平 城 宮 発 掘 調 査 報 告 IV 官 衡 地 域 の 調 査 2
この報告 は
,奈
良市佐紀町 にある特別史跡「 平城 宮跡」 の うち,字
寺前 の南 東部 で実施 した 昭和36年 夏 の第7次
調 査・ 昭和37年 春 の第8次
調 査 。昭和38年 春 の第■次調査 の成果を一括 収 録 した もので あ る。調査 を実施 した地域 は,た
が い に隣接 し,道
路 で か こまれた東西 130m・南 北
80mの
一 区画 をな してお り,さ
きに『 平城宮発掘調査報告I』(奈良国立文化財研究所学報第 15冊)で
報 告 した地域 の東 に続 くところであ る。研究所 の遺跡標示方法 によ ると,6ABO区
の東 半 お よび 6ABB―
DoE地
区 と6ABN―M地
区 にあた る。平 城 官 の調査事業 につ いて は,すで に公 刊 した報告書 で,昭和35年 頃 までの概略は述べ たが,
それ以後現 在 での経緯 について
,こ
こで簡単 にふれて お こう。昭和36年夏 第
7次
調査 を開始 した前 後,あ
る民 間会社が特別史跡指定地域 の西 に隣接す る平 城 宮 跡 内未指定地域 の南半部 の開発 を計画 し,農
地 の売買が取沙汰 され るよ うになつた。 この 地域 が平城 宮跡 内にはい ることは,地
形 な どか らみ て,十
分推定 され,ま
た学界 の常識 で もあ る。 昭和36年 9月15日,平
城 宮跡 調査委員会 は,
この問題 を と りあげ,全
員一 致 で未指定 地 域 を合 む平城 宮跡全域 の保存 を要望 した。開発 を計画 した民間会社 は,平
城官跡 内の この地 域 の 開発 が他 の普通 の農地 のよ うに簡単 でない ことを知 り,土
地 売買仮契約 まで進行 した計画 の具 体 化 を一 時 み あわせ,そ
の 旨を地元土地所有者 に通達 した。地 元民 は
,こ
れ まで特別史跡指定地域 内の土地利用 を制限 されてお り,史
跡指定 の解除 を希 望 して いた。 このよ うな状況 にあつたか ら,未
指 定地 域 に まで この種 の制限がお よぶ ことに憤 激 し,10月23日,地
元 代表 が奈良県 当局 と研究所 に対 して,
自由な開発 を要望す る陳情 をお こ な い,発
掘調査 にたいす る協力 の態度 を捨 てて,事
態 が好転 す るまで作業 の就労を拒否 した。第
7次
調査 は,埋
め もど しの段 階で中断 した。 その後 さ らに,地
元 代表 は文化財保護委員会 に 陳情 し,現
地 を訪れた衆議院文教委員 に要望書 を提 出 した。 その主 旨は,未
指定地域 の開発制 限 の撤廃,指
定地域 内の調査 の能率化 と調査終了部分 の指定解除,調
査 が長期化す る場合 は公 的機 関によつて土地 を買収す ることな どであつた。この間 に
,未
指定地域 の売 買 は 自由で あ り,開
発工 事 中に発見 した遺構・ 遺物 はその都度届 け出 る こととい う文 化財保護委員会 の了解 もあつて,12月 に民間会社 は工事着手届 を文化財保 護委員 会 に提 出 した。 この状勢 の変化 によつ て,地
元 民 の調査 にたいす る態度 も緩和 し,
第7I
日調査地域
自跡の保存
全域固有化
昭和37年 以降の調査
平城宮発掘調査報告
Ⅳ
次調査地域 の埋 め もど しは
,土
地所有農民 のために も必要 で あ るとの見地 か ら,就
労 拒否 の間 題 が解決 し,昭
和36年 末 に調 査 は再 開 された。昭和37年2月
,文
化財 保 護 委員会 は,民
間会社 の工事 着手 届 にたい して,必
要 な指 示 を与 え て着手 を認可 した。 この ことが新 聞紙上 に伝 え られ ると,平
城 宮跡 を守 れ の声 が一奔 にわ きお こつ た。衆議院丈教委員会 は,こ
の問題 を とりあげ, 3月19日,学
識経 験者 と して平 城 宮跡調 査 委員会 の原 田・ 坂本 。藤 島 の3委
員,地
元代表 と して奈良県知事 の4人
の参考人か ら意見 を 聴 いた。 この間,平
城 官跡 調 査委員会・ 飛鳥平城京保存会 。日本建築 学会 。日本考 古学協 会・歴 史学研究会・ 文化財保護対策協議会・ 関西文化財保存協議会 な ど多 くの学会・ 団体 か ら
,国
会 と文化財保 護委員会 にた い して請願 と陳情 が続 出 した。開発 を計画 した民 間会社 も
,問
題 の重 要性 を認 め
,工
事着手 を延 期 した。そ の後
,衆
参両 院文教 委 員会 や丈部・大蔵両 省 関係者 の現 地祝察,学
術 会議 の国有 化 の申入 れ な どの努力がな され,文
化財保護 委員会 は,昭
和38年 度 予算 に平城 宮跡 の国費 によ る買収 の 要求 を組 み こみ,多
大 の努 力 のすえ, 3個
年計 画 で買収 が実 施 され る ことになつ た。平 城 宮跡 保 存 の問題 は新 しい段 階に入 つたので あ る。国費買収方針 の決定 によ り
,買
収事務 を所管す るために,昭
和38年 4月か ら奈良県 教育委員 会 内に,平
城 宮跡 整備事務 所 が新設 された。6月15日に開かれた平城 宮跡調査委員会 は
,こ
れ まで の発 掘調査15個 年計画 にかわ る30個 年 計 画 の立案 と,そ
れ に伴 な う調査員 の充実・ 調査方針 の検討 を所長 に勧告 した。文 化財保護 委員会 と研究 所 は
,調
査計画 の再検討 と調査組織 の拡充 に着手 し,昭
和 38年4月 に平城宮跡発掘調査部 が仮発足 し,平
城 宮跡全域 を12個 年 で調査 す る計 画 が実施 され る ことに なつ た。最 桝 の昭和38年 度 は,こ
れ まで の第1次 5個年計 画 に よ る通 称一条 通 り北側 の地域 の 調査 のほか に,宮
域周辺 の調査 を合 む ことにな り,発 掘予定面積 も2,779α と飛躍的に増大 した。昭和39年 度 には
,研
究所 の組織規定 が改 め られ,平
城 宮跡発掘 調査 部 が確 立 し,調
査 員 と して技官19名 の増員 がお こなわれた。 また
,平
城 宮跡調査委員 会 にかわ つ て平 城 宮跡指導 委員会 が新設 された。平城 宮 の発 掘調査 も新 しい段 階にはいつたのであ る。な お
,調
査 は,昭
和37年 末 か ら翌38年 2月 中旬 まで,賃
上 げを要求 す る作業員 のス トライキ に よつ て一 時 中断 したが,昭
和37年 以降通称一条通 り北 側 の6ABO・ 6ABB区 ,
さ らに東 の6AAO。 6AAB区
とほば順調 に進行 した。 この地域 で実施 した第10。 11・ 13・ 20次 調査 で は,第
2次
内裏外郭北辺 の遺構 を確認 し,豊
富 な 内容 を もつ総数3000点 に近 い木 簡 を検 出 して,多
大 の成果 を あげ ることがで きた。第
2次
内裏 で も,第
12次 調査 を実施 し,内
裏正殿 の前殿 と掘 立 柱 回廊東面廊 を発掘 した。昭和38年 度後半 の第14・ 15次 調査 と39年 度前 半 の第18次 調 査で は,宮域西南 隅 と西面南 門 を発掘 し
,平
城 宮 の南限 と西 限を確証す る事実 を明 らかに した。第16・ 17次 調査 は朱雀門 と第1次朝堂院南 門推定地 につ いて お こなつ た。朱雀 門 は北半 を発 掘 して
,そ
の規模 と構造 を推定す ることがで きたが,南
門 は予定 地点 には検 出されな かつ た。遺物 として特筆すべ きは
,和
銅頃 の「 過所」札 の完形品を発見 し得 た ことで あ る。昭和39年 度 にお こなつた主 な調査 は
,通
称一条通 りの南 側 で第2次
内裏 の東 につ らな る地域 においてお こなつた第19・ 21・ 22(北)次と宮東面 中門推定地 でお こなつ た第22(南)次で あ る。前者 では
,第 2次
内裏外 郭東面築地 を検 出 し,そ
の東 に官行遺構 を発見 した。 また,昭
和3年
2I序
調査 の玉 石 積溝 の南延長部分を発掘 し
,宮
創設 か ら終 末 にいた る層位 的 に堆積 した遺物 を検 出 した。第22(北 )次
調査 で は,宮
東面北 門 と東一坊大路 を予定 して調査 したが,北
門 につ いて は確証 を得 ず,大
路 予定 地 には,井
戸・ 泉屋 そ の他 の遺構が あつて,旧
道路 とす るのは困難 に なつ た。 なお,こ
の地域 で多数 の酒関係 の木簡 を一括発見 した。第22(南 )次
調査 で は,東
一 坊 大路 予定 地 内に玉 石敷 溝 と掘立柱建4/2・ 井戸 な どを検 出 し,緑
釉 陶や二 彩釉 陶な どの遺物 を 発見 し,特
殊 な遺 跡 とみ られた。今 回報 告 す る第 7・ 8。 ■ 次 の調 査 関係者 は次 の とお りで あ る。
*
調査員調査責任者
奈良国立文化財研究所長
調 査 員 歴 史研究室 III本 亀 治 郎 田
中
稔 岡 田 茂 弘 河 原 純 之 田 代 克 己 森
蘊 杉 山 信 三 工 藤 圭 章 牛
川
喜 幸
この報告 は, I・ Ⅱ坪井清足
,Ⅲ
沢村仁,Ⅳ
l田中稔,Ⅳ 2河
原純之,Ⅳ
3・72田
中琢,Ⅳ
4岡
田茂弘,71工
藤圭章,73狩
野久が分担執筆 し,そ
れをもとに して調査員全員の討議 をへて,粧
本 亀治郎が とりまとめた。なお
,
この報告 の遺構 。遺物の標示方法は,『平城宮発掘調査報告I』 (奈良国立文化財研究所 学報第15冊)付
章を参照 されたい。/1ヽ
林
岡!
坪 井 清 足 田
中
琢 狩
野
久 寺
田
崇
憲
浅
野
清 鈴 木 嘉 吉 沢
村
仁 建造 物研究室
工
第7,3・■次調査については,「昭和86年度第7
次平城宮跡発掘調査概要」「平城宮跡第3次発掘調査 終了報告」「第11次平城宮跡発掘調査終了報告」およ び「平城宮跡第6,7次発掘調査概要」(奈良国立文
化財研究所年報1962)「平城宮跡第9,10次発掘調査 概要」(奈良国立文化財研究所年報196の で,概略を すでに報告 したことがある。