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雑誌名 教育実践総合センター研究紀要

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数学的コミュニケーション活動における学習主体の 変容と教師の語り −教室の数学物語を紡ぐ(1)

著者 竹村 景生

雑誌名 教育実践総合センター研究紀要

巻 13

ページ 109‑116

発行年 2004‑03‑31

その他のタイトル Change of the study core and Narrative of a teacher is produced to a mathematical

communication activity

URL http://hdl.handle.net/10105/65

(2)

1.はじめに

数学への関心と学ぶ意欲を回復させたいという、現 場の危機意識が、平成10年度の新学習指導要領で「数 学的活動」という言葉で表現されるに至った(「数学 的活動」については当研究実践総合センター紀要 第 11号 2002.3、拙著p53参照)。もっとも、数学離れ の危機感から、まずは数学的な関心・意欲からと情意 面が強調され、選択数学が導入された経緯がそれ以前 にあった。そこで扱われる数学は生徒の授業や受験と いう文脈から離れていた。「数学的なゲームやクイズ」

であったり、トピックス的な話題性を追求した単発的 な課題であったりして、面白いが「その場だけの一過 性的な数学」で終わってしまっていることが多い。

この「関心・意欲」で包括されてきた情意面を重視し た実践面でのひ弱さが、数学的活動という概念で、具 体的な活動を提案したことは注目される。そして、こ の数学的活動を支えている2つの要素として、ひとつ は課題そのものの中身であり、これが「活動」のきっ かけとなっている。またもう一つは「活動」の具体的 展開としての数学的コミュニケーション活動の方法で あると考えられる。

ところで、この数学的コミュニケーション活動によ って支えられた数学的活動の目指す「学び」とはどの

ようなものだろうか。ここでは、庄井良信の総合的 な学習の分類を参照にして、数学的活動を構成する3 つの相①②③をもとに数学的コミュニケーション活動 を想定した。

①社会参加の構成主体へ学びをシフトさせていく相

→教える者の側の目的を実現するために、学ぶ者 の側から授業成立要件を考えたコミュニケーシ ョン活動をつくっていく。

②学問探究の構成主体へ学びをシフトさせていく相

→第1義的に、学ぶ者の側の自立のための授業成 立要件を考える。それにもっともふさわしい様 態で教える者の側から授業成立要件を再考して いく。このためのコミュニケーション活動。こ こではコミュニケーションの言語として数学の 表記、概念、考え方が意識される。

③芸術創造の構成主体へ学びをシフトさせていく相

→「遊び」(広義の実験や疑似体験活動も含む)、

「物語り直し」といった時間を超越していくノ ンセンス体験をはらむコミュニケーションシス テムのなかで、ものの見方・考え方の視点を変 えていく。

3章の実践事例でも述べるが、数学的活動を扱った 実践には、「ストーリー性」や「物語」といった表現

−教室の数学物語を紡ぐ(1)−

竹村景生

(附属中学校・数学科)

Change of the study core and Narrative of a teacher is produced to a mathematical communication activity

Kageki TAKEMURA

(Junior high school attached to Nara University of Education)

要旨:研究会等で取り上げられる数学的活動に関する実践事例に、「ストーリー性」や「社会的文脈」が追求される 場面を読みとることが出来る。この一連の授業プロセスを物語の相として捉えるとき、そこには教材自身がもつ特 性、アフォーダンスを媒体として、教師の語りを重ねたり身体表現を介在させることによって生徒の学びの主体と しての変容が相互作用的に高まっていくことが観察される。本稿ではそのプロセスを考察した。また、数学的活動 をねらいとした「教材」の特性については、次回の考察に譲りたい。

キーワード:数学教育 mathematical education、数学的活動 mathematical activities、教師の語り narration of a teacher、身体表現 physical representation、アフォーダンス affordance

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が使われる場面に私たちはしばしば出会う。そこでの 数学的活動とは、従来の授業場面でのコミュニケーシ ョン活動を横の広がりとして、単に「共同活動」の中 に位置づけていくだけでなく、コミュニケーション活 動の縦の深まりとして、そのストーリー性のもつ教育 的な作用を追求していくことにある。

ストーリーとして表現された数学を、私たちが対話 を通して学ぶことによって、学ぶ主体としての自己の 存在的価値を認識することができるはずであるその数 学的活動で取り組まれる数学とは、単に道具的な有用 性にとどまらず、日常生活の文脈に置き換えてみるも のであったり、そこに美を感じ表現・創造していく制 作活動であったりすることが大切である。

次章では、①と②を問題解決の相として捉え、教師 の語りや身体を媒介として創発される③を、物語の相 として捉えていく。数学的コミュニケーション活動の 可能性を考察し、物語という相が内包する学習主体の 学びの変容を、教師の働きかけという視点から本稿は 考察していきたい。なお、数学的コミュニケーション 活動によって生じるコミュニケーション連鎖におけ る、学習者のストーリーの構想力の形成については、

図1を参照されたい。

2.話す・書く以前の聴く行為への参加

「自分(の人生や進路)に関係がない。「数学を学 ぶ意味がわからない。「自分との価値の結びつきがみ えてこない。「数学が分からないのは自分の頭が悪い からだ。「やれば出きるんだろうが、やる気が出ない。 およそ数学に関する学習には、このような生徒たちの

「偏見」「思いこみ」「自己否定」といった意味の固着 がともなってくる。また、低学力問題も現場は克服す べき課題として担っている。

そこで、現場の実践では様々な数学的な活動が試み られてくる。社会的文脈に数学的な題材を探ることも その一つの試みである。課題学習や選択数学で今日扱 われている題材も前記の課題に応えようとするもので ある。もっとも、中学校における数学的コミュニケー ション活動は、週3時間制(本校では実質年間・週 2.7〜2.8時間平均である)の授業の中では実に困難な 状況と考えられる。それは、数学的コミュニケーショ ンは偶発的に生徒間に発生するものではなく、教師か らの「問いかけ」から始まると理解するからである。

しかし、内容の3割のカットとはいうものの、「問う」

よりも、現場は教科書を終わらせる、すなわち内容を

「伝える」のが精一杯であるし、M字型に分かれて来

図1 コミュニケーション連鎖からみた授業過程モデル(筆者作成)

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つつある生徒間の学力の二極分化が教室の話し合い活 動を一層困難にしているのが現実である。

それでも、「コミュニケーション活動」が注目され るにはそれなりの背景なり、理由が現場で支持されて いるからと考えられる。次に、先の各相について考察 する。

① は、学級での数学学習を、学習集団と生活集団 の弁証法的発展形態としてそのプロセスを看取 る点にある。これは、生活指導を常に伴う中学 校の現場では多く支持されるところである。コ ミュニケーションは話し合いや討論のように、

対話型を基調とし、コンセプトマップなどの記 述も討論の俎上に挙げられる。問題解決の道具 としてコミュニケーション活動が活用される。

即ち、目的―手段関係で事物(ここでは数学と しての対象、課題)をとらえ、問題解決をはか ろうという意図がある。

② は、学習集団内部で、またはそこに参加してい る個人の中で何が起こっているのか? そのコ ミュニケーションプロセスにむしろ着目する点 にある。コミュニケーション連鎖をいかに生徒 たちに指摘でき、その連鎖を生成・持続・発展 させていくか。ここに教師の資質として要求さ れてくる。対話を基調としながら、個人のつぶ やきや内省的記述も視野に入れる。内的論理を 外側から教師が観測する。コミュニケーション 活動が、問題解決を方向づける。

③ ①②は左右の横のひろがり(ホールネスwhole- ness)だとしたら、③は縦の深まり(ホーリネ ス holiness)である。ここでは、教師のストー リー性、語りが大切になってくる。教師の語り の贈与性が第一義的である。それは、問いかけ であり。生徒の聴くことの力に賭ける。内的論 理を内側から観測する。ここでのコミュニケー ション活動の特徴は、「沈黙」であり、「物語り 直し」にある。問題解決を昇華させた構想力の 形成に焦点を当てる。そして、時にはその授業 の場は、「遊び」という自律的なコミュニケー ションシステムとして捉える。遊び手の意思を 越えた自律的なシステムが生起し、日常の現実 の内に意味が生成する。もう一つの現実が生ま れ、現実が二重に構造化されるところに芸術の 創造性をみる。

以上のように、これら数学的コミュニケーション活 動の違いは、教師の「問いかけ」の差異によって実 践の相を生み出していると考えられる。

3.実践事例から  F中学の事例より

F中学の数学の授業は、「宿泊訓練から数学の問い をつくろう」という教師の提案から始まる。教師の語 りを聴く生徒達の反応は、一様に「なぜ そこに数学 なの?」というものであった。F中学校の数学的活動 の特徴は、宿泊訓練の場にある素材(モノや形、地図 など)をテーマにして、そのモノの特性に教師の語り から気付かせ、生徒が素材からその特性を引き出して くるものであった。それは、数学的コミュニケーショ ン活動を共同的活動のなかに位置づけていることによ って、そこに「数学」があり、数式で表記される「数 学的な表現」や「見方・考え方」が成立することに気 付かせ、実感させるものとなった。授業における共同 的活動のおおよその流れは以下のように、教室という 場での授業における素材とのかかわり方という観点か ら、[環境]という言葉をキーワードに4つに分類し、

整理をおこなった。

[環境]

(ア) 宿泊訓練という、生徒個々の関心と興味に 応じた、個性的な学びを保障している。

(イ) クラス、班活動の中で、その学び(例えば

「間違ってもいいんだよ」という受け止め)

を支えあう支持的風土がつくられている か、または、それを目指している。

(ウ) 課題設定、課題解決の加工・方法・練りあ いの時間が保証されている。

(エ) 教師と生徒の「語りー聴く」関係が成立し ている。

[環境との交渉]

(ア) 素材選択理由を述べる。その際、教師の介 入により、グループ間のオリジナリティー を意識づけさせる。

(イ) 教科で学んだ知識や考え方を活かせたとい う実感を得る。

Ex;その素材のここに「数量の認識」があ るよと、教師の指導・介入のもとで、

各班が小さな問いを形成していく。

(ウ) 宿泊訓練と数学の間に数学的なつながりを 見出すために、その問いに答える確かな知 識や理解といった、数学的資源が共同的活 動の中で整理されていく。

(エ) 素材からの声(アフォーダンス)を聴く。

[公共性]

(ア) グループの課題を明確にする。

(イ) 数学的な問いへ修正する。

(ウ) 企画・運営を自治的に行っていけるように 促していく。

[フィードバック]

(ア) 数学を通して、あらためて宿泊訓練の達成 感を味わうことができる。共同的な学びの よさのなかに、自己の存在感を感じ取るこ

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とができる。

(イ) 数学と自分とのつながりを実感することに より、数学を学ぶ意味や、その数学を学ん でいる自分の価値が確認される。

(ウ) 生徒の学びの変容過程を通して、教師自ら の変容(生徒の捉え方や数学の見方)が促 されることが実感できる。(ケアしケアさ れる関係)

生徒たちの作品が完成され、そこには次のような数 学が浮かび上がってきた。「分配法則」「負の数」「文 字式」「式の値」「変域の発見」などである。そして、

その数学概念に対応した式が導き出され、宿泊訓練の 想い出とともに、「文化として伝承される概念・知識」 即ち「生きて働く(数学の:著者加筆)知識」が獲得 されていくのである、とF中学の研究紀要に述べら れている。これら共同的活動の中の数学的コミュニケ ーション活動にとどまらず、授業者はさらにストーリ ー性を追求していく。

それでは、なぜ実践の現場で教師は、生徒の数学的 活動のあり方をストーリー性に求めようとするのだろ うか。

F中学の場合は、「人との交わり・共生を目的とす る」からで、「どのように数学的に表現・伝達するこ とができてきたのか」を振り返る場として、ストーリ ーが必要であるとする。すなわち、代表された式には、

宿泊訓練というストーリーが埋め込まれているのであ り、逆に宿泊訓練をテーマとして数学的知識が構成さ れたともいえる。また、個々の生徒の理解は違うかも しれないが、(その意味では分かちもたれるわけであ るが)個人・グループの構成員にこのストーリーは伝 承されていくのである。宿泊訓練を、それは、この活 動以前にはなかった数学という言葉で、「物語り直す」

ことである。

しかし、私はこのような文化的実践という側面だけ で、私たち教師がストーリー性を数学的活動に求めて きたとは思えないのである。2章で述べた①②がコミ ュニケーション活動の外側からの観測とするならば、

③は内側からの観測として、問題解決の場面とは別の 視点をコミュニケーション活動に浮かび上がらせてく る。

それでは、生徒の内側からの観測から何が見えてく るのだろうか。それは教師の「問う」身体性の模倣で あり、自問自答であり、遊びとしての行為そのものに 身をおくことであり、遊びにおけるパラドックス体験

(言葉を話さないリンゴがy=axを語り、その沈黙の 声を聴く:4章参照)から来る「溶融体験=意味生成」

を実現する営みであると考えられる。

中沢新一は「森のバロック」の中で「生命現象に とって、観察者の立場は相対的なものにすぎない、と

いう点を強調している。生物を観察している人間は、

それを生命の内側からではなく、外側にあらわれた行 動を観察して、さまざまな判断や推測をおこなってい るのにすぎない。」として、数学的コミュニケーショ ン活動を数学的活動の本質としてとらえるならば、そ れは問題解決という結果以前のパラドキシカルな体験 にあるのではないだろうか。このパラドックス体験が 数学の世界をひらく。それは、パラドックスが、物語 を構想する力と通じあうものを、私たち教師は自身の 数学体験の中で身体的な記憶として感じているためで はないだろうか。そのひとつがノンセンス体験である。

ノンセンスについて矢野智司は、「知性における秩序

(数と論理)と無秩序(夢と悪夢)との二つの勢力の 間でなされる終わることのない闘争において、厳密な 規則にもとづいて、限定された言語宇宙を創作するこ とによって、秩序の側に与(くみ)するゲームである。 と述べている。

ノンセンスの裏側には「行って帰ってくる物語とい うファンタジーの枠組みが隠されている」(矢野)の である。このファンタジー体験の往相と還相を助けて くれるのが、教師の語りに媒介されたモノの力である。

例えば「三光丸」という売薬の薬包紙を使った教材と、

教師の「三光丸」から引き出された数学の語りであっ たり(資料参照)、4章で扱うニュートンのリンゴで あり、F中学の宿泊訓練の様々なモノたちである。こ のモノを共に数学の対象として観(み)、そこからの 声を聴くというのはある種のアニミズムに近いものが ある。また、モノに数学的概念を引き出してくる教師 の語りは、シャーマンのそれに近いともいえる。

この教師の語りに媒介されたモノとの対話によって 導かれたノンセンス体験は、対象を見る視点を変えて いく。それは学ぶ主体の変容を意味する。それが物語 を構想できる力であり、③で追求するコミュニケーシ ョン活動である。さらにいえば、その教師のモノに数 学をみるという背景そのものが「贈与」(矢野)され た語りといえる。

ところで、コミュニケーション活動が同一視線、そ れは数学の表記を扱った数学が使える(数学の有用性 への認識)という地点でとどまったり(伝達)、問題解 決のアイデア交換(交流)でとどまるならば、学校数学 という範疇では「数学嫌い」が解消し得ても、そこに は「なぜ私たちは数学を求め愛するのか」という、問 いには答えられないままでいるのではないだろうか。

自分の数学が語れるという自信が、「意味の固着」を 解消させてくれる。そのためにも授業者の語りを、彼 または彼女の「数学物語」とするならば、コミュニケ ーション活動とは授業者の「物語共同体」に生徒が参 画する、「物語り直し」をしていく数学的活動である といえないだろうか。そして、共同体の論理には、ケ アといった手当が支援と共に発生しているのである。

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4.実践の身体  S中学の授業から T先生の身体 表現を通して生徒の活動を観る

「2乗に比例する関数」

学習指導目標……① 物体の落下運動が、2乗に比例 する関数であることを、データ をもとに考察できる。

② 物体の落下運動の様子を関数的 にとらえ、表や式に表そうとする。

上記の指導目標をもった授業であった。学習目標の の実現は、4人1グループによる相互作用を重視した 取り組みによって授業が構成されていた。この授業で の知見は、「生徒のコミュニケーション活動への参画 は、教師の身体性と語りによって促される。」という ことである。

私たち数学教師にとって、授業をグループで行うこ とは、中学校段階では躊躇しがちである。2人組が固 定したり、仲間との会話がとれない生徒がクラスに現 れてきたりする。つまり、席をあわせるという学習以 前の段階も含めて、グループ活動が難しくなっている のである。グループ活動は、ねらいが班構成員に明確 に意識づけられると活発化するか?というと、それも 必ずしもそうとは言えない。

グループで数学的活動を行うというのは、自分以外 の他者を受け入れるという覚悟が必要である。受け入 れると云うことは、その見返りとしての自分の考えや 思いを他者に返す(応答する)ことを暗に要求してい る。だから教師は、その覚悟のハードル(緊張)を下 げる導入の工夫が要求される。その緊張が持続された 状態で、このような授業が継続されつづけると、それ はコミュニケーション・ストレスとなると考えられ る。すなわち、他者の考えを自らに引き受けないまま 自分の主張を述べ続ける生徒、話せないまま受け身一 方の役割が固定されてしまう生徒が生まれてしまう。

他者を引き受けるという行為の重さに比して、思春期 段階の生徒に私たち教師が要求する相互作用は、あま りにも道具的であり目的実現の手段として安易に導入 されすぎてはいないだろうか。

この応答にいきなり生徒の身を置くのではなく、ま ず授業は教師の語りかけからなされるべきであろう。

1「今日は、丸くておいしい物買ってきました。な んだ?」

1「みかんだ!」

2「残念。これです。 2「りんごか!」

3「このりんご、ここから手を離すとどうなる?」

「割れる。」何人もの声

「この位置だと」(高さを変える)

「割れる」

「ここだと」

「割れるかもしれないけど、どうかな?」

「どうして、高さによって割れ方が違うの?」

「加速度がつくからやろ」「速さが変わってくる」

「じゃ、落としてみよう」

「えっ!!」

(手で受け止める)

「もったいないもんね。だから今日はもうひとつ リンゴ持ってきました。

「それは、プラスチックだ。(笑い)

10「そうです。この2つのリンゴを同時に落とすと どうなる?」

しばらく静かになって、「本物」「同時」という声 がし始める。

11「C君は?」

10「同時です」

12「そうやね。このこと誰が云ってたのかな?」

11「ニュートン!」何人も同じ声

13「ニュートン。私もそう思ってたんよ。でも、調 べたらもっと昔に発見してた人いてたんよ。 12 しばらくざわめき

「ガリレオや」

14「正解。ガリレオが発見したんよ。

ここでは、まず始めに教師が生徒の前で身体を開き ながら語りを行っている。自然に生徒のからだをひら きながら、応答を楽しんでいるようである。このよう な小さな応答の繰り返しの中で、本時の問いの中に生 徒達は導かれるのである。ここには、彼らが数学と思 うような記号や式は一切使われていない。中学3年生 なら誰でも参加しうる言葉で対話がなされている。こ の授業は、数や式が見えない現象に数や式を観る、こ こでは2乗に比例する関数を観る旅、すなわち教師の 語る「ゆるやかな歴史的文脈の流れ」の中に、生徒達 図2 ニュートンのりんごの落下を演出する

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の物語が紡ぎ出されようとしている。そして、教師は ただ1点、自らの体験から本時のルールを導入の最後 に規範化している。それは、「間違ってもいい」とい うことである。

授業の展開で、話し合い活動ならびに作業が進むよ うに、教師はどの様な手だてを行ったのであろうか。

特に目についた点をあげてみたい。それは、グループ への机間観察が主として彼らの会話を「聴く」ことに あてられていたことである。

そして、必要な支援をしていく場面では、肩や背中 に手を当て(文字通りの手当)、視線を彼らの目線に あわせながら、語り、問いかけていくのである。生徒 達の会話の中へ介入する、この教師による手当と語り による非連続な切れ目の導入が、話し合いを活性化さ せてくる。

ここで行われていることは、まず問題群に対する問 いの立て方、「どう考えればいいのか」を、教師が問 いかける。これをグループならびに個人が学び、自ら の問いと見立てながら模倣して身体化させていくので ある。模倣とは単なる言葉のオウム返しではない。こ

こでみられるように、教師の手当をともなった語りか ら、生徒の自らの身体をくぐらせた問いとして現れて くるのである。その意味で手当とは、問題を前にして 躊躇している彼らの「背中を押す」働きもある。この 自らをくぐらせる行為によって、問題解決の振り返り が彼らの数学の語り、すなわち物語となるのである。

様式化された班活動では、確かに話し合い活動に無駄 は排除されてきてスムースに展開されてはいく。つま り話し合いとしての合目的性が追究されてくるため、

無意味な議論が意味をもたなくなる。しかし、云えな い立場の者が云えないままで固定化されてくるため、

話し合いが徐々に停滞してくるのである。または、云 える者だけが云えるという制度化がしばしば起こって くる。

それにしてもこのT先生の授業はなぜ相互作用が活 発化するのだろうか。私は、T先生の数学的知識や学 習履歴や見方・考え方から、手当という身体的感触や 語りをくぐらせて、生徒は自ら描いた物語の文脈から

「問い」を引き出してくるのではないかと考える。逆 に生徒の学習から、聴くという行為をくぐらせて、T 先生の授業者としての語りや生徒への手当てが引き出 されているのではないだろうか。

ところで、この授業は普段の数学の授業とは形態が 異なっている。はじめにリンゴというモノを示し、教 師の語りを介して、授業を「遊び」というシステムに 転換している〈T〜T。いうならば、リンゴに隠 された「宝探し(ごっこ)」である。このリンゴの中 から引き出してくる、リンゴに付与された仮構性が大 切なのであって、そこが(同様の実験を行っても)理 科としての授業との違いであり、また数学における協 同学習の有用性でもある。

数学は日常の世界と対比される別の世界を実現する ジャンルであると考えられる。その意味でG.ロダー リーがいう「数学者たちが自分たちの領域を探険し たり、新しい領域を発見するために考え出す《あそび》

は、もう一歩で物語が創作できる《フィクション》の 性格を持っていることが多い。」のであり、これをフ ァンタジー体験と言いかえ得るならば、「ファンタジ ーは、独創的な想像力から生まれるものであって、そ の想像力とは、私たちが五官で知りうる外界の事物か ら導き出す概念を越えた、より深い概念を形成する心 の働きである。」として、「遊び」は数学のリアルな体 験を可能とするものではないだろうか。

5.さいごに

なぜ「ストーリー性」や「社会的文脈」にまで、数 学的活動を高めるかについての考察を行ってきた。そ こに、教師の数学体験(履歴)が生徒に口承されてい く、教師の「物語り直し」を見てきた。この語り直し 図3 生徒のつぶやきを「聴く」そして「みとる」

図4 教師による手当てと語り

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は、教師のノンセンス体験が動機となる。具体的に言 えば、図のここに補助線を入れるという行為は、図の ここに補助線が見えるということであり、その問題解 決のプロセスが図によって語られ、私たちがその沈黙 の声を聴き分けることができると言うことである。校 外学習の スプーン は、見ようとしなければそれは ただのスプーンである。そこからは、日常生活のお皿 を鳴らす音以外は、私たちは聴き取ることができない だろう。しかし、ノンセンス体験をした教師の語りに よって、このスプーンに校外学習というストーリー性 が与えられ、その瞬間にスプーンは数学の顔を生徒に 見せてくれるのである。落とされたリンゴも、教師の 語りがなければ、リンゴが単に落ちただけにすぎない。

そこに、y=axという表記は見えてはこないだろう。

これを、ファンタジー体験と呼び、数学的コミュニケ ーションの③の物語の相として位置づけたのである。

見えないものが見える、聞こえない声が聞こえる。こ れを「非―知」(矢野)の体験と呼ぶ。生徒の「非―

知」の体験が、すなわち教授する教師の身体性そのも のの「物語り直し」なのである。そして、この日常的 な視線ではない、俯瞰的な視線の獲得は、芸術性を有 する、または志向する数学的課題において可能である という体験が教師の身体記憶にあると考えられる。

往々にして数学の学習は、単にスキルが強調された り、逆に教師ができるだけ話さなかったりと、その 時々の社会的な要請によって、振り子をいたずらに左 右に振幅させてきただけではないだろうか。また、数 学的活動の名の下に、安易にそれはグループ学習にお けるコミュニケーション活動に求めてしまう弊害も指 摘した。もっと、教授の現場で、教師はどのような数 学的背景や体験から(モノに映る)数学を語っている のか、その語りはどのような身体性をくぐらせて生徒 の語りを創発し、時に教師の「物語り直し」としても 創発されてくるのかを注目し、新たな視点として語り を中心とした教授プロセスを捉え返すべきではないか と考える。そして、教師の語りに信頼を寄せるべきで ある。また、モノの力という言葉で表現したが、モノ が数学を誘発してくるファンタジー体験が、学びの主 体である生徒個々の数学物語を構想するという可能性 に注目していくべきではないかと考える。

〈引用・参考文献〉

1.矢野智司

「動物絵本をめぐる冒険」勁草書房  2002年

「自己変容という物語」 金子書房  2000年

「ソクラテスのダブルバインド」世織書房1996年 2.G.ロダーリ

「ファンタジーの文法」 ちくま文庫 1990年 3.境敦史 他

「ギブソン心理学の核心」勁草書房  2002年 4.佐々木正人

「アフォーダンスと行為」金子書房  2001年 5.高木光太郎

「ヴィゴツキーの方法」 金子書房  2001年 6.庄井良信

「癒しと励ましの臨床教育学」かもがわ書店2002年 7.中沢新一  

「森のバロック」せりか書房     1998年 8.福井大学教育地域科学部附属中学校 「研究紀要」

平成13年・第29号、14年・第30号

9.香川大学教育学部坂出学園(中学校)「研究紀要」

平成14年

(9)

資料 三光丸の数楽探検 指導案 資料 三光丸の数楽探検 解説

参照

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