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雑誌名 共立女子短期大学看護学科紀要

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Academic year: 2021

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(1)

ナイチンゲールの看護師養成論に基づく「わざ」の 教育について : 成人看護学実習と正統的周辺参加

著者名(日) 菱刈 美和子

雑誌名 共立女子短期大学看護学科紀要

巻 8

ページ 1‑6

発行年 2013‑02

URL http://id.nii.ac.jp/1087/00002847/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止

(2)

ナイチンゲールの看護師養成論に基づく

「わざ」の教育について

一成人看護学実習と正統的周辺参加一

菱刈美和子

On e d u c a t i o n  o f   t h e  s k i l l "  o f  n u r s i n g  b a s e d  on t h e  t h e o r y  o f  N i g h t i n g a l e :   A d u l t  n u r s i n g  p r a c t i c e  and L e g i t i m a t e  p e r i p h e r a l  p a r t i c i p a t i o n  

Miwako 

HISHIKARI 

The p u r p o s e  o f  t h i s  s t u d y  i s   t o  c l a r i f y  t h e  method how y o u  e d u c a t e   t h e  s k i l

l" 

o f  t h e  n u r s i n g   b a s e d  on t h e  t h e o r y  o f  N i g h t i n g a l e .  T h e r e f o r e  a t   f i r s t   1 

cI

a r i f i e s  s o m e t h i n g  w i t h  " t h e  s k i l l "  

g e n e r a l l y  and 1  t a k e  up t h e  example o f  t h e  g u i d a n c e  s c e n e  i n   t h e  

cI

i n i c a l  s c e n e  o f  t h e  a d u l t   n u r s i n g  p r a c t i c e  c o n c r e t e l y  and a n a l y z e  s i g n i f i c a n c e  and a n  e

e c to f  t h e  l e g i t i m a t e  p e r i p h e r a l   p a r t i c i p a t i o n  a f t e r w a r d s .  T h i s  i s   e v e r  t h e  v i e w p o i n t  t h a t  h a s  b e e n  e m p h a s i z e d  l o n g  a g o  i n   t h e   n u r s i n g  t r a i n i n g  t h e o r y  o f  N i g h t i n g a l e .  1  p o i n t  o u t  t h a t  t h e  n u r s i n g  t h o u g h t  o f  N i g h t i n g a l e  i s   e

c t i v ei n  t h e  e d u c a t i o n  o f   t h e  s k i l l "  o f  t h e  n u r s i n g  i n  t o d a y .  

Key word :  N i g h t i n g a l e .   s k i l l .   A d u l t  n u r s i n g  p r a c t i c e .   L e g i t i m a t e  p e r i p h e r a l  p a r t i c i p a t i o n .   Sympathye 

はじめに

一連の拙稿では,ナイチンゲールにおいて,

とくに知性と感情との緊密な連関。とりわけ,

共感的理解に基づいた合理的行動が.看護師に は求められることを明らかにしてきた1)。

そこで常に問題として残されてきたのは.で は.そうした看護師をいかにして育成するのか.

という養成および教育の問題であった。それは.

看護師養成に携わる私たち自身にとっての.喫 緊の課題でもある。ナイチンゲールは.次のよ うに述べている。

ここでは「訓練することを訓練する

J ( t r a i n   t o   t r a i n )

とも記されている。看護師養成を本 務としなおかっこのこと自体を研究の対象と する者は.まさに私たち教員自身が「訓練す

J

ことを訓練しなければならない。教師とし ての自己教育を欠いた教師は. もはや教師とは いえないからである。

さて.ナイチンゲールは当時の病院付属学校 でのプランを掲げて,具体的な訓練リストをあ げている。しかし彼女も強調している感性.

あるいは共感的な感情の訓練ほど.困難なもの はない。それは,看護における一種の「わざ

J

看護婦に他の看護婦を訓練できるようにする

( a r t )

であり,教えるという仕方ではなかなか には特別な訓練が必要であるヘ 教えられない技術だからである。看護師を目指

‑ 1

(3)

共立女子短期大学看護学科紀要 第8 (2013) す者が,その強い意志の上に.自ずと育成し形

成するものだから。ここには,真の主体性が求 められる。教師は,ただそれを助長し指導でき るだけであるo

教えるという仕方では教えられない看護の究 極の「わざ

J

。あるいは,看護の心を.私たち 看護師養成者は,それでもどのように教育しよ うと試みることができるのであろうか3)。本稿 は.その試論である。

1

節 正 統 的 周 辺 参 加

再び.まずナイチンゲールの言葉を拠り所に したい。

自分自身の五感によってとらえたさまざまな 印象について,行き届いた心を向ける訓練され た力一これが看護婦であることの《必要条件》

であるヘ

つまり,端的に「鈍感

J r

気づけない

J

であ

っては看護師の資格なしといっているわけで ある。患者が発するさまざまなサインを.五感 を通して感じ取ること。それは.ナイチンゲー ルのいう「観察jである。しかしこの観察力 は,患者をただ見ているだけでは培われない。

「観察力は訓練によって常に進歩していくJ5) である。

観察は私たちに事実を告げる。思考は事実の 意味を知らせる。思考は観察力とともに訓練 をも必要とするヘ

知性も感性もともに.訓練を必要とする。こ の両者が協働するところに看護の「わざ

J

が成 り立つといえよう。その準備段階としての訓練 の仕事を.私たち看護師養成者は担っている。

そのためのカリキュラムが.今日でもさまざま に工夫され.これまでもその一部を明らかにし てきたが.ここではさらに一歩前に進んで.実 習場面における「正統的周辺参加

J

の意義と実

践について.考察してみたい。

正統的周辺参加とは.たとえば大工のような 職人の世界において.師匠となる親方はその弟 子に「教える

J

ことはせず,ただ弟子が親方 を「まねる

J

ようにして.仕事のなかで自然に 大工としてのさまざまな「わざ」を身につけ ていく過程を,言語化したものである九「状 況に埋め込まれた学習

J ( S i t u a t e d  L e a r n i n g  : 

以下

SL

と略記)ともいわれ,

r

正統的周辺参

J ( L e g i t i m a t e  P e r i p h e r a l  P a r t i c i p a t i o n  

:以

LPP

と略記)と記述される。これは.私た ち日本人の学習観からすれば,それほど珍しく はない事態を示している。よくいわれるように,

「習うより慣れろ」ということである。それを 学習理論として取り出すと,次のようになる。

個々の学習者はひとまとまりの抽象的な知識 の断片を獲得しそれを後に別の文脈に移し て当てはめる,といったことはしない。むし ろ,学習者は正統的周辺参加(

( L e g i t i m a t e   P e r i p h e r a l  a r t i c i p a t i o n  :  LPP)

という,ゆる やかな条件のもとで実際に仕事の過程に従事 することによって業務を遂行する技能を獲得

していくのであるへ

こうした見方から看護師養成について反省 してみると,看護師を志しているはずの学生 は,大学において「ひとまとまりの抽象的な知 識の断片を獲得

J

するもののーそれすらできて いない者もいるがー,これを看護実習の文脈に 移すことが極めて困難である。それは,彼女ら がいまだ

SL

を十分に経験していないからであ る。それゆえに看護実習の期間が.長期に渡っ て設けられているのであるが.それでも十分な

LPP

には至らない。それは.なぜか。

LPP

には,はじめは周辺的に見ょう見まね であった者が,後には正統的にそれを担う者に なる.という強い学習意欲が不可欠である。そ うした意欲をもって.学習者たる学生は,看護 の実践者の共同体に参加する,という自覚をも

(4)

たなければならない。そこで.情況に埋め込ま れた活動が.はじめて学習の意味をもち.次第 に彼女らは「十全的参加

J

としての職業人へと 成長していけるのである。

ところで,そもそも学習意欲を教育するとか.

その意志そのものを教育するといったことは不 可能に近い。まさに「神わざ」である。養成者 としての私たちにできることは,あくまでも彼 女たちの「意志

J

を信じて.できるだけ効果的 な「臨床的

L P P J

の実践を企てることしかな 9)。次に.その実例を紹介したい。

2

LPP

の看護実習への応用

‑臨床的

LPP

の試み

まずは.ナイチンゲールの場面より見てみよ う。ナイチンゲールは,臨床的

L P P

に関わる 看護師の「卵

J

たちを.今日では使われない言 葉となっているが.

r

見習生

J

と表現し.その

課程について提案している。

看護助手としてまた見習生として,つぎの病 院各分科のひとつかそれ以上の病棟で継続 的に仕事をすること。男子そして女子の内科,

小児科.産科.眼科,性病科の各科でー,二 ヶ月ないし三ヶ月。できれば医学教師の受け 持つ病棟が最後になるのが望ましい。

この過程の順序としてはできれば女子の内 科病棟から始まるべきである。同一の病棟に 二人のまったく新しい見習生が配されないよ うにする。看護見習生と婦長見習生とが組み 合わされるとよい10)D

臨床の看護場面にはじめて遭遇する者と,こ れからさらに上の段階へと.ともに歩みを進め ようとする者同士の組み合わせを.ナイチンゲ ールは提案している。一方は未だ「周辺的

J

参加する者であるが.他方もまた一段階高まっ た.あるいは深まった仕事に参与していく者同 士の組み合わせである。いよいよ本格的な正統 的参加に向けて.両者ともそのベクトルを同じ

くする者同士の,互いに刺激し合う組み合わせ に,ナイチンゲールは注目していたといえるで あろう。

次に.筆者が実際に関わる.臨地実習実践事 例場面より.臨床的

L P P

が垣間見られる箇所 を抽出してみよう。看護基礎教育課程の成人看 護学実習開始場面から見ていくことにする。

臨地実習開始にあたって学生は,実習直前に 受持ち患者の看護展開に必要な知識を.事前学 習により顕っくりを行い臨む。しかし知識の 活用が身についていない学生逮は,学生自身に とって都合の良い安易なイメージをしてくる。

そのため.発達段階や疾患理解に必要な知識 (発症の経過,症状.診断指標.検査・処置・

治療等)を利用して観察項目さえも抽出できず にいる。いわゆる準備不足が多々見受けられる。

当然のことながら.患者の条件や個別状況にそ ぐわない。ましてや,優先順位を考えられてい る学生は残念ながら僅かなのである。

例えば.学生が喫煙歴のある

5 0

歳代の男性で.

胃癌を発症し手術を受けられた患者を術後3日 目から受け持つことになったと仮定しよう。こ の場合.喫煙歴より術前から呼吸機能が低下し そのために呼吸訓練を実施し手術を迎えられた だろう。また,術後では全身麻酔や手術による 生体侵襲や痛みなどの影響があり.呼吸器合併 症(肺炎)を予防の回復期ケアが要求される段 階である。にもかかわらず.学生は術直後から の無気肺を中心にケア方法の資料を揃え.丸写 しをしてきて安心している場合も少なくない。

そもそも求められている「経過に応じた看護

J

や患者に今求められるケアは何か.優先順位を 予測した学習ができていないことが原因である。

一方.現代の若者の傾向として.生活体験が 乏しい.自己表示するのに時間がかかり.なか なか自分の伝えたいことを言えない等といわれ ているように,患者とのかかわりでもそのまま 態度として表出される。挨拶や何気ないコミュ ニケーションさえも十分に取れない。その場に 居合わせるのが精一杯で,学生の方が状況的危

‑ 3

(5)

共立女子短期大学看護学科紀要 第8 (2013) 機となっていることも多々見受けられる。

最初の出会いの場面で自分が思い描いた患者 像とは明らかに違う患者の状況を目の当たりに する。学生は「何もできない,語れない自分を 実感する。患者と出会い「実習をがんばろう

J

と意気揚揚としていた意気込みは消失し次第 に表情は硬くなり,緊張感が増し患者の病床を 訪れることが出来なくなっていく。さらに.学 生は自分の感情と向き合い,患者の情報収集を しているかの様に,カルテを眺ることに一生懸 命になるo よって.ますます今必要な患者の情 報は得られなくなる。負の循環である。暫くす ると.学生自身が描いていた世界観からの脱却 を要請されていることを気づかされる。やらな ければいけないこと,やってこなければいけな かったことの学習範囲が見えてくる。今更逃げ 出すこともできない.追いついていけるだろう か.やりこなせるだろうかという戸惑いを表現 する。まるで,未来に描いていた看護師像がど こかに遠のいてしまったような感覚と不安に覆 われ,再度仕切り直しを迫られる。

さて.このような場合.指導者や教員はどう かかわるのが効果的なのだろうか?患者のケア に必要な追加学習の指導。或いは.指導看護師 と供に患者のベッドサイドを訪れ.ケアに必要 な情報収集や観察場面である看護モデルを見せ る。方法は様々である。肝要なのは実際の患者 にかかわり,その後に学生の反応を確認しなが ら.かかわりの看護の意味づけを行うことであ o学生の見たもの,感じたものをきっかけに.

必要な学習の深さと広がりを経験させる。ひと つひとつ確認するには.多大な時間と根気が必 要である。だが.これを実践すると学生は.安 心し次への学習への意欲を盛り返す。例えば.

病気を体験している患者の語りを傾聴や共感し ケアを実践しながらの患者の観察や対応がスム ーズになっていく。つまり.看護モデルを通し て.実践の技を学び取る臨床場面への参加が行 動化し始める。これが.正統的周辺参加の第 1 歩である。

この時の注意として,前川が下記に述べてい るように初学者と看護経験者の看護場面を見る ときの違いを指導者.教員がわかっていて意識 し指導することが重要であろう11)

看護経験者は.看護場面を見るとき,何を どのように見ればよいのかという方法を知り 得ている。しかし看護の初学者の場合,その 状況を眺めることはできても.自ら「見て取

J

ことが難しい。そのため.学生はまず物 理的に看護師に寄り添い.同じ位置に立って みて.その世界を感受してみるのである。す ると.これまでの見えていた世界との相違が わかり始める。それだけでなく.患者の看護 を実践するには.患者の世界にどの世に参加 すればいいのか.どのように参加するのかが 具体的にわかるようになってくる。

また.原因は.この行動を共にすることで看 護学生に変化が起こることを以下のように述べ ている問。

「看護師のように歩き,動き.看護師に「な ってみる」ことで.患者の話を聞き,看護師の ケアに「参加

J

することで.

r

看護師の時間間

隔を」を実感し理解していく。「なってみるこ とで学生は看護師が見ているものを「共に」見 ることで.看護師の世界観に気づき.患者や看 護を捉えなおすという学びに結びついたといえ る。つまり.看護師になってみるという模倣は.

視線を共にすることで身体感覚を「共に」にす ることとなり.単に看護師の動きゃ歩きという 表面的な「形を真似るのでなく.看護師のやっ ていることの意図を推察し.その意図を取り込 んでいくことが看護師の思い.考えに共感する こととなったと考えられる。

先に挙げた例では.術後の日常生活ケアやリ ハビリ訓練等の看護実践の場面に,看護師や指 導者と供に毎日参加した。看護モデルを見せる

(6)

側の思考や判断.援助方法.人間観,看護観の 影響を受けた結果,実際の患者の回復期にある 患者像が見え.その学びが表現されていく。そ れは.学生が.患者の個別性や機能障害に応じ た退院後の日常生活を見通して.充実した人生 を過ごしてもらいたいと心を込めながら指導す る時に最も顕著に表われる。「やっと忠者の術 前から術後のケアの必要性.すべての看護が結 びついたjと

よって.学生の学びの様相をまとめると.実 習が開始され.終了するころには以下のように 様々であるが.①だけにとどまることなく変化

していることが言えよう。

①学生自身の問題である学習に関する知識不 足を振り返った学びの段階。

②次回は学生自身が看護師のように自分で看 護実践できるようにしなければならない自覚の 芽生え。

③看護師は何気ない話題の中から必要な情報 を自然なかたちで得ている.信頼関係が取れて いるとはまさにこのことを示すことだっただと いう人間関係.援助関係の構築の必要性に気づ

く段階

④情報収集したときにはケアの方法をアセス

も目指すことができるo

ゆえに,指導者や教員は.学生一人では学べ ないもの.経験を繰り返す中で本質である看護 実践がいつもどの場面でもあることを踏まえつ つ,学生が主体的な学びの発見となるように.

あきらめずに看護実践の場を教授活動の場にす ることが重要であろう。その方法は.直接的な 患者への看護実践の場だけでなく.担当看護師 への報告,コメデイカルとのかかわりの中で.

或いはカンファレンス ケース・サマリーなど の間接的な発表会の機会を通して.互いの意見 や考えを自由に交換し学び合う機会を意図的に 構成できるように工夫することであろう。

おわりに

確かに「教える」という仕方では直接的に

「教えられないjのが「わざ

J

の本質であるが.

やはり指導する側が「人は成長する」という信 頼感と「教えよう」とする努力しか.最後に頼 れるものはないことは明らかである。「訓練す ることを訓練する」努力は,まずもって看護師 養成に携わる教師自身に求められた究極の命題 であると自覚し.その方策についても今後.こ の試論をスタートとして,さらに考察を深めて メントしながら聞いている.その場を離れると いきたい。

きには次のケアの方法が見出されているなどと.

看護師の判断力や看護実践力を学んだ段階。

⑤学生にとっては初期の段階の情報収集の場 面でありながらも,患者にとっては大切な人生 の中のひと時を一時的に病院で余儀なく生活し なければならない状況であり.一瞬一瞬が流動 的で大事な看護実践の展開場面でもある.それ に応じた看護展開ができる看護師になりたいと いう志向性が明確になる段階。

以上のように,学生は実習を通して変化して くるo患者の疾,患や病態の知識が乏しくて言葉 にすることが出来なくとも.行動を共にするこ とで看護実践に参加し看護師の世界観を知り.

身体感覚としての経験により看護観の形成や人 間観の深まり.学生自身の人間としての成長を

引用・参考文献

)本紀要に掲載された創刊号以来の一連の拙 稿を参照されたい。

2) 

r

ナイチンゲール著作集 第二観j (現代社.

1 9 7 4

年).

P  8 4

3 )

川島みどり『看護の時代

3

看護の技術と 教育

J

(勤草書房.2002年)参照。

4 )

前掲『ナイチンゲール著作集.L

7 5

5 )

同前書.

P76 。

6 )

同前書.

P77

7 )

ジーン・レイヴ.エテイエンヌ・ウェンガ

‑r

状況に埋め込まれた学習一正統的周辺 参加‑j (佐伯俳訳,産業図書.

1 9 9 3

年) 参照。

‑ 5

(7)

共立女子短期大学看護学科紀要 8号 (2013) 8) 同前書. P 

7 0  

9) 関 連 し て , 生 田 久 美 子

r r

わ ざ

J

から知

J

(東京大学出版会.

2 0 0 7

年)および生 田久美子・北村勝朗編著

f

わざ言語一感覚 の共有を過しての「学び

J

‑J

(慶臨義

塾大学出版会.

2 0 1 1

年)参照。

1 0 )

前掲『ナイチンゲール著作集

J . 8 1

頁。傍 点引用者。

1 1 )

前掲『わざ言語'1.

1 5 7

1 2 )

同前書.

1 7 5

参照

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