3 「物質の運動」に関する自然学の学的構想
これまで考究されてきた自然の形而上学は,何かある特定の経験的客体 とは関係なしに,それゆえ感性界でのこのもの又はあのものの自然に関し ては不特定的であり,それゆえかかる不特定なもの一般を認識するための 純粋な諸原理と,ゆえにいかなる対象にも適用されて認識をもたらすため に,純粋な概"念"である他ないカテゴリー(例えば数学が前提とする図形の 概念は純粋であるが,しかしア・プリオリな直観―概念に従って結合され た諸表象―を三角形や円などとして含んでいるのと対照的に)に従事する 学であるところから,カントはこれを自然の一 " 般 " 的 " 形而上学と位置付け る(14)。これに対し,本稿で取り上げる著書が従事しているのは,それに ついて経験的概念(ここでは物質とその運動の概念)が与えられていると ころの,このもの又はあのもののある特別な自然であり,そしてこのよう な概念を基礎に据え,理性がかかる特定の対象について,ア・プリオリに 能力のある認識の範囲を探求する学なのであるが,カントはこれを自然の 特"定"的"形而上学とする(15)。 カントが自然の特定的形而上学を確立しようとするこの著書において, その検討対象を「物質の運動」に関するものに限定しているが,それには 確たる理由がある。前述した純粋理性批判のカテゴリー論から導かれる帰 結として,現象の内には時間の永続性に対応する不変な実体(物質)と, 個別的な時間に対応する実体の状態である変化する偶有性との関係が認識 されうるはずであり,そして当然ながらこのことは,ここで問題の物質(実 体)の運動(偶有性)にも当てはまるであろう。しかし運動という偶有性 (14) この点の詳細については,坂本「序論(1)」(前掲注4参照)36頁以下参照。 (15) Kant, Metaphysishe Anfangsgründe der Naturwissenschaft, 1786,(以下ではそれゆえこの欠如が静止の概念をなすという場合には,Aa の一様な運動 においてもまた,あらゆる点において,例えば B において,証明されな ければならないであろうが,このことは先の主張と矛盾するであろう』(34)。 一様な運動は,ア・プリオリな方向と速度で構成しうるが,運動の欠如 は空間においてその現象としての有り様をもたない(従って構成できな い)のだから,仮定されているその上で一様な運動がなされている線分の いかなる点においても,その意味での静止を考え得ないのに,B 点での AB の運動の静止にこれを任意に利用して,かかる帰還運動を仮定することは 不合理なのである。『しかし,ある前提とされている先の一様の運動の場 合において,BA の運動は先に AB の運動が止んで,BA の運動がまだ存在 していなかったことによる以外には生じえない,それゆえ B における一 切の運動の欠如,通常的説明に従い静止が前提とされなければならないで あろう。だがしかし,静止が前提とされることは許されないであろう。な ぜなら,ある所与の速度の場合には,いかなる物体もそれの一様な運動の ある点において,静止していると考えられてはならないからである』(35)。 しかし次のような経験的な帰還運動の場合に,説示3がいう空間との関 係で正しい静止の構成を使用するならば,完全な認識に達しうる。『人は これに対し,線分 AB を点 A の上に直立せしめられているものとして表象 し,そのようにしてある物体が A から B に向けて登っていて,それが重 力によって B 点においてその運動をなくした後に,B から A に向けて同