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古墳時代の祭祀遺跡−その廃棄パターン−

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Academic year: 2021

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古墳時代の祭祀遺跡−その廃棄パターン−

著者 桜井 秀雄

雑誌名 金大考古

33

ページ 4‑5

発行年 2000‑07‑20

URL http://hdl.handle.net/2297/2836

(2)

− 4 − は 所 領 を 安 堵 さ れ る 代 わ り に 、 戦 勝 祈 願 や 陣 僧 の 派 遣 な ど の 役 を 課 せ ら れ て い た と 考 え ら れ る 。 ま た 、 一 乗 谷 を 南 か ら 守 る 戦 略 的 な 要 衝 に あ り 、 軍 事 的 な 役 割 を 有 し て い た と 考 え ら れ る 。 と こ ろ が 、 朝 倉 氏 は 天 台 宗 真 盛 派 を 特 に 庇 護 し て お り 、 一 乗 谷 に 多 く 見 ら れ る 石 仏が1体も出土していないことや、⑧に見える よ う に 一 乗 谷 が 織 田 軍 に よ り 壊 滅 す る 天 正 元 年8月20日の直前に埋葬が行なわれている。し た が っ て 、 本 墓 地 お よ び 「 三 峯 寺 」 の 主 要 な 経済基盤は、一乗谷ではなく、南麓の戸口3ヶ 村周辺と考えられる。

7 まとめ

、 「 」

三峯村墓地跡は 真言系山中寺院 三峯寺 が 造 営 し た 中 世 墓 地 と 考 え ら れ る 。 至 近 距 離 に 三 峯 城 、 三 峯 寺 が あ り 、 山 城 ・ 寺 院 ・ 墓 地 と い う 、 中 世 を 代 表 す る 遺 跡 群 が 一 体 的 に 保 存されている全国でも希な遺跡である。

古墳時代の祭祀遺跡−その廃棄パターン−

(長野県埋蔵文化財センター)

桜井秀雄

.はじめに 1

近 年 、 祭 祀 研 究 に は よ り 一 層 の 注 目 が 集 ま っ て い る 。 新 た な 知 見 を 与 え て く れ る 祭 祀 遺 跡 の 発 見 も 相 次 い で い る 。 こ う し た な か 私 は 近頃、祭祀遺跡の廃棄パターン注目している。

そ し て こ こ か ら 何 か つ か め な い だ ろ う か と 模 索 し て い る 。 い ま だ 成 果 は 出 て い な い が 、 今 回 は 現 段 階 で の 私 の 試 案 を 提 示 し て み た い 。

.廃棄パターンの分類 2

ま ず 注 意 し た い の は 祭 祀 遺 跡 が 発 見 さ れ た 段 階 で は あ く ま で も 祭 祀 行 為 執 行 後 の 姿 を 示 し て い る と い う こ と で あ る 。 今 回 は こ の こ と を 前 提 と し て 、 そ の 廃 棄 の 様 相 か ら 祭 祀 遺 跡 を 類 に 分類 し て み た。 つま り 、 類 −祭祀 行 2 A 為後、そのまま放置しているもの。 類−祭祀 B 執行後、片付けているもの。の 類型である。 2 以 下 、 こ れ ら に つ い て の 私 見 ・ 説 明 を 行 い た い。

類(放置型)

A

私 が こ の 放 置 型 に 注 目 し は じ め た の は 、 平 成 年度に発見された長野県青木下遺跡の土器 8 列 が 環 状 に め ぐ る 祭 祀 遺 構 を 目 に し て か ら で ある( 世紀後半〜 世紀前半頃 。本遺跡では 6 7 )

17 4

祭祀跡 基が検出された。これらの祭祀跡は

種 に 分 類 で き る 。 つ ま り 、 土 器 が ブ ロ ッ ク 状 に 集 中 す る も の 、 土 器 列 が 弧 状 に 並 ぶ も の 、 土 器 集 積 が 馬 蹄 形 と な る も の 、 そ し て 土 器 列 が 環 状 に 配 列 さ れ た も の で あ る 。 こ の う ち 最

後に あ げた土 器の環 状配列は、 径約 8m の 環状 に約 320 点の土器が正位に配列されており、祭 祀 が 行 わ れ た ま ま の 状 態 で 放 置 さ れ た も の と 理 解 で き よ う 。 私 に と っ て こ の 土 器 列 が 環 状 に め ぐ る 祭 祀 遺 構 の 発 見 は 驚 き で あ り 、 今 ま で 私 が 理 解 し て い た 祭 祀 遺 跡 の 概 念 を 根 底 か ら く つ が え す も の と な っ た 。 私 は そ れ ま で 祭 祀 遺 跡 は 福 岡 県 沖 ノ 島 遺 跡 を 除 け ば 、 み な 祭 祀 行 為 執 行 後 に は 片 付 け て し ま う も の と 固 く 信 じ て い た か ら で あ る 。 こ の よ う に し て 私 は 放 置 型 を 片 付 け 型 と と も に 祭 祀 遺 跡 の 廃 棄 パ タ ー ン を 構 成 す る も の と し て 理 解 す る よ う に な っ た の で あ る 。 こ の よ う な 観 点 か ら 祭 祀 遺 跡 を 見 直 し て み る と 先 に あ げ た 福 岡 県 沖 ノ 島 遺跡の他、群馬県中筋遺跡の 号祭祀跡も放置 1 型のひとつと考えてよいであろう。

高宮遺跡

『松本市高宮遺跡』1994年より

類(片付け型)

B

祭 祀 遺 跡 の 多 く は 本 類 型 に 属 す る も の と い え よ う 。 こ れ ら は さ ら に 廃 棄 方 法 に よ っ て 細 分類することができる。

(1)埋める・・・長野県駒沢新町では 基の 5

1 4.2

祭祀遺構が検出されたが、このうち 号址は

× 3m の 長方形の土坑を約 40cm 程 掘り下げて構 築しており、その中からは 500 個体以上の完形 土器と多量の石製模造品が出土している( 世 5 紀中頃 。私は祭祀に用いた道具類を廃棄した ) 痕 跡 だ と 理 解 し た い 。 ま た 同 じ く 長 野 県 石 川 条里遺跡では幅 10 〜 13m の大溝で区画された微 高地内には約 400 基の土坑群が発見されたが、

こ の 土 坑 群 の 多 く は 大 量 の 土 器 ・ 炭 化 物 を 含

ん で お り 、 祭 祀 行 為 終 了 後 の 廃 棄 廃 棄 土 坑 と

考 え ら れ る 。 炭 化 物 を 含 ん で い る こ と か ら 推

測 す れ ば 、 廃 棄 に 際 し て 「 焼 く 」 行 為 も 伴 っ

ていた可能性も高い。

(3)

− 5 −

( 2 ) 破 砕 す る ・ ・ ・ 祭 祀 遺 物 を ( 多 く の 場 合 は 土 器 で あ る が ) 破 砕 す る 行 為 は し ば し ば 見られる現象でる。埼玉県御伊勢原遺跡 号祭 1 30 祀址では復元不可能な土器片がコンテナ箱約 ケが出土している。

( 3 ) 集 積 す る ・ ・ ・ こ れ も し ば し ば 認 め ら れ る 現 象 で あ る 。 伊 勢 神 宮 で は 祭 祀 に 用 い た か わ ら け を あ る 一 定 の 場 所 に 次 々 と 積 み 重 ね て い る こ と を 故 亀 井 正 道 氏 か ら う か が っ た こ とがある 「破砕する」パターンとの区別は難 。 しいと思われるが、あえて分類してみた。

( 4 ) 移 設 す る ・ ・ ・ 群 馬 県 下 芝 天 神 遺 跡 の 器 物 集 積 遺 構 は 片 付 け 型 に は い る だ ろ う が 、 前 述 の 分 類 で は お さ ま ら な い 特 徴 を も っ て い る ( 世 紀 初 頭頃 。 東西 6 ) 10 m 、 南 北 7m ほ ど の 範 囲 に 、 膨 大 な 土 器 ・ 祭 祀 遺 物 が 出 土 ( 土 器 は実測可能個体で 2474 点を数えるという)し、

そ れ は 当 時 の 地 表 面 か ら 最 高 70cm ほ ど の 高 さ に 達 し て い る 。 さ て 、 報 告 者 は こ の 「 土 器 の 山」の土器集積が方形区画が 単位集まったも 3 の で あ る こ と を 見 い だ し た 。 つ ま り 北 西 の 区 画は 2m × 1.5 mほどの規模で 260 個体ほどの土器

5m 3m 1500

が集積され 中央の区画は 、 × の規模で 個 体 以 上 の 土 器 が 集 積 さ れ る 。 東 部 の 一 群 は 調査区外に延びているが確認範囲だけでも 600 個 体 以 上 の 土 器 が 集 積 さ れ て い る 。 こ れ ら は 時 間 差 と 推 定 さ れ る 。 さ ら に 注 目 さ れ る の は 多 量 の 土 器 は 重 ね ら れ て お り 、 そ の 間 に は 臼 玉 を は さ む も の も あ る こ と で あ る 。 私 は 祭 祀 行 為 は 別 の 場 所 で 行 わ れ て お り 、 そ の 後 使 用 した遺物を 移設 したものと理解したい 「 」 。 「 移 設 」 と い う 新 た な 概 念 を 本 遺 跡 の 事 例 か ら 提 唱したい。

駒沢新町遺跡の 号祭祀遺構 1

『 長 野県 史 考 古資 料 編 主要 遺 跡(北 ・東信 』 1982年 よ り

.廃棄パターンの意味するもの 3

こ の よ う に 祭 祀 遺 跡 に は 一 様 で は な い 廃 棄 パ タ ー ン が 認 め ら れ る 。 た だ し 、 こ の 差 異 が い か な る 意 味 を 持 つ の か は い ま だ 明 確 な 見 通 し を 私 は も っ て い な い 。 祭 祀 の 内 容 の 差 な の か、祭祀行為執行者の差異によるものなのか、

あ る い は 時 期 の 差 な の か 、 今 後 の 課 題 と し た い 。 た だ し 、 青 木 下 遺 跡 の 事 例 か ら す れ ば 、 祭祀遺構の重複が確認されることから 「祭祀 、 の 場 の 固 定 化 」 が 認 め ら れ よ う 。 そ の 「 祭 祀 の 場 」 の 規 模 の 大 小 も 廃 棄 パ タ ー ン か ら 導 き だ せ る か も し れ な い 。 今 後 は こ う し た 「 廃 棄 パ タ ー ン 」 と い う 視 点 か ら さ ら に 分 析 を 進 め ていきたいと思っている。

鷺山仙道遺跡の発掘調査

( 財)岐阜市教育文化振興事業団)

高木晃 (

鷺 山 仙 道 遺 跡 は 長 良 川 が 形 成 し た 扇 状 地 の 北 端 に 立 地 す る 。 今 回 の 調 査 で は 鎌 倉 時 代 に 主 に 使 用さ れ た 溝 (SD1 、 16c 前 葉 に 利用 さ ) れた井 戸(SE1 ・方形土 坑(SK1 、 その他時 ) ) 期 は 確 定 し て い な い が 30数 基 の ピ ッ ト を 検 出 した。

SD1は検出した長さ約10m、深さ約0.9m、幅 約3.6mを測り、調査区を北西方向から南東方 向 に 横 切 る 。 埋 土 か ら は 土 師 器 ・ 山 茶 碗 ・ 陶 器 ・ 磁 器 ・ か わ ら け な ど 古 墳 時 代 か ら 中 世 ま で の 遺 物 が 大 量 に 出 土 し た 。 中 世 以 前 の 遺 物 が出土するのはSD7など古代の遺構を壊してい るためと考えられる。

SK1は長軸1.3m、短軸1.0m、深さ0.25mを 測 る 長 方 形 土 坑 で あ る 。 プ ラ ン 検 出 時 、 灰 色 粘 質 土 が 周 囲 を 巡 っ て お り 、 ま た 断 面 観 察 か ら シ ル ト 質 と 砂 質 土 が 互 層 に な る と い う 様 相 が 判 明 し た 。 出 土 し た 遺 物 は か わ ら け が ほ と ん ど で 、 う ち 数 枚 は 完 形 で あ っ た 。 墓 も し く は 便 所 の 可 能 性 が 考 え ら れ る が 決 定 的 な 根 拠 はない。

ピ ッ ト に つ い て 、 30数 基 の う ち 根 石 と 考 え ら れ る 河 原 石 を 確 認 し た も の が 5 基 、 柱 の 残 欠 と 考 え ら れ る も の が 5 基 あ っ た 。 建 物 の 可 能 性 が 考 え ら れ た が プ ラ ン を 確 認 す る こ と は できなかった。

SE1は掘方長軸2.7m、掘方短軸2.5m、井戸 側 直 径 0.7m 、 深 さ 3.1mを 測る 。 検 出 時に プ ラ ン 内 と 周 囲 で 小 ピ ッ ト が 12基 見 つ か り 上 屋 があった可能性がある。

水 溜 部 分 は 桶 (樽 ? )が 使 用 さ れ て お り 、 直

参照

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