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新入生にすすめる

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Academic year: 2021

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(1)

破 壊 的 読 書 の す す め

坂井真紀子

目標の大学入学はとりあえず果たすも︑考えてみれば大学はただの場所︒入学は目的ではなく手段なのだと︑はたと気づいた大学一年の五月初旬︒私は大学で何をするのか?  答えのない自分に愕然としたことを思い出す︒思い立って︑分野・ジャンルを問わず手当たり次第に本を読み始めた︒一冊読むとそれに関連して次の本と巡り合い︑並行して全く別の分野になんとなくアンテナが引っ掛かり ⁝⁝︑こんなふうに﹁わらしべ読書﹂はしばらく続いたが︑その原動力になったのは﹁自分が壊される快感﹂だった︒自分の世界観は︑生まれてから高校卒業までのほんの短い間の経験と︑周りの大人たちの考え方に大きく影響を受けている︒自分の信じる﹁常識﹂が見事に崩れたり︑自分の存在自体の問い直しを迫られたり︑読書に誘発された﹁人生の危機﹂は︑もっと広い世界と対峙する準備を手伝ってくれた︒三冊をあげるなら︑イヴァン・イリイチ﹃シャドウ・ワーク

生活のあり方を問う﹄(岩波現代文庫、二〇〇六)︒家事労働などのアンペイドワークに対する現代社会の硬直した常識を崩してくれた︒また犬養道子﹃人間の大地﹄

(中央公論社、一九八三)で︑世界の紛争や貧困と私の生活がつながっていることを実感した︒﹁地球に生きる当事者の一人としてあなたはどうするの?﹂という強烈なメッセージに︑文字通り人生が変わった一冊である︒そしてハナ・グリーン﹃デボラの世界

分裂病の少女﹄(佐伯わか子・笠原嘉訳、みすず書房、一九七一)︒統合失調症の主人公と精神科医の交流が描かれる︒人は誰も完璧ではなく︑

新 入 生 に す す め る

外大に入学した新入生のみなさんへ︑本学の先生方が学生時代の読書経験を振り返りながら推薦図書を寄せてくださいました︒どの本も︑どのご経験も︑これからことばの世界へ飛び込むみなさんの良き道しるべとなることでしょう︒

(2)

誰の人生にも終わりがある︒今︑ここで出会って一緒にいる私たちは何を大切に生きていくべきか︒今もこのテーマは私のそばにある︒

  本屋を彷徨うと︑直感に導かれて何かが降りてくる︒左脳は既存の枠組みに従順だが︑右脳は潜在意識レベルでその時に必要な本がわかるらしい︒﹁破壊的読書﹂で崩れた後の︑その先にみえる﹁再生﹂の予感は至福である︒ぜひ試してみてほしい︒

  総

  ア

知 の パ イ レ ー ツ に な ろ う !

田島充士

僕が東外大に入学したのはもう十数年以上も前のこと︒足を踏み入れたのも︑今の美しい府中キャンパスとは別世界︑口さがない僕の友人には﹁東京お化け屋敷大学﹂とも揶揄された︑ボロッボロの西ヶ原キャンパスでした︒でも大学図書館は︑一目で気に入りました︒決して広いとはいえない建物の中に︑ところ狭しとならぶ︑古今東西の名著たち︒その書棚が並ぶ開架に初めて訪れたとき︑僕には巨大な知の宝たちが眠る大海原が見えたように思えま した︒これから四年をかけて︑今までに見たこともない宝を探し︑海賊のように︑自由にこの海を駆け抜けることができる︒そう思っただけで︑ワクワク︑ドキドキしたのです︒そんな僕に先輩が入学祝いとして贈ってくれたのが︑中村雄二郎﹃術語集

気になることば﹄(岩波新書、一九八

四)でした︒有名な本ですから︑もしかすると︑高校時代に手に取られた方もいるかもしれませんね︒この本では﹁アイデンティティ﹂﹁狂気﹂﹁ジェンダー﹂など︑文系の学問を志す者にとって重要なキーワードについて︑それぞれ簡潔に解説されています︒一見するとペラペラな新書なのですが︑これがむつかしい!  サラッと読み飛ばすことはできるのですが︑いざ熟読すると︑まったく頭に入ってきません︒正直言って︑一年生当時の僕にはほとんど理解できませんでした︒しかしおもしろいことに︑この本に出てくるキーワードの多くが︑哲学︑言語学︑社会学︑心理学︑文化人類学などの授業の中でもどんどん出てきたのです︒それがとてもおもしろくて︑何度も︑何度も読み直しました︒次第に本は線とメモだらけになり︑大学

新入生にすすめる本

(3)

のキャンパス以上にボロッボロになりました︒それから十数年たち︑僕は研究者として再び︑東外大に戻ってきました︒すっかりオッサンになってしまいましたが︑今でもこの本を読み返します︒そしてそのたびに︑知へのワクワク感を新たにします︒新入生のみなさんも︑こんな知の宝を探す海賊の仲間になってみませんか?東外大には︑その冒険心にふさわしい︑すばらしい海がみなさんを待ち構えています︒そしてこの﹃述語集﹄は︑そんな海賊たちにとって︑最高の海図になってくれると思いますよ︒よい旅を!

  総

  心

自 己 形 成 の 入 口 に 立 つ 諸 君 へ

谷口晉吉

大学初年の頃︑ある古参教授が彼の先輩教授から﹁最も根本的なことを学べ﹂と教えられたと述べた︒この言葉は私の中に染み込み︑文学作品ばかりを読んでいた私は︑社会科学の古典に目を向けるようになった︒社会科学の巨人たちの著作を読むと︑彼らの思想が生成する現場に立ち会っていると感じることがある︒彼らは︑ 長く苦しい研究と思索の果てに独自の学説に到達するのだが︑その過程で幾つもの珠玉のような発想のかけらが生まれる︒これらは完成した体系的叙述では陰に隠れ殆ど表に現れることはないが︑例えばカール・マルクスの﹃経済学・哲学草稿﹄(城塚登・田中吉六訳、岩波文庫、一九六四)を手にすれば︑若きマルクスの人間と社会に対する瑞々しい初志を見出すことができる︒

  入学して暫くたった頃︑様々な未熟な思考を重ねる中で︑﹁人間と社会にとって何が正しいのか?その判断基準はどこにあるのか?﹂という問いに答えを見出さねば前に進めないと思うようになり︑出るはずのない答えを求めて悶々としていた︒その様な時に巡り会ったヘーゲルの﹃小論理学﹄(松村一人訳、北隆館、一九四三)は︑真理の歴史的あるいは動態的な捉え方を示し︑私の発想の転換を可能にしてくれた︒マックス・ヴェーバーも当時の学生が読むべき古典であった︒彼が﹃社会学の基礎概念﹄(阿閉吉男・内藤莞爾訳、角川文庫、一九五三)で展開した理念型や追体験などの概念を理解しようと模索することを通して︑社会を科学する基

(4)

本的な作法︵社会科学的認識の方法︶が︑知らず知らずのうちに︑私の血肉となって定着したように思う︒大学一〜二年生の頃に獲得したこれらの世界観や作法は︑現在に至るまで私の思考の基盤をなしている︒振り返ってみると︑この二年間は︑専門も将来もまだまったく定まっておらず︑いや逆にそれ故にこそ︑最も自由に自己を形成できる時期であった︒新入生の諸君には︑今︑得難い自己形成期の入口に立っているのだということをぜひ知って欲しいと願う︵上記三冊には幾つかの翻訳がある︒図書館で君にとって読み易いものを見つけて欲しい︶︒

  総

  ベ

︿ 話 す ﹀ こ と の 勇 気 の た め に

友常 勉

⑴太田昌国﹃鏡としての異境﹄影書房︑一九八七年︒⑵田中美津﹃いのちの女たち

とり乱しウーマン・リブ論﹄パンドラ︑二〇一〇年(田畑書店、一九七二)︒⑶藤田敬一﹃同和はこわい考

地対協を批判する﹄阿吽社︑一九八七年︒︿話す﹀ことには二つの勇気が含まれる︒一つは自分の殻 を破ること︒もう一つは︑時に沈黙を破って︿真実﹀を語ること︒これはそのことを私が学んだ三冊︒⑴の著者・太田さんは︑一九七〇年代半ばにラテンアメリカを旅し︑労働し︑その後日本のラテンアメリカ連帯運動を牽引し今に到る︒その太田さんが練り上げた連帯の思想︒⑵は日本のウーマン・リブ運動の草分けである田中美津さんの最初の本︒その言葉は﹁わかってもらおうと思うは乞食の心﹂など過激で知られるが︑誰にも話せなかった性的虐待の経験を語る勇気を得るまでの精神の軌跡でもある︒⑶は長年︑部落問題に関わり︑差別︱被差別という関係の克服をめざしてきた藤田さんが堰を切ったように書いた問題提起の書︒社会を変えていくためには人と人との信頼関係が必要だが︑それは本音を語ることでしか築けないことがよくわかる︒大学時代の読書とは︑考えることにおいて一人前になる=自立するための︿知﹀の営みである︒学部時代︑教室で学んだ経験は乏しくはあったが︑西洋哲学のサークルにいたので︑私はドイツ哲学の主な古典やフランス現代思想の流行はおさえていたと思う︒だが︑そうした読書をしても︑自ら︿話

新入生にすすめる本

(5)

す﹀場に出かけていかないかぎり︑自分の足で立つことはできない︒三冊の本に収録されている多くの文章は︑政治集会で︑討論会で︑あるいは路上で︑時に激しくやりとりする人びとの喧噪の中から生まれたものだ︒そして私もそうした場所でその言葉を読んだ︒頭でっかちの私は︑︿知﹀や︿真理﹀は人びととの関係を求めていくことの中にあることを学んだ︒これらの本に出会ってから四半世紀が経つ︒しかし︑今でも四半世紀前︑初めてその言葉に出会った時の︿私﹀が︑私の中にいる︒そしていつも私の隣か︑少し先を歩いている︒

  国

  日

重 た い 本 を 何 冊 も 持 ち 歩 か な い た め に

丹羽京子

その昔︑長い物語が好きだった︒終わってしまうのがつまらないから︑とにかく簡単には読み終わらない︑分厚い本というのが本選びの基準︒二段組になっていればなおよい︒字が大きいと損をした気になる︵昔はとても目が良かった︶︒﹁長いもの﹂の定番︑﹃源氏物語﹄や﹃アラビアン・ナイト﹄や﹃指輪物語﹄︵作者のトールキンはご本人 も長いものが好きなようで︑自著に関する唯一の不満は﹁満足できる長さでないこと﹂だったとどこかで読んだ記憶がある︶などなど︑とにかく長さのあるものを読み続け︑読んでいる間は幸福だ︑という時期があった︒そこにはある種病気のようなところもあって︑少しでも空き時間があるようなときには︵なさそうでも︶本を持ち歩かないと落ち着かないし︑読み終わりそうな気配があればもう一冊持っていかないと不安になる︑というようなありさま︒そういうわたしがなぜか学生時代にはまったのが︑その正反対の超短スタイルの﹁俳句﹂の︑それも破格の尾崎放哉(﹃尾崎放哉全句集﹄、伊藤完吾・小玉石水編、春秋社、一九九

三)︒初めて読んだときの感想は﹁なんだこりゃ?﹂︒例えば﹁蟻を殺す殺すつぎから出てくる﹂あるいは﹁心をまとめる鉛筆とがらす﹂あるいは﹁何もかも死に尽したる野面にて我が足音﹂はたまた﹁一日の終りの雀﹂︵たったこれだけ!︶︒でも引き込まれる︒字も少ないのに︒そう︑たった﹁それだけ﹂であるのに︑そのなかにひとつの宇宙があるような感覚が衝撃だった︒このときたぶん︑わたしは次から次へとページを繰るのとは異なる︑ひとところに

(6)

じっと留まる喜び︑何度も何度も同じことばを反芻する楽しさを知ったように思う︒どれほど長くあろうとも︑物語には始めがあって終わりがある︒そうではない俳句のなかに︑終わりのないものを見出したのである︵そして俳句や詩ならただ一冊を持ち歩けばよい︑というのも嬉しい︶︒今でも長い物語は好きだ︒でもここぞというときには詩や俳句というのが今のわたしの読書の﹁秘策﹂になっている︒

  総 

  ベ

声 と ペ ー ジ に 祝 福 さ れ る 旅

橋本雄一

こういう体験が君にもあるんじゃないだろうか︒あるいはこれから必ず体験するだろう︒外国を旅し︑その地のコインでその日の最後の糧を買おうと雑貨屋に入った︒独りでなければならない︒日が暮れていればなおいい︒レジにちらほら集まるひとびとのその日最後の雑談に耳を澄まし︑店のひとと小さな言葉を交わし︑目標の糧を手に入れた︒一年生の春休み︑船で上海に渡り︑成都へ行き峨嵋山に 憩い︑青海省を辿った︒列車に乗り合わせ言葉を交わした中国人が微笑んでくれ︑いつか別れ︑今日はまた別の中国人と出会う︒旅の途中では突然︑数日前に出会い別れた中国人の声も蘇ってくる︒読書もこれに似ている︒一つのパラグラフを理解できず︑何度もそのパッセージを往来し︑まずはひそかに自分のなかで真意を試す︒だが全く別の本や文章と出会った時︑新たな表現を介して︑はたと気付く︒あの時の言葉はこういうことなんじゃないのか︒そうして手に入れた最後のものは︑必ず君をいつまでも活気づける︒まるで外国でいろんな人に助けられ︑見知らぬコインを使って︑最終的にあの食べ物を手に入れたように︒学生時代に読んだ坂口安吾﹁戦争論﹂(﹃坂口安吾全集﹄第

、く倉志祥、ち訳ま学芸文庫 考(﹃反時代的、察﹄所収小 害る歴の利史にいつて﹂ チ持つニー﹁ェ生に対す 感言な葉の性覚と親和を た的定決のこ﹂︒にめの自生又︑分と共にきつつある他人 にくなはでめたの類生︑のきつつある自分全ために︑人 15な九所収、ちくま文庫、一九的一ほか)﹂は言う︑﹁歴史巻

一九九三ほか)は︑﹁歴史﹂なるものの連続性と権力

新入生にすすめる本

(7)

性を教えてくれた︒日露戦争のころ日本留学を体験した魯迅も小説﹁狂人日記﹂で安吾の言う感覚を問うているのを知り︑東アジアでそれを実践するのが今なお難しい日本人については安藤彦太郎﹃中国語と近代日本﹄(岩波新書、一

九八八)で接した︒自分の旅のなかで出会った声とページは︑気づかなくてもいつも自分の周りでざわめいている︒外国でひととふれあった記憶のコインを帰国してからも普段の財布に入れておき︑日本のコインと間違えるのは楽しい︒あの年北京で遭遇した洪水に濡れてぶよぶよになった魯迅の文庫本を︑また開いては新たな発見をするのも楽しい︒

  総

  中

対 話 の 素 材 と し て の 本

柳原孝敦

M・J・アドラー+C・V・ドーレン﹃本を読む本﹄

(外山滋比古・槇未知子訳、講談社学術文庫、一九九七)︒変則だけれども︑これの親本(七八年刊)を読んだのは高校のときだったか︑浪人中だったか︒ともかく︑一定のスピードで︑漫然と︑最初から最後まで字を追うことが読書では ないと教えられた︒いろいろな読み方があり︑いろいろな本の利用法がある︒以後︑多くの読書論を読んできたけれども︑さすがに大学生に読書法を教えることを目的としているだけあって︑これが一番システマティックだ︒リカルド・ポサス+清水透﹃コーラを聖なる水に変えた人々

メキシコ・インディオの証言﹄(現代企画室、一

九八四)︒メキシコのマヤ系先住民に取材した民族誌の古典ポサスの﹃フアン・ペレス・ホローテ﹄の訳と︑フアンの息子に清水透がインタビューして仕上げた︑いわば続編とがひとつになったもの︒清水透というのは私の先生のひとり︒彼の最初の著作だった︒私が入学した年に配本が始まった﹁インディアス群書﹂第二巻として出された画期的なこの本を読んだ私は︑そんな学問的な位置づけも知らないままに︑所属していたサークル︵中南米研究会︶のガリ版刷りの会報に︑その書評を掲載した︒それが先生の手に渡ったらしく︑以後︑現在にいたるまで︑清水先生は誰かに私を紹介するときに︑﹁あの﹃コーラ﹄の書評を最初に書いてくれた手強い新入生﹂とおっしゃる︒気恥ずかしいけれども︑こちらが本など出す身になった今︑先生の嬉

(8)

しい気持ちはよくわかる︒本は読んだり書いたりする対象のみには終わらない︒対話の素材なのだ︒アレッホ・カルペンティエール﹃ハープと影﹄(牛島信

明訳、新潮社、一九八四)︒同じく私の先生が上梓した翻訳書︒これは難解だったけれども︑何か惹きつけられるものを感じ︑同じ先生の訳されている﹃失われた足跡﹄(集英

社文庫、一九九四)など︑同じ作者の他の著作にも手を伸ばした︒数年後︑カルペンティエールは私の卒論と修士論文のテーマとなった︒指導の先生はもちろん︑牛島先生であった︒

  総

  ス

大 学 一 年 生 の 時 に 読 ん だ 本 ?

山内由理子

﹁大学一年生の時に読んだ本﹂というお題をいただいて︑はて︑と困ってしまい︑とりあえず山田風太郎の﹃魔界転生﹄(上・下、講談社文庫、一九九九)を出してみることにした︒とりあえず︑というのは︑実は︑大学一年生の時に読んだ本︑というのが全く思い出せないからである︒そこで仕方なく︵?︶︑大学生になる以前から散発的に 読み続けている山田風太郎である︒山田風太郎にしても︑中学生くらいで読破してしまう人がいる一方︑全く手に取らないで終わってしまう人もいるような作家だから︑紹介する︑と言うには余り相応しくないと思う︒学生諸君の中にも︑私よりも遥かに熱狂的で詳しいファンの方がいる可能性だってある︒それでも敢えて出してみたのは︑彼の作品は︑何故か時期をおいて再び読みたくなり︑そして読む度に前とは違う何かが残るような気がするからだ︒﹃魔界転生﹄は彼の一連の忍法帖シリーズの中では一番知られているものの一つだが︑最初手に取った時は︑設定や忍法の破天荒さに驚き︑﹁悪役﹂で出てきた天草四郎の扱いにちょっと悩んだりもした︒二回目に読んだ時には︑そのような側面には一定の免疫も出てきたのか︑今度はストーリー展開の巧さに感心させられた︒そして︑三回目には人の描き方︑殊に凄絶とも蕭 しょうしょうとも言い切れぬ最後に深く感じ入ることになった︒今はちょっと距離を置いているが︑次に読む時には︑また違う感想が残るのかもしれない︒おすすめする︑と言うのはおこがましいが︑ちょっと気が向いた時︑他の作家では絶対に書かないような物を読んでみたいときには︑ちょっと目を向けてみるのもいいかもしれない︒

  総

  オ

新入生にすすめる本

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