金融イノベーションと財務会計
久保田 秀樹
1 はじめに 金融イノベーションにおいて,単にデリバティブとも呼ばれる派生金融商品 (derivative financial instru皿ents)は,重要な位置を占める。デリバティブと は,広義には,その価値が一つ以上の原資産価格(ないし原資産のインデックス) に依存している金融取引契約を意味する。そして,その本質は,様々な金融り スクを,リスクを負う意志と能力を有する主体に移転することにある。すなわ ち,デリバティブの特徴は,資産・負債の元本とそこから生じるリスクとを分 離した点にある。例えば,自社運用の債券に対しては金利スワップによって金 利リスクをヘッジできる。また輸出入業者の外貨資産に対しては先物為替予約 ないしは通貨オプションを利用することによって通貨りスクをヘッジすること ができる。このようにリスク管理の観点からみると,企業は,デリバティブを 利用することによって,金融取引や商品取引に伴うマーケット・リスクを特定 化し,個別に管理することができる。デリバティブは,慎重に利用される限り, 企業に対し効率的かっ効果的なリスクヘッジの手段を提供し,また,金融コス トの削減,運用利回りの向上のためにも利用されている。 米国の会計検査院(General Accounting Office)の推計によると,1992年末の 先物為替予約等を含む,世界のデリバティブ残高は,想定元本ベースで17兆ド ルに達し,それは米国の国内総生産の約3倍近い規模に相当する。デリバティ ブに対する一般の関心も近年高くなっているが,その最大の契機は,やはり国 内外のデリバティブ取引による多額の損失計上である。昨年来,内外の銀行, 証券会社だけでなく事業法人の損失が報じられている。本来,リスク回避の手段として登場したデリバティブが,今やそれ自体が多大なリスクを負うものに なるという皮肉な現象が進行する中,デリバティブに対する規制が大きな問題 となっている。 財務会計は文字どおり「金融の(financial)」会計である以上,金融イノベー ションは,財務企業会計に重大な影響を及ぼす。米国の財務会計基準審議会 (FASB)や国際会計基準委員会(IASC)がデリバティブに関する会計基準の作 成に取り組んできた。FASBは1986年に金融商品プロジェクト開始したが,金 融商品の認識・測定の検討に先駆けて金融商品の開示問題に取り組み,1990年 3月に財務会計基準書(SFAS)第105号「オフ・バランスシート・リスクを伴う
金融商品と信用リスクの集中を伴う金融商品に関する情報開示」(FASB
[1990]),翌1991年12月にはSFAS第107号「金融商品の公正価値に関する開 示」(FASB[1991])をそれぞれ公表した。そして,1994年10月に,デリバティ ブに関する開示を改善する目的でSFAS第119号「デリバティブ金融商品およ び金融商品の公正価値に関するディスクロージャー」(FASB[1994])が公表さ れた。また,同年11月には,FASBは,金融商品プuジェクトの一環として進 めてきたヘッジ会計について,デリバティブの適格ヘッジの要件及びヘッジ会 計の方法を全面的に変更するとの仮決定を下した。 IASCも,1991年9月に国際会計基準公開草案E40「金融商品」(IASC[1991]) を公表した。1994年には,E40の修正版であり,デリバティブを含む金融商品全 般の認識・測定も扱う包括的会計基準の草案としてE48「金融商品」(IASC [1994])を公表した。ところが,E48は,一方で原価主義会計支持者からは公正 価値評価が急進的と批判され,他方でリスク管理システムとの関わりでは不十 分という,まさに板挟みの批判を受け,1994年11月にE48について,表示・開示 基準と認識・測定基準とが分割され,前者のみが当面,基準化されることが IASCの理事会によって決定された。新金融商品について,開示基準は整いつつ あるが,認識・測定基準の確立はまだこれからである。 大量生産と大量流通とを統合した産業経済の成立という「新しい現実」が「対 応・凝着アプローチ」という新たな計算システムを必要としたように,金融イノベーションは,新たな総合的リスク管理システムの成立を促している。そし て,それは,デリバティブのみならず,既存の金融資産・負債に対する解釈を も変えつつある。本稿では,「対応・凝着アプローチ」の成立を「第1次パラダ イム・チェンジ」とするならば,デリバティブは財務会計の「第2次パラダイ ム・チェンジ」の契機ともいうべき重要性を持つとの観点から,金融イノベー ションが財務会計に及ぼす影響について考察する。 11 現行の会計システムと金融資産 現行の会計システムの基礎に対する理論的基礎の確立を果たしたペイトン= リトルトンの『会社会計基準序説』に対して,AAAの1977年の報告書は,「対 応・凝着アプローチ」と呼んでいる。「現代の大部分の会計理論家に共通してみ られる態度というものは多くないが,そのうちのひとつは,広く認められてい る対応一付着パラダイムに対する不満である。」(染谷訳,95−96頁)という記述か らすると,当報告書ではペイトン=リトルトンの理論は一つのパラダイムとみ なされている。 「対応・凝着アプローチ」とは,大量生産と大量流通とを統合した産業経済 という当時の新たな現実を写し取るべく開発された概念装置であった。「凝着」 は,原価要素のうち,材料費や労務費のように棚卸資産の発想の延長で説明で きないもの,つまり生産設備の減価償却費を始めとする製造業特有の「経費」 の原価性を主張するための論拠を構成する。他方,「対応」とは,大規模な修繕 を始めとして,大規模製造企業に不可欠の多額の支出への備えを組み込むため の論拠となった。この意味で「対応・凝着アプローチ」は,大規模製造企業と いう現実に即したものとなっている。 あらためて思い起こすまでもなく,現在の財務公開制度自体,1929年のニュ ーヨーク株式市場の大暴・落という投機の破綻に端を発している。「投資家保護」 とは健全な投資の促進と同時に投機防止を意味する。今日のデリバティブに係 る問題の根本にあるのも,投機防止策としての規制目的が第一である。もちろ ん,投機とリスク・ヘッジとを明確に区別できないことは言うまでもない。し
かし,それは,投機と健全な投資との線引きについても,程度の差はあれ共通 の問題である。現在,リジッドなものとして受け入れている「対応・凝着アプ ローチ」も一種のフィクションにすぎないということも可能である。それは, 製品に「凝着」し,売上に「対応」されるべき「努力」が「成果」につながら なかった場合,つまり現実には製品が売れなかった場合を考えれば明かである。 「対応・凝着アプローチ」は,端的に言って「モノ」と「貨幣」の対流を前 提に成り立っているといえる。企業活動を「モノ」と「貨幣」の対流として「図 1」のように単純化する場合,原価主義は「貨幣→モノ」変換を司る。それに 対して,実現主義は「モノ→貨幣」変換を司る計算原則として理解される。そ して,その「モノ」が棚卸資産であれ,有価証券等の金融資産であれ明らかに 「貨幣」とは異質の性質を持つ限りにおいて,問題なく適用されたと考えられ る。あるいは,その場合,企業から出ていく「モノ」は,例えば「社会的ニー ズの充足」の表れであり,その結果として「貨幣」が流入すると解釈すること が可能である。 (図1)「モノ」と「貨幣」の対流としての企業活動 原価主義 実現主義
1ご⇒∴‡叢
貸倒引当金の設定 しかし,銀行制度が未発達の時代には債権として認識されていた銀行預金が, 銀行制度の発達によって,現在,現金として認識されているというように(Cars− berg and Noke[1989]p.26),証券市場の発達によって,市場性ある有価証券 は,既に「モノ」とはいえなくなってしまった。すなわち,貸借対照表上の分 類は,対象そのものによって必ずしも決まるものではなく,それを支える制度 の発達によって変化する。その事は,例えばAAAの1957年の会計基準において 次のように指摘されている。「その認識は,銀行制度の安定性,商業上の契約のi拘束力,あるいは,高度に 組織化された市場が資産の他の形態への転形を容易にしうる能力のいかんによ って規定される。」(中島訳[1964]194頁) 有価証券という「モノ」が「貨幣」に近くなることによって,「モノ→貨幣」 変換を司る実現主義も二重の意味を持たざるをえなくなる。つまり,棚卸資産 等を対象とする本来の「モノ→貨幣」変換を司るケースと,有価証券等の金融 資産を対象とするケースとである。前者については,「社会的ニーズの充足」と いう解釈が可能であるが,有価証券については意味をなさない。何故なら,少 なくとも市場性のある有価証券に関しては,「社会的ニーズの充足」をなしたか 否かに関わりなく,誰でも市場でその時点の相場によって換金可能だからであ る。 更に,仮に後者を「貨幣→貨幣」変換のケースとみなすとすれば,当然,「モ ノ→貨幣」変換のケースとは異なる計算原則が適用される可能性も出てくる。 例えば,現行の会計処理においても,信用販売の揚合,売上高は,現金等価物 としての売掛債権によって測定される。そして,売掛債権が最終的に現金に変 換されるまでのリスク,つまり「貨幣(売掛債権)→貨幣(現金)」変換のリスク は,貸倒引当金の設定によって別個に顧慮されているのである。 為替相場の変動相場制への移行や規制緩和,そして金融イノベーションによ って次々に新しい金融商品が開発されるにつれ,元来,自明であったはずの「モ ノ」と「貨幣」の区別が一層曖昧になってしまったばかりでなく,ワラント債 等の複合金融商品の増大により貸借対照表の貸方側の,いわゆる株主持分と債 権者持分との区別もますます曖昧となっている(古賀[1994]参照)。 ペイトン=リトルトンによる「対応・凝着アプローチ」では,金融資産の問 題は最初から対象から外されている。但し,補足情報としての有価証券の市場 価値の開示については,「毎期の貸借対照表中に所有証券類の市場価値を括弧を 付して示すことは,その市場価値の決定が信頼しうるものである限り何ら不当 ではない。」(中島訳[1958]208頁)とされている。 金融活動に伴う損益の積極的認識につながる萌芽は,保有利得を区分表示す
るというエドワーズ=ベルの学説にみられる。エドワーズ=ベルは,企業の利 潤獲得をめざした活動を便宜上面の二つに分けることができるとする(伏見・藤 森訳[1964]28−29頁)。 (1)生産諸要素を結合させたり移動させたりして,要素価値をこえる販売価値の 生産物にすることによって,利潤を生み出す活動。 (2)資産や負債を,その資産の価格が上昇,あるいは負債の価格が下落する間保 有することによって利潤を生むという活動。 前者の場合は,利潤は生産要素を使用すること(using)によって発現するのに 対して,後者の場合は,利潤は生産要素あるいは生産物を保有すること(hold− ing)によって生じる。そして,「おそらく多くの企業にとって,使用を通じて生 じる利潤の方が,より重要なものであろうし,また明らかに社会的に,より望 ましい目標である。企業に関する会計学説も,経済学説も,ともに利得のこの 局面に焦点を向けている。しかし,それにもかかわらず,保有活動,ないし投 機も重要なものである。」と指摘している(伏見・藤森訳[1964]29頁)。 会計学や経済学が,生産要素の使用によって発現する利潤に焦点を合わせる という点はその後も変わっていない(久保田[1995]202頁)。例えば,「電子計 算機の出現に伴う最近の測定方法の発展によって,会計が情報を開発する能力 は著しく増加する。」(飯野訳[1969]23頁)とうたつたASOBATでも関心の焦 点は「モノ」に置かれている。例えば,多元的評価の可能性について,「確率数 値」を含む場合と含まない場合の「ある量:的分布幅」の利用の可能性を示唆し ているが(飯野訳[1969]94頁),その例として挙がっているのは「棚卸資産は 約95%の信頼度にもとづいて1,040,800ドル±200,000ドルと評価される。」(飯 野訳[1969]94頁原注(2))という棚卸資産のケースである。 その後,AAAの1973年概念・基準委員会も,不確実性の分析は,販売ないし は決定的事象といった単に1つの変数の適用ではなく,多くの事象および変数の 結合された影響の査定の試みを必要とすると考え,二重の不確実性レベルの導 入という「多元的分析および報告」(“Multi−dimensional Analysis and Report− ing”)というアプローチを示している。すなわち,不確実性の高い潜在的利益効
果を認識するが,不確実性のレベルが下がるまで実現を延期するというアプロ ーチである。このアプローチをさらに突き詰めた一つの例示として,不確実性 の影響を直接組み入れた,全面的確率計算書(full scale probabilistic state− ments)が紹介されている(AAA[1974]pp.219−222)。しかし,ここでの「多元 的分析および報告」は,保守的な収益の認識を確率を用いた手法によっていわ ば前倒ししょうとすることに重点が置かれている。つまり,在来の対象の測定 精度を高めようという試みであり,その意味で連続的な変化にすぎず,生産活 動中心という意味で,思想的には同一線上にある。 FASBの概念ステートメント第5号は,「稼得プロセス」を伴わない取引その 他の事象から生じる利得を「実現」に加えて「実現可能」という要件によって 積極的に認識しようとするが(平松・広瀬訳[1994]250頁),FASBの概念ステ ートメント第6号において次のように言う。「実体は望ましい財貨または用役を 作り出すために財貨および用役を使用し,結合し,変換することによって,営 業活動を通して現金以外の資産に対して価値を付加する。」(平松・広瀬訳[1994] 300頁) III 「部分パラダイム」変革としての動態論の成立と 「新しい現実」としてのリスク管理 「棚卸資産にせよ,有価証券概念にせよ,実物財が中心であった。現在は棚卸 資産の概念にソフトが加わり,有価証券概念にデリバティブといわれるコンピ ュータ・マネーが加わってきた。…このような巨大な金融市場を支配するルー ルは,製品を作り,それを売買の対象とする実物経済のルールとはまったく違 ったものである。 経済のルールが異なってくると,そこには会計のルールも異なってくること になろう。」(武田[1995」74頁) デリバテ/ブをパラダイム・チェンジの契機として取り扱うことの可能性は, まさにデリバティブの問題が,「経済のルール」の変化を意味するからである。 「第1次パラダイム・チェンジ」も大量生産と大量流通とに基礎を置く産業経
済の確立という「経済のルール」の変化に対応したものであった。今日,経済 に生じているのは,産業経済の確立にも匹敵する大きな変化である。 まず,「第1次パラダイム・チェンジ」についてみてみよう。静態論のもとで は,債権担保力を体現する会社財産であった建物や設備が,動態論のもとでは, 企業の将来の収益稼得の源泉とみられることになる。例えば,G.0.メイは,1932 年のいわゆる「メイ書簡」において次のようにいう。 「会計の立場からすれば,今日の企業の著しい特徴は,将来の利益をうみ出 す手段となるであろうという明確な目的と期待をもって,ある期間になされる 支出の大きさであります。そして,そのような支出が財務諸表上どのように扱 われ.るべきかということが財務会計の中心問題であります。」(加藤確固[1981] 67頁) 同一の対象が,依拠する思想によって全く違って見えてくるという点で,静 態論から動態論への移行は,少なくともパラダイム・チェンジになぞらえるこ とのできる大変化であった。しかし,パラダイム・チェンジとしての動態論の 成立を理解しようとするとき見過ごしてはならないのは,それが貸借対照表全 体で生じたのではなく,金融資産・負債および資本を除く営業資産についての 変化であったという点である。この意味で,動態論の成立は「部分パラダイム」 (武田[1995]参照)の変革であったといえよう。この観点からすると,貸借対 照表における流動・固定区分は,必ずしも静態論の残宰ではない。例えば,貸 借対照表が提供する重要な情報の一つである流動比率の算定には,棚卸資産と 固定資産との区別が必要となる。このことは,単に流動比率の算定に不可欠と いった単純なことではなく,市場と直接関連する資産と企業内部での利用を前 提とした資産との区分として,いわば本質的な分類なのである。したがって, いわゆる動態論のもとでは,貸借対照表は,損益計算という観点からは連結環 として副次的な役割を果たすにすぎないが,流動・固定区分を採る限り,貸借 対照表独自の情報提供能力も温存されているのである。 また,原価評価は,インフレ傾向にある経済においては,債権者保護という 商法の要請に抵触しないが故に貸借対照表の評価原則として許容されたのであ
り,それ以前の時価評価から断絶的に,貸借対照表全体についてパラダイム・ チェンジが生じたわけではない。そのことは,今日なお,開業費,開発費およ び試験研究費の繰延資産に係る配当制限の規定や,株式分割において一株当た り純資産額が5万円以上という制限が設けられている規定において明かなよう に,:貸借対照表上のストック量としての純資産額を利用した債権者保護の要請 は,今日も商法計算規定に引き継がれている。 資産・負債を収益・費用の観点から説明しようとする「対応・凝着アプロー チ」が,繰延資産といったいわゆる計算擬制資産だけでなく,棚卸資産や固定 資産に対しても「将来の費用」として新たな定義を行ったのと同じく,リスク 管理システムの構築と拡大は,既存の金融資産・負債についても「リスク」の 観点から新たな再定義を求めているという点で動態論の成立に匹敵する「第2 次パラダイム・チェンジ」ともいうべき変化ということができる。デリバティ ブ取引は,今や金融機関のみならず,多くの事業法人にとって既に「経常的な 取引」としてリスク管理されねばならないのである。また,「取締役が回避する ことが可能なリスクを回避しないで損害を与えた場合には,取締役の責任が生 じることになる」(岸田[1994]17頁)というように「何もしないことによるリ スク」が許されない時代が到来している。そして「将来の利益を生み出す手段」 たる資産については原価評価が必然であったように,「総:合的資産・負債管理 (ALM)」の対象としての資産・負債については時価評価が求められる。 「第1次パラダイム・チェンジ」が,上述のように営業資産中心の変化であ ったのに対して,「第2次パラダイム・チェンジ」は,金融資産・負債および資 本中心に生じつつある変化である。但し,現実には,営業資産の「金融資産化」 ともいうべきリース契約に見られるように単純に営業資産と金融資産とを区別 するのが困難な境界領域の問題もあるため,以上はあくまでも理念的なレベル での整理である。 「リスク管理」という観点は,デリバディブ等の新金融商品だけでなく,既 存の金融商品の解釈をも変化させている。FASBやIASC金融商品に関するプ ロジェクトが,デリバティブだけではなく,金融商品全体を当初から対象とし
彦根論叢第295号 (図2)第1次および第2次パラダイム・チェンジの対比 第ユ次パラダイム ・チェンジ (収益・費用という 観点からの資産・負債 の再定義) B/S 資 産 負 債
資本
一 B/S 第2次パラダイム ・チェンジ (リスクという観点 からの金融資産・負債 の再定義) B/S 金融資産 負 債 資 本 . 営業資産難繹
ているのはこの理由によるのであり,またそのプロジェクトの困難性の理由も この点に由来する。確かに引当経理や偶発債務も「リスク」という観点から描 き出される事象ではある。しかし,リスク管理に必要なリスク測定は,新たな パラダイムに基づいてはじめて把握可能なディメンジョンであるという点で大 きく異なる。すなわち,先端的経済モデルや統計的手法とコンピューター・テ クノロジーを駆使することによって描き出された「新しい現実」なのである。 この意味で,デリバティブの問題は,その登場の契機となった為替の変動相場 制への移行や金融自由花等により生じた新たなりスクというよりも,従来にな いリスク移転の手段を可能とするテクノロジーの登場により生じた問題なので ある。 「金融派生商品は多様なリスクを伴うものの,それらのリスクは伝統的な金 融資産・負債に伴うリスクと類似したり関係したりしている。」(BIS Euro Cur− rency Standing Committee(日本銀行仮訳)[1994]88頁)というように,デリ バティブおよびそれに内在するリスクは,新しいものというわけではないとい うことが強調されるが,しかし一方でオペレーションリスクの「最悪のシナリ オ」として挙げられるのは「停電」や「担保管理に用いられる価格評価のソフトウェアの誤り」(BIS Basel Committee(日本銀行仮訳)[1994]41頁)であり, その意味でも,デリバティブは,コンピューター・システムに高度に依存した 金融商品である点が最大の特徴といってよい。 IV リスク管理に関する定量的情報開示 G−10諸国中央銀行総:裁は,1994年9月12日にスイスのバーゼルで開催した会 合において,「金融仲介機関によるマーケット・リスクおよび信用リスクのパブ リック・ディスクロージャー」(“Public Disclosure of Market and Credit Risks by Financial Intermediaries”)と題する討議用ペーパー(作業部会議長の名前 を冠して「フィッシャー・レポート」と呼ばれる)を公表することに合意した。 この合意は,G−10諸国中央銀行のユーロカレンシー・スタンディング委員会 (Euro Currency Standing Committee,以下ではユーロ委員会と呼ぶ)の提言 に基づくものである。もちろん,「フィッシャー・レポート」が対象としている のは金融仲介機関であり,一般の事業会社ではない。しかし,例えば,日本で もデリバティブには商社等が高い関心を示し,また実際に深く関わっている。 これは,今日の金融活動が,一般の事業会社にとっても単に資金調達と余剰資 金の運用といったものではなく,金利や為替の変動に伴うリスク管理という事 業全体に関わる活動の一環であるという点。そして,特にデリバティブについ ては,それ自体が情報そのものといった性格を持つため,既存の金融機関も情 報産業化を求められ,一方,情報産業にも参入の機会が十分存在する点で,金 融機関と事業会社との間に必ずしも明確な線引きができるとはいえないからで ある。また,FASBのSFASや国際会計基準でも金融機関に限らず,すべての 企業が開示義務の対象とされている。「フィッシャー・レポート」も,そこに示 された提案は金融機関以外,特に活発な財務部門を有している企業にとっても 有益であろうとしている。(BIS Euro Currency Standing Committee(日本銀 行平門)[1994]79頁)。 「フィッシャー・レポート」の提案の内容は,「すべての金融仲介機関は,経 営陣が実際にリスク管理に利用している以下の点に関する推計値を要約された
形で示した定量的情報を定期的に開示する方向で対応すべきである」(下線は引 用者による)として次の2点に係る情報開示を求めている(BIS Euro Currency Standing Committee(日本銀行仮声)[1994]81頁)。 ①関係ポートフォリオのマーケット・リスク,および当該企業のマーケット・ リスク管理のパフォーマンス。 ②トレーディング・リスクおよびリスク・マネージメント業務から生じる信用 リスク(カレントおよびポテンシャル・エクスポージャー,カウンターパーチ ィーの信用度に関する情報を含む)を,当該機関のリスク管理パフォーマンス を評価することが可能な形で示したもの。 市場リスク開示の具体的な方策として紹介されているのがバリュー・アット ・リスク(Value at Risk,以下では‘VaR’と略する)である。 VaRとは,価格 変動に伴い特定の保有期間・信頼区間においてポートフォリオに生じ得る最大 の損失額・利益額を統計的手法を用いて推計したものであるが,一般には損失 額のみに着目される。「フィッシャー・レポート」公表の背景には,主要な金融 仲介機関がリスク管理のため内部的に用いている基本的な分析手段は次第に収 敏しつつあるという事実があり,そうした手段は,企業のリスク管理パフォー マンスに関するディスクロージャーを改善するための出発点となり得るとされ る(BIS Euro Currency Standing Committee(日本銀行仮訳)[1994]84頁)。 近年リスク管理体制充実の必要性が一段と認識される中で,VaRは海外の有力 金融機関を中心に広く普及しつつあるが,例えば,米国の金融機関J.P.モルガ ンは,市場リスク評価の共通の枠組みの不足に対応すべく,VaRのアプローチ に基づく市場リスクの評価方法である「リスク・メトリックス」(“Risk Met− rics”)を1994年10月に一般公開し,不利な方向へのレートや価格の動きを示す ボラティリティー(volatility)や,レートや価格が相互にどのように相関して動 くかを示すコリレーション(correlation)の包括的なデータセットもJ. P.モル ガンおよびサード・パーティのデータ伝達手段を通じて毎日提供されている。 また,SFAS第119号でも,市場リスクに関する定量的情報として開示すること を奨励される例にVaRが挙げられている(FASB[1994]par. 13)。
リスク管理のための種々のリスク評価の方法の中で,VaRの利点としては以 下のものが挙げられる(BIS Euro Currency Standing Committee(日本銀行仮 訳)[1994]104頁)。 ①多様な取引の結果として生じるポートフォリオ全体のリスク量を「ある保有 期間に発生し得る最大の損失額」という形で一つのデータに集約して把握で きること。 ②こうした最大値の統計的信頼区間を示すことにより,算出されたリスク量に 客観性を持たせることが可能なこと。 ③VaRは金額で表示されるため,ポートフォリオの期待収益や自己資本額と 比較することにより,金融機関が負っているリスク量の妥当性を判断するこ とが容易なこと。 VaRの考え方は,過去の損失確率から将来の損失を予想するものである。 VaRを具体的に算出するに当たっては様々な方法があるが,概念的フレームワ ークとしては「想定される環境変化」に関する情報をインプットとし,そうし た環境変化によって発生する「ポートフォリオ価値の予想変動額」をアウトプ ットとする「価値評価モデル」を想定することが基本である。これらの関係を 示すのが「図3」である(BIS Euro Currency Standing Committee(日本銀行 仮訳)[1994]104頁の「図1」より)。 (図3) VaR算定の概念的フレームワーク 「想定される環境変化」 バリュー・アット・リスク 「ポートフォリオ価値 に関する情報 (VaR)算定モデル の予想変動額」 VaRの開示については,信頼水準が不明であればVaRを解釈することが不 可能なため,VaRの値に加え, VaRの推計に用いた信頼水準をも開示する必要 がある。また,ポートフォリオの内容を一定とすると,大幅な価格変動が生じ る確率は時間帯が長いほど大きくなるため,保有期間が長いほどリスクは大き くなる。
「信頼水準」と「保有期間」およびVaRが相互にどのような関係にあるかを 数値例でもってみてみよう(BIS Euro Currency Standing Committee(日本銀 行仮宮)[1994]94頁(注6)より)。なお,保有期間中のポートフォリオの構成 は一定とする。
保有期間
信頼水準
バリュー・アット・リスク(VaR) ケースA 1週間(7日) 5%(95%) ケースB 1週間(7日) 1%(99%)2,000万ドル
ケースC 1日 1%(99%)300万ドル
ケースAのVaRの解釈は,平均的に20週に1週の確率で少なくとも1,000万 ドルの損失が発生する可能性があるということを意味する。このケースAを比 較の基礎として,まず信頼水準の値だけを変えたものがケースBである。ケー スBのVaRの解釈は,平均的に100週に1週置確率で少なくとも2,000万ドル の損失が発生する可能性があることを意味する。ケースAとケースBとを比較 すると,保有期間が一定であれば,大規模な損失が発生する可能性は,小規模 な損失が発生する可能性よりも低いことが分かる。 次に,このケースBを比較の基準として,保有期間だけを変更したものがケ ースCである。ケースCのVaRの解釈は,平均的に100日に1日の確率で少な くとも300万ドルの損失が発生する可能性があることを意味する。ケースBとケ ースCとを比較すると,信頼水準が一定であれば,保有期間が長いほど価格変 動,したがって潜在的損失が大きくなる確率が高いことが分かる。 V 結びに代えて 収益力情報をもたらすための損益計算書は,強制開示される以前に,金融専 門家による大規模製造企業の支配によって,内部情報としていわば自生的に既 に一部に存在した。つまり,損益計算書が規制当局によって強制開示が求めら れることによって,他の企業にも普及したとしても,規制当局が新しい現実に 対応して何らかの規制を加えるには,ある程度規制対象が「固まって」おり,その本質が把握されている必要がある。このことは,貸借対照表から損益計算 書への重点移行が,外部報告に先行して内部報告において生じていたという指 摘によって裏付けられる(田中・井原訳[1978]85頁)。 デリバティブに関する規制の混乱は,まだデリバティブ等の規制対象が十分 に「固まっていない」ことに一部起因している。同時に,実物財中心の経済に 向けて開発された現行の会計システムという異質の受け皿ですくい取ろうとい う点にも困難iの一因がある。おそらく実効性のあるディスクロージャーは,ち ょうど企業の内部目的に利用されていた損益計算書が,その後,強制開示され ることになったように,リスク管理といった内部目的のために企業で自生的に 成立する情報の一部開示という形を採るしかないと考えられる。「フィッシャー ・レポート」においても開示を期待されている情報は,前述のように経営陣向 けの情報である。これは情報の有効性と同時にディスクロージャーに係る企業 の負担も考慮されているという(BIS Euro Currency Standing Com血ittee(日 本銀行仮訳)[1994]82頁)。 デリバティブの市場リスクについての開示の要件については,従来,会計学 ではほとんど体系化されてこなかった(FASB[1994]par.67)。また,金融商品 に関するディスクローージャーを既存の貸借対照表と損益計算書を中心とする会 計システムにのせることに意味があるかどうかも問題である。例えば,特にデ リバティブの場合,その利点自体が,資産計上することなく伝統的な金融商品 と同様の利益を上げることができるというオフバランス性にある以上,たとえ 特定のデリバティブをオンバランス化すべく制度を整備しても,そのこと自体 が新たな金融商品の開発の誘因にさえなりかねないという事情がある。また, リスク管理システムにおいて,商品別や貸借対照表上の項目別ではなく,金利 リスク,為替リスク,信用リスク等のリスクの主要なタイプ別に管理されてい る点からも,リスク.管理情報を会計システムに完全に統合することには限界が ある。 会計制度の中にリスク管理の概念を導入ないし反映させることにより,企業 の種々の財務ディスクロージャーを一貫した単一の報告とすることが望ましい
という考えもあるが,他方で,会計制度は一時点における資産・負債の状態, および収益の認識に係るルールの提供という限られた目的を適切に果たしてお り,リスク管理情報に関する新たなディスクロージャーは会計制度とは切り離 して考えるべきであるとの意見もある(BIS Euro Currency Standing Commit− tee(日本銀行仮訳)[1994]84頁)。 そもそもデリバティブの本質がリスク管理にある以上,デリバティブの開示 問題に関する最終的な関心は,単にオフバランスとなる特定の商品をオンバラ ンス化するということではなく,リスク管理パフォーマンスにある。しかし, リスク管理システムを既存の会計システムにどのように「思想」として統合す るかという問題は相当厄介なものと予想される。企業会計の「第1次パラダイ ム・チェンジ」としての損益計算書情報の開示は,利益稼得の多寡が,当該企 業の効率性の尺度であり,多額の利益を計上する企業へ資本を投入することが 社会全体の福祉に結果としてつながるという次のようなr思想」に支えられて きた。「経済体制の重点が,私企業におかれている米国においては,個人と企業 は,自分の富を最大限まで増殖しようと努めるのが通例である。財務情報は, 個人と企業が健全な経済的意思決定を行うのを補佐する。このプロセスは,経 済の全般にわたる効果的な資源の配分という社会的目標に結びつくであろうと 仮定されている。」(川口訳[1976]9頁) リスク管理の巧拙に関する情報は,当該企業のリスク管理能力というサバイ バル能力の証にはなりえても,それが最終的に社会全体の福祉につながるとい った「思想」の成立につながるだろうか。FASBの金融商品プロジェクトも認 識・測定基準の整備はまだこれからであり,国際会計基準についても,E48の表 示・開示部分のみがとりあえず基準化され,認識・測定部分の基準化は先送り されることとなった。新金融商品の認識・測定基準の体系的確立は同時に「会 計理論」の成立でもあり,おそらく,少なくとも「会計理論」の成立には,そ うした「思想」の確立が前提となるはずである。 (1995.3.27)
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