近代日本地域学校史研究と歴史学
著者 黒川 みどり
雑誌名 静岡大学教育実践総合センター紀要
巻 20
ページ 11‑17
発行年 2012‑03‑30
出版者 静岡大学教育学部附属教育実践総合センター
URL http://doi.org/10.14945/00006848
〈論 文〉
近代 日本地域 学校史研究 と歴史学
黒川み どり
*The Historical Studies on the Schoolin the Conllnunity in Mode」 n Japan and Historical Studies
Midorl Kurokawa
要 旨
日本 近代 教育史研究の現状に厳 しく対峙 しつつ、地域学校史 の実証研究 の成果を提示す る ことをとお して 方法 論 を含 む問題を提起 した秀作である花井信 『山峡の学校史 』 (川島書店、
20H年 )が
世に問われた。それ を手が か りに しなが ら、歴史学と教育学、なかんず く近代 日本教育史の相違点を確認し、両者の接点を探 り当てよ うと する ものである.キー ヮー ド
:
近代学校
地域
歴史学
地域学校史研究
は じめ に
2002年
に刊行 された (新体系 日本史〉第16巻
(山 川出版社)は
教育 に充て られ、辻本雅史 0沖 田行 司編『教育 社会史 』となっている。その 「序」は、 「教育 史再構 成へ の視座」 と題 し、まず教育史研究の現状に 対す る反省・批判の弁が次のように記 される。
「これ までの教育史研究は、おおむね教育学の一環 と して 展 開してきた。その教育学 自体 も、歴史的にいえ ば、 もともと国民教育を担 う教員養成の学 として成立 した学 問で あつた。それに規定 されて、教育車研究は 当初 か ら学校現場で教育実践にあたる教員の、 「教職 教養 」 としての性格が色濃 くあった。 これ までの教育 史研 究 のお もな課題が、学校史、教育制度史や教育実 践史 、 あるいはす ぐれた教育思想な どにあったのも、
このためである。いずれ も近代学校の教育や制度 を正 当化 した り、教育現場を鼓舞するような意図が、陰に 陽に こめ られていた。また現代の教育実践にお もな視 点がおかれているため、研究が近代 に偏重するき らい があったのも否定できない。実はこうした構造 自体に、
今で も本質的な変化があるわけではない。」
(i頁
)既存 の研究 に対 して こうした批判 を投 げかけつつ、
同書 は、M.フ ー コー と「国民国家」論 に触発 されて、
社会 との接点を意識 した 「教育の社会史 。文化史」を めざす ものとなっている。そ こに記 されていることは、
対象が教育である こと以外は、歴史学の課題 として受 け止 めて もほ とん ど違和 感はない。 しか し同書 は、
「教育社会史」 という分野を設定 していることに示さ れるように、あくまで 「教育学」 という独 自の学問領 域は堅持 している。
当然 の ことで あるが、歴史学 もまた しば しば教 育 を 対 象 に据 えて きた。対象が ほとん ど限定 され ない 歴史 学 にあっては、教 育学 との関係 に限 った ことで は な い が 、教育学 のなか の教育史 と歴史学 とはいったい どの よ うなアプローチ の違 いが あ り、 また どのよ うな 接点 を もち うるのか といった ことに、絶 えず つ きまと う問 題 で あ る。
そ うしたなか にあって、教育学 とい うアイデ ンテ ィ テ ィ を保持 しつつ長 らく日本教育史 の第一線 で活 躍 し、
かつ歴史学 の領域 か らもきわめて高 い評価 を受 けて き たi研究 者 で あ る 花 井 信 氏 に よ っ て 、 『山 峡 の 学 校 史 』 (川島書 店 、
2011年 )が
世 に問われ た。 同 書 もま た 、 「日本 近 代 教 育 史 の魅 力 が 失 わ れ て い る」
(「まえが き」i頁
)と
い う日本近代教育史研究 の現 状 に対す る危機感 の表 明 とともに、 「伝統的な近 代 日 本教 育史 の形式 と訣別 す る論考 」で ある (五頁)こ
と を宣言 した問題提起的な作 品で あ り、それ を手が か り に しなが ら、私の立脚点で ある歴史学 (日本 近代 史)と近代 日本教育史 、なか んず く同書 の主題で ある近代 日本地域学校史 の相違点 を確認 しなが ら
(両
者 の接点 を探 り当てる とい うのが本稿 の課題で ある。 したが っ て 、以下、同書 にで きるか ぎ り寄 り添 いなが ら考 察 を 進 めて いきたい。1
花 井信 『 山峡の学校史』 の意義 と特徴 本書 の構成 は、次の とお りで ある。序 章
地域学校史研 究 の課 題 と同時代史教育史研 究へ の相対
第1部
山峡 の学校史 第1章
教員 の洋学修業 第
2章
等級制か ら学級編 制へ補論
群馬県 にお ける学校 「御真影 」下付 の事情
*社
会科教育講 座黒り││みど り
第
3章
生徒指導 と学校経営 第4章
新 しい思 想 との遭遇 の場第
2部
同時 代教育史研 究 の足跡 第1章日本近代教育史 の開拓 第
2章
教 育政策史 と教育実践史 第3章
教育 の社 会史終 章
地域 学校史 の歴史 的位相
〔付〕偶坐談― 若 き教育学徒 たちへ あ とが き
本書 は、戦 後生 まれ 団塊 世代 の研究者 としての、近 代 日本教 育史研究 の現状へ の警鐘 を鳴 らす もので ある と同時 に、一方で後 身への期待 にも充ち満ちた書 とい え よ う。そ の ことは、後述す るよ うに、本書 の末尾 に
「偶坐談一若 き教育学徒たちへ」 と題す るあとに続 く 研 究 者へ の メ ッセー ジが付 されて いる ことか らも窺 え る。そ う して、 この点 も先 に触 れた ことと関わ るが、
教 育学 と歴史 学の双方 に対 して一著者はあ くまで直裁 には教育学のみを批判す る態度 に終始 し、禁欲的態度 を貫 くのだが一、そのあ り方 をめ ぐる問題 を提起する もので もある。す なわ ち、 日本教育史研 究が、 ともす れ ば制度史・ 中央 の動 向にのみ終始 しが ちで ある こと に対 して 、地域やそ こに生 きる民衆 のい となみやそ の あ りよう、並 び にそ の社会的基盤 を考察する ことの重 要性 を、 自らの実 証研 究 を通 して説 くもの とな ってい る。そ してそれは、お よそ
1990年
代以後 日本近代史 研 究 に大 きな影 響 力 を有す るにいた った国民国家論が、教 育・ 学校な どの制度や措置の 「つ くられた」側面に もっぱ ら視点 を充てて きた ことに対す る批判で もあろ う。
戦後歴史学か ら歴史学 の勉強 を始めた最後世代で あ る私 は、そ の後そ うした 「国民国家」論やポス トモダ ニ ズムの影響下 にある研究が席捲す るなかで、 自らの 研 究 のあ り方 を模索 しなが ら日本近代史研究 に従事 し て きた。そのような私 にとって は、教育学 と歴史学 と い う既存 の学 問領域 の線 引きを超 えて、 またある種の 世代 の差 をも超 えて、著者 の問題意識 に共感す る とこ ろが多か った。そ うしてそれは私 に とって、ほかな ら ぬ、本書 の ごとき戦後歴史学の良質 の成果 を受け継 ぐ ことの重要性 を再認識 させ られ る ことで もあった。
本 書 は、序 章 にお いて唐 沢富太 郎 、海老原 治 善、
中野光 、 中内敏 夫 らの研 究 を批 判 の俎 上 に も載せ な が ら、 自 らの課 題 を次 の よ う に設 定 す る。 「明治教 育史 の個別分野では、精緻 な研 究が積み重ね られて き た 。教授理論史、学級経営史、学校経営史、
教員史、
教 育理念 (目的
)史
、教育政策史等 々。それ らの成果 が 一つ の小学校 に顕現 した姿 は、 しか し、いったい ど うい うもので あろ うという、総合化 された歴史 はあま り試 み られなか った。分離 した ままではな く、統合 さ れ た時代 の教育像が描かれ る必 要が ある。概説 も基軸 をひ とつ持つ ことによる総合化 の試 みで あるが、あるカ テゴ リー による統合ではな くて、個 々があ りつつそ れ らが どう共存 していたか とい う、場 における総合で ある。 (中略
)地
域学校史 の課題 は、分 立す るそれぞ れ の分野 の成果を一望できる立像 として 、教育史 を彫 琢す る ことで ある。」 (7頁)そ うした課題設定のもとにまとめ上 げられた本書 の意義 と特徴 を私な りにまとめあげる と、以下の 3
点になる。
第一 に、前述 したように、教育史研究の先陣たちを 批判の対象に据えていることに示されているように、
ポ レミークな性格を強 く帯びていることである。著者 は、かつて世に問うた『近代 日本地域教育の展開一学 校 と民衆 の地域史一 』 (梓出版社、
1986年 )の
なか で も、自ら「ポ レミークな書」であることを宣言 して お り (「序」 市頁)、 その姿勢が本書 にもそのまま継 承 されている。それはまた、背後にある、近代 日本教育史研究の現 状 に対す る著者の危機意識の深 さの現れでもあろう。
著者は、 「固定 した近代 日本教育史像をくつがえす野 心 あふれ る研 究 に出合わ な い」 とい って憚 らない
(「はじめに」 五頁
).
そ うして前述 の、 「近代 日本教育史の開拓者」 (5
頁
)と
称 される人びとを撃ち、 「近代 日本教育史研究 の泰斗・佐藤秀夫に筆者が相対」するとして、佐藤に 対 して も、為政者の目か ら見た教育史像ではない、「地域に生きて働 く人々か らすれば、別な角度か らの 教育史像が見えるはずである」
(7頁 )と
の批判を投じる。
第二 に、教育学 というデ ィシプ リンに拠る以上 自 明の ことともいえるが、教育史 の固有性が意識 され、
堅持 されていることである。著者が、 「方法論として 捉えなおせば、制度・政策は為政者の意思なのであっ て、生きて働いた歴史 とは異なる。地域は中央政府の 政策 を単に受け取る場ではない。内務行政によって教 育政策が貫通 したかのような歴史観ではな く、地域に 生きて働 く人々の視点か ら治者への応答の仕方を提え、
現実に展開された学校の姿を描かなければな らない」
(「まえがき」 五頁
)と
述べるとき、読み手はともす れば、歴史学 というディシプリンを名のる者の発言と 見 まがう。 ところが、続けて著者は、 「時代の社会情 勢 と教育の関係を写すのではな く、教師の権能や生徒 指導や学校経営が どう推 し進め られたかが、近代 日本 教育史研究の視野に入って くること必定である。教育 史研究が避けてきた領域であるけれ ども、教育史はな によ りも教育学なのだか ら、挑戦 しなければな らない のではないか」 といい、その点にこだわることこそが、先 に述べた 「伝統的な近代 日本教育史の形式と訣別す る」 ことなのである (「まえがき」 ii).
読み手にはややわか りにくいのだが 、教育学に限 ら ず安直な歴史叙述は、制度や政策をたんに時代背景の
なか に 位 置づ けて事足 れ りとして しまいがち で あ る。
先 に 引 い た箇 所 の前半 ではそ の点 に警鐘 を鳴 らしつつ、
しか し 、 「時 代 の社会 情勢 と教育の関係 を写す」 とい う歴 史 一 般の あ りように とどまって はな らず 、あ くま で 「教 育 学」 で あるた めに、教育学が現状 に向 き合 っ て抱 え て いる課 題で あ る、 「教師の権能や生徒指導や 学校 経 営 が ど う推 し進 め られたか」 を明 らか にす る こ
とを課 題 に掲 げ る。
第 二 に 、本 書 は、前掲 『近代 日本地域教 育 の展 開 』 で提示 された 地域学校史像 を、著者がそ のあ とにま と め上 げ た 『製 糸 女 工 の教 育史 』 (大月書 店 、1999 年
)と
ともに、補完ないしはより豊かにするものとし て位置 づ け られ る。本書 で著者 は、 「子 どもをひとりも漏れな く教育す ること を 目指 した方針がいかに貫徹 されたか。その事 実を明 らかにす ることが、教育の未来 と現実 を照 らす であろ うと信 じるか らである」
(2頁 )述
べ る。そ う してそ の課題 を果たすべ く、一つには、階級 という観 点か ら ″疎外″ の対象 となる労働者階級 に着眼 し、 も う一つ には、地域 とい う点か らの同 じく″
疎外″ の対 象で あ る ″
辺境″の地 に目を向けた といえ、まさに著 者の 「漏れな く」 という課題は、その二方向か ら接近 す るこ とによ り完成をみ るといえよう。
まず 、 『近代 日本地域教育の展 開 』では、 ある種 の普遍 性 を持ちうる事例 として静岡県の現袋井市域が 対象 に据 え られ、 「学制」成立か ら地方改良運動期 ま でが論 じられる。著者は、創設まもない時期 の学校は、
公的学校 として国家的学校制度 と異なる様式を有 して いた と し、それが もつ在地性一非国家性―新権 力に対 する抵 抗性転化の可能性 に着 目する。そ うして また、
そ うで あるがゆえに権 力は、国家的統制 。管理の強化 に乗 り出さなけれ ばな らなかった。すなわち、 日露戦 後の帝 国主義化の進行 のなかで内務省 により展開され た地方改良運動 において、地域共同体が 「国家のため の共 同体化」を強い られ、その過程で、学校は地方改 良運動 の一拠点 として の役割 を担 うこととなる。同時 に本書 は、それをもって 「学校の社会化」 と称 し 「社 会教育 の成立」 と捉えてきた、田制佐重 ら既存 の研究 への批判 を内包 している。著者は、 「社会教育なるも のは、僅かに学校社会化の副産物、若 しくは些細なる 一小部分の事柄 に過ぎない」のであ り、あくまで も教 育の中心は学校であった との視点を貫 く (「序章」・
前掲 『近代 日本地域教育 の展開』)。
それ に対 して、そ うした学校教育の網の 日か らは と もすれば こばれ落 ちて しまうかもしれない労働者階級 にとっての教育 という観点か ら考察 した作品が、 『製 糸女工の教育史 』である。それは、 「子 どもの状態史 を教育史の立場か ら考察」
(3頁 )し
た研究であ り、「社会の矛盾を一身に体現する存在 として、子 どもを とらえる視座に立つ」 ことを明言す る
(4頁
)。 詳 しい紹介は省略せ ざるをえな いが 、そ うした観点│こ立つ な らば、義務教育 の制度 的成立 は 「学制」で はな く、
尋 常小学校が義 務教育化 された
1900年
の小学校 令なので ある
(5耳
)。 なぜ な らば、 「義務教育制慶こが法 と して成立 して も、そ の社会的基盤 を考察 しな ヤjれ
ば、教 育 の社会史的分析 とはな らな いか らで ある。 ま して 法 制史だ けで 、 日本 の義務教育制度史 を説明す る 段階 で は もはやな い」 。そ うして著者は、 「本書 の立 場 を 社会 政策史的義務制度 の考察 と呼 んで よい」 と述 べる
(6頁
)。 制度史 に終始す るので は歴史 の深部 に 迫 り えな い とす る著 者 の歴史観 の表明 にほかな らな い 。しか し著者は、近 代 を、労働者階級 を抑圧す る もの とばか りは と らえて いな い。 た とえば読 み書 き 算 に つ いて も、 「道具論 は反動的で はな く、近代性 を 反映 して いる」 との評価 を与え、 「 〈基礎学力
)の
も つ人 間発達的意義 の解 明、それが本書 の課題 である」 とす る(13頁
)。 そ う して 「年少 労働 者が、教育 の 機会 を得 る ことは、 したが って ゅるがせ にはできな い 。近 代 日本 の労働 者が 、 自己の 「解放」 のために、 ど のよ うな教育的手だて を必 要 と したか、本書 はそ の解 明に 取 り組 もうとす る もので ある」 と述べて 、近代 の なか に 「解放」 の契機 を見 る(13頁
)。 そ の よ うな 進歩 史観 は、 『近代 日本地域教育の展開』のみな らず 『山 峡 の学校史 』に も貫徹 して いる。そ うして また、前述 したよ うに、 「山峡 の地」 にあ るが ゆえに同様 に学校 教育 を受 ける ことが困難な 状況 にある地域 を研 究 対象 とした もの と して 、本書が 存在 す る。著者はい う。
「い ま、ひと りも漏れ な くと書 いた。近代 日本 の教育 は、 国民すべて に開か れた学校で あったか ら、そ の意 味 で は当然の事柄 で ある。 しか し、国民 の 自発性 に依 拠 した漏れな くで はな く、強制的な、行政指導 を通 じ た 、村の慣習的秩 序 に従 うがゆ えの、あるいは地域 に よ っては警察権 力 を通 じた、漏れな くで あった。 とす れ ば、ひ とりの村 人 と して 、 またそれ は家族 として と い う生存 条件 を基 因 として 、生 きて働 く生活がな によ りも優先 され るのが 当然で あるか ら、それ を基軸 に学 校 へ子 どもを行かせ る ことが、家族 の意思で選択 され た り、拒否 された りす る。 山峡 の生活 で あれ ばなお さ ら厳 しい条件 のなかで 、学校 の存在 が 問われ た」 (3 頁)。
制度や学校 とい う場がで きた ことを もって、教育 が 子 どものすべて に行 き渡 ったか のよ うにみなす ことへ の警鐘で あ り、そ うで あるが ゆえに、 「教員 の修業 の 新 旧」や 「学校 に在籍す る子 どものあ りよう」 に着 目 す るな ど、きめ細かな実態 の解 明へ と向か い、 きわ め て丁 寧な実証 と考察がな され、その結果、た とえば、
「日本教員史研究 は、すべての府県 に師範学校が成立 され た以降の、制度史 に傾 きす ぎる嫌 いがあ ったので はな いだ ろうか」
(3頁 )と
い うよ うに、既存 の研究 13黒り││みど り
への厳 しい批判が投 じられる。著者の視線は、たえず 地域の人々の営みへ と注がれる。
制度史偏重であった既存の研究に対する批判 ととも に、著者はそのような立場か ら「国民国家」論が地域 に生 きる人々の実相 に迫 りえていない ことを撃つ。
「言説としての教育、皮肉であ りなが ら本質を衝いた 思索が、近年多産 されている。それに敬意を払うとす れ ば、筆者 もつ くられた学校の歴史 を書かなければい けない。 しか しそれは、意図された歴史ではな く、意 図にどう地域の人々が反応 した結果つくられたかの歴 史 である」
(5頁 )と
いう著者のことばをもってすれ ば、その意図するところを解するのに、もはやさらな る説明は不要で あろう。以下、本書 の構成に即 しなが ら検討 していきたい。
2 「第一部 山峡の学校史J
本書の表題にもなった論考であり、上述のような問 題意識にもとづき、群馬県吾妻郡の 「山峡の地」に設 け られた学校の実態 に迫る研究である。
「第一章 教員の洋学修業」では、 「学制」発布か らまもない時期の、教員一人一人の就業歴を明 らかに するなどの詳細な実証を踏 まえ、その結果洋学を基礎 にした教員養成が行われるなど、洋学が地域の末端ま で貫徹 していた ことを提示 してみせる。著者はいう。
「「教授する内容 との関連で教育方法が考案 される」
のであるか ら、欧米の学を学んだことが、新 しい教育 を進めるうえでは、決定的に重要なのである。土台が ないところで、教授法が伝習されて も、生か されるは ずがない」 と
(39頁
)。 それは、近年、安直な西洋 文明批判が横行するなかで重要な意味をもつと考えら れる。さらに著者は、片山潜の例を引きなが ら、 「新しい欧米で発見された学問内容が教えられて、彼の世 界観が開かれた」のであり、 「彼の岡山師範への入学、
そ してアメリカ・イギ リスヘの遊学の起点は、小学校 で触れた新知識にあったといってよい。その近代科学 へのアクセスが重要なので ある」 と述べる (39〜 40 頁)。
続 く 「第 二 章 等 級制 か ら学級 編 制へ」 で は、
1881年
に 「小学校教則綱領」が制定 されて以後の等 級か ら学級への移行を、先達佐藤秀夫の、 「『教化』実践の場 としては、児童を個別的に組織 し、知的教授 に『偏向』しやすい等級よ りは、集団の一員 として児 童をとらえ訓育・徳育を主軸としやすい学級の方がは るかに望 ましいものであったことはいうまで もなかろ う」という評価 を援用 しなが ら説 く (45頁)。
学問的な議論か らの逸脱 となることを燿れつつも、
本書 は「教育学」であることにこだわ り、教育現場で の実践のあり方を問お うとするものであることか ら、
学校教育 を経てきた一人として敢えて 自身の思いとも 重ね合わせて私見 を述べ るな らば、 「集団」 による
「訓育・徳育」は、しば しば個 を押 しつぶ し、児童に 対 して抑圧的 に作用す ることにな りは しないだろうか、
との疑間を抱 く。個 人の 自由が十分 に尊重されない集 団で あるな らば、知的教授への「偏向」で あつた として も、 「等級」 による編制の方が まだ しも、子 どもの自 由な学力育成 と人格陶冶が はか られ うる とい う側面は な いだ ろ うか。実際 に近代 日本 の、否、戦後か ら今 日 も含 めて学校教育 の歴史 は、そ うい う側面 を持ち合わ せてはいなか ったか。「等級」か ら「学級」への移行 を、
た ん に教育の近代化であ り発展 の過程であると跡づけ て いいのだ ろうか との思 いが残 った。
本書 では さ らに、試験 、賞罰、学校経営のあ り方が 子細 に検 討 され、 また、従 来佐 藤秀 夫 らによ り「御真 影 」 は 「下賜
Jが
当然 であるとされ て きた ことに対 し て も、そ の思 い込 みを排 し、一つ一つの史実 を大切 に す る姿勢 を貫 くことで、複写 「御真影」 の 「下付」で あ った ことを明 らかにす るな ど、実証力の大 きさが余 す ところな く示 されている。しか し、著者は、新たな史実 を明 らか に したか らと い って、そ の一事例 を ゃって普 遍化 を急 ぐので もな く、
また普遍化 には至 らないか らといってそ の事例 をおざ な りにす るので もない。 「教育政策史 において、新史 料が発掘 され た り公 開 され た りす る と、それ までの教 育史が塗 り替 え られ る と誰 もが信 じる。地域教育史 に あ って も同 じであつて、新史実 が紹介 されれ ば、それ まで とは違 う新 しい教育史解釈 がな され る。 ところが、
それ はそ の地域だ けの ことであ って 、一 般的 に言える のか とい う疑 いが持たれ る。 しか しなが ら、 日本 の学 校 に確か に存在 した歴史なので あって、その ことを否 定 す る こ とはで きな い」
(65頁 )と
い う著者 の主張 には、明 らか にな った一つ一つ の史 料、それ 自体がみ なか けが えのない史実であると して 、それ を大事 にす る とい う歴史家 としての真骨頂が示 されて いる。合わせて 、 「補論
群馬県 にお ける学校 「御 真影」
下付 の事情」で述べ られて いる、 「かつて社会 主義 と いわれた国で煽 られた個 人崇拝 、そ れが 否定 され るべ きで あったよ うに、宗主の統べ る国家の弊害 として、
学校 「御真影」の歴史は、民主主義 の成熟度 を測 るも の と して、今 なお批判 的 に捉 え られ な けれ ば な らな い。」
(83頁 )と
い う一文は 、著 者 によ って 問題提 起がな され るまで 「御真影 」 を 「下賜」 と称 して疑 う ことがなかった研 究者たちの歴史観 、そ してそれが現 在 、 「御真影」 に代わ る国歌 0国旗 の強 要 を許す ことにつなが って いる ことへの痛烈な批半1で あ り警告であ る と、私は解釈 した。
「第二章
生徒指導 と学校経営」 で は、帝 国主義体 制 に見合 った国家体 制 を作 り出すべ く、 内務省が 日露 戦後 に展開 した地方改良運動 のなか で、学校がそ の中 核 的存在 の一つ となって い った ことが 明 らか にされ る。
児童 の管 理 の あ り方 一つ を とって も、「国 家 のた めの
14
共 同 体 」と して の行 政村 づ くりに見 合 った 自治的 訓練 が 要 請 され 、 「共 同 自治」 の中心 に級長が置かれ 、そ れ が 教 員 の 代役 を期 待 され る ことによ り、 中間職 と し て の き しみ を生 じさせ る おそ れ を も手 む こと とな る (89〜
91頁
)。 「国家 のための共 同体」 のた めの 自 治 的 訂‖練 は 、学校 間 の競争 か ら学級 間の競争 に取 って 代わ り 、そ れ は級長 の統 制 力へ と転 嫁 され る ことに も な る(108頁
)。 当該時期 は、著者が別 の論考 のなか で 、 「地域 の学校 をめ ぐる 自律 と傾斜 のせ め ぎ あいの 結 節 点 」 と称 したそ の時期 に当た る (「終章地域学 校史 の 探求 」、花井信 い三上和夫編著 『学校 と学 区の 地域 教 育史 』2005年、川 島書店 、207頁)。
こ の ような地 方改 良運 動下 にお いて学校が果 た した 役割 、 な らび実 際 に学校 に何が求 め られ、そ れが 児童 た ち に どの よ うに機能 して いった のか を解 明 した優れ た研 究 は、歴史学 の側か らもっ と注 目されて しか るべ きで は なか つたか。 日本 近 代史 のなか で の地方 改 良運 動研 究 は、
1970年
代 まで に一 定 の成 果 を上 げて 以後 それ ほ ど進展が あった とはいえず、 ことに地域 の指導 者 と して の役割 を小学校長 な どが果 た した ことは指摘 され て いて も、学校が どの ように組 み込 まれ 、民衆統 合政 策 のなか で どの よ うな役割 を果 た したのか 、 また そ れ が 子 ど も一 人一 人及 ぼす 影 響 な どにつ いて は 、 まっ た くとい つて いいほ どに論 じられて こなか った。日本 近 代史研 究者 の 日配 りの狭 さで ある とともに、関 心 の あ り方 とい う点で、教 育学 と歴史学 の違 いが 浮 き 彫 りに なる点で もあ ろう。
な お 、訓 育 の導入 を、 この地方改 良運動 の時期 と前 後す る 明治
30年
代 に求 めている ことは、学級編 制成 立 をヨ‖育 と重ね て合わせて評価 した佐藤秀夫 へ の批判 と して 重 要 で あ りi、 また 、父 兄会 ・母姉会 は就 学児 童 を 増 やす た め の親 へ の督促 の意 味 を有す る もので あ った との指摘(103頁 )も
、歴史学 の視野 には入 っ て こな か った問題 で あ り、教 え られ る ことが 多か った。「第 四章
新 しい思 想 との遭遇 の場 」 は、 「山峡 の 地」 中之条で も、明治社会 主義 との接触が あ り、 また 大正 期 にはいわ ゆ る大 正 自由教育 の受容 がみ られ た こ とが 明 らか にされ る
.長
らく日本近代思想史 の課 題で あ りつ づ けて きた 明治 社会 主義 か ら大正 デモ ク ラシー ヘ と どう接合す るのか、あるいは しないのか、そ の課 題 へ の手が か りともな る事例 として興 味深 く読 んだ。3
「第二部同時代 教 育史研 究の足跡」
第二 部 は、そ の タイ トル が示す よ うに、先行研 究 を 批判 的 に検 討 しなが ら、 自己の見解 を述 べ る とい うス タイル とな って い る。それ ゆえ、教育史並び にそ の研 究史 に精通 して いな い者がそ こに分 け入 るには あ ま.り
に障壁 が高 いのだが、 い くつか気 のついた点 を述 べる ことで ご寛恕 いただ きたい。
「第一章
日本近代教育史 の開拓」 では、著者 は、
「日本教育史 の開拓者」唐沢富太郎 と正面か ら向き 合 う。
そ うして、唐 沢の教科書分析 を俎上 に載せ なが ら次 の よ うに主張す る。 「要す るに、本稿で指摘 したい こと は国語教科書 に限 った ものではあるけれ ども、教 材上 の工夫 、教育的配 慮の積み重ねが、今 日にも受レす継が れ て いる とい う視 点をもつ ことの必 要性 である。 教科 書 の思想史的分析が、唐沢 のテーマで ある ことを 承知 の上で 、 しか し、教育方法 にお ける技法 とい う観 点は また別 に存在 しうる。近代 日本教育史 の考察 は、 教育 学 が基底 にな けれ ばな らない。教育 目的論・ 目標 論 と な らんで、そ れ に押 し込め られない教育方法論 固 有 の 視 点 を もつ こ とは 、教 育 史研 究 の重 要 な分析 眼 で あ る」 (134〜
5頁 ).さ
らに この よ うに も述 べ る.「教育史把握 の要点は、人々が教育 にどう働 いた かで あ る。政策意 図はその まま人格 を貫通 しないはず で あ る。 人々の生活 というプ リズム によって、それは 、屈 折 ,反射 0分散す る。 そ こを考察す る努 力が ない と、
つ ま らな い政策 史 に堕 す」 (138〜
9頁
)。 そ こ には、著 者 の、 「教育史」 とは何か を追究 して い こうとす る 絶 え ぎる姿勢が貫 かれてお り、 また民衆 の主体的 な働 きか け と受容 のあ り方 を見据 えず して の評価 はあ りえ な い とす る主張 が明確 に示 されて いる。
本書で は、唐沢が研 究対象に据えた森有礼 の評 価そ の もの に も踏 み込 み、森 は 「忠君」 とは分 離 さ れ た
「愛国」 を求 めた とし、教育勅語で両者が結合 した と す る。 また、 「明治初期 の啓蒙 主義 は、学問はす なわ ち教育で あった。一体 の もの として 区別す る こと はな か った。それ を啓蒙主義者・森有礼は別物 と思考 した ので ある。 ここには思想 と して の発展 が ある」 (137 頁
)と
述 べて 、森 を積極 的 に評価す る。森 につい て は、近 年 、 長谷 川 精 一 『森 有 礼 にお ける国 民的 主体 の創 出 』(思文閣出版、2007年 11月)に 見 られ る よ う に、
「国民国家」論 の盛行のなかで「国民」の創 出者 とい う評 価 が な されて い るが 、 当然 に して著者 の評価 はそ れ と は異な る。
著 者が森 をつ うじて提示 した学問 と教育の分離 につ いて は、 きわ めて現代 的な課題である といえ よう。 自 由主義史観研 究会 、新 しい歴史教科書 をつ くる会 が主 張 す る歴史 は所詮 「物語」なのであるか ら「愛 国心」
を培 うため に必要な歴史 を教育 に取 り入れれ ばよ い と す る立場 もまた、学問 と教育 を分離す る立場 によ る も の にほかな らない。当該時期 に森が果た した役割 は著 者 の い う とお りにちが いな い し、また著者の立場 もそ れ らとは まった く相容れないもので ある ことはい うま で もない。 しか し、学 問 と教育 を切 り離す ことは、 し ば しばそ うした事態 に も利用 され うるのであ り、今一 度 、歴史学 と歴史教育 の関係 を、そ うした観 点か ら問 い直 してみ る時期 にあるのではなかろうか。
「第二 章
教 育 政 策 史 と教 育実践 史」 は 、 冒頭 、
『近代教育史 』第
2巻
(1954年)に
対す る、 「筆者黒り││みど り
は学生時代に読みはしたが、三度 と読む ことはなかっ た。その理由を今考えると、政治情勢や経済情勢を読 みたいわけではな く、教育の分析が欲 しかったか らで あろう
J(143頁 )と
いう回想か ら始 まる。そうして 主たる検討対象 を海老原治善に移 し、彼の著作の「客 観的意義」は、「帝国主義段階の教育政策の研究であり、帝国主義がすなわち時代区分 としては現代であるとい う歴史認識である」と評す る。詳細 は省 くが、教育運 動史 を主な研究対象 とす る海老原 の手法は、1926年 生まれの研究者が運動史に向き合 うとすればほぼ当然 にして免れえないであろう「政策 とそれに対決する二 項対立図式」 (144頁
)に
よるものであった。著者は、そ うした海老原に対 して、政策のなかに教育観や教育 的価値を求めた唐沢富太郎 とは異な り、 「教育政策 と は、労働能力の基礎陶冶であ り、体制維持イデオ ロ ギーの形成である」 とし、 「教育実践のなかにこそ教 育価値が認め られ、そ こにこそ教育観の近代性さらに は近代性 を乗 り越 えるものが見 出せ る、 とい う歴史 観」に立つ ことを積極的に評価す る
(14〜 5頁
)。この点は、先にみた著者の近代 に対する評価か らも首 肯 しうる。
しか しその一方で、 「当時のマルクス主義理解の硬 直性」か ら免れてお らず、 「人間の能力の豊饒性を認 めるマルクスの人間観か らは遠い。 (中略
)資
本主義 が 自由な人格 を生んだ という至言を熟読玩味すべきで はなかったか」 (145頁)と
の厳 しい批判 も投げかけ られる。そ うして著者は、 「国家権 力の政策定義 と、それでは地域 の表われ とは一直線 に説明できるものな のだろうか。海老原の渾身の力作は、このような課題 をわれわれの前に差 し出している」 との問題を提起す る。さらに以下のようにも述べる。
「地域に表われたすべてを国家の政策の実現と見る ことは、地域的個性発展の妨げになる。 (中略
)逆
に、筆者の方法論か らいえば、地域教育史は国家の教育政 策 とどういう関係、側面をみせているのかという検討 が、欠かせない。地域 を国家の教育政策の実現場所 と 見 るのでは、地域教育史の固有性、独 自性が摘出でき ない。 もっといえば、国家の政治 とは無関係に、人々 の生活 習慣 と慣 習が成 り立 って いる様 を見 逃す」
(147頁
).
それはいうまでもな く海老原に対する批判のための 批判 ではな く、それ をつ うじて、国家か ら自律 した (地域
)の
可能性を見 いだそ うとするものであり、ひ いてはそれは民衆の主体性を発見 しようとすることに ほかな らない。歴史学が「地方史」か ら「地域史」へと自 覚的に呼び方を変えてきた ことと響き合 うものである。一方、海老原 と並ぶ 日本教育史の先駆的研究者であ る佐藤秀夫のアプローチは、民衆の側か らの支持・協 同を引き出し、国家の制度への同調を作 り出すもので あ り、国家と民衆 を一体化 した ものととらえることに
な る。 さ らに このよ うにも述べ る。 「高 い視点か らの アイ ロニァは存分 にうかが える。ただ しそ こに、在村 知識 人の旧慣 を打破 しようとして も、強 固な随習が立 ちはだか る苦悩 を見て取 ろうという同調性はない。農 山村青年 の都会文明への憧憬 と家族 主義 に阻まれた苦 悩 の共有性 はない」 (148頁)。
続 いて著 者 の言葉 を借 りるな らば、 「一方で は海老 原 による国家 の教 育政策 の貫徹 、反対す るのは教育運 動 と して のみ顕現す る教育史観。他方で は佐藤 による 国家 の教育観 は民衆 の教育要求 を包含 しているという 教 育史観 。前者か らは教育実践 とい うカ テゴ リーが生 まれ るが 、後者か らは抱 き込み仕法 しか 出て こない。
国家 の政策 を仕切 る全知全能な、 しか し具体像 として は現われ ない巨人が存在 して いるのである。 こうして、
佐藤 の学校観 に教育実践は対置 され る ことはな く、分 析対 象 と して の学校観 カテ ゴ リーは 、カテ ゴ リー とし て の教育実践 をも包摂す るわ けで ある」 (149頁)。
このように先行研究が二極分解 している状況 のなか か にあって、著者 は常 に、一方では国家が あたか も民 衆 の教育要求 をもすべて体現 して い るか のよ うな歴史 像 を拒否 し、かたや地域が有す る国家か らの総体 的独 自性 を見 る ことな く、単純 に国家
(=地
域)と
民衆の 二項対立 として描 く歴史像 をも乗 り越 えるべ く、その 突破 口を地域 に求めてきたのである。1960年
代 に開花 した民衆思想史 もまた、抵抗 と統 合 の単純 な二 項 対 立 の克 服 をめ ざ して 、 鹿野 政 直 は「秩序意識」 に111、 安丸 良夫 は「通 俗道徳」にiV着目す る ことによって民衆思想 を描 き出 して見せ たが、それ とはやや位相 を異 にしてはいるものの、著者 にとって の 「地域」 は、まさにそれ に当たる もの といえよ う:
そ うである とすれ ば、著者 にあって は、
″方法 と して の地域″ とで もいえよ うか。
続 いて本書は、 日本近代史でも大正デモクラシーの 一翼 をになった大正 自由教育の研究で知 られる中野光 の『大正 自由教育の研究』に論が及び、 日本近代史で はほとんど顧み られることのなかった児童の村、そ し てそれを担うた野村芳兵衛 に触れたあと、中内敏夫を 中心 に向き合うた 「第二章 教育の社会史」へ と展開
してい く。
むすび ―「終章 地域学校史の歴史的位相」か ら すでに見てきたように、本書は、大別すると実証研 究 と研究史批判か ら成るが、全体をつ うじて研究 を批 判 しなが ら自己の見解 を開陳す るとい うスタイル を とっている。教育学の門外漢は、一見淡々と読んでし まいがちだが、唐沢富太郎・佐藤秀夫・海老原治善・
中野光 。中内敏夫 といった、日本教育史 を切 り開いて きた ″
大家″ を批判することは、相当なエネルギーを 要することであり、私は教育史の研究史 に不案内では あるが、おそ らくはこれほどまでに正面か らそれに挑
んだ 研 究者 はいなか ったのではないか と改 めて思 う。
そ う で あ るが ゆえ に、それ をな しえた著者 は、 「同時 代史 研 究 か ら距離 を置いて、アジア・太平洋戦 争後 の 本格 的 な近 代 日本教育史研 究は 、い ま ここか ら始 まる とい う べ きで ある」
(190頁 )と
宣言す る。「天 皇制 教 育 の 縛 り」にあいなが ら「現代 教 育史」と して 戦 前 を 描 い て きた 世 代 (前 掲 「終章地域 学校史 の探 求」
205頁 )と
は訣別 してみせた、戦後 生 まれ の研 究 者な らで は の 問題意 識 で ある と同時 に、真 の意 味で「天皇 制教 育 の縛 り」か ら解 放 され る ことは、世代 の差 を超 えて そ れ ほ どにたや す い ことで はな い とい う、若 い世 代 へ の 警鐘 とも受 け取れ た。本 書 は、 ポ レミー クの形 をとるが ゆえの難解 さ をも 伴 い な が ら、歴史 学 へ の重 要な 問い をい くつ も手 んで お り、 歴史 学一 日本近代史 とい うアイデ ンテ ィテ ィを 有す る私が 受 け止 めた ことを最 後 に整理 して本 稿 の結 び と した い。
第 一 に 「教育史」 への こだわ りで あ り、それ は 「教 育学 」 を根 底 に置 きつつ 、政治史 、経済史 に流れ る こ との 回避で あ り、 また制度史 の克服で もある。 ちなみ に、 本 稿で も引用 した 1986年の著書 『近代 日本 地域 教 育 の展 開 』で は「地 域教 育史」が明 らか にされ た が、
本書 は「地域 学校史 」で あ り、そ の変化 は、本書 の なか で も 随所で主張 されて いた ように、寺子屋 も学校 の範 疇 と して と らえ 、「幕 末期 の教 育機 関か ら近 代初 期 の 学校 の あ り方 へ の見通 しを考 える」、 さ らには「近 代初 期 の 学 校形態 を始 原 として 、以後現代 に通 じる学 校実 践 に ど う繋 げ られ るか」とい う こと、す なわ ち、「後ヘ の接 続 」を重視 す る とい う視座 に由来 す る もの といえ よ う。 学校 を見据 える とい う、 まさ に近代 の問題 に正 面か ら向 き合 うとい う意味 で も、著 者 のなか の発 展 と して 位 置づ け られ よ うV。
第 二 に、 民衆 の主体性 、 自律性への着 目で あ り、そ れ は 、結果 だ けで はな い可能性 を探 り当て る とい う姿 勢で もある。そ れ こそ が教 育 の もつ力で もあ ろ う。
第 二 に、
国家 に対す る地域 の相対的 自律性 へ の着 眼で あ り、 私 な りの表 現 を用 いれ ば 、方 法 と して の
「地域 」 という ことにな ろ う。
本 書 は、 「近代 日本 教育史は、意 図 された教育 史で はな く、国家 によ って働 きかけ られた ことに対 して地 域 が ど う応答 した のか の交 点 と接点、あるいはま った く交 わ らなか ったか を見極 める ことに尽 きる」 (190 頁
)と
い う言葉 で結 ばれて いる。著者 は また 、月Jの 著 書 の なかで、 自 らの研 究 の存在意義 を、 「教 育 の 自己 解 放 力」 に着 目 した点 にあ ると語 る。著者 の 主張 が よ り明瞭 に語 られて いる と思 われ るため、合わせて それ を こ こで紹介 してお こう。「教 育 の権利論 は、生存権 の文化的側面 として、精神 価 値 に収餃 され る。 しか もそれ は、富裕 人の物質 的生 産 と無縁 の存在 と して あるので はな く、すべ て の 生活
人の社会 と自然の認識力、はたまた生きる意次 や、喜 びや悲 しみの感情、美 しいと心に映ずる感性を 高める ことによって、人間としての豊かさを深める力 をはぐ くむ価値 として、教育を通 じて蓄え られる精神 力であ る。 この価値は、 まずは国家権 力の支配か ら自 由であ らね ばな らない し、人々の共同作業 として、地 域 民の 自由な協議で、教育の目的や内容 として 自決されなけ ればな らない。国家 と地方の対立は、教育学的 にはそ うした立脚点 を持 って意義づけされなければな らな い」 (前掲 「終 章 地域学校史の探求」208〜9頁)。
もはや これ以上 の説明は要 しないであろう。私 自身 に突きつけられて いる問題であり、そこに教育学 と歴 史学の隔た りはほとんどなか ろう。
むろん私が、教育学固有の方法論や研究史を手巴握 し ていないがゆえに著者の意図を十分にくみ上げる こと
ができておらず、あるいは誤読も免れていないかも知
れ な い。 しか し、 日本近代史研 究 に従事 して きた 私 自 身が本書 に向 き合 うことそれ 自体が 、そ うした問 題 も 含 めて教育学 と歴史学 の架橋の踏み台 とな る もの と信
じて欄筆す る。
(追記)
2011年
11月5日
(土)、 渋江 か さね (教職 大学 院)・ 松尾 由希子 (大学教育セ ンター)の
両氏 と私が 呼びか けて、静 岡大学教育学部 にお いて花井信著 『山 峡 の学校史 』の書評会 を行 った。当 日の企画 、録 音を お こす作業等 、中心 にな って会 を支 えて くだ さっ たの は渋江氏 である。本稿 はそ の会での報告 をもとに しな が ら、新た に執筆 した もので ある。当 日は、著者 の花井氏か ら丁 寧な応答 を していただ き、 また近世 日本教育史研 究者 の梅村佳代氏 にも ご出 席 いただ いて、花井氏 と同世代 の研究者 の立場か ら、
貴重 な ご意見 をいただ くことができた。静岡大学 の学 生0院生、名古屋 大学 の院生の諸氏 も呼びか けに応 じ て参加 をいただ いた。
この場 を借 りて 、改 めてお礼 を申 し上 げる。
1永
原和子 「書評 花井信著『製糸女工の教育史 』」(『歴史評論』第607号、2000年
H月
)、 な ど。H後
述する本書をめ ぐる書評会の場で訓育の意味に ついて間うたが、すでにその場で著者か ら丁寧な説明 をいただき理解 しえたので、ここではその疑間は省 く。ili鹿野政直 『資本主義形成期の秩序意識』筑摩書房、
1969年
).
iV安丸良夫 『日本 の近代化 と民衆思想』 (青木書店、
1974年)。
V「地域教育史」か ら「地域学校史」への転回―発展 については、学校をめぐる定義なども含めて、前掲
「終章