論 文
企業買収における表明・保証条項と買主のデューディリジェンス
野 崎 竜太郎
《要 約》
一般に,企業買収では買収後の不測の事態に備え,買収契約時に表明・保証条項を含めることが多く,
この条項には,買主が契約前に知りえた,または知りうる企業の情報を含めるか否かという問題がある.
このような契約のデザインは,当事者の買収に関する行動に影響を与えるため,どのような契約を結 ぶかは当事者にとって重要な問題である。本稿では,企業買収における表明・保証契約が売主の情報 開示や買主のデューディリジェンス(買収監査)の決定にどのような影響を与えるかを考察している。
分析の結果として,買主が知っている,または知りえた情報を表明・保証条項に含められない場合,
買主のリスク発生の主観確率が低ければ,売主は情報開示し,反対に高ければ,買主はデューディリジェ ンスを実施せず,売主は情報を開示しない。一方,買主が知っている,または知りえた情報を表明・
保証条項に含められる場合,買主の主観確率が高ければ,売主は情報開示し,反対に低ければ,情報 不開示を選択することを導き出している。
目 次 1 はじめに
2 モデル
3 アンチ・サンドバッギング条項
3.1 クロージング日における売買価格と買主のデューディリジェンスの決定 3.2 売主の情報開示戦略の決定
4 プロ・サンドバッギング条項
4.1 交渉価格と買主のデューディリジェンス水準の決定 4.2 売主の情報開示戦略の決定
5 おわりに 参考文献
( )
( ) 1 はじめに
一般に,企業買収において売主と買主によって買収が合意されると,買主は最終契約日までに買収対 象企業に対して,会計・税務,法務,そして,経営・事業判断の観点から様々な調査を行うことで買収 対象企業の情報を収集し,買収企業の評価を行う。この買主による調査はデューディリジェンス(買収 監査)と呼ばれている。しかし,買主によるデューディリジェンスは短期間で行われることが多く,売 主の協力がなければ,情報の入手は困難であるため,すべての情報を把握することが難しいといわれて いる。したがって,買主は,売主の情報開示やデューディリジェンスの結果をもとにして,売買価格の 決定だけでなく,デューディリジェンスで調査しきれなかった企業の状態(たとえば,その企業がもつ 潜在的リスクから将来生じる損害など)をどのように取り扱うかも最終契約日に交渉し,契約しなけれ ばならない。
そこで,企業買収では,最終合意において,売主と買主は売買価格とは別に表明・保証条項を設定す ることが多い。表明・保証とは,売主が買主に対して買収対象としている企業に関連する過去および現 在の一定の事実を表明し,かつ,それが真実であることを保証することをいう。もし,買収後に表明事 実と異なる場合は,買主は売主に対して表明違反に対する補償,または表明・保証の違反を理由に売買 契約を解除できるものである1。したがって企業買収において表明・保証条項を当事者間でどのように デザインするかは買収契約を成立させるための一つのポイントとなるが,表明・保証の範囲や金額をめ ぐって両者の対立が起こることが多い。何故ならば,買主は売主に表明・保証させることによって,買 収しようとする企業の潜在的なリスクから生じうる将来の損害の回避を試み,また売主側もすべてのリ スク負担を回避するために買主が提示する表明・保証の内容を限定しようとするからである。このよう にリスク・シェアリングの意味において,表明・保証条項にどのような内容を含めるかは当事者にとっ て重要である。
もう一つの重要な問題として,既に買主が知りえた,または知りうる情報は表明・保証条項に含まれ るかどうかということがある。その理由は,買主の知りえた,または知りうる情報を含むか含まないか は,売主の情報開示行動と買主のデューディリジェンス行動に影響を与えると考えられているからであ る。企業買収においては,買主の知りえた,または知りうる情報を表明・保証条項に含めることができ るとするルールをプロ・サンドバッギング条項とよび,反対に含まないルールをアンチ・サンドバッギ
1 表明・保証条項と補償責任の詳細については,たとえば,中野・浦部(2006)を参照のこと。
224 225
ング条項と呼ぶ。
本稿では,最終契約合意における表明・保証条項におけるプロ・サンドバッギング条項とアンチ・サ ンドバッギング条項が売主の情報開示戦略と,買主のデューディリジェンス水準の決定にどのような効 果を持つかについて考察を行うことを目的とする。
本稿に関連深い先行研究としてGrossman(1980)がある。この論文では,ある商品の品質について 売主と買主の間に情報の非対称性がある場合を想定し,売主が直接,品質をシグナルとして送るときは,
正しいシグナルを送ることを示している。もし,直接,商品の品質をシグナルとして利用できない場合 は,表明・保証を品質の間接的なシグナルとして利用すると,品質について正しい情報を提示すること を示している。この分析での重要な仮定として,売主は情報開示するときに,複数の品質を示すがその 中に真の品質が含まれているところにある。
Grossman(1980)を発展させた研究として,Kumar(2012)がある。この研究はGrossman(1980)
の研究を企業における企業価値情報の開示の問題に応用させ,経営者が正しい情報を投資家に開示する かを分析したものである。この論文でも,企業は経営者への正しい企業価値を含んだ複数の情報を開示 できることを仮定しており,分析の結果,企業は良い企業価値のときだけ,真の企業価値のみを情報開 示するのではなく,真の企業価値が低いときでも,真の企業価値のみを投資家に情報開示する場合があ ることを示している。
野崎(2017)は,企業買収における表明・保証契約と表明・保証保険が企業買収の合意達成に与える 影響について分析している。表明・保証契約の内容について売主と買主が合意できない場合,買収交渉 が決裂する。一方,表明・保証保険は,表明・保証違反が起きた場合の補償額をカバーする保険であり,
この保険への加入が買収契約の合意を促進する機能を持つといわれている。この論文では,その表明・
保証保険が企業買収の合意を促すかについて理論的分析を行っており,また,保険加入が,売手の努力 や,買手の行動にどのような影響をもたらすかについて分析している。分析の結果,表明・保証保険は 買収契約の合意を促すことを示してしたが,モデルの設定が複雑なため,売主や買主の行動について,
明確な結果を得られていないという問題がある。
これらの先行研究を参考に,売主が情報開示を行う場合は正しい企業価値を表明し,不開示の場合は 全く情報を公開しないというKumar(2012)の分析と同様の情報開示戦略を考え,買収における売主 の情報開示について分析を行うものであり,表明・保証についてのアンチ・サンドバッギングとプロ・
サンドバッギングの 2 つルールにおいて,どのような場合に情報開示が行われるかについて分析してい る。
本稿の主な結果は次の通りである。アンチ・サンドバッギング条項の場合では,買主の買収後のリス
( )
( )
ク発生確率が高いと予想しているときには,デューディリジェンスは行われず,売主は情報不開示を選 択する。反対にリスク発生確率が低いと予想している場合は,買主のデューディリジェンスが行われ,
売主は情報開示を行う。
プロ・サンドバッギング条項が採用されている場合は,売主がアクシデントの発生確率を高いと予想 しているときは,買主のデューディリジェンスが行われ,売主は情報開示を行う。反対に買主のアクシ デント発生確率が低いと予想している場合は,情報開示が行われないという,どちらのルールが採用さ れるかで,情報開示が全く異なることを示している。
最後に本稿の構成について述べる。第 2 章では分析のモデルを説明する。第 3 章ではアンチ・サンド バッギング条項のもとでの売主の情報開示戦略と,買主のデューディリジェンス水準の決定について分 析を行う。第 4 章ではプロ・サンドバッギング条項の下での売主の情報開示戦略と,買主のデューディ リジェンス水準の決定を考察している。そして第 5 章では分析の結果と今後の課題について述べている。
2 モデル
本稿では野崎(2017)をもとにモデルを設定している。企業の売主,買主からなる経済を想定し,各 経済主体はリスク中立的であると仮定する。また,売主と買主は買収の基本合意に達している状態を初 期状態とする。
売主
売主は初期において企業を所有し,実質的な経営権も持つと仮定する。売主はこの企業を売却せず,
保有し続けた場合には企業価値 Vs を実現できると考えているとする。この企業価値は売主の主観的な ものであり,他の主体にとって観察可能であるが,事前(損害が発生する前)に立証不可能であるとす る。この仮定は,たとえば,企業の経営者は将来の収益を予想したとしても,それを他者が立証するこ とは難しいだろうことを反映している。しかし,その一方で,企業は,将来,企業価値を棄損させる可 能性,すなわち,損害を与える可能性もあるとし,その損害を発生させる原因は複数あるとする。ここ では単純化のために,将来の起こりえる損害の原因を 2 種類(以後,リスク 1 とリスク 2 と呼ぶことに する)とし,リスク i(i=1, 2)がもたらす損害額を xi と定義する。これらのリスクの発生は独立事象 であるとし,その発生確率は同じ p( 0 <p< 1 )と仮定する2。なお,この損害の発生確率は売主の主 2 もちろんアクシデントの発生確率はその種類によって異なるのが一般的であろうし,また,発生確率は相関
性があると考えられる。ここでは分析の単純化のためにこの仮定を置いている。
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観的なものであるとし,買主は売主の持つ主観確率を知っているが,損害額は観察できるが損害が事前 に立証不可能であるとする。
売主は,この 2 種類のリスクから発生する損害額について,すべてのリスクの損害額を公開するか,
どちらか 1 種類のリスクの損害額だけ公開するか,それとも,不開示とするかの 3 つの戦略を持つもの とする。ただし,ここでは分析の簡略化のため,一部公開するときはリスク 1 を公開するものとする3。 本稿では,売主によるリスクの損害額の公開は,損害額を立証可能なものにすることだとする。たとえ ば,あるリスクの損害額を公表するときは,客観的な指標を用いて示し,第三者にもその指標が分かる ということを想定している。
買主
買主は最終的な買収の合意(以後,クロージング日という。)によって,経営権を得たときには V(>Vb s) の企業価値を実現できるとする。この企業価値も売主と同様に,買主の主観的なものであり,他の主体 は観察可能であるが,事前には立証はできないと仮定する。すなわち,買主は企業価値を算定している ものの,買主独自の算定によって評価されているものであると考えている。
買主は基本合意の後に,企業の状態を知るためにデューディリジェンス(買収監査)を行うことがで き,リスクごとに調査コストがかかるものとする。本稿では,買主がデューディリジェンスにより把握 できるのは,将来の損害額 xi のみであるとし,必ず発見できるとは限らないと仮定する。この仮定は 一般にデューディリジェンスは短期間でおこなわなければならず,すべてを把握することは難しいとい われることを反映させている。買主のデューディリジェンス水準を ei と定義し,この水準そのものを 発見確率と仮定する。デューディリジェンスにより損害額を発見したときは,損害額を立証できるが,
発見できなかったときは,社会において妥当と認識される損害額でしか評価できないとする。ここで社 会において妥当と思われている損害額を di(<xi)と定義し,立証可能と仮定する4。最後にデューディ リジェンスの費用を Ci( ei )と定義し,
C(ei i)= ci ei2 2
と特定化する。ci はリスク i の調査コストのコストパラメータである。
3 本来ならば,どちらのリスクを公開するかは重要な問題であるが,ここでは分析の場合分けを減らすために この仮定をおいている。分析においてはパラメータの設定次第ではどちらを公開するかの決定は行えるが,結 果に大きな影響を与えない。
4 社会的に最もだと思われる損害額としては,例えば,過去の判例など裁判所が妥当と評価する額が考えられ るだろう。
( )
( )
損害の発生確率について,本稿では予想不一致モデル5の考え方を用い,買主は損害が発生する真の 確率は分からないが,主観的な予想として q の確率で損害が発生するという認識を持つと仮定し,この 主観確率は売主も観察可能とする。
これらの仮定から,売主と買主の最終合意形成では,売買価格を共通に認識された企業価値をベース に決定できず,両者は買収価格の決定はナッシュ交渉によって行われると仮定し,交渉による売買価格 を t と定義する。また簡単化のため,両者の交渉力は同等であると仮定する。
両者は売買価格とは別に表明・保証条項を設定し,損害額に依存した保証額 Wの契約も同時に行う とする。分析の簡単化のために,損害が発生したときの損害保証額を損害額そのものとする。さらに両 者とも第三者と取引できる外部機会はないと仮定する。よって,交渉が決裂したとき,売主は自身でそ のまま経営したときの利得を得ることになり,買主の利得は 0 としておく。
以上の設定のもとで,表明・保証条項についてアンチ・サンドバッギング条項が採用された場合,プ ロ・サンドバッギング条項が採用された場合のそれぞれについて,ゲーム理論による分析を行う。最後 に両者の意思決定をタイムラインに示すと次の図 1 のようになる。
3 アンチ・サンドバッギング条項
この章では,表明・保証条項におけるアンチ・サンドバッギング条項が採用されたときの効果につい て分析を行う。アンチ・サンドバッギングが採用された場合,買主は,売主による開示や自身が行った デューディリジェンスで知りえた,または知りうる情報については表明・保証の対象外とされる。
3.1 クロージング日における売買価格と買主のデューディリジェンスの決定
クロージング日における売買価格の決定から考える。すでに売主の情報公開と買主のデューディリ ジェンスは実施されており,両者はこれらを所与として,売買価格を交渉する。交渉による買収価格を
6
図 1 タイムライン
3 アンチ・サンドバッキング条項
この章では,表明・保証条項におけるアンチ・サンドバッキング条項が採用されたときの 効果について分析を行う。アンチ・サンドバッキングが採用された場合,買主は,売主によ る開示や自身が行ったデューディリジェンスで知りえた,または知りうる情報については 表明・保証の対象外とされる。
3.1 クロージング日における売買価格と買主のデューディリジェンスの決定
クロージング日における売買価格の決定から考える。すでに売主の情報公開と買主のデ ューディリジェンスは実施されており,両者はこれらを所与として,売買価格を交渉する。
交渉による買収価格を𝑡𝑡��(𝑗𝑗 𝑗 𝑗𝑗𝑗 𝑗𝑗𝑗 𝑗𝑗 は情報開示の状態を表す添え字であり,𝑗𝑗は完全開示,
𝑗𝑗は一部開示,𝑗𝑗は不開示を意味し,下添え字の𝑎𝑎 はアンチ・サンドバッキング条項を意味 する。) ,売主の期待利得をEΠ��,買主の期待利得をEΠ��と定義しておく。
売主が情報開示した場合
交渉後の各主体の期待利得は,買主のデューディリジェンスにより,各リスクの損害額を 立証できたか否かにかかわらず,
𝐸𝐸𝐸𝐸��𝑗 𝑡𝑡��
𝐸𝐸𝐸𝐸��𝑗 𝑉𝑉�− 𝑡𝑡��− 𝑞𝑞(𝑥𝑥�+ 𝑥𝑥�)
である。また外部取引機会は,売主は買収が起きなかったときの期待利得𝑉𝑉�− 𝑗𝑗(𝑥𝑥�+ 𝑥𝑥�)で あり,一方,買主は0なので,ナッシュ交渉解は次のように定式化される。
max��� �𝑉𝑉�− 𝑡𝑡��− 𝑞𝑞(𝑥𝑥�+ 𝑥𝑥�)����𝑡𝑡��− 𝑉𝑉�− 𝑗𝑗(𝑥𝑥�+ 𝑥𝑥�)��� (1) (1)式の最大化問題から得られる交渉価格𝑡𝑡��∗と定義すると,
𝑡𝑡��∗𝑗V�+ V�
2 −(𝑗𝑗 + 𝑞𝑞)(𝑥𝑥�+ 𝑥𝑥�)
2 (2) を得る。
次に,この価格((2)式)のもとでの買主のデューディリジェンス水準の決定について考
売主の情報公開 の決定
買主のデューディリ ジェンス水準の決定
売買価格交渉
図 1 タイムライン
5 例えば Miceli(1999)では,訴訟と和解の分析ついて,原告と被告の勝訴確率に対する予想の違いを仮定し て分析している。
228 229
taj( j=f, p, n は情報開示の状態を表す添え字であり,f は完全開示,p は一部開示,n は不開示を意味し,
下添え字の a はアンチ・サンドバッギング条項を意味する。),売主の期待利得をEΠsj,買主の期待利得 をEΠbjと定義しておく。
売主が情報開示した場合
交渉後の各主体の期待利得は,買主のデューディリジェンスにより,各リスクの損害額を立証できた か否かにかかわらず,
EΠsf=taf
EΠbf=Vb-taf-q(x1+x2)
である。また外部取引機会は,売主は買収が起きなかったときの期待利得Vs-p(x1+x2) であり,一方,
買主は 0 なので,ナッシュ交渉解は次のように定式化される。
max[Vb-taf-q(x1+x2)]12 [taf-Vs-p(x1+x2)]12
(1)
(1)式の最大化問題から得られる交渉価格 taf*と定義すると,
taf*= Vs+Vb
2 -(p+q)(x1+x2)
2 (2)
を得る。
次に,この価格((2)式)のもとでの買主のデューディリジェンス水準の決定について考える。売主 が情報開示している場合,買主はデューディリジェンスを行っても,損害額に関する追加的情報を得る ことはなく,デューディリジェンスの実施はコストでしかない。したがって,最適なデューディリジェ ンス水準をeiaf*と定義すると,e1af*=ef2a*= 0 とすることが買主にとって最適である。
一部開示した場合
売主が一部情報開示し,リスク 1 の損害額 x1 を公開したときについて考える。このとき,買主はリ スク 2 に対するデューディリジェンスを行えばよい。したがって,デューディリジェンスによりリスク 2 の損害額を発見できた場合,アンチ・サンドバッギングが採用されているので,買主の知っている情 報は表明・保証から除外でき,リスク 2 も表明・保証から除外できる。よって,売主は,どのリスクが 発生しても,その損害を保証しなくてよいので,各主体の期待利得は,
EΠsp=tap
EΠbp=Vb-tap-q(x1+x2) taf
( )
( )
となる。その一方で,買主が発見できなかった場合,売主はリスク 2 による損害が発生すれば,その損 害額を保証しなければならない。しかし,買主はデューディリジェンスにより損害額を立証できていな いので,社会的に妥当と思われる保証額 d2 のみを売主は損害賠償額として支払う。よって,各主体の 期待利得はそれぞれ,
EΠsp=tap-pd2
EΠbp=Vb-tap-q(x1+x2)+qd2
となる。すなわち,買主には,事前に買主が知りえなかったリスクについての表明・保証条項による期 待保証額が加わることになる。以上ことから,交渉価格は買主のデューディリジェンスの結果によって 異なり,デューディリジェンスで発見できたときは,売主の情報公開時と同じ価格,すなわち,(2)式 の値となる。一方,デューディリジェンスによって損害額を発見できなかったときの売買価格は,次の 最大化問題を解くことによって得られる。ナッシュ交渉を定式化すると,
max[Vb-tap-q(x1+x2)+qd2]12 [tap-pd2-{Vs-p(x1+x2)]12
となり,最大化問題の解として,
tap*= Vs+Vb
2 -(p+q)(x1+x2-d2)
2 (3)
を得る。ここで(3)式と(2)式(売主が完全情報公開のときの価格)と比較すると,一部公開で買主 がデューディリジェンスで情報獲得に失敗したときの交渉価格は,完全公開のときの交渉価格より上昇 することが分かる。これは,リスク 2 による損害が発生したときに買主は損害額の一部が保証されるた め,その分が売買価格に反映されているためである。
次に買主のデューディリジェンス水準の決定問題を考える。完全情報のときと同様に,売主が情報開 示したリスクに対し,コストをかけてデューディリジェンスを行っても買主は追加的利益を得られない ので,リスク 1 に対するデューディリジェンスを行わない。買主がデューディリジェンスを行うとすれ ば,開示されていないリスク 2 に対してのみである。よって,買主のリスク 2 に対する最適なデューディ リジェンス水準は次の期待利得最大化問題,
max e2a p (Vb-taf*-q(x1+x2))+(1-e2ap)(Vb-tap*-q(x1+x2)+qd2)- c2(e22ap)2 (4)
を解くことによって得られる。(4)式の第 1 項目はデューディリジェンスによってリスク 2 の損害額を 立証できたときの期待利得であり,第 2 項はデューディリジェンスによって損害額を立証できなかった ときの期待利得である。最大化問題の一階条件より,最適なデューディリジェンス水準として,
tap
ep2a
230 231
e2ap*=(p-q)d2
2c2 (5)
を得る。(5)式をみると,p>q ならば,正のデューディリジェンス水準だが,p ≤ qならばデューディ リジェンスを行わないことが分かる。この理由は,買主の主観確率 q が大きいほど,買主にとって交渉 価格は低くなるが,交渉価格には損害発生確率は部分的にしか反映されておらず,一方,デューディリ ジェンスに失敗したときの期待賠償額は,全て反映されているので,買主にとって,q が大きいほど,
デューディリジェンスしない方が期待利得は高くなるからである。そのため,買主はp ≤ qであれば,
デューディリジェンスを行うインセンティブを失ってしまう。
不開示の場合
買主はそれぞれのリスクに対してデューディリジェンスを行う。今まで同様にデューディリジェンス に失敗すれば,損害額のすべてを立証できないので,それぞれの場合についての交渉価格を考えていく。
まず,両方とも損害額を立証できたときは売主が情報開示したときと同じ状況になるので,交渉価格 は(2)式となる。次にリスク 1 のみ立証できた場合は一部開示のときと同じになるので,(3)式の価格 となる。反対にリスク 2 のみ立証できた場合は,
tan*= Vs+Vb
2 -(p+q)(x1+x2-d1)
2 (6)
であることが分かる。最後に両方とも立証できなかった場合について考える。このときの交渉価格を求 めるためにナッシュ交渉を定式化すると
max[Vb-tan-q(x1+x2)+q(d1+d2)]12 [ta2-p(d1+d2)-{Vs-p(x1+x2)}]12
となる。これを解くと,
tan**= Vs+Vb
2 -(p+q)(x1+x2-d1-d2)
2 (7)
を得る。よって,不開示の場合は一部開示よりも交渉価格が上昇することが分かる。部分開示のときと 同様に,売主は,のちに損害が発生した場合,その損害額を保証しなければならないので,その賠償額 を交渉価格に反映させることになる。
以上のことを考慮して買主はデューディリジェンス水準の決定を行う。すなわち,買主は次の期待利 得を最大にするようにデューディリジェンス水準を決定する。
tan
( )
( )
max en1a en2a{Vb-taf*-q(x1+x2)}+en1a(1-en2a){Vb-tap*-q(x1+x2)+qd1}
+(1-en1a)en2a{Vb-tan*-q(x1+x2)+qd2}+(1-en1a)(1-en2a){Vb-tan**-q(x1+x2)+q(d1+d2)}
- c1(en1a)2
2 -c2(en2a)2
2 (8)
ここで,一階条件をそれぞれ求め,整理すると,最適なデューディリジェンス水準として,
enia*=(p-q)di
2ci (9)
を得る。デューディリジェンス水準は先ほどと同様に,買主の主観的なリスク発生確率が売り手の主観 的なリスク発生確率以上であれば,一部開示のときと同様の理由により,デューディリジェンスを実施 しないことになる。
3.2 売主の情報開示戦略の決定
売主は,情報開示後の買主のデューディリジェンスを考慮しながら,情報開示の決定を行う。まず,
売主の期待利得をEΠs(e1aj*, e2aj*)と定義すると,情報開示によって次の通りである。
EΠs(e1aj*, e2aj*)={
ここでは各リスクの主観的発生確率の大小関係によって買主のデューディリジェンス水準が異なるの で,場合分けして分析を行う。
買主の主観確率が売主の主観確率以上の場合
買主の主観確率が売主の主観確率以上(q ≥ p)の場合を考える。このとき,買主のデューディリジェ ンス水準はe1an*=en2a*= 0 である。これを先ほどの売主の期待利得関数((10)式)にそれぞれ代入すると,
情報不開示のときの期待利得が最大になることが分かる。すなわち,売主は情報不開示が最適な開示戦 略となる。その理由は,売主は,不開示にすることで,損害が生じたときのみ表明・保証条項に則って 損害賠償を支払えばよく,しかも,その支払額は部分補償でよい。すなわち,損害賠償を支払う可能性 が生じることよる期待利得の減少効果よりも,不開示による売買交渉価格の上昇効果が強いので,売主 は売買価格を吊り上げる方が魅力的になり,情報不開示を選択する。
en1a ,en2a
Vb+Vs-(p+q)(x1+x2) 2
Vb+Vs-(p+q)(x1+x2) 2
Vb+Vs-(p+q)(x1+x2) 2
(p-q)d2
2 (p-q)
2
情報開示のとき
一部情報開示のとき(10)
不開示のとき -(1-e2ap*)
- {(1-e1an*)d1+(1-en2a*)d2}
232 233
買主の主観確率が売主の主観確率より低い場合
次に買主の主観確率が売主の主観確率よりも低い( q<p )場合を考える。このとき,買主は正の デューディリジェンス水準を選択するので,売主の期待利得は一部開示,不開示のときは第2項の値が 負となることがすぐにわかる。よって,売り手は情報開示を選択する。その理由は,ターゲット企業の 交渉価格の上昇よりも表明・保証違反による期待損害賠償額の支払いが大きいと考えているため,売主 は情報開示して損害賠償の支払いを回避しようとする。以上のことから次の命題を得る。
命題 1
企業が持つリスクの発生確率に相関がない場合,アンチ・サンドバッギング条項では,買主の主観確 率が低ければ売主は情報開示を行う。反対に買主の主観確率が高ければ,買主はデューディリジェンス をおこなわず,売主は情報を開示しない。
4 プロ・サンドバッギング条項
この章では,買主が知っている,または知りうる企業の情報を表明・保証条項に含められるプロ・サ ンドバッギングが採用されている場合の売主の情報公開と買主のデューディリジェンスの決定を考察す る。先述したように,本稿でのプロ・サンドバッギングとアンチ・サンドバッギングの違いは,売主が 公開したリスクが表明・保証条項から除外されず,買主は損害が発生したときの損害額を売主に損害賠 償を請求できるところである。前節と同様にクロージング日の交渉価格の決定からみていく。
4.1 交渉価格と買主のデューディリジェンス水準の決定
クロージング日における売買価格を tpfと定義すると,交渉後の各主体の期待利得は,買主のデューディ リジェンスにより各リスクの損害額の立証の成否にかかわらず,
EΠsf=tpf-p(x1+x2)
EΠbf=Vb-tpf-q(x1+x2)+q(x1+x2) =Vb-tpf
である。外部取引機会は前章と同様に,買主による買収がないときの売主の期待利得はVs-p(x1+x2), 買主の利得は 0 なので,ナッシュ交渉は次のように定式化される。
max [Vb-tpf ]12[tpf-(Vs-p(x1+x2))+p(x1+x2)]12 tpf
( )
( ) この最大化問題と解くと,交渉価格として
tpf*=Vs+Vb
2 (11)
を得る。
この価格のもとでの買主のデューディリジェンス水準を考える。売主が情報公開した場合,買主は デューディリジェンスを実施しても,リスクに関する情報を得ることはないので,デューディリジェン スを行わない。すなわち,e1fp*=e2fp*= 0 を選択する。
一部開示した場合
次に売主が一部情報開示し,リスク 1 の損害額 x1 を公開したときを考える。このとき,買主はリス ク 2 に対するデューディリジェンスを行い,リスク 2 の損害額を立証できれば,買主は損害が発生した ときに生じる損害額を全額補償される。よって,各主体の期待利得は,
EΠsp=tpp-p(x1+x2) EΠbp=Vb-tpp
であり,一方,デューディリジェンスによりリスク 2 による損害額を立証できなければ,買主への保証 額は d2しか行われないので,各主体の期待利得は
EΠsp=tpp-p(x1+x2)
EΠbp=Vb-tpp-q(x1+x2)+q(x1+d2)
となる。よって,交渉価格もデューディリジェンスの結果によって異なり,デューディリジェンスによ り,損害額を立証できたときは,売主による情報開示のときと同じ価格(11)式の値となる。
一方,デューディリジェンスによって発見できなかったときの価格についてみていく。先程と同様に ナッシュ交渉解を定式化し,解を求めると,
tpp*=Vs+Vb
2 -(p+q)(x2-d2)
2 (12)
を得られる。プロ・サンドバッギング条項が採用されているときでは,一部開示かつリスクによる損害 額が立証できなかったときの売買交渉価格((12)式)は,完全開示の売買交渉価格((11)式)と比較 して下落することがわかる。また,情報が一部開示されている場合,プロ・サンドバッギング条項が採 用されているときの売買交渉価格((12)式)は,アンチ・サンドバッギング条項を採用されていると きの交渉価格((3)式)より高いことが分かる。
234 235
次に買主のデューディリジェンス水準の決定問題を考える。情報公開されているリスク 1 について デューディリジェンスするのはコストがかかるだけなので,公開されなかったリスク 2 に対してのみ デューディリジェンスを行う。よって買主の期待利得最大化問題は次のように定式化される。
max ep2p(Vb-tpp*)+(1-ep2p){Vb-tpp*-q(x2-d2)}- c2(ep2p)2
2 (13)
(13)式の第 1 項目はデューディリジェンスによってリスク 2 の損害額を立証できたときの期待利得で あり,このとき損害額は全額保証されることから,利得は企業価値から売買価格を引いたものになる。
第 2 項は損害額を立証できなかったときの期待利得であり,損害が発生すれば保証を得られるが,損害 額が立証できていないために完全保証とはならず,得られる保証額は d2となっている。よって,上の 最大化問題の一階条件から最適なデューディリジェンス水準,
ep2p*=(q-p)(x2-d2)
2c2 (14)
を得る。また,p ≥ qならば,買主はデューディリジェンスを実施せず,p<qならばデューディリジェ ンスを実施するというアンチ・サンドバッギング条項のときとは反対の結果となることが分かる。さら に,真の損害額と社会的に妥当とされる補償額の差が大きいほど,デューディリジェンス水準は高くな ることが分かる。
不開示の場合
買主はそれぞれのリスクに対してデューディリジェンスを行うことになる。デューディリジェンスに よって,すべて損害額を立証できない可能性があるので,それぞれの場合について交渉価格を考えてい く。まず,両方とも損害額を立証できたときは開示のときと同様,交渉価格は(11)式である。次にリ スク 1 のみ立証できた場合は一部開示のときと同じになるので,(12)式の価格となる。反対にリス ク 2 のみ立証できた場合は
tnp*=Vs+Vb
2 -(p+q)(x1-d1)
2 (15)
であることが分かる。
最後に両方とも立証できなかった場合について考える。このときの交渉価格を求めるためにナッシュ 交渉を定式化すると,
max [Vb-tnp-q(x1+x2-d1-d2)]12[tnp-p(d1+d2)-(Vs-p(x1+x2))]12
ep2p
tnp
( )
( ) となる。これを解くと,
tpn**=Vs+Vb
2 -(p+q)(x1+x2-d1-d2)
2 (16)
が得られる。
次に全てのリスクの損害額を立証できなかったときの買主のデューディリジェンス水準の決定につい て考える。買主は次の期待利得を最大にするようにデューディリジェンス水準を決定する。
max en1p en2p(Vb-tpf*)+en1p(1-en2p){Vb-tpp*-q(x1-d2)}+(1-en1p) en2p{(Vb-tnp*-q(x1-d1)}
+(1-en1p)(1-en2p){Vb-tpn**)-q(x1+x2-d1-d2)}- c1(en1p)2
2 - c2(en2p)2
2 (17)
ここで,一階条件をそれぞれ求め,整理すると最適なデューディリジェンス水準として,
enip*=(q-p)(xi-di)
2ci (18)
が得られる。デューディリジェンス水準は,先ほどと同様にリスクの主観的発生確率の大小関係によっ てはデューディリジェンスを行わないことが分かる。デューディリジェンスを実施する場合は,その水 準は,アンチ・サンドバッギングとは異なり,実際の損害額と社会一般で妥当と思われる損害額との差 に依存する。
売主の情報開示戦略の決定
売主はクロージング日の売買交渉価格と情報開示後の買主のデューディリジェンス水準を考慮しなが ら,情報開示の決定を行う。売主の期待利得をEΠs(e1pj*, e2pj*)と定義すると,売主の期待利得は次の通 りである。
EΠs(e1pj*, e2pj*){
ここでは各リスクに対する両者の主観的発生確率の大小関係によって買主のデューディリジェンス水準 が異なるので場合分けして考える必要がある。場合分けして売主の期待利得を比較すると,売主の情報 開示戦略について次の命題を得る。
en1p ,en2p
}
Vb+Vs
2 -p(x1+x2) Vb+Vs
2 -p(x1+x2) (1-e2pp*)(p+q)(x2-d2) 2
-(1-en2p*){(p+q)(x22-d2) +pd2 Vb+Vs
2 -p(e1pn*x1+en2p*x2)-(1-e1np*){(p+q)(x2 1-d1) +pd1}
情報開示のとき
不開示のとき 一部情報開示のとき
(19)
236 237
命題 2
プロ・サンドバッギングのとき,アンチ・サンドバッギングとは異なり,買主の主観確率が高い場合,
売主は情報開示を行い,そうでなければ,情報不開示を選択する。
証明
買主の主観確率が売主の主観確率より高い場合 (q>p) と買主の主観確率が売主の主観確率以下の 場合 (q ≤ p) のそれぞれについて,売主の期待利得を比較することで命題 2 は得られる。
買主の主観確率が売主の主観確率より高い場合
まず買主の主観確率が売主の主観確率より高い場合 (q>p) から考える。このとき,買主は正の デューディリジェンス水準を選択するので,今まで求めたデューディリジェンス水準を(19)式に代入 して整理し,完全情報開示と一部開示のときを比較すると,明らかに完全情報開示を選択したときの期 待利得が高いことが分かる。
次に情報開示と不開示のときの比較を行う。第 1 項目は同じ値なので,第 2 項目以下の値を比較すれ ば十分である。よって次の不等式,
p(x1+x2)≤ p(en1p*x1+en2p*x2)+(1-en1p*){(p+q)(x2 1-d1)+pd1}
+(1-en2p*){(p+q)(x2 2-d2)+pd2} (20)
が成り立つならば,売主は完全情報開示を選択する。(20)式の右辺の第 1 項目を左辺に移行し,整理 すると,
p-q
2 {(1-en1p*)(x1-d1)+(1-en2p*)(x2-d2)} ≤ 0 (21)
が得られる。すなわち,(21)式が成り立つならば,売主は完全情報公開を選択する。今,q>pなので,
(21)式が成り立つ。すなわち,完全情報公開のときの期待利得が不開示のときの期待利得より大きい。
したがって,買主の主観確率が高い場合,売主は情報公開を選択する。
買主の主観確率が売主の主観確率以下である高い場合
次に買主の主観確率が売主の主観確率以下 (q ≤ p) の場合を考える。このとき,買主のデューディリ ジェンス水準は en1p*=en2p*= 0 である。これを先ほどの売主の期待利得関数にそれぞれ代入すると,情