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講義評価の効用と限界 利用統計を見る

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(1)

講義評価の効用と限界

著者名(日)

太田 勇

雑誌名

井上円了センター年報

1

ページ

214-191

発行年

1992-03-20

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00002600/

(2)

講義評価の効用と限界

太田勇

ota isamu 学生による講義評価の必要性 1)実行を伴う教育論議の不在  近年、新聞・雑誌での大学批判が目だつようになった。大学再編成を ねらう国の政策に呼応する形で、保守派とみなされるジャーナリズムで の批判がさかんである(注1)。もう一つは、海外へ留学しそこで働く(働い た経験がある)日本人からの批判である(注2)。いずれも、日本の大学がい かに教育・研究に不熱心であるか、大学教師にはいかに労働倫理が欠如 しているかを指摘している。そこでは直接、間接に、日本ほど大学教師 が安閑と暮らせる国は珍しいことが語られている。大学内部からの改革 が遅々として進まない現実を考えれば、批判が外部から起こったのは当 然で、むしろ遅すぎたくらいである。もちろん当事者の反省がないわけ ではなく、例えば日本私立大学連盟は大学の自己点検について厳しい提 言をしている(注3)。しかし提言自体に目新しい内容はない。私が知りたい のは、この報告書を編集した教師たちが実際にどれだけの実践的な行動 をしたかである。  日本の大学は組織レベルでも個人レベルでも、本当に自己改革を行お うとしているのか疑わしい。従来、大学教師が行ってきた「学術的」な 大学教育論の特徴は、まず歴史的展望とくにヨーロッパの大学史から説 き起こすか、欧米を中心とした諸外国の大学教育紹介から始めるところ にあり、それも制度に焦点を当てる傾向が強い(注め。日本の現状を憂える 改革論議は、大学理念の再構築、教育課程の再編成、大学間交流などの

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原則を述べるのが普通で、それを妨げる教師側の個人的、構造的な欠陥 を正すための効果的な接近をしていない(注5)。初等・中等教育には実践的 な研究報告が少なくないが、高等教育においては歴史考証と解説が主体 となり、自らの教育活動を通じて望ましい姿を模索する姿勢がない。少 なくとも教師の教育姿勢を矯正させる実行案を提示していない(注6)。  一般に教育学者の教育論は、大学教師が教育の素人である現実を直視 し、その欠陥を正す実行可能な方法を論じない。何よりも問題なのは、 教育の効率を考える発想が乏しく、教育効果測定への関心が低いことで ある。いままでは効率を否定する立場で教育を論じていたといっても過 言ではない。それは到達目標がない教育を行ってきたためである。大学 入学の目的が多様化した今日、単線的な効率主義に疑義が出るのは当然 であるが、教育効果の測定を放棄している現状は正しくない。教員の世 界では、つねに他者の評価を拒否する傾向が強く、他方で自からを管理・ 評価する自浄機能を開発しなかった。教師相互の批判はタブーであり、 教育を受ける学生の立場より、教師の身分保証が大切にされてきた。最 近は学校を教育サービスの提供機関と捉える考えが広がってきたが、い ぜんとしてその発想をする教師は少数派である。  教育活動で教師の資質と教育への努力が不問に付され、教育の結果測 定・評価が学生に対してのみ行われるのは不十分であり、大学教育の活 性化をはかる上で建設的といえない。我々は学生に講義評価の機会を与 え、そこで得られた資料を教育再点検の情報源とすべきである。日本の 終身雇用社会では、講義評価の結果が教師の身分を左右する可能性は低 いが、それにもかかわらず教師が評価の導入に消極的なのは、大学がど れだけ教育に不熱心であるかを物語る。教育学者が率先して学生の手に よる講義評価を試行し、その長短を実証的に論じないのは残念である。 自分自身の教育活動を点検しない教育論が、既得権にしがみつく教師集 団を現状維持のままにしている。

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2)教師の保守性  ところが、アメリカに普及しているフィードバック・システム、ある いはファカルティ・ディベロップメントはしばしば紹介され、それを知 らない大学教師は少ない。しかし、あらゆる管理体制を悪とみなす教師 が多い日本の大学では、教師の勤務状況を点検することに拒絶反応が強 く、文部省が大学教育の大綱化を打ち出し、それとともに自己評価を強 く要請するまで、圧倒的多数の教師は講義評価=学生からのフィード バックを考えもしなかった。ごく少数が個人的に学生の評価を受け入れ ていたが、その波及効果は微々たるものに過ぎない。  講義評価に対して教師側が消極的な原因は二つある。第一は評価その ものへの恐怖感である。反対理由に、学習段階の学生に講義を評価する 力はない、主観的な好き嫌いで教育が判断される、教師が学生に迎合す るようになる、などがよく挙げられるが、要は自分の講義を受講者以外 に知られたくないのである。第二は評価の結果が教員の身分保証を危う くする不安である。「権力」がこの資料を利用して教員を管理し、ひいて は教育・研究の自由が侵害されるという被害者意識が根底にある。ただ しその「自由」の実態は問題にされない。終身雇用の非競争社会に安住 する教師が、自らの首を締める状況を作りたくないのは第一の点と共通 である(注7)。  この強い防御姿勢は、教育に対する熱意と自信の欠如に由来する。教 師はそれを十分に承知しているからこそ、評価に拒絶反応を示すのであ る。我々教師は、学生の無気力を自主的勉学意欲の乏しさに求めて説明 し、勉学意欲を阻喪させる講義が少なくないことには触れない。閉ざさ れたお仲間社会の大学では、他人の講義に対する助言・批判は歓迎され ず、現状を改善する自発的かつ効果的な活動は起こしにくい。一部の教 師はその実状を嘆き、非学術誌へ内部告発型の文章を寄せる(注8)が、この 種の一過性発言はもちろん無視される。話題になってもその場限りで終

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わり、実効性がない点では観念的な大学論と同じである。  一般に、大学教師は教育より研究を優先するから教育がおろそかにな る、あるいは、この二つの職分を両立させることはもともと困難といわ れるが、それが事実であることを我々は本当に証明しているのであろう か。たしかに教員人事では研究業績が重視され、教育能力を高く評価し ようとしない。けれども、高水準の研究に集中するため教育に手を抜く 教師は決して多くない。むしろ、学生の知的好奇心をかき立てない教師 が、どの程度の研究業績を上げているかを疑うべきではないか。教育と 研究の両立が困難と嘆く教師が、実はどちらにも不熱心であるかも知れ ない。大学教師に要求される研究と教育とを対立的にとらえる発想その ものを再検討する必要がある(注9)。 3)講義評価の利用価値  最近、東洋大学はリクルート社の「大学別満足度調査」(注ゆで惨めな評 価を受けた。その評価は全教員へ情報として流されたが、調査サンプル への疑問を語る声が多く、いかなるサンプルであろうと最低水準の評価 しか得られなかったことについて、組織をあげて深刻に反省する動きが ない。調査回答数が少ないことと、標本の抽出方法に疑義が出るのは当 然であるが、当事者の我々が重視すべきなのは、調査対象がいかなる学 生であったにせよ、ほとんどの項目が全国最低水準に終わったことにあ るはずである。  リクルート社の調査は、偏差値に表れない大学の特色を説明する試み で、そこに用意された「教育サービス」の範時は、本来ならば各大学が 自前で真剣に調査しておくべき事項である。自前の調査であれば各大学 の実情に即したきめ細かな設問が可能であり、信頼のおけるサンプルの 抽出も行える。調査結果について疑心暗鬼にならなくて済み、外部の異 なる調査結果に堂々と反論できる。「外圧」が高まった今日、学生からの 情報取得に拒絶反応を示すのは得策ではないのである。教師はまず、学

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生が何を大学に求め、喜びあるいは失望しているかを詳しく知り、それ が身勝手、無責任な声であろうと、現実を把握する情報として参考にす る必要がある。サービス業者は、顧客のあらゆる苦情を知らなければな らない。  私は、学生の講義評価は教師自身のために行う調査であると考えてい る。通常の講義時間では黙して語らない学生の声を知る機会づくりであ る。教育の現場においては、受験競争が決める偏差値に一喜一憂するよ り、入学後の「満足度値」で大学の現状を反省するほうが建設的である。 そのためには学生からの情報収集が絶対不可欠である。ただし、学生に よる講義の採点は第一次資料であって、教師の資質に関する最終的な判 断材料と考える必要はない。入学の目的ないし動機が多様化している今 日の大学では、賛否半々の評価は正常かも知れないのである。私はこの 観点から講義評価を実施した。以下はその結果の報告である。 私的調査の方法と結果 1)初調査の状況   調査時の制約条件  私が担当するクラスでの第1回講義評価は1988年度末に実施した。学 年最後の講義時間に学生に配布した質問票は、主として教師の講義への 取り組みに対する学生の感想・意見を尋ねる内容とした。表1は1989年 度末に実施した調査の質問票である。担当科目によって内容を若干変え たが、ここに示したのが標準形式である。学生の講義に対する印象は、 様々な因子の絡み合いによって形成され、教師と学生両者の資質だけが 決め手ではない(注11)。しかし、ここに紹介する個人的調査は、学生が私の 講義をどのようにみていたかを知ることが目的で、一般化を考えていな いから、講義評価に際して考慮すべき評価基準の因子分析には注目して いない。

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  表1 講義評価の質問票形式 1989年度講義評価質問表  (科目名)    回答選択肢があるものには該当する番号に○をつけて下さい。 1.評価者の状態

123

あなたの学年 あなたの所属学部 あなたの出席状況 4 あなたの着席場所

1 1年  2 2年  3 3年

1 文  2 経  3 営  4 1 一度も欠席しなかった  2 出席した  3 半分以上は出席した り出席しなかった 1 前の方  2 まん中あたり  3 4 決まっていなかった 5 あなたのこの科目に対する勉強の程度

1234に﹂

よく勉強したつもりである まあ勉強した方である   4 4年 法  5 社 4分の3以上は 4 あま 後ろの方 特別に勉強はしなかったが、怠けてはいない あまり勉強しなかった 全く勉強しなかった II.講義に対する評価の内容 1 担当教員の音声について  1)声は聞きとれましたか 1 2)発音は明瞭でしたか 2 板書について  1)字は読みやすかったで   すか  2)書き方は講義内容に対   応して整頓されていま    したか よく聞こえた

3 よく聞こえな

 かった 1 明瞭だった 3 明瞭でなかった

1313

読みやすかった 読みにくかった 整頓されていた 雑然としていた 2 だいたい聞こえ

 た

4 特に印象はない 2 普通だった 4 特に印象はない リム49ム4 普通だった 特に印象はない 普通だった 特に印象はない

(8)

3)書いてから消すまでの  時間は適当でしたか 3 話す速度について 1 適当だった 3 速すぎた 5 特に印象はない 1 適当だった 3 速すぎた 5 特に印象はない 4 講義内容について  1)講義の方法、話し方は 1   分かりやすかったです   か       3 2)上の質問で3または4  に○をつけた人は、そ  の理由を指摘して下さ

 い

3)あなたはこの講義を聴  講して得るところがあ   りましたか

51

3

4134

非常に分かりや すかった 少し分かりにく かった 何ともいえない 内容がむっかし い 自分の学力が不 足している その他( たしかにあった 余りなかった 何ともいえない 2 普通だった 4 遅すぎた 2 普通だった 4 遅すぎた 2 だいたい分かっ

 た

4 非常に分かりに   くかった 2 説明がうまくな

 い

2 多少はあった 4 全くなかった ︶ 4)上の質問で1または2に○をつけた人は問Aに、3または4に○をつ  けた人は問Bに答えて下さい(該当するもの全てに○をつける)

12341234

A  B

新しい知識を習得した いままで気付かなかったものの見方を学んだ いままでの勉強が不十分であったことに気付いた その他( すでに知っている話が多かった 新しい考察、解釈がなかった 内容に誤りがあった その他( 5 担当者の講義への取り組みについて  1)講義を熱心にしていたと思いま 1 思う すか ない  4 らない) ︶ ︶ 2 普通  3 思わ 何ともいえない(分か

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 2)講i義の準備をよくしていたと思 1 思う  2 普通  3 思わ   いますか      ない  4 何ともいえない(分か        らない) 6 平常試験の成績について  1)成績評価は妥当であったと思い 1 思う  2 思わない    ますか      3 何ともいえない(分からない)  2)上の質問で2と答えた人は次の質問に答えて下さい   (a)採点の基準・方法について直 1 ある  2 ない    接教員に問い合わせたことが    ありますか   (b)「ない」と答えた人はその理由を書いて下さい。 7 8 この講義を他の学生に推薦します 1 多くの人に推薦する か。      2 勉強をする人には推薦する        3 あまり推薦できない        4 絶対に推薦しない        5 何ともいえない(分からない) この講義でよかった(または面白かった)と思うところがあれば指摘して 下さい。 9 この講義で悪かった(またはつまらなかった)と思うところがあれば指摘   して下さい。 10 この講義で特に改善を要するのはどこですか。理由を書いて指摘して下さ   いo  質問に際しては、学生の学習に対する積極度をチェックしておく必要 があると考え、「評価者の状態」を自己点検させる項目を設けた。私が知 る限りでは、他大学で実施の調査に見あたらない設問である。「講義に対 する評価の内容」は、来年度講義に参考すべき材料を集める目的で設問 をつくった。文学部と社会学部の3・4生を対象とした「人文地理学」

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表2 人文地理学受講者の着席場所と出席・勉学状況

出席状況

勉強の程度

教室着席場所 回答数 1 2 3 4

1 2 3

4 5 計 89 25 58 6 一 7 32 40 10 一

前 の 方

24 12 12 一 一 2 10 11 1 一 まん中あたり 35 11 24   一 2 14 16 3  

後ろの方

19 1 15 3 一

1 4 9

5   不    定 9 1 6 2 一

2 3 3

1 } 無  回 答 2 一 1 1 一 一 1 1 一 『 注)出席状況 勉強の程度

13135

一度も欠席しない 半分以上出席 よく勉強した 怠けてはいない 全く勉強せず 2 4分の3以上出席 4 あまり出席せず 2 まあ勉強した 4 あまり勉強せず の場合を例にとり、全体の傾向を紹介すると、回答総数は89、うち83人 が出席率を75%以上と答えている(表2)。予想通り毎回の着席場所と出 席、勉強の程度には一定の相関があり、いつも後ろへ座る学生に「逃げ の姿勢」が目だつ。ただし、この調査結果を読み取るためには、次の条 件を考慮しなければならない。  (a)「人文地理学」は選択の専門科目で、受講生の多くは比較的少人    数のゼミを経験しており、マスプロ教育で生まれがちな怠け癖が    ない。  (b)講義時に出欠はとらないが、通常講義時間中に年間6回の小試験    を実施し、その答案を返却しているので、12回分の出席をとった    のと同じ結果である。小試験を一度も受けない学生は年度末試験    を受けられない。前期終了時、成績不良者には警告を発し、不受    験者には受講資格停止を通達した。  (c)試験はすべて記述式であり、設問には解答条件を具体的に設定し

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   た。漠然と「何々について述べよ」式の問題を全く出さないので、    学生は適当に解答を書いてごまかすことができなかった。  (d)教科書は使用せず、必要に応じて参考書を紹介し、読むべきペー    ジを指示した。配布教材には英文資料を用いることが多かったが、    これは講義要項に明示しておいた。  (e)後期は遅刻者の入室を禁止した。  (f)教室の大きさは定員110、しかし90人が入ると満席の感じになる。    マイクロフォンを使用する規模ではないが、教師は大きな声を出    す必要がある。  かくして年度末の調査時には極端な出席不良者・成績不良者は不在、 怠け者が生き残れないクラスとなっていた。「この講義を他の学生に推薦 しますか」の問いに、84%が「勉強する人には推薦する」と答え、「推薦 しない」がゼロであったのは、上記の制約条件のおかげである。   結果の読み取り  「人文地理学」を学生は厳しい科目と噂しているようであるが、よく勉 強したと答えた学生は全体の10%にも達せず、一定以上の勉強をしたと 感じるのも半数に満たない(表2)。試験をしばしば行ったので怠けられ なかったというのが実情であった。出席も勉強もせずに単位取得が可能 な科目が少なくない現状を否定し、一定以上の学習を強制するのが私の 方針であるが、そのねらいは成功をおさめていると言い難い。厳しいと みなされる科目にしてこの程度であるから、最低要求水準を定めない日 本式教育になれた学生への対処は容易でない。最後の記述部分には「試 験で学生を縛る」、「ゆとりがない勉強」があり、現実を無視した教師の 自発的学習偏重の結果がここに反映されている。  講義技術に関しては、比較的小さな教室を使用したこともあって、大 きな不満がなく予想通りの結果が出ていた(表3)。聴講して得たものの 有無の問いにはほぼ全員がプラスの評価をしている(表4)。勉学意欲が

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表3 教師の講義技術への評価例 声の到達 板書文字 板書整頓 話す速さ

着席場所

計 1 2 1 2 1 2 4 1 2 3 5 計 89 82 7 77 12 68 20 1 46 32 9 2 前 の 方 24 24 19 5 17 7 一 9 9 5 1 まん中あたり 35 34 1 34 1 28 7 『 21 11 2 1

後ろの方

19 14 5 16 3 14 4 1 10 7 2 一 不    定 9 8 1 6 3

7 2

一 5 4 一 一

無 回 答

2 2 一 2 『 2 一 一 1 1 一 一 注)声の到達  1 よく聞こえた  2 だいたい聞こえた 板書文字  1 読みやすかった 2 普通だった 板書整頓  1 整頓されていた 2 普通だった 話す速さ  1 適当  2 普通  3 速すぎた    表中に記載しない符号は回答に該当なし     表4 聴講して得るところがあったか 4 印象なし 5 印象なし

着席場所

計 確かに 多少は 余りなし 全くなし 何ともいえぬ 計 89 48 39 1 一 1 前 の 方 ワん中あたり

繧?フ方

s    定

ウ 回 答

24 R5 P9

X2

13 Q4

T51

11 P1 P2

R1

:1:

::一

:1:

勉強の程度 計 89 48 39 1 一 よく勉強した ワあ勉強した

モけはせず

]り勉強せず

7324010

726141

一6258

:1一

二:

::

(13)

表5 聴講して得るものがあったと答えた理由        (複数回答あり) 延回答数 新しい知 ッの習得 ものの見 福フ学習 勉強の必 vを知る その他* i記述) 141 P00%  43 R0.5%  62 S4.0%  26 P8.4% 10 V.1% * 大学らしい講義だった 4  真面目に講義に出るようになった 2  いままで持っていた知識に確信が得られた 1  知識の体系化ができた 1  他の記述は上記3項目に含まれる内容 全くない学生は振るい落とされた後なので、この結果は驚くに当たらず、 日頃の勉学の程度と聴講の評価とには相関が見いだされる。得るものが あった理由に、単に新しい知識の習得より、ものの見方を学んだことを あげた者が多かった(表5)のは、教師にとってうれしい成果である。 しかし、私は講義で知識そのものより思考方法を重視してきたつもりな ので、その比率はもっと高くなくてはならないと考える。重複回答を認 めた項目であるから、延べ回答数に対する比率が40%台であるのは低率 といえないが、89人中の62人(70%)はまだ物足りない。どこまでが教 師側の責任か検討を要するところである。また、勉強したか否かの回答 は本人の意識である。日頃ほとんど勉強する習慣がなければ少しの学習 を大げさに評価するであろうし、その逆も十分にあり得る。学生の勉学 状況を見極める方法を別に考える必要があると感じた。  学生が最大の関心をもつ成績評価に対する問いは、返却した平常試験 の採点結果に関してであるが、特別に不満はなかったとみてよかろう(表 6)。納得の程度は着席場所と関係し、評価が妥当でないとした3人は前 方と中ほどの席に定着していない。記述式問題の採点には多くの学生が 疑問を抱いているので、答案返却時には望ましい解答を説明し、6回の うち3回は模範解答の例として優れた答案をコピーして配布した。妥当

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表6 試験の成績評価は妥当であったと思うか 着席場所 計 思う 普通 思わず 計 89 48  38   3 前 の 方 ワん中あたり

繧?フ方

s    定

ウ 回 答

24 R5 P9

X2

18  6   − P8  17   − V  11   1 S   4   1 P  −   1 でないとの答え3人のう ち1人だけが採点に関す る質問をしている。異議 申し立てをしなかった他 の2人は、質問するのが 恥ずかしい、無記入各1 人であった。教師に質問 をする習慣が無い学生が 多い状況を考えれば、試 験答案は必ず返却して、採点の基準を分からせる必要があるが、初めか ら積極性を欠く学生には対処のしようがない。しかし試験回数が多く情 報量が多ければ、学生の採点に対する不信感は薄らぐに違いない。受講 学生が多数の場合、頻繁に試験を実施して答案を返すのは困難であるが、 年に一度の試験で評価する方式は教育的といえない(注12)。  自由記述方式で講義への意見を述べさせたところでは、これも予想通 り全く相反する感想・見解が出現した(表7)。学生の意識、目的が多様 化していることがよく分かる。ここにみられるように意見が相半ばする ときは、私は講義が「普通」であると考えることにしている。しかし、 少数であっても傾聴に値する意見・感想もある。毎週の講義が一貫した テーマといかに結び付くか分からなかったという感想は、講義への痛烈 な批判として受け止めなくてはならない。反対に多数であっても、英語 の教材を使うことへの苦情のように、予め分かっている学習条件への愚 痴は無視したい。ただし以上の判断は私の主観によるわけで、本来は第 三者が評価結果を分析し、当事者の私と討議し、よりよい講義の開発方 法を探すことが望ましい。  私にとって初の試みであった学生の講義評価は、前記の条件下でクラ スを運営したためか、比較的好意的な内容であった。この種の評価を嫌

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表7 講義のよかった点、悪かった点の指摘例     数字は意見数 表示しないのは1 講義の意図がよく分かった 一般論でなく実例を示した(3) 色々な視点、考え方を紹介した 日常生活の中の重要な問題を知った 英文資料で勉強ができた(3) 英語での要点講義がよかった 遅刻者に厳しかった(2) めりはりの効いた講義 90分目一杯の授業 度々の試験で成績を正当に評価(3) 雑談が面白かった(2) テーマと毎回の講義の関係不明確 講義内容がおおまか過ぎた 身近な問題を取り上げなかった 英語の勉強が大変だった(7) 英語での講義には退屈した 遅刻者を締め出した(3) アクセントに乏しい講義(2) 余裕をもって聞けない講義(2) 成績が納得できなかった もっと冗談を言って欲しい う教師の「安心できる結果が予想されたから実施したのだ」という意見 には、それを可能にする条件を作りだしたのは私自身であり、そこへ至 るまでの様々な努力を無視すべきではないと応えたい。最近10年間、私 が担当する科目はいずれも受講学生が100名未満であるが、過去には最大 800人のクラスを受け持ったことがあり、そこでも小試験を繰り返して、 勉学意欲がある学生に有利な受講環境をつくってきた。この過程は俗に いう「切捨て教育」ではない。講義評価アンケートでは、教師の価値観 と学生の志向とが衝突する状況を的確に映し出す設問を作成し、その結 果の分析によって教育の改善をはかるべきである。当然そこには試行錯 誤があり、個人の枠内で工夫を行うのには限界があるので、調査結果を 公表して多くの人から意見を聞く必要がある。 2)第2回以降調査での部分変更  その後も質問項目は基本的に変えていないが、1991年度には講義内容 の変更と思考の重視を勘案して、「評価者の状態」5、「講義に対する評

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価」4−4)を少し改めた(表8)。前者は学生にとっての相対評価で、 私の講義にどの程度の力を注いだかを知る材料、後者は論理的思考への 関心度を知る資料と考えた。過去2年の調査にはなかった新項目は比較 対照の材料がなく、この原稿作成の段階では設問相互の関係を集計して 表8 1991年度調査で変更した設問 評価者の状態 5  いままでの他の受講科目(ゼミ・実習を除く)に比べ、あなたのこの科目 に対する勉強の程度

1234

もっとも勉強した科目であった やや勉強した科目であった 同じ程度の勉強をした やや少ない勉強であった 講義方法・内容について 4)  この講義を聴講してよかったと思う者はA、悪かったと思う者はBに答え て下さい(該当するもの全てに○をつける)

1234512345

A   B

新しい知識を習得した 論理的な思考・説明の方法を学んだ 人種・民族問題の新聞・テレビの報道に注意するようになった テーマに関心があった その他(記述) 新しい知識の習得に役立たなかった 論理的な思考を身につけるには適当でなかった 事例の説明が不適切であった テーマに興味がなかった その他(記述) いないため、新設項目によって入手情報の質が高まったどうかの判断は できない。何を新しい情報として得たかの確認は今後の作業をまたなけ ればならない。私は教育の最終目標を知識の伝達ではなく、学生に論理

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的思考を深めさせることに置いているから、教師の情熱と講義話題の面 白さだけで学生を惹きつけるのではなく、知的考察力を発展させる講義 であるかどうかを重視したい。そのための設問にはさらに工夫を要する であろう。 拡大調査の結果  1990年度には井上円了記念学術センターの研究プロジェクトの一つと して、この講義(授業)評価を東洋大学内で拡大して行うことになった。 質問票の形式は基本的に私の古い方式を用いた。実施に当たっては実行 の可能性を第一義に考えたので、その対象は調査趣旨を理解し協力して くれる教員の担当科目(クラス)となった。調査は年度末の授業時間に 実施した。協力教員は24名(文学部7、経済学部2、経営学部4、社会 学部1、工学部10)、40クラス分、有効回答総数2,414となった。科目は 概論式の講義から演習・実習まで幅が広く、クラスの被調査者数は最大 167、最小7となり、履修学生数に比べ回答が著しく少ないところもある。 外国語と体育実技はここに含まれていない。調査対象の属性を考えると 画一的な質問では実態把握が不十分と思われるクラスもあったが、当面 はその多様性を不問にして全体集計を行った。その抜粋例が表9である。 なお、クラス別の集計結果は担当教員へのみ配布し、個別には公表はし ない前提で協力を依頼した。ここでは全体の単純集計結果の要点を述べ る。 1)全体の傾向  この調査に協力したのはいずれも教育熱心な教師であるためか、教師 に対する学生の印象は全体として良好である(表9−1)。講義への熱意 は全般によい評価を受けている。しかし、講義の分かりやすさと熱意と の相関は高いといえず、教師の講義運営に工夫が足りないことを示唆す る。否定的な評価は教科書・参考書の利用にみられ、教師が指定ないし

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    表9−1 40クラスの調査結果(1)       回答総数2,414 表中の数字は% 符号 1:積極的肯定 2:肯定・普通 3:やや否定 4:否定    5:無判断、無回答  (数字空欄は該当選択肢なし) 計 1 2 3 4 5 板書は読みやすかったか 100 32.6 42.5 22.6 2.3 講義の方法は分かりやすかったか 100 18.5 45.9 19.5 4.9 11.2 教科書・参考書は役にたったか 100 20.5

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8.9 6.4 27.0 熱心に講義したか 100 62.3 33.0 2.7 2.0 講義の準備は十分だったか 100 55.0 33.6 4.6 6.8 講義から得るところがあったか 100 33.3 52.3 6.6 2.2 5.6 講義態度に好感がもてたか 100 39.2 51.8 4.3 4.7 推薦する書籍は、講義の理解を深めるのに十分役だっていないようであ る。  講義を受けて得たものがあるかどうかの問いには、「多少はあった」を 含めて肯定が全体の85%(2,067名)に達し、「得たところなし」を圧倒 している。その判断の理由を選択肢の複数回答集計で示したのが表9− 2である。延回答数が3,480、うち41は理由を指摘しないのでこれを除く と、1人当り平均1.7項目の理由をあげていることになる。ここでも積極 的評価の1位は新しい知識の習得となり、ものの見方を学んだより10% ほど高い。しかし他方で、「得たところなし」は新鮮味に欠けたものの見 方が最多の理由となり、ありきたりの発想や判断は好まれないことが分 かる。さらに注目すべきは、マイナス評価者に理由を説明しない者が多 いことである。「得たところなし」の回答実数は213、そのうち72名は全 く理由を明示していないのでこれを除くと、1人当り平均は1.4項目にな り「得た」のそれより少ない。もともと勉学意欲に乏しい学生が講義に 魅力を感じず、勉強がつまらない原因の分析に興味を示さない可能性が 高い。その無回答比率は実に30%、「得たところあり」の無回答1%台を

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大きく上回る。  日常の観察でも勉強したくない(できない)学生ほど後ろへ座る傾向 は顕著であるが、彼らの消極性はこの調査でも明瞭に認められる(表9一 表9−2 40クラスの調査結果(2)講義から得たものの有無 得たところありの理由 得たところなしの理由 延数  比率 延数  比率 計 3,480 100.0% 計 237 100.0% 新知識の習得 烽フの見方学習 ラ強不足を知る サの他(記述あり) ウ回答 1,391 40.0 P,077 30.9 @903  25.9 @68  2.0 @41  1.2 既知の話が多かった テいものの見方 u義内容に誤り サの他(記述あり) ウ回答 36  15.2 W0  33.7 W   3.4 S1  17.3 V2  30.4 表9−3 40クラスの調査結果(3)この講義を他の学生に推薦するか 着 席 位 置 勉 強 の 程 度 総数 前方 中程 後方 した 普通 せず 計 100.0% 100.0% 100.0% 100.0% 100.0% 100.0% 100.0% 多くの人に推薦 21.4% 30.6% 18.8 18.5 30.5 20.9 13.8 勉強する人に推薦 56.5 52.2 60.3 57.6 55.0 58.2 66.1 あまり推薦できない 4.3 3.3 4.4 5.0 3.0 2.7 8.6 絶対推薦しない 4.8 3.4 4.5 5.8 3.4 4.7 7.3 分からない・無回答 13.0 10.5 12.0 13.1 8.1 13.5 4.2 3)。受講した科目を「多くの学生に推薦する」者の比率は教壇に近い位 置を占める者に高く、反対に「絶対に推薦しない」、「分からない・無回 答」は後ろに着席する者に高くなる。我々が教育の改善をはかるとき、 先ず参考にすべき学生の意見はどこにあるか、を判断する材料が上記の データからはっきりする。大学の大衆化が進み初めから学業に熱意がな

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い者をも入学させる現状では、学習の最低要求水準を維持するために、 どの層の意見を積極的に取り入れるかを判定する必要がある。他方で、 勉学の動機をもたない学生をいかに指導するかをも考えなければならな い。後者の場合にはアンケート自体に関心がないかも知れないが、それ でも設問を工夫して回答を求める必要がある。講義評価は学生の学業へ の関心度についての基礎情報を入手するための手段でもあり、教師だけ を評価するために行うのではない。 2)評価に影響を与える要因の解釈  今回の調査は私の個人的な必要と経験をもとになされ、設問が学生数 50∼100名程度の講義形式クラスに適用できても、他には妥当であるかど うか吟味をしていない。講義の性格(教養科目、基礎科目、専門科目、 必修か選択かなど)と扱うテーマ、講義時間表での位置の違いも考慮し ていない。また、調査科目で学業不熱心な学生が他科目でも不真面目と はいえないから、学生が発する情報をいかに読むかの研究が今後の課題 となる。教師の努力に適切な評価を下す学生の存在は我々を勇気づける が、設問の形式と内容によって評価が違ってくるであろう。さらに、魅 力のある講義を普及させるためには、学生の否定的意見や、反発ないし 諦めに由来する投げやりな回答にも注意を払うことが不可欠である。私 の設問形式ではこれらの点への配慮が十分とはいえない。  上記の点を意識して適切な講義評価方法の開発を考えるとき、片岡、 喜多村らが唱える「よい大学授業とは何か」を、学生と学生文化および 教員の両面から考える発想(注13)が参考になる。そこでは、講義を評価する 側と評価される側との判断基準の食い違い、すなわち基本的教育観、教 師と学生の関係、よいとみなす講義の内容・形式の判断に隔たりがある から、先ずそれを十分に理解しておく必要があることが数量的に説かれ ている。とくに学問領域と授業の関係からの考察は示唆に富む。ただし、 残念ながらここでも教育学者が好む「客観的解説」が中心であり、より

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有効な調査項目の作成方法を提示し、それを使った結果で講義を評価し てはいないので、何をどのように調査すればより的確な情報が入手でき るかを学べない。教育者ではあるが教育学者でない教師が求める望まし い講義評価の方法は、いぜんとして個人の試行錯誤で見いだして行かね ばならないらしい。  ここで、学生による講義評価の結果を左右する諸因子を、予め因子分 析の手法で定量化することの意味を考える必要があろう。この種の数量 化表現は、教師が学生から低い評価を受けた場合の反論に役立つかもし れない。例えば講義が悪いと判断されたときに、それは教師の資質、教 育への情熱、あるいは教育技術のよし悪しによるのでなく、退屈な反復 練習を要する科目である、専門課程と無関係の科目である、クラスの規 模が大きすぎた、5時間目の講義で学生は疲れていたなどの弁解ができ るであろう。私の調査を例にとれば、いつも後ろの席に座る学生は概し て学業に不熱心なので、彼らが講義がつまらないというのは傾聴に値し ないとする見方である。  しかし、つまらない講義の存在は教育サービスが不十分なことを物語 る。少数の学生が不満をもらすのではなく、半数以上の学生が悪い講義 と判断すれば、いかなる理由があろうとも教師の責任は大きい。大学は 講義評価を低める条件そのものを除去する義務がある。大教室の講義が 避けられないのであれば、それに対応した教育方法を開発するのが教師 の務めである。教師は様々な個別状況に対応して教育を行わねばならず、 もし個人の責任ではない不都合な条件があれば、その排除に努力するの が当然である。大衆化した大学の講義評価は、一見緻密にみえる定量化 した数字で判断するより、多くの学生を惹きつける講義であるかどうか のレベルではかればよい。絶対多数がよいとみなすのはよい講義、圧倒 的多数が悪いというのは悪い講義として誤りはない。全体の大まかな傾 向を把握し、その上で少数派の意見をも検討し、さらに一層の改善策を

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考えるのが妥当である。情報の検定方法を精密に分析することが、学生 の不満解決に有効かどうか疑問である。私は数字万能の考えをもってお らず、当面は情報の蓄積が少ないがゆえに、ある程度数字を使って傾向 を調べているところである。 講義評価実施の効用と限界  今日、日本でも全教員を対象に講義評価を始めた大学が出現しつつあ るから、東洋大学の少数事例調査はそれらとの比較を行って初めて意味 をもつであろう。しかし、当事者として今回の調査は有意義であったと 考えている。なぜならば、教師が激しく拒否してきた講義評価に、予想 以上の同僚が協力してくれたからである。自浄作用が乏しい大学におい ても教育を大切に扱う教師が増えていることを知り、今後の組織的かつ 実践的な教育改革に希望が持てるようになった。しかし同時に、なお越 えなければならない高い障害があるのも事実である。  大学改革をめぐる論議は、従来主として組織の改革、カリキュラムの 改訂に焦点を当てて論じられてきた。その背景には教師の就職市場獲得 競争があり、いかに自分たちの勢力分野を確保・拡大するか、あるいは 既得権を守るかの意識が働いていた。多くの場合、慣例に従った人事と 既存の教員構成を維持し、その上で若干の組織変えを行う程度で済ませ てきた。講義評価を取り入れた大学は、例外なしに伝統の浅い新設校か 新設学部である。古い大学では教育現場で教師個人の責任を問うことが ほとんどない。教師の意識改革の難しさがよく分かる。  また、教育サービスの効果測定方法の開発は、一般論ないし原則論と して語られはするが、それを教員個々の問題として実行に移す方法とし て討議されない。様々な提案は、提案者本人の実践行動を伴わないまま に終わっていた。またせっかく講義評価を行っても、学生の満足度を教 育の理念と方法に照らし合わせて分析し、具体的な改善策をはかる方向

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で活用してはいない。教師と学生の間に緊張関係がなければ大学教育は 改善されないが、日本の大学にはそれを可能にする管理職者の決断が少 ない。今回の講義評価実験に対して一人の学生は、これが怠慢な教師を 追放する材料になるのでなければ無意味と記述している。少数による非 民主的な管理体制を怖れるあまり、その反対の極にある悪平等を是とし た大学運営の欠陥を、我々は改めて問わなければならない。講義評価は 悪平等を廃止するための情報として利用すべきであるが、この目的を明 示すれば多数の教師は評価に反対する。  日本的民主主義=悪平等の牙城である大学では、教師自身が多数で決 めることは正しく、他人が決めることは危険であるとの了解が成り立っ ている。その結果、強力なリーダーをつくりたがらない思想、責任をもっ て決断を下す人が出ない環境を存続させている。それを善とする前提に は教師の良識、労働倫理があるはずであるが、最大の疑問はその前提が 成立しているかどうかである。教員の選挙で選ばれる役職者には現状を 変えたがらない人物が多く、外圧がない限り大学が自発的に改革を考え ることは希である。外圧によって形ばかりに行われる「自己評価」では 実効が薄く、教師の資質を問い直す自浄作用は期待しにくい。講義評価 は教師の意識を変え教育を活性化させるため直ちに実行すべきである が、それを可能にするのは教師の意識の変化である。これが最大の問題 である。自分のことを自分で決める現行「教授会の自治」は、変革のエ ネルギーを創造しにくい。  それにもかかわらず、大学が教育サービス機関である以上、教師の自 己評価=講義評価は不可欠である。大学は学生が自主的に勉学する場と いう古典的錯覚を崩し、教師に現実の大学を直視させるには、自分の講 義が学生にどのように受け取られているかを明らかにするのがよい。幸 い教師には見栄がある。極端に低い評価でも平然としていられる者は少 ないであろう。もし評価に不満があれば異議を申し立てればよい。っね

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にその道を開いておくべきである。反対に高い評価を受けた教師には恩 典を与える。それによって教育への関心が高まり、かつてはほとんど行 われなかった実践的な教育論議が盛んになれば、講義の活性化は進むに 違いない。講義評価に際して第一に論議すべきは、結果の公表を前提と した実施方法の検討である。試行錯誤を繰り返しつつ教師の意識を変え る状況をつくる必要がある。意識変革を進めるための教育学者の具体的 提案、ならびに実践行動がまたれるのであるが、それが客観性を装った 解説に終っては困る。 【注】 (1)例えば、産経新聞が1991年6月から連載した“大学を問う”シリーズがあ   る。のちに取材班の一人は次のエッセイを書いている。   石川水穂:“無競争動物園の教師たち”「諸君」1992年4月号 188−197   頁 (2)例えば、桜井邦明:「大学教授』 地人書館 1991年 213頁   レイモンド・オータニ:『日本の大学はやめなさい』 ほんの木社 1990   年 279頁 (3)日本私立大学連盟編:『大学活性化への提言   教員人事制度の改善に   向けて』 同連盟 1991年10月 79頁 (4)例えば、“世界の大学制度” 「現代のエスプリ」 205号(1984年8月) ⑤ 教育学の専門コースを除くと、大学における教育論は初等・中等学校の教   職科目用にしか設置されていない。そして、どの大学でも教科教育法、教   職科目講義には人気がない。百のお説教より一つの魅力のある講義を、と   いうのが大方の学生の率直な感想であり、教育を学問として観念的に教え   られること、反対に教育実習のための心得として説かれることに学生は退   屈している。そこでは教師個人の資質と労働倫理が問われないからであ   る。 (6)例えば、大学セミナー・ハウス編『大学は変わる  大学教員懇談会15年   の軌跡」 国際書院 1989年、292頁 ⑦ この点に関する一連の調査・研究は東海大学教育研究所教育工学部門に   よって行われている。その結果の公表は例えば、安岡高志ほか:“東海大   学におけるFDアンケート調査”「一般教育学会誌」10巻(1988年)、1号、

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  69−78頁にある。 (8)例えば、太田 勇:“下手な講義は私語にも劣る”「THIS IS読売」   1990年4月号、323−331頁   森田保男:“無能な教授は大学を去れ”「知識」1990年6月号 86−94頁   いずれも保守派とみなさる雑誌に掲載されているのは皮肉である。 ⑨ 研究と教育の効率的な分業が行われない最大の理由は、日本の大学の悪平   等体制にある。欧米の大学では研究に重点をおく教員が存在し、必ずしも   全教員が同じ仕事を分け合わない。日本の場合は研究所の専従者を別にす   ると、各人の実績、意志、能力に関係なく同一の職務が課せられる。その   制度を作り維持するのは当の教員である。もし教育と研究が両立困難な仕   事であれば、なんらかの形で分業体制をとる工夫があってよい。それをし   ない原因=悪平等の原則を真剣に考え直すべきである。 ao)“在学生による大学別満足度調査”「リクルート・カレッジマネジメント」   52号(1992年1−2月)2−38頁 ここには40位未満の大学名は示されて   いないが、東洋大学は直接問い合わせて情報を得た。 (ID 片岡徳雄・喜多村和之編:『大学授業の研究』 玉川大学出版 1989年、   20−94頁 (12)必修科目の場合は別であるが、一般に受講学生が多い科目は「楽勝」科目   と呼ばれる。人数が多いために教育に手が回らないというより、教育に手   抜きをするために受講生が増えるのが実情である。学生の日常の学業状況   を把握せず、年度末に1度だけ試験またはレポート提出を課する方式が人   気を集めるのは、教師の労働倫理観が正常でない結果である。学生を怠け   させるのは教師の怠慢以外の何ものでもない。 03)前掲aD

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