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[書評] Helene Couderc-Barraud, La violence, l'ordre et la paix, Resoudre les conflits en Gascogne du XIe au debut de XIIIe siecle

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(1)

[書評] Helene Couderc‑Barraud, La violence, l'ordre et la paix, Resoudre les conflits en Gascogne du XIe au debut de XIIIe siecle

著者 横井川 雄介

雑誌名 史泉

巻 111

ページ A45‑A54

発行年 2010‑01‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/00023701

(2)

〈書評〉

Hélène Couderc-Barraud, La violence, l’ordre et la paix,

Résoudre les conflits en Gascogne du XIe au début de XIIIe siècle

Toulouse, 2008, 378 p, 35 euros.

横井川 雄介

は じ め に

本著は,暴力と平和,それに関わる秩序維持の観点から,

11

世紀から

13

世紀初頭にかけて の,フランス南西部のガスコーニュ地域における紛争解決方法について取り上げている。

ガスコーニュは英仏百年戦争起源論の中で争点となる地域で,我が国においても議論の対象と なってきた。ところが英仏両国の研究者も,一国史観にとらわれている実態があった。

イギリスでは,中世にはフランスにも領土を持っていたとする大英帝国史観が支配的であり,

フランスでは,自前の王権を浸透させていく最中で,行政的にも制度的にもひとまとまりの王国 ができる,いわばフランス王国発展史観が支配的であった背景が指摘できる。

ただ,ガスコーニュを英仏両王家の利害からではなく,現地の利害から考察する最新の研究動 向も

M

.ヴェイル以来活発になっている。その意味で本著は,イングランド王家やフランス王 家の視点からではなく,カルチュレールの分析を通じて,あくまでも現地の聖俗領主を中心とし た視点から,裁判などによる紛争解決の実態を分析している点で意義深い。

本著は

3

9

章構成である。第

1

部では裁判を行い,平和を確立するための権威が果たした機 能について述べられており,第

1

章から

3

章まで。第

2

部は裁判を受けるべき人々として,農村 と都市の人々を取り上げていて,第

4

章から第

5

章まで。第

3

部では実際の訴訟手続きからのそ の過程,プロセスについて述べられており,第

6

章から第

9

章までである。

以下でその内容の紹介を行い,論評を付け加えていきたい。

1

部 裁判を行うための権限,平和を確立するための権限

カロリング期のイデオロギーにおける,全ての自由人は裁判時には,その地方の君主もしくは 代理人の面前に出廷せねばならないという原則が提示される。それを踏まえた上で,封建制時代 の公的裁判は脆弱性を指摘している。その地方の大領主,伯の法廷が,貴族階級の紛争を仲裁す ることが少なくなり,上級領主法廷で貴族階級の紛争が記されなくなったと指摘し,さらに,自 由農民が公的裁判に関わることが少なくなったと指摘している。

― 45 ―

(3)

1

章 ビゴールとベアルンにおける公的裁判

1

章では,ピレネー山麓に位置するビゴール伯領とベアルン副伯領の公的な裁判について,

取り扱われている。ビゴールとベアルンは,イングランド王家及び同王家が

1248

年にガスコー ニュに派遣した,シモン・ド・モンフォールにとって戦略的に重要な場所であった。その前段階 にあたる

11

世紀から

13

世紀初頭には,この両地域では史料が豊富なため,ガスコーニュのその ほかの地域とは分けて論説している。

ビゴール伯は,神の平和運動に関連する平和を乱した者から,

5

スーから

65

スーの罰金を徴 収している。罰金の支払いに応じない者は,伯によりその領地や財産を差し押さえられる。伯の 裁判は,高位聖職者,ラヴーダン副伯に加えて,伯が任命した

2

人の人物により行われ,ラヴー ダン副伯が裁判を代行していた。副伯と対立する当事者が現れた場合は,副伯の上級領主にあた る伯のもとへ上訴した。その反対に副伯も,土地の問題が生じた際に,伯へと上訴していた。た だ伯が直接裁くことは禁止されていたようである。

ベアルンはビゴールに比べると,カルチュレールによる言及での論証は難しいが,裁判記録は 豊富である。副伯は現地の紛争への仲裁に乗り出すことはあるが,副伯が直接裁くことはなかっ た。その点はビゴール伯と同様である。コミューヌについての裁判権は,オロロンとモルラアス の事例が取り上げられている。オロロンでは,副伯が都市と庇護(ソヴテー

sauveté)に関する

協定を結んでいる。この協定のためには,周辺の街区の住民の一定の宣誓が必要とされた。協定 に取り決められた範囲にいる人物を攻撃した外部の人間は

900

モルランヌ貨スーを罰金として徴 収される。ただ,この範囲内では武器の携行が認められているように,副伯による合法的な暴力 が容認されていることが示されている。

ビゴール伯もベアルン副伯も,平和を確立させるための暴力の抑制を,休戦だけでなく差し押 さえなど合法的な暴力によっても,行っていたことが分かる。ただ差し押さえが暴力かどうか は,先行研究でも議論を避けられてきており,デリケートな部分でもあろう。

2

章 ガスコーニュにおける俗界裁判権

ビゴールやベアルンに比べると俗権と教権の対抗図式はいくらかの要素で,鮮明に見える。そ れぞれの権力がどのように機能したかについて研究する必要がある。

アキテーヌ公は地域の紛争を仲裁することは極めて稀であった。それは,ラ・レオールやソー ヴ・マジュール大修道院が,公が介入できないような特権を有していたこととも関連する。公の 仲裁が仮にあったとしても,ボルドーやバイヨンヌなどの主要都市の極めて局地的であった。こ の状況が変化するのはプランタジネット家の統治である。多くのプレヴォの設置と上級役人とし てのポワトゥー・セネシャル,後のガスコーニュ・セネシャルを設置として,公の滞在が稀にな るのと引き換えに行政システムを発展させた。この制度は現地の人々にとって,当初は受け入れ がたいものであった。

カルチュレールにおいて,

cour

の用語は教会に関する法廷である。俗界法廷を指し示すこと は少ないものの,最も権威高い法廷としてガスコーニュ法廷を挙げており,多くの地方君主と

2

― 46 ―

(4)

人の高位聖職者によって再構成されている。それに加えて,ベアルン女副伯,アスタラック伯,

ダックス副伯の法廷についても言及されているが,集会自体の評価ではなく,主宰した人物と出 廷した人物のみの言及である。貴族のメンバーは,バロンから騎士までの

7

階級に定義されてい るが,多くの事例においてそれぞれの特質は言及されず,その名のみが言及されるにとどまって いる。

11

世紀から

13

世紀初頭の訴訟における制度的な発展により,告訴や暴力について解決,ある いはそれらへの従事を断念させるのは,大領主や宗教関係者ではなく,その臣下の手腕によるも のであった。11世紀から

12

世紀後半まで,領主たちは社会的秩序維持に不可欠な主役であった が,その主役の座を巡って競争していたように思われる。

この論説からは,仲裁という手段を講じて,個々の領主がその権威を高めようという意図をく むことがうかがえる。本著が対象としている時代以降とりわけ

1259

年以降に,

M.

ガヴリロヴィ チ,R. スタッドら古くから

1990

年代の研究にて,イングランド王家とフランス王家が権威を高 めることで英仏百年戦争の引き金となったことが指摘されている。

3

章 聖界裁判権

3

章では,前章での俗界裁判権に対して,教会関係者や修道院などの聖職者の裁判権につい て言及されている。著者は本論に入る前に,宗教勢力の確立について論説している。修道院はそ の創設者やパトロンの貴族からの庇護を受けて,母体の大修道院を頂点とする,司教は一部ある いは全てがローマ教皇を頂点とするヒエラルキーに組み込まれていた。修道院と司教は独自の裁 判権を持っており,俗界領主を介入させない仕組みがあった。

修道院の裁判権は,大修道院長もしくは小修道院長に由来しており,俗界大領主の役人がその 権利を剥奪することはできなかった。修道院長は敵対者に裁判権を行使し,出廷させることがで きた。ソーヴ・マジュール大修道院では大修道院長自身の裁判権の行使について言及されてい る。多くの修道院での訴訟は,聖職者の利害関係と同様に,その場所に権利を持つ俗人に関わる 利害と一致した際の妥協によって解決している。裁判拒否のケースでは,修道院はより権威を持 つ第三者に訴訟を持ち込んで,解決を依頼した。

ガスコーニュの紛争にローマ教皇が仲裁に入る事例は,いくらかの事例ではローマで扱われた が,裁判官派遣の事例が多かった。最終的に教皇によって派遣された裁判官もしくは教皇特使に よる仲裁が,ガスコーニュの複雑な慣習法の解釈に踏み切らせることはなかった。

俗界の大領主と高位聖職者との関係は,紛争の解決やその最中に起こる決闘の取り決めなどで 共同していた。ただ,

2

つの権威の共存について言及するのはしばしば難しい。ただ,宗教関係 者同士の対立では聖俗双方の権威の存在が見受けられる。またどちらかが訴訟に関わった場合に は,残ったもう片方の権威が仲裁に入っていた。両者は対立することはあったが,お互いに固有 の裁判権を奪い合うことはなかったのである。

― 47 ―

(5)

2

部 裁判を受けるべき当事者

2

部では,裁判を受けるべき当事者として農村と都市の人々の状態について言及されてい る。著者は,G.デュビィの主張を借り,vicarius法廷が貴族の都合の良いように変化し,貴族 が自由・不自由農民への裁判を管轄するヴィギエになったとしている。

4

章 裁判と農民

農民の境遇はガスコーニュほど知られていないところはない。ただ,農民の状況は一様ではな く,常に全体的に没落していた訳ではないことが示される。

まず農民が管轄されるヴィギエ管区について述べられている。ただ,ヴィギエ管区の研究にお いても,農民について記された有効な史料はなく,その史料も断片的なものである。ヴィギエに 連なる用語で,villicatio が言及されている。これにはペイリサ修道院が,その権利と財産を守る ために契約した

villicus

も関連する。サン・モンのカルチュレールでは,農民間の裁判が示され ている。ヴィギエは農民層における紛争解決を担っていたが,全ての問題が解決された訳ではな いようである。

農民が関わった裁判についての記録は,ソーヴ・マジュール大修道院のカルチュレールに圧倒 的に多く含まれている。ただ,農民を含めた非貴族について関わる裁判権については,はっきり と区別するのは難しい。

多くの訴訟において,農民の利害関係は登場するが,農民の領主が利害関係の侵害者だったか らにほかならない。いくらかの証書には,農民による不服申立や所有権返還要求が現れるが,臣 下から領主になされる告訴が問題で,カルチュレール作成の際に生じうるものに過ぎないのであ る。

以上のように,裁判と農民の関係はおぼろげにしか明らかになっていないのである。評者の研 究によれば,農民が告訴する側として現れるのは少なくとも,14世紀に入ってからである。マ ルサン女副伯コンスタンスの代理人として自由農民が登場する。

5

章 村落共同体と都市共同体

ガスコーニュにおける居住地の発展に関わっていたのはソヴテーである。レザのカルチュレー ルからは,その修道士がレザの住民全てとソヴテーの内部で違法行為を行った者たちへの裁判権 を持っていたことが明らかになっている。

裁判と居住区との関わりの個別事例の分析は,B.キュルサントによって研究されているカス テルノー・バルバランスの事例に加え,コルネイヤンとサン・ゴーダンスの都市の事例が取り上 げられている。

修道院から派生した都市の事例ではラ・レオールとサン・スヴェールの事例が挙がっている。

ラ・レオールでは小修道院長が,サン・スヴェールでは大修道院長が裁判権を持っていた。そこ

― 48 ―

(6)

に暮らす人々は,小修道院長もしくは大修道院長に服属していた。ラ・レオールでは紛争解決が 俗界領主に委ねられたのに対して,サン・スヴェールでは主に聖職者が紛争解決にあたってい た。

都市における裁判では,バイヨンヌとクワラックの事例が挙げられている。バイヨンヌでは都 市民と司教が対立し,リチャード獅子心王が仲裁に入っている。ヴィギエ裁判権を公の権威下に 戻し,経済についての権利は司教に与えている。バイヨンヌでの罰金はほかの地域と比べて罰金 が多様化しており,

6

スー,

18

スー,

66

スーの罰金は犯罪ごとに加算され,様々な数値を示 す。この罰金は都市の住民に暴力についての権利が認められたことに関わっている。また,都市 におけるソヴテーは,大領主がその共同体をその傘下に置くことが目的で,直接ソヴテーとは関 わらないが,慣習法の授与もその意図が働いている。クワラックでは,修道院への土地の寄進を 巡って,女性寄進者アダロードの親族と寄進先の修道院が裁判権と十分の一税の徴収権を巡って 対立した事例が,ソーヴ・マジュール大修道院のカルチュレールに見られる。

バイヨンヌでは住民の自決権を認められていないが,ベアルン,バニェール・ド・ビゴール,

サン・ゴーダンスでは暴力に関する権利と住民の自決権として,とりわけ復讐の権利が認められ ている。都市や街区の紛争解決のための手続きに関わる非貴族層の出現と密接に関連する。事例 によっては,商人や職人が仲裁に入ることもあった。サン・スーラン修道院のカルチュレールで は権威のある人物の取り巻きに,第三者としての非貴族層の出現が言及されている。俗界大領主 は,ソヴテーや慣習法を通じて,都市共同体との利害を一致させていた。評者はこのような施策 が対立領主との紛争で,大きな役割を示しているのは,英仏両王家レヴェルにおいても重要にな ってくるとみなしている。

3

部 訴訟プロセスと訴訟手続き

3

部では,実際に紛争がどのように解決されていたのかについて言及されている。紛争の位 置は訴訟プロセスと訴訟手続きの流れにて記され,さらにこの訴訟の流れは,権力者の権威の及 ぶ役割や領域についても示しているのである。

6

章 暴力

6

章では暴力の概念について問題提起がなされている。カルチュレールにおいて暴力は不正 とよくつながっていた。それを踏まえた暴力として,頻繁に登場するのが財産もしくは権利の差 し押さえである。

著者は暴力を差し押さえ,不和,略奪,不正行為に分けて考察している。そのうえで,俗界貴 族,聖職者,下層の人々の

3

つの階級に分け,暴力の実態と概念の相違について詳細に分析して いる。

人々への損害は侮辱,殴打,傷害,殺人とみなされる。侮辱は,サン・スヴェールの事例で は,当事者の直接的な不和や摩擦の意味で合致している。略奪の問題については,係争財産の差

― 49 ―

(7)

し押さえとの区別が難しいと述べられている。著者は,そのことを用語の使用体系に混同が見ら れることが原因だとしている。修道院側は略奪と記録している行為が,俗界領主側は正当な権利 による差し押さえであると主張しているからである。背景には親族の土地の寄進に対する異議申 立が想定される。ただ,全体的に一方的な略奪と定義できる事例が少ないのが現状であろう。

俗界貴族は紛争の当事者として問題である。その紛争において仲裁者として登場するのが,そ の地方の大領主である。大領主は紛争当事者の所有地内での紛争について,彼らへの権威の浸透 の有無に関わらず,仲裁に入る権力を持っていた。所有地内部に比べて,所有地外部での紛争は 不明瞭な部分も多いが,内部の安全と外部への拡張が意味される。

またその紛争の被害者である宗教関係者も,場合によっては,その暴力により利益を受ける 者,もしくは暴力への加担者である事実も合わせて指摘される。彼らは俗人側の差し押さえや略 奪により被害は受けるが,一時的な被害にとどまる。さらには俗人側の権利放棄や補償の意味を 持つ寄進によって,将来的な収入源が存在していたのである。さらに宗教関係者の暴力は,殺人 やソルド大修道院長ギョームのような戦争行為に及ぶような事例もあるが,大半は対立する宗教 関係者の所有権に関わる財産や権利の差し押さえに終始している。

宗教関係者と同様に,下層の人々は暴力の被害者であると同時に加担者でもあった。被害を受 けるのは俗界諸侯同士の紛争や宗教関係者における紛争においてである。俗界大領主と高位聖職 者は,下層の人々を守るため,その要請に応える形でソヴテーを創設しているが,その保護の協 定が新たな紛争を招くことになった。軽度の暴力では,下層の人々が強奪された対象の差し押さ えとみなしていた,窃盗が挙げられる。ただそれ以上の傾向が典型的に表れるのが,バニェール

・ド・ビゴールにおける裁判権を巡る問題である。このような住民の暴力だが,大領主との交渉 の最中で,領主側の権利が分け与えられて,その一部について認められていた傾向がある。住民 が持つ裁判に関する権利は復讐権だけではなく,外部の侵入者に対する扱い,罰金の徴収権にも 及んだことにも関わっている。

理想的な解決は法に基づいた和解や妥協であったが,様々な当事者がからみ,暴力が必要悪に ならざるを得ない状況が存在していたのである。裁判を主宰する側においても,裁判を受ける側 においても,現実と理想の狭間で暴力の抑制がきかなくなっていたことが評者の視点からうかが える。住民の復讐権を認めなければならないのも,暴力の抑制ゆえの暴力というまさしく毒をも って毒を制すという図式からではないだろうか。

7

章 訴訟における用語

7

章で言及される訴訟における用語は,政治上,裁判上,社会上の文化の概念を反映してい る。justicia, placitum, lis, causa, controversia, questioの意味合いと使用の頻度が述べられている。

ここではとりわけ

justicia

の概念に多くの論説が見られる。

ガスコーニュにおける

justicia

は,単なる裁判の意味だけではなく,裁判に反する動向に関係 した財産もしくは権利の所持が不当か正当かの論理も含まれていた。それゆえ,記録上では

juste

unjuste

の使い分けが曖昧である。

― 50 ―

(8)

placitum

は訴訟と同義で使用され,公的要素を持つ訴訟続きの指標であった。アドゥール川流 域やピレネー山麓地域では,第三者の仲裁する訴訟の手続きが問題とされている。この

placitum

は訴訟上での解決が確定するまで行われている。

lis

placitum

と同等の意味で使用されていた が,後者は俗界領主が関わるのに対して,前者は高位聖職者が当事者もしくは第三者である場合 に使われたと述べられている。causa は

placitum

lis

と同様に,カロリング期に使われていた 語彙に由来している。この用語の意味は裁判の最中で起きた紛争を示している。用語の使用につ いては,訴訟手続きと専門的な裁判につなげる意図との関係があった。

controversia

は,決議へ のプロセスについては言及されていないが,裁判とは違う扱いがなされている。宗教関係者同士 の抗争における第三者の聖職者の仲裁においてよく言及されている。questioは,紛争そのもの よりも係争の原因について意味合いが強い。教皇ら高位聖職者の仲裁が,この用語の使用頻度を 高めた一因とされている。さらなる訴訟用語では,告訴を通じての所有権返還要求の意味を示す

calumonia, querimonia

がある。

問題は,訴訟用語がどの立場の人間によって使用されていたかである。裁判を主宰する側と,

裁判を受ける側で相違はあるが,主に裁判を主宰する側がこれらの用語を使用している。それゆ え,訴訟プロセスの中で裁判を受ける側の意図が隠されたことを看過してはならないのである。

8

章 訴訟手続き

著者は

D.バルテルミの主張を引用し,私的な同意や訴訟中の段階で考えられうる判決の公

示の回避に行きつく概略を提示している。ガスコーニュもこのプロセスに当てはまる。評者の研 究時代にもそのような動向が続いている。この章は,著者が最も多くの頁を割いているように,

本著の根幹部分でもある。

訴訟を取り扱う裁判集会は,俗界大領主が権利を持ち,その面前で管理されるものである。裁 判集会での決議には当初の封建制に基づいて,妥協と同様に,いくらかの段階が存在していた。

俗界領主の非公式・公式な紛争の度々の仲裁は,強制力を持つとみなされている。かの領主たち は紛争を鎮めるために尽力していたのである。訴訟そのものや訴訟手続きには,保証人が選任さ れていた。保証人は証書の管理,共同宣誓,訴訟の当事者の出廷示唆などの役割を担っていた。

ただ,保証人への言及は極めて稀にしか現れない。

ガスコーニュの訴訟において証拠と採用されたのは,中世中期にローマ法とカノン法の概念が 発達するまでは,非合理的な証拠としての神判と決闘であった。決闘は判決による直接の交渉も しくは仲裁による解決のプロセスを提示することになった。カルチュレールにおいて決闘がどの ように展開されたのかは展開されていないが,訴訟の当事者やその代闘士が,頻繁に決闘に従事 していたのではなかったことが示されている。決闘は当事者を権利放棄もしくは和解に導く脅威 はあった。ところが,決闘は証書や宣誓などの犯罪の証拠を裏付けられることが稀であったがゆ えに,あまり行われなかった。

宗教関係者も決闘に関しても重要な役割を担っていた。決闘事例への仲裁を通じて,俗界の紛 争に深く関わろうとしていたからである。決闘は世代を超えて長引くこともあり,決闘が仮に始

― 51 ―

(9)

まったとしても,第三者との仲裁に持ち込める特権は残されていた。決闘で敗れた当事者は第三 者との交渉権を失う。ところが,第三者はその当事者に和解を促している。決闘には絶対的な問 題解決の権限はなかったのである。

ガスコーニュの訴訟では判決に至る事例は稀である。裁判を主宰する俗界・聖界領主が,平和 の確立のために,そして当事者間で妥協させるのに作用した法廷決闘の開催のために存在してい たからである。その決闘も最後まで実行される事例は少なかった。

紛争の大多数は妥協か当事者間の賠償で終わる。しかし,当事者のどちらかが自前の権利を追 求したゆえに,未解決となる紛争も多かった。とはいえ,問題が解決したか,しなかったかの物 差しがどこにあるのかは,この章でもあまり触れられていなかった。史料上の限界もあるが,訴 訟を通じての解決が可能だったか不可能だったかの議論についてはどうしても,史料編纂者とそ れを使う研究者のバイアスを意識しなければならない。

9

章 裁判上での合法性

9

章では訴訟に関わる要素として,用語の用途,当事者間の契約,法律の

3

つのモデルタイ プを提示されている。

用語の用途については,ラテン語で

lex,ガスコーニュ語で lei

という用語は,カルチュレー ルによって異なる意味が取られている。ソルドのカルチュレールでは,臣下が領主になすべきこ ととして,dreit(権利)とともに使用されている。ビゴールのカルチュレールでは,裁判権の行 使の意味で使用される。

lex

の用語はビゴールの事例のような裁判権の行使の意味と裁判の結果 として生じる罰金や強制される規定という二重の意味を持っていた。

当事者間の契約については,バレージュにおける人質の規定とサン・ゴーダンスの慣習法に,

訴訟当事者と大領主との間に契約的な側面があったことが指摘される。

法律については,ローマ法とともにその概念が取り入れられたカノン法と法律の専門家の登場 について述べられている。カノン法はとりわけ教会に関わる法で,オーシュのカルチュレールで は,アスタラック伯の結婚の是非を巡るケースで「聖なるカノン法」について言及されている。

カノン法は聖界人の訴訟,手続き,決議などに影響していた。

12

世紀になって,ガスコーニュにローマ法の影響が法律の専門家の出現によって現われ始め ていた。マギステルと呼ばれるこの人物は,賢人衆や裁判官に助言を与える役割と宗教関係者と 俗人との紛争において仲裁に入る役割を担っていた。このマギステルはガロンヌ川下流域,レザ を中心とする東部,オーシュからペルドゥーといった南部地域に展開される。

お わ り に

以上のように本著の内容をかいつまんで紹介したが,ここで論評に移ろう。

著者は,ガスコーニュ北部のガロンヌ川下流域と南部のアドゥール川流域とピレネー山麓地域 に様々な面において明確な相違があったこと,さらには訴訟で目指されていたのはその事件の真

― 52 ―

(10)

相解明よりは,当事者間で最も公正だと思われる方策であったゆえに,社会秩序の維持に不可欠 な役割が失われたと結論付けている。

評者の研究分野でもガスコーニュ北部と南部の相違はうなずけるところである。さらに,著者 が史料として使用したカルチュレールの大部分が修道院のものであり,当然俗界の動向を評価せ ず,否定的に叙述するなどのバイアスがかかっている。そのハンデを乗り越えて俗界,大領主や 領主だけでなく下層の人々のイニシアチヴによる紛争解決を浮き彫りにしたという点。さらには 先行研究(1)でも無秩序な地域と定義されるガスコーニュにおいて,グレゴリウス改革や神の平和 の概念の助力によるところはあったが,紛争の解決を仲裁による妥協や法廷決闘内で交渉の余地 を残したように,平和裏に行おうとしていたことを明らかにした点。以上の

2

点において,本著 は王権が関わらない現地聖俗領主の動向に特化した,中世ガスコーニュ史上に大きな転換をもた らしうる研究であると言えよう。

ただ,それゆえ本著はいくらかの問題をかかえている。第一の問題点はガスコーニュの人々に 対する聖・俗さらには非貴族・貴族という区分について,細かい配慮に欠けている点である。

M.ヴェイルの研究では,ガスコーニュほど人々の身分確定が難しい地域はないことが示唆され

ている(2)。聖俗の問題では,著者が修道院に土地を寄進した者が修道士になるという言及を度々 行っているが,この人物は聖俗どちらかの立場に置かれるのかが問題となってくる。非貴族・貴 族の問題では,その垣根を超えていると見られる賢人衆やマギステル,さらには聖職者が訴訟の 当事者になった場合どちらの身分の立場を代弁するのか,という問題が浮上する。おそらく聖・

俗,貴族・非貴族と便宜上区分しているのであろうが,おそらくその区分に当てはまらない流動 性が,明確な上級権力の不在ゆえに指摘されるべきであろう。

第二に王権の存在を極端に排除したため,12世紀後半から

13

世紀初頭におけるイングランド 王家やフランス王家の影響についての論述が不足している点である。主に第

2

章において,イン グランド王=アキテーヌ公のリチャード,フランスルイ

7

世の現地紛争への仲裁や介入は若干述 べられているが,紛争の平和的解決を目指したガスコーニュにおける秩序維持が,あたかも現地 の聖俗領主の力だけでなされていたという論述に終始しているように思われる。確かに本著で扱 われている時代は,王権の非常に弱い時代ではあったが,現地大領主が紛争の解決に行き詰った ときに,上記の王権を意識しないとは考えにくい。この点は現地人からの視点の研究の大きな課 題であり,王権との関係とどう釣り合わせるのかが,評者の研究においても焦点となる。

とはいえ,この問題点はガスコーニュ史が抱える難しい側面である。ヴェイルの英仏両王家間 のガスコーニュ問題=英仏百年戦争起源論を否定する論理から発展した,ガスコーニュ現地聖俗 領主さらにはその下に属する農村や都市の人々のイニシアチヴを読み取る新たな研究動向に,本 著が大きく寄与することを願うものである。

⑴ ガヴリロヴィチからヴェイルに至る研究の流れの中で,ガスコーニュは無秩序な地域という見解は一 致する。Gavrilovitch, M., Etudes sur le traité 1259, Bibliothèque de l’Ecole des Hautes Etudes, vol.125, Paris, 1899. Vale, M., The Origins of the Hundred Years War : The Angevin Legacy, 1250−1340, Oxford :

― 53 ―

(11)

puk, 1996.

⑵ Vale, M., The Origins of the Hundred Years War : The Angevin Legacy, 1250−1340, pp.101−108.

(関西大学大学院文学研究科・博士課程後期課程)

― 54 ―

参照

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