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゜ うこんむまばしたすだれ

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Academic year: 2021

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(1)

光源氏物語現行形態試論第 中将とは何かそして権大納百とは何か︒ 三つの﹁官職﹂を採用してみたい︒

まずはじめに検討する対象は柏木物語であるが便宜上︑

男主人公の官職 4つの節︵序節︑第①節︑第②節と第③節︶

柏木物語では各巻の独立性が非常に弱く巻と巻との境い目ははとんどあってなきに等しい︒

1 0

九 に分けることにしたい︒

そこで物語を三区分する基準として柏木の

歴史書を幡いて現実の宮廷社会に於いてどのような役割を持っていたのか考察するのはやめにして︵何故なら源氏物語の作者は女であり︑

女が現代政治に首を突っ込むのは極度の嫌悪をもって封じられていたから︶︑あくまで王朝物語として読み解いて行くことにすると︑権大納

言とは光源氏が明石の地から都に召環され最初に賜わった官職であり︑中将時代とは﹁恐木﹂から﹁花宴﹂まで︑年齢で言うと十七歳から

二十歳まで︑自由奔放な恋と冒険の時期であった︒源氏五十四帖中重要な扱いをされている順に

伊勢•宇津保から後期巻々へ 後期巻々を中心に 光源氏物語現行形態試論第三

男性作中人物を四人挙げれば︑

(2)

至福の時期 く権大納言〉(

苦悩の時期 く大将〉

密通露顕 須磨流鏑

く権大納言〉( く中納言〉

密通露顕 光の諷諌

く権大納言>( <中納言〉

大君の死

青 春

(  く中将〉

〈中将>

(  く中将>

光源

柏木

富山大学人文学部紀要

見ずもあらず見もせぬ人の恋しくは 九十九

むかし︑右近の馬場のひをりの日︑むかひに立てたりける車に︑女の顔の︑下簾よ

① 九 九 段 か ら 中 将 時 代 へ

った

結果

であろうが︑臣籍降下しなかった匂兵部卿宮を除く三人は昇進のしかたが非常によく似

ており︱つのパターンと言ってもよいくらいである︒

匂兵部卿宮は恐らく螢兵部卿宮らと同様身分が安定し︑従って人間的成長も無い︒

残る三人は三人とも常に進歩への希求を強く持ち︑その到逹点のしるしが﹁権大納言﹂と

いう官職である︒権大納言という官職を日本古典文学全集本第六巻付録を使って検索した

この三人の男主人公以外には誰も就任していない事実を発見したのは私にとって大

きな収穫であった︒男の世界の論理では﹁

O

納言﹂よりも﹁

OO

大臣

ろうが︑源氏物語の世界では権大納言こそ最もあらまほしい官職であり︑至福の栄誉であ

そこで柏木物語を︑柏木が中将であった時期︑中納言時代︑権大納言時代︵死後を含む︶

に区分することにして︑各期の特徴をまとめると次頁の表1のようになる︒

若菜上巻は柏木と女三宮付きの女房との手紙の応答で結ばれるが︑﹃伊勢物語﹄第九十九

段がどのように物語取りされているか注目してほしい︒

りほのかに見えければ︑中将なりける男のよみてやりける︒

0

光 源 氏

〇 薫

〇匂兵部卿宮

0

柏木

の方が偉いのであ

ゞ ︶

‑349‑

(3)

光源氏物語現行形態試論第 はしくはべれ︒心苦しげなるありさまも見たまへあまる心もや添ひはべらむと

みづからの心ながら知りがたくなむ﹂と︑うち笑ひて

聞こゆれば︑︵女三宮︶﹁いとうたてあることをも言ふかな﹂と︑何心もなげにのたまひて︑文ひろげたるを御覧ず︒﹁見もせぬ﹂と言ひた

るところを︑あさましかりし御簾のつまをおばし合はせらるるに御面赤みて︑大殿の︑さばかりことのついでごとに︑ェ大将に見え

たま

ふな

ぼし出づるに︑大将の︑さることのありしと語りきこえたらむ時

まづ憚りきこえたまふ心のうちぞ幼かりける︒

御前に人しげからぬほどなれば︑かの文を持て参りて︑︵小侍従︶﹁この人の

納 権 言 大

中納言 中

柏木の

職 ︹ 表

l

理想的 破滅的刹那主義的 観念的 柏木の性

いはけなき御ありさまなめれば︑ 散ればこそいとど桜はあはれなれ

同右上の句 何か憂き世に久しかるべき︵塗篭本糸

7 7 段 ︶

︹又人︺の歌下の句 見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日やながめ暮さむ

( 9 9 段

︹ 業 平

本歌取りされた伊勢物

語中の詠歌︹詠者︺

おのづからとりはづして︑見たてまつるやうもありなむ﹂と︑ 水の泡を身隠りてこそ有べかりけれ

同右第三ー五句 言ひ出でてもついに止まらぬ︹仲純︺の歌第一句第二句

巻名

﹁若

菜上

[い菜所

r

﹂と

巻名

本歌取りされた宇津保

物語中の詠歌や場面

いかにあはめたまはむと︑人の見たてまつりけむことをばおぼさで︑

︑ ︒

よそに見て折らぬ嘆きはしげれども なごり恋しき花の夕かげ

とあれど︑一日の心も知らぬはただ世の常のながめにこそはと思

︵ 柏 木 ︶

かくのみ忘れぬものに

など書きて︑

言とひものしたまふこそわづら

あやなく今日はながめ暮らしはべる︒

いましめきこえたまふをお かに見おとしたまひけむ︒ ﹁若菜上﹂巻巻末

岱缶芦窟り︑仰の︑江やりたまふ︒

一日︑風に誘はれて︑御垣の原をわけ入りてはべしに

ゆふべその夕より︑

乱りごこちかきくらし

あやなく今日やながめ暮さむ

いとどい

(l ) 

︵以

下略

(4)

(2) 

が適切かもしれない︒ かひなきことを︒

( 2)  

とあ

り︒

およばぬ枝に心がけきと いまさらに色にな出でそ山桜

と︑はやりかに走り書きて 富山大学人文学部紀要

おほむ常よりも御さしらへなければ︑すさまじくしひて間こゆべきことにもあらねば︑

一日はつれなし顔をなむ︒めざましうとゆるしきこえざりしを︑見ずもあらぬやいかに︒あなかけかけし︒

勢語歌下の句は往信の末尾に︑第二句は受信した女三宮の反応の中に︑初句は返信の中に引かれている︒これらを前提にして更に言うと

柏木は︑自詠の第四句で︑勢語歌第三句﹁恋しくは﹂という仮定的な言い回しを肯定表現に直して本歌取りしたつもりなのかもしれない︒

日︑風に誘はれて御垣の原をわけ入りてはべし﹂﹁その夕﹂とは唐猫の撹乱により女三宮を簾の端々から垣間見した夕暮︵五巻

1 2 6

頁ー︶を

指しているが︑勢語の詞書と状況が類似している︒例えばある巻と︑

次の

巻と

しばらく措いてある巻と︑

しずつ勢語取りして行くいつものやり方ではなく︑若菜上巻巻末ではほとんど原寸大に近い倍率で九十九段が写されている︒これは︱つに

は後日光源氏が避難しているように︵五巻

2 3 3

頁︶柏木の書きぶりが露骨すぎたためだろうが︑別の見方によれば︑在原業平との類似性を強

調しているようにも思われる︒むしろ︑業平に於いては潜在化していた﹁観念の恋﹂

中納言時代権大納言時代

その次の巻と︑

への執着が柏木中将に於いて顕在化した︑

あふひぐさ柏木は中納言昇進と同時に女三宮との契りを結んだ︒雨のそぼ降る翌日たちまち後悔して﹁くやしくぞつみをかしける葵草﹂と詠んだ︒

そのまま密通をやめてしまえば大事に至らなかったのだろうが︑折しも紫上急死の報に接し︑刹那主義に取り憑かれ︑以後まっしぐらに破 ひき忍びて︑例の︑書く︒

というように少

と言った方

‑347‑

(5)

光源氏物語現行形態試論第

りか

し︒

ぶ釦

木﹂

五巻

2 9 6

0

死の直後︑女三宮の感想

︵ し ︶ ﹂

では

ない

散ればこそいとど桜はあはれなれ ︵朝日日本古典全書本による︒﹃伊勢物語に就きての研究

依拠本文を塗篭本糸と特定することにどのような利点かあるかと言えば︑

が権大納︱︱︱口時代の柏木物語の主調となる点である︒早世した柏木を評して﹁あはれ﹂か反復される︒決して︑定家本その他の系統の本文に

見える﹁めでた

尼宮

おほけなき心もうたてのみおばされて︑ なにかうきよにひさしかるべぎ ちればこそいとど桜はあはれなれ 又人 はるのこころはのとけからまし 世の中にたゑてさくらのさかざらば つまのかみなりける人のよめり︒ 七七

︵前

この歌の上の句

祉に長かれとしもおばさざりしを︑かくなむと聞ぎたまふは

校本

篇﹄

の﹁塗篭本糸﹂も参照した︒ 滅へと向かう︒﹁この世の理想を取り集めたような人間でさえいつか死ぬのだから︑⁝⁝⁝﹂という発想である︒ところが紫上は蘇生し︑柏

(3

) 

木の口ずさむ﹁何か憂き世に久しかるべき﹂は︑野村精一氏が見抜かれたように︑柏木自身にかえってくる歌句であった︒

さて︑右の歌句の出典は同じ交野渚院の小段でも︑﹁何か﹂が﹁憂ぎ世に﹂の上にくる語順を重視して︑塗篭本系第七十七段の﹁又人﹂の

(4 ) 

詠歌と考えなければいけない︒紫式部は勢語取りの際依拠本文を小段ごとに換えていたと思われる︒

さすがにいとあはれな

(6)

あはれなり﹂

0

光源氏の独り言

﹁誰が世にか種はまきしと人問はば

いかが岩根の松はこたへむ

まひ

ぬ︒

0

光の心内文︒薫を残しただけで早世した柏木の薄倖をいたむ

あはれ︑はかなかりける人の契りかな

さばかり思ひあがり︑ およすけたりし身を︑心もて失ひつるよと︑あはれに惜しければ︑

0

夕霧の感想

あはれにもありしかなと︑ おもかげ面影忘れがたうて

0

一条の宮の感想

好みたまひし配犀など︑そのかたの預りどもも︑皆つくところなう思ひ倦じて

は尽きぬものになむありける︒

h i

0

柏木巻末から横笛巻頭の草子地

くだ高きも下れるも

世の

中に

惜しみあたらしがらぬはなきも

おほやけびとしたまひければ︑さしもあるまじき公人︑女房などのをりをりごとにも︑

の餌﹂といふ声釦貯.︶とに?いでし記応庄しない︒

を︑御心ひとつには形見と見なしたまへど︑

0

光の感想 富山大学人文学部紀要

いとかひなし︒秋つかたになればこの君は︑ゐざりなど︒ めざましと思ふ心もひき返し︑うち泣かれた

かすかに出で入るを見たまふも

むべむべしきかたをばさるものにて︑

六条の院にはましてあはれとおぼし出づること︑

人の思ひ寄らぬことなれば︑ まづおぼし出でてなむ︑しのばせたまひける︒

..

. 

月日に添へて多かり︒ なさけあやしう情を立てたる人にぞもの

﹁あはれ衛門

この若君

( 3 0 4

頁 ︶

ことに触れてあは

( 3 0 1

頁 ︶

( 3 0 1

頁 ︶

3 0 0

頁 ︶

( 2 9 9

頁 ︶

‑345‑

(7)

光源氏物語現行形態試論第 以上述べてきた通り︑﹁又人﹂

春よりさきに花の散りけむ

﹁柏

木﹂

3 1 2

ころもたれ

つらめしや霞の衣誰着よと

O

弟・弁の君の詠歌

時しあれば変らぬ色ににほひけり

片枝枯れにし宿の桜も

0

友人・タ霧の詠歌 いっぽう︑数首の追悼歌では柏木は﹁桜﹂

〇義母・御息所の詠歌

この春は柳の芽にぞ玉はぬく

咲き散る花のゆくへ知らねば

﹁柏

木﹂

3 0 9

3 0 8

3 0 9

頁 のイメージで捉えられ︑﹁桜散︵る︶'﹂

の詠歌はことごとく柏木にあてはまる︒下の句は若菜→巻でただ一度限り︑初句第二句の﹁桜﹂﹁散れば﹂

は次の柏木巻で二度三度と︑第三句﹁あはれなれ﹂のようなありふれた措辞は の類似表現が散見する︒

しか

し︑

どんな人物の場合にも見られなかったはどの執拗

さで︑柏木物語に現れている︒今︑柏木の後半生を一︱首の和歌に凝縮するとして︑﹁又人﹂の詠歌と仲純辞世歌以上に良い組合せが望めよう

か︒すなわち︑中納言時代は﹁何か憂き世に久しかるべき﹂という刹那主義的な思想に取り憑かれた柏木か女三宮への同情を言動にあらわ

し︵﹁言ひ出でて﹂︶︑最後までとどまるところを知らず破滅的な恋に走った︵﹁つひに止まらぬ﹂︶様か描かれているし怖大納言時代は﹁身隠

りてこそ有べかりけれ﹂と反省した柏木か光源氏をはじめ宮廷社会の人々から﹁散ればこそいとど桜はあはれなれ﹂と絶賛されることにな

ばしたりしかばいかにぞやおぼし出づることはありながら

. .  

あはれは多く つけてだに

横 笛

故権大納言のはかなく亡せたまひにし悲しさを︑

世にめやすき人の亡くなるをば惜しみたまふ御心に

人よりも御心とどめお

飽かずくちをしきものに

恋ひしのびたまふ人多かり︒

ましてこれは︑朝夕に親しく参り馴れつつ︑

. . . .

. . . .  

をりをりにつけてしのびたまふ︒ 六条の院にもおはかたに

(8)

は︑それぞれ︑前引仲純臨終の消息文中の つひにとまるべきにもあらぬ

るの

であ

る︒

柏木の逝去を記す一文

泡の消え入るやうにて亡せたまひぬ︒

︵﹁

柏木

﹂︒

五巻

2 9 5

頁 ︶

せうそこかくて︑侍従の君

( I I

仲純︶もまヰり給ヘル日︑なくなり給ヒにしかど︑御消息にか︑りて︑

︑え堪フまじくおぼゆれば︑あて宮にかくきこえ給フ︒

は弱クなりつ︑q

いヒデてもつヒにとまらぬ水の口閲]をみごもりてこそ有ルベかりけれ

かくまで即えであるまじく知えしかば︒即こえそめて侍らざらむよにも︑おぼしいでむこそ︑いともイトモいみじういとはしければ︒

いでや︑あが君の御ためには︑身のいたづらになりぬるもおもひ給へず︑今一度の封面給はらずなりぬるを思ヒ給へるなむ

いかでと思ヒ聞えし人の︑あやしキ心の見えしかば︑つらしとはおぼえ給へしかど︑か

と聞えたり︒あて宮︑見給ヒて︑あるが中に︑

ふろ犀くの給へること峠憂<︑など︑この君にしもかくおぼされけんなどおぽして︑かく聞え給フ︒

まづ□叫門

lとのみきくがくるしさ つゆおなじ野の露はいづれもとまらねど

と聞え給フ︒侍従︑ かくうけ給はるもいとホしうなむ

(5

)

湯して食きいれて︑紅の涙をながして一絶えいり︳給ヒぬ︒

み給ヒて文を小さくオしつ︑みて

を踏まえているだろうし︑新枕の翌朝︑女三宮への手紙の中の

⁝⁝つひになほ世に立ちまふべくもおぼえぬ⁝⁝ や︑歌語が集中する柏木巻頭の草子地 身をいたづらにやはなし果てぬ︒ は仲純臨終の場面︑﹁あて宮﹂巻﹁一の

3

﹂段落 富山大学人文学部紀要

おもひ

ありつる御思は月日にそへてまさり︑身

一 六

‑343‑

(9)

光源氏物語現行形態試論第 ところで光源氏四+の賀では のようになっている︒

第四帖 第九帖

﹁菊

の宴

﹂と

いう

一部雷複しあっ二つの巻に目を向けても

(3)  練されてもいないし彫琢も経ていないから

ただ

や︑﹁嵯峨院﹂巻︑八の君への言葉

冊の中に立ちまふべき心地もせず

:6

) 

を踏まえているのだろうが︑紫式部の筆法とも言うべぎもの

( 7)  

︵前拙稿﹁物語にほめたる薫論﹂等参照︶

単なる詞章の一致にとどまらず仲純の生きざまとの一致を示唆しているのではなかろうか︒

五巻

1 6 4

一 七

と朱雀院五十の賀の計画

から考えると︑

﹃伊勢物語﹄が他のどんな単語にも置き換えることのできぬ絶妙の言葉使いで綴られているのに対し︑

巻名と巻名由来箇所 連続する二つの巻を別の巻名にせす﹁

OO

上﹂

OO

下﹂と分けた例は﹃源氏﹄に唯一例︑﹁若菜上﹂﹁若菜下﹂のみであるが︑

抄﹄などが指摘する通り︑

﹃宇

津保

が記されるが諸般の事情で順延しついに実現した暮れの二十五日の記事は巻末に数行附されるだけであったか︑

菊の宴巻⁝⁝大后六十賀の模様が詳細に記される

嵯峨院巻⁝⁝﹁廿七日出で来たる乙子になむ つヒにとまらぬ 前引仲純辞世歌第二句の

身のいたづらになりぬるもおもひ給へず

︵一

2 3 1

﹃宇

津保

物語

一字一句尊重して取り込むというはどでもなかったのかもしれない︒

﹃宇

津保

物語

の地の文は洗

夙く﹃紫明

の﹁吹上上﹂﹁吹上→﹂︑﹁楼の上卜﹂﹁楼の上→﹂やその他に倣ったのであろう︒﹁若菜卜﹂巻では光の

'

四十の賀の模様が詳細に記録され︑﹁若菜→﹂巻では﹁このたび足りたまはむ年︑若菜など調じてや﹂

嵯峨の院に御賀まヰらせんとし給ヒける︒﹂と計画のみが記される の﹁嵯峨院﹂ これら詞章の一致は

(10)

︹元旦︺仲忠皇室のもとに参賀

( 4 7 2

頁ー

︹元旦︺光源氏のもとに人々参賀 ﹃宇津保物語﹄大尾の巻 (4) 

と﹁四﹂にちなんだ数字が列挙され︑﹁若菜下﹂巻末朱雀院五十の賀でも﹁五十寺﹂に御誦経をさせたとあるが︑

と﹁六﹂にちなんだ数字が列挙される﹁菊の宴﹂巻大后六十の賀に着目し紫式部が自分なりに発展させていった機智だと考えられる︒

若葉の賀のみならず儀式の模様を詳細に書き記す記録主義の筆は﹃伊勢物語﹄には全く見られず

たものである︒

月並みの記事

光源氏物語のフィナーレを飾る﹁幻﹂はその月その月の風物を中心に短い段落を連ねた巻で︑

﹃宇

津保

物語

のフィナーレを飾る﹁﹁楼の上下﹂巻の影響であろう︒ 折敷六十 御憂六具 御厨子六具

御地敷四十枚

ころもばこ

御 衣 筈 四 つ

折敷四つ

篭物四十枝

をりびつものよそぢ

折櫃物四十

沈の懸盤四つ 富山大学人文学部紀要

光源氏物語大尾の巻

( 1 2 7

頁ー

明らかに﹃宇津保物語﹄から学び取っ

さながら月並み絵巻の様相を呈しているが︑ これらは

‑341‑

(11)

光源氏物語現行形態試論第 〇植ゑし人なき春とも知らず顔にて︑︵対ノ前ノ山吹ハ︶常よりもにほひかさねたる 知らずがほにて米ゐる鴬 〇植ゑて見し花のあるじもなき宿に 〇わが宿は花もてはやす人もなし

なににか春のたづね来つらむ 施律は

P8

) 

⑥ 四 五 段 四 段 か ら 幻 巻 ヘ

一巻のクライマックス一巻のクライマックス ︹八月︺十五日に記事あり︵人々楼の上から下りる︶︹八月︺十五日に記事あり︵紫上の祥月命日︶

︹七

月︺

たなばたの記事

︹七

月︺

たなばたの記事 ︹四月︺葵祭の記事︹六月︺暑けれど︑桜の上は⁝⁝風いみじう涼し︒

︹六

月︺

いと暑き頃︑涼しき方にてながめ給ふに ︹三月︺桜の描写︵﹁樺桜﹂の語も見える︶

( 4 7 4

頁ー

( 4 7 5

頁ー

( 4 1 6

頁ー

( 4 7 8

頁ー

( 4 9 0

頁ー

︹五月︺葵祭の記事

こうしてみると﹁幻﹂巻は全体の結構が﹁楼の上下﹂巻のそれと同じいことがよくわかる︒

として︑種々の点で﹃源氏﹄首巻前半の桐壷帝物語との照応が図られている︒ ︹三月︺桜の描写︵﹁樺桜﹂の語も見える︶

︱︱

( 1 3 4

i ) ( 1 4 3

i ) ( 1 4 7

i ) ( 1 4 8

i ) ( 1 4 8

i )

更に言えば﹁楼の上下﹂巻では﹃宇津保﹄首巻前半の俊蔭物語との照応が図られているが︑﹁幻﹂巻でもその巻名と巻名出所箇所をはじめ

しかしながらそのいっぽうでは﹃伊勢物語﹄の影が最も濃くなるのも﹁幻﹂巻である︒﹁自然の不変﹂対﹁人事の無常﹂という第四段の主

(12)

たる

夜ふけてやや涼しき風ふきけり︒螢たかく飛びあがる

時ぞともなき思ひなりけり

\ いと多う飛びかふも かごとがましき~

せきでん

殿に螢飛んで﹂と︑例

つれづれとわが泣ぎ暮らす夏の日を ⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝よひはあそびをりて︑

この男︑見ふせりて︑

︵ソノ日ノ夜更ケニ︶ゆく:図]雲のうへまで去ぬべくは

秋風ふくと雁に告げこせ

︵ソノ日ノ宵二︶暮れがたき夏の一日ぐらし︱ながむれば

そのこととなく物ぞかなしき

の︑古言もかかる筋にのみ口馴れたまへり︒J

夜を知る工□を見てもかなしきは

紫式部は二首目に﹁夏の日一

H

仲鯛の声を聞きながら物思いにふけっていると︑

どの弦楽器の音かわからないくらいかすかに絃楽器の音

も聞こえてきてなんとなく悲しい気分になる﹂の意をも読み取って︑自作の物語で活かしたのだろう︒なぜそう考えられるかと言うと︑﹁賢

木﹂巻に﹁浅茅が原もかれがれなる虫の音に︑松風すごく吹ぎあはせて︑そのこととも聞ぎ分かれぬほどに︑ものの音ども絶え絶え聞こえ

えんいと艶なり︒﹂︵二巻

1 2 9

頁︶という一文があって︑その琴と無きかすかな絃楽器と虫との合奏を聞く風流が当時好まれていたらしいか

らである︒このような特異な読み取りをしてはじめて地の文﹁宵は遊びをりて﹂が活かされる︒

前略

前略 六月段落 富山大学人文学部紀要

と︑春の部を中心に︑繰り返し転奏される︒

第四十五段 そして︑盛夏の段落は勢語第四十五段無くして書かれなかったと断言してかまわないだろう︒

︱ 一

1 0

~339~

(13)

はり

光源氏物語現行形態試論第 字津保系 勢語系︵融合系三帖を除く︶ 本章は有精堂﹃源氏物語講座﹄第一巻所収︑小町谷照彦氏の﹁源氏物語の和歌﹂に想を得たものである︒

源氏物語全体を通して和歌は必ずしも均一な密度で見られるものではなく︑大勢としては第一部が和歌の占める比率がもっとも高く

第一一部︑第一︱一部と進むに従ってしだいに減少している︒また︑第一部ではいわゆる紫上系の巻が玉燒系の巻よりも比率が圧倒的に高い︒

具体的な数字で示せば、物語の総行数に対する歌数の百分比を求めると、第一部で三・九、第二部でニ・六、第三部で二•四となる。

また、第一部の紫上系の巻が四•六であるのに対して、

要性の大小を示すものではないが︑数値の変化はその使用の位相の変化を語るもののようにも思われる︒

にも通じるものと言えよう︒歌の実数の多い巻は︑

若紫二五首であり︑また︑歌の比率の高い巻は︑

石五•七五、松風五•七一であって、これらの巻は数量的に和歌の使用において注目すべぎものと思われる︒

られる須磨•明石・幻などは大きな問題を含んでいるようである。 とくに両者に共通して見

(9 ) 

︵傍線は引用者による︒数値を一部改めた︒︶

( 10 )

 

玉蔓系の﹁ニ・九﹂という数値は正伝の百分比より下回ることを直ちに予想させたが︑新しい系列分類に沿って私に調査したところ︑や

0

0

行 八四六六行

︱四八首ニ・九 三七九首四•五

須磨

四八

首︑

賢木

︱︱

︱二

首︑

総角

三一

首︑

幻九•O

源氏物語の和歌と伊勢・字津保

玉茎系では二•九

須磨

八・

︱一

明石三

0

首︑手習一︱八首︑夕霧・幻二六首︑

花散里七•四、藤裏葉六•五、 そのことは各巻の数字の相異

早蕨六•一、花宴五•八、

︵ 略 ︶

3和歌の使用度の多少は必ずしも和歌の果たす役割の重

(14)

風吹けば波の花さへ色見えて

最も和歌が続くのは﹁胡蝶﹂巻冒頭近く

も﹃宇津保﹄の場合唱和の場面﹁1﹂

﹃源

氏﹄

の場合﹁

6

﹂か﹁

4L

という計算になる︒

富山大学人文学部紀要

という数値を得た︒

林の院の花宴

4行のうち勢語系巻々では四五首︑宇津保系巻々では二几首の和歌が詠まれる計算になる︒

強するものである︒すなわち

勢語系……•••伊勢物語が原型………歌物語だから和歌の頻度は高い

宇津保系:・⁝宇津保物語が原型⁝⁝比較的和歌の頻度は低い

のようにまとめられる︒﹃字津保物語﹄

春日社頭の歌会と序

ニ O

嵯峨院の花宴三月十日 は和歌の実数は多いが︑和歌の詠まれる場面の頻度はそう高くない︒

三十八首︵梅花笠︶

十二首︵菊宴︶

詩会探韻二十三首︵国譲下︶ と言うのは唱和の場面で

のように︑詠まれた歌全首を書き記す記録主義︑羅列主義のためである︒﹃源氏物語﹄では唱和の場面でも挙げられるのはせいぜい二首か

三首で﹁後ははかばかしい歌もなかったので︑書き漏らした﹂という︑例の省箪の草子地が使われる︒従って極端に言えば同じ﹁

1 2

﹂首で

︱二嵯峨大后に奉る御屏風の歌 十三首︵吹上

t

七夕の宴十六首︵藤原君︶

歌会 この二つの数値は自説を補

~337~

(15)

光源氏物語現行形態試論第 の三組だと思う︒前者の場合﹁若紫﹂という巻名によって伊勢物語を踏まえた巻てあることを鮮明に掲げ示しているか︑後二者の場合︑度が幻八•四、須磨七・九と高いばかりではなく︑現われ方か伊勢物語的なのである︒小町谷照彦氏に倣って﹁須磨﹂巻"則半

3 6

首︑﹁幻﹂店

全首の表を作成すると︑ 第四十五段第四巻から第四十一巻ヘ 東下りから第十二巻ヘ 初段から第五段へ ︵同︶春の日のうららにさしてゆく船は

枠のしづくも花ぞ散りける

などやうの︑はかなごとどもを︑

おも水の面になむ︒

心々に言ひかはしつつ︑行く方も︑帰らむ里も忘れぬべう︑若き人々の心をうつすに

の四連首で︑第二首が﹁池の水に影をうつしたる山吹岸よりこばれていみじき盛りなり︒﹂︑第三首第四首が﹁龍頭鵡首を︑唐のよそひに︑

ことことしうしつらひて︑揖取の枠をさす童べ﹂を歌題にしているあたりは﹁梅の花笠﹂巻の﹁春日社頭の歌会﹂三卜八首と仲頼の和歌序

との関係を想起させぬわけでもないが︑﹁胡蝶﹂巻とは宇津保系の巻であることに留意しておぎたい︒

勢語系巻々の和歌についても頻度のみならず現われ方を明らかにして行ぎたい︒

大雑把に言って私は﹁紫上系プラス第二部﹂を

勢語系と名付けているが︑勢語色の最も濃いのはf l

老いせぬ名をばここに残さむ

︵同︶亀の上の山もたつねじ船のうちに

岸の山吹そこもにほへり

︵ 同 ︶

こや名に立てる山吹の崎

春の池や井手の川瀬にかよふらむ

ことわりなる

(16)

光源氏離京の際︑

( 12 )

 

須磨前半⁝⁝縦対角線型が中心で縦型 幻⁝⁝⁝⁝⁝縦型 とまとめられよう︒﹃伊勢物語﹄の和歌︑特に業平の影が濃い部分では︑第四段

1

第九段や第百二十四ー百二十五段のような縦型と︑第十七

1

第二十段のような縦対角線型とが中心であり︑﹁須磨﹂巻前半と﹁幻﹂巻とは全体の結構が

紫上との別れの段落の直後に須磨の﹁おはすべき所﹂の様子が描かれるのではなく︑﹁大江殿といひける所﹂や海辺の情 景と︑その二つの地での独詠歌

からくに暦国に名を残しける人よりも

ゆくへ知られぬ家居をやせん

が中心で縦対角線型も混ぎる

﹃伊

勢﹄

のそれに同じいことがわかる︒

も混ざる の よ う に な り

惟 良 六 王 右 藤 醐 花 紫 大 源条 命 近 月 散

光 清 御 婦 丞 壺 夜 里 上 宮 氏

2 1  4  3  5  6 

= 

8  7 四

, 

10  五 11  12  ノ ' 13  七 15  14  17  16  九 18  19  +  22  20 

23  21  芸 24  西

25  27 

26  28 

29  丈 30  芯 33  32  34  31 

3̲5 

36 

2 「須磨」巻前半

導 夕 中 花 明 螢 秋 致 源 作

将 散 石 好 仕

中 大

師 霧 君 里 上 宮 宮 臣 氏 物 2  1  ‑‑

3

4 三 5 四

7  6 五

8  9 I

10  11 七

13  12

11̲4 

1 6   + 

17  18  19

20  ピー 21 占 22 ぷ 23 丈

25  24 む

26 文 富山大学人文学部紀要

二︳

3 「幻」巻

‑335‑

(17)

光源氏物語現行形態試論第 ﹁かの十六夜の女君I葵巻晩秋の新解釈I﹂ という事実認定をくつがえすか 富士の山を見ての

時知らぬ山は富士の嶺いつとてか

鹿の子まだらに雪の降るらむ

武田宗俊氏の玉茎系後記挿入説を有効に反駁するには二つの手段があるとされる︒紫上系巻々には玉茎系の事件・人物が痕跡を残さない

︹第

一論

文︵

以下

曰と

略す

︶︺

この事実を別の観点から説明するかである︒前者の手段を選んだのが

現行形態試論結語

と︑書き連らねられるのに倣ったのであろうか︒ 夢にも人にあはぬなりけり 駿河の国︑宇津の山辺での

駿河なる宇津の山辺のうつつにも はるばるきぬる旅をしぞ思ふ が書き連らねられるあたりは︑﹁海﹂と﹁山﹂﹁川﹂との違いこそあれ︑勢語第九段︑都鳥の歌のクライマックスの前に︑三河の国︑

唐衣きつつなれにしつましあれば

ながむる空はおなじ雲居か と

故郷を峰の霞は隔つれど

﹃中古文学﹄第四十七号平成三年五月

︱二

八橋での

(18)

富山大学人文学部紀要

︹第二論文︵以下口と略す︶︺

︹第三論文︵以下口と略す︶︺

﹁光源氏物語現行形態試論第一了ーー中期巻々を中心に││̲﹂

︹第四論文︵本稿︒以下四と略す︶︺

である︒□

I

園に発表した卑見の大要を図示すると図4の通りであり︑箇条書きすると次の通りである︒

一︑光源氏物語四十一帖は﹃宇津保物語﹄全二十帖と同じ結構を持つ︒首巻前半が中国文学の翻案であるのも﹃宇津保﹄首巻前半の外国

臭が強いからである︒但し︑正伝には音楽伝承讀の代わりに貴種流離諜が据えられ︑

二︑第五巻﹁若紫﹂は﹃伊勢物語﹄初段を︑第二i三巻の空蝉物語は第二段を︑第四巻﹁夕顔﹂は第六段を原話とする︒第ニー四巻が後

から付け加えられたという建て前なのは﹃伊勢物語﹄初期小段の有様に倣ったためでもある︒︵主として□]の第四章第②節︶︵図

5 )

三︑正伝では上の品の物語傍流では初め中の品︑

四︑正伝の方が傍流より和歌の頻度が高いのは﹃伊勢物語﹄﹃宇津保物語﹄

歌の表われ方が縦型・縦対角線型であるのは両巻に於ける勢語色の強さを如実に語っている︒唱和の場面で四首もの和歌が記される例は傍

流中の一巻にのみ見られるが︑﹃宇津保﹄に於ける和歌の記し方を模したのであろう︒︵園一すなわち本稿の第二章︶

﹃源氏物語﹄の︑特に初めのはうの巻々は︑ 二主題系の性格を反映しているためである︒︵口の第二章︶ ﹃富山大学人文学部紀要﹄第十九号

その原型には﹃伊勢物語﹄が選ばれている︒

やがて上の品の物語が主として語られるのはそれぞれ﹃伊勢物語﹄︑﹃宇津保物語﹄第

なるほど各巻の孤立性が強い︒串差し団子とも列車編成式とも言われるゆえんである︒第

N

﹁光源氏物語現行形態試論第三│ーi

期 巻 々 を 中 心 に

﹁光源氏物語現行形態試論 であり︑後者の途を行くのが

I初期巻々を中心に│ー﹂

の頻度の高低に由来する︒特に﹁須磨﹂巻前半︑﹁幻﹂巻の和 ﹃北陸古典研究﹄第七号 ﹃国語国文﹄第五十九巻第

1 0 号 ︵但し︑平成二年十月︑中古文学会秋季大会に於いて口頭発表︶

平成二年十月

平成四年九月

平成五年春

一 ︱ エ ハ

‑333‑

(19)

亡IiI 

l

闘雌翡髯

t

吾衷合冷痣悶番汗葉吝

勢語系 融合系 勢語系

4

三 I

23 69 112 

︐ 

49 

49 

長恨歌系︷口恨歌

和歌頻度

字津保系

:l  I 

あて宮

I  ;上の品! 田口:

蔭蔭 女女

[三~]

49 6 2  和歌頻度

高 低

図 4 13 

(20)

勢語貴種流離よりi

語る順序(建て前)

源語 貴種流離以前(?

0かやうのくだくだしき事は 0いまだ⁝⁝⁝時

0かのまめ男0まだ⁝⁝⁝時

0光源氏名のみこと

あながちなる癖

ごと

しう

⁝⁝

ふ出来事の順序 富山大学人文学部紀要

︶出来事の順序

514 

‑331‑

(21)

る ︒

光源氏物語現行形態試論第 出していると言わなければならないからである︒ 的にも常態ではないのではないかとも感じられて米る程にその作品の内部的な不自然さ か

かわ

らず

これが一作家の主体的な創作活動のままつまり原型のままであるとするならば

︱二

これを創作した作者は社会的にも心理

﹃源

氏物

巻が第

( N

│ l )

巻から第

( N + 1 )

巻へと続く自然な流れを遮断する現象が何度も見られ︑

ち︑第

( N + 1 )

巻や

( N + 2 )

巻の記述と辻悽が合うように第

N

巻は後から書かれたとする説ーが提唱された︒武田論文の六年後︑風

巻景次郎氏の﹁﹁花の宴は後からの挿入らしいことの推定﹂もその︱つであろう︒この論法に拠る限り︑成立過程に関する新説は次から次へ

と無限に生まれるであろう︒但し︑源氏物語第一部についてのみならず︑古今東西のあらゆる長編について︑

あらゆる長編小説の成立過程の全容を解明するのが不可能であるのと全く同じように︑光源氏物語の成立過程を解明するのはなるほど困

いわゆる﹁成立過程論﹂を否定することはできる︒何故なら源語研究史上﹁成立過程論﹂という術語は武田宗俊氏の

玉茎系後記挿入説に集大成される一連の論考を謂い︑武田後記説は現行のままの巻序の源氏物語に対する不信感を出発点としているからで

( 16 )

 

ある︒武田氏のみならず帯木グループ後記挿入説の青柳︵阿部︶秋生氏も︑風巻景次郎氏も皆︑源氏物語の現行形態に不信感を抱いてい

︹武田︺現存の巻の順序のままのこの物語の形態は︑第二部第三部は別として構成上欠陥の多いものである︒主要モチーフが最初より一

貰せず緒よりすぐわき道にそれること︑物語のすじが年序を追うて進まず

んで

いる

が︑

︹風巻︺現在の その結合が有機的にいっていないこと︑

主人公源氏の恋の心理に自然さ︑実らしさの少いこと︑

﹃源

氏物

語﹄

難にちがいない︒

それにもまして大きな欠陥は第一部の前半を全体として見る時︑物語の中心たる

同じような恋の描写の繰返しが多過ぎることである︒

の形態に信頼をもつことはでぎないし︑

自主的な創作活動の結果であると言えるかどうか そのたびごとに第

N

巻後記挿入説││+んなわ

そこに不自然さのあること︑

また現在見得る﹃源氏物語﹄ 二系列の物語が並行して進

は単純に紫式部という一作家の純粋で

その点でも信頼をもつことができないと思っているのである︒もし現在の

語﹄に信頼を持つとするならば﹃源氏物語﹄はすこぶるはげしい内部矛盾を持っている作品と感じなければならないし︑もしそれにも

したがって作家の精神の異常さは所々に顔を

︵﹁

源氏

物語

の最

初の

形態

であ

る︒

の﹁

︱二

(22)

がら

右の

諸論

は︑

比喩を以て言えば︑青表紙本のまま読んだのではすこぶるはげしい内部矛盾が感じられるから︑

いう論法である︒それに対し私は

f l

いや

を主張しつづけている︒

光源氏の成長 そのことを主張してどんな意義があるのかと問われれば︑他のどんな実証的研究が意義深いのか皆目見当がつかな

くなるし︑たとえ田村の言う通りだとしても︑

もやはり当惑するほかない︒

ウル現行と違つ巻序の原源氏物語が存在した記録は残っていない︒

ても読める︑除き去らなくとも読める︑短編の無機的蓄積としても読める︑長編としても読める︑どちらでも読める︑

躇なく長編として読む猷を選ぶべきである︒そして︑また︑青表紙本のまま読む光源氏物語は︑比喩をやめて言えば︑現行巻序のまま読む

光源氏物語は文学的にどれだけすぐれているか—|さしあたって「光源氏の成長」「光源氏物語の立体的構造について」の二項目を挙げ、現

行形態に関する拙稿数篇の一応の結びに代えさせていただきたい︒

武田宗俊氏は現行形態のままの源氏物語の欠陥を指摘して次のように述べておられる︒

作者は主人公光源氏を身分高く容姿優雅︑オ芸秀抜等の外面的なことは勿論︑

理想的貴公子として︑満腔の同情をよせて書いているのであるが︑書き上げられた具体的姿はどうであろう︒早く結婚しながらその妻

には冷淡で︑先ず父の后藤壷に恋してこれを犯し一子をあげる︒社会の道義を以てしても抑えきれぬ程熱烈にこの藤壷に恋しておりな

一方紀守の宿に方違してそこに留守する伊予の介の妻を無理に犯して深い執心をよせ︑

わりにそこにい合せた軒端荻を弄び︑式部卿宮の姫君にも求愛の手紙を送り︑故春宮の未亡人六条御息所とも関係し︑ 青表紙本でも読める︑河内本でも読める︑どちらでも読める 富山大学人文学部紀要

河内本の本文で読もうと

そんなことはない︑青表紙本のまま読んで十分意味が通じるし︑文学的にも良いということ

だからといって青表紙本が紫式部の文章をそのまま伝えているとは限らないと反論されて

のであれば青表紙本で読むべきであるのと同じように︑玉茎系を除き去っ

その精神的性格に於いてもよく人情を解し愛情豊かな

そのふしどにしのび入って逃げる女のか ︵﹁源氏物語の成立に関する試論

そこに通つ途中 のであれば我々は躊

( 17 )

 

︵紫

と紫

のゆ

かり

の物

語︶

﹂︶

︱ ︱

1 0  

‑329‑

(23)

光源氏物語現行形態試論第 長々と引用したが までは弁護の余地はないであろう︒ じには論ぜられぬが

﹁源氏物語の最初の形態﹂

の﹁

︱二

防巷に夕顔を見つけてこれをも熱愛する︒これを失うては常陸宮の姫君を訪れてこれとちぎり︑藤壷に似た少女を見つけてはこれを盗 みかくし︑好色の老女とも戯れ︑春宮に参るよう内定している朧月夜尚侍にも親しんで危険を犯して逢瀬をつゞけ︑花散里をも恋人の

列に

入れ

明石のわび住いでは明石の御方とちぎって︱女をあげる︒作者はこれ等の大部分をまじめな恋愛として扱おうとしている︒

作者が理想として賞讃してやまない光源氏の道徳的欠陥についてはこ︑では問題にしない︒ドンファンを書いては芸術的傑作が出来な

いとの理由はない︒しかし作者はそのドンファンたることを充分意識し︑

ァンではないがそれに類似する所のあるのは否めぬ︒この点に源氏物語の重大な欠陥のあることは否定出来ぬであろう︒しかもこれ等

の恋は恋愛心理としても自然とは見えにくい︒男性は必ずしも一時に一婦人のみしか愛せられぬとは限らぬであろう︒しかし一時に一︱︱

人四人の婦人と関係するとすればそれはまじめな意味での恋愛ではない︒男女関係の道徳のゆるい平安時代のことであるから今日と同 が︑まじめな恋として扱われているところに大きな欠陥かある︒これは和辻博士もすでに指摘していられるところで︑現存の形態のま

減するのである︒

その真実の価値判断をあやまってはならない︒源氏はドンフ これでは人間の本性にそむくのである︒源氏物語第一部前半ではこのまじめでないと解せざるを得ない婦人関係

これを玉屡系後記説によって原源氏物語だけを見れば一時に多数の女を恋する不自然さの程度は半

ここに挙げられている光の不名誉はほとんどすべて第十二帖﹁須磨﹂よりも前の出来事であった︒﹁明石の御方﹂との

結契は住吉明神の加護と親の許しを得てのことであり︑何ら災いの種にならす︑本当に﹁まじめな恋愛﹂

源氏物語はなるはど好色物語として有名である︒︵筆者は未見の書だか︶室町の﹃修紫田舎源氏﹄も江戸の﹃好色︱代男﹄もみな光源氏を

ドンファンとして受け取っているようだ︒

ゞ ︑ ︑

ゞ ︶

そのような源語享受は世に

須磨がえりI I

II

II

須磨源氏

i I と呼ばれる読み方と関係あるのでは

なかろうか︒恐らくは﹁須磨﹂巻あたりで読むのを止めてしまう根気の無い読者か多かったために︑光源氏が須磨明石の放浪を経て婦郷し

た後たわむれの情事を槙しむようになった事実は意外に注目されてこなかった︒

六条御息所に梅壷を託されて であったと考えたい︒

さやかに容貌を見たいと気持ちか動くか︑自制して冷泉帝に入内させた︒十七歳になる前の秋の日︑朝の

顔を見たらしい式部卿姫君とも第二十帖﹁朝顔﹂巻ではプラトニックな関係のままであった︒﹁螢﹂巻では玉嬰の髪を愛撫し﹁野分﹂巻では

(24)

0

︱つ

﹁葵﹂巻の末摘花の回想 光源氏物語の立体的構造について 因を求めるべきではない︒ 富山大学人文学部紀要

互いに体を寄せ合うところまで行くがたとえ結婚しても妾として置くことになろうからと自制し冷泉帝入内を図った︒

~

それは何も政治的理

短編作家から長編作家への紫式部の成長とは要するに︑﹁短い﹂恋から﹁長い﹂恋への光源氏の成長を反映しているに他ならない︒前編

の語り手は何と言ってもやはり光源氏の目と心に即する場合が多く︑特に勢語系巻々ではそうであり時には語り手が光源氏に一体化してい

るような草子地さえある︒

また︑第一部は明る<楽天的・浪漫的で第二部は現実の苦悩をうつして暗く写実主義的だという武田氏らの説も有名である︒しかしこれ

もやはり光源氏の内面を反映しているに他ならない︒

( 18 )  

藤村潔氏は独自に﹁+年単位構想説﹂を唱え︑私も構想樹立の基本方針はおおむね氏の言われる通りだと思うが︑普通一般に︑十代二十

代よりは三十代の方が現実的な生き方をするだろうし︑社会人としての責任の増す四十代が三十代以前と比べて暗くなるような人生を送る

男の人数はその逆の人生を送る男の人数よりは多かったにちがいない︒

作品内部の﹁精神発展﹂という視点を発見・導入した武田宗俊説は︑極めて源氏物語的な源氏物語論であった︒源氏五十四帖は常に前向

ぎな努力と克苦と創造の文学であり続けたからである︒

構想が緊密化・長編化する現象は繰り返すが︑

武田宗俊氏玉蔓系後記説の中心的論拠とされてきたのは玉甚系の事件・人物が紫上系の物語に痕跡を典えない現象だが︑

れる箇所が五つほどある︒所謂﹁五つの障害点﹂

0

二つめ ﹁葵﹂巻の夕顔の回想 由に拠るのではない︒

だが﹁発展﹂する主体の見究めには若干の修正が必要とされよう︒巻を追うごとに

男主人公の成長に比例しているのであって︑成立過程の複雑や作家の技術的進歩にその要

であ

る︒

その例外と目さ

~327~

(25)

光源氏物語現行形態試論第

0

三つめ

これらのうち﹁三つめ﹂と﹁四つめ﹂についての説明は遺憾ながら説得力がない︒更にもう一人︑﹁藤袴﹂初出﹁真木柱﹂再登場の源中納言

( 19 )

 

︵藤村潔氏﹁武田宗俊説について﹂︶︒しかしながら武田論文の﹁三﹂の後半︑

玉笞系の人物か︑もし玉墟系の巻が今日の順序で書かれていたとしたら︑

という現象を具体的に述べておられるくだりは説得力に富む︒相当長くなるか︑立場によらず等閑に付しえないところだから︑引用してみ

夕顔の如き︑早く夕顔の巻で死し去ったから︑後の巻に出ないともいわれ得ようが︑夕顔と源氏の恋は時間的には短くはかなかったと

はい

その源氏に与えた印象︑影響は甚だ大ぎく︑︵略︶そのなつかしさを繰返しのべているが︑

であった恋か︑紫上系の巻々には暗示も痕跡も︑全然見出されぬことは両系か同時に並行して書かれていたとしたら

ない︒末摘花について見るも源氏の須磨に出発の際、親しい女のすべて、藤壷•紫上・朧月夜尚侍•花散里から葵上の侍女中将の君

にまで一々別れを告げるのであるが︑末摘花だけが出ていない︒源氏はこのような際︑

心しているのに︑その境遇を憐れんで︑常に庇護を心かけている筈の末摘花が︑

(略)夕顔•空蝉・末摘花の三人は、それぞれ物語の人物とするに適したきわだった個性を持ち︑何れも作者の深い愛につ︑まれ

て特別にひいきされており︑作者もその創造を得意としたと推察される︒夕顔の魅力に富んだ可憐の性格や︑

こを緒として︑物語構成に利用価値は少くはなく︑事実玉嬰系の巻々にはしば/\`点出して︑滑稽感を醸し出しているのに︑前者は恋

愛物語としては何の必然性もない物の化であっけなく変死させて舞台より姿を消させ︑後者を紫上系の巻々には二十年もの間一度も登

場させず玉甚系の巻でも十年間もすてておくのは始よりの構想としては考えられぬことである︒これを玉嘘系の巻々を後記挿入と見れ

ば︑これ等の人物を連続的な物語の主人公として長篇的物語を構成しては︑既に成立している紫上系物語に接合することが困難なので︑ ら

ぬ︒

が﹁梅枝﹂巻にも登場する例外も指摘されている

0

五つめ

( 1 1

﹁人

物﹂

0

四つめ

( 1 1

﹁人

物﹂

( 1 1

﹁人

物﹂

の三つめ の二つめ の︱つめ

﹁帯

木﹂

ー﹁空蝉﹂に初出の右近のぞうが﹁葵﹂以下紫上系巻々にも登場

﹁帯木﹂にその名の見える朝顔の姫君が﹁葵﹂巻﹁朝顔﹂巻等にも登場

必ずあげられるべき所にも紫上系の巻には全く出て来ない︒

その理由が分ら

人に冷たく思われることのないようにと︑自ら

そんな場合無視されているのは︑不合理といわねばな ﹁夕顔﹂初出の惟光が﹁若紫﹂以下紫上系巻々にも登場

頭中将との関係など︑

~

そ このように源氏にとって強烈で重要

(26)

の巻に書かれたか﹂であり︑例の 無視している︒ まるで意地になつてゐる様に青柳氏 目の巻の女主人公及びその遺族については 外には説明出来ないであろう︒ ま て ー

富山大学人文学部紀要

︱二巻の短篇で事件の区切をつけ︑夕顔は︱︱一巻に活躍して死なせ︑空蝉も二三巻の活躍で地方に下って十数年留

守にさせ︑末摘花をも十数年中︱二回の登場に止めること︑玉燒は九州に下って成人し︑二十歳まで物語濁外におく等の理由が極めて

自然に理解出来るのである︒夕頗の侍女右近なども︑主人の死後は引きとられて紫上のもとにあり︑源氏にも愛せられて︑

右近は何の人数ならねど︑その形見と見給ひて︑らうたきものに思はしたれば︑ふる人の数に仕りなれたり︒

と書かれているが︑紫上系の巻には全く出ず︑先にのべた源氏の須磨出発の際にも︑

紫上に托するので︑

る︒

これ

等︑

源氏は少納言・中務•中将等の侍女を数えあげて、

そこに右近も名をあげられるのが自然であるが︑遂に出て来ない︒これ等も又玉麓系後記説の支柱となるものであ

玉墟系人物のすべてが同系の巻にのみ表れ︑紫上系十七帖にわたって全然現れないのは︑玉甚系の巻が後の挿入と見る以

なかでも特に須磨出発の際には︑登場人物の偏りが著しい︒光源氏は出発の二︑三日前から第五

( Z o

g 頁

9

行ー

2 1 3

3

行 ︑

玉墟系の巻

2 3 3

頁認行ー︶︑第

( 2 1 7

1 1

1 2 1 9

3

行︶

︑第

( 2 1 6

8

1 2 1 7

頁9

行︶

︑第

( 2 0 3

1 2

1 2 0 9

8

行︶︑第十

( 2 3 2

1

1 2 3 4

6

行︶

︑第

十一

3

行︶番目の巻の主人公となった女若しくはその遺族を訪門したり文通したりして別れを惜しんでいるのに︑第二︑第三︑第四︑第六番

以上を要するに武田氏らの後記説は端役の男たちに着目して検討すると旗色が悪く巻の主人公となったことのある女たちに着目して検

討すると強くなる︒しかし︑登場の偏りの鍵を握るのは︑今述べたように性別・身分と考えられなくもないが︑

﹁夕顔﹂巻末の跛文

かやうのくだくだしぎことは︑あながちに隠ろへ忍びたまひしもいとほしくて︑

に︑見む人さへかたほならず︑ものはめがちなると︑作りごとめきてとりなす人ものしたまひければなむ︒あまりもの言ひさがなき罪︑ 挿入に便にする為

私はそれよりもやはり﹁ど

みな漏らしとどめたるを︑など帝の御子ならむから

( 2 1 3

4

1 2 1 5

~325~

(27)

光源氏物語現行形態試論第 べておきたい︒ ということになろう︒

* 

という事実を導き出すことができるし︑更には

という二つの事実から︑我々は︑新たに

であると思う︒﹁帝木﹂﹁空蝉﹂﹁夕顔﹂は光源氏がひた隠しに隠そうとしたので初めはそのまま語らずにおく予定だったが︑後から付け加え

てしまったという建て前の三帖なのであって︑﹁若紫﹂﹁葵﹂等の巻々に帯木三帖の出来事を明らかにそれと指し示した箇所が無いのは︑

( 19 )

 

︵藤村潔氏﹁武田宗俊説について﹂等︶︒

︹人の死は︺常のことなれど︑

ここでも夕顔頓死事件は筆に登らない︒

で歯切れが悪くなったのであり︑﹁見せかけの後記挿入﹂説を補強する一文と言えよう︒

の﹁かの十六夜のさやかならざりし秋のことなど﹂は︑第六帖﹁末摘花﹂第九帖﹁葵﹂ 人一人か︑あまたしも見たまはぬことなればにや︑類ひなくおぼしこがれたり︒

だが語り手はうそを書くわけにいかない︒そこで後世の誤写があるのかと思われるほど不自然

両方を踏まえている︒従って第九帖成立時には既に第六帖も︑ の建て前が遵守されているからに他ならない さりどころなく︒

の春の場面と同じく第六帖の秋の場面と︑

そして帯木三帖も成立していた︒

第九帖には帯木三帖に書かれた記事を明らかにそれと指し示した箇所が無い︒

第九帖に於いて︑語り手は帝木三帖の記事に触れることを意識的に避けている︒

紫上系巻々に於いて︑語り手は帯木三帖の記事に触れることを意識的に避けている︒

ではいったい︑藤村氏のいわゆる﹁見せかけの後記挿入﹂説に従った場合︑光源氏物語はどれだけ文学的に豊かになるか︒

の読みが深まるか︒以下︑前記﹁︱つめ﹂﹁五つめ﹂の障害点と︑二点に密接に関係する﹁葵﹂巻﹁朝顔﹂巻の読解を通して︑

︵﹁

葵﹂

︒二

9 4

︒︹

どれだけ物語

その一端を述

ニニ

︺内も底本に拠る︒︶

︵一

1 7 9

そ 頁 ︶

(28)

ある

富山大学人文学部紀要

正伝中の一巻である﹁葵﹂

や︑光を描写した草子地

編第三部

1

I I

編i

終 ︶

傍流︵第

I

編第

二部

の中盤は葵上追悼がテーマである︒

だが

しか

し︑

彼女の死が八月二十日前後の夜であるとすれば︑夕顔の死は八月十六日の夜︒ この時光源氏の頭にあった死者はひとり葵上のみだろうか︒そして何よりも注意すべきは︑二人の女性がどちらも︑物の

ことに﹁あまた﹂などは︑単なる文飾ではなく︑同じ失敗を二度繰り返した自分自身の愚かさ

マルセル・プルースト﹃失なわれた時を求めて﹄の正伝

1 1

マルセルの手記︵第

I

編第一部︑第

I

に於いてマルセルがジルベルトに恋をし翻弄され傷ついて行く過程が︑全文半過去︑挿話風に一︱一人称体で綴られた

に於いてスワンがオデット

( 1 1

ジルベルトの母︶ を嘆いているのだろう︒これはちょうど の

なか

の﹁

なべ

て﹂

︑﹁

いつ

も﹂

︑﹁

さま

ざま

. . .

.  

世をおぼし続くることいとさまぎまにて

•••

いつも時雨は 急死している点である︒

1 0 3

頁 怪めいた存在に苦しめられ︑

けぶりのぼりぬる煙はそれとわかねども

なべて雲居のあはれなるかな

くれわきてこの暮こそ袖は露けけれ

. . .  

もの思ふ秋はあまたへぬれど

( 9 4

光源氏の追悼歌

に恋をし翻弄され傷ついて行く過程によって照射されるのと同じで

一三

‑323‑

(29)

事実報告

光源氏物語現行形態試論第

K

とのたまふ御けしきも︑︹追慕の情の︺浅からぬほどしるく見ゆれば

いとど時雨にかきくらすころ 見し人の雨となりにし雲居さへ

︵源

氏︶

夫婦生活を続けているように見えたが

︵前置︶︑実は正妻として大事に思っていたのだった

︵主

文︶

と書かれている︒

次に引用する一文に描かれているのは光源氏の落胆ぶりを見ての頭中将の感想で︑光の追慕の情は浅くない︵事実報告︶︑今までは義理で

照—末摘花巻一

/ ぃ ;

︱  

図 6 

III 

I I ー の

﹃源氏物語﹄前編

光 の 目 と 心 に 即 光 の 秘 密 を す っ ぱ し て 語 る 正 伝 ぬ い て 語 る

﹁ く だ

︱ く だ し き 事

IV 

図 7 

﹃ 失 な わ れ た 時 ﹄

マ ル セ ル の マ ル セ ル の 視 点 を 離 れ た 一 人 称 独 白 体 三 人 称 小 説

︱ 二 ‑ 七

参照

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