北 陸 大 学 紀 要 第
23
号 (1999>PP.
45〜
661
「
情
」
の
語
義
の
展 開
と
詩
語
「
多情」
の
成 立
に
つい
て
櫻
田
芳
樹
*On
the
semanticdevelopment
of
qing
andpoetical
wordduoqi
ηg
’s establishmentYoshiki
Sakurada
* 1〜θσθゼ〃edNovember
1
,1999
は じめ
に「
多
情」
という詩語
は中晩
唐の一
群
の詩
人によっ て好
んで使
わ れ定着
した 用 語だ が, それ が 唐 文 化の 成 熟, あるい は爛 熟の 後に当る とい うこ と はこ の語の イメー
ジを考
える上で示 唆 的であ
る。「情 」の語は記 載 文 献の始 ま りに已に見
え
,「
有 情 」 「無 情 」 もその時 期に遡れ る。 し か し, 「多情」
の語
が 現れ るの は 六朝
も末
, そ の定着
は中唐
を まつ 。経 書に見 えた
「
情 」の語が次 第に多 様 化 して い き , その頂 点を示 す「
多 情 」の成立が 中 唐 を まっ という
こ と は, 「情」
の語義
の展 開
, 人間の感情
世界
の豊富化
という
のは意外
に長い時
間 を経
てい るこ と を示 して い る。 分化
の 中で次第
に析 出
さ れて き た もの は,本来 「
情」 自体
の 中 に包 含 されてい た とも言え ようが, そ れを意
識 化してい くのが, 精 神 史の深ま り, 豊 富 化で あ ろう。
そう
した様
相 がこの 「情」
の語義
の展開,
「多情」
の成 立に見 ら れると 思う
。い ささか図 式 的に
「
多
情 」 という語 を 考え
てみ るに,
まず「
情」
とい う語 彙 が 原 点に据え
ら れ,
その有 無 を 問 題 として,
更に その多
少に着眼
して,
「多情 ・
有 情・
情
・
少 情・
無情」
の よう
に縦一
本 線の上 に表
示 され よう
。 実 際に もこれらの語の表
れ方はその順を とっ てき
た。その原点に据 えた 「情
」
の語
の由 来 は 古 く,先秦
諸子
百 家の時 代 に人の本 性 を 見つ め た二 人 の儒家
, 荀 子・
孟 子にその 典 型 的 用 例が見 えてい る。「
有
情1
「
無
情」
もま た用 藷 として は,『
詩経』
,『
礼記』
など経 書に已に見え
る。 しか し「
多
情」
の語
が 詩史
に確
め ら れる の は, 六朝
にわず
か, その定着
は更
に下 っ て中唐
以後
とな る。 以下 こう
し た展 開の跡
をたどっ て, 「情」
に まつ わ る詩 語 を考 え,「
多
情」
の 成 立 を探
っ てみたい 。一
,倫 理
学
・詩歌 原 論
の基底 と して
の「
情
」
『
漢語大
詞典』
は隋 」
の第
一
義
を「
感情」
とし て, その典拠
に『
苟
子』
正名篇
の「
性
之好,
*外 国 語 学 部Faculty
ofForeign Languages45
一
悪
・喜 ・
怒・哀 ・
樂 謂 之 情 」を挙 げてい る。 また, その第二義に「
本 性 」と して『
孟 子 』 告 子篇
上の「
乃若其情 ,則
可 以爲善矣
, 乃所謂善
也。」
を引 き
,兪
越の『
群経
平議
1
孟
子二の次
の解釈
を示 す。「
蓋 性,情
二字, 在後
人 言 之, 則區
以 別矣
。而在古
人言
之,則情即性
也……
孟 子 以惻隱
爲仁
, 羞悪爲義
, 正是以情
見性
。」
と。辞書
は第
一
義
と第
二義
にこれ を分
かつ が,性
の表
れ という意味
で は表裏
の引用
で ある。苟子
は「
好・
悪・
喜・
怒・
哀・
樂 」には節 度 あるべ しと倫 理の規 制 を考
え, 孟子
は「
惻 隱の情 」や「
羞
悪の情」
に表
れ る善
な る性
を顕 現 すべ し と し て, 二者の性 説は性善 ・性悪
の二様
に分か れ て行
くが, と もに性の表
れ とし ての感情
の異 なっ た 面に着
目し てい たのである。それが 人 間に生 まれなが らに
備
わっ た本 能で ある とい うこ と は,『
礼 記 』 礼 運 篇に「
何 謂 人情,喜 ・
怒・
哀・
懼 ・愛 ・
悪・欲 ,
七者弗學而能
。」
という
。韻 字に よっ て配 列 さ れた詩 語 辞 典
『
佩 文 韻 府』
の 「情 」の語
の用 例は, ま ず 「性 情・
六 情・
人情 ・
七情」
の順に並べ ら れ てい る が,「
情」
は本 体 ととも
に いえ
ば「
性 情」,荀
子の よう
に数 え れば 「六 情 」, そ れ が 人に属 する もの であるか ら 「人 情」
, それ を 『礼記』
は 「七情」
と も数
えた。 い わ ば詩
語辞典
の 冒 頭を占
め る語 彙は, いず
れも
倫 理の 基 底を考 えた思 索に発 する語で ある。その よう な 人 間の 本 性
,
その表
れ とし ての感情
という
意味
で,
思索
の 中で使
わ れ て来 た 「情」
という
語は ま た,「
詩
と は何か」
とい う 文 学の基 底を考 えるに も大 き な役
割 を果して きた キ イ・
ワー
ドである。『
詩
経』
三百
篇をも とに詩
歌 原論
を組み 立 てた「
毛
詩 大 序」
は「
情
」 を詩発
生の根
源 と見
て 次の ように い う。(
一
)詩者志之
所 之 也。在心
爲志
, 發 言 爲詩
。情動於
中,而
形於
言。 (二)
情 發 於 聲, 聲 成 文, 謂 之 音。(
三)吟詠情性
以風其
上,……故變
風發乎情 ,止乎禮義
。 發乎情
民 之性
也。(
一
)
は詩
の 言葉
の発生 を,(
二)
は歌わ れ る詩の音の発生 を,
そ れ ぞ れ「
情
」に お い た。 (三)
は詩の諷 刺として の政 教 上の効 用 を 説 き,国
風 諸 篇は民の情
に発 する とした。「
詩は志 を言
う」
という考
え方
は 已 に 『書 経』虞書 ・舜
典,
『礼 記 』楽
記 篇,『
苟
子 』儒効
篇 に も見え
, そ れ ら先 行 儒 家 文 献の上に立て ら れた詩 歌 原 論で あるが, 「情 が 中に動い て言に形 わ れる」
と詩
を感情
の発露
, 顕 現に おい たの は「
毛 詩大序」
に始
まる。 そ れ が示 し た「
詩は志 を言う」
, 諷 刺が政 教を助 ける という
儒 家の効 用説
は, 歴 代の文 学 論に よっ て次
第に そぎ
落 と さ れて ゆ くが,詩
が陦,情性
の 発露,顕現
で ある という見方
は,
その後
も詩論
の中核
を占
め続
ける。(
一
)
詩 縁 情 而綺
靡,
賦 體 物 而 瀏 亮。 厂詩は情に縁 りて綺靡
に し,
賦 は物 を体
して瀏亮
にす。」(
陸 機「
文 賦 」)
(
二)詩者,持
也,持
人情性,……
人稟
七情,應物斯感,感物吟志,莫非 自然
。 「詩
とは持
な り, 人の
情
性 を持 す る な り,……
人は七情
を稟
け,物
に応 じて斯
に感 じ, 物に感 じて志を吟 ず。 自然に非る は な し。」 (劉 鰓
『
文 心 雕 龍 』 明 詩 篇 )「情 」の語 義の展 開と詩 語 「多 情」の成 立につ い て
3
(
三)氣之動物,物
之感
人。故搖蕩性情,形 諸舞詠
。「
気
は物
を動
か し,物
は人を感
ぜ しむ。故に性 情 を 揺 蕩 し, これ を舞 詠に形わす。」
(
鍾蠑 『
詩品』
序)
陸機
は詩
が「
情」
に よ るこ との みを言
い,劉鰓
は「
情」
の発露
に「
物
に感 ず
る」
という契機
を考
え,鍾蠑
は 更にエ ネルギー
の根
源 と しての気
と物の変化
と情
の感
応の関連
を考
えてい る が, い ず れ も「
情 」「
七 情」 「
性 情 」の発 露, 顕 現 を 詩の基 底 と考 え
て い る。 三者
の「
詩 とは何 か」
という考
えの違
い は ここに引
か ない 部 分を含
め て考 えねばな ら ない が,
詩 歌 原 論の 共 通の キイ・
ワー
ドが「
情」
であ ることは十 分に見て と れ よう
。以上に見た ところ はい ずれ も思 索, 理 論の用 語として の
「
情 」であっ て,倫
理の基 底 を考え た用語
が,詩歌原論
に おい て もい か に重く考
え られ てき
た か を知
り得る が, その「
情
」の語
が 些かの陰影
を とも
なっ て作
品の 中で, 詩語
と しては どの ように使わ れて来たのだろうか。 二,『
詩 経
』 『
楚辞 』
に見 る
「
情
」
古代
文 学における「
情 」の語の使 用 例 を 見る に,『
詩 経 』に は「
国 風 」 諸 篇に諸 国の 人々 の 様々 な 感情
が歌われるに も拘
らず, 隋」
字その もの を使
うの は次
の一
例 の み である 。子
之 湯 兮 宛丘之上兮 洵有
情 兮 而 無 望兮
子の湯たる 宛丘の 上に まこ と洵
に情
あ り簟
る ること なし(
陳 風「
宛
丘」) き み「歌垣
」
の行
われ る宛丘 に舞 う
子の舞姿
が, まことに「
有 情 」であ り忘れ が たい とい う 白 川 静 氏の読 み が 最 も納 得 さ れる。 ω「
有 情 」 と はい かにも情
あ りげ とい え ば, 感 情 がこ もっ てい る ことを言
う だろう
。 そ れを更
に言 えば 「風情 あ り」
という
こ と に もな ろう
。 現存
の『
詩 経j
には, こ の他
者の姿
を描
写 し た「
有情
」以外
, 自らの心 情を「
情 」 字を使
っ た語彙
で示 した も のは一
例 も見 ら れ ない 。 「悠哉
悠 哉」 (
「
関
唯」)
の よ うに感情
を直叙
した ものや,「
憂
心仲仲」
(
「草蟲」)
や「
我
心悠
悠」 (
「泉水」)
の よう
に心の状 態と していう
もの は数 多 くある が, それ を「
情 」 として客 体 化 した表 現はまだ見 られ ない の であ る。それ に くらべ て
,綿
々 と し て憂
国の情
を述べ た『
楚 辞 』に見 える「
情 」 字の用 例は, ほ と ん どが 「わが 胸の思い」
と して の 「情」
と言っ て よい 。 それ も屈原作
とさ れ るもの に限 れ ば「
離 騒 」(
六 例 )「
九 章 」(
十五例)
に集
中 してい る。 その 表 れ 方は懐 王に理 解 されぬ思い を述べ た わが「
離
騒」
, 「九章」
の主題 に対
応 し たもの で , 「情」
とい い ,「
中 情 」 とい い,「
余
情 」 という
が, いず
れ も「
わが胸
の 思い」
に他
な ら ない 。「
情 」 (十一
例 )情沈抑
兮 不達兮 情沈抑
せ ら れ て達
せず
又
蔽
而莫
之 白又蔽 わ れて之に
宥
か にするなし47
一
(
「
九章」惜
誦)
中情 (
五例)
薹 不 察 兮 余 之 中 情 兮
鑿祭
中 情を察せず反
信讒而齋怒
反っ て讒
を信
じて齋 怒す
(
「
離
騒」
)
余
情 (
こ例)
(
「
朕情」
一
例)
苟余情其信跨
以練要兮
簡
く も余情
宿
に騫
し く練要
な らば 長 頗 頷 亦 何 傷 長 く頗 頷 するも亦 何 ぞ 傷 ま ん(
「
離
騒」)
わが「
沈抑
され て達
し ない」情
は屈
原の情
であり,
そ れを明示す
れば 「余情」
となり,
その所在
が心 中である事
をい えば「
中 情 」 とな る。『
楚 辞』
中の屈 原 作に見ら れ る「
情 」の用 法は十一
例を数
える が, そのう
ち 四例は「
情」
を 「質」
と並列
させてい る。 まこと情與質信
可保兮 情
と質
と信
に保つ べ し(
「
九章」
思美
人)
恐 情 質 之 不 信 兮情 質の信ぜ ら れざる を恐る
(
「九章」惜
誦)
い
だ 懐質
抱 情質
を懐
き情を抱 く(
「九 章」
懐 沙 )荀 子
・
孟子の倫
理学
で考
えら れた「
性」
と「
情」
の関係
が,独 自
に「
質」
と「
情」
という語
で捉
え られて い る。 荀子
・
孟 子の「
情 」の本 体 を考え
る見 方は屈 原に もあっ た といえ
る。 ち な み に 王逸の注に は「
情
は志なり,質
は性
な り。」
とある。 『詩経
1
の感情
の直
叙,本体
・
現象
未 分の 「心 」「
我 心 」で捉え
られた感 情の段 階 か ら一
歩 進ん だ相 が 見え
てい よう。また
『
詩
経』
にも 『楚辞』
にも見
えない「
無情」
の例 は,『
礼記』大学篇
に「
無情者
不得
蠱 まこと 其 辭 」 (情 無 き ものは其の辞 を尽 くす を 得 ず。)
とあるが, これ は「
心 情 に実 な き ものは (裁 判 の席
で)十
分 な説
明が出来
ない 。」
という意味
であ
る。「
無情」
につけ
た鄭玄
の注
は 「情猶實
也」
とい うが, 屈 原 流にいえば, 次の句となる。 言 與行
其 可迹
兮言と
行
と真
れ迹つ く苛
く情與貌其
不變
(「
九章」
惜 誦 ) かお情
と貌
と其
れ変
らず
「
真実
であ る か ら私
の情
と顔
色 は一
致
して変
わ らない 。」
という
のは,
『礼記』
の「
無情」
と 反 対の「
有 情 」 (「
情に実 あ り」)の描 写ともい える。 これ も また「
わ が情と貌 」で あるが, 十一
例のう
ち 必ず
しも「
わ が情」
と見
ら れ ない 他の二例は こう
した「
実
ある情」
の意
で使
わ れた 例 である。f
情」の語義の展 開と詩語 「多 情」の成立につい て5
情寃
之 日明
兮情寃
筧
わる るこ と 日に明ら か な る, 如列
宿 之錯 置 列
宿の錯
置 する が如
し (「
九章」
惜 往 日 ) 萬變
其 情豈 可 蓋 兮万
変
する も其の情
豊
に釜
う
べ けん,
い
つく ひ さ孰
虚偽
之 可長 孰
ん ぞ虚偽
の長
しかるべけ
ん(
「九章」
悲 回 風)
『
礼記』
が 「無情」
という語
で提示
した 「情」
の 「実」
の一
面 はこ こに もは ら まれ てい る。 あ らわ う ちま た
,
「毛 詩 大 序」
は 「情 中に動 きて言に形 る」
と詩の発 生 を 説い たが,
その理 論の言 葉に わ が 先 駆 けて,表
現の現 場を「
余
情 」 に即 して 自述 したのが次の用 例である。 結 微 情 以 陳 詞微 情を結びて以っ て詞 を陳べ ,
矯
以 遺夫美
人矯
げて以っ て美
の美
人(
主君)
に鬟
る。(
「
九章」抽
思)
こ こ つら の 茲 歴情
以陳辭兮
茲に情 を歴 ねて以っ て辞 を陳
ぶ るも,
いつ
わ ろ う 孫 詳 聾 不 聞孫
(
君 ) 詳 り聾 し て聞
かず(
「九章
」 抽 思 ) あ き 願陳情
以白行
兮情 を 陳べ て以っ て
行
ない を白
ら か に せ ん と 願う
も,
得 罪 過 之 不 意罪 過 を得んとは
慧
わ ざ り き。(
「九章」惜往
日)
い た う れい
惜 誦以致
愍 兮惜み誦して以 っ て愍を致 し,
い
きどS 發 憤 以杼 情 憤 りを発 して以っ て情 を杼ぶ(
「九章」
惜誦)
う ち あ らわ いず
れ も 「情 中
に動
い て言
に形
る」 表現
の現場
であり,自
己の制作
の動機
を語
っ た次
の句
な ど は, 「毛 詩 大 序 」の説を明 確に導 くもの と思 う。 介 眇 志之所 惑 兮 介た る眇 志の惑う
所 ひ そ竊
賦 詩 之所
明竊
か に詩を賦して之 れ 明 らかにする所
なり
(
「九章」悲
回風 )
屈
原の「
情」
の 用法
には 巳に苟
子,
孟 子の本体
と現象
の分析
があ り
,『
礼記」
の「
無情 」
に 見 える 「情 」の 「実 」として の一
面 を 宿 し, 「毛 詩 大 序」
の詩 発 生の 原理 を 導 く ものであっ た。 わ が ただ, 芳 草に借 り, 歴史
に借 り, 神話
に借 りて繰 り返 し述べ られ る「
余
情 」は, その高
潔に の み焦 点の当てられた情
で あ り,
い ま だ情
の多
面性
を展
開 する もの で は ない 。以上で屈 原の
「
情 」の語 彙のあ り様 が 示せ た と思 う が, 「天 間 」 に一
例だけ「
情 欲」
の意
の 用法
が見ら れ,後
に「
情」
の語 彙の重 要な一
翼と し て現れ る含意
が示 さ れてい る。 きよ く あ つ何繁鳥萃棘
何 ぞ 繁鳥
の棘
に萃ま れ るに49
一
ほ しいま ま 負 子 肆 情
子を負
え
る に情 を肆にするや(
「
天 間」)
王
逸
の注に よれば, 晋の大 夫解居
父 が 陳の墓門
を 通 りか かり,子
を背負
っ た婦
人に挑
み か か っ た が,「
墓
地 とて人は無
けれ ど, 樹 上に はあんなに沢 山 鳥 が 見て い るで はあ りませ んか, ご無体
は おやめ な さ れ」
と,陳風 「
墓
門」
の詩
を引
い て拒絶
した という
。 そこ で「
負
子肆情」
を「
子 を 負え
るに」 と読ん だが,句作
り か ら は無
理 な読
み で, 他の伝説
に 「子
を負
い て情
ほしい
まま を肆
にす
る」婦
人があっ た かも
知 れ ない 。 とも
あ れ「
肆 情 」 を 王 逸は「
其の情 欲 を肆にす」
と注
して い る。『
礼
記』
の「
七情」
には「
欲」
が数 えら れ, 許1
真『
説文
解
字亅
には「
情 人 之 陰 氣 有 欲 也, 從 心青
聲」 (
情
は人の 陰気
に して欲 あ る もの な り , 心に従
い青
の声)
とい っ てい る。 陰気
と は対
象
に よっ て引き起
こ さ れ る という
消 極 面を言っ たものだ ろうが, 同 時にその「
欲 」に注 目 して い た。 欲に は利 欲 も情 欲 も,
分 けて考
え れ ば様
々 にあろ うが,
『漢語大詞典』
は「
情」
の第
三 の義
を「
性
欲,情欲」
と し て,
この「
天問 」と王 逸 注を典
拠 と して い る。 三,『
文選 』
に見
る「
情」
『
文選』
は賦の部
立てを「
京都
, 甲」
か ら始
め, その十番
目に「
情,
癸」
を置い てい る。 そ こ に載
る作
品 は,宋
玉の「
高唐
賦 」「
神女
賦」 「
登 徒 子好色
賦 」 曹 植の「
洛 神 賦 」である。 これ「高 唐 賦 」は先 王 が 夢に 巫山の
神
女と出 会い 「枕
席 を薦め」
られ, 「之 を幸」
し たとい う神
話
を紹介
し て,
巫山,高唐
の山容
を描
い た もの, 同様
の夢
を見
た襄
王のた め に,
その神 女の盛 美 と出 合い を描い たのが「
神 女 賦 」である。「登
徒子好
色 賦」
は,登徒子
に好色
と讒言
さ れた宋
玉が,絶世
の美女
の誘
い に 三年
なびか な か っ た自分 と, 醜 婦 と 五人の子 を な した登 徒 子 とい ずれ が好 色か と弁 明 する賦である。 曹 植の「
洛神
賦」
は 巫山の神女
を洛水
の神女
に置
き換
えた継承作
であ
る。「
情」
には 巳に「
情欲」
「色情」
が含意
さ れてい た が ,『
文 選亅
はあ
か ら さまな語
は使わず
,r
情 」の一
字をその部 立の名とした。この
分
野には神女
を 主題
とし て建 安詩
人 以 下に継承作
が見
ら れ る他 ,漢
の張衡 「
定情
賦」
, 蔡 畠「
静 情 賦 」 など, 人 間 界に絶 世の美 女 を構 想 して, 情 を様々に蕩 漾 さ せ, 最 後にその情 を定
め静
め るという艶情文学
を生み,
その集大 成
の作
とし て陶淵明
の「閑情
賦」
が作
られ た。 (3〕 いわ ば「
情」
の語のイメー
ジ に は, 「情
欲」 「
色情」
とい っ て直接
的にす ぎれ ば,男女
の情
, 艶 情の一
面が大
きな位
置を占め てい るのである。 こ と に晩 唐の「
多
情 」に は このイ メー
ジ が深 く投
影 さ れ るこ と にな る が, その源
はこ こにある。『
文 選 」 所 載の「
情 」の語 彙は, 熟 語 も含めて 二 七 例が数え
られ, 様々な もの が 見 ら れるが,「
情」
の微妙
な相
を捉
えた表現
と し て,漢
の武帝
の作
と伝
えら れ る「
秋
風の辞」
が まず
思い起
こ され る。歡
樂極兮
哀 情多
歓楽極
ま りて哀情多
し少
壮 幾 時 奈老
何少 壮 幾 時 ぞ 老い をいか ん せ ん
「情 」の語義の展 開と詩 語 「多情 」の成 立につ いて
7
感情
の微妙
な動
き を捉 え た名句
とい っ て よく, 七情
の一
つ な がり
の一
面 を 捉 えてい る 。物極
まれば則 ち 転 ずとい っ た循 環 論の考 え方
が 中 国 思 想 には深 く根
づい てお り, 李善
注に引 く『
列 きた女伝
』には「
陶荅
子妻
日,
樂 極 必哀
來 」 (陶荅
子の妻
曰 く, 楽 極 まれ ば哀
必ず来
る)
という
類想
も見 え
る。 し かし, これは 理 をい っ た もの で , 「秋風
の辞」
の句
は詩
と して の表現
で この実
感
を深めてい る。感情
の微 妙
な 変 化 と,楽
しさのう
ちに潜む哀
しみ というも
の が, 十二分に捉 え られ てい る。 芭蕉
の 「お もし ろう
て や が て かなしき鵜舟哉 (
鵜飼
と も)
」
〔4 〕 が名句
である由
縁 も その微妙
を捉え
てい るか ら だろう
。 中晩
唐の「
多情」
も春の 遊 び,賞
春の 「多情」
を しば しば 語る が, いず
れ も「
春 愁 」 と一
つ と な り,哀
情の隠 さ れ た「
多
情 」で ある。二七の例の
「
情」
の用 例 が見
られ る『
文選』
に も ま だ「
多情
1
の語
は見
え ない 。「
多情」
に は「
思い 多 きこと」と解 さ れる一
面 が あるが,『
文 選 』で はそ れ らの意に は,「
多 懐 」 「多
念 」 が用い ら れ てい る。 遠 行多
所 懐遠行
懐う
所多
し 我 心何怫
欝我 心
何
ぞ怫
欝 たる(
曹 操「
苦 寒 行」)
感物多所懷 物
に感
じ て懐 う
所多
し 沈 憂 結 心 曲 沈 憂 心 曲に結ば る(
張協
「雜
詩 十 首」
その一
)
おも 征夫
心多
懷征 夫 心 懐い
多
し 惻 愴令
吾 悲惻愴
と し て吾を悲 し ま し む (王粲「
從 軍詩」
その 二)
夜 幽 靜 而多
懐夜
は幽 静に し て懐い多 し 風 觸 楹 而 轉 響風は楹に触 れ 響 き を
転
ず(
謝恵連 「
雪賦」)
お も 傷懷悽多念 懐
い を傷
まし め悽 と し て念
い多
しつ
か す くな 戚 貌瘁
而 尠 歓戚 貌 瘁 れて歓び尠し
(
陸機 「
歎 逝賦」)
誰令
君多念
誰か君
をし て念
い多
か ら し め いだ 自使
懷 百憂
自 ら百 憂 を懐 か し む。
(曹 植「
贈王粲一
首
」)
「多 念 」の 二例はいずれも 時の推 移 に感 じ たもの。 曹 操の 「
多
所 懐 」 王 粲の 「多
懐 」は征 旅 に感
じ たも
の。張協
の「
多
所懐」
は秋
の訪
れ に遠役
の失
を思う
佳 人のそれで, 両 者の要 素が重 なる。 征 旅・時
の推 移に悲 哀 をい う作
は多
い が, そ れを 「多懐」
「多
念」
でい う例 は 『文
選 』51
一
で はこれだけである。 謝 恵 連の
「
多 懐 」は雪の夜の 静 け さ を感 じたもので, やや 新 味を出 して い る。ところ で
張協
は 「物
に感じ て懐 う所多
し」
という
が,物
に感
じ て動 くの が 情の特徴
で あっ た。 そ れは漢
の 王 充の『
論 衡』
初稟篇
な どにも「
情, 接 於 物而
然者
也」
(情は物に接 して然る者 な り)とい わ れ てい る し,先
に見た劉鰓 『
文 心 雕龍
』, 鍾 蠑『
詩 品 」にも説か れ てい る。 これ ら「
多念」 「
多懐」
を引
き起こ し てい る の も「
情」
である。 その 目で みれ ば,張協
の 「雑
詩 十首」
その六の例は, 「多
念 」「
多懐
」と 「多
情」
をつ な ぐ例と見 られる。感物多
思情
物に感 じて思情多
く かわ在
險 易常
心険に
在
りて常
心 易るこれ は遠 行の情を言っ た もの で, 張 協は
「
物に感じて」 起こ さ れ る情
を 「多
所 懐」
とも「
多
思情」
と も表現
した。
語構
成か らい え ば,
「多
思 情」
を約
言 す れば 「多
思 」とも 「多
情」
と も な り, 中 唐以後に表
れ る「
思い多 きこ と」をいう 「
多 情 」 誕生の契
機を は ら んだ 表現とい えよう
。 四,「
多
情
」
の発
端
『
文
選』
には「
有 情 」「
無 情」
の用 例は 三例 ずつ 見え
るが, 人 と して の情
の有 無をいう
例は 二例ず
つ , 『礼記』
に見た,実
ある情,
実 な き情の 例が一
例 ずつ となっ て い る 。 こ こに は人と して のそれの み見て お こう
。い
ぞ 然苟
日有 情 然
らば苟
しくも情
あ りとい わば た れ よ 孰 能 不 懷 孰か能 く懐わ ざ らん(
盧謳 「
贈劉
現一
首并書」)
有 情 知 望 郷 情 あ りて望 郷 を知る くろかみ 誰能績
不變 誰
か能 く績 変
らざら ん(
謝 眺 「晩 登三山 還 望 京 邑」) 人 之無情
人の無 情 なる一
何 至 此 何 ぞ 此に至れ るや(
任防 「
奏彈劉
整」)
將 軍 獨無情哉
將 軍独
り情無
か ら んや(
丘希範 「
與陳
伯 之 書」)
「
無情」
は両者
と も 人 とし ての情無
きこ と を責
め た もの。「
有情」
には 「有情
→孰能不
V
」
と共 通の句 作 りが 見 られ る。 これは, 「人は有 情で あるか ら,V
せ ざるを 得 ない の だ1
とい っ「情 」の語義の展 開と詩語 「多情 」の成 立につ い て
9
た もの で , 「有情
」 を 人の しかるべ き姿
と見
てい る。 だか らこそ 「無情
」
は 人 とし て責め られ る こ と にも なる。「
陳 伯に与う
る書」
の引
用の 前の 部 分は, 「
廉 頗 将 軍が魏 侯に信 用さ れず, 趙の将 軍に復 帰 し たい と思っ たり
,呉
起 が 失脚
の原因
となっ た西河
を見
て涙
したの は,
人の情
である」
と言
っ て , そ れなの に将 軍 あ なた は無
情で あっ て い い もの で しょうか と責
めたの で ある。 {5)い わば人 は
有情
なるべ しという考
えが, こ の「
有情」 「
無情」
い ずれ に も反 映してい る。そ れ が 当 然の よ うだが
,「
是非」
を超 越 しよ う とす る 『荘子』 的
思 想 か らは,
人 は 宜しく無
情な るべ し とする考 え も, 中 国に はある。 有 悲 則 有 情悲 しみあ れば則 ち情 あ り,
無
情 亦無
悲情無
ければ亦
悲し みも
な し(
阮籍 「詠 懐 詩 」 その七 十 )(
第
二句
は一
本に は 「無 悲 亦 無 思」
に作
る)
鈴木修次 氏
に已に 「有情
・
無情
・
多情」
の稿
(5)があ
っ て,本稿
もその大枠
の 中で書い てい るのだが, 氏は阮 籍の右の句を引い て, 「こ の考 えの裏に は, 人 間は有 情の存 在である か らこ そ お もしろい のだ, また, 悲 し み という
の は, た しか に人間に とっ て不幸
なことで はある と は い え ,悲
し みという
ことがあればこそ, か えっ て有情
の存在
であ
る人 間性
はい きい きと発揮
で きるの だ, とい う認 識 が ある ように思 う。」と言われる。 いつ じ ん か ん か え りし か し
,
こ の詩
全体
は 「心 を灰
に し て枯
宅に寄
せ な ば,曷
くん ぞ人 間の姿
を顧み ん。始
め て こ こ わす 我 難を忘る る を得て , 焉 に黙 して 自ら遣る る を知る」 と結ば れ る詩で, その主 題は心を死 灰 と し て無情
なるべ しという
。 少 な く と も詩
の表
面の意味
は,有情
なれ とは言
わ ず, 「無情」
の価
値を説い てい る。 c7)また, こうし た荘
子
的 見 方を持
っ た阮 籍は, 「達 荘論」
に性と情の 関 係を論
じて「
身 者, 陰 陽 之積 (
范陳本,梅本 ,李本作精)氣
也。 性者 ,
五行
之正性
也。情
, 遊魂
之變
欲 也。」
と記
し てい る。 こ こ に も鈴 木 修 次 氏は「
情は欲だ と考 えるの は『
説 文 」の 説と か よう
が,『
遊 魂 』と いう
一
種
の テ レ パ シー
の 『変
欲』
であるとするそ の考
え方
は,
独 創 的,個性
的で ある。」
と言 われる。し か し
,
これも また 「性
・
情」
を考
え 続 けた中 国思想史
上 の発 言であ り,
「物に感じて動 く」
とい う一
面 を捉え
て, 情は「
遊 魂の 変 欲 」である と言われた もの と考え
る。『
易 』 繋 辞 伝の 「精氣爲
物, 遊魂
為 變。」
(精 気は物となり
, 遊 魂は変
を為
す。)
という
の は身
体 と情
の関係
を考
え
た もの で, 阮籍の「
性 情 説 」 を導
い て そう
へ だ た りのある もの と思わない 。ただ
,
阮 籍を画期
の 人 と して,「
入間に は,
その合
理の みで は割
り切れ ない情
を 問 題に し て 詩があ り文 学がある という
こ と , そ れ が人 間を充実
さ せて い るの だ。 阮 籍は ほ と ん どそう
し た考
え まで持
っ たの で は な かろう
か。 人間
にお ける文学
の存在
意義
を,始
めて自覚的
につ かん だ のが,
中 国におい ては阮 籍で はなかっ た か。」と言われるのは, 阮 籍の作 品 全 体をふ ま えた論 と し て理解
さ れ,推
服 さ れ る。先
の旬
とて,
阮 籍が 「無
情」
に徹
し切れれば,
生 まれ る 必要 も ない の だ から,
その真
情は字
面の主 題と は別にある ともいえ
, 無 情で あ りたい と願 う程, 有 情の悲 しみ は深 く, 作 品 その も のが矛盾
の産 物で あ る。 そう
し た矛盾
の諸相
を様
々 に取 り出し て み せたのが阮籍 「
詠懐詩」
の53
一
世
界
で あ り, 想 念と現 実に引 き裂かれる阮 籍の 「情」
の描写
に は一
段
の深
まり
がある 。 五,自
然 の「
無
情
」
と
「多
情
」
の発
端
「
有 情・
無 情 」に は人として のそれ と は別に, 人は有 情, 自然は無情
とする見 方 が あっ て ,唐詩
に は名句
と言
える表
現 もあ
る。 た と あ らわ 眼枯
即 見 骨眼
枯
れて即 え骨
を見す
と もつ
い
天 地終無情
天 地は終に無 情 な り (杜甫 「
新安吏
」)
永 結 無 情 遊 永 く無 情の遊び を結び はる相期
遡 雲漢 相
い期
す 雲漢
遡 か なる に (李白 「
月 下 獨 酌 」)「無 情
」
のイメー
ジの頂 点とも言え
る句で , 杜 甫のそ れは, 壮 丁 絶 えてな お兵役
に駆り
出 さ れ る年
い っ たり若
す ぎる男達
の列
を,青 山白水
を背景
に涙 も枯
れ,
眼に穴が あ き, 骨があら わ れ る ほ ど見つ めて も, 天地はつ い に無情
とは, 比喩
の領 域を突 き抜 けた無
言の叫
び が響
くであ ろ う。 ま た 李 白のそ れは, 山 中に月と自分 と影とが 乱 舞 するの を 無 情の遊 び と言
い , 雲漢 (
天 の川)
は る か に そ れを完結
さ せ よう とす
る。 これ は もう
孤独
の悲哀
な ど や わ な情 緒を超 えた月 光に浮か び 上 が る一
種 夢 幻 劇 中の一
コ マ で ある。こ の よう な 名
句
を生んだ 自 然は無情
という
発 想は 『文
選』
に は ま だ見 えて お らず,
類 想は「
天 地無
心 」(
「
答
盧 謳 詩」)
や「
雲無
心 而 出 岫 」(
「
帰 去 来 兮 辞 」)の ように「
無 心 」の語で表 現 さ れる。た だ 『
文
選』
に見
えぬが , その 編者
昭 明 太 子 には恋の歌のい か に も軽い ものだ が, こ の義の厂
無 情 」 が 見 え,『
玉 台 新詠
』 に引 く「
古 絶句
」 などが その 先 行 例としてある。 菟 絲 從 長 風 菟 絲 長 風に従 う も根
莖無斷絶 根
茎断絶
せず
無 情 尚 不 離 無 情 すら尚 お 離れずい
つく有情安
可別 有情安
んぞ 別るべ け ん (「
古 絶 句四首 」) その三 別 觀葡萄
帶實
垂別 観の葡 萄 実 を
帯
びて垂れ 江南
荳 蒙生連枝
江南
の荳 蒄連枝
に生ず
無情
無 意 猶如
此無情無
意 す ら な お か くの如
し いた ず 有 心 有 恨 徒 別 離 有 心 有 情に して徒 らに別 離せ ん や(
簡文帝 「
和蕭侍
中 子 顕 春 別 四首」
)
「情 」の語 義の展 開と詩 語 「多 情 」の成 立につ いて
11
昭 明の三
・
四句
目は 五言を 七言に したま で で,
言う
ことは変
らない 。「
古
絶句」
は「
風に吹
か れる
無情
のね なしかず
ら も, 宿 主の幹
を離
れ ない の だ もの ,有情
の私達
が別
れてな る もの です か。
」
とい う。 昭 明のそれ は, 野の根 な しかずらに変 えて , 宮 中に房 を 垂 れる葡 萄, 枝を連ねる荳 蒄と珍 しい 植
物
を綺 麗に 上げ
て, 同じ詩境
を七言に示したも
の 。 読み人知
らず
の素朴
を斉梁体
に受
けた もの とい えよう
。 丁福保
は こ の「
古 絶句
1
を全 漢 詩に引
くが斉梁
と そう
へ だ た ’らない 六
朝
風の恋の歌である。 こう
した恋の歌の言葉
遊び が 生 ん だ表
現 だが, 唐 詩の時代
に は様
々 に磨
か れて, つ い には李杜
の よう
な深
い イメー
ジ を結
ぶ よう
になっ た。「
多
情」
も 同様に東 晋 以 後の 呉 歌, 民 間の歌 謡に見 られ, や はり恋の歌の言 葉 遊びに端を発してい る。
「
有情 ・
無情」
の語の イメー
ジを様
々 に 深め た李杜 も
この「
多情」
の語は継
承せず,
中
唐
詩人 に よっ て定着
する。次
に その発端
と思 える詩 を 見てみ よう。 春林
花多媚,春鳥
意多哀,春
風復多情,吹
我羅裳
開(
「子夜四時歌」春
歌 その十)
O O O O O O O O O O O O 春 花 綺 繍色 春鳥
絃 歌聲
春 風復
蕩漾
春女亦多情 愛
將鶯作友 憐傍
錦爲屏
回 頭 語 夫婿
ロ o ム A A o o A ム A o ロ A A A o o ム A A莫負
艶 陽 征(
北 魏王 徳 「春 詞 」) 悪 見
多
情 歡罷 儂 不 相 語
莫
作
鳥集
林忽
如提
儂去
(
宋隨
王誕「
襄 陽 曲」
その九)
祇 恐多
情 月, 旋 來 照妾
房(
簡
文 帝「
夜夜
曲」)
『
文
選 」に載ら ない こ れ ら東晋
以後
の用 例自体
が 「多 情」
誕 生の様相
を語
っ てい る と 思う
。 東 晋の娘子
夜 が 歌っ た とい う元 歌は伝わ ら ない が , その 曲に のせ た 「子 夜 歌 」四十二首,「
子夜
四時歌」
七十
五首
が伝
わ っ てい ていず
れ も恋の歌
である。「
子夜
四時
歌」
の「
多情」
は 「春
花,春鳥
,春
風」「
多媚
,多哀
,多情」
と歌 詞 とし ての繰り
返しとバ リエー
ショ ンか ら 生 まれ た筋 道 が 見 える。また
,「
春
風は多情
な お方,
私のス カー
ト吹
き開 く」
という発 想
は 「子夜
歌」
に もす
で に も っ と素 朴 な 形で見 えて い る。 攬裙
未結
帯 約 眉 出 前憲
羅裳
易 飄 颶 小 開 罵 春 風 とb裙
を攬て未だ帯 を 結ばず 眉を約し て前窓 に出づ,
ひ るがえり羅裳
飄 颱やす く すこ
しか 小 しく 開 け ば春 風を罵る同じ
替
え 歌に して も,自然
な状
況の中
に春
風の艶
な一
面
を捉
え た素朴
な民
歌 調で ある 。 こう
した 民 歌の 発 想 を 捉 えて,
繰 り返し とバ リエー
シ ョ ン を三つ 重 ねに し た文 人 調 か ら 「多
情 」 が 生 ま れて きた事は, 次の署 名のある王 徳の「
春 詞 」にも 明ら かで ある。 春 風の擬 人 化につ い て い え ば,「
有情 ・無情」
の対
比 で と りあ げら れた根
な し かず らな ど は本 来
無情
とし て も,幹
に ま とい つ く所
に有情
の風情
を 見たか ら取
りあ げたの であっ て,
そ れ を進めれば 「委
翠 似 知 節,
含 芳 如 有 情 」 (庚 肩 吾「
詠 長 信 宮 中 草 」)
と も な り, 春 風 多 情の擬 人 化 も出て くる。 た だ その 出55
一
方 が,
「
子 夜 歌 」は た く まず し て出てい るが, 「子 夜 四 時 歌 」の「
春 風 復 多 情 」は語 呂 合せ の言葉
の遊戯
か ら生 まれ てい る。隨 王 誕の 「
襄
陽曲」
は 「浮気
なぬ し に く あい し が に くい 。 わたしを すて て語
らい もせぬ 烏が林に集
まるまえ
にはや くわ た し を
連 れてっ て」と はたっ ぷ り俗 謡 調だが , 三
句
目は,先
に取り
あげ
た「
天間」
王逸注
が顔
を出し て,
い か にも文 人が作っ た俗 謠である。簡文 帝
もこう
した民
歌 を受
けて, 「春
風復有情
,拂 幔
且開楹」 (
「戯作 謝恵 連体 十
三韻)
と詩
の 中に応 用 した り 「夜 夜 曲」の よう な 歌 曲で も,「
春 風 」 「春 女 」と春 情に発し た 「多
情 」 を秋 の 月に まで及ぼ し てい る。 し か し,
こう
し た 工夫
も私の検 索 し た限り
で は, 六朝詩
に はこれだ けで,「
多
情 」
誕生の様 相 を留
めてい る に過 ぎない 。 こう
して誕 生し た詩語
「多情」
は初唐 ,
盛唐
で は ほとん ど使
われず
, その意 識 的継 承 発展は白
居 易, 劉禹
錫 を待つ の で あ る。 六,中
唐
に見 え
る「多情」
王質 夫は
白
居易
に「
長恨
歌 」の 制 作を勧め て 「樂天深 於詩,多於
情 者也」 (「
長恨
歌 序 」)と 言っ た。 こ こにい う 「多 於 情 」は詩 人 と しての感情
の豊 か さ をい っ たもの で,
中唐
の 人は 「多
情」
を 六朝
詩の よう
な限 定された意
味で のみ は使っ ていない 。『
佩 文 韻 府 』はその早い例とし て韓 愈の次の句 を引 く。 お も多
情 懷 酒 伴多
情に して酒 伴を懐い 余事
為 詩人余
事
は 詩 人 と為る(
韓愈 「
和 席八十二韻
」)
韓愈
は「
思い多
き」席蔓
が共
に語
る酒
の友
を求
め,
酒のう
ちに語 り
切れ ぬ と こ ろ が詩 とな る とい う。 広 く感 情の豊か さを言っ た早い例で ある。 魏 晋の詩には先に見た ように 「思い 多 きこ と」
を言
う語
と して 「多懐 ・多
念」
が見
えた が, いず
れ も征
旅・時
の推移
と結
びつ い てその悲
哀
を歌っ て い る。 しか し,韓愈
の「
多情」
は同様
に「
思 い多
きこ と」
をいう
と して も,悲哀
の みな らず 感 情の多 面 的 豊か さ までを包 含 してい る。 つ ま り, 白居 易を 厂多
於 情 」 と評 した 王 質夫,
それを序
に記
した白
居易 ,席蔓
を「
多情」
とした韓愈
いず
れ にとっ ても「
多情
」はす
で に 感 情一
般の 豊 か さ をい う 語として成 立 して い た。 ただ韓 愈の残 す 「多 情 」の使 用はこ の一
例の みで , それ が後
に振 り返れば広義
の用法
の典
型 を示 し ていても, この語を好
ん で表
現を 工夫 し た と まで は言
え ない 。 過度
の感傷
をい ま しめた韓
愈にこの用 例 が あ る という事
にこそむし ろ,
艶 情と切 断 され た「
多 情 」の豊か な側 面の共 有が中 唐にあっ た こ と が見 えるの で はないか。 六朝詩
との つ な がり
を も示
しつ つ , そ れを 意識 的
に 工夫
し拡大
したの は白居易,劉禹錫
である。 その 白居 易に は二 十一
の 厂多 情 」の用 例 が あ り, 彼の友 人 劉 禹 錫に は十一
例 が 数 え ら れる。 そ こ に は六朝
詩の用法
を受
け継 ぐ狭義
のそれも
, その拡大 も
, それ と は切れ た韓愈
の示 した広義
の そ れも あっ て , 二人 が 互い を意識
しつ つ特
に好
ん で この語
を工夫
した様
子が見
てとれる。觸僧付毳褐 僧
に触
れ て毛褐
に付
き 留妓
冒 羅裳
妓 を留めて羅
裳 を 冒 す「情」の語義の展 開と詩語 「多情 」の成 立につ い て 13 寡
和
陽春 曲 和
する もの少
なし陽春
の曲
多 情 騎 省郎
多
情 な り騎 省 郎(
白
居 易「
斐 常侍
以題薔薇
架 十八韻 見 示 因 廣 爲三十 韻以和 之 」) 向 背 萬 態 隨低昂
背に向 か えば万 態低昂
に隧 う映
葉多
情 隱 羞 面葉に映 じては
多
情に して羞 面 を隠 す(
白
居易 「
牡
丹芳」)
薔薇架
に題した 返詩
には, 風に散
るバ ラ の花
び らが僧侶
の裾
に, 妓女
の羅裳
につ くこと をい っ て 「春 風 復多
情 」の応 用で ある。 三 十 韻に広 げて返 詩 を 作っ て修辞
の多
様 さ を 示 し て みせる た め,
連 想は二様
に重な り, それ な りの諧謔味
を 生 んで い る。 た だ こ この「
多
情 」は「
薔 薇 」 の花
の華麗
を歌 う散 騎常
侍の 豊か な趣味
を 「騎 省 郎の豊か な趣味
の表
わ れ陽 春の曲
に和 するも のは少 ない」と言っ て「
春 風 復 多 情 」の「
多
情 」よ り広い意
味を持っ て い る。「牡 丹
芳」
は 「新樂府」
の一
首
で,
その主 題 は牡 丹ブー
ム の過熱を冷
まし,農業
に身
を 入 れ よ とい うこ と だが, こ の部 分は朝 陽 を受 けた鮮 やかな 牡 丹の姿に春 女の多 情 を投 影 した もの で ある。 二者
い ずれ も六朝
風の 拡大
か ら生 まれ た。同 じ応 用で も, 白 居
易
の バ ラ の花に引 き起 さ れ た 「多
情 」に対して, 劉禹
錫の柳 絮の多
情は 小 篇だけに凝 縮 され た印 象 が あっ て佳 篇といえ
よう。 晴 天 闇 闇 雪 晴 天に闇 闇た る雪來送青春暮 来 り
て青春
の暮
れ を 送る 無 意 似 多 情無
意
な るに多 情に似て 千 家萬家去
千 家 万 家に行
く (劉 禹 錫「
柳 花 詞 」)「
晴
れの空く ら く もお お
う
雪の ごとき た
り
て送る春
の くれ無
意な るに多情
に も 似てあ ちこちの
家に と び ゅ く」と柳の花 を雪に見 立て, 無 意に多 情を見た。 これ など は連 想の
自然
さ が あっ て く どさ がな く,す
で に 六朝
風 を脱化
し てい よう
。「
柳 花 詞 」とい う題にちな んで い え ば, 白居 易には「
楊 柳 枝 詞 八 首 」,「
楊 柳 枝二十 韻 」 が あ る が,後者
の序
に 「楊柳枝
。洛
下新聲
也。洛
之 小妓
,有善歌
之者
。 詞章音韻
。聴
可動
人,故
賦 之 」とあ り, 洛 陽の妓 女の音 曲, 舞 踊 を楽 しんでい る。 な ん曲
罷
那能
別曲
罷
りて那
ぞ能
く別
れん情多
不自持 情多
くして自持
せず
(白 居 易 「
楊
柳 詩二十 韻 并 序」)
と
,
くず お れんばか りの舞い 納めの姿, 情 緒 たっ ぷ りの 曲の余 韻を歌う
。 六 朝の遊 宴で も 「情多舞態
遅,
意 傾歌弄緩」 (
謝
眺 「夜
聽妓
詩」情 多
く し て舞態
遅 く意 傾 きて歌 緩を弄 す。) と同 じ 「情
多」
の情 趣 が 歌われてい る が,
その 「楊柳
枝」
の 曲に寄
せた八 首で は柳
の 風情 ,曲
の風 情ば か りでな く,
それ を美 妓に置 き 変 えた固 有 名 詞まで出て きて,「
無 限 情 」「
多 情 」「
有57
一
情 」が