複式簿記理論の位相幾何学的考察
(その2
)−AHPと複式簿記の間の同型性−
日大生産工 ○篠原 正明 情報システム研究所 篠原 健
1.はじめに
数学者Arthur Cayley が「複式簿記は2つの完全科学のうちの1
つである」とその理論構造美を称賛したが、そこでのもう1つの 完全科学は「ユークリッド原論の比」である。本論文では、一対 比 較 を 測 定 の 基 礎 と す る T.L.Saaty 博 士 に よ り 発 明 さ れ た
AHP(Analytic Hierarchy Process) と 複 式 簿 記
DBS(Double-entry Bookkeeping System)の間に存在すると思わ れる同型性(isomorphism)あるいは対応関係について考察する。
2.従来研究
Arthur Cayleyが「複式簿記」と「ユークリッドの比」を「この
世に存在する 2 つの完全科学」と称賛したことからも、「複式簿 記」と「比率(AHP)」の間にはもともと少なからぬ因縁が存在し ていたと思われる。以下に関連すると思われる2つの従来研究を 紹介する。
●文献[1] Prof.Ludwig Mochty の「複式簿記とAHPの間の同型 性」に関する研究(2001年)・・・・・・ある期間tの勘定ノード間取引行 列(general ledger matrix)をU(≧0)とし、vt を期末残高(closing
balances)、vt-1を期首残高(opening balances)とするならば、複
式簿記行列理論に従えば、次式が成立する。
vt=vt-1+(U−UT)1 (1) =vt-1+S1 (2) S= U−UT (3)
複式簿記行列Sを(3)式で定義すれば、「Sij=−Sji」が成立してい るので、Sは歪対称行列である。Ludwig Mochtyによれば、逆比
性を仮定した一対比較行列Aにおいては、aij=(aji)-1が成立してい るが、この対数をとれば「log aij=−log aji」あるいは「αij=−α ji(α=log a)」となり、対数一対比較行列log A={log aij}も歪対称と なる。これをもって、「複式簿記とAHPの間の同型性」と主張し ており、これ以上は何も言ってない。ここで、逆比性が成立しな
ければ、log Aは歪対称とならず、同型性は存在しないことになる
点は興味深い(篠原注)。
●文献[2]井尻雄士教授の「アーサー・ケイリーと複式簿記の絶対 的完全性」に関する研究(2005)・・・ケイリーは、「複式簿記は絶対 完全」と言ったのではなく、「ユークリッドの比率理論と同じよう に絶対完全」と言っている・・・と主張し、複式簿記行列と比率行列 と呼ばれる無限次元の正方行列の間の形式上の同型写像に言及し ている。ここで、比率行列は逆比性を満たしており、AHPで用 いる完全整合時の一対比較行列は有理数近似的にユークリッド比 率行列の部分正方行列である点は興味深い(篠原注)。
3.AHPの対数最小2乗(LLS)理論と複式簿記行列理論の
間の同型性
3.1 AHPのLLS理論([3])
[3]の式(13)より、任意の一対比較デザイングラフにおいて、次
式が成立する。
( )
( )
∑
( )∑
∈∈
−
=
i k
k i i
k
ik
ik u u
Α Α
α
R (4)
R=1とし、完全情報と∑uk=0を仮定すれば、(4)式は(5)となる。
Topological Consideration on Double-entry Bookkeeping System
−Part Ⅱ:Isomorphism between AHP and DBS−
Masaaki SHINOHARA and Ken SHINOHARA
i (5) n
k
n
k i
ik = u =nu
∑ ∑
= =
α
1 1
ここで、nui=Uiとすれば、(6)となる。
i n
k
ik U
∑
==
1
α (6)
(6)式を行列表現すれば、(7)式となる。
B1=U (7)
但し、B={αik}、U={Ui}、αik=logaik, ui=log xiである。ここ で、元の一対比較行列A={aik}が逆比性を満足すれば、 B={α
ik}が歪対称行列となることは明らかである。さらに、B=C−CT、
C≧0と分解できることも明らかである。ここで、Cの非零要素は
一対比較値aij≻1 に対応する要素である。
3.2 複式簿記行列理論
勘定ノード間の取引行列T={tij}を定義する。但し、tij(≧0)を借方 勘定iから貸方勘定jへの取引額とする。取引無の要素は 0 とすれ ば、T≧0である。この、取引行列T(文献[1]では、記号Uを使用) を用いて、変動額ベクトルは(T−TT)1で計算できる。K=T
−TTは複式簿記(Spreadsheet)行列などと呼ばれている。ここで、
文献[4]の位相幾何学的考察によれば、以下の等式が成立する。
(T−TT)1=St (8) 3.3 対応関係(同型性)
AHPと複式簿記の間の対応関係を表1に示す。
表1 AHPと複式簿記の間の同型性
AHP 複式簿記 抽象論
項目iのポテンシャルUi
Ui=n u i, u i=log x i
(n:項目数、xi項目iのウエイト)
対数一対比較行列
B=log A= C−CT , C≧0, A={ aij } (aij:項目iのjに対する比率)
U と B の関係 U=B1
勘定iの残高変動f i
複式簿記行列 K= T−TT、T≧0
(tij:借方勘定iから貸方勘定jへの取 引額)
fと K の関係 f=K1
ポテンシャル
歪対称行列
ポテンシャルと歪対称行列の関係
4.同型性の例示
文献[4]の[例題1]の取引を例に取り、複式簿記行列理論に従い、
複式簿記行列Kを計算すると次式を得る。但し、データ値をすべ て10分の1とした。
0 0 1 -1.2 .4 0 0 0 0 -.5
K=T−TT= -1 0 0 .8 0 (9) 1.2 0 -.8 0 0
-.4 .5 0 0 0
0 0 1 0 1.1 0 0 0 0 0
T= 0 0 0 .8 0 (10) 1.2 0 0 0 0
.7 .5 0 0 0
従って、変動分fは(11)式で計算できる。
.2
f=(T−TT)1= -.5
-.2
.4
.1 (11)
(11)式のfは10 倍すれば[4]のfs((5)式)と一致していることがわ かる。 次に、AHPの一対比較デザイングラフを考える。完全情報一対 比較を前提にしているので、(9)式の複式簿記行列Kの非対角零要 素は一対比較行列Aにおいて、aij=1とaji=1という一対比較が行 われるとする。従って、対応する一対比較行列として、(12)式を 考えることが出来る。 1 1 10 .063 2.5 1 1 1 1 0.316 A= 0.1 1 1 6.3 1
15.85 1 0.16 1 1
0.4 3.16 1 1 1
(12)
ここで、aij=10**tijである。底を10の対数を考えれば、K=logA となり、表1の対応関係が成立している(logA={log aij})。 次に、取引行列Tに相当する非負対数一対比較行列C、あるい は、C=logDで関係づけられる、一対比較行列の実部分D、につい て考えよう。ここで、実部分と言ったのは、実数部分の意味では なく、aij=1ではなくかつaij>1となる1より大なる値の一対比 較が行われた部分に対する一対比較行列である。文献[4]の図1の 取引ネットワークに対応させて考えると、以下に示すように、1 より大なる一対比較に対応する。 ② ① 3.16 12.6 5
10 15.85 ⑤ ③ 6.3 ④ 図1 実部分の一対比較デザイングラフ ここで、図1の①→③に10とあるが、これは項目1と項目3を 比較したら、項目1が項目3より10倍すぐれているという一対 比較を意味している(d13=10)。又、前にも述べたが完全情報を前 提としており、枝のない部分は同等でdij=1と考える。 又、①→⑤が12.6(d15=12.6)で、⑤→①が5(d51=5)は、ある測定(取 引)では項目1は項目5より12.6倍すぐれており、別の測定(取引) では項目5は項目1より5倍すぐれているという測定結果を表し ている。すなわち、複式簿記における取引(の追加)は、AHP一対 比較における測定(の追加)に対応している。 以下に、一対比較行列の実部分Dとその対数行列C=logDを示 す。 1 1 10 1 12.6 1 1 1 1 1
D= 1 1 1 6.3 1
15.85 1 1 1 1
5 3.16 1 1 1 (13)
0 0 1 0 1.1 0 0 0 0 0
C=logD= 0 0 0 0.8 0
1.2 0 0 0 0
0.7 0.5 0 0 0 (14)
行列Cは各要素は0以上であり(C≧0)、(10)式の取引行列Tと一 致しており、表1の歪対称行列パートにおいて対応関係が成立し ている。又、行列Dと行列Aは、A=D/DT(aij=dij/dji)により関係付 けられていることも確認できる。行列Cと行列Tが一致している ので、AHPのポテンシャルU と複式簿記の変動分fも以下に示す ように一致する。 f=K1=(T−TT)1=(C−CT)1=B1=U (15)
.2
−0.5 f=U= −0.2 .4
.1 (16)
すなわち、表1のポテンシャルと歪対称行列の関係パート、なら びにポテンシャルパートでも対応関係が成立している。
次に、AHPでの項目ウェイトx={xi}を計算する。Ui=5uiなので、
項目ウェイトのポテンシャルベクトルuと指数版ベクトルx(xi=
10**ui)は(17)と(18)で与えられる。
0.04 −0.1 u= −0.04 0.08
0.02 (17)
1.0965 0.7943 x= 0.912 1.202
1.047 (18) xT1=1と正規化すると、(19)を得る。
0.217 正規化後の 0.157 ウェイトベクトルx≒ 0.182 0.238
0.207 (19)
5.おわりに
AHPの一対比較行列から対数最小2乗法により項目ウェイト
を求める枠組み(対数AHP; Logarithmic AHP)と複式簿記の行 列理論の間に、ある種の対応関係(同型写像)が存在することを示 した(表1)。さらに、具体的な複式簿記の事例に基づき、両者の 対応関係を例示したが、複式簿記における取引tij(>0)の存在が AHPデザイングラフにおける(実質的な、能動的な)一対比較測定
aij(>1)の存在に対応することも例題を通して明らかになった。す
なわち、複式簿記の注目期間において、勘定ノード間で、キャン セルし合うような様々な取引が発生するが、それがAHPのデザイ ングラフでは、2つの項目間の優劣関係が逆転するような複数の 一対比較測定に対応する。又、複式簿記の複式性(property of
double-entry)は、AHPの一対比較での逆比性(reciprocity)に直接 起因することも示した。すなわち、AHPの一対比較において、も し逆比性が成立しない測定対が存在するならば、対応する簿記シ ステムにおいては複式性は成立しないと言える。本研究において は、取引行列あるいは取引ネットワークにおいて、「取引無し」は
「取引額=0の取引存在」として扱い、自己ループを除くすべて の勘定ノード間において何らかの取引が存在するとの前提で複式 簿記システムを考えたので、その対応関係上、一対比較デザイン グラフでも、無枝はaij=1(すなわち、項目iと項目jは同じ重要度)の 一対比較測定と対応する。普通の不完全情報下のデザイングラフ では、無枝はその一対比較測定がなされてないことを意味してい るので、その解釈の差には注意すべきと思う。AHPにおける一対 比較行列の実部分Dが実取引に対応しており、実部分Dでの一対 比較は、各順序対について1回測定と言う意味で完全情報を前提 としており、最初はすべてのaij=1の状態から、 (逆方向測定を含 む)様々な項目間の実質的な一対比較測定(aij>1)が追加されて、実 部分Dが構成される。能動的一対比較からなる実部分Dについて は、完全情報と言っても、対(i,j)についてaij>1 ならば、(i,j)
要素値がaijで、(j,i)要素値は1である。aij>1となる対(i,j)に 関する測定は、これ以上は受け付けないが、aij≺1となる測定結果 は、(j,i)要素に値「1∕aij」として記録する。
不完全情報下の一対比較デザイングラフでの対応関係、重複測 定の扱い方、などについては今後の課題である。
参考文献
[1]Ludwig Mochty: The isomorphism between double-entry accounting and the analytic hierarchy process, Proceedings of ISAHP2001, pp.295-297(2001.8).
[2]井尻雄士:アーサー・ケイリーと複式簿記の絶対的完全性につ いて、東京経大学会誌、250、pp.33-38(2006.3).
[3]Masaaki Shinohara , Keikichi Osawa , and Ken Shinohara : Flow and potential in Logarithmic Least Squares Estimation of AHP , Proceedings of ISAHP 2005, pp.12.1-12.9(2005.7).
[4]篠原正明、篠原健:複式行列簿記システムの位相幾何学的考察 (その 1)−カットセット解析−、平成 20 年度日本大学生産工学部 第 41 回学術講演会・数理情報部会講演論文集(2008.12).