論文の内容の要旨
氏名:福 井 雄 介
博士の専攻分野の名称:博士(歯学)
論文題名:超高齢者の健康長寿に資する因子の研究
-精神身体的健康と口腔状態との関わり-
超高齢者において身体および口腔機能の低下は,余命の損失や日常生活の自立を脅かす重要な問題とさ れており,これらの機能の低下を防ぐことは健康で自立した生活を送るために重要な課題と考える。そこ で,本研究では,東京都港区,渋谷区および新宿区に在住する自立した85歳以上の超高齢者を対象とした 健康調査を行ない,健康で長寿を得る要件は何かを歯学,医学,心理学および疫学などの観点から解析を 行った。
さらに,本研究では,前述の健康で長寿を得る因子の解析に加えて唾液中のsIgA濃度および分泌速度と コルチゾール濃度を測定し,身体機能に関する諸因子と比較することで,唾液と身体的健康状態の関連性 を検討することを目的とした。
被験者は,東京都港区,渋谷区および新宿区の住民基本台帳より無作為に抽出した85歳以上の超高齢者 から,本研究の主旨と内容,患者の権利および個人情報保護などについて説明し,健康調査への協力が得
られた147名(男性63名,女性84名,年齢85 ~ 102歳,平均年齢88.3 ± 2.6歳)である。なお,アンケー
ト未記入者および調査不可能者は,測定対象者から除外した。
本研究は日本大学歯学部(倫許2003-20)および慶応義塾大学 (NO.19-47) 倫理委員会による承認を得て 行った。また,UMIN-CTR (ID : UMIN000001842) としてUMIN臨床試験レジストリー (CTR) に登録を行 った。
口腔状態に関する調査は現在歯数,義歯の有無,歯垢・歯石の有無および最大咬合力について行った。
さらに,アンケートにてGeriatric Oral Health Assessment Index (GOHAI) および咀嚼能力を調査した。咀嚼能 力の評価は山本の総義歯咀嚼能率判定表から15種類の食品を抽出した食物摂取アンケートにて行なった。
身体能力の評価は,握力および下肢筋機能活動の項目について行った。下肢筋機能活動の測定は,歩行 速度テスト (timed Up & Go test) ,開眼片足立ち保持時間テスト (one-leg standing test) および椅子立ち座り テスト (chair standing test) を行った。
また面接にて,調査対象者の居住形態,教育歴,飲酒の有無,喫煙の有無,日常生活活動度 (activities of daily living;ADL) ,手段的日常生活動作 (instrumental activity of daily living;IADL) ,認知機能 (Mini-Mental State Examination;MMSE) および精神機能 (Philadelphia Geriatric Center Morale Scale;PGC Morale Scale) お よびWorld Health Organization -5 Well-being Index (WHO-5) について調査を行った。ADLはBarthel Indexを
用いて,IADLは,Lawton Scaleを使用して評価した。
唾液の採取は,吐唾法で行い,採取した唾液は1700 × g,4℃で20分間遠心した後,唾液量の容積を計 測し,sIgA濃度およびコルチゾール濃度の測定まで-20℃で保存した。その後の唾液中のsIgA濃度および コルチゾール濃度の測定は,酵素標識免疫測定法(ELISA法)を用いた。また,sIgA濃度 (μg/ml) と唾液 分泌量 (ml/min) の積をsIgA分泌速度 (μg/min) として表した。
統計処理には,統計用解析ソフト (SPSS 19.0) を用いた。唾液分泌量,sIgA濃度,sIgA分泌速度および コルチゾール濃度における性差についてはMann-Whitney testを用いて分析した。また,sIgA分泌速度およ びコルチゾール濃度と身体機能の各調査項目との相関を検討するために Spearman's rank correlation
coefficientを求めた。なお,統計処理は危険率5%以下を有意と判定した。
本研究における被験者の独居率は男女ともに平成25年版高齢社会白書に報告された独居率より高かった。
超高齢者の精神機能の評価のWHO-5は,東京都板橋区に在住の64 ~ 89歳を無作為に抽出し行った報告と 比べ,本研究は高い値を示した。もう一つの精神機能評価であるPGC Morale Scaleは,東京都板橋区に在
住の50 ~ 74歳を無作為に抽出し行った報告と山梨県塩山市に在住の外出可能な75歳以上を対象に行った
報告と比べ,本研究の結果は大きな相違を認められなかった。
身体能力に関する本研究の調査では,都市近郊の在住者で日常生活動作が自立している,介護保険未利
用の175名を対象に評価した報告と比べいずれの項目も低下していた。そこでADLを調査したところ,本 研究における被験者は,80歳代の在宅高齢者を調査した報告と比べてほぼ同程度であった。しかし,IADL は高値を示した。
口腔健康状態の調査では被験者の現在歯数の平均値は,平成23年度歯科疾患実態調査の85歳以上と比 べほぼ同数であった。また,第一大臼歯部相当部における最大咬合力の平均値は片顎が義歯の場合が,両 顎が義歯の場合よりも大きく,片顎でも自身の歯を持つ者が咬合力を大きく維持することが示された。最 大咬合力の大きさは,76歳を対象に本研究と同様な方法で測定した報告と比べ高い値を示した。また,本 研究での15種類の摂取可能な食品に関する聞き取り調査では,ほぼすべての食品を摂取することが可能で あった。
唾液分泌量は,15歳,35歳および55歳を対象に調査した報告と比べ本研究ではさらに低下し,加齢に 伴う減少が確認された。sIgA濃度については,65歳以上を対象にした報告および65 ~ 86歳を対象にした 報告と比べ高い値を示した。sIgA分泌速度は,平均年齢67.5 ± 7.3歳を対象にした報告および65 ~ 86歳を 対象にした報告と比較しsIgA濃度と同様に高い値を示した。
sIgA分泌速度と基本的属性,身体能力および口腔状態の各項目との相関を検討した結果は,身体機能に 関する調査ではsIgA分泌速度と握力との間に男女ともに正の相関を示す傾向が認められた。また,sIgA分
泌速度とtimed Up & Go testとの間に男女ともに負の相関を示す傾向が認められた。さらに男性はsIgA分泌
速度とchair standing testとの間に正の相関を示す傾向が認められた。口腔状態に関する調査ではsIgA分泌
速度と唾液分泌量との間に男女ともに有意な正の相関が認められた。また,sIgA分泌速度とsIgA濃度との 間にも,男女とも有意な正の相関が認められた。
一方,コルチゾール濃度は67 ~ 88歳を対象にした報告と比較し,大きな相違は認められなかった。コル チゾール濃度と基本的属性,身体能力および口腔状態の各項目との相関を検討した結果,身体能力に関す る調査では女性はコルチゾール濃度とone-leg standing testとの間に有意な負の相関が認められ,男性は負の 相関を示す傾向が認められた。口腔状態に関する調査ではコルチゾール濃度と唾液分泌量との間に女性は 有意な負の相関が認められ,男性においても有意ではないが負の相関を示す傾向が認められた。また,コ ルチゾール濃度とsIgA濃度との間に男性は有意な正の相関が認められ,女性では有意ではないが正の相関 を示す傾向が認められた。
以上のことから,超高齢者が健康で自立した生活を送る要因は,精神機能が充実しており幸福感が高い こと,日常生活に必要な最低限の身体機能を維持していること,および良好な咀嚼機能を営んでいること が必要であることが明らかとなった。さらに,加齢に伴うsIgA濃度および分泌速度の低下やコルチゾール 濃度の上昇を防ぐことが健康長寿に資する因子となることが明らかとなった。