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(1)

次の口頭弁論日程は

12

7

(月)

 

午後2時

=大阪地裁大法廷

(202号)

傍聴者希望の方は抽選のために、1 時 30 分までに裁判所にお越し下さい。 原告団・支える会 http://www.osaka-kusyu.org/blog/   弁   護   団 http://o-bengosi.hp.infoseek.co.jp/osaka-kusyu/ インターネットでも随時 情報を提供しています。

(     )

第 5 号 2009 年 11 月 15 日 大阪・梅田 京橋 天王寺 心斎橋 本 町  なんば こども文化センター 中央図書館 3号出口 7号出口 西区役所 地下鉄鶴見緑地線・西長堀駅 地下鉄鶴見緑地線・西長堀駅 地 下 鉄 千 日 前 線 ・ 西 地 下 鉄 千 日 前 線 ・ 西 西区民センター 地下鉄「鶴見緑地線」 西長堀駅下車→3号出口 地下鉄「千日前線」 西長堀駅下車→3号出口       →7号出口 日 時 12 月 5 日(土)   開場:午後 1 時        開会:午後 1 時 30 分 会 場 大阪市立西区民センターホール 参加費 500 円 内 容 <対談>空襲体験と平和への思い  女     優 新屋 英子さん  「上方芸能」発行人 木津川 計さん  <大阪空襲訴訟原告の決意表明>  <DVD「東京・ゲルニカ・重慶」上映>  <歌の発表>など 連絡先 大阪中央法律事務所(担当 荒木、濱田) 電話 06—6942—7860  新聞うずみ火編集部(担当 矢野) 電話 06—6375—5561  大阪空襲訴訟は12月、提訴から1年を 迎えます。空襲被災者・遺族を切り捨てて きた国の戦後処理に「NO」を突きつけた 訴訟は、徐々に共感を広げ、注目を集めて います。その一層の支援拡大を目指して 12月5日、豪華ゲストを迎えて「訴訟1 周年記念のつどい」を開きます。皆さまの 参加をお待ちしています。

12月5日に「訴訟 1 周年記念のつどい」

新屋 英子さん

ひ と り 芝 居「 身 世 打 鈴 」 「チョゴリの被爆者」のほ かテレビ、映画でも活躍し ている大阪在住の実力派女 優。1945年6月7日の 大阪大空襲で自宅が全焼。

木津川 計さん

「上方芸能」編集長、立命 館大学教授を経て、現在は 「上方芸能」発行人。著書 に「上方の笑い」など多数。 戦争末期、疎開先の高知で 空襲を体験。 *会場付近の駐車場は すくないので、地下鉄 でご来場下さい。 *当日、手話通訳と点 字資料を用意しますの で、聴覚障害、視覚障 害 の 方 も お 越 し 下 さ い。

(2)

 

戦災孤児の体験を陳述

 大阪大空襲の被災者と遺族が国に謝罪と 損害賠償を求めている「大阪空襲訴訟」の 第4回口頭弁論が10月14日の午後、大 阪地裁で開かれました。原告を代表して意 見陳述した大阪府田尻町の吉田栄は え こ子さん (75)が空襲で戦災孤児となり、戦後一 貫して続いてきた苦しみを語りました。   吉田さんは、1945年3月13日深夜 から大阪を襲った「第1次大阪大空襲」で 両親、2人の姉、6歳の弟と、同居してい た叔父家族の計9人を亡くしました。   当時、吉田さんは10歳、国民学校の4 年生で、大阪府岬町にある父方の親戚に縁 故疎開していて難を逃れました。  親戚のおじさんに連れられて大阪市浪速 区の自宅に戻ると、家も工場も全焼してい ました。手がかりを求めて戎国民学校に行 くと、運動場にたくさんの遺体が並べられ ていたそうです。  「遺体の上にはトタン板が被せてあり、 顔が隠されていました。トタン板の下の遺 体を一つひとつ確認していくと、見覚えの あるくつ下をはいている足を見つけまし た。遺体を確認すると、鮮やかなグリーン のオーバーを着ていました。姉の初子(当 時20歳)でした。その姿を見て、悲しい というより現実に何が起こったのかわから ないような状態で、その場で呆然としてい ました」  後日、吉田さんの兄がその現場に行くと、 建物が焼け落ちた場所のすぐ近くの喫茶店 の中から、父と母、弟、叔父と叔母、その 娘2人の遺体を見つけたそうです。  戦災孤児となった吉田さんは戦後、親戚 宅を転々としました。 空襲によって戦災 孤児となった苦しみを語りながら、吉田さ んはこう訴えました。  「父母や姉、弟の面影は、戦後に親戚か らもらった1枚の家族写真でしか確認する ことができず、お墓にも家族の遺骨は一つ もありません。この裁判で、国には空襲被 災者に何ら支援をしてこなかったことに対 し、きちんと謝罪をしてほしいと思います」

 

国は戦災者を切り捨てた

 続いて大前治弁護士が、戦時中、民間の 空襲被災者を援護することを定めていた 「戦時災害保護法」について説明しました。  戦後、民間人を援護する「戦時災害保護 法」が廃止される一方で、旧軍人・軍属と

学習会「

仮称

東京判決をどう考えるか」

 日時 2010 年1月 16 日(土)

       午後2時〜4時

 会場 長居障害者スポーツセンター会議室

 

(地下鉄御堂筋線「長居」駅1号出口北へ 50 m) *講師、参加費など詳細は未定ですので、後日 連絡を差し上げます。 訂正:訴訟ニュース 4 号(9 月25日付)で、東京訴訟 の判決を12月17日と記 載しましたが、12月14 日(月)に誤りでした。東 京の原告団からの情報では 17 日が確実だとのことで ニュースに掲載し印刷した 後、訂正の情報が入ってき たという経過です。

第4回口頭弁論

6人が第 2 次訴訟し23人の併合審理に

(3)

その遺族への援護制度や恩給は復活・拡充 されました。これに対して厳しい批判があ ったことを当時の書籍や新聞記事で紹介。 大前弁護士は「戦時災害保護法が定めてい た幅広い援護制度は、戦後の生活保護法な どに引き継がれることなく消滅した。国は 戦災者の窮状を知りながら、その願いを切 り捨てたのです」と主張しました。  このあと、西晃弁護士が同じ民間の戦災 者でも原爆被爆者に援護があることに触 れ、「放射線被害は特別だからといって空 襲被災者を締め出すのは差別である」と訴 えました。  また、請求棄却を求める答弁書を提出し て以来、新たな主張をしない国に対し、西 弁護士は「原告たちは不平や不満を述べて いるのではない。残りの人生をかけた訴え に対し、認否も主張もしないのは失礼な訴 訟態度ではないか」と涙ぐみながら訴え、 傍聴席から拍手が起こりました。  昨年12月に集団提訴した原告団(18 人でしたが、1 人が辞退して17人)は、 9月に2次提訴した6人を合わせて23人 になり、今後、併合審理されます。  裁判長「国側代理人、何か言いたい事 はありませんか?」  国側代理人「ありません…。」(聞き取 れないくらい小さな声)  あれだけの熱い論証が行なわれ、原告 の方々も高齢でしんどい体を押して法廷 に立ち、弁護士さんは膨大な資料を集め どうすれば国側にも裁判長の心にも響く かを毎回しっかり考えてきている。それ なのに何一つ言わず、黙っていれば裁判 長が国側に有利な判決を下してくれるだ ろうという安易で人を馬鹿にした国側の 態度には本当に腹が立ちます。  あれは戦争やったんやから仕方が無 い?そんな受忍論で戦争の犠牲になった 人達の人生が片付けられてしまっていい んでしょうか?  戦争は国の責任で最後まで面倒見るの が今の日本国憲法の趣旨からしても当た り前の事でしょう!!  誰もが平等に尊重されこの社会に生き る権利を持っています。それも私達より 前に生きた人々や仲間が築いてきてくれ たものです。  この空襲被害を国に問う裁判は、21 世紀を迎えたこの社会の中でこの人権と 民主主義が花開くはずの世界で私達に残 された宿題だと思います。  僕にとっての空襲訴訟の裁判傍聴はさ もすれば簡単に酸化して錆びかける心の 潤滑油であると共に、自分達の未来を守 る基礎が作られる瞬間をこの目で確かめ る事だと思います。  どうか、一日も早く原告の方達が一人 も欠ける事なく勝利できる日が来る事を 願います。 *今回の原告吉田栄子さんの意見陳述や大前弁護士のスライドなどを含め、これまでの4 回の口頭弁論の資料は次のホームページからダウンロードできますので、ご利用下さい。 他にも多くの資料が掲載されています。

    http://o-bengosi.hp.infoseek.co.jp/osaka-kusyu/

裁判の傍聴は心の潤滑油

岸上剛士(32歳 堺市北区)

(4)

 全国の空襲被災者でつくる「全国戦災傷 害者連絡会」(全傷連、杉山千佐子会長) の第36回全国大会が9月27日、名古屋 市で開かれました。来賓として赤松広隆農 水相ら与党国会議員4人(いずれも民主) と河村たかし名古屋市長らが出席(=写 真)。「何十年の運動が結実するよう内閣と 国会、政府が三位一体で頑張る」(赤松氏) と述べるなど、新政権下で援護実現を進め る決意を示しました。  大会には約40人が参加。元衆院議員の 河村市長はあいさつで「国会議員の時、法 案を出せなんだ。申し訳ない」と陳謝した 上で、「戦争で苦しんだ人に最大の誠意を 示すのは当たり前」として名古屋市が独自 に見舞金制度を創設すると明言しました。 具体的には、すでに見舞金を支給している 浜松市(一人年額2万5千円)の水準を目 指すとしました。実現すれば政令市初とな ります。また、近藤昭一衆院議員(総務委 員長)は、援護法案の提出時期はまだ見通 せないとしながらも、「過去を反省し、償 うことが必要」として、国による空襲被災 者への援護の早期実現を約束しました。  全傷連は今のところ、大阪、東京の空襲訴 訟と距離を置いていますが、長年の運動が 引き出した名古屋市などの取り組みは今 後、空襲訴訟がめざす「国の謝罪と補償」 を一歩前進させる可能性があります。  「かっこよく締めるつもりが、目がウル ウルしてしまって…」。10月14日の第 4回口頭弁論の報告集会で、西晃弁護士が こんな言葉で法廷をふり返ると、原告・支 援者約100人から笑いが起きました。  集会では、9月に2次提訴した原告が決 意表明。3歳の時、堺大空襲で母と姉2人 を奪われた奴井利一郎さんは「裁判を通じ て若者にも戦争で何が起きたか知ってほし い」と語り(=写真)、宮崎県の都城空襲 で左足切断に追い込まれた萩原敏雄さんは 「命の限り頑張る」と力を込めました。  12月14日に東京地裁で判決を迎える 東京大空襲訴訟の千葉利江事務局次長も応 援に駆けつけ「どんな判決が出ても、援護 立法の実現に向けて闘いを続けることで意 思統一しています」と報告。2次提訴の経 過を説明した高木吉朗弁護士は「訴訟の原 告団は今や宮崎県や兵庫県での空襲被災者 にも広がっ た。今後も 傍聴席を満 杯にして下 さい」と呼 びかけまし た。

「命の限り頑張る」2次提訴の原告も力強い決意

     今後も傍聴席を満杯に 

戦災傷害者全国大会に閣僚、与党議員らが出席

援護早期実現を約束、名古屋市は見舞金支給へ

(5)

瀬章代、77歳です。 主人、隆春は17歳 で母を空襲で亡くしま した。1945年6月 1日のことでした。 当時、主人は、安治 川べりにある大阪市此 花区の関西電力春日出 発電所に勤めていました。主人は、その日、 いつものように、出勤しました。その日、空 襲がありました。安治川を挟んで向こう側に ある、主人ら家族の家に、次々に焼夷弾が落 とされました。辺りの家々は燃えて、そのう ち天まで真っ赤に染まりました。人やら、リ アカー、自転車が空襲で発生する竜巻に巻き 上がられ、それから、人やリアカーは、ペチ ャーンと地面に叩きつけられました。 主人は、こうした様子を見ながら仕事をし ていました。主人が見ていた中に、主人の母 もいました。

義母は五体ばらばらに

主人の母は、焼夷弾で焼かれ、竜巻で巻き 上げられ、五体バラバラになって、地面に叩 きつけられました。母が着ていた防空服のき れっぱしを主人の姉らが探して、母のバラバ ラになった遺体を集めて、リアカーに乗せて、 茨木の山の中に運んで、荼毘に付しました。 これが主人の母の話です。しかし、この話、 主人から聞いたのではありません。盆や暮れ などに集まる主人のおばさんやおじさん、兄 弟から聞いた話をつなげて、わかったことな のです。 結婚して、主人に「おかあさんは、どう したの?」と聞いたことがあります。主人は、 目に涙を浮かべ、何もしゃべりませんでした。 私は、男の子、女の子を育ててわかりまし たが、母を大事にする気持ちは、男の子の方 が女の子よりも深いのです。

今も笑わない主人…

主人は、母があんな死に方をして、かわい そうというより、本当にショックだと、思い ます。それで、主人はあまりしゃべりません し、笑いません。今も笑いません。主人が母 のことをしゃべりだしたのは、最近です。私 が子や孫に書き残したいから話をして欲しい といって、ポツリポツリと話し始めました。 もし、仮に私が主人の母のように死んだ ら、きっと、息子は、どんなに悲しむか、悲 しむどころではなく、一生苦しむと思います。 それが主人の気持ちだと思います。 自分の見ている前で親が焼かれたら、どん なにショックか,政治家や国のえらいさんに 言いたいです。 81 歳の主人は2年前から肺気腫のため寝 たきりになりました。動けない、あまりしゃ べらない主人に代わって主人の母の無念を晴 らしたい、戦争の悲惨さを私が訴えたい。孫 を戦争に取られたくない、それが主人と私の 思いです。 (聞き手 文箭)

主人と義母の無念を晴らしたい

 原告 瀬 章代

(77 歳 大阪市福島区在住)

(6)

支援者の皆さんの

励ましの言葉

 吉田栄子さんから冊子をいただいて 読みました。皆様のご苦労をはじめて 知りました。戦後生まれの私ですが、 戦争は絶対嫌と言う思いは皆様と一緒 です。頑張ってください。 (泉南市 久世徇子様)  吉田さんの陳述は空襲のために大変な 苦労をされたこと、頑張って生きてこら れたと感心しました。  私も大阪の第 1 回大空襲で田中さんと 同じく一切合切焼かれて、貧乏のどん底 を経験しました。ただ、当時は軍国少女 でしたので、敗戦後はいかに生きるか? と生きる目的を見つけなければ‥‥とい うことが大命題でした。家族がだれもけ がもしなかったので原告にはなりません でした。 (大阪市東淀川区 樽美政恵様)  未だ戦争は終わっていない事実を原 告の方々から教えられ、改めて「戦争 をしない国」への運動を強めなければ との思いを強くします。 (伊丹市 岩野政樹様)   大 阪 空 襲 訴 訟 を 支 え る 会 に 入 会 し ま す。 私 は「 靖 国 合 祀 イ ヤ で す 訴 訟」をやっていますが、大阪空襲訴訟 も 過 去 の 賠 償 だ け で は な く、 今 後 の 戦 争 防 止 の た め 重 要 な 裁 判 だ と 思 っ て い ま す。 共 に 闘 っ て ゆ き ま し ょ う。 (寝屋川市 高橋 靖様)

本 の 紹 介

多面的、複眼的視点から空襲をとらえる好書

 この本は岩波書店が刊行する「オキナワ」、 「ヒロシマ・ナガサキ」などの平和問題を扱っ たシリーズの最 新刊DVDブッ クです。動画や 膨大な写真資料 を収めているた め値段も張りま すが、それだけ の値打ちもある 本です。  題名からもう かがえるように、 編集の視点を日 本の空襲被害という側面に限定せず、無差別爆 撃や戦略爆撃の問題や日本が行った重慶爆撃、 ドイツとイタリアのゲルニカ爆撃などにも触 れています。特に、動画の「ピースマンの旅  東京・ゲルニカ・重慶 猫のポーポキが案内す る空襲の歴史」という15分の作品は小学高学 年の子どもたちにも理解できるように作られ、 平和の催しなどで多くの皆さんに見ていただ きたい作品です。このDVDブックを支える会 でも取り扱っていますのでご注文下さい。 (4620 円のところ 4000 円+送料 160 円で。 郵便振替「00900 − 3 − 170557 大阪空襲 訴訟を支える会」でお申し込みを。なお、12 月5日のつどいでも販売します) 岩波 DVD ブック「東京・ゲルニカ・重慶―空襲から平和を考える」

(7)

2009 年 9 月 21 日〜 11 月 16 日の主要な取り組みを掲載しました < =原告団  =弁護団  =支える会> 9 月26日 訴訟ニュース第4号発送作業(12 名) 29日 弁護団会議 10月1日 3者合同会議(16 名) 3 日 応援歌2回目のレコーディング(谷川、杉村、新野)    4日 イラク・アフガンチャリティ−コンサート(安野、谷川)  6日 弁護団会議 9日 みのお9条の会(渡辺、安野) 10 日 応援歌CDプレス(谷川、新野) 12日 堺母親大会(奴井、安野) 14日 第4回 口頭弁論(傍聴者を含め 120 名)  報告集会(傍聴者を含め 100 名) 東京訴訟原告との懇談(8 名) 17日 堺市民ミュージカル「炎の街から」実行委員会(谷川、新野) 22日 街頭宣伝地下鉄九条駅(24 名) 訴訟1周年記念事業実行委員会(10 名) 24日 1 周年記念のつどい案内発送作業(9名) 30日 原告団懇親会(14 名) 11 月 1 日 堺西区 憲法 9 条の会(安野、浅井、 杉村、新野) 3 日 東淀川 平和人権のつどい(小林、 安野) 大阪労連 20 周年まつり(15 名) 8 日 平野 9 条の会(藤原、小林、安野) 9日 弁護団会議 10日 年金者組合代表者会議 14日 訴訟ニュース第5号発送作業 大教組教研・平和活動分科会(矢野、米澤、新野)

大阪空襲訴訟・関係団体の主な活動記録

=弁 護 団 =支える会 =原 告 団 大阪労連まつりのブースで来場者と 原告(11 月 3 日扇町公園にて)

¥500

「いま生きている日々を—大阪空襲訴訟勝利の日まで」 作詩/佐伯洋 作曲/豊田光雄 合唱/ピースコール 「勇気なびかせ」 作詩・作曲・歌/すぎむらこうき フルート/しんのたかこ 「天上の花」 作詞/佐土原夏江 作曲/豊田光雄   歌/柏原信江  ピアノ/浦 晴子 

(8)

原 告 団  安野輝子=電話& FAX.072—271—5364  〒 593—8325 堺市西区鳳南町 5—517—69  メール genkoku@osaka-kusyu.org  弁 護 団  高木吉朗=電話 06—6942—7860 FAX.06—6942—7865  〒 540—0033 大阪市中央区石町 1—1—7 永田ビル4階   大阪中央法律事務所内  メール bengo@osaka-kusyu.org 支える会 谷川 眞=電話 090—3357—4635  FAX.072—253—3340  〒 591—8021 堺市北区新金岡町 4—2—10—506  メール sasaeru@osaksa-kusyu.org      2008 年 10 月 1 日〜 2009 年 9 月 30 日 収入の部  金  額 支出の部 金  額 会費収入 931,000 通信・発送費   *2 178,345 募金収入 1,124,697 事務文具費 75,484 販売収入 *1 497,060 会議費 108,400 雑収入 0 広報費      *3 248,466 旅費交通費    *4 87,050 印刷費      *5 338,600 加入者負担手数料 *6 39,870 販売品仕入    *7 362,975 雑費 90,889 <支出小計> 1,530,079 繰り越金 1,022,678 収入 合 計 2,552,757 支 出 合 計 2,552,757 *1 =ブックレットの販売 *2 =郵便および宅配便  *3 =訴訟ニュース印刷代、郵送代 4 回分  *4 =東京大空襲訴訟口頭弁論と訴訟 2 周年記念   集会への参加など  *5 =ニュース以外の印刷代、横断幕、のぼり *6 =郵便振込の加入者負担 *7 =ブックレットの仕入  なお、ブックレットは 9 月 30 日で売掛分 20 冊、 在庫 16 冊となっています。  昨年 9 月からスタートした支え る会は、財政上の活動は 10 月から 始まりました。従って決算は昨年 10 月から今年の 9 月末で 1 年間の 決算とします。  右記の決算内容にあるように、多 くの皆さんのご支援で、支える会の 会員は 300 名を超え、募金も件数 で約 330 件に達し、この 1 年間の 活動を続けることができました。あ らためて厚くお礼申し上げます。   繰越金は 100 万円近くになりま すが、今後とも活動を活発にして、 有意義にこれらの浄財を活用させて いただきます。  なお、12 月に訴訟 1 周年記念の つどい関連の支出がこの 10 月から の会計年度で多くなることが予測さ れますが、引き続き皆さんのご支援 をお願いします。      (会計担当・浅井千代子)

  大阪空襲訴訟を支える会決算報告

支える会 2 年目の会費納入のお願い◆昨年 9 月に準備会、11 月に支える会として正式に 発足して 1 年になろうとしています。今後の私たちの活動をより活発に、強固にしていくた めに、2 年目の会費を納入していただきますようお願いします。(昨年 9 月〜 12 月に入会し ていただいた方で、まだ更新されていない皆さんに案内と振込用紙を同封しました) 新規入会の方をご紹介ください◆支える会には現在 300 名を超える方が入会していただ いています。運動をよりいっそう広げるために会員の拡大は大切です。支える会の会員になっ ていただける方をご紹介ください。このニュースを見本でお送りします。

参照

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