西ケニア・カブラス族農村の生業・技術・協同活動
―農村生活基礎施設改善の自助努力―
著者 大森 元吉
雑誌名 国立民族学博物館研究報告別冊
巻 012
ページ 3‑33
発行年 1990‑03‑30
その他のタイトル Livelihood, Technology and Cooperative
Activities at a Kabras Village of Western
Kenya: Self‑help for Rural Development
URL http://doi.org/10.15021/00003634
1 東 部 ア フ リ カ
大 森 カブ ラ ス族 農 村 の 生 業 ・技 術 ・協 同活 動
西 ケ ニ ア ・カ ブ ラ ス 族 農 村 の 生 業 ・技 術 ・協 同 活 動 農村生活基礎施設改善の 自助努力
大 森 元 吉*
1。 農 村 開発 と協 同活 動 1) 農村 開 発 進展 の要 件 2)住 民協 業 の 軌跡 2.ブ タ リ農 民 の生 業 と技 術 1)環 境 と住 民
2)生 業 と技 術
3)生 計 維 持 の 問題 点 3・ 住 民協 業 の 実 践
1)教 育 振 興 の ハ ラ ンベ ー事 業 2)婦 入 グル ー プ の活 動 4.課 題 と考 察
1.農 村 開発 と協 同活 動
1) 農 村 開 発 進 展 の 要 件
世 界 の どの地 域 を とわ ず,発 展途 上 国の 農 村 生 活 基礎 施 設(infピaStrUCtUre)整 備 が 急 務 とさ れ る。 しか し新 興 国 家 は 財政 支 出を 基 幹 産業 や 中枢 施 設 の充 実 に優 先せ ね ば な らず,僻 地 住 民 の生 活 改善 に 向 け る余 裕 は 乏 しい。 僅 少 な税 収,不 安定 な貿易 収 益, 国際 政 治 が らみの 先 進 国援 助 に頼 る国 家 財 源 は,な に よ り も産 業 振興,交 通 運輸 整 備, 都市 計 画 推進,学 校 教 育拡 充,行 政 司 法 機 構 改 革 に費 や され る。 そ の結 果,都 市 と僻 地農 村 との生 活 水 準 格 差 は 増大 し,中 核 都 市 へ の 労 働 移 出 や マス.コミ情 報 の影 響 下 で 僻地 住 民 の都 市 志 向 が 強 ま る。 地 方 に お け る 自給 自足 に飽 き足 らず,都 市 的 ・西 欧 的 サ ー ビス 受容 の欲 求 が 高 ま る。 とは い え,そ の 充 足 は他 に頼 る方 途 もな く,僻 地 住 民 自身 の 努 力 を待 つ ほか はな い 。
農 村 開 発 を め ざす 住 民 の 協業 は,道 路 補 修,橋 梁 架 設,学 校 ・診 療 所 ・集 会所 建 築, 給 排 水 施設 整 備 な どを 行 な う。 計 画 の推 進 に は地 元 の 自然 ・人 的 資 源 を 活 用 し,政 府
関係 機 関 との連 携 が望 ま しい。 す な わ ち現 地 で 調 達 と利 用 が可 能 な 自然 資 源 と労 働 力 に加 え,企 画 と実施 の 諸段 階 で リーダ ー シ ップ や 交 渉 力 に富 む人材 を発 掘 し,登 用 す
*国 際基督教大学教養学部
国立民族学博物館研究報告別冊 12号 る。 他 方 で は 技 術,工 具 器 材,資 金 を政 府 助 成 に仰 ぐた め,関 係 部 署 お よ び担 当官 と の連 絡,調 整 が欠 か せ な い。 助 成 に は政府 間 協 定 に も とず く先 進 国援 助 が重 要 だ が, 現 地 側 政 府 を媒 介 して 交 付 され るた め,後 者 と地 元 との緊 密 な繋 が りが必 須 にな る。
何 よ りも地元 住 民 の積 極 的 な立 案 お よび実 践 の 意 志 表示 が肝 要 で あ る。 開発 事業 への 自主 的取 組 み は,目 標 と した施設 の完 成 に到 る過 程で も多 くの 利 点 を もた らす。 つ ま り企 画 ・施 行 の諸 段 階 で 当事者 個 々の知 能 ・才 覚 に加 え,交 渉 力,協 調 な ど対人 行 動 面 の 練 磨 を生 む。 事 業 の成 就 は 物 的 な条 件 改 善 を越 え た,累 乗 的 な効 果 を導 くと いえ
る[HEYER 6'α1.1978=36;MBITHI l 973:85‑86;WIDsTRAND l976:143]。
筆 者 は先 に ス リラ ン カ南 部農 村 で,生 活 基 礎 施設 改善 を め ざす 住 民 の 自主 的,組 織 的 な互 助 協 力活 動 を観 察 した 。 政 府 の奨 励 で1978年 に結 成 され た 農村 開発 団 体 が,お よ そ120戸 の農 家 を 組 織 して 目覚 ま しい成 果 を挙 げ た。 数 年 間 に調 理 用 水供 給 の 井戸 1基,コ ン ク リー ト橋3脚,集 会所1戸 を 建 造 し,延 長1.2kmの 灌概 用水 路 を掘 削 した。 政府 か らの 技 術者 派遣 と用 材 費 援 助 は 受 け たが,事 業 の 企 画,住 民 組 織化,団 体 運 営 は地 元 の 僧 侶・,公務 員,農 民 の3人 が 主導 した 。 資金 面 で は住 民拠 出は一 部 富 裕 者 層 の献 金 の みで,ほ ぼ全 額 を ス ェ ーデ ン政 府 か ら,ま た 自国 政府 か らの助成 に 依 存 した 。 開発 計 画 の 完 遂 は 公 衆衛 生,緊 急 輸 送,生 業 面 で 多 大 の 便宜 を もた ら した。
しか し社 会主 義 政 権 下 の諸 統 制 と,協 同組 合 事 業 の 国家 管 理 が制 約 とな って,旧 来 の 生 存 経 済 を越 え る波 及 的効 果 まで は生 成 しな か った[OMoRI l985:118‑121]。
自発 的 で小 規 模 な協 同 組合 活 動 は ウガ ンダ 山 間 部 の農 村 で,1970年 代 に顕在 で あ っ た。 各 団 体 ご と に多 様 な 組織 と活 動 が 見 られ た が,と くに営 利 農 耕 と地 酒 の 醸造 お よ び販 売 に携 わ っ た組 合 数 例 に注 目 し検 討 した 。 いず れ も小 規 模 なが ら組 合 員 の 資金 分 担 を も とに耕 作 者 雇 傭,醸 造 原料 入手,販 売 場 所 確保 を果 た した。 当 時 ウガ ンダの 僻 地 住 民 が 直 面 した雇 傭 機 会僅 少 と換 金 作 物 欠 如 を これ らの 萌芽 的 組 合活 動 が 補填 し,
現金 取 得 の途 を 開 い た。 生 存 経 済 へ の全 面 依 存 を脱 し,市 場 経 済 へ の傾 斜 が始 ま った。
協 同組 合 活動 への 参 加 が,近 親 ・隣 接 居 住者 間 の 閉鎖 的互 助 協力 の 範 囲 を拡 げ た。 同 時 に,地 域 社 会 内部 の 協業 ネ ッ トワー クの 増 加 と多様 化 を促 した。 運 営 に 関わ った役 職 担 当者 は 指導 力,統 率 力,影 響 力 を培 い,地 域 の 政 治 的 リーダ ー に な って 進 出す る
資質 を蓄 え た[大 森 1986a:43‑51]。
これ らの 事 例 の 考察 と問 題 意 識 の 展 開 か ら最 近 の ケ ニ ァ農 村 調 査 が 方 向づ け られ た。
「ブ タ リ村 開 発 に お け る 自発 的 協 力 の成 果 」 を課 題 申請 して,ナ イ ロ ビ大 学 ア フ リカ 研究 所 準 研 究 員 資 格 を 受 けた 。1984年7月 の予 備 調 査 の 後,翌 年1月 か ら11月 にか け て 断続 的 なが ら9ケ 月 間 の 現 地 滞 在 を果 した 。 さ らに1986年3月 に も現地 追 跡 調査 を
大 森 カブ ラス族 農 村 の 生 業 ・技 術 ・協 同 活 動
行 な った 。 ブタ リ付近 で は生 業 や冠 婚 葬 祭 面 の 互 助協 力 が 旧 くか ら見 られ た 。 しか し 十 数 人 規 模 の 互 助 的,輪 番 制 協業 よ り も,い わ ば 地域 社 会 を 枠 組 とす る組 織 的 互 助 協 力 の 実 践 に 注 意 を傾 け た。 ス リラ ンカ お よ び ウガ ンダ の 事 例 との対 比 を 望 ん だ た め で あ る。 ブタ リのハ ラ ンベ ー事業 と婦 人 グル ープ 活動 が 筆者 の 関心 を 引 きつ けた 。 ケ ニ ア政 府 は1963年 の 独 立 当初 か ら,国 民 に 自主 開発 の 必 要 性 を説 き,ハ ラ ンベ ー
(Harambee)政 策 を 推 進 した。 す で に独 立 以 前 に も植 民 地 政 府 が類 似 の 政 策 を 展 開 し, と くに1946年 か ら1960年 にか けて東 部 ケ ニ アで10件 余 の 開 発 計画 を実 施 した 。 事 業 内 容 は貯 水池,段 畑,道 路 の 建 設,土 壌 保 全 工 事 ほか農 業,畜 産業 と保健 衛 生 関係 施 設 の整 備 で あ り,既 存 の氏 族(clan)組 織 と伝 統 的 な協業 形 式 を活 用 す る試 み で あ った。
・しか し政 府 は事業 を 強要 す る態 度 を崩 さず,そ の た め住 民 の積 極 的 参加 も,竣 工 後 の 維 持 管理 も十 分 え られ ず,永 続 的 効果 が減 殺 され た。 独 立後 の ハ ラ ンベ ー事 業 は この 反省 の うえ に 立 案 さ れ た。 す なわ ち政 府 の庇 護 ・介 入 を最 小 限 に抑 え,地 域 住 民 の 参 加 と,そ の 土 地 の 労 働 力 お よび 地 元 寄 付金 を最 大 限 活 用す る方 針 を 採 った。 ま たハ ラ
ンベ ー事 業 の 目標 を 必ず しも生 産 に直 結 す る施設 に 置 かず,む しろ道 路,貯 水池,校 舎,集 会所,助 産 ・保育 施 設 の 整 備 に 向 け た。
しか し実 践 され た ハ ラ ンベ ー事 業 の 過 半数 は,結 果 と して地 元 の 学 校 新増 設,す な わ ち校 舎 と教 員 住 宅 建築 が 占 め,次 に 続 く診 療 所 お よび 助産 施 設 の 新 増設 を大 き く凌 い だ[HEYER 6孟α1.1978:35;MBITHI l973:90]。
ハ ラ ンベ ー事 業 に よる教 育施 設 拡 充 は ふつ う次 の経 過 をた ど った 。 は じめに地 元 有 志 に よる準 備 委 員 会 結成 が あ り,父 母 か らの寄 付 額 と労力 奉 仕,ま た 住 民 一般 に よる 地 元 募金 が決 議 され た 。 次 に校 地 と校 舎,教 材 教 具 の 整 備完 了 の 段 階 で,教 育 省宛 に 新 増 設認 可 申請 を した 。 教 育省 は 申請 の あ った県 の 教 育 審議 会(District Education Board)に 諮 問 し視察 を終 え て 認 可 した。 政 府 は専 任 教 員 の俸 給 を負 担 した が,宿 舎
は地 元 で設 営 した 。 増 員 が認 可 さ れ る まで,父 母 負 担 で 定 員 外 臨時 教 員 を 雇 傭 す る こ とに な った。 各 小 学 校 に は議 決 機 関 の 父母 会(Parent Association)と 執 行 機 関 の学 校 委 員 会(School Committee)が 設 置 され,後 者 は教 員,父 母 会役 員,地 区代 表者 数 名 か ら編 成 され た。 学級 増 設,校 舎 増 築 な どの ハ ラ ンベ ー事業 計画 は父 母 会 で 審 議 され た。 急 増 す る小 学 校 在 籍者 に見 合 う教 員 定数 の増 加 に よ り政 府 財政 は窮 迫 し,僻 地 の 教育 施 設 増設 認 可 は予 算 面 で 強 く制 約 され た。 認 可 取 付 けに は地 元 選 出の 国 会 議 員 な ど政 治家 の 強力 な支 援 が 欠 か せ ず,ハ ラ ンベ ー事業 は 中央 か ら地方 レベル を貫 く各 種 選 挙 お よ び候 補 者 競 合 と密 接 に 関連 づ け られ た。
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国立民 族学博物館研究報告別冊 12号
2) 住 民 協 業 の軌 跡
地 域 社 会 の 住 民 互 助 協 力 は 生 活 諸 面 で 実 践 さ れ,生 業,冠 婚 葬 祭,ス ポ ー ツ,紛 争 処 理 な ど 多 岐 に わ た っ た 。 農 村 開 発 促 進 に 限 れ ば,ハ ラ ンベ ー 事 業 と 協 同 組 合 活 動 が 主 役 を 占 め た 。 ハ ラ ン ベ ー は ケ ニ ア 独 立 後 の 国 家 政 策 と して 展 開 さ れ,多 大 の 成 果 を あ げ た 。1例 と して1965年 以 降 の6年 間 に,ハ ラ ン ベ ー 事 業 は 労 働 力,教 育,保 健 衛 生 の 各 分 野 で 総 額3億 シ リ ン グ 以 上 の 寄 与 を も た ら し た 。 通 算 す る と こ れ らの 分 野 の 国 家 財 政 支 出 の11.4%を 占 め る 金 額 で あ っ た 。 単 年 度 毎 の 寄 与 額 も1965年 の240万 シ リ ン グ が,1971年 の お よ そ600万 シ リ ン グ に 増 加 した 。 こ の 期 聞 中 の ハ ラ ン ベ ー 事 業 に よ る 寄 与 額 は 約53%が 教 育 投 資 の 面 で,地 元 の 小 学 校 の ほ か 技 芸 専 門 学 校(polytech‑・
nic)や 初 等 中 学 校 の 大 半 ま で も ハ ラ ン ベ ー に よ る 設 置 と 維 持 に 頼 る 結 果 を 招 い た ・ 政 府 の ハ ラ ン ベ ー事 業 助 成 は,外 国 政 府 の 援 助 も 含 め,1967年 に は寄 与 の 総 額550万 シ リ ン グ の う ち 約6%の33万 シ リ ン グ ど ま りで あ っ た 。 し か し1970年 以 降 は 政 府 助 成 も 本 格 化 し て,農 村 開 発 特 別5ケ 年 計 画(SRDP)実 施 に 伴 い,5ケ 年 間 で 総 額2,800 万 シ リ ン グ が 計 上 さ れ た 。
こ の 計 画 は1966年 の ケ リチ ョ(Kericho)会 議 で 提 案 さ れ た 。 中 央 お よ び 地 方 政 府 と 対 象 地 域 住 民 の 三 者 提 携 の う え に,地 元 資 源 を 活 用 し て 生 産,雇 傭,収 入 の 増 大 と 生 活 水 準 向 上 を 図 る計 画 で あ っ た 。SRDPは 全 国6ケ 所 を 選 ん で 実 施 さ れ た 。 計 画 の 主 旨 は 地 域 住 民 の 活 力 を 覚 醒 さ せ,自 主 自 律 的 な 開 発 運 動 を 促 す 点 に あ っ た が,現 実 に は 十 分 な 成 果 が 挙 が ら な か っ た 。 実 行 阻 害 要 因 と し て,計 画 立 案 が 地 元 住 民 を 疎 外 し 政 府 主 導 に 偏 っ た こ と,現 地 の 人 的,物 的 資 源 の 潜 在 力(可 能 性)の 正 当 な 評 価 が 欠 け た こ と,そ れ に 伴 い 実 行 手 段 の 不 備 不 足 を 克 服 で き ず,ま た 中 央 と 地 方 の 政 府 部 署 間 の 指 揮,連 絡 が 円 滑 で な か った こ と が 指 摘 さ れ た 。SRDPの 挫 折 に よ り,地 元 住 民 の 自 主 参 加 と 主 導 的 立 案,実 行 の 必 要 性 が,ハ ラ ン ベ ー 事 業 推 進 の 鍵 と して 再 確 認 さ
れ た[CHAMBERs 1973:20‑23;MBITHI I982:140‑144]。
SRDP実 施 に 関 して,自 主 的,積 極 的 な ハ ラ ン ベ ー 事 業 へ の 参 加 意 欲 を 高 め る 契 機 の 探 究 が,全 国 規 模 で 調 査 さ れ た1)。 そ の 結 果,提 案 さ れ た 事 業 に つ い て の 認 識,参 加 を 促 す 個 人 的 動 機,事 業 進 展 で え ら れ る 利 得 へ の 期 待,さ ら に 事 業 遂 行 の 態 度 の 重 要 性 が 見 直 さ れ た 。 ま ず 何 よ り も 自 助 努 力 と 自 発 的 協 力 の 意 義 と 必 須 性 の 自覚 が 欠 か せ な い 。 次 に 教 育 や 保 健 医 療 な どの 地 元 の 切 迫 し た 欲 求 が,事 業 計 画 に 反 映 さ れ る べ 1)MbithiとRasmussonは,ケ ニ ア全 国 の大 字(sublocation)の うち65ケ 所 を選 定 して,1967 年 以 降1973年 の 調 査施 行 時 まで に計画 され た311件 の ハ ラ ンベ ー事 業 を組 織 的 に比 較 検討 した [MBITHI and RAsMussoN 1977:9‑10,34‑35]。
大 森 カ ブ ラス 族 農 村 の 生 業 ・技 術 ・協 同活 動
きで きで あ る。 さ らに事 業 が完 遂 され,期 待 が満 た され る との 確信 を得 させ ね ば な ら な い。 これ らの 理 解,動 機 づ け,期 待 感 を統 合 して住 民 を 結束 させ,効 率 よ く事 業 計 画 を 推 進 させ る リーダ ーの 出現 が 望 ま しい。 以 上 の諸 要 件 が 充足 され れ ば,ハ ラ ンベ ー事業 は 当面 の 目標 を 達成 す るの み で な く,波 及 効 果 を拡 大 させ る。 住 民 生 活の 多 種 多 様 な困難 や障 壁 へ の 自主 的挑 戦 を 創 出 し,ま た 地 域 経済 の 活性 化 を 果 たす 。 す なわ ち拠 出金 や募 金 あ る い は政府 助 成金 は労 賃,工 具 資材 購 入 費 に 支弁 され,地 元消 費 と 需 要 に刺 激 を及 ぼ す 。さ らに企 画 と実行 面 で 不 可 欠 な 地 元 と中央,地 方 政 府 間 の連 携 の 積 み重 な りが,三 者 の緊 密 な繋 が りを育 む[M81THI&RAsMussoN l977:98‑101, 143‑145,164‑165]。
ほか に も労 働 力 と盗 金調 達 の 面 で 互助 協 力 を 要 請 す る集 団 と して,協 同 組 合が あ る。
これ に は政 府 主 導 の も とに組 織 化 され る恒 常 的 機 関 と,地 域 住 民の 自主 自律 的編 成 お よ び運営 に委 ね られ た作 業 集 団(action group)の2種 が あ る。 政 府 主 導 の 協 同組 合 はケ ニ アで1931年 に 協 同組 合法 が施 行 され,ケ ニ ア 農 民組 合(Kenya Farr【1ers Asso‑
ciation)と して 発 足 した。 独 立 後 も第一 次(1966‑1970),第 二 次(1970‑1974)開 発 計 画 そ れ ぞ れで,協 同 組 合振 興省 の指 導 強 化 と,組 合 組 織 化 と事 業 推 進 とを 政 府の 主 要 目標 と して掲 げ た。1964年 以 降 は全 国農 民 協 同 組 合 連 合 会(NFC)が 発 足 し,ま た協 同組 合銀 行 が1965年 に 営業 を開 始 して,組 織 の 拡 大 と融 資 の便 宜 を 計 った。 これ に伴 い組 合 員数 が増 加 した。1例 と して 農作 物 出荷 組 合 の 加 入者 は1967年 に17万7,000人 で あ った の が,1978年 に は97万7,000人 に急 伸 した[BAGER l980:25;MAINI l972:
54‑62,72‑73;MIGoT‑ADHoLLA 1970:22‑25;大 森 1986a:42;OuMA‑OYuGI 1973:43‑47]。
しか し こ こで い う農 作 物 と は コ ー ヒー,木 綿,除 虫 菊 な どケ ニ アの 主 要 輸 出作 物 に 限 られ た 。 他 に 酪農 振興 を めざ す協 同組 合 に も加 入者 数 が 多 く見 られ たが,国 民 多 数 の主 食 で あ る白 と うも ろ こ しな ど は取扱 いの 対 象 外 に 置 か れ た。 主 要 な 穀 物 は民 間 の 流 通 経 路 に乗 らず,統 制 物 資 と して 生 産者 か ら直 接 政 府 に 売渡 しを義 務 づ け られ た。
た だ し豆 や 薯類 は他 の 農作 物 と も ど も女 性 の 手 で 販 路 に 乗せ られ,露 天 市場 な どで 売 買 され た 。 ま だ少 数 で はあ った が,農 村女 性 有 志 に よ る共 同 出資 と農 産 物 集 荷 お よ び 出荷,あ るい は店 舗 共 同 経営 な ど協 同事 業 の 試 み も 出現 した 。 前 述 の 作 業集 団 的 な協 同組 合 の 活動 に近 い 自主 的,自 律 的 協業 と いえ る。 ケ ニ ア各 地 で は類 似 の,小 規 模 な 婦 人 グル ープ が数 多 く活 動 した 。 政 府 は女 性の 啓 蒙 と福 利,地 位 向上 の 増 進 に役 立 つ と して,こ れ らの 組 織 化 と活 動 促 進 を奨 励 した 。 その 一 環 と して社 会 福 祉省 の管 轄 下 に置 か れ た総 合 機 関 が,婦 人 団 体全 国組 織(MYWO)で あ る[DAvIsoN I985:273
国立民族学博物 館研 究報告別冊 12号 一2751MEGHJI 6'α♂・1985:4レ61;OGuTu l985:74‑89]。
MYWO(Mandeleo ya Wanawake)の 創 立 は1952年 に 遡 る が,1961年 に ア フ リカ 人 女 性 が 初 め て 会 長 に 就 任 して 以 来,急 成 長 して ケ ニ ア 最 大 の 婦 人 団 体 に な っ た 。 社 会 福 祉 省 婦 人 局(Women's Bureau)に1982年 度 登 録 済 の 婦 人 団 体 数 は1万4,000強 で あ っ た が,そ の 半 数 近 い6,500余 り がMYWOの 所 属 団 体 で あ っ た 。 こ の 数 は さ ら に 増 加 して1985年 に は8,000以 上 の 団 体 を 傘 下 に 収 め,会 員 数30万 人 に 達 し た 。MYWO の 末 端 組 織 は 字(あ ざ)を 単 位 に し,大 字,郡,県,州 と 順 次 上 位 レ ベ ル の 組 織 に 組 み 込 ま れ,最 終 的 に 首 都 ナ イ ロ ビ に 本 拠 を 置 くMYWOに 統 括 さ れ た 。 し か し個 別 の 末 端 グ ル ー プ は 自 主 自 律 性 を 保 ち,活 動 面 で 上 部 組 織 の 拘 束 や 干 渉 を 受 け な か っ た 。 活 動 範 囲 も会 員 在 住 の 局 限 さ れ た 地 域 内 部 に 留 ま っ た 。 しか しMYWOが 掲 げ る 共 通 目 標 と し て の 婦 人 と 児 童 の 地 位 ・境 遇 の 改 善,具 体 的 に は 健 康,自 然 環 境,収 入, 家 庭 経 営,給 水 施 設 な ど諸 面 の 改 善,に は す べ て の 下 部 団 体 も賛 同 し,実 現 に 勢 め る よ う期 待 さ れ た[MAzINGIRA INsTITuTE l985:12‑15;RIRIA‑OuKo 1985:188‑
191]。
自 発 的 協 力 と 献 身 的 奉 仕 が ハ ラ ン ベ 「 協 同 組 合,婦 人 グル ー プ の 事 業 を 成 功 に 導 く 基 礎 に な る。 参 加 者 の 動 機 づ け が 重 要 な 役 割 を 果 た す が,こ れ ら の 事 業 目標 は 例 外 な く西 欧 化,都 市 化 に 傾 い た 価 値 に 根 ざ し,地 元 住 民 の 伝 統 的 価 値 と は 矛 盾 す る 。 ま た 事 業 を 率 い る リ ー ダ ー は 政 府 関 係 者 や 教 員 な ど,伝 統 的 権 威 保 持 者 と は 異 な り,革 新 的 な 規 範 と権 威 の 体 現 者 で あ る 。 さ らに 達 成 を 目 指 す 事 業 は,住 民 の 福 利 増 進 の た
め と は い え,究 極 的 に は 地 域 社 会 の 孤 立 性,閉 鎖 性 を 崩 し,中 核 都 市 に 連 結 す る 広 範 な 政 治,経 済,文 化 ネ ッ ト ワ ー ク へ 統 合 す る 効 果 を も た らす 。 生 存 経 済 か ら商 品 経 済 へ の 移 行,医 療 ネ ッ トワ ー ク の 一 環 と して 診 療 所 ,助 産 ・保 育 施 設 の 開 設,学 校 シス テ ム の 末 端 に 位 置 す る 小 学 校 新 増 設 は す べ て そ の 例 で あ る 。 急 激 な 変 革 に 対 処 す る 住 民 の 心 身 の 葛 藤 と 緊 張 を 顧 み る 必 要 が 大 き い 。 変 化 へ の 反 発 と協 力 拒 否,あ る い は 怠 慢 を 和 ら げ 防 止 す る に は,現 実 の 切 迫 した 困 窮 事 態 や 問 題 除 去 の 不 可 避 性 を 自 ら認 識 さ せ る 以 外 に は な い 。 さ ら に 自 発 的,積 極 的 協 力 は,改 善 さ れ る 事 態 へ の 願 望 と 期 待 に よ って,ま た 事 業 遂 行 中 の 個 人 の 才 覚 や 技 能 の 発 揮 と 賞 讃 か ら も得 ら れ る。 こ れ ら の 要 件 は 協 業 単 位 が 小 さ く,近 隣 居 住 者 を 構 成 員 に し,各 自 が 平 等 な 意 見 表 明 と 適 材 適 所 の 役 割 分 担 を 許 さ れ る 場 合 に 満 た さ れ 易 い[APTHoRPE l970:209‑212;HEYER
6'αム1978:7‑17,33‑43;MBITHI l 973:90‑95;OuMA‑OYuGI 1973:59,62‑
71;WIDsTRAND l970:237‑242]2)。
大森 カブラス族農 村の生業 ・技術 ・協同活動
2.ブ タ リ農民 の生 業 と技 術
1) 環 境 と住 民
調 査 地 ブ タ リ は ヴ ィ ク ト リア 湖 の 東 北 に あ た り北 緯0。55',東 経34。50'に 位 置 し た 。 東 方 に ナ ン デ ィ(Nandi)断 層 崖 が 間 近 に 連 ら な り,北 方 遠 くエ ル ゴ ン(Elgon)山 4,322mが 望 ま れ た 。 付 近 は 海 抜1,600mの 台 地 で,南 か ら 北 へ 流 れ る2本 の 川 の 中 間 が ブ タ リで あ っ た 。 緩 や か な 起 状 が 続 く幅4km,長 さ6kmほ ど の 丘 陵 地 帯 で あ っ た 。 土 壌 は 斑 岩 よ う の 花 商 岩(porphyritic granite)が 風 化 し た 粘 土 で,エ ル ゴ ン 山 の 噴 火 飛 来 物 質 も 混 入 した 。 土 壌 は 地 表 か ら1mの 厚 み に 留 ま り,以 下 は 強 固 な 岩 盤 が 占 め た 。 表 土 は 降 雨 で 泥 渾 化 し,乾 く と硬 く凝 固 した 。 赤 褐 色 の 紅 土(1aterite) 層 も散 見 さ れ た が,大 部 分 は 白 茶 け て,降 雨 時 に 黒 褐 色 に 変 わ る 土 壌 で あ っ た 。 酸 性 度 が 高 くpH4‑5を 示 し た[WERE l967:31]。
年 間 の 平 均 気 温 は 最 低 で14‑16℃,最 高 で26‑30℃ を 推 移 した 。1年 間 を 通 じて 気 温 は2〜4月 と10月,11月 に 高 く,6〜8月 に 低 落 し た 。 年 較 差 は 小 さ い が,日 較 差 は 大 き く低 冷 な 季 節 の 夜 間 降 雨 時 に は,地 元 住 民 も屋 内 の 薪 炭 採 暖 を 習 い に し た 。 降 雨 は4〜9月 に 頻 繁 か つ 多 量 で,10〜3月 に 乏 し か っ た 。 と り わ け4月,5月 と8 月,9月 に 降 雨 が 集 中 し,多 雨 の 時 期 に は 突 風 雷,霞 も 伴 っ た 。 雨 量 は 潤 沢 で 年 間
1,800mmと 計 量 さ れ た[UPRDS l986:13,15;WAGNER l949:4]。 周 辺 一 帯 は か っ て 往 古 以 来 の 大 森 林 に 被 覆 さ れ た が,二 十 世 紀 に 入 っ て 開 拓 が 進 み,現 今 で は 小 区 域 の 保 護 林 を 残 す の み に な っ た 。 丘 陵 上 の 平 坦 地 と緩 斜 面 に 数 百 メ ー トル を 隔 て て 家 屋 群 が 散 見 さ れ た 。 数 工 一 カ ー の 宅 地 に 住 居 と 付 属 建 物 を 数 棟 集 め,ユ ー カ リや 糸 杉 で 囲 い 込 ん だ 。 ほ か に 所 有 畑 の 境 界 を 縁 取 る 雑 木 群 が 茂 る 以 外 は,広 大 な 畑 が 一 面 に 拡 が っ た(写 真1)。
住 民 は ほ と ん ど が ル イ ヤ(五uyia)語 使 用 の カ ブ ラ ス(Kabras, Kabrasi)族 で あ っ た 。 カ ブ ラ ス と は 東 方 に 隣…接 した ナ ン デ ィ(Nandi)族 が 与 え た 他 称 で,ニ ャ ラ(Nyala) を 自 称 に 用 い た 。 少 な く と も 一 部 は,今 も ウ ガ ン ダ 国 境 に 接 し て 居 住 す る ニ ャ ラ族 か
らの 分 岐 で 十 九 世 紀 末 に 来 往 した[OsoGo I966:49,93;WERE l967171]。 ブ タ リ付 近 は か つ て 無 住 で,象 や 河 馬,鹿 が 多 数 棲 息 し た 。 カ ブ ラ ス 族 住 民 は ナ ン デ ィ族 の 夜 襲 に 苦 し み,ブ タ リの 西 方 高 地 に 空 堀 と 囲 壁 の 防 塞 集 落 を 築 い て30戸 ほ ど が 集
2)以 上 の立 論 を 踏 まえ,ブ タ リで 観 察聴 取 したハ ラ ンベ ー と婦 人 グ ル ープ の活 動 を紹 介 した い 。 これ らの 協業 が 住民 の 生 業,技 術,環 境 諸 条件 と深 くかか わ って,地 元 の人 的 物 的資 源 の可 能 性 と制 約 に縛 られ なが ら進展 し,挫 折 に到 った経 緯 を提 示 し,検 討 を 加 え たい 。
国立民 族学博物館研究報 告別 冊 12号
写 真1ブ タ リ の 住 居
中 居 住 した 。 し か し1895年 に 植 民 地 政 府 の 保 護 協 定 を カ ブ ラ ス 族 が 受 諾 し,ナ ン デ ィ 族 の 攻 撃 は 制 圧 さ れ た 。 そ れ に 伴 って カ ブ ラ ス 族 の ブ タ リへ の 移 住 が 進 行 し た 。 ブ タ リに は 今 も ナ ンデ ィ語 の 地 名 が 多 い が,ナ ン デ ィ族 は ツ ェ ツ ェ蝿 を嫌 っ て 断 層 崖 以 西 に は 再 び 戻 ら ず,カ ブ ラ ス族 の 占 住 す る ま ま に 任 せ た[MATsoN l972: 5,6,18;
MuNGEAM 1978:121‑123]。
カ ブ ラ ス 族 の 人 口 は1918年 の 国 政 調 査 で9,252人 で あ っ た が,し だ い に 増 加 して1932 年 セ ン サ ス 時 に は1万829人 を 数 え た 。 当 時 の ル イ ヤ 語 群 の 人 口 の そ れ ぞ れ5.1%と5.
5%を 占 め た 。 ル イ ヤ 語 群 の 人 口 は1979年 セ ン サ ス で211万9,700人 に 達 し た の で,仮 に 上 の 比 率 に な ら っ て5%の 数 値 を 採 れ ば,カ ブ ラ ス 族 も人 口10万 人 を 越 え た と み られ る 。 人 口 増 は 人 口 流 動 化 を 伴 い,カ ブ ラ ス 族 と 他 の ル イ ヤ 語 群 出 身 者 との 通 婚 も 一 般 化 した 。 と くに 北 方 で 隣…接 す る ブ ク ス(Bukusu)族,タ チ ョ ニ(Tachoni)族 と の 通 婚 が ブ タ リで は 多 く見 られ た 。 と は い え カ ブ ラ ス 族 の 独 自 性 は 堅 持 さ れ た 。 男 系 出 自 に よ る 氏 族 帰 属,男 性 の 割 礼 を 伴 う成 人 式,氏 族 外 婚 及 び 夫 方 居 住 規 制 の 厳 守 で あ る 。 カ ブ ラ ス 語 の 特 徴 も継 承 さ れ た 。 た だ し住 民 は キ リス ト教 諸 派 ま た は イ ス ラ ム 教 の 信 徒 に な り,伝 統 宗 教 は 影 を 潜 め た3)。
ケ ニ ア 政 府 は 全 国 を8州(province),40県(district)に 分 け,各 県 は 数 箇 の 郡(di‑
ViSiOn),行 政 村(IOCatiOn),大 字(SUblOCatiOn)に 順 次 再 区 分 さ れ た 。 大 字 が 国 家 行
3)ル イ ヤ人(Baluyia)と い う呼称 は1920年 代 以 降 に 政治 的 権利 を 主 張す る手段 と して 援 用 され た 。 しか しル イヤ語 群17種 族 の 総称 と して この 語 が 定着 した の は早 くと も1940年 代 に入 って の こ とで あ る[MAKILA 1978:27‑30]。
大 森 カ プ ラス 族 農 村 の 生 業 ・技 術 ・協 同 活 動
政 の 最 小 単 位 で,そ の 長 に は 地元 出身 者 が大 統 領府 直 属 の 官 吏 と して任 命 され た 。大 字 の 長 の 職 責 は,管 轄 区域 内 の広 範 な治 安 と安全 衛 生 の 保 守,犯 罪 取締 ま りと紛 争 処 理,人 口動 態(出 生,死 亡)把 握,身 分 証 明(成 人 必携)発 行 が 主 で あ る。 融 資担 保 と して 住 民 資 産 評 価 も行 な うが,課 税 対 象 に な る資 産 調査 や徴 税 は 職 務 外 と さ れ た [GERTzEL 6彦αZ.1969:370‑374]。 ケ ニ ア政府 は強 力 な 中 央 集権 統 治 を 敷 き,少 な くと もカ カ メガ 県 内 で は地 方 自治 や部 族 自律 性 の 容認 は なか った 。 行 政 区画 は住 民人 口移 動 に応 じて 改 変 され,人 為 的設 定 に 依 った 。 しか し字(village)は 道 路 や小 川 な ど 自然 物 を境 界 に す る伝 統 的 な地域 区分 で あ っ た。 字 に は無 給 名 誉職 の長 老(liguru) を住 民 互 選 で 決 め,大 字 の長 を補 佐 させ た 。 長 老 は必 ず しも高 齢 の 男 性で は な く,む し ろ紛 争 栽定 な どの巧 み な 中年 者 が選 ばれ た。 どの 字 も形 状,面 積 は 多 種多 様 だが, 行 政 の 便 宜 か ら数 箇 の字 を 統合 して 単一 の大 字 に含 めた 。
カ カ メ ガ(Kakamega)県 カ ブ ラス 郡 は 南 北2村 か ら成 り,北 カ ブ ラス行 政 村 の大 字7箇 の うち に ブタ リが あ った 。 ブ タ リ(Butali)は 本 来 タ リ氏 族 の土 地 を意 味 した が,大 字 ブ タ リは タ リ氏族 の 居 住 地 の一 部 を 包 摂 す るだ けの 行 政 区 画設 定 に す ぎ なか った。 本 稿 で い う ブタ リは伝 統 的 な語 義 に 従 い,ブ タ リ交 易 セ ンタ ー を 中心 に した大 字 ブ タ リと大 字 マ ツ ァハ(Matsakha)の 各 一 部 を対 象 に含 〜bる。 この 地域 に は二 十 世 紀 初 頭 に 勢力 伸 長 した ワ ンガ(Wanga,ル イ ヤ 語 群)族 が 首 長 を 派 遣 して統 治 した。
しか し1929年 に初 代 カプ ラス族 出身 首 長 が 任 命 され,タ リ氏 族 出身 で あ った た あ ブ タ リに 政庁 を 開 い た。 毎 週 首長 が会議(baraza)を 召集 し,農 民 の 市 が立 った。 その 場 所 が 西 部 地 方 の 中核 都 市 カカ メ ガ と ウガ ンダ 国境 への 鉄 道 拠 点 ブ ンゴ マ(Bungoma) を 結 ぶ 幹 線道 路 に位 置 した た め,以 後 も交 易 セ ンタ ー と して賑 わ った4)。
2) 生 業 と技 術
自然 界 は生 活者 と して の人 間 に多 種多 様 な制 約 を 課 す 。 人 間 は これ に 能動 的に 働 き か けて 不 利,不 都 合 な部 分 を 変革 し生 活諸 条 件 の 改 善 を 図 る。 制 約 の 一 部 除去 あ る い は緩 和 に よ って,有 利 な 生 活環 境 を 構築 す る。 こ う した変 革 作 業 は 自然 界 の事 物,現 象 の みで な く,対 人 関係 の 調整 お よび神 霊 な ど超 自然 的存 在 の 操 作 も含 め る 。外 界 に
4)ブ タ リの人 口統 計 的数 値 はえ られ なか った 。 ブ タ リと共 に北 カ ブ ラス行 政村 を 構 成す る大 字 キヴ ァイ ワ(Kivaywa)で1984年 実 施 され た調 査 報 告 があ る 。 キ ヴ ァイ ワは ブ タ リの北 お よそ 10㎞ に位 置 し,住 民 は農 耕 を主 と した 。大 字 キ ヴ ァイ ワは12の 字合 計1,141世 帯 を 包含 した 。 世 帯 数100以 上 の 字 が4箇 で最 大160世 帯,最 小59世 帯 で あ った 。 人 口 は男3,058人(4&7%), 女3,224人(51.3%)合 計6,282人,1世 帯 当 り平 均 構成 員 数 は5.5人 で あ った。 な お,世 帯主 1,141人 の出 身種 族 は15人 を除 きす べ て ル イ ヤ語 群(98.7%)で あ るが,う ち カブ ラス族拙 身 者 の 比率 は明示 さ れな か った[UPRDS l 986:XI,5,11,13]。
国立民族 学博物館研究報告別冊 12号 加 え て 自 己 の 内 面 に も及 ぶ 働 き か け の 諸 方 式 が,文 化 と 呼 ば れ る も の の 主 要 部 分 を 占
あ る 。 各 方 式 は 複 雑 に 交 錯 しあ い,特 定 部 分 だ け 抽 出 して 扱 う の は 難 し い 。 しか し本 稿 で は 取 扱 い の 便 宜 か ら,自 然 界 へ の 直 接 的 な 作 為 の 方 式,す な わ ち 生 活 技 術 に焦 点 を 定 め た い 。 具 体 的 に は 衣,食,住 の 在 り方 だ が,さ ら に 視 角 を 狭 め て 食 糧 確 保 に 関
わ る 自 然 環 境 利 用 方 式 を 見 て い き た い 。
カ ブ ラ ス 族 は 以 前 多 数 の 牛 を 保 有 し た 。1924年 の 統 計 で も カ ブ ラ ス 族 居 住 地 を 含 め た 現 在 の 西 部 州 北 半 分 で,23万6,000頭 の 牛 飼 養 が 記 録 さ れ た 。 当 時 この 地 域 の 人 口 10万8,000人 の2倍 を 越 え る 頭 数 で あ っ た[WAGNER 1956:39]。 ナ ン デ ィ族 に よ る カ ブ ラ ス 族 集 落 へ の 再 三 の 夜 襲 も,牛 の 略 奪 が 主 な 目 的 で あ っ た 。 し か し1931年 に 牛 疫 が 蔓 延 し保 有 頭 数 は 激 減 した 。 婚 資 の 牛 は 現 在 も12頭 が 規 定 だ が,一 括 引 渡 しは 難 し く,婚 礼 時2頭,残 余 は 分 割 に よ る完 済 が 一 般 化 し た 。 牛 は 男 性 成 人 式 の 屠 殺 や 農 耕 の 役 畜 と して 欠 か せ ぬ 存 在 で あ り,不 時 の 換 金 用 資 産 と して も 重 要 で あ る 。 牡 牛1 頭 は700〜1,000シ リ ン グで 取 引 き さ れ た 。 ブ タ リ近 在 に は30頭 近 くを 保 有 す る農 家 も あ っ た が,牧 牛 あ る い は搾 乳 を 主 な 生 計 手 段 に す る 例 は な か っ た 。 欧 米 種 の 乳 牛 は1 頭4,000シ リ ン グ と 高 価 で,ダ ニ の 寄 生 に 耐 性 が 乏 し く,常 時 薬 浴 な ど飼 養 の 手 間 が 煩 雑 で あ っ た 。 さ ら に 飼 料 の ネ ピ ア(napier)草 は 乳 牛1頭 当 り1エ ー カ ー の 作 付 け が 必 要 で,耕 地 と 労 働 力 に 余 裕 あ る 場 合 に の み 飼 養 で き た 。 在 来 種 と の 混 血 牛 を 飼 う試 み も見 られ た が,搾 乳 を 生 業 化 す る の は ま だ 将 来 の 課 題 で あ っ た5)。
ブ タ リ住 民 は 教 育 や 商 店 経 営 者 も 含 め て,す べ て 農 業 に 携 わ っ た 。 白 と う も ろ こ し を 主 に す る 雑 穀 と 豆 類,芋,疏 菜 を 作 付 け た 。 ま た 耕 地 が 多 け れ ば 砂 糖 き び を 栽 培 し た 。 白 と う も ろ こ しは 主 要 な 換 金 手 段 で も あ っ た 。 ブ タ リか ら組 織 的 に 白 と う も ろ こ しを 出 荷 す る 機 関 は 後 述 の 婦 人 グ ル ー プ 以 外 に は な か っ た が,都 市 か ら 来 訪 す る 仲 買 人 に 各 農 家 毎 に 少 量 ず つ 売 却 し た 。 疏 菜 は 交 易 セ ンタ ー の 露 天 市 へ 持 参 して 換 金 で き た 。 農 耕 方 式 は ほ ぼ 伝 統 的 な 知 識 と 技 術 を 踏 襲 し た が,改 良 品 種 や 化 学 肥 料,薬 剤 の 使 用 も 普 及 し た 。 た だ し大 筋 は 牛 に よ る 摯 耕 と 周 期 的 降 雨 に 頼 る農 法 で あ っ た 。 耕 作 機 械 は 用 い ず,農 作 業 の 労 働 者 雇 傭 例 も少 な か っ た 。 小 規 模 な 自足 的 農 耕 を 伝 統 的 技
術 と 用 具 で 営 む 日常 で あ っ た6)。
農 耕 暦 は年 間 降 雨 量 の 推 移 に 相 応 し た 。 白 と う も ろ こ しに は4ケ 月 熟 成 の 早 生 種 と, 6ケ 月 所 要 の 晩 生 種 が あ っ た 。 湿 地 で は 両 方 を 併 せ て 年 間 二 期 作 も で き た が,多 くは 5)キ ヴ ァイ ワの168世 帯 対 象 の 聴取 りで は,牛 の保 有 頭数 零 が34・5%,3種 以下20・8%,4頭 以 上39.9%で あ った[UPRDS 1986:53]。
6)耕 地 所有 状 況 は,キ ヴ ァイ ワの168世 帯 を例 とす る と皆 無 が3.6%,3エ ー カー 以下 が41・1%, 4エ ー カ ー が40.5%,8‑12エ ー カー が7.7%,13エ ー カ ー以 上 が7.1%で あ った。 これ らを 平 均 す れ ば1世 帯 当 り4.7エ ー カ ー の耕 地保 有 面 積 に な る[UPRDS 1986:41‑42]。
大 森 カ ブ ラス 族 農 村 の生 業 ・技 術 ・協 同 活 動
3.月か4月 に 播 種 して6ケ 月 後 に 収穫 した 。 いん げ ん豆 は と うも ろ こ し との混成 で3 月 か ら7月 に か け て 栽培 した 。 落 花生 は いん げ ん 豆 と同 時期 に,年 間 二 期作 で きた 。 甘藷 は9月 に茎 を 差 し,翌 年1月 以 降収 穫 を 続 けて 白 と う もろ こ しと いん げん 豆 の端 境 期 を補 った。 砂 糖 きび は,特 定 の 植付 け時 期 は なか った が,刈 入 れ に雨季 を避 け る 配慮 が 求 め られ た。 道 路 状況 悪 化 に よ り製 糖 工 場 へ の 搬 送 が 不可 能 なた めで あ る。 地 味保 全 を 図 る輪 作 も行 な わ れ た。 白 と う もろ こ しを3年 間 続 けて作 付 けた 後,砂 糖 き び を2〜3期,つ ま り3年 半 な い し5年 間 栽 培 した 。 それ か ら落 花生,い ん げん 豆 の 順 に植 付 け て,再 び 白 と う もろ こ しに戻 った。 耕 地 に余 裕 が あ れ ば,砂 糖 き びの2期 連作 の後 で2年 間 休 閑 させ る と良 か った 。 た だ し作 付 け と休 耕 の期 間 は施 肥 の多 少, 肥 料 の質 に よ り長短 が異 な った7)。
カ ブ ラス 族 の 伝統 的 な主 食 は も ろ こ し(sorghum),粟(丘nger mi11et),調 理 用 バ ナ ナ(plantain),甘 藷 で あ った 。 しか し最 初 に 黄 と う もろ こ し,続 いて1920年 頃 白 と う もろ こ しが伝来 して,1928年 以 降 に は後 者 が 主 食 に 定着 した。 穀 粒 を粉 末 化 し,加 水 加 熱 して 団子 状 に した ウガ リ(ugali)を 賞 味 した。 い ん げ ん豆 を水 煮 した マ ラグ ウ ェ (maragwe)は 煎 った落 花 生,ゆ で た甘 藷 と等 し く昼 食 に供 さ れ た。 調 理 に は住 居 と 別 棟 の 炊事 家 屋 を 用 い た。 石 塊3箇 を据 え た炉 に 円筒 アル ミ鍋 を載 せ,雑 木 を燃 料 に 調 理 した 。 炊 事 は女 性 に 限 らず成 人 男性 も炊 事 小 屋 で 個 人 用 の食 事 を支 度 した。 ウ ガ リの副 食 に は キ ャベ ッの1種(sukuma wiki)ほ か 野 菜 の 煮 びた しを,ご く稀 に は 山 羊,牛,鶏 の 肉 入 りス ープ を供 した。 調 味 料 は塩,食 用 固形 油 脂,少 量 の カ レー粉 を 用 い た。 砂 糖 は も っぱ ら ミル ク紅 茶 用 で あ った 。 鶏 卵,ナ イル パ ー チの 干 し魚 も市 販 され たが,食 卓 に ひ ん ぱん に は載 らなか った 。 と う も ろ こ しが 原 料 の 地酒 ブ サ ー (busaa),こ れ に黒 砂 糖 を 添 加 し蒸 留 させ た チ ャ ンガ ー(changaa)は,政 府 の禁 令 に もか か わ らず,根 強 い需 要 が 見 られ た[OGuTu I 985:78‑81]。
と う もろ こ し畑 は 播 種の 前 に,去 勢牛4〜6頭 の 曳 く黎 で2度 す き起 こ した。 前 回 収 穫 済 の作 物 の 茎 や 枝 葉,放 った 家 畜 の排 泄 物 を 土 壌 に 混 入 させ た。 播 種 は雨季 接近 の3月 末 か ら4月 に 行 な った。 畑 に長 く紐 を張 り,手 鍬 で 小 孔 を直 線 上 に 掘 り揃 え た 。 それ ぞ れの 小 孔 に,前 夜 か ら水浸 させ た穀 粒 に乾 燥 牛 糞 少 量 を 添え て 落 と し,手 鍬 で 塞 い だ。 黎耕 と播 種 は男 仕 事 で,小 孔 の埋 め戻 しと除 草 は女 性 の担 当で あ った◎ 種 子 は最 短 で2週 間 乾 燥 に耐 え,降 雨 を待 って 発芽 した。 播 種 の 直 後 に混 合 肥 料 を施 した 。
7)大 字 キ ヴ ァイ ワの 全世 帯(100%)対 象 の栽 培 作 物 調 査 で は,と うも ろ こ し(93%),豆 類 (91%),野 菜(40%),芋 類(36%),バ ナ ナ(30%),粟 と キ ャ ッサ バ(各20%),パ イ ナ ップ ル(13%),落 花 生(11%)の 順 で あ った。 ブ タ リ近 在 で はパ イナ ップル 栽 培 はま だ少 な く, 落 花生 栽 培 が普 及 して見 られ た[UPRDS 1986:57]。
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国立民族学博物 館研究報告別冊 12号
写真2貯 蔵 庫
す なわ ちデ ンマ ー ク製 品 のSuperf()sを 規 定 量 の1エ ー カ ー 当 り100kg入 れ た 。
この際 ア ンモ ニ ァ を併 用 す る と効 果 が 増 した。 除 草 は 播種 後2ケ 月 以 内 に2度 実 施 した。 主 と して女 性 が 手 鍬 で作 業 した 。 播 種 か ら3ケ 月 経 過 時 に追 肥 した。 ア ン モ ニァ を1エ ー カ ー当 り100kg施 した 。 しか し休 閑期 間 が 長 く,牛 な どを 放 った 畑 で は 施肥 量 を 節 減 で きた。 む しろ過 剰 施 肥 に よる茎 の 長 伸 と,強 風 で の 倒 状 を 警 戒 す べ きで あ った8)。
白 と う もろ こ しは房 が成 熟 した 後 も立 枯 れ 状 態 で畑 に放 置 し,房 だ けを 摘 取 し た。 房 は天 日乾燥 させ,草 葺 で 編 枝 壁 の 小 舎 に収 納 し保 存 した(写 真2)。 防 虫 用 に化 学 薬 剤Malatonが 使 用 され た 。 白 と う もろ こ しは 調 理 また は売 却 時 に房 を 袋 詰 め し,棒 で 打 っ て 脱 粒 さ せ た 。 大 量 売 却 の 際 は 穀 粒90kg詰 の ビ ニ ー ル 袋 に 収 め た 。 収 穫 量 は 施 肥 の 有 無,量 で 相 違 した 。 ブ タ リ付 近 で 上 述 の 施 肥 を 実 行 す れ ば ・ 1エ ー カ ー 当 り18〜24袋 分 の 収 穫 が 望 め た 。 他 方,施 肥 皆 無 の 場 合 は1エ ー カ ー で9
〜12袋 が 収 量 で あ っ た 。 カ カ メ ガ 県 全 体 で は,1986年 度 の 白 と う も ろ こ し作 付 け が 約 10万 ヘ ク タ ー ル(24万7,000エ ー カ ー)で,収 穫 見 込 み は170万 袋 で あ っ た 。1エ ー カ ー 平 均7袋 未 満 の 数 値 で あ る 。 ブ タ リ近 辺 と の 収 量 差 は 降 雨 量 と 土 壌 肥 沃 度 の 貧 富 に 求 め ら れ よ う 。 ブ タ リの 個 別 家 族 毎 の 作 付 面 積 は 未 聴 収 だ が,20エ ー カ ー 以 上 の 耕 地 所 有 農 家 で も,白 と う も ろ こ し作 付 け 面 積 は4〜8エ ー カ ー ど ま り で,他 に 砂 糖 き び を2〜3エ ー カ ー 栽 培 す る 程 度 で あ っ た[大 森 1986b:6‑9,20]。
カ カ メ ガ 県 産 の 白 と う も ろ こ し は 総 生 産 量 の4割 弱 が 政 府 に 売 渡 さ れ た 。 残 り は 自 家 消 費 用 に 留 保 さ れ た が,そ の う ち 相 当 量 が 非 合 法 に 売 却 さ れ た 。 と う も ろ こ し,粟
な ど 主 要 穀 物 は 統 制 対 象 と さ れ,政 府 機 関 へ の 売 渡 し義 務 化 と,生 産 地 外 部 へ の 搬 送 8)種 子 と肥料 は カカ メ ガ市 所 在 の ケ ニ ア穀物 栽 培者 協 同組合(KGGCS)支 部 で 購入 した 。 これ は組 合 員31万 人 を擁 した 全 国規 模 の組 織 で 政 府 の穀 物 ・生 産 局 の 委託 を 受 けて 白 とう もろ こ し 買 付 けを 行 な った 。 ま た 主要 都 市 所 在 の各 支 部 を拠 点 と して,輸 入肥 料,農 薬,耕 作 機 具 を手 広 く販 売 した(Dai}y Nation 1985年6月8日)。
大森 カブ ラス族農村の生業 ・技術 ・協同活動
禁 止 が 定 め られ た 。 政 府 は 白 と う も ろ こ し穀 粒90kg詰1袋 を175シ リ ン グ で 買 上 げ た 。 しか し現 実 に は 私 的 な 取 引 が 普 遍 化 して,仲 買 人 が 個 別 農 家 を 訪 ね,少 量 ず つ 買 い 集 め た 。 農 民 は 政 府 買 付 け 機 関 所 在 地 ま で の 搬 送 困 難 と,代 金 支 払 遅 延 を 好 ま ず, 非 合 法 な が ら 私 的 取 引 に 応 じ た 。 仲 買 人 の 買 付 け 価 格 は,需 給 に 従 い,収 穫 期 の11月 末 に は1袋165シ リ ン グ,ま た 収 穫 直 前 に は240シ リ ン グ と 変 動 した 。 仲 買 人 の 出 荷 先
は 東 方 の リフ トバ レ ー(RifヒValley)お よ び 南 方 の キ ス ム(Kisumu)で あ っ た 。
3) 生 計 維 持 の 問題 点
ブ タ リ住 民 の生 活 は 白 と う もろ こ しを 軸 に した 農耕 で 基 本 的 に方 向 づ け られ た 。 東 ア フ リカの 数年 来 の 旱越 は多 少 の収 量 減 を導 い た ものの,深 刻 な生 活 難 を生 じさせ な か った 。 往 古 か ら繁 茂 した大 森 林 の有 機 質 の土 壌 内残留 と潤 沢 な 降 雨 量 が,こ れ まで の と ころ住 民の 食 糧 供給 を保 証 して きた 。 生 活 の 安定 化 は欲 求 の 多様 化 を育 み,生 活 基礎 施設 の 整 備,教 育 と 就労 の 機 会拡 大,個 人 的 才覚 発揮 へ の願 望 を 強 め る。 新 聞 ・
ラ ジオが 媒 介 す るマ ス コ ミ情 報,都 市 へ の 出稼 ぎあ るい は一 時 訪 問,学 校 教 育 が この よ うな願 望 を増 幅 す る。 しか しその 実 現 は容 易 で はな い。 新 た な知 識 技 能,学 歴, 資格 を え て,機 会 取 得 に 努 めね ば な らな い 。 資 金 面 で余 裕 の な い僻 地 住 民 は 個別 の努 力 に依 らず,互 助 協 力 に 解 決 の途 を見 出す ほか な い。 ハ ラ ンベ ー事 業 と婦 入 グ ル ー プ の 活 動 は,住 民 の欲 求 多 様 化 に 取組 む積 極 的 な 対応 策 とい え よ う。
農 民 の 生 活 向 上 に有 用 な施 設 の 充足 度 を,組 織 的 に検 討 した 事例 が あ る9)。 大別 す れ ば医 療 ・保 健衛 生,学 校,生 業(農 牧 漁 業)指 導 助 成,通 信 運輸,販 売 お よび 消 費 の 便 宜 供 与 で あ る。 指 摘 され た諸 施設58種 類 の う ち主 要 な もの の存 否 を 大 字 ブタ リに つ い て照 合 した 。 銀 行 出張 所,郵 便 ・電 話 取 次 所,映 画 館,生 産 物加 工 工 場,協 同組 合 事 務 所 は ブタ リで は欠 落 した 。 しか し他 の 諸 施設 は ほぼ 完 備 した 状況 が見 られ た 。 ブタ リの既 存 施 設 に は再 臨 派(Seventh Day Adventist)教 会付 属 の 学 校 と診 療 所, 私 営 診 療所 兼 薬 局,調 理 用給 水 ポ ンプ,公 立 小 中 学校,フ レ ン ド派教 会,家 畜 薬 浴 場,化 学肥 料 ・薬 剤 販売 所,路 線 バ ス ・乗 合 乗 用 車運 行,自 転 車 と ラ ジオ の各 修 理 店,製 粉 所,新 聞委 託販 売 所,食 品雑 貨 店,肉 屋,パ ン屋,茶 店,酒 店 が あ った。
これ ら常 設 施設 に加 え て,毎 週2日 開 催 の露 天 市 で 衣 料,金 具 寝 具,家 畜 の 売 買 が あ っ た。 欠 如 した 施設 の うち 郵 便 ・電 話 取次 所 は 南方4kmの 郡 庁 所 在 地 マ ラヴ ァ 9)政 府 の要請を受 けてナイロビ大学開発研究所(Institute fbr Development Studies)が,1968 年 に施行 した。ケニア各地の37行政村 を対象に農村開発の指標 と見な した諸施設 の有無 を58項 目にわた って調査 した[HE四R 8̀αム 1978:V‑Vi,411。 調査は行政村を単位 に施行され,単 一 の大字 との比較 は不当とも見えるが,す でに17年経過後で もあり,そ の間の全般的な生活水 準向上を考 えてあえて検討の枠組 に加えた。
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国立民族学博物 館研 究報告別冊 12号 (Malava)で 利 用 で きた。
ブタ リで は以 上の 現 況 か ら,生 活 基礎 施設 が一 応 の 水準 まで 整 備 され た と見 て よい 。 しか し教 育 と就労 の 機 会供 与 は,望 ま しい 目標 に は まだ と うて い到達 しなか った。 と くに既 設 の小 学校 は大 字 ブ タ リの 南 寄 り区域 に あ って,西 お よび 北 方 区域 居 住 の幼 小 児 童 の 通 学 に は不 便 と危 険 が伴 った 。 全 国 的 に見 れ ば ケ ニ アの 児 童 就学 率 は高 く, 1985年 に は1万2,500の 小 学校 に450万 人 が在 籍 した 。 同齢 者 集 団 と して5歳 以 上14歳 以 下 の 男女 を採 る と456万 人(1979年 セ ンサ ス)で,そ の うち393万 人 の小 学 校 在籍 者 は全 体 の86%を 占 めた。 しか し1980年 度 で は,1年 次 生90万6,000人 に 対 し,最 高学 年 の7年 次生 は35万1,000人 で,高 学 年 進 級 以 前 に 中途 退 学 者 が多 数 出た 。 同年 度 の初 等 中学校1年 次 在 学 数 は11万2,000人 あ る と こ ろか ら,小 学 校 卒業 者 の 約3割 が進 学 を 果 す こ とに な る(Kenya Uhuru Factbook l985‑1986:4,109)。 この数 値 か ら見 れ ば,同 齢 者 集 団 の4人 に1人 が 小 学校 を 卒 業 し,12人 に1人 が初 等 中学 校 へ 進 学 し た 。小 学校 卒 業 者 の 就職 状 況 は厳 しい。1985年 で は小 学 校 卒業 者 約40万 人 に 対 し,就 職 可 能 な人 数 は6万5,000人,全 体 の15%に す ぎ なか った(Daily Nation紙,1985年
5月23日)カ カ メガ 市近 在 で は,初 等 中学 校修 了者 も就 職 決定 まで 数 年 間 待機 す るの が 通例 で あ った 。
ケ ニ アの 人 口急 増 は深 刻 な 経済 困難 を 招 来 させ た。 総 人 口 は1964年 に900万 で あ っ た が,1973年 に1,250万,1983年 に1,878万 と上昇 した。 人 口増加 率 は2.1%に 達 した。
カ カ メガ 県 で はす で に1979年 に人 口密 度 がlkm2当 り295人 に な り,人 口増加 率 も全 国平 均 を 越 え る2.79%を 示 した。 ブ タ リ近 辺 で も将 来 の 耕 地不 足 が予 測 され,子 女 の 就職 条 件 有 利 化 の た め学 歴,資 格 獲 得 が 必 要 と感 じられ て きた。 しか し政 府 は青 少 年 人 口膨 張 に伴 う教 育 関係 支 出増 大 に苦 しみ,親 の直 接 経 費 負担 の比 重 を 増 す ほか な く な った。 す で に1968年 で さえ も,カ カ メガ県 を含 む14県 で,年 間予 算 額 の60%以 上 が 小 学 校 教 育 経 費 で 占 め られ た[HEYERθ 彦α」.1978:29;UPRDS l986:9]。 小 学 校 の授 業 料 は段 階 的 に免 除 枠 が拡 大 され た が,そ の 結 果 進 学者 増 加 に伴 う教 員人 件 費 の 負 担 加 重 を 生 み,教 育 施 設拡 充 面 で の父 母 の 自助 努 力 要請 が さ らに強 ま った。 他 方 父 母 側 も,施 設 拡 充 に伴 う寄 付金,教 材 費,制 服 購 入 費 な どの 出費 に応 じる ほか な く, さ らに子 女 の 初 等 中学 校 進 学 の 場合 には,年 間授 業 料2,000シ リング 以 上 に加 え 給 食 費 また は寮 費 を 合 わせ て 支 払 う必 要 が生 じた。 これ らの 教 育費 支 出 に見 合 う所 得 は, 耕 地 や牛 多 数 保有 の 資産 家,公 務 教 職 従事 者,手 工 業 また は交 易 に携 わ る者 以 外 に は 得 がた い 状 況 で あ った。
カ ブ ラス 族 独 自 の 壺製 作 はす で に廃 れ,最 近 は炊 事 用,水 ・穀 物 貯 蔵 用容 器 もマ ラ
大 森 カ プ ラ ス族 農 村 の 生 業 ・技 術 ・協 同 活 動
ゴ リ(Malagori)族 製 品 の 購 入 使 用 が 広 ま っ た 。 ブ タ リに は 特 産 工 芸 品 や 装 飾 品 の 製 作 も な か っ た 。 わ ず か に 地 元 職 人 が 机,椅 子 な ど 簡 易 家 具 什 器,あ る い は 家 屋 新 改 築 時 の 入 口 や 窓 の 枠 お よ び 扉 の 取 付 け を 委 託 さ れ 製 作 す る だ け で あ っ た 。 家 具 木 工 職 人 は 全 国320余 校 の 技 芸 専 門 学 校(polytechnic)で2年 間 履 修 し,専 業 職 人 の も とで 徒 弟 修 業 の 後,技 能 検 定 試 験 に 合 格 す る と 専 業 化 で き た 。 そ の 期 間 中 に 必 要 な 工 具 を 購 入 し顧 客 を 獲 得 し た 。 ブ タ リ在 住 の チ ル イ(Ghiluyi,男1961年 生)は,近 郊 の 技 芸 専 門 学 校 修 了 ま で に 授 業 料2,000シ リ ン グ を 納 付 し,工 具 一 式 購 入 に3,500シ リン グ を 支 払 っ た 。 す で に 技 能 検 定 に も 合 格 し た が,家 具 木 工 所 開 設 資 金 が 蓄 え ら れ ず,父 親 の 農 耕 を 手 伝 う か た わ ら,家 具 什 器 製 作 を 続 け た 。 近 隣 の 顧 客 数 も次 第 に 増 加 した が,市 販 の 工 場 製 品 と の 競 合 で 販 売 価 格 が 抑 制 さ れ,収 益 は 僅 少 に 留 ま っ た[大 森 1986b:
10‑12]。
交 易 従 事 の も っ と も簡 便 な 方 策 は,ブ タ リ交 易 セ ン タ ー の 定 期 露 天 市 で の 販 売 で あ っ た 。毎 週 月 曜 と 火 曜 に 市 が 立 った 。交 易 セ ン タ ー は 県 地 方 協 議会(Municipal Coun‑
ci1)が 管 轄 し,露 天 市 で の 販 売 者 か ら 日額5‑10シ リ ン グ の 許 可 料 を 徴 収 し た 。 家 畜, 衣 料,青 果,乾 魚,塩,灯 油,日 用 雑 貨 が 取 引 き さ れ た 。 家 畜 と青 果 は 地 元 住 民,他 は 主 と して 専 業 商 人 が 販 売 に 当 っ た 。 住 民 個 人 の 出 荷 量 も 収 益 も僅 か で あ っ た が,専 業 商 入 の 取 扱 い 量 と利 益 は大 き か っ た 。 ブ タ リ在 住 で 農 耕 の か た わ ら,干 し魚 の 仲 介 販 売 に 携 わ る専 業 商 人 が い た 。ケ ヤ(Keya,男1943年 生)は バ ス と 乗 合 乗 用 車 利 用 で 毎 週
2回 南 方160kmの ヴ ィ ク ト リア 湖 畔 まで 仕 入 れ に 通 った 。 ナ イ ル パ ー チ(Ombuta) の 乾 魚 の 代 金 と 交 通 費 と もで 毎 回2,300シ リ ン グ を 用 意 した 。 粗 利 益 は 仕 入 値2,000シ
リ ン グ の25‑30%あ っ て,諸 経 費 控 除 後 の 月 収 は 平 均2,000シ リ ン グ で あ っ た 。 大 学 卒 業 者 初 任 給 あ る い は 小 学 校 教 員 俸 給 に 近 い 所 得 で あ っ た 。
ブ タ リ交 易 セ ン タ ー の 常 設 商 店 経 営 者 は さ ら に 有 利 な 収 益 を 挙 げ た 。 チ テ ィ ア ヴ ィ (Chitiavi,男1944年 生)は 約40 m2の 店 内 に 食 品 雑 貨70品 目 以 上 を 揃 え て 営 業 し た 。 全 品 買 取 り 制 の た め 仕 入 資 金 は9,500シ リ ン グ 必 要 で あ っ た 。1985年9月 と10月 の 月 間 売 上 高 は,1ケ 月 平 均 で1万2,280シ リ ン グ に 達 し10)純 益 は1ケ 月 平 均3,220シ リ ン
グ で あ っ た 。 個 人 営 業 者 は,政 府 の 自 営(selFemployment)奨 励 策 も あ っ て,ラ イ セ ン ス 発 行 手 数 料 以 外 に 所 得 へ の 課 税 は な か っ た 。 好 条 件 の 就 職 に は 多 額 の 教 育 投 資 が 必 要 だ が,専 業 職 人,商 人 の 自 立 自 営 に も相 当 な 資 金 準 備 が 不 可 欠 で あ る 。 自 営 業 者 へ の 公 的 機 関 の 融 資 も あ る が,年 利14%以 上 の 高 利 率 で,営 業 不 振 時 に は 返 済 不 能 に 10)経 営 者(男 性,1944年 生)は ナ イ ロ ビ市 内 の米 国企 業 で10年 間 経 理事 務 を 執 り,帰 村 後 大字 の長 を6年 間 勤 めた 。 商 店 経営 は1985年9.月 に始 め たが,収 支 明細 を克 明 に記 帳 して お り,こ れ らの数 値 が 提示 され た 。