大久保康雄と〈南洋行〉 : 中島敦との接点に注目 して
著者 杉岡 歩美
雑誌名 文化學年報
号 60
ページ 77‑99
発行年 2011‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027662
大久保康雄と〈南洋行〉 : 中島敦との接点に注目 して
著者 杉岡,歩美
雑誌名 文化學年報
号 60
ページ 77‑99
発行年 2011‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027662
大 久 保 康 雄 と
︿ 南 洋 行
﹀
│
│ 中 島敦 と の 接点 に 注 目し て
│
│
杉 岡 歩 美
は じ め に 翻訳
家大 久保 康雄
︵一 九
〇 五〜 一九 八 七︶
︑ 作家 中 島 敦︵ 一 九〇 九
〜一 九 四二
︶︑ 二 人 を繋 ぐ も の は︿ 南洋
﹀︑ 一 九 二
〇年 のヴ ェル サイ ユ条 約締 結に より 日本 の委 任統 治領 に置 かれ たミ クロ ネシ ア三 群島
︵マ リア ナ︑ カロ リン
︑マ ー シ ャル
︶で ある
︒ 中島 敦の
︿南 洋行
﹀は よく 知ら れて いる
︒昭 和十 六年 六月 二十 八日 から 翌年 三月 十七 日ま で︑ 中島 は南 洋庁 内務 部 地 方課 国語 編修 書記 とし て︿ 南洋
﹀に 赴 いて い る︒ そ の後
︑昭 和 十 七年 十 一 月 十日 に 発 行さ れ た﹃ 南 島 譚﹄
︵今 日 の 問 題社
︶に
︑︿ 南 洋も の﹀ とし て︑
﹃幸 福﹄
﹃ 夫婦
﹄﹃ 鶏﹄
︵ 総題
︽南 島譚
︾︶
︑﹃ 寂 しい 島﹄
﹃ 夾竹 桃の 家の 女﹄
﹃ナ ポレ オ ン
﹄﹃ 真 昼﹄
﹃マ リヤ ン﹄
﹃ 風物 抄﹄
︵総 題︽ 環礁
│ミ クロ ネシ ア巡 島記 抄│
︾︶ と いっ た短 編小 説を 載せ てい る︒ 一方
︑大 久保 康雄 の︿ 南洋 行﹀ は近 年ま でと りあ げら れる こと が少 なか った
︒最 近の 調査 でそ の行 程及 び︿ 南洋 も の
﹀に 括れ る作 品の 存在 を︑ 拙稿
﹁中 島敦
︿南 洋行
﹀と 大久 保康 雄﹁ 妙齢
﹂﹂ で 明ら かに した
!
︒
― 77 ―
大久 保康 雄は 昭和 十四 年四 月二 十六 日 より 同 年 の七 月 七 日ま で
︿南 洋
﹀に 滞 在し て い た︒
︿南 洋 も の﹀ とし て 大 久 保 は︑
﹃ 島 妻
﹄︵
﹃ 小 説 集 年 輪 1﹄ 所 収︑ 昭 15和
・6 30・
︑妙 齢 会︶
︑﹃ 流 木
﹄︵
﹃ 小 説 九 人 集
﹄所 収︑ 昭 16和
・1
・ 11
︑妙 齢 会
︶︑
﹃ ア モ ツ ク 島 日 記
﹄︵
﹃ 七 人 集﹄ 所 収︑ 昭 16和 10・
・7
︑霜 月 会
︶︑
﹃ ア モ ツ ク 島 日 記 二﹄
︵﹃ 山 海 集﹄ 所 収
︑昭 和 17・ 1・ 18︑ 霜 月 会︶
︑﹃ 椰 子 と 海 と の 間
﹄︵
﹃ 沐 雨 集
﹄所 収
︑昭 17和
・7 18・
︑霜 月 会︶
︑﹃ 月 と 證 券
﹄︵
﹁ 文 庫
﹂第 二巻 第 八 号︑ 昭和 17・ 8︶
︑﹃ 海 松
﹄︵
﹁ 文庫
﹂第 二 巻 第十 一 号
︑昭 17和 11・
︶︑
﹃ 憶 えて ゐ る がか な し か りけ り
﹄
︵﹁ 文庫
﹂第 三巻 第 十 号︑ 昭和 18・ 10︶ の 八作 品 を︑
︿ 南洋 行
﹀後 に 書 き上 げ て いる
︒ま た
﹃孤 独 の海
﹄は
︑昭 和 二 十 三 年十 二月 八日 に発 行さ れた 大久 保康 雄の
﹁処 女創 作集
﹂で ある
︒発 行元 は仏 蘭西 書院
︒従 来︑ 翻訳 家と して 知ら れ る 大久 保の
︑﹁ 創 作﹂ が収 録さ れた 唯一 のも のと して
﹃大 久保 康雄 翻訳 著作 目録
﹄︵ 平成 2・ 1・ 12︑ 大久 保康 雄翻 訳 著 作刊 行会
︶に 記さ れて いる
︒﹃ 孤 独の 海﹄ は短 編集 であ り︑
﹃孤 独の 海﹄
﹃ 花奔 幻想
﹄﹃ 海松
﹄﹃ 月 と證 券﹄
﹃黒 い熱 帯 魚
﹄﹃ ス コー ル﹄
﹃海 と椰 子と の間
﹄の 七編 が収 録さ れて いる
︒ 本稿 では
︑従 来触 れら れな かっ た大 久保 康雄 の︿ 南洋 もの
﹀に つい て考 察を 加え るこ とで
︑大 久保 にと って の︿ 南 洋 行﹀ がど うい うも ので あっ たか 意義 付け たい
︒ また
︑大 久保 と中 島と 結び つけ た作 品︵ 大久 保﹃ 島妻
﹄﹃ 流 木﹄
︶を 通し
︑中 島の
︿南 洋も の﹀ を再 考す るこ とを 目 的 とす る︒
一 大久
保康 雄︒ 明治 三十 七年 茨城 生ま れ︒
﹃ 風と 共に 去 り ぬ﹄ の翻 訳 で 一躍 有 名 に なっ た
︒三 笠 書房 社 長 であ っ た 竹
大久保康雄と〈南洋行〉 ― 78 ―
内 道之 助と 親し く︑ 三笠 書房 とい えば 大久 保康 雄︑ とい った 紹介 が紙 面で な さ れ るほ ど!
︑三 笠 書房 と 密 接な 関 係 を 築 いて いた 人物 であ る︒ 昭和 十年 代に おい ては
︑大 久保 の翻 訳物 のほ とん どが 三笠 書房 発行 であ った
︒昭 和十 二年 十 一 月十 日に 発行 され た﹃ わが 闘争
﹄︵ ヒ トラ ー 著︶ に 始ま り
︑昭 和 十七 年 十 月 二十 日 発 行の
﹃南 の 青 春︵ スマ ト ラ 開 墾 記︶
﹄︵ ス ーラ ロウ
・セ ーケ イ著
︶に 至る 大久 保康 雄の 翻訳 書籍 三十 冊の うち
︑二 十九 冊が 三笠 書房 から 発行 され た も ので ある
︒ 現在 まで
︑大 久保 康雄 は翻 訳家 とし ての み知 られ てき たと いっ ても いい だろ う︒ だが 一方 で
︑﹁ 未 開 のア メ リ カ文 学 開 拓者 で な ほ 創作 家 志 望を 棄 て ぬ純 情 な 文 学青 年"
﹂と い った 紹 介 文も 見 ら れ る よう に︑
﹁ 創作 家志 望﹂ とし ても 認識 され てい た︒ 大久 保の 創作 は︑
﹁ 大久 保氏 の近 頃の 作風 は南 方も のの 創 作 に新 方 面 を開 拓 さ れ︑ そ の成 果 は 一作 ご と に注 目 を 惹 い て ゐ る
︒﹂
︵﹁ 文 庫﹂ 第 二 巻 第 十 一 号︑ 昭 17和 11・
︶と あ る よ う に︑
︿ 南 洋 も の﹀ を 中 心 と し て い る︒ 管 見 の 限 り
︑
﹁文 庫﹂ に掲 載さ れた
﹃ふ きぶ り﹄
﹃二 つ殴 られ る﹄ 以外 の創 作は
︿南 洋﹀ を舞 台に した もの であ る︒ 藤岡 光 一﹁ 編輯 ノ ー ト﹂
︵﹁ 作 品 ヂヤ ー ナ ル﹂ 第7 号︑ 昭 14和
・5
︶に は︑
﹁ 大久 保 康 雄氏 は さ きの
﹁台 風
﹂及 び 今 度 の﹁ 暗黒 の河
﹂︵ 共 に南 海も の︶ を訳 了さ れた ので
︑す つ か り南 海 に 魅せ ら れ て しま ひ
︑本 二 十六 日 横 浜解 纜 の 横 濱 丸で 南洋 のわ が委 任統 治領 へ半 年の 予定 で旅 立た れま した
︒写 真班 を伴 つて 小生 も埠 頭ま で見 送り に行 きま した が 本 誌読 者諸 氏に 呉れ ぐれ もよ ろし く︑ いづ れ帰 朝の 際に はノ ード ホフ
&ホ ール 以上 の南 海も のを お土 産に 再び 諸氏 に ま み え たい と の 伝言 で し た︒
﹂ とあ る
︒横 濱 丸 の 甲 板 で 微 笑 む 大 久 保 康 雄 の 写 真 も 残 っ て い る#
︒ そ の﹃ 暗 黒 の 河
﹄
﹁序
﹂に 大久 保は
︑﹁ 昭和 十四 年四 月二 十 四日
﹂の 擱 筆 日を 記 し た上 で
︑﹁ 私 は いま
﹁南 海 の 島々
﹂に 旅 立 たう と し て ゐ る
︒マ ー シヤ ル 諸 島か ら
︑ジ ヤ バ︑ ス マト ラ
︑ニ ユ ーギ ニ ア︑ 更 に出 来 る な らば タ ヒ チま で 行 き た い と 望 ん で ゐ
― 79 ― 大久保康雄と〈南洋行〉
ハ リ ケー ン
る
︒さ きに
﹁台 風﹂ を紹 介し
︑今 また こゝ に﹁ 暗黒 の河
﹂を 読了 する に及 んで
︑私 の南 海に 対す る興 味は もは や単 な る 興味 以上 のも のと なつ てし まつ たの だ︒ 私の 胸は
︑少 年の やう に︑ 熱帯 の海 面に 点々 と散 在す る島 々へ の憧 れに ふ く らん でゐ る︒ 横浜 出帆 を明 後日 に控 へて
︑私 の想 念は
︑落 着か なく 南十 字星 の彼 方に ばか り走 つて ゐる
︒日 本と も し ばら くの お別 れだ
︒読 者諸 君と 相見 える こと が出 来る のも
︑お そら くは 早く て六 ヶ月 の後 であ らう
︒で はご 機嫌 よ う
︒﹂ と の文 を記 して いる
!
︒ 大久 保の
︿南 洋行
﹀が 当 初﹁ 六ヶ 月
﹂の 予 定で あ っ たこ と が わ かる
︒大 久 保 は︿ 南洋 行
﹀後
︑﹁ わ たし は
︑一 昨 年 の 春か ら夏 にか けて 約四 ヶ月 ほど
︑南 洋の 島 々を 旅 し てあ る い た︒
︵略
︶日 本 人 の 一人 も ゐ ない 部 落 で︑ 土人 の 小 屋 に 泊り
︑土 人と おな じも のを 食べ
︑土 人と おな じ やう な 生 活も し て きた
︒そ の 結 果︑ わ たし の 南 洋に 対 す る 関心 は
︑ も は や 関心 な ど とい ふ 言 葉 でよ ば れ うる ほ ど 生や さ し い もの で は な く な つ て し ま つ た
︒﹂
︵﹃ 台 風﹄ 昭 16和 11・ 18・
︑ 三 笠書 房︶ と記 して もい るが
︑前 掲し たよ うに
︑実 際に は三 ヶ月 に満 たな い間 の︿ 南洋 行﹀ であ った
︒ 三笠 書房 の雑 誌︑
﹁ 読書 と人 生﹂ に掲 載さ れた
︑大 久保 の手 にな るス ナッ プ写 真﹁ 南洋 島め ぐり
﹂は
︑﹁ 一 カロ リ ン 群島 トラ ツク 島の 女﹂
﹁ 二 カロ リン 群島 トラ ツク 島 マン グロ ーブ の叢 林に 於け る蟹 取り
﹂﹁ 三 最も 典型 的な 低 叢 島 の 一つ
マ ー シ アル 群 島 の アイ ル ツ ク島
﹂﹁ 四 カ ナ カ土 人 の カ ヌー 競 争﹂
﹁ 五 ヤル ー ト 島 カ ナ カ 族 の 現 代 風 俗
﹂﹁ 六 ヤ ルー ト島 の外 海岸
﹂﹁ 七 サイ パン 島の スナ ツブ
﹂﹁ 八 マ ーシ アル 群島
﹂﹁ 九 カヌ ーの 行先 は⁝
﹂の 九 点 から 成る
︒﹁ マ ーシ ヤル 諸島 から
︑ジ ヤバ
︑ス マ ト ラ︑ ニユ ー ギ ニア
︑更 に 出 来 るな ら ば タヒ チ ま で行 き た い﹂ と あ った が︑
︿ 南洋 行﹀ 期間 の短 縮に 伴っ て︑
﹁ジ ヤバ
︑ス マト ラ︑ ニュ ーギ ニア
﹂ま で足 を伸 ばす こと は出 来な かっ た ら し い︒
﹁ 一 カロ リ ン 群島 ト ラ ツ ク島 の 女﹂ は︑ 裸 の︿ 南洋
﹀女 性 の 写真 だ が"
︑ こ の よ う な 女 性 の 姿 は
︑︿ 南 洋
﹀ を 訪れ た日 本人 によ って 最も よく 取材 対象 とさ れた 存在 であ った
︒大 久保 によ るス ナッ プ写 真に 特徴 的な のは
︑島 の
大久保康雄と〈南洋行〉 ― 80 ―
外 観を 撮っ たも のが 多い こ と であ る
︒﹁ 低 叢島
﹂で 想 起 さ れる の は︑
﹃ 台風
﹄の 舞 台︑
﹁ マヌ ク ラ 島﹂ であ ろ う
︒前 掲 し たよ うに
︑大 久保 の︿ 南洋 行﹀ の契 機は
﹁﹁ 台 風﹂ 及び 今度 の﹁ 暗黒 の河
﹂﹂ を訳 了し たこ とと あっ た︒
﹃ 台風
﹄﹃ 暗黒 の河
﹄は アメ リカ で活 躍し た作 家︑ チャ ール ス・ ノー ドホ フ︵ 一八 八七
〜一 九四 七︶ と︑ ジェ ーム ス
・ ノー マン
・ホ ール
︵一 八八 七〜 一 九五 一
︶の 共 著で あ る︒ 少 し長 く な る が︑ 大久 保 康 雄自 身 に よ る﹃ 台風
﹄﹃ 暗 黒 の 河﹄ 作者 紹介 を引 用す る!
︒ 一 九二
〇年 には
︑二 人で 揃つ てタ ヒチ に渡 り︑ 二人 とも 土人 の女 と結 婚し
︑二 人と も子 供を 設け た︒ こゝ で思 ひ 出 すの は︑ フラ ンス 画壇 の変 り種
︑﹁ タ ヒチ の画 家﹂ と云 はれ たポ ール
・ゴ オガ ンの こと であ る︒
︵略
︶彼 のタ ヒ チ 紀 行﹁ ノ ア・ ノア
﹂を 読 む と︑ 彼が い か に タヒ チ の 自然 と 人 間を 深 く 愛 して ゐ た か ゞ よ く う か ゞ は れ る︒ だ が
︑彼 のそ の愛 情は
︑文 明に 対す る彼 の はげ し い 嫌悪 の 反 作用 で あ つ た︒ 即ち 彼 は︑
﹁ 腐敗 し た 文明 人 と
︑素 朴 で ブリ ュタ ルな 未開 人と を対 蹠的 に描 かう
﹂と した ので ある
︒し かし
︑ノ ード ホフ とホ ール は︑ ゴオ ガン とち が つ て︑ 決し て︑ 白人 と土 民と を﹁ 対蹠 的に
﹂は 描い てゐ ない
︒こ の小 説に 登場 する 白人 は︑ みな
︑土 人の 習性 を 理 解し
︑彼 等の 性情 を愛 し︑ 彼等 の素 朴な る人 間性 に敬 意を 払つ てゐ る作 家達 自身 の如 き人 達ば かり だ︒ また
︑﹁ こ れら の諸 作を 通じ て︑ その 底に 一貫 し て 流れ て ゐ るの は
︑こ の 絶 海の 孤 島 に住 む 未 開の 土 人
︵島 民︶ に 対 する 作者 達の 限り なき 愛と 理 解で あ る﹂ と 書く
︒大 久 保 の理 想 と す る﹁ 南海 も の﹂ は︑
﹁ 土人 の 女 と結 婚
﹂す る な ど して
︿南 洋﹀ に住 むこ とで
︑﹁ 土 人の 習性 を理 解し
﹂︑
﹁ 土人
︵島 民︶ に対 する
﹂﹁ 愛と 理解
﹂を 持っ た作 家が
︑作 家 自 身を 投影 した 作品 を描 くこ とだ とい える だろ う︒
﹃ 台風
﹄﹁ 編 集 後記
"
﹂に お い て大 久 保 は︑
﹁ 向う で 生 活し て く るに お よ ん で︑ いよ い よ どう に も なら な い 南 洋 マ ニ ア にな つて しま つた
﹂と 記し てお り︑ 大 久保 に と って の
︿南 洋 行﹀ は︑
︿南 洋 行
﹀前 に 想定 し た もの と さ ほど 落 差 が
― 81 ― 大久保康雄と〈南洋行〉
な かっ たも のと 推測 出来 る︒ その こと を示 すよ うに
︑戦 後︑ 昭和 二十 三年 に出 版さ れた
﹃孤 独の 海﹄ の表 題作
︑﹃ 孤 独の 海﹄ は︑
﹃台 風﹄ から の 影 響 を 如実 に 映 し出 す 作 品 であ る
︒﹃ 台 風﹄ は︑ 猛烈 な 台 風 と︑ そ の 台 風 に 抗 う﹁ 島 民﹂ と﹁ 白 人﹂ の 物 語 で あ り
︑ 短 篇﹃ 孤独 の海
﹄も
︑激 しい 台風 と︑ その 台風 に遭 遇す る﹁ 島民
﹂と
﹁白 人﹂ の物 語で ある
︒設 定や
︑プ ロッ トだ け で はな く︑ 語り 手が 実は 過去 の話 の中 心人 物で あっ たと いう
︑物 語の オチ まで 一致 して いる
︒ 一方 の﹃ 暗黒 の河
﹄は
︑﹁ こ の作 品の
﹁台 風﹂ と異 る と ころ は
︑全 篇 猛烈 な ラ ヴ・ ロ マン ス に 彩ら れ て ゐる と い ふ 点 であ る︒
﹂︑
﹁男 と女 の赤 裸々 な﹁ 恋﹂ のす! が! た! だ︒"
﹂と 言う よ う に︑
︿南 洋
﹀を 舞 台に し た 恋愛 譚 で あ る︒
﹁ス コ ー ル
﹂に 遭い
︑孤 島に 辿り 着 いた
﹁白 人
﹂と
﹁土 人﹂
︵ 彼女 は 実 は﹁ 白人
﹂で あ っ た こと が 後 々わ か る が︑ 互い に 生 存 中 は知 らな い︒
︶ との 恋 愛話 で あ る︒
︿南 洋
﹀で の﹁ 土 人﹂ 女性 と の 恋 愛と い っ た設 定 は︑ 大 久 保﹃ 島妻
﹄︵ 後 の﹃ 黒 い 熱帯 魚﹄
︶ と近 しい
︒ なお
︑﹃ 孤 独の 海﹄ に収 録さ れ た 短篇 の う ち︑
﹃花 奔 幻 想﹄ は﹃ ア モツ ク 島 日記
﹄﹃ ア モ ツク 島 日 記 二﹄ を︑
﹃海 松
﹄ と
﹃月 と證 券﹄ はそ れぞ れ同 名作 品 を︑
﹃黒 い 熱 帯魚
﹄は
﹃島 妻
﹄を 改 稿し た も の であ る
︒戦 前 に発 表 さ れた こ れ ら の
︿南 洋 も の﹀ につ い て は第 二 章 で 述べ る
︒﹃ 孤 独の 海
﹄は 戦 後に 発 行 さ れ た こ と も あ り︑ た と え ば︑
﹁ マ ー シ ヤ ル 女
﹂と
﹁日 本 人﹂ の 話を
︑﹁ ハ ワ イの 現 地 女 性
﹂と
﹁ハ ワ イ 移 民
﹂と の 恋 愛 話 に 書 き 換 え る︵
﹃ 島 妻﹄
↓﹃ 黒 い 熱 帯 魚
﹄︶ な どの 工夫 がな され てい る︒ 以上 見て きた よう に︑ 大久 保の
︿南 洋行
﹀及 び︿ 南洋 もの
﹀は
︑明 確に
﹁ノ ード ホフ
&ホ ール
﹂の
﹁南 海も の﹂ の 影 響下 にあ るこ とが 指摘 出来 る︒
大久保康雄と〈南洋行〉 ― 82 ―
二 大久
保康 雄の
︿南 洋も の﹀ の紹 介と
︑そ れら に関 する 考察 を行 って いく
︒
﹃ 島妻
﹄︵ 昭 15和
・6
︶︑
﹃ 流 木﹄
︵昭 和 16・ 1︶ は︑ 管見 の 限 り︑ 大久 保 の
︿南 洋 もの
﹀第 一 作・ 第 二 作 だ が︑ 中 島 敦 との 接点 があ る作 品な ので 次章 で詳 しく 見て いく ので
︑ひ とま ずこ こで は触 れな い︒ 大久 保の
︿南 洋も の﹀ は︑ その 特徴 とし て大 きく 三つ 挙げ られ る︒ 一つ めは
︑植 民地 政策 側︵ 南洋 庁役 人︑ 以前 統治 して いた 白人 など
︶へ の反 感が 見ら れる こと
︑二 つめ は︑
︿ 南洋
﹀ に 滞在 する 日本 人の 姿が 描き 出 され る こ と︑ そし て
︑三 つ めは
﹁ノ ー ド ホ フ& ホー ル
﹂を 理 想と し た︑
﹁ 土人 の 習 性 を 理解
﹂す るこ とに 主眼 を置 いて いる こと
︑で ある
︒ 一つ めは
﹃月 と證 券﹄
︑ 二つ めは
﹃憶 えて ゐ るが か な しか り け り﹄
︑三 つ め と して
﹃ア モ ツ ク島 日 記﹄
﹃ アモ ツ ク 島 日 記二
﹄﹃ 海 松﹄
﹃島 妻﹄
﹃ 流木
﹄が 挙げ られ るだ ろう
︒ まず
︑﹃ 月 と證 券﹄
﹃憶 えて ゐる がか なり かり けり
﹄を 紹介 する
︒
﹃ 月と 證券
﹄︵
﹁ 文庫
﹂昭 17和
・8
︶は 掲載 誌面 五頁 とい う一 番短 い小 説で ある
︒﹁ パモ 酋長
﹂が
﹁イ ギリ ス銀 行の 証 券
﹂を 大 切 に し て い る が
︑そ れ は﹁ 反 古 同 然 の も の﹂ で あ っ た︒
﹁私
﹂は
︑﹁ こ れ を 書 い た イ ギ リ ス 人 に 腹 が 立 つ て
﹂︑
﹁ 人間 にた いす る不 埒な 侮辱
﹂だ と感 じ る︒ しか し
︑﹁ 私 はふ い に︑ 私 もま た い つ のま に か その 証 券 に私 ら し い 色 彩の ある 夢を よせ てゐ たこ とに 気が つい た﹂ と締 めく くら れる
︒
﹃ 憶え てゐ るが かな しか りけ り﹄
︵昭 18和 10・
︶は
︑船 上を 舞台 にし てい る︒
﹁ 私﹂ と︑
﹁島 民﹂ たち に紛 れ込 み﹁ デ
― 83 ― 大久保康雄と〈南洋行〉
ツ キ・ パッ セン ジャ ー﹂ とし て滞 在す る﹁ 父子 づれ の日 本人 船客
﹂と の交 流を 描い た作 品で ある
︒﹁ 南 洋庁 役人
﹂が
︑
﹁な んに して も︑ あん な恰 好を して
︑こ のへ んを うろ うろ され ては こつ ちが 迷惑 しま すよ
︒日 本人 の面 汚し です
﹂と
︑ 苦 々し げに 言い 放っ た こ とに
︑﹁ 私
﹂は
︑﹁ い やな 気 持 ち﹂ を覚 え る
︒﹁ 南 洋庁 役 人﹂ に﹁ い やな 気 持 ち﹂ を抱 く と 明 記 され るこ の作 品は
︑一 つめ の特 徴に も当 ては まる もの だろ う︒ 三つ めの
﹁土 人の 習性 を理 解﹂ する こと に主 眼を 置い た作 品に 関し て以 下︑ 詳し く見 てい きた い︒
﹃ アモ ツク 島日 記﹄
︵昭 16和 10・
︶︑
﹃ アモ ツク 島日 記二
﹄︵ 昭 17和
・1
︶は
︑﹁ ある 女宣 教師 の手 記﹂ とい う副 題が 付 け られ た作 品で ある
︒﹁ 七 月二 十日
大 きい
︒ま る で山 の や うに
︑ど つ し り と海 に 根 を生 や し てゐ て
⁝﹂ と始 ま る よ う に︑ 物語 は﹁ 七月 二十 日﹂ か ら﹁ 八月 二 十 日﹂ まで の 一 ヶ月 間
︑﹁ 女 宣 教師
﹂で あ る﹁ わ たし
﹂に よ る 手記 形 式 で 進 ん で いく
︒﹁ わ た し﹂ は︑
﹁人 に 知 られ ぬ こ の 熱帯 の 孤 島に 埋 れ て︑ 島 の人 々 に 神の 道 を 説 か う と 覚 悟﹂ を 持 っ て
︿南 洋﹀ にや って くる
︒﹁ わた し﹂ はそ こで
︑﹁ 島 の人 々﹂ に日 本語 を教 える 授業 を受 け持 つ︒
﹁わ たし
﹂と
︑﹁ カ ピア
﹂ と いう
﹁日 本語 にか けて は︑ おそ らく 生徒 の中 でも 一番 でせ う﹂ と評 され る﹁ 女生 徒﹂ との 交流 が中 心に 描か れて い く
︒ 日本 語を 流暢 に操 る﹁ カ ピア
﹂は
︑し か し なが ら
︑﹁ 床 下に 寝 る
﹂と い う﹁ マー シ ヤ ル土 人
﹂の 習 慣を
︑決 し て 止 め な い︒
﹁ わた し
﹂が
﹁や さ しく 声 を か けて
﹂も
︑﹁ た の むや う な 調 子 で す す め﹂ て も︑
﹁ 頑 固 に い や が る カ ピ ア を
︑ ま るで 引き ずる やう に家 の中 につ れこ んで きて
﹂も
︑翌 朝に は﹁ カピ ア﹂ は床 下か ら顔 を出 す︒ 習慣 や風 習の 違い が 明 確に 存在 する 両者 が描 か れる
︒そ う し た﹁ わた し
﹂と
﹁カ ピ ア﹂ との 断 絶 は︑
﹁ カピ ア
﹂の 恋 愛に よ っ て引 き 起 こ さ れる
︒ わ た し は見 て し まつ た だ の だ︒ あの 男 の 眼を
︒教 室 で わた し を 眺 めま は し てゐ る と きと そ つ く り の テ ム チ の 眼
大久保康雄と〈南洋行〉 ― 84 ―
を
︒そ れか ら︑ その 他の すべ てを
︒下 劣な けだ もの の悪 戯を
︒黒 い人 魚の やう に︑ 水に ぬれ て滴 をぽ たぽ た垂 ら し て ゐ るカ ピ ア の肌 の 上 に︑ 葉 陰を も れ た光 線 が︑ ち らち ら と 光 る斑 点 を 描き 出 し てゐ た こ と ま で も︑ わ た し は
︑こ の眼 で︑ 汚れ を知 らぬ この 眼で
︑は つ きり と 見 てし ま つ たの だ
︒そ れ に して も
︑相 手 があ の カ ピ アと は
︒ 十 四歳 の少 女︑ カピ ア︒ 日本 語の よく でき るカ ピア
︒説 教の 通訳 をし てく れる カピ ア︒ 日夜 わた しと 同じ 部屋 に 起 き臥 しし てゐ るカ ピア
︒あ あ︑ 何 とい ふ醜 態︒ 何と いふ きた なら しさ
︒何 とい う恥 知ら ず︒ あ あ︑ 何 とい ふ⁝
⁝ 無 智︑ 無恥
︑野 蛮人
︑け だも の︑ 野獣
︑豚
︑虫 けら
︑う ぢ虫
︒
﹁ カピ ア﹂ と︑
﹁マ ー シヤ ル 土 人﹂
﹁テ ム チ﹂ と の関 係 を 見 た﹁ わた し
﹂は
︑彼 女 たち の 行 為を
﹁無 智
﹂で あ り﹁ 野 蛮 人﹂ であ ると 断罪 する
︒そ れを
︑他 の誰 でも なく
︑﹁ 日 本語 のよ くで きる カピ ア﹂ が行 った とい うこ とが
﹁わ たし
﹂ に は許 し難 いこ とな ので ある
︒﹁ 汚 れの 知ら ぬ﹂
﹁私
﹂と
︑﹁ 野 蛮人
﹂で ある
﹁カ ピア
﹂﹁ テム チ﹂ とい うよ うに 対比 的 に 描か れ︑
﹁ 文明
﹂化 する ため に日 本語 の授 業を 持ち
︑宣 教し てき た﹁ わた し﹂ にと って
︑﹁ 日本 語の よく でき るカ ピ ア
﹂が
︑︿ 南 洋﹀ の﹁ 野 蛮人
﹂で し か なか っ た と 認識 し た こと は
︑大 き な衝 撃 と な る︒ そ の 認 識 を 転 回 さ せ る の は
︑
﹁猛 烈な スコ ー ル﹂ であ る
︒作 品 内で
﹁ス コ ー ル﹂ は︑
﹁島 民
﹂の
﹁迷 信
﹂と し て描 か れ る︒
﹁解 熱 に は︑ スコ ー ル の 水 を浴 びる のが
︑い ちば ん効 目が ある とい ふ迷 信す らも ある さう で︑ その ため
︑高 熱を 出し てう なつ てゐ るや うな 病 人 まで が︑ スコ ール がく ると
︑雨 のな かへ 飛び だし てゆ く﹂ など と語 られ る︒
﹁ わた し﹂ は︑
﹁猛 烈な スコ ール
﹂に 遇 い
︑﹁ か らだ の苦 痛が 加は れば 加は るほ ど︑ 皮膚 の内 側に つ い てゐ る 醜 い泥 が 流 さ れて ゆ く かの ご と く信 じ
︑そ の 信 じ 方に
︑わ きめ もふ らず すが りつ いて ゐた やう であ つた
︒わ たし は︑ わた しの から だに ひそ んで ゐる 汚れ たも のの す べ てを
︑そ の雨 で洗 いな がし てし まは うと でも ねが つて ゐた やう であ つた
︒﹂ と 感じ る︒
﹁ スコ ール
﹂が 病 を回 復 さ せる と い う﹁ 島 民﹂ の﹁ 迷信
﹂を
﹁わ た し﹂ が 信じ る こ とに よ っ て︑
﹁ わた し
﹂は
︑﹁ カ
― 85 ― 大久保康雄と〈南洋行〉
ピ ヤ﹂ を理 解す る
︒﹁ カ ピヤ
﹂と
﹁テ ム チ﹂ の 結婚 を 祝 い︑
﹁土 人
﹂の 輪 の 中で
︑﹁ い つ しか
︑わ た し まで が
︑胸 の な か で︑ かれ らの 唄に あふ やう なリ ズム を勝 手 につ く り あげ て は︑ う たひ 出 し て﹂ い る︒
﹁わ た し は澄 ん だ 気持 で 祝 福 を おく るこ とが でき た︒ わた しは わた しを 救は れた と感 じた
︒﹂ と 作品 は締 めら れる
︒
﹁ わた し﹂ は︑
﹁島 民﹂ の習 慣を 理解 する こ とに よ っ て︑
﹁島 民
﹂自 身 をも 理 解 し よう と し︑ そ こに 救 い を見 た と い え るだ ろう
︒ わ たし は︑ わた しと 生徒 たち をへ だて てゐ るも ろも ろの 形式 をぶ ち壊 すこ とか らは じめ よう
︒先 生と 生徒
︑優 越 民 族と 劣弱 民族
︑文 明と 未開
⁝⁝ さう だ︑ わた しは まづ 文明 をす てる こと から はじ めよ う︒ はだ かに なつ て︑ か れ らの 中に はひ りこ むの だ︒ かれ らと おな じと ころ に寝 ね︑ かれ らと おな じも のを 食べ
︑か れら と同 じ空 気を 吸 ひ
︑か れら と同 じ唄 をう たひ
︑か れら のや うに 感じ
︑か れら のや うに 生活 する のだ
︒ 作 中に 出 て くる
﹁わ た し﹂ の 言葉 は
︑前 掲 し た︑ 大久 保 康 雄の
﹁日 本 人 の 一人 も ゐ な い 部 落 で︑ 土 人 の 小 屋 に 泊 り
︑土 人と おな じも の を食 べ
︑土 人 とお な じ やう な 生 活 もし て き た︒
﹂︵
﹃ 台 風﹄ 昭和 16・ 11・ 18︑ 三 笠書 房
︶と い う 発 言と 近い
︒
﹃ アモ ツク 島日 記﹄
﹃ア モツ ク島 日記 二﹄ は︑ 大久 保の
︿南 洋行
﹀で の体 験を 投影 しな がら
︑如 何に
﹁島 民﹂ を理 解 し
︑﹁ 島 民﹂ 生活 に溶 け込 むか とい うこ とを 描い た作 品だ とい える
︒
﹃ 椰子 と 海 との 間
﹄︵ 昭 17和
・7
︶は
︑末 尾 に﹁ 架空 の 物 語 り﹂ で あ る こ と が︑
﹁ 附 記﹂ さ れ た 未 完 の 小 説 で あ る
︒
﹁リ キ エー ブ
﹂と い う﹁ マー シ ヤ ル 群島 で 唯 一の 混 血 人の 島
﹂と い う︑ 存 在 し な い 島 が 描 か れ る︒
﹁ い ち ば ん﹁ 文 化 的
﹂な 島﹂ であ り︑ 他者 に脅 かさ れる 心配 のな い 平和 な 島︒
﹁ マー シ ヤ ルの 一 孤 島 に︑ 新刊 の 雑 誌を よ ん でゐ る 人 間 が ゐる
﹂島
︒﹁ こ のや うな うる はし い混 血人 部落 が︑ どう し て でき あ が つた か
︒そ れ に は面 白 い 物語 り が ある の で あ
大久保康雄と〈南洋行〉 ― 86 ―
る
︒﹂ と
︑﹁ 私﹂ は語 る︒
﹁ いま を 去 る六 十 年 前︑ デ・ ブル ー ム
︑カ ペ レと よ ぶ ふた り の 冒険 ず き の 若者 が
︑偶 然 ホ ノ ル ル で 一 緒 に な つ た
︒ ふ た り は︑ たち ま ち 意気 投 合 し︑ 未 開拓 の 蛮 地マ ー シ ヤル へ 遠 征 して 南 洋 人と の 交 易を ひ ら か うと 相 談 一 決 し た
﹂︒ 島 に着 いた 二人 は︑
﹁ シヤ ボン 玉の 吹き かた をお しへ
︑そ して
︑そ の島 民と 仲よ しに な﹂ り︑
﹁島 民た ち﹂ は︑ 二人 と 懇 意に なっ たこ とで
︑彼 等が もた らし た交 易を 通し て生 活が 豊か にな る︒ ある 日︑
﹁ もの すご い台 風が 襲来 して
︑ふ たり の乗 つて き た 帆船 は 岩 礁に た た き つけ ら れ て︑ 微塵 に 破 壊さ れ て し ま
﹂う
︒そ のた め︑
﹁ ふた りは 運を 天に まか せて
︑酋 長の 要請 をい れ︑ それ ぞれ ふた りの 娘と 結婚 し﹂
︑多 くの
﹁混 血 児
﹂を 生 み︑
﹁ いま か ら 二年 前
︑ふ た り は︑ 八十 歳 以 上の 高 齢 で︑ 申合 わ せ た や う に︑ あ ひ つ い で こ の 世 を 去 つ た
﹂ と する
︒ ユー トピ アと して 描か れる
﹁リ キエ ーブ
﹂と いう
﹁混 血人 の島
﹂か らは
︑大 久保 の﹁ 島民
﹂生 活へ の溶 け込 み方 の 理 想が 見受 けら れる ので はな いだ ろう か︒ つま り︑
﹁ 文明
﹂を もた らす こと は﹁ 島民
﹂生 活を 豊か にす るこ とで あり
︑ そ して その やり 方は
﹁島 民﹂ と暮 らす など して
﹁島 民﹂ 生活 を理 解す るこ とが 第一 義で ある とい う見 解で ある
︒ また
︑﹁ 一 九二
〇年 には
︑二 人で 揃つ てタ ヒチ に渡 り︑ 二人 とも 土人 の女 と結 婚し
︑二 人と も子 供を 設け た﹂
﹁ノ ー ド ホフ
&ホ ール
﹂の 姿が ここ から は読 み取 れる
︒
﹃ 海松
﹄︵ 昭和 17・ 11︶ は︑ 旅行 者﹁ 私﹂ が︑
﹁ めず らし い﹂
﹁海 松﹂ を手 に入 れる 物語
︒﹁ ヤ ルー トで もポ ナペ にも
︑ 椰 子の 葉で つく つた 団扇 とか
︑海 亀の 甲羅 でつ くつ た煙 草ケ ース とか
︑椰 子の 実で つく つた お面 とか
︑貝 の煙 草盆 と か
︑い ろい ろ︑ 旅行 者を めあ ての お土 産 もの を 売 つて ゐ る 店﹂ はあ る が
︑﹁ 海 松﹂ は﹁ おそ ら く どこ に も 売つ て ゐ な い
﹂と 作品 冒頭 部で
﹁私
﹂は 語る
︒そ れを
﹁ど うし て手 にい れた か﹂ がこ の物 語の 中心 にな る︒
― 87 ― 大久保康雄と〈南洋行〉
﹁ ギナ ン の 葬儀
﹂に 立 ち 会っ た
﹁私
﹂は
︑﹁ マ ー シヤ ル 人 の民 俗 風 習を さ ぐ る の が
︑私 の 旅 行 の 目 的﹂ で あ っ た た め
︑﹁ カ メラ をと りだ し︑ この すば らし い材 料に 向つ て︑ ピン トを 合わ せは じめ
﹂る
︒す ると
︑﹁ すさ まじ い形 相を し た 若い 女﹂ が︑
﹁ いき なり 私の 手に あつ た カメ ラ に 躍り か か り﹂
﹁傍 の 岩 礁 に力 ま か せに 叩 き つ け﹂ る︒ そこ で
︑﹁ 心 の 底か ら悲 しみ 歎き つつ 死者 をと むら つて ゐる この もつ とも 厳粛 な場 面に
︑あ たか も見 世物 かな んぞ のや うに 平気 で カ メラ を向 ける
﹂と いう
﹁自 分の 軽率
﹂さ に気 付い た﹁ 私﹂ は﹁ 非礼 と冒 涜を 詫び
﹂︑
﹁ ギナ ン﹂ の﹁ 墓地
﹂へ 花と 煙 草 を供 える
︒
﹁ 島民
﹂に 寄 り 沿 い︑
﹁島 民
﹂側 の 見 方 を 得 よ う と し た﹁ 私﹂ に︑
﹁ ギ ナ ン の 妻﹂ で あ っ た﹁ カ ピ ヤ﹂ が︑
﹁ ミ ヨ カ ン
﹂と い う﹁ 非 常に 貴 重 なも の
﹂や
︑ず っ と ほし が っ てい た
﹁海 松
﹂を
﹁贈 物
﹂と し て 届 け て く れ る と い う 筋 に な る
︒ つま り︑
﹁ 私﹂ が︑ 一介 の旅 行者
︵植 民地 政策 側︶ とし てで はな く﹁ 島民
﹂の 位置 に立 とう とし たか らこ そ︑
﹁旅 行 者 をめ あて のお 土産 もの を売 つて ゐる 店﹂ では 決し て手 に入 れる こと は出 来な い﹁ 海松
﹂を 手に 入れ るこ とに なる の で ある
︒ これ らの
︿南 洋も の﹀ で重 要視 され るこ と は︑
﹁島 民
﹂の 気 持ち を 如 何に 理 解 す るか と い うこ と で ある
︒く り 返 し に なる が︑ そし てそ れは
︑﹁ ノ ード ホフ
&ホ ール
﹂の
﹁南 海も の﹂ から 影響 を受 けた もの であ った
︒ さて 本稿 では
︑大 久保 の︿ 南洋 もの
﹀と
︑中 島敦 の︿ 南洋 もの
﹀を 見て いく のだ が︑ なぜ
︑中 島と 繋が るの かと い え ば︑
︿ 南洋 行﹀ 最中 の中 島の 日記 に︑
﹁大 久保 康雄 の南 洋の 小説
﹂を 読ん だと の記 載さ れて いる から であ る︒ その 作 品 につ いて
︑第 三章 で考 察し てい く︒
大久保康雄と〈南洋行〉 ― 88 ―
三
︿ 南洋 行﹀ の最 中︑ 中島 はヤ ルー ト島 とい う︑ 南洋 群島 の 中 でも 小 さ な島 で
︑南 洋 庁 職員 で あ った 竹 内 虎三 と 懇 意 に なる
︒昭 和十 六年 十月 一日 付の 中島 の書 簡に 竹内 虎三 の名 前が 初め て登 場す る︒ その 書簡 は﹁ ヤル ート 滞在 中︑ 一 人 の役 人と 仲良 くな つた
︒竹 内と いふ
︑実 に気 持の 良い 男﹂ と綴 られ はじ め︑ 中島 が竹 内に 対し て好 意を 持っ てい た さ まが 存分 に窺 える もの であ る︒ 竹 内が
﹁一 昨 年︑
﹁ 風と 共 に 去り ぬ
﹂の 訳 者︑ 大 久保 康 雄 を案 内 し て︑ マー シ ヤ ル の 離島 に行 つた
﹂こ と︑ そし て大 久保 康雄 が﹁ 竹 内氏 が 話 した 材 料﹂ で 作品 を 書 い たこ と を 知っ た 中 島 は︑
﹁田 中 西 二 郎が 送っ てく れた 小説 の本 に︑ 大久 保康 雄の 南 洋の 小 説 が二 つ あ った
﹂こ と を 思 い出 し
︑﹁ あ の小 説 を 竹内 氏 に 読 ま せて やり たい
﹂と 思い
︑た か夫 人に
︑﹁ あ の本 二 冊︵ 三 冊の 中
︑な か を調 べ て 見 るん だ ぜ︑ 大 久保 康 雄 のが あ る か
マ マ
ど うか
︶︵ マ チガ ヘテ
︑風 と共 に散 りぬ を送 つち や駄 目だ よ︒
﹁妙 齢﹂ つて いふ
︑田 中の 送つ て来 たヤ ツだ よ︶ 送つ て や つて 呉れ ない か︒
﹂ と頼 んで いる
!
︒ 続 けて
︑中 島 は﹁ 頼 むよ
︒僕 は
︑こ の 竹内 っ て い ふ男 が 好 きな ん だ よ
﹂と も 書 い て お り︑ 竹 内 へ の 好 意 か ら﹁ 妙 齢
﹂を 読ま せて あげ たい と考 えて いた
︑と 推測 でき る︒ 少な くと もこ こで
︑中 島が
﹁妙 齢﹂ とい う書 籍を
︑好 感を 持 っ てい た人 物│
│竹 内虎 三│
│に 与え るに 相応 しい もの だと 判断 して いた とい える だろ う︒ 中 島 の 見 た
﹁妙 齢﹂ 第 一 作"
︑﹃ 島 妻
﹄は
﹃小 説 集 年 輪 1﹄
︵ 昭 15和
・6 30・
︑妙 齢 会
︶に 収 録 さ れ た 短 編 小 説 で
︑﹁ 青 木﹂ とい う﹁ 貿 易会 社 の 社員
﹂が
︑﹁ ヤ ル ート
﹂の 島 で あ る﹁ アイ ル ツ ク島
﹂で
︑﹁ 島 妻﹂ と して
﹁マ ー シ ヤ ル 女﹂ であ る﹁ ネリ ー﹂ を手 に入 れる が︑ 結局
︑彼 女を 置い て日 本に 帰っ てい くと いう 物語 であ る︒
― 89 ― 大久保康雄と〈南洋行〉
舞台 は︑
﹁ ただ 一人 の日 本人 とし て彼 が住 んで ゐる アイ ル ツ ク島 は
︑マ ー シヤ ル 群 島 の最 東 南 端に ポ ツ ンと う か ん で ゐ る 小島
││ 島 と い ふ よ り も む し ろ 点 で あ る
﹂と い う 場 所 で あ り
︑﹁ 置 き 忘 れ ら れ た や う な 絶 海 の 孤 島﹂ と い う
﹁場
﹂を ま ず設 定 し て い る︒
﹃島 妻﹄ に お い て は︑
﹁ゴ マ 粒 の や う な 珊 瑚 礁﹂
↓﹁ ア イ ル ツ ク 島
﹂↓
﹁小 島
﹂↓
﹁点
﹂
↓
﹁置 き忘 れら れた やう な絶 海の 孤島
﹂と
︑周 縁の 周縁 であ る﹁ 場﹂ を表 現し てい る︒ その
︿未 開﹀ の﹁ 絶海 の孤 島﹂ に いる
﹁日 本 人﹂ は﹁ 青 木﹂
︑一 人 だ けで あ る
︒青 木 はそ の 閉 じら れ た 島で 神 経 衰 弱 にな り︑ 治療 のた めに 勧 めら れ て﹁ 島 妻﹂ を得 る こ とに な る
︒﹁ 島 民﹂ の中 に
﹁日 本 人﹂ 一人 と い う設 定 は
︑半 ば 強 制的 に﹁ 島民
﹂側 に溶 け込 まざ るを 得な い状 況だ とい える
︒
﹁ 青木
﹂の
﹁島 妻﹂ とな る﹁ 島民
﹂ネ リー はど のよ うに 描か れて いる のだ ろう か︒
﹁ ネリ ー﹂ はま ず﹁ 大き な海 蛇﹂ がい る﹁ 場﹂ と結 び付 けら れ︑
﹁青 木﹂ によ って
﹁海 蛇の よう
﹂﹁ 鰐 のよ う﹂
﹁蛇 の よ う﹂
︑ と﹁ 人間
﹂以 外の もの とし て表 現さ れる
︒﹁ ネリ ー﹂ が﹃ 島妻
﹄に おい てほ とん ど自 らの 言葉 を発 しな い存 在 で ある こと も︑
﹁ ネリ ー﹂ の︿ 他者
﹀性 を強 く印 象付 ける こと とな るだ ろう
︒ そし て︑
﹁ ネリ ー﹂ に特 徴的 なの は︑ 終始 一貫 して
﹁マ ーシ ヤル 女﹂ とし て描 かれ てい る点 であ る︒ 例え ば︑
﹁亭 主 に 死に 別れ て一 晩中 泣き 明し た翌 る朝 には
︑も う 他の 男 に 抱か れ て ゐよ う と い ふ多 情 多 恨の マ ー シ ヤル 女
﹂や
︑﹁ 節 操 のな いこ とで 艶名 全南 洋に 轟い てゐ るマ ーシ ヤル 女﹂ など の文 章に よっ て︑ 徹底 的に
﹁ネ リー
﹂に は﹁ マー シヤ ル 女
﹂イ メー ジが 付け られ る︒ 当 時の
﹁マ ー シ ヤル 女
﹂イ メ ージ と は
︑た と えば
︑︿ 南 洋 もの
﹀を 多 く 著し た 作 家︑ 安 藤 盛の
﹃南 洋記
﹄︵ 昭 11和
・8 18・
︑昭 森社
︶に ある よう な︑
﹁女 が足 らな い世 界で も︑ 土人 は日 本人 には 惚れ る︒ そ し て︑ この 島の 女は 恋に 奔放 だ︒
︵ 略︶ カナ カ族 の全 生 活 とい つ て よい 乱 倫 な 性生 活
﹂な ど の言 説 が 補強 し た
︑性 に 奔 放な 南洋 女性 像で ある
︒﹁ ネ リー
﹂は そう した
﹁マ ーシ ヤル 女﹂ の典 型的 人物 とし て造 型さ れ︑
﹁青 木﹂ の船 が日 本
大久保康雄と〈南洋行〉 ― 90 ―
へ 向か うそ の日 でさ え︑
﹁ マス ター
︑ネ リー がよ その 男と 関 係 して ゐ ま すよ
﹂と ボ ー イ に密 告 さ れる よ う な女 性 と し て 描か れる
︒
﹁ マー シヤ ルの 女に 貞操 を守 らせ るの は︑ 死 ねと い ふ にも ひ と し いの だ
﹂︑
﹁ マー シ ヤ ル女
﹂に と っ ては
﹁西 洋 人 同 志 の 挨 拶の 接 吻 ほど の 意 味 しか な い﹂ こ とを 体 験 上︑ 知る
﹁青 木
﹂は
︑﹁ マ ー シ ヤ ル 女 ら し い︑ そ の 行 為 に よ つ て
︑ 彼 に対 する 彼女 の誠 意を 疑ふ わけ には 行か なか つた
︒彼 は︑ さう した こと をき かさ れた 今で さへ
︑ネ リー の自 分に 対 す る愛 情を 疑ふ 気は すこ しも なか つた
﹂と 言 い 切る
︒し か し 同時 に
︑﹁ か ツ と燃 え 上 がつ た あ の熱 い も の﹂
︑﹁ 不 純 を ゆ るさ ぬ日 本人 の潔 癖な 感情
﹂を 抱く こと にな る︒
﹁ 青木
﹂の 中の
﹁日 本人
﹂が
︑﹁ 青木
﹂の
﹁ネ リー
﹂理 解に 影響 を 及 ぼし てい くの であ る︒
﹃ 島妻
﹄に 描 か れ る の は
︑﹁ マ ー シ ヤ ル 女
﹂﹁ ネ リ ー
﹂と
︑﹁ 日 本 人﹂
﹁ 青 木﹂ と の 決 別 で あ る︒ し か し
︑﹃ 島 妻﹄ で は
︑木 の上 に登 った
﹁ネ リー
﹂が
︑鏡 を反 射 させ る こ とで
︑﹁ 青 木﹂ の 船に め が け て光 線 を ずっ と 当 て続 け
︑愛 惜 の 思 いを 告げ ると いう
︑﹁ ネ リー
﹂の
﹁青 木﹂ への 深い 愛を 窺わ せる 結末 とな って いる
︒﹁ ネリ ー﹂ と﹁ 青木
﹂と の恋 愛 は 存在 した と捉 える こと が出 来る だろ う︒ そ して そ れ は︑
﹁マ ー シ ヤル 女 ら し い︑ その 行 為 によ つ て︑ 彼 に対 す る 彼 女 の誠 意を 疑ふ わけ には 行か なか つた
﹂と
﹁島 民﹂ らし さを 諒解 する
﹁青 木﹂ の姿 から も窺 うこ とが 出来 る︒ 次に
︑﹁ 妙 齢﹂ 第二 作︑
﹃流 木﹄ を見 てい く︒
﹃ 流木
﹄は
﹃小 説九 人集
﹄︵ 昭和 16・ 1・ 11︑ 妙齢 会︶ に収 録さ れて い る
︒﹁ 私
﹂は
﹁文 筆家
﹂で
︑南 洋庁 の 役 人で あ る﹁ 橋 本﹂ と︑ 同じ く 南 洋 庁の 医 者 であ る
﹁北 村﹂ と︑ 役 人嫌 い で 島 民 と寝 食を 共に する 芸術 家︑
﹁ 酒田
﹂と 出会 う︒
﹁私
﹂は
﹁酒 田﹂ に興 味を 抱き
︑﹁ 酒 田﹂ を観 察す る︒
﹃ 島妻
﹄と 同じ くヤ ルー トの
︑今 度は
﹁船 上
﹂を 舞 台に 設 定 して い る
︒こ れ もま た 半 ば強 制 的 に﹁ 島民
﹂と 生 活 を し なく ては なら ない
﹁場
﹂と い える
︒そ し て︑ そ こで 描 か れる 人 物
︑﹁ 私﹂ は﹁ 米 に対 す る 熱意 を 失 い︑ パン の 実 な
― 91 ― 大久保康雄と〈南洋行〉
ど の方 が口 に適 う﹂
︑﹁ 島 民﹂ 寄り の人 物と して 描か れる
︒特 に︑
﹁ 私﹂ が興 味を 抱く
﹁酒 田﹂ にい たっ ては
﹁日 本人
﹂ が いる スペ ース では なく
﹁島 民﹂ のい る甲 板で 寝 食を す る 人物 で
︑﹁ 私 は島 民 が 好 きな ん で すよ
︑島 民 と 一緒 に 生 活 す るの が│ な︒ 単純 で︑ 素朴 で︑ 親 切で
⁝⁝
︒私 は 役 人が 嫌 ひ なん で す
﹂と
︑﹁ 島 民﹂ と一 緒 に 生活 す る こと を 望 む 人 物で ある
︒
﹁ 島民
﹂寄 り の 人物 と し て描 か れ る﹁ 私﹂ と﹁ 酒 田﹂ の決 定 的 な相 違 点 は︑
﹁芸 術 家
﹂で あ る か 否 か と い う 点 で あ る
︒酒 田氏 は﹁ 芸術 家﹂ とし ての 自負 が強 く
︑﹁ 私﹂ と はじ め て 対面 し た 場 面で も
︑﹁ あ なた も 芸 術家 だ さ う です ね
﹂ と 押し つけ るよ うに 言い
︑﹁ 芸 術は 放浪 から 生 まれ る で すよ
︑放 浪 か ら│
﹂と 言 い きる 人 物 であ る
︒一 方 の私 は 同 じ
﹁芸 術家
﹂で あり なが ら﹁ 文学 愛好 者﹂ と自 称す る︑
﹁芸 術家
﹂と して 名乗 りを 上げ られ ない 人物 であ る︒
﹁ 私﹂ は﹁ 芸術 家
﹂に な りき れ て おら ず
︑﹁ 酒 田﹂ は﹁ 純 粋芸 術 を 求 め て
︑天 涯 孤 独
︑か う し て 南 海 を 放 浪 し て い る
﹂人 物だ とい える
︒
﹁ 酒田
﹂に とっ て︿ 南洋
﹀は
︑﹁ 芸 術的 昂 奮﹂ を かき 立 て てく れ る 対 象で あ り︑
︿ 南洋 女 性﹀ も﹁ 酒 田﹂ にと っ て は 同 じく
﹁純 粋芸 術﹂ の対 象と して 捉え ら れる 存 在 であ る
︒﹁ 酒 田﹂ は﹁ 拙輩 の 精 神 を刺 激 し︑ 拙 輩の 芸 術 的昂 奮 を 多 少 でも かき 立て てく れる 女な ら︑ それ だけ で拙 輩に は満 足な ので す︒
﹂ と言 い︑
﹁女 なん ても のは
︑い はば 刺激 物で す な
︑肉 体の 刺激 物で
︑同 時に 精神 の刺 激物
│︒
﹂︑
﹁日 本の 女な んて
︑も う私 には
︑刺 激に も何 にも なり あし ませ んよ
﹂ と 語る
︒ 最終 的に
﹁酒 田﹂ は﹁ トメ エン
﹂と いう 大酋 長の 養女
﹁イ ムリ
﹂を 手に 入れ る︒ 彼女 は﹁ マー シヤ ルら しい マー シ ヤ ル女
﹂と 設定 され た人 物で
︑﹁ マ ロイ ラツ プ 島 にお い て︑ す でに 生 娘 で はな く な つて ゐ る﹂ こ とか ら
﹁酒 田
﹂に 嫁 ぐ こと にな る女 性で ある
︒
大久保康雄と〈南洋行〉 ― 92 ―
﹁ 酒田
﹂は
﹁マ ーシ ヤル 女﹂ とし ての 南洋 女性 に価 値を 見出 す﹁ 芸術 家﹂ とい う設 定に よっ て︑
﹁島 民﹂ に溶 け込 む こ とが 可能 な人 物で あっ た︒ 大久 保康 雄 は︿ 未開
﹀で あ る︿ 南 洋﹀ に興 味 を 持ち
︑﹁ 島 民
﹂へ の﹁ 限 りな い 愛 と理 解
﹂で
︿南 洋﹀ に 住み 続 け る 作 家た ちを 評価 して いた
︒そ の大 久保 が竹 内虎 三か ら題 材を 貰っ て作 品を 書き 上げ た︒ 当然
︑大 久保 も竹 内に 同種 の 共 感を 得て いた こと は想 像 に難 く な い︒ その 共 感 のあ り か と は︿ 未開
﹀の
﹁島 民
﹂と 生 活を 共 に し︑
﹁島 民
﹂世 界 に 溶 け込 もう とし た点 であ った ので はな いだ ろう か︒ 大久 保康 雄﹁ 妙齢
﹂二 作 品は 何 れ も﹁ マー シ ヤ ル女
﹂と
﹁日 本 人
﹂と の 恋愛
︵﹁ 島 妻﹂ と して の 結 婚︶ を主 題 に し た もの であ る︒ しか しな がら
︑大 久保 の描 く﹁ マー シヤ ル女
﹂は
︑ス テレ オタ イプ 化さ れた
︿南 洋﹀ 女性 像の 範疇 を 逃 れら れて いな かっ たこ とも 指摘 出来 るだ ろう
︒ 四
中島 敦は 昭和 十六 年六 月二 十八 日︑
︿ 南洋
﹀に 旅 立 って い る︒ 現 地で は 南 洋 庁の あ る パラ オ に 滞在 し
︑時 折 り︑ 視 察 出張 とし て︑ トラ ック
︑ポ ナぺ
︑ク サイ
︑ヤ ルー トな どま だ開 かれ てい ない 土地 に出 掛け た︒ 実際 の︿ 南洋
﹀で の 中 島は ヤル ート での 竹内 虎三 に心 酔し たよ うに
︑ヤ ルー トな ど小 さい 島へ の視 察出 張を
﹁私 の南 洋へ 来た 目的 の第 一 で あ り ます
﹂!
と い い︑
﹁ へん ぴ な 離 れ島 を 知 つて ゐ る 人﹂ の話 を
﹁特 に 面 白い
﹂と い う"
な ど
︑﹁ 未 開﹂ で あ る︿ 南 洋
﹀に 興味 を抱 くさ まが いた ると ころ で見 受け られ る#
︒ そう した
﹁未 開﹂ の地 であ るヤ ルー トで
︑中 島は
﹁ヤ ルー ト島 民楽 団を 率ゐ
︑諸 離島 を巡 遊の 予定
﹂が ある 竹内 虎
― 93 ― 大久保康雄と〈南洋行〉
三 に好 感を 持つ
︒従 って
︑そ の竹 内が 話 した 材 料 に取 材 し た︑ 大久 保 康 雄﹃ 島 妻﹄
﹃流 木
﹄に も 似た よ う な共 感 を 得 て い た と推 測 出 来る
︒そ こ に 描 かれ た の は﹁ 島 民﹂ 寄 り の︿ ま な ざ し﹀ を 持 ち︑
﹁ 島 民﹂ へ の﹁ 限 り な い 愛 と 理 解
﹂ で
︿南 洋﹀ に溶 け込 もう とす る人 物で ある
︒中 島の
︿南 洋﹀ での 理想 のあ り方 も︑
︿ 南洋
﹀に 溶け 込み
︑﹁ 島民
﹂寄 り の 生活 をす ると いっ た とこ ろ に あっ た の だろ う
︒そ れ は︑
︿ 南洋 行
﹀前 に 書き 上 げ た︑
﹃光 と 風 と 夢﹄
︵昭 17・ 5︶ の
﹁ス ティ ヴン スン
﹂に 見受 けら れる よう な
││
﹁教 育 な き・ 力溢 る る 人々 と 共 に 闊歩
﹂す る こ とを 望 み︑
﹁ 植民 政 策 も 土 着 の 人間 を 愛 する こ と か ら始 め よ﹂ と 考え る よ うな
││ ス タ ンス で あ っ た︒
﹃ 光 と 風 と 夢﹄ の﹁ ス テ ィ ヴ ン ス ン
﹂ は
︑サ モア でそ の生 涯を 終え てい る︒ こう した
﹁島 民﹂ 世界 に溶 け込 む物 語は
︑大 久保 康雄 が憧 れた
﹃台 風﹄ や﹃ 暗 黒 の河
﹄に 近し いも のと いえ るだ ろう
︒ また
︑﹁ 竹 内と いふ
︑実 に気 持の 良い 男﹂ と竹 内虎 三を 評価 する 中島 は︑
﹁一 緒に
︑役 人と いふ もの
︵殊 に南 洋庁 の 役 人︶ を痛 快な 程︑ 罵倒 した
!
﹂と 書く
︒ つ まり
︑中 島 敦 も︑ 大久 保 と 同じ く
︑植 民 政 策側
︵南 洋 庁 役人
︶へ の 反 感 を 持 っ て い た こ と が わ か る
︒﹃ 風 物 抄
﹄ で は︑
﹁ 公学 校に 着く と︑ 背の 低い
・小 肥り に肥 つた
・眼 鏡 の 奥か ら 商 人風 の 抜 目 の無 さ さ うな
︵絶 え ず 相手 の 表 情 を 観察 して ゐる
︶目 を光 らせ た・ 短い 口髭 のあ る・ 中年 の校 長が
︑何 か不 埒な もの でも 見る やう な態 度で
︑私 を迎 へ た
︒﹂ と
︑日 本人 であ る公 学校 の校 長に 対し
︑決 して 好意 的と は言 えな い表 現で 描写 して いる
︒ し かし な が ら︑ 大久 保 が︑
﹁ 島民
﹂世 界 に 溶 け込 も う とし た 人 物を 描 い た の に 対 し︑
︿南 洋 行﹀ 後 著 さ れ た 中 島 の
︿南 洋も の﹀ は少 々︑ 趣が 違う もの とな って いる
︒
﹃真 昼﹄
︵昭 17・ 11︶ には 次の よう な文 章が ある
︒ お 前は 今︑ 輝く 海と 空と を眺 めて ゐる と思 って ゐる
︒あ るい は島 民と 同じ 目で 眺め てゐ ると 自惚 れて ゐる のか も
大久保康雄と〈南洋行〉 ― 94 ―
知 れぬ
︒と んで もな い︒ お前 は実 は︑ 海も 空も 見て おり はせ ぬの だ︒ ただ 空間 の彼 方に 目を 向け なが ら心 の中 で
Elle est retrouvée! − Quoi? − L’Eternité. C ’est la mer m êlée au soleil.
︵見 付か った ぞ!
何 が?
永 遠が
︒陽 と溶 け 合 った 海原 が︶ と呪 文の よう に繰 返し てゐ るだ けな のだ
︒お 前は 島民 をも 見て おり はせ ぬ︒ ゴー ガン の複 製を 見 て おる だけ だ︒ ミク ロネ シア を見 てお るの でも ない
︒ロ ティ とメ ルヴ ィル の画 いた ポリ ネシ アの 色褪 せた 再現 を 見 てお るに 過ぎ ぬの だ︒ 中島 敦の
︿南 洋も の﹀ は︑
﹁ 島民
﹂世 界に 溶け 込も うと しな がら も︑ 決し て溶 け込 めな いこ とに その 特徴 があ る︒ たと えば
︑﹃ マ リヤ ン﹄ が挙 げら れ る︒
﹃マ リ ヤ ン﹄ は︑ 昭和 十 七 年十 一 月 十 五日 に 発 行さ れ た﹃ 南 島 譚﹄
︵今 日 の 問 題社
︶に 収録 した 一篇 であ る︒
﹃ マリ ヤン
﹄は
︑﹁ 私﹂ と︑
﹁ 土俗 学者 H氏
﹂と
︑﹁ H氏
﹂の
﹁パ ラオ 語の 先生
﹂で あ る
﹁マ リヤ ン﹂ との 交流 を描 いた 物語 で︑ 実在 の人 物﹁ マ リ ヤ﹂ に取 材 し たも の で ある
︒!
︿南 洋﹀ 女 性﹁ マ リヤ ン
﹂ は
︑ス テレ オタ イプ 化さ れた
﹁マ ーシ ヤル 女﹂ では ない
︒﹁ マ リヤ ン﹂ は︑ 性に 奔放 な南 洋女 性と して では なく
︑﹁ 内 地 人﹂ より も﹁ 極め てイ ンテ リ﹂ な女 性と して 現れ る︒ しか しな がら
︑﹃ マ リヤ ン﹄ は︑
﹁ミ クロ ネシ ア・ カナ カの 典 型 的な 顔﹂ であ りな がら
︑﹁ 極 めて イン テリ
﹂で ある
﹁マ リヤ ン﹂ の姿 を︑
﹁い たま しさ
﹂の 象徴 とし て描 き出 す︒ そ し て︑ その よう な﹁ マリ ヤン
﹂の 姿を 通し て︑
﹁ パラ オ
﹂に お ける
﹁熱 帯 で あり な が ら 温帯 の 価 値標 準 が 巾を き か せ て ゐる 所か ら生 ずる 一種 の混 乱﹂ を描 く︒ つま り書 き手 は﹁ 島民
﹂世 界に 混乱 をも たら す存 在と して の自 己を 認識 し て いる と捉 える こと が出 来る だろ う︒ また
︑﹁ パ ラオ 地方 の古 譚詩 の類 を集 めて
︑そ れを 邦訳 して ゐる
﹂﹁ 土俗 学者 H氏
﹂は
︑実 在の 人物 であ る︒ 土方 久 功 とい う︑ 中島 敦と 現地 で交 流を 持っ た彫 刻家 であ る︒ 彼は ヤッ プの 離島 サテ ワヌ 島な どに 住み
︑各 地の 神話 伝説 を 蒐 集し た︒ つま り︑ 竹内 虎三 に近 しい
︑﹁ 島 民﹂ 世 界に 身 一 つで 溶 け 込 んだ 人 物 とい え る︒ 作 品内 で は︑
﹁ マ リヤ ン
﹂
― 95 ― 大久保康雄と〈南洋行〉
に
﹁を! ぢ! さ! ん! は そり や半 分 以上 島 民 なん だ か ら﹂ と言 わ れ て いる
︒一 方 の﹁ 私﹂ は﹁ 偏 屈な 性 質 の せゐ
﹂で
︑﹁ パ ラ オ の役 所の 同僚 とは まる で打 解け た交 際が 出来
﹂な い存 在で ある
︒二 人と も︑
﹁ 内地
﹂人 の中 でも 特異 な︑
﹁島 民﹂ 寄 り の人 物だ と言 える
︒し かし なが ら︑
﹃ マリ ヤン
﹄の 最後 部は
︑次 のよ うに 纏め られ てい る︒ H氏 も最 近偶 然結 婚︵ 隨分 晩婚 だが
︶の 話が まと まり
︑東 京に 落着 くこ とと なつ た︒ 勿論
︑南 洋土 俗研 究に 一 生 を捧 げた 氏の こと 故︑ いづ れは 又向 ふへ も調 査に は出 掛け るこ とが ある だら うが
︑そ れに して も︑ マリ ヤン の 予 期し てゐ たや うに 彼の 地に 永住 する こと はな くな つた 訳だ
︒ マリ ヤン が聞 いた ら何 とい ふだ らう か?
﹁ いず れま た秋 頃ま でに は帰 って 来る よ
﹂と い う﹁ 私﹂ に﹁ 内地 の 人 とい く ら 友 達に な っ ても
︑一 ぺ ん 内地 へ 帰 っ た ら二 度と 戻っ て来 た人 は無 いん だ も のね え
﹂と 言 う﹁ マリ ヤ ン﹂
︑﹁ 私
﹂が
﹁彼 の 地 に 永住 す る こと は な く なつ た
﹂ 現 在が 示さ れる
︒
﹁ 内地
﹂に 戻っ た以 降か ら﹁ 私﹂ が物 語を 編み 始め るの は︑
︿南 洋﹀ には 永住 しな い﹁ 内地 人﹂ とい う構 図を 示す た め では ない だろ う か︒
﹁ 私﹂ や﹁ H氏
﹂は
︑そ の 性質 ゆ え に﹁ 島民
﹂に 溶 け 込 めな か っ たの で は なく
︑ふ た り が﹁ 内 地 人﹂ であ るこ と︑ その 純然 たる 事実 ゆえ に﹁ 島民
﹂と は一 線を 画す こと にな るの であ る︒ つ まり
︑中 島 敦 にと っ て の︿ 南洋 行
﹀は
︑﹁ 文 明 人﹂ であ る こ との 自 覚 を促 す も の で あ っ た と い え る︒ そ の 結 果
︑
︿南 洋 行﹀ 前の 作 品﹃ 狼 疾記
﹄に あ る よ うな
︑﹁ 原 始 的な 蛮 人 の生 活 の 記 録を 読 ん だり
︑そ の 写 真 を 見 た り す る た び に
︑自 分も 彼ら の一 人と して 生れ てく るこ とは 出来 なか った もの だろ うか
︑と 考え たも ので あっ た︒ 確か に︑ とそ の 頃 の彼 は考 えた
︒確 かに 自分 も彼 ら蛮 人ど もの 一人 とし て生 れて 来る こと も出 来た はず では ない のか
? そし て輝 か し い熱 帯の 太陽 の下 に︑ 唯物 論も 維摩 居士 も無 上命 法も
︑な いし は人 類の 歴史 も︑ 太陽 系の 構造 も︑ すべ てを 知ら な
大久保康雄と〈南洋行〉 ― 96 ―