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岡山大学構内遺跡発掘調査報告 第20冊
一・ 謔Q6次調査一一
(事務局本部棟新営)
20⑪5年
岡山大学埋蔵文化財調査研究センター
序
本報告書は、岡山大学津島地区事務局本部棟新営に伴って2001(平成13)年に実 施した津島岡大遺跡第26次発掘調査の成果をまとめたものである。
旧事務局本部の建物は、1907(明治40)年に創設された旧陸軍第7師団の司令 部、歩兵第33旅団司令部あるいは岡山連隊区司令部等として、津島周辺に展開して いた旧陸軍の常に中心的な施設であった。1949(昭和24)年の岡山大学開学以降に おいても本学の事務局棟として重要な役割を担ってきたのであるが、建築後1世紀 近くを経て木造2階建て建物の老朽化は進み、防災等に対する備えの必要もあって 新しい事務局棟建設の機運が急速に高まることとなった。
さいわい2000(平成12)年度に新事務局棟の新営計画が具体化し、コの字形に配 された旧棟の中庭部分において本書報告にかかわる事前発掘調査が開始されるに 至った。その後、新しい事務局棟の建設過程において、旧事務局棟が文化庁の近代 遺跡調査対象でもあった経緯を踏まえて保存する方策が検討され、正面玄関を中心 とした一・部が新棟の南西側に移されることになった。外壁はモルタルから本来の板 壁に戻して歴史的な外観が一部復元され、現在、内部はリエゾンオフィスや知的財 産本部等に活用されている。明治以来の建物は、本学の将来を支える重要な施設と
して新たな歴史を刻みはじめたわけである。
新事務局棟建設地での発掘調査では、東西にのびる明治期の水路が発見され、条 里の地割に沿った潅概・排水施設であることが明らかになった。旧陸軍用地のため に土盛りがなされる直前までは豊かな水田が一帯にひろがっていたことをあらため て示すとともに、水路、水門、水田の関係がいっそう具体的な姿で把握された。近 世・近代の地層より下位では、津島地区で最古段階となる縄文時代中期の遺構・遺 物を発見したことや弥生時代早期の貯蔵穴を確認したことなども成果であった。今 回発見の遺構・遺物は本調査地のすぐ北側で行った五十周年記念館建設地発掘の調 査成果と関連する面が多いので、すでに刊行を終えているその報告書もあわせて参 照いただければ幸いである。
いつものことではあるが、発掘調査の実施にあたっては、本学内外の機関・各位 から種々ご協力とご支援をたまわった。末筆ながら本書の刊行にあたり、あらため て厚く御礼申しあげる次第である。
岡山大学埋蔵文化財調査研究センター
センター長(理事・事務局長) 阿部健
副センター長(文化科学研究科教授)稲田孝司
目
次
第1章地理的・歴史的環境………・・…・………・…・……・………・…・……・………・・…・…………
第1節 近隣の遺跡………・・…・…・………・……・…・・………・・………・………◆………・・…・…
第2節 津島岡大遺跡・…………・………・・………・………・
1.構内座標の設定……・………・………・……・……・……・…・・………・………
2.遺跡の概要・………・・……・…・………・・………◆…・………・……・…・……… …°…
1 1 3 3 3
第2章調査経過と概要…………・………・………・・…………・・……・……・………・…・・…・………・……・・7
第1節 調査に至る経緯と経過・…………・……・…………・・……・…・…・…………・………・………・・………7
1.調査に至る経緯………・…………・…・…・………・・…・・…・………・…・・………7
2。調査経過・………・………・…・……・………・…・………・………・…………・……・・……7
3.調査および報告書作成の体制・・………・…………・…・…・・……・…………・………・・…・8
第2節 調査の概要…………・・……・・……・…………・…………・・……・………・……・…・・………・………・…9
a 縄文時代………・・………・………・………・・………・・…・…………・……・・9
b 弥生時代…・………・……・・………・………・………・………・……・………・・…・9
c 古墳時代後期〜中世……・・…………・・………・………・…・・………・………・・…・……11
d 近世・近代…………・…・…・………・・…・……・…・………・………・・………・………11
第3章調査の成果………・………・………・…・…………・…・・………・…・……・…………・・………13
第1節 調査区の位置と区割り………・・…◆………・・………・・…………・……・…・・………・………13
1.調査区の位置…………・……・・………・・…・・………・…・………・………・・…………・…・…・13
2.調査区の区割り……・……・…・…・……・………・………・・…・…・…・…………・………・・………・14
第2節 層序と地形………・・………・………・…・・……・…・………・・………・…・…14
1.層序………・・……・・………・・…………・……・・…・・………・…………14
2.地形の推移・…・………◆………・…・……・……・…………・・………・………・…・…19
第3節 縄文時代の遺構・遺物・………・………・・……・…………・………・・…・………20
1◆縄文時代中期・…・………・・…・………・………・・………・…・………・……・22
a 土坑……・・…………・…・………・……・…・……・………・・………・………・………22
2.縄文時代後期…………・…………・………・・……・…………・…・…・…………・……・…・………・25
a 炉1と周辺遺構i………・……・………・・…・…・・………・…・………・……・………・25
b 溝1と周辺遺構………・・……・…………・・……・・…………・………・………・・……・………28
c 谷1・2と出土遺物・……・…………・……・………・…・…・……・………・……31
第4節 弥生時代の遺構・遺物・………・………・……・……・……・・………・…・………33
1◆弥生時代早期…………・…・…・………・…・………・…・………・・………・………・・33
a 貯蔵穴状遺構………・……・・…・…・…………・………・・…・・……・…………◆………34
2.弥生時代前期・・………・……・………・…・………・…・・…………・・……・38
a 土坑………・………・………・・………・………・…・……・………・………・………・・……39
3◆弥生時代後期……・……・……・……・・…………・………・・…・…・・………・・…………・……・48
a 溝 ・・・・・・・・・・・・・・・… ◆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 。・・… ◆・・・・・… ◆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 48
b 土坑…・……・………・………・…・……・・………・・………・・…………・……51
4.包含層出土遺物………◆………・・…・…・…………・……・………・…・…・…・…………・………53
第5節 古墳時代後期〜中世の遺構・遺物・………・………・・…・………・………57
第6節 第7節 a b C d e 柵列・…………・……・……・………・…・・……・…………・…………・・……・………・…・……・……58
柵列状遺構………・………・…・・………・・…・………・・………60
溝………・・…一…………・…………・……・・…………・………・……・・…・……60
畦畔・………・………・………・・………・・…………・……・……・……・……・………・…・……・……63
包含層出土遺物………・………・・…・……・………・・……・………・…………63
近世・近代の遺構・遺物…………・・……・…・…………・…・………・・…・……65
a溝・………・………・・…・………・…・・………・・………・…・……66
b 土坑・・………・………・・…・………・・…・……・・…………・………・………・・……73
包含層出土の石器・金属器・……・…………・…・………・………・…77
第4章考察………・………・…・・………・・…・………・…………・・……・……・………・…・・………79
古墳時代後期から中世における遺構群の変遷………・・…・……・…………・・………・…・……・…………79
第5章自然科学的分析…・…・…………・・………・………・・………・・…・………・・………・…・……・87
津島岡大遺跡第26次調査出土木材の樹種…・…………・…・……・………・…・…………・・……・能城修一…87 第6章結語………・………◆……・………・・…・…………・……・・…………・……・・………92
写真図版・…・………・……・………・…・………・・………・◆・………・…・………・・…93
挿図目次
第1章 地理的・歴史的環境
図1 周辺遺跡分布図…………・・……・………2 図2 津島岡大遺跡構内座標と各調査地点………4
第2章 調査経過と概要
図3 調査風景・…………・……・……・…………・・…8 図4 検出遺構全体図………10第3章調査の成果
〈第1節 調査区の位置と区割り〉 図5 調査区の位置・…・………・………13図6 調査区区割り・土層断面位置………14
〈第2節 層序と地形〉 図7 調査区土層断面1・・………・…………15
図8 調査区土層断面2……・…………・・…………16
〈第3節 縄文時代の遺構・遺物〉 図9 縄文時代遺構の調査風景…・・………・…20
図10 縄文時代検出遺構1全体図………・……一・…21 図11縄文時代遺構検出状況1………・……・…・…22
図12 土坑1・2………・…・・………・………・・23
図13 土坑1・2出土遺物・………・…・………24
図14 炉1・焼土遺構1・土坑3……・……・……・26
図15土坑4〜7…・…・…………・………・……・…・28
図16 縄文時代遺構i検出状況2………・・…・…29
図17 焼土遺構2・土坑8…・………・……・………29
図18 焼土遺構3………・・…・………30
図1g 溝1・…・………・…・・………・………30
図20谷1出土遺物…・・………・………31
図21谷2出土遺物…………・…・…・・…・………・…32
〈第4節 弥生時代の遺構・遺物〉 図22 弥生時代早期検出遺構全体図………33
図23 貯蔵穴1…・………・……・……・……・……・…34
図24 貯蔵穴2…・………・・……◆………・…・…35
図25 貯蔵穴3…・………・……・………・・………・…36
図26 貯蔵穴3出土遺物………・…・……・…………36
図27貯蔵穴4・・………・………37
図28 弥生時代前期検出遺構全体図………38
図29土坑9…・・………・…………・……・・……39
図30 土坑10………・・……・…・・………・………40
図31 土坑11………・………・………・41
図32土坑12・………・……・………43
図33 土坑13・………・・……・…………・……・44
図34 土坑14………・・……・…・………・・……45
図35 土坑15完掘状況……・…………・・………46
図36土坑15………・…・・………一・・……47
図37土坑16……・…………・◆………・・……・48
図38 弥生時代後期検出遺構全体図………49
図39 溝2〜5………・・…・…………・……・・…50
図40 溝5出土遺物……・…………・・………51
図41土坑17………・………・…−51
図42土坑18・………・…・…52
図43 土坑19………・…・…・…・…………・一…52 図44 弥生時代包含層(15〜10層) 出土遺物1 土器1・………・………・………54
図45 弥生時代包含層(15〜10層) 出土遺物2 土器2・…………・……・………55
図46 弥生時代包含層(15〜10層)出土遺物3 石器…・・………・………・…・……・………56
〈第5節 古墳時代後期〜中世の遺構・遺物〉 図47 古墳時代後期〜中世検出遺構全体図………57
図48 鋤溝検出状況……・……・……・………58
図49 古墳時代後期〜中世検出遺構平面図1……59
図50 柱穴内出土遺物………・…・……・………59
図51 柵列d…・・………・…………・…・…・……60
図52 柵列状遺構・・………・………・…・……・…60
図53 古墳時代後期〜中世検出遺構平面図2……61
図54 溝6〜9・・………・………・・…・…62
図55 溝二9出土遺物……・………・…・………62
図56 溝10…・…………・・……・…・………・…………63
図57 畦畔の土層………・…・………・63 図58 古墳時代後期〜中世包含層(9〜4層)
出±遺物………・・………・・………・………・…64
〈第6節 近世・近代の遺構・遺物〉
図59 近世・近代検出遺構全体図……・……・……・65 図60 溝二11〜14………◆◆・…・…………・…・…………67 図61溝11………・………・……・67 図62 水門1………・………・・……・・…………・……68 図63 水門2…・…………一・………・………・・……68 図64 水門3……・・…………・・………・・……70
図65溝11出土遺物1杭……・……一…・………70 図66 溝11出土遺物2 土器・陶磁器・金属器…71
図67 溝14………・・…・……・………・…………・72 図68 溝i15………・・………・………・……・…◆…73 図69 近世土坑A類……・・………◆…◆………一…・74 図70 近世土坑B・C類………・……・…・…………75 図71 近世土坑出土遺物……・………◆…・…………76
〈第7節 包含層出土の石器・金属器〉
図72 包含層出土遺物…………・…・…・………78
第4章 考 察
図73 柵列・柵列状遺構・溝状遺構の検出例1 ……… W0 図74 柵列・柵列状遺構・溝状遺構iの検出例2………82
表
目次
表1 津島岡大遺跡文献一覧………・……・…・……6 表2 遺構一一覧表………・・…………・11
図版目次
図版1 図版2 図版3
縄文時代中期土器………・・…・………93 縄文時代後期土器……◆………・…・………94 弥生時代土器1………・…・……・……95
図版4 図版5 図版6
弥生時代土器2……・……・……・…………96 石器…・………・……・………・………・・……97 木器・・………・………・…・・……98
例
1.本書は岡山大学埋蔵文化財調査研究センターが、事務局本部棟新営に伴って実施した津島岡大遺跡第26次調査の発掘 調査報告である。同地点は、岡山県岡山市津島中1丁目1番1号に所在する。津島地区の構i内座標では、遺跡BC 14・15区・BD14・15区に位置する。発掘調査期間は、本体調査区が2001年3月26日〜7月18日まで、共同溝調査区 が2001年8月7日〜9月28日までである。調査面積は、全体で1550m2である。
2.発掘調査及び報告書の作成は、岡山大学埋蔵文化財調査研究センター運営委員会の指導のもとに行われた。委員・幹 事諸氏に感謝申し上げる。
3.本書作成にあたっては、木材の樹種同定を能城修一氏(森林総合研究所)に依頼し、玉稿を頂いた。石器石材の同定 は鈴木茂之氏(岡山大学理学部)によるものである。また、弥生時代の舟形土器については、石川日出志氏(明治大 学)・小林青樹氏(國學院大學栃木短期大学)・設楽博己氏(駒澤大学)、近世遺物については乗岡実氏(岡山市文 化政策課)にご教示頂いた。記して感謝申し上げる。
4.調査時の遺構実測・写真撮影は、忽那敬三・野崎貴博・光本順・横田美香・福井優・片山修が行った。
5.報告書の作成分担については、遺物実測・写真撮影及び一部の遺構浄写を光本が行い、遺物・遺構浄写と遺物拓本を 景山明香が行った。遺物の整理については、井口三智子・片山純子・黒藪美代子の協力を得た。
6.本書の執筆については、第5章自然科学的分析以外は光本が行った。
7.報告書の作成は、2003年度後半は忽那が行ったが、転出によりその後を光本が引き継いだ。編集は、稲田孝司副セン ター長・山本悦世調査研究室長の指導のもと光本が行った。
8.調査の概要は、『岡山大学構内遺跡調査研究年報18』及び『岡山大学埋蔵文化財調査研究センター紀要2001』におい て報告しているが、本書をもって正式報告とする。
9.本書で使用した地形図は、建設省国土地理院発行の1/25,000の地形図「岡山北部」と「岡山南部」(平成6年発行)
を合成したものである。
10.本書で掲載した調査の記録・出土遺物はすべて当センターで保管している。
例
本書で用いる高度値は海抜高であり、方位は国土座標第V座標系(世界測地系)の座標北である。
2.遺物番号は、土器には各項目単位で番号をつけている。石器と木器、金属器には通し番号を付し、石器にはS、木器 にはW、金属器にはMをつけて区別する。
3.遺物に関するデータは、観察表にまとめ、実測図と組み合わせて掲載している。拓本は内外面を掲載する場合は、向 かって左側に外面、右側に内面を置く。片面の場合は外面の拓本を基本とし、内面を掲載する場合は(内)と表記す る。
観察表の表記基準は以下の通りである。
①内外面の色調を併記する場合は、「内面・外面」の順序で表示する。
②胎土は、微砂:砂粒径0.5rnrn未満、細砂:同0.5〜lrnrn未満、粗砂:同1〜2mm未満、細礫:同2rmn以上を 基準とする。
4.遺構は、種類を以下のように略する場合がある。
溝:SD、土坑:SK、貯蔵穴状遺構:SP、焼土遺構:SX 5.写真図版の遺物番号は、本文中の遺物番号に一致する。
近隣の遺跡
第1章 地理的㊧歴史的環境
第1節 近隣の遺跡
津島岡大遺跡ωは、岡山平野の北部、岡山市津島中に所在する。岡山平野は、岡山県の三大河川である高梁 川・旭川・吉井川の堆積作用によって、縄文時代前期以降に徐々に形成されたもので、岡山県下でもっとも広い 面積を誇る。津島岡大遺跡の地形的特徴は、北側の小山塊と東側の大河川に囲まれていることにある。北側に は、半田山・ダイミ山・烏山といった標高150m前後の小山塊が連なる。また東側には、岡山県の三大河川のひ とつである旭川が流れる。岡山県を南流する旭川の氾濫と堆積作用によって、自然堤防と小河川が形成されるこ とになる。この平野部を舞台に、主として縄文時代から現在に至るまでの、自然と人間、そして人間同士の関係 性の歴史が、物質文化の中にのこされている。
縄文時代前期には、朝寝鼻貝塚(2)が津島岡大遺跡の北東に隣接する位置に形成される。その後、縄文時代中期 以降になると、平野部への人間の本格的な進出がなされるようになった。津島岡大遺跡においても、縄文時代中 期中頃の遺構・遺物がみつかっている。近隣では、旭川東岸の百間川沢田遺跡(3)も当該期の遺物がみられる。
縄文時代後期になると、前代に比べて遺跡数は急激に増加する。あわせて、平野部への進出も拡大している。
津島岡大遺跡のほかにも、田益田中(国立岡山病院)遺跡(4)・朝寝鼻貝塚・百間川沢田遺跡(5)などで遺構や遺物 が確認されている。この時期の遺跡は、現状では山塊に近い土地に点在している。
北部九州にもたらされた水稲農耕の技術と思想は、弥生時代早期から前期にかけて、瀬戸内にも波及した。津 島岡大遺跡周辺は、広い範囲で前期の耕作域が形成されており、水田開始期の具体的な様相を知る上で注目され る地域である。水田畦畔は、弥生時代早期にさかのぼる可能性がある津島江道遺跡(6)、前期の津島岡大遺跡、津 島遺跡(7)、北方遺跡(8)、北方地蔵遺跡(9)等で発見されている。
弥生時代前期後半から中期以降、沖積地の拡大に伴い、人びとの平野部における生活領域も広がる。津島岡大 周辺では、津島岡大遺跡や津島遺跡に加えて、南方遺跡(1°)、絵図遺跡(11)、上伊福遺跡(12)等において集落が営ま れ、生活域の南方への拡大を認めることができる。また、旭川東岸の平野部では雄町遺跡( 3)や百間川遺跡群、海 浜部に程近い平野の南部では中期後半以降に鹿田遺跡(14)、後期から天瀬遺跡(15)がみられる。
弥生時代の終わり頃から古墳時代前期にかけて、集落は継続的に営まれ、安定的な生産基盤が形成される一方 で、岡山南部地域は政治的・経済的要衝としての性格が顕在化した時期であるといえる。この時期には津島岡大 周辺において有力な墳墓が相ついで築かれた。津島岡大遺跡の北側の半田山山塊には、都月坂2号墳丘墓( 6)・1 号前方後方墳(/7)、七つ坑墳墓・古墳群q8)、といった首長墓が系列的に形成される。また旭川東岸の竜ノロ山塊に は、13面の三角縁神獣鏡が出土した備前車塚古墳(19>、操山山塊には操山109号墳(2°〉、網浜茶臼山古墳(21>、湊茶臼 山古墳(22)などが築かれる。このように、岡山県南部地域は、前方後円墳・後方墳を中心とする初現期の古墳が濃 密に展開している。
古墳時代前期末から中期になると、旭川西岸におつか(様)古墳(23>、神宮寺山古墳(24)、東岸に金蔵山古墳(25)と いった全長150m前後の有力首長墓や、半田山山塊に一本松古墳(26)が築かれるなど、小地域に有力古墳が点在す る状況がみられる。古墳時代後期には、旭川東岸の操山古墳群(27)や竜ノロ山頂古墳群などの群集墳が山塊に営ま れ、古墳造営の裾野がひろがる。その一方で、唐人塚古墳(28)のような大型の横穴式石室をもつ巨石墳が築かれ
た。
こうした墓制に膨大なエネルギーを投入する時代も、政治情勢の急激な変化の中で変質していく。地方行政を
地理的・歴史的環境
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1津島岡大遺跡
(縄文中期〜近且)
2 田益田中(国立岡山病院)
遺跡(縄文〜近世)
3 白壁奥遣跡(古埴後期)
〈製鉄>
4津高任宅団地内遣跡群 (古墳他)〈製鉄遣跡群を含む>
5佐良他古埴群(古墳後期)
6揺鉢他古塙群(古墳後期)
7奥池古墳群(古墳後期)
8 タイミ山古墳(古墳中期?)
9凄島東3丁目第1地占(弥生 古填)
10宿古墳群(古墳前期 後期)
ll片山古墳(古墳前期)
12 鳥山城跡(戚国)
13七つ斑墳墓 古墳群(弥生〜
古墳)
14 都月坂墳墓 古填群(弥生〜
古墳)
15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34
半田IL|城(戟国)
津島福居遣跡(−古填〜室町)
お塚(様)古墳(古墳中期)
↓」1島東遣跡(縄文〜室町)
朝寝鼻貝塚(縄文前〜後期)
一木松古墳(古墳中期)
不動堂古填 妙見山城跡(載国)
鎌田遺跡(弥生他)
津島新野遺跡(弥生)
津島江道遺跡(縄文〜近肚)
北方長田遺跡(弥生〜近世)
神宮寺山古墳(古墳前期)
青陵古墳(古墳前期)
石井廃寺(奈良?〜室町)
津倉古墳(古墳前期)
妙林寺遣跡(弥生)
上伊福西遺跡 尾針神社南遣
‖亦 (弓ホ生〜平安)
津島遺跡(弥生〜近世)
北方下沼遣跡(弥生〜室町)
35北方横田遣跡(弥生〜室町)
36北方中溝遣跡(弥生〜室町)
37北方地蔵遣跡(弥生〜近世)
38北方薮ノ内遣跡(弥生〜近世)
39北方上沼遺跡他(弥生〜近世)
40上伊福遣跡 伊福定国前遣跡 (弥生〜室町)
41上伊福遺跡(弥生 古墳)
42絵図遺跡(弥生〜平安)
43南方遺跡他(弥生〜近世)
44広瀬遣跡(弥生)
45上伊福(立花)遣跡(弥生〜
室町)
4647散布地
48鹿田(県立岡山病院)遣跡 (平安 〜鎌倉)
49鹿田遺跡(弥生〜近世)
50 岡山城跡(室町〜近旦)
51天1頼遺跡(弥生〜近旦)
52新道遺跡(奈良〜近且)
53二日市遺跡(弥生〜近世)
54竜ノ日川頂古墳群(古墳後 期)
55湯迫古墳群(古墳前期)
56備前車塚古墳(古墳前期)
57唐人塚古墳(古墳後期)
58賞田廃寺(飛亀〜室陶)
59備前国府関連遣跡 60備前国庁跡(奈良〜平安)
61備前国府推定地(南国長)
遣跡(弥生〜鎌倉)
62南古市場遣跡(奈良〜平安)
63 ゴビ1コ〕貴R亦
64バカ(高島小)遺跡(奈良〜
室町)
65中井 南三反田遣跡 古墳群 66
67 68 69
(弥生〜室間)
原尾島遺跡(弥生〜室町)
赤田西遺跡(弥生〜室町)
幡多廃寺(飛鳥〜平安)
70 雄町遣跡(縄文晩期〜
平安)
71乙多見遣跡(弥生)
72赤田東遣跡 関遺跡(弥生〜
室町)
73閉遣跡(弥生)
74原尾島遣跡群(縄文〜近世)
75百間川原尾島遣跡(縄文中期 末〜近世)
76百間川沢田遣跡(縄文中期〜
近世)
77百間川兼基遣跡(弥生〜室町)
78百間川今谷遺跡(弥生〜古墳)
7983操山古埴群(古墳後期)
80 明裡寺城跡(戟国)
81操山219号遺跡(旧石器)
82金蔵山古培(古墳中朗)
84網浜廃寺(飛鳥〜平安)
85操山109号遺跡(古墳前期)
86網浜茶臼山古墳(古埴前期)
87操山103号遣跡(古墳前期)
88湊茶臼山古墳(古墳前期)
図1 周辺遺跡分布図(縮尺1/50,000・1/2,500,000)
津島岡大遺跡
司る国衙や郡衙、官寺が、古代において設置された。津島岡大周辺では津島江道遺跡(29)において、御野郡衙にか かわるものと想定されている倉庫群や建物群が検出されている。旭川東岸では、備前国府推定地にあるハガ(高 島小)遺跡(3°)や、その南側には国府津と推定されている百間川米田(当麻)遺跡(3 )、そして賞田廃寺(32)や幡多廃 寺(33>がみられる。岡山平野南部では、鹿田遺跡において大型建物群をはじめ多くの遺構や遺物が確認されてお
り、藤原摂関家殿下渡領である「鹿田庄」に比定されている。また、条里制が施行された古代においては、津島 周辺においても条里に関連する畦畔や溝などの遺構が、津島岡大遺跡や中溝遺跡34)、南方釜田遺跡(35>で認めら れ、律令的景観を形作っている。
中世になると、大規模な±地の造成によって耕作域が拡大し、集落も再編された。この時期の遺跡としては、
旭川西岸では、鹿田遺跡や二日市遺跡(36)、東岸の百間川遺跡群が知られている。その一方で、半田山城(37)や岡山 城(38)などといった中世山城が築かれ、戦乱の時代を物語る。
近世には、児島湾の干拓によって耕作地が一層拡大し、旭川西岸地域は岡山藩随一の穀倉地帯となった。津島 岡大遺跡においても水田が検出されているが、1907〜1908年には、津島周辺は旧陸軍駐地の屯駐地となった。
第2節 津島岡大遺跡
1.構内座標の設定
岡山大学津島地区構内では、現在、世界測地系による国土座標第V座標系に基づいて、構内座標を独自に設定 している。これは、座標北に軸をあわせたもので、本地区の地割りが南北・東西方向にほぼ合致することと、岡 山市街地にのこる条里制の地割りが正方位となる状況に対応したものである。
この原点から、一辺50mの間隔で、東西・南北方向に方形の区割りを行った。座標軸の名称は原点を基準 に、東西線に関して北から南へAA〜BGライン、南北線について東から西へ00〜48ラインとしている。50rn四 方のそれぞれのグリッド名については、東西・南北方向の軸線の名称を組み合わせた北東隅の交点の名称を用い ている。したがって、原点はAAOOとなり、その他の交点についてもAWO3、 AZO5、……などのように呼称し
ている。
2.遺跡の概要
津島岡大遺跡は、岡山市津島中に所在する岡山大学津島地区構内遺跡の総称である。1982年から2004年まで に、第29次までの発掘調査が、岡山大学埋蔵文化財調査室および同埋蔵文化財調査研究センターによって実施さ れた。遺跡の範囲は、農学部のある構内西北の一部を除けば、構内のほぼ全域にわたると推定される。
これまでの調査で、縄文時代中期から近代に至るまでの複合遺跡としての津島岡大遺跡の様相が明らかとなっ ている。津島岡大遺跡における土地利用の歴史には、北側に山塊、東側に旭川があるという立地条件が大きく影 響している。縄文時代の旧地形は、現在の旭川にあたる大型河川の作用により、自然堤防と小河川が入り組んだ 複雑な地形を呈している。
現在までに確認されている津島岡大遺跡における最初の活動痕跡は、縄文時代中期中頃に認められる。この時 期の遺物や遺構iがみられるのは、第21・27次調査と第26次調査(本調査地点)であるが、まだ当時の具体相につ いては不明確な点も多い。第21次調査では、津島岡大遺跡における縄文時代後期基盤層である黄褐色系の砂質土
よりも下層の砂質土から、当該期の土坑状遺構と土器が確認されている。その一方で、第27次調査では、中期の 遺構面は確認することは困難であったが、縄文時代後期基盤層の掘り下げ時に、当該期の土器の大型片が確認さ れた。本調査地点では、土坑状の遺構と土器が確認されたが、中期のみの遺構面は確認されていない。この時期
地理的・歴史的環境
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※番号は各調査次と一致する。 1
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BM 図2 津島岡大遺跡構内座標と各調査地点(縮尺1/10,000)
の遺構は輪郭が不明瞭であり、遺構面の問題も含め今後の調査研究の継続が必要である。
縄文時代中期末から後期になると、環境理工学部の所在する構内北東部に、集落の中心が営まれたことがわ かってきた(39)。構内北東部は、北側の山塊に近く、山裾のまとまった微高地が形成されており、当時の生活に適
した土地をなしていたものと考えられる。この地点にあたる第17次調査および第15次調査では、当該期の竪穴住 居趾が発見されている。第7・8・11〜14・19・21〜23・26・27次調査地点においても、濃密ではないものの遺 物や炉跡などの遺構が散在しており、集落の周辺域を形成している。
縄文時代から弥生時代への移行にあたっては、一般的に生業の大きな変化が想定されるが、津島岡大遺跡にお ける生業変遷を知る手がかりとして、多数発見されている貯蔵穴を挙げることができる。これまでの調査研究成 果によると、縄文時代後期においては河道内への貯蔵穴の構築が盛行するのに対し、弥生時代早期になるとその 数量が激減することが判明している(4°〉。
こうした貯蔵穴の動向と関連するように、縄文から弥生への転換期における生業のあり方と密接なかかわりが あると推定される「黒色土」と呼称する黒褐色の粘質土が津島岡大遺跡一帯に堆積する。黒色土の上面には、弥 生時代早期の突帯文土器や、弥生時代前期の水田畦畔がみつかっている。津島岡大遺跡一帯には、前期の水田が まとまって広がっており、弥生時代開始期の農耕の実態を解明する上でも重要な地域といえる。その一方で弥生 時代早期から前期における集落は構内において発見されていない。
西からの文化である水田稲作が波及するころ、津島岡大遺跡からは東日本系の土器も出土している(41)。これま で第3次調査において2点が確認されていたが、本調査によって新たな資料が加わることとなった。移行期の文 化戦略を探る上でも重要なデータが蓄積されてきた。
本遺跡における水田経営に変化が認められるのは、弥生時代後期である。この時期になると用水路を伴った水 田が整備される。第10次調査地点においては、微高地上に多数の土坑がつくられており、隣接する中核的集落で
津島岡大遺跡
ある津島遺跡の周縁部の様相として位置づけられている(42)。
古墳時代以降も引き続き水田経営がなされる一方で、第10次調査地点においては、古墳時代後期の鍛冶関連遺 構が発見された。当時の生業形態を追究するためのデータが得られつつある。
古代には、条里関連の遺構を確認している。条里の坪境と推定される東西の大溝が、第1・3・6・7・12次 調査で検出されている。また、この時期の水田も、第3・6・7・8B・12次と本調査地点においてみつかって
いる。
中世になると大規模な土地造成がなされ、わずかに残っていた土地の起伏も解消された。新たに溝や畦畔がつ くられ水田経営がなされていたことが、各調査地点からわかる。以後、1907〜1908年に日本陸軍が駐屯地の設営 のために大規模な造成を行うまで、水田が一面にひろがっていた。
註
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
(6)
(7)
(8)
(9)
(10)
(11)
(12)
(13)
(14)
(15)
(16)
(17)
(18)
(19)
(20)
(21)
(22)
(23)
(24)
(25)
(26)
(27)
津島岡大遺跡での発掘調査は、2004年度までに第29次調査までを実施している。以下、本文中の各調査地点の引用・参考文献は 表1に掲げたとおりである。
富岡直人『朝寝鼻貝塚発掘調査概報』加計学園埋蔵文化財調査室発掘調査報告書2 1998年 二宮治夫『百間川沢田遺跡2 百間川長谷遺跡2』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告59 1985年 柳瀬昭彦編『田益田中(国立岡山病院)遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告141 1999年 平井 勝編『百間川沢田遺跡3』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告84 1993年
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a b C d e
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日本考古学協会静岡大会実行委員会「南方釜田遺跡」『日本における稲作農耕の起源と展開一資料集一』 1988年 内藤善史『絵図遺跡・南方遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告110 1996年
註10e
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b C d
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1986年 1986年 1987年
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1988年
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1988年
地理的・歴史的環境
(28)
(29)
(30)
(31)
(32)
(33)
(34)
(35)
(36)
(37)
(38)
(39)
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(41)
(42)
伊藤 晃「唐人塚古墳」『岡山県史』考古資料 1986年
註6文献b
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小林青樹編『縄文・弥生移行期の東日本系土器』考古学資料集9 1999年 表文献i
表1 津島岡大遺跡文献一覧
調査次 文献 *ただし【】付きのものは概報 発行年 a 1 岡山大学津島北地区小橋法目黒遺跡(AW14区)の発掘調査
i岡山大学構内遺跡発掘調査報告第1集)
1985
b 2 岡山大学津島地区遺跡群の調査H(農学部校内BH13区他) 1986
C 3 津島岡大遺跡3(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第5冊) 1992
d 4 岡山大学構内遺跡調査研究年報4 1987
e 5 津島岡大遺跡4(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第7冊) 1994
f 6・7 津島岡大遺跡6(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第9冊) 1995
9 8 津島岡大遺跡5(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第8冊) 1995
h 9 津島岡大遺跡10(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第14冊) 1998
1 10・12 津島岡大遺跡11(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第16冊) 2003
] 11 津島岡大遺跡7(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第10冊) 1995 k 13 津島岡大遺跡8(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第12冊) 1997 1 14 津島岡大遺跡9(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第13冊) 1996
m
15 津島岡大遺跡14(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第19冊) 2004n 16 岡山大学構内遺跡調査研究年報14 1997
O 17・22 津島岡大遺跡16(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第21冊) 2005
P 18 岡山大学構内遺跡調査研究年報16 2000
q 19・21 津島岡大遺跡12(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第17冊) 2003
r 20 岡山大学構内遺跡調査研究年報16 2000
S 23・24・25 【岡山大学構内遺跡調査研究年報1刀 y岡山大学構内遺跡調査研究年報18】
2000 Q001
t 26 本書 2005
u 27 津島岡大遺跡13(岡山大学構i内遺跡発掘調査報告第18冊) 2003
V 28 【紀要2002】 2003
W
29 紀要2002 2003調査に至る経緯と経過
第2章 調査経過と概要
第1節 調査に至る経緯と経過
1。調査に至る経緯
1982年に実施された第1次調査以降、津島岡大遺跡では2004年に至るまでに29次にわたる調査がなされてき た。その結果、各調査地点で良好な遺構・遺物が確認されていた。
本調査は、事務局庁舎の老朽化に伴う建て替え工事を契機としてするものである。旧事務局庁舎は明治期の陸 軍司令部の建物を改築したもので、平面形は西側に開くコの字形を呈していた。新庁舎は、コの字形の中央部分 に新築されることとなった。また、庁舎本体とあわせて、西側に共同溝が敷設されることとなった。
建設予定地の周囲には、既往の発掘調査地点はなかった。縄文時代後期および弥生時代前期の河道から杭列や 堰が発見された津島岡大遺跡第23次調査地点(文化科学系総合研究棟新築、1999〜2000年度調査)が、比較的近 い位置にある。建設予定地付近で行った、外灯埋設等に伴う立会調査では、建設予定地付近にも弥生時代から縄 文時代の包含層が存在することが想定された。こうした状況を踏まえて、建設予定地近辺におけるより詳細な包 含層の厚さや遺構iの存在について確認する必要性が生じたため、試掘・確認調査を2000年12月21日に実施し、調 査員1名がこれにあたった。1982年にも、近辺に試掘・確認調査を行っていたが、データが古いこともあり今回 新たに試掘を実施した。その結果、縄文時代の基盤層や津島地区一帯にひろがる「黒色土」と呼称する弥生時代 早期から前期の包含層、古代から中・近世、近代に至る包含層を確認した。近世および中世層は洪水砂が堆積し ており、近辺において遺構・遺物が希薄な状況がつづくこと予想された。各包含層において遺構は確認されず、
試掘・確認調査地点は遺構・遺物の希薄な土地であることが判明したいっぽうで、縄文時代および弥生時代の包 含層の存在と、周辺に位置する第23次調査の状況から、建設予定地において各時期の遺構・遺物が発見される可 能性は高いものと判断された。以上のような状況から、本地点において発掘調査を実施することとなった。
調査範囲は、本体工事と共同溝工事部分の2つからなる。調査面積は、全体で1550rn2を測る。工事の都合に より、まず本体部分を調査し、それが終了した後に共同溝部分を調査する計画となった。
調査の方法は、まず重機による表土掘削を行った後に、包含層の発掘調査に入る流れとなる。ただし、近世・
近代の段階については、先の試掘・確認調査において洪水砂が確認されたことにより人的痕跡が少ないことが想 定され、また既往の調査において近代の耕作痕に関するデータの蓄積があった。こうした状況と作業の効率化を 勘案し、本体部分では当該期に関しては調査区壁面と土手による調査を主体としたものにすることとなった。
以上のような経緯を経て、まず本体部分については3月から表土掘削を開始し、調査員4名の体制で調査に臨 むこととなった。また、共同溝部分については、本体調査の終了する8月頃から、調査員2名の体制で開始する 予定となった。
2.調査経過
本体調査区については、2001年3月26日から7月18日まで、共同溝調査区については2001年8月7日から9月 28日の期間で発掘調査を行った。
調査はまず本体調査区において開始した。2001年3月14日から明治時代の旧陸軍駐屯地建設の際に盛られた造 成土について重機による掘削を始めた。その際、先述したように試掘・確認調査によって近代および近世段階の 遺構が希薄であることが想定されたため、調査区周囲に土層観察用の壁をのこしながら、造成土に加えて明治層
調査経過と概要
(2層)と近世層(3層)についても掘削を行った。しかしなが ら、近世・近代層が予想よりも薄かったことから、結果としては中 世層である5層まで掘削が及んでいた。
手掘りによる本格的な調査は、3月26日から開始した。撹乱部分 の除去を行った後に、中世段階の6層上面を精査する過程で、近世 段階の東西溝(溝11)と土坑群を検出した。近世の包含層の堆積状 況や地形については土手を観察しながらの調査となった。溝二11の調 査では4基の水門と約160本の杭列について記録を行った。
近世遺構の調査を継続しながら、調査区東半部を中心に、4月中 旬より中世層の調査へと移行した。8層を除去した段階で、調査区 東半部において柵列状のピット群を検出した。西半部では、中世土 器を一定量含む、南北方向の浅い溝状遺構を検出した。
5月後半には、弥生時代から縄文時代の谷と微高地の調査を開始 した。微高地上において、弥生時代後期の溝群と土坑、弥生時代前 期と考えられる不整形な土坑群を検出した。6月末からは、谷の底 面付近に位置する弥生時代早期の貯蔵穴の調査を行った。貯蔵穴の 調査終了後、谷の最下層の埋土である16層を掘り下げ、縄文時代後 期の土器片少量を検出した。調査区四周の土手の調査を完了させ、
また、基盤層を掘り下げて遺構・遺物が下層にないことを確認した 後に、7月18日に本体部分の調査を終了した。
ぽ
本体調査区谷の調査
地理学講義における調査見学
図3 調査風景
8月6日から一部7日にかけて、共同溝調査区において重機による表土掘削を行った。本体調査区で検出した 東西の近世溝が共同溝の南端部分にのびることが想定され、また近世遺構が豊富にみつかったことを勘案し、表 土掘削は明治時代の耕作土である2層までを除去した。手掘りによる発掘調査は、8月7日から開始した。3層 上面の調査の過程で、近世の東西溝とともに、南北方向の溝も検出した。これらの溝の調査と並行しながら、遺 構が認められない部分については近世層および中世層の掘り下げを行った。8月下旬には、調査区北端付近にお いて、6層上面で東西方向の中世溝を確認した。9月初めからは、弥生時代早期〜前期頃の15層の調査に入っ た。谷部の堆積土を掘り進め、9月半ばに黄褐色の基盤層である17層上面の調査を行った。17層では、焼土が点 在している状況が認められ、炉の存在を想定して慎重に調査を進めた。その結果、炉と焼土遺構、土坑群を検出
した。遺構が複雑に切り合っていたため、それらについて重点的に調査を行った。その過程で、縄文時代中期に さかのぼる大型の土器片を有する土坑状遺構も検出した。最後に矢板際の土手の調査を行って、9月26日に共同 溝調査区の調査を終了した。
なお、本体部分の調査時には、岡山大学における地理学と考古学の講義の一環で遺跡見学がなされた。
3.調査および報告書作成の体制
調査主体
調査担当
調査研究員 〃
〃
ク
岡山大学
岡山大学埋蔵文化財調査研究センター
(調査主任)
学 長 センター長 助 手 ク
〃
〃
河野伊一郎 稲田孝司
横田美香(2001年3月〜9月)
野崎貴博(2001年3月〜9月)
忽那敬三(2001年3月〜7月)
光本 順(2001年3月〜7月)