十 地 基
本内容の体系的構造
その二︑第二菩薩地・第三菩薩地について
伊 藤
瑞 叡
第二菩薩地について
J A へ
先ず第二菩薩地︵二ー三﹀.三︶c三三三vlL︳一h tfi=ii︐ 1︶yan chub sems clp;t﹈.ii
9慧テ零︶に安住する︵1︶r:三参三劉︶ための前提は︑第一菩陪地に
お btL byas pa︶であるcその中︑浄業︵︸ξ二三﹁三︹﹇三という用語はシ へー︶ いてよく浄業を作しおえること︵∫三︶ρ三吟三︐TnaLklta︐ yoihs g. u g. byaii ナ 訳
諸本には何れにも明確な形では見えない︒しかもシナ訳におけ
るこの部分は Zi了二初発第一住一い亮︑已nび足初地へ已修一一初地一善
榮三初地一などとある如く︑単に第一地の修成を示すにすぎないもの
の ..sうである︒この点から見ると︑浄業という語は第一地の行目内
容 の 全
体を摘示する役目をはたしているといえる︒したがって十大
十地某†不内容の体系的構造︵伊藤︶
願と十浄地法とを総称していると看倣しうるであろう︒しか︐も浄業
±g mclLrls ot I︶ulif﹀tills︐を意味すろから︑あるいは殊には浄地法を
指摘するものと考えられもするであろう︒
主 次 に第二地に安住すろた○の条件は︑ 第二地を願求すろ︵cF三ピ﹇
i︐1:Lti︐ mT1三二三I 1110.S IUI︶ことであり︑十種の心意楽︵・一三^ご.三.四治ちこ
seills kyi bs. aM l︶;L bvu︶︑すなわち正直︵lju︐ di︐n.il I三︶.柔軟︵三三二︐
}三三二三・堪能︵言rmai︶ya︐︐ la: s. u rui二三.調順︵二⊇三ぞ・三=︶︹・︶.
寂静︵ジT︶1;L︐ン==Xl︶ .純善︵ζ7言三二婆.三︶・不雑︵二一三z﹁芸戸・三m↑
l
idr︵s p:L︶ ・無顧三三﹂︶・・互■三一一二gPu︶ .勝妙三合﹇三﹇三︶エ一︾・︶ c;hLL︶
・
広 大
(三妻三TllV:L︐一xご万コid elw bn︶︑といわれろ各々の意楽が起る
りこ
(三芦くー・﹁二三ヴ︑ufi bu︶ことである.
ところでン一︶<にようと︑一現巨︵ab﹈︸iS. ︐1111﹇︷..:I︶を具︑tろ菩薩は
二一=
法華文化研究︵第三号︶
出世間道に庄するのであり︑ ︽清浄戒︵﹇・︸三=︿hriing. rnan二・二r 一as
pa
=vKucldha−4︐ ilaこr liila−vigp三三一︶︾に依って︵あるいは︑について︶
第二地が安立されると知るべきである﹂とされ︑第二地はー︽清浄
戒︾を主内容とするものであるという︒そして﹁︐Jの <<清浄戒︾は
また二種に知るべきである﹂とされるがここでいう十種の心意楽
︵3︶ はこの二種の中︑1︿発起せしめることの清浄なる−spの ︵l︶yufi bar
ybe d pa rn:uu par claf.r pa発起浄︶﹀に対配されていろ︒すなわち十 種 の 心意楽は三聚浄戒を発起せしめうに相応しいその根拠ともなる べき清浄なる心的傾向︵こころもち︶であるというのであろう︒十 種 の中︑第一の正直意楽︵誠実なる心的傾向︶というのは他の九種
の 心 意 楽を別相とする︑その総相すなわち総名であるという︒そし
てそれは思!IIS ︵1︶ratis︹Liplcliyaはからい︶の作用が無いので清浄成に
因
み従うものであり︑戒の所匝に随行すろ︑と解釈されている︒要
するに正直意楽は思択の作用のない心的傾向であるから清浄戒に従
い︑その日漂を可能せしめうる恨拠として認められるというのであ
ろう︒ 第二地を願求するという心の集中的な始動傾向の進行に加えて︑
清浄戒に因み従うという無思択虚心の正直意楽の生起することが︑
第二地安住の条件であると見て大過ないであろう︒
さて第
地 おけ
ろ
[o
の
.E
践
的な
実
現
の内
容 は如何なるも
の で
=二二
あろうか︒この地の経文の内容函旨および>d<の理解によると︑
→二聚浄 戊と石倣すのが妥当のよう︹\ある︒経には三聚浄戒の用語は
見えていないけれども︒
江
ー ロ
先ず経文には一.⁝⁝白性として三﹁二三ちづr−u.f二・三三万二・︶十善業
道︵合ハ・二三ハニ三二竺三竺−三二・三二三二・二i bculpi ln.s. k.vi la. m︶を具え
る﹂とあり︑以下に離殺生三ヨ三三愛巳三^三vi=Ltal.︶︐ sro.cr. gc^共d pa
ド 離邪婬︵言三⁚寸三itl︶.yiL−ciuitt p.︐ iog J︶u.r gyen pEt d^tfi⁝︶︑離妄語 claii bral ba︶︑離倫盗︵p二三着二笥三戸三一︼ご二・∨︐illPiu︐l︷︑Ii p︷L clah・︶︑
(^
Lmrta.−vacan﹇it p.︐ brdsuntlu s.mr;t. 1︶a claJh⁝︶︑ 離両舌︵三ぬ三三〆7
⁝芸ア三三︼三一㌧二三顎二︹言⁝︶︑蜘悪︒︵三﹁匡−ー・ILt・;1⁝P・. the
顕;二﹁ひ三二・三兵二^三⁝︶︑離椅k: ︵s︵t三bhinna−prnlt−Lpfit p.︐ tshi/.r 1︶kyal
エ
ba︵1ati⁝︶︑無責︵ぺ三言三・三ちご一︐ th:Lg: senis in=︶s5・tu﹇ P;t︶︑無順︑心
キシ (ρv︸t−tpa.nll﹇L−citt;1︐ g︐二od s.eins c﹇:Lii bra1 1︶n.︶︑正見︵・二三.言二曇一一︶︑︹ニゴ
ロ ヘロこ (lasr par H;二︶二︶の十苫業道が順次に詳述されている︒
その多少不明瞭に思われろ内容は︑・二︶ノ.にょって整理すると次
の如くに要約しうる︒
離殺生とは︑杖︵二三三ごを拾て刀︵三三﹃三を捨てろすなわち殺
生の近因︵コ︑三二三言三芸乙二 upiidiLna−kiuai.ia︶を離れる︑ およ
び禰悦を具え︵1︐LjjiLX︐ltt︶憐思を得る︵︵ぎ7.三二三=︶すなわち殺生の起
因
([き之三i 1︶:tr b.va︵1 pal︶i r/.s..u︶ J離れるという因離︑ 一切の有命
者
「81﹃〆・﹂ζ昌;言□F斗ら対しイや利益︵hita︶⁝⁝慈︐IP ︵m︷titra−citt.i︶
を具司るすなわち不顛倒の因果を求めて療より生ぜる殺生を離れし
める︵対治︶によって離れるという対治︵による︶離︑思惟○ご一T
kal
pa︶なる心︵‖意業︶と身︵‖身業︶とによ︵︑て悩害する大小の 現 行を離れるという果離︑この三種の離によって示される︒
離倫盗とは︑自分の資財に知足する︵・・ξと言丙匡↑二一二5εすなわ
ち知足しないという倫盗の因を離れる囚離と︑他の資財を欲求しな
い.︵三﹃⁚∨−三引5訓︒互﹈﹈一塾三−すなわち資財に対する執着を捨てて布施
し後の他の資材を欺かないという対治離と︑不与のもの︵^三竺纂葺︶
や 他 の 生 活資具︵jivi巳℃芽三.ξピ︶を取らないすなわち事物の多少を 取るという大小の現行を離れるという果離とによる︒
離 邪 婬とは︑自分の妻に知足する︵sva二警︑︷1−S. :1mt二strp︶すなわち知 足しないという邪婬の因を離れるという因離と︑他の妻を求めない
すなわち梵行を求めて妻を求めないという対治離と︑心︵11意業︶
と身︵‖身業︶とによって施設される大小の邪婬の現行を離れると
いう果離とによる︒
ロ た ふろ
離妄語とは︑ 妄語の因である他を証かすt﹇﹈ ︵pha rol bslu ba﹈﹈i
bsaTll l︸IL︶を離れしめる対治を成ずる諦語︵プ三﹃^ピー茎三三をなすとい
J因 ︵の︶離にして対治︵による︶離と︑大︵故意︶小︵夢中︶の 現
行を離れるという果離とによる︒
離両舌とは︑諸衆生を不和せしめず悩害しないことを得る三壬?
十 地 基 本内容の体系的構造︵伊藤︶
(5二ξ普︑弓弓ごO引コ已という対治離と︑果なる両舌を現行する因を 対
治して果の現行を離れる果離とによる︒
に
離悪口とは︑嫉妬二〇z・・︶所生の故に戒に相違して他を苦悩せし
め他を瞑恨せしめる語︵﹇・・三二三︹一言一・ξ害his;Ltp.i:tT︶a︐ni vfi.e︶ Q現行
(すなわち果︶を離れるという果離と︑戒分︵い=ジ言じに属し禁戒
(t
;
Lll.IVIL r︷L︶を断じない不疾なろ柔︵目﹁合︶語︑安楽︵工三^プ﹁F︶.利益
(hita︶をなす可楽なる軟︵三⁚三三コ三語︑ すなわち潤益語︵ソ三恒.二一μ
づ弩︶を発するという対治離とである︒
離 綺
語とは︑相互に語るために会話を行ずる時二ふさわしい返答
語
(∫ul︶fLlφ≡3︑a−vac︑・F1︶;L︶乃至実例をもって語る︵11賠言喩順義の︶呈渓 量語へ﹁三三︵laT/t beas. p:LI.︸i tshig=sitnidii.navatTー.警︐︶という対治離と︑
語 の 散乱︵vak−・ikT2︶a椅語︶乃至戯笑語︵三言ヱ^τ!.竺三一ピ︶の現行
エ (果︶を捨てるという果離とである︒
無 貧
心とは︑事物に対して貧心︵ご・二・・;§f三三を生じな
いところの対治を自性︵体︶とし︑貧欲︵三三一三⊥二︶プ一・三看︶を生 ぜず願なく貧心三三鵬当や三鎗三一プー1引三苧ユごρ︶を生じないこと︑
すなわち欲門・得門・奪門より生ぜる三種の責t︶ ︵brna ba senis=
〔二︶三合ぎ三自塗一首邑の対治である︒
無頗︑心とは︑煩悩をなすもの・悪行を行ずるもの.苦しみ乞うも
の
・
嫉
妬をなすもの・菩提心を発勤して疲倦せるものに対する慈心
司・・自三︷﹇三・利益心︵hita︶ .哀懲心︵︵三∨迫︶川潤益︵三顕・二・3心一
二三二
法 華 文 化 研 究
(第三号︶
摂益一切世間之心︵ゾζ之ニー﹂^ξF︵一と一≡口巳苧三〜︶る﹂所対治︵11順障︶
の 対 治とし︑諸の悪行︵^一⊆い・.︹三ε の根拠となる忽︵酬引司こ・倒
(ξan it h^p︶.嫉︵π三こ.垢︵三^二・こ・随つ.∨︑勾〜・ご・惑三三声三三を 所
K 対治として捨離することである.︑
正 見とは︑正道に住する?三一▽完−﹈︶︹Lth:p礁LtiL︶異乗見︵三£﹂・二
的旨戸三言;二︶この対治︑種々の占相・−nEKI ︵k:Lutu﹈;i:Lhgala︶と 悪 戒 会三﹁5の見を離れる虚妄分別見︵ジc巨竺芸・互一三一≦三︼・︒
昌5尾三﹂三三三二︶この対治と戒取浄LR ︵ts﹈≡二合﹁三プ7︹三三プデ﹃ξ三
par ctag par lt:二︶εの対治︑正見︵三L ba draf︶1yj〒︵lr/Li︶といわれ
xCi me︷foMR ︵1︶cln.g gi inthog tt二﹂^ア三℃^r三ご︹ピごρ我を執取する見︶の
対治︑無諾.︵天三口司三〜竺︷三にして無語三三≡三〇一!・三
るー.εといわれる覆蔵見︵三︐﹈iab I三三ご二︺F︶・妄語!1︵ご己・=n du
ご 芦三・二x三=︷^二︶二詐言不実語︶の対治︑仏法僧に意楽を決定する世
間不浄見︵一二三^二^隷三・三一F−含︐.?ti非清浄見謂世間見︶の対治︑ すなわ
ち七種の見の対治である︒
そしxJ ︐Jの十善業道は﹁︽清浮戒︾はまた二種に知るべきであろ﹂
とされろ場合の2︿自性の清浄なる︐PC﹀ ︵rii i︐shin rnnTn pcL二・Z・二
る自体浄︶﹀︑ ︵︷・三三三三三・二・・三二三﹁・三云三亨=m︶ ︵す
なわち三聚浄戎のことであろう︶ の中︑第一の 一清︑三∨ろ止持戒
(巨︶σc三三Z︶ul kh﹁ims. i︐ll≡ I︶三︐︵﹇:LST P:L==﹈︸iー﹁三狐二;L−v﹇.Cud︵llii or
viguclcH﹈^L−n︐離戒浄︶﹂11清浄なる摂律儀戒︵・︹﹇・三二・・三=:huL klirims =二四1
ntu︶二・三︵一芸三ーゾ︹Llllー.︷l.rkL婁・・vi.gpiddhi or viguddha−s°受戒浄︶11一
切 種 の 離 戒
(「三ニl 1︶th:二三︵三zト三.プ三゜二;ul kllrims︶に配分さ れる︒すなわち十吉輩○︑氾は︑それを仏のさだめたおきてとしてまも
ること︵・三プ︐・三・︾三三三︶によって︑十不江業○.口なる悪り因果を
制止捨離︵三/vtLi︐ ldog p:t︶する戒であると見られている︒ そして
か かる止持戒に過失の無いところの第二地菩薩のS =方は︑ ﹁彼等 はこれらの十善業道を常に不断に滋持する三三ぐ︑﹁^巨ツ言﹁三二︶三﹂
という経文に要約されるところであるというのである..
R
L
次 に 経 文
には︑
〉、
lp−︵三ξ三二ご=一︑itt﹇l−Pl﹇Ljrl;LPti︐=﹇tn s︷︶fi daii iuin 1.u.;i︐・ニl:Li二こ工三1・ 1t1Lf︶
i
)a .yocl pu︶なる︐ご︑のはすべてこれらの十不渉云已を受行する?r
三ρニョ三ソ︐三⁝ご・三・三︶故であ乙﹂と66し︑﹁自ら邪行︵・三三r
I}Utti︶に住して他を正行二住せしめろことは無理.∵︑ある﹂と力って︑
一自分は・目ら正行︵.hnl﹀u.kln︐;i1iI︶a.tti︐ .x.:Lihd菰二・川・三コtl.ll t:til︶に住
して他をも正行に住せしのん一との衆上に口てろ心意楽︵・︑三.︵三一壱○ ゴごグ︐a︐ stTng k.vi lr−:三一三を・Wべ就する︑という巳:か述べられていろ..
ここ二見えろ江生・コニ・︑ ︑ 客日︶・ゑ︵.心﹈等︑Z∴
滴.九.三いニニ︑︑ ﹇口/正行三二江し他を・こ正汀 に 住 せしめん﹂と意向すろ磧桓的な心意渠︵心の高調的な傾向︶は︑
要するに進んで善を行う摂吉法戒と衆生利益に努力する摂衆生戒と
を︑具体的に生起せしめる原動力となる精神的な源泉に他ならない であろう︒しかしながらその心意楽は少しく深重なもののようであ
る︒というのは︑摂善法戒と摂衆生戒との実︐践化する直接的な契機
となる︑ある伺察と修学へと進展するからである.︑すなわちここで
い わ れる邪行とは悪道・悪趣・堕処〃施設︑換言するならば︑ ﹁地
獄・畜生・餓鬼界の趣︵三三▽・τご三云▽・・三yanla−lok︷L−s;Lti︐ ︵=n .v al ba
dlLii byvl suii gi s. k.ye g三び︵一⁚三的い三﹁﹂・三三冗ltel﹈ gy=all︶︶が施設
される﹂ことの因となる十不善業道の受行であリ︑他方︑正行とは
十善業道の受行であると知られるが︑菩薩は以下その正行としての 十 善 業 道と邪行としての十不善業道とについて深く観察するとされ
るのであるo
ヨ
MNOP B
後続経文に見えるのは先ず菩薩が正行としての十善業道の受行に
つ い て 五 種 に 伺察する︵i︶iaviciiioti︐ riia.Tn par dbyod de︶その内容
︵7︶
M である︒
その第一は十善業道が受行されるとき人への受生︵三︹二三工言二三﹀丁
二二三﹃乙蔓︒ぎ︶乃至有頂︵三一テ︐言頒三ゾ﹁三℃﹇r三ら﹇き三三への受生を 施
設する因となるということであるが︑第二以後は十善業道が受行
の 既 成 に お い て 前 進 的 二 般 若 の
行相によって修習もしくは浄化され
るとき︑その在り方に応じてそれぞれの乗その他を成就する因にな ︵8︶るということである︒すなわち>Oくの理解によって内容の要点を
十地基本内容の体系的構造︵伊藤︶
M 説明的に摘示すると︑その趣意は左の如くかなり明快なものとなる︒
第二は十善業道はその上に善・悪の二趣が苦であり善・不善の二 業 道 が 集 であり不叢口業道を離れ随眠を離れることが汽でありその対
治が道であるという諦の行相 ︵ゾ三z.三茸二 すなわち般若
の 行相−︵﹃司コ芦司三治⁝﹁﹇三5.一三三こ・^F智劃︐心組﹀に﹂こて︑微少 の善根を成じ自利のみをなす因集︵売望已言声三一三︶である狭劣なる 心9﹁・三三ぎ三ご・︑三声・ご二ご三︒・二一三︑畏苦︵三ξパ言﹁三εジご三写
IMt︶すなわち三界に怖れる心︵ご巳︵三巴三ちこ﹁蓑三−三pIULS. ILkha≡・
gs. um pas skrag pa.1.︶i yl︷l︶︑衆生に対する無顧︵nii lt二・二捨心︶な
る大悲の欠如︵三・三■﹂奏三三−・言三ご白三﹁三^.三二・・;i︵・cl pa︶︑人無
我︵﹇・F三罪州三丁=巳︹臼F︷三∨.こに証入するべく執範師︵μ・︑茸葦︶の教授
(I)三二.三放ー三.三.p二三を所依︵一︐ド⁝凡呂.か5a依止︶とし音声のみを通 解 の 所 縁
(dmi︐gs pa観︶とすること即ち他より聞くに随行︵ム︹三.ρ・
ら︼三葦三εして音声に随行する︵三3亘三三二三F︶こと︵︑﹇︑二︶至巨二二
;三三三昆﹃ぷ忌一﹁﹂9竺三・﹁三二︶a他より聞いた音声に随行すること︶︑
この五種︵‖五行相︶として修習されiNr︶AJhlv ︵p︹LribhiLyam﹇Lna︐ yorhs
su 1︶sg・n︶ls il:L︶︑いわSる声聞乗答品ーこk;L−yi︷na.︐ fi;t;thos. ky=heg I︶︷L︶
を成ぜしめるということである︑︑ N
第三は更にプ♂︑の上に敦示や教説に依らず二︑自ら正覚を成ずる
(s. va﹀am abhi: n︼mbodluLllU.︐ 1;Li二︹三三i 1︶ar 1.it:h:Lii rgya ba︐︶といわれ
る自覚︑説法を欲せず説かない ︵−不能説法︶ところの大悲と︵善
=1V.−i
法華文化研究︵第三号︶
巧︶方便の欠如︵三三国−言﹁三5﹇・身・・−︿一ぎ言白ニピ号二三二︶c・一一巳﹇一﹀巨言
nikhiL: panied pa︶︑微細なる縁起に住する︵11観少境界︶といわれ
る甚深なる此縁性を随覚すろこと︵拾・こ三・三﹁≧・三一︻・﹁三ピ・ち三二・三一ご^τ
iut︐ rt︵・n cifi 1.︶bru=ご弓三︶Z三i 1︶︷L zab pnr khofi du ehu︵t p︷t︶︑この三
種として浄化されるとき︵piLrilo^一三︷三∨・・引当;︸︶Y:l.ilSnaJ いわゆ
る独覚乗︵I︶ratyL︑kabtld^lha−﹀︐51I︶:l︐ I︐↑三三︼酩芸プー三言・=hvg pa︶を成
ぜしめるということである︒
む
第四は更にその上に一切の善恨を成じ衆生利益をなす因集である
広 大 無 量
(の
心︶︵vipulftpraniiu.liL︐ yafis gih ts. had me︷1 pal.ii sems.︶
衆 生 利 益 の用をなす悲慰を具えること︵三⁚プz竺三=三・づ一・巳﹇二︑鎗コ三号 shifi sTiifi rje d:u! ldai二︶ε︑その可能力たる四摂事すなわち方便善 巧のl cu ︵upiULy^L−l︷au.4aly︷t−siLTp︐grhita︐ thal︸s Tnkhas pas. yafi dag︐ par
bzuii ba︶︑ ︵十︶大願に善結される︵竺三︶^三^lha−tnah﹇t−prai.iidh﹇ina︐
snl三二m三;=三一三い三声已;二︶二こ浄深心地︵gFld^三P︵≡づ箒︵LY:L−︸︶;mi︶
・
一切
衆 生を捨てない︵ξ三ト;三vig︶a.rityElga︐ sem: ean thams cad
yofls su illi gteii ︶u︶不退転地︵︸・三一﹃∋二・ご㏄一・ハF三三11三三・茸﹇を二︶・︶
・
広 大なる仏智を観慮する︵ごpicldha−jfitlna−xipulficlh.viLla.nibana︐ saiis.
gr
yas kyi ye gus︐ rsrya el三二x二^こ一︼三膓一・三大灌頂地︵三^三竺・三ソめ貯F﹂・.
受 大
位地︶という地︑この四種として浄化されるときいわゆる菩
薩 地を浄化し波羅蜜を浄化する広大なる ︵菩薩︶行︵︹︹↑﹁芸と三二ぞ
ぞ乞︒・二三芸∨・^こ︑z︵・コ︸︶三を成ぜしめるということである︒ 二.エハ
そして第五には更にその上に一切種にて浄化される︵z・二<−巳自日−
i)
{Liigodliita.︐ rnani ︾:Ll.︶i mch︵︶g t﹈vams cad daii ldan p︷Lr yei︶s s. u sbyaii
」三とき︑十力の力と一切の仏法の証成︵三フ.↑戸ムご竺弓三・;三一三合罪^τ
Ill
:L−︐ 1111LIil PiLl.︸i I︶1th︐︶ig tl三自三・=;LT二二三二・^三・か三イ芸∨.・三5.一.﹇・三
Y︵︶ilS S. ti ﹈.︶grub pa︶を成ずるに至るということである︒
このように菩薩は正行の実践的な態度とその功果ともいうべき︑
いわゆる十善業道の因果を三乗および仏法の特相によせて伺察し︑
しかして﹁自分は十善業道を成ずるとき一切種を浄化し成就するこ
とに精勤︵‖加行︶するべきである一と︑第五の伺察における仏乗
を期するのである︒
ここまでは経文によれば伺察の内容であって︑これを菩陸が実践 的 に実現する︑もしくは実現したとは述べられていないのであるが︑
>Dvではこの所説の纐三品を三聚浄戒の中︑第二の﹁清浄なる摂善
法戒︵︹﹇湾言三.ご三・・=三一・^︹三ドゾプz=^一三三ゾコニ一二三i d;LF;r I・;L=vi=
gud︵=ia−ku︐iala−d﹈liLr≡三之三一渡弓ゴ︹二三.gila摂善法戒浄︶﹂ こ配分されて いる︒すなわち仏法の証成に至るまで前進的向上的に︵竺三三三づ^寸
ta
ram︐ de﹈.ii khefi du︶十善業道を修習し浄化する正行が摂善法戒で
あると見たのであろう︒
む B 次 の 修学する︵︸︶1nlis;tlv. ikti:ltc︐ y;Lli dag pnr:lel;tCi︶︑その内容である⊂ ︵9︶ 経文に見えるのは︑邪行としての十不善業道の受行について
すなわちそれを要約してみるならば︑菩蔭は十不善業道がその多く 作されること︵1︶ahi﹇1二三三一二^三三二・z・フ一三︶の上 ︵n.dhiinitrn︐ ︿. a: cha
1)
;L
) .ff ︵Tnadh.va. I.u1rifi︶ .F ︵inr﹇lu︐ chLii二・ご二よーソ︑地獄・畜生
∴餓鬼界の各々の因となり広大無量の苦慈三二﹈.bkha−s. k^Lndha.︐ sd已宋
bshal gyi phuTh pe︶を集起するに至うと修学するのである︑という
点 に 尽きるようである︒
>D
べ で はこの箇所を含めて以下の説示内容は.二聚浄戒の中︑第 三 の
清「
浄なる利益衆生戒︵三三∫︷・⁚三長Z一合zプ三ひ︵F三亘hul khrimg.
rlltLTIl 1︶cLr d;Lgf 1︶:L=s︷Lttー琴こ三吉riytl−gila−ーigu・﹈︐﹈hi ︐二r vigtiddha−s.利益
衆 生 戒 浄 こ すなわち一悲に住して衆生を利益する戒︵︒・コ三芸言 SIr]as te :elns caTi gyi doi二︶﹀︑ニニ一・↑忌=s. ﹈tu1 kl︸rinis K悲利益衆生戒︶﹂
に 配 分されるが︑この箇所はその﹁利益衆生戒﹂の五義の中︑十不
善業道について上・中・下という因果の分位︵avasthtL時︶と地獄
.畜生・餓鬼などの諸悪道である異熟aK ︵vipiLk:L−phala報果︶と人
中に受生した場台における各二種の等流果︵・二︑:Lncla・−P・習気果︶と
の 三 種 の 観 点
からその各々を差別して伺察すること︑すなわちα
邪[
行 の 遍 知 ︵10︶ (yo fi s. su g︷︑S 1︶﹇L=1︶tU︑ijfiiL智︶﹂を示すものであるとし て 解されている︒
要するに菩薩は苦葱を集起せしめるに至る十不善業道の受行とい
う邪行の因果を差別して伺察するのであるが︑その修学は更に積極 R的な実践的態度へと移行する︒すなわち次二菩薩が一.十不善業道を
十地基本内容の体系的構造︵伊藤︶ 捨てて法の楽・喜を書ぶ−Pの ︵dha.rm.ilri︷ma−rati−r:Lta︐ ︐ ch︵︶s la dgal.i SS1liil三os p r ds︐ :t l.︶ lm︶として停伍しよう一と思惟して安住して諸他をもそれらに安住せしめる﹁ということが説か2/てい
ほ
る︑ここで﹇安庄せしめる﹂というのはもはや修学・思惟の内容で
はなくて︑他の衆生をして﹁安住せしめる﹂という実践的行為が誘
発されている状態と見てよいであろう︒
この中︑ ﹀づ/rによれば前者は ﹁清浄なる利益衆生戒一の五義 の中︑ 衆生利益をなすべく善法を摂するために大乗法︵三ρプ身ご︹こ
^
=ULIllUl︶を喜楽しよう︵︼三三i p﹇tr dgal.﹈ ba︶とする意楽︑すなわち
β願三F三・三竺三﹂を示しているという︑また後者は所対治︵障︶
を離れるよう加行し諸他をして善業道に安庄せしめるところのγ ︹12︶
「修行︵必﹁三二ご﹂・さ三一・三ニニを示しているという︒
ドつ
B
つ いで苧.首薩には更に利益衆生にふさわしい心的態度が具わってく
る︒すなわち一切衆生に対する十種の心︑そして利益衆生のための
具体的な思惟が生起するのである︒それを説示する経文内容は簡潔
すぎたり冗長すぎたりするので︑ここでは﹀一︶vの理解をもってそ
の 趣 意を解説的にか要約的にか適宜な形で示し︑加えて多少の考察
を添えるのが妥当であるように思われる.︑
その中︑十種の心というのは利益r4 ︵hita−cittn k−L︐ phan pal.ii :emg. ︶
.安楽︵s. u klm.. b︷lv 1∨a︶心・慈︵三ごド﹁ぞξ一声lllz PIL︶心・悲︵三るー
=二七
法華文化研究︵第三号︶
Sfi
iil ljt:︶心・憐慰︵三︑∨︑P呂ご.1 bl︑7c言︶心・摂益︵︹二≡graha︐ i︶han
gd gs pa︶心・守護︵言↑二場P︶︑cテ∫二b:rufi ba︶心・平等︵・ρ三ぞa
Ill
fialll 1︸:1.︶心・軌範師︵■完﹃∨p乙cご^一℃・・三心・大師︵旨三三︷三二・三
︵13︶ |
心 集︶﹂を示すとされている︒そしてその中︑利益心乃至平等心の八 ︵14︶ もしくは悲によって生ぜられたもの︑すなわちδ﹁等流︵三σ>m三ニニ ヤ 戒﹂の五義の中︑悲︵・ヨ﹇.二︐号L三﹁三る︶の生ずることに依るもの︑ へ である︑﹀一︶/rによると︑それらは﹁悲に住して衆生を利益すろ
種 の 心 は各々悪行の衆生乃至菩提への願を摂護する衆生など八種の 衆 生 に 対して︵彼等衆生のために︶生ずるものであり︑後の軌範師 心と大師心との二発心は彼等衆生を観察して大乗道︵三・・二夕.口・二三μ−
sr r
a︶に住せしめ福︵一三5︐IL︶・智︵三昌︹や︶の聚を集めるものであると
も
いう︒この解釈は十種心を衆生に対して起る悲の内容の諸特質すな わち悲より必然的に生ぜる同質の心的特質として弁別的に︑しかも 具 体 的 か
つ有機的に洞察したものに他ならないであろう︒この十種
心 に つ い ては︑第一の利益三三声︶心を総相︵総説︶︑余の九種の心
を別相︵別説︶と見ることも可能であるように思われる︒さらにま
た十種心は利益衆生戒の利益︵三二三ということを実践的行為と見
るとき︑それを可能化せしめる心的態度の種々相と見ることもでき
るであろう︒利益衆生戒の利益︵三三ごと票語を異にはするけれど
も︑意義を同じくするところにそのことが暗示的に語られている..
yDD
つ い で 利 益 衆 生
のための具体的な思惟が生起するが︑それは菩薩 た悲︵言三﹇三︶1.2 tL6って摂護される勝れた口︵﹇三三ニロ三﹂二ろh..:Lcl 1︶;u ﹀一︶<によると 一悲に住し衆生を利益すろ.双﹂の五義の中︑勝れ 自らの当為としてム︐心瞑法意の形で十種に説示されている︑ それは
欲勝︶︑すなわちε一.等流呆︵11iSiY^L;tp=a.1;L集果︶﹂を示すとして
(:6︑
詳解されている︒
その経文に見る十種の思惟の各々の垣旨を要約し︑﹀一︶くの解釈
を附与して示ずと以下の如くである︑
U ω 悪「見?二三︐ヴニー三t ba f︶aii 1︶u.︶に堕し⁝⁝悪路の稠林︵三︸三
t]
mI
L−8r;LIian︷L︐ 1:.c p;Ll°1=:L﹈l︶ thibl p︶に行ずろ諸衆生を⁝⁝真笑路・
正見道︵⁝﹇三︐^・︸∵ξソ苓三勾﹁五三ソ.・三・三二・三︐1︷:二三︺=︹r三︶・加.失法に
安住せしめるべきである﹂という願は︑願倒︵vII︸ILryハLS. :L︶に依︹︑て
煩 悩 の 随 眠
(三戸・会三二三♂二︶に行ずる諸衆生に随順する対治を示す︒
V
② ﹁怨憎︵1︶hin=:L︐ mi mthui二・ど⁝⁝する諸衆生を無上なろ大
非心の教授︵三三5−二三三︐ソ.−ご℃︹F萎三一一ヨ︐a.︐ 1︶.v︻L﹈n∫ chen p︷二↑L r;il︶t1﹈ i/w ﹇︶=.r
I)s/grub p三t︶に安住せしめるべ山︑ll !であろ﹂という限は︑欲を求.のる諸
衆生の中︑互に怨憎しあうという不共を受用する状態にあろ話︷︑h完い
に随順すろ対治を示す︒
W
㈲
「無ピ︑足︵三﹇︐三三⌒︑一三兵︼三ハジ一三:・⁝の諸衆生を清涛日なる身
z :・.品の業つぼ芭による・\叩︵‖生活法︶︵二=.一ム﹇lcldh:7kni︐m:1nd.iliプ一一三
〜ln7 yoi﹈s si=一三三・三・三︐ bn.︶に女住.︑一︑﹂し∴ろべ主.﹂てちO一とい
う願は︑欲を求める諸毅生の中︑不知足を受用すろ状.圧にある話衆
天
ど
H
生 に 随 順する対治を示す︒
ω 一﹄貧順凝の三因︵弓彗三1.︑壬7三三一干三・二一^︻弓二三三^三二一川p登へ三コ
エさ三三二↑言工二一三芸・一一巳三.︵・二﹇・mr三緩三︶に随逐する⁝⁝諸衆生を
⁝⁝無害なる浬繋︵三三﹂・︹三﹁三.↑ニニフε三蔓ゾ︵二︶・二一ご﹇三三三ソ.二﹁︹^三
一5三^↑二﹂^F︶に安住せしめるべきである﹂という願は︑欲を求める 諸 衆 生
の中︑ものを積集してそれに三毒の過矢を起すという貯債を
受用する状態にある諸衆生に随順する対治を示す︒ Y
同
「愚擬の闇冥︵亘三三︷︹二三F・︑顎二三五空工∫弓三二三の眼揚.厚 ばと無明の闇黒︵三.三芸.⁝・三合二﹄三一二三とによって覆障された
:⁝・諸衆生の︑無障なる般若の眼︵s三ヲ・茸^二三二ら一二自︑二云どZ沿∫﹁門↑ご
k.vi migr 1・sgrib: ﹈ned p:L︶を浄化するべきである﹂という願は︑ 欲
を求める諸衆生の中︑現在を追求する悪行に庄する︵‖邪妄にして
正 見
のないという過失を有する︶諸衆生に随順する対治を示す︒
⑥ ﹇杓廻の険道︵・二三己﹁一μ三ー.=るコ三日三雪だピ︑三合ミ言三三ソ︑二
il lU二一・三会・三﹈峯︶に入る⁝⁝諸衆生を輪廻の険道︵11森林広野︶の
綴 難より度脱せしめ無畏の処なる一切智性︵三二・どコ三□︵言ゴ三二戸二
mkhyei二三の大城に安住せしめるべきである﹂という願は︑ 欲を
求のろ諸※生の中︑他世を追求して善行に庄する︵‖険道に入ると
いう過失を有する︶諸衆生に随順する対治を示す︒
:
⑦ r大なる濠ポ波浪の中に沈没する⁝⁝諸衆生を救済し:⁝二
切 智 性 の洲に安住せしめるべきである﹂という願は︑有を求める諸
十地基不内︷谷の品塗﹀︹的撲︑士旭︵伊廷込︶
衆 生 の中︑趣によって有を求める︵11欲・有・無明.見言三但−;〒
v
:t ー・三7・コ二﹁ジニなどの大河二沈没する口失を有すろ︶譜衆﹂モ﹂随順す
る対治を示す︒
㏄ g ﹇⁝⁝三界︵ご巳︵三翠穿︹p二ら一一︹三プ虫∫三三の牢獄に閉在する諸 衆 生を⁝⁝無障凝の浬般不︵︹三言p﹁︹二二﹈一一膓書ぞヨ苛pコ己二↑チひ戸言二当嘗
b:gribs pa med pn.︶に安庄せしめるべきである﹂という頓は︑有を
求める諸衆生の中︑界によって有を求める︵11三界もしくは輪廻の
牢 獄 に閉在すろという過失を有する︶諸衆生に随順する対治を示す︒
㏄
⑨
「我・我所に執着する︵笥⌒三.笥tmi﹀︑Abhinivifta︐ l︶d;L/.r d:Lii bda/g
l
a mf﹈on par g. h︵hn p;L︶⁝⁝諸衆生を1切の着処を離れた最勝の安楽
(pa
r︷unu.−: ul︷ha. s:Lrva−niketa−vign.mn︐ 1︶︷Ie l︶al.ii cla.Tn pa g=a∫ thams ead
ined pa︶すなわち一切の障擬を離れた浬葉︵∫茸ー︑百ξ三﹇﹈︹〒三m巳る一〇苧
nir︿iu.﹈a︐ m﹀a ;wo.Ti kLs I︶dag pn.︶に安庄せしめるべきである﹂という
願は梵行を求める諸衆生の中︑諸見の根本である我執を過失とす
ろ邪梵行求の諸衆生に随順する対治を示す︒
の
幻 ﹁怯弱・狭小にして劣小なる信︐Mrcの ︵hina−ITna.−dTnfidhimukta.
dmal.i ba da.ii g. hun 1︶;t flafi :ln;i p;L l﹇L riu︶s. pa.︶⁝⁝諸衆生を︑勝妙
なる仏法を広大なる覚慧によって観慮する︵戸三口﹁︹二三7三↑ピー^≡^q;芦
三ぺ三〆.ξ己ジ︵三プ己ぷ三二︶p・・︵三・・日乙︹55V︹︹ぎヨ∨︑勾巳ズ︑亘言三三︒碧︵あ
dafi bsam pa y;Lf︸s pa︶ 1切智智の観照作用︵︒・門三︐ニコご自コ苧一0C﹇Lll:Lti︷︐
th
ams ea︐d三竺一マ・2i pal.ii ye g^it yoiis :Li 1︶:tan pn︶によって︑無上
=二九
法華文化研究︵第三号︶
の 大 乗 に
安住せしめるべきである﹂という願は︑梵行を求める諸衆
生 の中︑劣小なる信解に依って小乗を願うことを過失とする正梵行
求の諸衆生に随順する対治を示す︒
この中︑ωは総相で諸余は別相と見られもしよう.︑しかもこの十 種 の 願 は 十 種 の
心に一々照応している如くである︒すなわち悲によ
っ
て 生 ぜる十種の心の必然的に結果したところの勝れた願が十種の 願
でありそれを総説するものがωなのであるが︑ここで強調され
るのは要するに衆生をして八支聖迫の第一正見に安住せしめるとい
うことのようである︒
W
⑪ 実現内容を簡明に要約したものと見ることができる一︑ ︵17︶ 次に来る経文は諸本によg︑て文面に出入があるが︑以上第二地の すなわちシナ訳︹漸︺には如此戒力︒勧化貧匿︒常抱慈燈..以権 方 便とあるが︑ ︹住︺︹!x︺ ﹇/六︺には以権方便に当る語句を久き︑
〔地︺には常抱慈懸に当る語句を欠くのに対し︑乙た六原典とTib.訳
とはその中間に﹁一切衆生の真の善友となる﹂と二切衆生を捨て
ない﹂との二つの説明語句が添加されている︒﹀一︶︿所引の経文に
は
〔地︺と同様に﹁戒力の任持の獲得︵い三ピー言﹁日三竺︺ジIlllf.r:lt:L︐ ts﹈lul
khri
ms k.vi stt︸bs d:tii mthu d;ti︶ ldun 1︶a.︶ 1と﹁所作を成ずることの
善 巧
(アニ﹀.コ.三二三三コ三﹂竺い^二三了∨.一二三三﹁三二・二r ﹈・: grul﹀ p. 1L mkha.s
」)ε﹂との二点に要約されている︒それは﹀﹈︶<のシナ訳には依持 一四〇
戒 行故..得此戒力能作善法︒善巧起諸善行故と解されているが︑そ
の
一︐﹂ご訳によって律儀戒?^7︶三﹂︶かF三﹇凱︸ご1 khrim: =sanpvara−gila︶
と善法を摂して衆生を利益することとを示したものと解するのが妥
︵18︶当であろう︒
臼
肥 ︵9pt︶
以 下 の 経 文 は第一地の同箇所の経文と文脈の上で合致している︒
すなわち﹀一︶<によると︑第一地のそれと同様︑H︽果の福利の殊
Iny/. ︵l.﹈bra.s bul.ii pl^Ln yun gyi 1︷hyacl p:Lr K利益校量勝事︶︾︑いわゆ
る第二地の果川を示す部分と解され第一地のそれと同様に知るべ ︵20︶きであるとされている︒ただし第一地の同箇所と異なり︑その内容
中に地の進展に伴なう殊勝性の差異が見られる.︑ことに一︐樫と破戒
とのtF ︵mn.uttar.ya−︷﹇atil.igil.ya−mala︐ ser sna.l.ii s. kyon daii tsliul khrims
iul.Il I︸:i.﹈﹈i dri ma︶を除滅したことによって清浄なる施と戒と︵身翼︹↑−
gi
る﹂ ︵黄金の讐喩︶といわれるが︑第二地の果相として唯一の勝事 へ21︶ la−vLguc三三﹂﹂qド三i b︷i. ciafi tshul 1︷hrims rnain par da/.r p;L︶を成満す
を示しているようである︑他に四摂事においては愛語︵︸三葦−≦巳ば7
9二三完自こ二王が︑十波羅蜜においては戒波羅蜜が︑それぞれ最 ︵gb勝であると説かれる︒これはHの中︑﹁調柔︵‖堪能︑有用︑適用︶
果利益勝﹂に当るであろう.︑
Ω
以 下 の 経 文も第一地の同箇所の経文と文脈上で大体に一致してい
る︒しかし﹁この地に安住する菩薩の多くは四洲の.TM ︵ciLtur−dイi−
})鍋︹ご已三ご︑巴三一︺z三夢合︵三σεたる転輪聖王︵己﹂︵三︹︹二め奏−.ぷr三戸
芸三こ三磁莞二⁝三お∨・・;三となり︵正︶法による主権を得て衆生
の ︵su ・︶破戒の垢︵三已烹二∨︹↑∴竺巨三ξ﹁¢二巨三苔て︶ご言二三≡=hriiils
f
itl.il IxLl.ii dli ma︶を除き⁝⁝十善業道に安住せしめるのに善巧とな
る﹂とあること︑ ﹁︑あるものは如来の教法において出家し千の三昧
を獲得し入定し千の諸仏を見る﹂云々とあって第一地において数量 ︵2︶
の
形容が百であったものが千というふうに増大していること等か相
違点である︒
ヨ
U
な
③ に つ
いては︑第一地の同箇所に同じであり︑
に
おけると同様に知るべきであろう︒
小
結
したがって第一地
以 上 に 究明した第二地の内容諸.要点の連関を体系的に要約し図式 的 に指摘しょう︒
A.2 A.1
B.1 B.2
(第二地に安住する︸曇三べ劣巳るための前提︶
・第一地において・.砥く浄業を作しおえる︵στ
parikarma−kvta︶
(第二地に安住するための条件︶
・第二地を願求する︵ニニli N︑一え︶こと
・
正 直 意楽︵﹁︺ニー呈3︐じを始めとすろ十種の心 意 楽
(二こ.鰍︵5.ハ戸︶の生起すること
⁝⁝自性︵三郎二昌三として十善業道三川ξ二三
い︹二μこぎ三三↑−︸・^r二昌○を1ーパえる︵11常に不断
に
護持寸る︶
・・・・⁝t﹇I﹈J−OHILe ︵samyiLk−pratipatti=十善業道
の 受 行三三臼二ρ﹇三︶に住して他をも正行に住せ
十地基本内容の体系的構造︵伊藤︶
a r清浄なる止持戒
︵離戒浄︶﹂
/︿発起せしめるこ ヤがしのわ なるもの
一四一
B.3 B.4
B.5 B
法華又化研完︵第二.nソ︶
しめん︑という心意楽︵︑三.○︹Fピじを成就すろ
十 善 業 道 の 受 行 ご つ い て そ の 因
(浄
化 の 仕方︶
果
(人
天乗・声関乗・独覚乗・菩薩乗・仏乗︶
を伺察する︵一げ﹁三.一〜\﹁一︶
.
十 不 善 業 道 の受行についてその国︵多作の上
中下︶果︵趣の施設・苦纈の集起︶を修学☆
rQ ︵pratisarp N/SikO −−差別して伺察する︶/
−.ン
CL
ら行の逗知
b 1( 7 A :F3
てヂ ち
誤浄善な
法る
べ摂浄善
vこ↓L.1二こ
1 十
不善業這を捨て法の喜楽を喜ぶものとし一︑
存 住しようと思性÷・ろ 善 業 道 に 安 住し諸他を・・三へ住せしめろ
・
1切 衆 生
に対す.ろ利益心︵hit;LL︑itt︵L︶など十
種 の
心を生ずO
・利︑益衆生のた55に悪見に堕せる諸衆生などを 正見・出世間なとに安住せしめろべきである︑
と思惟︵ー願︶する
Pt吉只
㌣
x
了.、
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所作を
喪
ずろ
の
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戒力
の任
持
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口
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舞パ藁読蕊三乞戎執︷する⁝⁝㎜
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