奈良教育大学学術リポジトリNEAR
C. Wright Mills 研究 −アメリカ社会学史の一節
−
著者 小笠原 真
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 40
号 1
ページ 51‑73
発行年 1991‑11‑25
その他のタイトル A Sutudy on C.Wright Mills −A Chapter to the History of American Sociology−
URL http://hdl.handle.net/10105/1782
奈良教育大学紀要 第40巻第1号(人文・社会)平成3年
Bull, Nara Univ. Educ.. Vol. 40, No. 1 (Cull. .).1991
C. Wright Mills研究
i 'I一月上 ・J!│J
小̀JV
(奈良教育大学社会学教室) (平成3年4月23日受理)
I.課題の設定
本小稿では、現代アメリカ社会の病根を鋭くえぐり出し、疾風のように駆け抜けていった「異 端」のアメリカ社会学者C.WrightMills (1916‑1962)を正面から取り上げ、彼に浴びせられて
きた数々の悪評‑例えば、彼は真の社会学者ではなかったとか、少なくとも晩年になるにつれ て彼は「非社会学者」になってしまったとか、彼は生半可なマルクス主義者であったとか、そし て、パワー・エリートの理論を抱いていたところから、彼は権力に夢中になり結局権力の虜になっ てしまったとかいったように‑に対して、彼の名誉を幾分なりとも回復させるためにも、われ われは彼の研究業績について改めて綿密に検討してみたい。
そこでまず、われわれは第Ⅱ節でMillsの生涯と業績について一瞥を与え、次いで第Ⅲ節では、
彼の社会学観と社会科学方法論を解明すべく、われわれはMillsが1959年に世に問うた『社会学 的想像力』 (The Sociological Imagination)とウィスコンシン大学博士課程に在籍した時の師であっ たHans H. Gerth (1908‑ との共著『性格と社会構造』 (Characterand Social Structure、 1953 とを吟味してみたい。続いて第Ⅳ節では、現代アメリカ社会の病根を鋭くえぐり出したMillsの いわゆる「階級三部作」、つまり具体的には『新しい権力者たち』 (TheNewMenofPower、 1948)、
『ホワイト・カラー』 (WhiteCollar^ 1951)、そして『パワー・エリート』 (ThePowerElite、 1956) を検討することによって、われわれは彼の現代アメリカにおける社会階層分析、もっと正確を期 せば組合指導者層、新中間層、そして権力支配層の分析結果を明らかにすると共に、そこで彼の 強調する大衆社会論の中身も探ってみたい。そして最後の第Ⅴ節では、われわれはMillsの所論 に含まれる問題点・疑問点を他の研究者の諸説との関連で若干指摘して結びに代えたい。
Ⅲ. MHsの生涯と業績
さて、個々の社会学者の学説を理解する際の常道に従い、 C. Wright Millsの生涯と業績を手短 に紹介することから始めよう。
まず、 Millsの生涯についてみてみると、彼は1916年テキサス州のワコ‑において、両親がア イルランド系とイングランド系である中産階級の家庭でこの世の生を享けた。そして、少年時代 をMillsはシャーマン、フォード、ワース、ダラスなどで過ごしたO長じて彼はカトリック教会 の附属学校と公立の高等学校で学んだ。 Millsの宗教的衝動は取り立てて深いものではなかった けれども、社会正義や全人類の平和をキリスト教の使命と本気で考える聖職者たちに心からの尊 敬の念を抱くようになった。また、アメリカ人のなかには取り上げるだけの価値のある二種のタ イプの人びとつまり聖職者と学生とがいるとして、教育者として当然のことながら、彼は学生に
51
52 小t.川','. '. '蝣
も深い愛情を注いだ。ところで、 Millsはテキサス農工大学の工科学生として心落ち着かぬ一年 間を過ごした後、テキサス大学に改めて入り直し、そこで文学士号を得、そして、 1939年には同 大学大学院で哲学および社会学の修士号を得た。さらにその後、彼はウィスコンシン大学へ行き、
そこで、理論社会学者で行為理論の樹立に貢献したHoward P. Becker (1899‑1960)の指導の 下研究に従事し、 1941年に社会学および人類学の博士号を取得した。
さて、 Millsの教職におけるスタートはウィスコンシン大学で切った。つまり、彼はそこで 1940年と41年の二年間教育特別研究員の地位に就いた。ところが、早くも1941年にはメリーラン ド大学助教授に任命された。戦時下の45年には、しばらくの間小規模軍需工場の団体の特別ビジ ネス・コンサルタントとなり、上院の委員会へ提出するための中小企業と市民の福祉に関するレ ポートを作成した。そして、戦争終結後にはグッゲンハイム特別奨学金を授与され、また、コロ ンビア大学の社会学助教授の地位を得た。だが、間もなく彼は同大学内にある応用社会調査局労 働調査課長‑と転出し、 48年までその職に留まった。そこでは、所長として1940年代のラジオ研
究に指導的な役割を果たしたPaul F. Lazarsfeld (1901‑ の全面的な指導の下研究に従事 した。そこから、同大学の社会学準教授へと戻り、 1950年に教授に昇進した。その時Millsは僅 か34歳の若さであった点を考えると、いかに優秀な学者であったかも判明しよう。
その後、彼はコロンビア大学教授として活躍するかたわら、ブランダイズ大学、コペンハーゲ ン大学、合衆国空軍大学、ウイリアム・A・ホワイト精神病理研究所などの非常勤講師もつとめ た。 Millsは人びとが生活しているところならどこへでも出掛けて調べてやろうという人類学者 的才能を有していた。具体的には、彼はデトロイトの労使関係会議のために、健康管理上必要な ものについて研究したし、また、プエルトルコ人のニューヨークへの移民のパターンを研究した し、さらに、アメリカ中西部の住民のパーソナル・インフルエンスとマス・コミュニケーション の効果を研究した。あるいは、後年のラテン・アメリカやヨーロッパ‑の旅行は社会学の人間的 使命についての洞察を深める上で大いに役立った。例えば、彼は1950年代のはじめに初めてヨー ロッパを訪れた時、熱核戦争の脅威を現実の事柄として認識したし、その後、ロシア共和国やポー ランドを訪問して社会主義のダイナミックスに気付いたし、また、 FidelCastro (1926‑
の出現した当時のキューバを訪ねて、革命過程の研究を行っている。つまり、このことはMills が単に彼自身の経験の崇拝者であることを意味するのではない。むしろ、それはMillsの強轍な プラグマティックな態度が研究しようとする社会現象を自ら観察せずにおられないよう条件づけ たということを意味するのである。
このように、研究対象の幅の広さからどうかするとMillsは生真面目なカナカチの学者のよう な印象を受けるが、決してそうではなかった。つまり、彼の趣味もまた広く、オートバイのスピー
ドと機械いじりを好み、日曜大工で彼自身の住む家を建ててしまったほどである。
さて、 Millsは1950年代の最も充実した時期をコロンビア大学のそれも学部教授‑それとい うのも、彼は大学院の演習をも是非担当してほしいという要請をみずから辞退しているからであ る。そして、 Millsは友人で政治社会学者のIrving L. Horowitz (1929‑ )にその辞退の理由 を次のように語っている。日く、同じだけのエネルギーを消耗して、 300人もの若く開放的な精
つら
神の持ち主である学部学生に教えることが出来るのに、どうして3人程の面の皮の厚くなったコ
チコチの院生どもに教えなくてはいけないのかね、と。そして、 Millsが単に権力の虜でなかっ
た酎まこの辺にも読み取ることが出来よう。 ‑として社会学を講義しながら、以下にみる「論
難」の書をほぼ2年に1冊の割合で精力的に発表していった。こうした疲労がいつの間にか大柄
C. Wright Mills研究
53で一見強健そうに見えたMillsの身心に蓄積し、 1962年3月二度E]の心臓発作におそわれ、末だ 46歳という働き盛りではあったけれども、多彩な生涯を閉じてしまった。
次いで、 Millsの研究業績についてみてみると、 1941年にウィスコンシン大学へ提出された Millsの学位請求論文「プラグマティズムの社会学的説明」(A Sociological Account of Pragmatism) は、彼の死後友人Horowitzによって編集され、 『社会学とプラグマティズム』 (Sociologyand pragmatism)という書名の下で1963年世に問われた。しかも、その仕事はMillsの学的生涯の初 期を支配したばかりか、積極的にも消極的にも彼の全生涯を規定していったのである。その仕事 とはプラグマティズムをどう解釈し、どう批判し、どう乗り越え、一段高いところからどう再建 するか、ということであった。
だが、 Millsの名を牡界的に知らしめたのは、何といっても次に挙げるいわゆる彼の「階級三 部作」、つまり具体的には、それらは1948年に出版された『新しい権力者たち‑アメリカ労働 組合幹部論‑』 (The NewMen of Power: America's LaborLeaders)、 1951年の『ホワイト・カラー
‑アメリカの中流諸階級‑」 White Collar: TheAmerican Middle Classes)、そして、 1956年 に世に問われた『パワー・エリート』 (ThePoweγElite)であるが、特に不朽の名作『ホワイト・
カラー‑アメリカの中流諸階級‑』 (以下副題を省略し、 『ホワイト・カラー』とのみ記す) と『パワー・エリート』の二著は、専門書としては異例のベスト・セラーにもなるほど、多くの 一般知識人の読者を獲得したのである。
また、Millsはアメリカの社会学者Talcott Parsons(1902‑1979)に代表される「誇大理論」(grand theory)と同国の社会学者George A. Lundberg (1895‑1966)やLazarsfeldに象徴される「抽象
化された経験主義」 (abstracted empiricism)に批判の矛先を向け、人間と社会との関連を歴史の 場において理解することをねらって、社会学の「古典的伝統」を現代に生かすべきだと主張し、
彼自身の社会学観や社会科学方法論の確立を意図した、文字通りアカデミックな著作として世に 問うたものに、 Gerthとの共著であるところの1946年の『マックス・ヴェ‑バーから』 (Fn Max Weber)と、同じく1953年の『性格と社会構造‑社会制度の心理学‑』 (Chamcterand Social Structure: The Psychology of Social Institutions)とがあり、また、彼の単著であるところの
1959年の『社会学的想像力』 (The Sociological Imagination)もあるO
さらに、 Millsの学問的使命感はたえず彼を現実的な政治問題に駆り立て、そうしたところか ら生まれたものに、 1958年に世に問われた『第三次世界大戦の原因』 (The Causes of World War Three)と、 1960年に出版された『聞け、ヤンキー!』 (Listen Yankee)とがある。また、彼自身 の政治哲学を確立すべく、西欧の古典的伝紙をもう一度しっかりと確かめたいと考え、「自由主義」
についてその考えをまとめたものが1960年の『人間のイメージ『(imagesofMan)であり、同様 に「マルクス主義」についてその考えをまとめたものが1962年の『マルクス主義者たち』 (The Marxists)である。
なお、最後の著書であった既述の『マルクス主義者たち』に続いて、 MillsはPierreJ.
Proudhon (1809‑1865)、 Mikhail A. Bakunin (1814‑1876)、 Henry D. Thoreau (1817‑1862)、
Pyotr A. Kropotkin (1842‑1921)、 George Sorel (1847‑1922)、 Emma Goldman (1869‑1940) 等をあつかって、 『アナーキストたち』 (TheAnarchists)や『トロッキストたち』 (The Trotskyists)
を準備していたといわれる。また、彼はラディカルな自由の社会科学者という立場からソヴイエ
ト政治批判を試みんとした『同志‑イワンへの手紙‑』 (Tavarisch, Letters to Ivan)をも用
意していたといわれる。
54
小笠・. 】iji n
否そればかりか、 Millsのいわばライフ・ワークになったかもしれない膨大な企画があった。
この構想は『比較社会学』 (Comparative Sociology)と呼ばれるもので、断片的に残されている草 稿からみて、彼はこれをマルクス主義との深刻な対話を通じて「現代社会構想の世界的存在形態 に関する6巻ないし9巻からなる研究」として完結させるつもりであったといわれる。しかしな がら、方法論および総論的な内容の第1巻と第2巻の一部の執筆に着手したのみで、この甚だし く巨視的な世界社会学の構想も誠に残念ながら挫折してしまったのである(日。
Ⅲ. M‖Sの社会学観と社会科学方法論
では、いよいよ本論に入っていこう C.WrightMillsは自らの社会学観と社会科学方法論を構 築するにあたっては、当然のことながら手近にあるアメリカ社会学、それも1940年代から50年代 の学界をリードしたParsonsやLazarsfeldに代表される社会学を選び出し、以下に詳述するよう
な論戦を挑んでいる。
彼は1959年に世に問うた『社会学的想像力』 (The Sociological Imagination)において、まず、
Parsonsの『社会体系』 (The Social System、 1951)にみられる「誇大理論」 (grand theory)を狙 上にのぼせ、次のように批判する。すなわち、 「誇大理論が成立する基本的な条件は、そのよう な理論家が観察のレベルまで論理的に下降することが出来ないほど、一般的なレベルでの思考を 頭から採用していることにある。彼らは誇大理論家として高度の一般性の水準から時代の歴史的 構造的な文脈のなかにある問題というところまで降りてくることがない。この核心的な問題に対 する鋭い感覚がないために、彼らの著作は非常に顕著な非現実性を示すことになる。ここから生 まれてくる一つの特色は、われわれの理解を広げるわけでもなく、またわれわれの経験をはっき
りさせることにもならないような概念操作を、勝手にしかも際限もなく積み重ねることであ る」(2)と。
そして、 Millsは形式的側面に対するこのような批判に加えて、さらにこの種の理論に残され た仕事は「言葉の定義」以外にないと断定し、以下のように主張する0 「誇大理論家は次のこと を本当に理解してはいないのである。つまり、ある言葉を定義するということは、その言葉を一 定の仕方で使ってほしいと他人にすすめることに過ぎない。換言すれば、定義の目的は事実の上
に論議の焦点をしぼることであり、したがって、よい定義は用語をめぐる論議を事実についての 討論に転化させ、それによって追究をさらに深めるような論議を生み出すという結果に結びつい ている」(3)しかも「誇大理論家たちはあまりに構文論的意味に心を奪われ、意味的な関連につ いて創造力を欠いているために、彼らの構成する『類型論』 ‑また類型の仕上げ作業‑が体 系的に‑つまり明確かつ整然と‑当面する問題を規定し、その解決への努力を導くものでは なくて、不毛なく概念)遊戯でしかないと思われるほど高い抽象のレベルに、彼らはかたくへぼ りついている」(4)
要するに、 Parsonsの『社会体系』の著作においては、言葉や用語が不当な重みをもっており、
その多くがトートロジーであったり、あるいはもっと簡単明瞭な用語に置き換えることが出来る、
と考えるMillsは「私はこの章の冒頭で『社会体系』を一例とする誇大理論は、たんなる言葉の
羅列なのか、それとも深い意味をもつものなのか、と問うた。それに答えてこの章を結ぼう。そ
れは約50%が言葉の羅列であり、 40%は誰でももっている教養課程の社会学である。残る10%に
ついてパーソンズはいうかもしれない。私はそれを読者自身の経験的吟味に委ねたいと」(5)とい
C, Wright Mills研究 55
う手厳しい批判の言葉を吐いている。
ところで、 Parsonsの使用する言葉についての以上のような批判に加えて、さらにMillsは以 下のような内容的批判も試みている。その所論を摘記してみると、彼はParsons理論の基調が社 会の構成員による価値指向の内面的共有を偏重したことにあると考え、 「とはいえそれほど普遍 的で中枢的な象徴を確守しているような社会構造は、当然のことながら、極限的な『純粋』型の 場合にすぎないであろう。もう一方の極端には、一群の強力な制度が暴力の脅威を背景にして社 会全体を統制し、一定の価値をおしつけているような社会が考えられるであろう。だが、その場 合でも社会構造が崩壊してしまうとは限らない。人間が上からの公式的な規律によって効果的に 条件づけられることもあるのだ。そして規律という制度的要請を受け容れなければ、暮らしてい けないようになっていることもあるからである」(6)と主張する。そして、 Millsは後にも詳しく考 察するように、彼自身の社会構造の類型を政治的・経済的・軍事的・親族的および宗教的な制度 的秩序の組み合わせの様式によって、設定することが出来ると解するところから、 「パーソンズ の図式を仮に受け容れるとしても、権力やすべての制度的構造、特に経済・政治・軍事などの構 造については、彼の図式では説明されていないので、その外で別個に考えざるをえないことにな る。この奇妙な『一般理論』には、そのような支配の構造がまったく欠け落ちている」(7)と断言 tM*
さて、このようにみてくると、聡明な読者にはすでにお気付きであろうが、力の問題は「葛藤」
(conflict)、 「衝突」 (collision)、さらには一般に「変動」 (change の問題につながっていく。そ れ故、力の要因が社会秩序からparsonsにあっては無視されたという批判を下すMillsは、その 当然の帰結として次のようにいう。つまり、 「こうした葛藤の概念は有効に規定されないままに 捨象されてしまう。構造的敵対関係とか大規模な反抗とか革命とか、このような事実が考えられ ないことになる。事実、ひとたび確立された『体系』は、安定しているというだけではなく、本 来的に調和した存在であるとされているのである。 ‑‑・葛藤を魔法によって消した上に、巧妙に 調和を仕上げた結果として、この『体系的』で『一般的』な理論は社会変動つまり歴史をとり扱 う能力を喪失した。誇大理論家が規範的に創作した社会構造のなかに自分の居場所を見出せない のは、テロ化した大衆や興奮した暴徒、群集や運動などの『集合行動』だけではない。誇大理論 家の手持ちのなかには、歴史そのものがいかにして生じるか、その力学と運動に関する体系的な 構想は何一つなかったので、パーソンズもそれは社会科学にとって無益なものだと思い込んだの であろう」(8)と。しかも、このような指摘は決してMills独りに限ったことではなく、既に彼自身 も指摘するイギリスの産業社会学者David Lockwood (1929‑ をはじめとして、多くの人 びとの指摘するところでもある。
もっとも、ここでわれわれはParsonsの名誉のために一言いっておくと、彼は五十年余りの学 者生活を送ったわけであるが、それを便宜的に前期・中期・後期の三期に分けて考えてみる時、
MillsやLockwoodによるさきのような批判は、中期までの業績に対するものと考えなければな らない。何となれば、 Parsonsは後期の1966年から没年の79年に至る13年間には、中期までの行 為理論の構築に加えて、社会類型の進化と比較‑具体的な研究成果として1966年の『社会類型 読‑進化的および比較的視点‑T』 (societies: Evolutionary and Comparative Perspections)が挙 げられる‑、行為理論の進化‑同様に1977年の『社会体系と行為理論の進化』 (social Sys‑
terns and the Evolution of Action Theory)が挙げられる‑等について研究を進めることによって、
従来彼に向けられていた「歴史性の欠如」とか「変動論の欠落」を補っているからであが).
56 小SHi と
要するに、 MillsはParsonsの『社会体系』について上述してきたような形式的・内容的批判 を行った後に、まさに結論として次の言葉で結ぶ。すなわち、 「『社会体系』におけるパーソンズ は、彼が構成した社会秩序の一つのモデルが普遍的に妥当するものだという観念にとらわれてお り、事実上概念の物神化に陥っていたため、社会科学の実質的な作業に手をつけることが出来な かったのである。この特殊な誇大理論で『体系的』といわれているのは、実はあらゆる具体的経 験的な問題から逃避する方法の別名である」00)
次いで、 Millsはアメリカの社会学者で社会学の研究を自然科学的方法をもってすすめること を主張し、社会学上の諸概念の数量化をめざしたLundbergや、コロンビア大学の応用社会調査 研究所の所長として1940年代のラジオ研究に指導的な役割をはたし‑第[節でも述べておいた ように彼にとっても直接の上司であるけれども‑、社会調査方法論に関しても投票行動調査に おけるパネル調査法、態度調査における潜在構造分析などの新しい手法を開発したLazarsfeldな どの、社会調査における「抽象化された経験主義」 (abstracted empiricism)に批判の矛先を向け る。つまり、彼は上述の誇大理論における概念の物神化と、以下にみる抽象的経験主義における
「方法論的禁制」 (methodological inhibition)とは、盾の両面にほかならないとして、次のような 批判を浴びせる。
Millsは、 LundbergやLazarsfeldらにあっては、 「抽象化された経験主義の諸問題を研究して きたが、彼らの勝手な認識論によって奇妙にも自己閉鎖的に制約された枠のなかでしか、自分の 問題を提起し解明することが出来なかった。慎重に語句に注意を払った上であえていうならば、
彼らは方法論的禁制にとりつかれている。つまり結果からみれば、このような研究においては形 に十分な配慮をしないまま微細な墳事が積み上げられている。 ‑‑・このような細部描写はどれほ ど数多く書かれていても、われわれの確信に値する事柄について、何の確信を与えるものとはな らない」(ll)と主張している。そして、彼は「抽象的経験主義にみられる最も重要な精神的特徴は、
この立場に立つ者がもっている科学哲学であって、彼らがそれをどのように信奉し利用している かを把握しなければならない。彼らが遂行する具体的な調査の内容や組織機構や人的装備などは、
この科学哲学によって基礎づけられている。彼らの実際の研究成果の貧弱さも機構的な装備を要 求する気持ちも、この特殊な科学哲学のなかに精神的正当化を見出している」('Aと捉えている。
あるいはまた、 Millsは次のようにも語っている。つまり、彼らと親しくしている人なら、彼ら の多くが自分の科学的地位についての関心に支配されていることを、おそらく否定しないであろ う。彼らにとって最も大切な職業的自画像は自然科学者としてのそれである。社会科学をめぐる 哲学的諸問題を論ずる場合きまっていわれることは、彼らが「自然科学者」 (natural scientists) なのだという点である、ないしは少なくとも「自然科学の観点に立つ」 representtheviewpoint
。f natural science)ということである(13)
要するに、 Millsのみるところ、 「実際問題として抽象的経験主義者たちは、社会の研究そのも のよりも科学哲学の方に一層強い関心をもっているようである。つまり、彼らのしてきたことは、
要するにいま、彼らがく科学的方法)だと思っている一つの科学哲学を信ずることだったのであ る。この調査モデルの内容は主として認識論的な解釈論であって、それによって社会科学内部に 持ち込まれた最もはっきりした結果は、一種の方法論的禁制であった。ということはそのく科学
的方法)によって、問題選択や問題設定の方法が非常にきびしく制限されるため、結局のところ 方法論によって問題が決定されてくるということである。そして、これはまったく予想されるこ
とだったのである。そのような科学的方法は社会科学における古典的な研究の系譜に立っている
C. Wright Mills研究
57とみられるものから生まれたものでもなく、それを一般化したものでもない。それは大部分自然 科学の‑哲学を適当に修正して引用したものにすぎない」(14のである。そして、彼は批判の矛先
を向けた「誇大理論」と「抽象化された経験主義」について、 「思想的にみれば、これらの学派 の意味は古典的な社会科学の放棄にはかならない。そして放棄の手段として、 『方法』と『理論』
とがもっともらしく精巧化されているわけである。その主な理由は、彼らが実体的な問題そのも のとの着実な結びつきを欠如していることに求められよう。もし学説や方法の生成と没落が、す べて学説・方法間の純観念的な競合によってきまるとするならば、誇大理論と抽象的経験主義が 現に獲得しているような名声を手に容れることはなかったであろう。哲学者の眼からみれば誇大 理論もとるにたりない‑傾向にすぎないであろうし、多分もっと若い研究者たちはそれを素通り
していくであろう。抽象的経験主義も科学哲学のなかの‑理論にすぎないであろうし、いくつか の社会を研究する方法のなかの一つの実用的なアクセサリーにはなりうるかもしれない」(19とい
う言葉で結んでいる。
では、このようにアメリカ社会学の主流に厳しく批判するMillsの社会学観および社会科学方 法論とは、一体全体どのような内容のものであろうか。彼が先学を批判した箇所にも既に部分的 には示されていたけれども、さらにそのMillsが「私の見方は『方法論的』な偽装によって社会 探究を禁制したり、その探究を蒙昧主義的な概念で充満させたり、あるいは公的関連をもつ諸問 題には関係のない些末な事柄に関心を向けることによって、社会探究を壊小化するような、一連 の官僚的な技術としての社会科学観とは反対のものである」(18と述べ、また「古典的社会分析と いえるものは、有効に組み合わされたある限られた伝統であって、その本質的特徴は歴史的社会 構造に関心が向けられている点にあり、その問題意識において危機的な公共の問題と根強い人間 の問題に直接つながっているものである、と私は思う」(1mと主張しているところをみると、そこ では明らかに、彼自身の社会学観や社会科学方法論を確立するにあたって、現存する社会科学わ けても現代アメリカの社会学や社会心理学の主流のうちにそのまま求めるのではなく‑そこに は異端の社会学者の一面が読み取れよう‑、むしろ、それを批判しつつ基本的には主としてヨー ロッパ流の社会科学の「古典的伝統」のなかに見出そうとする。
具体的には、 Millsは科学的社会主義としてのマルクス主義の祖Karl H. Marx (1818‑1883)、
二十世紀最大の社会科学者であるといわれるMax Weber (1864‑1920)、マルクス主義的なイデ オロギー論の克服をめざして「知識社会学」 (sociology of knowledge)の樹立に努めたKarl Mannheim (1893‑1947)、深層心理の力動的なメカニズムを解明する「精神分析学」
(psychoanalysis)を打ち立てたsigmund Freud (1856‑1939)、そして、社会心理学の草分けと してまたプラグマティズムを担ったGeorgeH.Mead (1863‑1931)等々といった文字通り巨匠 たちの古典的な社会科学の理論を総合する構想を打ち出している。
しかも、その際の彼の問題意識は次のようなものである。つまり、 「どのような問題も、そこ に含まれている価値とその価値に対する脅威とが明らかにされない限り正しく設定されえない。
価値とその危険とが問題そのものを構成する枠組となるのである。古典的な社会分析の軸となっ
ていた価値は自由と理性であったということが出来よう。 ‑‑自由と理性という二つの価値を危
機に陥らしめている諸条件、諸傾向や、その危機が人間の性質と歴史形成に対していかなる結果
をもたらすかという点に、今日の社会研究の核心がおかれる」(】功と。そして、 Millsは自らに課し
た研究テーマを、ある箇所ではその「自由」 (freedom)と「理性」 (reason)の関連で次のよう
に述べている。 「研究主題の一つは、ある型の社会構造のなかであるタイプの人びとが、個人と
58 小;v if;i
して自由となり合理的となりうるような客観的機会についての問題であるであろう。そしてもう 一つの研究テーマは、別々の型の社会でちがった地位にある人びとが、まず第一に理性と経験に よって自分の日常的状況を乗り越え、そして第二に彼らの権力によってその社会やその時代の構 造に、有効に働きかけることの出来るような機会がもしあるとすればいかなるものであるか」(19)。
また、別の箇所ではこのようにも述べている。 「その場合には、人間らしい人間の深層には自由 を求める欲求と理性に向かう意志があるのだ、という人間性の形而上学をもってくるだけでは不 十分であろう。われわれは次のように間わねばならない。人間のどんな性質が、現在のどのよう な人間の条件が、あらゆる種類の社会構造のなかの何が、陽気なロボットを優勢にしているの か」担0)。つまり、後段の文章は「自由」と「理性」を体現する人間とはまさに対版的な位置に立 つ疎外された人間の別名たる「陽気なロボット」 (TheCheeful Robot)の出現を促すのは一体全 体何であるかを明らかにすることこそ、 Millsの研究主題であることを意味している。
では、このような問題意識ないしは研究主題の下、 Mills自身が現代アメリカ社会に向けて用 意した分析道具たるいわば科学的メスこそが、彼のいう「社会学的想像力」 (sociological imagination)なる概念である。したがって、この概念の意味内容をここで検討しておこう。
Millsによれば、 「社会学的想像力」とは「情勢を駆使し理性を発展させることによって、彼ら 自身の内部や世界におこる事柄を、明断に総括出来る精神の資質にはかならない」担1)。そして、
その精神の資質は「われわれ自身の身近な現実を、全体の社会的現実とのつながりのなかで理解 する」¢功ことを約束してくれるO換言すれば、それは「個人環境に関する私的問題」 (personal troubles of milieu)を「社会構造に関する公的問題」 (public issues of social structure)との関連 で、つまり、無数の私的状況が実は一つの全体としての歴史的社会の諸制度に組織されているこ と、そして、さまざまの状況が重なり合い、しかも互いに浸透し合って、社会的歴史的な生活の 巨大な構造を形成していることを認識する能力である(23)このようにみてくると、要するに、彼 の「社会学的想像力」は個人の身近な生活状況を全体社会との関連において、一つは社会構造的 見地より、残る一つは歴史的視角より把握することを可能ならしめる資質である。しかも、後者 の歴史的視角とは変化といういってみれば動態的観点からの考察を可能ならしめるものであると 同時に、前者の社会構造的感覚を一層高めるものでもある。
ところで、 Millsが1959年に公にした『社会学的想像力』で集約的に示したところの社会分析 のための科学的メスたる「社会学的想像力」も、実は既に1953年にGerthと共に世に問うた『性 格と社会構造』 (Characterand Social Structure)に、その具体的な内容の大筋が示されていたと
も解せよう。何となれば、そこでの彼らの主張は以下のようなものであるからである。
まず、 Millsらは『性格と社会構造』の「まえがき」において、同著での彼らの問題意識を、 「わ れわれの一般的な目的は、社会的・歴史的構造の諸タイプとの関連で人間のさまざまなパーソナ
リティを研究することである。われわれはさまざまな社会構造のなかで異なった位置を占有する 人びとの動機づけを理解することによって、行為と性格とを分析したい」伽と述べたり、あるい はまた、 「われわれの中心目的は、さまざまな種類の社会構造において生まれ育ってきた人間の 諸タイプを理解しようと努めるなかで、世界史の資料と社会科学や心理学の展望を用いることに ょって、一つの作業モデルを築きあげることである」担5)ともいっているO
次いで、彼らは上述のような問題意識を具体的に研究していく上での鍵概念として、一方に
FreudとMeadわけても後者に依拠しつつ「性格構造」 (character structure)を、他方にMarx
とWeberそれも特に後者を採用しつつ「社会構造」 (social structure)を用意する。
C. Wright Mills研究
Mそこでまず、 「性格構造」についてみると、 Millsらはそれは「有機体」 (organism)、 「心的構造」
(psychicstructure)、そして「人」 (person)の三つの主要な構成要素からなると考え、また、こ れによって全体として統一を保つ人間の内面構造および過程をあらわそうとする。したがって、
歴史的行為者としての人間の成立は、その「社会化」との関連で問題となる。彼らは人間の行為 が内的衝動の要求に左右されるとは考えていない。別言すれば、動機の本能的動因を強調する Freud説よりも、 Meadの社会的自我論を「すぐれた」ものとみなし、 Meadに近い立場から性格 構造論を展開している。そこでの関心は有機体としての個人が社会化される内的メカニズムであ る。いわば触媒の機能を有する「心的構造」によって、なまの「感情」は適正な「情動」に、方 向をわきまえない「衝動」は暫導的「意図」に、きめ粗い「印象」は明断な「知覚」にと、それ ぞれ「社会化」される。しかも、この「社会化」を幼児期における価値規範の内面化としてより
は、むしろ成人の「言語行動」、 「動機表現用語」など言語の媒介機能の面から捉える点で、
Meadの影響は歴然である¢6)Oそして、このことはMillsの世界観、方法論の基礎としてのプラグ マティズムの存在が明確に示されていることをも意味しよう。
だがしかし、このことをもってMillsの見解とMeadの見解とが基本的に一致し、両者の間に 差異がないと考えるのは余りにも早計である。何となれば、一つには、 Meadの「一般化された 他者」は全体社会を統合するもののように考えられているが、それは現実ではないとMillsは批 判する。つまり、各パーソンの「一般化された他者」は単に彼にとって重要であった人びと、ま た現になお重要である人びとを指すものである。その間に一致が存在するのは、パーソンの意味 ある他者が丁度「権威ある他者」である場合のみであって、すべてがそうである必要はない。そ の一致と差異とはパーソンの位置と経歴によって決まるからである。残る一つは、 Millsがパー
ソンの自己イメージを形成するインターパーソナルな状況はそれ自体社会構造の内に含まれ、そ れによって影響されると主張する点であって、このような見解は少なくともMeadの所説におい ては見出せないからである(2カ。
これに対して、それでは「社会構造」に盛り込まれた意味内容とはいかなるものであろうか。
Millsらはこれを種々の制度的秩序、つまり、同じ結果と目的とをもち、あるいは同じ客観的機 能を具備しているすべての制度‑もっとも、近代西欧の先進社会では政治的・経済的・軍事 的・親族的および宗教的制度の五つぐらいの主要な制度ではあるけれども‑からなるが、これ
らの制度的秩序の一定の組合せや様式から構成される、と解している担鍵。否そればかりか、 「社 会構造は制度的秩序と局面から構成されている」とも記述しているところをみると、さきの制度 的秩序に加えて、制度に従属してはいるけれども、彼らが「局面」 (sphere)と呼ぶテクノロジー、
シンボル、地位、教育をも含めている也9'。
もっとも、このように「社会構造」は制度的秩序と局面とから構成されるとする彼らの見解は、
機能の側面からみた場合のことであって、これを「一定の価値を共有する人びと」を軸に、いわ ば横に切った場合には「階層」 (stratum)が現れてくる。つまり、 「階層」としてみなされる根 底には、 「そのメンバーのすべてが価値のある物や経験を手に入れる機会を同等にもっている」PO' という事実がある。そして、 Millsらはこの「階層」を構成する四つの次元、具体的には(1)主な 収入源として多かれ少なかれ規則的にたずさわっている一連の諸活動たる「職業」、 (2)収入の量 と源泉に関係をもっている「階級」 (class)、 (3)威信にたいする要求実現の度合である「地位」、
そして(4)たとえ他の人びとの抵抗があっても自分の意志を貫く「権力」を挙げている131)このよ
うにみてくると、 「社会構造」の分析において、 M.Weberにかなりの部分依拠していることが判
60 小笠原 真
明しよう。しかも、それはGerthとの共著『マックス・ヴェ‑バーから』での研究成果の活用で もあろう。
続いて、こうして導き出した「性格構造」と「社会構造」の両者を仲立ちして結びつけるもの こそが、 Millsらの用意する「役割」 (role)概念である。つまり、 「『役割』という概念は、 (1)そ のくりかえしによって規則性としてはっきりし、 (2)他の行為者の行為と関係する、行為の単位を 指している」(3功と彼らは捉える。したがって、 「性格構造」とはこの役割を通して他者関連的すな わち社会的なものになり、 「社会構造」とはこの役割によって一定のパターンを創り出すものと なる。また「制度」とは役割の組織であり、そのうちの一つまたはいくつかは役割群全体の維持 に役立つものと考えられる臼討。
Ⅳ. MHsの社会階層分析と大衆社会論
この節では、 C.WrightMillsの通常「階級三部作」といわれる『新しい権力者たち』、 『ホワイ ト・カラー』、そして『パワー・エリート』を通して、彼の現代アメリカ社会の社会階層分析と、
アメリカ社会を「大衆社会」 (masssociety)と捉えたいわゆる大衆社会論の具体的な内容とを検 討することを企図しており、まさに本小稿の中心テーマでもある。なお、その際われわれは「い わゆる『階級三部作』は、ミルズの理論の発展過程を示していると同時に、三つの著作が一つに あわきって、ミルズの現代社会の研究の全体をなしている」134)酎こも注意を払いつつ考察を進め ることにしよう。
そこで、 Millsの「階級三部作」の第一作たる1948年に世に問われた『新しい権力者たち‑
アメリカの労働組合幹部論‑』 (The New Men of Power: America's LaborLeaders)をまず取り上 げると、この著は「のちに展開されるミルズの思想の多くが、後に修正されるにせよ、すでに原 型として含んでいる点で、彼を理解するうえで欠かせない文献の一つである」05)し、そこで究明 されたアメリカの労働運動、とりわけその指導者たる労働組合幹部の問題は、彼が教職について 最初に取り組んだテーマでもある。
さて、 Millsはアメリカの労働運動の歴史にあって、特に職業別労働組合として1881年に成立 したアメリカ労働総同盟(AFL の成立以降、ニュー・ディール政策の展開と政府による積極的 な組合運動の後押し、 1938年に産業別組織委員会の手によるAFLから分離した産別組織会(CIO) の結成、そして第二次世界大戦の時期を経る過程で、近時労働組合および労働組合指導者層の性 格が急速に体制内化しつつある点に危機感を示している。要するに、 『新しい権力者たち』での 結論部分を先取りしていえば、ラディカルとしてのMillsの思想的関心は、労働運動が変革主体 となりうるのか、その中核となるべき組合指導者が存在するのか、という点に当然あったが、残 念ながら、アメリカの組合指導者たちは巨大な権力を有しながらも、その権力を社会変革へと向 けず、これを自らの得た地位の保持に用い、結局おかれた体制のなかに取り込まれ、かえって現 体制を維持する一翼を担うにまでなってしまった点を鋭く指摘することにある。
具体的には、 Millsは『新しい権力者たち』において、アメリカの労働組合幹部を正面から取
り上げ、一方に、 Sollenつまり当為として組合指導者たちを、 「今E]この国の内部で、組合指導
者たちは戦略的に重要な地位を占めている。というのは、彼らだけが戦争と不況にむかう主たる
潮流を食い止められる組織を指導しているからである」(3句と捉えると共に、他方でSeinすなわち
現実としての組合幹部層を次のように認識している。つまり、 「実業界側と労働者側との協力関
C, Wright Mills研究
:.i i係は、実業家、組合指導者、政治的公職者たちが平和と安定を希望することに根差している。こ のような望みはその独占的な結果と共に、町全体の労使のカルテルの背後にあるものであった。
今や純粋かつ単純なる独占をこえるような結果をもって、はるかに大規模に、アメリカの政治経 済を安定させようとする暗黙の計画が、アメリカの政治経済における三大官僚制の代弁者たちに よる多くの現在の要求の背後にあるのである。この陰謀にはそれぞれの陣営のいずれにおいても 過激論者に含まれていない。それは主として自由主義的な代弁者たちの計画であり、さらに疑問 の余地なく洗練された保守派によって援助され教唆されているものである。安定のためには営利 企業と労働組合の一層の官僚主義化を必要とする。今日の産業社会秩序においての安定は組合官 僚制と企業官僚制の融合を伴うものでもある。それは技術的な作業の場合においても、ある産業 を構成している経済的企業においても、あるいは政治経済全体を構成している諸産業においても おこりうるものである」(3巧と。要するに、彼は理想と現実のずれを指摘することによって、組合 指導者たちは権力をもちながらも、その権力が残念ながら変革の方向に資するものではなく、む
しろ逆に現存の体制を支える力になりさがっていることを明らかにしようとしている。
だが、ここで注意すべきは、 Millsが労働運動に完全に見切りをつけ、いわば諦めの境地に陥っ ていたわけでは決してないということである。それというのも、彼自身以下にみるような戦略を 抱いていたからである。組合指導者は政治的プログラムや戦略を残念ながら有しているわけでは ない。一般市民も同様である。けれども、彼は組合指導者たちに影響を及ぼすと思われる外部の 人びとに、一方に「政治的に機敏な市民たちの小さな集団」があり、他方に「政治的に受身な大 多数のアメリカ人」がいる(3㌔と解している。そして、前者はさらに「極左」、 「独立左翼」、 「自 由主義的中道派」、 「共産主義者」、 「実際的右翼」そして「洗練された保守派」の六種からなり、
後者は事務職、販売職、有給専門・技術職そして管理職に従事する人びと、つまり「ホワイト・
カラー」がその主な担い手である。
そこで、 Millsは前者の政治的に機敏な市民のなかの「極左」と「洗練された保守派」のみが 政治的プログラムをもっているとして、以下のような見解を吐露している。
まず、 「極左」 (farleft) 彼自身いずれに属するか明示していないが、 「極左」もしくは「独 立左翼」といったところか‑が用意するプログラムとはいかなる内容のものか。左翼の考える ところ、二十世紀のアメリカにあって産業が独裁的決定を要する領域になってしまい、政治的民 主主義も管理的構造が拡大するにつれて直接的でなくなってきている。また、民主主義自体も国 民にとって非現実的なものになってきている。さらに、アメリカの「形式的民主主義は人びとに 自分たちを支配する機会を与えもしないし、行政の過程において自己支配を学ぶ機会を提供する こともしない」(39)のである。そして、 「社会的決定によって重大な影響をこうむる各人が、その領 域のいかんを問わず、その決定に発言権をもち、その行政管理に関与しうるような社会を建設」
しようとし、「近代社会をそのように民主化するため、また、それを直接的自由と安全の原理によっ て改造するためには、主たる潮流を阻止することが必要であり、さらにまた、ますます管理され た不況と戦争による変動というものを社会から除くことが必要」(4功である。
そこで、これを達成するためにも運動は強力なものを必要とし、かつ、日々の力を蓄積する過 程で「民主的創成の力」が一般庶民に認められ、育成されなくてはならない。それ故、彼ら左翼 は組合指導者層に焦点をあて、労働界に働きかけているのである。そして、左翼のプログラムは
「労働組合に関する限り、問題の根つまり労働の過程にある人間を把捉しようとする試み」(41)で
あって、これを実現するためには、第一に、組合はその作業を遂行する過程で労働者支配の確立
62
・J ㌔.ヰ蝣‑蝣I,;,; ,',.を目指し、第二に、左翼は人間自身を一層人間化するためにも生産手段の社会化が必要であるし、
第三に、組織労働者の経済力を効果的かつ統一化された政治力へと徐々に変革していくこと、換 言すれば、政治的プログラム実現の前提として経済的プログラムを確立することである。しかも、
以上の変革を実現させるためにも左翼は、組合が既存の政党たる民主党に依存するのではなく、
独自の労働者政党を組織するように呼びかけるのである(4オO
これに対して、 「洗練された保守派」 (sophisticated conservatives)のプログラムとはどのよう な内容のものであろうか。洗練された保守派の人びとは近代資本主義諸国においてはその経済状 態は「不況」と「好況」を必ず繰り返すが、さらに両者の間に「戦争」を置き、 「不況」‑「戦争」
‑「好況」という過程を想定する。つまり、 「不況」期は企業活動の不振、金融市場の不振、金利・
物価の低迷、大量失業と労働運動の活発化など経済的・政治的・社会的に不安定な状況である。
この「不況」を打開することが出来るのは「海外市場の拡大」ということになるが、これを実現 することが出来るのは、 「戦争」または「戦争経済」だけであり、それによってもたらされるの は「軍事的であると同時に産業的である社会構造」(4頚をもつ軍事資本主義である。そこにおいては、
「独占企業のエリート」 ‑ 「組合指導者」 ‑ 「政治家」が協調し、経済および政治と密接に結び 付いた軍部が存在する。しかも既に第二次世界大戦中にアメリカの政治および経済の重要な決定 は、軍部・独占企業・政府のそれぞれのエリートが共同して行っていたのである。つまり、これ ら一連のプロセスを要約すると、 「不況」期には「実際的右翼」が短期的な経済観に立って組合 と戦い、かえって不況を防ぐ購買力を社会から奪ってしまう。その結果、 「戦争」へ突入・参加 する必要が出てくる。しかし、それはアメリカ人には大きな犠牲と破壊ではなく、むしろ「戦時 経済」と「海外市場拡大」による「好況」をもたらすと右翼の人びとは考えるのである。かくし て、彼らはアメリカの政治・経済を安定させるための絶え間ない戦時経済と次の戦争をつくりだ そうと策略するのである(44)
では、組合指導者たちに影響を及ぼすと思われる「外部」の「政治的に受身な大多数のアメリ カ人」つまりホワイト・カラーについて、 Millsは『新しい権力者たち』ではどのような見解を 抱いているであろうか。彼によれば、組合指導者が新しい第一歩を踏み出すためには、 「彼らは アメリカにおける労働組合の性格を修正し、その範囲を拡大しなければならない。また、戦いの 同盟者をつくりだすことによって、自分たちの力の基礎を広げなければならない」(45)。そのため には、第一に、非熟練労働者を組織化すること、第二に、組合員の一人一人がみずからつくった
「組合」であるとの認識を確立すること、第三に、中間層を組合員にすることである。しかも第 三の点に関連して、 Millsが「今やホワイト・カラー労働者こそ組合組織活動の中心目標でなけ ればならない」胸と主張している点は、後述する『ホワイトカラー』での彼の主張と異なって 大いに注目される。そして、彼は中心目標とする理由についても次のように語っている。すなわ ち、 「ホワイト・カラーの人びとの勢力拡大という理論が、しばしば大衆社会の官僚制業務、流 通業務などにおける彼らの数量的増大および不可欠性から論じられている。ただ、純粋かつ自動
的な数の民主主義を仮定するならば、単なる成長が力の増大を意味するであろう。また、職業的 機能から政治的権力への魔術的飛躍を仮定するならば、技術的不可欠性が力を意味するであろう。
不可欠性が政治的に適切なものとなるためには、その多数が組織されなければならない。現在、
ホワイトカラー労働者は政治的認識も初歩的な組織ももっていない」(4刀。
では、Millsの「階級三部作」の第二作目として書かれ、1951年に出版された『ホワイト・カラー
‑アメリカの中流諸階級‑』 (White Collar: The American Middle Classes)へと、われわれの
C. Wright Mills研究
tio検討を進めることにしよう。
まず、彼は「原著者序文」において、ホワイト・カラー研究の意義を次のように語っている。
すなわち、ホワイト・カラーは静かに近代社会の舞台に登場してきた。けれども、その行動は未 組織なるが故に統一なき混乱を招きがちである。彼らには独自の生活様式がなく、集団としても
さほど強力な存在とはいえない。それ故、ホワイト・カラーとしての独自のイデオロギーが形成 されない限り、彼らは無名の大衆として都市社会の波間に没してしまうであろう。だが、このホ ワイト・カラーの世界を理解しないことには、二十世紀の性格はつかめない。彼らの数的比率が 増したため、社会を企業家と賃銀労働者に二分して考えようとする十九世紀的社会観が覆され、
彼らの集団的な行動様式はアメリカ社会の色合いや感触を著しく変えてしまった。現代社会を特 徴づける心理的性格は彼らに負うところが多く、ある意味では彼らは二十世紀の舞台で新顔の俳 優として主役を演じているのであるから、彼らをぬきにして現代社会の動きを分析することは不 可能である(咽、と。
次いで、 Millsは一方で「ヨーロッパと違ってアメリカでは、近代初期における中流階級の主 勢力は小企業家であった」(49)と記し、他方で「ヨーロッパにおける中流階級の発端は都市におけ
る少数のブルジョア階層であったのに対して、アメリカにおけるそれは自営農民層だった」(50と 記述しているように、十九世紀のアメリカでは小企業家と自営農民層が旧中流階級もしくは旧中 間層を形成していた。そして、この世紀は所有する財産に基づき政治的自由と経済的安定とが保 証され、加えて、自由競争の時代でもあった。ところが、二十世紀を迎えると、独占資本主義へ と移行するにつれて、権力と富とが最上層に集中するにともない旧中間層の力が急速に衰えてい き、 「今では専門化した各職業集団が官僚主義的な統一原理によって組織づけられているのがア メリカの姿である」(51)。そして、十九世紀的な政治的自由と経済的安定の両立が最早成り立たな くなり、さらに、新たな「俸給という形で収入をうる」雇用労働者つまりホワイト・カラーが新 中流階級もしくは新中間層を形成してきたのである。
しかも、このホワイト・カラーの増大は二十世紀の社会階層の変化の特徴の一つであり、労働 者階級と資本家階級の二極分化、中間層の空洞化を主張するマルクス主義の誤りが明確に証明さ れることになった。しかも、 Millsによると、ホワイト・カラーの増大は旧中間層の小企業家が 下降してきたつまり上からの流れと、賃銀労働者階級から上昇してきたいわば下からの流れに
よっておこったとされるO そして、 「近代的な職種のなかで、ホワイト・カラーがこのように特 に急速に増大した根本的な原因は、製造工業における機械化、分配事業の拡大、調整業務の規模 の拡大の三つである」(5功と彼は主張している。しかも、このようにして増大したホワイトカラー はその上層から下層までの隔たりが、企業家階層や賃銀労働者階層のそれよりも大きいことであ る。つまり、ホワイト・カラーの形成する独自のピラミッドのうち、その最上層には近代社会の 各分野で管理的業務に携わる管理者層が占め、その下に有給専門醜層、そしてさらにその下には 販売員層や事務従事者層が存在し、その上層から下層までの隔たりが大きい、と彼は考えるので ある。
続いて、Millsはホワイト・カラーの生活様式を扱った箇所では、賃銀労働者よりもホワイト・
カラーの方が常に優位を占めていると考えられていたが、その地位が相対的に低下してきたこと
を示している。それというのも、従来ホワイト・カラーは収入、職業、教育、雇用の安定、それ
に特にアメリカの場合移民が多い点で出身国などの「威信」によって、労働者に対する優越を確
信してきたが、二十世紀も半ばに来てみると、収入は殆んど同水準にまで労働者のそれが上がっ
m
小1.り'i1‑ 蝣'. !.
てきたし、ホワイト・カラーの高校教育独占もなくなり、また、仕事の合理化・分業化は教育の 有無も収入面では殆んど見られないものにし、雇用の安定も1930年代の大恐慌時多くのホワイ
ト・カラーを失業に追い込んで以来崩れ去ってしまったし、出身国籍の優越性もすぐにはなくな らないが次第に薄れてきたといったように、その差は殆んどなくなってきた、と彼は考えるから である。しかも、その根本的な理由として、Millsは「ホワイト・カラーが類的に増加したことと、
賃銀労働者の権威が増大したこと」(53)を挙げている。
なお、彼はこのように相対的な地位の低下にともなって、ホワイト・カラーの成功の意味と型 が変化してきたことも指摘している。すなわち、二十世紀のホワイト・カラーの成功は「あらか
じめ出来上がっている階層組織の序列を上っていくこと」(54)を意味しているし、また、古い型の 成功にあっては、ホワイト・カラー的な仕事は企業主という最終目標に到達する過程における一 つの段階であったが、官僚主義的な企業組織内での新しい型の成功は、 「その始めから終わりま ですべてホワイト・カラーの領域である」(55)。加えて、ホワイト・カラーはその人生目標を今や「成 功」から「ある程度の保証」に変更せざるを得ないようになってきた。しかも、この「仕事に関 する保証」の面でもホワイト・カラーと賃銀労働者の差が次第に縮小しつつあるというのが現実 である。ところで、Millsはホワイト・カラーの生活様式を検討するにあたって、多くのホワイト・
カラーが後にも詳しくみるように、政治に最早興味を失い、自らの社会についても思いをいたす ことがない「陽気なロボット」つまり疎外された人間と化している点‑第Ⅲ節で指摘しておい たように、この点の究明こそ彼の研究主題ではあるが‑の指摘も決して忘れてはいない。
さらに続いて、 Millsは「ホワイト・カラー」を論じた箇所では、第一作目の『新しい権力者 たち』から多くの点を受け継ぎながらも、彼自身のいわゆる理論的発展と解される修正部分も認 められるO例えば、 『新しい権力者たち』では、記述のように今日ホワイト・カラーこそ組合組 織活動の中心目標でなければならないとして、そこでは大きな戦力になりうるものとしての期待 感がひしひしと感ぜられた。ところが、 『ホワイト・カラー』では「歴史的に新しい存在である
ホワイト・カラーには集団として自由な社会活動をする機会が与えられなかった。その社会的地 位からいってホワイト・カラーは、歴史の変革を推進する指導者となる資格はなく、その変革の 後衛となるのが関の山である。その組織は既成権力に措抗するための手段ではなく、強大な管理 者としての国家の利益に協力し、その統制の枠内に組み込まれるための手段である」(56と記述し ているところをみると、殆んど期待感をもっていないといったように0
ところで、 Millsは「ホワイト・カラーの力」を論じた箇所では、マルクス主義批判を試みた 興味ある部分‑というのも、彼は生半可なマルクス主義者であったという批判が正鵠を射たも のであるかどうかを吟味する意味でも‑もみられるので、その点に幾分言及してみよう。
彼によると、新中流階級の政治的地位と機能に関する主な学説を整理してみると、その政治的 可能性は理論的に次の四種に分けられる。すなわち、それらは(1)独立の一階級に成長していくと 考えるもの、 (2)労資の二大階級間のバランスを保つ緩衝機的な安定勢力として捉えるもの、 (3)本 質的にはブルジョアジーであって今後もそうであると解するもの、そして(4)新しい意味でのプロ
レタリアートと根本的な利害関係を共有しており、その特殊な一形態にすぎないと認識するも
の(5㌔である。しかも、このようにホワイト・カラーに対するそれぞれ異なる見解は、それが一
個の同質的な階級ではなく、その内部においてさまざまな階層にわかれているために、どこにそ
の焦点をあてるかによっておこるものである。したがって、彼自身が一方で新中流階級はマルク
ス主義的な二分論によっては到底分析しうるものではないとしながらも、他方でさきの第4の学
ヽ
ヽ