社会主義国家ルーマニアにおける民族と宗教 : 民 族表象の操作と民衆
著者 新免 光比呂
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 24
号 1
ページ 1‑42
発行年 1999‑09‑30
URL http://doi.org/10.15021/00004105
社 会主 義 国家 ル ーマ ニア にお け る民族 と宗 教 民族表象の操作 と民衆一
新 免 光 比 呂*
Nationalism and Christianity under the Socialist State Romania
Mitsuhiro Shimmen
社 会 主 義 体 制 崩 壊 後 の 旧 東 欧 社 会 に お い て 民 族 主 義 や 宗 教 の 影 響 が 大 き く な った ばか りで な く,こ の 両老 が 相 互 に 深 く結 び つ い て 対 立 や 紛争 の な か で大 きな 役割 を果 た した こ とは 西 側 の人 々に 驚 きを 与 え た。 しか し,旧 東 欧 の社 会 主 義 体 制 下 で は社 会 主 義 イ デ オ ロギ ー が社 会 を 表 層 で は 支 配 して い た もの の, 実 際 に は民 族 主 義 が 社 会 的 に大 きな影 響 力 を も って い た の で あ る。 旧東 欧 諸 国
の ひ とつ であ るル ー マ ニ ア も例 外 で は な か った 。 社 会主 義 体制 下 に お い て民 族 に関 す る表 象 お よび そ の 言説 が社 会 の な か で 支 配 的 で あ り,一 方 キ リス ト教 も 民 族 的 伝 統 を 代 表 し,民 族 的価 値 を肯 定 す る か ぎ りで肯 定 的 な評 価 を保 って い た 。 こ の こ とが 意 味 す るの は,も とも と民族 に 限 定 され ず普 遍 的 な立 場 に立 つ はず の キ リス ト教 や 国 際 間 の階 級 的 連 帯 に立 脚 して 国家 や民 族 を否 定 す る社 会 主 義 思 想 が,実 際 に は 民族 的感 情 や 民 族 理 念 を 強調 す る 民族 主 義 的 立 場 に近 づ
いて いた とい う事 実 で あ る。
本 稿 では こ う した 共 存 の し くみ を説 明 す る た め に,ス タ ー リ ン批 判 以 後 の 政 治 的 危 機,お よび 民 衆 の 日常 生 活 に お け る戦 略 的行 為 が生 み 出 した 社 会 主 義 体 制 の危 機 に 対 して,共 産 党 指 導 部 が 行 っ た 民 族 表 象 の 操 作 とそ の 効 果 に 注 目 す る。 そ の 具 体 的 手 段 と して党 指 導 部 が利 用 し よ う と した のは 聖 職 者 と知 識 人 であ り,そ の 求 め に応 じて聖 職 者 や 知 識 人 は社 会 主 義体 制 下 で の従 属 的 な役 割 を 受 け 入 れ た 。 党指 導 部 が こ の操 作 を 行 った 理 由 は,ル ー マ ニ ア社 会 に お け る 戦 前 か らの 強 い 民族 主 義 的 な傾 向 と民 衆 へ の キ リス ト教 会 の 大 きな 影 響 力 に あ った 。 民 族 主 義 は第 二 次 大 戦 後 は 抑 圧 され,キ リス ト教 も ス タ ー リン主 義 体 制 の も とで 弾 圧 され た が,い ぜ ん と し て強 い影 響 力 を保 持 して いた 。 ス ター リ
ソ批 判 以後 の政 治 的危 機 を の りこえ るた め に ソ連 か ら の 自立 の 道 を 選 ん だ 党 指 導 部 は,独 自の社 会 主 義 体 制 を 確 立 す るた め に 国 内統 合 の原 理 と して 民 族 主 義
国立民族学博物館民族社会研究部
Key Words : socialism, nationalism, Christianity, national representation
キ ー ワ ー ド:社 会 主 義,民 族 主 義,キ リス ト教,民 族 表 象
1
とキ リス ト教 を 利 用 しよ う と した ので あ る。 ただ し,こ れ ら聖 職 者 や知 識 人 も た だ一 方 的 に 受 動 的 に操 作 され た わ け で は な く,主 体 的 な戦 略 を も って い た。
聖 職 者 はキ リス ト教 に民 族 的伝 統 を 代 表 させ る こ とに よ っ て社 会 的 な 影 響 力 を 増 大 させ,知 識 人 は党 指 導 部 との言 説 のヘ ゲモ ニー を競 う とと もに 知識 人 共 同 体 の 内部 で も競 合 す る こ とに よっ て,結 果 と して伝 統 的 な民 族 的 言 説 を 強 化 し た。 さ らに 民 衆 も民 族 主 義 とキ リス ト教 を 利 用 す る党 指 導 部 の プ ロパ ガ ン ダに よっ て操 作 され て いた ばか りでは な く,生 活 上 の必 要 に迫 られ て民 衆 が 選 択 し た 戦略 は,党 に よ る社 会 的 支配 の効 力 を 弱 め た 。 一方,石 油 シ ョ ックの 影 響 に よる経 済 発 展 の挫 折 は,発 展 を約 束 す る社 会 主 義 イ デ オ ロギ ー の建 前 と して の 根 拠 す ら失 わ せ,党 指 導 部 は対 外 的 緊 張 や 民 族 主 義 に い っそ う依 存 せ ざ るを>x な くな った 。 こ う して,政 府 が行 った民 族 表 象 の操 作 は,そ の意 図を こえ て 民 族 主義 が社 会 の支 配 的 な 思想 とな っ て,社 会 主 義 とキ リス ト教 の共 存 を 可 能 に
す る結 果 を もた ら した ので あ る。
People in the West were surprised when they recognized, after the collapse of communist regimes, the fact that nationalism and Christi-
anity, intermingling with each other, had had a strong influence on East European societies. But in fact nationalism had been strong even under socialist societies. Romania is not exceptional. Under the communist regime, the state ideology tended to emphasize the national representa- tion and its discourse. Although Marxism-Leninism insisted on athe- ism, Christianity could coexist with it in Romania as long as it was
supportive. This means that both socialism and Christianity empha- sized the ethnic consciousness in Romanian society. As a result, con- tradictory ideologies, such as Christianity and socialism actually sup- ported each other through nationalism.
In this paper, I explain how such contradictory ideologies could
have coexisted in Romanian society by focusing on the communist par-
ty's manipulation of national representations and its effects in economic
and political crisis. The clergy and intellectuals were utilized for
legitimizing socialist ideology and they were not so resistant. The reason
the communist party carried out this manipulation was that nationalism
and Christianity had been so influential in Romanian society. Although
at the beginning of the communist regime, the communist party, obeying
Stalinism, suppressed national ideas, it chose an independent policy
from the USSR after de-Stalinization and decided to revive nationalism
as an alternative ideology for rule. The Church was useful for the same
purpose, too. While the communist party tried to put the clergy and
intellectuals under its control, they did not just acquiesce but reacted
strategically to this. The clergy tried to strengthen their power by
positioning Christianity at the center of the national tradition. The
intellectuals opposed the hegemony of the communist party by leading nationalistic discourse. On the other hand, the masses also reacted strategically according to their needs. Their survival strategy in everyday life weakened the rule of the centralized government. Besides , the oil shock prevented the economic plan from achieving its goals. The economic crisis deprived the socialist ideology of the credibility of the people. The communist party became more dependent on the national ideology for integrating people into the socialist state.
1は じめ に
2ル ーマ ニア近 代 国 家 に お け る 民族 表 象 2,1独 立 運 動 期 の 民 族表 象 と西 欧 2.2戦 間期 にお け るキ リス ト教 と右 翼 急
進 主 義 との 結合 と民 族 表 象 2.3社 会 主 義運 動 と民 族 表 象
3社 会 主 義 体 制 下 に お け る政 府 に よ る民 族 表象 の活 性 化 と民 衆
3.1「 民 族 」 の 抑圧 か ら 「民 族 」 の 復 権
へ3.2民 衆 の慣 習 的 行 為 に対 す る キ リス ト 教 の影響 力
3.3民 衆 の生 活戦 略 とそ の影 響 3.4民 族 表 象 の活 性 化 に よ る効 果 と限 界 4お わ りに
1は じ め に
旧東 欧 にお け る社 会 主 義 国 家 の ひ とつ で あ った ル ーマ ニア は,1960年 代 か ら1970年 代 に か け て チ ャ ウ シ ェス ク大 統 領 の指 導 の も とで 国外 に お い て は 中立 外 交 あ る い は
「 東 欧 の 異端 児」 とい う言 葉 で 示 され た 自主 独 立 路 線 を華 や か に 誇 示 す る一 方,国 内 では くまな く張 り巡 ら され た秘 密警 察 組 織 と密 告制 度 を通 じて 全 国 民 を 監 視下 に お い て厳 しい締 め付 け を 行 って い た 。監 視 の 目は す べ て の民 族 に 向 け られ て い た が,と く に ハ ン ガ リー系 少 数 民 族 に対 して は積 極 的 な 同化 政 策 が進 め られ1),派 手 な 外 交 的 パ フ ォーマ ンス を好 ん だ チ ャ ウ シ ェス ク大 統 領 に と って は不 本 意 な 西 欧 諸 国 か ら の しつ よ うな不 信 の原 因 とな って い た。 こ の少 数 民族 に対 す る同 化政 策 に歩 調 を あわ せ るか の よ うに ル ー マeア 民族 主 義 は 積 極 的 に 公認 され,さ ま ざ まな 民族 主 義 的 な文 化 活 動 が奨 励 され た 。 この傾 向 は外 国人 向 け の文 化 活 動 に お い て も顕 著 で あ り,筆 者 も参 加 した ル ー マ ニ ア各 地 の 大 学 で の 夏期 セ ミナ ー に お い て 参 加 者 た ち は 滞 在 中 の行 動 や ル ー マ ニ ア人 研 究者 との討 論 の 内 容 に さ まざ ま な制 約 を 感 じて い た に もか か わ らず, 民 族 の伝 統 と文化 に 関わ る事 柄 に つ い て は 自由に 議 論 す る こ とが で きた 。 そ れ ど ころ
3
国立民族学博物館研究報告24巻1号 'か ,む しろ積 極 的 に議 論 す る よ うに しむ け られ た とい え るだ ろ う。 民 族 の伝 統 文 化 と
そ の価 値 の強 調 とい う範 囲 内 で 自由を 享 受 す る こ とが で き る とい う点 で は 宗教 もまた 例外 で は な く,筆 者 は ル ーマ ニアが 宗 教 活動 に制 限 を加 え る社 会 主 義 国 家 で あ る とい う先 入観 を も って 訪 問 して いた が,実 際 の と ころ は ル ーマ ニ ア正 教 会 の 教 会 を 自由に 訪れ た り,司 祭 と話 す こ と もで きた 。 ソ連 の宗 教 政 策 や レー ニ ンの戦 闘 的無 神論 な ど に み られ る社 会 主 義 的 な建 前 とは 大 き く異 な り,ル ー マ ニ アの宗 教 に 関 す る事 情 は意 外 な ほ ど開放 的 な印 象 を与 えた 。 しか しそ の後,ル ー マ ニ アに存 在 す る さ ま ざま な宗 派 の実 情2)を 知 ってか らは,こ の よ うな見 方 は 当然 変 わ って いか ざ るを え な か った 。 す なわ ち,ル ー マ ニ アの社 会 主 義 体 制 下 に お い て は民 族 的 本 質,民 族 的 誇 り,民 族 的 独立 な ど民 族 に 関 わ る言説3)が 社 会 の な か で支 配 的 であ り,宗 教 もまた 民族 を肯 定 す る限 りで体 制 と共 存 で き るの だ とい うこ とが筆 者 に も理 解 され て い った の で あ る。
宗 教 と民族 と の間 の深 い親 和 性 は,共 産 主 義体 制 が崩 壊 して か らも旧 社 会 主 義 国 に お い て 民族 紛 争 を 通 じて示 され た 。 た とえ ば 旧 ユ ー ゴ紛 争 に お い て,同 じキ リス ト教 の な か で もカ トリ ックで あ る ク ロアチ ア人 とセ ル ビア正 教徒 で あ る セル ビア人 の激 し い対 立 に よ って 宗 教 が 民 族 的 ア イ デ ン テ ィテ ィを 強 く規 定 して い る こ とが 明 らか と な った し,そ の後 の ボス ニア紛 争 に お い て は キ リス ト教 徒 で あ る ク ロアチ ア人,セ ル ビア人 とイ ス ラ ー ムを奉 じ るモ ス レム人(ボ ス ニア人)と の宗 教 と民 族 を 機 軸 とす る 三 つ 巴 の対 立 の図 式 が鮮 明 とな っ て,さ らに それ が強 く認識 され た。 この 事 態 は,本
来,民 族 を超 え るは ず の社 会 主 義 思 想 や キ リス ト教 が 実 際 に は民 族 的 感 情 とい うもの に大 き く制 約 され て い る こ とを 示 して い た。 この よ うな体 制崩 壊 後 の東 欧 に お け る宗 教 と民 族 の復 活 とい う現 象 の原 因 と して,土 着 的 な原 理4)で あ る民 族 主 義 や 宗教 に対 抗す る 「 普 遍 主 義 」 が 脆 弱 であ る こ とが 指摘 され て い る(南 塚1992)。 東 欧 革命 後 の 民族 主 義 の高 ま りは,社 会 主 義 体 制 下 に お い て反 体 制 的 だ った民 族 主 義 的 運 動 が社 会 主義 へ の対 抗 イ デ オ ロギ ー とみ な され,民 衆 の反 体 制 的 エ ネ ル ギ ーがそ こへ 流 れ こん だ た め で あ る と も考 え られ るが,い ず れ にせ よ,民 族 主 義 や 土着 化 した キ リス ト教 な どの 「 土 着 主 義 」的 な原 理 に も とつ くイ デ オ ロギ ー に対抗 す る 「 普 遍 主 義」的 思想 が, 体 制 崩 壊 後 に建 前 と して の社 会 主 義 イ デ オ ロギ ー失 墜 後 の社 会 に お い て民 衆 に働 きか
け る 力 を失 った こ とが民 族 紛 争 を 激 化 させ た とい うの であ る。
そ もそ も 「 普 遍 主 義」 的 思 想 と して の 社会 主 義 イ デ オ ロギ ーが 問題 を 抱 えて い た こ
とは,ソ 連 社 会 主 義 の 民族 化 の なか に み る こ とが で き る。 ス タ ー リンに よる大 粛 清 と
ソ連 中心 の社 会 主 義 の形 成 に よっ て国 際主 義 を かか げた は ず の社 会 主 義 は 民 族 化 し,
周 辺 衛 星 国 は従 属 的 な支 配 下 にお か れ た 。東 欧 各 国 に おけ る社 会主 義 もス タ ー リン主
義 へ の従属 か ら脱 却す るプ ロセス で しだ い に独 自 の民 族 色 を 強 め て い った 。 ロシ ア民 族 中心 主 義 的 な社 会 主 義 は,表 向 きは 国際 主 義 の原 則 に た って 各 国 の社 会 主 義 に お け る民 族 的 な傾 向 を厳 し く抑 圧 した が,そ れ は 逆 に そ れ ぞ れ の 民族 の ソ連 に対 す る反 感 を 強 め,後 の抵 抗 運 動 の原 動 力 とな った 。共 産 主 義 が 崩 壊 した とき,そ の イ デ オ ロギ ー が 覆 い 隠 して い た ソ連 へ の 抵 抗 の核 心 と して の民 族 主 義 が姿 を現 した の も当 然 で あ ろ
う。
旧 東 欧 の社 会 主 義 国 の なか で もル ー マ ニ アは伝 統 的 に 国民 の深 い宗 教 性 が 顕 著 で, か つ 民族 的言 説 が 強 くみ られ た 国 家 で あ った 。 ル ーマ ニア に お い て支 配 的 な 宗 教 で あ るキ リス ト教 は,本 来,パ ウ ロ以後 の強 い傾 向 と して世 界 宣 教 を 旨 と して 普遍 志 向 の 強 い 宗教 で あ っ た し,第 二 次 大戦 後 に支 配 的 とな った社 会 主 義 も もちろ ん 国 際 間 の 階 級的 連 帯 に依 る こ とに よ って 民族 を超>xた 国 際主 義 を奉 じた 思 想 二運 動 で あ った。 し か し,ル ーマ ニア にお いて も他 の 旧東 欧 諸 国 と同 じく社 会 主 義 思 想 とキ リス ト教 とい う 「 普 遍 主 義 」 的 思 想 が,民 族 主 義 とい う 「 土 着 主 義 」 的 な思 想 に と りこ まれ て い っ た結 果,キ リス ト教,民 族主 義,社 会 主 義 とい う異 質 な思 想 が 奇 妙 に も補 完 し合 って 共 存 す る こ とに な った 。
も っ とも,キ リス ト教 を は じめ と して 「 普 遍 主 義 」 的 原 理 を か か げ る世 界宗 教 が土 着 化 し変 質 す る こ とは 歴 史上 に多 々み られ る現 象 で あ る。 個 人 の 選 択 を 前提 とす る世 界 宗 教 が 実 際 に は 地 域 社会 に根 づ いた存 在 形 態 を とる とい うこ とは,宗 教 を人 々 の現 実 に お い て理 解 す る民 族 学 者,社 会 学 者 に と って 明 白 な事 実 で あ ろ う。 「 純 粋 」 な世 界 宗 教 とい うもの は,事 実 上 存 在 しな い。 いか な る世 界 宗 教 の 受 容 に も地 域 的 な特 色 が 付 与 され,地 域 へ の 定着 過 程 で普遍 宗 教 も変 質 を遂 げ る こ とは 多 くの事 例 が示 して い る5)0社 会 主 義 も また 同 様 で あ り,現 実 の 制 度 と して成 立 した ソ連 に お い て 早 々 と 民 族 的 原 理 と結 合 した。 さ らに 世 界 各地 で さ ま ざ ま な社 会 主 義 の形 態 が み られ る。 そ う した 事 実 か ら判 断 す る と,思 想 体 系 あ る い は観 念 体 系 とい うもの は,抽 象 的 か つ 「 普 遍 主 義 」 的 な 原理 を 基本 原 則 とす る限 りにお い て大 衆 的 な 運 動 とな りえ な い の では な い か と思 え て くる。 土 着 化 し,あ るい は適 応 のた め 変 質 して こそ,新 た な土 地 で影 響 力 を 獲得 で き るの で あ り,そ れ ゆ え 思想 体 系 あ るい は 観 念 体 系 は個 人 や少 数 グル ー プ の 観 念 の操 作 に と どま らず 集 団 の 日常 的 な慣 習 的 行 為 のな か で そ の力 が 試 され るの で は な い か と思わ れ る。 思 想 に 関 す る評 価 には さ ま ざ まな 立 場 が あ り得 よ うが,思 想 の 営 為 もま た ひ とつ の社 会 的 現 実 で あ る な らぽ 思 想 は そ の純 粋性 ぼ か りで は な く実 際 に 人 々を動 かす 事 実 に よって も評 価 され るべ き もの で あ る。 そ の立 場 に た てぽ,狭 義 で の観 念体 系 で あ る宗 教 教 義 の な か だけ でな く民 衆 の 実 践 の な か の具 体 的 なあ り方 に も
5
思想 がそ の価 値 を 問 わ れ るの で は あ る まい か。
そ こで 本 稿 では 社 会 主 義 体 制 下 で のル ー マ ニ アを 事 例 と して,「 普遍 主 義 」 的 な観 念体 系 で あ る社 会 主 義 イ デ オ ロギ ー とキ リス ト教 信 仰 が 「 土 着 主 義 」 的 な民 族 的 価値 の主 張 へ と傾 斜 して い った 経 緯 に つ い て,と くに社 会 主 義 体 制 下 に お け る キ リス ト教 が もつ 民衆 の慣 習 的 行 為 に 対 す る根 強 い影 響 力 と,社 会 主 義 体 制 下 で の 民衆 の戦 略 的 反 応 が もた ら した 支 配 の 危 機 に 対 して社 会 主 義政 府 が取 った イ デ オ ロギ ーの土 着 化 の 試 み とそ の 限界 に焦 点 を 当 て て論 じる ことに した い。 す なわ ち,社 会 主 義体 制 は 民 衆 の慣 習 的行 為 に深 く関 わ る キ リス ト教(と くに 高位 聖 職 者)を 民 族 表 象 を 介 して と り
こん で 支 配 の正 当化 の手 段 と した 。 それ に対 して 高位 聖 職 者 の ほ うは 宗 教 に よ って民 族 の 伝 統 を表 象 させ て権 力 へ の接 近 を はか った 。 同 じ く民 族 表 象 を介 して 体 制 エ リー トは 伝 統 的 に民 族 主 義 的 な知 識 人 を と りこみ,一 方知 識人 の ほ うで も言 説 の 影響 力 の 確 保 を 求 め て権 力 に接 近 し,党 指 導 部 との言 説 のヘ ゲモ ニ ーを競 う と ともに 知識 人 共 同体 の 内部 で も競 合 し,民 族 的 言 説 を 強化 した 。 しか し,チ ャ ウ シ ェス ク体 制 の崩 壊 に よ って,支 配 を正 当化 し よ う と した 体制 エ リー トの も く ろみ は くず れ さ った 。 民衆 は物 資 の欠 乏,飢 餓,自 由 の欠 如 に苦 しみ な が ら も,計 画 経 済 に おけ る ノル マ達 成 の た め の数 字 あわ せ を 逆手 に と り,日常 的 なサ ボ タ ージ ュを通 じて抵 抗 の 拠 点 を形 成 し, 国民 の従 属 を は か る支 配体 制 を揺 るが して い った の であ る。
2ル ー マ ニ ア近 代 国家 に おけ る民 族 表 象
2.1独 立 運 動 期 の 民 族 表 象 と西 欧
ル ー マ ニ ア近 代 に お け る民 族 表 象 は,中 世 か らの オ ス マ ソ帝 国支 配 に対 す る独 立 運 動 の過 程 で 生 じた 西 欧文 明 との 関わ りが 重要 な要 素 とな っ て い る。 東 方 的 な るもの を 象 徴 す る オ ス マ ソ文化 に対 して キ リス ト教 文 明 に属 す る ア イ デ ンテ ィテ ィを確 立 す る こ と,そ れ が ル ー マ ニ ア文 化 人 に と って大 きな 課題 で あ っ た。 そ して,も ち ろ ん政 治 的 に も独 立 を達 成 す るた め に は 西 欧 国家 との 連 係 が必 要 で あ った 。 そ の た め,西 欧 国 家 と して の ア イ デ ン テ ィ テ ィを 確立 す るた め の 努 力 が ル ー マ ニア起 源 を め ぐる言 説 と な って い った。 そ の言 説 は,ラ テ ソ(ロ ー マ)主 義,ダ チ ア主 義,ダ チ ア ・ロ ーマ主 義 とい う異 な る立 場 に 立 脚 す る三 つ の仮 説 に も とつ い て主 張 され た。
第 一 の ラテ ソ(ロ ー マ)主 義 は,ル ーマ ニ アの 民 族 的 ア イ デ ソテ ィテ ィに 関 して最
初 に 唱 え られ,そ の後 も長 く継 続 した表 象 で あ った 。先 駆 者 は 「 年 代 記 者 」 とい わ れ
新免 社会主義国家ルーマニアにおける民族と宗教
る ワ ラキ ア,モ ル ダ ヴ ィアの17世 紀 の作 家 た ちで あ り,続 い て トラ ソ シル ヴ ァニア に お け る ギ リシ ア ・カ ト リック教会 の聖 職 者(「 トラ ンシル ヴ ァニア学 派 」)た ち がそ の 表 象 を普 及 させ た 。 トラ ンシル ヴ ァニ ア学 派 に よって 唱>xら れた ラテ ン主 義 は ル ー マ ニア人 の民 族 運 動 に大 き な政 治 的影 響 を 与 えた が,同 時 に それ は 同 じル ーマ ニア人 の な か に反 発 も呼 び起 こ した 。 トラ ソシ ル ヴ ァニ アで 抑圧 され る正 教 徒 は カ トリッ クで あ るオ ー ス トリア=ハ プ ス ブル グ帝 国へ の反 感 を 強 め て お り,彼 らは ロシ ア正教 会 や セ ル ビア正 教 会 な どの正 教 徒 の 国際 的 一 体 感 を いだ き,ギ リシア ・カ トリ ヅク教 会 が ハ プス ブル グ帝 国 の カ トリ ックに接 近 す る こ とに 不 信 を い だ い た ので あ る。
ダチ ア主 義 が 生 まれ る端 緒 とな る ラテ ン(mマ)主 義 か らの離 脱 は,二 公 国 の エ リー トの間 で 生 じた。彼 らの 関心 は,時 の支 配 者 との平 等 な権 利 を得 る こ と では な く, 独 立 した 支 配 を 獲得 して 自分 た ちが 高 官 へ の特 権 的 な立 場 を 占 め る こ とで あ った。 そ
のた めに 彼 らは 適切 な起 源 が 彼 らの独 立 の権 利 を 正 当化 す る こ とに 役 立 つ と知 り,当 初 は ラテ ソとい う共 通 起 源 を 独 立 の武 器 とみ な した の で あ ったが,少 数 で は あ る が ダ
チ ア起 源 を 強 調 す る者 が 現 わ れ,彼 らは よそ者 であ る こ とを ロー マ人 に 結 び つ け る よ うに な った 。 ダチ ア人 を 祖 先 とす る主 張 は ル ー マ ニ ア人 の起 源 を さ らに 千年 間遡 る こ とを可 能 に す る こ とがで き,さ らに トラ ヤ ヌス の ローマ 時代 の領 土 よ りも広 い領 域 を 主 張 す る根 拠 ともな った 。 この よ うな起 源 に関 す るル ーマ ニア の エ リー トの 対立 す る 二 つ の立 場 は,親 西欧 グ ル ー プ と土 着 主 義 グル ー プを 生 ん だ が,そ れ は 同 時 に ハ プ ス ブル グ帝 国 とオ ス マ ソ帝 国 の 支 配地 域 に よる地 域 的 差 異 に も対 応 して い た 。 オ ス マ ソ 帝 国 に支 配 され た二 公 国 の関 心 が独 立 の達 成 で あ るの に対 して,ハ プ ス ブル グ帝 国 に 支 配 され た トラ ン シル ヴ ァニ アの 関心 は 平 等 要 求 運 動 で あ ったた め で あ る。
ル ー マ ニ アが 国家 的,民 族 的 独 立 を獲 得 す る運 動 過 程 で は,以 前 に も ま して ヨー ロ ッ パ との 同盟 の た め の民 族 イ メ ー ジの操 作 が行 わ れ,ル ー マ ニア の民 族 表 象 の 西 欧 的性 格 が 決 定 され た 。 この親 西 欧 主 義 は1859年 の ラ テ ソ ・アル フ ァベ ッ トの キ リル文 字 と
の置 き換 え で 頂 点 に達 す るが,こ の よ うな西 欧 の社会,政 治,文 化 に 対 す る模 倣 は反 動 を引 き起 こ した。 親 西 欧 派 の 西 欧文 化 へ の強 い傾 斜 に反 感 を覚 え る集 団 は,そ れ を 独 自性 を もた な い模 倣 として 軽蔑 し,あ らゆ る文 化 の輸 入 に批 判 を 加 えた の で あ る。
これ らの 近 代 化批 判 論 者 が 支 持 した ダ チ ア主 義 は,当 然 の こ となが ら国 際 的 な 舞 台 よ りも国 内で 大 きな政 治 的 意 味 を も って い た。 この ダチ ア主i義は ラテ ソ主 義 と異 な り, 政 治 的 な独 立 を 意味 し,ま た 領 土 問題 に関 して も オ ース トリアや ハ ソ ガ リーの 主張 に 対 抗 す る論 理 を 構築 した。 これ らの特 色 を通 じて,ダ チ ア主義 は民 族 的 本 質 を 定義 す る作 業 の中 心 的 な観 念 とな り,1800年 代 後 半 ま で には ダチ ア主 義 は ラテ ソ主 義 に対 す
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国立民族学博物館研究報告24巻1号 る対 抗 的 言 説 とな った。
第 三 の ダチ ア ・ロ ーマ主 義 は,祖 先 を ダチ ア人 と考 え,そ の後R一 マ人 との 混血 で ル ー マ ニ ア人 が誕 生 した と考 え る もの で,い わば 二 つ の説 の折 衷 案 で あ るが,そ の政 治 的 効 果 と して は ダチ ア主 義 に 属 す る もの で あ る。 この ダチ ア ・ロー マ主 義 が社 会 主 義 時 代,と くに チ ャ ウシ ェス ク政 権 下 に お い て しだ い に重 要 なル ーマ ニ アの 民族 表 象 とな って い く。 それ は また,現 在 の議 論 に お け る中 心 的 な立 場 に もな って い る。 民 族 の起 源 とい うものは 神 話 や 伝 承 の 形 ば か りで な く科 学的 な根 拠 を 示 しな が ら政 治的 な 意 味 あ い を込 め て語 られ る もの で あ るが,ル ーマ ニア民 族 の起 源 もまた 例 外 で は な い 。 ル ー マ ニ ア民族 の起 源 を め ぐって は,と くに トラ ン シル ヴ ァニ アを め ぐって ル ー マ ニ
ア人,ド イ ツ人,ハ ソガ リー人 の 三 民 族 の それ ぞ れ の立 場 を 反 映 す る意 見 の対 立 が あ る。 もち ろ ん,そ の意 見 の 表 明 の 仕 方 は学 問 的 研 究 の成 果 とい う形 を取 って い る の で あ るが,実 際 の とこ ろ政 治 的 な意 図 は 明 白 で あ る。す なわ ち トラ ソ シル ヴ ァ ニア の領 有 に 関 す る複 雑 な事 情 に 由 来 す るの で あ るが,ど の民 族 が 先 に トラ ン シル ヴ ァニ アに 定着 した の か とい う先 住 権,つ ま り トラ ソシ ル ヴ ァ ニアに 関 して も っ と も正 当 な政 治 的権 利 を有 してい るの は どの 民族 か を争 っ て い る。 三 者 の起 源 論 の うち,現 在 トラ ソ シル ヴ ァ ニアを 領 有 して い る ル ー マ ニア人 の 説 で は ル ー マ ニ ア人 の起 源 は ダ チ ア人 と ロー マ人 の混 血 で あ る ダチ ア ・ロ ーマ人 にあ る と され る のが 一 般 的 で あ る。 それに よ れ ば 中 世 初 期 の文 献 で ブ ラ フ(Vlah)と 他 称 され て いた この 人 々が 民 族 大 移 動 の 時 期 に 山間 部 に 避 難 し,し だ い に ドナ ウ ・カル パ チ地 域 に分 散 居 住す る よ うに な り,牧 羊 と農 業 を 主 た る生 業 とす る独 自 の共 同体 を形 成 した とみ な され る。 こ の ブ ラフの 共 同体 の組 織 は,ブ ラ フ人 の法 と よぼれ る慣 習 法,ク ネ ズ(あ るい は ジ ュデ ツ)と よぼ れ る首 長,ヴ ォイ ェ ヴ ォ ドと よぼ れ る共 同体 連 合 の軍 事 的 首 長 な どか ら な り,自 由な 共 同体 であ る こ とを誇 って い たが,領 主 制支 配 の発 展 に よ って しだ い に特 権 を失 い 同 化 され てい った。 そ の なか で 国家 形 成 に成功 す る もの もあ り,そ れ が 国 際 情 勢 の 変 化 とブ ラ フ居 住 地域 の膨 張 に よって 公 国 を 形成 した ワ ラキ ア とモ ル ダ ヴ ィア で あ る。 両 公 国 は 別 個 に 発展 したが,中 世 以 来,同 一言 語 を話 す 同 族 意識 が培 わ れ て い った と さ れ る(萩 原1989)。
国 家 の 主 要 な構 成 民 族 をル ー マ ニ ア民 族 とす るル ー マ ニア 国民 国家 の 成 立 は,1859 年 の ワラキ ア,モ ル ダ ヴ ィア両 公 国 の形 式 的 統 一 に 始 ま る。1853年 か ら56年 に か け て の ク リ ミア戦 争 以前 に両 公 国 は ス ル タ ソの宗 主 権 と ロシ アの保 護 権 にあ った が,ク リ
ミア戦 争 後 の パ リ条 約(1856年)で ス ル タ ソの宗 主 権 の維 持,ロ シ ア の保 護 権 の 廃 止
が 決 定 され,ル ー マ ニ アは 西 欧 列 強 の 共 同管 理 下 に は い った。 この状 況 下,両 公 国 は
イ ギ リス と オ ス マ ソ 帝 国 の 反 対 に も か か わ ら ず ロ シ ア の 賛 成 を 得 て,ア レ クサ ソ ド ル ・ ク ー ザ の 両 公 国 君 主 へ の 同 時 選 出 と い う方 法 で 統 一 を 実 現 し た 。 こ の 近 代 国 民 国 家 の 建 設 を 可 能 に した ル ー マ ニ ア 人 の 民 族 的 自 覚 は,そ れ ぞ れ の 地 方 の 歴 史 的,社 会 的 条 件 に 応 じ て 異 な る プ ロセ ス を た ど っ た 。 オ ス マ ン帝 国 の 主 権 下 に あ っ て ギ リ シ ア 人 フ ァ ナ リオ ッ ト6)に 支 配 され て い た ワ ラ キ ア,モ ル ダ ヴ ィ ア の ドナ ウニ 公 国 で は そ の 政 治 的 支 配 へ の 反 感 が,ナ シ ョナ リズ ム の 原 動 力 と な っ た 。 そ の 主 体 と な っ た 貴 族 は 理 論 的 根 拠 を,そ の 当 の ギ リ シ ア 人 た ち が トル コ か ら解 放 す る た め に 展 開 した フ ラ ソ ス 啓 蒙 主 義 の 理 論 に も とつ い た 反 トル コ思 想 を 借 用 し た の で あ っ た(シ ュ ガ ー&レ デ ラ ー1981)。 一 方,ハ プ ス ブ ル グ 帝 国 の 支 配 下 に あ っ た トラ ン シ ル ヴ ァ ニ ア の ナ シ ョ ナ リズ ム の 基 本 的 目標 は,帝 国 内 に お け る社 会 改 革,ル ー マ ニ ア の 知 識 層 お よ び 中 産 階 級 の 政 治 的 権 利 の 強 化,農 民 解 放 な ど ル ー マ ニ ア 人 の 帝 国 内 で の 地 位 向 上 で あ っ た 。 こ の 地 方 で の 民 族 覚 醒 は,ワ ラ キ ア,モ ル ダ ヴ ィ ア 地 方 と は 異 な り,歴 史 的 に 宗 教 と 深 く関 わ って い た(Shafirl985)。 トラ ソ シ ル ヴ ァ ニ ア に お け る セ ー ケ イ 人7),マ ジ ャ ー ル 人(ハ ン ガ リ ー人),ザ ク セ ン人 の 支 配 的 三 民 族 に よ っ て 民 族 と し て 認 め ら れ な か っ た ル ー マ ニ ア 人 は,三 民 族 が 宗 教 的 寛 容 の た め に 相 互 に 公 認 し た 宗 教 に 属 さ な か っ た ル ー マ ニ ア 正 教 を 信 仰 し て い た 。 こ の よ うな 民 族 と宗 教 と の 結 合 を も た ら した 二 重 の 疎 外 の な か に ル ー マ ニ ア 人 は お か れ て い た の で あ っ た 。 ル ー マ ニ ア 人 の 一 部 は,平 等 な 権 利 を 求 め て カ ト リ ッ ク に 改 宗 し ギ リ シ ア ・カ ト リ ッ ク教 会 を 形 成 した が,そ の 結 果 は 期 待 し た ほ ど で は な か っ た 。 そ し て 大 多 数 の ル ー マ ニ ア 人 は,変 わ らず 隷 属 を 余 儀 な く さ れ て い た 。 そ の よ うな 状 況 の な か で ギ リ シ ア ・カ ト リ ッ ク 教 会 の 司 祭 に よ っ て ル ー マ ニ ア 民 族 の ラ テ ソ(ロ ー マ)起 源 が 「再 発 見 」 さ れ た8)0こ の 「再 発 見 」 は ハ プ ス ブ ル グ皇 帝 に 宛 て られ た 「ワ ラ キ ア 人 請 願 状 」 の 内 容 に も 反 映 さ れ,最 大 多 数 の 民 族 で あ る こ と,居 住 民 族 の な か で の 先 住 性 が あ る こ と な ど を 主 張 の 根 拠 と し て 政 治 的 に 利 用 さ れ た 。 こ う した 地 方 に よ る差 異 は,二 公 国 の 宗 教 が ギ リ シ ア の 総 大 主 教 に 支 配 さ れ て お りル ー マ ニ ア 民 族 を 代 表 す る も の で は な か っ た の に 対 して,ト ラ ン シ ル ヴ ァ ニ ア で は 複 数 の 民 族(ハ ン ガ リ ー 人,セ ー ケ イ 人,サ ク ソ ン 人,ル ー マ ニ ア 人)
と宗 教(カ ル ヴ ァ ソ 派,ル タ ー派,カ ト リ ッ ク,正 教 会,ギ リ シ ア ・カ ト リ ッ ク教 会) が 緊 張 を 抱 え な が ら 共 存 し て お り,宗 教 が 民 族 の 伝 統 を ア イ デ ン テ ィ テ ィ と深 く関 与
さ せ た た め で あ る と 考 え ら れ る 。
こ の よ う に ル ー マ ニ ア 近 代 に お け る 民 族 表 象 は,政 治 思 想 に お け る 西 欧 か ら の 強 い 影 響 と,オ ス マ ソ帝 国 か ら の 民 族 独 立 の 支 援 を 得 る た め の 西 欧 と の つ な が りを 確 認 す る た め の 民 族 の 起 源 探 求 の 努 力 と な り,結 局,西 欧 と の 関 係 の な か で 自 ら の ア イ デ ソ
9
テ ィテ ィ を 構 築 す る と い う結 果 に な っ た の で あ る 。
2.2戦 間 期 に お け るキ リス ト教 と右 翼 急 進 主 義 との 結 合 と民 族 表 象
戦 間期 に は い る と民族 表 象 は,反 ユ ダヤ主 義 を媒 介 と して 支配 的 な宗 派 で あ るル ー マ ニア正 教 会 と,ナ チ ズ ム の影 響 を 受 け た右 翼 急 進 主 義 とを 結合 させ る鑓 の役 割 を 果 たす ことに な った 。 この よ うに ル ーマ ニア正 教 が 政 治 と深 く関わ るの は初 め て の こ と で は な い。 ル ー マ ニア の歴 史 に お い て キ リス ト教9)と 世 俗 権 力は,多 くの場 合 非 常 に 密 接 な関 係 を結 ん で いた 。 ル ーマ ニア北 部 の プ コヴ ィナ地 方 に点 在 す る多 くの修 道 院 にみ られ る よ うに,中 世 の 封建 国 家 は キ リス ト教 を 手厚 く保 護iした 。近 代 には い って か らは 土 地 改革 を め ぐって 国 家 と教 会 は 対 立 した が,民 族 の精 神 的 支柱 と して の教 会 の地 位 は揺 る が なか った 。 第一 次 世 界 大 戦 後 に トラ ソ シル ヴ ァニ アを併 合 して 成 立 し た 「大 ル ーマ ニ ア」 国 家 に お い て も,正 教 会 とギ リシア ・カ トリ ック教 会 が 国 教 の立 場 を 占め,戦 間期 のル ーマ ニア 国家 は キ リス ト教 国家 の性 格 を 示 して いた 。 これ は 当 時 の ヨ ー ロ ッパ の風 潮 と して支 配 的 な政 治 思 想 と して の キ リス ト教 的 な理 念 を 強 調 し て お り,国 家 は特 定 の キ リス ト教 宗 派 を 保護 して いた 。 した が って ル ー マ ニ アに お い て も社 会 的 な進 出 の い ち じる しい ユ ダヤ 人 は,困 難 な立 場 に お かれ るこ とに な った。
ル ー マ ニ アに お け る ユ ダ ヤ人 は19世 紀 に ガ リツ ィア10)か ら大 挙 して 移 住 して きた
もの だ が,土 地 の所 有 が 禁 止 され た た め農 業 に従 事 す る こ とが で き なか った上,官 吏,
政 治家 へ の途 は 閉 ざ され て いた 。 そ の結 果,ユ ダ ヤ人 は 金融,商 業 や 知 的 職業 に従 事
す る こ とにな り,そ の子 弟 は 大 学 へ と数 多 く進 んだ 。 ユ ダ ヤ人 は主 に 都 市 に居 住 した
が11),農 村 に定 着 した ユ ダヤ 人 は不 在 地 主 化 した ボ ヤ ー ル(土 地 貴 族)の 領 地 の管 理
を請 け 負 った り,居 酒 屋 経 営,金 貸 し,仕 立 屋,商 人 な ど と して成 功 し,困 窮 す る農
民 か ら直 接 に反 感 を受 け る よ うに な る一 方,都 会 で は 自分 た ち の領 分 を侵 され る こ と
を恐 れ て反 ユ ダヤ主 義 を あ お るル ーマ ニ ア知 識 人 た ち の反 感 の対 象 とな った。 ところ
で,戦 間 期 の基 本 的 な 政 治 傾 向 は,産 業 資 本 の 育成 と農 民 の不 満 を 沈 静化 す る こ とで
あ った か ら,政 府 は ユ ダ ヤ人 の権 利 の制 限 を 積 極 的 に行 った 。 そ れ に対 して西 欧 を 中
心 とす る諸 外 国は 大 きな 非難 を浴 びせ た 。 他 方,民 間 の反 ユ ダヤ主 義 は,キ リス ト教
や 右 翼急 進 主 義 と結 び つ い た。 多 くのキ リス ト教 的政 治 団体 が 結 成 され,ユ ダ ヤ人 の
社 会 進 出 に反 対 した 。 そ の な か で も も っ と も影 響 力 を 強 め た の が,後 述 す る鉄 衛
団12)で あ った 。 戦 間 期 の キ リス ト教 国家 は こ うした 特 定 の少 数 民 族 に対 して敵 対 的
で あ るば か りで な く,他 方 で 国教 的 な 宗派 と対 立 す る ネ オ ・プ ロテ ス タ ソ ト系 の宗 派
に 対 して弾 圧 を 行 った。
新免 社会主義国家ルーマニアにおける民族 と宗教
キ リス ト教 と右 翼 急 進運 動 との結 び つ きは,戦 間 期 の フ ァシズ ム運 動 へ の正 教 会 の 宗 教 思想 の影 響 の なか に い ち じる しい 。1930年 代,ヨmッ パ全 域 で影 響 力 を お よぼ した権 威 主義 的体 制 は ル ーマ ニ アで は フ ァシズ ム運 動 と して の レジ オ ナ ー ル(大 天使 ミカエ ル軍 団)運 動 と して現 わ れ た 。 こ うした レジ オ ナ ール の運 動 に神 秘 的 な色 彩 を 与 え た の が,運 動 の創 始 者 コ ドレア ヌや そ の友 人 で あ り同 志 で あ る イ オ ソ ・モ ツ ァら の 思 想 で あ った。 彼 らの 思想 の核 心 は 正 教 思想 に あ った が,そ れ は運 動 の創 始 者 で カ リス マ 的影 響 力を も った コ ドレア ヌの 行 動 が正 教 的 神 秘 主 義 の 色彩 が強 か った こ とに も現 わ れ て お り,政 治 的 に は不 可 解 とされ る コ ドレア ヌの 行動 もそ こか ら理 解 され う る。
コ ドレア ヌの経 歴 を簡 単 にた ど って み る こ とに し よ う13)0まず 生 い 立 ち で あ るが, 父 ヨア ン ・ゼ レン スキ,母 マ リアの 間 に7人 兄弟 の長 男 と して生 まれ た。 父 は1910年 ニ コ ラエ ・ヨル ガ と ク ーザ に よって 創 設 され,民 族 主 義 ・反 ユ ダヤ主 義 を唱 え る 「民 主 民族 主 義 党 」 の地 方 指 導者 であ った 。 ヤ ー シ大 学 法 学部 に 入学 す る と,民 族 キ リス ト教 社 会 主 義 を 唱 え る反 共 組 織GardaConstiinteiNationaleに 加 入 した 。 一 時 ベ ル リソ大 学 へ留 学 す るが 反 ユ ダヤ主 義 学 生 運動 の緊 迫 で帰 国 し,キ リス ト教 民 族 防 衛 連 盟 に参 加 して,国 内居 住 ユ ダヤ人 に 市 民 権 を賦 与 す る憲 法修 正 に反 対 す る署 名 運 動 を 行 った。 次 に要 人 襲 撃 の 謀議 のた め ヴ ァカ レ シ ュテ ィ監獄 に投 獄 され た が,こ の 体 験 に よ って コ ドレア ヌ思 想(の ち の レジオ ナ リス ム)の 特 色 が 生 まれ た。 投 獄 仲 間 が レ ジ ウー ネ創 立 メ ソバ ーに な った。 コ ドレア ヌの思 想 的 目覚 め の 内容 は,ユ ダヤ主 義 と 闘 うた め の課 題 と して,ル ー マ ニ ア民 族 の倫 理,精 神 性 を鍛 え る こ と,政 治 屋 主 義 を 克 服 す る こ とな ど あ った。 毎 朝 行 った 監 獄 の教 会 で の礼 拝 の さい の祭 壇 の扉 の聖 ミカ エ ル の イ コ ソを 活 動 の旗 印 に決 め,FratiedeCruceを 創 設 した 。 この 活動 は 疑 似 軍 事訓 練,遠 足,ハ イ ドゥク小 説 読 書 会,儀 礼 か ら な る もの だ った。 コ ドレア ヌは 無 罪 釈放 とな り,裁 判 を 通 じて全 国的 知 名 度 を獲 得 した 。
コ ドレア ヌの運 動 が 本格 化 す る のは,1927年6月24日 の レジオ ナ ール(大 天 使 ミカ エ ル軍 団)の 結 成14)に 始 ま る。 イ オ ン ・モ ツ ァ ら5人 と と もに 幹 部 を構 成 し,さ ら に最 初 の レジ オ ナ ール15人 が契 約 して 勤 労 キ ャ ソプ設 営 な どを行 った。 大 衆 宣 伝 活 動 と して全 国 で政 治 集 会 を 開 き,反 政 治 屋 主義,民 族 意 識 覚醒 キ ャ ソペ ー ンを は った 。 運動 の発 展 に よ って エ リー ト組 織 だ け で は 運動 に手 が 回 らな くな った た め,1930年6 月 に は鉄 衛 団 を結 成 した。 この運 動 は 知 識 階級 へ の支 持 者 を 広 げ た が,そ の背 景 には 大 ル ー マ ニア にお け る小 市 民 ・イ ソテ リ人 口の増 加 に よ って 大学 生 数,進 学 資 格 者 数 が増 え,彼 らの就 業 の困難 さが 増 した こ とに あ った。 しか し,レ ジオ ナ ール の 内部 対
ノ
11
国立民族学博物館研究報告24巻1号 立 も避 け られ なか った 。 活動 の大 衆 化 た よ って先 鋭 な戦 闘 性 の鈍 化 に よ って不満 を持 つ 過 激 派 が 登 場 した 。 この よ うな 状 況 の な か で議 会 主 義 へ 傾 斜 しか け て いた レ ジオ ナ ール運 動 を劇 的 に 回 帰 させ た の が イ オ ン ・モ ツ ァの死 で あ った。イ オ ソ ・モ ツ ァは, 正教 司祭 の子 と して 生 まれ,学 生 の 時 に は クル ー ジ ュで の学 生 運 動 の リー ダ ーを務 め, レジオ ナ ール運 動 の正 教 主 義,反 ユ ダ ヤ思 想 を導 いた 。 彼 は ス ペ イ ン内戦 に参 加 して カ ソ タ ク ジ ノ将 軍 の レジオ ナ ール義 勇 隊 に 所 属 した。 イ オ ン ・モ ツ ァの戦 死 に よ って 大量 の戦 士 の加 入 ぼ か りで な く,多 くの 正 教 司祭 が正 教 会 か ら失 わ れ て いた ダ イ ナ ミ ズ ム と社 会 的 動 員 力 を 求 め て 加 入 した 。 ミル チ ャ ・エ リア ーデ,エ ミール ・シ オ ラ ン な どの知 識 人,思 想 家 も また 好意 的 発 言 を 繰 り返 した 。 イ オ ン ・モ ツ ァの予 言 者 風言 動 の 影 響 下 に あ った 初 期 の レジ ウ ー ネ の 敬 慶 主 義 が 復 活 した 。 カ ロル2世 は レジオ ナ ール へ の関 心 を も ち,そ の既 成 政 界 に 対 す る強烈 な 否 定 が 自分 の 独裁 実 現 に役 立つ と考>x,そ の大 衆 的 人 気 を 利 用 し よ うと した 。 しか し,コ ドレア ヌは これ を拒 絶 し, 政 治放 棄 とい うべ き政 治 組織 の解 散 をは か った。 コ ドレア ヌは 逮 捕 され,レ ジ オ ナ ー ル幹 部 と と もに拒 殺 され た 。
この よ うな コ ドレア ヌを 中 心 と した 鉄 衛 団 の社 会 的 背 景 は,当 時 の世 界 に おけ る時
代 状 況 の なか で捉>xる な らぽ,西 欧 全 体 に広 が った精 神 的 ・政 治 的 危機 の特 殊 ル ーマ
ニ ア的 表 現 とい うこ とが で き る(ロ ス チ ャイ ル ド1994:306)。 戦 間 期 ル ー マ ニア の
政 治,経 済,社 会 的 領 域 に は び こっ た のは 産 業 資本 家 や そ れ と結 託 した政 治家 に よ る
搾 取 や腐 敗,怠 惰,無 能 力,さ らに体 制 エ リー トの深 い シ ニ シズ ムや 西 欧 と くに フ ラ
ンス に影 響 を 受 け た 浅 薄 な コス モ ポ リタ ニ ズ ムな どで あ った 。 レジオ ナ ール運 動 の参
加者 は そ れ に反 対 して,正 義 と廉 直 と活 力,理 想 主 義 と土 着 主 義 を もた らす革 命 を 主
観 的 に は希 求 した 。 運 動 の 参 加者 に は高 等 教 育 を 受け た 知 識 人 予 備 軍 が 多 い の も特 徴
で あ り,彼 ら 自身 は 西 欧 的 な教 養 に よ って 育 まれ なが ら も論理 や 合理 主義,世 俗 主 義,
物 質 主 義 な どを 退 廃 的,破 壊 的,「 ユ ダヤ 的 」 と され る偽 物 の価 値 と して否 定 した 。
これ らの知 識 人 の傾 向 は チ ョラ ン,エ リア ーデ,ノ イ カ な ど後 に 世 界 的 に 有名 とな る
人 々の活 動 に も共 通 す る もの で あ る。 そ して 運 動 は ル ー マ ニ ア社 会 の 幅 広 い 各層 に訴
え か け る互 い に矛 盾 しか ね な い 要素 を含 ん でお り,農 民 に は 平 等 を 説 き,若 者 に は新
しい世 界 像 を描 き,ブ ル ジ ョア ジ̲yr̀は 秩 序 を 約 束 した 。 そ の 基 本 に あ った の は 当時
の ル ーマ ニア社 会 を 覆 っ てい た 民族 主 義 的 感 情 で あ り,人 々 の排 外 的,狂 信 的,反 ユ
ダヤ 的,反 資 本 主 義 的,反 マル クス主 義 的 な諸 傾 向 と深 い不 安 感 情 に 訴 えた 。 コ ド レ
ア ヌや イ オ ソ ・モ ツ ァに代 表 的 な 宗教 的 で福 音 主 義的,禁 欲 的 で 死 を 恐 れ な い 鉄 衛 団
員 の行 動 は,保 守 化 した 民 族 農 民 党 に幻 滅 した 農 民 か ら も支 持 を 得 た し,さ らに 弱 体
新免 社会主義国家ルーマニアにおける民族と宗教
で資 本 家 の 言 い な りに な る労働 組 合 に嫌 気 の差 した プ ロ レタ リアー トの 間 で も支持 を 獲 得 した 。 この運 動 は,農 民社 会 を襲 った近 代化 の衝 撃 を特 定 の少 数 民 族 す な わ ち ユ ダ ヤ人 へ と向 け て民 族 感 情 を あ お り,か つ また 大 衆 の正 教 会 へ の厚 い信 仰 心 に訴>xる こ とに よ って 大 きな成 功 を 収 め た といえ よ う。
2.3社 会 主 義 運 動 と民 族 表 象
次 に ル ーマ ニア にお け る第 二 の 「 普 遍 主義 」 的 思 想 と して の社 会 主 義 思 想 の展 開 を 民 族 表 象 との 関わ りでみ て お きた い。 戦 前 の ル ー マ ニ アに お け る社 会 主 義運 動 の歴 史 は曖 昧 で あ る(Fischer‑Galati1991:73)。 まず 政 党 に 関 して い え ぽ,1893年 に 社 会 民 主 党 が 創 設 され,1921年 に ル ーマ ニア共 産 党 が 社 会 民 主 党 の分 派 と して 誕 生 した が, そ もそ もル ーマ ニア にお け る社会 主 義 運 動 の 発 展 に は 大 きな 困難 が ともな って い た。
ル ー マ ニ アに おけ る社 会 主 義運 動 に 困難 を もた ら した第 一 の要 素 は,社 会主 義 思想 が どこ まで も外 来 の思 想 であ り,農 民 を中 心 とす るル ー マ ニ ア大 衆 の感 情 に 入 り込 む こ とが で きな か った こ とであ ろ う。 そ の傾 向 は 社 会 主 義 思 想 の導 入 の時 期 か ら始 ま っ て いた 。 す な わ ち,社 会 主 義 思 想 は革 命 的 社 会 主 義 者 で あ る ロ シア人 に よ って初 め て ル ー マ ニ アへ導 入 され た 。 これ は 民族 主 義 も同様 で あ り,と りた て て問 題 とな る事 柄 で は な い。 しか し,そ れ を もた ら した のが ロシ ア人 であ り,さ らに運 動 を 担 った者 の 多 くが 少 数 民族 や 外 国人 であ った こ とが,国 民 の 大 多 数 のル ーマ ニア人 へ の 思 想 の普 及 を 困難 に した。 大 戦 前 の社 会 主 義 運 動 を指 導 した 中心 人 物 も,ゲ レア15)と ラ コ フ ス キ.̲16)と い う二 人 の外 国人 であ った。 ゲ レ アは 民族 主 義 に 関 して は否 定 的 で あ り, 家 族 と して の 民族 の観 念 を 拒 否 し,そ れ を感 情 的 イ デ オ ロギ ー的 ユ ー トピア的虚 偽 と み な した 。 ラ コ フス キ ーは ル ーマ ニア共 産 党 の第 二 の父 と も よばれ,ゲ レアに 続 い て 社 会 主 義 運動 の発 展 に尽 く した。 彼 は民 族 主 義 的 傾 向 に も親 ス ラ ヴ的 民 族 サ ー クル に も反 対 した が,そ の反 ブル ガ リア 民族 主 義 に もか か わ らず ブル ガ リア出 生 ゆ え に ル ー マ ニ アへ の 忠誠 を疑 わ れ た 。 そ の後 の運 動 の指 導 者 や 党 員 に 関 して も,少 数 民 族 と く に ハ ソ ガ リー人 とユ ダヤ 人 が 多 く,ハ ソガ リー人 は 全 党 員 の約27%,ユ ダ ヤ人 は約 18%に 達 した。 ユ ダ ヤ人 党 員 に は ゲ レア,パ ウケ ル,ラ コ ボ ヴ ィチ,ベ ヘ ナ ウ,ブ ラ イ ネ ル,コ ブ ラー,ゴ リラ,キ シネ ヴス キ,ラ ウ ツ,ト マな どの名 前 が 挙 げ られ る。
少 数 民 族 が 多 か った のは,戦 間期 の ル ー マ ニ ア領 土 の拡 大 に よ って少 数 民 族 が 増 大 し た こ との 必 然 的 な 結 果17)で あ る と同 時 に,当 時 の大 ル ー マ ニ ア主 義 に反 発 した 少 数 民 族 の人 々に と って社 会 主 義 の 国 際主 義 イ デ オ ロギ ーが 魅 力 で あ った せ い で あ った。
地 域 的 には トラ ソ シル ヴ ァニア に お い て党 員 が 多 く,全 党 員 の36%を 占め て い た が,
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これ は この地 方 が 比 較 的 産 業 が 発 達 して お り,労 働 者 の数 が多 か った こ と と,ハ ンガ リー系 の少 数 民 族 が 多 く居 住 して お り,彼 らが 大 ル ー マ ニア 的 政 策 に 対 して反 感 を 持 って い た こ とが 原 因 と され る(Shafir1985:25)。
運動 の発 展 を 妨 げ た 第 二 の 要 素 は,1919年 に 結成 され た共 産 主義 イ ソタ ー ナ シ ョナ ル す なわ ち コ ミ ンテル ンの 存 在 で あ った。 戦 間期 に は い ってル ーマ ニア の社 会 主 義運 動 は 内部 抗 争 に み まわ れ た が,そ の原 因 は コ ミソテ ル ソ加 盟 を め ぐる対 立 であ った。
コ ミンテル ンへ 加 盟 条 件 で あ る21ヶ 条 を受 け 入れ るか ど うか で 国 内 の社 会 主 義 勢 力が 二 つ に割 れ た 。 コ ミンテ ル ン加盟 後 も こ の対立 は解 消 され ず,ル ー マ ニ ア の現状 を無 視 した コ ミンテ ル ンの指 令 が社 会 主 義 運 動 とル ー マ ニ ア人 大 衆 との間 に大 きな亀 裂 を もた ら した 。ル ー マ ニ ア共 産 党 の書 記 長 の職 も コ ミンテ ル ンの一 方 的 な指 令 に よ っ て, ク リテス クた だ一 人 を例 外 に してす べ て 外 国人 が 占め て い た。 こ う した ル ーマ ニア国 内 の社 会 主義 運 動 を共 産 党 の動 き を中 心 に して経 過 を み て み る と,第1回 ル ーマ ニア 共 産 党 大会 は1921年 に開 か れ た が,参 加者 は協 議 事 項 に 結論 を下 さな い ま まに 当局 が 大 会 を 閉鎖 した。 第2回 大 会 は ル ー マ ニア の プ ロイ エ シ ュチ で1922年 に 開催 され た 。 大 会 は 第1回 大 会 の審 議 の継 続 とと もに,コ ミソテ ル ソの課 した 規 約 を採 択,指 導 者 に ク リス テ ス クを選 出 した 。 こ の合併 後,コ ミソ テル ンの主 張 で 「 統 一 社 会 主 義 者 」 は 共産 党 か ら排 除 され,翌 年 の分 裂 は労 働 運 動 に も影 響 を与 えた 。 当時,ル ー マ ニ ア 共産 党 の民 族 的 問 題 に 関 す る政 策 に対 して ソ連 の 干渉 は い ち じる しか った 。1923年, バ ル カ ン共 産 党 連 盟 の 決議 は ラ コ フス キ ー の指 示 に よる もの で,少 数民族 の自決の権 利 を支 持 した 。 モル ダ ヴ ィ アで は,モ ル ダ ヴ ィア ・ソ ビエ ト自治共 和 国創 立 準 備 が 進 行 した。 ウ ィー ンで1924年 に 行 われ た 第3回 大 会 で は,ハ ン ガ リー人 であ るキ ェ ブ レ シ ュを指 導 者 に 選 出 し,民 族 の 自決 と分 離 の 権 利 を決 議 した 。 この決議のためにル ー マ ニア共 産 党 は ,国 内で非合 法状態におかれ ることとなった。第4回 大会は クラコフ で1928年 に 開 か れ た。 再 び党 指 導 者 に 外 国 人 で前 ウク ライ ナ共産 党 員 の ホ ロシ ュテ ソ コを総 書 記 と して選 出 した。 この第4回 大会か ら第5大 会 までの間 の党の状態は最悪 で,党 員 の 志気 は下 が り,党 員 数 が 低 迷 し,見 通 しは た た ず,民 衆 か らの 不 人 気 が い ち じる し く,内 部 では 激 しい分 派 抗 争 を く りひ ろげ た 。 な か で もホ ロシ ュテ ソ コ とパ ウケ ル との対 立 は激 し く,双 方 ともに コ ミソテ ル ンへ の 忠 誠 を誇 示 す る一 方 で ,個 人 的 な嫌 悪 と反 感 のた め に 党 内の 活 動 は麻 痺 し,1931年 まで に イ ンタ ーは 一 度 な らず 干 渉 を行 った。 第5回 大 会 は モス ク ワで1931年 に開 催 され,総 書記 に ポ ー ラ ン ド人 シ ュ
テ フ ァンス キ ーを 選 出 した 。 彼 は1934年 ま で 同職 に と ど ま り,そ の 後 は ブル ガ リア人
シ ュ テ フ ァ ノ フを1936年 に 選 出 し,続 い て ハ ンガ リー人 フ ォ リシ ュを1940年 に選 出 し
新免 社会主義国家ルーマニアにおける民族 と宗教
た 。 この 大会 では 社 会 民 主党 を社 会 的 フ ァシス トと中傷 した 。 この よ うに ル ー マ ニア にお け る社 会 主 義 運 動 は コ ミンテ ル ソの 干渉 と外 国人 の 偏 重 に よ って彩 られ て い た。
なか で も コ ミソテル ンの干 渉 で問 題 とな った の は領 土 問 題 に 関 して で あ った 。 コ ミン テル ソの反 ル ー マ ニア の姿 勢 は 明 白で,ル ーマ ニアが 関 わ る領 土 問題 す なわ ち ベ ッサ ラ ビ ア,ブ コ ビナ,ド ブRジ ャに 関 して ル ーマ ニアに 不 利 な判 断 を下 した 。領 土 問題 に 関 す るル ー マ ニ ア人大 衆 の強 い感 情 を考 慮 に入 れ な い決定 は,ル ー マ ニ アに お け る 社会 主義 運 動 が 大 衆 か ら遊 離 した 原 因 とな った。 コ ミンテ ル ンは民 族 自決 の原 則 に も とつ い て領 土 問 題 に も対 処 しよ うと した が,ル ーマ ニ アに 関 して は ブ コ ヴ ィナ18),ベッ サ ラ ビ ア19)の ソ連 へ の 割譲 とい うル ー マ ニ ア人 の民 族 感 情 に と って は と うて い受 け 入れ がた い 提 案 とな った 。 そ の た め,ル ーマ ニア大 衆 は共 産 党 を外 国勢 力 と くに ソ連 の ス パ イ とみ な して い っそ う離 れ て い った の であ る。
この よ うに ル ーマ ニ アに お け る社会 主 義 運 動 が1947年 の革 命 ま で国 内 に お い て大 き な勢 力 とな る こ とが で きな か った の は,ま ず 第 一一YY農業 が 中心 で あ る社 会経 済 的 構 造 の なか で保 守 的 な農 民 層 が 社会 主 義 を ま った く受 け 入 れ なか った こ と,第 二 に社 会 主 義,共 産 主 義 的 観 念 の 代表 者 の多 くが 非 ル ーマ ニア系 の少 数 民 族 の 出 自 で あ った こ と, 第 三 に コ ミンテ ル ンを介 した モ ス ク ワへ の絶 対 的 な 服 従 の結 果 と して伝 統 的 な民 族 的 願 望 で あ る領 土 回復 要 求 を共 産 党 が軽 視 した た め に一 般民 衆 の支 持 を失 った こ とな ど に ま とめ る こ とが で き よ う(Shafirl985:21)。 要 す る に ル ーマ ニ ア に お け る社 会 主 義 運 動 の停 滞 は民 族 的 感 情 の強 さ が原 因 であ り,こ の こ とが 革 命後 の社 会 主 義 政 権 の 推 移 に 大 きな影 響 を 与 え る こ とに な る。
3社 会主義体制下 におけ る政府に よる民族表象 の活性化 と民衆
3.1「 民 族 」 の 抑 圧 か ら 「民 族 」 の復 権 へ
前 章 で は ル ー マ ニア の近 代 初 頭 か ら戦 間 期 に い た る まで の 時期 の民 族 表 象 の あ り方 を 西欧 国家,キ リス ト教,社 会 主 義 との 関 わ りの なか で捉 え た。 本 章 では 社 会 主 義 体 制下 に おけ る民族 表 象 の活 性 化 の要 因 に つ い て民 衆 の実践 と支配 体 制 との関 係 を 中 心 と して論 じて い くが,本 節 では まず 導 入 と して社 会 主 義 体制 下 で の民 族 表 象 の 抑 圧 か ら復 権 ま での 政 治的 経 過 を概 説 す る こ とに した い。
第 二 次 大 戦 後 ル ーマ ニ アは 社 会 主 義 化 す るわ け で あ るが,そ れ まで 脆 弱 な組 織 で あ った 共 産 党 が 政 権 を奪 取 す る こ とが で きた の は ソ連 赤 軍 の存 在 に よ る も の で あ っ
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国立民族学博物館研究報告24巻1号 た。 首 都 ブ カ レス トの解 放 は ル ーマ ニブ人 自身 の蜂 起 に よる も ので あ った が,赤 軍 が ル ー マ ニ アに 駐 留 したた め に 共 産党 が主 導 権 を握 る こ とに な った 。 まず1944年 の8月 23日 の クーデ タ ーに よっ て ア ソ トネ ス クが排 除 され た 後 に サ ナ テス ク将 軍 を首 班 と し た 新 政 権 が 誕 生 したが,こ れ は共 産 党 を 中心 とす る民 族 民主 戦 線 と対 立 し,妥 協 を試 み た もの の サ ナ テ ス ク首 相 は退 陣 を余 儀 な く され た 。 続 く ラデ ス ク将 軍 を首 班 とす る 政 府 と民 族 戦 線 との対 立 は武 力対 立 に ま で達 し,ソ 連 政府 の調 停 を 受 け て ペ トル ・グ ローザ 政 府 が成 立 した 。 ル ーマ ニア共 産 党 は 国 内で 支 配勢 力 とな る こ とに 力 を注 ぎ, 選 挙 に 備 え て 民主 政 党 ブ ロ ックを結 成 した 。 選 挙 で は 民主 政 党 ブ ロ ッ クが東 方 の80%
を 獲 得 し,議 会 で民 主政 党 ブ ロ ッ クが 多 数 を 占め た。 農 民 党 と 自由党 は抵 抗 した が, 1947年 に は 閣僚 ポ ス トの す べ て を民 主 政 党 ブ ロ ックが 占 め,最 後 に 国王 ミハ イが退 位 を 強 制 され ル ー マ ニ アは人 民 共 和 国 とな った 。
こ うして権 力 を確 立 した共 産 党 の次 の ス テ ップは 労働 者 政 党 の 統合 で あ った 。 当時 56万 人 の 党員 を有 して い た ル ー マ ニ ア社 会 党 が 共産 党 と合 同 して新 党 が結 成 され,新 党 は ル ー マ ニ ア労 働 者 党 とい う名 称 を 採 用 した 。経 済 的 には 国 内 の さま ざ ま な産業 が 国 有 化 され,農 村 では集 団化 の方 向 が 進 め られ た。 変 革 は 党 組織 に 向け られ,民 主 集 中 制 を実 践 す る に 当た って の抵 抗 に 直 面 した た め に 「 党 員 審 査 」 が行 わ れ,そ の過 程 で 党 員獲 得 の責 任 者 で あ った ア ナ ・パ ウ ケル が 批判 され た 。 この 背景 には 党 内部 で の 民 族 的 な対 立 が あ り,1952年 に は そ の 対 立 が表 面化 して ヴ ァシ レ ・ル カが 党 内の ハ ソ ガ リー人 分 子 を 利 用 したか どで訴 え られ,自 己 批判 を強 要 され た あげ く大 臣 の 地位 か ら追 われ た。 これ ら一一 連 の抗 争 は,ゲ オ ル ゲ ・ゲオ ル ギ ウ ・デ ジを 中心 とす るル ー マ ニア共 産 党 の 国 内派 が モス ク ワ派 を追 い落 とす た め の権 力 闘 争 で あ ったzo) 0権 力 の基 盤 を確 立 した デ ジは1952年9月 に 新 憲 法 を 制 定 し,プ ロ レタ リア ー ト独 裁 に も とつ く ル ー マ ニ ア人 民 共和 国 の成 立 を 宣 言 した。
とこ ろ が,1953年 の ス タ ー リソの 死 さ らに は ソ連 共 産 党 第20回 大 会 とフル シチ ョ
フの秘 密 報 告 で の ス タ ー リソ批 判 が,ル ー マ ニア の政 治 状 況 に も大 き な変 化 を 引 き起
こ した。 そ の 変 化 は,い わ ば 「 制 限 付 き」21)の 非 ス タ ー リン主 義 化 と ソ ビエ ト ・ブ
ロ ッ クか ら の離脱 とな って現 わ れ た。 ソ連 か らの離 脱 とい う選択 は,も とも と脆 弱 な
支 配 基 盤 の上 に た つ共 産 党 に と って の ソ連 の支i援の必 要 性 を考>xる と大 きな 転 換 点 で
あ った 。しか し,こ の 転換 は フル シチ ョフ と対 立 す るデ ジ に とって は不 可 〉;Lで あ った 。
フル シチ ョフの 行 った ス タ ー リソ批 判 に よ って 国 内で の ス タ ー リン主 義 的 政 策 の 継 続
が 不 可 能 に な った デ ジは,そ れ まで の忠 実 な ス タ ー リン主 義者 と して の姿 か ら一 転 し
て民 族 主 義 者 へ の変 身 をは か った。 具 体 的 に は,1960年 の 第三 回 ル ー マ ニ ア共 産 党 大
会 で民 族 的 共 産 主 義 の公 式 が提 起 され,工 業 化 に対 す る民 族 的 権利 が主 張 され た こ と に よっ て明 らか とな った。 そ れ に先立 つ1958年 に ソ連 軍 の ル ーマ ニ アか ら の撤 退 を成
し遂 げ て い た こ と も,デ ジ の方 針転 換 を 可 能 に した 。 ル ーマ ニアは 人 民 共 和 国 の成 立 か ら1960年 代 の 初頭 ま で ソ連 の指示 に従 って ス タ ー リン主義 的 な強 制 的 重 工業 化 を受 け入 れ た が,コ メ コ ンに よる国 際 的分 業 体 制 を は か る ソ連 は ルrマ ニ アに 農業 部 門 の 担 当 を 求 め て きた。 そ れ に対 して デ ジは ソ連 の 意 向 を あ え て無 視 して 重 工業 化 政 策 を 継 続 した。 デ ジ 自身 の生 き残 りを かけ て の 脱 ス ター リソ主 義 化 と民 族 化 の推 進 は 成 功 を収 め,デ ジ は権 力を 手 放 す こ とな く1965年 に 死 を迎 え,そ の路 線 は チ ャ ウ シ ェス ク
に 継 承 され る こ とに な った。 ・
チ ャ ウシ ェス クは党 第 一 書 記 に指 名 され,ル ー マ ニ ア労 働 者 党 を ル ーマ ニア共 産 党 と改称 し,新 憲 法 を 制 定 し,ル ー マ ニア は社 会 主 義 共 和 国 と宣 言 した。 新 し く権 力 を 握 った チ ャウ シ ェス クは 国 内 的 には 巧 み に演 出 され た 地 方 旅 行 に よ って都 市 と農 村 の 住 民 に強 い 印 象 を 与 え,知 識 人 へ の政策 を変 更 して 彼 らを 味 方 に付 けた 。 対 外 的 に は
「民族 独 立 」 路 線 が 強調 され,ワ ル シ ャ ワ条 約 機 構 軍 に よ るチ ェ コ侵 入 を 東 欧 諸 国 で 唯一 批 判 した 。 この社 会 主 義 的 国 際 主義 か ら民 族 主 義 へ の転 換 は,ル ー マ ニ ア共 産 党 が1964年 宣 言 で ソ連 の 国際 的 分 業 計 画か ら の公 式 離 脱 と主権 国家 と しての 権 利 の主 張 を行 った こ とに よ って確 定 した 。 民族 主 義 へ の共産 党 の転 換 は,ル ー マ ニ アの 民族 的 利 害 に奉仕 す る もの と民 衆 に受 け とめ られ,党 支配 の強 化 の重 要 な支 持 要 因 とな った 。
1970年 以 降 に な る と,さ らに 権 力 の再 強 化 と個 人 集 中 が は か られ,ま た 独 自の社 会 主 義 イデ オ ロギ ー が語 られ る よ うに な った 。1971年 の党 大 会 で発 表 され た テ ーゼ はそ う
した 支配 体 制 の変 化 の兆 しを 示 す ものだ った 。続 い て1974年 の党 大 会 で は,は っき り とチ ャ ウ シ ェス クの個 人 崇 拝 と一 族 の 登 用 に よ る王 朝 的 な社 会 主 義 体 制 の方 向 が示 さ れ た。 チ ャ ウ シ ェス クの 国 内 権 力が 強 化 され る一 方,外 面 的 に は 順 調 で あ った経 済 成 長 は 第一 次 石 油 シ ョ ッ クで ゆ きづ ま り,政 権 の基 盤 の危 機 的 状 況 が慢 性 化 す る ことに な った。 経 済 危 機 は 国 内 の イ デ オ ロギ ー的 引 き締 め のた め の プ ロパ ガ ン ダの強 化 と秘 密 警 察 に よる支 配 網 の 強 化 を もた ら した が,80年 代 に は い って 国 民生 活 は危 機 的 状 況 に達 し,つ い に1989年 に 民 衆 の蜂 起 に よ って チ ャ ウシ ェス クの独 裁 体 制 は崩 壊 した 。 ル ー マ ニ アの 民 族 主義 化 に は,ソ 連 との関 係 の変 化 が 大 き く影響 した 。 スター リン 死 後 の デ ジ と フル シチ ョフの確 執 が原 因 とな って,デ ジは 伝統 的 な反 ソ感 情 とい う民 族 主 義 傾 向 を 利 用 して 自己 の支 配 を正 当化 して国 内 の 政 治 的 安定 化 を 確 保 し よ うと し た こ とが,ル ーマ ニア で民 族 主 義 が公 け に復 権 した 政 治 学 的 な説 明で あ る。 さ らに後 継 者 の チ ャ ウ シ ェス クは,マ ウエ ルた ち との権 力 闘争 の 過程 で 自由主 義 化 政 策 を と っ
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