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(1)

「人道的介入」の政治的ディレンマ : NATOによる ユーゴスラヴィア空爆の事例を手がかりに

その他のタイトル The Political Dilemma of Humanitarian

Intervention : NATO's Air Campaign against Yugoslavia

著者 安武 真隆

雑誌名 關西大學法學論集

巻 51

号 2‑3

ページ 490‑543

発行年 2001‑09‑10

URL http://hdl.handle.net/10112/00023567

(2)

﹁ 人 道 的 介 入

の政治的ディレンマ

第一章﹁不正﹂に対する介入の論理と一六世紀フランス宗教戦争

いキケロ﹃義務論﹂における介入の﹁義務﹂

伺カルヴァンの権力服従論

伺フランスにおけるユグノー

同﹃暴君に対する権利の主張j

りその後の宗教戦争の展開

伺介入の論理のディレンマ

詞﹁人道的介入﹂の論理との比較

NATOによる﹁人道的介入﹂

伺正当理由と正当な権威 伺結果の善と手段の悪 伺最終手段としての空爆 NAT0軍とアメリカの動機の正しさ

第一二章﹁人道的介入﹂における﹁力﹂と﹁正義﹂

ぃ﹁力﹂と﹁正義﹂との相剋

伺﹁人道的介入﹂を促進する﹁力﹂

伺﹁人道的介入﹂の政治的ディレンマ

結びにかえてー︿可能性の術﹀としての政治学ー 安武

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Oによるユーゴスラヴィア空爆の事例を手がかりに

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(3)

冷戦の終結以降︑ある国の内部でその国民に対して政府が行う大量虐殺のような﹁非人道的﹂行為を︑その国の主

(1 ) 

権を持たない諸外国が武力で阻止しようとする﹁人道的介入﹂の試みが注目を集めている︒最近の事例としては︑ア

︵北大西洋条約機構︶が行ったユーゴスラヴィアヘの空爆を挙げることができよう︒N

ATO

やアメリカは︑ミロシェヴィッチ・ユーゴ大統領︵当時︶が︑自国内のコソヴォ自治州に住むァルバニア系住

民の自治権を剥奪した上︑さらに﹁民族浄化﹂を行っていると主張し︑これを阻止すべく空爆を遂行した︒彼らは︑

ミロシェヴィッチの所業を︑かつてのナチスによるユダヤ人虐殺に重ね︑同じ悲劇を繰り返さないためにも︑﹁国家

主権の平等﹂や﹁内政不干渉﹂という従来の国際法上のルールよりも︑国の内外を問わず﹁人権﹂保障を優先すべき︑

しかし︑このような論理による空爆は︑かの地での﹁非人道的﹂措置を止めるのに貢献したのだろうか︒確かにミ

ロシェヴィッチは事実上屈服した︒しかし︑アルバニア系住民の難民化は空爆開始後に一層激しさを増したし︑空爆

によるユーゴ軍の撤退後︑今度はアルバニア系住民によるセルヴィア人襲撃が相次いでしまった︒ユーゴスラヴィア︑

およびその周辺諸国では今もなお﹁非人道的﹂な行為が繰り広げられている︒

本稿は︑政治学史研究を行ってきた筆者が︑現代の﹁人道的介入﹂をめぐる政治的ディレンマを考察する試みであ

る︒ここでいう政治学史とは︑政治学の一分科であり︑政治をめぐって絶えず積み重ねられてきた思想的・理論的営

為を概観するものである︒そして︑少なくともヨーロッパにおいて︑およそ名のある政治学者であれば誰であれ︑政

メリカを始めとするNATO

(4)

1)  

第五一巻ニ・三号

治学史・政治思想史の講義で取り扱う︑プラトン︑アリストテレス︑キケロ︑マキアヴェッリ︑ホップズなどの著作

を単に時代遅れのものとはせず古典として親しみ︑そのうえで︑それぞれの時代の政治学を展開してきた︒つまり︑

それぞれの時代において政治について語った人々は︑目の前の政治について考えるにあたって︑古い本を読みながら

(2 ) 

考えるという態度を身につけていた︒彼らは︑まず過去に向かって助走してはじめて︑現在を見据え未来を展望する

ことができると考えていたのである︒このように政治学は︑歴史的に先行する政治学の歴史との対話の中で自らを形

成してきた︒残念ながら︑近年の政治学史研究は︑歴史・哲学研究として高度に洗練された結果︑現代の政治現象を

扱う実証的な政治学者とのコミュニケーションすら容易にはかれないまでに蛸壺化︑専門分化が進んでいる︒本稿は︑

(3 ) 

従来︑主に国際法や国際政治の分野において議論が蓄積されてきた﹁人道的介入﹂について︑政治学史の観点から発

( 4)  

言することを通じて︑専門分化の弊害を是正し︑本来の政治学のあり方を回復しようとする試みでもある︒

本稿は︑ヨーロッパ政治学史上繰り返し登場してきた一二つの論点を﹁人道的介入﹂と関連づけつつ︑次のような順

序で進められる︒第一に︑政治学史の中で展開されてきた武力介入を正当化する論理を検討し︑これを﹁人道的介

入﹂の論理と比較することを通じて︑﹁人道的介入﹂の論理が持つ難点について指摘することを試みる︒続いて︑﹁人

道的介入﹂が必要であり正当であるとの判断の前提となっている﹁非人道的﹂出来事の事実認定にまつわる政治的諸

問題を︑正戦論の枠組を援用しつつ︑ユーゴスラヴィアヘの空爆の事例に即して確認する︒最後に﹁人道的介入﹂が

必要かつ正当であるとされる場合ですら︑﹁人道的介入﹂が政治的ディレンマを持たざるをえないことを︑ヨーロッ

パ政治学史の中で展開されてきた国家設立をめぐる議論を手がかりに考察する︒

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(5)

軍事的・非軍事的に介入︵内政干渉︶することを指し︑海外在住邦人の﹁人道﹂的保護・救援のための介入も含みうるもの であるが︑本稿では︑より限定的に︑かつ軍事的介入に力点を置きつつこれを論ずることとしたい︒本稿とは逆に非軍事的

側面の重要性と可能性を強調する議論として︑

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﹄の如初たな潮流とその意義ー問われる民主化と近代化への貢献ー﹂﹃国際政治﹄

︵日本国際政治学会編︶第二五号︑二000

0月︑一︱五ー一三0頁がある︒また

Hu ma ni ta ri an I nt e r ve n t io n

の訳語

としては︑﹁人道的介入﹂と並んで︑﹁人道的干渉﹂もしばしば用いられる︒後者は権限に基づかない強制的な武力介入とい う含意も持ちうる訳語であろうが︵例えば︑大泉敬子﹁ソマリアにおける国連活動の﹃人道的干渉性

jと国家主権とのかか

わりー﹃人間の安全保障型平和活動﹄への道ー﹂﹃国際法外交雑誌﹂第九九巻︑第五号︑二

000

年︱二月︒また︑﹁国際規

範文書の確立した訳語は尊重すべき﹂との立場から﹁人道的干渉﹂の語を用いるものとして︑大沼保昭﹁﹃人道的干渉﹂の

法理ー文際的視点からみた﹃人道的干渉﹄ー﹂﹃国際問題﹄

N Q 四九三︑二

0 0

一年四月︑ニー一四頁も参照︒さらに︑﹁人

道﹂と武力介入との間の不整合を一層顕在化させるためにH

n an i t ar i a nV io le nc

e というより強い表現を求める論者もいる︒

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23 24 

Ma rc h 2

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a t  O ki na ga   Ro om ,  S t  E dm un d' s  C o ll e g e,   Ca mb ri dg e.

︑本稿では︑訳語の曖昧さが持つ政治)

性を顕在化させる狙いも込めて︑﹁人道的介入﹂で敢えて統一する︒﹁人道的介入﹂の概念的な検討としては︑宮坂直史﹁冷

戦後の﹃人道的介入﹄とアメリカ対外政策﹂﹃政治学の諸問題︵専修大学法学研究所紀要︶j第四巻︑一九九四年︑一七九ー

0頁も参照されるぺきである︒なお︑ウォルツァーは︑抑圧に曝された外国人の生命が自国民︵とりわけ派遣されるこ

とが想定される兵士の︶の生命程には重んじられないことを理由に︑﹁人道的﹂動機が純粋に表明された例は皆無である︑

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g︑エリ・ウィーゼル︑川田順造編﹃介入?人間の権利と国家の論理﹂藤

原書店︑一九九七年がある︒

(2

) 福田有広﹁﹃政治学史﹂と政治学史﹂﹃福田歓一著作集月報﹂9︵第三巻︶五ー八頁︒なお︑このような態度を端的に示す

ものとして︑マキアヴェッリの以下の一節を参照︒

﹁夜がくると︑家に戻る︒そして︑書斎に入る︒入る前に︑泥や何かで汚れた毎日の服を脱ぎ︑官服を身に着ける︒礼儀

﹁人道的介入﹂の政治的ディレンマ

~

︵ 四

九 ︱ ︱ ‑

(6)

関法 第五一巻ニ・三号

三二四

をわきまえた服装に身を整えてから︑古の宮廷に参上する︒そこでは︑私は︑彼らから親切にむかえられ︑あの食物︑私だ けのための︑そのために私は生をうけた︑食物を食するのだ︒そこでの私は︑恥ずかしがりもせずに彼らと話し︑彼らの行 為の理由をたずねる︒彼らも︑人間らしさを露わにして答えてくれる︒四時間というもの︑全く退屈を感じない︒全ての苦 悩は忘れ︑貧乏も怖れなくなり︑死への恐怖も感じなくなる︒彼らの世界に︑全身全霊で移り棲んでしまうからだ︒ダンテ の詩句ではないが︑聴いたことも︑考え︑そしてまとめることをしないかぎり︑学問とはならないから︑私も︑彼らとの対 話を﹃君王論﹄と題した小論文にまとめてみることにした︒そこでは︑私は︑できるかぎりこの主題を追求し︑分析しよう と試みている︒君主国とは何であるのか︒どのような種類があるのか︒どうすれば獲得できるのか︒どうすれば保持できる のか︒なぜ︑失うのか︒もし君が︑これまでの私の空想の所産のどれも気に入らなかったとしても︑これは︑気に入らない はずはないと思う︒そして︑君主には︑特に新興の君主には︑受け入れられるにちがいないと思うのだ﹂(‑五一三年︱二

月一0日フランチェスコ・ヴェットーリあての手紙、塩野七生『わが友マキアヴェッリ~フィレンツェ存亡』中央公論社、

一九八七年一八ー一九頁の引用より︑一部改変︶︒このような態度が︑ヨーロッパ政治学史・政治思想史における﹁語彙と

主題における長い連続性﹂を生み出してきたのではないか︒なお参照︑半澤孝麿﹁西洋政治思想史における﹃非政治的なもの』について~品都立大学最終講義ー」『東京都立大学法学会雑誌』第三八巻、第一号、一九九七年、ニ―ーニニ頁。

(3

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と題して﹁人道的介入﹂についての特集を組んでいる︒また︑NATOによる空爆が︑従来の国際法に照らして違法である︑

ということを主張するだけでは無責任であるという観点から︑これを国際法の枠の中で如何に論ずることが可能かをめぐっ て知恵が絞られてもいるようである︒村瀬信也﹁武力不行使に関する国連憲章と一般国際法との適用関係INATO空爆を

めぐってー﹂﹃上智法学論集﹄第四三巻︑第一二号︑二

0

00年︑一ー一四一頁︒この他︑本稿執筆中に﹃国際問題﹄油四九

0 0

一年四月︶が︑﹁焦点﹃人道的介入﹄の争点﹂と題した特集を組んでいる︒なお︑注

(1

)や︑第二章の注

(9

)

( 2 4 )

で紹介した研究も参照︒

(4

)

これは︑﹃政治思想研究﹄創刊号︵二000年︶掲載︵五五ー八一頁︶の座談会﹁日本における西洋政治思想研究の現状

と課題﹂︵小野紀明︑川出良枝︑斎藤純一︑堤林剣︑松本礼二︑米原謙︑司会こ渡辺浩︶や︑佐々木毅﹁政治思想研究の有

意性への問いかけについて﹂︵﹃政治思想史学会会報CSPT

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0一年一月︑一頁︶における問題

(7)

目の前で繰り広げられる惨劇を︑見過ごすことが許されるのか︒この問いに対し﹁否﹂と答えたものとして︑ヨー

(1 ) 

ロッパ政治学史上まず注目されるべきは︑キケロの﹃義務論

(D e O ff i c ii s

)﹄であろう︒キケロは︑プラトンにおけ

(2 ) 

る︑﹁他の人々の目に余る不法を見ながらも﹂﹁静かに自分の仕事だけをしていく﹂哲学者のあり方を批判しつつ﹁不

( in i u st i t ia e )

11

侵害︶を︑﹁不正を加える人々に属する﹂もの︑および︑﹁不正を加えられている人々からこの

﹁人道的介入﹂の政治的ディレンマ キケロ

,1

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,1,  ﹃義務論﹄における介入の﹁義務﹂

第一章

提起︑および拙文﹁CSPT000年度年次大会に参加して﹂︵同︑一︱│︱四頁︶で提起した﹁より現代的で実証的な.

政治学と政治哲学や政治思想史との対話の可能性﹂に対する︑筆者なりの応答でもある︒したがって︑本稿は﹁静かに自分の仕事だけをしていく﹂狭い意味での政治思想史・政治学史研究ではない︒なお︑現代的政治現象を検討するにあたって︑政治学史研究の視点の重要性を強調するものとしては︑

Jo hn Du nn ,  Th e  History

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1996とりわけその第二章の

Th eHistory

f     o P o l i t i c a l   Th eo ry

が参照されるべきであろう︒なおジョン・ダンの試みを紹介したものとしては、堤林剣「ケンプリッジ・パラダイムの批判的継承の可能性に関する一考察—パラドック

スの連鎖を手がかりとしてー︵一・ニ完︶﹂﹃法学研究﹂︵慶應義塾大学法学研究会編︶第七二巻︑第一︱号︑一九九九年︑第七三巻第三号︑二000年がある︒堤林は︑政治学史研究・教育の今日的有意性として︑﹁今日の政治的経験に対するわれわれの判断力を醸成し︑より先鋭化する﹂ことをダンが主張していることを紹介しつつも︑その具体的な方法や手段が論

じられていないとする︵同︵ニ・完︶︑四二︑四四頁︶︒しかしながら︑このような評価に対し筆者は疑問を抱かざるをえなぃ︒ダンはこの書の中で︑人道的介入や︑国民国家の現代的危機などについて︑政治思想研究で培った様々な概念装置を駆使して具体的に論じているからである︒ダンの試みの妥当性は︑まさにこうした具体的論点をめぐる彼の判断を検討してみ

て初めて︑評価されるべきであろう︒

(8)

の中で︑国家権力による個人の抑圧に対する抵抗を正当化する論理とセットにして論じられた︒し 隣国で繰り広げられる惨劇に対する介入の論理は︑ 伺カルヴァンの権力服従論 治的語彙の普遍性と歴史性を確認することとしよう︒

第五一巻ニ・三号

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不正を退けることができるのに︑そうしないでいる人々

(3 ) 

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に属する﹂ものの二つに分類する︒彼は︑後者の場合について︑前者の﹁不正﹂からは免れているが︑

何ら﹁熱意も労力も能力も提供することなく﹂﹁人生を伴にする同胞集団

( v i t

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) ﹂を蔑ろにするという︑

(4 ) 

もう︱つの﹁不正﹂に陥っている︑とする︒こうしてキケロは︑﹁不正﹂を阻止するための第三者による介入を︑正

義のための﹁義務﹂として論ずるのである︒

﹃義務論﹄における第二の﹁不正﹂を阻止する第三者の﹁義務﹂については︑

際して︑ある国が他の国の内部においてなされる﹁不正﹂を阻止すべく介入することを正当化する論理として援用さ

(5 ) 

れることとなる︒しかもこの時代のフランスにおいて介入の論理は︑権力への服従と抵抗︑異教徒への迫害と寛容︑

良心の自由︑主権︑政教分離等々の政治学・法学上の重要な論点とともに多方面にわたって徹底的に議論され︑

ならず多大な流血をもたらすこととなった︒残念ながら人類は︑この時期の悲惨な経験と議論の蓄積から充分に学ば

ず︑愚行を繰り返してきたが︑﹁人道的介入﹂をめぐる基本的な議論は既にここに出揃っていたと言ってもよいであ

ろう︒本章では︑﹁人道的介入﹂の論理の幅と限界を確認するためにも︑この時期のフランスにおいて論じられた政

一六世紀フランスにおいて登場した︑いわゆる﹁暴君放伐﹂論 一六世紀後半のフランス宗教戦争に

(9)

かし︑そのような組み合わせが成立するまでには︑幾つかの理論上・実践上の﹁障壁﹂を乗り越える必要があった︒

そこでまず︑﹁暴君放伐﹂論が登場する前史を概観することから始めよう︒

そもそもキリスト教世界において︑聖書の﹁ローマ信徒への手紙﹂第一三章の﹁人は皆︑上にある権威に従うべ

( 6)  

し﹂という言葉の影響力は︑圧倒的なものであった︒カトリックに対抗したカルヴァンですらーー'あるいは聖書の言

葉に忠実たらんとしたカルヴァンであったが故により一層—|'その書『キリスト教網要(Imtitutioreli0n:ch1s,

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15 36

)﹂において︑政治権力を神に由来するものとし︑私人は統治者に対して﹁恭順と服従﹂を示す﹁義務﹂

(7 ) 

を有すると主張していた︒彼は︑統治者に対し﹁無実の者を保護下に迎え入れ︑抱きとめ︑見守り︑解放し︑自由に

(8 ) 

し﹂﹁罪ある者︑不敬なる者﹂を裁き﹁剣を抜いて追放する﹂ことを求める︒そして︑私人が統治者に抵抗すること

を神に対する抵抗と同一視し︑仮に統治者が﹁家々を掠奪し︑処女や年輩の婦人たちを陵辱し︑無実の者たちを血祭

(9 ) 

りにあげ﹂︑﹁盗賊行為を働いて﹂いようとも︑神による裁きとして甘受することを求めるのである︒ここには︑暴君

に対して抵抗したり︑迫害によって苦しむ異国の仲間を救済すべく武力をもって介入する︑という主張の登場の余地

の冒頭に付され︑カトリックのフランス国王フランソワ一世に捧げられた﹁真のキリス

ト者なる国王への序文﹂にも明らかなように︑フランスにおける新教徒ユグノーに対して︑その敵対者カトリックが︑

( 10 )  

﹁口をきわめて叫び︑投獄︑追放︑禁止︑火刑によって処すべき︑陸からも海からも追放すべし﹂と主張し﹁投獄︑

鞭打ち︑拷問︑切り裂き︑放火﹂を行ってもなお︑カルヴァンは﹁王国転覆﹂によってユグノーのためのフランス樹

( 11 )  

立を目指したりせず︑迫害に対する忍従を求め︑神の力強い介入への期待を表明するだけである︒フランスを﹁祖

国﹂としながら︑ジュネーヴで権力を掌握しつつあったカルヴァンにとって︑自分の側が迫害されるケースは緊急の

︳ ︱ ‑ ︱

‑ 七

(10)

﹁フランコ・ガリア

第五一巻ニ・三号

ノーにとって︑カトリックの国王に﹁真の宗教﹂と正義にかんする判断を委ね︑己が﹁異端﹂として撲滅されること

の承認を意味した︒弾圧の激化に伴いユグノーは︑カルヴァンの権力服従論にあくまでも従うのか︑それとも統治者

との関係を見直すのか︑両者の間で揺れ動くが︑そうした彼らの態度を決定づけたのが︑サン・バルテルミーの大虐

殺(‑五七二年八月︶

カルヴァンによる服従の訴えは︑カトリックが支配するフランスに生きねばならない新教徒ユグ

であった︒この時︑パリだけでもカトリックの手によって性別・年齢を問わず数千人のユグ

フランス全土で約一万人の死者を出したとされる︒この事件の知らせを受けたカトリック教皇グレ

ゴリウス一三世は賛歌﹁テ・デウム﹂を歌わせ祝福の矩火を掲げさせ︑

﹁生涯の最良の出来事の一っ﹂と喜んだ︒しかし︑イングランド女王︑スイス︑ドイツ領邦諸侯らプロテスタント勢

( 12 )  

力は強く反発した︒こうしてユグノーは︑カルヴァンの権力服従論を放棄し︑信仰と生命の保持のため︑支配者との

積極的対決を主題として選び取るに至るのである︒ 三二八

スペイン国王フェリッペニ世はこの事件を

ユグノーの側からの王権を制限しようとする試みとしては︑まずフランソワ・オッマン

( 13 )  

( F r a

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15 73

)﹂が挙げられよう︒オッマンは︑

連絡を取りつつ︑フランスに固有の法制度として国家評議会︵身分制議会︶の存在を主張し︑これが﹁王国の最高度

( 14 )  

の行政的権威﹂として人事︑外交︑立法などの全権を掌握するものとした︒オッマンは︑国王の地位は世襲ではなく︑ 圃フランスにおけるユグノー 実践的課題とはならなかったのである︒ 関法

ユグノーの立場からジュネーヴと密接に

(Fran~is

Ho

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n )

(11)

人民が正義において名声のある者に終身の執政官に近いものとして委ねたのであって︑場合によっては解任されると

( 15 )  

し︑公法の一部であり王位継承法とされるサリカ法典についても︑本来主として私法の領域に適用されるものであっ

( 16 )  

て︑それを公法領域に転用してきたのは誤りであったと主張するのである︒

さらに︑統治者に対するユグノー側の抵抗の論理を提示した著作として最も代表的なのが︑共和政ローマの創設者

﹁ユニウス・プルートゥス﹂の偽名で公刊され﹁暴君放伐﹂論とも呼ばれる﹃暴君に対する権利の主張

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( 17 )  

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57 9)

﹄であろう︒この作品は︑四つの主張からなり︑第一に︑統治者が神法に反した場合の︑臣

民の服従義務解除を主張し︑第二に︑神法違反の統治者に対する臣民の積極的な抵抗の﹁義務﹂を︑﹁真の宗教﹂の

維持のために訴え︑第三に︑臣民の生命︑財産を意のままにしようとする暴君に対する臣民の抵抗権を正当化してい

る︒そして第四の論点が︑本章の冒頭で扱った︑他人による﹁不正﹂に第三者が介入すべきかどうか︑という論点で

﹃暴君に対する権利の主張﹄は︑第四の論点﹁他の君主の統治下にあり︑真の宗教の故に虐げられ︑あるいは明白

な暴政によって抑圧されている臣民を︑近隣の君主が救済することが権利に基づき可能︑あるいは︑義務づけられよ

( 18 )

1 9

)  

うか?﹂について︑﹁隣人愛

( c h a

r i t a

s ) ﹂の理念を基礎として︑次のように答える︒確かに君主の中には︑何らかの

危険が予見されたり大した利得が期待できない場合には介入を躊躇し︑自己の利益拡大に結びつく場合には信じても

いない隣人愛に訴えて援軍を派遣する者もいる︒しかし︑ここで訴えかける君主とは︑信仰において﹁真の敬虔

的﹃暴君に対する権利の主張﹂

(12)

第五一巻ニ・三号

その後の宗教戦争の展開 三三〇

︵ 五

00

)

( 20 )  

( v e r

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e t a s

) ﹂と﹁正義

( j u s

t i t i

a ) ﹂に導かれる者である︒教会はキリストを頂点とする︱つの身体のようなもので

( 21 )  

あり︑その一部が危機に曝されている時︑それを救済しようとする君主の熱意が国境によって妨げられるべきではな

( 22 )  

い︒むしろ︑神の教会を暴政から︑また征服されたキリスト者を奴隷のくびきから解放するのは君主の﹁義務﹂であ

( 2 3 )

2 4 )

 

り︑そうしない者は︑教会という身体の一部でもキリストの家族の一員でもない︒さらに﹃暴君に対する権利の主

( 25 )  

張﹄は︑キケロ﹁義務論﹂における第二の﹁不正﹂を引き合いに出しつつ︑﹁暴君の非道な犯罪や罪なき殺害を︑阻

( 26 )  

止することが可能であるのに無為に傍観する君主﹂は︑暴君以上に嫌悪すぺき冒涜を犯しており︑神の裁きを受ける

( 27 )  

であろう︑と続ける︒﹁人間が人間に対して狼になる

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) ﹂とき︑﹁人間が人間に対して神となり

( 2 8 )  

(h

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o  h

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i  D eus)

﹂暴君を罰することが求められるのである︒このようにして︑フランス国内で劣勢に立たされ

ていたユグノーは︑自らの信ずる﹁真の宗教﹂のために抵抗と介入の論距を生みだし︑本格的な反撃へと転ずるので

( 3 0 )  

宗教戦争のその後の進展に伴い︑カトリックとユグノーとの力関係は著しく変化することとなった︒当初ユグノー

の側が劣勢に立たされ抵抗と介入の論理を編み出したのであったが︑その後︑王位継承法に基づき︑ユグノー派の王

ヘ王位が移行する見通しが濃厚となるにつれて︑両者の形成が逆転した

からである︒劣勢に立たされたカトリック側は﹁リーグ﹂と呼ばれる同盟を組み対抗し︑その中で︑ルイ・ドルレア

( L o u

i s   D

o r l e

n s )

は︑カトリックとフランス王権の破壊を企てるナヴァール公アンリヘの抵抗を試みる︒その際︑ 族︵ナヴァール公アンリ︑後のアンリ四世︶

(v) 

関法

(13)

ドルレアンは﹁史上最も嫌悪すべき著作の︱つである﹃フランコ・ガリア﹄﹂において主張された選挙王政論によっ

を批判したのが︑今日﹃暴君に対する権利の主張﹂ てアンリの即位を拒否すべき︑と主張する︒これに対して来るべきユグノーの王と王位継承法を支持してドルレアン

( 31 )  

の著者の一人ともされる人物︑フィリップ・デュプレシィ'モル

(P hi li pp e  D up le ss is

  , M o

r n a y

)   であった︒さらにオッマンは︑

国王を選挙によって選ぶという議論を後退させ︑当初は否定していた王位継承法を承認するに至る︒こうしてユグ

ノーの大勢は︑王権神授説と王権への忠誠を絶対視しつつ迫害の論理を採用し︑他方でカトリックが抵抗と介入の論

理を援用して

アンリ四世はカトリックの手によって暗殺︶宗派争いを繰り広げることとなった︒

それぞれが信奉する﹁真の宗教﹂のための手段として︑抵抗・迫害の論理が︑時と状況に応じて使い分けられるこ

( 32 )  

とによって︑両陣営が主張する﹁真の宗教﹂に対する信頼とフランス王権の正統性は大きく揺らぎ︑国家において最

も弱い者が決まって間違った者である︑というシニシズムを生むことになった︒さらにフランスの宗教戦争は︑国内

におけるカトリックとユグノーの対立にとどまらず︑ちょうど朝鮮戦争︑ヴェトナム戦争が東西の代理戦争であった

ように︑プロテスタントの背後にはジュネープ︑カトリックにはローマ︑といった外国勢力が﹁神の意﹂の名目で介

入することとなった︒フランスは︑前者にとっていわば革命の輸出先であり︑後者にとっては反革命の砦と目された

のである︒しかし︑戦いが長期化するにつれて︑介入したプロテスタント陣営であれ︑カトリック陣営であれ︑ある

いはフランス国内で﹁真の宗教﹂の擁護を訴えた者達についても︑どこまで﹁真の敬虔﹂と﹁正義﹂とに導かれてい

たのか︑むしろ自己の権勢拡大の欲望はなかったのか︑疑問の提起されたことは当然であろう︒

~

︵ 五 o

I )  

(14)

第五一巻ニ・三号

介入の論理のディレンマ

>

︵ 五

0

二 ︶

一六世紀フランス宗教戦争は︑﹁不正﹂に対して第三者が﹁真の宗教﹂のために介入することを正当

化する論理をもたらしたが︑同時にその実践上のディレンマをさらけ出したと言って良いであろう︒ここでその弱点

を︑さし当たり次のように要約しておこう︒

第一に︑﹁真の宗教﹂に対する侵害を阻止する介入の試みが支持を得るには︑あらゆる当事者を超越した神の権威

をめぐるコンセンサスの存在が必要となろうが︑敵対する両当事者がともに﹁真の宗教﹂を主張するや否や︑この試

一六世紀フランスのように信仰が分裂し︑﹁神の意﹂を認定するこの世

の﹁神の代理人﹂が誰であるのかについてのコンセンサスすら成立しない場合に︑最も顕著に現れる︒﹁異端﹂を弾

圧する統治者側も︑﹁暴君﹂に抵抗する側も︑あるいは介入する側も︑介入される側も︑いずれも﹁真の宗教﹂に反

した異端者︑背教者︑悪魔と戦っていると主張しえるからである︒介入を正当化する両当事者の主張がこのように理

論的に等価であるならば︑﹁真の宗教﹂をめぐる戦いは︑﹁神々の闘争﹂と変わらず︑結局のところ勝負を決めるのは

﹁力﹂である︑という強者の論理に帰着してしまうであろう︒

第二に︑﹁真の宗教﹂という麗しい価値をめぐる戦いが結局のところ︑強者の論理に帰着するならば︑自宗派の勝

利のためにあらゆる﹁力﹂を動貝すべく︑あらゆる論理が無原則に利用されることにもなりかねない︒実際︑宗教戦

争においては︑弾圧と抵抗の論理がいずれの側においても︑自陣営のおかれた状況の変化に応じて使い分けられる恣

意性を生んだ︒また﹃暴君に対する権利の主張﹄のように信仰が分裂した状況下で﹁真の宗教﹂の擁護を訴えたとこ

ろで︑それは自陣営に対する軍事的救援を促進・動員する論理とはなりえても︑介入される側の﹁不正﹂を正す説得 みはディレンマに陥る︒このディレンマは︑

(vi) 

J

関法

(15)

[]V

( 33 )  

である。…•••ここでは人間が宗教を引き廻し、自分のために利用している。本当はこれと全く逆でなければならないのに。」

第一ー一に︑﹁真の宗教﹂を擁護しようとする動機が純粋であればあるほど︑﹁真の宗教﹂そのものを自明視するあまり

冷静な懐疑の精神が失われ︑﹁真の宗教﹂を共有しない﹁敵﹂に対する不寛容と憎悪が増幅されてしまう点が挙げら

( 34 )  

実際のところ︑﹁真の宗教﹂熱に浮かされた戦いの中で︑平和と宗教的寛容の主張が現実のものとして台頭してく

るのは︑宗派争いがおびただしい流血にもかかわらず際限なく続けられ︑もはや内乱を継続することも宗教的統一を

の次の言葉に端的に示されていよう︒ の論理とはなりがたい︒その結果︑﹁真の宗教﹂訴えが︑結局のところ単なる自陣営のために政治的に利用されたものであって︑偽善と欺腑に他ならないのではないか︑という懐疑を生み︑価値そのものへの信頼を著しく弱めることにも繋がってしまった︒このことは︑﹁真の宗教﹂をめぐる殺し合いを神の栄光の実現として正当化する多くの人々の中にあって︑この争いが神のためのものではなく︑﹁我々自身のもの﹂であることを鋭く見抜いた︑モンテーニュ

>

︵ 五

0三 ︶

(16)

第五一巻ニ・三号

ばれたが︑宗教に従属しない政治という彼らの路線で︑

﹁人道的介入﹂の論理との比較 三三四

︵ 五

0四 ︶

( 3 5 )  

達成することもできないという︑袋小路に陥ることになってからであった︒このような手詰まり状況におかれてはじ

めて︑ローマやジュネーヴといった宗教的権威に基づかず︑中立の立場から両宗派に寛容を提唱し︑

力介入を︑今や国連やNATOや﹁世界の警察官﹂たるアメリカが︑﹁人権﹂という権威に基づいて

( 3 7 )  

主化﹂という大義名分に基づいて︶展開しているのである︒ フランスの世俗

秩序の確立を模索する冷めた動きが本格化したのである︒このような模索を続けた人々は︑両宗派から﹁真の宗教﹂

に関心を払わない汚らわしい政治屋︑権力政治を追求するマキアヴェリストといった意味を込めて︑

Po li ti qu e と呼

( 36 )  

フランス国内の混乱は克服されるに至るのである︒

現代の﹁人道的介入﹂も︑﹁人権﹂という﹁正義﹂がそれぞれの統治者を超越し普遍的に適用される︑との前提に

一六世紀フランス宗教戦争における介入の論理と類似の理論的構成を取っていると言えよう︒かつ

て教皇や公会議が神の権威に基づき異端・破門の宣告をし︑十字軍を派遣することで行ってきた﹁不正﹂に対する武

確かに︑﹁人権﹂という権威は︑宗教戦争の時代の﹁神﹂の権威に比べれば︑普遍的・全世界的に受容されている

のかもしれない︒﹁人権﹂問題が単なる内政問題ではなく︑国際機関がある程度関与すべき問題である︑との認識は

( 38 )  

定着しつつある︒また︑多くの国が国際人権規約の条約締結国となっているし︑﹁人権﹂の論理は現に﹁人々を拷問

( 3 9 )  

から救い︑難民を保護し︑人種差別や性差別を是正する制度として機能﹂してもいる︒その限りで︑キケロにおける

﹁人生を伴にする同胞集団﹂︑﹃暴君に対する権利の主張﹂における﹁隣人愛﹂といった理念は︑既に国境を越えて定

(vii) 

関法

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