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吋応氏六帖』

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(1)

吋応氏六帖』

『大明会典』

。ロFoO田町Ew£αωロ門ごvoU355}SFZロ

近*

叶同日同白}S問。ロ円山。

東涯には中国の文献からの語を集め六帖に分かった二つの語数集

氏六帖』

名物六

粘』

とがある。この二つの語幾集の基礎となった資料のひとつに『大明会典』がある。本稿ではまず、東渡の使用した『大明会典』が『万藤会奥』の十一

行本であったことを明らかにする。さらに、『大明会典』から語を蒐集するに際してどのような態度がみられるかを明らかにするために、東海の手控えともいうべ

紀開小康』での状況と、吋

応氏

六帖』・『名物中ハ帖』での状況とを比較した。その結果、吋紀開小煩』では『大明会典』の条文をそのまま記録する、あるいは章一複や落ちのないように誇を抜き醤きする、などの状況がみられるのに対し、司

応氏六

帖』『名物六

粘』で

は何らかの基準で語の選択が行われていることが分かった。これまでの調査で、「

応氏六

帖』と『名物六帖』との慌に直接の影響関係はないと考えられるが、『大切会典』に出典をもっ一語の尚書での一致率は高く、この両奮は、共通の基盤をもっていると息われる。

iま

時代の漢学者伊藤東涯(

01

一七一三ハ

)

六帖』は出版 とについての比較をいくつかの観点から試みてきた。そして、『名物 筆者はこれまで東涯の語集である『応氏六帖』と『名物六帖』

(l) (2)

って中国の文献からの語蒐集・用例蒐集の努力を続けた。 にわた

提と

して大がかりな一編成の見蓋し

ていること、それに対して、『応氏六帖』は結局億人的な手控えの 、増補が行われ

を脱しえなかったこと

、を述べてきた。 本稿では

、収録

されている語の出典に注目

、吋大明会政〈』を出

血〈とする項目を司応氏六帖』・『名物六帖』、さらに『紀開小臆』という東涯の二一つの著作で比較

それぞれがどのように語をとり

排列しているかをみていくこととする。

ー『応氏六帖』と門名物六帖』について

本論に入るまえにまず『応氏六帖』・『名物六帖h両室一聞の概要を-記しておく。吋紀開小競』については後述する。

*本学講師(今野尚子)日本文

(2)

『応氏六帖』はこれまでに十本を確認・

調査している。それをぎに掲げる。

水本(国立会図書館本)

嘉堂一文庫本

宮文庫本

稲田大学図書館本

田忠雄氏蔵本

窮会文庫本

谷市立闘書館本

津規矩也氏蔵本(唐話辞書類

集底本

)

リノ

川本

(東

京大学本)

諸本の収録語数は静嘉堂本が約一一 和文庫本

一O Oで最少、長津本・黒川本 の二本が

増補本で約六000語を有する。残る本はいず

れも二五

00

前後の 項目を有する。

六帖」という名を冠すると

おり、内部はふハ帖十八筆に分けられている (六帖十八築の具体的な内容につい ては〈表1〉を参照)。

これは十本とも同じである。

項目数の異な

りはあってもこの十本の基本的な構成は間じであり、十本は総体と

して『応氏六帖』というひとつの資料として扱うこと

ができると考える。

その中で原態にもっとも近いと思われるのが清水本である。

したがって本稿では『応氏六帖』の例として特にことわりなく引する場合には清水本を使用し必要に応じて他本に一言及する。

一方 の『名物六帖』は約一000項目を有する。東涯の生前に刊行されたのは、

第一一

奥田三角や東涯の子の の器財議のみであった。東濯の没後も門弟

によって出版への努力がつづけられ、

『応氏六姑』における八本の出現回数

※『応氏六帖』は 清水本に よ る

集部

類書 談正

中占 2議 A典ヌ明

3ト

Z l十

こま日

天文 4 1 4 1

地理 1 1 2

宮室 2 7 3 9 3

入品 15 3 3 114 21 25 3

2 釈属 2 11 3

鬼神 3

人事 4 6 3 46 10 7 I

3 市語 3 13

2 l 2

3 4 走獣

虫魚 1

樹木 13

5 草花 2 24 2

金石 2

器用 25 24 4 28 4 45 12 6 食服 4 12

顔色

56 91 13 210 43 1 03 31 l 表1

帖十二

議のうち八築までが亨保

十二

年から安政六年までの約百

一一

年にわたって刊行された。しかし第帖服章筆、

帖身体筆、六帖動物筆・植物議は未刊のまま残されている。『応氏六帖』と吋名物六帖』の関係については前摘ですでに述べてきたが、『応氏六帖』を増補・整理した結果『名物六帖』ができあがるという単純なものではない。同じ六帖でありながら、その下

(3)

の議は両者で異なる構成をとっており議の数も『応氏六帖』の十八議に対して、『名物中ハ帖』ではムiニ筆である。そしてさらに『名物六帖』では議の下に門を設ける。また、『応氏六帖』の項目が『名物六帖』にすべて吸収されてしまうわけではなく、『応氏六帖』は『応氏六帖』なりに独自の増補とおぼしき項目が存する。にもかかわらず両者に共通する項目の多くにみられる一致は、両者が同じ源から発していることをぶしている。同じ源から流れ出た

後、

両者は別々の方向を図指し、ついに交わることはなかったのである。

E 引用書目について

『応氏六帖』 と 『大切会典』

『応氏六帖』・司名物六帖』はともに中国の文献に出典をもとめ語業集であるが、その出典すなわち引用窪田はどのようなものであろ〉hノ占μ円名物六帖』の引用室田自についてはすで

に花 史部二一五一大明会典 子部六八二類書纂要 考がある。それによれば『名物六帖』の引用蓄は 一一房英樹氏に詳細な論

二ハ一一郷談正音集部二三水潜伝で、総計

二一一二七となる。

下段

はこの四部それぞれの最高頻度を占める警として花房氏が掲げられたものである。『応氏六帖』の引用意回目はほとんど『名物六帖』の引府警自に吸収される。しかし吋名物六帖』の引用書の出現頻度の様相と『応氏六帖』のそれとは少し異なっている。いま、右の四種と『応氏六帖』において比較的多くの議にみられる四種とを選び、覧してみると 〈表l〉のようになる。〈表1〉なみると、『名物六帖』と同じように史部では『大明会典』が、部では『郷談正音』が他安一日にくらべて多く引用されている。それはもちろん、この両書から採取され、『応氏六帖』におさ

れた語が多いということでもある。ところで子部では『本草』の出現田数が吋類書纂要』を圧している。『本草』であるから樹木筆、草花襲に多いのは当然であるが、ほかにも地理袋、人品議などあわせて十議にわたり引用がみえている。『応氏六帖』と『名物六帖』とにおける『本草』と「類書纂要』とのバランスの異なりは、『名物六帖』が項自

をふや

にあたって『類書纂要』をいかに

したかを示している。同様に『水論伝』も、『応氏六帖』清水本ではわずかに一項目に引用されているのみである。増補本である長期伴本・黒川本は清水本にくらべ約三00項目がふえているが、それでも『水論伝』の増加はわずか九項目である。

時代後半の『水爵伝』の隆盛

い。しかし吋応氏六帖』が出典を示さない さぐっていけばあるいは出典を特定できるものもあるかもしれな い。これらをするが、『応氏六帖』には出典の明記されない語も多 また、『名物六帖』ではほとんどもれなく掲載語には出血ハを明記 が予想される。 は、『水器伝』受容史とともかかわっていること出現回数の異なり を考えるとき、『応氏六帖』と『名物中ハ帖』における『水論倍』の あろう)『名物六帖』での引用の増加にも反映しているではおそらく (そ 以上、

ここでは出血〈を明らかにできないものとして扱っておく。『応氏六帖』における出典とは単にその語がその書に存在するということで決定できるもので

(4)

はないからである。『応氏六帖』は六帖十八議という意義分類をとりいれているため特定の議にのみ集中して引用される書も多い。たとえば宮裳築における『訓蒙字会円人口問議における『経国大典』、釈属箪におけるコ蹴雅』、事筆における『資治通鑑』、草花議における『花鏡』、

筆における『三才図会』や『居家必備』などがそうである。しかしこれらの書はほかの議にはほとんど引用されていないため、『応氏ムハ帖』全一体を通しての基本文献という位置づけはできない。

さて

〈表1〉によれば『応氏六帖』の中でもっとも引用回数が多いのは『大明会典』である。八第二O項に引用されており

文献の第 、基

一の

のということができるであろう。そこで『大明会典』をとりあげここから採取された語が『応氏六帖』

この『大明会典』の成立には経緯がある。『方麿大切会典』には 排列・収載されているかをみていく。それぞれでどのように ・司名物中ハ帖』

ふた

つの「御製大明会典序」

と万暦十

五年の「御製重修大明会典序」とが付されている。それによれば、「大明会典』ははじ

弘治十五 年(

O二)十二月に孝帝の命によって成った

( 『

弘治大明会典』

) 。

ところが孝帝が崩じたため(

「 竜

叡上賓」

)

正徳四年

に武帝の命によって重修参校」したものを正徳六年

(一五八

七)

に頒行した。これが一八O巻の『正徳大明会典』である。さらに

万暦十五

年に『重修大明会典』

( 『万暦会典』)

八巻が成立した。

(6)

影印刊行されている『正徳大明会典』には山根幸夫氏の解題があ

、『正徳

会血〈』と『万膝会典』との関係についてもふれられているが、結果的に刊行されたのは『正徳会奥』と『万麿会典』のニ骨密であった。山根氏が「『万暦会奥』、が単に『正徳会典』を踏襲した だけではないことは明瞭である」と述べておられるとお

、この

書には異なるところもかなり多い。この一穫の士人明会典』のうち『応氏六帖』が『万踏会典』を利

(7)

用していることはたとえばつぎの項目によって明らかである。

搬取家小〈会典因子監給暇||/ーーー及成婚者〉(五三オ)

〈会奥田子監給暇復監違

難有||通一小作実在之/数

O又

月外倒者送問難有iij公文不准其養病〉

六オ)(上

いずれも註によって『大明会奥』「国子監給隈」の条からとられたことが示されている。これを『大明会典』に求めると

、「搬取

家小」は『正徳会典』・『万暦会血〈恥のどちらにも存する。ところ

「患帖

」のほうは嘉講六年の記事の中にあって『万踏会典』にしか存しない。つまり「患帖」は司万暦会鼠〈』に新たに加えられた部分から『応氏六帖』にとられているのである。

「患帖

」註の後半〈O

月外到者・::〉以下も同じ「園子監援麿」の条にあるが

、こ

の部分も正徳十一年の記事であり当然のことながら吋正徳会典』

こはない

また、「南京欽天監」の条からは四項がとられているが

のよ

(8)

うすか}司万暦会典』本文から示してみる。[]内は吋万暦会典』のみに存する部分、傍線を付した個所は『応氏六帖』に収載されている部分であることを示す。また『万暦会典』と『正徳会典』とは末尾に異同があるので)内に吋正徳会典』の本文を掲げておく。

(5)

南京欽天監凡本監造麿。毎年六月内。

従礼部設到暦様。

刊印完。給散南京各衛門。並直隷各府州鯨凡本監造暦紙。分派。

醸天

寧圏

裏一金京。[嘉靖一一十四年奏准。 一一府。並新江解納。供隈六月以 本監暦臼。

正敷頒給各衛門。

該暦一

十一禽一千一吉一

十一本。

有閏之年。

該ニ裁紙九十九高

四千四百四十三張半。

毎紙百張。

債銀四分。該折償銀一一一百七十七雨七銭七分七麓担金。無間。

一一

裁紙八十八高八千八百八十

八帳。該銀

三百五 十五 雨五銭五分

五庫一室。

毎年

不拘有無関

月。

各該添工食

銀三十五南零五分。

連前紙償

照数分派新江布政

司。応天直隷寧閤

一一府。

厳隈徴完依期解部。其合

用黄紙等項不 多。照常。解納〕凡占候天象。本監自洪武

以来。

設観星牽一於鶏鳴山上。

令天文生 分班童夜観望。或有盤異。開具掲帖。星堂上官。嘗奏聞者。 即白内奏。

凡天文生

供以

世業子弟皆同子。考選食糧。分譲各科[凡本監造暦梨板。顔料。

供上

元江寧

凡本監離農肇。毎歳合用燈油木炭。 鯨。解納 供上元江

鯨。

解納。本肇官生。歳給禦紫、毛襖

一領

従南

京工

部。轄行

府甲字等庫閥給〕

凡本監天文生食糧。月支米六斗。於南京櫨部関支 ( 凡

天文生月糧照欽天監例)

( 吋万暦会典』

『応、氏六帖』 と 『大切会典』

一一二

一一- 十三1十四)

『応氏六帖』にはこの部分から「裁紙」

食銀」

限徴完」

板」の四語がとられているが、それはいずれも[]内の文、すなわち「万麿会典』にしかない部分のものである。これらにより吋応氏六帖』所引の『大明会典』が吋万暦会典』であることは明らかである。

E 『大明会典』と東涯ill「日本貢物」についてil

ある文献から語を採取し、それを分類する場合、そのプロセスは対象とする文献や語の性格によって大きく

二つ

に分けられるであろう。すなわち、すでに何らかの基準・分類によって列挙されている語を

そのまま取り込む

ある文脈の中で使われている語・表現を抜き出すというこつである。『大明会典』は現代の制度について-記したもので、内容は宮城・勤務から給与・刑罰まで多岐にわたる。記述の形態もさまざまであるが、Eで挙げた吋応氏六帖』の「搬取家小」

「 患帖」

一一

裁紙」

「工

食銀」

隈徴完」梨板」はいずれもBに該当する。つまり当該語を中心として扱う記述ではない文章の中からその語を《解釈》し、

択》するという二段階をへて収載されているのである。この場合、どの文献のどのような文脈で用いられているのかというデータは不可欠である。これが立で

「出

典とは単にその語、がその蓄に存在するということで決定できるものではない」と述べたゆえんである。

B A

ところがつぎのような場合はどうであろうか。さきほどと悶様、『万踏会典』の本文を掲げ、司応氏六帖』神宮本の収載語に傍線を付

(6)

して示

す。

日本閤祖訓。日本歯難朝賀詐。暗通好臣胡惟庸。謀為一小軌。故絶之。本古倭奴図。

王為姓。其固有五畿。七道。及麟闘世臼徐。議海上。(以下、洪武五年から

二十

年までの記事を略す

)

初。

復来朝

賜亀鎧金印詰命。封為臼本間王。名其圏鎮山日誇安鎮闘之山。御製碑文賜之。給勘合百道。始令十年一賞。貫道由漸江寧波府。貢正副使雄一寸母過二百人。(以下、記事を略す)貢物宮町

蘇木 水品数珠 貼金一筋 抹金銅提銚 描金粉盟 灘金文蓋 徐一一金装綜昇風 腰万

a

灘金厨子灘金手箱

描金筆陸

灘金木銚角盟璃璃硫糞牛皮

( 『万踏会典』

一O

五・四1六)

右の傍線を付した九語は、『応氏六帖』諸本中清水本・静嘉堂本にはなく他の八本にはみられるので、『応氏六帖』がニ五OO語に なる段階で加えられたものと考えられる。神宮文庫本で『応氏六帖』の状況をみるO

E伝染料再配

〈巳下日本/貢物〉ナシジノプンダイ瀦金文基一描金粉臣抹金銅提銚

一扇一〈共日本貢物見大明会典礼部下〉

漉ナ 描2 漉: 瀦ご 金ご 金7 金で 金で 1 筆Z 手十 厨 銚i 毘1 箱2 子:

( 神 単;

宮本九一一一ウ)『応氏六帖』は明大明会典』の

「塗

金装綜界風」から「貼金扇」

までをそのまま取り入れている

ことがわかる。ここでは「岡本から

の貢物」として『大明会典』が分類し列挙した一訟のうち九語を東涯

が《

選択》したということになるであろう

れがさきほどのAの場合である。もともと列挙さ れている語であるから文脈はない。

だし、ここで注意しなければならないのは、この九語が吋応氏六帖』

にそのまま取り

入れられたのは、

「日本貢

物」という分類によって ではなく、『応氏六帖』器

用筆という分類にたまたま

一致したためである。つまり、分類の基準は司大明

会典』から『応氏六枯』にお さめられたときに変わっていたのである。だから

こそ

「臼

本貢物」

という註記が

必要であったともいえる。

ただ、『応氏ムハ帖』の中で

はそれ

以上の

分類を求めることはなかった。天理図書館には『紀開小膿』一一十九冊が蔵されている。中村幸彦氏が『名物六帖』の始糠的な姿と

して夙に報告されているものであ

る。全体がひとまとまり

の著

作ということではなく、東涯が読書の

際に抜き書きしたものを折りにふれまとめたようで、

巻によって独自の題をもっ語原」「訓詰名物志」「釈詰録」な ど)

もの

( 「文材

(7)

もある。『紀聞小膿』の中にも士人明会血〈』はしばしば登場する。第七巻は襟類活塞」と題されており、いろいろな文献の記事を抜き書きしたものである。「此巻享保五年庚子一月竿完」という識沼田がある。この第七巻に「臼本貢物」という条がある。それを掲げる。

日本買物会血〈〈第七冊/八十了〉日本圏、氷楽初復来戟貢賜亀釦金印詰命封為白木闘王名其閤鎮山田議安鎮閤之山綿製碑文賜之給勘ム口百

道始令十年一

貰物

『応氏六枯』 と 『大明会典』

塗金装紙扉風瀦金問子瀦金文率一瀦金手箱描金粉匝描金筆臣抹金銅提銚灘金木銚角盤貼金扇璃瑠水日間数珠硫黄蘇木牛皮O銚韻会徐招切温器

a

さきの司大明会成〈』の引用と比べると、

「日本

陣」の条を抄出したものであることがわかる。『紀聞小農』のこの部分はもともと語

業集

として作られた個所ではないので、『応氏中ハ帖』と比較すると吋大明会血〈』の記事、つまり原態に近い。そして日本貢物として『大明会典』が掲げるニ十語はすべて掲載している

ころが『応氏六帖』ではそのうちの九語のみを載せ、馬i鎗・璃瑠1牛皮」の十

は載せていない。つまり『応氏六帖』では貫物として『大明会典』に載せられたニ十語のうちから九語へと何らかの選択が行われているのである。東濫の語の選択基準や意識についてはいずれ考えていかなければならないであろうし、いまこ

の一

十語の例から全体を考えることはもちろん不可能である。しかし、この二十語につい てあえていうならば、

ここで選ばれているのは単なる昇風・文台・

手箱などではなく、上に修飾語のついた、いわば特別なものなのである。

単なる馬や鎧はここでは

選択の持外にあるということにな

る。さて、『名物六帖』ではこれらの語はどうなっているのであろう

か。『応氏六帖』に収載された九語はすべて『名物六帖』器財議に

収められている。ところがさきにも述べたように、司名物六帖』では議の下に門を設け、さらに細かく語を分類している。その結果、この九一語はいくつかの門に分かれてしまうことになった。

塗金装綜扉風瀧金厨子灘金文蓋漉金手箱描金粉盟描金筆毘抹金銅提銚灘金木銚角盟貼金一局

(界障簾幕門

(b

架箆寵門

(九

案椅楊門

(b

架能龍門

(b

架盤龍門(文

一房雅賞門

(茶c沼泊門

(食

盤盆鉢門

(扇

d帯沸門

三・

一ニ九オ)四・七オ)一二・四四オ)四・五

ウ)

四・

五ウ) 三・二

九オ)四・一七オ)四・一一一

五・二一一オ)

『応氏六帖』の筆の中でも意味の近い語をまとめて掲げるという

傾向はみられるが、方でここでみたようにひとつの文献からの語をまとめて掲げている箇所も多い。『応氏六帖』の場合にはこの二つの方法を交えつつ語、を排列している。司名物六帖』はやはり徹威的に構成を整えただけであって、意義分類を把握しさえすれば求め

(8)

る語を見出すのは比較的容易である。さきほど、『応氏六帖』ではこの九語を東涯が選択した、と述べた。『応氏六帖』の成立・増補に東捷が具体的にどのようにかかわっていたかは不明である。

しかし、吋紀

開小階居に東躍が

「日本貢

物」を抄出していること、吋名物中ハ帖』には『応氏六帖』の選択がうけつがれていること、つからこれを東涯の選択とみることができると考える。

N

『大明会典』と東司法11「工匠」について11

つ『応氏六帖』人品箪の例をみておく。『大明会

鼠〈』工部 第一八

九巻

ごに「各色人監」が列挙されている。これを口町聞小脳い・吋応氏六帖』・『名物六帖』の

出現順に拾っている 五O四語にわたって列挙されている工匿を重複を避けて異なり語を 覧すると最後に付した〈表2〉のようになる。『紀問問小臆』はのベ 一一一者と対比させて一

(最初の二語のみが例

外)

その数はニ二ニ語になる。重複は

二一語

(

一一一

語からは除いてある)、拾い落としと思われるも

のが

「縄匠」・「針匠」の語である。『応氏六帖』では、この『紀開小頴

』の

一二二一語から見出し語として八一一語を選ぶ。註文中にみえるものも含めると、一一語軽度ふえる。そして〈表2〉で明らかなようにその掲載顕は『大明会典』での出現順とは異なっている。それは出泌氏六帖』が内容の近い語をまとめようとしていることによる。たとえば、『応氏六帖』人品議日iUには「表背匠・装f陛・g貼涯・紙一位・槌紙匠・刊字匠・摺配匠・臆紙一位・刷印匠・均字匠・装裁佳・印匠・刻匠」(傍線は明大明会血〈』出自の一訪問

)

いう項

目、が並んでおり、出版にか

かわる

一訟をあつめである。またり1日も「鋳匠・錫庄・鐘見匠・銅匠・鍍金医・h花庄・礎玉置・鏡児匠・麿鏡匠・i一段・万匠・j麿匠・事件匠いとなっており、それなりのまとまりをみることができる。の部分はすべて『大明会典』出自の語である。このように意義分類をとろうとする司応氏六帖』ではあるが、れは必ずしも徹底してはいない。

鏡乙宕1石i 工1戸T匠7

/'.. /'.. /'..

学石典顕采会 六工|

v

(叩) (m)

(加)

正字通〉

古録〉

の=一項は、ともに「イシキリいという傍訓をもちながら、離れたところにおかれているし、

倣1裁;衣:縫:

裳4置4

/'.. /'..

郷会i典

� I

裁雑縫字 的裁〉縫

翁費/

v

(3)

も同様である。これはさきほどの日本質物いの場合で述べたように、『応氏六帖』が同じ出血ハからの語をまとめて掲げるというもうひとつの傾向をもっていることとかかわっている。人品襲の11凶あたりまでは『大明会典』を中心として語が排列されており、『大明会典』

以外

の出典を持つものは五語、出血ハの明示されないもの一語で、一二分の弱、が『大明会典』からとられた語である。ところが凶

以降

になると『大明会典』の出現回数は極端

ロウソクヤ

ってしまう。しかも、

「工

一配」からの語は「漉燭一段」

(m)のみ

(9)

『応氏六lþ占』 と 『大 明 会典』

で、あとは『大明会典』でも工匠」以外の部分からとられた語である。このように、閉じ『大明会典』であっても、

匠」の語は『応氏六帖』人品第の巻

頭(11却)

の基礎資料になっていると考えられるのである。他の出典をもっ意味の近い語はこの部分にとりこめたものとそうでないものとがあり、「イシキリ」や「シタテモノヤ」のように別の簡所に掲載されるものもある。「応氏六帖』では議ごとの意義分類への努力はうかがえるが、それはまだはっきりとした原則とはなっていない。吋名物六帖』では、議の下に門を設けたことにより、

「工

匠」の語はそれ

ぞれ

当する門の下に収められている。そしてここでも注目されるのは、『大明会奥』

「工

匠」から『応氏六帖』が選択した八

一一

語と吋名物六帖』に収載されている語の一致率の高さである。『応氏六粘』で独立一項となっているもので『名物六帖』にみえないのは九語である。つまり七一一一語は一致しているわけで、やはり『応氏六帖』と『名物六帖』とはほぼ同じソlスをもっていたと考えられる。市安田数をふやすことだけが白的なら、たとえば工匠」に列挙されている語をとりこんでいけばよい。ところが現実には「芯氏六帖』も『名物六帖』もそうはしていない。これはこの間書が網羅的に語をふやすのではなく、侍らかの選択を行ういわば〈問題語主義〉をとっているためである。つの方法のうちのBは、もともと問題語あ

るいは表現を抜き出す方法であるから、

『応氏六帖』での扱い

は結 果的にAもBも変わりがないことになる。

mのはじめに述べた

Bの場合はAのような枠や基準

が最初からあるわけではないの

で、

分類はAの場合より

も不安定である。

したがって出典ごとに掲

載する傾向が強いようである。たとえば「応氏六帖』人事壊では

i

m

に司大切会典』からの語がまとまっており、『資治通鑑』等の例がつづいた後、

i

m

が再び『大明会典』そして

m

l

m

までがまた『大明会典』からの語となっている。Eで挙げた「工食銀」

完」は

で、人事箪の「大明会典』のまとまりの最初にお

フシンリヤゥ

ーl

テ マ

ダ イ

l l

かれている。その後に「工料銀」(

) 「料債銀」(

「匠債」(

制 テマチンヲヒカユル

) 「工債銀」(

)

) 、そして『海防纂要』からの例であるが「相罰

(

)

あり、おなじ『大明会典』工部の例も内容的に整理されているとはいいがたい。むしろ『大明会典』内での位震の近さによってまとまっているともいえそうである。

本稿では『大明会典』が『応氏六帖』の基本資料の第あること、それは吋万暦会典』であることを述べた。そして『大明会典』出自の語の排列を中心に『紀聞小臆』・『応氏六帖』・『名物六帖』の三書で

の比較 を試

みた。『応氏六帖』が出典からの抜き出しと意義分類とのあいだで揺れ動きながら語を排列していることがうかがえた。それはこれまでにみてきたように『応氏六帖』が出

前提としない個人的な手控えの段階にとどまっていることの証左でもある。また、「応氏六帖』・『名物六帖』の開題語主義も開明らかになった。両書の語の選択は『大明会典』に関する操りよく一致する。ただしこれは『名物六帖』が『応氏六帖』を直接のソlスにしたということではないと筆者は考えている。あえていうならば、調書をつなぐものは東濯の語に対する問題意識であろう。本稿では排列を中心にみてきたが、今後は東涯の語に対する問題意識や のもので

(10)

語の選択基準を明らかにしていなかければならないであろう。

-

応氏六帖』は『康話辞書類集』第十二集(汲古書院

に影印がある。底本は宮沢淳規矩也氏蔵本。

2

名物六帖』は朋友畳一聞広から影印刊行されている。底本は、平岡武夫氏

蔵本に未利部分を天理図書館の自筆稿本によって補う。天理図書館複製第五十八号

3 稿 a『応氏ムハ帖』の資料性」『文化女子大学研究紀要』第二十三集

(一九九二年一月)

b「『応氏六帖』『名物ムハ帖』||1器用築・器財築を中心に||」

吋文化女子大学紀要人文・社会科学研究』創刊号(一九九一一一年一月)

4 本の詳細と書誌的関聯については拙稿「応氏六帖の諸本」『辻村敏樹

教授古稀記念日本一諮史の諮問題』(明治書院一九九二年一一

)

5 一局英樹氏名物六帖の引用書籍に就いて」『東方学報』第十六号(昭

和二十三年九月)

6 書館蔵本。 正徳大明会典』(汲古議院一九八九六月)。底本は東京大学付属図 7

下、

引用に際して〈〉内は原文が細字

であるこ

とを、

/は改

示す。

なお、

漢字字体はなるべく原文に近いものとしたが、厳密で

はない。これはとくに写本において漢字字体に不統一がみられるためで

ある。

8

大明会政ハ』精装一lili--

五冊

(東南警報社中華民国五十二年九月)を使

用した。底本は十行本である。ただし吋紀開小糠』にみられる『大開閉会

典』の冊了の記載をみると、東涯が使用したのは十

一一

冊十一行本のよう

である。 昭和四十八年) 字体表

本文 中のaipについて掲げる。

十は上下、

*は左右の関係。

a

灰+皿

巾刈*念

金*旋糸*篠

毛*莫

卒*占

竹+冠 q m u y

b

木*日間水*禁

坐*刀k

魚*沈i水

彰tT宗S

月*亥

w

卒*口器

n f

r V z

c

帥円十駕

衣*背

竹十表l

o

*朱

木中小笠t

口*巴 手*争

g

山TLgレいl七U巾捌ノ -241gjeサイl,

木*公uu松 h d

竹十捷

金*及

倉*文P

*交

石*欠

竹+嬰

金*坐 X

(11)

『応氏六帖』と『大明会典』

表2 W大明会典Jl r工匠」 に よ る 『紀開小繍Jl.W応氏六帖Jl.W名物六帖』の対照表

凡例 工匿名 は『紀間小股』第七巻 に収載されて い る !領に揚げ る 。 行頭の数字は『大明会典』での出現 l順位であ る 。

『応氏六帖』欄の数字は人品雪量 に おけ る 通 し番号であ る 。

『名物六i陥』欄は人品主義の巻了を示 した。

カタカナは付され て い る ノレピ, 叩日は出典が異 な る ことを示す。

『紀開小膝J 11 後線医 クミヤ 14 穿甲医 グソ夕、ン

l 木匠

2 裁縫涯 3 鎗匠

4 瓦匠 カワラシ 5 池漆匠

6 竹匠

7 五暴匠 (墨匠) 8 敗畿匠 9 離盤匠 10 鍛0:

12 土工匠 13 熟銅匠 15 搭材匠

16 筆匠 フテュイ 17 織匠

18絡総涯 19 挽花匠 20 染匠

21 石匠 イシキザ 22 f匠

23 船木匠 24 k 蓬匠 25 櫓庶 26 )j壁蓬匠 27 1 金匠 28 m匠

29 刊字匠 ハンギホリ 30 熱皮医

31 扇匠 ヲフキシ 32 n灯匠

33際涯 34 後夜 35 捲胎匠 36 鼓匠 37 削藤匠

38 木橋匠 オケシ 39鞍匠

『応氏六帖』

95 tlソクノグサリシ 1 サシモノヤ 3 ンタテモノヤ 134 コビキ

4 カワラシ 14 トウユヌリヤ

5 タケサイクシ 9 スミヤ(暴匠) 123 ブツシ 140 カチ

6 フテヤ 68 オリテ 67 イトヨリ 64 ソメモノヤ 137 イシキリ

89註 89註

90 フネノトマシ 91 Rナシ 118註 112 クミヤ

20 ハンギホリ 108 カハヤ

7 アフキヤ 13 モウセンヤ

12 ツツミヤ 92 ヲケヤ 10 クラウチ

『名物六帖』

3 ・ 18フタコイトシ 3 ・ 15 tlソクシ

3 ・ 10右トウリヤウ左サシモノヤ 3 ・ 17シタテモノシ

*

3 ・ 9 スヤキシ 3 ・ 20トウユヌリ 3 ・ 19タケサイク 3 ・ 21スミヤ 3 ・ 14ブツシ 3 ・ 14ブツシ 3 ・ 7 カチ

3 ・ 8ァヵ 、 子サイクシ

*

*

3 ・ 18イトグリ

*

3 ・ 18ソメモノヤ 3 ・ 13イシヤ 3 ・ 11フナタイク 3 ・ 11フナタイク 3 ・ 11トマシ 3 ・ 11ロタイク 3 ・ 11トマシ 3 ・ 18 tlミヤ 3 ・ 14ノ、ンキホリ 3 ・ 20カハヤ 3 ・ 19アフキヤ 3 ・ 19モウセンヤ

3 ・ 20タイコハリ 3 ・ 19オケヤ 3 ・ 15 tlラウチ

(12)

41 鈴金匠 3・8メッキシ 42 索匠

43 �珠匠

44 表背佳 ヒヤウグシ 1 5 ヒヤウクシ 3・22へウ夕、ン

45 祭窯匠

46 鋳匠 イモノシ 43 イモノシ 3・7 右セニイノレモノ左イモノシ

47 繍匠 ヌイモノシ 6 2 ヌイモノヤ 3・17ヌイシ

48 蒸縫匠 1 38 カ ゴヤ 3・1 9右カ ゴヤ左セイロウシ

4 9 箭匠 ヤシ 1 01 ヤシ 3・15ヤシ

5 0 銀oQ主

51 刀匠 53 カタナカ ヂ 3.7 カタナカチ

52 瑠璃匠 ピイドロシ 56 ビイドロシ

53 k磨監 54 トキヤ 3・8ヤスリシ

54 湾注 1 02 トキウヤ 3・15トキウシ

55 黄丹匠 56 藤枕庄

57 廊印匠 23 ハンキスリ 3・21ハンスリ

58 弓匠 98 ユミヤ 3・15ユミシ

5 9 j痘 ヒキモノシ 52 ヒキモノヤ 3・1 2ヒキモノシ

6 0 紅祭匠 61 洗自匠

6 2 緩烏花辰 3・18ウスモノノモンtニキ

6 3 股紙匠 22 シセンヤ 3・21右シセンヤ左ジガミシ

6 4 摺配匠 21 ヒョウシヤ 3・21へウシヤ

6 5 裁際医 6 6 黒翠匠

6 7 護匠 11 9 エカキ 3・1 9-"ニカ キ

6 8鉄匠 6 9 合番匠

7 0 象牙医 ツノ→戸イクシ 3・14サウケサイク

71 硯瓦佼 3・21ススリヤ

7 2 神烏佼

7 3 鋒児怪 45 ヤクハンヤ 3.8ヤクハンヤ

7 4 銅匠 46 アカ ガネヤ 3・8ヤクハンヤ

7 5 釘p医

7 6 竹蔑匠 ヲケノワイレ 92註 3・1 9カコサイク

7 7 桶匠 ヲケヤ 92註 3・1 9オケヤ

7 8 錫医 スズシ 44 ススヤ 3・8ススヤ

7 9 鍍金匠 47 メツキヤ 3・8メツキサイ夕、ン

80 i 花匠 ケポリシ 48 ケボリモノヤ 3・14ケホザシ

81 減銭匠 82 鎖佼 83 毛襖医

84 日産.:E匠 タ マスザシ 4 9 タ マヤ 3.1 3タ マヤ

85 冠絹匠 111 エポシャ 3・17カ ムザシ

86 漆匠 115 ヌシヤ 3・20ヌシヤ

87 箪崎医 I I I設

参照

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