埼玉大学紀要 教育学部 (教育科学Ⅱ),53 (1) :69‑78 (2004)
柔道の国際化 と日本柔道の今後の課題 ( 第≡報)
一柔道の理念 ・国際化 ・競技化 ・試合審判規定の問題点 について‑
野瀬清書*・野瀬英豪* *・鈴木若葉* * *・三宅 仁* * * *
キ ー ワー ド :柔 道 ・講 道館 ・国際柔 道連盟 ・試 合審 判 規 定
・IOC・柔 道 の プ ロ化
は じめに
柔道は、我が国の伝統文化 として発展 した武道 であ り、教育性 と競技性 を有する国際スポーツで もある。1
951年 に創立 された国際柔道連盟 ( 以下
IJFと略す)の第 1回総会 には、17カ国 しか なか った加盟国 も、2
003年
9月に開催 された総会 ( 大 阪)で は、1
87の国 と地域 が加盟 し、国連加盟 国 数 に迫 る勢 いであ る。I
JFでは
2年 に 1回の総会 の他 に、毎年、理事会 を開催 し、重要案件の審議 を行 う
。2003年
4月14日に韓 国で開催 された
IJF理事会で提議 された内容 は、① ゴールデ ンスコア の導入②禁止事項 と罰則の
2分化( 彰医師の診察の 制限④河津掛の定義⑤試合者の礼法の管理の
5項 目1 ) であ り、 この決定 は即 日実施 され る運 び とな った。 これに対 して全 日本柔道連盟 ( 以下仝柔連 と略す)審判委員会は、国内の傘下団体及び都道 府県柔道連盟 に対 し、内容の周知 を図るとともに
「国内においては、大阪の世界選手権後の全 日本 ジュニアか ら適用 します。 なお、都道府県予選 に おいては、現行のルールでお願いいた しますD」と の通達 を出 している。 ー筆者 らは、2
002年
9月の世 界 ジュニア選手権 ・2003年 2月の ドイツ国際大会 ( ハ ンブルグ)に 日本代表審判員及び視察員 とし て大会 に参加 した。 これ らの大会は、全て新 ルー ルのテス トマ ッチ として行 われた大会である。 ド イツ国際大会では、新ルールに合わせて新 しく作 成 されたスコアボー ドが設置 され、注意や警告の 文字や医師の診察回数 を示す十字マー クは取 り去
* 埼玉大学教育学部保健体育講座
** 筑波大学大学院体育研究科
*** 淑徳文化専門学校
書***平成国際大学スポーツ科学研究所
られていた。
ここ数年の
IJF審判委員会の動 向 を見 てみる と、
2002
年
4月のエ ジプ ト会議では、①審判員の新 ジ ェスチ ャーの凍結( 参柔道衣チェ ック③ ゴールデ ン スコア④河津掛( 9禁止事項 と罰則の二分化⑥礼法
⑦審判員の コンピュータ抽選⑧審判員試験基準の 変更
2)な どが審議 されたが、試合内容 を大 き く変 える変更は認め られなかった。2
001年
3月ハ ンガ リー会議 では、試合内容 に関する適用の修正確認 が多 く、( ∋医師の診察回数 と時間② 袖口にふれる 握 り方③ 髪の結 い直 し④縦四方固の抑 え方⑤粘着 スプレー ・バ ンテ‑ジ使用の制限⑥極端 な防御姿 勢 などの罰則の強化⑦標準的な組み方の定義⑧危 険 な技 に対す る罰則
3)な どで、 これ らの修正 に よ り
2001 年 ミュンヘ ンで行われた世界選手権の競技 内容 は飛躍的に向上 した と評価 された。
時代 を潮 ってみる と
、1999年 イギ リスで行われ た世界選手権 よ りブルー柔道衣が導入 されて現在 に至 っている。.しか し、我が国の柔道界では、い まだに国内の大会でブルー柔道衣の着用は認め ら れていない。 この ような事項 は、講道館柔道試合 審判規定 には数多 く残 されたままとなっている。
この規定で は長年、 「 効 果 」
「5秒 ルール」 を認 めず 「 教育的指導」 を残 している。 また、蟹挟み を技 として認めているが、ほ とん ど大会において 解禁 したことが ない。
日本の武道 に対す る伝続的な考 え方や単一の言 語で運営 されて きた試合 に対する価値観、 日本柔 道の世界 に対す る指導的な役割の変化、柔道の国 際化 ・スポーツ化 に対す る認識の不足 などが混乱 を引 き起 こした原因 として考 えられる。現代柔道 には我が国の伝統文化 としての武道性 と短期 間で
‑69‑
可l
世界の隅々まで普及 したスポーツ性の二つの要素 が混在 している。 しか し、双方の立場で根底 に流 れるものは、国際柔道連盟試合審判規定の終章、
礼法ガイ ドまとめに記 してある 「 礼法は、柔道 を 他の国際的スポーツとは違 った独特の もの として いる。その動作は敬意、感謝、及び礼儀 としての 性質をもつ」 4 ) という教育的精神である。
本研究では、嘉納が理想 とした柔道の技術 と精 神 ・国際オリンピック委員会 ( 以下
IOCと略す) や
IJFが 目指す競技の方向性 ・柔道の競技ルール の主な変遷 ・柔道衣や審判のあ り方などを中心 に 検討 を行 う。 また、第一報 「ア トランタオリンピ ック女子柔道競技 の競技 内容 と問題点
」5)、第二 報 「 大会参加資格 ・競技運営 システム ・日本代表 の選考方法
」6)を手がか りに、講道館柔道試合審 判規定 ( 以下国内規定 と略す) と国際柔道連盟試 合審判規定 ( 以下
Ⅰ∬ 規定 と略す)の相違点 を比 較 しつつ、その精神 と問題点 を、競技的見地及び 教育的見地 より検討する。
1
柔道の技術 と精神
(1)柔道の技術 と柔道衣
嘉納治五郎は、学生時代 に天神真楊流柔術 と起 倒流柔術 を学び、講道館柔道 を創始 した。柔術緒 流の稽古法は 「 形」の練習が中心で、起倒流の形 は、戦場 における鎧組み討 ちの形であったため、
「 鎧を着けていては素手で殴って も効果はな く、
そこで当身技 よ り投 げ技 に重 きが置 かれた」 7 ) の である。 また、 「 鎧着用時には身体の前後左右へ の大 きな動揺は、相手か らの刀槍の攻撃を受 ける 危険性が高 かった
」8
)ため、自然体 の構 えが受 け 継がれていった。現代柔道の技術構造は、相手 を 投げる ・抑 えるなどのスポーツ的な技術 とともに、
首 を絞めて失神 させる ・肘関節 を挫 くなどの、極 めて武道的な技術が残 っていることは驚嘆に催 し、
嘉納の卓越 した武道家 としての洞察力 をうかがい 知ることができる。これは嘉納が官立英語学校 ・ 開成学校時代 に英語学を学び、東京大学時代 には 様 々なスポーツや体育 を体験 した経歴の人物であ ることにも起因する。柔道が国際競技 として発展 した源は、嘉納が明治初期 に海外のスポーツ ・体 育 を認識 した上で柔術 を修行 したことが大 きな要
因であった と考 えられる。
柔道の稽古は、 「 形」 と 「 乱取」 によって行わ れる。形 とは 「 取」 と 「 受」 との間に技 を施す動 作があ らか じめ決め られてお り、両者がその過程 に したがって攻防を行 う練習方法である。柔術時 代は形の稽古が中心であったが、取 と受 を決めて 攻防を練習する方法だけでは、技が決 まらなかっ た り不十分であった場合に、相手の反撃を受ける 可能性がある。これを補 うために「 請け立 ち残る」
「 残 り合い 」 「 みだれ稽古」 などの名称で 自由に 攻防を行 う練習方法が取 り入れられるようになっ た。 これが現在の乱取稽古の原点である。嘉納は、
「 形のみの練習では、本当の力は養われない。乱 取の練習によって得 られる最 も大なる利益は、肉 体上にも精神上 にも、臨機応変の力 を養 うという
ことである」 9 ) と述べている。
この乱取 を行 うために使用 されたのが稽古衣で ある。講道館柔道が創設 された初期の柔道衣は、
「 武士や庶民が下着 として着用 した半袖の橋件に、
強度 を増すため に刺子 を施 して使用 した
」10 ) もの である。稽古衣が半袖短袴であった時代は長 く続 いたが、嘉納が明治の後半に擦 り傷等の支障が多 いことなどか ら長袖、長ズボ ンに改良を行 った。
長い袖の柔道衣の出現は投げ技、固め技の技術 を 飛躍的に発展 させることとなるが、当時の著述か らなぜ柔道衣が白色に限定 されたかについては、
現在 までに見つかっていないため、 うかがい知る ことは出来ない。
( 2) 柔道の精神
柔術 を習い始めた嘉納は、ただただ体で覚える という練習法に不満 を感 じ始めた。 これを契機に、
投げ技の理合いを 「 重心の安定 を崩す ことを早い 段 階で教 えれば」1 1 ) 修行者の技術向上や実力の伸 びが早 まると考えるようになった。一般的に柔術 の原理 は 「 柔の理
」12) で説明 され る。 この柔の理 を包括 し柔道の技術論 として一貫 した原理 を、嘉 納は 「 精力善用」 、という言葉で表 している。すな わち、心身の力 を最 も有効 に使用するという精力 最善活用の思想の提唱である。
続いて柔道 を行 う目的論 として 「自他共栄」 と いう言葉 を用いた。講道館図書資料部部長の村田 直樹氏の文献 を引用すれば、 「 各自が主張 を通せ
‑70‑
ば、次 に来 るのは衝突である。 目的に向か って使 われる双方の精力が、この衝突で消費 され、減 じ られる。 ( 中略)衝突は避 け、譲 り合いをせ よと 説 く、譲 ることによる多少の後退のほうが、衝突 に よる精 力 消 費 よ りもは るか に有効 と説 く
」13)「 双方が 自分の考 え通 りに行動すれば、双方の力 が協同することがで きず、互いに破壊 し合 う ( 中 略)破壊 したあ とに残 った部分だけが用 をなす こ とになる」1 4 ) とい う考 え方が嘉納 の柔道の精神 的 な理念である。
現代社会の問題点や国際紛争 にも通 じる言葉で あるが、仝柔連審判委員会は、国内規定の中に「 効 果」のポイン トを認めず に
30年近い歳月が流れ よ うとしている。 また、ブルー柔道衣 について も世 界各国で使用 されているが、国内大会での使用 を 認めていない。全柔連の良 き理解者であ り、歩調 を合わせて きたアジア柔道連盟 は
、2003年
9月
7日 に総会 を開催 し、アジアの国際大会でブルー柔道 衣 を使用することを決議 している。仝柔連 ・講道 館 も嘉納の精神 に立 ち返 り、世界の潮流 を読み取 り
、IJf と歩調 を合わせ、柔道の さらなる発 展 に 寄与する、話合いのテーブルにつ くべ きであると 考 える。
2 I OC
とI JF の動向
(1)IOC
の方向性
新世紀‑の期待 をこめて
2000年
1月にフアン ・ ア ン トニ オ ・サ マ ラ ンチ
IOC会長 は、当時の 日 本 オ リンピ ック委員会 ( 以下
JOCと略す)八木 祐四郎会長 に次の ような書簡を送っている。 「 今 世紀初頭、古代 オリンピックの復興、 また国際 オ リンピック委員会
(IOC) の創設 に活躍 された ピェ
‑ル ・ド・クーベル タン男爵が、オ リンピックに 日本の参加 を呼びかけ、 日本は
、1912年の第
5回ス トックホルム大会に初参加 をしま した。 これを 機 に、 日本のオリンピック ・ムーブメン トが本格 的に始 ま りました
。1909年、国境 を越 えて輝か し い活躍 をされていた嘉納治五郎氏 を
IOC委員 に 迎 え入れました。嘉納氏 は、その信念 と情熱 を持 った活動 により、オリンピズムの普及 と発展 を担 う力強い代弁者 にな りました。嘉納氏 は
、191 1 年 に 日本 における国内 オ リンピ ック委員 会
(NOC)創設 し、初の 日本代表選手団 を率いてス トックホ ルム大会に参加 しました。 これ以後、国際 オリン ピック委員会 と日本 オ リンピック委員会
(JOC)の 文化 と魂 は、途絶 える事 な く交流 を続 けてい ます ( 以下略)
」15' と述べ ている。前章で も述べ たが、
嘉納の卓越 した国際感覚 とスポーツへの理解の深 さを再認識 させ る書簡である。
第二次大戦後 は核の抑止力 などにより、世界 を 巻 き込む戦争は半世紀以上、姿 を消 している。大 戦による中止 を経 てオリンピックは
1948年第
14回ロン ドン大会 として復活 し、現在 に至 っている。
しか し、民族 ・宗教 にか らむ武力紛争、分裂国家 の参加資格や国名呼称、人種差別 など、国際政治 のひずみが生んだ問題が、それに代 わって しば し ばオリンピックの舞台 を揺 さぶ って きた
。1980年 代 までは、旧ソ連 を盟主 とする東側陣営 と西側陣 営の冷戦構造の中、東西の メダル争いは、国の威 信 をかけた代理戦争 と呼ばれた時代 もあった。 こ れ らの東西対決 も
、1990年代初頭の東側の体制の 崩壊 により終了 した。
これ と並行す る形で議論 され続 けたのが、アマ チュア リズムの問題である。近代 オリンピックが 復興 されたころか ら、 「 スポーツをすることによ り金銭 を得てはならない」 という精神が長 くその 根底 を支 配 して きた
。1908年 の ロ ン ドン大 会 に
IOCは初めて、 「オリンピックに参加で きる選手 はアマチュアに限る」 とい う規定 を具体的に設 け た。その後
、1912年のス トックホルム大会の陸上 競技 に参加 したジム ・ソープ選手が金 メダルを剥 奪 されたのを始め、様 々な不幸 な事件が起 こって いる。 しか し、時代 を経 るに従 って、崇高 なイメ ージを持つアマチュアリズム も、近代 オリンピッ ク復興当初、スポーツを楽 しむことがで きたのは お金 と時間に余裕がある支配階級のみであ り、差 別意識 に起因 してアマチュアリズムがで きた、 と い う考 え方が取 り上げ られるようになった。 この ような流れの中
、IOCは
1974年度版の 「オ リンピ ック憲章」か らアマチュアの語 を削除 している。
1983
年 の
IOC総 会で は、 「オ リンピ ックの参加 資格審査 は、その競技者が所属する国際オリンピ ック連盟が行 うこととし」l ̀ i ) 、完全 オープン化 を 宣言 している。
‑71‑
この ような状況下で、オリンピックは規模の拡 大 を続 け、開催のためのインフラの整備 をは じめ、
莫大な経費がかかる時代 を迎 えた。例 をあげれば、
1976
年のモ ン トリオール大会では、大会組織委員 会が見積 もった大会予算 を1 0億 ドル も上回 り、そ のツケは高い税金 とい う形で、モ ン トリオール市 民 に重 くの しかかった。 オリンピックが巨大 に成 長 し続 ける中、その運営資金 とい う現実的な問題 は深刻 さを増 していった。開催費が莫大 にかかる 一方で、具体的に収入源のないオリンピックに立 候補する都市は減少 し、開催 を危ぶむ時代 を迎 え たのである
。198 4年の大会 に立候補 したのは、ロ サ ンゼルスただ一都市のみであった。 しか し、 こ の大会でオリンピック史上 に残 る激変が起 こる。
ロサ ンゼルス大会組織委員会委員長 に就任 したピ ー ター ・ユベロスは、オ リンピックの収入源 とし て、① テ レビ放映権料の大幅 ア ップ② スポ ンサー か らの協賛金 ( 協賛企業 を
1業種1 社 に限定)③入 場料収入( 彰記念 コインの販売の 4つ を主な柱 とし た。その一方で施設は可能な限 り既存の もの を使 用するなどして支出を極力抑 え、最終的には
2億
1500
万 ドルの余剰金 を出す こ とに成功 した
。 17)そ の後、開催地に立候補する都市は
6都市か ら
7都 市 を数 え、現在 に至 っている。
コマーシャリズム とタイア ップす ることで現実 的な路線 をとるようになったオリンピックは、そ こで得た資金をもとに、活動の幅 を急激 に広 げる ことがで きるようになった
。IOCは
、197 2年の ミ ュ ンヘ ン大会以来、ソリダリテ ィ ( 連帯)基金 を 創設 し、資金難 に苦 しむ世界各国のオリンピック 委員会に援助 を行 っている
。8 4年 には運営費 とコ ーチ研修費 として世界各国に
40万 ドル配分 した も のが
、88年 には
30 0万 ドル に跳 ね上が り
、92年以 降は
2000万 ドルを越 えている。その結果
、IOCに は国連加盟国数 を上回る
200の国 と地域が加盟す るまでにな り世界の平和 と教育 に大 きな貢献 を果 た している。
一方、この時代 を
21年 間 に渡 って
IOCを率 い たサマ ランチ会長はオリンピックの方向性 を 「 マ ス メデ アに受 けないスポ ーツの将来 は厳 しい」
「 将来、重大 な決断 を決断 を くだす時が来 るか も しれない」 などど発言 し、メディア受け しない競
技や、テ レビや観衆 にアピールで きない各競技団 体 に警鐘 を行 っている。採点 によって順位や勝敗 が決め られた り、観客 に勝敗が理解 しに くい種 目 である レス リング ・ボクシング ・シンクロナイズ ド ・スイ ミング ・新体操 などが この標的 とな り、
種 目数や参加者数の削減が行 われている
。2001年
7
月モス クワ
IOC総 会 にお いて、サマ ラ ンチ路 線の継承者であるジャック ・ロゲ ( ベルギー)が
第8代
IOC会長 に選 ばれた。 ロゲは会長就任後、
「オリンピックをス リム化 し、経費削減 を目指す 運動の一環 として、行 われる地域が限 られ、コス トが高い割 に観客動員や視聴率の低い競技 を ( オ リンピックか ら)外す
」 18)方針 を打 ち出 した。 こ れ らの対象 となったのは、野球 ・ソフ トボール ・ 近代五種 などであ り、現在 も審議が継続 される。
この ようにオリンピック種 目として採用 されてい る競技団体 は、様 々な観点か らマスメデ ィア対策 の努力 を課せ られているのが現実である。
( 2)
IJFの方向性
柔道 は
1964年の東京大会で初めてオリンピック 種 目として採用 され
、1992年か ら女子柔道 も正式 種 目として追加 されている。通算 して
9回のオ リ ンピ ック参 加 を経 験 した
IJFは、前 節 で述べ た
IOC
の方針 に従 って様 々な施策 を行 って きた。欧 州でいち早 く普及 した柔道であるが、アフリカや パ ンアメリカン ・オセアニアでの競技人口の伸 び が思わ しくない時代 もあ り、オリンピック種 目と しての存亡が危ぶ まれた時期 もあった。 また、柔 道 は レス リング ・ボクシングと同様 に判定 となっ た時、勝敗 を審判の主観 に委ね ざるを得 ない部分 がある。柔道 を生計の手段 とし、 ビジネス と考 え る欧州の柔道界 を中心 に
IJFは
、IOCの方向性 に いち早 く反応 して きた。 ロサ ンゼルス五輪でエペ ロス組織委員長が掲げた
4つの収入源 ( テ レビ放 映権料 ・スポ ンサーか らの協賛金 ・入場料収入 ・ 大会 グ ッツの販売)は、世界選手権大会で も大 き
な資金源 となっている。 オリンピックの収益金の 配分のみでな く、世界選手権での収益金 も発展途 上国の連盟 ・コーチ ・選手の支援 に大 きく役立 っ ている。 これ らの成果が序論で述べたアフリカ ・ 南米勢の躍進 にもつなが っている。
過去
8年間の具体的 な
IJFのマスメデ ィア対策
( 否決 された もの も含 む)を
IJF総会の年代 を追 って提示すると以下の通 りである。1
997年のパ リ 総会では、 「 抑 え込み時間の短縮
」「 試合時間の短 縮 」 「 罰 則 の 分 類 化 」 「ノー マ ル グ リ ップの推 奨
」 19 ) などがあげ られる。 この時代 にI
JFは 「一 本 を取 る柔道」 を推奨 したが、ノーマルグリップ 以外 を反則 としたことにより一本勝の割合が多 く なった。1
999年のバー ミンガム総会では、 「
IJF殿堂の創設」 「 年度最優秀選手賞の創設」 「
IJFソリダリテ ィ 」 「 女子 コーチの講習会 」 「 一本 トロフ ィーの新設 」 「 医師の診察時間の短縮 」 「 礼法 ガイ ドの作成
」 20)などを取 り上げ、ブルーの柔道衣 を 初めて使用 している。 また
、IJf加盟国数が1
82の 国 と地域 とな り、オリンピックスポーツとしては
7
番目に大 きな連盟組織 となったと報告 している。
2001
年の ミュンヘ ン総会では、 「ゴールデンスコ ア方式の導入 」 「 罰則 を与えるジェスチ ャーの新 しい分類 」 「 世界選手権の毎年開催 ( 現状は隔年 ) 」
「 スペイン語を公用語 とする提案
」 21 ) などが主な ものであったが、uF審判委員会か らは、 「 柔道 をよりダイナ ミックに、 より面白 く、安全 なもの にするため、組み方等の審判規定 を改正 し、この
6年間で一本や技あ りが増 え、有効や効果が減 っ た」 との報告がな されている。 また、I
JFの殿堂 の設置場所が、パ リ市の柔道研究所 に内定 した。
この ように
Ⅰ肝 総会関係の主な議題だけを取 り 上げて も
、IOCと
IJFの 目指す方向性の連携が理 解で きる。1
995年 に就任 した
IJFバ ク ・ヨンサ ン 会長が推進 して きた、「 観衆にアピールする柔道
」「 マスメデ ィアに受け入れ られる柔道」が着実に 浸透 して きたといえよう。
3
国際規定の変遷 と国内規定
IJ
Fが設立当初か ら使用 した審判規定 は、講道 館が発行 した国内規定 を英訳 した ものであった。
「 その後、オリンピックの正式種 目とな り、各種 の国際大会が盛 んになるにつれ
、IJFは独 自の規 定 を持つに至った。そ してオリンピックや世界選 手権 を頂点 に柔道の国際化 ・競技化は大幅に進展 し、それに伴い国際規定は次々に改正 を重ねるこ ととなった
」 22
)のである。一方、国内規定は、国 際規定改正の影響 を受け、これに追随するかたち
で、取 り入れて も良いと判断 された部分について は取 り入れ られていった。 しか し、仝柔連等の審 判委員会で取 り入れるべ きでないと判断 された項 目も多 く、年代 を経 るに従って両規定の違いが生 じていった。その結果、日本のみが国内規定 と国 際規定の二本立てで大会を運営するようにな り、
現在に至 っている。
ここで国内規定 と国際規定の制定 と変遷の概略 をあげてみる。講道館柔道の試合審判規定が初め て明文化 されたのは、1
90 0 ( 明治3
3)年のことである。その後、数回の改正が行われ、1
951年に現 在の規定の基 となる国内規定が制定 された。国際 大会で も、第 1回世界選手権大会
(1956・東京)か らオリンピック東京大会
(1964)までの8年間 は、国内規定がそのまま大会審判規定 として用い られた。東京大会の翌年、パーマー ( イギ リス) が
IJF会長 に就任す ると、二年後の1
967年 には国 際規定が総会で承認 されている。I
JFで当初 に検 討 された内容は、 「 敗者復活戦の工夫
」「 延長戟の 廃止
」「スポーツコー ドの充実」 などである。
次いで1
970年代 に入ると 「 負傷の猶予時間
5分
(1972)」 「 女子柔道試合の検討 ・赤畳危険地帯の 設置 ・積極的戦意 の欠如 に対す るジェスチ ャー
(1972)」 「 抑 え込みにおけるそのままの宣告の制 限 ( 場内に引 き入れない) ・有効、効果の採用 ・ スコアボー ドの設置 ・副審のジェスチャーの採用
(1973)
」などが主な改正項 目としてあげられる。
これ らの項 目の中で最 も注 目すべ きものは、 「 効 果」の採用である。今か らちょうど
30年前 に国際 規定では効果 を採用 しているが、国内規定ではい まだにこれを認めていない。 また、この当時の国 内規定では、禁止事項が26 項 目2 3 ' しかな く反則負 け、警告、注意、指導の区分がなかったものが、
現在では33 項 目に増え、国際規定 に同調するかた ちを取 っている。 この時代の見逃せないもう一つ の項 目に副審の権限の増大がある。副審は主審 を 補佐 し年長、経験の豊富なものが主審 を努めると いう日本的な考え方から、主審 ・副審 とも同等の 権限を持つのが当然 とい う
IJFの姿勢 による改革 である。
1980
年代 は、 「オリンピック無差別級の廃止決 定及び女子柔道の検討
(1980)」 「 世界選手権の男
‑73‑
女同時開催の検討 ( 1 9 85) 」 「ダブル リパチ ャージ 制の導入 ( 1 9 8 7) 」 「 スコアの横掲示 ・柔道衣のサ イズの大型化 ・教育的指導の廃止 ・危険地帯の
5秒 ルール ( 1 9 89) 」などが議題 として取 り上げ られ た。70年代 には試合のス ピー ド化 に配慮 した項 目 がい くつか見 られたが、8 0年代 には国内規定 と異 なる大 きな改革 は行 われてい ない。 この理 由は 1 9 79 年か ら 1 9 8 7年の間、松前重義が I J F会長 を勤 めたためである。 しか し、松前が勇退する前後 に 教育的指導の廃止 ・赤畳の上で
5秒以上いると反 則 となるという改定が行われている。 この両規定 とも国内規定では 2 0年以上認め られていない。 こ れは講道館 ・仝柔連の姿勢 に、試合は教育の一貫 であ り、試合の中で も正 しい柔道 を普及 させたい という武道的精神が残 っているためである。 しか し、国際大会の場で審判が 日本語のみで試合 をコ ン トロールすることは不可能であ り、相手 に罰則 が与えられたことも勝利の要因 と考 える欧米の合 理精神 とのせめ ぎあい続いている部分である。 ま た、スコアボー ドの横掲示 は、漢字文化 として作 成 されたボー ドが欧米の文化 には合わず見ず らい という理由で現在の形式 となった。試合 には直接 影響 しない部分であるが、武道か らスポーツへの 変化 とい う点では興味深い改正である。
1 9 9 0年代 は、 「 蟹鉄の禁止 ・柔道衣の広告規制
・判定の際の主審の動作 ( 1 9 91 ) 」 「 反則負けのみ 合議 ( 1 99 2) 」 「 礼法の徹底 ・ランキ ングリス ト・
オリンピック出場資格 ( 1 9 9 3) 」 「ブルー柔道衣の 採 用 ・抑 え込 み 時 間 の 短 縮 ・新 しい体 重 区 分 ( 1 9 9 7) 」 「ピス トルグリップ指導 ・標準的な組み 方以外の組み方の指導 ・抑 え込みの定義の見直 し
・軽微 な負傷の処置 1分以内 ・女子の帯の白線の 禁止 ( 1 9 9 9) 」などである。 なお、9 9年総会では「 審 判規定の変更は審判委員会で検討 し、理事会で決 定 された ものは総会で問わない。総会は承認す る だけ
」 24)とい う重大 な決定が な されて い る。I J F の理事会で発言で きるメンバーは、会長 ・五大陸 の会長 ・スポーツ理事 ・審判理事 ・教育理事及び 事務局長 ・財務総長の1 1 名である。 この中で資格 を持 たない とI J Fの選挙 に出れないのは、審判理
辛 (IJFインターナシ ョナル審判員資格 を有す る 者)のみである。ルールの変更は競技の勝敗 に直
接影響 し、競技内容 も大幅 に変化す るものが多い。
I J Fは この時代 か ら審判委員会が大 きな権 限 を持 ち、規定の見直 しを積極的に行 うこととなる。 ま た、9 0年代の問題点 としては、蟹鉄の禁止 ・抑 え 込み時間の短縮があげ られるが、この
2項 目につ いては国内規定では認め られていない。テ レビ放 映等の影響で国内で も試合時間は安易 に短縮 され て きた。抑 え込み時間のみが短縮 されないことに 著者等 は常 々疑問 を感 じて きた。蟹鉄 について も 1 0年以上封印 されたままで、 日本選手で もこの技 を練習す る者は誰 もいない。国内規定でこの よう な項 目を守 る理由は不明である。 さらに日本が長 い間、守 って きた女子柔道の帯の白線の問題があ る。ア トランタオリンピックの柔道競技 を視察 に 訪 れたサマ ラ ンチ
IOC会長が、 日本女子 選手 の 黒帯 に白線が入っていることに興味 を持 ち、理由 を質問 した ところ、答 えることがで きる役員がい なかったため禁止 になった との逸話が残 されてい る。 この時代のルールの変更 を総括すると、試合 のスピー ド化 ・観客 に対する配慮 ・ダイナ ミック な試合展開 ・柔道の ビジネス化などに関する もの が中心であ り、第二報で述べたランキ ングシステ ム ・大会運営のマニュアル化 などのスポーツコー
ドが大 きく変わる一因 となった。
2000
年代 に入ると 「 医師の診察回数 と時間 ・袖 口にふれる握 り方 ・髪の結い直 し ・縦四方国の抑 え方 ・粘着スプレー、バ ンテ‑ジ使用の制限 ・極 端 な防御姿勢 などの罰則の強化 ・標準的な組み方 の定義 ・危険な技 に村す る罰則 ( 2 0 0 1 ) 」など技術 的な改定が多 く 、2 0 01 年 に開催 された ミュンヘ ン 世界選手権大会の競技内容 は、飛躍的に向上 した と評価 されている。 しか し、 この世界大会が開催 される
3日前 に行 われた I J F総会 において行 われ た選挙か ら大 きな変革が起 こる。改革派の朴容嵐 会長 ・スポーツ理事のフランソワ ・ペ ソン (フラ ンス)が無投票で再選 され、審判理事選挙では日 本が支持 し優勢が伝 えられていた、現職のジム ・ コジマ ( カナダ)が、フアンカルロス ・パルコス
( スペ イ ン)に
119対
48とい う大差 で敗れ るい う 波乱があった。パルコスは選挙 に先立 って 「イン フォメーシ ョンとテクノロジーに力点 をお く
」 25)と方針 を語 ったが、水面下で英語、フランス語の
「
公用言語に新たにスペイン語 を加えるという提案 を基に、欧州 ・アフリカ ・中南米の票 を集めた と もいわれている。 この選挙 を契機に柔道の競技化
・スポーツ化はさらに大 きな進展 を見せることと なる。
2002
年の改正で審判委員会は、審判員が罰則 を 与えるジェスチ ャーの統一 ・柔道衣が規格にあっ ていない試合者の反則負け ・ゴールデンスコアの 導入 ・禁止事項の注意、警告の整理などの提案 を 次々行 ったが、この年 これ らの提案はすべて凍結 となった。2 ∝) 3年は世界ジュニア ・欧州の各種国 際大会で試験的に行 って きたパルコス提案 を実施 に移 した年である。前年度、凍結 となったゴール デンスコアの導入 ・禁止事項 と罰則の
2分化 ・医 師の診察の制限などは理事会で採用 され、即 日実 施の運びとなった
。2003年
9月1 1日か ら
14日まで の4日間、大阪市の大阪城ホールにおいて世界柔 道選手権大会が開催 された。 この大会は日本で初 のブルー柔道衣 を着用 した大会であった。 ゴール デ ンスコア方式、医師の診察の制限 も好評で
IJFが狙い としたダイナ ミックな試合が展開された。
今後の課題 としてあげるとすれば、 「 技の評価の 唆昧 さ 」 「 反則 を与える基準の不統一 」 「 大陸毎の 審判の レベル差」 などであ り、日本代表の審判に 関 しては、海外の審判の ように専業でないため最 終 日に疲労が感 じられた。規定の問題点 としては、
「 効果の取 り消 しが動作のみで、選手 に伝わ らな い 」 「 指導 を
3回繰 り返す うちに混乱が起 こる」
「 罰則を与える際の動作の解釈が大陸によりマチ マチである」などがあげ られるが、これらは細部 の問題であ り今後の検討課題 としたい。
国内規定 と国際規定の継続的な問題点 をあげれ ば、柔道畳 ( マ ッ ト)のサイズの問題がある。今 回の世界選手権では、国内にあまりない
2メー ト ル× 1メールの畳 を特別に作成 し、国際規定 に合 う
8メー トル四方の試合場 を設置 した。場外部分 には、国内で初めて青色の畳 を採用 し、osAKA・
JUDO
などのロゴを入れていた。 しか し、国内規 定では、家の間取 りと同 じ二間×一間の畳 を敷 く ために、試合場 は
9.1メー トル四方 となる。 日本 にはメー トルサイズの畳 はほとんどないが、いず れ
IJFは日本畳のサイズを認めな くなるであろう。
次 に教育的指導 ・反則の秒数 ・罰則 を与える場合 の審判の権限 ( 警告又は反則負け)についてであ る。国内では罰則 を与える場合に一呼吸、二呼吸 を目安 としてきた。いわゆる 「 気、間」の呼吸 を 重視 してきた。警告や反則負けなどの重大な反則 も審判員の権限に任せている。場外 に出ることや 寝技への引 き込み も注意以上 とし伝統的な考え方 を守 っている。 しか し、国際規定では
、 5秒が反 則の目安であ り、場外に出ることや寝技 に引 き込 むことも指導に統一 されている。柔道の競技化が 進み、安全な試合場が設置 され、場外 に出るのは 危険な行為 という認識が薄れたためや、ルールが 整備 され引 き込み も掛け逃げ となんら変わらない、
というの認識か らである。 これ らの項 目も
IJFの 考え方が合理的で時代 に適応 している。
柔道の競技化 ・国際化が進む中で、諸外国との 文化や見解の相違で起 こる問題は、議論 して解決 してい くべ きである。柔道の本質に関わる問題 に ついては妥協すべ きではないが、話合いで理解 し 合える部分は、互いに譲 り合い解決 してい く必要 がある。世界各国 と協調 し柔道を発展 させる観点 か ら、嘉納の自他共栄の精神 を思い起 こし、国内 規定 を統一 してい くという仝柔連の姿勢が期待 さ れる。
4
日本柔道の今後の課題 ( 1 ) 日本柔道の現状
2003
年
9月に世界柔道選手権大会が、大阪市の 大阪城ホールにおいて開催 された。 日本代表選手 団は
6個 の金 メ ダル を含 む
9個 の メダル を獲得 ( 表
1) し、ライバルの韓国 ・中国 ・キューバ ・ ドイツを大 きくリー ドした。一方、強豪 といわれ たフランス ・オランダ ・ベルギー ・スペイン ・イ タリアなどの欧州勢は金 メダルを獲得することが 出来なかった。他方、柔道では発展途上国である アルゼ ンチ ンやイラン ・北朝鮮が金 メダルを獲得
し、アフリカ ・南米勢は前回に続 く活躍 を見せた。
IJF
の加盟国は
187の国 と地域 を数え、国連加盟国 数に迫 る勢いである。今大会には
103の国 と地域 がエ ン トリー し、過去最大の参加者数 を記録 した。
競技内容 も観客に感動 を与える激 しい試合が連 日 展開され高い評価 を受けた。2 6 ) 千葉幕張大会か ら
‑75‑
表1 2003
年世界選手権大会国別メダル獲得数
【 男 子】
国 名 金 銀 鍋
計
日本 3
0 1 4
韓国 3 0 0
3
ドイツ 1
0
01 イ ラ ン
1 0 0 1
フ ラ ンス 0 3 0
3
エ ス トニ ア 0 1
1 2
グル ジ ア 0 1 0 1
イギ リス 0 1
0 1 オ ラ ンダ
0 1 0 1
ス イス 0 1 0 1
ロ シア 0 0 3
3
ブ ラ ジル 0 0
2 2 ベ ル ラー シ
0 0 2 2 キ ューバ
0 0 1 1
ポ ル トガル 0 0 1
1
ウズベ キ ス タ ン 0 0 1
1
ポ ー ラ ン ド 0 0 1 1
アゼ ルバ イジ ャ ン 0
0 1 1
チ ュニ ジ ア 0 0 1 1
ウ クラ イナ 0 0
1 1
国 名
金
銀 鍋 計
日本 3 1 1 5
中国 2 0 0 2
キ ューバ 1 3
3 7 北 朝 鮮
1 0 0 1
アルゼ ンチ ン 1 0 0 13
フ ラ ンスドイツ 00 21 03 2
4
イギリス 0 1 1 2
オ ラ
ンダ
0
0 2 2ブ ラジ ル 0
0 1 1
スペ イ ン o 0 1
1
イ タ リア 0 0 1 1
ロ シア 0 0 1 1
セルビア .モ
ンテネグロ
0
0 1 1トルコ
0 0 1 1
8
年、柔道はさらに世界
各国に浸透 し、真の国際
スポーツとなった。 し
か し、水面下では様 々な問題点 も指摘 されて いる
。 日本男子選手の赤髪 ・銀髪 に関する議論、
滑る柔道衣 に対する外国チームか らの クレーム
271国別団体戟における日本選手の派手 なガッツポー ズなど、今後の 日本柔道の方向性や問題点が多 く 提起 された大会で もあった。 また、大会前の特集 記事 には日本選手のプロ化2 8 ) の問題 なども取
り上 げ られた。 フランスに永住 し
60年近 く柔
道の普及
・指導に専心 し、国家勲章 を受賞 した粟
津正蔵氏 は 「 我々は数年 に一度 しか 日本を訪れることしか で きない。その機会に日本か ら何物かを学んでフ ランスに帰 ることを楽 しみにしていた。 しか し、
今回の大会に参加 して、赤い髪 をした日本選手が 出てきた り、滑る柔道衣が批判 された りで、私は 落胆 している。 日本の教育 は どうなっているの か
」 と指摘 している。
( 2) 日本柔道の課題 今
回の研究では、嘉納の柔道の理念 ・国際スポ ーツ(
IOC・IJF)が 目指す方向性 ・国内外 の審判規 定の問題点などを取 り上げてきた。 この視点は、
日本の伝統文化である柔道が、正 しい方向に発展 してきたかを検証することにある。 ワール ドカッ プサ ッカーやオリンピックなどの世界的規模のイ ベ ン トが果たす役割は、今後 ますます大 きくなる
。 メディア等の影響でスポーツが産業 として成 り
立 ち、社会に果た してい く役割 もさらに加速 され
る。
このような現状の中で、選手 をベス トの環境 に就 職 させ、競技力向上に専心 させるという指導
者の 配
慮 は否定で きない ものがあ る。連盟 や
JOC ・企業
などに報奨金制度がで き、意識 しな くて も柔 道 をビジネ
ス としてとらえる指導者 も現れてきて いる。 しか
し、国際的に高い レベルで指導 をして いるのだか
ら、指導者 も報酬 を得 るのが当然 とい
う考え方はいかがなも
■
藍
捻出する地道な努力 を続けている。今回、 日本代 表 として活躍 した選手たちも、ほ とんどが幼年期 か ら柔道 を始めてお り、小学校 ・中学校 ・高等学 校 と熱心な指導者たちに支えられて育 って きた。
時代の変化に伴 う柔道の ビジネス化 を完全否定 し ているわけではないが、この ような献身的な姿勢 こそが、 日本柔道 を支える原点であ り財産である。
これらの活動を支援 した り、功労 を表彰する制度 も検討 しなければならない。今回、 日本柔道の今 後の課題 として取 り上げたい最大のポイン トは、
r 国内のボランテ ィアの指導者達 と仝栗連 ・強化 拠点大学 ・企業などの トップ選手養成の指導者達 が、協調 して柔道の未来を考えてい く道筋』であ る。 日本柔道の底辺 を支える指導者たちの声 をい まこそ聞 くべ きときなのである。仝柔連では、柔 道ルネッサ ンス運動 を展開 してお り、人づ くり ・ 教育 ・ボランティア ・障害者支援
30)などの委員会 に分かれ、地道な活動 を展開 している。その内容 は、礼やあいさつの徹底 ・少年柔道の活性化のた めの講習会 ・大会会場の清掃 ・視覚障害者の大会 参加に対する支援 などである。上記の ような具体 的項 目のみでな く、理想 とする柔道の発展 を考え る委員会の設立の設立が望 まれる。 日本柔道の指 導者は、勝敗にのみ拘るのではな く、心身の調和 の とれた選手の育成 を目指すべ きである。そ して、
最終的には、海外 に日本の伝統文化である柔道が、
正 しく伝達 されているかを検証 してい くべ きであ る。
まとめ
本研究では、嘉納の柔道 に村する理念
・IOC、
IJF
が 目指す競技の方向性 ・国内外の審判規定の 変遷 と問題点 ・日本柔道の現状の問題及び今後の 課題を取 り上げた。 これ らの事項 を過去の文献 を 参考に考察 を行 ったところ、以下のような結論 に 至 った。
( 1 ) 嘉納は柔道 を創設するにあた り、技術の 理念 として、 「 投 げる 」 「 抑 える」のスポーツ的 要素 と 「 絞める 」 「 関節 を挫 く」 などの武道的要 素 を残 し、 「 形」 より 「 乱取」稽古 を奨励 した。
これは嘉納が大学時代か らスポーツ ・体育 を体験 し、その知識を柔道の体系化に活か していったた
めである。
( 2) 嘉納は柔道の理念 として 「 精力善用 ・自他 共栄」 を説いた。衝突による精力消費や破壊 より、
譲 り合い、助け合 うほうがはるかに有効であると いう修行の根本原理 となる精神であ り、現代の国 際間題 にも通用する理念である。
( 3) 柔術時代 に 「 橋祥 」 「 短袴」であった稽古
衣 を、嘉納 は明治時代 の後半 に 「 長袖 」 「 長ズボ
ン」 に改良 したが、白の柔道衣 しか認めない とい う文献は見つかっていない。
(4)
嘉納 は 日本 初代 の
IOC委員 と して
、JOCの創設 ・オリンピック参加 に尽力 したが、その卓 越 した国際感覚が、柔道 を世界のスポーツとして 発展 させた。
(5)IO
Cはオリンピックの経済的危機 を乗 り越 えるため、テレビ放映権 ・スポンサーの協賛金 ・ 入場料収入などを大 きな財源 としてるが、このこ
とにより観客やメディアにアピールで きない種 目 や勝敗の分か りず らい採点競技は排除 される方向 にある。 また、プロ化 も容認 される結果 となった。
(6)IJF
は
IOCの方向性 と同調 し、ゴールデ ン スコア方式 ・ブルー柔道衣 ・試合のスピー ド化な ど、観客 ・マスメデ ィアに受け入れ られる柔道の 具現化 を重点的行 って きた
。IJF審判規定改正 も その大 きな影響 を受けている。
( 7) オリンピックソリダリテ ィ基金や世界選手 権大会の収益金の一部が、アジア ・アフリカ ・南 米などの各国に支援が され、柔道の国際化や競技 力向上が 目に見える成果 をあげている。
( 8) 仝柔連は 「 効果 」 「 教育的指導の廃止 」 「 危
険地帯の
5秒ルール 」 「 蟹鉄の禁止 」 「 抑 え込み時 間の短縮 」 「 場外 ・引 き込 みの指導」 などを長期 間認めていない。 これは武道の試合は教育の一環 であ り、単一言語で運営 されるという旧来の感覚 であるが、審判規定統一のための検討が望 まれる。
( 9) 柔道の国際化 ・スポーツ化 ・プロ化が進み、
日本柔道 も様々な影響 を受けている。選手のプロ 化が生み出 した問題は、 「 赤い髪」や 「 派手なパ フォーマ ンス 」 「 滑 る柔道衣問題」 などに象徴 さ れるが、心身の調和の とれた選手の育成 こそが急 務である。
( 1 0 ) 日本柔道は嘉納の理念である 「自他共栄」
ー77‑
の精神 に立 ち返 り、少年柔道のボ ラ ンテ ィア指導 者 と国際選手 を育成す る指導者の協調 や理解 を図
る委員会 を設置 す る必 要が あ る。
帥 柔道 の真 の 国際化 は、嘉納精神 に基づ き、
審判規定 を統 一 し、世界 各国が一つの ルールで大 会 を運営 し、理解 ・協調 を深 め合 い問題点 を解 決
してい くこ とにあ る。
引用 ・参考文献
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∝ )
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10)同上
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C K )
16)佐藤忠弘他 「オ リンピックの世紀」 オ リンピア ン8
‑11、ベースボールマガジン杜、14‑16貫、1999 17)同上、17頁
18)木村かや子 「オリンピックの定点観測所」 オ リンピ アン12‑1、ベースボールマガジン社、30‑31頁、1999 19)関根清文 「97パ リ世界選手権パー トⅢ」近代柔道19
‑11、ベースボールマガジン社、40‑42頁、1997 20)鳥海又五郎 「IJF稔会報告」柔道70‑12、講道館、5
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21)松下三郎 「lJF総会報告」柔道72‑9、講道館、55‑
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23)講道館 「禁止事項」『講道館柔道試合審判規定』講道 館、15‑23頁、1975
24)鳥海又五郎 「IJF総会報告」柔道70‑12、講道館、5 2‑56頁、1999
25)松下三郎 「IJF総会報告」柔道72‑9、講道館、55‑
61貢、2001
26)木村秀和 「世界選手権2∝)3・大会総括」近代柔道25
‑10、ベースボールマガジン社、32‑34頁、2003 27)同上、34頁
28)朝日新聞、8月28日掲載、2003
29)講道館 「講道館柔道の本質及 び目的」『決定版講道館 柔道』講談社、26‑29頁、1995
30)編集部 「柔道ルネ ッサ ンスがス ター ト」近代柔道23
‑8、ベースボールマガジン社、78頁、2001 31)松本芳三他 『柔道百年の歴史』講談社、1970
(2003年9月26