昭和五十五年四月
平城宮発掘調査出土木簡概報自
奈良国立文化財研究所
この概報には︑さきに公刊した﹃平城宮発掘調査出土木
簡概報十二﹄ ︵昭和53年4月︶以後︑平城宮跡および平城
京内から出土した木簡の主要なものを収録する︒
以下︑木簡の出土地域ごとの状況を述べ︑木簡の形態分
類︑凡例と釈文をかかげる︒
一︑木簡出土の地点と状況
第一 一〇次調査︵6 A ﹂ F^︶昭和53年6月〜11月
発掘区は平城宮東院南部に位置し︑これに東接する地域
は第44次調査︵6 A ﹂ G ・ ﹂ F︶ ・第99次調査︵6 A ﹂ F︶
で大規模な庭園遺構を検出し︑奈良時代の新旧二時期にわ
たる園池の造替を確認している︒
調査の結果︑この地区では下から順にA〜D期︑E期︑
F〜G期の三層に大別できる整地層とA期以前の︑八時期
にわたる遺構の変遷が明らかになった︒
遺構は複雑に重なっており︑各期の年代は未確定である
が︑A期以前は和銅年間に︑A期は東面築地大垣造営期︑
B期は旧池が開設される養老年間以前︑E期は新池造営の 天平勝宝年間にそれぞれ推定されている︒ おもな検出遺構には礎石建物四棟・掘立柱塀五条・溝一九条・石敷道路四条がある︒ 出土木簡総数は六六点であり︑そのうち二〇点はA期以前の土墳6X呂呂から︑八点は斜行古溝印り呂とから︑一九点はC期又はD期の南北溝∽り回氾から出土している︒その他︑B期の東西棟∽∽呂畠・掘立柱塀S A 9063 'C期の掘立柱塀SA90呂︑E期の南北棟叩一回ぶ・東西棟印り回ぶ等の柱掘形や整地土中からも若干の出土を見た︒ 印X呂呂は︑発掘区中央東よりのA期以前の土墳であって︑ここから出土した木簡は大部分が断片や腐蝕したもので︑釈読できるものは少ない︒年紀を記した木簡はないが︑参河国碧海郡の里名を列記したと考えられる木簡が含まれており︑その表記の仕方から和銅年間頃と推定される︒ ∽む呂呂は発掘区の東北端から検出された素掘りの浅い南北溝である︒性格は不明であるが︑層位と建物の配置から見てC期又はD期に属すると考えられる︒木簡は一九点出土したが削屑が多い︒
aり回とはA期以前の溝で︑埋土中から平城宮I・n期 ‑
1
の土器が出土した︒木簡は八点出土したが︑いずれも釈読
は困難である︒なお︑A期と考えられる柱根に﹁雇工春日
刀良﹂と記したものがある︒
第一 一 一次調査 ︵6ABG≫BH'BT‑B Ug︶
昭和53年4月〜7月
発掘区は推定第一次朝堂院地区に位置し︑第一〇二次調
査地の南に続く場所である︒
調査の結果検出された遺構は︑礎石建物一棟︵推定東第
二堂︶︑掘立柱建物一棟︑掘立柱塀一条︑築地塀一︑溝コー
条などである︒東第二堂は前回の調査結果と合せて︑梁間
四間︑桁行二一間以上の規模をもち︑さらに南にのびるこ
とが明らかとなった︒
木簡は発掘区の東辺で検出した平城宮中央部の基幹排水
路である南北溝切りーぶと発掘区東端で検出した土墳印x
回台から出土した︒木簡は切口埓ぶから二三点︑∽X回台
から一点︑合計二四点出土した︒なお切りーぶは第四一次
調査︵昭和42年︶︑第九七次調査︵昭和51年︶および第一
〇二次調査︵昭和52年︶にも検出し︑木簡はそれぞれ七六
九点︑二︵五点︑三〇点出土している︒︵﹃木簡概報﹄冊︑ 由︑由﹂参照︶
第一一七次調査︵6 A B QK︶
発掘区は平城宮推定第一次内裏地区の東北隅に位置し︑
朝堂院の東辺をかぎる築地廻廊帥Q回呂・掘立柱塀?″
埓コ等の他︑井戸ω吻旨さ・掘立柱建物ω口呂回等を検出
した︒木簡はωM呂芯から一点出土した︒
第一 一ハーハ次調査︵左京三条一坊一五坪︶
︵6 A F I ‑VK︶ 昭和54年7月〜8月
本調査は︑ホテル建設に伴う事前調査として実施したも
のである︒当該地は平城京左京三条一坊一五坪の西端部分
に相当し︑平城宮第三二次調査で明らかにされた︑二条大
路と東一坊大路の交差地点からは南へ約一五〇mに位置
し︑東一坊大路西側溝の存在が予測された場所である︒
調査の結果︑掘立柱建物三棟︑土墳七︑溝二一条︑旧河
川一条を検出した︒
木簡の出土総数は一八点て︑すべて東一坊大路西側溝印
りざSから出土した︒
2 −
一
東一坊大路西側溝は︑調査区内では推定される溝幅の約
三分の二︵三〜四m︶を検出した︒溝埋土は上下二層に大
別される︒木簡は下層から多量の木片と共に出土し︑特に
調査区北端部分からまとまって出土した︒下層からは︑木
簡の他に和同開彿二枚︑多量の奈良末期︵平城宮V︶と少
量の長岡宮時代︵平城宮Ⅵ︶の土器も出土した︒また上層
からは九世紀前半の土器片が少量出土した︒
出土した木簡は︑文書風木簡︑付札・習書等を含むが︑
いずれも断片あるいは削屑である︒
第一一八−二二次調査昭和54年12月
本調査は植樹祭のための市道拡幅に伴う事前調査として
実施したものである︒調査地は北新大池の池底で二条大路
の南北両側溝の存在が予想された場所である︒
木簡は南側溝帥り色目から二点出土した︒両方とも題籤
と思われるもので︑軸の木口部分に国名を記している︒
第一 一八−二三次調査 ︵左京三条二坊七坪︶
昭和54年12月 本調査は︑マンション建設に伴う事前調査として実施したもので︑当該地は左京三条二坊七坪の東南隅にあたり︑約一六〇「について発掘した︒ 調査の結果︑二坊坊間路の西側溝とその西約丁五mに南北溝一条︑柱穴ぺ土墳二を検出した︒坊間路西側溝は幅約二・五m︑深さ〇・九m︑溝の堆積は大きく二層に分れる︒木簡を含めて︑遺物は主に上層から出土した︒ 遺物は︑木刀・儀使用の弓・人形・削り掛け・曲物・多量の加工材等の木製品・平城宮I・n期の土師器・須恵器多数と瓦である︒須恵器には︑﹁主水司﹂・﹁国造少乃古﹂と墨書したものもある︒ 木簡は総数一八点出土したが︑下層から出土したのは一点で他は上層からである︒完形品は一点にすぎず︑他は断片である︒
第一二I次調査︵左京三条二坊六坪︶ 昭和55年1月
調査地は︑左京三条二坊六坪のほぼ北端にあたる︒左京
三条二坊六坪は第九六次調査︵昭和50年︶によって︑奈良
時代の庭園とそれに関連する建物跡とが検出され︑昭和51
3
年12月に宮跡庭園として特別史跡に指定された場所である
︵﹃平城京左京三条一一坊六坪発掘調査概報﹄昭和51年3月︑
奈良国立文化財研究所参照︶︒
今回の調査は︑前回未調査のまま残された園地への導水
路の部分について行なった︒
導水路は三層に分けられる︒出土木簡総数は三八点て︑
その内訳は︑上層から出土したもの五点︑中層からが一点︑
下層から出土したものが三二点てある︒紀年銘をもっもの
は︑和銅三年の一点のみである︒同所からは﹁侍従﹂と墨
書された須恵器も一点出土した︒
第一一ハー三〇次調査︵阿弥陀浄土院跡︶昭和55年2月
発掘調査は法華寺旧境内の西南部分にあたり︑阿弥陀浄
土院跡と推定されるところで行なった︒調査は共済組合職員
宿舎の外縁工事の事前調査として行われたため︑調査面積
は六〇「にとどまった︒検出した主要な遺構は︑浄土院内
の西辺で南北溝一条︑また北辺では東西に流れる大溝︑及
び南北溝へ西から流れこむ木樋暗渠等である︒木簡は︑こ
の木樋の中から多量の木片とともに一点出土した︒ この南北溝と木樋とは奈良時代のものと判断されるが︑東西大溝は平安末に埋められており︑その造成時期は不明である︒
二︑木簡の形態分類
色に型式 長方形の材︒
色ぶ型式 長方形の材の側面に孔を穿ったもの︒
呂芯型式 一端が方頭で︑他端は折損・腐蝕などによって
原形の失われたもの︒原形は6011 ・ 6032 ・ 6051
型式のいずれかと推定される︒
呂2型式 小形矩形のもの︒
呂目型式 小形矩形の材の一端を圭頭にしたもの︒
呂ど型式 長方形の材の両端の左右に切り込みをいれたも
の︒方頭・圭頭など種々の作り方がある︒
目脂型式 長方形の材の一端の左右に切り込みをいれたも
の︒
目脂型式 長方形の材の一端の左右に切り込みをいれ︑他
端を尖らせたもの︒
呂脂型式 長方形の材の一端の左右に切り込みがあるが︑
4 −
他端は折損・腐蝕などによって原形の失われた
もの︒原形は6031‑呂脂・呂脂型式のいずれか
と推定される︒
呂認型式 長方形の材の一端を尖らせたもの︒
目留型式 長方形の材の一端を尖らせているが︑他端は折
損・腐蝕などによって原形の失われたもの︒
原形は6033 ・ 6051型式のいずれかと推定される︒
目宮型式 用途の明瞭な木製品に墨書のあるもの︒
呂呂型式 用途未詳の木製品に墨書のあるもの︒
呂2型式 折損︑割截︑腐蝕その他によって原形の判明し
ないもの︒
若巴型式 削屑
三︑凡 例
日 釈文は出土遺構ごとに掲げる︒最上段に出土地点︵ア
ルフでペット・数字︶と層位︑つぎの段に形態による型式
分類番号︵本概報では千位の6を省き︑三桁で表わす︶を
それぞれ記入した︒また必要なものには遺構番号を釈文の
下に付した︒
口 釈文に加えた符号はつぎの通りである︒ ■■■口口口口目口﹂円口口 口
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抹消した字画のあきらかな場合に限り原字の左傍
に付した︒
抹消により判読困難なもの︒
欠損文字のうち字数の確認できるもの︒
欠損文字のうち字数が推定できるもの︒
欠損文字のうち字数の数えられないもの︒
記載内容からみて上または下に少くとも一字以上
の文字を推定したもの︒
異筆︑追筆
合 点
木簡の表裏に文字のある場合︑その区別を示す︒
編者が加えた注で疑問の残るもの︒
文字に疑問はないが意味の通じ難いもの︒
校訂に関する注のうち︑本文に置き換わるべき文
字を含むもの︒
右以外の校訂注および説明注︒
5
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第一一〇次調査
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平城宮木簡出土地点略図
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平城京木簡出土地点略図
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