真正パウロ書簡導入部の修辞学的分析
著者 原口 尚彰
雑誌名 東北学院大学キリスト教文化研究所紀要
号 18
ページ 25‑43
発行年 2000‑09‑25
URL http://id.nii.ac.jp/1204/00024326/
真正パウロ害簡導入部の修辞学的分析
原口尚彰
序
真正パウロ書簡の導入部が一定の形式をもっていることは,新約聖書の書簡 文学の研究者やパウロ書簡の漣解者たちが指摘しており, この点について書簡 論的視点から分析がなされて来た!。しかし,近年英語圏の研究者を中心に盛ん に行われている修辞学的批評は,パウロ書簡を分析の対象として採り上げてき たにもかかわらず, その導入部に関してはあまり関心を示して来なかった。修 辞学批評は,パウロ書簡導入部中の書き出し部分を前書き (prescript) として 考察の対象から外し,感謝の祈り(神の賛美,呪いの宣言)の部分を序論(exor・
dium)と分類するに留まり,詳しい考察を行ってこなかったのであったz・本研 究は真正パウロ書簡の導入部に対して修辞学的視点から分析を加えて, この部 分全体が修辞学的批評の興味深い考察対象になりうることを示そうとしてい る。但し,本研究の前半部では,パウロ書簡導入部の修辞学的分析の前提とし て書簡論的分析を行う。
1. 真正パウロ書簡の全般的特色 l) 書簡構造の特色
真正パウロ書簡(ローマ, 1コリント, Ⅲコリント,ガラテヤ, フィリピ, I テサロニケ, フィレモン)は,下記のような共通の書簡構造を示している。
導入部
前書き (定型句) :送信人,受信人,祝鱗
感謝の祈り (神の讃美,呪いの宣言)
本文 結語部
結語
結び(定型句) :挨拶,祝祷
この基本描造は,書簡の長さや内容的な差異とは無関係に認められ,パウロ 書簡の形式上の恒常的な要素と言える (但し, 11コリl 写 3‑11は感謝の祈りで なくてむしろ神の讃美)3.例外をなすのがガラテヤ書の導入部であり,ガラl § 6‑9は感謝の祈りでなく,蹄きの表明と呪いの宣言を内容としている4.他方,パ ウロ書簡の基本構造は第二パウロ書簡や(エフェソ, コロサイ, Iテモテ,Ⅱテ モテ, テトス),公同書簡の一部(Iペトロ, 11ペトロ, IIヨハネ, IⅢヨハネ)
にも影響を与え,初期キリスト教書簡の一つの伝統を形成している。
パウロ書簡の構造はヘレニズム書簡の構造(プラトン『第1‑13書簡』 リ BGU 1. 140;VI. 180;P.Brem. 62;P.Genf. I1. 72;P・Oxy l・ lll ;X 1295; P.
Hamb.I1. 192; P.Mich. 191 ; 281 ; 2798; 4527; 4528)を基礎にしているが,導 入部に祝禰と感謝の祈りがあることとと,結語部に祝祷があることは,一般の ヘレニズム書簡には見られない特色である5.ヘレニズム期のユダヤ教書簡の導 入部には,前書きの定型句の後に,受信人たちのための祈りや(IIマカl : 2‑6), 神の讃美(Ⅱマカ1 : 11 17)が存在するので6,恐らくパウロ普簡の構造はヘレ ニズム・ユダヤ教書簡の形式の影響を受けたのであろう7.
2) コミュニケーション手段としての書簡
ギリシャ・ローマ世界のコニュニケーション手段は,口頭でなされる会話, ま たは,演説であった。この世界においては,文字メディアの一つである書簡は,
著者が名宛人と直接に顔を合わせて行う会話の代用であった(デメトリウス「文 体についてj 223;キケロ「友への手紙」 2.4.1 ; 12.30.1 ; 『アッテイクスヘの手 紙j8.14.1)3・パウロの手紙も同様に距離的な遠隔等の理由で直接訪問が出来な
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いときに,対話の代用としてのコミュニケーション手段として用いられた(Iテ サ2: 1718;ガラ4: 20)。現存のパウロ書簡はキリスト教の宣教者であるパウ ロが,伝道・牧会上の必要から各地の教会に宛てて認めたものである。従って,
パウロ書簡は単なる個人的な手紙ではなく,公的な性格を併せ持っている9。
さらに,当時の書簡は口述筆記されるのが通例であり,パウロ書簡もこれに 倣って基本的には口述筆記されたのであり,書簡の末尾に筆記者の名前が記さ れることや(ロマ16: 22),書簡の終わりの方で大切なことについて,パウロが 口述筆記をやめて自ら筆を執ることも (Iコリ16: 21 ;ガラ6: 11), 口述筆記 の習慣の存在を示唆している。パウロ書簡は,パウロが語るように書かれてい る。また, この時代の地中海世界において黙読の習慣はなく,手紙も朗読され るのが通例であり,パウロ書簡もこの例に洩れなかった(Iテサ5: 27; シリ・
バル黙86: 1を参照)'0・パウロ書簡は文字メディアの一つであるといっても,
口頭で語る言葉に非常に近かったのであったn.
3) 典礼的セッティング
パウロ書簡は教会に宛てられており,教会に集まった会衆の前で読み上げら れ,会衆は文字通り,パウロの言葉に耳を傾けた(Iテサ5: 27; シリ・バル黙 86: 1を参照) 12・この典礼的セッティングは,書簡の導入部と結びに祝祷句が用 いられていることと相俟って,読まれるパウロの言葉に説教に準じる権威を与 えたと推定される13。
2. 真正パウロ書簡導入部の書簡論的分析 1) 書き出し(定型句)部分
この部分は送信人,受信人,祝祷から構成される。送信人の筆頭にはパウロ の名前が来るが,パウロの名前が単独で出てくるのはローマ害の書き出しだけ であり(ロマ1 $ 1),他の書簡の場合はすべてパウロの同労者たちの名前が共に 挙げられている (フィレI ; Iテサ1 : 1; フィリ1 : I ; Iコリl : 1 ; 1Iコリl :
l ;ガラl : l)。共同の発信者として挙げられているのは,テモテ(フィレl ; I テサ1 : 1;フィリ l : 1 ; IIコリ 1 : 1)とシルワノ(Ⅲテサl : 1)とソステネ(I コリ l : l)であり,彼らはそれぞれの書簡の執筆時の伝道地においてパウロと 行動を共にしていた伝道者たちの中で最も主だった人たちである(特にI1コリ l : 19を参照)。書簡が共同執筆という形式を採っていることは,書簡が個人的・
家族的な性格と共に,公的な性格を併せ持っていることを示している。 このこ とは,逃亡奴隷のオネシモを主人のフィレモン送り返すにあたって書かれた,
フィレモン書のような個人的性格の強い書簡についても妥当する。 この書簡の 本文が(8‑22)一貫して受信人のフイレモンに二人称単数形(「あなた」)で語 り掛け, フィレモン所有の逃亡奴隷オネシモの処遇についての要請を内容とし ているにも拘わらず,受信人としてフィレモンだけでなく, アフィア, アルキ ポらコロサイ教会の他の指導者や, さらにはフィレモンの家の教会全体を受信 人として挙げており, フィレモン書が家の教会の指導者としてのフィレモンに 宛てられた公開の手紙であることを示している。従って, この書簡も単なる個 人的な手紙ではなく,公的な性格を併せ持っていると言える14.
テモテはパウロの使者として教会に赴く場合があり (Iテサ3: 2,6; フイリ 2: 19; Iコリ4: 17; 16: 1O),その場合に託されたパウロの手紙を届けること もあったと思われるが, このことがどの程度頻繁に行われていたかを知る直接 の資料はなく. はっきりした結論を出すことは出来ない15.
書簡の本文部分において,パウロは一人称複数(「私たち」)で語ることも(例 えば, Iコリ8: 1 3; 15: 12 19; 11コリ1 : 2‑11, 1222; 3: 4‑18; 4: 1 8;
4: 13−5: 24;ガラ2: 15‑21),一人称単数形(「私」)で語ることもある(例え ば, フィレ4‑22; Iテサ5: 27;フイリI 爵 34: 20; 11コリ l : 152: 17; 11 : 1 13: 10;ガラ1 : 102: 14) '6.一人称複数を用いるのは,キリスト者一般を指 す場合と(Iコリ8: 1‑3;ガラ2: 15‑21),パウロとその│司労者であるら宣教者 たちを指す場合がある (Iコリ15: 12‑19; I1コリ1 : 2 11, 1222; 3: 4 18;
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4: 1‑5: 21) 17。
一人称単数形が用いられると,語り手であるパウロ個人の人格が強調される ことになる。パウロが伝道者たちの代表して見解を述べるために一人称単数形 を使用する用例と(フィレ422; Iテサ4: 9 12; 5: 27),使徒としての自分自 身について一人称単数形を使用する自伝的な用例とは区別されなければならな い。彼は使徒としての自己の資格やこれまでの歩みについて語る場合や(フイ
リl : 34 : 20; Iコリ1 : 15‑2: 17; 4: 14‑15; 17: 1‑16; 11コリ l : 15‑2 : 17; 11 : 1 13: 10;ガラl : 10‑2: 14; フィリ3: 2 11 ; Iテサ2: 17‑20), キ リスト者の模範として自己のあり方を示す場合は(Iコリ4 : 16‑17; 16: 10 11 ;ガラ4: 1220; 5: 2 12),多くの場合一人称単数形を使用するのである。
祝禰句「私たちの父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平和とがあな た方にあるように」 (フィレ3; Iテサl : 1; フイリl : 2; Iコリ l : 2; 1Iコリ l : 2;ガラl : 3; ロマl : 7)は,ヘレニズム書簡に用いられる相手の健康や繁 栄を願う定型句E57zp&TTE"(プラトンI第1書簡」 309a; I第2書簡」 310b;
I第3書簡j315a; IIマカ9: 19他)や, XaZpと (BGUVI、 180; P.Brem.62;
P.Genf̲ II. 72;P・Oxyl 111 ;P.OxyX、 1295; P.Hamb. 11. 192; P Mich.
191 ; 281 ; 2798; 4527; 4528; さらに, Iマカ1() : 18,25; 11 : 30,32; 12: 6, 20; 13: 36; 14: 20; 15: 2, 16; 11マカl : 1, 10; 9: 19; 11 : 16,22,27,34;
使15: 23;ヤコl : 1を参照), または, i')'f""E4" (Ⅱマカ1 : l ; 9: 19;P.
Mich. 191 ; 281 ; 2798; 4527; 4528)を代替している18.同様の祝醗句は初期ユ ダヤ教の耆簡にも登場するので(I1マカl : 15;シリ・バル78: 2を参照),パ ウロは初期ユダヤ教の書簡の祝薦句を基礎に, 「主イエス・キリストから」 とい うキリスト論的要素を加えて,自分の書簡導入部の祝禰句としたのであろう】9.
さらに,頌栄を導入部に用いることは,第二パウロ書簡や(エフェl : 2; コロ l : 2; 11テサl : 2; Iテモ1 : 2;Ⅱテモl : 2;テi、 l : 4),公同杏簡の一部(I ペト l : 2; 1Iペト1 : 2;Ⅱヨハl : 3),使徒教父文霄の一部(ポリュ序文;ポ
リュ殉序文), さらには黙示録にも見られる (黙l : 4)。
他方,パウロ書簡はその結びに「キリストの恵みがあ鞍た方と共にあります ように」 (フィレ25; Iテサ5: 28; フイリ4: 20,22; Iゴリ16: 24;ガラ6:
18) という祝繍句を用いているので,祝祷で始まり,祝禰で終わるという構造 になっている。この構造は教会の集会で読まれる書簡に典礼的な荘重な響きを 与えたと推定される(但し, 11コリ13: 13は, 「主イエス・キリストの恵み,神 の愛.聖霊の交わりがあなたがたすべてと共にあるように」 という三項定式を 用いている)。
2) 感謝の祈り (神の讃美)
パウロ書簡の導入部において通常は,発信人,受信人,祝蕪の後に感謝の祈 り (フィレ4‑7; Iテサ1 : 2‑10;フィリl : 3 10; Iコリl : 3‑9; I1コリ l : 3‑11 リ ロマl : 8‑15) または神の讃美(1Iコリ 1 : 3‑11)が続いている(例外を なすのがガラテヤ害の導入部であり,ガラ1 § 69は感謝の祈りでなく,驚きの 表明と呪いの宣言を内容としている)。書簡導入部に祈りが記されることは初期 ユダヤ教書簡にも見られるので(Iマカ1 : 6;シリ ・バル黙78: 3‑7),パウロ 書簡の導入部の感謝の祈りは初期ユダヤ教書簡の伝統をキリスト教化したもの
と考えられる塾0.
父なる神とキリストから恵みと平和が与えられるように願う祝鵡句から,神 に対する感謝の祈りまたは神の讃美に移行することは,文章の上からは大変つ ながりがよい。感謝の対象は,受信人たちの信仰の歩みの上に与えられた神の 恵みであり,本文においてなされる受信人たちへの語り掛けの準備になってい る。感謝の祈りは第二パウロ書簡や(コロl : 3S; IIテサ1 : 3 12; Iテモl : 12 17; IIテモl : 35;テトl : 5‑9),公同書簡に影響を与えている(I1ヨハl : 46)。同様に,神の讃美も第二パウロ書簡や(エフエ1 : 3 14),公同書簡に影 響を与えている(Iペト1 § 312)。これに対して,ヘレニズム書簡の定型により 忠実な形式の初期キリスト教書簡の流れにおいては,祝禰句も感謝の祈りも害
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簡導入部の恒常的要素とはなっていない(使15: 23;ヤコ1 : 1)。 さらに,使 徒教父文書の一部は,祈りの要素を冒頭の挨拶句の中に取り込んでおり,ヘレ ニズム害簡の定型とパウロ書簡の定型を折衷した第三の類型を示している (バ ル序文; イグ・マグ序文; イグ・ トラ序文)。
11コリ1 ; 3‑11における神の讃美は,苦難からの救出の経験を基に神を讃美 している。 この部分は発信者たちが自分たちの身の上を案じる受信者たちに対 して, 自分たちの無事を伝えており,書簡論的視点からすると,ヘレニズム書 簡の個人的・家族的書簡同様に自分の安否を知らせる機能を果たしている21・他 方,苦難からの救出を理由に神を讃美することは,旧約聖書の嘆きの詩編の後 半部に主題の上で類似し,一つの信仰告白となっている (詩3: 59; 22: 23 32; 51 : 17‑21を参照)。公同書簡のIペトロ害の導入部における神の讃美も同 様な性格を持っている(Iペト1 : 3‑12)。第二パウロ書簡のエフェソ害の導入部 における神の讃美は(エフェl : 3 14),信仰告白的な要素がさらに強く,讃美 の詩編に近い(詩111 : 1‑10; 113: 19; 135: 1 21 ; 136: 126; 147: 120;
148: 1‑14;代下2: 10‑11を参照)。新約書簡における神の讃美の部分におい て,ヘレニズム書簡の伝統と, イスラエルの嘆きの詩編と讃美の詩編の文学伝 統が結合している。同様な現象は初期ユダヤ教書簡である1Iマカl : 11 17に
も見られる。
ガラテヤ害の導入部であるガラ1 $ 69は,パウロ書簡導入部としては例外的 に感謝の祈りでなく,驚きの表明と呪いの宣言を内容としている。ヘレニズム 書簡の冒頭においても,相手に対する不満や非難の言葉が述べられることがあ るが, その多くは相手が手紙を書かないことを詰ることに限定されている (P.
CairoZen1.59060; P.Ry1 4.574;P・Mich4、479; P Mert2.80;P.Oxyll3;
1233)22。
3. 真正パウロ書簡導入部の修辞学的分析 1) 真正パウロ書簡と修辞法
パウロ書簡は名宛人である信徒たちに対して一定の影響を及ぼすことを目的 に書かれたものであり,言葉による説得の技術の反省である修辞学の考察対象 になりうる。 ここではパウロ書簡導入部が与える修辞的効果に焦点を絞って考 察してみる。パウロ書簡の挿入部は修辞学的視点からは,演説の最も基本的な 構成要素である序論(7rpooZ"4o"/exordium),叙述(仇力γ叩ぴfr/narratio),証 明(錘ぴTT4r/probatio),結論(も罐入oγog‑/conclusio/peroratio)の中では(アリ ストテレス『弁論術j l414b),序論(7rpooZ"Zo"/exordium) に相当する。
2) 序論の修辞的機能
古典修辞学において序論の機能は本論の提示に先立って聴衆の側に準備を与 えることである(アリストテレス「弁論術j l414b; クウインテイリアヌス『修 辞法網要」4.1.5)。 まず,序論は本論の受容を助けるために聴衆の好意を醸成す る目的でなされる(「弁論術jl415b;修辞法綱要1 4.1.2,5;キケロ『発想法j1.
15.20)23。そのために序論はまず演説者が信頼に値する人間であることを示そう する一方で(「修辞学綱要」4.1.6‑8),論敵の人格の信頼性を攻撃する(『修辞法 網要」4.1.915)24.他方,序論は聞き手を賞賛して,彼らの心を語り手の側に引 きつけようとする(『修辞法網要」4.1.16)。序論を書く際には,聴き手の立場や 傾向を考慮に入れて言葉や題目が選択される (「修辞法網要」 4.1.1720)。さら に,序論は本論で取り上げられる重要な論点に漉意を促して,聴衆に本論につ いての準備を与える(「弁論術」 1415a; 『修辞法網要」4.1 2329,3339; 4.2.47‑
49)。
3) パウロ書簡導入部の修辞的機能
①前書きの修辞的機能
a, パウロ書簡の導入部も,読者たちに対して本文を聞くための一定の方向
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性を与え,本文部分で展開される議論の修辞的効果を高める機能を果たしてい る。 まず,前書きでは,発信人と受信人とを明記することによって,誰から誰 への書簡かということを特定して語り手と聞き手の基本関係を確認してい る25。しかも,パウロは書簡執筆が必要になった修辞的状況に応じて発信人の前 に付ける称号を使い分けて,書簡の修辞的効果を高めようとしている。自己の 宣教者としての権威が問われている場合や(Iコリl : l ;Ⅱコリ1 : 1 ;ガラl : l),未知の教会へ自己を宣教者として紹介する場合(ロマl : 1),パウロは 産兀6droJlor(「使徒」) という称号を使用し, 自己の宣教者としての権威を強調 している(Iコリ 1 : l ; 11コリ1 : l ;ガラI : l;ロマ1 : l)26.他方,神に仕え る奉仕者としての性格を強調する必要があるときは,彼はJo醜ofでo6 Xp"roC (「キリストの僕」) という称号を用いている (フィリ l : 1 ; ロマl : 1)27.フィレモン書は宣教活動によって投獄中という特別な状況の中で書簡が 執筆されたことが重要な意味を持つので,""Lorro5Xj9LoToD (「キリスト の囚人」)という称号を用いている。 これらの称号の使用は語り手であるパウロ の人格の信頼性を示すものであり,修辞学的に言うと語り手のエートスの確立 を目指している。
パウロ書簡の前書きは通例簡潔であるが, ローマ書の書き出しはかなり長い (ロマl : 1‑7a)・パウロはまだ直接会ったことがないローマの教会の人々への 書簡を認めるにあたって,異邦人の使徒である自分の本質を既に書簡の冒頭で 示したいと考えた。伝道に召されている自分の使徒職の核心は, イエス・キリ ストの福音を語ることにあり,福音の核心はキリストがダビデ王の末窟として 生まれ,死からの復活によって神の子とされたことであると,パウロは述べて いる(ロマ1 : 1‑5)。この福音の定義は特にパウロ的なものではなく,パウロは 初代教会の信仰告白伝承を援用しながら,受信人との共通理解を確認している。
この共通理解の基礎の上に,パウロは本文において独自の福音理解である信仰 義認諭を展開する。彼はまず信仰義認論を提題の形で提示し(1 : 16‑17),本文
の前半部分でそれを詳述している (1: 18‑8: 39)。
ガラテヤ書の前書きも例外的に長く,パウロは「使徒パウロ」 という発信人 の記述に, 「人からではなく, また人によらず, イエス・キリストとキリストを 死人の中から甦らせた父なる神による」 という句を付け加え, 自分の使徒職の 起源が人を介したものではなく,直接神から与えられたものであることを強調 している(ガラl: 1)28. このことはパウロの使徒としての召しが神の啓示によ るものであり(1 : 13‑22; さらに, Iコリ9: 1; 15: 8‑12を参照), 自分が説く 律法から自由な福音は,人によらず神に由来するものであることを(ガラ1 : 1112)本文の中で述べる準備となっている。
b. 祝祷句「私たちの父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平和とがあ なた方にあるように」(フィレ3; Iテサl : 1; フィリ1 : 2; Iコリ1 : 2; 11コ リ1 : 2;ガラ1 : 3; ロマ1 : 7)は,受信人たちの幸いを願う定型句であり,彼 らが書簡の言葉に耳を傾けるに際しての好意を醸成する効果がある。他方, こ うした典礼的定型句は礼拝を思わせる荘重な雰囲気を持っており,本文におい て語られる言葉の権威を引き立てている。
ガラテヤ害の祝祷句は例外的に長大である(ガラ1 : 3‑5)。パウロは恵みと平 和を祈願する通常の祝祷(ガラ1 : 3)の後に,神の意思に従って罪人を世から 救い出すためになされたキリストの贈罪死を語る句を置き(1: 4),神にとこし えに栄光を帰す祝祷句を付け加えた上で,最後にアーメンで結んでいる(1 : 5)。
ここでは何よりにも優って神の意思が強調されているのが目立つ。 これは本文 の中で,パウロらが人の機嫌を取ろうとすることに対して神を喜ばせようとす ることを強調すること(1 : 10)や, その使徒職や福音が人に由来するのでなく,
神に由来するものであること (1 : 1222)を語る準備となっている。アーメン がパウロ書簡の書き出しの中で使用されるのはガラテヤ害以外にはない(ガラ l : 5)29.ガラテヤ書は書簡の結びにおいてもアーメンを用いており, この言葉 の使用は意図的になされたと考えられる。 この言葉は旧約聖書では,祭儀にお
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いて語られた神の言葉への応答として会衆が唱和する言葉として使用される (民5: 22;申27: 15, 16, 17, 18, 19,20;代上16: 36;ネヘ5: 13; 8: 6他)。
この典礼的用法は,初期ユダヤ教に継承され,同様な用法が死海文書にも確認 される (IQS1.20; 2. 10, 18,2. 18; 4Q5041+R1.7; 4Q5073L2他)。初代教 会もアーメンの典礼的用法を継承し,礼拝に用いられる頌栄句の結びにこの言 葉を原語のへプライ語のままで使用していたと推定される30.ガラ1 : 5; 6: 18 のアーメンの使用もこうしたアーメンの典礼的用法の反映であろう。アーメン は祭儀における会衆の応答の言葉として用いられるとき,祭儀の流れの中では 一つの区切りを置く効果がある。 この区切りの修辞的効果に着目して, アーメ ンは後期詩編では共同の祈りを締め括る祝祷句の一部として使用されている (詩41 : 13; 72: 19; 89: 53; 106: 48)。ガラテヤ書の書き出し部の結びに アーメンを用いられたために,書き出し部と次に来る部分の間に明確な区切り が生じている31。このことは恵みと平和を祈願する祝祷句から,神への感謝の祈
り (フィレ4‑7; Iテサ1 : 2‑10; フイリ1 : 310; Iコリl : 3‑9;Ⅱコリ l : 3‑11 ; ロマ1 : 8‑15)または神の讃美(IIコリ1 : 311)へと連続的に移行する 他の書簡の慣例からするとかなり異例なことである。ガラテヤ書では感謝の祈 りに代えて,驚きの表明と呪いの宣言が記されており,先行する祝祷句とはう まく接続しないので,両者の間に明確な区切りをおいて話題の急転回を示そう としたのであろう32.
②感謝の祈り (神の讃美)の修辞的機能
祈りは祈祷者から神に向けられた語り掛けであり,感謝の祈りもまた第一義 的には神に向けられている。しかし,受信者たちに関する発信者の感謝の祈り が書簡の導入部に取り入れられると,発信者の神への感謝の念を受信者たちに 知らせる意味が加わってくる33。特にパウロ書簡の導入部では想起(""""e"/
鰹" を。"α )ということが重要な役割を果たしている。パウロらが祈りの度に受 信人である信徒たちを思い出し,神に感謝を捧げていると述べることは,パウ
口らに対する受信人たちの好意的反応を引き出す効果がある34.想起の対象は 過去から現在に至る受信人たちの信仰の有り様であり,受信者たちの信仰と愛 と希望とが肯定的に言及され(フィレ47; Iテサ1 : 2‑10;フィリl : 310; I コリ1 § 3−9;Ⅱコリ1 : 311 ; ロマ1§ 8‑15), この部分は演示的な要素を持っ ている。序論において聞き手を賞賛して,彼らの心を語り手の側に引きつけよ うとすることは修辞法の常道である(『修辞法網要」4.1.16)。 また,感謝の祈り の中で受信人たちの過去の回心の出来事が回顧されるときは(Iテサ1 : 210),
この部分はさらに叙述的要素を含んでくる35。
さらに,パウロ書簡の感謝の祈りは,信仰の交わりへの感謝や(フィレ47),
迫害の状況の中で福音を宣く伝える宣教者としての連帯への感謝(Iテサ2:
13‑16;フィリ1 : 3 10)を含んでおり,発信人と受信人との間に存在する共通 の基盤を対話の前提として確認している。
11コリ1 § 311における神の讃美は,発信人であるパウロら自身の苦難から の救出の経験が神の讃美の理由となっており (1 : 34,8‑11),受信人たちの信 仰の有様を想起する感謝の祈りとは内容が大きく異なっている。特に,後半部 のパウロらが属州アジアにおいて遭遇した苦難の叙述は具体的であり,修辞学 的に言えば,叙述的な要素を持っている。また,讃美の主題は演示的要素を持っ ているが,演示的言及の対象は受信人たちではなく一貫して神である。 この点 において神の讃美の部分は,旧約聖書の讃美の詩編の伝統に立っている (詩 111 : 1‑10; 113: 1‑91 135: 1 21 1 136: 1 26; 147: 1‑20 1 148: 1‑14を参 照)36。このように書簡冒頭に感謝の祈りが置かれることは初期ユダヤ教書簡に 先行例がある (ⅡマカI : 11‑17)。
この神の讃美は,パウロたち自身の体験に基づいた信仰告白である。彼らの 苦難の中で救いと慰めと与えた神は,同様な苦難の中にある信徒たちを慰める とパウロは確信している (IIコリ1 : 4)。パウロたちが宣教活動故に迫害を招 き,苦しむば苦しむほど,キリストを通して与えられる慰めも大きいように,受
真正パウロ書簡導入部の修辞学的分析
信人たちの苦難が大きければ,慰めも大きい(l ; 5‑6)。受信人たちは「苦しみ を共にする者たち」である(1 § 7)。パウロはこうして書簡の発信人と受信人と の間に,宣教を通しての苦難と慰めにおける連帯の事実を強調している。
ガラテヤ書において感謝の祈りに代えて,驚きの表明と呪いの宣言が記され ていることは(ガラ1 : 69),パウロ書簡の導入部としては全く異例である。こ の全く厳しい語調の導入部は,結語部に他の信徒からの挨拶の伝達がないこと と対応している。この書簡を書くに到った修辞的状況は非常に危機的であり,ガ ラテヤ教会の多くがパウロが説いた律法から自由な福音を離れて,彼の論敵で ある宣教者たちが説いた律法の順守を含む「異なる福音」の方を受け入れよう
としていた(1 : 6‑9; 5: 1‑12; 6: 1213)。ガラテヤの信徒たちの当時の状態 を想起したとき,パウロは神に感謝することも,神を讃美することも出来ず,強 い驚きと「異なる福音」を説く者たちへの呪いの宣言を発することになった(1 : 6‑9)。この部分は受信人たちを誉め上げて好意的反応を期待するよりも.単刀 直入に彼らの行動に対して驚きと不満を表明し, 「異なる福音」の宣教者たちに 対する呪いの宣言によって警告を与えている。本文のところで取り上げられる 中心主題が,律法の遵守を含む福音を受容して呪いに陥るか(l : 8‑9; 3: 13), 律法から自由な福音を信じて義とされ(2: 1621), アブラハムに約束された祝 福を受けるか(ガラ3: 69; さらに,創12: 3; 18: 18を参照)の選択である ことを考慮すると,龍きの表明と呪いの宣言は本文の論旨を先取りして,単刀 直入に本題を指摘して受信人たちの注意を促していると言える。 これは修辞学 が指摘している序論の機能の一つである,本論の主題を予め示して聴衆に心の 備えをさせる働きに他ならない(「弁論術」1415a; 「修辞法網要」4.1.2329#33‑
39)37・他方,驚きの表明は,受信人たちに対する否定的言及であり,修辞学的 視点からは告発的要素がある。 また,呪いの宣言を行うことはヘレニズムの修 辞学の伝統にはなく, むしろ祝福と呪いの間の選択を迫る旧約聖書の修辞法の 伝統に立ってい器3職。
結論
真正パウロ書簡の導入部は,書き出し (発信人,受信人,頌栄) と感謝の祈 り (神の讃美,呪いの宣言)から構成される。書き出し部は定型的であり,耆 簡による差異が少ない。冒頭に発信人と受信人の名前が来ることは,ヘレニズ ム書簡の習慣の影響である。パウロはロマ書を除くすべての書簡において発信 者として自分の名前と並んで他の伝道者たちの名前を挙げており,受信人が教 会の信徒たちであることも相俟って,書簡が個人的なものでなく,公的な性格 を持つことを示している (フィレ1 ; Iテサ1 : 1;フィリ1 : 1 ; Iコリl : 1;
IIコリl : 1 ;ガラ1 : 1‑2リ ロマl § 1 7aを参照)。
前書きは発信人と受信人とを明記することによって,語り手と聞き手の基本 関係を設定し,本文の展開の準備をしている(フィレI ; Iテサl: 1; フィリl : 1 ; Iコリl : 1 ; IIコリ1 : 1 リガラl : I;ロマl : 1を参照)。しかも,パウロは 修辞的状況に応じて発信人の前に付ける称号(使徒, キリストの僕, キリスト の囚人) を使い分けて,書簡の修辞的効果を高めようとしている。パウロ書簡 の前書きは通例簡潔であるが, ローマ害の書き出しはかなり長い(ロマ1 : 1 7a)。これは,パウロがまだ顔を合わせたことがないローマの信徒たちへ自分を 紹介する推薦状(偽デメトリウス『書簡類型』の第2類型; リバニオス『書簡 形式論」の第8類型) としてこの書簡を認めたという修辞的状況から生じた現 象である。
祝祷句の使用は,ヘレニズム・ユダヤ教書簡と同様であるが,パウロはキリ スト論的要素を含む初代教会の礼拝で用いられた祝祷句を用いた。受信人たち に恵みと平安が与えられるように祈願する祝祷句は,受信人たちの好意を引き 出す効果を持つが,同時に荘重な雰囲気を醸し出し,本文で語られるパウロの 言葉に説教同様な権威を与えている39・
パウロ書簡の前書きの部分の次に来る部分は,各書簡によって書かれるスタ
真正パウロ書簡導入部の修辞学的分析
イルや内容が大きく異なる。多くの書簡はこの部分に感謝の祈りを置いている が(フィレ4‑7; Iテサ1 : 2 10; フィリ1 : 3‑10; Iコリl : 3‑9; ロマ1 : 8‑
15),神の讃美(Ⅱコリ l : 3‑11)や呪いの宣言(ガラ1 : 6‑9)を置いている書 簡もある。修辞学的視点からすると, この部分は書簡が書かれた修辞的状況に よってパウロがかなり自由にスタイルと内容を変化させている可変的部分と言 える。感謝の祈りが感謝する対象は,受信人たちの信仰の歩みの上に与えられ た神の恵みであり,受信人たちの信仰の歩みを賞賛して彼らの心を語り手であ るパウロの側に引きつける効果を持っている(「修辞法網要」 4.1.16)40. 11コリ l : 3‑llにおける神の識美は,発信人であるパウロら自身の苦難からの救出の 経験が神の讃美の理由となっており (1 : 3‑4,811)。讃美の言葉は修辞学的に 言えば,演示的要素を持っているが,演示的言及の対象は受信人たちではなく 一貫して神である。 この点において神の讃美の部分は,旧約聖書の讃美の詩編 の伝統に立っている (詩111 : 1 10; 113: 19; 135: 1 21 ; 136: 1‑26; 147:
1‑20; 148: 1‑14を参照)。
ガラl : 6‑9の蝿きの表明と呪いの宣言は本文の諭旨を先取りして,単刀直入 に本題を指摘して受信人たちの注意を促している(『弁論術」1415a; I修辞法網 要」4.1.23‑29,3339)。他方,驚きの表明は,受信人たちに対する否定的言及で あり,修辞学的視点からは告発的要素がある。呪いの宣言はヘレニズムの修辞 学の伝統にはなく, むしろ│日約聖書の修辞法の伝統に立っている。 このことは パウロ書簡の修辞法を研究する場合は,ヘレニズムの修辞法を参照するばかり でなく,旧約聖響に見られるヘプライ的レトリックの伝統も考慮に入れなけれ ばならないことを示している4:。
以上,パウロは手紙の導入部を書くにあたって, それぞれの修辞的状況に応 じて様々な表現法を使い分けて異なった修辞的効果を挙げており,真正パウロ 書簡の導入部が修辞学的批評の点からも,興味深い考察対象になりうることが 明らかになった。私の今後の課題は,個々の真正パウロ書簡の導入部をさらに
詳しく分析して, それぞれの修辞学的状況と修辞学的効果の特色を個別に明ら かにすることである。
、角
>王
1例えば, F.X.J.Exler,TheFormoftheAncientGreekLetter(WashingtollD.C. ; CatholicUniversityofAmerica, 1923) ;P.Schubert,FormandFunctionofthe PaulineThanksgiving (BZNW20;Berlini deGruyter, 1929) ; idem # Form andFuncticnofthePaulineLetters#'' JR19 (1939) 365‑377; J.TSanderS, The TransitionfromOpeningEpistolaryThanksgivingt()BodyintheLettersofthe PaulineCorpus,"JBL81 (1962)348362;CAndresen, ; ZumFomularfrilhchris‑
tliCherGemeindebriefe''ZNW56 (1965) 233259;T、Y.Mullins, '$Formulasin NewTestamentEpistles,''JBL91 (1972) 3803901K.Berger, "Apostelbriefund apDstolischeRede. ZumFDrmularfrUhchristlicherBriefe、'' ZNW65 (1974) 19(}‑231 iP,T.O'Brien, IntroductoryThanksgiving in theLetters of Paul (Leiden: Brill, 1977) ; JLWhite, ::TheStmcturalAnalysisofPhilemon:A PointofDepartureintheFormularAnalysisDfthePaulineLetters, ! "SBLSPl (1971) 1‑27; idem., NewTestamentEpistolaryLitel・atureintheFramework 0fAncientEpistolograPhy,ANRW25.2(1984) 173056; idem. , ::AnCientGreek Letters, ' ' inGrecoRomanLiteratureandtheNewTestament (ed.DEAune;
SBLBS21 ;Atlanta: Scholars, 1988) 85‑105; J・MurPhyO'Connor, Paul the LetterWriter: HisWorld,hisOptions,hisSkills (GNS41 ;Collegeville,MN:
TheLiturgical Press, 1995) ;H. J.Klauck,DieantikeBrieHiteraturunddas NeueTestament. EinLehr‑undArbeitsbuch (UTBUnitaschenbUcher2022;
PaderbOrn: SChOningh, 1998) .
2 その例外が, J.L.White!ApostolicMissionandApostolicMessage:Congruence inPEtul'sEpistolaryRhetoric,Structureandlmagery," inOrigill5andMethod.
TDwardsaNewUI1drsta'1dingofJudaismandChristianity. EssaysinHonour 0fJohnC.Hurd(ed.BH.McLean; JSNTSup86#Sheffield: JSOT, 1993) 145‑
61 ; S.Byrskog, #'Epistolography,Rhetorical1dLetterPrescript:Romansl : 1 7asaTestCase,"JSNT65(1997)27‑46であるが,修辞学的分析としてはまだ初 歩的段階に留まっている印象を受ける。
3White, "NewTEstament Epistf]laryLiterature'' ANRW25/2. 1731; idem.,
$ApostolicMIssion,'' 149も同様な構造を認めている。
4拙稿「ガラテ書を読む」 「福音と世界11996年5月号67‑72頁ラ同「祝福と呪いの言 葉」 I新約学研究」第27号17‑30頁を参照。
5デモステネス「第一書簡」2;BGUII.423.2; 816.2には感謝の祈りが見られるが, こ れらはヘレニズム書簡の例外であり,感謝の祈りはヘレニズム書簡の恒常的要素で
真正パウロ替簡導入部の修辞学的分析
はない。
6EBickermann, "EinjudischerFestbriefvomJahrel24v・Chr, ''ZNW32 (1933) 244‑46を参照。 こうしたヘレニズム・ユダヤ教番簡の形式的特徴は, アラム語やへ プライ語書簡の形式の影稗であると考えられる。アラム語やへプライ語押簡の形式 に関しては, J.A.Fitzmyer, :SomeNotesonAramaicEpistGIDgraph)','' JBL93 (1974) 201‑225; ideln.' AramaicEpistolography,''Semeia22 (1981) 5976;P.
EDion, !」TheAramaic 、FamilyLetter'andRelatedEpistolaryFDrmsinOther OrientalLanguagesandinllellenisticGreek,'' Semeia22 (1981) 59‑76;D.
Pardue# ' AI1OverviewofAncielltHebrewEpistDI()graphy#'' JBL97 (1978)321 46を参照。
7 Byrskog, 3738; 1.Taatz, FrUhjUdischeBriefe. Diepaulinische[1 Briefe im Rahmender (JIEziellenreligiijsEI1BriefedesFmhjUdentums (Freiburginder Schweiz; Universitatsverlag;GOttingen:Vandenhoeck&Ruprecht, 1991, 33, 1067, 111‑12を参照。
8A.J・Malherbe,AnCientEPiSt()laryTheOriSts (SBLSBS19;Atlanta: Scholars, 1988) 12.
9 ByrSkog, 3031 ;White! ! NewTestament Epistolary Literature, '' 1731 1
"AnCient Greek Letters, " 97;HKoskeImiemi , Studiell zur ldee und PhraseolcgiedesgTiechischenBriefesbis4()0n.Chr. (Helsinki. 1956) 12‑47;N.
A.Dahl, " Lctter,''IDBSup(1973) 539を参照。
lOWhite,"#NewTestamentEpistolaryLiterature,''1743; '$ApostolicMission,''148.
11 当時の世界における口頭でのコミュニケーションの亜要性については,W.j.Ong, OralityandLiteraCy. TheTeChnologizingof theWord (London: RO11tledge, 1988)を参照。
12 Taatz1 7475.
l3 Andresen,241; Berger"198,2{10‑201IWhite,* NewTEstamentEpistolaryLiter ature,''ANRW25/2. 1739; idcm. , $#AncientGreekLetters,'' 98.
14 多くの研究者たちも,この曹簡は単に私的な手紙ではなく,公的な性格を併せ持って
いると理解している。U,Wickert, !*DerPhilemonbriei ; Privatbrief oderapos‑
tolischesSChreiben?,''ZNW52 (1961) 23() 38;ASllhl, '、DerPhilemonbriefaIs Beispiel alsBeispiel paulinischerParanese,"Kairos l5 (1973) 270, 27778j idem.,DerPhilemonbrief (ZBK13;ZUrich:Theo1・gischerVerlag,1981) 25‑
26;E.Lohse,DieBriefeandieKolosserundanl>hi lemon (KEK9/2; 2.Aun. ; G6ttingen:V&R, 1977) 267‑68}P.Stuhlma亡her DerBI‑ief an Philemon (EKK18; ZUrich; Benzinger; Neukirchen‑V1uyn:Neukirchencr Verlag, 1981) 2324 ;PTO'Brien,C()1()ssiansPhilemon (WBC44 ;Waco,TX:Word Books, 1982) 272;S.C.Winter, 、'Paul'sLettertoPhi lemon, ' 'NTS33 (1987) 1 15; J.Dul1Can.M.Derrett#TheFunctionsofthcEpiStletoPhilCmon, ''ZNW79 (1988) 66; 11,Binder,DerBriefdesPa''llIsanlJhilemon(Berlin: Evangelisches
Verlagsanstalt ; 1990) 4345;PLampe,DerBI・iefanPhilemon (inN.Walter, EckartReinmuthundP.Lampe,DieBriefeandiePhilipper,Thessa!()nicherund allPhilemon;NTD8/2;GOttingen:V&R, 1998) 209‑10.
パウロと同労者たちの関係については, E.EEilis, &#Paul andhisCo‑Workeers,中中 NTS17 (1971) 43752;W.‑HOllrog,PaulusundseineMitarbeiter Untersu.
chungen zuThe()rieundPraxisder paulinischenMission (WMANT50;
Mullchen:Kaiser, 1979) ;MM.Mitchell, 、&NewTestamentEnvDySintheCon=
text (JfGreco‑RomanDiPlcmaticandEpistolaryConventions: theExampleof TimothyandTitus,:' JBL111 (1992) 641 62iSByrskog, .、CoSenders, Co AuthursandI'aul'sUsc(1ftheFirstPersonPlural, '、ZNW87 (1996) 230‑50を参 照。
W、R Lofthouse,## I'and We'inthePaulineLetters,''ET64 (1952/53) 241245.
S.ByrSkOg, "C()‑Senders,'" 230‑5() ;MCaITez, ##Le #Nous' en2Corinthiells,'' NTS26 (1979/80) 474486を参照。
White, &&NewTestamentEpistolaryLiteraturc,''ANRW25/21734‑35.
Taatz, 9, 67iWhite, 」 'NewTestamentEpistoiaryLiterature,''ANRW25/2 1740‑41.
White,#&NewTestamentEpistolar]'Literature,''ANRW25/2.1741.
Whitc, # NGwTEstamentEpistolaryLit,/ature,"1735.
White, │ │NewTestamentEpistolaryLiterature,"'ANRW25/2. 1735;Mullins,
38586.
1.Martin,AI]tikeRhetorik (Miinchen:C.HBeck, 1974) 54; J.T‑Reed, #!The Epistle,'' inllandbookofClassicalRhetoric intheHellenisticPeri(Jd(ed.S.E PDrteriLeiden; Brill,1997)181iR・Volkmann,DieRhetDrikdesGriechenund ROmerinsystematischerUebersicht(Leipzig:Teub[1er, 1885) 12748;H・Laus‑
berg,Handbuchder literarische]1Rhetorik (Mtinchell :Hueber、 1960) 15080 Byskog, 39,
1bid
Berger,216;Taatz,76,105,Il4、
この称号の修辞学的機能については,拙槁「フィレモン1 7の修辞学的分析」関西新 約学会第41回研究発表会口頭発表(2000年6月12B;同志社大学) を参照。
Berger, 216、
パウロ郡簡以外の新約文書では,黙l : 6に並行例が見られる。
原口尚彰│アーメーンの翻訳史的考察:二つの翻訳原理の対立」「キリスト教史学」第 51"(1997年) 128135頁。
アーメンが文' │1で果たす区切り目の指示効果は, ロマ1 : 25; 9: 5; 11 : 36iz フェ3: 21 ; Iテサ3: 13; Iテモ1 : 17; Iペト4; 11 ;黙l : 6にも認められる。
この点について,原口尚彰「ガラテヤ書を読む51章69節蝿きの表明」「補音と世 界」 1996年5月号67頁を参照。
15
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真正パウロilf簡導入部の修辞学的分析
33 Berger, 222
34White, ! NewTestamentEpist()laryLiterature, ''ANRW25/2. 1731 ;Andresen, 244 245; Berger1 222.
35 Berger、 222、
36 J.M・Robinsoll, ##DieH()dajot‑FDrmel inGebet undHymnusdesFriihchris tentums, '' ilIApophorete(hrsgv.WEltester; Berlin:Tijpeiman'1, 1964) 19+
235は,神の讃美の定式の背後に存在する典礼的背賊を強調する。
37 Taatz, 107.
38原口尚彰│、祝福と呪いの言葉ガラテヤ害とへプライ的レトリック」「新約学研究'第 27号(1999年) 1730頁;同「申命記29‑3()章の修辞学的分析」 「基督教摘集」第43 号(2000年) 1 16頁を参照。
39 Andresen. 241 ; Berger, 198, 200‑201 iWhite, New'restamentEpistolaryLiter‑
ature,''ANRW25/2.1739iidem ,、、AncientGreekLetters,'' 98.
4() Martin, 54 I Reed, 181 ;VDIkmann, 127 48; Lausberg、 15080.
41 原口尚彰「祝編と呪いの言葉ガラテヤ書とへプライ的レトリック」I新約学研究」第
27号(1999年) 1730頁i同│‑申命記29‑30章の修辞学的分析」 『基督教諭架」第43 号(2000年) 1‑16頁を参照