小学校低学年特殊学級における 学級集団への適応指導
4年間の実践記録の一端から
茨木 昭夫
はじめに
当学部附属小学校内に,特殊学級が設置されて以来9年余の歳月が経過した。
開設当初は中・高学年児童を対象とした学級であったが,昭和43年4月からは低学年児童の入 級を認め,翌年には正式に低学年学級が誕生し今日に至っている。
昭和43年4月,入学式の最中に席を立りたり奇声を発したりして周囲の者をびハくりさせた 当時の児童たちも,今春には最高学年となり,後輩の良き兄姉として行動する立場になろうとし
ている。
入学1・2年生のころは, 自分は何をすべきか1「を考えることのできない文字どおり 白色 の児童たちllであう沿この白色の児童たちにどのような色をつけていけぽ,学年の進行と共に
自分のことは自分で処理し,場に応じた行動をするための判断 が育てられていくであろうか。
微力ながらも,低学年学級を4年間担当してきた体験から,いくつかの実践例を述べ,多くの 方々のご指導をいた父いて今後の学級経営に生かしていきたい。
本 論
1.基本的な生活習慣の確立をめざして
入学当初の児童は,生活年令6〜7才,精神年令3〜4才程度の児童集団であるために,教師 の指示などは馬耳東風である。したがハて,この児童たちの生活の場では,集団生活の基本であ る お互いの立場を認め合う ということは,到底考えられない状態にある。そこで,この教育 本来の目的を達成させるためには,できるだけ早い時期から集団に適応させるための 基盤つく
り四をはじめなけれぽならない。
では,基盤とは何であろうか。私は,それを 自分のことは目分でできるようになることであ る とおさえ,日々の指導にあた一てきたのである。
自分のことは自分でできるようになる ためには,まず基本的な生活習慣が確立されていか
なけれぽならない。なぜなら,第一次集団から第二次集団に参加し,やがて成人に達したのちに
社会生活を営むための前提条件であるからである。
いわゆる普通の能力を持つ児童であれば,就学するころまでには身につけてしまう生活習慣。だ から学校生活にはいれぽスムーズに知的な教育を受け入れることができるのである。ところが,
それらが確立されていない場合には,集団生活への適応もできず,最も基礎的な 読み・書き・
算数 の学習にすらはいっていけないのである。
一方,基本的な生活習慣の確立ができていないという背景には,家庭理墜こも問題がある。そ れは保護者の学歴や教養とかをさすのではなく,親の不注意によ・〔て心身障害児にしてしまnた からわが子に申しわけない。かわいそうである。ひとときもそぼを離れずにいて,身のまわりの ことをしてやりたい… 。といりた過保護な養育態度から,本人目身がやるべきことを一から十 まですべてのことを親自身がやハてしまうからである。
これは,親の立場に立てぽ当然のことであるかもしれないが,これでは,わずかずつでも伸び るものを持∩ているはずの心身障害児が,芽をだせないでいるのは当然である。
基本的な生活習慣の確立こそ低学年特殊学級経営の第一歩といっても過言ではない。
2.基本的な生活習慣の内容とその実態
就学前に家庭養育であnた児童は勿論のこと,幼稚園や保育園にかよハていた児童でさえも,
基本的な生活習慣を確立するためには,一から出発しなければならない場合が殆んどである。私 はその内容を次のようにおさえた。
(1川 励ズムをぐず蓉加 契
休日あけの学校生活は,当学級に在籍する低学年児童の殆んどに生気が見られない。それは,
学校がある日には起床・洗面・朝食・登校・学校生活・帰宅・遊び・夕食・就寝というリズム がほぼ一定しているが,休日となると家族のだれもがゆっくりした気分にひたるために,自か らの力でコントロールができない学級の児童は,日ごろのペースが簡単にくずれてしまい,そ れが復元しないままに学校生活を迎えるからである。
これが,連休や長期の休みにかかると,もうすnかりくずれてしまうのであるから,夏休みや 冬休みのあとなどは,入学当初を思わせるような状態がしばしぼ見られる。
休日に,可能な範囲においてで良いから,齪正レし〕.生賃三〜.2,ざムをくずさないようにさせ るということは,親自身に努力がいる。でも,それを乗り越えることができる親こそ,真に心 身障害児を理解した親といえるとはげまし続け,今日に至^ている。
(2)臓笹うり一し蒜三を身1とづ廷る陛凸 真
排せつについては個人差が大きく,普通児と呼ばれる児童でも排せつについて体内感覚が微 弱であるといわれ,失禁をしてしまうほどであるから,脳に障害を持つ児童の場合には排せつ 感がよりは6きりせず,また,排せつ物の知覚や不潔感も乏しいといわれている。事実,大便
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をたれ流しにして歩いたり,お尻を大便だらけにして平気でいる児童が当学級に在籍していた 一方,小便をもらす児童は,日に何度か失敗をしている例がいくつもあるので,かぞえきれな いほどである。
この失敗を繰り返す過程で,親は根負けをしてしまうから,杢人の顔色や時計とにら,めっζ をし&さっと便所にいかせてしまうから,本人はなんの抵抗もないうちに排せつをすませてし
まうのである。その結果親自身は一つのことから解放されたような錯覚をおこし満足感にひた りてしまう。反面,児童は生理的現象を訴えるための言葉すらおぼえないで就学期を迎えるか
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ら,就学後の学校生活では失敗の連続である。
ここにも誤まっな養育態度の一塩がうかがわれる。
(3)衣服の着脱ができるようになること
学校生活では,単元や題材等によりては上衣をスモックに着がえた方が良い場面がしぽしぼ 見られる。
この上着をぬぎ,スモックを着るという一見簡単なように見えるこの行為が,当学級の児童 たちにと・っては至難の技なのである。左のそでに右腕をとおしておいて,左腕を右そでに入れ ようとしたり,左そでに左腕をとおしはしたが,背中で一回転させてあるためになんとしても 右腕がそでをとおらない。また,前あきであ^ても前うしろがわからないとか,首の部分が下 になりているのにそのまま着ようとしている… 。など,実にさまざまな着方を見ることがで きる。これが体育の時間となるとそれこそ大へん。最低4枚は着脱するのであるから,日課表 に体育がある日は朝から頭が痛くなる。
手順を考えて指導をしないと,準備に1時間,あとしまつに1時間ということで前後3時間を 費やしてしまう日が何度もあハた。
これらのことをすべてひとりでやらせようとしたら,おそらく半日た一てもできないであろ う衣服の着脱…。これなども就学前の指導の中で着衣・脱衣を本人にやらせでいたのでは時
間ばかりかかってしまうことから,い烹さいを親力}やっ{.しま秘・,知らず知らずのうちに着せ P劉
、てもらうのが当然であるという気持ちを植えつけてしまったからである。
(4)食事がじょうずにできること
家庭生活では{ましが中心であり学校給食ではフォークとスプーンが中心となる毎日の生活の
ズレ。でも,幸か不幸か多くの児童たちの食生活ははしを使うことのむずかしさからスプーン
を使って食事をしてきたので, 食事をする ということは自分でできるので,やれやれと思
う。だが,幼児だからということで許されてきたのであろうが,韮ま1釦速鷺∫マ)食裏ヵ1,しぽしぽ
見受けられる。はしもスプーンも使わずに食事をする国があることを考えれぽ・この行為を鴨
いけない としてやめさせることは考えものであるが,そこには国としての 習慣 ,に従がわ せるのが当然であろう。弛人に不快な感じを与えることのない食事の仕方でと、い.う高い目標に むかい,親自身が範を示しながら指導して鎗ぐように要求しなρ
(5) 清潔整とんを心がけること
卜r− −一 牌雫 ド 冒, 「 噂
■ 面・手洗い・入浴・歯みがきをはじめとして,身辺を常にきれいにしておき,他人には不 快な感じを与えないようにすることがなぜ必要であるかということは,この時期の児童たちに はわか一てもらえない。だからといnて放任しておくことは許されない。やがて成長し,自分 の立場・相手の立場がわかりていくにしたがってどうしても身につけておかなければならない 最少限のことであるので,学校生活という場を利用し,大いに指導していかなけれぽならない
事項と考えている。と同時に,本来は家庭でやらなければならない事項もあるので,伸のこと 、
ともからみあわせ乍ら,じゆう分時間をかけ,たんねんに指導していくと共に,親自身が手本 を示さなけれぽならないことを強調した。
(6) あいさつができるようになること
自分と他人との結びつきは,まず a』建2ばにはじまる。多くの児童は,登校しても「お はよう」の声をだすことすらわからずにいた。あいさつをかわす場面は,家庭生活の随所にあ るはずなのに,それが身についていないということは,いったいどういうことなのであろうか。
場に応じたあいさつができるようになるということは,集団生活に適応できるというバロメ 一ターでもあるので,学校生活では勿論のこと,家庭生活においても積極的に場をとらえて指 、
アするように要求していnた。
以上の他にも,他人との会話ができるように・他人と協力ができるように・自分自身が健康安 全に気をつけられるようにということなど,某本的な生活習慣の内容はいくつもあげられよう。
これらは基本的な生活習慣の内容にはどんなものがおさえられるかという問いに対して項目別に
分類したのである。したがりて,それらの一つ一つを分離して指導するということは殆んどなく 、 いくつかの項目をからみ合わせ乍ら指導していくことによってその効果が期待できるのである。
そのためにも単なる付け焼き刃的な指導ではなぐ,一貫した指導姿勢が望まれるのであるから,
日々の生活の過程でポイントをおさえながら指導することがたいせつであることは,あらためて 述べるまでもない。
そのためにも,学校と家庭が密接に連絡をとり合い,きめ細かな指導姿勢を維持することが絶 体条件であると考えている。
3,児童の実態〜4年間をかえりみて〜
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茨木:小学校低学年特殊学級に訟ける学級集団への適応指導
4年間に第1学年に入学した児童は18名である。障害の原因は・騨生まひ①・壁水腫①,出
.産」瞳害⑩,交通裏故による頭部外傷①・染色睦異常⑤があげられる。
次に入学児童のおよその様子を述べるために,実態の一端を示してみる。
〈実態その1> J・w児(男),c:A6才o月,M:A3才4月,IQ56(s43年度入
学)
脳性まひのため右手足が不自由で,食事・物の保持・書写(毛筆は右手)などはすべて左手を 使用している。また,歩行なども困難をきわめ,特に階段の昇降やパスの昇降にはかなりの抵抗 を示している。
幼児期は,母親の手が殆んど療養中の父親(本児が1年生の夏に死亡)の看病にむけられたた め,本児は就園せずに祖父母と毎日を過ごす生活だった。したがって,家族以外の者との接触が きわめて少なく,また,特に機能訓練や言語訓練をすることもないままに,いきなり800名余 という大集団の世界にとびこんできたのである。
入学式当日,在校生をはじめ本校職員や保護者をあわせると1000名近くが一一堂に会した講 堂にはいった本児は,見るもの聞くものすべてに驚きの声をあげていた。さらにこの驚きに輪を かけるかのように,この日から一年間,本児を中心に一年生4名の成長記録を追うためのNHK 一TV取材班が撮影を開始したので,そのライトに照らし出され,いハそう興奮させてしまい゜
儀式 など眼中になかりたようである。
友だちと手をつなぐこと・たてに一列に並ぶこと・返事をすること・座席にすわること・くつ を自分ではくこと屍・。これらすべてのことに経験が乏しい4名の一年生が入学してきたから,
教室は毎日蜂の巣をつついたような状態が続いた。私自身も低学年がはじめてであるので,登校 から下校まで目を離すことなく,無我無中で行動を共にし,児童を下校(1時前後)させてほり
と一息。そこで一林のお茶を飲み干したときのおいしさ。ふと気がつくと,児童には排せつ指導 のために便所について行きながらも,自分自身は一度も排せつしていなかったことに気づき,ぼ
うこう炎をおこしてはとかけ込んだことも何度か経験させられた一年間であった。
<実態その2> H・0児(男),C:A6才10月,M:A3才10月,IQ56(S44年
度入学)
学区内小学校で就学児健康診断が実施された日,母親が受付に行き「うちの子は…」と語る と,その場で「教育委員会へ行ハて猶予の手続きを…」と言われ,そのまま帰宅してしまnた という家庭に育ハたH・0児。中教審答申以来ここ2〜3年,心身障害児にも教育の機会をとい
うことがマスコミをにぎわしているが,末端ではまだまだこうした事例が事実としてあることを 見聞するとき,私はいきどおりを感じてしまう。
話しは横道にそれてしまったが,本児が母親に連れられて本校を訪ねてきたのは,それからま
もなくのことでありた。
入試の日,保健室から体育館まで約30米ほどのところを歩こうとせず,母親に背負われて行 ハた姿は,今でも私の脳裏にこびりついている。当時は入学希望者が定員を大きく割っていたた めに,入学後の指導の困難さを予測しつっも合格させ,教育の場を与えたのである。
本児の特徴を端的に表現するならば,本人があらかじめ予測した音や連続音に対してはなんら の身体的反能を示さないが,予測しない音に対しては,それがどんなに小さな音であnても,耳 にした瞬間にその場にくずれ落ちるように倒れてしまう病気の持ち主であるということができる。
〈実態その3> R・K児(女),C:A7才o月,・M:A4才2月,IQ60(S45年度入
学)
就学を1年間猶予したダウン症児である。幼稚園に2年半ほど在園して集団生活の経験を有し
ている。 ・
人前に出て話すことを極端にはずかしがり,日常の生活においてもよほど気分が良いときでな いと,声を出して話すことはなか一た。とい(てもかん黙児ではなく,教師の耳もとにささやき にくるといった行為はしばしぽ見られていたので,多くの人前で話すようになった日も,そう遠
くはなかnた。
給食の時間,皆と向かいあってたべることを極端にはずかしがり,食事のときはひとり真うしろ をむいてたべるという時期が約1ヵ月続いた。
ダウン症児の特徴の一つである人なつこさが,級友の人気を集めて仲間と楽しく遊ぶことがで きたことは,本児の成長にとnて見のがすことのできない場面であった。
反面,なにをやるにしても動作がのろいことも本児の特徴で,体操服の着がえ・食事や下校の 準備・学習にとりかかる準備など。どれをとりあげてみても人一倍時間がかかるので,友だちか
ら置き去りをくうことがしぼしぼ見られた。
一方,母親の養育態度には,むやみに干渉せずll本人の持nている能力を最大に生かしていこ う という姿勢がうかがわれ,本児は理想的な姿で成長しつっあるといえる。
<実態その4> R・U児(女),C:A6才7月.M:A3才8月,IQ56(S46年度入
学)
乳児期に攣をやり洞度か死線をさまよ孟が一命をとりとめ今欧郵ている・
登校すると決まって「きょうは朝会ありますか」・「きょうの給食は」といったようなことを聞 くために,ランドセルを背負nたまま教官室にはい6てくる。それほどに学校生活が楽しくてし 方がないということなのであろう。
日常の生活では,正義感がきわめて強く,自分のことは棚にあげても,他人の行為に目をむけ,
「やってはいけません」といって手をだすことがしばしば見られた。一方,自分自身のことで気 にいらないことがあると,「いや!」 「だめ1」といった言葉を発しながら,同じ場所で5回も
10回もクルクルとまわり続け,あとはケロッとしているのである。
●
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また,指示に対しては「ハイッ」 「ハイッ。わかりました。」という言葉はポンポン出てくるが, ■
それを実行に移すということは殆んどできない状態である。
本児は水が大好きである。水道の下で遊ぶことはむろんであるが,日に何回となく水を飲みに いく。ちょっと目を離すと,シャボネット液に水を入れて飲んでしまハたり,プールにはいれば 口をパクパクあいて水を飲んでしまうことがしばしばあり,周囲の者をはらはらさせているので
ある。
どちらかというと,他人と一緒に遊ぶということは比較的少なく,やりたいことをしてひとり で楽しんでいる児童である。
身辺処理に関することは全然関心がなく,脱衣はしてもそのままにしておいたり,着衣しよう としたらどこに手足を入れるかわからずにいて,片手足などを入れて「できました。」とすまし 顔でいる状態が長い間続いた。
4.実 践 例 、
<事例1> 合い図に従うことができるようにするまでの指導
昭和43年4月,私が担任した学級は9名(1年④・2年③・3年②)という小集団の学級で あnた。2・3年生はいずれも普通学級での経験はあったが,日常行動においては新入生と同じ 程度であるといっても良いくらいの生活状態であnた。
この日まで,中・高学年学級を7年,中学校を3年と10年に亘る特殊学級での経験から,低 学年学級にはいってくる児童の実態はおよそこの程度であろうと予想して入学式にのぞんだ。と ころがその予想は見事にはずれ,実態その1で示したJ・W児を筆頭に入学式の日から大荒れ?
(これが当然の姿であろう)で,この日を気負いこんで待っていた私は,前途多難な道であるこ とを痛感し少なからず驚いた。
多人数の中でさえこの状態であるから,この児童たちだけの世界である学級生活は自由奔放に 動きまわる場と化し,騒然とした教室内での教師の指示は,あたかもめくら打ちをしているよう なものであハた。
それでも,なんとか教師のペースに乗せようと,おどかしたり大声をはりあげたりといろいろ な方法を試みては失敗の連続であnた。
中でも最大の傑作(今だからこういえる)は,入学式を終えて間もないある日のことでありた。
あらかじめ用意しておいたラジオ放送聴取の学習展開を進めようと,ひとりひとりをつかまえて は腰掛にすわらせ,机とからだと腰掛をぴハたりと合わせて簡単には席をたてないようにした。
そして,たまたまこの日は8ミリで記録写真をとる予定もあ一たので,ラジオのスイッチを入 れると同時に撮影を開始した。5秒・10秒… 30秒とファインダーをのぞいているうちに・
ひとりが席を立つことに成功した。そしてまたひとり…。わずか1〜2分の間にすわっている
児童はひとりもいなくなり,息をころして押し続けたシャッターは・いつの間にか空席の場面と
参観に来ていたJ・W児の母親の姿を写していたのである。そしてスイッチを入れて5分ともた ●
ネいうちに,教室は児童の喚声とスピーカーから流れる音声とが交錯する騒音教室と化してしま
った。
ネんとか枠にはめこみ,その中で教育しようとしていた愚かなわたし…。この場面を経験して 以来・趣.慧ゑ亘壼.きを捨工∫.星童と共K遊び喜わ一り_.勿虫でひとりひとり とらえた指導
児童に教えられた低学年学級の指導法といっても過言ではないこの日のできごとは,以来4年 間に亘る低学年児童の扱い方に大きな示唆となり,今でもは・っきりと脳裏に焼きついている。
ところで・毎日聞こえる翻チャイム藷は・児童たちにとnてはなんの意味も持たなかった。で もなにかの合い図があったなら・それに対してどうすれば良いかだけでもわかる児童にしていき たいという望みは捨てなかった。なぜなら学校生活=集団生活ということを考えたとき,どうし ても学校の日課にそった行動ができるようになるということが,最低条件と考えていたからであ
る。
ではどうすれば良いか。私は・ある丁定9)刺激を受けたらそれに対して反応が示せる状態(こ 黷ェま芝と土@原理と共通することをあとになって知った)を,遊びの中に取り入れてみた。
ここで言う刺激とは音楽を聞かせることである。
まず,からだは大きいけれど,先生も児童たちの仲間であるという意識を持たせるために,一 張らの背広を体操服に着がえ,児童と共に大きい箱型積木を並べたり積み上げたり,それをまた けハとばしたり,ボーリングや輪投げ遊びなどをやって思い切り遊んだ。こうした過程で,ある 一定の曲(例 ビゼー作曲「メヌエット」,グリーク作曲ペール・ギュント第一組曲から)を流
したときは・「いつもの音楽が聞こえてきたから静かに聴こう… 」といったセリフを残し・教 師は席に着くということを日に何度か繰り返した。
入学当初は,登校後約3時間を教師と過ごしているので,時間の経過と共に師大きい友だち の行動がわかりはじめ,どの児童も,いつもの曲が流れてくると,反応はスローながらも席に着 くことができるようになった。
こうなるともうしめたものである。このころになると,そろそろ授業開始のチャイムが流れてく るころというのを見はからってこの曲を流し,途中からはチャイム音のみが耳にはいるようにす ることによって相互の関連性を認識させる方法を試みた。
このような過程にあっても,チャイムだけでは反応を示さず(中・高学年に進んでも意識が乏 しいというのが実状であるが…)・また音楽を流さないで騨着席・を呼びかけてもなかなか反 応を示さないところをみると,いつ迄もこの方法のみに頼ることは決して最良とはいえないであ ろう。だが,前述のような学級状態をまとめていく技術の一つとして取り上げていくことは良い と考え,低学年学級を担当していた4年間,曲目を変えては使ハていた。
合い図に従い,日課にそった学校生活ができるようになるまでには,最低3年の歳月を要する と見るのが順当のようである。
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<事例2> 集団生活に適応できる児童を育てることをめざした指導〜衣服の着脱を中心に〜
マスコミの影響を大きく受けている現代の幼児たち。さらには,学校教育の一端を先き取りし ているとさえいわれている現在の幼鯉教百を」.ユ藷一3年間受けてきてい急就学児の激学力涯や
1㌧生造友』蛙レニ般螂なぬ工・毎ふる・よ箕略番。
反面,学級にはいってくる児童たちは・親目身の過腱から・自から判断してや一てみようと いう気持はまずなく,就学期をむかえて学校などに教育相談に来校し,そのとき私どもの生活習 慣についての問いかけを受けてはじめて気づくという現象が,毎年のように見受けられた。
このような状態の児童が入学してくるのであるから,事例1のような状態が起こるのは当然の ことであるといえるのであろう。
ところで,先にもちょっと触れたが,衣服の着脱ができないというζとは,学校生活のいろい うな場面に影響を及ぼし,大きなマイナスとなっている。
・着がえているときも,児童たちにとっては学習の場である という考え方からいけば,マイナ スと考えることが間違いであるが, 学校での教育 という立場から見れば,着脱の指導よりは
も・「と別な面の指導が数多くあるのであるから,いつまでもここで停滞していては… という気 持ちにかられてしまう。
ある日の日課表を例にとってみよう。
第1・2校時 生活学習(学習展開の中に絵をかく場面がでてくるので,あらかじめスモックの 着脱がある)第3校時 体育(運動をするのであるから,当然制服・セーター類・体操服を着脱 することになる)第4校時 国語があnて給食(エプ・ン・三角布の着脱がある)下校となる。
低学年の日課は,在籍する児童の実態から流動的におさえてあるこの日課表をほぼ完全な型で すすめようとするならば,どうしても手を出していかなければならない。事実,体操服の着脱の 場合には,休憩時間やあき時間を利用し,担任以外の教官1〜2名と上学年の児童が手伝わない
ことには,1時間を経過しても体育の授業は展開できないのである。
ここでのできる児童・できない児童の区別は,決められたある一定の時間内に終了できるか否 かできめられているが,ひとりでさ(さと着脱する児童と手伝ってもらわなければさっぱりだめ であるという児童の差。そこには,当然のごとくできる児童からの反発があり,時には親からの 非難さえ教師にむけられてくる。他人へのおもいやりを育てる場としては絶好の機会であるので,
ほめたり,はげましたり,おだてたりしながら手伝いをさせることもしばしばあったが,時間的 なズレの調整はこの学級にあnてはむずかしい課題である。
とにかく,上述のどちらをとるかは,個々の場面によハて異なるが, 自分のことが自からの
の資格を持つことになるので,私は家庭においては徹底した指導をするように要求していハた。
その結果,学校にあるハンガーと同じ品を求めて指導をすすめた家庭。朝は着せてやっても帰宅 後は助言を与えながらもいっさいを目分でやらせるようにしていった家庭。さらには家庭に帰っ
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教育研究所紀要第五一号
てから制服の着脱練習のために時間をかけた家庭など,それぞれにくふうをこらして実行してい
った。
実態その4であげたR・U児の場合も,就学前の家庭指導に大きな誤まりがあったことを悟り,
就学した時点から保護者自身の考えがかわり,徹底(?)した家庭指導を受けた一・人である。
学校生活で着脱するものは,制服上下・スモック・体操服上下・エプロンである。これらのす べては,いわゆる普通児向けに作られているので,学級の児童がこれらをある一定の時間内でや れるようになるということは,大きな負担であることは否定できない。
そこで,親たちはその負担を少しでも軽くしようとスナップをマジックテープにつけ替えたり,
スカートの前をわからせるための闘しるし をつけたりというように,児童の実態にあわせてく ふうをこらしている。
児童たちは,学校生活のそれぞれの場に追いこまれながらその場に必要なことはなんであるか を感じつつ(多分そうであろう),着脱をいっしょうけんめいする。だが,家庭に帰ってからの 場合は,制服にっいては着がえねばならないという必要感から,咀やる気llを起こしてやれるが エプロンや体操服を使ハての練習は,児童自身にとnては何等の必要感もないために,親が熱を 入れるほどに練習効果は期待できなかりた。転移する力に欠ける児童たちは,制服の着脱ができ
るようになnたから体操服もというわけにはいかないのである。
とにかく,ズボンをはけば前後が逆になり,スカートをはけば前後がわからなかりたり,そで ぐりから顔をのぞかせて手が片方しか出ないともがいている。また,体操服を着れば下着のそで がまくれ上が(てきゆうくつになり,頭をだすことすらできないという状態であるから,その場 にのぞむ教師は一人だけにかかりきるというわけにはいかない。
教師のそばに3〜4人の児童を連れてきておき,主としてA子に手をかけておりながらB夫・C 子・D男に対して次にどうすれば良いかを指示したり,片手で着脱の補助をしたりして,足並み をそろえるようにしていく。そしてA子が終わればまだなにもしていないE子を呼び寄せて着脱 させていくのであるから,体操があるときなどはこの場面だけで教師の体力を大幅に消耗してし
まう。
こうした様子は,現場を見たことのない人には想像しがたい場面であろうが,5年振りに高学 ノ N担当に戻一た今の私は,こうした面での指導では殆んど時間をとられないで済むので 高学年 は楽だなあ一四という気持さえ抱く毎日である。
こうして手を焼かせている児童たちも,やがてはひとっ・ふたつと自分の力でなんとかできる ようになってくると,それが自信につながり,他人の手を借りないでも最初から終わりまででき るようになるのである。それは早くて3ヵ月ほど。おそい児童となると中学年になりてからやり とマスターするのである。
集団生活に適応できる児童を育てていくためには,いろいろな要素を習得させていかなければ ならない。その中にあって,小さいようで大きな着脱の問題。低学年担任にとっては知的な面の 学習指導よりも力を注いでいるといっては過言であろうか。
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<事例3> 成長のカギにぎる親の指導
心身障害児教育は,児童の教育三分・親の教育七分といわれている。
■
サれだけに児童の成長のカギをにぎっているのは親であると断言できる。そこで,私どもは,親 に対し児童たちの特性や能力の限界,さらには将来を見とおしながらも毎日をたいせっにしてい
く指導姿勢などについての話し合いの場や,日々の生活の記録を教師と親が毎日交換しあう場を 設定したりして,親自身が実例をとおしながら,より正しく心身障害児を理解していく糧を与え ていりた。
本校の場合, 放任 という例が殆んど見られないのは,募集制度をとnているためであろう が,反面,わが子は心身障害児であるからという考えが根底にあるために,どうしても過保護に
してしまう傾同がみられる。
胃おとな1 を相手にしての指導は,児童の指導以上に困難であるが,ここにダウン症児を持ち,
過保護な養育態度を示している親と,ダウン症児ではあるが,親としてどうすれば良いかがわか
・(て実行しつっある親2名を登場させ,その養育態度の相違と児童の成長の姿との関連を追nて
みたい。
その1 厳しさに欠けるK・M児の親
K・M児は父32才,母39才(再婚)のときの児童である。戸籍上は長男であるが,実際に は年令が大きく離れた長男・次男夫婦に次ぐ三男でもある。兄たちとの年令差。それに加えてダ
ウン症ということで,両親の本児に対する養育態度は,まるで乳児を育てるかのようでもある。
家庭生活の一端をのぞいてみよう。
入浴の際の着脱は,いハさい父(母)の手でなされ,湯舟にも抱いてはいる始末である。また, 9
髓?フ排せつに際してもだっこをしてやらせるのである。一方,本児は列車通学をしているので 定期券を持っているはずなのに,それがないので問いかけたところ・本人に持たせるのはかわい そうだから,改札ロをとおるときだけ持たせ,あとは母親のバックに入れておくという言葉が・
母親自身の口からかえ一てきた。さらには,週末に汚れものの体操服などを本人が持って帰nて いるのに,月曜日になると母親が持ってきてそりとロッカーに入れていくということをやりてし まうのである。これに対して学校では,事例2で述べたように衣服の着脱をほじめとして・物の 整理とか手洗いなど自分のことは自分でするように指導しているのであるから・間にはいった本 児はとまどハてしまい,結果的にはいつまでたっても基本的な生活習慣が身につかず・性格的に もたくましさが育たずにいるということになる。担任の指示を受けとめて実践に移すことに踏み きれない典型的な家庭である。
したがって,このような状態にある親に対して一度にあれもこれもと並べたて・「さあ一。き ようから実行しなさい。」というようなことは徒労に終わるので,いっどのような手順で指導す べきかについては,相手の心理状態も見とおさねばならず,タイミングのとり方がむずかしい。
担任は,本児の将来を見とおしながら指導しているのに,親の身勝手な行動が随所に顔を出し・
教師の指導力の限界をひしひしと感じるときが何度もあった。
●
サの2 養育態度を心得ているR・K児の親
R・ j児は父30才,・母26才のときの長女として生まれた。本人の様子は実態その3で述べ た通りであるが,食事に関して補足をし母の養育態度の一端にふれたい。
学校で給食をたべてこないときは,家庭に帰nてたべさせたりしていたが,それが誘因となっ てますます学校ではたべなくなるのではないかと判断し,心を鬼にしてそれをやめることにした。
そして学校でたべてこなければ空腹になることをわかちせるために,夕食事までいっさいのもの を与えずにがんばった。朝食から夕食までの長時間,学校でほんのひと口かふた口はたべている とはいいながらも・発育ざかりであるだけに本人の苦痛は大きかったに違いない。教師も親も何 度かくじけそうになったこの処置。それは千里の道を歩むのに等しい程の苦しみである。そして やnとのことで親の気持ちが通じたのは,2ヵ月を過きたころであ^た。前述したような態度は すっかり影をひそめ,本人の口からは鼻歌が,さらには不明瞭な発音ながらも「アダジ,どっで もおいじいの… 」という言葉さえ聞かれるようになり,親と教師が「もう大じょうぶですね」
と喜びをわかち合ったのである。
たべる ということは本能として当然の行為である。その当然の行為ができないために集団 生活ができなかったR・K児。それが自からの力で給食を,そして母親の愛情こめた手作りの弁 当がたべられるようになったことで自信を持ち,それがきっかけとなって人前でも発表できるよ
うになり,仲間と共に遊べるようになっていったのである。 ,
教師の指導助言を取捨選択し,できることから実行させようと,常に一歩さがって見つめなが
こには他人の介入できない 愛情四という強いきずなでしっかりと結ばれており,その不安は感 じられない。
心身障害児を持つ家庭のすべてがこのような状態であってくれたならと常日ごろ考えている一 人である。
心身障害児ということで長年過保護に育ててきた親自身の養育態度を変えていくことは一朝一 夕にできるものではない。それを無理に変えていこうとすれば,そこには感情の対立のみが残り 児童を忘れた論争に発展するおそれもある。ではどのようにしていけば良いであろうか。その一 つとしては・具体的な事実を取りあげて,それをいろいろな角度から見つめさせながら臼己批判 をさせていく。そして・それに気づくことができたら大いにほめて(おとなでもほめられれば悪 い気はしないはず),それの実行を手助けしていく方法が,時間はかかるけれども一番はや道と いえよう。
私どもの指導助言を取捨選択しながら,親自身がいっ目ざめて実践に移してくれるであろうか。
それは児童の成長の度合と比例してくるので,早ければ早いほどよく,それだけに親の指導も担 任にとっては重要な仕事の一つなのである。
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茨木:小学校低学年特殊学級における学級集団への適応指導
ま と め
低学年の段階にある児童にとって,学校生活は未知なことが満ちあふれている世界である。そ の世界に入った児童たちが,お互いに個性をむき出しにして争いはじめると,この世界は不思議 なもので,ある児童を中心としてひとつ・ふたつと集団が形成されていくのである。
反面・R・U児やR・K児のようにどうしてもそれらの集団に加わることのできない児童も出て くるので,教師は生活の各場面を可能な限りきめ細かに観察していかなければならない。この 児童の観察 は,学校教育上不可欠のものであるが,心身障害児教育においては家人による観察 指導も重要な役割を占めることを,声を大にして強調したい。
事例として示した指導法。ζれを学校教育の場だけでなしとげようとしていたら,おそらくい っまでたっても児童は低迷しているであろう。
児童の一日の生活の大部分は家庭にある。その家庭生活の状況の一端でも教師が知り,同時に 学校生活の状況の一端でも親が知ることによって,ひとりひとりの児童に対する両者の指導姿勢 と経過が浮き彫りにされていくのである。もちろんこの過程にあnて両者の考えに相違があれば その考えを率直に述べ合い,より良い方針をたてていくことは申すまでもない。
心身障害児の教育は親の教育姿勢で決まるといっては過言であろうか。
実践例のところでも述べたように,親自身がこの教育の本質を正しく理解している場合には,そ の児童は必ず成長しているのである。反面,親自身が普通学級に戻そうとか,心身障害児を持っ てはずかしいというように不安定な状態にある場合には,成長過程に一進一退が見られるのであ
る。
そういう意味では,児童は親の鏡であるという言葉が,この教育の中でも通用するのである。
集団生活への適応をはかっていくためには, ある一定時間に,他人と同様の行為ができる ことが大原則である。そのためには,目分のことが自分でできるようにするための技能や態度の 育成を,どうしても低学年の時期に達成させる努力をせねばならないと,私自身に言い聞かせつ つ,4年間を児童と親を相手に根くらべをした毎日であった。
担任を離れてみてはじめて知る欠陥だらけの指導法。再び低学年を担任する機会に恵まれたな ら,あのような場面のときはこのように対処してみようと思うこのごろである。
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