医学の進歩と保険約款
佐々木 光 信
■アブストラクト
終身タイプの第三分野商品が普及しているが,超長期の保険期間中に医療 環境は大きく変化する。契約時点では想定していなかった医学の進歩は,商 品のリスクに大きく影響するのみならず,そもそも約款と医療の乖離という 問題を提起する。保険期間中の医療環境の変化は,保険契約としての契約時 主義と保険事故の発生時主義の対立構造をもたらし,消費者の苦情にも繫が っている。また保険事故の要件には,医学的な記述が不可欠で,約款が分か りづらいという消費者の批判を増幅させ,約款の運用をより複雑にしている。
約款の医学的解釈には,時間と共に変化する異時性の差異と医学的記述に対 する読み手の理解の差による同時性の差異が,輻輳することになる。本稿で は,今後想定される医学の進歩を見つめつつ,約款への影響を分析すること により約款の在り方,言い換えると約款の医学的骨格の強化について論じる。
■キーワード
契約時主義,発生時主義,医学の進歩
1.はじめに
iPS細胞技術の再生医療・新規創薬への応用,死因究明推進法の成立 , 遺伝子検査の浸透 ,脳機能イメージング の臨床応用など保険業界として
*平成24年12月21日の日本保険学会関東部会報告による。
/平成25年1月15日原稿受領。
1) 平成24年6月15日成立,今後の不慮の事故の死因の判断に影響する。
も無関心ではいられない医療関連の報道を耳にしない日は少ない。第三分野 商品が隆盛する状況では,医学の進歩は約款と保険商品に関して様々な課題 を提起する。また超高齢化社会の到来は第三分野商品の終身保障ニーズを加 速させ,現在では多くの会社が終身型の医療保険を販売している。当然,超 長期の保険期間中に医療環境が変化する問題も顕在化している。近年では手 術給付約款が陳腐化し,時代に合わずに支払漏れの原因になったことが知ら れている。すなわち時間経過による約款と医療の乖離は,第三分野の保障を 提供する上では宿命的な問題と言えよう。さらに,約款は分かりづらいとい う批判は日常的であるが,保険事故の定義には医学的な記述は避けられない。
結果として,医学的専門性のため批判はより増幅されることになる。
また,元来約款の分かりづらさについては,約款が文字列だけで表記され ているため言語学者が指摘するように複数の解釈が可能になるなど,本質的 に誤解され易い下地が存在する 。約款に限らず法律文では,分かりやすさ よりも正確さが優先されるにも関わらず,活字表記の陥穽に嵌りこんでしま うことがしばしば見られている。
さて,医学の進歩は,約款以外に生命保険事業そのものに根本的な影響や,
遺伝子検査の普及に代表される倫理的な影響を与えるが ,本稿では,医学 の進歩が約款にどのような影響を与えるのかという点に絞って,問題を考察 しつつ約款と医学の乖離問題により根本的な対応策はないのか考えたい。
2) 薬剤投与の事前効果推測のための遺伝子検査(遺伝子変異や遺伝子多型の検 査)は,すでに日常的に行われている。
3) 脳の解剖学的な画像検査と異なり,神経細胞の活動イメージを調べる検査。
4) 酒井邦嘉・脳を創る読書24頁以下(実業之日本社,2011)で,著者は活字表 記には言語学的課題として, 醜いあひるの子 が, 醜いあひる の子 か 醜い あひるの子 のいずれを指すのかという誤解が生まれやすいことを指 摘している。また情報量は メール<手紙<電話<会話 であり,活字の持つ 情報量が少ないことも論じている。
5) 佐々木光信 保険医学と倫理的課題 日本保険医学会誌,第107巻第1号61 頁以下(2010)(生命保険協会長賞受賞論文)
2.事例提示
本章では医学の進歩と約款の課題を読者に実感してもらうことを目的に,
いくつかの事例を以下に示した。
1)診断の変化に関する事例
契約時点では悪性新生物に分類されていた 境界型卵巣腫瘍 が,近年 世界的に悪性新生物に分類されなくなった。その後,同腫瘍に罹患した方に がん保険の給付をすべきだろうか?
2)新たな疾病に関する事例(新たな法律の問題)
性同一性障害の方が性別取扱いの特例に関する法律に従い性別を変更され た 。性別保険料率の商品について契約の性別と保険料の修正申請があった。
どのように取り扱えばよいのか ?
3)疾病・治療の概念に関する事例(美容や老化の医療の問題)
老化による口角の下垂に対してリフティング(口角を挙げる手術)で入院 した女性から給付金を請求された。(骨粗鬆症,加齢性黄斑変性症,ロコモ ティブ症候群 も老化病であり入院すれば給付対象である。)リフティング について美容形成手術として給付を拒絶すべきか?
4)新しい治療に関する事例(胎児の扱いの問題)
妊婦検診で胎児の腎臓の腫れがみつかり,カテーテル手術で胎児の治療を 受けた 。胎児治療は母親の医療保険の給付対象だろうか ?
6)
WHO
では,新生物を悪性,良性,上皮内,性質不詳の4種に分類している。卵巣の境界悪性の腫瘍は,現在性質不詳の新生物に分類されている。
7) 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律。
8) 佐々木光信 性同一性障害と性別変更 生命保険経営第72巻第4号39頁以下
(2004)
9) 新しい概念の運動器疾患で,日本整形外科学会では運動器の障害により要介 護状態になり易い状態と定義している。
10) 巨大に腫れた胎児の腎盂と羊水腔の間にシャントを増設し,胎児の腎臓機能 を保護する。全身麻酔でカテーテルを使用して手術が行われる。
5)倫理に関係する事例
代理出産時に行った帝王切開の請求があったが,代理懐胎を日本産婦人科 学会は禁止しているが ,給付すべきか?
6)診断技術の進歩に関する事例
精神障害を原因とする事故は給付しない という免責規定により,自傷 行為の入院を不払いとしたが,f MRI検査で前頭葉に所見があるので ,脳 神経疾患が原因という申し出があった。免責判断を撤回すべきか ? 7)リビングニーズ特約(LN特約)の事例(余命の問題)
心筋症のため余命6ヶ月だが,心肺移植できれば2年以上の余命が期待で きる患者から,移植手術待機中にLN特約の支払請求があった。支払うべ きか?
8)契約前発病不担保条項と遺伝子検査の事例(発病の定義の問題)
RET遺伝子変異 の診断を受けた方が,保険加入直後に甲状腺癌になり,
入院給付金を請求された。契約前発病で免責とすべきだろうか?
事例は課題のごく一部であるが,医学の進歩により看過できない様々な課 題が現実化し,約款の解釈や給付の判断に影響を及ぼすはずである。結果と して約款が未整備あるいは曖昧といった苦情を受けたのである。なお提示し た事例は,5)6)を除いて既に筆者が経験した事例である。実例は無くて も,課題として認識し,実際の発生時に対応できる準備は必要であろう。
11) 佐々木光信 胎児の地位と保障の範囲 日本保険医学会誌第104巻第1号46 頁以下(2006),肥塚肇雄 胎児治療と医療保険契約に基づく給付請求の限界 日本保険学会大会レジメ(2008)の両論文で胎児治療が取り上げられている。
12) 佐々木・前掲注5)で代理出産の問題と生命保険の関係を論じている。日本産 婦人科学会は, 代理懐胎に関する見解 で代理懐胎を会員に禁止している。
13)
f MRIは,MRIを応用して脳神経の活動に関連した脳血流の変化を可視化
する脳機能の画像診断検査。
14) 深谷正道 脳神経科学の進歩と生命保険 日本保険医学会誌第107巻第4号 305頁以下(2009)
15) 一部の甲状腺癌の原因遺伝子である。
3.最近の照会内容
平成17年2月の生保業界の不払問題報道を嚆矢として ,生保各社の支払 問題に対して消費者の目線は大きく変化した。その結果,日常業務に対して 多くの苦情や照会を受けている。筆者も,実務を通して多くの消費者からの 声や苦情を耳にしているが,一部の声には医学の進歩と約款の乖離が原因と 思われる事例があることを感じているので,その実態を次に分析する。
1)苦情・照会状況
不払い問題後の支払再検証に関する報道は多数あるが,当時金融庁が公表 した支払い漏れ件数の検証結果について再度表1で内容を見てみたい 。多
16) 平成17年2月金融庁は,明治安田生命の不適切支払いに対し,業務停止命令 及び業務改善命令を発出した。以後生命保険会社の不適切支払いに対する批判 的報道が増加した。
17) 平成19年2月1日付報告徴求命令に基づき生命保険会社全社の報告結果を公 表している:http://
www.fsa.go.jp
/news
/20/hoken
/20080703-
5/01区 分
出典:金融庁公表, 生命保険会社の保険 金等の支払状況に係る実態把握の 結果について 平成20年7月3日 のデータを基に筆者作成
割合(%) 保険金
給付金
合計 死亡 その他
入院 手術 通院 その他
0.22 0.90 25.01 55.73 9.28 8.25 100
くは入院,手術,通院の給付金に関する支払い漏れであり,合計で9割を占 めていた。
次に,平成23年度に生命保険協会の生命保険相談所で受付けた苦情内容の 上位10位を見たのが表2である 。入院給付金不払い決定に関する苦情は第 2位に入っており,不払い決定には告反解除を含め医学的な判断が必要だっ た案件と推測される。約款の解釈に対しては, 約款に不備があるのではな いか ,あるいは 運用判断が曖昧だ といった苦情や照会問い合わせとな って現れるが,特に医学の関連部分は,その傾向が強いようである。次に,
筆者の所属する会社では,毎日約4,000件の請求があるが,保険金給付金の 不払い決定や金額に関してお客様から受けた平成23年1月から平成24年8月 までの照会内容を表3にまとめた。総数1,170件の内,告知義務違反に関す るもの336件,給付の該当可否に関する573件および免責該当可否に関する
表2 生命保険相談所 苦情内容上位10位 内容
18) 生命保険協会,生命保険相談所リポート,No.88
http:
//www.seiho.or.jp
/contact/ report
/report2011 .pdf
出典:生命保険協会生命保険相談所 相談所リポート
No
88 平成23年より転載①説明不十分
②入院等給付金不支払決定
③解約手続
④不適切な募集行為
⑤入院等給付金支払手続
⑥契約内容変更
⑦契約引受関係
⑧死亡等保険金支払手続
⑨満期保険金・年金等
⑩配当内容
件数 総件数占率(%) 964 14.9 898 13.9 485 7.5 409 6.3 360 5.6 264 4.1 232 3.6 218 3.4 215 3.3 198 3.1
219件のいずれも濃淡はあっても医学的判断が支払い結果に介在している。
中には不払いの原因になった給付金の通算限度や免責規定の存在を知らなか ったといった苦情も含まれ,契約時の説明に問題が潜在している可能性は否 定できない。さらに,給付の該当可否について内容を詳細に見てみると,手 術給付やがんの定義に該当するかどうかといったより専門性の高い医学的支 払判断の結果に対して照会を受けている。このように内容を見ると,医学的 な判断に関係した照会が多いことがわかる。
2)苦情原因としての 契約時主義と発生時主義 および 約款解釈の異時 性と同時性の差異 について
約款を医学的に解釈する際に,2つの面から問題が整理できる。すなわち,
約款解釈の異時性と同時性の差異である。前者は,時の経過の中で医療環境 も変容し保険事故の医学的解釈が変ることを意味している。一方,後者は同 時期に同じ約款を見ても当事者の間で約款の解釈が異なることを意味する。
まず前者について解説する。
①約款作成時期と保険事故発生の時間差による約款解釈の異時性差異 保険は契約行為であり,基本的に証券と約款に基づき契約時に締結した内 容にしたがって保険金・給付金の支払いや保険事務が履行される。すなわち
表3 保険金等不払や金額に関する照会内容の内訳
出典:アフラック調査((平成23年1月から平成24年8月)
内訳 件数 給付該当可否関連の内訳 件数
573 336 219 39 3 1170 給付該当可否(告反・免責以外)関連 告知義務違反(告反)関連
免責担保関連 事務的処理関連 重大事由解除関連 合計
263 171 139 573 がんの対象可否関連
手術給付関連 その他 合計
契約時に締結した内容が優先される契約時主義が原則である。一方,保険給 付に関する医療行為は発生時に行われるので,実施される医療行為における 医学的判断は,当然発生時主義が基本になる。契約時点と発生時の医療事情 が異なれば,約款の解釈は変化し保険者と請求者の間に解釈の齟齬が生じる ことになる。
前述した事例1)について考えてみたい。診断基準が変わる影響の例とし てがん保険のがんの定義に関する問題である。事例のように医学の世界には 時の経過により病名の変更,診断基準の変更は結構見られる。契約時点では 悪性新生物であった腫瘍が,その後の診断が変更され悪性でなくなることが あり得る。このように契約時と保険事故発生時で支払い判断が対立する状況 が認められるのである。したがって約款作成時に,このような医療環境の変 化を見越した対応を考えておかなければならない。その点については,詳細 を嘉藤田氏が論考しているので参照されたい 。
なお,この事例に関連して病理名も変更されることがよくみられ,契約時 と治療時点で病理名の対応が困難になるため,契約時主義を厳格に運用する にも医学的には限界が存在する。
このように医学的事情は変化するが,各事情を整理すると概略は以下のと おりにまとめて考えることができる。
特定の疾病について疾病の定義や診断基準が変わる
疾病の概念そのものが変わる(予防医学と治療医学,美容形成と疾病 治療の境界の揺らぎ)
契約時点ではなかった治療や検査が新規に開発される,疾病の真の原 因が判明する(新規手術の登場,f MRIなどの新しい検査機器の登場)
疾病を取り巻く法制度が変更される (性別変更の特例法,臓器移植法)
②契約当事者の約款解釈の差異(約款解釈の同時性の差異)
第三分野の給付では契約行為としての当事者すなわち保険者,契約者,被
19) 嘉藤田進他 各社がん保険におけるがんの定義の違いとその影響 日本保険 医学会誌第109巻第3号185頁以下(2011)
保険者,受取人(通常被保険者)以外に,利害関係はなくても被保険者の治 療に携わる医療関係者や保険募集人も関係者である。万一請求した給付金が 支払われない場合には,契約者が主治医や募集人に相談するケースがみられ るからである。ところが約款における保険事故の要件の理解は,これらの関 係者間で必ずしも共通していない。また,約款を読む機会の無い主治医が時 に給付金支払に関心を持つことがある。特に,悪性新生物の該当可否やモラ ル懸念のある長期間入院における医師の裁量権 に関係した判断において,
そのような事象が認められている。正確な給付支払いをする上で主治医が積 極的に関与されるのは本来好ましいことであるから,関係者間で約款解釈の 共通理解ができる工夫が必要になろう。しかし,主治医は最新の医療事情を 前提に医療サービスを提供されるため,約款の規定と主治医の説明は乖離す ることがあることを覚悟すべきである。したがって医療関係者に対しては,
保険者としての約款の解釈論拠を示した上で支払基準の開示も必要になるか もしれない。つまり,約款解釈の同時性差異を極小化する努力が求められて いるのである。
3)医学的な判断が必要となる約款解釈
以上に記載した医学的判断に関係した約款運用は,医学の進歩に必然的に 影響されることになるので,その主要部分を表4に列挙してみた。このよう に,その解釈や運用において医学的判断の有無と関連して,約款の構造は次 に示すとおり2分される。
① 不変部分(非医学的な部分で,医学の進歩の影響が少ない契約の締結,
保険料・保険金の支払いなどの部分である)
② 可変部分(医学の進歩によって変更が必要になる可能性のある部分,
多くは給付に関する約款部分である)
20) 患者の長期入院の理由を確認する際に,医師の裁量権を前面に確認自体を拒 否されるケースがみられる。
図表が入らないため,アキを作成しています
したがって,将来契約者から医学的にわかりにくいという苦情を減らすた めには,数理的な影響を考慮した上で可能な限り可変部分の約款について発 生時主義を意識した調整や保険期間中に異時性の解釈の差異を少なくする規 定の整備が必要である。約款作成時には専門家を交え,将来の医学的進歩を 見通す先見性が求められるわけである。総じて,約款における 医学的骨格 の強化をすること と言えるのである。
なお,現行の約款の可変性は,主に2領域が認められる。料率変更権と法 令改正対応の部分である。前者は実質約款運用できないが ,後者は規定が
21) 保険業法施行規則第11条第7項に基礎率変更権が規定され,合わせて基礎率 変更権行使基準を明確にすることを求めているため,基準の設定が困難で実質 運用は困難である。
表4 約款運用における医学的判断が必要な主要事項
出典:筆者作成
1. 死因に関する判断(疾病死亡,災害死亡,自殺,他殺の判定)
2. 特定疾病の該当可否(三大疾病の認定と重症度判定など)
3. 高度障害該当可否(失語症と高次脳機能障害の判定,終身常時介護状態の認定,四 肢の機能障害の認定,契約前発病の認定など)
4. リビングニーズ特約(余命判定や臓器移植待機者の特約該当可否)
5. 傷害特約の該当可否と傷害等級の認定(不慮の事故の該当可否,症状固定の妥当 性)
6. 保険料払込み免責の該当可否
7. 不慮の事故の判断(災害3要素の判定,各種免責の該当可否,内因との競合性の判 断)
8. 入院給付の該当可否(入院実態の妥当性,入院原因疾病の標準的療養と請求疾病の 医療内容の適合度判定,一入院通算(複数回入院の入院原因の関連性など)
9. 手術給付金の該当可否と給付倍率の判断 10. 告知義務違反の客観的要件と主観的要件の確認
11. 契約前発病不担保の判断(契前発病の認定,契前疾病と請求疾病の同一性判定)
12. 医療保険や災害入院保険における各種免責該当可否 13. 部位不担保などの特別条件と保険事故の該当可否 14. 各社独自の各種特約の該当可否
約款に明記されている。つまり社会保険等連動給付(公的健康保険連動手術 給付金や公的介護保険連動介護保障など)の場合 ,法制度の変更に関して は, 法令等の改正に伴う○○給付金等の支払事由の変更 が明記されてい る。しかし,本日のテーマの医学関連部分の変更については,表5に示した 弊社がん保険における悪性新生物の定義のような変更規定の取扱は例外的で ある。
4.医学の進歩に約款を合わせるとは
それでは,現時点で考えられる医学の進歩の各論について見てみることと したい。
表5 アフラックのがん保険における悪性新生物の定義の変更について
注:悪性新生物の定義が契約時の分類か、最新の分類が適用されるのかの違いが ある。
出典:アフラックがん保険フォルテおよび
Daysの約款の抜粋を筆者改変
22) 先進医療や介護保険では公的健康保険や介護保険の制度に連動した商品が開 発されている。
○以前のがん保険の悪性新生物の定義
悪性新生物 とは,厚生労働省大臣官房統計情報部編 国際疾病分類―腫瘍学 第3 版 中,新生物の性状を表す第5桁コードが,/3,/6,/9のものをいいます。
(注)厚生労働省大臣官房統計情報部編 国際疾病分類―腫瘍学 第3版 において,新 たな分類が施行された場合で,新たに新生物の性状を表す第5桁コードが悪性と された新生物があるときには,会社が認めた場合に限り,その疾病を対象となる 悪性新生物に含めることがあります。
○現在のがん保険の定義
悪性新生物 とは,厚生労働省大臣官房統計情報部編 国際疾病分類―腫瘍学 第3 版 中,新生物の性状を表す第5桁コードが,/3,/6,/9のものをいいます。
なお,厚生労働省大臣官房統計情報部編 国際疾病分類―腫瘍学 第3版 において,
診断確定日以前に新たな版が発行された場合は,新たな版における第5桁コードによる ものをいいます。
改行します 強制
1)診療科目別のテーマ
具体的に医学的進歩が給付に影響を与えると考えられるものを診療科目別 にまとめてみた。
① 産婦人科(生への介入:生殖補助医療,胎児治療と給付)
② 小児科(成長への介入:低身長,遺伝検査・マススクリーニングと給 付や引受)
③ 整形外科(身体の障害への介入:ロボット工学 と給付,障害の固 定や障害給付の意義)
④ 精神科・神経内科(心への介入:画像イメージングと自由意思や故意 性の判断,精神科と神経科の融合と免責)
⑤ 老年科・老人内科(死への介入:アンチエイジングと給付,生物学的 寿命の延長と数理的課題,意識の終焉と死の定義)
⑥ 形成外科(整容への介入:美容外科,審美的治療と給付や疾病概念・
治療概念)
⑦ 法医学(死因の解明:AI の普及と不慮の事故判定)
⑧ 臨床腫瘍科(新規抗がん剤:分子標的薬と免疫療法の交叉 と給付)
23) 佐藤和夫 生殖補助医療の進歩 生への介入 日本保険医学会誌第107巻第4 号295頁以下(2009)。
24) 佐々木・前掲注5)
25) 現在,身体機能を補助強化するために装着するロボットスーツなどが医療や 福祉の現場に導入されるようになり,身体障害の改善に貢献している。
26) 深谷正道・前掲注14)
27) 千田尚毅 老化の科学の進歩,寿命への介入 日本保険医学会誌第107巻第 4号318頁以下(2009)の論文ではアンチエイジングや老化に伴う再生医療の 導入に関する保険医学的な課題が論じられている。
28) オーブリー・デグレイ 老化を止める7つの科学 (
NHK
出版,2008),筆 者はアンチエイジングでは著名な学者であり老化を明確に疾病と捉えている。29)
Autopsy imaging(死亡時画像診断)は,死因究明の精度を向上させるた
めに死後にMRI
やCT
撮影すること。30) 抗がん剤の1種である分子標的薬は,免疫調整機能を持つ薬剤が存在し,抗 がん剤療法と免疫療法との境界が曖昧になりつつある。抗がん剤療法の費用
⑨ 全外科系(手術方法の進歩:内視鏡手術,カテーテル手術や新規治療 と給付)
⑩ 全科(臓器障害への介入:再生医療,移植医療と給付や障害給付の意 義)
以上のとおり非常に多岐に亘っている。中でも生への介入や死へ介入は,
生命保険制度の根幹に影響する。またiPS細胞の臨床応用を含む再生医療 やロボット工学は,従来の機能再建の方法を大きく変え,身体障害への保障 の在り方を根幹から揺さぶることになる。本日のテーマである約款のみなら ず,今後の商品の在り方そのものに影響を与えることになろう。これらの影 響は敷衍すると,保険が対象としているリスクの範囲のみならず質も変わり えることを示しているのである 。
2)保険実務視点における影響
前項に列挙した項目を約款への影響と給付の関係で再度整理して列挙する と以下のとおりである。
①新たに約款の定義や規定の追加が必要と思われるものは,予防医学と治 療医学,審美治療と疾病治療および個性と疾病の各境界に関する規定である。
②約款をより明確化すべきものは,疾病や発病の定義あるいは不妊症や生 殖補助医療の取り扱いなどについての規定である。
③約款の解釈や意義に修正が必要なものとしては,障害の固定に関する規 定や障害保障の見直し,精神系疾患に関する免責あるいは意思の終焉 を 考慮した契約管理事務の取扱規定などが考えられる。
を給付する商品では,給付対象の整理が必要と考えられる。
31) 心筋梗塞の一部は,内科的治療からカテーテル手術で治療される保険給付の 対象となり,保険リスクの範囲は拡がったことになる。一方,胃がんは,開腹 手術の対象から内視鏡手術の対象になり保険リスクは変質している。
32) ヒトが人であるためには,自己認識や自由意思の存在が必須であり,高度の 認知症では,これらの意識が終焉する。終末期医療の判断に影響する。
以上のとおり約款を整備すべき部分は多様であり,また相互に関係してい る。現在,疾病に関連した保険金支払いについて保険業法第3条第4項第2 号で認められている部分は, 疾病にかかったこと , 疾病にかかったこと を原因とする人の状態 および これに類するものとして内閣府令で認めた もの としている。内閣府令は,同法施行規則の第4条に 出産およびこれ を原因とする人の状態 , 老衰を直接の原因とする常時介護を要する身体の 状態 および 骨髄の提供およびこれを原因とする人の状態 となっている。
すなわち,明らかに疾病でない妊娠と疾病との区分が曖昧な老衰の介護状態 の2つは,例外的に疾病の状態に準じて給付対象として認められているので ある。ただし,骨髄の提供は全く本人の疾病や障害に関係ない状態であり給 付対象として認めていることは,骨髄移植推進のため内閣府令が拡大された という理由は理解できるが他の状態と比較して異質である 。このように法 令は,給付対象を包括的に記述しているに過ぎず,具体的に疾病や発病の定 義には踏み込んでいない。今後も社会的要請を受け,その都度内閣府令を継 ぎ足すのか,体系的に見直すのか不透明であり,当面は上記①から③に関し て個別的に各社が取り組まなければならないのであろう。
3)考えるべき対応
次に,具体的な対応について述べたい。医学的事項については,発生時主 義を考慮しつつ,給付範囲として予防医学や審美医療と治療医学の線引きを 従来以上に明示すべきである。しかし,結論的にこれらの作業は,疾病や発 病の定義をより明確化することに他ならない 。さらに約款解釈の同時性差 異と将来の医療環境を見据えた上で異時性差異を共に最小化する努力が求め られるわけである。
33) 骨髄移植の提供者に給付金を支払う商品が導入されている。
34) 疾病の定義は,以前から議論されてきた。伏木信次ほか 生命倫理と医療倫 理 11頁以下(金芳堂,2008)では疾病の定義として規範主義と非規範主義に ついて解説がされている。
具体的な表記としては疾病や発病の定義を下記のように修正あるいは加筆 することも考えられる。
① 給付金は,疾病の治療をする場合が対象です。
② 発病していない将来の疾病の予防に関する医療行為等は治療として認 められません。
したがって,発病している糖尿病患者の食事療法や運動療法は治療に含 まれます。
③ 一般的に個性と考えられる身体の状態として,整容や低身長等に対す る医療行為も給付の対象に含まれません。
なお,美容を目的とした医療行為であっても,公的健康保険の療養給付の 対象となる疾病を原因とする場合は,その限りではありません。
④ 発病とは,一般的な理学的検査,病理組織学的検査,生理機能検査,
生化学的検査,画像診断検査,その時点の標準的な疾病診断の検査および 自覚・他覚症状のいずれかに所見が認められることをいいます。ただし,
遺伝子変異の保因だけの場合は除きます。
⑤ 疾病とは,公的健康保険制度の療養給付の対象となる病状をいいます
(ただし,傷害を原因とするものは除きます)。
このように,従来の約款よりも疾病や発病の定義や給付の範囲を明確化す ることになる。なお,本題から外れるが現行の契約前発病不担保規定(以下,
契前規定と略す)の問題は,消費者からの批判や,約款の平明化の行政の指 導を受けたこともあり各社が約款の整備を図りつつある。すなわち既往症の 告知がある場合の契前規定の運用を制限すべく約款の改正を行なっている。
平成24年11月末の調査では,生保21社が対応していた。しかし,契前規定の 問題の本質は,それだけではない。従来 発病とは何か , 疾病とは何か を約款に明示することを避けてきたことである。生命保険協会では一部につ いて考え方を公開してきたが ,この考えを取り入れた契前規定における
35) 生命保険協会の 保険金等の支払いを適切に行うための対応に関するガイド ライン には,契約前発病の取扱に関連した記述がある。
発病 についての基準を約款に明記した会社は18社あるが,疾病を直接的 に定義する試みは少ない。また,以前から指摘されている遺伝子問題やマス スクリーニング問題 に関しては踏み込んでいない。遺伝子問題に関して は,業界内で古くから議論されてきた問題であるが,遺伝子に対する最近の 分子生物学的理解も大きく変化している。この問題に関してはポストシーク エンス時代である現在,過去の議論を総括し,正確に新しい科学的知見の理 解を進めながら対応の検討をすべきであるが ,その点については拙稿にま とめているので参照されたい 。
さて,課題への対応として第三分野商品にも係らず医学的判断をなるべく 制限する約款を採用する方向性もあるが,その点は様々な意見があると思わ れる。医学的な判断を減らした商品が,保険事故発生時の消費者満足度に合 致するのかというと疑問が生じるのである。
最近では,一入院通算限度における約款の規定を,入院の原因を考慮する ことなく180日以内で60日または120日を給付の限度とする商品が導入されて いる。期間内に複数回入院の場合,入院原因別に通算する従来の商品と異な り入院原因の関連性判断は無くなり,平明化の目的は達成されている 。し かし,全ての疾病を合算する新方式は消費者にとっては明らかに不利益改定 になっていると考えられる。支払い漏れを防止する方向に過度の関心が向き,
約款の平明化が目的化していることも仕方がないことであるが,給付におけ
36) 新生児に実施される先天性疾患の有無をスクリーニングする検査。実質的に 遺伝子検査と同等として,検査結果の引受査定への利用が批判されている。
37) ヒトゲノムプロジェクトが2003年に終了し,現在はポストシークエンスの時 代と呼ばれている。DNAの配列解析が終了すれば人の生命現象が全て分かる といった2003年以前の遺伝子に関する理解は現在大きく変化した。これに合わ せて遺伝子の倫理学的評価を総括する必要がある。
38) 佐々木光信 ポストシークエンス時代の遺伝子情報考察―遺伝子情報取り扱 いに関する保険実務的思考 ― 慶応義塾保険学会保険研究第63集57頁以下
(2011)
39) 従来,医療保険は一入院の給付日数に上限が設定されているが,複数回入院 した場合,同じ疾病の入院は日数が合算され,別疾病であれば合算されない。
る消費者の満足度との両立も重要なはずである。
一方,災害と疾病を分別して給付する商品が存在する中,風呂場の溺死に 象徴される高齢者の外因死と内因死の競合輻輳の問題は,当学会でも何度も 取り上げられてきたテーマである。そもそも医学的に高齢者の保険事故の原 因を外因・内因に分別することは容易でなく,分別給付の商品的意義も疑問 である。つまり,医学的な判断を簡素化する方法として高齢者には災害と疾 病を分別給付しない方向の商品は,社会から容認されるはずである。
いずれにしても,以上に示した対応は,約款に関連した規制が含まれてい る金融庁の 保険会社向けの総合的な監督指針 に全て準拠していなければ ならない。具体的には,約款の平明化に関して指針のⅣ‑1‑1,保険リスクに 関してⅡ‑2‑5,Ⅱ‑2‑6,Ⅳ‑4‑1,顧客保護に関してⅡ‑3‑5,Ⅳ‑4‑3に準じる 必要がある。また,前項に述べたように約款の可変部分を発生時主義に合わ せると言っても,契約時点に比較して明らかに消費者の不利益な約款になら ないような配慮は必要なのであり,消費者との対話が肝要であると考えられ る。
5.おわりに
保険商品は,自動車や食料品の購入とは異なっている。自動車は購入した 時点から通勤,買い物レジャーに利用され,食料品は当日か数日以内に消費 される。つまり商品の使用に関して即時性と確実性があることになる。一方 保険は,これらの商品と異なり実体が無い商品といわれているが,決定的に 異なるのは, 未来の概念 が商品に強く組み込まれている点である 。あ る意味,未来を保障する商品とも言える。未来の概念が保持できるのは,ヒ トという種にしか確認されていないが,未来の概念がヒトにおいて醸成され たのは,現代人の祖先に言語の能力が発達したからだと言われている。しか し,未来を保障する商品の約款が,活字体としての言語表記であるがために 分かり難いといった消費者の声に苦しめられるのは皮肉な話である。
40) 小泉英明 脳神経科学の真贋 (日刊工業新聞社,2011)
本稿では触れなかったが, 医学の進歩と約款 のもうひとつの意味であ る,医学や科学の進歩を利用して,活字表記にとどまらない消費者にわかり やすい約款を目指すことも,今後真剣に取り組むべき業界の課題であろう。
約款が一定の記述で記載された活字体でしかないのであれば,個人にとって 理解度の差異が大きく異なるのは当然であり,附合契約だからとして安易に 看過できないのである。ビジュアル化やデジタル技術を駆使して,医学的約 款の分かりやすさを追求することも今後益々重要であり,文系の思考と理系 の思考が必要になるはずである。当然,約款の科学的検証という視点で疾病 の定義,保険事故の定義についても常に医学的にキャッチアップされている のかの確認が必要なはずである。
さて,約款の作成管理は,通常各社の専門担当部署に委ねられている。商 品知識は勿論のこと数理的事項,契約管理事務など幅広い業務知識が求めら れている。約款作成に課せられた様々な規制以外に,各社の商品性を反映さ せ,同時期に販売している様々な商品や時代を経てリニューアルされた商品 における約款の整合性を保つ作業を行なう専門家集団である。当然,約款解 釈の差異を最小化する作業も行われているのであるが,医学の進歩との整合 性を考えることは難しく,この点が第三分野商品の約款の特殊性であり,専 門家も苦慮している部分であろう。本稿に述べたように約款における医学的 骨格の強化について対応しておくことは,課題解決の重要な端緒になるはず である。
最後に,筆者は実務家であり本学会員の多くを占める専門の研究職ではな いため,資料の咀嚼,学術表現に至らない点があることはご容赦願いたい。
なお,本研究は保険約款に関するもので,直接的に保険法等に関係するもの ではなく研究も不十分である。第三分野商品,特に医療保険やがん保険に関 係した判例も今のところ少なく判例研究の形で第三分野商品に内在する医学 的約款の問題に焦点が十分に当たっていない印象である。今後の研究が隆盛 することを期待しつつ報告を終わりたい。
(筆者はアフラック勤務)