一33一 ヒマラヤの海とその消滅一その1 中嶋輝元(鉱床部)慳慎 1.白いヒマラヤの壁 ネパールのカトマンズ空港を飛び立ったバンコク行き の航空機はカトマンズ郊外に迫るレッサーヒマラヤの ;山並みを一気に飛び越そうとぐんぐん高度を上げる. やがて雨期のなごりをとどめる雲海を突き抜けると 醍前に白く輝くヒマラヤ山脈が突如現れる.それはあ たかも銀の屏風を立てたように北方の空をさえぎって 立ち並ぶ.飛行機が高度を上げることにその姿はます ます大きく高くなる.前山の奥に隠れていたヒマラ ヤの8000m級の主峰が次々と姿を現すからである.ネ パーノレ滞在中にはいつも見慣れていたはずであるか今 またその高さと急な斜面には驚かざるをえない。どう して自然はこのように途方もない白い壁のような構造 物を造り出したのであろうか. 長い目で見れば地表に突出する全ての物体は重力や 河川などの作用で平らにならされてゆく.その力に逆 らって高さが成層圏まで達しなんとするヒマラヤ山脈 には今なお高度を保つ強いカガミ地球の内部から働いて いるに違いない.事実ヒマラヤの形成は長い地質時 代の中ではごく新しい時代に起きた出来事なのである. 2.壁を切る川 ここでヒマラヤ山脈を流れる河川に注目してみよう. ヒマラヤの東西を縁どるように流れるブラマプトラ≧ 灘萎 写真1白銀に輝くヒマラヤ山脈 1985年12月号 レッサーヒマラヤの山間から望むアンナプルナ山群マチャブチャレ
一34 中嶋輝元 ∴ヤ如一 寸11匁シ ユ,OO⑪ チベット高原 \・\ \1ガ\ 、ノレ、 対トク\・く'燦はツアンポ、い、・ll・一 水㍗薄暮芹 川ブラ インド クジス川 ン第1図ヒマラヤの大構造区分. (上流はツァンポー川となる)とインダス川はヒマラヤ第 一級の河川であるが実は両方ともヒマラヤ山脈の北側 に源を発しそこからヒマラヤに平行に東西に流れ東 と西の端でヒマラヤ山脈を横断し南へと流れ去る. つまりヒマラヤの主峰を連ねる主軸部は両河川の分水嶺 とはなっていない.さらにヒマラヤ山脈の南側を流 れ下るガンジス川の大きな支流やサトレジ川もまたそう である.それらはヒマラヤの主軸部を越えその北側の チベットに源を発する先行河川である(第1図)、つま 写真2ヒマラヤの先行河川.中部ネパール,ジョモソム北方を 流れるカリガンダキ川、ここはハイヒマラヤ主鞭部の北 側で川幅は広く流れも急ではない.ヒマラヤ山脈の裏 側ともい売るところでチベット高原も近く気候も乾燥し ている. りヒマラヤ主軸部の本格的な隆起はこれらの河川より歴 史が浅いとみられるのである. ヒマラヤの先行河川がその主軸部す在わちヒマラヤ の壁を横切る様子はどこでもすさまじい景観を作り出し ている.谷は狭まり両岸は絶壁をなす.川は濁流 となって轟音とともに流れ下る・川床は巨礫の流れに よってまるで大根おろしで削られるように刻一刻と削 剥されてゆく・その中に人が落ちたら多分こなご匁 に砕け決して助からないだろう. 例えば中部ネパールのマルシャシディー川でこの様 子をみるとヒマラヤ主軸のマナスルーアンナフノレナ山 群の間をこの川が通過する時川幅は著しく狭まり川 のえぐる谷は細長いスリット状に重直にきり立つ、努 所によっては両岸は20∼30mの距離に迫る.岸から谷 底をこわごわのぞくとそれはまるで地獄の底のように 深く暗くかすかにしか見えない、谷底の勾配も急 でマルシャンディ川に沿って南に少し下ると高度はぐ んぐん下がり・やがて標高1000m足らずになってしま う・するとそこはもうバナナの茂る亜熱帯の気候で 谷の両岸のはるか上を飾る氷雪の峰々とは驚くべき対照 をなしている. ヒマラヤ第一級の河川ブラマプトラ川がヒマラヤの主 軸を越す様子となるともっとすさまじいという.もっ ともインドを流れるこの川が上流でチベットのツァン ポー川につながっていることが分ったのは1884∼1886 年のことである.それまではツァンポー川はイラワ 地質ニュース号376
ヒマラヤの海とその消滅(1〕 一35一 インド平原 2ρ00m ・1,000アリゲ川 !フォ附一ト べクスム川 サブヒマラヤ (シワリク山地) シリン川 上都シワリク層 レッサーヒマラヤ' マ・V{一ラド 山地ジムルク川 洲 一〇m 下部シワリク層 中都シワリク層中部シワリク層 中部ネバーノレ,ブトワル西方におけるシワリク山地の地質断面(NAKAJIMA,1982より). 連ナワコ、ト層弾 第2図 ジ川の上流と思われヒマラヤ山脈を横切るとは考えら れていなかった.チベット側で東に流れていたツァン ポー川が南に流れを変えヒマラヤを横断してブラマプ トラ川につながってゆく様子は20世紀に入ってからの一 連の探検ではじめて明らかになったことである。 ツァンポー川がヒマラヤを横断する時入口の標高は 約3600m出口では300m一見らずとなる.だからこの 間には恐らく大きな滝があると予想されていた・1913 年にBAILEYとM0Rs旺Dカミこの間の160たmを探検 したが10m・以上の高さの滝はなくあるのは恐ろしい ほどに狭く急な峡谷であった.残り80kmは1924年 にWARDが探検しこの区間にも欠きた滝はなく絶 壁の谷間を急流が下りその川幅は場所によってはわず か30m足らずの距離に狭ばまる様子が明らかになった. これらの先行河川は先にも述べたようにヒマラヤの 主軸部が急速に隆起しはじめる前からあったもので多 分以前にはチベット側から南に向かってもっと緩やかに 流れていたのであろう.ヒマラヤの隆起が本格的にな って以後山と川の闘いが始まったに違いないがそれ ではこれらの先行河川の始まりはいつの時代までさかの ぼることができるのであろうか.それが分ればヒマ 写真3ノ・イヒマラヤ主軸部を横切る先行河川(マルシャシディー 川).川の両岸の切り立った崖はハイヒマラヤ中核の変成 岩類である. 1985年12月号 ラヤの隆起の歴史がもっとはっきりしよう. 5.シワリク層とヒマラヤの隆起 ヒマラヤの南麓は標高教!00mの低山地になってい てサブヒマラヤまたはシワリク山地と呼ばれる.そ れはヒマラヤの南を縁どるように東西に連なりインド 平原(タライ平原ともいう)との境をなす.この山地に はシワリク層と呼ばれる中新世後期∼更新世前期の地層 カミ長さ2,400良㎜に渡って分布している.シワリク層 は主に礫岩砂岩泥岩からなり上部・中部・下部 に3分される. 上部シワリク層(鱒新世後期∼更新世前期)は主に礫岩 からなり礫としてはヒマラヤ山脈を作るいろいろな岩 石が見られる.また礫の種類は地域によって異校 り中・下部シワリク層を起源とする礫の多いところ シワリク山地の北に隣接するレッサーヒマラヤの岩石が 主なところさらに北のヒマラヤ主部をなすノ・イヒマラ ヤの岩石が混じるところなど様々である.面白いこと にはその礫種は現在のシワリク山地を流れる川の礫種 とよく似ていることである.上部シワリク層は多く の研究者が考えているように河川の砂礫が堆積してで きた地層である.その礫種が現在の川のものに類似す るということは上部シワリク層を堆積した川の状況カミ 現在のそれと大きく違っていないことを示唆する.こ うしたことに加えて砂岩や泥岩カミ少なく粗粒な礫岩 が主であるという上部シワリク層の性質はその後背地 であったヒマラヤ地域カミすでにかなり起伏に富んだ山地 であったことを物語っている. これに対して中・下部シワリク層(中新世後期∼鮮新 世中期)の主体は砂岩と泥岩である1中部と上部は良 く似ていて区別はむずかしいが中部には長石などに當 むアノレコーズ砂岩が多く下部は石英に富む石英質砂岩 が多い.また泥岩は中部のものでは灰色を呈するも ののみであるが下部ではそれに赤色のものが混じると いう違いがある. 中・下部シワリク層ともに砂岩と泥岩は互層する.
一_36一 中嶋 輝九一写真4上部シワリク層の礫岩. 斜交層理を示す粗粒な砂岩は上に向かって細粒となり 泥岩に移り変わるという一種の堆積サイクルを示す(第 3図).時々泥岩のさらに上に炭層が重なることもあ る.こうした堆積構造は堆積盆が埋め立てられて次 弟に浅瀬が拡がってゆく時あるいは洪水ではじめ粗粒 な砂礫が運ばれ次いで洪水が収まるとともに泥の堆積 へと変わる場合さらには河川の中の洲の形成などによ ってもできる.多くのシワリク研究者は現在ヒマラ ヤの南を流れるガンジス川のような大きな川によって中 ・下部シワリク層が堆積したと考えている. けれどもシワリク層を構成する個々の地層の拡がり を調べてみるとそれは意外に大きく川というよりは むしろ湖のように大きな堆積盆を考えた方がよいように 著者は思う(NAKAJIMA,1982)。そしてこの時期の堆 積物は上部シワリク層に較べ細粒なものが多いので後 背地はより起伏の小さな低山地であつだろうと推定され る.以上のようにヒマラヤの地形的な変化の様子はシワ リク層の堆積物の性質から推察されはじめ(中新世後 期)低い山地であったのが更新世に至って次第に起伏に 富む山地へと発達していった様子が分る.またヒマラ ヤの先行河川の起源は先に述べたような上部シワリク 層と現在の河川の礫種の類似性から少なくとも上部シワ リク層堆積の時期までさかのぼることができよう・ シワリク層の堆積の前後について少し言及してみる と上部シワリク層の堆積後は著しい不整合が形成さ たことが推測されている. 一方下部シワリク層の下に連続する地層のあること がヒマラヤ南部の山麓部で知られている.この地層は ムリー層と呼ばれ中新世前期(∼中期)の汽水成∼河 成層である(第g図).ムリー層は赤色を帯びた砂岩と 泥岩で特徴づけられる.一般には極く細粒の砕屑物が 多いのでその後背地は中・下部シワリーク層よりさら に起伏に乏しかったと思われる.地層を特徴づける赤 色は鉄さび色でこの理由からムリー層の堆積物はヒマ ラヤからきたのではなく南のインド楯状地の鉄鉱層を 産するパラナス層群からきたのだと考えられている. もし上記のようにムリー層の堆積物がインド楯状地か らのものでヒマラヤ起源でないならぱそれ以前の堆積 物が次の項で述べるように全てインド楯状地からのもの なのでヒマラヤの山地あるいは陸の歴史をこれより先 へとたどることはできなくなる.後から述べるように ムリー層の堆積する以前はヒマラヤは海であってヒマ ラヤの陸はムリー層とともに始まったのである. ここで再びシワリク層に話をもどそう.シワリク層 は別の言葉でモラッセと言われる.モラッセと言うの は造山運動によってアルプスのような摺曲山脈が形成 される時隆起しつつある山脈の麓にできる厚い堆積層 のことを示す.モラッセという言葉に対してフリッシ ュという言葉がある.これは摺曲山脈が隆起する以前 にまだその部分が地向斜と呼ばれる深い海の底であった 時その底に厚い堆積物がたまりやがてそれが摺曲山 脈の素材となる.この堆積物をフリッシュという. シワリク層は上述のように隆起しつつあるヒマラヤ山脈 の砕屑物からその山麓に形成されたもので正しくモラ ッセである.それではシワリク層g堆積以前にヒマ ラヤダ)海にはフリッシュが堆積したのであろうか.次 の項で述べるヒマラヤの海の堆積物に注目してみよう. 写真5中部シワリク層. 地質ニニース376号
ヒマラヤの海とその消滅(1) 一37一 礫質中繊媚 泥岩、葉理 塊状泥岩 極細粒砂岩 泥岩、葉理 塊状砂岩 礫質中粒砂岩 15㎜ 、10 極細粒砂岩 リップル状葉理 泥岩、糞理 砂質泥岩 レンズ状葉理 泥質亜炭 \.斜交層理 細粒一中粒砂措 11榊砂岩 侭 く小細粒砂岩 。藩斜交層理 中粒砂岩 泥質楓炭 砂償泥岩 石灰質コンクリージョン 泥質砂岩 細粒砂繕 礫暫粗粒砂岩 粗粒泥岩 極細粒砂岩 平行葉理 細粒砂岩 中紺砂岩 斜交層理 中粒砂岩 第3図中部シワリク層の堆積構造 (NAKAJIMA,1982より). 写真6ノ・イヒマラヤのテチス堆積物.中部ネパー ル,アンナフノレナ北方のジョモソム石灰岩 (=下部ジュラ系キオト石灰岩)の露頭. 4、ヒマラヤの海一テチス海 ヒマラヤ山脈の主軸をなす部分(ノ・イヒマラヤ)は 実は海底に堆積した砂や泥,石灰などが固まって岩石と なったものである、その堆積時代は古生代∼新生代古 第三紀(6億∼5千万年前)に渡り正確には分らないが 古い方は多分先カンブリア紀末期までさかのぼるであろ う.ヒマラヤ山脈全域を通じてほぼ同じ地層の重なり が見られそれはヒマラヤの海が広い範囲に渡ってほぼ 同じ状態を保って拡がっていたことを示している(第4 図). この海は西へはパキスタンイラン小アジア半島 を経てバノレカンからヨーロッバ・アノレプスの地域まで 続きテチス海と呼ばれる.また北へはチベット高 原を越えてコンロン山脈まで東は中国南西部の青海 四川雲南貴州省などにも及んでいた. いずれの地域においても地層は浅く広い海の堆積物 の性質を持ち大陸縁辺部の広い一種の陸棚の上に形成 されたものである.現在の海にそうした環境を求める ことはなかなかむずかしいが陸棚の広さや石灰岩の堆 1985年12月号
一38一 中嶋輝元 ユ0 ヒマチャノ州ガルワール・ヒマラヤ (スビティ)(クマオン) ㈸に AB一 ㌶に中部ネバ」ルエベレスト地域 一一一一一一チャート ㌴に 石灰岩 ..,石灰岩 一===・璽磯叫' 、湊・軸/ブ頑 鋏生{頁岩・砂岩 三・1'・・.・い.・石英砂岩 萎1塾イ “花南岩一、1 \強J成幕一 \ぺ \ 一一一始新世 砂岩・頁岩 石灰岩 .(ギウマール砂岩) 崇ミ、,義 ミ…=・一\ …姜葦頁岩 請孟夏礫岩 葦…圭葦、千校岩 事…量千枚岩\ 一一…・、 萎萎片岩\' 蔑.{電気石花嵩岩 嚢如\ 〉コづ:1劣二変成石英砂岩 白亜紀 ジュラ紀 イン ヘ500km '〃」■1一 八1・・チ州ラサ\ サ/レジ川ヒ、C∼・。… 。ラヤ デリーMBT カ;ジl/似ゴで/が インドス川 \ \'頁岩 一石灰山.一半“.。 石三三三三畳紀 ㌧ 砂岩・頁岩 頁岩賠鷲r至 \一`一・一一 石灰岩\警彗デー一紀 ''姜姜・石英砂石..一担 \ \・11≡1姜醐質、期一.オルドビス組 \...暎一㌣煎聾鐘カンプ/ア紀 轄ン/、、一先カ刀リア紀 ■\結晶質■' \。藍蓑石灰岩/ ・〈片麻岩/ 片麻岩/ ・/ ■}∼一^ 片麻岩 ∼一∼〃∼ 第4図ノ・イヒマラヤにおけるテチス堆積物の対比図.GANssER(1964),STbcKLIN(1980),MUほか(1973)より作成. 積する条件などからみてオーストラリア大陸の東を縁 どる大豪礁のような場所を想定すればよいと思う. 1)世界最高峰の地質 世界の最高峰エベレストの登山吏を通じてその頂上 をきわめた欧米および中国の登山隊はか租りの数の頂 上の岩石標本を地質学的研究のためにもたらした.頂 上の石は結晶質の石灰岩で海百合の化石を含んでいる・ つまり世界の最高峰もかつては海の底にあったという ことになる.多くの研究者がこの石を調べたにもかか わらずその石灰岩の堆積した時代はなかなか定まらな かった.その理由はこの石灰岩を含む地層とその上 に重なる化石に富む地層の大部分がエベレストの北側 すなわち中国側に分布していて欧米の研究者は調査に入 ることができなかったからである、第2次大戦後にな って中国政府は何度か地質調査隊をエベレスト地域の 北側へ派遣し1970年代に入ってやっとその詳細が分る ようになった. エベレスト頂上付近の岩石は灰色の砂質片状かつ ドロマイト質石灰岩でエベレスト石灰岩と呼ばれる. その下部は登山家に有名なイエロー・バントで主に片 状石灰岩と石英片岩からなる.全体としてはエベレス ト石灰岩は北のチベット側に向かって緩く傾斜している (第5図). エベレストの北側には古生代∼中生代のテチス堆積 物が広く分布している.中国側での研究の結果エベ レスト石灰岩は北側の肉切村層という恐ろしげな名前 の地層の上部に相当するものでその地質時代はオルド 地質ニュース376号
ヒマラヤの海とその消滅11〕 一39一 ・がット側 ノ 第5図 エベレストの地質.GA-NssER(1964),中国科 学院酉蔵科学考察隊(1 974)より作成. ビス紀初期であることが判明した(MUほか,ユ973)・ エベレストの写真をよく見ると気付くと思われるが 1頂上付近が白くそれより下は黒ぼくなっている一上 ・の白い部分がエベレスト石灰岩で下の黒い部分は主と 一して千枚岩泥質砂岩シルト岩石灰岩などで泥質岩 1が多い.この泥質岩の下部は強い変成作用を受け片 '麻岩となり一部は花陶号化作用を伴っている.泥質 」岩より下位の地質時代や層序は変成作用のためはっき りしたことが分っていないが中国側の研究によると 一泥質岩下位の変成帯中にある結晶質石灰岩(第5図の下 一部エベレスト石灰岩)はエベレスト北側の珠穆朗焉層群 1加曲橋層中の大理石に対比され先カンブリア紀のもの であるという(中国科学院西蔵科学考察隊,1974). テチス堆積物の下部が強い変成作用を受けているのは 1集はエベレスト地域だけではない.これはハイヒマラ ヤに共通することでどこでもオルドビス紀前後までは 化石も豊富で地質時代も良く分るカミそれより下位にな ると変成作用のため時代も層序もはっきりしなくなる. さてここでは変成作用の話は後回しにしてもっとは っきりしたオルドビス紀以降のテチス堆積物の話をし よう. 2)どこまで続くムース宿英砂岩 第4図を見ると分るようにハイヒマラヤでは海の堆 積作用は古生代から中生代に渡ってほぼ連続的に続い た.それらの個々の地層について述べるのは別の機会 としここではしばしばヒマラヤの地質として話題にの ぼるものについて取り上げよう. ノ・イヒマラヤの地層の中でも著しく特徴的なのがこ のムース石英砂岩である.硬くて塊状であるがヒマ ラヤの雪のように白い石英砂岩を主とする地層で北西 インドのスビティ地方ムースに典型的に発達する.ス に著しいコントラストをもってこの白いムース石英砂岩 が重なっているからであるしかしムース石英砂岩 繁 ^写真7エベレスト山群.右の雪煙をあげる山がエベレスト. 二1985年12月号 に過ぎない. ムース石英砂岩はスビティ地方から東に向かっても分 布を拡げガルワール・ヒマラヤに達する.この間に ムース石英砂岩の上に重なる石炭系は薄くなって消え 黒色の上部二畳系プログクタス頁岩が直接重なるように
一40一 中嶋輝元 なる。下は真白上は真黒柱のでムース石英砂岩はま すます目立つ存在で良い鍵層となっている.この地 層はさらに東へと続きカシミールから東へ1,000km 以上の距離にある中部ネパールのハイヒマラヤにも分布 する(第4図).ここでもムース石英砂岩は暗色のシノレ ル系泥質岩の上に重なっている.そして上は下部石 炭系および中部石炭系フェネステラ層によって被われ る。ムース石英砂岩はなお東へと続きエベレスト 北側の中・上部デボン系の石英砂岩に至ると考えられる カミこの間はまだ調査が十分でなく確実ではない. 私にとってデボン系石英砂岩というと思い出される ひとつの地層がある.それは中国東部の揚子プラット フォーム被覆層の一員の上部デボン系五通層である. これも特徴的な石英砂岩からなる地層でプラットフ ォーム上に広く分布しよい鍵層となっている(中嶋, 1984)・しばしば五通植物群と呼ばれる植物化石を産出 しまた地層の上面に沿って層状の硫化物鉱床の産する ことでも有名である.これがムース石英砂岩の直接の 続きであるとは考えにくいかその地質年代や岩相など 良く似ていてデボン紀には中国の揚子プラットフォー ムの上にもはるか南のヒマラヤの海にも広大な白い 砂浜のひろがる海岸とコバノレトブルーの海のあったこ とが楽しく想像される. 3)ゴンドワナの産物.二畳一万炭紀漂礫岩はあった か一ブライ二層η 前述のムース石英砂岩の上には典型的た場所例え ばスビティ地方では下部石炭系の珪質頁岩石英砂 岩石灰岩(リパク層)や中部石炭系フェネステラ頁岩 (ポー層)カミ重なりさらにその上に淘汰の悪い含礫泥 岩が重なる.この含礫泥岩に含まれる砂粒は形が不規 写真8タンセン・クロール帯の二畳.石炭系含礫泥岩. 則で礫は直径30cmほどにもなる.この地層は古 くからレッサーヒマラヤに分布する上部石炭系のブライ ニ礫層に対比され漂礫岩すなわちゴンドワナ大陸の二 畳一石炭紀の氷河作用の産物として扱われてきた. スビティ地方ではこの地層の下の境界は西に向かっ て次第に下位の地層を深くえぐり不整合的となり場所 によってはオノレドビス系にまで達する.一方上部は 二畳系の石灰岩や黒色プログクタス頁岩によって被われ る.この含礫泥岩はハイヒマラヤ各地の同層準に認. められその結果ひとつの層準を示すよい礫層として またゴンドワナ大陸との関連性を示す証拠として長い間 扱われてきた. しかし今日ではレッサーヒマラヤのブライ二層とい う地層は存在するもののその地質年代と含礫泥岩の成 因についての考え方は大きく変りハイヒマラヤの二畳 一石炭系含礫泥岩はブライ二層に対比されるものではな くなってしまった.けれどもヒマラヤの研究者にと ってブライ二層はあまりにも有名である.それはほ とんどゴンドワナと等しい意味さえ時として持つ.そ こでここでは本来はレッサーヒマラヤの地層ではある. がブライ二層について少し述べておく必要があろう. この地層は初期のヒマラヤ研究者のひとりMEDLI-COTT(1894)によって名付られたもので北西インド・ ヒマチャル州のハリアナ川を典型的発達の地とする. ブライ二層がなぜ有名になったかというひとつの理由 は実はレッサーヒマラヤの堆積岩の大半が化石に乏し く時代を確定する手掛りがほとんどなかったというこ とによる.本来のブライ二層は礫層を主とするもので あるがOLDHAM(1888)はこれを氷河一海成起源とし てインド楯状地の上部石炭系∼下部二畳系の漂礫岩・ タルチール礫層に対比した.そしてこの考えがその・ 後ずっと多くの研究者によって支持されてきた.レッ サーヒマラヤの後に述べるクロール帯のターノレ層やクロ ーノレ層などの多くの地層はブライ二層の上位にある地 層なのでブライ二層の地質年代をもとにそれらの地 質年代を推定しブヲイ二層堆積以後すなわち二畳紀∼ 白亜紀の地層とされてきた.その根拠は全てブライ二 層が出発点であったのである. しかし近年に至りタール層やクローノレ層から三葉虫 やコノドントをはじめ年代決定に必要な化石が新たに発 見されたり今まで年代のよく分らなかった藻類化石 ストロマトライトの研究が進みこれらの地層は先カン ブリア紀末期∼カンブリア紀前期のものであることが明 らかになってきた(AzMIほか,1981;AzMI,1983;BHATT ほか,1983;SINGHとRAI,1983;KUMARほか,1983;RAエ とSINGH,1983).その結果これらの地層より下位に捗 地質ニュース376号
ヒマラヤの海とその消滅(1〕 一41一 κ斤 '''、κ 北極} ■}一 渉 〈・1 κε 一一'、南極 どτ 、石炭紀 、、 ■■ /・一κκ 一牛一.北極一■1祠 ■。 ■一I一一 ≡17ミ■■一k _κんε κ一南極:◎ 糀κん \\一心珍 二畳紀 第6図二畳一石炭紀の氷河痕跡によるゴンドワナ大陸の復元(WEGENER,ユ966よ り) E:氷河痕跡,K:石炭,S:岩塩,G:石膏層,W:砂漠起源の砂岩,影 の部分:乾燥帯.EとKは寒冷気候をS,G,W,乾燥帯は温暖気侯を代 表すると考える. 泥岩が存在することである.それら はゴンドワナ大陸を特徴づけるグロソ プテリス植物化石群を産出する.こ うした堆積物は化石や岩相からゴンド ワナ海進相に当る毛のとされ程度の 差こそあれレッサーヒマラヤのクロー ル帯に沿っても広く見出されている. また前述のハイヒマラヤのものも同 様で結局これらの地層とブライ二層 との混同が問題となる. 二畳一石炭紀のゴンドワナ大陸に内 陸氷河の発達していたことを示す種々 の氷河の痕跡がウェゲナーの大陸漂移 説のひとつの根拠となった話は有名で ある(第6図)。ブライ二層二畳一石炭 紀漂礫岩説はそれに対応してゴンド ワナ大陸の一部であるインド楯状地に 発達した内陸氷河の外側を縁どる氷河 作用の証拠として格好のものであっ た.しかし今ではヒマラヤ地域のブ ライ二層と二畳一石炭系海進層の区別 や両者の特徴である含礫泥岩がはたし て本物の漂礫岩なのかどうかはっきり させる必要があろう1そうでなけれ ばウェゲナー自身が恐れているよう に漂礫岩の乱発は極地方の氷河の影 響力ミヒマラヤヘチベットヘと際限校く 拡カミり終には当時の赤道を越えかね ないのである. るブライ二層は先カンブリア紀のものとなりインド楯 状地のタノレチール礫層には対比できなくなった.ま たその成因も氷河作用によるのではなくタービダ イト起源とする説や浅海堆積作用説が代って出てきた (RUpKE,1968;NIY0GIとBHATTAcHARYA,1971;VAL-DIYA,1970;SING亘とTANGRI,1976;TANGRIとSINGH, ユ982)。 こうした新しい考え方に変ってきた結果従来のヒマ ラヤ地域のブライ二層ξされるものは大幅な再検討カミ 必要となってきた・しかしごく最近の研究でも例 えば中国のチベットにまでブライ二層に対比されるもの がありその結果ゴンドワナ大陸はそこまで及ぶといっ たものがあり混乱はまだ続いている.他の混乱の要 '因は例えばパキスタンのソノレトレーンジやカシミーノレ 地方では中部石炭系またはそれより古い地層の上に不 整合的にタノレチール層に対比される泥質礫層又は含礫 ユ985年12月号 4)7ンモナイトの豊庫スビティ頁岩 ヒマラヤにおけるテチス堆積物はハイヒマラヤに沿 う3∼4地域において古生代∼古第三紀の地層が典型的 に発達している.それらの地域は西から北西インド のザスカーノレ・スビティ地方及びキオカーノレ地方ネパ ール中・西部のムスタン・ジュムラ地方そしてこの地方 の東方に続くハイヒマラヤのチベット側の地方である. これらのテチス堆積物はチベッタン・スラブと呼ばれる ことがある.これはヒマラヤ東部では上記のようにテ チス堆積物がハイヒマラヤのチベット側に広く分布して いることによる.しかしこの言葉はチベット高原に 典型的に発達する地層といラ印象を与えるので良く狂 い.トランスヒマラヤより北側のチベット高原の地質 は中国によって精力的に調べられているとはいえまだ分 らないことが多いのである.テチス堆積物の典型的な 発達はハイヒマラヤを中心とする地域と考えていた方が
一42一 中嶋輝元 無難であろう. 北西インドのザスカール・スビティ地方はそうした ノ・イヒマラヤのテチス堆積物の分布の中心のうちでもよ く研究されてきた地域である.とくにスビティ地方は 世界的にも有名な地域で化石を多産しカンブリア紀 から白亜紀までのほぼ連続的な地層の観察されるところ である・スビティの名をさらに高めたのはジュラ紀 のアンモナイト化石を農産するスビティ頁岩でST0LIc・ ZKA(1865)以来多くの研究者によって調べられてき た.スビティ頁岩は油脂光沢をもつ黒色頁岩で中に種々 の大きさのコンクリーションカミ存在する.このコンク リージョンをハンマーで割ると中にアンモナイト化石カミ 入っている.通常は1個運が良ければ大小5∼6個 のアンモナイトが入っていることもある.現地では 道ばたにアンモナイトを並べて売っているのを良く見か けるが大抵は観光客相手である.しかし小型のア ンモナイト化石は古くから現地の人によって安産など のお守りとしても使われてきたという.稀に黄鉄鉱で 化石の表面が被われた金ピカのアンモナイトも見つか る.スビティ頁岩はムース石英砂岩同様驚くほど連 続性が良くヒマラヤ全域に渡っている.ヒマラヤで 写真g スビティ頁岩のアンモナイト化石とコンクリージョン. アンモナイト化石が沢山出たらこのスビティ頁岩だと思 って間違いないだろう. 5)ヒマラヤ最後の海 古生代∼中生代までインド大陸の北縁に存在してテ イ○シムラ .∴サ∴ デリー ヤム ナ川 ジサトレー .ニブ1.ク 外ンかレトク タ ケタ)レナニトA 公ム ノ\イ ナンダ・テウソ 川カイラス ヒ▲ ロマ。\レムァピ 講ツサ㌻ぐ怜 ・..デア脱ラビ I中..ま仁タ、ルマ ○フ.グンテルデューラ ・'イウ・ ガ・一iλ・ク…. う、iインド平原 △ カ㌻ヤ』、■リ ラ〰 ヤ 止mツァ ン▲カンジロハ ジャジャルコート クロ .禦、∼帯 ボ_、 川ムスタン グウラギり ムアンナフり叶 ○ ポカラ ピウタン ン場 ブトワール 第7図レッサーヒマラヤ南部のクロール帯の分布. 地質ニュース376号
ヒマラヤの海とその消滅(1) 一43一 南グ日第㍗デ㌧榔 壕翻1蠕満艦 ブライ二層 インワラクロ→レ層 ギリ スラスト 久シムラ粘板岩 ナガート層、チャンドプル層 3㎞: ・SSW 乎ナガート層 てチャンドプル層。一 下普 石灰山 百 洲 .3㎞スバツ層チャンドフつレ層 第8図シムラ・クロール帯の地質断面(GANss服,196逸より). チス海の一部をなしていたヒマラヤの海は新生代に入 ると始新世の海成層の堆積を最後としてこの世から姿 を消す.この間ヒマラヤの一部(とくに南部)におい ては海の一部が一時的に陸となったこともあったが )例えばヒマラヤ南部ではオルドビス紀初期石炭紀二畳 紀ジュラ紀白亜紀に]都カミ陸化した)全体として海の 時代は始新世までほぼ連続的に続いた. テチス堆積物の新生代の地層はその層位的位置の高 いこともあって現在の分布はかなり限られている、 主にノ・イヒマラヤ東部のチベット側に分布しており近 年になって少しづつその概要カ湖らかになってきた. その他の地域ではレッサーヒマラヤ南縁のクロール帯 やソルトレーンジなどに新生代の海成層の分布が知られ る.ハイヒマラヤ東部のものについてはエベレスト北側 における研究から新生代の地層は下位の白亜紀層上に整 合に重なる宗浦層と遮音惹層の2層が知られている. 前者は石灰岩を主とし後者は頁岩と石灰岩を主とする 地層である、両層ともにMηz伽Z肋5,0フ切。肋5を はじめとする有孔虫や巻貝二枚貝などの化石を多産 しその地質時代は新生代最初の暁新世Danian階か ら始新世中期のLutetian階までほぼ連続している. この地域におけるテチス海の堆積は恐らくLutetian階 の後に終了したものと推定される・ レッサーヒマラヤのクロール帯はヒマラヤの中でも 特異な構造帯で断続的ではあるが始新世の海成層がし 1985年12月号 ばしばその中に分布する.始新世より古い中・古生代 の地層もこの帯の中に存在するが全体としてハイヒマ ラヤのように連続的なものやはない.例えば北西イ ンドのシムラのクローノレ帯ではその南の端に沿って中 期始新世の海成層(スパッ層)が分布するがこの地層 が不整合に重なる下位のシムラ粘板岩の地質時代は先カ ンブリア紀である.両者の間の時間のギャップは非常 に大きい.けれどもそのすぐ北側にはカンブリア系∼一 上部先カンブリア系のタール層クローノレ層インフラ ・クローノレ層ブライ二層などカミ分布しており始新世 からこれらの地層の年代への時間差は次第に小さくなる (第8図).恐らく始新世スバツ層基底の不整合による 削剥あるいは始新世以前の地層の無堆積は北から南に 向かって大きくなっているのであろう. このような傾向はシムラの西側からソルトレーンジ までまだ東側の中・西部ネパーノレまでほぼ同様であ る.ソルトレーンジでは先カンブリア紀末期∼始新世 まで海成層が続くが二畳紀後期ジュラ紀暁新世の 各時期の地層の基底に不整合があり堆積は不連続であ る.中・西部ネパーノレとくに中部ネバーノレ・タンセン付 近のクローノレ帯では上部先カンブリア∼カンブリア 系二畳一石炭系上部ジュラ∼下部白亜系始新統 中新統などの地層がみられここでも堆積ほかなり断続 的である.しかも後期ジュラ紀以降は陸成層の堆 積も混じる(SAKA1.1983).中部ネパール・クロール
一44一 中嶋輝元 B北西インド ジャム C北西インド シムラ・クロール帯』」し二`一.ラサ一.■.,,下部シワリク層∵・'=下部シワリク層一一一一= 漉。カトマンズMCT砂渚・泥岩下⊥ ㌧r一=.砂岩・泥岩 テ■トさ⊥ンド■・くD…川・⊥=一十・一一■\一二二壁一__砂1 '』.一.』'.==・7..、。 Aソルトレーンジ西部 スルガーレ山脈≒、一 一'・'一,.一.■.一二、一一、'一= H錺向㍉ 筆÷・二。。下部シワ/ク層・脚尼岩 デ■.』1.十`■』H〒・'÷■二.一 幸口当くHムリー層カサウリ層十ダクシャイ層'一r一.,一 1一.'.}≒…主;1(一ム/一層)ド 亡^''。■・^一・「`・i一一1,■一“、■r7一.紫色砂渚赤色砂掛泥岩砂, .集豪一.一≒'一、].干^一一.㌻=≒=1一一'rI`'.■.7'7'■一 .一.一一 ,r柱`.一F 筝 千三1一'1一二■一.F.一一一一一一`一一一一一 '・.一.」不整合 一一一一`一スバツ層一一一一■一一■・一`.一■.号リー一^一 串石灰石、頁石一__一一スハソ層一一一■バ一`一一一■一■一一一.・■一'一■一 華一一一・■・i一■■■一一一■一■一一一一■`一一一一 転ざ鋒承一…壷呈頁岩、砂岩、石灰岩一''一``一一(____一件期嫌制 痘二}一一一'■■←・=・■・}三 寒i■一1一.一一■一■1■一 一一`■一一一一一・■・一一'一一一・一■(二畳一石炭紀).“■F」・ジャム石灰岩,:君需黎一■■1ア 卓舜一一一一一■一一一■''一一1■一■一■一]一』一一一`一■≒一].r''一 泰遇H'■」1一⊥.一■■一一■.一・`■一.白色ドロマイト質石灰岩1一一..一一一'■■一一一一一`一一二一一一■」'一 蓄籔韮≡≡=三…:≡11先カノフリア紀∼カノフリア紀㎜1'H・一七戸.=].÷H'…1二'一'ニニ夕粘板岩一…一三三シムラ粘板岩 ㍉≒{一、一.一■■■■一.`一1 鴉圏寮11-1-1一一`{千 佃1卜,H:鳥L■・一一円一・.・与'L'={■ 炉黒禅F・二.1、≒十.r、..■・.■一一一一■・一一`一一■一一(_一一`一一一一■一一一一一`一・■'・ジニ D中部ネパール タシセン・クロール帯 下部シワリク層 砂岩・泥岩 断層 ドゥムリ層 砂岩・赤色一緑色頁岩 バインズカティ層、頁岩・石灰岩 (中期始縦) アミレ層、砂岩・頁岩・石灰岩 ユ 止m夕,レトウング層、泥質砂岩・頁岩 f後期ジュラ紀∼前規白亜紀) ;/スネ層、泥岩 (二畳一石炭紀〕 第9図ソルトレーンジおよびクトル帯の新生界の対比図.FATM1(1973),WAD1A(196!),GANssER(1964),SAKA1(1983) より作成. 帯の海成層の堆積は古第三紀まで続き最終的には中期 始新統の堆積をもって終る.その上位に重なる前期中 新世のドゥムレ層は陸成層で場所によって木材の化石を 多産する.ドゥムレ層以後は海成層は2度と出現する ことがない.すなわち中部ネパール南部では中期始新 世と前期中新世の間に堆積環境の大きな変化がある. 始新世の海成層がその上で陸成層に変る関係はクロ ール帯に沿って中部ネパールから西方ヘソノレトレー ンジまで観察される(第g図).シムラ・クロール帯で は始新世の海成層の上に中新世前・中期のカサウリ 層十ダクシャイ層(:ムリー層)が重なる.この地層 はすでに述べたように汽水成∼河成層でタンセン・ク ローノレ帯のドゥムリ層と同様に植物化石や脊椎動物化石 を産する・つまりここでもこの時期にはテチス海は 存在しないのである。ソルトレーンジでもこの関係は 同じで始新世前期の海成層チョル・ガリ層(ラキ層) の上にムリー層が重なる. このようにムリー層はタンセン・クロール帯のドゥ ムリ層とともに前期中新世にはヒマラヤ地域が陸であっ たことを告げる重要な地層である.それは暗赤色∼紫 色の粘土岩・シルト岩と暗赤色∼褐色の砂岩によって特 徴づけられ上部になると下部シワリク層によく似てく る.ムリー層の上に下部シワリク層が整合に重柱り 以後陸の時代が続く様子は既に述べた.ムリー層(ド ゥムレ層)と下位の始新世の地層の間こそヒマラヤの 海と陸を分かつ大きな境であったのである. この項の最後としてもう一度ヒマラヤの海を概観し てみよう・ヒマラヤの海は全体として浅海であった. それはハイヒマラヤでは先カンブリア紀末期から始新 世までほぼ連続する堆積物を形成した.レッサーヒマ ラヤの南の縁では堆積作用は断続的となる.もっと 南のインド楯状地では古生代∴新生代の海成層はほと んどない.こうした堆積物の大局的な変化からヒマ ラヤの海はレッサーヒマラヤとインド楯状地の間多分 レッサーヒマラヤの少し南で終っていたということす なわちそこに海岸線があったということが推定される. そしてもうひとつの重要な事実はヒマラヤ全域を 通じて海成層の堆積は始新世中期まで続きそれ以後 の地層には海の影響が見られなくなってしまうことであ る。つまりヒマラヤの海は始新世をもって正しく消滅 地質ニュ」ス376号
ヒマラヤの海とその消滅11〕 一45 したのであった. 5。もうひとつの海へ 前項で述べてきたようにヒマラヤの海はインド大陸 の北を縁どる陸棚のような浅い海が主であった.それ ではヒマラヤの海には深い海の堆積物がなかったので あろうか.実はそうではない.現在の分布面積こそ ノJ・さいがハイヒマラヤの北側一インダス川やツァンポー 川に沿ってフリッシュの特徴をもつ深い海の堆積物カミ ある・これらの地層は海洋地殻の上に直接堆積した ものあるいは島弧の火山活動と関係のあるものなど 現在の大洋によく似た性質を示し浅いヒマラヤの海の 北側には広い大洋の存在したことを示唆している.次 .回はこうした大洋の存在とその消滅新しい大洋の誕生 などを中心に話を進めよう. 文南夫 一AzMI,R.J.(1983)MicrofaunaandageoftheLowerTa1楴畳楮攬桷 Hima1aya,India.H伽αZαツ卿G60Z.,Vo.11,p.373-刮 倮 獣敲晴摯癩捩慮湯摯 theMussoorieTa1phosphorite:Itssigni丘。anceinthe corre1ationoftheLesserHima1aya.肋:A.K.SINHA (Editor),Co〃6刎力。閉ηG60∫6如〃ψ北R6∫ω=畑ん6∫加 H伽αZαツα,Vo1・1,Dehradun,India,p.245-250 1BHATT,D.K.,MAMGAIN,V.D。,MIsRA,R.S.and SR工vAsTAvA,J.P.(1983)Shellymicrofoss量1sofTo一 ㎜motianage(LowerCambrian)fromChert_Phosp-物晌敲慴楯測潴愬 DehradunDistrict,UttarPradesh.Gω幼ヅ。Zogγ,V01㈳ :中国科学院西蔵科学考察隊(!974)珠穆朗璃峰地区科学考察報 告(1966-1968),地質,科学出版社,北京,299p.呍楴牡瑩杲慰瑳潦慴 potwarprovince,IndusBasin,Pakistan,M6〃.GθoZ. 814㈹.Pα肱¢舳,Vo1.ユ0,p.1-80. CANss服,A.(1964)GεoZo9ツげ砺召H伽αZαツα8.John 坩礦卯瑤潮摯測㈸ 一KUMAR,G.,RAINA,B.K.,BHATT,D.K.andJANPANGI,㌩敲楡潤慣敦 fromtheTa1FormationGaエhwa1Synform,Uttar Pradesh,India.ブ。〃'.PαZ.806.∫η励α,Vo1.28,p. ユ06-1ユ1. 敧楣捴 エelationofthesouthernportionoftheHimalayan rangesbetweentheエiversGangesandRavee.Mε刎. GωZ.8〃m.肋あα,Vol.3,p.1-212.丬央倮慮丬 (1973)StratigraphyoftheMountJo1㎜oLmgma regioninsouthemTibet,China.86{.8加加α,Vo1. 乁吮㈩摩浥慮極 pectingoftheSiwa1iksinWestemNepa1.肋〃.GωZ. 8μm.∫ψ伽,Vol.33,p.593-610. 中嶋輝元(1984)中国揚子プラットフォームの地質.地質ニュ ース,No.359,p.42-56.慮摂 潴 楮楢牢晴敲業 H加αZαツ〃zGωZ.,VoL1,p,111-122.刮周略晣慴楯湯晴 牴楡特摩浥瑩潮晴卩浬 regiono壬theLowerHimalayas.R66.GθoZ.3〃η. 1〃必α,Vol.21,p.130-143, 慮㌩獣敲晴物汯 業潮楮捥 tion,Mussooriearea,India.∫o〃.PαZ.8oo.∫〃荻α, 噯RUPKE,J.(ユ968)NoteontheB1ainiBou1derBedofTehri Garhwa1,Ku㎜aonHima正ayas.J「ωブ.G60Z.806.加励α, 噯㌱㌳ 十㌩晴異潦 LesserHimalayainNepal.M6伽.亙α6.86ゴ、K〃5肋 σ加η.,ser.D,Geol.,Vo1.25,p.27-74. 卉剉卯浥潢慴楯 onthesedi皿ento1ogyoftheB王ainiFormation,Hima-chalPradeshandU.P.Hi皿a1ayas.〃06,125挽A舳. C8Zピろブ.G.8.1,3ツ刎力05加伽,Lucknow,(Preprint). 卉捴楮漱汳捥楯測楡温版業㌩慮楯来周牢楯牡瑩杲慰楡渭 andpalaeonto1ogica1signi丘。ance.■o〃プ.PαZ.806.楡噯 協丬汯潦楴獲敧楯 frame.ブ。〃.gωZ.806,Lo〃ゐ刀,Vol.137,p.1-34. 協が捺慮浯楮潭坡物摧汯捴楯慣效剩癥 卵瑯卵湧摯潮畳慮慣敦瑩潮瑩慣慮瑯癩潮 ofa11knownfossi1sfromthatdistrict.M6〃.gωZ. 8〃。.エ〃あα,Vo1.5,p.1-154. TANGRI,A.K.andSING亘,I.B.(1982)Palaeoenvironment ofBlainiFormation,LesserHimalaya.ノ。鮒.PαZ. 3oo.∫刀必α,Vol.27,p.35-48.卩浬慓慴偲散楡 丑yschofthe1esserHimalaya,itsturbidites,sedimen-tarystructuresandpa1aeocurrents.1≡…〃ZZ.G601.'∫06. A舳6ブ加α,Vo1.81,p.ゑ51-468. WAD1A,D.N.(1961)GωZo馴〆1η伽.Macmi11an&Co瑤潮摯測 WEGENER,A.(1966)丁加。プ鋤z〆ω〃伽例む伽306-6αη8.DoverPublications,Inc.,246p. 1985年12月号