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佐藤春夫と中国文学(その二) ~ 佐藤春夫『からもの因縁』、増田渉『魯迅の印象』 ~

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Academic year: 2021

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研究者と図書館

 (承前)「だが事の序に支那に関連した自分の 書物をここに思い出して見よう。玉簪花、車塵 集などのような翻訳とも翻案ともつかないもの の外に未刊ながら支那に取材した創作集も星、

女誠扇綺譚などを加えて一巻はあろう。今古奇 観や魯迅の短篇二三種の逐字的な訳文を集めた 木竹集や、また支那童話集、支那文学選、平妖 伝など増田渉君その他の諸君の援助によって辛 うじて出来たものもある。」(佐藤春夫『からも の因縁』、同『支那雑記』大道書房1₉41所収)

 ここで佐藤春夫が述べているように、増田渉 は佐藤の中国小説翻訳(『平妖伝』)の下訳した ことがきっかけで、上海の内山書店店主内山完 造氏に宛てた佐藤からの紹介状をもらって、上 海に到着する。その間の経緯について増田氏は つぎのように述べている。

 「私は学校を出てから(学校にいるときから であったが)しばらく佐藤春夫氏の手伝いをし て中国小説の翻訳などしていたが、しきりに中 国へ行ってみたくなって、千枚ぐらいの長い翻 訳(『平妖伝』)が一段落ついた時、それをしお に上海に行く決心をした。それは昭和五年の暮 れであったが、船の都合などで翌六年三月に上 海についた。最初は一ヶ月ぐらいの旅行のつも りだったし、当時は別に中国の文壇事情につい てあまり注意していたわけではないし、魯迅が 上海にいることなど初めから知っていたのでは ない。ただ、佐藤春夫氏から内山完造氏あての 紹介状をもらっていたので、ある日内山書店を 訪ねたら、ちょうど魯迅が上海にいる、しかも 毎日同書店にあらわれると聞いた。」

 増田氏にとって、魯迅という名が、忘れ得な いものとして氏の頭に沁み込んだのは、大学時 代、恩師塩谷温氏の研究の手伝いで、魯迅の『中 国小説史略』を手引きとして調査研究した時の ことである。この『中国小説史略』の著者、魯 迅はこの方面のすごい学者であるという尊敬の 念が、増田氏の頭に深く植えつけられたのであ る。その尊敬する魯迅に、上海で毎日『中国小 説史略』の指導を受ける僥倖に恵まれるなど、

夢にも思わなかったであろう。最初は増田氏が 毎日内山書店へ、魯迅があらわれる時間を見は

からって出かけていった。魯迅は自分の幼少年 時代の思い出を書いた『朝花夕拾』という本を くれた。増田氏はその本を下宿で読んで行って、

不審な字句や内容の事柄について、翌日同書店 で魯迅から教えてもらっていた。次は『野草』

という散文詩、その次は『中国小説史略』、そ の頃になると、増田氏は魯迅の自宅に直接出か けるようになっていた。魯迅のテーブルに二人 並んで腰掛け、増田氏が小説史の原文を逐字的 に日本語訳し、読みにくいところは教えてもら い、不審なところは徹底的に質問した。約三ヶ 月、小説史の講読に費やした後、その年の暮れ まで、『吶喊』、『彷徨』の二小説集の説明、三 月に上海に着いてから春夏秋冬、増田氏は毎日 魯迅の書斎に通って、一日、三時間くらい魯迅 の個人教授を受けたのである。

 「つまりは支那文学の珍しさに誘われたので あろう。自分のつまらぬ本でも喜んで読んでく れる人があった。嘘かまことか、これによって 支那文学に志を発したという人の言葉も聞い た。これとても決して自分のせいとは自惚れま い。あまりに理由もなく、忘れ果てられていた 支那文学が正常に思い出されたというだけの事 だったのだから。」(佐藤春夫『からもの因縁』)

 増田渉氏も、佐藤氏から中国の文学について 氏の自宅で直接教えを受け、中国文学に志を発 した一人である。そして佐藤氏の翻訳の仕事を 手伝い、その原稿料と佐藤氏の紹介状を持って、

上海に渡航、魯迅に毎日直接教えを受けること になるとは、人と人との縁の不思議を感じずに はいられない。

かげやま たつや(非常勤講師・中国文学)

中国のほんの話(₇₅)

佐藤春夫と中国文学(その二)

~ 佐藤春夫『からもの因縁』、増田渉『魯迅の印象』 ~

蔭山達弥

中国のほんの話

参照

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