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「現代資本主義」論についての覚え書 : 資本主義 の全般的危機論(2)

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「現代資本主義」論についての覚え書 : 資本主義 の全般的危機論(2)

その他のタイトル A Note on the Contemporary Capitalism. (II)

著者 越後 和典

雑誌名 關西大學經済論集

巻 9

号 5

ページ 450‑475

発行年 1960‑02‑20

URL http://hdl.handle.net/10112/15578

(2)

4!SO 

たる自己批判の結晶である︒ ー資本主義の全般的危機論 (2)

—ー'

( 1 )  

イェ・ヴァルガは一九五三年に出版した﹃帝国主義の経済と政治の基本的諸問題﹄︵第二次世界戦争後︶を全面的に

改訂し︑五七年にその第二版を上梓した︒第二版は﹁スターリンの個々の誤った命題を批判的に検討せずに︑おう

むがえしに述ぺる﹂という結果になった初版の欠陥をとりのぞき︑

を提起することを企図したこのソ連経済学界の誉宿の︑戦後世界資本主義に関するいわば三度目の著作︑再度にわ

本書のこうした企図や︑彼のおかれている地位等から考えて︑本書をソ同盟科学院経済学研究所著﹃経済学教科書﹄

改訂第三版︵以下﹃教科書﹄と記す︶とともに︑最近のソ連経済学界における全般的危機の戦後期論

1 1

﹁ 現 代 資 本 主

義﹂論の︑一応の水準を示す著作としてとりあげることは︑おそらく不当ではあるまい︒本稿では一 0 章から構成さ

﹁現代資本主義﹂論につい

﹁若干の新しい理論的命題﹂

て の 覚 え 書

︵ 和

第 二

阪 序

文 一

頁 ︶

(3)

lll

﹁ 現

代 資

本 主

義 ﹂

論 に

つ い

て の

覚 え

書 ︵

越 後

おける諸矛盾を分析しようとしているといえよう︒ れている本書のうち総論部分にあたり︑彼の全般的危機の戦後期に関する方法論的・理論的見解がまとまった形で 表現されているところの︑第一章﹁第二次世界戦争後における資本主義の全般的危機の深化﹂をとくにとりあげ︑ ﹃教科書﹄の改訂個所と対照しつつ︑旧版にみられた﹁スクーリンの個々の誤った命題﹂がどのように訂正され︑それ と関連して全般的危機の戦後期論がどのような方法と内容をもって展開されるにいたっているかについて︑若干の 検討を加えたい︒これによって﹁現代資本主義﹂論としての全般的危機の戦後期論の最近の特徴を︑その主要な点

彼は全般的危機の深化をつぎの順序で検討する︒︵一︶第二次世界戦争後における二つの体制の共存と闘争︑︵二︶

二つの体制︑二つの世界市場︑

インフレーション︑

(︱一︶と(︱二︶で帝国主義諸国の国際関係に ︵三︶帝国主義の植民地体制の崩壊︑

︵六︶第二次世界戦争後における労佑者階級の貧困化︑

の基本矛盾︑生産の社会的性格と私的資本主義的領有の矛盾の尖鋭化︑

( I  

0 )

プルジョア国家と独占体︑

(︱二︶資本の国家間組織︒ 資本主義のもとにおける軍需生産の役割︑ において明らかにしうれば拙稿の目的は果される︒

︵ 五

︶ 現

︵ 七

︶ 資

本 主

︵八︶第二次世界戦争後の農業恐慌︑︵九︶

(‑︱)アメリカ資本主義ーー資本主義体制の経済を混乱

させる重要な要因︑

この絞述構成からして明らかであるように︑本章はより抽象的なものからより具体的なものへ︑といった方法︑

あるいは本質的な要因から次第に副次的な要因を考察するといった方法によって展開されているとはいえない︒ま

た︑そこにとくに一貫した方法がみられるともいいがたい︒綾述構成について強いて註釈を加えると︑

︵四︶までは全般的危機の要因を論じ︑︵五︶から

( I

0 )

までは帝国主義諸国内部の諸矛盾の激化・危機の深化の

特徴的な現象を資本主義の基本的な法則との関連で明らかにし︑ ︵四︶資本主義体制全体の弱化︑

︵ 一

︶ か

(4)

452 

︵一︶本書では第一章の前に第一版で﹁序論﹂として述べられた全般的危機の理論がとり

﹁読者が資本主義全体の全般的危機の理論を承知しているものと前提して筆をすすめ﹂︵一頁︶ているこ

書ではいわば﹁まえおき﹂ともいうべき部分が新しく附加されていること︑

︵ 三 ︶

︵二︶第一版では第一章が直ちに﹁第二次批界戦争後における二つの体制の闘争﹂からはじまるのに対し︑本

﹁現代資本主義のもとにおける

軍需生産の役割﹂という節が新たに書き加えられたこと等が︑見出しの表現の若干の相違といったこまかい点を別

にすれば︑本章の新旧両版における形式上の主な相違点をなす︒以下われわれはヴァルガが本書で従来の誤りをど

のように訂正しているか︑という点の検討からはじめよう︒

( 1 )

ヴァルガの経歴は﹃ソヴェト大百科辞典﹄および平館利雄氏の紹介︵﹁オイゲン・ヴァルガ教授﹂・﹃経済評論﹄一九五0

年十月号所載︶によるとつぎのとおりである︒一八七九年ハンガリヤの小プルジョアの家庭に生れ︑高等教育を受け︑

一九〇六年ハンガリヤ社会民主党に入党︒その中央機関誌の経済部門の編集者および﹃ノイエ・ツァイト﹄紙の協力者と なり︑一九一八年︑プタペスト大学の経済学教授に任命された︒翌年同国にソヴェト革命が成功するや︑革命政府の大蔵 大臣となり︑後に最高国民経済会議の議長となった︒しかしソヴェト政府は半年たらずで連合国の干渉により鎮圧される ことになり︑彼はオーストリヤに亡命︑カルル

Vュクインに幽閉の身となったが︑一九二0年オーストリヤからの脱出に

成功し︑モスクワのコ`︑ソテルン第二回大席に出席︑以来ロツアに居住するにいたった︒ロツア居住後の彼はひきつづき

コミンテルンと関係し︑第四回︵一九二二年︶︑第五回︵二四年︶大会で世界経済についての報告演説を行ったほか︑﹃コ

ミンテルン年鑑﹄を編集している︒とりわけ彼は一九二二年以来︑コミンテルンの機関紙たる﹃インターナンョナル・プ レス・コレスポンデンツ﹄に毎年四回にわたって世界経済概観を発表するにいたった︒その間︑一九二九年の大恐慌の来 襲を予言して︑世界の視聴を一身にあっめたことは余りにも有名であるが︑一九三

0

年頃﹁コムニスチーチェスカヤ・ア

カデミヤ﹂の附属研究機関として︑﹁世界経済世界政治研究所﹂が設置されるや︑その所長となり︑﹁コム・アカデミャ﹂

が﹁アカデミア・ナウカ﹂に合併された後も︑依然としてこの研究所にたてこもり︑月刊機関誌﹃世界経済と世界政治﹄

と ︑ 第一版と対照すると︑

( 2 )  

の ぞ

か れ

︑ ﹁

現 代

資 本

主 義

﹂ 論

に つ

い て

の 覚

え 書

︵ 越

後 ︶

ニ四

(5)

﹁現代資本主義﹂論についての覚え書︵越後︶

二五

を編集した︒彼の四半期概観は︑この機関誌にも掲載されることになった︒彼の多くの著作のうち︑戦前に発表された主

なものはつぎのとおりである︒﹃マルクス主義の立場から見た貨幣および貨幣流通﹄︵一九二三年︶︑﹃農業問題概観﹄︵一

九二四年ー五年︶︑﹃社会民主主義﹄(‑九二七年︶︑﹃世界資本主義恐慌﹄(‑九二三年︶︑﹃資本主義の没落期﹄(‑九ニニ

年︶︑﹁世界経済﹄(‑九二二年︶︑﹃資本主義の日叩揚か没落か﹄(‑九二四年︶︑﹃戦時経済における貨幣と資本﹄(‑九二四

ー五年︶︑﹃帝国主義論﹄︵一九三0年︶︑﹃世界経済恐慌史﹄(‑九三五年︶︑﹃二つの体制﹄︵一九三八年︶︑﹃世界恐慌とニ

つの体制の闘争﹂︵一九三二年︶︑

かくて彼の名声は高く︑一時はスターリンの経済顧問にまでなったと伝えられた︒しかし戦後はいわゆる﹁ヴァルガ論 争﹂をひきおこし︑きびしい批判の前にたたねばならなかった︒問題の書物は一九四六年に発表された﹃第二次世界戦争 の結果としての資本主義経済の諸変化﹂であり︑この中で彼の強調した経済に対する国家の役割の強化︑資本主義国家に おける計画経済の可能性に関する考え方は︑﹁組織された資本主義﹂論の現代版であり︑方法論的にも帝国主義の政治と 経済をきりはなし論じている点に誤りがある等々と批判されたのである︒かくて一九四八年五月の﹁ヴァルガ批判会﹂を 経て︑長年彼の所長たりし﹁世界経済世界政治研究所﹂は﹁経済学研究所﹂に併合され︑彼の名はわずかに機関誌﹃経済 学の諸問題﹄の副編集者としてとどめおかれるにすぎないものとなった︒その後彼は﹁帝国主義にかんする諸著作におけ る改良主義的傾向に反対して﹂(‑九四九年﹃経済学の諸問題﹄第三号所収︶と題する自己批判論文を書き︑さらに﹃帝 国主義の政治と経済の基本的諸問題﹄(‑九五三年︶を︑スターリソ論文の強い影響下に出版した︒本稿で検討する著作

は︑この五三年版の批判的検討をへた改訂版である︒なお本稿は世界経済研究所訳︵日本評論新社刊︶による︒

(2 ) 第一阪の序論で︑彼が﹁レーニンとスターリンによってつくりあげられた資本主義の全般的危機の理論は︑資本主義に かんするマルクスーレーニン主義学説を創造的に発展させるためのきわめて貴重な貢献である︒スターリンの労作のなか には︑全般的危機の時代における帝国主義的資本主義の深い科学的分析があたえられている︒資本主義の全般的危機の理

論の基本的特徴を︑読者にざっとおもいだしてもらうことにしよう﹂︵序論一四頁︶とまえおきして述ぺている理論は︑

前号所載の拙稿で検討した﹃教科書﹄第一阪の理論とほとんど同じ性格のものであると考えられる︒すなわち全般的危機 の時代になると︑﹁資本主義経済でおこるものは普通の不景気ではなくて︑特殊な不景気であり︑この不景気は資本主義

国の経済を新たな高揚と繁栄にみちびかない﹂(‑五頁︶とか︑全般的危機の第二段階では︑﹁世界の資源にたいする主要

(6)

454 

な資本主義諸国の勢力圏が縮小し︑資本主義世界市場の販売の条件が悪くなり︑市場と原料産地と資本輸出のための独占

体や帝国主義国の闘争が激化する︒資本主義諸国では︑生産企業の遊休がますますふえ慢性的失業が増大するであろう﹂︑

といった見解がみられる︒

ところで彼が改訂阪でこうした見解を述ぺた理論部分を省略したのは︑これが誤りであった︑という自己批判にもとづ くものではなく︑その部分が一般読者には周知の理論である︑と考えたからであるように思われる︒してみれば︑彼が﹁

スターリンの個々の誤った命題﹂については︑それが全般的危機の理論そのものとは無関係である︑と考えているという ようにも推測しうる︒一体彼は﹁個々の誤った命題﹂と全般的危機論の本質的性格とのつながりをどのように考えている のだろうか︒全般的危機論は﹁個々の誤った命題﹂も︑正しい命題も︑そこからひき出すことのできるような便利な理論

であろうか︒

ヴァルガは第一章の冒頭の﹁まえおき﹂にあたる個所において︑﹁資本主義の全般的危機の戦後期︵一九四五ー五

六年︶の特質は︑資本主義の経済的発展の過程と︑政治的発展の過程との間に相違がみられることである﹂︵一頁︶

という。すなわち政治的には、資本主義は東ヨーロッ。ハ・中国・インド•およびすべての植民地諸国で、とりかえ

しのつかない大きな歴史的敗北を喫し︑またソ連邦および全社会主義諸国の平和政策の成功の結果︑帝国主義国の

軍事プロックはぐらつき︑帝国主義体制内部の矛盾も鋭くなった︒これに対し経済的にはこの時期は資本主義生産

の急速な増大の時期であったとし︑つぎの諸点を指摘するのである︒︵一︶その増大テンポは二 0 世紀のいかなる時

期よりも高かった︒︵二︶独占資本家の利潤もきわめて高かった︒︵三︶世界経済恐慌もみられなかった︒︵四︶株式相

場も従来にみられぬ高水準に達した︒︵五︶ただし個々の資本主義国の発展の不均等性は激化した︵一頁︶︒

﹁現代資本主義﹂論についての覚え書︵越後︶

二六

(7)

﹁ 現

代 資

本 主

義 ﹂

論 に

つ い

て の

覚 え

書 ︵

越 後

二七

このように彼は︑戦後とくに五一ー五六年の経済的発展の事実の一応の承認にもとづき︑本章の各個所でこれを

理論的に解明しようとしている︒そのため従来の経済的循環における好況局面の脱落ー万年恐慌論・市場縮小論・

絶対的窮乏化論等︵前号・拙稿参照●は少くとも表面的にはかなりの修正をほどこされることとなった︒それでは彼

は戦後の経済的発展をどのように説明しようとするのか︒

まず戦後︱一年間に世界経済恐慌がなかったことについて︑彼はそれが﹁第二次世界戦争中における資本主義的

再生産の特質によって説明される﹂︵二頁︶とし︑戦時中不充分にしか行われなかった固定資本の更新︑耐久消費

財をはじめとし︑戦時中みたされなかった消費財に対する需要の存在をとりあげ︑戦後生産手段および消費手段の

市場に一回的な︑異常な拡大が行われたことを力説し︑あわせ五 0 年以後再びこれに軍需生産の拡大が加わったこ

とを強調する︒彼によれば戦後世界経済恐慌がなかったことは︑﹁資本主義の内部の力が堅固になったことによっ

て説明されるものでは決してなく﹂︵二頁︶︑戦争によってつくり出された主として一時的な諸原因の作用と︑戦後

の軍需生産の役割に求められる︒

ところで彼はいう︒前者はすでにその力を汲みつくし︑逆に労佑者階級の相対的貧困化の強化と結びつく循環的

高揚の過程において︑深刻な過剰生産恐慌の諸前提がつくり出されている︒また後者に関しては︑本来軍事的支出

なるものは資本主義生産にとっての空費にほかならず︑それはまず最初資本主義経済に刺戟を与えることができ︑

生産の一時的な上昇を可能にするが︑やがて民需生産にとってかわりはじめ︑戦争が長期にわたると生産の全般的

低下をもたらし︑インフレーション・恐慌・ならぴに経済的崩壊をもたらす︒もちろん︑平時の軍需生産の場合︑

軍事支出がインフレーションと経済の崩壊をもたらすかどうかは︑各国の具体的事情︑とくにその国の経済力によ

るものである︒この点に関しアメリカでは︑現在の程度の軍事支出はおそらくまだ可能であろうが︑イギリスでは

(8)

456 

う展望が与えられている(‑五ー一七頁︶︒ それではその拡大の原因と基礎は何であるか︒彼は﹁戦後の資本主義市場の拡大は主として個々の資本主義国の

国内市場の負担で行われ︑対外市場の負担で行われなかった﹂(‑四頁︶とし︑国内市場の拡大はまず固定資本の更

新・拡張︑それよりも僅の程度ではあるが消費の増大が原因となったと述ぺる︒だから問題は固定資本の更新

1 1

資にあるが︑彼はその基礎になったものとして︑独占的超過利潤による自己金融方式を指摘し︑国家権力が累進的

減価償却の拡張適用その他の方法でこの方式を援助したこと︑また軍需生産も市場拡大に大きい役割を果したこと

え ら れ て お り ︑ を強調する︒だから戦後の市場拡大は︑前記の戦後世界経済に恐慌がみられなかったのと全く同じ原因によると考

ここから︑固定資本の更新・拡大による市場拡大は︑

第三に第一版にみられた絶対的貧困化論はどのように修正されているか︒彼は﹁資本主義のもとにおける労佑者

階級の相対的貧困化はたえず進行している︒それは一単位の商品に対象化される︑同質の抽象的労佑の量を少なく

する労佑生産性の増大に由来しており︑これが労佑者の消費する商品の価値を小さくする︒その結果︑国民所得の

うちでしめる労佑者階級の取前は︑実質賃金に変動がない場合でも減少し︑資本家の取前は増大せざるをえない﹂ された︒従って戦後おこなわれたのは︑市場の狭溢化ではなく︑ すでにインフレーションの進行が示すように能力を越えている⁝⁝︵二七ー一︳二頁︶︒

第二に彼は従来の市場縮小論についてもつぎのような批判をくだす︒

の増大に対して︑相対的にせばまっただけでなく︑絶対的にせばまったという主張が近年なされてきたが︑

誤りである︒戦後資本主義世界の工業生産は八〇彩方増大し︑農業生産もふえた︒増大した商品量はともかく実現

﹁ 現

代 資

本 主

義 ﹂

論 に

つ い

て の

覚 え

書 ︵

越 後

やがて深刻な過剰生産恐慌を惹起するとい

そ の

拡 大

で あ

っ た

﹂ (

‑ 四

頁 ︶

﹁戦後は資本主義市場の広さは︑生産能力

ニ八

こ れ

(9)

﹁ 現

代 資

本 主

義 ﹂

論 に

つ い

て の

覚 え

書 ︵

越 後

わ せ て 指 摘 し ︑ ﹁つぎにくる経済恐慌はふたたび実質賃金をひきさげ︑

の一部の﹁現代資本主義﹂論者のごとく︑

二九

︵︱‑三頁︶として︑まず相対的貧困化を認める︒しかし絶対的貧困化に関しては﹁資本主義のもとでは︑そもそもその

はじまりから︑すべての国で労佑者階級のたえまない絶対的貧困化がおこる︑という主張は誤っている﹂︵三四頁︶︒

また﹁労佑者階級の一般的な絶対的貧困化についての主張も︑主要帝国主義国における労佑貴族の形成に関するマ

ルクス・レーニン主義学説とあきらかに矛盾する﹂︵三四頁︶とし︑一般的な絶対的貧困化論を否定する︒けれども

彼が戦後の資本主義国で絶対的貧困化がみられない︑というように断言せず︑慎重な綾述をしている点は注目せね

ばならぬ︒すなわち彼は絶対的貧困化が実質賃金の動向とは同一ではないが︑きわめて密接にむすびついていると

ころから︑その動向を検討し︑アメリカはじめ他の資本主義国では︑戦後数年は実質賃金が低下したが︑その後は

好況と失業の減少︑労佑者階級の組織的闘争により実質賃金が一時的に増加したことを認めるのである︒しかし同

時に﹁独占資本主義のもとでは︑とくに資本主義の全般的危機の時代には︑実質賃金の増大は︑ごくみじかい一時

期は別として︑とてもおこなわれない﹂︵三三頁︶こと︑アメリカ労佑者の最近の実質賃金の増加をもってしても︑

一九五五年にはまだ四四年の水準に達していないこと︑またこの間労佑の強度が増大していること等の注意点をあ

アメリカ労佑者階級の相対的・絶対的貧困

化を増大するであろう﹂と述べている︒

おおむね以上のように彼は戦後に生産・市場の拡大がみられたこと︑世界恐慌がみられなかったこと︑労佑者階

級の実質賃金が最近上昇したこと等の事実を︑﹁戦後の特殊な要因﹂・﹁一時的な現象﹂︑またはインフレーション

( i )  

と崩壊を終局的には伴うところの軍需生産と結びつくものとしてのみ承認する︒従ってわれわれはここで彼が最近

こうした事実を︑資本主義の﹁体質改善﹂

1

1

構造変化の結果として︑ない

しは構造を変化した最近の資本主義の新しい傾向として認めているのではないことに注意しておかねばならぬ︒

(10)

4~8

済の﹁繁栄﹂は︑ 一応戦後資本主義の拡大•発展を承認するとして、

いま︱つの戦後期の特徴づけをなす政治的弱化に対して︑どのように関連づけられているのだろ

うか︒彼は﹁資本主義の経済と政治は︑もちろん緊密にからみあっている︒

経済的繁栄は政治的策動と買収のためのより大きい可能性を与える﹂︵二頁︶という︒ そうしたいわゆる戦後経

すなわち彼は戦後の﹁繁栄﹂が政治におよぽす影響を政治的策動と買収のための︑より大きい可能性を与える︑

という点において把握している︒経済的﹁繁栄﹂を一時的・特殊的要因によるものとして軽く評価する彼が︑それの

政治への作用を︑

しかしここではこうした言葉が述べられているにとどまり︑

し︑どのような作用を及ぽしているかは論じられていない︒ちなみに全章の論旨からすれば︑経済の﹁繁栄﹂は買

収・策動の可能性といった点よりも︑むしろ帝国主義諸国の不均等的発展という点に関連せしめる方がすっきりす

ると思われる︒すなわち戦後の初期におけるアメリカの経済的優位にもとづく政治的策動と支配的体制が種々の矛

盾 に 逢 着 し ︑ ﹁策動と買収のより大なる可能性﹂と関係する程度のものと評価するのも︑怪しむにたりない︒

それが具体的にどういう形態をとり︑政治的弱化に対

アメリカと他の帝国主義諸国︵経済的に不均等的発展をとげた︶との政治的な対立・矛盾が激化する︑と

いう点に力点をおくべきであろうと思われる︵とくに八四頁参照︶︒

つぎに彼は帝国主義の政治面における弱体化が︑経済にどのように反映したというのであろうか︒

(1

)

た と

え ば

︑ 固

定 資

本 の

更 新

需 要

は 第

二 次

大 戦

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破 壊

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般 的

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り ︑

他 方

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産 の

拡 大

・ 経

済 の

﹁ 繁

栄 ﹂

に 一

定 の 限 界 内 で 寄 与 し て い る 点 ︑ さ ら に は 全 般 的 危 機 の 深 化 の 条 件 の も と に お け る 階 級 闘 争 の 激 化 を 背 景 と す る 労 佑 者 階 級

の 経

済 闘

争 が

︑ 実

質 賃

金 を

た か

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︑ ﹁

戦 後

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殊 な

要 因

﹂ .

﹁ 一

時 的

な 現

象 ﹂

と い

え ど

も 全

し ︑ ところで以上のように制限づきで︑

﹁ 現

代 資

本 主

義 ﹂

論 に

つ い

て の

覚 え

書 ︵

越 後

帝国主義の政治的弱化は経済に反映

(11)

﹁現代資本主義﹂論についての覚え書︵越後︶

また戦後多年の間に︑ 資本主義の全般的危機はさらに深まり︑

般的危機の要因や本質と︑決して無関係に起っているとはいえないであろう︒事実こうした関係は本書でも各所で指摘さ れている︒ただし︑この程度の指摘はいわば常識的な事実の指摘にとどまる︒両者の関係のたちいった理論的解明はなさ

れていない︒なお市場縮小論・万年恐慌論等が︑こうした例外的な要因の考慮で片附けられるとすれば︑全般的危機論︵前

号・拙稿参照︶そのものは別段修正される必要がない︑と一応いうことができるであろうが︑第一に市湯の縮小という観点

を基軸としないそうした全般的危機の理論なるものは︑政治と経済の両面における全面的危機を︑果して統一的・理論的 に説明しうるか︒第二に︑戦後資本主義における生産の拡大・﹁繁栄﹂という経済的側面における最も重要な現象を︑例

外的・一時的要因によるものとして説明せねば現実から遊離したものとなる全般的危機の理論に︑果して﹁現代資本主義﹂

分析の鋭利な理論的武器としての有効性を全面的に認めることができるだろうか︒この二点は重要な問題である︒行論の

うちに私見を述ぺたい︒

﹁第二次世界戦争の結果として︑

た︒危機を深めたもっとも重要な諸要因は﹂とヴァルガはいう︑

成 さ れ た こ と ︑ ︵二︶帝国主義の植民地体制が崩壊したこと︑

︵五頁︶と︒それではこの三つの要因がどのように関連しているか︑

的危機を深めたか︒まず第一の要因からとりあげよう︒ するどくなっ

﹁︵一︶社会主義世界体制と二つの世界市場が形

︵三︶帝国主義が全体として弱まったことである﹂

それはどういう意味で︑いかに危機とくに経済

彼は前述のごとく戦後の資本主義の国内市場の拡大を論じた後︑資本主義世界の対外市場は依然遅々としてしか

拡大せず︑循環的高揚で対外貿易が約六劣増大した五五年をのぞけば︑資本主義世界の貿易は戦後同一水準で足ぶ

み し て き た と し ︑ その原因としてつぎの二点をあげている︒︵一︶割拠性︵二︶冷戦による社会主義体制諸国に対

(12)

460 

ところで彼は結論としてつぎのように述べる︒ ﹁社会主義世界の形成︑ する重要な種類の商品の禁輸政策︵一七頁︶︒前者では関税その他の制限によって他国の商品の輸入が阻害され︑他 面ではドル不足︑ インフレーションの脅威のために輸入を削減せざるをえない事情にあること︑後者に関しては︑

社会主義陣営の諸国が相互の貿易を急速に拡大しながら︑同時に資本主義陣営の諸国と互恵の貿易を行う用意があ

るにもかかわらず︑帝国主義者の側からの妨害のために︑困難にされてきたこと︑等の諸点が指摘されている︒も

っとも五四ー五年頃には情蟄は次第に変化し︑資本主義の実業界は社会主義諸国との貿易を拡大する必要性を痛感

するようになったこと︑また後進国における基本的建設の分野で︑

され︑上記の情勢の変化とあいまって︑社会主義市場と資本主義市場との間の貿易高は近年増大したこと︑等の情

勢変化についての説明をつけ加えることも忘れてはいない(‑九ーニ

0

頁 ︶ ︒

壊︑社会主義世界市場の形成と強化は︑二つの体制間の協力の増大にもかかわらず︑資本主義世界体制の全般的危

機をいっそう深めるもっとも重要な要因である﹂︵二 0 頁︶と︒しかし一体以上のような説明から︑どうしてこのよ

うな結論が導き出せるのか︒関税その他の割拠性は︑独占段階の特徴をなすものであるが︑とくに全般的危機固有

の特徴をなす要因でありえないこと︑明白である︒従ってこの要因を強調するためには︑単一世界市場の崩壊がそ

の割拠性を深めていることの論証を必要とするが︑

場をせばめているとしても︑

﹁ 現

代 資

本 主

義 ﹂

論 に

つ い

て の

覚 え

書 ︵

越 後

ソ連邦と帝国主義諸国の間に活液な競争が展開

すべてを包括する単一の世界市場の崩

この点についてはふれられていない︒また冷戦と禁輸政策が市

それは第一に前述の戦後の国内市場の拡大と相殺されるほどのものではないし︑第二

に彼は近年東西貿易が増大したことを述べているのであるから︑ この結論は余りにも抽象的であり︑具体的論証を

欠くうらみがある︒大体において彼は二つの世界市場の形成を社会主義世界体制の成立に起因する経済的側面の一

(13)

﹁ 現

代 資

本 主

義 ﹂

論 に

つ い

て の

覚 え

書 ︵

越 後

つとして規定するにとどまっているといわねばならぬ︒だからかつての全般的危機論︵前号・拙稿参照︶における市

場縮小論のおちいった誤謬からはまぬがれているが︑反面それが帝国主義の経済的側面の危機をいかに激化させる

か︑という問題には明確な解答が与えられないこととなり︑二つの世界市場の形成が﹁資本主義世界体制の全般的

危機をいっそう深めるもっとも重要な要因﹂である︑とする経済学的根拠が不問に附されることになっている︒

つぎに帝国主義の植民地体制の崩壊という要因を検討しよう︒彼は ﹁ 一 連 の 植 民 地 の 解 放 と ︑

につづいている解放闘争とは多方面にわたり帝国主義をゆるがしている﹂︵ニニ頁︶とし︑

ることを拒み︑平和地域にはいっている︒これが帝国主義体制を著しく弱めている︒

の困難を利用して︑

時 と

し て

植民地世界全体

つぎの諸点をあげてい

︵一︶旧植民地が解放後自主的政策をとり︑社会主義体制諸国と友好関係にあり︑帝国主義プロックに参加す

︵二︶アメリカが植民地諸国

その植民地に経済的・政治的に侵入しようとして︑そこに資本輸出をふやしている︒そのため

アメリカ帝国主義がもとの植民地額有者をしめだすことに成功する事例がみられる︒このようにしてア

メリカの行動が帝国主義内部の矛盾を鋭くさせ︑帝国主義体制を弱めている︒

している植民地とその搾取を維持することが次第に困難となり︑ これと関連して︑莫大な支出をともなう軍隊を駐

屯させねばならず︑また特別の監視人をおくための費用もかさむ︒帝国主義者たちが﹁動揺﹂という微妙な表現を

用いる事態が起り︑植民地に対する商品輸出と新規投資を困難にしている︒

こうした諸点を指摘した後︑彼は結論的部分において﹁植民地超過利潤は︑独占的超過利潤一般のもっとも重要

な源泉の︱つである︒植民地体制の崩壊は︑資本主義の全般的危機をはげしく深めている﹂︵ニニー三頁︶と述べる︒

ここにおいても︑.われわれは植民地超過利潤が独占的超過利潤のうちどれほどの比重をしめ︑またその収奪の困難 る ︒

︵三︶帝国主義国家には︑まだ存在

(14)

462 

化が具体的に主要帝国主義母国の経済的危機をいかに深化させているかの論証が︑本章に関するかぎりでは欠けて

第三点として︑われわれは資本主義体制全体の弱化という要因を検討せねばならぬ︒彼は﹁資本主義の全般的危

機の新しい段階になって︑資本主義体制が弱まったのは︑ただ単に多くの国々がこの体制を離脱し︑社会主義世界

体制が形成されたためだけでもなければ︑単一の世界市場が崩壊して社会主義世界市場が形成されたためだけでも

ないし︑帝国主義の植民地体制の崩壊だけでもない︒資本主義制度は資本主義諸国自身の内部でもひどく弱まって

︵一︶資本主義諸国の発展の不均等性の

激化︑および︵二︶資本主義の腐朽性と寄生性の強化をとりあげる︒まず前者から検討しよう︒

彼は﹁資本主義の全般的危機が深まったため︑資本主義諸国の発展の不均等性がさらに強まった﹂︵二三頁︶とい

う︒しかし危機を深めた要因の一っとして資本主義体制全体の弱化をとりあげ︑その具体的要因として発展の不均

︑ ︑

︑ ︑

︑ ︑

等性をとりあげるという論理からすれば︑危機が深まったため︑不均等性が激化したというのは因果関係を顛倒す

るものであり︑危機の深化を危機の深化によって説くという循環論法にほかならない︒

さて彼はこうした不均等性のあらわれとしてつぎの点をあげる︒︵一︶第二次世界戦争の結果︑ドイツ・日本・イ

タリア・フランスは大国としての地位を一時失い︑

述とアメリカの二大国だけが残ったこと︒ イギリスも弱体化し︑五六年までに真に世界的強国としては︑ソ

︵二︶戦後の発展の不均等性については︑①資本主義世界のすべてのエ

業諸国が実際上中絶することなく︑年々工業生産を増大させてきたが︑

中絶があったこと︒②ドイツ・日本の発展が著しく︑イギリスの工業生産を追い越したこと︒⑧アメリカに対する経 い

る ﹂

︵ 二

三 頁

︶ と

述 べ

アメリカでは四八年ー五四年の二度重大な 資本主義体制を内部から弱めている要因として︑ いるという感を深くする︒

﹁ 現

代 資

本 主

義 ﹂

論 に

つ い

て の

覚 え

書 ︵

越 後

(15)

と し

﹁ 現

代 資

本 主

義 ﹂

論 に

つ い

て の

覚 え

書 ︵

越 後

しい依存を列挙する︒ つぎに彼は﹁資本主義の全般的危機が深まったことによって︑資本主義の腐朽性と寄生性がつよまった﹂︵二六頁︶

という︒ここでも危機が深まったことによって⁝⁝つよまった︑という循環論法がみられる点は前者と同様である

︵一︶まず彼は腐朽性のあらわれとして軍事化をとりあげ︑①軍国主

義の前代未聞の増長︑②平和目的のための生産力の発展の停滞︵原子力の平和的利用の発展を独占体が妨げている点に︑

もっとも明瞭にあらわれている︶︑③科学・技術研究の軍事目的への集中︑④産業循環の進行の軍事生産へのいちじる

(二)寄生性は配当金•利子所得・国債による所得等の寄生的所得の激増にあらわれている

たとえばアメリカにおける五五年の利子・配当所得が二六八億ドルの巨額に達するのに対し︑︵三九年には八

〇偉ドル︶︑労佑者の年間勤労所得が七ー八

00

万ドルにすぎない点を指摘する︒

的労佑者の数が相対的に減少し︑

プルジョアジーによる労佑官僚の買収も戦後つよまった寄生性をあらわすという︵二六ー七頁︶︒

以上の要約からも明らかであるように︑ここで彼が述べていることは︑レーニンが明らかにした不均等的発展の法

則や、帝国主義段階における腐朽化•寄生性といった規定を、戦後の現状の中で確認しているにすぎない。とくに

全般的危機を深めた他の要因と︑ いわゆる第三次部門の労佑者が増大したことも寄生性のあらわれであり︑

そうした不均等性・腐朽化•寄生性との内面的にたちいった関連性は追求されて

が︑その内容はどのようなものであろうか︒ るにいたったこと等々︵二三ーニ六頁︶︒

一 五

︵ 四 ︶

︵三︶新しい価値を生産する生産 済依存度が西ヨーロッパ諸国で強まったこと︒またアメリカは戦後ラテン・アメリカ︑ 日本︑さらには南鮮・フィ

リピン・南ヴェトナムからなる従属国︑さらにある程度

NATO

SEATO

の全加盟国を含む最大の帝国をつく

り上げたこと︒このため帝国主義諸国家間の矛盾とならんで︑アメリカとすべての資本主義国との間の矛盾が深ま

(16)

464 

的根拠が稀薄となっているという感を深くする︒ いない︒むしろそうした追求は︑前述の循環論法により︑ 附けられ︑最初から方法論的に不可能になっているといってよい︒

以上︑われわれは全般的危機をとくに深めた重要な要因として︑彼がとりあげる三要因を検討したが︑

る だ

け で

それらが体系的にとらえられていないように思う︒そこには︑ これを要

するに︑危機の諸要因間の関連︑政治的危機と経済的危機の関連等が不明確である︒全般的危機が経済をも政治を

もつかむ全体的な危機であるという所以はすこしも明らかにされていない︒危機の諸要因は平面的に列挙されてい

スターリン論文のような︑あるいはヴァ

ルガの旧版や﹃教科書﹄の初版にみられたような市場危機論ともいうぺき一貫した理論︵前号・拙稿参照︶がみられ

ず︑従ってまたそうした単純な全般的危機論の誤りはおかしていないかわりに︑危機の一般的規定をささえる理論

﹁スターリンの個々の誤った命題﹂の批判的な検討を経て︑書きあらためられたヴァルガの戦後の危機論が︑危機

の要因間の内的関連に関する︑あるいは政治的危機と経済的危機との関連についての︑明確な理論を欠くことにな

ったのは︑しかしたんにヴァルガ個人の問題ではなく︑全般的危機論そのものの性格に帰因する問題であるように

考えられる︒この点に関しわれわれは既述のように︑旧版に序論として展開されていた全般的危機の理論が︑改訂

ここではむしろ改訂された﹃教科書﹄︵第三阪︶ 版では削除されているという事実に関心をいだかざるをえないが︑

において︑果してそうした上記の関連が明確になっているかどうかをたしかめ︑

﹁ 現

代 資

本 主

義 ﹂

論 に

つ い

て の

覚 え

書 ︵

越 後

それによって︑上記のヴァルガの ﹁全般的危機が深まったことによって﹂という一旬で片

(17)

﹁ 現

代 資

本 主

義 ﹂

論 に

つ い

て の

覚 え

書 ︵

越 後

事実︑﹃教科書﹄が﹁十月社会主義大革命の勝利︑

の分裂﹂の個所で︑力点をおいているのはつぎの点である︒

のある︑原則的に新しい矛盾がうまれてきた︒すなわち死滅しつつある資本主義と成長しつつある社会主義との矛

盾 ﹂

︵ 四

0

二 頁 ︶ が こ れ で あ り ︑ ﹁ソ連邦の経済的発展と資本主義諸国の経済的発展とをくらべてみると︑

義経済制度にくらべて社会主義経済制度が決定的にすぐれている点が︑あらわれてくる﹂︒ところで︑この事実は

資本主義国の勤労者の革命闘争の発展に広大な影響をあたえることになる︒すなわち﹁プルジョアジーがいなく そうとしていることを物語るものではなかろうか︒

資本主 ﹁世界が二つの体制に分裂した結果︑世界史的な意義 および資本主義体制と社会主義体制との二つの体制への世界 改訂版の特徴が︑ヴァルガの個人的欠陥に帰せられるべき性格のものであるかどうかを︑明らかにしておきたい︒

︑ ︑

︑ ︑

﹃教科書﹄︵第三版︶においては︑初版にみられた﹁全般的危機に関する学説の原理は︑レーニンによってしあげ

られた﹂︵初版四四七頁︶といった説明が削除されている︒また全般的危機の根本的な特徴として︑﹁世界が二つの体

制に分裂したこと︑この二つの体制のあいだで闘争がおこなわれていること︑植民地制度が危機にあること︑市場

問題がはげしくなり︑これにむすびついて︑企業の慢性的な遊休と︑慢性的な大量失業とがあらわれること﹂︵四四

七ー八頁︶といった初版にみられた諸特徴の同平面における列挙︵前号・拙稿参照︶にかわり︑﹁資本主義の全般的危機

の基本的な標識は︑世界が⁝⁝二つの体制に分裂したことにある﹂と︑明確に二つの体制の分裂という一点に基本

的標識をもとめた後︑

に と も な っ て ︑ ﹁全般的危機はまた︑帝国主義の植民地体制の危機を特徴としている︒市場問題が激化する

企業の慢性的な遊休状態と︑ 慢性的な失業がおこる﹂︵第三版三九七頁︒以下頁数は第三版︶というよ

うに︑綾述をあらためている点が︑まずもって注目される︒このことは﹃教科書﹄第三版が︑全般的危機という概

念は︑世界における二つの体制の政治的な力関係の問題︑すぐれて政治的次元に属する問題に重点があることを示

(18)

466 

問 題 と し て は ︑ いうまでもなく以上のような諸点は︑本来政治的次元に属することがらであり︑そこから直ちに具体的な何等かの

経済的結論を導き出すことができるようなものではない︵かつての全般的危機論は市湯の縮小という具体的結論を導き出

した︶︒だからこそ﹃教科書﹄でも社会主義の世界経済体制の形成によって︑﹁帝国主義体制にはあらたな打撃がくわ

えられ﹂︵四二四頁︶ることになり︑また植民地体制の崩壊によって︑﹁植民地的搾取の範囲はきわだってせまくなっ

た︒このことは不可避的に︑資本主義諸国の経済的困難と政治的困難をつよめて︑帝国主義体制全体の基礎をゆす

ぶっている﹂︵四二九頁︶というように︑きわめて抽象的・一般的な規定が与えられるにとどまっているのであろう︒

ところで資本主義の全般的危機が︑政治および経済を含む全面的な危機であるかぎり︑危機論はもとより以上の

政治的な力関係の変化・政治的危機の激化の指摘につきるわけではない︒﹃教科書﹄でも危機の経済的側面における

︵一︶市場問題の激化︑企業の慢性的な遊休状態と慢性的な大量失業︑

さ れ

て い

る ︒

︵ 四

ニ ニ

ー 四

頁 ︶

ても︑勤労者は︑りっぱに国を統治し︑経済を建設し︑指導してゆけるということ﹂を︑ソ連邦の経験がしめすこ

とになる·…••(四〇ニー五頁)。

また﹁帝国主義の植民地体制の危機﹂の個所では︑十月社会主義大革命が東方の植民地諸国に力づよい民族解放

運動をよびおこし︑植民地革命の一時代をひらいたこと︑およびそれが本国における労佑者階級の革命闘争とます

ますかたくむすびつくようになること︑という点に綾述の中心がおかれている︵四

0

五 ー

七 頁

︶ ︒

後の﹁社会主義の世界経済体制の形成﹂の個所では︑社会主義が一国のわくをこえて世界体制に成長し︑社会主義

と資本主義との力関係は︑社会主義にとって有利に︑資本主義にとって不利に︑さらに大きく変化したことが強調

﹁ 現

代 資

本 主

義 ﹂

論 に

つ い

て の

覚 え

書 ︵

越 後

︵二︶資本主義的周期の変 さらに第二次大戦

(19)

﹁ 現

代 資

本 主

義 ﹂

論 に

つ い

て の

覚 え

書 ︵

越 後

とになって︑資本主義の支配の範囲がせばまったと述べつつ︑

﹁とはいえ︑資本の支配の範囲がせばまつても︑資 化︑資本主義諸国の経済の軍事化︑︵三︶資本主義の発展の不均等性のつよまり︑︵四︶資本主義諸国の労佑者階級 の搾取のつよまり︑ ︵五︶農業における独占体の抑圧のつよまり・農業恐慌・農民の没落︑等をとりあげている︒

そこで︑今度はこれらの危機の経済的な側面が︑上述の社会主義国ないし社会主義体制の成立︑植民地体制の危

機︑ないしその崩壊とどのように関連せしめられているかという点をみるに︑前稿で指摘したように﹃教科書﹄の初

版では︑両者はおおむね﹁市場の縮小﹂を基軸としていわば直線的に関連づけられていたのであるが︑改訂版では

そうした﹁市場の縮小﹂を依然として考慮しながらも︑説明の仕方がずっと慎重になっている︒たとえば﹁市場問

題の激化﹂の個所では︑社会主義国の成立や植民地体制の危機が市楊問題を激化したと指摘しつつ︑資本主義の全般

的危機の時期に市場問題が激化するということを︑市場の受容力が絶対に縮小し︑商品取引高が減少するという意

味に解してはならない︑資本主義世界の領域が縮小したにもかかわらず︑資本主義諸国の商品総取引高は増大して

いく︑﹁資本主義の全般的危機の時期に市場問題が激化することは︑商品取引高の増大が資本主義の生産および生産

能力の増大よりおくれる点にあらわれる﹂︵四

0

八頁︶︑と註釈を加えている︒また﹁資本主義的周期の行程の変化﹂

の個所では︑いくたの国が社会主義的な発展の道へ移行し︑帝国主義の植民地体制が崩壊しつづけていることがも

本主義的再生産の法則が作用しているので︑資本主義市場の絶対的な縮小はおこらなかったし︑生産の拡大は停止

されなかった﹂︵四三四頁︶と︑ただし書を入れ︑戦後の生産の拡大を前記のヴァルガとほぼ同様に︑固定資本の更

新需要︑および低開発国の設備需要の増加等の要因から説明している︒

さて商品取引高の増大が生産能力の増大よりも相対的にたちおくれる︑という点に全般的危機の時期に市場問題

(20)

468 

が激化する原因があるという指摘は︑かならずしも︑問題の本質を明らかにしていない︒なぜならば︑全般的危機

以前の時期においても︑生産能力の増大は︑商品取引高の増大よりも急速であったからである︒とくに独占資本主

義の段階では︑ レーニンの指摘をまつまでもなく︑生産力を以前とは比較にならぬほど急速に発展させる可能性が

つくり出され︑独占体相互間の激しい競争は︑そうした可能性を現実性に転化する︒だから﹃教科書﹄が述べてい

ることは︑全般的危機の時期にのみあらわれる特徴ではありえない︒

﹃教科書﹄は資本主義の周期の行程を変えるものとしての経済軍事化を︑資本主義の全般的危機の時期における新

しい︑この時期固有の現象としてとり上げている︵四一 0 頁︶︒もちろんこれは正しい指摘ではあるが︑しかし経済

軍事化が何故全般的危機の時期に固有の現象であるのかという根拠は明らかにされていない︒もっとも資本主義の

不均等的発展と帝国主義陣営内部の矛盾は︑いっそうはげしくなり︑独占体の利益を代表する国際的反動の勢力が

軍事的冒険にうったえることにつとめているということや︑独占体の高利潤の追求が軍備拡張と結びつき︑あるい

は軍需インフレーションが恐慌の爆発を一時おさえることができるといった︑それ自体としては正しい見解は各所

で示されている︒けれども資本主義の不均等的発展と帝国主義陣営内部の矛盾の激化はひとり全般的危機の特有の

現象ではなく︑﹁戦争と革命﹂の時期たる帝国主義段階の特徴である︒しかも他方では﹃教科書﹄は社会主義世界体

制の出現・平和地域の形成・資本主義諸国における労佑運動の巨大な成長等の具体的な歴史的情勢のうちに︑新しい

戦争をふせぐ現実の可能性があることを認めているのである︵四五三ー五頁︶︒だから不均等的発展の激化のみから︑

全般的危機の時期における固有の特徴としての経済軍事化を説くのは︑いささか根拠が薄弱であるように思われる︒

むしろその根拠を明らかにするには︑今日の独占体の高利潤追求と軍備拡張の結びつきを明確にする必要があるよ

﹁ 現

代 資

本 主

義 ﹂

論 に

つ い

て の

覚 え

書 ︵

越 後

0

(21)

469 

﹁現代資本主義﹂論についての覚え書︵越後︶

には考えられない︒ であろう︒しかし﹃教科書﹄ではそうした観点には充分な注意がはらわれているとはいえない︒

( 1 )  

うに考えられる︒それには戦争がますますいわゆる総力戦になりつつあること︑すなわち独占体の支配下の重化学

工業部門を中心に戦争遂行のために動員しうる部門も︑その規模も増大し︑軍需生産と工業生産が技術的に結合す

るにいたったという戦争の性格の変化︑工業・軍事技術の変化と発展といった具体的要因を考慮にいれねばならぬ

また﹃教科書﹄では農業恐慌の激化や︑労佑者階級の搾取のつよまりを説くが︑それらは︑最初から全般的危機

の第二段階では··…•いっそう激化することを特徴としているとか、第二段階では……いっそうつよめられる、とか

いうように述べられ︑その根拠としては︑独占体の搾取・支配の強化という帝国主義段階での一般的規定の強調が

以上の簡単な検討からもしられるように︑﹃教科書﹄においても︑危機の経済的側面と全般的危機固有の諸要因と

の関連を決して明確にはしておらず︑政治的危機と経済的危機との結びつき︑政治的次元での問題と経済的次元で

の問題との関連を有機的・体系的に把握しているとはいいがたい︒またそうした把握を可能にする理論があるよう

もちろん改訂された﹃教科書﹄の全般的危機論が︑政治的危機と経済的危機を全くきりはなして論じている︑とい

いきってしまうことは明らかに間違いである︒前述の一般的・抽象的規定のほかにも︑たとえば経済的恐慌が政治

的危機を促進すること︑すなわち経済恐慌が資本主義の全般的危機という土台のうえで進行するがゆえに︑とくべ

つに鋭く︑かつ長期的なものとなり︑そのため世界資本主義に固有の諸矛盾が表面化し︑政治的危機が尖鋭化し︑かく

て全般的危機がさらに深まっていく︑という意味のことがくりかえし強調されている︵四︱二頁︒四四三ー四頁等︶︒ みられるにすぎない︒

(22)

‑470 

﹁戦争の宿命的不可避性は存在しない﹂と述ぺる︒

︵ 四

こうした点に注目すると︑政治と経済とをきりはなして論じているわけではないといえるが︑しかしこの程度の関

連は︑政治と経済の作用と反作用の関係を︑ たんに指摘したものにすぎず︑政治と経済の全面をとらえる全体制的

危機の本質を理論をもって解明したということにはならないと考える︒

改訂された﹃教科書﹄はヴァルガの場合と同様︑従来の市場危機論ともいうべき理論の誤りからまぬがれてはい

るが︑そこには政治と経済を結びつける理論というぺきものもまたなくなっている︒危機の経済的側面に関する絞

述は上記のような上部構造と下部構造の関連の抽象的な指摘とならんで︑ レーニンが明らかにした帝国主義段階の

( 2 )  

規定を︑第一次大戦以後の新しい政治的条件の下で確認しているにすぎないものとなっているように思われる︒農

業恐慌の慢性化・激化︑資本主義諸国の不均等的発展の激化等の説明はその典型的なものといえよう

註(1)この点に関しては、ッュテルンペルク著•福里次作訳『試練の上に立つ資本主義と社会主義』第五部第一章(六一五頁

以下︶が参考になる0

( 2 )

ただし戦争の不可避性に関しては︑レーニンの命題を修正し︑

五三

ー五

頁︶

われわれは再びヴァルガにかえらねばならぬ︒彼が従来の市場危機論ともいうべき全般的危機論の誤りを修正し

ていることーそれは同時に危機の統一的・理論的把握を困難にしたがーは︑すでに述べた︒しかしそうした誤

りを修正したことによって︑少くとも経済的側面に関する限りでの彼の綾述は︑第二次大戦後の世界資本主義の動向

を合理的に説明しうるものとなったであろうか︒また大体において︑同じ性格をもつと考えられる﹃教科書﹄︵第三

﹁現代資本主義﹂論についての覚え書︵越後︶

(23)

で あ

る ︒

﹁ 現

代 資

本 主

義 ﹂

論 に

つ い

て の

覚 え

書 ︵

越 後

盾の激化という判断以外にない︒ 術的発展と結びつき行われていることは周知の事実であるが︑

﹃資本論﹄に展開された原理論的法則の ﹁第二次世界戦争後における労佑者階級の貧困化﹂ 彼は戦後の技術革新の問題にほとんど論及してい

ら ば

阪︶ではどうであろうか︒以下この点に関して若干の疑問を述べておきたい︒

すでに検討したごとく︑ヴァルガは戦後資本主義の急速な生産の拡大について︑あるいは世界経済恐慌がみられ

された主として一時的なものであるとみ︑ そうした要因はすでにその力を汲みつくしてしまった︑

る︒戦後の急速な生産の拡大をささえた固定資本の更新が︑たんに戦時中の消耗・破損を原因とするにすぎないな

一応固定資本の修復•更新が完了した五五年以後の固定資本のひきつづく拡大はどのように説明されるか、

彼は工業諸国︑とくにアメリカの資本家たちが﹁一九五六年にもなおひきつづき固定資本を拡大した︒これは不合

理なことであり︑大独占体の利害にもあきらかに矛盾することである﹂︵四四頁︶という︒しかし問題はたんに﹁不

合理なこと﹂であるとして片附けられるほど簡単なものではないし︑またこれでは説明にもなっていない︒固定資

本の更新・拡張が第二次大戦から現在にいたる資本主義の発展史上においても︑

ない︒彼が﹁現代資本主義のもとにおける軍需生産の役割﹂

﹁資本主義の基本矛盾﹂等の個所で行っているかなり詳細な現状分析は︑ ︱つのエポックを劃する一連の技

貫徹を第二次大戦後の現状のうちに確認しているにすぎず︑そこで結論的にえられているものは︑生産と消費の矛

﹃教科書﹄では︑さすがに技術革新の問題についてはかなりたちいった論述がみられる︒たとえばつぎのごとく

﹁戦後には︑ながいあいだ更新されなかった固定資本更新の需要が︑とくにはげしくおこった︒工業の生 と断言してい なかったことに関して︑ その原因を主として固定資本の更新と拡張に求め︑ それを戦争の諸結果によりつくり出

(24)

472 

か で は な い が ︑ その根拠を明らかにするためには︑

︑ ︑

︑ ︑

﹃教科書﹄ではともかく一応独占体の高利潤追求が技術革命と名づける技

︑ ︑

︑ ︑

術上の進歩を促進している事態を認めているのである︒しかし独占体の高利潤追求が︑技術革命という形態をとる

﹃教科書﹄では別の個所において︵四

0

八ー九頁︶︑資本主義の全般的危機の時期には市場問題の激化︑企業・工場の

大量的・慢性的な遊休状態が生じること︑それがこの時期の質的に新しい現象であることを指摘するが︑こうしたエ

︑ ︑

︑ ︑

場の遊休状態のもとで︑どうして独占体の高利潤追求が技術革命と結びつくのであろうか︒﹃教科書﹄の説明は明ら

まずもって慢性的な工場の遊休状態の存在根拠と形態を独

根拠までも明らかにしてはいない︒ しかしこうして制限づきではあるが︑ て

い る

し︑それが資本主義の腐敗︑資本主義の能力の限界をあらわすものであると論じ︑他面そうした技術的進歩にもと

づく生産の拡大は︑生産と消費との矛盾からくる市場の狭い限界にますます強くぶっかるようになることを強調し 成果が︑生産力の前進的発展のために合理的に利用されず︑ おもに軍事的な目的に利用されていること等を指摘 産設備の更新は︑技術進歩とかたくむすびついている︒この技術の進歩をしきりにうながしているのは︑独占体の

高利潤の追求と軍備拡張とである。いくつかの部門に生産性の高い新しい設備がとり入れられ、:•••生産のオート

︑ ︑

︑ ︑

人類を新しい技術革命にみ

ちびいた︒第一九世紀がおもに蒸気の世紀であったとすれば︑第二 0 世紀は電気の世紀であったが︑それは現在︑

原子力の世紀にかわりはじめている:.﹂︵四五二頁傍点筆者︶︒

もちろん﹃教科書﹄でもこうした技術の進歩が︵一︶きわめて不均等に行われていること︑ メーション化がおこなわれている﹂︵四三五頁︶︒ また﹁こんにちの科学技術の発展は︑

﹁ 現

代 資

本 主

義 ﹂

論 に

つ い

て の

覚 え

書 ︵

越 後

︵二︶技術的進歩の

四 四

参照

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