北
シ
リ
ア
に
お
け
る
ス
ン
ナ
派
優
遇
策
の
開
始
t
十
二世紀前
半
の
ハ
ラブ
ー
谷
口
淳
一
北 シ リア にお け る ス ンナ 派優 遇 策 の開 始は
じ
め
に
十
二世
紀
前
半
に
シリ
ア
へ
進
出
し
た
ザ
ンギ
ー朝
の
下
で本
格
的
に開
始
さ
れ
た
マド
ラ
サ設
立
な
ど
イ
ス
ラ
ー
ム
諸
学
の
振
興
策
は、
ア
イ
ユ
ーブ
朝
や
マ
ム
ルー
ク朝
に引
き
継
が
れ
た。
君
主
を
はじ
め
とす
る支
配
者
層
が
スー
フ
ィ
ー
や
ウ
ラ
マー
を支
援
し
た理
由
は
、
まず
も
っ
て彼
ら
の
信
仰
心
に求
め
られ
る
で
あ
ろ
う。
し
か
し
なが
ら、
イ
ス
ラ
ー
ム国家
の
支
配
者
と
し
て
の正統
性
を
獲
得
す
る
た
め
に、
宗
教
指
導
者
や民
衆
の支
持
を
得
る
こと
も、
これ
ら
の
施策
の重要
な動
機
であ
っ
た
こ
とが
常
々指
摘
さ
れ
て
い
る
。
こ
の時代
の趨
勢
を
大
局的
に
見
る
な
らば
、
こ
の見
解
は、
少
な
く
と
も
真
実
の
一
側
面
を
言
い当
て
て
いる
だ
ろ
う。
し
か
し
なが
ら、
こ
の
よう
な
見
解
の多
くが
、
支
配
者
に
よ
る積
極
的
な
イ
スラ
ー
ム
諸
学
への支
援
が
当
然
の
こと
と
な
っ
た
アイ
ユ
ーブ
朝
や
マ
ム
ルー
ク朝
時
代
の事
例
に基づ
いて提
出
さ
れ
て
いる
こと
に
注
意
し
な
く
て
は
な
ら
な
い。
果
た
し
て、
支
配
者
に
よ
るイ
ス
ラ
ー
ム諸
学
の振
興策
は
、
開
始当
初
か
ら
被支
配者
であ
る大
多
数
の
ム
スリ
ム
に
よ
って支
持
さ
れ
た
のであ
ろ
う
か。
マ
ド
ラサ
と
い
う新
し
い制
度
を導
入
す
る
に当
た
って
、
地
域社
会
で
は軋
轢
が
生
じ
な
か
っ
た
ので
あ
ろう
か。
こ
のよ
う
な問
題
意
識
を持
っ
て考
え
た場
合
、
北
シ
リ
ア
の中
心
都
市
ハラ
ブ
(
ア
レ
ッ
ポ)
は、
興
味
深
い
事
例
を提
供
し
てく
れ
る。
こ
の都
市
は
、
イ
ス
ラー
ム
諸
学
の
振
興
策
を熱
心
に推
進
し
た
と
され
るザ
ンギ
ー朝
が
最
初
に進
出
し
た
シリ
ア
の主要
都
市
であ
る
と
と
も
に、
シ
リ
ア
に
おけ
る十
ニイ
マー
ム派
シ
ー
ア
派
の
一
中
心
で
もあ
っ
た
か
ら
で
あ
る。
周知
の
通
り、
ザ
ンギ
ー朝
にと
っ
て護
持
す
べ
き
イ
ス
ラ
ー
ムと
は
ス
ン
ナ
派
の
信
仰
であ
り、
シ
ー
ア派
と
は忌
避
さ
れ
るべ
き
異
端
であ
っ
た。
し
たが
っ
て、
十
二
世
紀
の
ハ
ラブ
に
お
い
て
は、
支
配
者
が
進
め
るイ
ス
ラ
ー
ム
諸
学
の
振
興策
と
は、
ス
ンナ派
優
遇
"シ
ー
ア派
抑
圧
策
と
いう
性
質
を
強
く
帯
び
る
こと
に
な
る
のであ
る。
こ
の
よう
な状
況
で
は、
支
配
者
に
よ
る宗
教
政
策
は
、
被
支
配者
の
反
発
を招
く
だ
け
であ
ろう
。
実
際
、
十
二世
紀
前
半
の
ハラ
ブ
に
お
いて実
施
され
た
マド
ラ
サ.
建設
を含
む
ス
ンナ派
優
遇
策
は
、
こと
ご
と
く
住
民
の反抗
を招
き
、
混
乱
を引
き
起
こし
た
の
であ
る。
支
配
者
達
は
、
被支
配
者達
の
支
持
を失
う
よう
な策
を
なぜ
遂
行
し
た
のだ
ろう
か。
ま
た
一
方
で、
こ
のよ
う
な策
の
推
進
を支
持
し、
支
配
者
に働
き
かけ
た人
々も
存
在
す
る
。
地
域
社
会
を
混乱
に陥
れ
か
ね
な
い政
策
の実
施
を進
言
し
た人
々
の動
25蛮.0、
史
機
は
一
体
何
だ
っ
た
のだ
ろう
か。
これ
ら
の
疑
問
に対
し
て、
彼
ら
の信
仰
の
堅
さ
や
狂
信
ぶ
り
だ
け
を
理
由
に
あ
げ
て
事
足
れ
り
と
す
るわ
け
に
は
い
か
な
い。
こ
こ
に
は、
イ
ス
ラ
ー
ム諸
学
振
興
策
を
遂行
し
た支
配者
や
そ
の支
持
者
の意
図
を
見
直
す
と
と
も
に、
一
連
の政
策
が
地
域
社
会
に
も
た
ら
し
た
影響
に
つ
いて考
え
る糸
口
が
隠
さ
れ
て
い
る
から
であ
る。
十
二世
紀
以
降
ハ
ラブ
の支
配
者
達
が
実
施
し
た
ス
ン
ナ派優
遇策
に関
し
て
は、
ソバ
ジ
ェ
が
ハ
ラブ
の通
史
の中
で
マ
ド
ラサ
など
の
建
築
を中
心
に言
及
し
て
い
るが
、
あ
ま
り詳
し
いも
の
で
は
な
い
[
ω
鍵
く
鋤
ひq
簿
H
逡
9
ド
這
高
ド
♪
旨
卜◎
占
外。
出
。
一
方、
アザ
ー
ン
の
変
更
に対
す
る
シー
ア派
の抵
抗
と、
そ
れ
に
対
す
るザ
ンギ
ー朝
の対
応
に
つい
て
は
、
ハヤト
が
丁寧
に史
料
を追
い
かけ
て考
察
を
加
え
て
い
る
[
国げ
亀
9。
江
Φ
謬
]
。た
だ
し、
ス
ンナ派
と
シ
ー
ア派
の
対
立
を
経
済
問
題
や
社
会
階
層
間
の
争
いに
結
び
つけ
て
い
る点
は、
議
論
に飛
躍
が
見
られ
、
そ
の見
解
を
そ
のま
ま
受
け
入
れ
る
こと
は
でき
な
い。
我
が
国
で
は、
梅
田
が
ザ
ン
ギ
ー朝
の
ヌー
ル
・
ア
ッ
デ
ィー
ンに
よ
る
ス
ンナ派
優
遇
策
に
ついて
簡
潔
に
言
及
し
て
いるが
、
詳
細
な分
析
は
なさ
れ
て
い
な
い
[
梅
田
一
九
七
九
鱒
七
六i
七
七
頁]
。
ま
た
阿
久津
は
、
ザ
ンギ
ー朝
時
代
全
体
を
通
し
て
マ
ド
ラ
サ建
設
の
意
図
を検
討
し
た論
考
の中
で、
本
稿
で扱
う
一
連
の出
来事
に
も検
討
を加
え
て
い
る
[
阿久
津
一
九
九
九
"
三i
九
頁
]
。私
自
身
も
、
ハラ
ブ
に
お
け
る
ス
ンナ派
優
遇
策
の意
味
を考
察
し
た
こと
が
あ
る
[
谷
口
一
九
九
六]
。
し
かし、
こ
の論
文
で
は
、
十
一
世
紀
から
十
三
世紀
に
わ
た
る
三
つの
ウ
ラ
マー家
系
の盛
衰
の歴
史
を
軸
に論
を
組
み立
てた
こと
も
あ
っ
て、
ス
ンナ派
優
遇
策
導
入
期
の問
題
に
つい
て
は、
詳
細
に論
じ
る
ことが
でき
な
か
っ
た。
本
稿
で
は、
これ
ら
先
行
研
究
の成
果
を
取
り入
れ
な
が
ら、
ス
ン
ナ派優
遇
策
の
開
始
期
、
具
体
的
に
は
五
四
三/
=
四
八
年
の
ヌー
ル
・
ア
ッ
デ
ィ
ー
ン
に
よ
る
アザ
ー
ン
変
更
以
前
に絞
っ
て考
察
を
進
め
る
こと
にす
る。
以
下、
ま
ず
第
一
章
で
一
連
の出
来
事
の経
緯
を
順
に見
て
いき
、
第
二章
に
お
いて
は、
これ
ら
の
政
策
の
推
進
を
積
極
的
に支
持
し
た
人
々
の意
図
を
考
察
す
る。
さ
ら
に第
三章
で
は、
推
進
論
者
と
反
対
派
住
民
の双方
か
ら
圧力
を受
け
た
ザ
ンギ
ー朝
の
二
人
の君
主
が
採
っ
た
行
動
を検
討
す
る。
そ
し
て最
後
に、
ス
ンナ派
優
遇策
が
彼
ら
の国
家
戦
略
の中
で持
っ
た
意
味
を
考
え
て
み
た
い
。
な
お本
稿
で
は、
当
該
時
期
に
おけ
る
一
連
の宗
教
政策
を
﹁
ス
ンナ派
優
遇
策
﹂
あ
る
い
は
﹁
シ
ー
ア派
抑
圧
策
﹂
と
呼
ぶ
こと
と
す
るが
、
そ
こ
に
は
マド
ラ
サ建
設
など
ス
ンナ派
イ
ス
ラ
ー
ム諸
学
の
振
興策
も含
ま
れ
る
こ
と
に
な
る。
第
一
章
ス
ンナ
派
優
遇
策
の開
始
シ : ア 派 が ハ ラ ブ の 多 数 派 に な った 経 緯 に つ い て は 幾 つ か 意 見 が あ る が 、 bd日 ド 60 の伝 え る 伝 承 に 基 づ く 次 の 説 が 最 も 信 憑 性 が 高 い で あ ろ う 。 そ れ に よ る と 、 三 五 一 / 九 六 九 年 に ビ ザ ン ツ 帝 国 の ニ ケ フ ォ ロ ス 日 フ ォ ー カ スが ハラ ブ を 占 領 し た 時 に 減 って し ま っ た 人 口 を 回 復 す る た め に、 ハ ム ダ ー ン朝 の サ イ フ ・ア ッダ ウ ラ が ハ ッ ラ ー ン の シ ー ア 派 住 民 を 移 住 さ せ 、 以 後 同 派 が ハラ ブ の 多 数 派 と な っ た 。 サ イ フ ・ ア ッダ ウ ラが シ ー ア 派 の 住 民 を 選 ん だ の は 、 彼 自 身 が 同 派 を 奉 じ て い た か ら で あ った 。 そ し て サ イ フ ・ア ッダ ウ ラ の 後 を 継 い た 息 子 サ ァ く ド ・ア ッダ ウ ラ ( ω 鋤 .亀 鋤 憎 U 鋤 乱 鋤 ω 偉。 嵩h ) の 治 世 ( 三 五 六 ー 三 八 一 / 九 六 七 ー 九 九 一 年 ) に 、 シ ー ア 派 式 の ア ザ ー ンが 導 入 さ れ た 。 具 体 的 に は 、 ア ザ ー ン に ﹁ い ざ や 最 良 の 務 め の た め に 来 た れ 。 ム ハ ン マド と アー 彡 鼕 趁 簍 聖隷 趁 聖蒹 豢 ︹鬟冷 嵩箪 鬱靉盞 廷 瓢琢瑳 誤乎蕁鼕 諦 採窄莓 キ篷 笙 7 北 シ リア にお け るス ンナ派 優 遇 策 の開始
⑤
リ
ー
は最
も善
き
人
間
であ
るL
と
いう
語
句
が
加
え
ら
れ
た
と
いう。
そ
の
後
、
ミ
ル
ダ
ー
ス
朝
支
配
時
代
末
期
の
四
六
二/
一
〇
七
〇年
に
、
ハラ
ブ
が
セ
ルジ
ュ
ク朝
の影
響
下
に
入
る
と、
基
本
的
に
は
ア
ッ
バ
ー
ス朝
と
セ
ル
ジ
ュ
ク朝
の
支
配者
の
名
の下
で
フ
トバ
(
説
教
)
が
お
こな
わ
れ
る
よう
にな
っ
た
が
[
谷
口
一
九
九
〇
二
二一
九
頁
]
、
礼
拝
への呼
び
かけ
であ
る
アザ
ー
ン
は、
あ
いか
わ
らず
シー
ア派
の
流
儀
で
お
こ
な
われ
て
い
たと
考
え
ら
れ
る
。
第 一 節 ス ン ナ派 優 遇 策 の さ き が け 親 イ ス マ ー イ ー ル派 政 策 を 推 進 し た セ ル ジ ュク 家 の 君 主 リ ド ワ ー ン ( 男 鋤 ゲ N 簿 一撃 ζ ¢ 一犀 男同 氏 毒9 1 謎 ) が 五 〇 七 年 六 月 / 一 一 = 二 年 十 二 月 に 没 ⑥ す る と 、 そ の 息 子 ア ルプ ・ ア ル ス ラ ンが 若 く し て ハラ ブ の 支 配 者 と な った 。 彼 は 当 初 父 親 の 政 策 を 継 承 し た が 、 住 民 か ら の 圧 力 も あ って、 即 位 し て ニ ケ月 の後 に イ ス マ ー イ ー ル派 の 弾 圧 に 踏 み 切 った 。 こ う し て 十 ニ イ マ ー ム 派 が 再 び 勢 力 を 回 復 し た 。 し か し 、 さ ら に そ の 二 ヶ月 後 の 五 〇 七 年 十 月 / 一 一 一四 年 三 月 に ア ⑧ ルプ ・ア ル ス ラ ン の 後 見 人 と し て ハラ ブ に 到 来 し た ト ゥグ テ ィギ ン に と って は 、 十 ニ イ マ ー ム 派 も イ ス マー イ ー ル派 と 同 じ く 嫌 悪 す べ き シ ー ア 派 で あ った よ う だ 。 彼 は ﹁ハラ ブ 人 の 状 態 と 彼 ら の 礼 拝 を 非 難 し 、 王 タ ー ジ ュ ・ア ル ム ル ー ク ・ア ル プ ・ ア ル ス ラ ン を 彼 ら に 対 し て け し か け 攻 撃 さ せ 、 ハラ ブ 人 が 彼 ら の 宗 派 ( ミ 魯 蟻 ぎ ㍗ ぎ ミ ) を 実 践 し て い る こ と を 非 難 し た ﹂ の で あ る 。 こ れ に 対 し て 、 ハラ ブ の 住 民 は ト ゥ グ テ ィ ギ ン の行 動 を 重 大 視 し 、 い く つ か事 件 が 生 じ た 末 に 、 ト ゥグ テ ィギ ン は デ ィ マ シ ュク ( ダ マ ス ク ス ) へ去 る こ と と な った [ ↓ Uζ ド 師趨 び 為 ω 凸 。 ト ゥグ テ ィ ギ ン は 礼 拝 方 法 な ど シ ー ア 派 の 儀 礼 に つ い て 非 難 し た よ う で あ る が 、 そ れ 以 外 に 彼 が お こ な った こ と に つ い て は 、 残 念 な が ら 不 明 で あ る 。 い ず れ に せ よ 、 彼 の シ ー ア 派 弾 圧 は 短 期 間 で 挫 折 し た 。 し か し 、 支 配 者 に よ る ス ン ナ 派 優 遇 策 は 断 続 的 に 続 く 。 ⑨ 五 〇 八 / 一 一 一四 年 に ハ ラ ブ の 支 配 者 と な った ル ゥ ル ゥ は 、 五 〇 九 / 一 一 一五 ・ 一六 年 に ハラ ブ で 最 初 の ハー ン カ ー フ ( 冒 蕊 寒 ) す な わ ち ス ー フ ィ ー 達 の 修 道 施 設 を 建 設 し た [ 諺 出 韓Φ ω ] 。 こ の ハー ン カ ー フ は 、 建 設 さ れ た 場 所 の 名 を と って ハ ー ン カ ー フ ・ ア ル バ ッ ラ ー ト ( 転 ぎ ρ 91 げ 巴-じd鋤 = 碑 ) と 呼 ば れ た 。 そ の 位 置 は ハラ ブ の ジ ャ ー ミ ィ の東 側 で 、 今 日 で は ジ ャ ー ミ ィ ロ ア ス ラ ー ン ・デ デ Q 鋤 8 陣、 諺 牲 餌 昌 Uo 伍 p。 ぴ ) が ス ー ク の 中 に 埋 も れ る よ う に し て 建 っ て い る 場 所 に 当 た る 。 当 時 の 建 物 は 残 って い な い よ う で あ る [ ○⇔ 信 び ① H ⑩ ○。 冊 ω ① 討 昌 ρ H お 旧 B 巴霧 6 0 9 謡 ゲ ト。 α ω ] 。 ハー ン カ ー フ の建 設 が 始 ま る と 、 ハラ ブ の シ ー ア 派 住 民 Q 昌 ミ " 、ミ ミ ー冒 N導 鬯 § §§ 緊 寳. 魯 ) は 反 対 を 唱 え た 。 ス ー フ ィ i達 異 邦 人 ( 時 ミ 越 ) の 流 入 が ハ ラ ブ の伝 統 を 乱 し て 子 女 に 悪 影 響 を 与 え 、 党 派 主 義 ( ミ .禽 黎 い ) や 騒 乱 を 引 き 起 こ す と い う の が 彼 ら の 言 い 分 で あ っ た 。 こ れ に 対 し て ル ゥ ル ゥが 建 設 を 急 が せ た の で 、 一 群 の ハ ラ ブ 人 達 が 夜 間 に ハ ー ン カ ー フ を 破 壊 す る と い う 妨 害 活 動 に 出 た 。 そ こ で ル ゥ ル ゥ は ハ ラブ 人 の 一団 を 拘 留 し て よ う や く ハー ン カ ー フ を 完 成 さ せ 、 そ こ に ユ ー ス フ ・ マ ル ワ ズ ィ ー ( 諺ぴ 口 ⇔ 磨 切 ε寅 ﹂ 団 口 ω 亀 び ゜ 鋤 一-菊⇔ 露 . 鋤 緊 ζ 錠 ≦ § 圃) と い う ス ー フ ィ ー を 任 じ た 。 彼 は ハラ ブ に 入 った 最 初 の ス ー フ ィ ー の シ ャイ フ で あ った と い う [ ↓Uζ H "⑩ ○ 鋤 ー び ] 。 ハー ン カ ⋮ フ 目 ア ル バ ッ ラ ー ト の建 設 か ら 数 年 後 の 五 一五 / 一 一 二 27一 ・ 二 二 年 頃 に 、 今 度 は ハ ラ ブ で 初 め て の マド ラ サが 設 立 さ れ 、 建 物 ⑭ の建 築 が 始 ま った 。 こ の マド ラ サ は、 建 設 さ れ た 街 区 名 に 因 ん で ザ ッ ⑪ ジ ャ ー ジ ー ヤ 学 院 ( 巴 ・ζ ⇔ 脅 霧 鋤巴・ N 鋤 ご 豊 同団 9 ) と 呼 ば れ る こ と が 多 い 。 建 物 は 現 存 し な いが 、 そ の 位 置 は 、 ジ ャ ー ミ ィ と 市 街 の 南 部 の キ ン ナ ス リ ー ン門 と の 中 ほ ど に あ った ハー ン " ア フ マド ・ パ シ ャ ( 転 鋤 口 諺 ケ 營 鉱 切 皺 鋤 ) 跡 に 相 当 す る と 思 わ れ る [ O餌 ロ び ① H ⑩ G。 貸 。。 "。 " 鐸 9 お 出 。 同 学 院 は 、 ア ジ ャ ミ ー 家 の シ ャ ラ フ ・ア ッデ ィ : ン ・ア ブ ド ・ア ッ ラ ⑫ ⑬ フ マ : ンが 、 当 時 の 支 配 者 .ハ ド ル ・ア ッダ ウ ラ ・ ス ラ イ マ ー ン に 働 き か け て 創 設 さ せ た も の で あ る 。 ザ ヅ ジ ャ ー ジ ー ヤ 学 院 ・建 設 の 際 に も 、 ハ ー ン カ ⋮ フ ーー ア ルパ ッ ラ ー ト の 時 と 同 様 に 、 シ ー ア 派 住 民 に よ る 破 壊 活 動 が 発 生 し た 。 設 立 者 の パ ド ル ・ア ッダ ウ ラ ・ス ラ イ マ ー ン は、 ワ ク フ を 設 定 す る と と も に 、 建 設 に 対 す る 反 対 運 動 を 抑 え に か か った 。 彼 は ハラ ブ 住 民 の 有 力 者 達 ( 罎 ミ, § ) を 詰 問 し た り 、 内 城 の 守 備 隊 を 建 設 現 場 に 配 置 し て 、 建 築 を 続 行 し た が 、 反 対 派 は夜 襲 を か け て 兵 士 を 殺 害 し 妨 害 活 動 を 続 け た 。 そ こ で パ ド ル ・ア ッダ ウ ラ は、 シ ャ リ ー フ のズ フ ラ ・ プ ン ・ア リ ー に 賜 衣 な ど を 与 え て マド ラ サ の保 護 を 請 け 負 わ せ た 。 彼 が 立 ち は だ か る と 、 反 対 派 も マド ラ サ に 近 づ け な か った と い う 。 し か し そ の 後 、 破 壊 活 動 が 再 発 し 、 ハ ラブ の名 望 家 ( ミ 魯 .丶 ミ ) 達 が 二 五 日 間 拘 留 さ れ る に 至 った 。 お そ ら く こ の よ う な 妨 害 活 動 の ゆ え で あ ろ う 、 建 設 工 事 は イ マ : ド ・ア ッデ ィ ー ン ・ザ ン ギ ー の 治 世 に な る ま で 完 了 し な か っ た 。 一 方 、 シ ャ ラ フ ・ア ッ デ ィ ー ン は 、 こ の マド ラ サ の 教 授 と ナ ー ズ ィ ル ( 管 理 老 ) に 就 任 し 、 以 後 ア ジ ャ ミ ー 家 は 、 こ れ ら の 職 を 独 占 す べ く 努 力 を 重 ね る こ と に な る 。
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ラブ
最
初
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ハー
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深
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第 二 節 ザ ン ギ ー 朝 前 半 期 五 一 八 / 一 一 二 四 ・ 二 五 年 に マ ウ ス ィ ル ( モ ー ス ル) を 領 有 し た ブ ル ス キ ー 家 は、 当 主 ア ク ・ス ン ク ル ( 諺 ρ ω § ρ 篝 巴畆 霞 ω二 ρ 圃) の暗 殺 に 続 い て 、 そ の 息 子 マ ス ウ ー ド ( ζ 霧 .口 鮎 ) も 急 死 し た こ と に よ って 、 五 一 二 / 一 一二 七 年 に 事 実 上 断 絶 し た 。 同 家 に 代 わ って マウ ス ィ ル に ⑰ 任 命 さ れ た の が イ マー ド ・ア ッデ ィ ー ン ・ ザ ンギ ー で あ る。 彼 は セ ル ジ ュク 朝 ス ル タ ー ン H マ フ ム ー ド ニ 世 の 息 子 フ ァ ッ ル フ ・ シ ャ ー フ く ( 句 霞 讐 ゲ ω 聾 ) と ア ルプ ・ア ル ス ラ ン ( 諺 凄 諺附 巴9 1 ⇔ ) を 伴 って 、 同 年 マウ ス ィ ル に 入 った 。 こ う し て 、 以 後 約 一 世 紀 に わ た って 存 続 す る ザ ンギ ー 朝 が 成 立 す る こ と に な った 。 五 一 八 / 一 一 二 五 年 に ハラ ブ も ブ ル ス キ ー家 の支 配 下 に 入 った が 、 同 家 の 断 絶 後 は 、 混 乱 状 態 が 続 い て い た 。 イ マ ー ド ・ア ッ デ ィ ー ンが 派 遣 し た 軍 隊 は 、 五 二 一 / 一 = 一七 年 の 末 に こ の 混 乱 を 収 め 、 ハラ ブ ゆ は ザ ン ギ i 朝 の 領 土 に 編 入 さ れ た 。 ザ ン ギ i 朝 が 大 き な 勢 力 を 誇 った 期 間 は約 半 世 紀 に 過 ぎ な い が 、 イ ク タ i 制 を は じ め と す る さ ま ざ ま な 制 度 や 慣 行 な ど に つ い て 、 セ ルジ ュク 朝 と 後 の ア イ ユ ー ブ 朝 を つ な ぐ 存 在 と し て 常 に 言 及 さ れ る 。 し か し 実 の と こ ろ 、 ザ ン ギ i 朝 自 体 の 施 策 に つ い て は 、 あ ま り 具 体 的 に重 ,`ー 垂≧ 彫密 蓮 萋該 建 ー 羹 麺 鬚 尊勘鬟 ﹂篝 彰 蕘 蒹 影 耋 ー 鬟鬟 爵μ耋 峯 無 爨 藪 が幾" 蕁ー p嚢 -蕣 舞 北 シ リア にお け る ス ンナ 派優 遇 策 の開 始 ⑲ は 論 じ ら れ て こ な か った 。 王 朝 の創 始 者 で あ る イ マ ー ド ・ア ッデ ィー ン ・ ザ ンギ ー に つ い て も 、 十 字 軍 勢 力 と の戦 い や セ ル ジ ュ ク 朝 の 内 部 抗 争 へ の 参 加 と い った 軍 事 面 で の活 躍 は よ く 知 ら れ て い る が 、 内 政 面
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方 で 、 ス ン ナ派 の復 興 に 力 を 注 い だ と い う 評 価 だ け が 、 明 確 な 根 拠 も な い ま ま 示 さ れ て い る [ 国ζ ω 怨 Φ 鎗 ド ⑩ ① 刈 邑○ 。 刈 i 卜3 0。 ○○ ] 。 ま た 、 イ マ ー ド .ア ッデ ィ ー ン の 息 子 で シ リ ア 地 方 の領 土 を 継 承 し ⑳ た ヌ ー ル ・ ア ッデ ィ ー ン . マ フ ム ー ド は 、 父 と 同 様 に 十 字 軍 勢 力 に 対 し て 戦 い を 挑 み 、 イ ス ラ ー ム 世 界 の 失 地 回 復 を 進 め た こ と で 知 ら れ る 。 ま た 宗 教 政 策 に 関 し て は 、 宗 教 施 設 の 設 立 ・ 整 備 や ウ ラ マ ー や ス ー フ ィ ー を 手 厚 く 保 護 し た こ と で 有 名 で あ る 。 エリ セ エ フ は 、 聖 戦 を 促 進 し 民 衆 の 支 持 を 保 つた め に 、 ヌ ー ル ・ ア ッデ ィ ー ン は 正 統 派 た る ス ン ナ 派 の 信 条 と 法 の 普 及 に 努 め た と し て 、 マ ド ラ サ な ど の 宗 教 施 設 の 例 を 挙 げ て 論 じ て い る [ 国凝 ωω σ ⑦ 庵 ド Φ ① 刈 るα O i 刈 ↓ ⑩ ] 。 ま た バ リ ; ル に よ れ ば 、 ヌ ー ル .ア ッデ ィ ー ン は ハナ フ ィ ー 派 を 奉 じ て い た が 、 一 派 に 偏 る こ と な く ウ ラ マー を 支 援 し 、 ハ デ ィ ー ス 学 を 中 心 と す る イ ス ラ ー ム 諸 学 の 発 展 を 促 し た と い う [ 戟⇔ 巨 H O c。 ○ μω 卜。 "鼠 O ] 。 ザ ン ギ ー 朝 や ヌ ー ル ・ア ッ デ ィ ー ン の 事 績 を 総 合 的 に 評 価 す る な ら ば 、 こ の よ う に な る で あ ろ う 。 し か し な が ら 、 シ ー ア 派 の 街 ハ ラブ を 支 配 し な く て は な ら な い と い う 事 実 に 直 面 し た 時 、 ザ ン ギ i朝 の 君 主 達 は 、 ス ン ナ 派 優 遇 策 を 強 引 に 推 進 し よ う と は し な か った の で あ る 。 (一 ) イ マー ド ・ア ッデ ィ ー ン ・ ザ ンギ ー ハラ ブ を 征 服 し て か ら 五 四 一 / 一 一 四 六 年 に 暗 殺 さ れ る ま で の 約 二 十 年 間 に 、 イ マ ー ド ・ア ヅデ ィ ー ン が ハ ラブ に お い て 実 施 し た こ と が 判 る ス ン ナ 派 優 遇 策 は、 ザ ッジ ャ ー ジ ー ヤ学 院 に 対 す る 支 援 の み で あ る 。 イ マ ー ド ・ア ッデ ィ ー ン自 身 は ハ ラブ に 新 し い学 院 を 設 立 し て は い な い 。 本 拠 地 で あ った マウ ス ィ ル に さ え 彼 自 身 が 設 立 し た マ ド ラ サ は 見 当 た ら な い か ら [ 巴 ・U亀 壽 ど 回 ド ¢ 叟 ] 、 ヌ ー ル ・ア ッデ ィ ⋮ ンら 息 子 達 以 降 の 世 代 に 比 べ て 、 彼 は マ ド ラ サ に 対 す る 関 心 が 低 か っ た の か も 知 れ な い。 た だ し 以 下 に 示 す よ う に 、 彼 は マド ラ サ を ま った く 顧 み な か った わ け で は な い。 先 に 述 べ た と お り 、 ザ ヅ ジ ャ ー ジ ー ヤ 学 院 の 建 設 は 、 イ マ ー ド ・ア ヅデ ィ ー ン の治 世 に な って よ う や く 完 了 し た 。 し か し 同 学 院 へ の 妨 害 活 動 は続 い た ら し く 、 多 く の 木 材 を 運 び 込 ん だ 上 で 放 火 す る と い う 事 件 が 生 じ て い る 。 こ の事 件 の後 、 学 院 の ナ ー ズ ィ ル で あ った シ ャ ラ フ ・ ア ッ デ ィ ー ン ・ア ブ ド ・ア ッ ラ フ マ ー ン は、 ザ ンギ ー 朝 の 古 同 官 イ ⑫ プ ン ・ ア ッ タ ル ス ー ス ィ ー に 願 い 出[ て 、 五 二 五 / 一 = 二 〇 ・ ご 二 年 に イ マ ー ド ・ア ヅデ ィ ー ン の 父 カ ス ィー ム ・ ア ッダ ウ ラ ・ ア ク ・ス ン ク ル の遺 骨 を マ ド ラ サ の 北 側 に 移 葬 し た 。 こ れ は、 そ の遺 骨 の存 在 ゆ え に マ ド ラ サ に 危 害 が 加 え ら れ な い こ と を 期 待 し て の こ と で あ った と い 尠 う さ ら に 、 イ マ ー ド ・ア ッデ ィ: ン は 、 父 の こ の 墓 廟 の た め に ワ ク フ を 設 定 し 、 そ の 墓 前 で ﹃コ ー ラ ン ﹄ を 読 誦 す る 者 の た め の費 用 を 賄 う よ う 規 定 し 、 ま た 読 誦 の た め に 滞 在 す る 者 の 部 屋 を 設 け た 。 イ マ ー ド ・ア ッデ ィ ー ンが 実 施 し た こ と は 父 の墓 廟 の整 備 で は あ る が 、 以 上 の 経 緯 が 示 し て い る と お り 、 ザ ッジ ャ ー ジ ー ヤ 学 院 へ の支 援 を も 目 的 と し て い た と 思 わ れ る 。 さ ら に 、 一 時 期 同 学 院 が 、 ア ク ・ス ン ク ル の 29ラ カブ を と って ヵ ス ィ ー ミ ー ヤ ( 既め 器 目日 ぢ 9 ) 学 院 と 呼 ば れ た り 、 イ マー ド ・ ア ッ デ ィ ー ン に ち な ん で イ マ ー デ ィ ー ヤ ( 甼 .H ヨ 鑑 同醤 ) 学 院 と 呼 ば れ た と い う 事 実 を 鑑 み る と [ ↓ U] ≦ ド "ド ① N 鋤 ] 、 こ の マド ラ サ そ の も の に 対 し て も 、 イ マ ー ド ・ア ッデ ィ ー ンが ワ ク フ 財 源 の 追 加 な ど の支 援 策 を 実 施 し た 可 能 性 も 考 え ら れ る 。 こ の よ う に 、 ハラ ブ に お け る マド ラ サ の 発 展 に は 多 少 な り と も 貢 献 し た イ マ ー ド ・ア ッデ ィ ー ン で あ る が 、 ア ザ ー ン の 変 更 に は 手 を つけ て お ら ず 、 直 接 ハラ ブ の シ ー ア 派 を 抑 圧 し た と い う 記 録 は 見 当 た ら な 晦・ こ れ ら の事 例 を 見 る 限 戦 イ 了 ド ゜ア ・デ ・ ー ン は ス ン ナ 派 に
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( 二 ) ヌ ー ル ・ア ッデ ィ ー ン ・ マ フ ム ー ド 五 四 一 / 一 一四 六年 に イ マ ー ド ・ア ッデ ィ ー ンが 暗 殺 さ れ る と 、 ザ ンギ ー 朝 国 家 は ジ ャ ズ ィ ー ラ 地 方 と 北 シ リ ア 地 方 の 二 つ に 分 割 さ れ 、 ハ ラ ブ を 首 都 と す る 北 シ リ ア は 、 次 男 の ヌ ー ル ・ア ッ デ ィ ー ン ・ マ フ ム ー ド が 手 に 入 れ た [ 巴 菌ω ゜・ひ Φ 舞 窯 ゜. .鬚 段 鋤 7 臼 昌 : ㌦ 、田 ・。] 。 ヌ ー ル ・ア ッデ ィ ー ン が ハ ラ ブ の ア ザ ー ン を ス ン ナ派 の様 式 へ 改 め た こ と を あ る 程 度 詳 し く 扱 って い る 研 究 と し て 、 哩 碇゜ ・ ひ Φ 鱠 ド O ① 刈 と ⑳ 国 ゲ 鋤 団 舞 ド リ ↓ H の 二 点 が 挙 げ ら れ る 。 エリ セ エ フ の 研 究 は ヌ ー ル ・ア ッデ ィ ー ン の 業 績 を 網 羅 し た 著 書 で あ り、 こ の事 件 に つ い て は 三 頁 を 割 い て い る だ け で あ る [ 四 二 八 -四 三 〇 頁 ] 。 そ れ に 対 し て ハ ヤ ト の 研 究 は 、 十 二 世 紀 の ハラ ブ の シ ー ア 派 の 動 向 に 関 す る 蓐 論 だ け に 記 述 は 詳 細 で あ る 。 両 者 と も 主 な 情 報 源 と し て ス ン ナ 派 の 史 家 に よ る 傷 日∪ と N 国 、 お よ び シ ー ア 派 側 の 情 報 を 含 む ↓ Uζ を 用 い て お り 、 事 件 の 推 移 に つ い て は 大 筋 で 同 じ 内 容 と な って い る 。 し か し な が ら 、 こ の事 件 に 対 す る 評 価 や 背 景 に 対 す る 両 者 の 見 解 に は 、 く い 違 い も 見 え る。 以 下 で は、 ま ず 史 料 で 確 認 し な が ら 経 過 の 概 要 を 紹 介 し た う え で、 両 者 に よ る 見 解 の相 違 に 対 す る 私 の 意 見 を 示 す こ と に す る 。 五 四 一 年 四 月 十 日 / 一 一四 六 年 九 月 十 八 日 に ハ ラ ブ へ 入 っ た ヌ ー ル ・ア ッデ ィ ー ン に 対 し て [ N 国 卜。 凸 ○。 O ] 、 ﹁ハラ ブ の ス ン ナ 派 の 一 団 く と カ ー デ ィ ー Hイ ブ ン ・ ア ッ シ ャ フ ラ ズ ー リ ー ( H ぴ b ° 効 一 ゜ω 鋤 げ 目蝉 N 帥 増 回 ) お よ び イ ブ ン ・ ア ッ タ ル ス ー ス ィ ー が ハ ラブ 人 達 の こ と に つ い て な に が し か を 語 った が 、 ヌ ー ル ・ ア ッ デ ィ ー ン は 受 け 入 れ な か っ た [ 日 ︼) ζ 駆⇒ "ド α O び ] ﹂ と 伝 え ら れ て い る 。 遠 回 し な 言 い 方 で は あ る が 、 こ の 後 の 展 開 か ら 考 え て 、 ハ ラブ の シ ー ア 派 に 対 し て 遠 慮 す る こ と な く ス ン ナ 派 優 遇 策 を 進 め る よ う 要 請 が な さ れ た が 、 こ の時 点 で は ヌ ー ル ・ア ッデ ィ ー ン は そ れ を 拒 ん だ と 考 え ら れ る 。 ⑳ そ の 後 中 部 シ リ ア を 支 配 す る ム イ ー ン ・ ア ッデ ィ ー ン ・ウ ヌ ル の 娘 を ヌ ー ル ・ア ッデ ィ ー ンが 娶 る こ と に な り 、 婚 約 の た め の使 節 と し て イ ブ ン ・ア ッ タ ル ス ー ス ィ ーが デ ィ マ シ ュ ク へ 派 遣 さ れ た 。 彼 は 当 時 デ ィ マ シ ュク に 滞 在 し て い た ハ ナ フ ィ i 派 法 学 者 ブ ル ハー ン ・ア ッデ ィ ー ン ( じdO 同 ゴ 鋤 口 鋤 磨 ︼) 同 昌 .跨 一同靉 憎 じご節 一 ゲ 回) と 語 ら い 、 ヌ ー ル ・ア ッデ ィ ー ンが シ ー ア 派 に 寛 容 な 態 度 を と って い る こ と を 非 難 す る 使 節 を 送 る こ と に 決 め た 。 そ こ で イ ブ ン ・ア ッ タ ル ス ; ス ィ ー は、 花 嫁 の 父 で あ る ウ ヌ ル に 対 し て 働 き か け 、 親 シ ー ア 派 の 態 度 を 改 め る こ と を 結 婚 の 条 件 と さ せ る こ と に 成 功 し た 。 彼 ら は ハ ラ ブ へ 戻 っ て ウ ヌ ル の書 簡 を 示 し 、 改 め て ス ン ナ 派 優 遇 策 を 進 め る よ う ヌ ー ル ・ア ッデ ィ ー ン に 要北 シ リア に おけ るス ンナ派 優 遇 策 の開 始 求 し た 。 そ こ で ヌ ー ル ・ア ッデ ィ ー ン は 、 シ ー ア派 の ア ザ ー ン を ジ ャ ー ミ ィ の ミ ナ レ ッ ト で お こ な う こ と な ど を 禁 じ 、 自 ら は ス ン ナ 派 で あ る こ と を 表 明 し た 。 そ し て 無 事 結 婚 が 成 立 し 、 五 四 一 年 十 一 月 / 一 一 四 七 年 四 ・ 五 月 に ム イ ー ン ・ア ッデ ィ ー ン の娘 が ハラ ブ へ 輿 入 れ し た [ ↓ Uζ も○ "ド $ び 山 ① ○ 凸 。 以 上 の 情 報 は、 ハ ラブ の シ ー ア派 の見 解 を 伝 え る イ ブ ン ・ア ビ ー ・ タ イ ィ の 記 述 に 拠 る も の で あ る 。 と こ ろ が 、 ヌ ー ル ・ア ッデ ィ ー ン の ⑳ 同 時 代 人 で デ ィ マ シ ュク 在 住 の イ ブ ン ・ア ル カ ラ ー ニ ス ィ ー は 、 そ の 著 作 山 ↓ U の 中 で 、 ハラ ブ の ア ザ ー ン変 更 を 五 四 三 / = 四 八 年 の 出 来 事 と し て 伝 え て い る 。 す な わ ち 、 こ の 年 の 七 / 十 一 ・ 十 二 月 に ヌ ー ル ・ア ッ デ ィ ー ンが ハラ ブ に お け る ア ザ ー ン か ら シ ー ア 派 特 有 の 文 言 を 削 除 し 、 ま た 教 友 達 を 中 傷 す る こ と を 禁 止 し た と い う 情 報 が ハ ラブ ⑳ か ら 伝 わ って き た と 記 し て い る の で あ る 。 一 方 イ ブ ン ・ア ビ i ・タ イ ィ に ょ れ ば 、 ヒ ジ ュ ラ 暦 五 四 三 年 に は 以 下 の よ う な 事 件 が 生 じ た 。 こ の 年 、 ヌ ー ル ・ア ッデ ィー ン と ブ ル ハー ン ・ア ヅデ ィ ー ン の シ ー ア 派 弾 圧 が 激 し さ を 増 し 、 彼 の 父 ア プ ー ・タ イ ィ ( 跨び o 月亀 矯 ) を 含 む シ ー ア 派 の 指 導 者 達 が 内 城 の 塔 に 拘 留 さ れ た 。 さ ら に ヌ ー ル ・ア ヅデ ィ ー ンが こ の シ ー ア 派 指 導 者 達 を 追 放 す る よ う に 命 じ る と 、 彼 ら は ス ン ナ 派 の 法 学 者 と 論 争 す る 場 を 与 え る よ う 求 め た 。 し か し こ の 願 い は 聞 き 入 れ ら れ ず 、 集 団 で ア ー シ ュ; ラ ー の 行 事 を お こ な っ た こ と を 理 由 に 、 ハ ラブ の有 力 者 は 一 族 と と も に マ ウ ス ィ ル へ 追 放 さ れ た の で あ る [ ↓∪ ζ 曽 H ① α 讐 び ] 。 こ の よ う に 、 ハ ラ ブ の シ ー ア 派 が 伝 え る 史 料 に ょ れ ば 、 ヒ ジ ュラ 暦 五 四 一 年 に ア ザ ー ン の変 更 が 命 じ ら れ 、 五 四 三 年 に は シ ー ア 派 指 導 者 の国 外 追 放 が 断 行 さ れ た と い う こ と に な る。 ア ザ ー ンが 変 更 さ れ た の は 、 五 四 一 年 と 五 四 三年 の いず れ で あ ろ う か 。 こ の史 料 間 のく い 違 い を 含 め 、 以 上 の シ ー ア 派 弾 圧 事 件 に つ い て 、 先 行 研 究 で は 以 下 の よ う に 説 明 さ れ て い る 。 エ リ セ エ フ は、 ヒ ジ ュ ラ 暦 五 四 一年 の 事 件 に は 一切 言 及 せ ず 、 山 ↓O 等 に 依 拠 し て 五 四 三 年 に ア ザ ー ン変 更 な ど の シ ー ア 派 弾 圧 が お こ な わ れ た と す る。 そ の う え で 、 こ の直 前 に ヌ ー ル ・ア ッデ ィ ー ンが ア ン タ ー キ ー ヤ ( ア ン テ ィ オ キ ア ) 東 方 の ヤ グ ラ ー ( 楓鋤 鴨 鋤 ) で 十 字 軍 勢 力 の 奇 襲 を 受 け て 敗 退 し た こ と が ハラ ブ の シ ー ア 派 住 民 の 不 満 を 招 き 、 そ れ が こ の弾 圧 の直 接 的 な 原 因 と な った と し て い る [ 国 凶。・ ω 諭 ゑ H O ① 刈 妹 卜。 ○。 ] 。 エリ セ エ フ は 、 80 髯 に 見 え る イ ブ ン ・ア ビ ー ・タ イ ィ の 記 述 を 見 落 と し て い る よ う だ が 、 そ の 点 を 除 い て も 、 彼 の 議 論 は 推 量 の積 み 重 ね が 多 く 説 得 力 に 欠 け る 。 ハ ヤ ト は 、 史 料 間 の 矛 盾 に 見 え る 点 を 以 下 の よ う に 解 釈 し て い る 。 す な わ ち 、 ヌ ー ル ・ア ッデ ィ ー ン は 政 略 結 婚 の た め に 五 四 一 年 に ス ン ナ 派 優 遇 "反 シ ー ア 派 を 宣 言 し た も の の 、 こ の 宣 言 は 実 行 に 移 さ れ ず 空 文 化 し て い た 。 そ れ が 五 四 三 年 に な って 断 行 さ れ た と 考 え る の で あ る [ 図 げ 亀 肄 H ⑩ 刈 ビ 嵩 ゆ 占 co O ] 。 一 方 の情 報 を 無 視 し て し ま う 積 極 的 な 理 由 が 無 い 以 上 、 ハ ヤ ト の よ う な 解 釈 が 妥 当 で あ る と 思 わ れ る 。 五 四 一 年 に 一 旦 打 ち 出 さ れ た ス ン ナ 派 優 遇 策 は 、 結 局 実 施 さ れ な か った か 、 あ る い は 実 施 さ れ て も す ぐ に 撤 回 さ れ た の で あ ろ う 。 そ の た め、 デ ィ マ シ ュ ク ま で は こ の 動 き が 伝 わ ら な か った か 、 イ ブ ン ・ア ル カ ラ ー ニ ス ィ f が 記 録 に 値 し な い と 判 断 し た の で は な い だ ろ う か 。 そ し て 、 五 四 三 年 に な っ て、 ア ザ ー ン 31
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し
かし
なが
ら、
そ
れ
で
は
なぜ
ヌー
ル
・
ア
ッ
デ
ィー
ンは、
五
四
一
年
に
ス
ンナ派
優
遇
策
を打
ち
出
し
て
おき
なが
ら、
五
四
三年
ま
で実
行
に踏
み切
ら
な
か
っ
た
(
あ
る
い
は
、
踏
み
切
れ
な
か
っ
た)
の
だ
ろう
か。
こ
の点
に
つい
て
は
、
ハヤト
も説
明
し
て
いな
い
。
こ
の
疑
問
に答
え
る
た
め
に
は、
ヌー
ル
・
ア
ヅ
デ
ィー
ン政権
を取
り巻
く諸
状
況
を考
慮
に
入れ
て考
察
す
る
必
要
が
あ
るだ
ろう。
こ
こ
で
は結論
を急
が
ず
、
以
下
の
検
討
を踏
ま
え
たう
え
で、
第
三章
で私
の解
釈
を
示
す
こと
に
し
た
い
。
第
二章
推進
派
の
顔
ぶれ
前 章 で 見 た よ う に 、 シ ー ア 派 が 多 数 を 占 め る ハ ラブ に お け る ス ン ナ 派 優 遇 策 の 実 施 は 、 当 然 住 民 の 反 発 を 招 き 、 騒 乱 状 態 を 引 き 起 こ す こ と も あ った 。 し か し な が ら 、 支 配 者 に 対 し て ス ン ナ 派 優 遇 策 の実 施 を 積 極 的 に 働 き か け た 人 々 の 姿 が 見 ら れ た の も 事 実 で あ る 。 住 民 の 多 数 が 反 対 し 支 配 者 も 渋 る 施 策 の 推 進 を 主 張 し た 者 達 と は 、 一 体 ど う い う 人 々 だ った の で あ ろ う か 。 ま ず 、 ザ ヅジ ャ ー ジ ー ヤ 学 院 の創 設 を 進 言 し て 自 ら そ の 要 職 を 占 め る こ と に 成 功 し た シ ャ ラ フ ・ ア ッデ ィ ー ン ・ ア ブ ド ・ア ッ ラ フ マ ー ン の 属 す る ア ジ ャ ミ ー 家 は、 十 一世 紀 半 ば に イ ラ ン の ニー シ ャ ー プ ー ル か ら ハラ ブ へ移 住 し て き た シ ャ ー フ ィイ ー 派 を 奉 じ る ウ ラ マ ー の 家 柄 で あ る 。 同 家 は 、 ザ ヅジ ャ ー ジ ー ヤ 学 院 の教 授 職 と ナ ー ズ ィ ル職 だ け で な く 、 後 に ワ ズ ィ ー ル ( 宰 相 ) を 二 人 も 出 す な ど 、 ザ ン ギ ー 朝 下 で 急 速 に 勢 力 を 拡 大 し た [ 谷 口 一 九 九 六 鱒 七 六 ー 七 九 頁 ] 。 同 学 院 に イ マ ー ド ・ア ッデ ィ ー ン の 父 ア ク ・ス ン ク ル の遺 骸 を 埋 葬 し て ほ し い と い う シ ャ ラ フ ・ア ッデ ィ ー ン の申 し 出 を 取 り 次 い だ ア ブ ー ・ マ ン ス ー ル ・ ブ ン ・ア ッ タ ル ス ー ス ィ : は 、 ハラ ブ に お け る デ ィ ⑫ ー ワ ー ン の 長 官 と し て ザ ンギ ー 朝 に 仕 え る有 力 官 僚 で あ った 。 彼 は ヌ ー ル ・ア ッデ ィ ー ン の 下 で は 特 に 力 を 持 ち 、 幾 つ も の ワ ク フ の管 理 を 任 さ れ て い た [ 似 ↓U 鱒ω ω H ] 。 五 一 七 / 一 一二 三 年 、 ア ジ ャ ミ ー 家 と と も に ザ ッ ジ ャ ー ジ ー ヤ 学 院 の 創 設 者 パ ド ル ・ア ッダ ウ ラ ・ス ラ イ マ ー ン を 支 持 し て シ ー ア 派 の ハ ヅ シ ャ ー プ ( 巴 窶餌 ⇔ 綴 餌 げ ) 家 と 対 立 し た 勢 力 の中 に 、 タ ル ス ー ス ィ ー 家 と い う 家 名 が 見 え る [ 日U ζ H μ ○。 ⑩ ぴ i H ゆ ○ び ] 。 ア ブ i ・ マ ン ス ー ル は 、 同 家 に 属 す る 有 力 者 で あ った と 思 わ れ る。 ま た ア ザ ー ン の 変 更 に 際 し て 活 躍 し た イ ブ ン ・ア ッ タ ル ス ー ス ィ ー も 同 一 人 物 で あ ろ う 。 ア ザ ー ン の変 更 に 関 わ った 人 物 の う ち 、 カ ー デ ィ ー と い う 肩 書 き を 持 つイ ブ ン ・ア ッ シ ャ フ ラ ズ ー リ ー は 、 ザ ン ギ ー 朝 下 で 影 響 力 を 誇 っ た ウ ラ マ ー 家 系 で あ る シ ャ フ ラ ズ ー リ ー 家 の 成 員 と 思 わ れ る 。 同 家 は ⑬ 家 名 が 示 す よ う に、 も と も と イ ラ ク 北 東 部 の シ ャ フ ラ ズ ⋮ ル 出 身 の 家 系 で 、 イ マ : ド ・ア ッデ ィ ー ン の マウ ス ィ ル 入 城 時 か ら ザ ンギ ー 朝 を 支 え て き た 。 シ ャ ー フ ィイ ー 派 法 学 者 を 多 数 輩 出 し た 同 家 は 、 ジ ャズ ィ ー ラ と シ リ ア 双 方 の ザ ンギ ー 朝 政 権 の 下 で 、 カ ー デ ィ ー や 大 力 ー デ ⑭ イ ー を 数 多 く 送 り 出 し た 。 ま た 、 デ ィ マ シ ュク に 居 な が ら ヌ ⋮ ル ・ア ッデ ィー ン の 親 シ : ア 派 政 策 を 批 判 し て い た ブ ル ハー ン ・ ア ッデ ィ ー ン ・ ア リ ー ・ バ ル ヒ ー は、 ホ ラ サ ー ン東 部 の バ ル フ 出 身 で 、 イ マ ー ド ・ア ッデ ィー ン と も 親北 シ リアに お け る ス ンナ派 優 遇 策 の開 始 交 の あ った ハ ナ フ ィ ー 派 の ウ ラ マ ー で あ る 。 彼 は 、 五 二 五 / 一 二 一= 年 頃 か ら デ ィ マ シ ュク の マ ド ラ サ で 教 え て い た が 、 ア ザ ー ン の変 更 と 同 時 期 に ヌ ー ル ・ア ッデ ィ ー ンが ハラ ブ に 設 立 し た ハ ッ ラ ー ウ ィ : ヤ ⑮ 学 院 ( 。 一・ ζ 践 曷 ω ⇔ 巴 -姐 巴 研≦圃 団 o ) の 初 代 教 授 に 迎 え ら れ た 。 こ こ に 見 え る ウ ラ マ ー 及 び 家 系 の 名 は 、 い ず れ も 五 / 十 一 世 紀 末 ま で は ハ ラブ 関 係 の史 料 に は 現 れ な い も の で あ る 。 タ ル ス ー ス ィ ー家 が い つ頃 ハ ラ ブ へ到 来 し た か は 不 明 で あ る が 、 十 一 世 紀 半 ば に ハ ラ ブ へ 到 来 し た と い う ア ジ ャ ミ ー 家 と も ど も 、 十 一 世 紀 末 ま で は 無 名 の 家 系 で あ った と 考 え ら れ る 。 シ ャ フ ラ ズ ー リ ー 家 や ブ ル ハ ー ン ・ア ッデ ィ ー ン に 至 っ て は、 ザ ン ギ ー朝 の進 出 と 前 後 し て シ リ ア へ足 を 踏 み 入 れ た 新 参 者 と 言 う こ と が で き る 。 ま た 彼 ら は 、 ザ ンギ i 朝 の 君 主 が 設 立 あ る い は 支 援 し た マド ラ サ に 職 を 得 た り 、 有 力 官 僚 と し て 君 主 に 仕 え た 人 物 で あ る と い う 点 で、 支 配 権 力 と 強 い つ な が り を 有 す る 者 達 で あ った 。 以 上 の 人 々 に 比 し て 、 ハ ラブ に お け る 古 く か ら の 名 家 で あ る ア ブ ー ・ ジ ャ ラ ー ダ ( 諺 び ⇔ 智 吋 鍬 餌 ) 家 は、 ハ ナ フ ィ ー 派 法 学 を 奉 じ る 家 系 で あ り な が ら 、 一 連 の ス ン ナ 派 優 遇 策 に 対 し て あ ま り 積 極 的 に は 関 与 し て い な い よ う で あ る 。 こ の 期 間 に 見 ら れ た 彼 ら の行 動 と し て は 、 ア ジ ャ ミ ー 家 と タ ル ス ⋮ ス ィ ー 家 と と も に、 ザ ッジ ャ ー ジ ー ヤ 学 院 の創 設 者 パ ド ル ・ ア ッダ ウ ラ ・ス ラ イ マ ー ン の 支 持 を 表 明 し た こ と だ け で あ る [ 日U ζ 屮 芦○ 。 ⑩ ぴ ー H Φ ○ び ] 。 ア ブ ー ・ ジ ャ ラ ー ダ 家 の カ マー ル ・ア ッ ⑳ デ ィ ー ンが 父 な ど か ら 得 た 伝 承 も 交 え て 著 し た ハ ラブ 史 で あ る N 口 に も 、 こ の 時 期 の ス ン ナ 派 優 遇 策 と 同 家 の関 わ り は 記 さ れ て い な い 。 ま た 、 積 極 的 な ス ン ナ 派 優 遇 策 推 進 者 で あ った ア ジ ャ ミ ー 家 の シ ャ ラ