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マニエ リスムの シェイクスピア

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長崎大学教育学部紀要 ‑人文科学 ‑ Na66,39‑53(2003.3)

マニエ リスムの シェイクスピア

清 一 田 幾 生

Shakes pear ei nManner i s m l kuoKi yot a

・ (‑)

F

「マニエ リスム」 は美術史 の用語であ ったd もともとル ネ 、1サ ンス後期 にお ける美 術 の 傾向 と精神 を表す語であ っ.た。主 と して、・∫視覚芸術であ る美術や建築 に?いて用 い られ た。

盛期 ルネ ッサ ンスと、 その後 に来 るバ ロッ.ク期 の中間 の時期 の、 特殊 な表現 ス タイ・ルを示 す ものである。 ところが後 にな ?て、 マニエ リスムは、 視覚 芸術 だ けで な.く、 文芸 の ジーヤ

ンルにまで押 し拡 げて考 え られ るよ うにな った。美術 史 か らはず れて この用語 を便 用 す る ことには、強 い批判 もあI‑?たが、時代 の主潮 と動 向 とを表 す語 で あ るか らに は・、 絵 画 に、し ろ文学 に しろ、根 っこには共通す る思想 や感情 の形 が、 その条件 と して 季 冬はず で あ・る

ちなみに この語 の語源 はイ タ リア語 の 「マニエ ラ」 であ る. マニエ リスムは英語で 書 けば、

マ ンネ ])ズムと同 じ語 にーな るが、わ が国で 昼それ と区別 して、・この フ ラ ン,ス語 の発 音 が定 着 している。 まず はマニエ リスムの発展 の事情 を理解す る必要があろ う

‑かって、 ルネ ッサ ンスは芸術家 にとって 「人間 の開放」 であ り、「個人 の発 見

・で あ る と 言 われた ことがあ った.個人 の独 自性 が大 いに評価 され るよ うにな った時代 だ 阜説明 され たのであ る しか し、 それは疑 わ しいd た とえ盛期 ルネ ッサ ンスであ って も、 芸 術作 品 は、

それ以前 の中世時代 にひき続 いて、芸術家 のイ個性」 で はな くて、 王 と して.「公共性 」.と い うことか らのみ評価 され るものであ.った。 中世 もルネ ッサ ンス期 も、.共 同体 の中 で集 団 を結 びっ けるものは、宗教であ ったか らである.権力 を もっ た教 会 が作 品 の展示 の中 心 で あ うてみれば、芸 術家 持既存 の規範 に則 って作品を創 り、 他 の芸 術 家 とq)覇 い合 い にお い て も、規範か ら外 れ ることはあキ り考 えなか った。模倣 もふ くめて、上 手 に他 を凌 ぐこと が彼 らの製作者 と しての生 き方 であ った。規範 に反抗 して 自分 の芸 術 的 な個性 を発揮 す る ことは、彼 らの頑の中にはなか ったのである

「独創性 とか個性‑とかい うもの は下 手 な絵描 さの属性 であ った

」 ・

(Hとい う皮 肉な言説 は、 マニエ リスム以前 までの芸術風 土 を よ く言 い当 てている.独創性 や個性 の評価 は、社会 の変質が伴 なわ な ければ 出て こなか った0.後 世 甲 我 われが考 え るよ うな芸術家 の 自意識 は、 ルネ.ッサ ンス後期 の大 きな社会 の変動 にともなっ て生れて きた ものであ る

.後期 ルネ.ッサ.ンスの主潮であるマニエ リスムは、 ル ネ ッサ ンスを生 ん だイ タ リヤ・の.混乱 が主 な背景 とな る。前 の時代の常識、.すなはち、盛期 ル ネ ッサ ンスの規範 に対 す る懐 疑 と 不安、不満 に、 その根源を発 して いる.盛期 ルネ ッサ ン不の偉 大 な成 果 で あtる数々 の壮 麗 な作品群 に、後続 の芸術家 たちは、 もはや何か しっくり しな い もの を感 じ取 ったの で ち ろ

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宗教 を中心 とした個人 と社会集団の調和を理想 とした安定感 が、 疑 われ は じめ るので ある レオナル ド・ダ ・ヴィンチや ラファエロよ うな偉大 な先輩 が作 り上 げた業績 を前 に して、後輩 の芸術家たちは、古典的な規範、人体比例 や遠近法 な ど模範 的 な空間 の扱 い方 を、故意 にないが しろにす る方法を取 った。正統の規範 に反樽 す るので あ る ゆ るぎな い ものと見えた古典 に対す る反樽が、 マニエ リスムの第一歩 であ る. その背景 には、 言 うま で もな く、時代の変化 というものがある それは彼 らの思想 の基盤 を揺 るがす激烈 な変化 であ った。

まず は、それまでの文化の基盤 となっていた封建制の社会 の衰退 で あ る 当時 の イ タ リ ヤには統一国家 などはなか った。数多 くの国が離合集散 を繰 り返 す、 混乱 した小都市 国家 の世界であ った。それぞれ個性的ではあるが、 ヴェネツィア、 ジェノア、 ナポ リ, ミラノ などの王国や公国が、 それぞれ地域の主導権を求 めて、繁栄 を競 って いたのであ る 確 か にこれ らの小国家が近代的な発想を もって、商業 を飛躍 的 に発展 させ た。 それが ル ネ ッサ ンスの開花を支えていたの も間違 いない。 しか し一方、封建的 な貴族 や、 僧侶 な どが、 国 家の内部では陰惨な政争を繰 りひろげでいた.近代性を具 えて はL.1て も、 や は り封建国家 には限界があ った。やがて、 アルプスの向 こうに、 あるいは海 を越 えた ところに、・スペイ ン、 フランス、 オース トリアなどに、絶対主義的王制が出来 あが った。 す るとい きお い こ れ らの大国の前 に、 イタ リア小都市の封建国家群 は圧倒 され、 押 さえつ け られて い くので ある封建国家群 によるイタ リア半島の主導権 は終 りを見せ るのである。

社会の不安定 と混乱を誘 う要素 に、 まず宗教的な争 いを挙 げな ければな らない。 旧教 の 堕落 した世俗性 には目に余 るものがあった。改革の旗手 マルテ ィ ン 。ル ターが ウ ィ ッテ ン ベルグでその信条を教会の戸 口に掲 げたときに、宗教改革 は始 ま って い る

。1 5 1 7

年 の こと であるそれに対す る反宗教改革 は トレン ト会議で

、1 5 4 5

年 に始 め られたが、 カ トリック の ドグマに反旗を翻 したプロテスタン トの勢 いに、 ローマ教会 はかつてのよ うな権威 を揮 うことは難 しくなっていった。 アルプス以北で も

1 5 2 4 ‑ 5

年 における ドイツの農民の反乱 な ど で、すでに社会の枠組 は十分 に揺 らいでいた。 それより前 に、 十五世紀後半 の新大 陸 の発 見 は、 そ もそ もキ リス ト教の世界が、世界の中心であるとい う確信 を揺 さぶ って いた。'ア

メ リカとい う未知の巨大 な土地が存在す るという可能性 は、不気味であった。

いや、それ どころか、 ガ リレオの言説が これまでの地球 中心 の物 の考 え方 に、 決別 を強 いていた。新 しい科学 によると、地球ではな くて、太陽が広 い宇宙 の中心 なので あ った。

認識の コペルニクス的転回 は、 口で言 うのは易 しいが、現実 には辛 く苦 い もので あ る 古 典主義が持 っていた、既存の安定 と調和の価値観 に対 して、 疑惑 の 目が向 け られ る 確固 として揺 るぎないように思えていた世界観が崩壊 しは じめ る。 新世界 の発見 もそれ に拍車 をかけた。 マニエ リスムの芸術家たちのどこかに共通す るの は、 こうい う崩壊 と不安 の意 識であろう。

封建制が崩れて、 アルプス以北の国々に成立 した宮廷が、 よ り強 い権力を持っ に至 った。

フランス、 オース トリア、あるいはスペイ ンなどの絶対主義 的王制 は、 イタ リアの小都市 の封建的な地方分権主義を終わ らせたのである ここか ら宮廷 中心 の文化 が花開 くので あ る。 イタ リアの芸術家たちは、招かれ るか、 あるいは自 ら意図 して、 そ うい う外 国へ と身 を移 していったのである たとえば、 レオナル ド。ダヴ ィンチで す らフラ ンスの宮廷へ移 住 した。

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マニエリスムのシェイクスピア 41

マニエ リス トの画家たちは、盛期 ルネ ッサ ンスの偉大 な芸術家七 ちが完成 させた空間の 処理の仕方 に、不満 と反樺を覚えた。 そ してそれに対 して、 異 な った画法で対抗 す る 明 噺なルネ ッサ ンス人の絶対の規範 と思われていた もの、 た とえば遠近法 に対 して反抗 を試 みて、透視の直線を故意 に歪めるのである彼 らは遠近法だけでな く、模範 的 な人体比例、

統一 された主題、 こういった古典的原理の束縛か ら逃避 を試 み るのであ る規範 か らの逸 脱 は、 ときには気 ままとしか思えないよ うな手法で行われ る 実験的 な画題 が画面 を満 た す。一つの作品のなかで、複数の視点が投げ込 まれる。 そ うな ると、 いきおい画面 の求心 力が薄れて、主題 は拡散する。画題 として、数々の比職や寓話が‑挙 に展開 され る。・あま りに個性的過 ぎて、後世 にな って、その比喉や寓話が何 を表現 してい るのか理解 出来 な く なるくら◆いである

ここでマニエ リス トたちが試みた方法論 とその成果を少 しまとめておいて もよか ろ う

彼 らは先人達が作 り上げた正統的な基準か ら何 ほどか離脱 して いるム 古典 的 な規範 が彼 ら によって揺 さぶ られ崩 されてい く主 な例を、項 目として列挙 す ると次 のように.なるで あろ うか。

1.透視図法 による空間処理の首尾一貫性を順守 しない こと. ときには二 つ以上 の.視点 を導入 して、軸 と角度をず らす こと それによって、 画像の 明噺 さや、 的確 さを故 意 に唆昧化す ること。

:2.理想的な形式美 あるいは調和を崩 して、 たとえば人体 で言 えば、 解剖学 に基 づ く人 体比例の法則を捨てて、肉体 をデフォルメ して描 くこと しぼ.しぼ人 や動物 の肉体 を動 きのなかで捉えて、歪めた り、ね じらせた り、 引 き伸 ば した りして描 くこと

引 き伸ばされて捻 じれた形体を、後世の美術史家 は蛇状曲線 と呼ぶ。.

3.今ではもはや読解不可能 とな った数々の象徴的な寓境 を描 きこんで い ること。 その 比喰力の方向や意味、あるいは関係性が不明なために、 作者 の主題 や意 図が判然 と・

せず、意味が錯綜 していて、複雑であること。数 々の引用 さ・れ た事項 の よ うな構成 をとっているため、理解す るには、謎解 きのような、 知的 な鑑賞力が要求 され るこ と。.

4.錯綜 した意味を もつ図像群が、 きわめて宮廷的な優美 さと洗練度で提 出 され ること

そのため、現実的な生の感覚か ら離れていること。 自然 を断 ちきって、 まるで幻想 のような現実味のない不思議 な効果を出 していること そ こには輯晦 を愉 しむ作者 の遊 びがあること。

いうまで もな く、 これ らの特徴がマニエ リス トの作品すべてに当てはまるわ けで はない。

ときには上のどれにも該当 しない場合 もあるであろう以下簡単 な例 であ るが、 マニエ リ スムの代表的な絵画を見て、上の項 目のどれに相当す るのか検討 してみよう

図1はマニエ リス トではな くて、盛期ルネッサ ンスを担 った レオナル ド・ダ ・ヴィンチ の人体比例図である。 このデ ッサ ンは理想的な人体の美 を分析 した ものであ る。一・円環 に内

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接 して両手 を広 げた全身像 が、人間 と外部 の世界 の調和 とい う形 で表 され た もので あ る。

こうい う均斉美 はギ リシャ時代 にすで iこあ った ものであ るが、 ダ ・ヴ ィンチ は これ を理想 美 の規範 と.して廼 らせ たのであ る この人体比例図 を、 マニエ リス トたちが描 いた3, 4,

5,6図 の人物像 と比べてみれば興味深 い。 マニエ リス トた ちが いか に この規 範 を無 視 し て いるかがわか る。 さ らに図2は、盛期 ルネ ッサ ンスの 巨匠 と して ダ ・ヴ ィ ンチ と並 び称 せ られ るラフ ァエ ロの ものであ る。彼 も古典的 な規範 に則 った作 品造 りで知 られ るが、 し か しその後期 には、 このよ うな透視法 を無視 した作品 を残 して い る

「処女 の婚 約

と題 さ れた画面 には、前景 の人物 たちで使 った透視図法 の線 と、 背景 の聖 堂 に使 用 した透 視 図法 の線 が敵髄 を来 た して い る。 それぞれその焦点 ともい うべ き消尽点 (vanishingpoint) が異 な るのであ る。規範 とな る遠近法で は消尽点 は一つ で あ るはず なの に、 こ こで は効 果 を出すために、二つの視点 が導入 されて いる盛期 ル ネ ッサ ンス の正 統派 に属 して いたず の ラフ ァエ ロは、 この ころすでにマニエ リスム的な世界 に足 を踏 みいれてい る ことにな る

図3は ミケ ランジェロの ものであ る。他 のマニエ リス トた ち と同 じく、 人 体 が ね じれ、

歪んでい るところが強調 されている これ は作者特有 の動 きの中 の人 体 とい うことにな る が、他 と違 うところは、空間 に抑 えつ け られた人体 が、 圧迫 を受 け た まま、 解 放 され な い でいる様子 であ る閉 じ込 め られて流露 で きないエネルギ ーの、 ヴ ォル テ ‑ ジュの高 さを 思 わせ る ミケ ラ ンジェロ的な特徴 である図4は、 マ ニ エ リス ムを語 る とき、 いつ も示 され るブロンジーノの 「寓話

であ る. ヴィーナス、 キ ュー ピッ ド、「愚行」、 「時

な ど象 徴的 な図像が置かれているが、 これ らの群像が相互 に関係 す る意 味 は、 部 分 的 に しか解 っ て いない. ただ、 ス タイル と しては、片腕 で ヴィーナ スを抱 くキ ュー ピ ッ ドの身体 が異 常 に長 く、 またね じれて い ることが 目立っ。 しか もきわ めて洗練 され た優雅 な筆 致 で あ る こ とも留意 して よか ろ う図5のボ ン トルモの 「キ リス トの降架 」 もまた洗 練 され た筆 致 で あ るが、主題 と して は、古来多 くの画家が描 いて きた もので あ る。 ただ この絵 だ け に特 異 な ことは、肝心 の十字架が ない ことである しか も、 人物 た ち はイ エ スの遺 骸 に視 線 を集 中 させて はいない。各人物 はば らば らな、 あ らぬ方向を眺 めて い る マ ニ エ リス ム は多様 な視点 か ら眺 め られ る画材 だけではない。多様 な視点 で眺 め る人 物 像 も描 くので あ る。 異 様 な雰囲気 の中を描 かれた人物 たちは実在感 を失 って、 浮遊 して い る.よ うで あ る。 図6は イ タ リア人 の作品で はない。時代 はす こ し下 って後期 マニエ リスムの代表的 な画家 エル ・グ レコの ものであ る スペイ ンで活躍 したが、名前 の示す とお りギ リシ ャ人 で あ る こ こに な ると、 引 き伸 ば された人体 は蛇状曲線 の典型 を示 している。

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マニエ リスムは一般 に、後期 ルネ ッサ ンス期 に現 れた と され る この用語 は、 は じめ は あ くまで もイ タ リアを中心 と した視覚芸術、絵画、彫刻 、 建築 につ いて述 べ た もので あ っ た。 しか し、 マニエ リスムを視覚芸術 に限 らず、 それ を越 え た ジ ャ ンルの芸術 につ いて論 じる者 も出て きた。 この概念 を、 いきな り直接 に演劇 や文学 に応 用 す る ことは、 無 謀 な試 みであ ると して退 け る考 えは今で も根強 いであろ う。 ま して、 イ タ リア半 島 の マ ニ エ リス ムが、 アルプスを超 えて北へ移 ってい った と して も、 ヨー ロ ッパ大 陸 で マ ニ エ リス ムを成

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マ ニ エ リス ムの シ ェイ ク ス ピア

主≠圭

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立 させ た社会変動 や文化 の変化 を、後発国の イギ リスの ル ネ ッサ ンス期 に まで 直接 探 し求 め ることにはち ょっと無理が あ る. よ く言 われ るよ うに、 イギ リー不で は特 に視 覚芸 術 の発 展が大陸 はど著 しい もの はなか ったので、 なお さ らの こ とで あ るl当時 は島国 で あ るイギ リスの人 々 は大陸の文化 に憧 れて はいたろ うが、大陸 の芸 術 文 化 が生 の形 で大 きな影 響 を 与 えた とは言 いがたい。十五世紀 に頂点 に達 したイ タ リア と、 十六 世紀 のムイ ギ リスに、 歴 史的 に、 あ るいは社会的 に、変化 の類似性 を指摘 です るの は難 しい。

ただ、 マニエ リスムの視覚芸術 の特徴 を、文学 に関 して類 似 点 を探 る ことは、 全 く不 可 能 だ とい うわけで はない。 ホ ッケに しろ、 サイ フ ァーに しろ、 あ るい は ア ー ノル ド ・‑ ウ ザ‑に しろ、彼 らの労作 はすべてマニエ リスムを視覚 芸 術 に限定 しな い と ころか ら出発 し ている。彼 らによ って扱 われ る対象 は、言 うまで もな く、 言 語芸 術 が含 まれ る さ らにそ こで扱 われ る詩や演劇 は、 ヨー ロ ッパ文学 であるが、 中 に は時代 を下 げて ヨー ロ ッパ の現 代文学 にまで広 げて言及す る人 もい る文芸 にまで拡大 されたマニエ リスム とい う概 念 が、

少 し胡散臭 い目で見 られ るの は、 こうい うときであ る。 しか しル ネ ッサ ンス後 発 国 の イギ リスの演劇 に、 マニエ リスムの概念 を導入 して見 ることは、 意 味 の な い こ とで はな い と考 え られ る上 に述べたマニエ リスム美術 の特徴 の項 目を、 英 国 ル ネ ッサ ンス期 の作 家 の作 品 に認 め ることで、新 しい見方が可能 にな り、新 しい作品解釈 が期待 で きるか も知 れ な い。

これ までマニエ リスム研究が美術史 を超 えて文学 に言 及 す る場 合 に、 特 定 の作家 の文 章 を断片的 に引用 して、 それを例証 とす るのが常 であ った. た とえば、古 い ところで は、 アー ノル ド・‑ ウザーの著書 『マニエ リスム

』(

1965)であ る。 その二 部 の第4章 「ヨー ロ ッ パ文学 におけるマニエ リスムの代表作家」 は、 そのよ うな論 及 の仕 方 を示 して い る そ こ で は、伊、西、仏、英 の はば同時代 の古典が扱 われて いるが、 英 で は、 マ ニ エ リスム は、

マ一 口ウに始 まると して、 シェイ クス ピア、 それ に形而 上 派 詩 人 達 が論 じられ る. 形 而上 詩人 を ここに挙 げ るその妥 当性 につ いて は、 ここで は間 うまい。 シェイ クス ピアにつ いて は、 い くつかの作品か らの引用が姐上 にのせ られ るが、 粉 本 や登 場 人 物 を考 慮 に入 れ た個 別的 な作品論 とい う形式 まで には至 っていない。 ホ ッケに して も事情 は同 じであ る。

それに比べて、 た とえ ば、Jean‑PierreMaquerlotのShakespeareand theMaTmerist tradition(CambridgeUniversityPress,1995) は、枠組 と して、 シェイ クス ピアの一 時期 を、 マニエ リスムの時代 と して捉 えて、一連 の個別 的 な作 品 を分 析 して い る しか も 興味深 い論 じ方 であ るpMaquerlotはルネサ ンス期 のイ タ リアの画 家 た ち と、 十六 世 紀 英 国の後半 の文学 には、共通点 が あ ると述べ る ただその共 通 点 も決 して社 会 的、 政 治 的 な もので はな く、芸術的な表現 と しての、 スタイルにつ いて の もの で あ る。 マ ニ エ リス ム と は、基本的 に、 スタイルに関す る用語 なのである。 そ こで問題 に され るの は、 ス タイルの 改革者 と しての シェイクス ピアであ る改革 といえば話 は少 し大袈 裟 にな るが、 ただ、 こ の場合、十六世紀 当時のイギ リス演劇界が、文章表現 と して の正 統 的 な英 語 の ス タイル を や っと確立 していた ことが前提 とな る

Pre‑Shakespeare時代 の劇作家 たちは、豊かな演劇 の伝統 と古典 を もつ イ タ リアな どの先 進国を前 に して、遅 れて出発 した 自国の演劇 を確立 せね ば な らな い とい う意 識 が あ った。

キ ッ ドや大学才人 などが試 みた ことは、演劇 の正統 を立 ち上 げ ることであ った と言 え よ う。

これ にはシェイ クス ピアと同年 の生 れなが ら、 マ一 口ウ も含 まれ る。 シ ェイ クス ピア以前 の劇作家 たちにとって、英国の演劇 の地位 は低 か った。 それ を た とえ ば、 ローマ時代 の悲

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マニエリ・スムのシェイクスピア 45

劇 のよ うに1=安定 した芸術 の域 にまで 高 め る必要 を、彼 らはいっ も感 じて・いた。 英 国 は、

中世以来物語 りや詩 を通 して、演劇 の材料 は豊富 であ り、 喜 劇 、 悲劇 の題材 に は・こと欠 く こと侶 なか った.,そのよ うな豊かな演劇の材料 を、.ドラマ と して舞 台 にのせ る言 語 の形 と 技法が必要 であ った。そ れには先ず スタイルの確立 が急 が れた。 修辞 的つ .オーマ・リズム こ そ、 キ、ッ 卜やマ一口ウが重 きを置いた.ものであ る キ ッ‑ドの作 品 は特 にキ ケ ロ・を模 範 に し て いる しか も彼 らは、 ドラマの形 を創 る英語 の修辞表現 に、 あ る程度成功 したので あ る

彼 らは一応演劇 の形式 と舞台用英語 の スタイルを作 り上 げた と言 えよ う。

そ してその後 に続ぐ1590年代 に、 Jiイ クス ピア、 ジ ョアソ ン、 チ ャ ップマ ン、 マ ー ス トンな■どが活躍 し始 め る 彼 ら詩人兼劇作家 たちは、 当時 す で に確立 して いた流行 の修辞 的 スタイルに満足で きず、 それに背 を向けて、新 しいな スタ イル を模索 した。 か れ らが反 樽 した 当 時 の流 行 の ス タイ ル と は、 散 文 に お け るeuphemismで あ り、 韻文 に お け る Petrarchismであ る また、演劇の分野で いえば、 キケ ロの影響 を強 く受 けた、 キ ッ ドや マ‑ ロウの演劇的修辞 の美学 である シェイ クス ピアの場 合 は、 座付 きの劇作家 で もあ っ たか ら、作品 を創 るには、芸術性 もあ り、娯楽性 もあ り、 同時 に集 客 力 もあ る演劇 で な け ればな らなか った。

シェイ クス ピアスの創造力 は、先人 たちの フォーマ リズムに満足 で きる も・ので はなか っ た. シェイ クス ピアのよ うなスタイ,ルの革 新 を狙 ?た者 に と って 、 これ ら旧式 の ス タイル fは、人間の内面 と、∴外部世界 との複雑 な関係 を表す に相応 しくな い と思 え た. これ ら 「正 統」 の作劇法 に対 して疑念 を抱 いたのであ る・. 当時の英 国 の よ う.な、一文化 の後 発 国 で はよ :(.あ ることであ るが、・流 行 りす た りが急 である彼 らと生 きた時代 は それ ほど隔 た って い ないのに、 マT‑ロウもキ ッ ドもシェイクス ピアに とって は、 す で に 「古典」 とな って いた のであ るd その点が古典的な盛期 ルネ ッサ ンスの偉大 な正統 派 の画 家 た ち に運 和感 を感 じ てこ その スタイルの支配力 に懐疑 を覚 え、 そ こか ら逃 れ よう と した イ タ リヤの マ ニ エ リス

トたちと類似関係があ ると言 え る。

こうい うフォーマ●リズムの例 と して、前記 Jean‑PierreMaquerlotの著 作 は、 マ.一 口ウ の 『フォースタス博士』 や、・『タンパ レン大王』 か ら引用文 を示 し、 マ一口 ウの文体 の修辞 的 な形式性 を指摘す る さ らに、・Jean‑PierreMaquerlot‑は、 キ ッ ドの 『スペイ ンの悲 劇』

の修辞 の特徴 につ いて も分析 を している。 ここで\・『ス.ペイ ンの悲劇』 か ら、 特 徴 的 な台詞 を引いてみ る。,第5場 で、主人公の ヒエロニモは、残虐 な殺 し方 を.された息 子 の無殊 な亡骸 を妻 と.共 に発見 した ところである.ヒエロ1ニモは次 のよ・うに欺 きなが らも復讐 を誓 う

ヒエロニモ .花 の盛 りを前 に、む ごく.ら,つ,み と られた愛 ら しく美 しいバ ラよ,正 々堂 々 の戦 いに破 れたので はな く、 だま しうちにされた立派 な息子 よ。 く.ちづ け してや ろ う

I,言葉 は もう涙 に じゃまされて しまう. .

イザ JT(ラ 私 はこの子 の両 の目を閉 じてや りま しょう この 目・だ けが私 の喜 びだ った

■の に。

ヒエ ロニモ 見 なさい、血で汚れた このハ ンカチを。 私 は これ を決 して体 か らはな.さな い、復讐 を果 たす まで は。.見 なさい、 この傷 を。 まだ新 しい血 が流 れ 出 して いる で は ないか。私 は この体 を葬 るまい、復讐 を とげ るまで は (村上淑郎訳 )

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ちなみに復讐悲劇 にふ さわ しく、 ここの描写の血生臭 い内容 もセ ネカの影響 で あ るが、

表現 の特徴に注 目 してよかろ うO ここに見 られ るスタイルのなか で一番顕著 な ことは、 様 式化 した修辞である スタイルとして対句の対称性を際立 たせた台詞の配置で ある 『スペ イ ンの悲劇』の特徴 に、 この修辞上のパ ラレリズムと、対句の対称性のあざやか さが あ る。

Pre‑Shakespeareの作家たちは、それぞれ トー ンは違 うけれども、 このような修辞的 フォー マ リズムへの愛着 を持 って いた。 同 じことは、 リリーの ドラマに も言 え ることであ り、

euphemismの修辞的な対照、母音押韻、頭韻を多用す る散文 は、 形 を整 えて、 まとま りを 付 けようとす るスタイルである。、 これは、 キ ッ ドの修辞 と同 じく、 目差す ところは一 つ と 言 ってよかろう それは様式化による安定 とい うことある。このような古典を志向するフォー マ リズムは、固定 と落ち着 きを志向す るとい う点で、秩序願望 の表現 と言 え る。 シェイ ク スピアの前 に立 ちはだか っていたのは、 このようなフォーマ リズムであった。

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ところで、何 らかの文化の 「古典」の存在がなければ、 反古典 的なマニエ リスムは成立 しない。秩序を もった、支配的で規範的な様式 に対す る反頬 が、 マニエ リスムの出発点 と 言える。 ただ、 マニエ●リスムは、古典の様式の秩序の枠組 や方 向 を、 革命 的な手法 で破壊

した り、 あるいは転覆を謀 った りす るものではない。 その反古典性 は、 完全否定 で は決 し てない。古典や正統 と同 じ流れの方向に従 いなが らも、 その形式 の枠内で、 流 れか らの逸 脱を試みるものである形式が強要す る統一感 に、画一性 の窮屈 さを感 じ取 り、 抵抗 を示 して、異を唱え、意識的に不協和音をたてて、そ こか ら新 しい作 品 を創 ろ うとす る もので ある結局 は形式 に敬意を払 う結果 となるが、 その途中で、 故意 に爽雑物 を並べて、 主流 の流れに樺を差 し、 これまでになか った新 しい表現を狙 うのである 消尽点 を複数 に して、

線 と軸 に 「歪み」や 「ね じれ」をつ くった りす る。 その背景 には、「古典」 とな った形式主 義への懐疑、不安、不満、反感、などがある。知性 と感性 の統一 が不可能 にな って しま っ たという分裂の意識がある既成の様式の枠内では収 まりきらない表現欲がある。

ここにおいて、視覚芸術 と言語芸術の平行線を考える ことが可能 にな る マニエ リスム の絵画の表現 は、 しば しば、軸 と角度をず らした り、複数 の視点 の導入 で あ った り、 主題 と関係のない場面の挿入であった り、周辺での遊 びであ った りす る 画面 の空間 にこ っ以 上の視点を入れて視線の撹乱を狙 うことは、演劇で言 うな ら、 本筋 と関係 の薄 い副筋 が多 く、整合性の希薄なェ ピソー ドが、お互 いに錯綜す ることで あ る 絵画 にお け る線 や軸 の 歪みは、演劇 におけるプロッ トが直線的に進行 しないことであ る。 それ は時間軸 の軽視 あ るいは無視 とな って、人物 たちが主題 とは直接関係ない行為 を行 うことであ る 結果 と し て、 しば しば受 け手が理解 に苦 しむ全体像の唆昧化が行われ る ときには、 つ ぎは ぎの印 象を、観 る者 に与える こういうマニエ リスムを、退廃 ととるか、 洗練 ととるか は受 け手 次第であろう。

Jean‑PierreMaquerlotによると、 シェイクス ピアは1599年か ら1604までのマニエ リス ト時代 に、五つの作品を書 いたことになるすなわち、『ジュ リアス 。シーザー』、『‑ムレッ ト』、『トロイラスとクレシダ』、『終 りよければすべてよ し』、 そ して 『尺 には尺 を』 の五作

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マニエリスムのシェイクスピア 47

品である これ らには同時期の他 の作品 とは異 なる共通 の特徴 が あ る・と彼 は言 う. これ ら は、 いわゆる 「問題劇」 と同 じことになるが、彼 によると、「問題劇」 とい うよ り・、 マニエ リズムの演劇 と見 たほうが、別の点 に光が当て られるつ まり、 これまでに考え られなかっ た局面が露 わになる.のである た とえばマニエ リス トの絵画 は、 盛期 ル ネ ッサ ンスの規範 ともい うべ き透視画法を歪 めて、複数の視点を導入す ることで、 新 しい効果 をね らった。

同 じことがたとえば 『ジュ リアス ・シーザー』 について も言 え る この作品 で観客 は、 お 互 いに相入れない複数の ヒーローに共感 させ られ るとい う複雑 な感情 を体験 す る。 これ は 絵画 の場合 と同 じく、 マニエ リス ム的な不明確で錯綜 した ものに対す る印象 と同類 で あ る

しか しここでは上 にあげた五つの作品群の中か ら、復讐悲劇 と しての 『‑ ム レッ ト』 の みを対象 に して述べてみよ う.『‑.L レッ ト

を書 くに当た って作者が古典 と して意識 した のは、明 らかに、 キ ッ ドの 『スペイ ンの悲劇

であ った。 キ ッ ドの 『スペ イ ンの悲劇』 こ そ、復讐悲劇 の典型であ り、「古典」であ った。 したが って、新 しい製作 を試 み るシェイ ク ス ピアは、 この古典の持っ フォーマ リズムか らどれだけ逸脱 す るかで、 劇作家 と しての力 量 を試 した ことになる おそ らくこれ以外 に、『原‑ム レッ ト』 の問題 もあるが 、 ここで は 考慮 しない ことにす る。Jean‑PierreMaquerlotによれば、『‑ ム レッ ト』 は伝統 的 な復讐 劇の改革 をとい う様相 を帯 びている英国では 『ゴーボダ ック』 以来、 復讐劇 には注 目す べ き作品を生んで きた。 その一つ、 マース トンの 『ア ン トニオの悲劇』 は完成度 の高 い作 品で はあるが、伝統的な復讐劇 のパ ロデ ィーの様相を呈 して い る シェイ クス ピアは ここ まで逸脱 は しない。古典 と しての規範か ら逸れ るものの、 マ ニエ リス トと して、.規範 の完 全破壊 を狙 うものではないのである それ どころか、座付 き脚本家 と して、 観客 を喜 ばす 点で も、芸術作品 として も、彼 はさらに優れた成果を目差 す ので あ る どれ ほど古典 に対 す る反捲 とは言 って も、 シェイクスピアは、先行作品の 『原 ハ ム レッ ト』 を前 に して、 復 讐劇 の伝統 まで も壊す気 はなか ったであろう。

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伝統的な復讐劇の常道 は、三層の復讐パ タンか らなる まず、 殺人 とい う犯罪 の発覚 で ある。 これが残 された遺族 にシ ョックと苦 しみを与える その次 に、 被害家族 に復讐者 と なる決意 をさせ、真実の犯人探 しとその特定 を促がす。 そ してつ いに、 犯罪 の首謀者 に対 して復讐が遂行 され るが、.最後 には、犯人 も復讐者 も同時 に倒 れ るので あ る 言 うまで も な く、『ハム レッ ト』 も、復讐劇の この伝統的な筋の流れに、おおむね添 っている

『スペイ ンの悲劇』 と 『‑ ム レッ ト』 の違 いは、前者 にお いて は後 に復讐 を引 き起 こす 残酷 な殺人が観客の目の前で行われ るが、後者 において は、 主人 公 の父 ‑ ム レッ ト王 の殺 害 は、劇が始 まる前 にすでに行われていることである。 この ことが 『ハ ム レッ ト

に特有 なある雰囲気 を与 える。主人公 は父の亡霊か ら凶行の犯人 を教 え られ、 さ らに復讐 を命 じ

られ る しか しハ ム レッ トは亡霊 の言葉をそのまま信 じて しま うので はな く、 悪魔 が亡霊 とな って 自分 を試 しているのではないか、 とも怖れ る。後 に父王殺害 の状況証拠 を得 て、

復讐を誓 うものの、 あだ討 ちは悪魔 の誘惑ではないか、 とい う疑 問 は完全 に払拭 され たわ けではない。 このようにハム レッ トの行為 には、その決意 の動機 が明確 に提示 され るので

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はな く、唆味な状況か ら始 まるのである。 この唆昧 さが劇全体 に影響を与えている。

のちにハム レッ トは復讐の意志を探 られないためと称 して、 狂気 を装 うが、 ど こか らど こまでが伴狂で あ り、 また どれが本物 の狂気 なのか判然 と しない ところが あ る。 これ は

『スペイ ンの悲劇』 の主人公 ヒエロニモの場合 と著 しい対照をなす。 ヒエロニモは息子殺 し の犯人を突 き止め、驚 くほど撤密、周到なあだ討ちの計画をたてて、かっ冷徹 に実行す る

被害者が加害者を亡 き者 にす る方法論の、異常 な撤密 さと洗練度 がキ ッ ドの復讐悲劇 の眼 目なのである。『スペイ ンの悲劇』ではすべて行動の因果律がはっきりしてい る。 特 に両者 の悲劇 は前半 は主人公が犯人探 しという行動をとる点で類似 して い る. しか し後半 にな る と、大 きな違 いを見せ る

『‑ム レッ ト』 は人物のある行動 と、次の行動 との間 には密接 な因果関係 が感 じられな い場合がある たとえば旅役者が訪れたとき、ハム レッ トは大 いに喜ぶ。 むか し芝居 を見 た懐か しい経験 と、彼 ら旅役者を利用 して、復讐の手 がか りを得 よ うとす る意 図 と両方 が あって嬉 しいのである しか しこの場面 に、一度退場 したポロニアスがふたたび登場 して、

昔の芝居談義 に口を挟むのは何故なのか。 ここらあた りが不可解 で あ る またた とえば、

‑ム レットが母親の寝室 に行 ったとき、 どうして国王が決 めたイギ リス行 きをすで に知 っ ていたのか.『‑ ム レッ ト』 には しば しばス ト‑ リ‑の時間軸や因果律が希薄 にな るときが ある人物の行動 と、次の行動 に密接な因果の連続性が感 じられないのであ る これ は原 作の版 によって も印象が違 うが2)、 プロッ トにおける非連続性が作者側の故意 の結果 であ る な ら、 これはち ょうど絵画の遠近法 に意識的に軸の乱 れをつ くって効果 を出す マニエ リス ム的な手法 と言える.本筋 と一見 して無関係 としか思 えない場面 があ ま り多 く挿入 され る と、観客(読者)は、 うっか りす るとこれが もともと復讐劇 で あ ることを忘 れて しま うので ある

『‑ム レッ ト』 の筋の因果律 は間接的であ り、逸脱が多いことが特徴で あろ う 主人 公以外の登場人物が多 く出て きて、主人公の周辺で多 くのサ イ ド。エ ピソー ドを形成 して い く大 きな流れ としては、劇の本流 は確実 にゆっくりと大団 円 に向か って い くのであ る が、一見 したところ、本筋か ら逸れてい く副筋が多す ぎて、 観客 は方 向を見失 いが ちであ るマニエ リスムの絵画でいうな ら、 ブロンジーノの図4に類似 して い る. あち こちに意 味不明な寓話的な部分があ って理解 に苦 しむのである あ るいはまた、 図5の ボ ン トルモ の表現法 にも共通性が感 じられ る複数の視点が導入 されて、 観 る者 は視線 の焦点 を どこ におけばいいか戸惑 う

本筋か ら外れて しまう逸脱 は、『‑ム レッ ト』 の作者が特定の登場人物 に こだわ るプ ライ ベ‑ トな場面で しば しば見 られることであるが、 これを本筋 へ戻 す効果 を もつ のが、 ほぼ 等間隔におかれた集団 シー ンであろう しか もその場 で はハ ム レッ トと国王 クローデ ィア スがかな らず舞台上 にいなければな らない。 この集団 シー ンは、 拡散 しかねない観客 の注 意を、本来のテーマに引 き戻すのである。集団 シー ンは三 つ あ って、 いず れ もここでハ ム レッ トは、宮廷全体の動向 と対決 していると言える まず第‑ は、 一幕2場 であ る. ここ で彼 は、叔父、母、息子 とい う複雑な三角関係 に投 げ込 まれて いることが解 る しか も彼 が叔父を王 に戴 いたデ ンマークの新 しいシステムに馴染めない事が解 る. 次 は、 三幕2場 の‑ム レッ トが クローデ ィアス王に策略を しかける、「ねずみ取 り」の劇中劇 の場 であ る

しか しこれは復讐の第一歩 とい うより、真犯人を突 きとめ るための確認 の場面 であ る。 探 索 と証拠確認 は復讐悲劇 には付 きものであるが、『ハム レッ ト』ではたとえば 『スペイ ンの

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マニエリスムのシェイクスピア 49

悲劇』 とは異 な って、直接的 に証拠 が手 に入 るので はな く、 あ くまで も状 況 証拠 に しかす ぎな い。

第三 の集団 シー ン は、 もちろん最後 の大詰 めの五幕2場 の決闘 と、 それ に続 く復讐 (ハ ム レッ トだけが復讐者で はない)の場である この三っの集団 シー ンは、儀式 的 な色 調 を帯 びている。 これ と対照的な ものが、 プ ライベー ト・シー ンで あ る。 これ は宮殿 の閉 ざ され た狭 い空間で行 われ るさまざまな個人的な会話か ら成 る。三つの集団 シー ンは、 プ ライベー ト・シー ンのために拡散 した り、消滅 した りした主筋 の テーマを、 再 び観 客 の意識 に喚起 す る機能 を持 っている。 いずれ も国王 と王妃、宮廷人 た ちが そ ろ って登場 して い る場 で あ り、 その中で‑ ム レッ トの立場が鮮明 にきわ立っ よ うに仕向 け られている プ ライベー ト・

シー ンはやや もす ると、人物個人 の情緒 が 自由に開放 されていたので、筋がば らば らになっ て、観客か ら見て、統一感 あるいは整合感が薄れていたのである。

今度 は逆 の ことを考 えてみ る人物 の個人的な感情 を描 き、 どの よ うに本筋 か ら変 化 を つ けて観客 の注 目を逸 らしているかであ る シェイクス ピアの そ うい う作 劇 の技 巧 の例 を 見 てみ よ う。 この手法 で 『‑ ム レッ ト』 がマニエ リス ト的 な作劇法 で あ るだ けで な く、 主 人公 までマニエ リス トと して人物造型 していることが解 る それ はハ ム レッ トの伴 狂 とい う脇筋である 復讐劇 には狂気や伴狂 はつ きものであ る 一幕 5場 で‑ ム レッ トは亡霊 の 話 を聞 くと、信頼 で さる者 たちに、 口止 めを して、 ときお り 「奇妙 な真 似」を装 うことを 宣言す る。二幕 に入 ると、 その演技が最初 に明か され るの は、 オ フェ リアの 口を通 してで ある王子狂乱 の次第 を語 る、心乱 れた娘 の話 を聞 いて、 父親 の ポ ロ二・ア ス も王子 の狂気 を信 じる しか も、失恋 ゆえの錯乱 だ と.二幕2場 にな ると、 クローデ ィアスとガー トル‑

ドは、 ハ ム レッ トの奇行 を話題 に して、 わざわざ王子 の昔 の友人二 人 を呼 び寄 せ て、 王子 の錯乱 の原因を探 らせ る王 は狩疑心 か ら、王妃 は息子 に対 す る愛情 か らで あ る。 す で に ハ ム レッ トの狂気 の噂が宮廷内 に広が っているが、観 客 は まだ一 度 も舞 台 の上 に‑ ム レッ

トの精神錯乱 の姿 を見ていない。

次 に登場す るハ ム レッ トは、王 と王妃が隠れて見てい る と ころを、 ポ ロニ ア スが恋 ゆえ の狂乱 だ と証明す る対話 を して見せ るところであ る しか しポ ロニ ア スに対 して は、 ‑ ム レッ トは失恋か らの精神異常者 で はな くて、宮廷道化 師 のふ りで相手 を小 ばか に して あ し らうのみである そ してその次 に現 れた二人の旧友、 つ ま りク ローデ ィア スの スパ イに対 しては、 しば らくす ると狂気 とい う偽装 をすてて、 さりげな く探 りを入 れ る そ して二人 の旧友 の来訪が真 の友情か らで はない、ことを感知す る ロ「ゼ ンクランツとギルデ ンスター

ンはハ ム レッ トと面会 した結果 と、‑ ム レッ トの狂気 の原因を突 きとめ ることが不可能だっ た こと を国王 に報告す る. L

ローゼ ンクランツ ご自身が気 が変 にな ったよ うに思 うとお っしゃって いますが、

どんな原因か らか どうして もお話 な さいません0

ギルデ ンスター ン それを さ ぐられ るのがお嫌やのよ うにお見 うけいた しま した。

そ して御本心 をお打明 けなさいます よ うに仕向 けます と、

狂気 を装 うて、 そ らしてお しまいに成 ります。 (三幕1場 )

‑ ム レッ トは今 の立場 の弱 さか ら1 自己を明白にあ らわす ことは出来 な い。 こち らの本

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が明 らかにな ると、復讐 どころか、身 に危険が及ぶ ことは明 らかで あ る 半 ば不安 か ら彼 は唆味な自分 に しておかねばな らない。 自己表現 と して は、 彼 は、 相手 に焦点 を絞 らせ な いマニエ リス トと同 じ手法 を取 っている。彼 のオフイ リアに対 す る態度 に も、 ど こか らど こまが伴狂 なのであろうか。 あ さらかなことは、彼 は狂 人 に扮 す る ことで、 普 通 で あれば 人前で口に出来 ないよ うな ことをはっきりと言 え る自由 を獲 得 す る ことで あ る。 その後 ‑ ム レッ トの言動 を見ていると、 た とえば私室 の場で母親.を難 詰 しなが ら、 母親 には見 えな い父の亡霊 を見 る、 とい った風 に、 ここで も真の狂気 か偽 りの狂気 なのかが区別 が しに く いほどであ る

同 じ復讐劇 の 『タイ タス ・ア ン ドロニカス』 で は、本 当 の狂気 と伴狂 は は っき り区別 さ れていた。 それが 『ハ ム レッ ト』 ではその境界が謎 とな る。 もと もと最 初 は、 明 らか に本 心 を他人 に見抜かれまいと しての戦術であ った。 ただ後 にな って い くほ どに、 狂気 を装 っ ていたその理論的な根拠が奪 われてい くのである‑ ム レッ トはイギ リスか ら帰 国す る と、

もう偽 りの狂気 はそれ ほど必要 と しない。 オフィー リアの墓穴 のなかで レアテ ィーズと取 っ 組み合 う場面 で は、 クロ‑デ ィアスや ガ‑ トルー ドに は‑ ム レッ トの錯乱 の発作 と見 え た であろう しか し、観客 にはむ しろ真剣その ものであ ると映 る 旅役者 た ちに 「ゴ ンサ ー ゴ殺 し」 を国王 の前で演 じさせた とき、国王 は王子 の しか けた民 につ いて何 も知 らな い こ とを、観客 は知 っていた。 しか し最後 の幕では、 この関係 は逆転 す る 二人 の若者 の剣 の 試合では、国王が しかけた民 を‑ ム レッ トが知 らない ことを、 観客 は知 って い る。 今度 は 実状を知 らないわが主人公が受身 とな って、窮地 に立 た されているのであ る

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作者 はこの劇 で数多 くの偶発的 エ ピソー ドを挿入 して、 ス トー リーが直線 的 に復讐 の成 功 という目的地 の方向に進む ことを妨 げるのである。『スペイ ンの悲劇』で は作者 が観客 に 提供す る視点 は一つであ った。最後の大団円に至 る筋道 が は っき り して いて、 出 口 は一 つ しかないのである それに比べ ると、『‑ ム レッ ト』 は したたか に多 くの視点 を導 入 して、

くね くね と進行す る まわ りくどい蛇行型のプロッ トも、 マニ エ リスムの絵 画 と共通 す る ところがある。図6のエル ・グ レコの描 く、 くね らせた人体 を思 い出せ ば よいで あ ろ う。

読者 あるいは観客 は、脇筋 の多 さでプロッ トの統一感、 方 向感 を鈍 らせ るので あ る 爽雑 物が多す ぎて視界が悪 く、時 には解読不可能 と思 え る場 面 や台詞 もあ る 細部 に こだわ っ た挿話が、大筋 のプロッ トを見失わせ る。我 われの視界 が ぼや けて くるので あ る キ ッ ド の復讐劇のよ うに、不要 な ものを消 し去 って、消尽点 を辿 って正 しい方 向へ観 客 の視線 を 導 くことを しない。 シェイクス ピアにおいては消尽点 が複数 あ って、 そ こが多様 な作品解 釈が生れて くる所以である復讐劇 の復讐 とい う主筋 に対 して、 シェイ クス ピアは反樽 し て、異 を唱えているよ うに見え る ただ、 それ は復讐 の主筋 とい う秩序 の枠組 を破壊 して しまうのではない。主筋の流れに身を任せなが ら、同時 に流 れか ら逸脱 を試 みて い る。 プ ロッ トもマニエ リスム的な ら,主人公 もマニエ リス トである

しか し 『‑ ム レッ ト』 では、 マニエ リス トは他 に もいる この作 品 の脇筋 に、 父親 が息 子の動向を探 るために、 スパ イを放っ、 とい うテーマが あ る 疑 い深 い親 は子 供 で さえ信

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マニエリスムのシェイクスピア 51

用 して いないのであ る。 クローデ ィアスは二人 のスパ イをつ か ってハ ム レッ トの真 意 を探 る。 同様 にポロニアスは、 フランスへ向か った息子 レアテ ィ・‑ ズの行状 を密 か に知 ろ うと す る。 そのポロニアスが スパ イ役 に言 う台詞 に、息子 につ いて真実 を知 る.た め に、 嘘 の噂 を流 してみ ることを勧 め るところがあ る

いいかね。

お まえの うその餌が真物 の鯉 を釣 り挙 げ る。

こうして、わた したち知恵者 は、

遠回 しと間接 の方法で、

直接 の徴候 を嘆 ぎ出す ものだよ (ⅠⅠ,Ⅰ,62‑6)

ここに も明 らか にマニエ リズムの画家 たちの戦略 と同 じものが あ る 彼 らマ ニ エ リス・ト のなか には、画布 の上 を、恐 らく 「遠回 しと間接 の方法」 で真 実 に迫 ろ うと しキ者 も数 多

くいたはずである。彼 らマニエ リスムの画家 たちの中に は、 意 味 が錯 綜 して我 わ れが 首 を か しげるを得 ない作品 もあ る一幅 の絵 を前 に して理解不能 に陥 った我 われ は、 仕 方 な く 窓意的な解釈 を下す。正確 な意味を とることが出来 ない我われ は、 ハ ム レ.ッ トの丁 狂気」

の原因を失恋 と断 じたポ ロニアスい似て いるのか もしれない。

マニエ リズムは、鳥轍図で語 るよ りも、細部 で語 ろ うとす る そ こで起 こる ことは流 れ の中断であ り、非連続 であ る五幕 1場 の墓掘 りと‑ ム レッ トの会話 は、 人 生 につ いて の 深遠 な哲学 に触 れて はいるものの、新 しい墓 はオフィー リアの ものであ ってみれば、 サブ ・ プロッ トであ った ものが この場 で は悲劇 の中心 にな って い る. 復讐 は確 か に話 題 の中JLILに な っているが、・今度 は父 を殺 された レアテ ィーズに、 ハ ム レッ トは復 讐者 の役 割 を引 き渡 して いる。観客 の興味 は中心 テーマか ら距離 をお くことを余儀 な くされ、 それ は次 々にテー マの周辺部 に移 るのである。

伝統的な復讐劇で は、復讐 の方法論 に作者 は力 を軽 いだ。 ヒエ ロ,チモの よ うに、 精 轍 を きわめた手法 で相手 を倒す と.ころに、劇 の眼 目があ った。 当時復讐劇 が人 気 を呼 ん だ理 由 は、流血 の惨劇 といったどぎっ さもあ ったであろ う しか し復讐 の方 法 に も観 客 は興 味 を 持 ったのである そ して事 が成就 したあ かつ きには、 ヒエ ロニモやバ ラバ ス は、 心 で快哉 を叫ぶのである ところが、『ハ ム レッ ト

』.

は、 このよ うな古典的な伝統か ら逸 脱 す る こ の王子 は結果的 に父親 の仇 を討 った ことになさるが、 それ は長 いあ いだ殺意 を研 ぎ澄 ま して 考 え抜 いた手法 によるもの で はない。「偶然」 や 「事 の成 り行 きで」最後に敵を殺す、といっ た風 である。 ここに もこの作品が復讐劇 の正統 に反旗 を翻 していることが解 る。

焦点がぼやけた り、進行が逸 れ ることで蛇行 した・りす る ことが マ ニ エ リス ム.の特 徴 だ と すれば、ハ ム レッ ト自身 も復讐 甲決意 と蹄曙が交互 に現 れ た りす ると・ころが マ ÷ エ リス ト 的であ ると言 え る.・この主人公 は復讐 に関す るか ぎり、 玲 じれ た身体 で ジグザ グの軌 跡 杏 残 し.て歩 く。〜さ らに作者 は復讐 とい う主題 さえ も、複雑 に錯 綜 させ考 。 イギ リス行 き.を命 じられたハ ム レッ トは、 クローデ ィアスの悪殊 な計略‑を巧み に逃 れて デ ンマ ー ク.に戻 って くる。.そ して危 うく琴 されそう に.な った次第 をホ レーEシオに語 りなが ら、 自分 の感情 を披 渥す る。

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あ奴 を一一一父の王 を殺 し、母 を寝取 り、

僕 の即位 と、即位の望み との間 に突然割 って入 り、

好悪 な手段 で僕の命 まで釣 ろ うと して、

釣針 を投 げてよこしたあ奴 を‑‑

この腕で片づ けるのは、僕 の義務 だ とは思わないかい ? それ は全 く良心的ではないかい ? (五幕2場 )

ここまで喋 って、では‑ ム レッ トは蹟曙す ることな く復讐 に走 れ るか とい うと、 そ うで は ない。彼 の復讐 の意図 はいっの間 にか立 ち消えにな って しま うので あ る 彼 は剣 の ご前試 合 を しなければな らない。観客 の目か ら見れば、 この とき彼 は受身 にな ってい る 彼 には, 復讐 に しろ何 に しろ、積極的 にこち らか らの意志で行動 に出 る ことは出来 な いので あ る

『‑ ム レッ ト』 の半 ば過 ぎまでは主人公が復讐 のプロッ トを引 っ張 ってい くが、 ここ五幕 に なると、父 を殺 され妹を死 に追 いや られた レアテ ィーズの復讐 が、 前面 に出 て くる 剣 の 試合 によ り、‑ム レッ トの行動 はい ったんお預 けを くらって、 彼 の復讐 の テーマ は しば ら

く棚上 げにされ るのである。 さ らに、終局でハ ム レッ トを含 め た主要人物 がすべ て殺 され たあと、最終的 にはフォーテ ィンブラスがデ ンマークの国 を引 き継 ぐ。 かつ て‑ ム レッ ト の父親 に殺 されたノルウェー王の屈辱を、息子の フォーテ ィ ンブ ラス は忘 れ なか ったo そ

して今、 フォーテ ィンプラスは自 ら何 もせず してデ ンマ‑ クの王 族 に復讐 を果 た した こと になる

ふたたび狂人 に話 を戻す。狂人の才能 は何であろ うか。 彼 は常識 的 な世界 を超 え た もの を見 る。狂人 は、「何 ら共通点 のない別 々の事物 に、密かな類縁関係 を見 出す ことが で きる ので、特 にメタファ、言葉遊 び、逆説 を駆使す る才能 に恵 まれている」 (3)のである。ハムレッ トは狂人であろ うとなかろ うと、 その奔放 な言語表現 はい っそ う冴 えを見 せ る言 語 の才 能を駆使 して多彩 な人物 にな り得て、彼 はいろいろに解釈可能 な、 い っそ う謎 の人物 にな る そ こに複眼的な唆昧 さを狙 う作者 の、洗練 された人物造型 の手 法 で あ る ここに は明 らかにシェイクス ピアの知的な処理がある

以上のよ うな ことをふ まえ ると、『‑ ム レッ ト』 は捉えがたい性格 の主人公 を生 み 出 した 結果、復讐悲劇 らしか らぬ一つの顕著 な様相 に気づか され るので あ る それ はマニ エ リス ムの絵画 にある独特 な傾向、つ まり、知的な洗練度が まさ って情念 の発露 が 自然 さを失 う ことである ‑ ム レッ トは狂気 を偽装す ることで、復讐 に近 づ くと思 われ たが, 実 はそ う で はな くて、 ス トリーは逆 に復讐 テーマとい う中心か ら離 れて い くので あ る。 この主 人公 は、人 の心 を激 しく揺 さぶ って、直裁 な深 い感動 を観客 に与 え る ことが不可能 で あ るよ う に造型 されている ヒエロニモと違 って形而上的な内容 を思 索 す る人 間 が、 直接行動 を支 え る情念 の代わ りに、狂気 とい う演技 をかぶせ られ ると、 話 の中心 部 が空 ろにな って、 劇 の雰囲気が白けて しまうのである。 マニエ リス ト的なプロッ トは、力強 く劇 の芯 を引 っ張 っ てい くことが出来 な くなる知的 ソフイスチケーションのため に感情 の ポテ ンシ ャルが低

くなて しまう これがマニエ リスム劇が支払わなければ な らな い代価 なので あ る 劇全体 が、 たとえば、 プロンジーノの図4の絵 のよ うに、謎 を含 みなが らど こか 白々 しいので あ

る。

(15)

マニエ リスムのシェイクスピア 53

一 方 で同時 に、 これ とは一 見逆 の様 相 が起 きる こと も考 慮 に入 れ た い. この劇 の 「復 讐 」 の テ ーマ は、復讐 劇 の伝統 的 な テーマ とは違 った扱 いを受 け て い る 復 讐 が ま と もに正 面 か ら取 り合 って も らえず、 いわ ば斜 めか ら間接 的 に扱 われ て い る。 『ハ ム レ ッ ト』 は復 讐 の 劇 で はな くて、 復讐 につ いて の (人 の姿 勢 の) 劇 なので あ る 劇 の テ ー マ の 中 心 部 は い わ ば空虚 の ままに置 か れ て、 そ の周 縁 で人 の行 動 と振 舞 いが 眺 め られ て い るの で あ る そ の 空 洞 化 した うつ ろな部 分 は、 何 か で埋 め合 せ を しな けれ ば な らな い。 ハ ム レ ッ トは復 讐 と い う行 動 を起 こ して そ の劇 の中心 部 に迫 りた いが、 それ は 出 来 な い。 彼 の動 作 は、 圧 縮 さ れ た空 間 の中 で抑 えつ け られ て、 中心 部 に復 讐 の主 題 を持 ち込 む こ とが 出来 な い で い る。

せ まい空 間 で身 を よ じりなが らエ ネル ギ ーを抑 圧 され て い る主 人 公 の、 空 し く耐 え る姿 が 見 え る それ は我 々が 図3の ミケ ラ ンジェ ロの彫 像 に見 る とお りで あ る これ は 自由 を得

よ うと もが き苦 しん で い る囚 われ の奴隷 を表 わ した作 品 だ とされ て い る

1.若桑みどり著 『マニエ リスム芸術論』筑摩書房1996、18 2.Fl やQ2よりも当然なが ら、 Qlの方が話の筋の時間に忠実

3.Jean‑PierreMaquerlot;ShakespeareandtheManneristtradition(CambridgeUniver‑ SityPress,1995)p.100

使用 したテクス ト、

①〃αmJeと(TheOxfordShakespeare)ed.byG.R.Hibbard,1987

②本多顕彰訳 『ハム レット』角川書店 平成11

文中に使用 した図版 は、図 1. 3. 6が若桑みどり氏の著作 (前掲書)か ら、 図2. 3. 4がJean‑

PierreMaquerlot氏の著作(前掲書)か ら採 ったものである。

参考文献

ダスタフ・ルネ ・ホッケ著 種村季弘訳 『文学におけるマニエ リスム ,Ⅱ』現代思潮社 1973 ダスタフ・ルネ ・ホッケ著 種村季弘、矢川澄子訳 『迷宮 としての世界』 美術出版社 1974 ワイ リー ・サイファー著 川村錠一郎訳 『ルネッサ ンス様式における四段階』河出書房新社 1976 ヴァルター ・フリーとレンダー著 斎藤稔訳 『マニエ リスム・とバ ロックの成立』岩崎美術社 1975 アーノル ド・ハウザー著 『マニエ リスム』上 ・中 ・下 岩崎美術杜 1970

世界美術大全集第15 (マニエ リスム)小学館 1996

アンドレ・シャステル著 小島久和訳 『ルネサ ンスの危機』平凡社 1999 高階秀爾著 『バ ロックの光 と闇』小学館 2001

玉泉八州男編 『ェ リザベス朝演劇の誕生』水声杜 1997 JacquesBousquet;MANNERISM,Braziller,1964

参照

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