日本のナショナリズムと
地理思想に関する試論
高 木彰 彦
1 はじめに (1994)など,竹内啓一による一連の研究がそうで 湾岸戦争を契機として,国際社会における日本 あり,水内(1994)のように,地理思想と国民国家 の役割をめぐる論争が行われる中で,これまでの 形成について述べた研究もみられる。
前提を維持し平和国家を目指していこうとする立 とはいえ,地理学関係者においては,こうした 場に対して,経済力に応じた軍事的貢献を当然視 歴史認識をめぐる論争と関連して地理認識を論じ するいわゆる「普通の国」化を目指そうとする意 ようとする見解は少ない2)。それどころか地理学 見が強まってきた。こうした日本の国際的貢献を 者の多くは,視覚的な地理的事象の実態究明に主 めぐる論争とともに,歴史認識をめぐる論争も活 眼をおき,地理的認識ないしは地理的知の孕む政 発に行われてきている。とくに1997年度から改訂 治性については等閑視する立場をこれまでとって された中学校の歴史教科書における「従軍慰安婦」 きた。政治的客観性ないしは中立性を保とうとす の記載をめぐって,そうした記述を「自虐史観」 る立場は,かつての地誌学中心的な立場から1960 だと主張する「自由主義史観」を標榜する見解が 年代以降の計量的手法へとスタイルを変えてはき 支持を得てきている1>。「従軍慰安婦」の記述を たものの,本質的には変化していないように思わ めぐっては,いくつかの地方議会が削除を求める れる。
決議を行ったように,教科書検定の範囲を超えて 一方,復活したといわれる欧米の地政学研究の 社会問題化した。 中で,近年では批判地政学critical geopoliticsと
このように,今日の日本においては,歴史認識 呼ばれる分野の研究の進展が著しい3>。批判地政 をめぐる論争が大きく社会問題化してきている。 学の論者たちは,政治家や外交官など,外交政策 本稿はこうした問題に立ち入るものではなく,近 に携わる専門家たちの地理認識,雑誌やマスコミ 代化以降,初等・中等教育において歴史と同様に の報道にみられる地理認識などを分析の対象にす 位置づけられ,今日でも社会科や地歴科として同 る。つまり,外交政策の展開を条件づける現実の 様に扱われている「地理」という科目に着目し, 空間そのものではなく,そうした空間を認識する 歴史認識と同様に地理認識についても検討する必 人々の,いわば心象地理を問題にするのである。
要があることを主張しようとするものである。日 このように,地政学研究は新たな段階にさしかかっ 本人の地理認識をめぐる議論は,これまで,主と ている。
して地理思想史研究の分野で進められてきており, 本稿はこうしたこれまでの研究動向を踏まえ,
その成果も蓄積されている。こうした研究の中に ともすればこれまで個別に扱われがちであった地 は地理思想とナショナリズムとの関連を述べたも 政学研究,地理思想史研究,ナショナリズム研究 のもある。例えば,Takeuchi(1987)やTakeuchi を関連づけることを,新たに試みようとするもの
である。以下では,まず日本の近代化と地理思想 本章では,明治維新以降の教育制度と地理教育 との関係を地理教育を中心として述べ,次いで日 の変遷を概観する4)。表1は明治維新以降敗戦ま 本的ナショナリズムが最も高揚したアジア・大平 での教育制度の変遷を示したものである。1872 洋戦争期における地理の教科書と地政学の特色に (明治5)年,学制が公布され,それまでの寺子屋 ついて触れ,最後に今日における歴史認識をめぐ 式教育に代わって不特定多数の子供を対象とする る論争と地理認識の持つ意味を冷戦の終焉に関連 近代教育が開始された。この時,小学校は上等と づけて述べることにしたい。 下等の二段階に分けられ,それぞれ半年を単位と する8級4年制であった。したがって,下等小学 H 近代化と地理教育 の場合,6歳で入学し10歳で卒業するというもの
日本人の世界認識は明治時代において劇的に変 であった。このように児童は6歳になると小学校 化した。それ以前においては,一部の為政者や知 へ入学することができたものの,学制公布時には 識人らを除けば,大部分の日本人は世界の地理や 小学校は義務教育化されてはいなかった。中川 世界において日本がどのような位置にあるのかに (1978)によれば,1876(明治9)年における小学校 ついて知らなかったであろう。明治維新以降,欧 の就学率は全国平均で38.3%だったという。これ 米で出版された世界の地理書に基づいていくつか を男女別にみると男子74.7%,女子25.3%で,女 の地理書が日本語で出版され,多くの日本人,と 子の就学率の低さが顕著であった。このように当 りわけ女性や子供が世界の地理について理解を深 時の就学率が低かった理由は,学費が高価であっ めるようになった。 たことに加え,小学校における授業の内容が抽象
的な内容で,子供を通わせる親の立場からすれば
表1 戦前におけるおもな教育制度の変遷 当時の社会的需要とかけ離れた内容と受け止めら 年 教育制度の変遷 れたからだという(中川,1978,P.30)。小学校
の義務教育化は,この後,1886(明治19)年の小学 1872
P879
学制公布 校令公布まで待たねばならない5)。教学大旨公布
教育令公布 学制公布時において・「地理」は小学校の必修
1880
改正教育令公布 科目として位置づけられ,下等の2年生の後半か1881 小学教則綱領、教科書開申制度成立 ら上等までのすべての学年において必修科目とさ
1883
教科書認可制度成立 れていた。したがって,当時の初等教育において1885
内閣制度成立・初代文部大臣森有禮就任 「地理」という科目はきわめて重視されていたこ1886
学校令(小学校令・中学校令・師範学校 とになる6>。児童たちは,最初に日本の地理を学令・帝国大学令)公布教科用図書検定条例制定 んだ後・世界の地理について学んだ。日本の地理
1887
教科用図書検定規則制定 の教科書は瓜生寅の『日本国尽』であり,世界の1890
教育勅語公布 地理の教科書は福澤諭吉による『世界国尽』であっ小学校令改正 た。このように,近代初等教育の開始時期におけ
1899
小学校令改正 る「地理」は,地誌的性格が強かった。こうした1902
P903
教科書疑獄 地誌を重視した地理教育はその後の日本の地理教専門学校令公布
小学校令改正 育を特色づけることになる。これらの教科書の内
1904
教科書の国定化 容については,中川(1978)やTakeuchi(1997)が1907
義務教育期間の延長 検討しているのでここでは詳しくは触れず,Take一1941 国民学校成立 uchi(1997)の,①欧米に比してアジアの記述の量
1943
第六次国定教科書発行 が少ないこと,②欧米諸国の経済的・文化的繁栄に対してアジア諸国の経済的後進性及び政治的従 も大きく寄与していくことは言うまでもない。
属性,というこの時代の地理教科書に見られる特 この第一期の国定教科書の特色は,それまで畿 色を指摘しておくにとどめたい。 内八道という地域区分に従って記述されていた国 1885(明治18)年に内閣が制定され,初代文部大 内地理の記述が,東京に始まる7地方に北海道,
臣となった森有禮のもとで,1886年,学校令が公 台湾を加えるという,今日のスタイルに近いもの 布された。これはそれまで学制ないしは教育令と となったこと,教科書に地図を掲げたことなどで して単一の法令のもとに制定されていた学校関係 ある。また,記述の内容を見ると,最初の部分で の法令を,たとえば大学については帝国大学令, ある総論は「わが大日本帝国は…」で始まって 小学校については小学校令というように,学校の いる。府県別の記述も,名所・旧蹟・物産などに 種類ごとに分けたもので,それぞれの学校令はた 加えて,神社や師団司令部についての記述があり,
びたび改正されたものの,敗戦後の1947(昭和22) 軍事的色彩が強くなり,愛国精神の高揚がいっそ 年に学校教育法が公布されるまで,日本の教育関 う図られていることが伺われる。
係の諸法令の骨格を形作った。 その後国定教科書は何度か改訂される。それぞ 小学校令においては,尋常小学校の4年間が義 れの時期を列挙すると,1908(明治41)年(第二期),
務教育とされ,教科書も検定制となった。「地理」 1918−19(大正7−8)年(第三期),1935−36(昭和 は高等小学校において必修科目となったが,それ 10−11)年(第四期),1938−39(昭和13−14)年(第五 は歴史と合わせてであり,両者を比較すると相対 期),1943−44(昭和18−19)年(第六期〉である7)。
的には歴史が重視されていた。したがって,学制 これらの教科書の記述スタイルや内容は基本的に 期および教育令期における「地理」に比べれば, は変化していない。国際情勢の変化や日本の領土
その重要性は低下したことになる。 拡張などに伴う記述の修正がおもなものである。
1890(明治23)年に小学校令が改正され,「地理」 しかし,アジア・大平洋戦争中に刊行された第六 は「日本地理」と「世界地理」とに分けられ,前 期教科書の内容は,戦時下ということもあってか 者が尋常小学校において選択科目,後者が高等小 極めて異色な内容となっている。次章では,1943 学校において必修科目となった。その翌年出され (昭和18)年に発行された小学生向けの「初等科地 た,.小学校教則大綱には,「日本地理及外国地理 理」の内容を紹介するとともに,やはりこの時期 ハ日本ノ地理及外国ノ地理ノ大要ヲ授ケテ人民ノ に高揚した日本の地政学の特色について概略し,
生活二関スル重要ナル事項ヲ理会セシメ兼ネテ愛 日本的ナショナリズムの高揚と地理との関わりの 国ノ精神ヲ養フヲ以テ要旨トス」とうたわれてお 例を示してみたい。
り,このころから,「地理」といえども,客観的
な事実の列挙ではなく,国民教育的観点から,愛 皿 アジア・太平洋戦争期における地理教育と 国精神の高揚が図られるようになってくるのであ 地政学
る。 1 アジア・太平洋戦争期における地理教科書の 1903(明治36)年には小学校の教科書は国定制度 特色
となり,翌年からすべての児童は同一の教科書で 1941(昭和16)年の国民学校令によって,それ 学ぶ体制が形成された。この時国定化されたのは, までの小学校が国民学校に改組された。国民学校
「修身」,「国語」,「地理」,「歴史」の4教科であ は初等科6年,高等科2年からなり,それまで6 り,その理由はこれら4教科が相互に関連性をも 年だった義務教育年数を8年に延長する計画が図 ち,国体を教えるのに重要な役割を果たすからで られたが,戦争のためこの計画は実現しなかった。
あった。こうして中央集権的な教育体制は次第に 「初等科地理」はこの国民学校の初等科向けの教 強められ,こうした体制がやがて日本の軍国化に 科書である。本稿で紹介するものは1943年に発行
されたもので,上・下二巻に分かれている。それ の「日本の地図」である。
それの目次は表2に示すとおりである。 ここでは,まず日本列島を構成する主な島々が 表2からわかるように,上巻は日本地誌であり, 概略された後,以下のように述べられている。
下巻は世界地誌である。上巻では,まず日本列島
を世界の中に位置づけたあと,日本列島の自然環 北の千島列島,中央の本州,南の琉球列島が,そ 境が概観され,その後,「帝都のある関東平野」, れそれ太平洋へ向かって弓なりに張り出しているぐ
「東京から神戸まで」といった順に西へと向かっ あひは,日本列島全体をぐっと引きしめているやう て記述が進み,「北陸と山陰」,「中央の高地」へ で,かうした形から,われわれは何かしら強い力が
と戻り,「東京から青森まで」,さらには「北海道 こもっているやうに感じます。
と樺太」,「朝鮮と関東州」,「台湾と南洋群島」と どうみても,日本列島はへいぼんな形ではありま いう順で記述される。この記載順は,それまでの せん。アジア大陸前面に立って,太平洋へ向かって 国定教科書のそれが,「関東地方」,「奥羽地方」, ををしく進むすがたが想像されるとともに,また太
「中部地方」,「近畿地方」,「中国地方」,「四国地 平洋に対して大陸を守る役目をしているやうにも考
方」,「九州地方」という順で記述されていたのと えられます。は異なっている。また,「北海道」や「樺太」, …中略…
「台湾」など明治以降に開拓ないしは領土化の進 これらの海や海峡は,日本列島中大きな島々の間 んだ地域が,従前の教科書では世界の諸地域の記 にある海峡とともに交通上また国防上,非常に大切 述とともに巻2に組み込まれていたのに対して, であることに注意しなければなりません。
この教科書では,これら新たに領土化された地域 …中略…
がいわゆる内地と同じ巻で扱われていることも異 そこで次に,日本を中心とした広い大東亜の地図 なる点である。 を,ひらいて見ませう。
3章以下の各論では,基本的には,それまでの …中略…
国定教科書の記述スタイルが踏襲されている。各 私たちは,日本を中心として,太平洋の諸地方を 地域の説明の部分では,まず,それぞれの地域を ひととほり地図によって見渡しました。そのうちで,
代表する神社が写真入りで記述され,次いで物産 アメリカ大陸をのぞいた他の地方は,大体今日大東 中心の記述がなされている。戦時色あふれる当時 亜とよばれている地域のうちにはいるのです。大東 の国家主義的性格が色濃く出ているのは,第1章 亜がどんなに広いか,また日本から見てどんなぐあ
表2 「初等科地理」(1943)の内容
上巻 1 日本の地図 下巻 1 大東亜
2 本州・四国・九州 2 昭南島とマライ半島 3 帝都のある関東平野 3 東インドの島々 4 東京から神戸まで 4 フィリピンの島々 5 神戸から下関まで 5 満州
6 九州とその島々 6 蒙彊 7 北陸と山陰 7 支那 8 中央の高地 8 インド支那 9 東京から青森まで 9 インドとインド洋 10北海道と樺太 10 西アジアと中アジァ 11朝鮮と関東州 11 シベリア
12 台湾と南洋群島 12 太平洋とその島々
いにひろがっているかをよく注意しませう。 テイクと同様な主張が認められる。
…中略… そして,最終章となる第12章の最後の部分は以 かように位置といい,形といい,たぐいない国土 下のように締めくくられている。
に恵まれたわが日本は,まことに神の生み給うた国
であることを,つくづくと感じるのであります。 近世徳川氏の政策によって,しばらく国をとざし ている間に,太平洋の島々との連絡が絶え,そのあ このように,この第1章では,日本列島の形を いだ,欧米人は,日本に近い島々までわがもの顔に 賛美し,それがアジア太平洋地域の要であり,同 ふるまいましたが,今や再び太平洋は日本の力の前 地域に発展すべく運命づけられているかのような に,アジヤの海として,その本来の姿をあらはし始 記述がなされている。当時日本政府によってうた めました。大東亜の住民の多くは,早くも日本の救 われていた「大東亜共栄圏」の中心的存在である いのもとに新しい生活を始めています。
日本という描かれかたがなされている。そして, 太平洋とその島々,アジヤ大陸からインド洋へか この章の最後は以下のように締めくくられている。 けて,いっさいを含む大東亜一その中心こそ,まさ しくわが日出づる国日本なのです。いや栄えに栄え 面積にくらべて人口の多いこと,人口のふえるわ ゆく,この大和島根に生をうけたわれら一億はらか
りあいの大きいことは,世界でもまれであり,この らは,今こそ大御 ・のまにまに,祖先に恥じない大
ことからもわれわれは,国の力があふれていること 東亜建設の偉業を打ち立てて,世界永久の平和,万 を思って心強いかぎりです。 邦協和の喜びを,ようつの民にわかち与えなければなりません。
こういった記述から,「生めよ増やせよ」的な国
威発揚を如実に読みとることができる。 以上のように,この時期の地理教科書から,戦 下巻は世界地誌であるが,そこに描かれている 時中だから当然とはいえ,自国中心的で軍事色あ 地域は世界全体ではなく大東亜である。表2から ふれる世界観を読みとることができる。こうした
も明らかなように,まず第1章で大東亜の概略が 教科書で学んだ子供たちは,その後こうした心象 述べられ,次いで,第2章以下,昭南島とマライ 地理を払拭し切れたのであろうか。それとも成長 半島,東インドの島々,といった形で第12章の太 した後も心の中に保持し続けたのであろうか8)。
平洋とその島々まで,大東亜地域に含まれる各地
域の記述がなされる。それぞれの地域の説明にお 2 日本の地政学の特色
いては,緒戦において日本が勝利した戦地の記載 地政学(ゲオポリティク)とは,もともとスウェー や,大東亜建設にとって必要な資源といった物産 デンの政治学者ルドルフ・チェレーンが新しい国 が中心となっている。最後の第12章に見られるハ 家学を樹立するために,彼自身の国家学体系の中 ワイの記述は, に,土地と国家との関わりについて究明する下位 分野として位置づけたものである。ところが,内 元来日本人の数は,ハワイ諸島全体にかけて16,7万 容的にはその多くをドイツの地理学者フリードリッ 人に及び,全人口の約四割を占めている上に,農業・ ヒ・ラッツェルの政治地理学に依拠していたこと 水産業を始め,多くの産業は日本人の手によって行 から,ワイマール期のドイツにおいて,主として われていますから,ハワイ諸島はいはば日本の島と 地理学者によって注目され,国民的な関心を集め 見ることができるのです。 ることになった。やがて,ゲオポリティクはナチ スの政策に組み込まれ,第二次世界大戦中には,
となっており,ワイマール期のドイツのゲオポリ 連合国側からはゲオポリティクを主導したハウス
ホーファーが鬼神のごとく語り伝えられたのであ の精神運動と理解した方がよいように思われる。
る。 実際,小牧の著書には,皇道,八紘一宇,といっ このように戦間期のドイツにおいて流行したゲ た天皇主義的な用語がしばしば登場するのである。
オポリティクは日本にも伝えられ,地政学と訳さ これに対して,他のグループの地政学は京都学派 れて,1930年代後半から,さまざまな地政学運動 ほど精神高揚的な性格はなく,国土計画や地誌等 が繰り広げられた。戦前における日本の地政学に 実際的な内容の論文が多い。したがって,京都学 ついては,Takeuchi(1980,1994)に詳しく述べら 派の主張のみで当時の日本における地政学の性格 れているので,ここでは詳述はしない9)。竹内に を判断するわけにはいかないが,総じて日本の地 よれば,この時期における日本の地政学には三つ 政学は実践的というよりも精神運動的側面が強かっ の流れがあったという。それは,①京都大学の地 たように思われる1°〉。
理学者を中心として「日本地政学」を主張したグ 以上,教科書の記載内容や「日本地政学」の記 ループ,②ドイッのゲオポリティクの影響を強く 述内容からも読み取れるように,この時期,日本 受けた経済地理学者のグループ,③日本地政学協 的ナショナリズムは天皇を中心とする皇道主義的 会に参加した学者,政治家,軍人のグループであ な原理のもとに一つのピークを迎えたのであり,
る。当時の日本人一般に与えた影響力からすれば, こうしたナショナリズム高揚の時期において,国 三番目のグループが最も影響力が大きかったと考 民の世界認識もそれに適うものとなっていたので えられるが,ここでは,日本の国粋主義とドイッ ある。
のゲオポリティクを結びつけた京都学派の代表的
人物であり,当時京都帝国大学地理学教室の主任 IV 最近における新ナショナリズムの台頭と歴史・
教授であった小牧實繁によって,1941年に出版さ 地理認識
れた『日本地政学宣言」を取り上げる。 冒頭でも触れたように,湾岸戦争を契機として,
小牧は「日本地政学」とその他の地政学とを区 日本における第二次世界大戦以降の歴史観を「自 別する。小牧によれば, 「日本地政学は皇道の分 虐史観」だとする「自由主義史観」論者たちの新 身,皇道の開顕としての地政学でなければならな ナショナリズムが台頭するようになった。湾岸戦 い。」(p.174)のであり,「縦に過去現在を一貫し, 争時における日本の戦争への貢献,とりわけ自衛 未来を指向する歴史と,横に世界を一体としてそ 隊の派遣をめぐって,国会で大きな論争がみられ の現状を彷彿せしめる地理との総合的統一的研究 たことは記憶に新しい。こうした論争の中で,経 こそ,実に日本地政学の根幹をなす」(p.175)と 済力に見合った政治的及び軍事的貢献をする「普 いう。さらに小牧は,「日本地政学は,独逸的地 通の国」を,日本は目指すべきだとする,小沢一 政学の亜流たる如きものであるのではなく,又英 郎に代表されるような主張が形成され,影響力を 国的謀略地政学の如きものでも勿論なく,又旧き 増大させるようになってきた。
支那的地政学の如きものでもなく,実に吾が無始 日本の戦争責任をめぐる論争は,戦後,アジァ 無終の皇道と共に本来日本にありし所のもの,而 諸国の間でたびたび繰り返されてきた。アジア諸 して今後皇道の開顯と共に,これ等凡てのものを 国において,アジア・太平洋戦争を日本による侵 超えつつ,生成発展すべき日本的創造の学」(p. 略戦争とみなす考え方が支配的であることは言う 79)たらねばならないと述べる。 までもない。もちろん,こうした認識は日本にお
このように小牧を中心とする京都学派による いても同様である。けれども,自民党の保守的な
「日本地政学」は,新たな学問として日本地政学 代議士たちが,アジア・太平洋戦争は侵略戦争で を主張しているものの,これはドイツのゲオポリ はなかったとか,日本はアジア諸国の独立を助け テイクを日本古来の国粋主義と合体させた,一種 たといった発言を,これまでにもたびたび繰り返
してきており,そのたびに,韓国や中国のような し,「同じ国際基準のフォーマットに倣って作ら アジア諸国がそうした発言を非難iし,しばしば外 れた」が故にグローバル化されたのである。1990 交問題にもなってきた。 年代のナショナリズムもまた,グローバル化され
戦争中に日本人以外の女性を強制的に「慰安婦」 たメディアを通じて表現されるために,グローバ として従軍させたとされる,いわゆる「従軍慰安 ル化された性格を有するのだという。彼女は1990 婦」問題をめぐって国会および国内で論争が繰り 年代のナショナリズムを,ますますグローバル化 返された。さらにこうした「従軍慰安婦」に関す する資本主義秩序への対抗としての国民的アイデ る記述が中学校の教科書に記載されることに対し ンティティの高揚と捉える。日本の「自由主義史 て,そうした記述を「自虐史観」だとして,教科 観」にしろ,各国の新ナショナリズムにしろ,こ 書からの削除を求める主張が強くなり,いくつか うして1990年代に先進各国に噴出した修正主義的 の地方議会では,教科書からそうした記述の削除 史観は,いずれも「国民のアイデンティティとい を求める議決までなされたのである。こうした主 うレトリックに共通する奇妙な特徴のひとつは,
張を行ったグループは,彼らの観点から,すなわ これらが間違いなく国境を超えて共鳴しあってい ち国民一人一人が自らの歴史に誇りをもてるよう るにもかかわらず,論争の参加者たちが判で押し に,教科書は書き直されるべきだと主張している。 たように,争点は自分の国固有の問題だとみなし こうした主張に対して,戦後リベラリズムを擁 ていることにある」といった性格を有している。
護する立場からは,「自由主義史観」派を自国中 つまり,この意味でも,1990年代のナショナリズ 心的で保守主義的な新ナショナリズムだとする批 ムはグローバル化しているのである。日本にみら 判が行われるようになってきた。例えば,小森陽 れる「自由主義史観」は日本固有のものではなく,
一・ kエ哲哉編(1998)『ナショナル・ヒストリー 先進各国に見られる新ナショナリズムは共鳴しあっ を超えて』はこうした新たなナショナリズムに対 ているのである。
する批判論集として編まれたもので,人文・社会 一方,「自由主義史観」を批判する姜(1998)
,
秤ネ学にまたがる17編の論文が寄せられている。 は,OTuathail(1996)を引用しながら,次のよ また,歴史認識の共有を目指す試みも見られ,ア うに述べる(姜,1998;pp.144−5)。
ジアの各国における歴史教科書を資料として,そ
こに描かれる各国の歴史認識や日本イメージを描 この危うさの感覚は「地政学的なめまい」と呼べ く試みがなされている。山内昌之・古田元夫編(1 るものだが,それは何も日本だけに特有な現象では 997)「日本イメージの交錯一アジア太平洋のトポ ない。
スー』は,韓国,中国などアジア各国の教科書や 地政学的なめまいは,よりグローバルに言えば,
ジャーナリズムに描かれる日本イメージが検討さ 冷戦の終焉とともに,米国のヘゲモニーのもとで確 れている。 立された地政学的な世界秩序の経済的,イデオロギー ところで,このような歴史認識をめぐる論争を 的な「脱領域化」が劇的な形で進行し,国家間シス 引き起こした新ナショナリズムの台頭をどのよう テムの社会的な空間のトリアーデ(主権国家・領土
に理解したらよいのだろうか。テッサ・モーリス= 的統合・共同体的同一性)の安定性がゆらぎはじめ 鈴木(1998)によれば,「1990年代のナショナリズ ていることと無縁ではない。だからこそ,ある種の ムは,グローバル化,国民的アイデンティティ, ファンダメンタリズム(原理主義)の台頭にチャン 歴史と記憶の三者が取り結ぶ関係に,すっかりつ スがめぐってきたのだ。
きまとわれている」という。つまり,本来,その このねじれた関係を,ある政治地理学者は次のよ 国特有の独自性をもつはずのナショナリズムが, うに定式化している。「冷戦の地政学的な秩序の内 近代化の過程の中でまさに普遍的な国際商品と化 爆によって,戦後の世界秩序の分裂が際だって明ら
かになるとともに,社会空間的な同一性としての ティティや心象地理といったものが損なわれてい
「西側」や「ヨーロッパ」,「アメリカ合衆国」といっ るのだ。このことは,モーリス=鈴木が述べる たことの意味が危機に陥り,地政学的なめまいの経 1990年代になって新たな形式で展開しつつあるナ 験があらわになってきた。しかし,脱領域化は同時 ショナリズムのグローバル化現象そのものでもあ
に,分裂した旧い秩序の信条や慣習,実践や物語の る。
断片を活用する秩序の再領域化のための条件をつく こうした「地政学的めまい」の中で,ナショナ り出すことになった。地政学的なめまいの経験のな ルアイデンティティを再確認する動き,すなわち かから,グローバルな流動化のただなかで同一性 「再領域化」の動きが先進各国に共通に認められ
(アイデンティティ)を再び安定化させ,その再領域 る。このことは,これまでの国際政治学の諸理論 化をはかるために,国家と領土,共同体的同一性の においてリアリズムが支配的であったのとは裏腹 新たに想像されたヴィジョンが投企されようとして に,安定的な冷戦という地政学的世界秩序のもと いる。」 で,しかも日米安保条約という体制下にあって理 想主義が支配的であった日本においても例外では このように姜は,冷戦期におけるアメリカのへ ない。それが湾岸戦争を契機とした「普通の国」
ゲモニーのもとでの安定した地政学的世界秩序が, 論争であり,「自由主義史観」の登場であった。
冷戦の終焉とともに揺らぎはじめ,脱領域化する ところで,歴史認識をめぐる論争がこのような なかで,先に述べた「自由主義史観」のような史 展開をみせてきているのに対して,地理学者から 観が台頭するチャンスがめぐってきたと見る。彼 の発言はきわめて少ない。これまで述べてきたよ は「自由主義史観」のような「国民の履歴として うに,近代国家形成において初等教育を中心に地 の「正史」をたち上げようとする試み」を,引用 理思想は重要な役割を果たしてきたものの,地理 したオトゥーホールの言う「再領域化のプロジェ 認識に関しては,これまでのところ,歴史認識ほ クト」とみなしている。こうした「再領域化のプ どには問題視されていないし,日本の地理学者自 ロジェクト」は,まさに山崎(1997)が述べる「帰 体がこうした歴史認識に対してどこまで関心を示 属意識の固定化」にほかならないのである。 しているのかも甚だ疑問である。日本の地理学者 は,伝統的には地誌中心的な研究を行い,1960年 V おわりに 代以降は計量的な研究の比重が高まりをみせたも
冷戦終了後の新たなる世界秩序がすでに形成さ のの,研究における政治性はきわめて希薄であり,
れつつあるのかどうかに関しては,もう少し時間 政治地理学も名ばかりの状態であった。今日,歴 が経過しないと判断できない。今日が地政学的移 史認識をめぐる議論が高まりをみせる中で,地理 行の時期なのか,それともすでに新たな地政学的 学者からの発言が一向にみられないのは,日本に 秩序が成立しているのか,判断は後世に委ねるに おけるこうした学問的特殊性による所が大である しても,今日の世界が混沌としていることは確か と考える。地理的知は常に政治性を孕むものであ であろう。 る。我々地理学者はもう少しこういった側面に対
こうした混沌のただ中にあって,冷戦的世界秩 して関心を示すとともに,発言すべきである。
序の「脱領域化」が進行し,「地政学的めまい」 最近,ドイツにおけるゲオポリティク研究が新 の状況が顕著となってきたのである。それは,冷 たな展開を見せているのも,こうした新保守主義 戦の終焉によって旧ソ連を始めとする多くの社会 の台頭によるナチ期の評価をめぐる論争が背景と 主義政権が崩壊し,新たな国家が誕生したことの なっているようである11)。これまで個別に行われ みにとどまらない。「脱領域化」や「地政学的め てきた日本の地政学研究,地理思想史研究も,最 まい」の中で,それまでの社会空間的なアイデン 近の批判地政学研究において主張される「地政学
的めまい」や「脱領域化」,あるいは歴史認識を 氏によれば,この「初等科地理」で学んだ世代は めぐる議論の中での「ナショナリズムのグローバ 2,3年間にすぎず,しかも戦争が激化したこと ル化」といった観点から研究を進めていく必要が から学校へ通うことも限定されていたため,この あるのではないだろうか。これは,「過去に目を 教科書の影響力はそれほど大きくないということ 閉ざす者は,現在にも盲目になる」というワイッ である。
ゼッカーの名言を引用しながら述べるFukushima 9)日本の地政学に関しては,この他, Fukushima
(1997)の問題意識にもまさにつながるものなので (1997)や波多野(1980)なども参照のこと。
ある。 10)もっとも,こうした公に公刊される活動だけで なく,京都学派の人々は秘密裏に地政学研究会を 本稿は,1998年8月18日,アイルランドのメヌースで 主催し, 「アジア各地の経営方針樹立のため」
開かれた国際地理学連合世界政治地図委員会の研究集 (岡田,1998;p.85)の研究を,軍部との接触を保
会において,Japanese Nationalism and Geographi一 ちながら行っていたようである。同様な指摘は村 cal Thoughtと題して報告した内容を加筆修正したも 上(1993)にも見られる。したがって,精神運動的 のである。 性格は京都学派の表面の姿にすぎないとみることもできる。
11)こうした研究については,Murphy(1997)や 注 Herb(1997)を参照のこと。
1)「自由主義史観」については,藤岡(1996)など
を参照のこと。 文献
2)筆者の知る唯一の例は,山崎(1997)である。 岡田俊裕(1998):十五年戦争期の米倉二郎,地理科
R)批判地政学に関してはOTuathai1(1996)を参照 学53, pp.73−96.
のこと。また,Eηo roη侃θ撹αη4 PZαππ π8 D 海後宗臣編(1965a):『日本教科書大系 近代編 Socゴθ砂απd助αcθ誌がvoL12−5(1994)で, PoZ拓 第15巻 地理(1)』講談社,632p.
cαZGθogrαp妙誌がvo1.15−6/7(1996)で,それ 海後宗臣編(1965b):『日本教科書大系 近代編 それ批判地政学特集を組んでいる。 第16巻 地理(2)』講談社,680p.
4)以下,とくに断らない限り,地理教育とは小学 海後宗臣編(1966):『日本教科書大系 近代編 校教育のことを指すこととする。なお,本章の記 第17巻 地理(3)』講談社,630p.
述にあたっては,中川(1978)の他,海後(1965a, 姜 尚中(1998):国民の心象地理と脱一国民的語り.
1965b,1966)などを参照した。 小森陽一・高橋哲哉編『ナショナル・ヒストリー
5)この時の小学校令で,小学校の就学は義務化と を超えて』東京大学出版会,141−156.
されたが,疾病や家計困窮の者は猶予とされた。 中川浩一(1978):『近代地理教育の源流』古今書院,
貧困者が猶予の対象から外されるのは1941年の国 311p.
民学校令からである
i山住,1987,p.48)。 波多野澄雄(1981):「東亜新秩序」と地政学.三輪 6)山住(1987,p.24)によれば,慶窓義塾を開設し 公忠編『日本の一九三〇年代一国の内と外から一』
た福澤諭吉は「人生に欠くべからざる学問」とし 彩流社,13−47.
て,エビシ(ABC)26字,読本に次いで三番目 藤岡信勝(1996):『近現代史教育の改革一善玉・悪
に地理書をあげていた。このこと からも基礎教育 玉史観を超えて一』明治図書出版,292p.
において地理が重視されていたことがわかる。 水内俊雄(1994):地理思想と国民国家形成,思想845,
7)海後宗臣編(1966),pp.616−26。 75−95.
8)竹内啓一氏はこの教科書で学んだ世代であるが, 村上次男(1993):日本地政学の末路,村上次男『回
想は続く』pp.66−79. graphical images of the outside world in テッサ・モーリス=鈴木,大久保桂子訳(1998):グ imperialist Japan(mid−1880s to 1945).地域
ローバルな記憶・ナショナルな記述.思想890,錐 学研究10,1−19.
56.
山内昌之・古田元美編(1997):『日本イメージの交
錯一アジア太平洋のトポスー』東京大学出版会,223p.
山崎孝史(1997):新ナショナリズムの台頭と帰属空
間の固定化.高木彰彦編『国際社会における現代 日本の政治地理学的研究』平成7〜8年度文部省科学研究費補助金基盤研究A(1)研究成果報告書,20一
24.山住正己(1987):『日本教育小史一近・現代一』岩波書店.
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