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法教育についての一考察――司法研究科の取組みを素材として――

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同志社法学 六八巻一号 

――司法研究科の取組みを素材として――

           

                 

         

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同志社法学 六八巻一号     

第一  はじめに 一  法務省法教育研究会は、その報告書において、法教育とは、﹁法律専門家ではない一般の人々が、法や司法制度、これらの基礎となっている価値を理解し、法的なものの考えを身に付けるための教育を特に意味するものである﹂としたうえ、﹁法律専門家ではない一般の人々が対象であること、法律の条文や制度を覚える知識型ではなく、法やルールの背景にある価値観や司法制度の機能、意義を考える思考型の教育ではなく、社会に参加することの重要性を意識付ける社会参加型の教育であることに大きな特色がある﹂(平成一六年一一月四日教育研究会﹁報告書

︱の自由かつ公正な社会担代い手をはぐくむためにの時・なける法教育の普及発展を目指して︱新たお 国がに < 我

てしいる。 二頁)と > ﹂

二  国民の司法参加の問題であるから、まず、陪審制の政治制度としての意義に関するトクヴィルの論述から見てみよう。以下は、宇野重規﹃トクヴィル平等と不平等の理論家﹄(二〇〇七年)一六一頁以下の要旨である 。⑴  一般の市民が裁判に参加するこの制度をトクヴィルが高く評価したことはよく知られている。しかし、なぜトクヴィルは陪審という制度に着目したのであろうか。その際に注目すべきは、トクヴィルが陪審制を司法制度としてだけではなく、政治制度として捉えたということである。しかも、トクヴィルは、陪審制を人民主権の不可欠な一環と見なしている。ただし、トクヴィルは、陪審制が裁判の正しい運用にどこまで役立つかについては、疑

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同志社法学 六八巻一号  問を差し挟む余地があることを認めている。⑵  まず、トクヴィルは、陪審、とくに刑事裁判における陪審は﹁共和的﹂な制度であると指摘する。というのも、犯罪者を裁くことは、力の問題と正当性に結びつく、社会の本質的な機能であるからである。したがって、この権能を一部でも為政者から取り戻すことは、社会の指導権を為政者から奪うことを意味する。誰が陪審員に選ばれるかによって、陪審制は貴族的にも民主的にもなりうるが、いずれにせよ﹁共和的﹂な性格は保持される。トクヴィルの視点からすれば、一般市民が裁判権にまったく関与せず、これを為政者に一任して疑わないとき、真に人民主義が実現しているとは言いがたいのである。⑶  さらに、トクヴィルは、民事裁判における陪審にも注目する。というのも、長期的に見るならば、真に陪審制が社会に根を下ろし、社会の政治文化を変化させるのは、民事裁判だからである。民事裁判は日常生活にとってより身近であり、各人は隣人を裁きながら、自分もやがて当事者となりうることに思い至る。その意味で、民事陪審は、人に公平の原理を教える機会となる。さらに民事裁判においては、そこに参加することで、権利とは何か、法とは何か、そして責任ある判断とは何かを考え直す機会となる。人が、自分の為したことの責任をとらなければならないこと、また社会に対してなすべき義務があることを知るのは陪審を通じてである。また陪審の場においてこそ、統治に参加していることを実感できる。その意味で陪審は、実用的知性と政治的良心を教える学校にほかならない。⑷  しかしながら、このようなトクヴィルの陪審論をよりよく理解するためには、彼の法律家論を見ておかなければならない。というのも、すでに言及したように、トクヴィルは法律家こそ、﹁デモクラシー﹂社会において数少ない貴族的な存在であるとしているからである。そうだとすれば、司法を政治的視角から考えようとするトクヴィルにとって、法律家は貴族的要素を、陪審は人民的要素を意味することになる。その意味で、司法は、法律に関する

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同志社法学 六八巻一号 

プロフェッショナルとアマチュア、アリストクラシー的なものとデモクラシー的なものとが、その社会においていかなる関係に立つか見定めるために重要な場となりうるのである。⑸  それでは、法律家はいかなる意味で貴族的なのであろうか。トクヴィルが与える説明は、純粋に機能的なものであり、けっして法律家が人間として、一般の市民より優れていると言うものではない。﹁法律について特別の研究をした人間は、勉強しているうちに、秩序を好む習慣、形式を好む一定の気持ち、倫理に適ったものの考え方に対するあらゆる本能的な愛を身につける﹂。このよう資質は、まさに﹁デモクラシー﹂社会において、もっとも欠けがちなものである。﹁デモクラシー﹂社会においては、実質が重視されるあまり、形式は軽視されがちである。平等化のダイナミズムは場合によっては、秩序を根底から覆すこともありうる。これに対しデモクラシーは、法律家の持つ秩序や法という形式への好みが、裁判という場を通じて、一般の市民に良い影響をもたらすという。陪審制によって裁判に参加した一般市民は、法律家と接触することで、次第にそのような資質を吸収するようになるというのである。繰り返すが、トクヴィルは、法律家がその優れた資質によって一般の市民を指導すると言っているのではない。市民が、法律家との接触を通じて、自ら何ごとかを学習することが重要なのである。⑹  このような議論には、トクヴィルの考える﹁デモクラシー﹂の秩序像が浮き彫りになっているのではなかろうか。トクヴィルは、﹁デモクラシー﹂を非﹁デモクラシー﹂的なものによって抑制したり、﹁デモクラシー﹂をどこかに封じ込めたりすることを考えない。﹁デモクラシー﹂を制御できるのは﹁デモクラシー﹂だけである。より具体的にいえば、﹁デモクラシー﹂を構成する一人ひとりの市民が﹁デモクラシー﹂の根源的エネルギーの源泉であると同時に、自己反省能力、自己矯正力を備えたものになる必要がある。トクヴィルが構想するさまざまな仕組みは、市民の精神的な自己変革の場を提供するものである。一人ひとりの市民が、多様な他者との出会い、互いを尊重し

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同志社法学 六八巻一号  ながら、合意を生み出していく。その過程で、各個人は、自分の個別の問題と社会との結びつきを再確認し、﹁いま・ここ﹂を超えた視座を獲得していく。このような各個人の自己変容の集積によって、﹁デモクラシー﹂のダイナミズムと自己変容力が再生されることこそ、トクヴィルの夢見た﹁デモクラシー﹂の未来像であったと言えるだろう

  傍線部分は、筆者が施したものであるが、法教育に携わる者にとっても、極めて示唆に富んでいる。

三  長く裁判に携わってきた者にとってわくわくする表題の松村良之・木下麻奈子・太田勝造編著﹃日本人から見た裁判員裁判制度﹄︹本学の木下麻奈子先生執筆︺六二~六三頁は、裁判員裁判制度について、今後検討すべき四つの課題の第一点として、﹁根源的な問題であるが、﹃民主主義﹄という価値観が裁判員制度を支えているのか、あるいは裁判員制度を運用すること、あるいは裁判員を経験することによって﹃民主主義﹄という価値が社会に浸透していくのかという問題﹂を採り上げている。四  法曹の養成教育に携わる者は、この問題を肯定的にとらえ、トクヴィルの夢見た﹁デモクラシー﹂の未来像の実現を目指し、新たな時代の自由かつ公正な社会の担い手をはぐくむため、法教育に取り組むべきであろう 。それが、法務省法教育研究会の報告書にいう﹁法律の条文や制度を覚える知識型ではなく、法やルールの背景にある価値観や司法制度の機能、意義を考える思考型の教育ではなく、社会に参加することの重要性を意識付ける社会参加型の教育﹂につながろう。五  本稿では、法教育のあるべき姿を模索するとともに、法教育に携わられる小・中・高の先生のために、同志社大学法科大学院における法教育の実践例を紹介したい

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同志社法学 六八巻一号 

Law-Related Education Act of 1978、﹁education to equip non-lawyers with the knowledge and skils pertaining to the law, the legal process, and the legal system, and fundamental principle and values on which these are based、﹁in the grand manner﹂()。稿

< わ

﹄(、﹁﹂、﹂、 ﹄)﹂( 、﹁︺﹂稿 ︺﹃﹄( ﹄()、﹄()、)、﹄( ﹄()、 、④、③ )﹂> 同

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同志社法学 六八巻一号  第二  アメリカにおける法教育について 一  日本においても、戦前の一時期、陪審裁判が行われたが 、陪審裁判を担当した法曹関係者は、陪審員の資質・能力について、次のような疑問を投げかけている 。積極的に評価する見解も少なくない(前出・刑事裁判覚書︹完︺参照)。⑴  陪審法が施行された当時の日本では、陪審制度をうまく運用していくことは無理でなかったかと思う。国民のレベルがもっと高くならねばいかぬ。原内閣は、普通選挙法を時期尚早として廃案とした代わりに陪審法を先に通して施行したのであるが、一体普選もうまくできない国民が、どうして陪審を先にすること自体に疑問をもったわけである。⑵  西欧諸国の歴史を見ると、陪審制は王権に対する国民の不信から生まれたものである。日本にはこのような歴史はなかったのではないか。自分が陪審法施行の直前フランスの陪審裁判の視察を行ったとき、日本の裁判はよい制度をとっているのに、なぜそれを変えて陪審制をとる必要があるのかと同国の裁判官から言われたのを記憶している。これは戦前のことであり、戦後の日本の裁判制度には多くの点で改革が行われているのであるから、陪審制の採否については、慎重に考えねばならないと思う。⑶  法的意識の低いわが国においては、英米における程陪審員の適格者は多くない。国民の法的意識が高まらなければ、今の状態では陪審員の適格者を多く得ることがむずかしい。現在の職業裁判官の裁判では、今後国民の信頼に応える裁判はやりにくくなるのでないか。⑷  陪審法施行前に日本橋の小学校で、陪審裁判の模擬裁判が行われた。裁判官は、本職の裁判官が当たり、陪審員は民間の素人がつとめた。陪審員を二つに分けて同じ事件について二組の裁判を同時に行ったが、いずれの陪審も、

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同志社法学 六八巻一号 

無罪の答申を出した。﹁陪審達は被告人がやったに相違ないと思ったが、大岡裁判がよいのだという意見が出て、その意見が多数を制して無罪の答申になったということである。右の例から考えられるように、わが国に陪審判を行うには、陪審員のレベルを上げなければ駄目だと思う。陪審員に多くの証人の証言を理解させても、裁判の意義を十分理解させ得るか疑問がある 。二  しかし、斯国の民の法意識 00000000は、長年にわたって陪審制度をとってきたアメリカ等に比べそれほど劣っていたのか。劣っていたとすればどこが劣っていたのか。陪審裁判を担当した裁判官の中にも、陪審員の資質・能力を評価する者も少なくないから 、俄に結論を出すべきではない。また、ともすれば否定的な評価を受けがちな日本人の気質が、そう見られたのかも知れない 。もちろん、戦前の日本国民が、新憲法によって高らかに謳い上げられた基本的人権等について、戦後の民主主義教育を受けた国民と同様の認識を有していたものではないことは明らかである 。とはいえ、そのことは、ただちに斯国の民の法意識が低かったことを意味するものではない。論者の﹁法意識﹂の意味を問われることになるが、それはしばらく措こう。いずれにしても、わが国において、裁判員裁判の導入が図られるまで、国民の司法参加を意識した組織的・体系的な法教育が行われることはなかった

 

 

ちなみに、論理的にもの事を考える能力は、法学的な教育によってのみ養われるものではない。むしろ、事実認定の能力は、哲学、倫理学、論理学等によって涵養されるものである。たとえば、医師が病名を診断する手法は、裁判における事実認定のそれと変わりがない。与えられた様々な症状(データ)から特定の病名を確定できない場合の対処法は、刑事事件でいえば"疑わしきは被告人の利益に"である。個別的なデータよりも全身状態が、科学的な検査に加え触診が必要なことは、裁判の場合でも全く変わらない。誤診の理由も誤判の理由も似ている(川人明﹃正直な誤診のはなし﹄参照)。ちなみに、記号論理学者のU・エーコは、﹁

ab du ct io n

(遡及推論)は医者や歴史家の推測手

(9)

同志社法学 六八巻一号  続と同一でないか﹂といっているという

三  陪審制の先進国であるアメリカの法教育に関する最近の状況をみてみよう。

  1

。要なうよの下以、は旨のの﹂てしと心中を組取もで会者るあでのもたし付が筆あ、は︺トンメコ。︹るの

 

法司)官訳翻の部制法法房紹官臣大省務法(一俊田が介西に協カリメア︱︱ていつ育さ教法のカリメア﹁るれ曹

⑴   始 め に

  アメリカにおいては、アメリカ法曹協会(

A m er ic an B ar A ss oc ia tio n,

以下﹁ABA﹂という)において、法教育の基本となる﹁法教育指針﹂が作成されている(ABAは、日本でいう日本弁護士連合会のようなものである)。﹁ABAの公教育部門は小学校から成人まであらゆる層を対象とする教材やパンフレット等を数多く作っており、それらが州の法曹協会によって用いられることも多々ある﹂(神谷説子﹁アメリカ法教育見聞記(第一回)﹂法律時報八三巻一一号六九頁)という。

⑵   A B A の 法 教 育 関 係 の ホ ー ム ペ ー ジ と 法 教 育 プ ロ グ ラ ム デ ー タ ベ ー ス

  ABAのホームページの法教育に関する基本となるページは、

”L aw -R ela te d E du ca tio n N et w or k”

にある。

  このページでは、まず一九七八年アメリカ教育法(

L aw -R ela te d E du ca tio n A ct o f 19 78

)を引用したうえ、法教育は、民主主義社会が求める活動的な市民を生み出すために重要な役割を果たしており、法を理解する者が、その所属する市民社会の中で、積極的に暮らし、社会貢献することができると述べている。

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  同志社法学 六八巻一号一〇一〇

  全米の状況を最も把握できる立場にあるABAが、各州法曹協会等が実施する法教育プログラムを一括管理して、それをデータベースとして、インターネットで公開していることは、大きな意義がある。これがあれば、各州が、リアルタイムで、他州の法教育プログラムを参考にしながら、自らの州の実情に合わせた法教育プログラムを充実させていくことができると思われる。

⑶   法 教 育 指 針 ( Essentials of Law-Related Education ) に つ い て

  ①

。るい な値価、条信、方考の物ようをのど、てっよに育教法観え涵つて養らべ述に的論総ていれにが、すことるできるか っキて、どのようなスれルが涵養さるのか、⑤によ育の方ような場所でどのような法どで実施されるのか、④法教   ﹁教法教法②、義定の育教①育で、はで半前の﹂針指育法はす、は育教法③、かのるマ、ーテをのもなうよのどに

  

E qu ali ty

。と教、てしを点視さ)(育れ平提るいてれさ示がる準基の容内きべ等   ﹁

L P er aw ty er ib L Ju e ic st ow

の総論半、前は後で半分の﹂針指育教部(に)、)、法由()、義正(基力権)、(、法きづ自

    例えば、法(

L aw

)について、教育されるべき内容の基準として、次のようなものが挙げられている。

ⅰ)

  かに基本的役割果をたしているのかいて、社法は、民主的な会いや他の社会にお。

ⅱ)

  かのるれさ釈解、れさ行、施れら作にうよのど、は法。

ⅲ)

  かのたきてし展発にうよのど、見てに的史歴、は度制法なまざまさ。

ⅳ)

  、刑事法、民事、法行政法、国際法法憲︱う法は、どのよに︱分類されるのか等

  ②  この﹁法教育指針﹂では、﹁法教育がアメリカ合衆国の民主主義において、社会に参加する市民の能力と意欲を

(11)

  同志社法学 六八巻一号一一一一 高めること、社会に対して自らが何かをなし得るのだという前提のもとで意思決定できる人間を作ること﹂に法教育の目的があると評価されている(前出・報告書五頁)。そこからは、市民に法律知識を教え込むという知識型の教育ではなく、社会参加できる市民を育成するという社会参加型教育であるという特色が看取できる。︹筆者のコメント︺

  法教育は、世の中のもめ事について、賢治によって、﹁ケンカヤソショウ 4444ガアレバ/ツマラナイカラヤメロ﹂といわれた訴訟の提起を慫慂するものではない。それを避けるためにこそ、法教育は必要である。斯国の民を好訴民族にするものではない。

⑷   法 教 育 授 業 の 実 際 に つ い て

  ABAのホームページには、多数の法教育の事例が紹介されている。

Ⅰ 

G ra de s K - 3

(幼稚園年長から小学三年の例)︹事例︺

  ハリーとビルは、同じアパートに住んでおり、ハリーの部屋は、ビルの部屋の真上にありました。彼らは、とても仲良しでした。しかし、ハリーがプロのタップダンサーになると決めたとき、彼らの友情は壊れてしまったのです。

。れか。靴音がうるさくて、眠ないいよ。﹂とビルは、言いましたの   ﹁わダにとこるなにーサンプしッタが君、ーリハ、ぁ対てなしいよ。でも、毎な練習なはければならな言も何、晩

  ﹁れればならないんだ。そにな、アメリカは自由の国けしごろめん。でも、プロになう習とするならば、毎晩練、

(12)

  同志社法学 六八巻一号一二一二

自分の家では、したいことは何でもできる。僕の住処は、僕のお城、そうじゃない?﹂とハリーは言いました。

  。決④それは平な解公方て法るいかっなに   れ③その決方法によ解ばな。かる結うどは果   ②どその解決方法としてうう。ことが考えられるいか   な。かるいてっ題と例この事①では何が問 ︹課題︺ は。たしまし論反   ﹁ル君境環なか静が僕、は、求もで。だり通のそにかをめビ権と﹂?のるなうどは利確る僕。るてし魔邪を利権の

  ある事例において、何が問題となり、その問題の解決方法としてどのようなものが考えられるか、さらには結果の妥当性はどうかまで、検討項目になっている。これは、法的思考の基本である。︹筆者のコメント︺民事裁判官なら、次のように考えるかもしれない 。①  一般的にどう考えるべきか。

 

1  

当事者が納得すればその結論に従ってよい問題か、そうではないかまず考える(Q1)。

   Q⑴  当事者の意思にその結論を委ねることができない問題とはなにか

   Q⑵  そのような問題の解決はどうすべきか

 

2

  どうすれば当事者を説得できるか考える(Q2、場合そ当事者が納得すればのの結論に従ってよい問題)。

   Q⑴  どうしたら当事者の納得を得られるか

(13)

  同志社法学 六八巻一号一三一三    Q⑵  一つのオレンジを姉妹二人にどう分けるか

   Q⑶  一本のジュースを兄弟二人にどう分けるか

 

  。かきべるえ考うどはで件本②  

3

なしQ3)。ら得もてうるどが得納の者事当(えい判場合はどのような断考れ準に従うべきか基

   Q⑴  同じ音量なら苦になり方も一様といえるか

   

q

  音を出す者がだれかで苦痛は変わらないか(孫の元気な声)。

   

q

  音を聞く者がだれかで苦痛は変わらないか(不眠症の人)。

   

q

  わらないか(いつでま我慢すればよいか変痛はか音がいつまで続くが苦明らかかどうかで)。

   

q

  コミュニケーションがあるかどうかで苦痛は変わらないか。

   Q⑵  譲歩するメリットとデメリットはなにか

   Q⑶  どのような判断基準が妥当か

      約束事があったか。事情の変更があったか。法律的にはどうなるか。

   Q⑷  当事者の合意が得られないと、最終的にはどうなるか

稿稿

(14)

  同志社法学 六八巻一号一四一四

)、

Ⅱ 

G ra de s K 10 - 12

(高校生相当)の例︹事例︺

  一八歳未満の者は、日曜日から木曜日の夜間午後一一時から午前六時までの間、外出してはならない。ただし、金曜日から土曜日の夜間については、午前〇時から午前六時までとする。

  違反者には、一〇〇ドルの罰金を科する。ただし、大人の付き添いがある場合、あらかじめ予定された地域活動に参加する場合、又は、通勤する場合についてはこの限りでない。︹課題︺

  この授業は、仮に、上記のような市の条例案が出されたことを前提に、模擬市議会を開催し、生徒たちが、実際に、市議会議員や地域団体(警察官、公立学校役員会、暴力に反対する家族、若者の権利を謳歌したい学生、地域商店会等)それぞれの立場からの役割を演じることによって、その立場から発言し、模擬市議会で未成年者の夜間外出を禁止する条例案が出されようとしているという想定で、それにはどのような問題があり、どのように調整がなされ、どのような手続で市の条例が制定されるかについて体験的に理解するという授業が意図されている。

(15)

  同志社法学 六八巻一号一五一五 ︹筆者のコメント︺①  まず、こんなアドバイスをするのがよい。﹁それぞれの利害・価値観等が対立するが、相手の言い分をどれだけ真摯に正確に受け止められるか、が必要である。人を説得するには、他説の強みと自説の弱点を前提とした議論をすることである﹂。②

。かる   守にれそ、は益利るれらってっよ定制の例条のこ⑤よにてす侵えいとのもり足にるる牲さを害益利・犠利権るれ   どこの条例④の制定によって、さん害。かのるなれ侵が益利・利権 さ。かのるれらた効もが果   こか益利・利権なんど。にのなは守趣法立の例条を旨ろのの期所、てっよに定制例う条のこ。かのるいてし③と   ﹁。、射を端両ずまば﹂せとん射を庸よでる解す味吟ずまを見あな端極両。る中

⑸   「

法 の 日 」 に お け る 法 教 育 の 取 組 に つ い て

  ①  日本における﹁法の日﹂は、毎年一〇月一日とされ、その前後には、最高裁、法務省、日弁連主催による﹁法の日﹂行事が開催されている。

  ②  アメリカにおいて﹁法の日﹂は、﹁法の支配﹂を祝うために設けられた国民の記念日として位置づけられており、﹁法の日﹂の前後には、幅広く﹁法の日﹂行事が実施され、学校においては、法教育の授業が実施されている。

    そして、﹁法の日﹂には、ある特定のテーマが毎年、違った形で設定されるのが特徴的である。ABAによれば、﹁法の支配﹂を理解させるには、あるテーマに焦点を当てることが効果的であるとされており、それに沿って、毎

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  同志社法学 六八巻一号一六一六

年違ったテーマで、例えば、以下のような﹁法の日プラニングガイド﹂が作成されている(これらは、法教育の授業で使用するパワーポイント等の補助教材とともに公開されており、ホームページからダウンロードできる)。レッスン一  選挙運動と選挙について(小学生レベル)レッスン二  政治広報の分析(中学生レベル)レッスン三  投票の妨げとなるもの(中学生レベルから高校生レベル)レッスン四  投票者に対する抑圧問題(高校生レベル)

  ちなみに、二〇一四年の﹁法の日﹂のテーマは、﹁アメリカ民主主義と法の支配︱︱参政権はなぜ重要なのか﹂であった。

⑹   各 州 法 曹 協 会 の 取 組 に つ い て ― ― フ ロ リ ダ 州 法 曹 協 会 の 場 合

  地元の高校で﹁新成人のための法律ガイド﹂を用いて法教育イベント(クイズ・ゲーム)を成功させるために、法教育実施企画担当者は実施すべき行動マニヤルが作成されており、ABAのホームページからアクセスできるようになっている。その内容は、教育委員会等への事前根回し、校長との打合せ、日程調整、イベント講師との打合せ、参加賞品の用意、報道機関への対応、公刊物への投稿といったものである。

⑺   最 後 に

  以上のとおり、ABAでは、基本となる﹁法教育指針﹂の作成をはじめ、法教育を積極的に推進している。

  そして、公開されている法教育のデータベースにおいては、多数の法教育プログラムに触れることができる。

(17)

  同志社法学 六八巻一号一七一七   そこに採り入れられている教授方法は、思考するプロセスを大切にし、法的なものの考え方を身につけるためのプログラムである。

  日本とアメリカでは法制度が異なるが、法教育の定義の同質性という観点からすれば、アメリカにおける法教育プログラムは、これからも大いに参考にすべきである。

 ﹂(   ﹂(http://www.moj.go.jp/content/000004217.pdf

  2

。なのそ、かのいぎ極過習因かのな見にめ必ずしも容易ではなはい な念もと頭こるあがい違、的化文・的代時で程過おにとい。風美がれそ、も導っものて結論をいならなばねかおく し定一、ろに論にいなが存異く全は件し結ういと﹂るあでき。かす事事事刑ろしに件事民し、はに争紛な的法、べ   ﹁本がメア⋮⋮、がるな異度カ制法はでカリメアとリ日に、に参にい大もらかれこはおムラグロプ育教法るけ考

  3  なお、米独の刑事手続を研究されている本学の洲見光男教授からは、以下のようなご意見をいただいた。

  

。が間に共通するところあ米るといえるの

 

え育な的法、くなはで﹂教日型識知﹁を標目の育教考、方加を身に着けさせる﹁参法で教育﹂に置いている点型

  

  ye “T hin k lik e ala s” w “la w r”

くするための教育が行われ、はなーメリカのロー・スクルアでも、を教えるのでて

参照

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