

ると騎上の古武士の袋にも見え或は西洋婦人の装にも似て

ゐる︑高い方の形は猛虎叉は獅子の欝路してゐる欣能んによ

く似てゐます︑子岩は特別に奇景を呈してゐたいが雨岩館の釘立で風致が増すのである︒との五百羅漢附近を見てか

一 ニ

O

ら引返して地裁堂(慈愛犬仰堂宇)に向って南進すると︑

少し小高い山岸の方に地減堂が建てられである︑堂宇の背

後は直ちに雑木林で細い林道がある(凶粁で牛瀧部落に行

ける)地減堂の前商は庚澗たる岩諜から出来てゐるので︑

盤上には奇々怪々たる幾十の岩が駐在してある︑堂宇附近

には俳笹山布︑鬼岩その南方に蝋燭岩その少し離れた海面に

は燭妄岩︑一官燈岩等があって︑何れもその名の一示された桜

た形をしてゐます︑叉山岸の小高い所には饗難門と名つけ

雌雄の難が相釣座してる様な寄岩がある︑その左方林中の

所々には十六鍛渓と名つくる怪岩は吃立してゐます︑尚南方には如来の頭岩と稽する怪岩と天龍山石︑如来岩等の奇岩

が経立してゐる︑との如来岩は五鐙の悌像を誌ベた様な形

をしてゐる震に地方人に崇められるので有名である︑この

透から更に南方に歩むと面白い岩ばかりあります︑岩礁の

内側には豆岩の破片は水蝕されて恰度蓮華の花又は奮の様

になったものが三個ある︑とれを蓮華岩と名つけ大き左も

のでも高さも直径も約四米位で表面の色は汚裕色に鋳びて

ゐる︑との東方には帆掛岩と稀する互岩あって︑山万四回の下

部は庇献に侵蝕されてゐるから数十人の雨宿りに使はれて

ゐる︑こ込を見物に来る人は何時でもとtAで食事をするこ

とにたってゐる︑その一端は東方に延びて山麓に接してゐ

る所は破壊してゐるが洞穴に左って︑その底部の砂を堀る

(4)

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し【門円ヰ:竜部落

ロロロよ~土舎を骨

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(5)

と小形の勉やその他の小型の介殻が津山見附かります︑と

ahを貝塚だといふ人もあるが貝塚とは見られたい︑化石畢上牟化石といふ方がむしろ遁嘗かと信じます︑帆掛岩の背

後には布袋岩と名つくる

E

岩がある︑その形は全く布袋が西に向って立った様花見えます︒と主から更に南に行くと友白色に剥磨された

E

岩が犬山の椋に筆立してゐる︑即ち

十三悌といふ岩で一名蓬莱山といひ.幾多の悌像を位べた桜花見えてゐるが接近して親しく岩慢を調べて見ると溝の

綾に侵蝕されて悌像を示し︑海上より向って右側の中央部から帯献に裂目は約四十五度角を以て左方に走って岩盤上に達してゐるととが判る︑その麓を西に廻れば裏面には鳳

鳴山と稽する奮洞穴様の

E

岩がある︑との岩は悌ケ浦中有名友もので洞穴の天井が陥落した結果門戸様の入口に左り︑雨岩壁は高さ約六十米位で扉風献に怠ってゐる

J

奥は約三百皐敷の大庚聞になって清浮無垢の白砂で敷詰め

られ︑上の方から陽光を受け向って左側の壁から清水が年中通して湧いてゐる︑との水は四七ハ中性﹀で飲料には遁するが硬度が弱いため風味が悪い︑地方人はとの泉た不老の瀧︑白砂の空座敷を極楽演と名つけ︑との座敷の砂を他

に持出す時には念に天候が愛って海が荒れ水難を受くるばかりでは友く︑その持出した本人もしくは家内に必宇病気が起り︑而も死ぬといふ恐ろしい迷信を言ひ停へてゐます︑

郷土の名勝働ケ滞留観察記 事は草純で科皐上からは信じられたい様ではあるが︑よく調べてみると本嘗に持出した人がとの砂のために重病にかLったり死んだりしてゐるので不思議でたまりません︒との話を知うてゐ左がら極紫演の奥にはいると︑何気たしに踏まれる白砂は一歩毎に害をして警戒し︑相手の話が山彦の様に響き上の方から思は危い露滴が襟の内に落込み︑波浪の働く一音色はいとピ物淋しく吾胸を突く様に・なってくるから︑との座敷を念いで癖退しとLの門戸に進むと︑明るい海面に真帆︑片帆が見え晴々した空気を呼吸するととが出来るのである︒極集演の門戸を出てから更に敷米を南方に進むと︑波浪が丹念に彫刻した結果出来た小さい蓮華様の岩塊が鋭路してゐる蓮華演に到達します︑とLは窪んでゐる震に海水が何時でも溜って居る関係上蓮華池といふのである︒とLから叉山宥礁停に南進するとと約十五米で悌ケ浦の南端がつきるのであるが︑そとの岩盤上陀は高さ約四

E

岩が冗立してゐ之︑これを一つ悌と名つけ胸高部の岩糧周囲約百五十米で岩頂は著しく侵蝕されて尖銃とたり一見ヨットのコ一角帆みた按になってゐる︑岩慢の中

央部から約四十五度の角度に深い裂目を劃し︑上部本慢の

岩をのせかけた様に見・えます︑との上の方は風雨のために風化されて粗鋸歯献にたり︑叉上方から雨水が倭流するために下方迄縦に溝が明かに出来てゐます︑との岩の東方は

(6)

婦土の名勝働ケ浦漉察胞

森林に接し西方は蒼海に岩基ををろし︑その説然として調布袋を突いてゐる岩姿は買に雄大である︒

aAで仰ケ浦の主要注青山一羽怪石はっきたのであるが︑と

の景勝に附髄して考慮しなければならないととは岩礁の景

観である︑とLの岩礁は幾千高年の閲黙議の打撃を受けて

制廃された結果︑その表商は恰皮組い鮫肌の桜に凹凸不定

の粗簡にたり︑地蔵の凶の岩礁では諸所に一米から二米位

の査穴に穿たれて海水を湛へ︑その中には小蟹や小さな雑

魚が波浪に運ばれて泳いでゐる︑又一つ仰の岩礁では鮫肌

みた素面にフヂツポ︑キシャゴ︑マルゴ等の有殻小動物が

寄着して一風雅設を呈してゐますが︑銑起で歩るくと痛く

て数歩を進むると痛感の悲撃を褒せざるを得左いととに左

上詑の絞に悌ケ浦は奇岩怪一布の集合によって出来た沿岸

の景跡地で南端一ツ働から北端五百羅漢で終黙配つけてゐ

る︑海よからの遠望はさたがらグリーンランドの大氷山の

篤真を見た時の桜在感じが致しますが︑愈々同地に接近し

て奇岩の形献配置等を視しく観察すると︑過去の世界に起

った地設費動の朕況を遺憾たく殻揮してゐえととを認むる

ととが出来ます︒一方通俗的K観察するとサ岩の形僚は信仰上倒教的の物類にもよく似てゐるので︑とれを綜合して

考八ると結局大町桂月翁の詠じた一伺﹁飽れはて議きはて て仰浦︑念物申す外友かりけり﹂と云ふととにたるでせう︒

悌ケ浦は恐山の寄生火山朝比奈岳の裾野に嘗てゐる段丘

地で︑地質事の数ふる所によると今から約一千高年前とい

はれてゐる第=.紀の時代に起た地殻大餐動の結果︑恐山は

海低から噴火したがら隆起したのであるから︑その火山友

火山砂は凝次して今日の例ケ浦の凝次岩が出来たのである

岩憶が出来てから後は隆起の途中海水の侵蝕を受けて大休

帯保の岩形とだったが︑隆起後は永年月に亘った風雨の侵

蝕のため岩鰐組織中の軟かい部分は例廃されて︑現献の絞

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す︒この誇擦は現に一つ怖のE岩とその附近の岩韓に存在

してゐます︑即ちとれ等の米韓民存する明かな横僚級は過

去の汀線痕でわるととを物語ってゐるのである︒悌ケ浦の

岩石は何れも凝次岩で岩石分類事上水成岩の中旅屑岩であ

る︒成図上岩撲の観類陀より流紋岩質疑友岩ハ緑色凝友岩)

と僻するものである︑との岩石は東北地方に特に都民達して

ゐるもので凝次質を帯び地肌は白友︑淡緑色で名孔質脆

弱吸水位K官み.風化を一党け易い特性を持ってゐる︑蓮華

岩附近の岩健中には方解石の完全た結晶を含んでゐたのを

認めました︑或岩慢の表面が褐色をしてるがとれは含まれ

(7)

圃 第

勝 景 浦 ケ イ 弗

(日四廿月九年八和昭〉む笠を漠羅百五らか悌ツー

(8)

近海

(9)

(盛山滑号)

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(12)

てゐる償分が酸化されてるがためである︒倫現在の風光に

影響を及ぼしてゐるととは︑隆起後に起った山崩の作用で︑

その際に土流は現在の諸岩程に堰止められたが弱い砦鎧が

くだかれて低い所に聴がされ︑或は全く埋められてしまっ

たので︐ある︑五百羅漢や牛瀧附近の諸怪岩は背後に土流を

抑へ止めたものであるから︑皆背後は立波注森林をたして

ゐるのである︑蓮華岩や蓮華池の小奇岩は附近岩趨の破片

が浪に洗はれて出来たものである︑十六町維漢は海岸から少

し山の方に饗立してゐるが︑比較的岩骨が硬かった篤土流

に倒され‑ないで上ヰ身を現はしてゐるのである︑叉五百羅

漢やその他の沿岸岩時一一も同様の意味で背後に来た土流を止

めたから現景を残してゐるのである.文将来とても山崩で

もあったなれば今の克座してゐる奇岩は担浸或は挫折され

て︑現景が半減するに相遼がありません︑因に極柴演の白

砂は恐山湖畔極集演の白砂と成因が同じく流紋岩質の分

解した石英砂で彼の舞子演の花山岡岩が分解した石英砂とは

母岩を異にしてゐる今迄述べたととを要約すると悌ケ浦の

諸奇岩は海底から隆起した途中海蝕を受け.隆起後も長年

月の間風雨の侵蝕消勝作用を受けた結果現扶を呈する採に

なったものである︒而して岩の種類は流紋岩質凝友岩とい

ふもの兵本鯨西海岸大戸瀬の千昼敬(緑色角礁凝友岩)

上州妙義山ハ集塊岩﹀等の岩とは別種のものである︒

郷土の名勝悌

hv浦現察記

一 一

例ケ浦境内には海演純物が少からやあるが群落の目立っ

たものがたい︑叉商海岸に特有なハマゴウとか本懸一般海

岸に普通なハマナス︑太平洋岸のコハマナス等が見えませ

ね︑むしろ大間半島沿岸の梅漬植物相に似てゐると諮ひ得

るのです︑今日の調査したものではウンラン︑スナピキサ

ゥ︑ハマヒルガホ︑オカヒジキ︑ハマアカザ︑ヒナノウシ

ツボ︑タウオホパコ︑コハマギグ︑ハマゼリハマホツス

エゾオグルマ︑ハマ一一ガナ︑ハマフウロウ︑シホマツバ等

で︑シホマツパは二見岩と五百羅漢との途中沿岸の石礁の

間にあるが︑他のものは悉く山岸の陰議た所に生えてゐる

震に愛育はよくない︒ご見岩の頂上にはハヒネズハ下北方

言ハマパラ)とその他の録法木が生えてゐるので一入風致

を添へてゐる叉背側商の山岸の蒋壁にはウド︑一一ハトコ︑

アザミ︑アマ‑一ユ(方言アマネヲ)オロシヤギクハ珍稀

蹄化植物)アキタプキハ方言フキ)︑グズ︑オホイタドリ

ハ方畳一ロサシトリ)︑オミナヘシ︑オトコヘシ︑ススキハカ

ャマタ‑一ウツギハ方言ガザ)︑コパノフユイチゴ等の外

に︑有毒植物のドクウツギ︿方言ウマオドロガシ)︑トリ

カブトハ方言プシ)︑ノプダウハ方言メクラプグウ).等

がある︒地裁堂宇背後の山地にはシナノキハ方言マダ﹀︑ 傍ケ涜の陸産植物相

(13)

郷土の名勝働ケ浦圃観察記

ナラ︑イタヤ︑ヤマザクラ︑モミヂ︑オホイワアザミ︑ク

ズ︑ヤマプグウ︑ホドイモ等が認められるが︑シナノキと

ナラは林相の大部分を占めて居る︑林木は強い海風を一受く

るのと林地が肥沃でたいために都民育が悪い︒叉働ケ浦の中央部から牛瀧部落に至る聞の崖上にはッ︑ジ︑シロバナシ

ヤクナギハ方一一言シヤクナギ)︑フヂ等も世間々ある小井川潤

︐次郎氏の採集談によると野生のオモトもあるそうだが今回

は稜見し余ねました︒

要するに悌ケ浦の風致植物は背後森林をたしてゐる落葉

樹で︑松杉の様なものは一つもありません︑海潰の植物中

誇とすべきは蹄化植物のオロシヤギク(菊科)子生育して

あったととで︑露闘が原産で樺太でも豊原附近にあるばか

りで︑北海道でもまだ褒見されてゐ危いのがとの建都在悌

ケ浦の砂演に育であったととは意外の感に打たれました︒

悌ケ浦境内及び附近には鳥獣類は相営に多い︑牛瀧部落にはスズメ︑ハシプトガラス︑トピ︑モズ︑セグロセキレイ︑

キセキレイ︑アヲグラ︑コグラ︑アカゲラハ+刀言ケラッ︑

キ)︑四十雀︑五十雀︑日雀︑小雀︑カケス︑ヒヨ

γ

リハ方言

チョウマン)︑ウグヒス︑カッコウ︑ホトトギスハ方言メツ

)

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子二回

アカハラ(方言チヤツゴ︑パクロ

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)︑ツバメ等が見えて

ゐましたが︑悌ケ浦にはスズメとツバメを除いた上記の烏

が皆ゐるしブその他に海演性のイゾヒヨドリハ方言イソコ

ツケ)︑ウミウ(方言ウノドリ匂ウグウハ方言ツナギトリ︑

ハナドリ)︑も黙々と岩礁に止ってゐました︑背後の林中

にはメジロ︑=一光鳥ハ方言ウシポイ︑ヲナガ)︑トラツグ

ミ(方言ヂコク

γ

リ︑カネコドリ︑カネ夕︑キ)︑ミソサゾ

イハ方言ミソヌスボト︑マメジヨ)︑キビタキ︑オホルリ

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リ﹀︑ェナガ︑ノピタキ︑ウソ︑マヒワハ方言ヒワコ﹀︑イカル

(=)()

マドリ等がゐて︑春から初秋迄は色々の青葉が演奏されて

ゐる︑海上には季節的に多数のケイマフリハ方言アカアシ)

オホとヅナギドリ︑ウミスズメ︑ハシプトウさカラスや鴨

類も出現する︑獣類では日本猿︑カモシカ(方言アヲシ︑)

キツネ︑グヌキハ別名ムヂナ)︑エチゴウサギモモンガ.

ムササビ(別名パンド))

(方言キネズミ)︑イタチ︑クマ等は主たものだが.クマは

極稀に現はれキツネもグヌキも近年は減切不足にたってゐ

る︑サルは大E十=一年から捕獲禁止院域の制を布かれて保

護をうけてゐます︒随虫類はマムシ(方言クソヘピマシマ

ヘビハ方言サナダヘピ)︑ヤマカガシハ方言ヤマガゼ)︑アヲ

(14)

︿)

言アプラヘピ)︑等であるがカナヘビもよ︿見賞ります︑マ

ムシも別段人畜には害を及ぼしてゐません︑雨棲類では一一

ホンアマガヘル(方言アヲピキ︑アヲモウケ)︑ヒキガヘ

ル︿方言ガマモツヶ︑ウスモツケ﹀︑ヤマアカガヘル︑W

ガヘル︑ハコネサンセウウヲハ方言サンソカッカ)等は牛

瀧附近に棲息してゐます︒昆虫類︑︐蜘妹類に就ては調査が

不十分で誌には書かれませんが︑例ケ浦の岩礁の上にアヲ

クサガメの一種が津山止てゐたのは不思議である︑牛瀧部

落が蚊(方言ヨガ)が多いので有名であるばかりで左く悌

ケ浦背後の山路には虻が津山群集し恰度笠蜂の群飛してる

様なものである︒

︑ ︑

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青森市を基黙として悌ケ浦の交通を考へると先づ不便友

所だと云はねばならたい︑E附近の風波が強いから十月以

後は四月頃迄上陸するととが出来ません︑悌ケ浦の根撲地

は牛瀧部落であるから海陸雨コlスがあるがとにかくと与

に行かなければたら左い︒牛瀧に行くには海路によるのは

好便で而も順路である︑青森佐井聞の定期汽舶を利用する

怠れば約七時間で牛瀧に着きますとLから小舟に乗って沿

岸俸に約三十分位北に進むと悌ケ浦に到達します︑上陸し

郷土の名勝働ク浦視察犯 てと与の景観を極め夕方小舟で牛瀧に蹄りとLで一泊をす

る︑翌日は前日佐井迄行った蹄り汽般にのって青森に蹄る

のであるが︑との舶は恰度よく飾らたい時がある.かくす

ると一日文待た怠ければたらないととにたるので不便だと

いふのです︑陸路をとられる方は汽車で大湊迄行き︑と

Lから自動車で川内迄行きとLから替林署の森林厳選に乗って即特迄行き︑とLから約二時間位一塁の山路を遇って

牛瀧部落迄行き一泊し︑翌日小舟で悌ケ浦をゆっくり見物

して一泊し︑前日のコlスをとるか青森行の汽般を待って

蹄るととにたります︑先づ普通の場合では一一一日間の日子が

Lるととになります︑最近には各曾祉で翻寛舶を出して

日蹄り見物が出来る様に便利を闘ってゐるから︑との圏休

に加はって見物するのは経済的で有効であると思はれる︒

牛瀧部落は戸数約三十位の漁村で佐井小畢校の分教場があ

る位だが︑民習は至って質朴で按館と云ふべきものも飲食

庖の様たものも別にない︑只熱心に遥々との地を探勝して

来る御客様の便宜をはかつてやるといふ意味で︑との部落

の坂井家で宿泊の勢をとってくれるに過ぎたいのである︑

故に豪遊を極め様とする方はキャラメルと煙草の外は肉類

の様たものは一切用意して行か怠ければたりません︑魚介

類では天候が悪くたければアワピでも外の魚類でも大抵食

膳には間に合せるととが出来るが天候が要ると金く鮮魚

(15)

郷土の名勝働ケ滞現察記

も何も求めるととが出来ない援になってゐます︒との依態

であるから天候的名勝地であると謂はねば左らぬととにた

俳ケ浦は下北半島西部の隆起海岸にある緑色凝友岩が︑

今から約一干高年といふ長い年月の間朝たタたに受けた風化彫刻の作用と時々起った天餐地異の作用によって︑現

在の様な奇岩怪石が遁所に配置されて自然の銘庭闘が成立

したのである︒との這化の紳がとしらへたみちのくの岩石

中心自然庭園が︑交通不便であるがために全く隠れて居た

のであるが︑近頃からやっと世現に知られる綴になったの

で︑行って見ると見る程岩景の配置が四周の背景と調和さ

れてゐる塩梅がよく出来てゐるととが判る︑されば山水文

恩一・乃至自然科感上の諸資料が少から宇獲られるととL信じ

てゐます︑悌ケ浦は近い内に天然紀念物に指定されるとと

にたってゐますが︑有も我郷土を愛する方々は是非一度は

との地を踏査して頂き度いのであります︒

ハ昭和九年七月廿七日稿)

一 ‑ 一 中 ハ

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