技術戦略の変遷
宮 﨑 洋
序
Ⅰ モノづくりの技術
Ⅱ 近年の技術戦略
1.戦略論から見る技術戦略 2.技術とイノベーション戦略 3.ブルーオーシャン戦略
4.マーケティング戦略からみる技術戦略
Ⅲ ディジタル時代の技術戦略
1.ディジタル・ディスラプション(ディジタル時代の破壊的イノベーション)
2.AI(Artificial Intelligence:人工知能)と技術戦略
序
「人,モノ,金」という古典的な経営資源に加え,情報を第
4
の経営資源と捉えるこ とが当たり前になって久しい。現在と15
年前の世界の企業の時価総額ランキングを見 ると,15年前はエクソン・モービル,GE,アルトリアグループ(当時はクラフトフー ズ,ミラービール・フィリップモリスなどの製造業コングロマリット,現在はタバコに 特化)が上位に並び,4位のNTT
は情報通信業でもどちらかというと通信ネットワー クのインフラなどレガシーな技術が事業基盤になっていた。モノづくりの力が企業価値 の源泉となる時代であったことがうかがえる。現状のトップ企業は大きく様変わりをしており,情報を核とした企業が上位を独占し ていることは周知の処である。しかもアルファベットやフェイスブックは
1992
年時点 では企業そのものが存在しておらず,歴史の浅い企業が上位に並んでいる。まさに情報 こそが最も重要な経営資源となっているのが現在の世界の情勢である(第1
表参照)。情報に続く第
5
の経営資源については諸説がある。一時は第5
の経営資源として時間 が取り上げられることが多かった。経営の高度化にとって時間の効率的・効果的活用が 不可欠であることは論を待たないが,時間そのものは人為的にコントロールできないこ ともあり資源として管理対象にすることが難しい。経済学の領域では技術はノウハウや 特許など情報の一分野として取り上げられることが多い。高井らは技術を第5
の経営資 源として捉え,その戦略的活用について述べているが,そこでは情報技術とは一線を画 した,主にモノづくりに関わる分野としての技術に注目している。本論では,こうした(1003)1
モノづくりの技術の進展をディジタル技術との関連の中で論ずる。
Ⅰ モノづくりの技術
戦後以降の我が国の社会環境の中で,日本の技術立国や技術立社の基盤として注目さ れてきたのはモノづくりの技術であった。日本の高度経済成長を支えたのは高品質な製 品を産み出すモノづくりの技術であり,世界の製品マーケットを牽引する原動力であっ た。しかし,1990年代になり日本の経済に陰りが見え出したのと時を同じくして,韓 国をはじめとするアジア周辺国の製造業の急激な追い上げの中で,我が国の技術は空洞 化が進み自国技術に対する自信はいつの間にか喪失されていった。技術イノベーション に象徴される欧米の製品の戦略性やブランド力と新興国企業の価格競争力の挟み撃ちの 中で,日本の製造業は山積する問題と対峙しているかのように言われる。
藤本はこうした日本のモノづくり産業の強さを「広義のものづくり論」として現場系 の経営学,組織能力の進化経済学,工学系のアーキクチャー論などの統合として展開し ている。そこではモノづくりの現場に深く根を下ろすモノを作り込む技術(設計から生 産,サービスに至る付加価値提供)を技術の核心として捉えようという強い認識が示さ れている。
モノづくり技術を経営資源として取り扱おうとすると以下のようにいくつかのハード ルにぶつかることになる。
第1表 世界の時価総額上位5社 1992年12月
時価総額(単位:億ドル)
1. エクソン・モービル 759
2. ウォルマート・ストアーズ 736
3. GE 730
4. NTT 713
5. アルトリアグループ 693
2017年11月
時価総額(単位:億ドル)
1. アップル 8,731
2. アルファベット(Google) 7,120
3. マイクロソフト 6,417
4. アマゾン・ドットコム 5,326
5. フェイスブック 5,229
2(1004) 同志社商学 第69巻 第6号(2018年3月)
① 特許などの形式知化された技術もあるが,多くのモノづくり技術は暗黙知であり 定量化,形式知化することが難しい。
② こうした暗黙知の多くは人的資源と不可分で(技術は人に付く)技術だけを切り 離して取り扱うことができない。
③ 技術の生み出す価値は直接客観的に評価することが難しい。
④ 以上のような理由により,技術は経営資源として管理対象とすることが難しい。
多くの企業が技術戦略を経営戦略上の重要課題として認識していながら,技術管理の 有力なツールが未整備で明確な戦略化が進まないことは上記のような原因によるところ が大きい。
産業革命以来のモノづくりはデータ情報を中核として発展した。データ情報によるモ ノづくりの世界はすべての情報を統合し,分析することにより組織が動く。組織体系は ピラミッド型,階級型,分断型,専門家型となり,生産現場がうまく回らないのはデー タ量と活用が十分でないことが原因ということになる。生産システムがうまく回らない 場合の解決策はデータ量を増やすことであり,膨大なデータ処理を行うことによる。そ こでは問題が起こるたびに新たなルールや制度が加えられ,スタッフの数も青天井に増 加することとなり,多くの海外(欧米)のモノづくり企業が衰退した。データ情報を基 盤とするモノづくりが限界に達した。
イスマイルらはこうした従来型の組織を直線型組織と表現して
・トップダウンのピラミッド型組織
・金銭的な結果に基づく判断
・直線的で順次的なアプローチ
・イノベーションの社内生起
・過去の出来事に基づく戦略策定
・低いリスク耐性
・プロセスの低い柔軟性
・大量の従業員
・自己の資産コントロール
・現状に対する大きな投資
といった性格を持つようになり,破壊的な変化や急速な変化に対して無力な組織にな る,と警告している。
従来のデータ情報によるモノづくりがデータ処理能力とともに限界を迎える一方で,
高度成長期の日本ではデータ情報を少なくし,非言語系の情報を最大限に生かす現場づ くりを進めた。意味情報を中心としたモノづくり組織は,機械的な制度やルールは極力 排除し,どこからでも全体像を見える小集団型の組織となる。基本的な経営資源である
技術戦略の変遷(宮﨑) (1005)3
「人・モノ・金」のうちの人は,誰でも構わないというわけではなく,技術を持った人 材に限られるようになった。意味情報によるモノづくり組織の台頭である。特許に代表 される形式知化された技術を対象とする技術管理が,ノウハウやコツといった暗黙知を 対象とする技術管理への転換を要求されるようになった。単なるモノづくりの技術から モノのつくり込み技術への転換と言ってもよい。単に材料を設計通りに加工するという ことにとどまらず,求められる機能,付加価値をつくり込む技術である。こうしたモノ をつくり込む技術は前述したようにいよいよ人と不可分な技術領域となり,その継承や 移転をどのように実現するかが大きな課題となっている。
Ⅱ 近年の技術戦略
1.戦略論から見る技術戦略
ポーターやドラッカーの唱えた競争戦略では,競争環境への対応の際の課題として 様々な要素が整理されている,ポーターは特定の産業への参入障壁として
① 規模の経済性
定期間内の生産絶対量が増えるほど製品の単位当たりのコストが低下する。
② 製品の差別化
過去からの宣伝,顧客サービス,製品の差違,または業界のリーディング企業であ ることから,既存の企業のブランド認知が高く顧客のロイヤルティを勝ち得てい る。
③ 巨額の投資
競争優位を勝ち得るには巨額の投資が必要になる。
④ 仕入れ先を変えるコスト
仕入れ先変更コストすなわちある供給業者の製品から別の業者の製品に変えるとき 買い手に一時的に発生する。
⑤ 流通チャネルの確保
新規参入業者が自社製品の流通チャネルを確保するために価格破壊,協同広告費の 分担などの手段が必要になる。
⑥ 規模とは無関係なコスト面での不利
既存企業が規模の経済性とは関係なく新規参入業者が応戦する事の出来ないほど の,コスト面での有利さを持っている。
⑦ 政府の政策
政府が許可制度などで,ある種の産業への参入を制限したり,禁止したり,素材資 源への立ち入りを制限したりする。
4(1006) 同志社商学 第69巻 第6号(2018年3月)
という
7
つのポイントを挙げ,それに対応する3
つの基本的な競争戦略としてコストリ ーダーシップ・差別化・集中がある,とした。7
つの参入障壁を昨今の企業に当てはめて考えると,①,③,⑤,⑥については技術 戦略上の重要性は著しく小さくなっている。資本主義経済がグローバルな経済を牽引す る状況はポーターらの戦略理論が提唱されて以来大きく変わっているわけではないが,その資本主義の内容は大きな変化を遂げている。
モノづくり産業を基本とする資本主義は大規模な設備投資やハードウェアとしての製 品の流通が前提となるこれらの競争要素はディジタル時代にはもはや大きな意味を持た なくなっている。ここ数年の経営戦略論を見渡してみると,古典的な戦略論が変わらず 大きな意味を持つ場合と,技術の持つ意味合いの変化によって,もはやあまり意味を持 たなくなっている場合にはっきりと二分されるようになってきている。モノづくり戦略 上大きな意味を持っていた差別化のための戦略は見直しを迫られることとなってきてい る。
経済学では
80
年代以降資本主義経済の中心が金融資本主義に移ってきたことがクロ ーズアップされてきたが,技術戦略的にはモノづくりのためのいわば生産資本主義から 情報資本主義ともいうべき状況への様変わりが進んできた。上記の①,③,⑤,⑥はモ ノづくりとその流通における優位性の関するものであるが,それらはもはや大きな意味 を持たない。ビジネスモデルと技術戦略の関係を考えると,企業の戦略の主要テーマが新たなビジ ネスモデルの構築や,新たな顧客や市場に対する新しいアプローチや機能を開発するこ とへと変わってきている。ビジネスモデルへの志向が強力になると技術とマーケティン グ,販売現場との密接な結びつきが要求されるようになる。技術を起点としたブランド 志向という言い方もできる。
2.技術とイノベーション戦略
シュンペーター以来のイノベーション論においては,「技術イノベーションこそがイ ノベーションである」との狭義のイノベーションが注目されてきたことは否めず,当初 はイノベーションの訳語として最も一般的に用いられたのは「技術革新」であった。
最近の新しいタイプの企業のビジネスモデルでは,技術,それもモノづくりの技術よ りも,マネジメントやマーケティング分野での優位性が鍵とされる。代表的なイノベー ションモデルの一つであるアバナシー・アターバックモデルでは,4つのイノベーショ ンが取り上げられ,プロダクトイノベーションに追従するようにプロセスイノベーショ ンが起こり,マネジメントイノベーション,マーケットイノベーションがさらに続くと されている。
技術戦略の変遷(宮﨑) (1007)5
多くの場合
4
つのイノベーションのうちプロダクトイノベーションこそがイノベーシ ョンであるというのがいわば通念であった。数あるイノベーションの分類方法の中で一般的に用いられる,
・インクリメンタル・イノベーション:現行の組織の技能や能力と連携する形での,既 存の製品やプロセスを構成する要素に対する追加的な改善や変化
・モジュラー・イノベーション:要素間の結合に関しての変化を伴わない,既存の製品 やプロセスを構成する要素に関する大きな変化
・建設的イノベーション:既存の技術を用いた新しい方法での結合・再構成
・ラディカル・イノベーション:現行のプロセスや技術と決別する革命的変化 という分類も技術イノベーションを前提としたものである。
しかし昨今では,イノベーションの中心がモノづくり(プロダクトイノベーションや プロセスイノベーション)から,マーケティングやマネジメントに移行してきた様子が 見て取れる。これまで特に大企業で指向されていたインクリメンタルな持続的イノベー ションはその焦点が技術的視点からマネジメント視点に移ってきた。
3.ブルーオーシャン戦略
2005
年に刊行されたブルーオーシャン戦略は競合他社とのベンチマーキングを行わ ず,その代わりに従来と異なる戦略ロジックとして,バリューイノベーションを提唱し 競争のない市場開拓による無競争の市場をブルーオーシャンと呼んだ。2005年版に挙 げられているブルーオーシャン企業では多くのプロダクトイノベーション,プロセスイ ノベーションが取り上げられている。第1
図は2005
年版でエンターテインメント業界 のブルーオーシャン企業として紹介されている,劇団四季と任天堂のビジネスモデルの 特徴を主にマーケティング視点による20
の評価項目を設定し,定性的,総合的に5
段 階評価したものである。当時両社はその製品(ゲーム・舞台)そのものの独自性とそれ を生み出すプロセスの独自性で他社を大きく引き離す存在となった。この他にも同年版 に取り上げられているスターバックス,イエローテール,シルクドゥソレイユ,QBハ ウスなどはいずれも製品やプログラム,サービスの中身などまさにプロダクトイノベー ションによる市場開拓を成し遂げた企業ということができる。一方でその後
10
年を経て刊行された新版のブルーオーシャン戦略では,状況の激変 とともに新しいビジネスモデルの創造や,既存ビジネスの枠組み変化が起こっていると し,バリューイノベーションを起こすための実践的なアプローチが重視され,イノベー ション=技術革新という従来の考え方は一面的な先入観としてどちらかというと否定的 に見られるに至っている。新版ではバリューイノベーションとは顧客に新しい価値を提 供し,新しい市場を切り開くことがイノベーションの本質であり,技術はその一手段に6(1008) 同志社商学 第69巻 第6号(2018年3月)
過ぎないとしている。
第
2
図は同じ評価軸上に新版ブルーオーシャン戦略で紹介されている直近のブルーオ ーシャン企業7
社を付置したものである。ここから総合的に観察される状況として,こ れらの企業に共通する優位性はあまり認められない。すなわち10
年前には差別化の決 定的な要因となっていた製品価値や顧客価値といったプロダクトイノベーションは,も はやブルーオーシャン戦略の決め手にはなり得ていないことが示唆される。逆説的に言 えば競争力のある製品やサービスであることは必要条件であり,バリューイノベーショ ンの中心はむしろマーケットイノベーションやマネジメントイノベーションに移行して いる状況を表している。第1図 戦略キャンバス2005
第2図 戦略キャンバス2015
技術戦略の変遷(宮﨑) (1009)7
4.マーケティング戦略からみる技術戦略
ここ数年,マーケティングの分野では数理戦闘モデルであるウィンチェスター戦略が 注目されるようになり,ビジネス書の書棚を賑わせるようになった。ウィンチェスター 戦略は大きく第一法則と第二法則に分けられ,第一法則は新規参入者の市場浸透戦略と して一点集中による局地戦,接近戦を挙げ,限定的な市場での勝利を目指すべきだとし ている。いわゆる弱者の戦略である。
第一法則下で最も簡略化された自社とライバル社との兵力比較(マーケティングにお いては営業マンの数)を表す式が
M
0−M=E(N0−N)……①M
0:自社の最初の兵力(人数)M:自社の最終兵力(生存数),N0:ライバル社の最初 の兵力,N:ライバル社の最終兵力,E:交換比=武器効率であり,戦国時代のような 刀剣による一対一の果し合い型の戦いにおいては,個々の一騎打ちの勝負の積み重ねが 全体の結果となるため,戦力総数が劣っていても限定された市場においては十分戦える というものである。一方ですでに市場をリードする強者は広域戦,遠隔戦を展開することにより圧倒的な 市場支配を勝ち取ることが可能となる,というのが第二法則である。
M
02−M2=E(N02−N2)……②上式の①と②式を比較すると,兵力が二乗で結果を左右するため強者はより大きな差 をつけることができる。近代兵器を駆使した空中戦・全面戦争においては,戦局を広げ れば広げるほど戦力の差が歴然とし,強者は一人勝ち状態になりやすい,というのがラ ンチェスター戦略の要点である。多くの場合
E
の武器効率に関しては大きな差がない ため,議論から外されるというのがこれまでのウィンチェスター戦略によるマーケティ ング論であった。ところが最近の市場では,新興の小規模企業が堂々と戦って勝利を収めているように 見える。第
2
図に示した2015
年の戦略キャンバスを,限定的な商品,サービスへの集 中と選択を基盤として市場展開をした企業(第一法則に則した戦略をとった企業)と既 存の事業領域や経営資源をベースに新たな展開を図った企業(第二法則に則した戦略を とった企業)とに便宜的に2
つに分けると第3
図,第4
図のようになる。第
3
図に付置された企業はどちらかというと規模が小さな事業を限定的な市場で展開 させているケースである。製品の種類や顧客によるカスタマイズ性などは棄却し,特定8(1010) 同志社商学 第69巻 第6号(2018年3月)
の要素で優位性を確立したビジネスモデルであることがうかがわれる。選択と集中によ る局地戦での勝ちパターンが実現している。
一方,第
4
図を見ると既存の確立された製品や流通プロセスを基盤とした,いわば大 企業型の戦略の成功例となっている。限定的なマーケティング要素に傾注するのではな く,より大きな市場での独り勝ち状態を目指したスタイルである。ランチェスター戦略のモデル式に戻って解釈をすると,昨今のディジタル・ディスラ プションの状況下では武器効率
E
が競合間で同じではなく,兵力(営業マンの数)に 対して圧倒的に大きな差を生み,もはや兵力(営業マンの数)の差が戦果と無関係にな るマーケットが存在するようになっている。この大きな差を生む武器効率をもたらして いるのが情報技術であり,情報力である。製品やサービスに大きな差がないのであれ第3図 ウィンチェスター戦略第一法則による勝ちパターン例
第4図 ウィンチェスター戦略第二法則による勝ちパターン例
技術戦略の変遷(宮﨑) (1011)9
ば,自分たちの望むマーケットでどのような相手とでも互角の勝負ができるのがグロー バル化されたネットワーク社会であり,ディジタル・ディスラプションが招いた状況で ある。
Ⅲ ディジタル時代の技術戦略
1.ディジタル・ディスラプション(ディジタル時代の破壊的イノベーション)
従来は銀塩写真→ディジタルカメラ,レコード盤→CD,ビデオ→ブルーレイなどが 破壊的イノベーションとしてしばしば取り上げられてきた。これらは全く新しい製品と いうモノの革新を表している。近年では特にディジタル面でのディスラプションが身の 回りのそこここで認知されるようになった。後述する囲碁や将棋の世界での出来事はそ の象徴的な例である。
サービス分野では
Uber(基準をクリアした一般人の登録者がタクシーより割安で配
車するサービス),Airbnb(民泊サービス)などが代表的な事例であるが,これらはモ ノの革新とはほぼ無関係である。ディジタル技術によってサービスの質やスピードだけ が変化している。これまで大企業で指向されていた持続的イノベーションによる競争力 の維持からの脱却がより容易に行われる。インクリメンタルなイノベーションはイノベ ーションの焦点が技術的視点からマーケティング視点,マネジメント視点に移ってきた ということも言える。2.AI(Artificial Intelligence:人工知能)と技術戦略
昨今,新聞やテレビに
AI
が取り上げられない日はない。AIの基本はより膨大なデ ータを収集し,それらをより詳細に,より多面的に分析しノウハウとして蓄積・活用す ることにある。データ分析の視点が人間ならどのように判断する可能性が高いかという ことを,より多くのデータにより判断・評価することができるようになった。それを支 えるのが,ビッグデータ,クラウド,IoT, IoEなどによる桁違いの情報量に対応可能な 新しい情報技術である。前章では,データ情報による競争戦略がデータの増加にデータ ベース能力やデータ処理能力が追い付かなくなるというデータ処理能力の限界により,意味情報のモノづくりになったと述べた。しかし,ここにきてデータ情報の処理能力が 社会の諸現象をすべてデータ化し,データ処理することを可能とするような領域にまで 到達しようとしている。これまでデータ化が困難であった定性的な情報を徹底的にデー タ化し,蓄積することで今まで人間にしかできなかった判断や評価をコンピュータに担 わせようとしているのが現在の
AI
である。見方を少し変えると,一時データ情報による管理が限界を超え,意味情報による管理
10(1012) 同志社商学 第69巻 第6号(2018年3月)
に移行したのが,その後の情報技術進展の加速により,再びデータ情報による管理が実 践的なレベルで可能になったということができる。データ情報起点の管理の復刻であ る。
シンギュラリティ(技術的特異点)に関するカーツワイルの著作では,このまま技術 変革が進めば
2045
年頃にはシンギュラリティが実現して,AIが人間の能力をはるかに 超越する時代になる,とされている。少なくとも数年以内にはAI
の集積度が人間の脳 を超えるプレシンギュラリティが実現されるという見方がされている。確かに
AI
はその学習能力においては人間を遥かに凌駕しようとしている。2017年は その総変化数(出現しうる盤上の変化手順の総数)が天文学的な数となるゲームである 囲碁と将棋で世界の第一人者がAI
に敗れる,という歴史的な年となった。総変化数が10
の220
乗と言われる将棋では佐藤天彦名人がPONANZA
に連敗し,同じく総変化数 が10
の360
乗と言われる囲碁でも世界ランク1
位の柯潔(か・けつ)九段がAlphaGo
に3
戦全敗を喫したのである。同じボードゲームであるオセロやチェスに至っては,既 に去ること20
年前の1997
年に森田オセロ,DeepBlueが当時の世界チャンピオンに圧 勝している(総変化数はオセロが10
の60
乗,チェスが120
乗と言われる)。こうしたゲームソフトは高段者の脳の働きを模倣しているわけではなく,それぞれの ゲームの規則(ルール)だけを学習し,あとは個々の局面ごとに最も勝利につながる可 能性の高い手をスコアリングにより選択しているに過ぎない。要するに学習能力の化け 物である。一方で
IQ
の観点からすると現状のAI
は5〜6
歳児のレベルに過ぎず,創造 力においてはまだ遠く人間に及ばないとする説もある。AI
活用のキーポイントはデータ化である。ボードゲームでは総変化数は膨大である ものの,その変化をデータ化することは比較的容易であり(特定の局面で可能な駒の動 きや石の色,指せる手は有限である),AIの最も得意とする学習領域と言える。今までデータとして認識することが難しかった情報(例えば人間の感情,表情,語調 など)をデータ化することができれば,データ機能の集約たる
AI
による学習(機械学 習)→特徴の抽出→推論モデルの作成が可能となる。これまで技術戦略上大きな壁とな っていた技術管理においても,人と一体化して不可分な技術情報をデータ化できれば,技術戦略は新しい局面を迎えることになる。
今後の技術戦略はこれまで人間の能力のみが生み出せると考えられてきたイノベーシ ョン(変革)やクリエーション(創造)機能が,AIによってどこまで実現できるかに 大きく依存することとなる。人工知能の人工頭脳への進化,と言っては言い過ぎだろう か。
技術戦略の変遷(宮﨑) (1013)11
謝辞
本論において中心的に取り上げた技術戦略,イノベーション戦略については㈱三菱総合研究所在職中 から,同志社大学商学部の高井紳二教授から一貫して多くの知見と薫陶を得てきた。現在に至るまで幾 多のプロジェクトに共に参画するだけでなく,同志社大学ワールドワイドビジネス研究センター共同研 究員としての機会を提供いただいたことをはじめ,書籍の共著や海外の学会での共同発表の機会などに も恵まれた。ここに長年に渡る高井教授のご厚情に衷心からの感謝の意を表したい。
文献
[1]Abernathy, W. J., Utterback, J. M(1978). Patterns of Industrial innovation. Technology Review, 80(7), 40-47. 2012 Global Business Research Center
[2]Thiel, P. and Masters, B.(2014)Zero to One : Notes on Startups, or How to Build the Future. United States : Crown Business.
[3]Thomas L. Friedman, T. L. The world is flat updated and expanded edition, 2006 日本経済新聞出版 社,2007
[4]サリス・イスマイル,マイケル・マローン,ユーリ・ファン・ギースト著,小林啓倫訳「シンギュ ラリティ大学が教える飛躍する方法」日経BP社,2015年
[5]レイ・カーツワイル著,井上健監訳『ポスト・ヒューマン誕生−コンピュータが人類の知性を超え るとき』NHK出版
[6]シュンペーター「経済発展の理論」岩波文庫
[7]M. E.ポーター著,土岐坤訳「新訂 競争の戦略」ダイヤモンド社,1995年
[8]W・チャン・キム,レネ・モボルニュ著,入山章栄監訳「[新版]ブルーオーシャン戦略」ダイヤ モンド社,2015年
[9]藤本隆宏「日本のもの造り哲学」日本経済新聞出版社,2004年
[10]藤本隆宏「ものづくりからの復活」日本経済新聞出版社,2012年
[11]高井紳二・宮崎洋「技術ブランド戦略」日本経済新聞出版社,2009年 12(1014) 同志社商学 第69巻 第6号(2018年3月)