日・ブータン共同研究・合同ワークショップ
「幸福度を活かした政策決定と地域創造」
(午前の部)
平成25年3月19日
○司会 皆様、大変お待たせいたしました。ただいまより日・ブータン共同研究・合同ワー クショップ「幸福度を活かした政策決定と地域創造」を開始させていただきます。 開会に当たりまして内閣府経済社会総合研究所、中藤泉総括政策研究官より開会のご挨拶を 申し上げます。 ○中藤総括政策研究官 おはようございます。本日はESRI国際フォーラム、日・ブータ ン共同研究・合同ワークショップに多数ご参加いただき、ありがとうございます。主催者を代 表して一言ご挨拶申し上げます。 内閣府経済社会総合研究所では幸福度の測定方法を確立しようとするOECD等、海外の動 きも踏まえながら幸福度の研究を行っております。幸福度をテーマとするさまざまな国際会議 の場には当研究所からも出席しておりますが、こうした場では、これまで幸福度の測定方法に つきましては一定の目途は立ってきておりますけれども、これをどのように政策に生かしてい くか、ということがしばしば耳にされるところであります。 本日のシンポジウムにはブータンからカルマ・ウラ王立ブータン研究所長をお招きしており ます。ブータンではGNH、国民幸福量を政策に生かすことを国の基本として実施していると いうことをお聞きしております。まずはカルマ・ウラ所長にブータンでの実際の経験と今後の 課題について基調講演をお願いしております。それを受けまして日本国内でGNHや幸福度、 well-beingの研究を行っておられる先生方によりますパネルディスカッションに移り、ブータ ンが直面する課題なども踏まえて幸福度を政策にどのように反映させていくか。ブータンから 何を学べるかなどの論点につきましてさまざまな視点からご議論をいただきたいと考えており ます。 また午後のセッションにおきましては日本各地で地域創造あるいは地域活性化に取り組んで おられる地方自治体の代表の方々をお招きしております。国民の生活に直結する地方自治体の 政策に幸福度をどのように活用できるのかについて議論をお願いしたいと考えております。 ところで本日基調講演をお願いしておりますカルマ・ウラ所長は長年、ブータンのGNHに 携わってこられました。王立ブータン研究所を自らの手で立ち上げられた。まさにミスターG NHとお呼びしてもよいほどの世界的な権威であります。内閣府経済社会総合研究所におきま しては、これまで研究の幅を広げるために昨年10月に王立ブータン研究所と共同研究を行うと いうことで合意しました。今日はその共同研究の一環としてカルマ・ウラ所長、サンゲ・ティ ンレイ研究員のお二方に訪日いただいたわけですが、関心を有する皆様にもご参加いただける
機会を提供しようと考えまして、本日の合同シンポジウムの開催に至った次第です。 本日は夕方5時までの長丁場になりますが、お時間の許す限りご参加いただきたく、本日の シンポジウムが「幸福度を活かした政策決定と地域創造」のあり方について考える有意義な機 会となることを祈念しております。ご清聴ありがとうございました。(拍手) ○司会 ありがとうございました。申し遅れましたが、私は本日午前中の司会を担当いたし ます内閣府経済社会総合研究所の宮下でございます。どうぞよろしくお願いいたします。(拍 手) それでは早速今日の午前中の部、ブータンセッションに入っていきたいと思います。お手元 の資料に沿って今日は議事を進めていきたいと思いますが、最初にカルマ・ウラ所長より基調 講演をいただきます。その後にサンゲ・ティンレイ研究員から報告をお願いしております。サ ンゲ・ティンレイ研究員はお手元の資料にも書いてありますが、ブータンでのGNHの現地調 査の監督役を務めた経歴の方ですので、現地で感じられた実際的なお話を中心にお願いしよう と思っております。基調講演、報告の後、短い休憩をとりまして、その後パネルディスカッシ ョンに入りたいと思います。パネリストの経歴等につきましてもお手元の資料に記載してござ いますので、必要に応じご覧いただければと思います。 それでは早速カルマ・ウラ所長よりご講演をお願いしたいと思います。演題は「GNHと政 策決定~将来への課題」でございます。それではカルマ・ウラ所長、よろしくお願い申し上げ ます。 ○カルマ・ウラ(王立ブータン研究所長) まず冒頭に当たりまして、本日お集まりいただ きました皆々様方に心より御礼申し上げます。特にすばらしい会議の設定をいただいたESR Iの方に御礼申し上げます。 皆様方全員お忙しい方であるにもかかわらず貴重なお時間を使ってこのささやかなワークシ ョップにおいでいただき、とてもうれしく思っております。ありがとうございます。 こちらに伺う前に私の娘から言われました。まだ小さい7歳の娘ですが、私は2011年、2カ 月半ぐらい名古屋大学に行っていたことがあります。娘があまり小さいので、彼女は私が日本 に別宅を持っていると思っているんですね。それで「今度お父さんはいつ日本へ行くの」とい とも簡単に聞かれてしまいます。でもまた今回、日本に伺えてうれしく思っていますし、7歳 の娘とともに日本に来たいなと思っています。というのも日本はすばらしいお国だからです。 文化的にも技術的にもすばらしいものを持っているお国なので、私は日本に伺うことが大好き
です。日本食も大好きです。ということで日本に来ることはいつもうれしいです。 本日一緒にお話をさせていただくことで、ぜひ期待しています。私自身はあまり有能なスピ ーカーではないので活発な意見交換にならないかもしれません。蓋を開けてみたらがっかりし てしまったと思われてしまうかもしれません。 こういった種類のスピーチについては笑い話があります。ある人がプレゼンを行いました。 すばらしい内容だと思っていました。しかしながら本人は後で噂を聞いてしまったのです。あ のプレゼンはひどかったわね。今まで聞いた中で一番ひどかったというヒソヒソ話がされてい たことを本人が後で聞いてしまったということがあります。 いろいろな人と話をしている中でそのような噂を聞きました。私の話はそんなにひどかった ですかとある人に聞きましたら、「大丈夫、大丈夫、気にしないほうがいいよ。彼女はいつも そういうことを言うのだから」と言うわけです。彼女は独立した意見を自分で言えないので人 から聞いたことをそのまま鵜呑みにして言っているだけだから気にしないでと言われました。 そういうふうに言われてしまうと、ちょっと複雑な気持ちになります。 さて、明日は国際幸福デーです。この日は世界中でお祝いされることになっています。それ に先駆けて今回この場に伺えてうれしく思っていますし、第1回目のお祝いを日本で迎えるこ とができてうれしく思っておりますし、御招待頂いた内閣府の方々にも御礼申し上げます。 ある意味でこの幸福というものは、とても重要なテーマであると思います。何十年にもわた って省みられることのなかったテーマでしたが、1990年以来、ますます注目を集めるようにな ってきております。いろいろ理由はあると思います。例えば、特に過去50年、60年間、特に心 理学者による研究が再興してきたということがあります。その結果の1つがこれだとも言える と思います。心理学的な研究がかなり盛んに行われるようになったことで一層注目が集まって いるのだと思います。 まず冒頭に当たりまして一人グランド・タルボンという社会学者の話から始めてみたいと思 います。この人は興味深い本を書いています。2011年に書いています。まず一般的な所見を述 べています、ご存じかと思いますけれども。世界というのは今後、コンフリクト、紛争の道を たどるのではないかということです。この紛争というのは開発に関しての考え方だというわけ です。特に経済成長とエコロジーの2つについて考えると、もうこれはどっちかが死ぬかの戦 いになると言っています。両立はできない。どっちかが必ず死に絶えてしまうと言ったのです が、この人に言わせますと経済成長がまず起こってから次の目的に向かっていくのではないか、
ヒエラルキーからいって、人間の安全保障、幸福度というのがその次に来るのではないかと言 っているわけです。もちろん人間の安全保障という考え方は日本がお考えになった構想ですが。 タルボンは興味深いことに日本のことにも言及しています。経済成長については、人間の安全 保障や幸福を越えるものかもしれないが、経済成長によって幸福も同時に達成できるかもしれ ない。日本がそれをなし遂げてくれるのかもしれないと言っています。内閣府も幸福度につい て研究を進められていますが、日本はこれはと決めたことが目標に設定されると、とても早く その目標に到達することができるお国ですので、もしかしたら大きな成果を挙げられるのでは ないか。そして今後それほど遠くない将来に日本がこの分野で良い先鞭をつけてくれるのでは ないかとも思っています。日本は意思決定をいったんなさったら、その後は実施に向けて早い わけですから。 歴史を見返してみましても、アジア全体にダイナミズムを与えたのは1905年の日本及びその 他の国でした。当時、アジアはとても大事に局面でありましたが、それ以降アジアは世界の一 大勢力になりました。 ということで私は日本における幸福度についての取り組みの将来についても楽観的に考えて おります。ぜひ今回のワークショップの議論を参考にしていただいて、日本人の幸福度につい て真剣に考えていただければと思っております。 司会者の方から、ブータンではどのように幸福度を政策として揚げるようになったのかの経 緯やその現状について、もう少し詳しく話してほしいと言われていますので、本日は国民がど ういうふうに行動的に変容してきたのかをお話し申し上げたいと思っております。 幸福ということについては2つの見方があると思います。1つは政府が政策の中にどのよう にとり入れていくのかという話です。2番目は政府がやることはさておいて、個人のレベルで 一国民としてどうやって自らの幸福度を高めることができるのかということです。この2つの 視点は若干フォーカスが違うのですが。しかし、この2つの間には継続性もあるわけです。融 合している部分もあります。 確かに主観的に見て、もしくはその他の尺度で判断して誰もが自分の幸福度を上げたいと思 っています。みんなそう思っていると思います。しかし政府の政策立案の観点から言えば、こ れが法律になり、予算配分なりということにつながっていくのですが、政府が国民の行動変容 を勘案しないで、つまり個人がどういうふうに考えているのかおかまいなく走ってしまえば、 結局この2つはうまくかみ合わないということになってしまうわけです。
個人のレベルで行う行動ですとか動機づけというのは、多分に政府が設定した環境や公的な 投資、そういった環境に左右されるからです。どんなに個人のレベルで努力して、何とか自分 の周辺の幸福度を上げようと頑張ったとしても、それを取り巻く環境をつくってくれる政府の 環境づくりがうまくいかなければ、結局大きな実は結ばないということだと思います。 本日は個人的な幸福の追求の話はいたしません。政府が何をやろうとやるまいと、それとは 関係なく個人レベルでかなりのことができるのですが、本日は政府の政策中心の話をします。 その前に若干お時間を頂戴して歴史を振り返ってみたいと思います。 幸福は、この400年ぐらいずっと忘れ去られていたテーマでした。それ以前は結構世界中で大 きな注目を呼んでいたテーマでもありました。主要な宗教を見ても、幸福の追求というのは社 会の目的である、個人の目的であると繰り返し言われていますし、歴史上多くの思想家が幸福 について触れています。これは洋の東西を問いません。 西洋ではギリシャの哲学者プラトンがその著述の中で述べています。ソクラテスなども含め、 ギリシャの哲学者たちは、人生の大きな目的は幸福であるとはっきりと述べています。東洋で も、中国には多くの思想家や哲学者がいましたが、例えば老子です。老子もまさにこのことを 言っていました。インドはどうでしょう。仏陀、お釈迦様も言っています。より深いところの 幸福を目指すのだ。これが彼の思想の中心をなすものだと自ら言っています。仏陀の唯一の違 いは、仏教においては、全ての生きとし生きるもので意識を持っているものは、そして痛み及 び喜びがわかるものが幸福の世界の中にいると言っていることです。すなわち幸福というもの は人か動物かということで分け隔てなく考えなくてはいけないと言ったわけです。つまり幸福 とは人間だけのものであって、他の動物には当てはまらないといったような考え方は断固否定 し、生きとし生きるもの、痛み、喜びを感じることのできる感覚を持った人たち及び動物は全 て幸福の対象になると述べたわけです。 中世史を振り返って考えてみましょう。デカルトのような偉大な哲学者をフランスは生み出 しております。彼はこの考え方を否定しています。つまり動物というのはオートマトンだと言 ったわけで、動物のことまで考える必要はない。動物の痛みや喜びまで考える必要はないであ ろうと言っています。他方、ピーター・シンガーのように、人間だけではなく動物も幸福の範 ちゅうに入れるべきと言う思想家もいます。もっとも、動物の幸福度を測るべきとまでは明言 していませんが、動物の痛みや喜びをどう考えるかについては、もう一度考えるべきではない
でしょうか。 イギリスの思索家のベンサムも、基本的には仏教の道に共鳴していた人です。但し、彼はこ のことを公言はしませんでした。 それでは、話を戻して、幸福は政府が追及することが正当化できる目標なのかどうかという ことから考えてみましょう。この点については批判の目を持って見ている人もいるかもしれな いですね。現によく批判されます。理想的すぎると。ブータンのやり方については理想主義に 走り過ぎるではないかということで皮肉にご覧になっている方もあります。 いろいろな怒りが背後にある。葛藤もある。政府はこれに乗じて自分に利するように使う のではないか。ある特定のことを権威主義的に国民に強いるツールに使っているのではないか と疑いの目を持っている人もいます。また、個人の自由に干渉するものではないか。踏み込む ものではないかと批判する人もいます。また、時には幸福度の測定と言いつつ、政府が操作し てやっていることではないか。そして幸福度の表現についても操作されてしまうのではないか と心配する人もいます。つまり誤解を招いてしまう調査のやり方が問題だというわけです。誘 導尋問ではないかということです。 従って指標を使うにしても政策に生かすのであれば、それなりに信憑性の高いものでなけ ればならない。信憑性の高いものでなければなりません。調査を行うに当たってどんな尺度が 適切なのでしょうか。かなり不安定極まりない指標もあるので、その中で複数の側面から幸福 度を表現するために使える良い指標が何なのかについて考えなければなりません。 また、幸福度は経済成長を否定するものでしょうか。この点も考えなければならないテー マのひとつです。政府レベルでよく問題になります。何年か前のことですが、あるシンポジウ ムに参加して討論していた時に、出席していたタイ政府の経済顧問から質問され、私がうまく 答えられなかった質問があります。それは、こういったポリシーを推進した場合に国の税収は どうなるのですか。税収が減ってしまって大変ではないですか、というものでした。税収が減 れば経済成長自体が不安定になってしまうということです。 以上申し上げた上で、本日は、それでも幸福度を測るということはそれなりに有用だとい うことを申し上げたいと思います。これからブータンの幸福度の位置づけ、どのように幸福度 の測定が行われているのか。そして政府はどのぐらいの重要度をこれに置いているのか。そし
てこれをベースにしてどういう予算配分を行っているのかをお話しします。 ブータンは仏教に大きく影響を受けている国であるので、まず国家の機能は何でありまし ょうかということを考えますと、それは幸福を促進するものだということです。これは理論的 にもブータンの国家の中にしっかりと根づいている考えです。文化的にそういう素養が最初か らあったので幸福についてのGNHを提唱することはかなりやりやすかったのです。土壌的に 我が国においては。これは主要な政府の掲げる目標の1つになったということです。ブータン の1729年の憲法の中にもはっきりと明言されております。幸福を国民に届けることができなか ったら国家は何のためにあるのだと述べられているわけです。 近代になりまして、ご存じかと思いますけれども、ブータンの第4代国王が自らGNHを提 唱いたしました。GNHを測定するということと、その背後にある思想について国王自らが導 入なさったわけです。具体的な測定方法まで国王は自らおっしゃいませんでしたけれども、基 本的な構想及びアイデアを提唱した。そしてGNHの基本的な条件は文化、環境、平等、こう いったものが鍵となるコンセプトになるとおっしゃったわけです。そして、これが幸福を構成 する基本的な条件だと国王自らがおっしゃいました。そして政府が方向転換をするのは大変な ことだったのですが、トップである第4代国王陛下が中心となられて、現状の問題点と国民の 幸福との間のバランスをとろうとなさったわけです。 どうしてもブータンでは仏教的な影響が濃いのですが、我々はある意味では意図的に宗教か ら距離を置きました。もちろん土壌は仏教ですが、その仏教をそのまま持ち込むことはしませ んでした。というのもブータンは多民族社会であり、ヒンズー教の人もいるからです。 ここで文化と申し上げる場合には、人の人生にはいろいろな領域があって、マーケットが進 入できない領域もあるということです。この人間それぞれ持っている領域を守るために、保護 するために売買の対象にはならない。いつも金銭的な価値がつくものではないと、そういう領 域があるわけです。その領域もちゃんと線引きして考えるというふうになったわけです。 また時間利用という観点も重要です。時間の使い方。人間は社会的なこと、文化的なことに 時間を使いますね。これにはお金の授受はない。しかしGNHから言えば時間の使い方もとっ ても重要なドメインになるということです。これは市場とは関係のないところの文化の話です。 値づけはできない分野も重要だということです。 それからブータンの場合には政策やGNHの中で環境も重要な位置を占めています。ブータ ンで生まれ育ちますと自然に身につくわけです。自然も豊に残されているし、野生の動物もい
るし、これが当たり前のことだからです。 さて幸福というのは政府として設定すべき目標なのかどうかについてもう一度触れます。こ の問題はいろいろ異議が起こってくる分野でもあります。異論もあります。幸福というのはヘ ドニスティックな快楽主義的な無責任極まりない楽しみの追求ではないか、快楽の追求ではな いかという考え方もあります。それほど尊厳が高いものでもないとか、倫理のない分野のこと を言っているのではないかと言う人もいます。ですから、その目標設定を行う場合とても注意 深くやらなければいけないのですね。つまり幸福の組み立て方というのは重要だということで す。単に楽しみ、快楽を求めるのではなくて、倫理も絡んでいるということを重要視して、そ のことを強調しなくてはいけない。そうではないと国民の混乱を招いてしまうということです。 政府が幸福を提唱する場合、それを集団的な目標として提唱しなければなりません。個人ベ ースの目標ではなく、集団として目指すべき目標として設定するということです。集団的な幸 福の目標と個人的な幸福は全くの別物ですので、はっきりと分けて考えないと後で混乱します。 社会計画の目標として常に集団的な目標を我々は目指してやっています。ここでの主たるポイ ントの1つは、確かに究極的には幸福とは主観的なものです。主観的な経験を伴うものですが、 幸福をどうやって生産するのか、生成するのか、これはとても公共性の高いものであり、集団 的な努力を伴うということです。 次に幸福の定義について触れたいと思います。主観的な幸福感だけを言えばいいのか。0か ら10の中から点数をつける、ということだけで良いのでしょうか。それだけのものなのでしょ うか。質問してもはっきりしない場合があります。 例えば幸福の定義として次の定義は如何でしょうか。個人の幸福感は、意識的な経験がプラ スに出ている場合、つまり、ある時点で、プラスのフィーリングのほうがマイナスのフィーリ ングよりも多かったという場合には、それをもって幸福とする定義です。実体験した幸福とも 呼ばれていますが、それでいいのでしょうか。あるいは、あなたの人生、どのぐらい満足感を 持っていますかと聞くこともできます。これは記憶にある幸福感です。つまり過去を測ってい るわけです。ということはこの2つは相容れないかもしれないのです。つまり、ある瞬間の自 らの幸福感と過去の幸福感では別なものを測っているかもしれないということです。この点は よく錯綜してしまうということです。しかし、実はこれが人生そのものです。瞬間瞬間の経験 も大切だけれども、人間というのはやはり過去の記憶も大切なんです。記憶として自分は幸せ だと思っているかどうかということもとても重要だということです。
ではどのぐらいの記憶のことを言っているのか。これは人にさまざまです。決まっているも のはありません。主観的な幸福度ですし、プラスの情感、マイナスの情感、人生の満足度、い ろいろ測り方はあるので、自分の人生、40年間、50年間を振り返ってどうだったかなというふ うに考える。でも、これは人によって受け止め方はさまざまです。 政策との関連で考えますと、一側面だけをとっても測定はできない。いろいろな要素を勘案 して総合的に考えなくてはいけないということです。ですから単一の尺度ではなく、複数の尺 度で測定しなければなりません。 これはまさにブータンで行っていることです。主観的な幸福感、人生の幸福、14の異なるマ イナスからプラスの情感、いろいろな面に光を当てて測定しています。次回の調査ではより手 厳しい尺度を入れます。昨日何をやりましたか、活動ごとに列挙してもらうことになっていま す。そして各活動は楽しかったですか、点数をつけてくださいというふうに聞くつもりです。 より楽しくないことから楽しいところへ時間の利用が移るようにしたいと思います。みんな 人生の大半を職場で過ごす。でも経験的にはあまり高い評価をされません。あまり満足いく経 験ではない。つまり職場自体を改善する必要があるということです。職場自体改善して、ハッ ピーとみんなが考えれば全体的な幸福度も上げるということです。時間の使い方については、 アメリカでも調査が行われていて、家族と過ごす時間はとても楽しいと皆さん答えます。点数 は高いです。フランスに比べれば低いですが、家族と過ごす時間はとても楽しいという答えが たくさん返ってくる。そうであれば家族と過ごす時間を増やせばいい、ということになるわけ ですが、その分をどこからか減らすことになります。 通勤時間もつらいなとみんな言っています。もしそうであったら、その通勤時間をどうやっ て短縮するか考えるということです。待ち時間をどうやって減らそうかと考えるということで す。待ち時間、1時間も待つなんて大変。通勤時間に何時間もかかるなんて無駄だと多分思っ ていらっしゃると思います。日本もかなり通勤時間が長いと伺っていますが、通勤時間は決し て楽しくない。では楽しくないのだったら、その時間を減らせばよいのです。科学技術を使う ことで通勤時間を減らすこともできるでしょう。在宅勤務という方法もあるわけです。技術進 歩のおかけでいろいろな対策が考えられます。 繰り返しになりますが、幸福度を測定する場合に重要なことは、複数のものを測るというこ とです。一次元だけにこだわらないということです。複数の測定が肝心ということです。 GNHは調査時間にはひとり当たり大体4時間かかります。249問の質問を行います。時間
の使い方とかコミュニティとの関係、文化、教育、健康、所得、住宅、いろいろな項目につい て質問しています。いろいろな答えが統計数値として返ってきます。たくさんの情報が収集で きるので、心理的な幸福感も良くわかります。すべての回答は自己評価の結果ですが、特に時 間の使い方についはいろいろな分析が詳細にできます。 なぜこんなにたくさんの質問をするのでしょうか。それは幸福の因果関係を探求するためで す。幸福感とはつかみ所がないものなので、たくさん質問する以外にないということです。 最も重要な指標に主観的幸福度というのがあります。例えば0点から10点のうち7点とか点 がついたとします。しかし重要なのは、7点という数値ではなく、その背後にある因果関係で す。どういう因果関係があってこういう結果が出たのか、それを追求するためにいろいろな情 報を取るのです。相対的な係数の持つ強度を知らなくてはいけない。そのために深く掘り下げ て背後にある情報をピックアップしなければなりません。だからたくさんの質問をしているの です。 更に政策にも反映できるように信頼性の高いデータを採らなければならないので、大きなサ ンプル数を用意しなくてはなりません。ブータンでは8,000サンプルぐらいです。日本は1万 サンプルだそうです。さらに、全国規模で地区をまたがって調査を行わなくてはなりません。 分析をするためには、ジェンダー、職業、県、地区といったようなレベルで絞り込む必要があ りますが、あまり絞り込み過ぎても有用でなくなるという問題があります。サンプルの内訳も 考えながら、なぜ幸福度指標の点数が低かったのかについて分析します。 例えば、公務員の幸福度が民間に勤めている人よりも低い結果が出たとします。ある特定の 年齢やグループで、例えば40歳~50歳の公務員は幸福度が民間事業会社に勤めている人、もし くは若い人に比べて低かったとします。これはどうしてなのでしょうか、ということを考える わけです。分解することによって細かく分析できるわけです。例えば職業と年齢とか関心とか によってどのように結果が分かれたのかについて分析します。あまり煩雑になっては意味があ りませんが、細かく掘り下げるだけの情報を取っておかなくてはいけないということです。 そして政策立案の際に、こうした結果を反映させます。実際の政策実施に当たって、政策決 定者は本当に役に立つかどうかも考えなくてはいけません。実際のところ、ブータンで政策立 案に現地調査の結果を反映させようとしても、政策決定者から全く無視される場合もあります。 人々にはプラス、マイナスの感情があります。主観的な幸福感、人生の満足感については、い ろいろ測り方はあります。いろいろなものを測っているんですけれども、ただ対象は単純な指
標で捉えるほど収まりのいい、素直なものではありません。そんなにすぐわかるものではない のです。これは統計学者も認めています。あまりにも実態が複雑だからです。 私自身も、現在のGNH調査では実態は捉えきれないことは認めます。認めますけれども、 ないよりましですし、ブータンでは政策立案上とても有用なものになっていると私は思ってい ます。客観的なデータがとられていますし、この20年、30年の間、ブータン政府も主観的な情 報にも敬意を表すようになりました。主観的な情報は個人が自らの経験に基づく自己評価をし ている訳です。最終的には政策立案においても個人の持つ声に権限を認め、尊重しなくてはな らないということです。例えば保健の分野で、手術を受けた場合を考えましょう。保健医療サ ービスの提供を受けました。客観的には当然と思うかもしれませんが、主観的に患者がどう感 じたのか考えなくてはいけない。教師はどうでしょう。いいカリキュラムをつくりました。い い教育をしましたと教師は思っているかもしれない。でも生徒にも聞かなくてはいけないので す。いい経験をしましたか。あなたの受けた授業にプラスの評価を与えますかということを生 徒にも聞かなくてはいけないということです。これは自己申告ですが、主観的な指標の測定結 果はとても重要です。科学的な世界でも有効です。 例えばこのメガネを見てください。まず視力を測定するわけです。そして、その人に合うメ ガネをつくる。これは科学的である。しかし誰が最終的に検証するのでしょうか。私が決める わけです。メガネをかける本人が、よく見える、このメガネはピッタリ合っていると言って決 めるわけです。もちろんメガネ屋では科学的な測定もやりますが、でも最後に合うか合わない かを決めるのは個人だ。主観的な尺度だということになるわけです。かなりバイアスが入りま す。自己向上のバイアスが常に働くわけですし、どうしても独善的になり過ぎです。それは調 査結果に出ています。人間ですから。 人間は大体のところ間違った結果、もしくは理由を持って幸福を選んでいます。ある人が言 っています。仏教徒、人間って変わった動物だな。常に幸福を狙っている。いつも幸福を追求 していますよね。でも違った原因、もしくは理由で幸福を選んでしまうんですよね、変だなと 言っています。 人間についていろいろな行動研究が行われています。人間はとかく間違うわけです。間違っ た原因で幸福を選ぶということです。例えばディスカウントの話があります。つまり割り引い て未来を考えるということです。あと、大昔の情報についても割り引いて考える。やはり今そ こにある直近の未来、もしくは直近の過去だけしか信用しないといったようなバイアスが働き
ます。未来を割り引いて考えてしまう。ということは持続可能性という観点からとても深刻な 問題になるのです。未来を考えるとき、未来の世代を考えるとき、未来は実際割り引いて考え ているわけです。金融の分野では実際に割り引いて考えるということをやっています。 また体系的に認識エラーを人間というのはいつも犯しています。かなり行動経済学の中で問 題になっています。どうしてこんなに過剰消費するのでしょうか。困惑を覚えます。決して人 間は合理的な経済人として行動していないのです。古典経済学では人間は合理的な行動をする と言われていますけれども、現状はそうではないということです。ですから、こういったこと を自己申告してもらうということはとても重要です。 申し上げたかったのは、自己申告、自己評価も十分勘案していかなくてはいけない。全部考 えた上で政策立案に生かすということです。単に科学者ですとか社会学者ですとか、物理学者 とかそういう人たちが客観的にやったものだけを頼りにしてはいけないということです。やは り最後は主観的なものに尽きるわけです。それも無視してはいけないということです。 自己申告、自己評価ということで現在は調査の一環として内蔵されております。最も重要な 点とは申し上げませんけれども、1つ欠かせない要素として入っていると申し上げます。 ただ幸福についての指標を採用していいのかどうかという懸念もあります。政策決定者とし ては成長を否定するのかということにつながりかねないからです。もしくは重要度を下げるの かということになりかねないからです。GNHというのはときどき誤解されてしまって、これ は左派の考えなのだと言われてしまうときもあります。社会主義者とか共産主義者が好む考え 方というふうにおっしゃる方がいるので、ちょっと反論したいと思います。 GNHもしくは持続可能な開発が目指すことは反経済成長ではありません。どういう種類の 成長を目指すのかというのが重要です。GDPの中では間違った計測がされている部分がある ので、これを修正していかなくてはいけないということ。それからポリシーバイアスも生まれ てしまいます。ストックの部分がGDPの中で考えられていません。あと緑の成長、グリーン 成長と言われているけれども、でも通常の成長の中にはこれは加味されておりません。だから 反成長なのか、親成長なのか、成長に反対、成長に賛成ということで割り切って考えることが できないわけです。GDPの中にもいいものもあるし、悪いものもある。悪いものは修正して いこう、改良していこうという考え方です。 サルコジ委員会のほうも同じことを言っていました。国連の統計委員会も先月、ニューヨー クで会合を開いたばかりですが、そのときもGDPには気をつけなくてはいけない。GDPの
使い方には気をつけなければいけないということが指摘されています。雇用促進、税収を上げ る。そして社会給付の財源を確保してやるといったようなためにはGDPは欠かせない指標で あるかもしれませんけれども、時によっては慎重を期さなければいけないということです。 とりとめのないことばかり申し上げておりますけれども、最後の点を申し上げたいです。1 つ大きな批判が起こっています。アマトリア・センは、開発目標の中に幸福は入らないのでは ないかと言っていました。つまり心理的に人間はいつでも厳しい、アンハッピーな境遇に適応 することができる。ということは不正義がどんどん幸福という名の下に増大してしまうかもし れないということです。うちひしがれた虐げられた人々はその人の置かれた境遇に適応してし まうということです。だからこの幸福のスローガンを掲げるのは間違っているという考え方で す。 しかし最近センさんも立場を変えたようです。評価、経験、幸福についての主観的な指標を 入れてもいいのではないかというようなことをおっしゃっています。幸福を促進して開発目標 の1つの据えるというのであったら、ほかにもいろいろな理論を、経済成長、人権、能力、そ ういう面での評価も行うべきであると思います。 持続可能な開発にはいろいろな要素が入っています。開発に対して幸福のアプローチをとる ということについてはどういう分析ができるでしょうか。もちろん能力をベースにしたアプロ ーチも結構かと思いますが、それはどうやって幸福につながるのでしょうか。その辺のつなが りがはっきりしません。 人権ももちろん重要な点ですけれども、人権と言ってしまうと、これは権利の推進だけをう たっているように聞こえます。では人権を獲得したらどういうふうに幸福が進展するのか。そ の辺のつながりがはっきりしません。 経済成長はどうでしょうか。私に言わせれば経済成長と言ってしまうと対外的な環境しか目 に入っていないように聞こえます。いろいろな問題があると思います。内的な問題も申し上げ ました。 いったんこの生計で十分、満足というラインを超してしまうと限界的な幸福に対しての寄与 度が減ってしまうわけです。ジェットポイントセオリーですとか快楽、トレッドミル理論と呼 ばれています。ある一線を超えてしまうと、その後どんなに対外的な環境を改善しても、その 分あまり評価しない、うれしいと思わないということになってしまうわけです。もちろん幸福 度というのはジリジリと上がることは確かです、多少なりとも。でも、その上がり方の度合い
がある一線を越えると鈍くなるということです。 つまり永遠に行け行けどんどんでリソースをかければかけるほど上がることにはならないと いうことです。例えば効率が5倍上がる、10倍上がるとしたとしても、技術的な理想郷、技術 がどんなに上がったとしてもそれだけで全ての解にはならないということです。例えばグリー ンなセクターということでGDPの中に占める割合が増えたとしても、そして所得が増えても、 その所得の増えた分は消費に回すということになってしまうわけです。つまりライフスタイル 自体は変わらないということです。源はグリーン成長であって、そこから出た所得はやはり消 費に回すからです。 ということで幸福に関しての考え方というのは、そろそろ結論に入りますが、2つ3つに尽 きると思っています。もちろん幸福感を高めるということは目標になり得るということです。 そして生態学的にもプラスの影響をあります。仏陀も言っています。プラトンも言っています。 我々は常に幸福を探しているのだ。しかし、近代の世の中においては、現在においては今の生 活様式から考えますと、この幸福度、幸福を実感していないのではないかということです。 だから消費を続けるわけです。そして消費をたくさんすることによって内なる幸福、平和、 安寧を達成しようとしているわけです。でももしかしたら本人が本当に幸福と感じていたら、 今ほど消費しなくても済むかもしれないということです。これを調べていきたいと思っていま す。 第2の考え方ですが、幸福感を高めると多分寿命も長くなる。健康状態もよくなる。だから 政府も医療費をその分使わないで済むということになるのではないかということです。このこ とは既に論文になっています。予防接種するとか疾患に対して耐性を高める。いったん病気に かかっても治りやすい。幸福度が高い人のほうが治りやすい。治癒度が高いというのは証明さ れています。アメリカの場合にはGDPの大半を医療費に費やしている。より幸せな人を増や せばメディテーション、瞑想をするとか、ほかのメカニズムで人々の幸福度、いろいろ世俗的 な方法はありますから、幸福になれば結果として健康になる。だから医療費が減るのではない かという考え方です。 クリエィティビティも大きな力を持つということはよく言われています。論文もたくさん書 かれています。これにより政府の政策も方向転換ができるのではないか、政府支出を減らし、 税負担を減らすこともできるのではないか、そして全体として経済が生態系に及ぼすダメージ を低くすることができるかもしれないということです。
最後に指標について述べます。指標は定量的な目標をもって計測するということもあります が、そのためには組織も必要です。管理するツールも必要です。指標をつくっただけでは済ま ないのです。それに関連したツールもつくらなくてはいけません。例えばGDPの場合も同じ で、農業部門、銀行部門、それぞれ目標が掲げられて、最終的に5%の成長を達成しようとい ったような形で目標が設定される。そのために定量的、行動的な目標も設定しなければいけな いということです。 ブータンではシンプルな管理ツールを使っています。これは政策のスクリーニングツールと 呼ばれています。ベンチマークをいろいろ作って、それとどの程度合致するかで政策の有効性 を測るわけです。GNHの目標に沿ったものかどうか、常にチェックしています。このスクリ ーニングではチェックボックス方式で行っていますが、関係省庁で意見の不一致があった場合 には、再調査の上改めて評価をすることとしています。このようにして政策の有効性を測って います。各組織レベルでも、スクリーニングツールを活用して、例えば公的投資がうまくいっ ているかどうかチェックする体制になっています。 幸福度については、現在も政府部内でいろいろな討議をやっています。意見交換及び審議は とても重要だと思っています。議論を尽くしてコンセンサスをつくる。マスコミにも報道して もらう。そして国民を総動員して考えるということです。価値観にも関わる話なので、教育現 場でのカリキュラムもとても重要になります。教則を揃えなくてはいけないということです。 時間がなくなりましたので、この辺で終わらせて頂きます。ご清聴ありがとうございました。 (拍手) ○司会 ありがとうございました。質問もたくさんあると思いますが、この後のパネルディ スカッションでフロアの皆様との質疑応答の時間を設けておりますので、今質問を思いついた 方、もう少し我慢いただきましてパネルディスカッションで質問していただければと思います。 そ れ で は 続 き ま し て サ ン ゲ ・ テ ィ ン レ イ 研 究 員 よ り 報 告 を お 願 い し ま す 。 演 題 は 「practical lessons from GNH field survey~GNHの現地調査からの教訓~」です。よろ しくお願いいたします。
○サンゲ・ティンレイ(王立ブータン研究所研究員) 本日、この席に伺ってお話しできる ことをとても光栄に存じております。このような立派なお席にご招待いただいてありがとうご ざいます。ブータンにおける幸福度調査についての実践的なお話しをしたいと思っております。
まずは内閣府、特にESRIの方にはご招待いただいたことを深く感謝申し上げたいと思いま す。 本日は、まずGNHの背景についてご紹介し、第2回調査についても具体的にお話しして、 そこから学んだ教訓について幾つか具体的にお話し申し上げようと思っています。 既にブータンでは3回調査が行われています。ブータンにおいて我々の王立ブータン研究所 が調査を実施しています。政府からマンデートを受けておりまして、調査を行って定量化する という作業を我が研究所が行っています。 最初のパイロット調査が行われたのが2006年から2007年の間です。350の回答者、8つの地 区をカバーいたしました。全国で20の地区があります。8つの地区をカバーしまして、474の 質問項目がありました。 2007年になりまして、第1回目の調査が行われました。950の回答者でありまして、12の地 区を対象に行いました。質問数は289に減っております。そして2年前2010年に光栄にも第2 回調査に私もかかわることができました。第1段階が4月から7月で行われました。 第1段階においては調査員として大卒者を中心にリクルートしました。調査団を3つのグル ープに分け、3つのチームをつくりました。リクルートするときには多様性を確保するという ことでいろいろな言語がしゃべれる人を選びました。18人が3つのチームをつくったというこ とで、8つの地区に行きました。 2010年、幸先のいいスタートを切ることができました。4月花盛りの時に調査を開始しまし た。6月、7月に入ってだんだんと厳しい状況になってきました、季節的にも。モンスーンが 来る季節になりました。7月末になって調査員が、もうやめたいと言い出しました。というの も夏になって厳しい季節になってしまったからです。太陽がギラギラ照りつけるところを長時 間歩かなくてはいけない。時には8時間も調査するために歩かなくてはいけなかったのです。 第2回目の調査では、更に55人の人を集めて合計5つのチームをつくって1カ月ぐらいかけ て調査を行いました。まずは調査員のトレーニングを行って、8月に調査は再開されました。 かなり調査に時間がかかってしまったということもあって焦ったのですが、2010年の第2回調 査は、結局全部で8カ月を要しました。 平均的には各インタビューを行うのに一人当たり3.5時間かかりました。年齢は15歳から98 歳まで、女性が50%、男性が49%でした。有効な回答は7142件で、回答率は84%でした。 なぜこんなに調査に長くかかってしまったのかということですが、ブータンは地形が非常に
厳しいというのがその理由です。山あり谷ありということで、町もありますが、村落となると 丘陵地帯にあるということでかなりアップダウンが厳しいです。 またサンプリングについてもコントロールがなかったということで、サンプリングについて は戸籍をベースに行いました。1つのブロックにまとまって回答者がいれば良かったのですが、 実際はそうではありませんでした。回答者が散らばっていたので捕捉するのが大変でした。 ランダムサンプリングということで3人の回答者が選ばれたということです。こういうふう に地区的にも散らばっていたわけです。なかなか1カ所にまとまっていなかった。 私は監督者として職務を受け持ちました。村落の人たちと連絡をとり、調査を行うことを了 承してもらいました。調査は必ずバックグラウンド情報を回答者に対して開示するところから 始まります。公式な手続きがあるので全部それに従います。 ひとつ重要なことは、調査員については質問の聞き方については教育してルールを守っても らいます。そうではないといい調査ができないので手続きに従ってもらいます。訓練もします。 夜になって回答を確認します。2,000問ぐらい夜チェックして、書き漏らしはないか。聞き 漏らしはないかチェックするわけです。不備があった場合には、もう1回回答者のところに戻 り不備なところを記入してもらう、ということをするわけです。調査を実際に行うにはいろい ろ厳しいものがあります。 これは調査を終了後に参加してもらった調査員からフィードバックをもらった結果です。ス リーピングバッグと一緒に食料も持って回ったので大変だった。荷物が重かった。遠くの村に 行くのに1日歩いた。12時間歩いた。大変だったということです。そして回答者の都合に合わ せなければいけなかったので、長旅の直後に即調査を始めるのはきつかったということでした。 ディスリフトオフィシャルがいないということになると、森深く分け入るのは大変なんです ね。みんな同じような森になって、なかなか見つけられない。迷子になってしまうということ です。森の中で迷子になった調査員が何人も出てしまいました。ガイドもいなかったので。自 分で場所を見つけなければいけなかったのです。 これも面白かったのですが、ティンブーのような首都でやるのは大変でした。犬もたくさん いるし、女性も機嫌が悪いしということで、都市のほうが協力を得るのが難しかったというこ とです。回答をしていただくにはかなり時間がかかります。だから回答したくないという人が 続出してしまったのです。日本でも都市では同じようなことが起こるかもしれません。また、
いろいろな性格を持った人がいるので大変でした。とても礼儀正しい人とぶしつけな人。恥ず かしがりやの人。耳の不自由な方とかいろいろな人がいて大変でした。 これも一つのチャレンジだったんです。回答者が思い込みで臨んできます。こんなにたくさ ん政府の調査員が来た、どうしようということです。自分の問題をアピールしたかった。わざ と貧しく見せたということもありました。私はこんなに貧しいんです。もっと補助してくださ いというふうに言ってきた回答者もいました。 これももう一つのチャレンジです。回答者はお礼をもらえるのではないかと期待した。1日 もかけたのだからそれなりのお礼が出るのでしょうね、謝礼も出るのでしょうねと期待されて しまったわけです。遠路はるばる来たのだから、それなりの報酬があるでしょうと言われまし た。 それからまた、調査員に対しての謝金は200ドルぐらいだったのですが、これはあまりにも 些少であるということで、次回はもうちょっと払わないとやってもらえないかもしれません。 もっとも、これは政府の決めた額ですので、今後どうなるかわかりません。 結論ですが、個人的な見解としては、とてもいい経験をさせてもらったということです。い ろいろなことがわかりました。調査先に出かけていくのは結構大変ですとか、調査には時間が かかる。調査員がいろいろなフィードバックをくれました。それなりにお金もかけて行ってい るわけです。ドナー機関が補助してくださったおかげでこういった調査のための資金を出すこ とができたんです。ぜひ第3回目の調査もやりたいと思っています。 この2年間でどういうふうに回答者が変わったのかを発見してみたいです。生活が変わった のか。それともまだまだ借金まみれなのか。幸福度は実際に上がったのか。ニーズは変わった のか。2年間で新たな転換があったのか。時間の余裕ができたのか。1日前、どういう生活を していていたのか、もっと詳しく知りたいと思います。 以上です。どうもありがとうございました。 ○司会 ありがとうございした。以上をもちまして基調講演と報告の部が終わりました。お かげさまで時間もきちっと守っていただきまして、予定通り休憩に入ることができます。これ から休憩に入りますが、11時30分からパネルディスカッションを開始いたしますので、それま でに皆様座席にお戻りください。 最後に皆様、今日の基調講演をしていただいたカルマ・ウラ所長、それからサンゲ・ティン レイ研究員に拍手をもう一度お願いしたいと思います。(拍手)
どうもありがとうございました。それではしばらくの間休憩といたします。 (休 憩) ○司会 皆様、時間厳守でお集まりいただきましてありがとうございます。パネリストの先 生方、どうぞ壇上にお上がりください。 それでは午前の部、後半のパネルディスカッションをこれから始めさせていただきたいと思 います。本日ご登壇の先生方をまずご紹介いたします。経歴等についてはお手元の資料をご覧 いただければと思います。 本日コーディネーターをお願いしております大阪大学大学院教授、山内直人先生でいらっし ゃいます。(拍手) 続きまして、皆様方から見て向かって右側のテーブルにパネリストの先生方にお並びいただ いています。皆様方からご覧になって向かって左、先ほど基調講演をいただきましたブータン 王立研究所のカルマ・ウラ所長でいらっしゃいます。(拍手) 続きまして福永正明先生、岐阜女子大学南アジア研究センター、それから日本GNH学会の 副会長でいらっしゃいます。(拍手) そのお隣が上田晶子先生、大阪大学グローコル特任准教授でいらっしゃいます。(拍手) 皆様方からご覧になって一番右、御手洗瑞子さん。御手洗さんは初代ブータン首相フェロー ということでブータンに1年間滞在されています。どうぞよろしくお願いします。(拍手) それでは山内先生、これからの進行をよろしくお願いいたします。 ○山内氏 それではまずパネリストの方からお一人10分程度でプレゼンテーションをしてい ただきたいと思います。まず福永さんからよろしくお願いいたします。 ○福永氏 福永でございます。お手元には何も用意していないのですが、10分の中で紙をめ くりながら、あれこれしながら見ていただくよりは私の言葉で少しご説明したほうがわかりや すいかなと思いまして、通訳の方、突然で申し訳ありません。 今、2つのスピーチを伺いまして、皆さん大変驚かれた部分と、また「そうか、よくわから ないな」という部分もおありかと思います。最初に、今日私に与えられたテーマは、なぜGN Hがブータンにおいて政策の決定に反映されやすいかという話をしてほしいということでした。 GNHというものを日本でどのように理解するかは、まだ非常に不確実性な部分がございます。 あるときには哲学といい、あるときには政策といい、あるときには理念といい、またあるとき にはその結果、先ほどありましたけれどもサンプル調査なり2010年の結果をもってしてあんな
に幸せなブータン人という話になってしまうとかですね。 では一体GNHとは何なのかというと、これは40年間かけてブータンがこつこつとつくり、 そして今も変わっている国家運営のための理念あるいは政策の基本大方針、あるいは国家をど こへ進めようかという羅針盤のようなものとお考えいただくとわかりやすいと思います。です からGNHは何ですかといえば、みんなが幸せであることではなくて、今の社会から次に一人 でも多くの人が幸せになるにはどうしたらいいかを考えようという大問題を国が国民に投げか け、国民がそれに対して応えている。応えるというのは先ほどティンレイさんがお話しになら れたサーベイのことではなくて、1つひとつの生活の中で応えいく。ですから当然のことなが らウラー所長がおっしゃられたように、GDPの経済発展を否定するものでもありません。む しろ昨今では首都ティンブーでは渋滞が激しくなっています。あるいはみんなが幸せかと言え ば一人ひとりの中では幸せは違うではないか、それはそうでしょう。しかしながら、一人でも 多くの人がより多くの幸せを感じられる社会を、みんなでつくろうという大方針がある。それ は、40年前からコツコツと考えられていき、少しずつブータンで行われてきた。その成果が現 在の国連なりフランス、日本で認知されるような形にものになってきています。 その特徴として、当然のことながらお二人が極めて流暢に英語で話されたように、まず人の 問題です。中央官庁に非常に優れた欧米留学の出身の方々がいらっしゃいます。彼らは最新の 開発経済なり地方行政学の理論を持って分析をし、考えています。そして、その仕組みとして 少しずつ国家政治が変わってきて、それはいわゆる民政化であり、あるいは研究所から更にG NHコミッションという組織を創設、政策実施の中心機関をつくり出していった。そしてとに かく歩いて、今スライドでありましたけれども、調査のためにだけああいうふうに歩いていく のではなくて、中央官庁のその局長クラスまでもがまずこの地域で一番困っていることは何な のかということを調べにいく。その現場主義。そういう中で国王を代表として国が、その下で 暮らす国民もそれぞれが両方向に、それぞれの方向に向かって幸せは何なのかということを考 えている。 ですから単純に数学的に批判することは非常に簡単です。例えば九十何%、では2%は不幸 なんですね。ではなくてより幸せな社会をどうやってつくっていこうかということに専念して いるのがブータンです。 その中で当然いろいろな問題が出てまいります。2011年7月に私は3週間、4週間滞在した とき、かなり政府高官の方とお話をし、王立大学の総長と話をしたのですが、社会学であると
か人文科学であるとかそういうものをどんどんと発展させたほうがいい。今ブータンで行われ ている教育は先生を育てるという教育が行われています。それだけではなくて、今の社会をつ ぶさに観察して、次の問題を明らかにするような人たちを育てていかないと次に困ってしまう。 今の政治、例えばティンレー首相、名スピーカーとして有名ですけれども、そういう方々は アメリカの大学院を出て理論を学んでしっかりされています。そういうことが今後中央官庁の 方々全員にできるかどうかわからない。そういう中でブータンだからこそできるGNHである ということをまず一つ覚えておいていただきたい。それから我々は何を学ぶことができるのか。 これはもうより小さい、つまり内閣府というところで会を持っているのにこう言うことはおか しいですが、より小さい人の集まり、すなわち村であるとか町であるというレベルのほうが絶 対にこの考え方は受け入れられることができると思います。 つまり均質的なより小さなところでそれぞれの人たちがみんなの幸せというものを考えてい く。これは議会議員であるから、あるいは市長であるから、あるいは子どもだから考えないと いうのではなくて、みんなが一緒になって考えていく。そういうきっかけとなったのがこのG NHを考えていこうという問題であろうと思います。 もちろん、最後にはしょりますけれども社会学者としてはブータンにはいろいろな問題があ ります。青年の失業、青年たちの不満、当然経済格差、そしてネパール難民たちが帰国できな い問題。これは第三国定住という形で片づいていますので、もうブータン王国としては知らな いよということになっていますけれども、はたしてそれで我々は許していいのかどうかという 大きな問題を抱えています。しかしながら我々は常にブータンから学ぶという姿勢、ブータン から学んでGNHを知っていくという姿勢を持っていきたい。 先ほどご紹介がありましたGNH学会というのはさまざまな種類の研究者、あるいは市民の 方が集まりまして学会を構成しております。また、こういう研究の機会をさまざま持っていき たいと思っておりますので、そちらもどうぞよろしくお願いいたします。短くて恐縮ですが、 これにて終わります。(拍手) ○山内氏 ありがとうございました。それではお二人目のプレゼンテーションで、大阪大学 の上田さん、よろしくお願いいたします。 ○上田氏 大阪大学の上田でございます。私のほうからは政策のところまではどれだけ具体 的にお話しできるかわからないですが、もう少し具体的に実際に生活している人たちがどんな 状況になっているのかというところから幸せということについて考えてみたいと思います。
ブータンの幸せというのを、そのままブータンでやっていることを日本でやるというのはあ まり現実的な趣向ではないと思っていますので、どういうふうにブータンの考え方、ブータン で行われていることの背後の考え方をどういうふうに理解して、それを抽象化したところから もう少し日本の私たちの生活、あるいは政策のレベルで取り上げるとするとどのような思考回 路が可能か、手がかりのようなところまで短い10分間ですけれどもお話しできればと思ってい ます。 ブータン人の生活を私が見ていて、私は1年間の滞在、97年から8年にかけてブータンに1 年いたのと、それから2004年から7年にかけてブータンに3年間仕事でいました。その間もそ の後もチョコチョコと研究だったりいろいろなことで訪問させていただいています。 ブータン人の生活を見ていて幸せにつながっているなと思うことはたくさんあります。いつ も人のことを思いやる気持ちの余裕がある人々です。それから時間に余裕があるという言い方 が正しいのかどうか、もう少し言うと多分時間の使い方が柔軟というほうがもしかしたら正し いのかもしれませんが。 そんな中で私が一番大切だなと思っているのは、いろいろなことを一緒にやる機会が多い社 会だということが恐らく重要なことなのではないかと思っています。 農村部に行くと普通の農作業も地域の人たちみんなで隣近所で一緒にやったり、あるいは家 自体、こんな感じでみんなでつくったりします。あるいはお祭りだったり法要だったりという こともコミュニティの中でみんなで一緒にやるという機会が非常に多いです。 農村部を離れて都市に行ってもティンブーでも私の友達を見ていると、ティンブーでも大き な家族で住んでいますが、何かの加減で今日家に誰もいないということが起こったりします。 でも、「私の友達が一人で留守番しなければいけないので、一人はよろしくないので私が行っ て一晩泊まってくる」というようなことを言っていたりします。いつも誰かと一緒にいる。あ まり一人でいないなと思って私は周りの友人たちを見ていました。 もう一つ、みんなと一緒にやるほうが楽しいと言っていた芸術家がいます。彼はアーティス トで絵を描くのを主にしているんですけれども、絵を描く作業でさえも日本であったり西欧、 一般的に芸術というのは最近少し違ってきているのかもしれないですが、一人で主にやる職業 なのではないかと思われがちですが、彼はみんなと一緒にやるほうが楽しいので、いつもみん なと一緒にやるようなタイプのものをつくっていると言っています。 最近、開発とともに社会の事情、経済の事情が少しずつ変わってきて、世代間ギャップがあ
ると言っている人であるとか、あるいは都市と農村のギャップができかかっている人もいます けれども、社会の中にできつつあると思われているようなギャップを埋めようとする試みなど も、時間の関係で詳しくは話せないですが行われています。 この辺はみんなで家をつくっていたり、あるいはみんなで農作業をしていたりというところ です。 地域の中に、あるいはいろいろな場所で人々が集まる機会が本当に多いのです。普通に家に 人を呼んで、あるいは呼ばなくても人が集まってきてご飯を食べたり、あるいは村の至るとこ ろで人が集まるような状況ができていたり、あるいはチョルテンと呼ばれる仏塔とかお寺では 普通にみんなが時計回りに回ると功徳が得られるということですが、いろいろなところに人が 集まる機会や場所が本当に多いです。 家で普通の人に聞いても、「30人、40人ぐらい呼んでご飯をするのは普通にできるし、よく あることだ。その30人、40人の人が家に来て、そのうち15人、20人泊まっていけるよ」という 人も結構います。 ここで、これはお寺ですが、周りを回っていたりします。チョルテンです。ティンブーにあ るメモリアルチョルテンというところです。 ここでダショー・カルマ・ウラの言葉を引きたいです。幸福というのは関係性から生まれる ものである。私が幸福になるのではなくて、私と誰の間、ここがうまくいくことによって幸福 というのはここから生まれるものであるということをダショー・カルマ・ウラは言っています。 これは私はキーだと思っています。幸福というのは自分が幸福になろうと思ってなるものでは なくて、関係をうまくやろうと心がけることによって、ここから生まれる。だから意識として は関係をうまくやろうというのが多分意識に一番にあるのであって、幸福になろうという意識 というのは別にそんなに強くなくてもいいのだということだと解釈できると思います。 ブータンのコンテクストの中で幸福というのは一般的には多分一過性の、先ほどダショーは お話の中で一過性の楽しいということも含めて言ったほうがいいのだというお話をしていまし たけれども、もう少し背後のところを探っていくと恐らく一過性の楽しいとか、ハッピーとい う感情よりも心の平安ということが幸せであるという意識が恐らく社会の中にとても強いのだ と思います。それをもう少し日常的な意味合いに応用して捉えるとストレスがなかったり、心 配事がなかったり、自分と相手、自分と自然、あるいは自分がお金や物とうまくやっていける 状態。ストレスがなくて心が穏やかに保てる状態ということがブータンで言っているところの