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成践学園におけるESD(持続可能な開発のための教育)の可能性 : 「ESD成践フォーラム2016 武蔵野の自然と成蹊の学び」開催記録

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(活 動 報 告)

成 践 学 園 に お け るESD(持

続 可 能 な 開発 の た め の教 育)の

可 能 性

rESD成

践 フ オ ー ラ ム2016武

蔵 野 の 自然 と成 践 の 学 び 」 開 催 記 録

小 田 宏 信*1,財 城 真 寿 美*2,宮 下 敦*3 倉 茂 好 匡*4,三 上 岳 彦*5,池 上 敦 子*6 PrOCeedingSOftheESDSeikeiFOrUm2016 "L ocalenvironmentofMusashinoandeducationinSeikeiGakuen" HironobuODA*1,MasumiZAIKI*2,AtsushiMIYASHITA*3, YoshimasaKURASHIGE*4,TakehikoMIKAMI*5,AtsukoIKEGAMI*6 Keywords:ESD,SeikeiGakuen,SeikeiMeteorologicalObservatory (ReceivedMay31,2016) 1.は じ め に 去 る2016年3H26日 に成 践 大 学4号 館 ホ ー ル にて 「ESD成 瞑 フォ ー ラム2016武 蔵 野 の 自然 と成 瞑 の学 び 」 と題 した イ ベ ン トが 武 蔵 野 市 の 後 援 を得 て 開 催 され た 。 本 稿 は,同 行 事 の 開催 記録 で あ る。 ま ず もっ て 本 イ ベ ン ト開 催 ま で の 経 緯 を記 して お きた い。本 イベ ン トの 開催 の母 体 とな っ た の は,「学 校 間 連 携 強化 タ ス ク フ ォ ー ス チ ー ム 」 で あ る。 同 チ ー ム は,一 っ の校 地 の 中 に 小 学 校 か ら大 学 院 ま で を擁iする成 瞑 学 園 の 一 貫 教 育 の魅 力 を い っ そ う高 め るべ く,学 校 間 の 連 携 強 化 を 目指 して2015年 度 に設 置 され た も の で あ る。チ ー ム に は,学 校 間 連携 担 当 常 務 理 事 の 池 上 の 下,企 画 室 の 上 野 剛 司 主 査 と平 林 くみ 主 査,小 学 校 お よび 中学 ・高 等 学 校 の校 長 ・教 頭 ・事 務 長,大 学 か らは 企 画 室 兼 務 を命 ぜ られ て い た 小 田,環 境 研 究 を 専 門 とす る財 城 が加 わ っ た。 同 チ ー ム で は 活発 な議 論 が な され,「知 的 好 奇 心 で っ な が る ワ ンキ ャ ンパ ス 」 とい う合 言 葉 が創 り出 され た 。 そ *1:成 膜 大 学 経 済 学 部 教 授 *2:成 瞑 大 学 経 済 学 部 准 教 授 *3:成 践 高 等 学 校 教 諭 ,成 践 気 象 観 測 所 所 長 *4・ 滋 賀 県 立 大 学 環 境 科 学 部 教 授 *5・ 首 都 大 学 東 京 名 誉 教 授 *6:理 工 学 部 情 報 科 学 科 教 授(atsuko@st .seikei.ac.jp) の第1弾 と して企 画 され た の が,中 学3年 生 が 自身 の進 路 を考 え る き っ か け と して 大 学 ゼ ミ ・研 究 室 の 活 動 を体 験 す る 「中学3年 生 ×大 学 ゼ ミ」で あ っ た(2015年10∼ 11.月 に8ゼ ミが 順 次 開催)。 ま た,第2弾 の 企 画 は,齊 藤 昭則 教 授(京 都 大 学)と 藤 原 均 教授(成 膜 大 学)の 協 力 を仰 い で 巨大 なデ ジ タル4次 元 地 球儀 に さま ざま な 映 像 を 映 し出す 「オ ー ロ ラ と宇 宙 」 シ ンポ ジ ウム で あ り, 会 場 に集 ま っ た小 学 生,中 高 生,大 学 生 や保 護 者,教 職 員 全 員 が一 体 とな っ て楽 しめ る講 演 とな っ た(2016年2 月19日)。 そ して,「知 的 好 奇 心 で つ な が る ワ ンキ ャ ンパ ス 第3弾 」 がESD成 瞑 フ ォ ー ラ ム2016で あ った 。 ESDと は 「持 続 可 能 な 開発 の た め の教 育 」 で あ り,こ の10数 年 来,国 連 教 育科 学文 化 機 関(UNESCO)が 推 進 し,日 本 で も文部 科 学省 お よび 関係 省 庁 が 推 奨 して きた 教 育理 念 で あ る。ESDの 理 念 は,成 践 学 園 の各 学校 が 実 践 して き た 教 育 理 念 と も親 和 性 が 高 い と考 え られ,ESD を旗 印 に,学 園 内 の 学校 間連 携 と地域 連 携 を同 時 的 に 推 進 す れ ば,成 膜 教 育 の真 価 を 世 に 問 うこ とが で き るの で は な い か と考 え た の が イベ ン ト開催 の き っ か けで あ っ た 。 しか も,2016年 は 成 膜 学 園 に お け る理 科 教 育 ・環境 教 育 の象 徴 と もい うべ き成 瞑 気 象 観 測所 の 開 設90周 年 に あ た る年 で あ り,こ の タ イ ミ ン グで 開催 す る こ とに 大 きな 意 義 が あ る と考 え た。

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2.ESDの 理 念 とESD成 践 フ オ ー ラ ム の 構 想 「持 続 可 能 な 開 発 の た め の 教 育(ESD,Educationfor SustainableDevelopment)」 とは,人 類 が 将来 の世 代 に わた り恵 み 豊 か な生 活 を確保 で き る よ う,気 候 変 動,生 物 多 様 性 の喪 失,資 源 の枯 渇,貧 困 の 拡大 等,人 類 の開発 活 動 に 起 因す る現代 社 会 にお け る様 々な 問題 を,各 人 が 自 らの 問 題 と して 主 体 的 に捉 え,身 近 な とこ ろか ら取 り組 む こ とで, そ れ らの 問題 の 解 決 に つ な が る新 た な 価 値 観 や 行 動 等 の 変容 を もた ら し,も って 持続 可能 な社 会 を実 現 して い くこ とを 目指 して行 う学 習 ・教 育活 動 で あ る(持 続 可 能 な 開発 の た め の教 育 に 関す る関係 省 庁 連 絡会 議,2016)。 「持 続 可 能 な開 発 」 とい うター ム は,1987年 に リオ デ ジ ャ ネ イ ロで 開催 され た 「環 境 と開発 に 関す る 国連 会 議 」 で ブ ル ン トライ トを 委 員 長 とす る委 員 会 が 公 表 した 報 告 書 『わ れ ら共 有 の未 来 』 で 用 い られ た 以 降,普 及 した 言 い 回 しで あ る。続 い て,1992年 に開 催 され た 国 連 環 境 開 発 会議 で採 択 され た 『ア ジ ェ ン ダ21』 の な か に 「持 続 可 能 な 開発 の た め の 教 育 」 の 重 要 性 が 盛 り込 ま れ た 。 さ ら に,2002年 に ヨハ ネ ス ブ ル グに お い て 開 催 され た 「持 続 可 能 な 開発 に 関 す る世 界 首脳 会 議 」 に お い て,日 本 が ESDの 具 体 的 な推 進 を 提 言 した の を き か っ け に,2005-2014年 が 「国 連ESDの10年 」に位 置 付 け られ,さ ま ざま な 実 践 が な され て き た。2014年11Hに は,ユ ネ ス コ と 日本 政府 の 共催 に よ り,名古 屋 市 及 び 岡 山市 にお い て 「持 続 可 能 な 開 発 の た め の教 育(ESD)に 関 す るユ ネ ス コ世 界 会議 」が 開催 され,こ れ は 「国連ESDの10年 」の 最 終 年 を飾 るイ ベ ン トとな っ た。 2014年 の 世 界 会 議 で は,「 国 連ESDの10年 」 の 後 継 プ nグ ラム と して の 「ESDに 関す る グ ロー バ ル ・ア ク シ ョ ン ・プ ロ グ ラム(GAP)」 の 開 始 が 宣 言 され,ESDを め ぐ る世 界 的 な 運 動 は 現在,第2ラ ウン ドへ と突 入 して お り, 日本 国 内 で も教 育 政 策 上 で の 取 り組 み が ま す ま す 深 ま り つ つ あ る。 ESDの ね らい は,直 接 的 に は,持 続 可 能 な 開 発 に 関 す る価 値 観(人 間 の 尊 重,多 様 性 の 尊 重,非 排 他 性,機 会 均 等,環 境 の 尊 重 等)の 醸 成 に あ るが,そ れ を通 じて, 体 系 的 な 思 考 力(問 題 や 現 象 の 背 景 の 理 解,多 面 的 か つ 総 合 的 な もの の 見 方),代 替 案 の 思 考 力(批 判 力),デ ー タや 情 報 の 分析 能 力,コ ミュ ニケ ー シ ョン能 力,リ ー ダー シ ップ な どがESDを 通 じて 「育 み た い カ 」 と され て い る。 ま た,学 び方 ・教 え方 も従 来 の教 育 とは異 な り,① 「関 心 の 喚 起 → 理解 の 深 化 → 参 加 す る態 度 や 問 題 解 決 能 力 の 育 成 」 を 通 じて 「具 体 的 な 行 動 」 を促 す こ と,② 体 験,体 感 を 重 視 して,探 求 や 実 践 を重 視 す る参 加 型 ア ブ ロー チ を とる こ と,③ 活 動 の 場 で 学 習者 の 自発 的 な行 動 を 上手 に 引 き 出す こ と,な どが 指摘 され て い る。 こ うし た観 点 は,近 年 の 文 部 行 政 が 求 めて い る 「学 力 の3要 素 」 と も大 い に重 な り合 う もの で あ る。 初 等 ・中等 教 育 の場 に お い て は 「ユ ネ ス コス クー ル 」 に加 盟 す る小 学校 ・中 学校 ・高 等 学校 に お い て 実 践 され て き た。 ま た,こ うした ユ ネ ス コス クー ル を大 学 が 支 援 す る体 制 の構 築 が 求 め られ て お り,そ の役 割 を果 た す こ とを 自認 した 大 学 は ユ ネ ス コス クール 支援 大 学 間 ネ ッ ト ワー ク(ASPUnivNet)に 加 盟 して い る。 ま た,地 域 毎 に 複 数 の 大 学 が 連 携 してESDに 関す る地 域 拠 点(Regional CentreofExpertiseonESD:RCE)を 構 成 し,そ れ を国 連 大 学 が認 定 して い る。 また,大 学 に よ っ て は,ESD関 係 科 目を カ リキ ュ ラム 上 に位 置 付 け て い る場 合 が あ る。 近 年 で は 企 業 の 社 会 的責 任(CSR)の 一 つ と して のESDへ の 取 り組 み もみ られ,そ の場 合 に 大 学 に 寄 附 講座 を提 供 し て い る場 合 もあ る。 上 で は,ESDの 理 念,そ の運 動 の展 開 と特 徴,仕 組 み に つい て か い つ まん で み て きた が,残 念 な が ら成 践 学 園 で は これ まで 制度 的 ・組 織 的 な取 り組 み を外 部 か ら意識 され る 形 で は行 っ て こな か っ た。 しか し,こ の こ と は本 学 園 が ESDに 消極 的 だ っ た とい うこ とを意 味す る の で は な い 。 ESDと い う概 念 が誕 生 し,流 布 され るず っ と以 前 か ら,104 年 の歴 史 を 有す る成瞑 学 園で は 小 ・中 ・高 を 中心 にESDに 相 当す る取 り組 み が 営 々 と行 わ れ て きた の で あ る。 これ ま で 学 園 内 の さ ま ざ ま な 場 所 で 実 践 さ れ て き た ESD的 取 り組 み を再 発 見 し,相 互 に結 び付 け て 内 外 に発 信 して い け ば,い っ そ う意 識 的 に そ れ らの 取 り組 み が 強 化 され,成 膜 教 育 の真 価 を 再確 認 で き るの で は な い か 。 この こ とに気 づ くの に,我 々 の チ ー ム は 長 い 時 間 を要 さ な か っ た。 成 瞑 学 園 内 で の 地域 ・環境 教 育 を 中心 と した 体 験 型 ・参 加 型 の 取 り組 み を 小 ・中 ・高 ・大 が 連携 して 推 進 し,武 蔵 野 市 を 中 心 とす る地域 の さま ざま な ア ク タ ー と も多様 な 形 態 で 連 携 して い く活 動 を我 々 は 「ESD成 小学生 学級 ● ● 海外のユネスコスクール 高 校生

活 中学

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運営 会§ ESD推 進 セ ンタ ー)

〔 大学内各・・ター 〕 学園環境委員会 ■hi nkG■oba■ ■y、Actl_ocaI■y 図1ESD成 践 フ オ ー ラ ム の 組 織 イ メ ー ジ

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膜 フ ォ ー ラ ム 」 と 仮 に 命 名 し,そ の 組 織 イ メ ー ジ を 図1 の よ うに 描 い た 。 3.当 日 の プ ロ グ ラ ム と 発 表 内 容 上 記 の よ うな 経 緯 か ら,ま ず は 年 度 内 に行 事 を開 催 し て み よ うとい うこ とに な り,そ の名 称 を 「武 蔵 野 の 自然 と成瞑 学 園 の 学 び 」 に 定 め,開 催 日を 「建 学 の 日」 に も 近 い,年 度 末 の 土 曜 日で あ る3月26日 に設 定 した 。武 蔵 野 市 か ら後援 名 義 も頂 戴 し,企 画 室 の 上 野 主 査 に よ るデ ザ イ ンで ポ ス タ ー も完 成 した 。 表1に,当 日の プ ロ グ ラム と タイ ム テ ー ブ ル を示 す 。 冒 頭 で 小 田 よ り趣 旨説 明 を行 っ た 後,第1部 で は 「持 続 可 能 な社 会 づ く りの た め の 成 膜 学 園 の 学 び 」 と し,各 校 の 取 り組 み を 紹 介 し合 う場 と した 。後 半 の 第2部 は,「成 膜 気 象観 測 所 の90年 と武 蔵 野 の気 候 環 境 変 化 」 と して3 報 告 か らな るシ ンポ ジ ウム 形 式 と した 。 ESDl[du(・ ・1・・)f・・su∼tainabl・D・v・1・pme・ ・)成 践 フ ォ ー ラ ム

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レ ゼ ン テ ー シ ョ ン し ま す 。 こ こ で 言 い ま す 「一 つ の テ ー マ 」と い うの は,「ESD」 で す 。ESDと い う の は,こ の10年 来,ユ ネ ス コ=国 連 教 育 科 学 文 化 機 関 が 推 進 し て き た 教 育 理 念 で す 。ESD は 「持 続 可 能 な 開 発 の た め の 教 育 」 と 訳 さ れ ま す 。 一 言 で 言 え ば,ESDと は,持 続 可 能 な 社 会 を つ く る た め の 担 い 手 づ く りで す 。 こ の 概 念 を 限 ら れ た 時 間 で ご 説 明 す る の は 難 しい の で す が,持 続 可 能 性 の 基 礎 と し て,世 代 間 の 公 平,地 域 間 の 公 平,男 女 間 の 平 等,社 会 的 寛 容,貧 困 削 減,環 境 の 保 全 と 回 復,天 然 資 源 の 保 全,公 正 で 平 和 な 社 会 と い っ た キ ー ワ ー ドが 掲 げ ら れ て い ま す(「国 連 持 続 可 能 な 開 発 の た め の 教 育 の10年 」関 係 省 庁 連 絡 会 議,2006)。 ま た, ESDを 通 じ て 育 み た い 能 力 と し て,「 自分 で 感 じ,考 え る カ 」,「問 題 の 本 質 を 見 抜 く 力 ・批 判 す る 思 考 力 」,「気 持 ち や 考 え を 表 現 す る 力 」,「多 様 な 価 値 観 を 認 め,尊 重 す る カ 」,「他 者 と協 力 し て 物 事 を 進 め る カ 」,「地 域 や 国, 地 球 の 環 境 容 量 を 理 解 す る 力 」,「 自 ら 実 践 す る 力 」 な ど と い っ た こ と が 指 摘 さ れ て い ま す(ESD-J,2006)。 Thinkglobally,actlocally。 こ れ もESDの 重 要 理 念 の 一 つ で す 。 世 界 を 識 る こ と で 自 分 の 足 元 の 場 所 で 何 を す べ き か が わ か り,逆 に ロ ー カ ル な 場 で 活 動,実 践 して み て 初 め て グ ロ ー バ ル な 理 解 に つ な が っ て き ま す 。 「伝 統 に 立 脚 し,未 来 を 考 え よ 」 と い う格 言 を 残 した の は,学 園 の 創 立 者,中 村 春 二 先 生 で す が,私 た ち,今 回 の 運 営 チ ー ム は,本 学 園 の 伝 統 に 照 ら して,私 た ち が こ れ か ら 打 ち 出 す メ ッ セ ー ジ し て,何 が 一 番 よ い の か 考 え ま し た 。 そ うす る と,ESDの 理 念 が 成 膜 学 園 の 百 年 の 教 育 実 践 と 見 事 に 適 合 す る こ と に 気 が つ き ま し た 。 「真 我 の 開 発 」。 こ れ も 中 村 春 二 先 生 の 言 葉 で す 。 自 我 で は な く真 我 。 人 の た め,世 の 中 の た め に 尽 く そ う と い う心 の 奥 底 の 尊 い 心 を い か に 呼 び 起 こ す べ き か と い う こ と で す 。 「君,よ く 樹 を 見 な さ い,枝 が 一 っ 一 っ 違 うだ ろ う。 空 を 見 な さ い,雲 も 毎 日毎 日違 う だ ろ う」。 こ れ は,成 瞑 小 学 校 の 教 諭 で あ っ た 清 水 晴 男 先 生 の 発 した 言 葉 で す 。 ま ず は,大 き な 心,大 き な 視 野 で 物 事 を 観 察 す る こ と か ら 始 め な さ い と い うメ ッ セ ー ジ で し た 。 1925年(大 正14年)。 成 瞑 学 園 が 武 蔵 野 の 地 に 移 転 し た 翌 年 で す 。 こ の 年,7年 制 の 旧 制 成 瞑 高 等 学 校 が 発 足 し ま し た 。 そ し て,同 じ 年,加 藤 藤 吉 先 生 に よ る 気 象 観 測 が ス タ ー ト し ま し た 。 観 測 や 実 験 を 重 視 した 成 膜 理 科 教 育 の 伝 統 も こ こ に 始 ま りま す 。 今 年 度 は,旧 制 成 膜 高 等 学 校 創 立90年,そ して 成 膜 気 象 観 測 所 創 立90年,成 瞑 小 学 校 創 立100年 に あ た りま す 。 こ う し た 節 目 を き っ か け に,ESDと い う観 点 か ら 成 膜 学 園 で の 学 び を 考 え,ま た,武 蔵 野 の 環 境 変 化 に つ い て,と も に 学 び た い と 思 い ま す 。 つ な ぐ。 こ れ も,ESDの 重 要 な キ ー ワ ー ドで す 。ESD を 旗 印 に,小 学 校 も,中 学 校 も,高 等 学 校 も,大 学 も つ な が る 。 そ し て,武 蔵 野 地 域 に お 住 ま い に 皆 さ ま,さ ま ざ ま な 市 民 団 体 の 皆 さ ま と も つ な が っ て く る。 世 代 を 越 え て つ な が る 中 で,新 しい 発 見 が も た ら され る 。今 日は, そ ん な こ と を 狙 い と し た イ ベ ン トで す 。 最 後 ま で お 付 き 合 い い た だ け れ ば 幸 い で す 。 3.2第1部 の報 告 概 要 「第1部 持 続 可能 な社 会 づ く りの た め の 成瞑 学 園 」 で は,最 初 に成 膜 小 学校 教 務 部 主任 の林 田信 治 教諭 か ら 小 学 校 の栽 培 活 動 の 取 り組 み に つ い て紹 介 い た だ い た。 栽 培 活 動 は成 瞑 小 学校 を 特 色 づ け る取 り組 み の 一 つ で あ る が そ の起 源 は 古 く,小 学校 の設 立 時 の趣 意 書 に す で に 「児 童 に も草 い じ りを させ,小 さい鍬 を もたせ て 草 花 や 野菜 の簡 単 な世 話 を させ る」 とい うこ とが 記 され,創 立 当初 か ら 「園 芸 」 が カ リキ ュ ラム 上 に位 置 づ け られ て い た。そ の 後,1962年 に は 「園芸 」が廃 止 され る もの の, 1・2年 生 の 生活 学習 の 中 に 引 き継 がれ,さ らに1991年 は総 合 的 な学 習 の 時 間 で あ る 「こみ ち科 」 の授 業 の 中で 行 われ る よ うに な っ た。 今 日で も,全 学 年 を通 じて,こ み ち科 と理 科 に お い て,① 作物 を 大 き く育 て るた め に 行 う 日常 の作 業 に よっ て,農 作 業 の 大 変 さ を実感 し,作 物 の あ りが た さを知 る,② 野菜 の成 長 を観 察 し,そ れ を記 録 す る こ とに よ り多 くの発 見 を す る,③ 収 穫 して そ の 喜 び と 自然 の恵 み を 味 わ う,3点 を 主 な 目的 に 実 践 され て い る。 都 会 の 生 活 は 児 童 教 育 上 種 々 な る 弊 害 を 受 け て い ま す ゆ え 、 自 然 と 親 し み 広 大 な 自 然 か ら よ い 感 化 を う け し め る 様 に 種 々 の 指 導 諸 般 の 設 備 を す る つ も り で す 。 即 ち 児 童 に も 草 い じ り を さ せ 、 小 さ い 鍬 を も た せ て 草 花 や 野 菜 の 簡 単 な 世 話 を さ せ 、 小 鳥 、 鶏 、 羊 豚 等 に 親 し ま せ ま す 。 七 田 園 生 活 を 味 わ せ る こ と 資 料1私 立 成 践 小 学 校 設 立 趣 旨 よ り 2番 目に登 壇 した の は,中 学1年 「夏 の 学校 」 の ヘ ル パ ー を担 当 した 高校2年 生 の 齋藤 さん と渡 邊 君 で あ っ た 。

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図2第1部 の 会 場風 景 中 学1年 生 の 夏 の 学校 は,7H中 旬 に長 野 県 茅 野 市 の 車 山 高原 に て3泊4日 の 日程 で 行 わ れ て い るが,第2日 目 の 午 前 中 が 班 行 動 に よ る八 島 ヶ原 湿 原 散 策 にあ て られ て い る。 散 策 ル ー ト上 の7か 所 に チ ェ ッ クポ イ ン トを配 置 し,そ こで は 高校 生 ヘ ル パ ー に よっ て 測 定 や クイ ズ を伴 っ た 重 要 事 項 の説 明 が な され る。 発 表者 の2人 か らは, ヘル パ ー を 担 当 した 時 の 概 況 説 明 と湿 原 に生 息 す る さま ざま な 生 物 の 紹 介 が あ っ た。 3番 目の登 壇 者 は 中学 自然 科 学 部 の部 員 で 中学3年 生 の鈴 木 君 と稲 留 君 に よ るポ ス ター 展 示 の 紹 介 で あ った 。 鈴 木 君 か らは 「成 瞑 中 学 校 林 苑 の 野 鳥 の 観 察 記 録 報 告 」, 稲 留 君 か らは 「緩 歩 動 物 門(ク マ ム シ)に お け る ク リプ トバ イ オ シ ス の研 究 皿 ∼ 窒 息 仮 死(低 酸 素 耐 性)に つ い て ∼ 」 の研 究概 要 が 紹 介 され た 。 中学 校 の 林 苑 で オ オ タ カ が観 察 され る こ と,ク マ ム シ を 自 ら飼 育 し観 察 して い る こ とな ど,参 加 者 は 驚 嘆 す るば か りで あ っ た 。 続 い て,高 校 生 徒 会 会 長 の 近藤 君(高 校2年 生)と 同 副 会長 の 山 暗 さん(同)に よ る高 校 生 徒 会 に よ る校 外 活 動 の 紹 介 が あ っ た。 「社 会,地 域 と向 き合 っ て」 と題 され た プ レゼ ンテ ー シ ョ ンで は,「朝 の 吉 祥 寺 清 掃 活 動 」の 企 画 と実 践,明 星 学 園 高 校 生 徒 会 主 催 の 「ス ポ ー ツGOMI拾 い 」 へ の 参加,あ しな が 学 生 募 金 お よび ユ ニ セ フ に基 づ く吉 祥 寺 駅 前 や 井 の 頭 公 園 で の 募 金 活 動,認 定NPO法 人 FTCJ(フ リー ・ザ ・チル ドレ ン ・ジ ャパ ン)の ミンダ ナ オ 島 の子 供 た ち に支 援 物 資 を 送 る活 動 へ の 参 画,東 北 復 興 支 援 活 動 の各 取 り組 み が 紹介 され た。 な か で も東 北 復 興 支 援 活 動 は興 味深 く,岩 手 県 宮 古 市 田老 地 区 の 仮 設 商 店 街 「た う ち ゃ んハ ウス 」 で成 践 高校 生 手 作 りの 「田老 ×成 膜 夏 祭 り」が 催 され,田 老 地 区在 住 の 子 供 た ち との 素 晴 ら しい 交流 を伺 い知 れ た。 ・\ ノ/ 図3「 田 老 ×成践 夏 祭 り」 で 寄 せ られ た メ ッセ ー ジ 小 中 高 か らの発 表 に続 い て,第5∼7報 告 ま で が 大 学 か らの発 表 で,学 生 環 境 団 体 「桃 球 」,学 生 ボ ラ ンテ ィア 本 部Uni.,理 工 学 部 シス テ ムデ ザ イ ン学 科 の 「吉 祥 寺 プ ロ ジ ェ ク ト」 の紹 介 が な され た。 これ らの うち,学 生環 境 団 体 「桃 球 」 は,本 学 が 環 境

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活 動 に 力 を 注 い で い く 中で,大 学 区 域 環 境 委 員 会 の 下 部 組 織 と してEMS活 動 を支 援 す べ く2006年7Hに 発 足 し た もの で あ る。 そ の 活 動 実 績 は10年 に な ろ うと して い る。 桃 球 か らは 文 学 部2年 生 の 石 川 将 吾 さん と経 済 学 部 2年 生 の加 藤 あ ゆ み さん が 登 壇 した 。 そ こで は,① 楽 し く環 境 活 動 を す る,② 環 境 に 良 い 活 動 をす る,③ よ り多 くの 人 を 巻 き 込 ん だ 活 動 を す る,と い う3つ の 目標 が 示 され た 上 で,ゴ ミ分 別 活 動 な どの 学 内 環 境 保 全,大 学1 号館 建 物 へ の ゴー ヤ の グ リー ンカ ー テ ンの植 栽 活 動,エ コバ ス ツ ア ー な どの 活 動 が 紹 介 され た 。 学 生 ボ ラ ンテ ィア 本 部Uni.は,2009年6月 に設 立 され て 以 来7年 め を迎 えた 学 内 最 大 規 模 の 学 生 団 体 で あ る。 教 育,環 境,国 際,地 域,福 祉 の5チ ー ム よ り活 動 を行 っ て い るが,当 日は,経 済 学 部2年 生 の 立 花 由里 さん に 環 境 チ ー ム の,文 学 部2年 生 の 高 橋 冴 衣 子 さん に地 域 チ ー ム の そ れ ぞ れ 活 動 紹 介 を お願 い した 。環境チームか ら は,井 の頭 公 園,七 里 ヶ浜,富 士 山五 合 目な どで の 清 掃 活 動 と,学 園 至 近 の 木 の 花 小 路 公 園 で の 保 全 活 動,地 域 チ ー ム か らは,吉 祥 寺 ハ モ ニ カ 横 丁 で の 案 内 ボ ラ ンテ ィ ア(ハ モ ニ カ ・プ ロ ジ ェ ク ト)や 境 山野 緑 地 の 保 全 活 動, 武 蔵 野農 業 ふ れ あ い 村 で の 収 穫 ・販 売 実 践(農 業 プ ロ ジ ェ ク ト)な どが 紹 介 され た 。 理 工 学 部 シ ス テ ム デ ザ イ ン学 科 の 「吉 祥 寺 プ ロジ ェ ク ト」 に つ い て は,同 学 部 の 小 川 隆 申教 授 よ り報 告 が あ っ た。 同 プ ロジ ェ ク トは 本 学 の 推 進 して きた 地 域 連 携 型 プ ロジ ェ ク ト授 業 の 一 環 で あ る。2011年 度 に吉 祥 寺 東 町 通 過 交 通 問題 に 取 り組 み,学 生50名 に よ る交 通 流 調 査 と 分析 の 上,沿 道 住 民 に 向 け た 発 表 会 を行 った の を始 ま り に して い る 。 そ の 後,武 蔵 野 市 ヒー トア イ ラ ン ド調 査 (2012年 度),打 ち水 の定 量 的 評 価(2012∼13年 度),大 学6号 館 環 境 設 備 の定 量 的評 価(2014年 度),市 民 の ご み 捨 て利 便性 を 図 る 「ごみ ア プ リ」 開 発(2014年 度 ∼) とい っ た プ ロジ ェ ク トが 実 施 され て きた 。 これ らの 成 果 は,新 聞各 紙 で報 道 され た ほ か,JSTサ イ エ ンス チ ャ ンネ ル で も紹 介 され た。 3.3第1部 に 対 す る コ メ ン ト概 要 以 上 の 学 園 内 の 構 成 員 か らの 発 表 に 対 し,武 蔵 野 市 環 境 部 長 の 郡護 氏 と,宮 城 教 育 大 学 教 授 の 小 金 澤 孝 昭 氏 よ り貴 重 か つ 有 益 な コメ ン トを頂 戴 した 。 郡 氏 には 成 瞑 大 学 の プ ロジ ェ ク ト型授 業 の 運 用 等 で た い へ ん お 世 話 にな っ て い るば か りか,本 学 と市 の 連 携 の 有 力 な パ イ プ 役 を 果 た して 下 さっ て い る。 ま た,小 金 澤 氏 は 国 連 大 学 サ ス テ イ ナ ビ リテ ィ高 等研 究 所 客 員 教 授 を併 任 して お り,日 本 に お け るESDの 推 進 者 のお 一 人 で あ る。 小 金 澤 氏 と成 膜 学 園 との 関 わ り も深 く,1981年 度 に成 膜 高 等 学校 に 地 理 の非 常勤 講 師 と して 出講 い た だ い た ほ か,現 在 で は, 成 険 大 学 の全 学教 育科 目で 「地域 理 解 トピ ッ クス(地 域 づ く りの 時代)」 な どの 科 目,同 教 職 課 程 で 「地 誌 学 」 を ご担 当 され て い る。 まず,郡 氏 か らは,以 下 に 示 す よ うな 点 を骨 子 とす る コメ ン トを い た だ い た。 〉 設 立 時 に す で に 田 園 生 活 の 実 践 を 目標 と して い た 小 学 校 の 栽 培 活 動 の 長 い 歴 史 は 驚 きで あ った 。 〉 高 校 生 が 中学 生 の 行 事 をサ ポ ー トす る とい う と こ ろ に示 され て い る よ うに,小 学校 か ら大 学 院 ま で を設 置 す る教 育 機 関 と して の 厚 み,凄 み を感 じた 。 〉 中学 自然 科 学 部 の 活 動 報 告 に あ った,オ オ タカ に して も クマ ム シ に して も 自然 界 最 強 とい うこ とが で き,中 学 生 の段 階 で こ うした こ とに 興 味 を持 ち そ れ を 究 め よ うとす る姿 勢 は 非 常 に重 要 で あ る。 〉 高 校 生 徒 会 の 活 動 は,「 地域 に 愛 され る成 膜 」 に して い く,生 徒 た ち に とっ て武 蔵 野 を一 生 忘 れ られ な い街 に して い く とい うば か りで な く,地 域 を 通 じて 世 界 ・ 社 会 を 見 る眼 差 しを 培 っ て い く と い う意 味 で 非 常 に 意 義 深 い 。 〉 「桃 球 」の ゴ ミ分 別 に つ い て 言 えば,多 摩 地 域 の 自治 体 は 全 国 レベ ル で も最 も分 別 に厳 しい 。域 内 で 処 理 し きれ ず に 北 海 道 に ま で 依 頼 して い る ゴ ミ も あ る か ら で あ る。こ う した 見 方 をす る こ とに よっ て,視 野 は ナ シ ョナ ル に も グ ロー バ ル に もつ な が って く る。 >Uni.の 木 の花 小 路 公 園 や 境 山野 緑 地 の保 全 活 動 は,市 民 グル ー プ との 協働 とい う意 味 で も 興 味 深 い 事 例 で あ るが,こ こで も地域 で の 取 り組 み とい うもの が 世 界 大 の 視 点 につ な が って こ よ う。 〉 成 膜 学 園 にお け るESDの 今 後 の 展 開 に つ い て 大 い に 期 待 した い 。 一 方 ,小 金 澤 氏 か ら は,日 本 及 び世 界 に お け るESD運 動 の展 開,ESDの6つ の構 成 概 念 を説 明 して い た だ い た 上 で,ESDで 育 み た い 能 力 ・態 度 と して,① 批 判 的 に 考 え る力,② 未 来像 を 予測 して 計 画 を 立 て る力,③ 多 面 的 に総 合 的 に考 え る力,④ コ ミ ュニ ケ ー シ ョ ンカ,⑤ 他 者 と協 力 す る態 度,⑥ つ な が りを 重視 す る態 度,⑦ 進 ん で 参 加 す る態 度 の7点(角 屋,2012)が 指 摘 され た。 そ の 7つ の観 点 か ら,同 日の各 報 告 の 特徴 を 下 表 の よ うに お 示 しい た だ い た。

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表27つ の 観 点か ら見 た各 報 告 の 位 置 づ け 理 工 学 部 プ ロ ジ ェ ク ト 型 授 業 ○ ◎ ◎ ○ ◎ ○ ○ ボ ラ ン テ ィ ア 本 部 地 域 チ ー ム ○ ◎ ○ ◎ ◎ ◎ ○ ボ ラ ン テ ィ ア 本 部 環 境 チ ー ム ◎ ○ ○ ○ ○ △ 饒 大 学 ﹁ 桃 球﹂ ◎ ◎ ○ ◎ △ 醗 高 校 生 徒 会 ◎ ◎ ◎ ○ △ 甑 中学 自 然 科 学 部 ◎ ○ ◎ ○ 縮 中 学 夏 の 学 校 ヘ ル パ ー ◎ ○ ◎ ○ ◎ 小 学 校 栽 培 活 動 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ○ ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ① 思 考,② 企 画,③ 観 察 ・総 合 力,④ コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン,⑤ 協 力,⑥ 連 携 ・つ な が り,⑦ 積 極 性 小 金 澤 氏 か らは 上 記 の よ うな 整 理 の 上 で,そ れ ぞ れ の 取 り組 み の 重 要性 が 指 摘 され た 。 最 後 に,今 後 の 成 瞑 学 園 に お け るESDの 推 進 に 向 け て,一 つ に は 各 主 体 が 意 識 的 に 「ESD力 」 を高 め る よ うに努 力 す る こ と,も う一 つ に は,小 中 高 大 間 の 連 携 と地 域 との 連 携 の 両 輪 か ら確 固 た るネ ッ トワー クを 構 築 して い く こ とが 必 要 で あ る とい うこ とが 提 起 され た。 3.4第2部 の 概 要 後 半 の 第2部 は,成 瞑 学 園 に お け る気 象 観 測 の 歴 史 の 90周 年 を記 念 して 「成 膜 気 象観 測 所 の90年 と武 蔵 野 の 気 候 環 境 変 化 」 と題 した 講 演 会 と した 。 講 師 と して ま ず 学 園 内 か ら気 象 観 測 所 所 長 を務 め る成 瞑 高校 教諭 の 宮 下 敦 氏 に 登 壇 い た だ き,成 瞑 気 象 観 測 所 90年 の沿 革 と意 義 につ い てお 話 しい た だ い た。 続 い て, 成 膜 気 象観 測 所 の 前 所 長 で あ り,現 在 は 滋 賀 県 立 大 学 環 境 科 学 部 教授 で 同 大 学 副 学 長 の 倉 茂 好 匡 氏 に,同 大 学 で の 実 践 を 交 え つ つ も同 氏 の 成 膜 中学 ・高 等 学 校 教 諭 時 代 の 理 科 教 育 実 践 を 回 顧 して い た だ き,成 膜 学 園 にお け る 地 域 ・環 境 教 育 に 対 す る貴 重 な 示 唆 を頂 戴 した 。 最 後 に お2人 目の ゲ ス トス ピー カ ー と して,首 都 大 学 東 京 ・名 誉 教授 の 三 上 岳 彦 氏 に 登 壇 い た だ い た 。 三 上 氏 は 日本 に お け る都 市 気候 学 の 権威 で あ り,氏 か らは 成 瞑 気 象 観 測 所 の 気候 ・気 象 学 上 の 意 義,そ して,同 観 測 所 の 経 年 デ 一 タ を も用 い て東 京 ・武 蔵 野 の気 候 環境 変化 に つ い て解 説 い た だ き,あ わせ て緑 地 な どの 「クー ル ア イ ラ ン ド」 が ヒー トア イ ラ ン ド現象 を抑 制 す る効 果 に つ い て ご披 露 下 さっ た。 以 下4∼6で は,第2部 の 講 演者 か らお 寄せ い た だ い た講 演 要 旨を掲 載 した い。 4.成 践 気 象 観 測 所90年 の 歩 み 宮 下 敦 4.1は じめ に 成 瞑 気 象観 測 所 の は じま りは,大 正14年(1925年)に 旧制 成 険 高等 学校 理 化 教 諭 と して赴 任 され た加 藤 藤 吉 先 生 が,生 徒 と とも に始 め た気 象 観 測 に遡 ります 。 平成27 年(2015年)ま で の観 測 で,観 測 開始 か ら90年 を経 過 し ま した 。20世 紀 に 開始 され た観 測 が,世 紀 を越 え て継 続 され た こ とに な りま す。この 間 に蓄積 され たデ ー タ は武 蔵 野 の環 境 変化 を正 確 に と らえて お り,成 瞑 中学 校 高等 学 校 で は,こ れ を利 用 した 理科 お よび 環 境教 育 教 材 と して利 用 され て い ます 。成 瞑 学 園 で は,古 くか ら持 続 可 能 な 開発 の た め の教 育(ESD)の た めの 基礎 が作 られ て きて い ます 。 本 稿 で は,そ の一 端 を紹 介 す る こ とに しま す。 4.2成 践 気 象観 測 所 の は じま り 成 膜 学 園 に お け る気 象 観 測 は,旧 制 成 瞑 高 等 学校 物 理 科 教 諭 で あ っ た加 藤 藤 吉 氏 と有 志 生徒 に よっ て 始 め られ ま した。 そ の成 果 は成 瞑 の理 化 教 育 の 基礎 と して 多 くの 成 険 生 に影 響 を 与 え ま した。 当 時 は,旧 制 高 等 学校 の 生 徒 た ち に,長 期 休 暇 も含 め て 通年 を 通 じて 当番 を割 り当 て,授 業 中 で あ っ て も午 前 中 の 定 時(開 始 当 時 は午 前10 時)に 観 測 が行 われ ま した。 これ は,第 二 次 世 界 大 戦 時 の戦 時 下 の 空襲 が続 く中 で も継 続 され ま した。 加 藤 氏 自 身 も気 象 観 測 の保 守 の た め,家 族 旅 行 もほ とん ど しな い 生活 を送 っ て お られ た との こ とです 。 図4初 代 所 長T加 藤 藤 吉 氏(徳 永 重 茂 氏 提 供)

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加 藤 氏 の 学校 気 象観 測 の 狙 い は,生 徒 た ちの 手 で,正 確 か っ継 続 的 に 自然 現 象 を 測 定 す る こ と にあ りま した 。 しか し,気 象観 測 デ ー タは 他 の観 測 点 と比 較 す る こ と に よっ て 意 味 を 持 ち ま す 。 そ こで,観 測 に は 気 象 庁 検 定 測 器 を 用 い,観 測 方 法 も気 象観 測 方 に 忠 実 に行 い ま した 。 戦 時 下 の1941年 か ら1976年 ま で 東 京 管 区気 象 台 区間 観 測 所(吉 祥 寺 観 測 所)に 指 定 され て い た こ と も幸 い して, 公 的 な 気 象観 測 デ ー タ と比 較 可 能 な 気 象 デ ー タセ ッ トが 蓄積 され ま した。 4.3成 践 気 象 観 測 所 の 発 展 日本 の 高 度 成 長 期 に な る と,大 学 受 験 競 争 が 厳 しくな っ た こ と もあ っ て,生 徒 主 体 の 定 時観 測 は 次 第 に行 わ れ な くな りま した が,観 測 は加 藤 氏 と理 科 実 験 助 手 の 方 々 に よっ て継 続 され ま した。昭 和34年(1959)に 加 藤 氏 の 本務 退職 後,観 測 を続 け て い くた め の施 設 と して,「成 瞑 天 文 気 象観 測 所 」 が設 け られ ま した 。 以 後,地 学 科 教諭 内 田信 夫 氏 と同 ・倉 茂 好 匡 氏,同 非 常 勤 講 師 ・中 井 睦 美 氏,成 瞑 大 学 大 後 美 保 氏,元 成 跨ミ小 学校 教諭 竹 内 丑 雄 氏 お よび 歴 代 の観 測 助 手 な どの 手 で 受 け継 が れ て 現在 に 至 っ て い ま す 。 この 間,生 徒 た ち に よ る観 測 は 行 わ れ な くな りま した が,成 瞑 学 園 の援 助 の 下, 長 期 記録 を と るた め の観 測 装 置 の 更 新 や 観 測 露 場 の 保 守 な どが続 け られ,よ り安 定 した デ ー タ取 得 が で き る環 境 が整 え られ ま した。 ま た,毎 年 の観 測 デ ー タ は 「年 報 」 と して 報 告 して お り,逐次 刊 行 物 と して登 録 され て公 表 され て き て い ます 。 これ とは別 に,10年 毎 に,開 始 か らの デ ー タ を整 理 して 「10箇 年 報 」,「20箇 年 報 」 … 「80箇年 報 」と して 刊 行 さ れ,こ れ が 気 象 や都 市 気 候 の研 究機 関 ・大 学 等 に配 布 さ れ て き ま した 。 さ らに,成 瞑 学 園 の あ る武 蔵 野 市 に も毎 年 デ ー タ を 提 供 し,市 制 統 計 や 環 境 保 全 の 資 料 と して 利 用 され て い ま す。 4.4成 践 気 象 観 測 所 の 現 在 成 膜 気 象観 測 所 で は,教 育 を 目的 と して い るた め,気 象 庁 のAMEDAS導 入 後 も従 来 の 目視 計 測 を 主 体 と した 器 機 を 用 い て き ま した 。 しか し,こ の 方 法 で は,観 測 デ ー タ の 時 間密 度 な どの観 点 か ら,気 象 庁 デ ー タ と直 接 比 較 が で き な くな る こ とが 懸 念 され ま した 。 この た め,中 高 管 理棟 の 改 築 に よ り機 器 に影 響 が 出 る 可 能性 が あ っ た た め に,こ れ を機 に,1994年 に大 田計 ・器 (株)製OTAC-2000自 動 観 測 装 置 が 導 入 され,従 来 の 観 測 法 と平行 して,AMEDASに 準 じるデ ー タ取 得 が 可 能 と な りま した。 これ に 対 応 して,パ ー ソナ ル ・コ ン ピ ュー タ を用 い て リアル タ イ ム で デ ー タ表 示 が で き る よ うに な っ て い ます 。 さ らに,こ れ らの デ ー タ は イ ン ター ネ ッ ト 上 で も公 開 され,成 瞑 気 象 観 測 所 ホ ー ム ペ ー ジ やTwitter 等 のSNSを 利 用 して,地 域 の 方 た ち に よ り細 か い気 象 情 報 を提 供 して い ます 。 ま た,生 徒 に よ る観 測 は 前述 の よ うに 一 時,途 切 れ て い ま した が,自 動 観 測 装 置 の 安 定運 用 に よ り,従 来 の 目 視 観 測 装 置 を 生徒 観 測 用 と して使 用 す るが で き る よ うに な り,1997年 か ら試 行 的 に高 校 生 に よ る観 測 を再 開 し, 2002年 か ら は昼 休 み を利 用 した 中学 校1年 生 に よ る観 測 体 験 実習 が復 活 しま した。 以 降,成 瞑 中学校 卒 業 生 は, ほ とん ど全 員 が気 象 観 測 体 験 を持 つ こ とに な りま した 。 高等 学 校 で は,気 象 観 測 デ ー タを利 用 して,高 校 生 自身 が 自 ら学 ん で い る場 で の,90年 間 の 環境 変化 を解 析 して, そ の原 因 を考 察す る教 材 が複 数 開発 され,授 業 で使 わ れ て い ます 。 20 18 隼16 禦運 14 乙 12 Annualmeantemperature(1926・2015} SeikeiMeteorologicalObservatory y=0032x-4743 R2=0798 ﹁ 電 ・ 一 ' ● . ﹁ ● ● ' ● 一 ' ● ' ・ ・ で ・ ' 一 ● ● 一 ● 噌 ● レ ● 一 ・ ● ● ' ● 一 匹 ・ ● 一 ● ● ` レ . ● ・ ● 一 ● ● , . t ● 一 ・ ♂ ・ 三 で ● ● 噺 ● 一 ● ● ' ● 一 ● ● ・ 鼻 ♂ ' ● ∫ ' ♂ ・・ ノ . ● ﹁ , 10 19201930194019501960197019801990200020102020 西 暦 年 図5成 践 気 象観 測 所 デ ー タ に 基 づ く平 均 気温 推移 350 300 250 年200 曹 数150 100 50 富士山 筑波山 0 1960197019801990200020102020 西 暦 年 図6成 践 学 園 か らの 年 間視 程 日数 の 推移 4.5都 市 気候 デー タ 90年 間 に わ た るデ ー タ は,地 上 気象 観 測 法 に 基 づ き厳 密 に行 われ,細 心 の 注意 を 払 っ て 一 貫性 が保 た れ る よ う に配 慮 され て い ます 。 例 え ば,学 園 内 で観 測 露 場 の移 転 す る場 合 や,新 た な観 測 機 器 導入 の場 合 は,必 ず,前 後 に 平行 観 測 に よ るデ ー タ の接 続 性 の確 認 を行 っ て い ま す 。 従 っ て,成 膜 気 象 観 測 所 の デ ー タ は武 蔵 野 に お け る気 温

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等 の 平 年値 を 与 え る他,東 京 近 郊 の 都 市 気 候 の 変 化 を示 す もの で す。 特 に 富 士 山 と東 京 タ ワー を 目標 と した 視 程 観 測,結 氷 の 厚 さの 計 測 の観 測 は 本 観 測 所 独 自の もの で す。 4月20日 4月15日 4月10日 4月5日 3月31日 3月26日 3月21日 3月16日 3月11日 3月6日 3月1日 1926193619461956196619761986199620062016 西暦 年 図7成 践 学 園 に お け る 桜 の 開 花 日 の 推 移 1600 1400 (1200 E 、ξIOOO 市 くU800 阯600 400 200 0 一 冬 の氷 厚 ざ合計 ノ

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1112131415161 年 次(観 測 初 年次 は1939年 暮れ 一1940年 春) 図8成 践 学 園 に お け る 冬 季結 氷 厚 の 推移 気 温 や桜 の 開 花 日,結 氷 厚 さの観 測 デ ー タで は,東 京 都 下 の ヒー トア イ ラ ン ド現 象 の 進 行 が よ く分 か りま す 。 ま た,富 士 山,筑 波 山,お よび 東 京 タ ワー の 視 程 観 測 で は,公 害 対 策 の 効 果 に よ る視 程 の 回 復 や,ヒ ー トア イ ラ ン ド現 象 の進 行 に よ る乾 燥 化 に よ る可 視 日の 増 加 が 観 測 され て い ま す。 環 境 変化 の 指標 と して は,他 に降 水pHの 測 定 も行 っ て い ま す。降 水pHの 観 測 は,1960年 代 か ら成 瞑 小 学 校 の 竹 内 丑雄 博 士 に よ る観 測 が 行 わ れ て い ま した 。 竹 内 氏 の 観 測 と比 較 して,近 年 の変 化 を 見 る た め に1992年 頃 か ら生 徒 た ち の 手 に よっ て 測 定 が 再 開 され,現 在 は 成 瞑 気 象 観 測 所 が 引 き継 い で観 測 を 行 っ て い て,20年 以 上 にわ た る 継 続 的 な デ ー タ が 得 られ て い ま す 。 4.6成 践 気 象 観 測 所 の 今 後 猛 暑 日の 増加 な どに み られ る よ うに,地 球 温 暖 化 に加 え て,東 京 都 心 部 を 中心 と した ヒー トア イ ラ ン ド現 象 の 進 行 に よ る高 温 化,お よび,そ れ らに 起 因 す る気 象 現 象 の極 端 化 に 対応 して,2015年 か らは 新 た に黒 球 温 度 計 に よる観 測 を 開始 し,熱 中症 等 の 予 防 の た め の 情 報 提 供 を 開始 しま した。 こ うした情 報 を活 か して,成 瞑 気 象観 測 所 の活 動 は,学 内 の み な らず,地 域 の か た た ちの健 康 管 理 や,緑 化 に よ る環 境 改 善 な どのESD活 動 の普 及 に役 に 立っ こ とが期 待 され て い ます 。 5.成 践 中 高 の 理 科 教 育 と 成 践 気 象 観 測 所 一 成 践 環 境 教 育 の 礎 は な に か? 倉 茂 好 匡 5.1は じめ に ESD成 瞑 フ ォ ー ラ ム2016に 関西 の大 学 の 副 学長 が 登 壇 して 「い っ た い何 す ん ね ん 」 と思 わ れ る方 もい らっ し ゃ る か と思 い ます 。 そ こで,私 の 学歴 と職 歴 に つ い て ご 説 明 します 。 私 は,1971年4.月 に 成 膜 中学 校 に 入 学 しま した 。 中学 高校 と成 瞑 で過 ご し,1977年4月 に北 海 道 大 学 に入 学, 理 学 部 地球 物 理 学科 に進 学 し,1981年 に は 北海 道 大 学 大 学 院修 士課 程 に進 み,1983年3月 に 修 了 して い ま す 。そ の後,1989年4月 に 北海 道 大 学 大 学 院博 士 後 期課 程 に 入 学 し,1992年 に修 了 して い ま す 。 私 の学 歴 に は,1983年 か ら1989年 に 問 に ブ ラ ン クが あ ります 。 そ こで,職 歴 を紹 介 します 。 私 は,1983年4 月 か ら1989年3.月 ま で,つ ま り学歴 の ブ ラ ン クの 間 に 成 膜 中学 高等 学 校 の教 諭 と して 勤務 して い ま した。 担 当教 科 は地 学 と物 理 で した。 そ の 後,大 学 院博 士 後 期課 程 修 了後,北 海 道 大 学 の助 手 を経 て,1998年10月 か ら滋 賀 県 立大 学 に勤 務 して い ます 。 滋 賀 県 立 大 学 で は 環 境 科 学 部 に所 属 し,2015年3月 ま で は 大 学 の 環 境 科 学 教 育 の 最 前 線 に い ま した。 つ ま り,私 は 「成 瞑 中 高 で 学 ん で い た 人 」 で あ り 「成 膜 中 高 で教 え て い た 人 」 で あ り,さ らに 「大 学 で 環 境 教 育 に携 わ っ て い た 人 」 で あ るわ け で す。 そ こで,今 日は この3つ の経 験 に基 づ い て お話 しを進 め て い きた い と思 い ます 。 5.2大 学 で の 環 境 教 育 滋 賀 県 立 大 学 環 境 科 学 部 は,日 本 で 初 め て 「環 境 科 学 」 を 学 部 名 に 冠 し た 学 部 で す 。1995年 の 開 学 当 時 よ り,環 境 科 学 部 で は フ ィ ー ル ド ワ ー ク 教 育 を 重 視 し て い ま す 。 暴 風 や 雷 な ど の 危 険 が な い 限 り,ど ん な 天 気 の と き に も 野 外 に 連 れ 出 し ま す 。 そ こ で,「 な に か を フ ィ ー ル ドで 見 つ け させ る 」,「見 つ け た こ と を 発 表 させ る 」,「ま と め た も の を レ ポ ー ト と し て 書 か せ る 」 こ と を 一 貫 し て 行 っ て い ま す 。 こ の た め,「 環 境 フ ィ ー ル ド ワ ー ク1」 と 「環 境 フ ィ ー ル ド ワ ー クII」 の2科 目 が 学 部 必 修 科 目 と し て 配

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置 され,学 部 教 員 は1・IIの い ず れ か を担 当 しな くて は い け な い こ とに な っ て い ま す 。 ま た,こ の 授 業 運 営 の た め に 「環 境 フ ィー ル ドワー ク委 員 会 」 が 学 部 内 に常 設 さ れ,月 例 で 会議 を 持 っ て い ま す 。 しか も,1ク ラス の 授 業 運 営 に は3名 か ら5名 の 教 員 が あ た りま す 。 そ の 場 合,必 ず 複 数 学 科 の 教 員 が 配 置 さ れ ま す。 この 人 事 権 も環 境 フ ィー ル ドワー ク委 員 会 が 握 っ て い ま す。 授 業 の テ ー マ も さま ざま で す 。 詳 しくは ホ ー ム ペ ー ジ を ご覧 くだ さい 大 事 な こ とは,授 業 運 営 を 「個 人 任 せ 」 に しな い こ と で す。 授 業 運 営 の た め の 委 員 会 を設 置 し,授 業 運 営 上 の 情 報 交 換 を 行 っ て い ま す 。 ま た,授 業 担 当者 を集 めた 会 議 を年 に複 数 回 持 っ て い ま す 。 各 自の 教 育 活 動 も,常 に 他 の 教 員 の 目に 触 れ る よ うに な っ て い ま す 。 この よ うな 組 織 的 対応 を 行 わ な い 限 り,大 学 で の 環 境 フ ィー ル ドワ ー ク の授 業 は 長 続 き しま せ ん 。滋賀県立大学で開学以来 20年 に わ た り授 業 を続 け る こ との で き た 最 大 の 要 因 は 「個 人任 せ の排 除 」 に あ っ た とい っ て も過 言 で は あ りま せ ん。 5.3私 が 受 け た 成 践 中 高 理 科 教 育 で は,私 が 中 学 高 等 学 校 時 代 に 成 膜 で 受 けた 理 科 教 育 に 話 を移 しま す。中学 で は,化 学 を桑 本 先 生,塩 入 先 生, 吉川 先 生 に,生 物 を 上 田先 生 と小 野 先 生 に,物 理 を栗 原 先 生 と近藤 先 生 に 教 えて い た だ きま した 。 そ の と きの 印 象 は 「とに か く実 験 と観 察 が 多 い 」 こ とで した 。 化 学 で は 水 素 の 実 験,酸 素 の 実 験,塩 素 の 実 験 な ど,実 に多 く の 実 験 が あ りま した 。 生 物 で は,顕 微 鏡 で の 観 察 な ど あ た りま え で,そ の ほ か ミ ミズ や らカ エ ル や らの 解 剖 も あ りま した。 物 理 で も,電 気 回 路 の 実 験 や らバ ネ の 実 験 や ら レ ンズ の 実 験 や ら,と に か く実 験 だ らけ で した 。 高 等 学校 で は,流 石 に座 学 が 増 えま した が,そ れ で も 結構 な 量 の 実 験 や観 察 が あ りま した 。 地 学 の 内 田先 生 の 授 業 で は,岩 石 薄 片 作 成 や ら偏 光 顕 微 鏡 観 察 な どが,生 物 の 大 内 先 生 の授 業 で は シ ョウジ ョウバ エ の 遺 伝 実 験 な どが,ま た化 学 の 長 谷 川 先 生 の 授 業 で は 錯 体 の 実 験 な ど が行 わ れ ま した 。錯 体 の 実 験 で は,シ ア ン化 カ リウム ま で扱 うの で す か ら,た い した もの で す 。 た だ,物 理 だ け は 演 示 実 験 が 多 か っ た の を 覚 えて い ま す 。 で も 「本 物 に 触 れ させ る」,「実 物 か ら学 ば せ る」 こ とは 徹 底 され て い た と思 い ま す。 と ころ が,野 外 で の 自然観 察 を行 っ た 記 憶 は あ ま りあ りませ ん。唯 一 覚 えて い るの は,中 学2年 の 「山の 学 校 」 で,池 の 平 湿 原 で 上 田先 生 が 生 徒 を集 め て オ オ シ ラ ビ ソ の説 明 を して い た こ と く らい で す 。 と こ ろが,私 の 班 は 上 田先 生 の解 説 を 聞 こ うと もせ ず,横 を 素 通 りして しま い ま した。 それ に,素 通 り して も 「お とが め な し」 で し た。 成 膜 気 象 観 測 所 の観 測 も,当 然 の よ うに行 わ れ て い ま した。 で も,そ の デ ー タ が 教 育 に使 用 され て い た とは, お世 辞 に も 「い え な い 」状 態 で した。 5.4成 践 中高 教 諭 時代 の教 育活 動 1983年 に 成 膜 中 高 に赴 任 しま した 。び っ く りした こ と に,中 学1年 に 「地 学 」 が あ りま した。 前任 の 内 田先 生 か ら伺 っ た話 で は,国 語 の 岸 田先 生 か ら「地 学 は 中学 生, 特 に 中学1年 生 が 興 味 を示 す 内 容 だ。 ぜ ひ 中学1年 に 地 学 を配 置 した い 」 との勧 め が あ っ た そ うです 。 た しか に,中 学1年 生 が 示 す 「好 奇 心 」 は 強 い もの で した。 岩 石 や 化 石 な どを 主 に扱 っ て い た の で す が,目 を キ ラ キ ラ させ て授 業 を受 け て くれ ま した。 で も,大 学 時 代 に 地球 物 理 を 学 び,野 外 測 定 を ひ た す ら行 っ て い た 私 は,生 徒 た ち を 野外 へ連 れ て行 き た くて しか た あ りま せ ん で した。 それ も,自 分 に とっ て の 「不 得 意 分 野 」 で あ る 「化 石 採 集 」 に 生徒 を連 れ て行 き た い の で す。 生 徒 た ち が化 石 を 見 る とき の 目の輝 き が 忘 れ られ な い か らで す 。 そ こ で 内 田 先 生 に 「ど こ か 良 い と こ ろ は あ りま せ ん か?」 と相 談 した とこ ろ,「秩 父 の ヨ ウバ ケ が い い だ ろ う」 とい う即 答 が 帰 っ て き ま した。 早速,内 田先 生 と一 緒 に 下 見 に行 き,化 石 が ゴ ロ ゴ ロ と産 出 す る こ と を確 認 した うえ で,当 時 の 北川 教 頭 に 「生徒 を化 石 採 集 に 連 れ て 行 き た い の です が 」 と 申 し出 ま した。 北川 教頭 か らは 「家 庭 と しっ か り連 絡 を 取 っ てや りな さい 」 との 指 示 をい た だ き ま した。 い ま考 え る と,北 川 教 頭 の この 即 断 は 「す ごい 」 と思 い ます 。 厳 しい 管理 者 な らば 「個 人 で 生徒 を野 外 に 連 れ 出す の は ま か りな らん 」 く らい の こ とを 言 うで し ょ う。 で も,成 膜 の風 土 で は これ が な い。 北川 教頭 は 国 語 の 先 生 で した が,理 科 教 育 に 対 して の 姿 勢 は 「本 物 に 触 れ さ せ ろ 」 な の です か ら。 成 瞑 の理 科 教 育 の歴 史 が なせ る業 な の で し ょ う。 それ で,当 初 は 生徒 を つ れ て ヨ ウバ ケ に行 っ て い ま し た。 そ の うち,東 京 私 学 協 会 の 地 学研 修 会 で 「ヨ ウバ ケ で のハ ン マ ー使 用 は禁 止 で あ る」,「そ の か わ り,荒 川 の 大渕 な らばハ ンマ ー を い く ら使 っ て もい い 」 こ と を知 り ま した。 しか も,ヨ ウバ ケ よ りも大渕 の ほ うが 行 きや す い の です 。 西 武 鉄 道 と秩 父鉄 道 とを利 用 す れ ば 連 れ て 行 け る の で,大 渕 を知 っ て か らは,毎 年 こ こ を訪 れ る よ う に な りま した。 毎年,中 学 生 に 声 を か け る と,か な らず 十 数 人 の 生 徒

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が応 募 して き ま した 。 そ の 中に は,い つ も成 績 が 低 迷 し て い る生 徒 も交 じっ て い ま した 。 と こ ろが,そ うい う生 徒 が 目を輝 か せ,か つ もの す ごい 集 中力 で 化 石 を採 取 す るの で す。 採 取 後 の鑑 定 作 業 な どに も積 極 的 に取 り組 む の で す。 そ れ だ け す ごい 作 業 をや っ て の け るの に,教 科 成 績 は 悪 い。 成 績 評 価 で は,生 徒 の 能 力 の 一 部 しか 見 て い な い こ とを 思 い 知 ら され ま した 。 図9中 学 生の 化 石採 集(1980年 代,皆 野 町大渕 にて) そ うな る と,私 の 「悪 乗 り」は加 速 しだ します 。 「成 績 評 価 で は 点数 の 悪 い 生 徒 た ち に も,自 分 た ちの 成 果 を公 表 させ て 自信 を つ け させ た い 」 と考 え,ち ょ うど 中学 文 化 祭 の 内 容 を 総 点 検 して い た 時 期 で もあ った の で,彼 ら 彼 女 らを た き つ け て,文 化 祭 で 発 表 させ ま した 。 そ の 翌 年 に は,東 京 私 学 協 会 の 「理 科研 究 発 表 会 」 で 発 表 させ ま した。 田代 君,染 谷 さん,阿 南君,行 橋 さん,嶋 田君, 梅 原 さん な どな ど,個 性 的 で や る気 の す ご くあ る生 徒 た ち が 見 事 に 成 し遂 げ て くれ ま した 。 私 の 「悪 乗 り」は,ま だ ま だ続 き ま した。1986年 には, ハ レー 彗 星 が 接 近 しま した 。 そ うな る と 「ハ レー 彗 星 観 望 会 」 を や りた くな りま す 。 そ の こ ろの 地 学 助 手 の 川 井 さん が,高 校 天 文 部OBの 感 化 を うけて 天 文 観 測 にの め っ て い た こ と もあ り,彼 の 協 力 を得 て 「観 望 会 」 を開 催 し ま した。 日に よっ て は,ベ ロベ ロに 酔 っ ぱ ら った 教 頭 が 深 夜 に 乱 入 して き て往 生 した こ と もあ りま した が … 。 で も,私 が 行 え た こ とは,こ こま で で した 。 野 外 観 測 や 天 体観 望 会 を 「理 科 」 とい う教 科 の 中で 組 織 的 に行 う こ とは で き ま せ ん で した 。 す べ て は 私 の 個 人 プ レー だ っ た の で す。 参加 す る生 徒 も 「サ ー クル 的 」 な もの に と ど ま っ て しま い,正 課 の 教 育 で 行 うと こ ろま で は た ど りつ き ませ ん で した。 5.5お わ りに 最 近 の 成 膜 中 学 校 で は,夏 の 学 校 で 「自然 観 察 」 が 行 わ れ,こ れ を高 校 生 がサ ポー トして い ます 。「野 外 観 察 会 」 も理 科 とい う教 科 の 催 しに な っ て い ま す 。 生 徒 に よ る気 象 観 測 も行 われ,ま た観 測 デ ー タ が 高校 の授 業 で利 用 さ れ て い ます 。 宮 下先 生 を は じめ,理 科 の 先 生 方 の ご尽 力 が あ っ た か ら こそ,ま た そ れ を 学校 が認 め た か ら こそ だ と思 い ます 。 私 が個 人 プ レー で行 っ て い た 内 容 な ど,ま っ た くお恥 ず か しい もの で しか あ りませ ん。 大学 で も さま ざま な活 動 が な され て い ま す。 で も,次 の 点 だ け は 点検 して み て くだ さい。 単 な る 「サ ー クル 活 動 」 に な っ て い ませ ん か?活 動 内容 を 「報 告 す る ・発 表 す る 」す る機 会 が保 障 され て い ま す か?こ れ らの 活 動 を サ ポ ー トす る組 織 が 学 園 の 中に あ りま す か?特 定 教 員 個 人 の努 力 に頼 っ て い ませ ん か?さ らに進 ん で, 正 課 授 業 の 中 に 「地域 課 題 に 取 り組 む 」 科 目 を導 入 し よ う と して い ます か?そ れ を サ ポ ー トす るス タ ッ フ を確 保 して い ます か?私 が滋 賀 県 立 大 学 で 経 験 して きた こ と,ま た他 大 学 で 「環 境 フ ィール ドワー ク教 育 が 長続 き しな い 」現 状 を見 て い るだ け に,非 常 に気 にな るの で す 。 成 険 学 園 の 「地域 教 育 」 が持 続 可 能 に な るた め に,ぜ ひ と も工夫 して み て くだ さい。 6.変 わ りゆ く 東 京 ・武 蔵 野 の 気 候 環 境 三 上 岳 彦 6.1は じめ に 成 膜 学 園 は都 心 か ら約17㎞ 西 方 に位 置 し,東 京23区 の一 っ で あ る杉 並 区 に 隣接 して い ます 。周 辺 は住 宅 地 で, 南 に は井 の頭 公 園 の緑 が憩 い の 場 を提 供 して くれ ま す が, 吉祥 寺駅 に近 づ く と商店 街 や オ フ ィス ビル が 広 が り,た く さん の シ ョ ッ ピ ング 客 で賑 わ っ て い ま す。 しか し,成 膜 気 象 観 測 所 が 開設 され た1925年 当時 は,人 口 も少 な く 樹 林 地 や 畑 が広 が っ て い た こ とで し ょ う。 東 京 都 心部 の 変貌 も著 し く,今 で は東 京 駅 周 辺 か ら池 袋,新 宿,渋 谷 にい た る商 業 地 区 には200mを 超 え る高層 ビル が林 立す る よ うに な り,幹 線 道 路 は 車 で あ ふ れ て い ます 。 都 心部 に位 置 す る東 京 管 区気 象 台 が観 測 を開 始 し た の が1875年 で す か ら,成瞑 気 象 台 は都 内 で は そ れ に 次 ぐ長 い歴 史 を もつ気 象 観 測 所 とい う こ とに な ります 。 筆 者 の 専 門 は気 候 学 で,と くに東 京 を 中心 とす る大都 市 の 高温 化(ヒ ー トア イ ラ ン ド現 象)に つ い て,さ ま ざ ま な気 象 観 測 デ ー タ か ら,そ の 実 態や メ カ ニ ズ ム の解 明 に取 り組 ん で き ま した。 本 稿 で は,そ うした研 究 の 一 端 を紹 介 す る と と もに,90年 間 の歴 史 を持 つ 成瞑 気 象観 測 所 のデ ー タ を も とに東 京 ・武 蔵 野 の 気候 環 境 とそ の 変 化 を 明 らか に した い と思 い ます 。 6.2ヒ ー トア イ ラ ン ドで高 温 化 す る 東 京都 心部 東 京 管 区気 象 台 は1875年 に観 測 を 開 始 した と述 べ ま

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した が,実 は過 去 に 何 度 か 露 場(観 測 場 所)を 移 転 して い ま す。最 も長 く続 い た の が 大 手 町 露場 で,1923年 か ら 2014年 ま で90年 間,ほ ぼ 同 じ場 所 で 観 測 が 行 わ れ て き ま した。 と ころ が,諸 般 の 事 情 で2014年12月 か ら西 方 約900mの 皇 居 ・北 の丸 公 園 に移 転 した の です 。距 離 的 に は そ れ ほ ど離 れ て い な い の で す が,露 場 の 周 辺 環 境 は, 大 手 町 の ビル街 か ら北 の 丸 の 公 園 緑 地 へ と大 き く変 わ っ て しま い ま した。 移 転 す る2年 半 前 か ら,両 地 点 で 並 行 した 気 象 観 測 が 行 わ れ,そ のデ ー タ が公 開 され て い ます 。そ れ に よ る と, 大 手 町 露 場 よ り北 の 丸 露 場 の 方 が,年 平 均 気 温 で約0.9℃ 低 くな り,と くに 日最 低 気 温 は1.4℃ も低 く観 測 され た の で す。わず か900m離 れ た だ け で,こ れ だ けの 温 度 差 が 出 た の は なぜ で し ょ うか? 1 0 9 8 7 6 5 4 3 2 1 ℃ 3 3 2 2 2 2 2 2 2 2 2 日 平 均 277。C 26.90C \ \ N O O O ● 0 \ 、 \ 2 0 Q ● 一 冒 一 一 〇 〇 〇 〇 〇 / -/ 0 (霧 σ b p ● ○ ℃ 一。一.' 8落ミ零 こ∼ γ 航 臥駅%♂ ・ 代官町・皇居東御苑・\

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0 6 12 18 \ 、 、 ℃ 、 ℃ ● ○ ` 、 ● 24 大手町 北の丸 代官町 図10東 京 都 心 部(東 京 管 区 気 象 台)の 夏 期(7月,8月) の 気 温 日変 化 そ の 理 由 と して,大 き く2つ の 要 因 が 考 え られ ま す 。 1つ は,人 工排 熱 量 の 違 い で す 。 大 手 町 露 場 の 周 辺 オ フ ィス ビル や 首都 高 速 道 路 を 走 る車 か らは,大 量 の 人 工 排 熱 が 出 され るた め,こ れ が 大気 を加 熱 します 。2つ 目は, 大 手 町 周 辺 市街 地 の コ ン ク リー ト建 造 物 や ア ス フ ァル ト 舗 装 道 路 な ど,人 工 的 な 表 面 物 質 に 取 り囲 ま れ た 周 辺 環 境 で,と くに 夏 の 日射 で 温 め られ 蓄 え られ た 熱 が 夜 間 に 放 出 され るた め 気 温 が 下 が りに く く,熱 帯 夜 の 日数 を増 や す こ とに な りま す。 観 測 場 所 は 同 じで も,長 い 年 月 が た っ て 周 辺 環 境 が 大 き く変 貌 す る と,類 似 の気 温 変 化 が見 られ ます 。例 えば, 東 京 都 心 部(東 京 管 区気 象 台)の 夏 期(7E,8月)の 気 温 日変化 を,昔 か ら現 在 ま で年 代 を追 っ て比 べ て み る と, そ の 変 化 が 明 瞭 に読 み 取 れ ます(図10)。20世 紀 初 め (1901-1905年)は 日平 均 で23.6℃,明 け方 の 最 低 気 温 は 21℃ で した が,100年 後 の21世 紀 初 め(2000-2004年) に は 日平 均 で3℃ 以 上,最 低 気 温 は4℃ 近 く も上 昇 して い ます 。 この こ とか ら,東 京 都 心部 で は過 去100年 間 に 都 市化 の進 展 で,人 工排 熱 が 強 ま る と と もに,中 高層 ビ ル の増 加 や 地 表 面 の 人 工化 な どに よっ て ヒー トア イ ラ ン ドが著 し く進 行 した こ とが わ か ります 。 6.3都 市 内緑 地 の クー ル ア イ ラ ン ド効 果 巨 大都 市東 京 の 中 に も,皇 居 を は じめ,明 治神 宮,新 宿 御 苑 な ど大規 模 な緑 地 が残 され て お り,都 市 の 高 温 化 を緩 和 す る の に貢 献 して い る と考 え られ ま す。 筆者 らの 観 測 か ら,都 内 に分 布 す る10∼100ヘ ク ター ル 規模 の公 園緑 地 で は,夏 に緑 地 内 の気 温 が周 辺 市街 地 よ りも2∼ 4℃ 低 くな る ク ール ア イ ラ ン ド効 果 が 明 らか に な りま し た が,さ らに風 が 吹 く と風 下側 に 緑 地 内 の 冷 気 が 流 れ 出 した り,晴 れ た夜 間 に緑 地 内 の 冷 気 が周 辺 市街 地 に 広 が る 「冷 気 に じみ 出 し」現 象 も確 認 され て い ま す 。図11は, 目黒 の 自然 教 育 園(約20ヘ ク ター ル)で 観 測 され た クー ル ア イ ラ ン ド効 果 と冷 気 の に じみ 出 しを 示 した もの で す 。 29 南 側市 街地1北 側 南街 地   

ξ襲三訴 窯

20 19SA O100200300400500600700800900100011001200 距Pt(m) 図11目 黒 自 然 教 育 園 に お け る 夜 間 の 気 温 南 北 断 面 (2012年9月7日18:00∼8日2=00) (清 水 昭 吾 原 図) 6.4成 践 学 園 の あ る 武蔵 野 市 は都 市 か郊 外 か? は じめ に も述 べ た よ うに,成 膜 学 園 は 周 辺 を閑 静 な 住 宅 地 で 囲 まれ,井 の 頭 公 園 や 街 路 樹,住 宅 地 の 樹 木 な ど, 緑 が比 較 的 多 く,ど ち らか と言 えば郊 外 的 な 要 素 が 強 い よ うに思 われ ます 。 しか し,吉 祥 寺 駅周 辺 は ビル や 商 店 が軒 を連 ね,都 内 とあ ま り変 わ らな い 景観 を呈 して い ま す 。 都 市気 候 環 境 の 面 か ら見 た場 合,は た して武 蔵 野 市 は都 市 な の か郊 外 な の か,と い う素 朴 な 疑 問 が わ い て き ます 。 そ こで,東 京 管 区気 象 台(大 手 町)と 成 瞑 気 象観 測 所 (吉祥 寺)の 観 測 デ ー タ を も とに,過 去88年 間(1926-2013年)の 気 温 の 変 化 を比 較 して み ま した 。 まず,年 平 均 気 温 の変 動 傾 向 を示 した の が 図12で す 。5年 移 動 平 均 した グ ラ フ の線(太 線)は,大 手 町,吉 祥 寺 と もに ほ ぼ 同 じ変 化 を して お り,100年 間 あ た りの 気 温 上 昇 率 も約 3℃ と差 が あ りませ ん 。 た だ 興 味 深 い こ とに,2000年 以

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降,大 手 町 の 気 温 は 頭 打 ち で 上 昇 が 止 ま った よ うに見 え ま す が,吉 祥 寺 の 気 温 は さ らに 上 昇傾 向 が 顕 著 にな って い ま す。 C . o ∩ ◎ 1 17 16 15 14 13 /・

応A訟 /'vv げド 凸1 12 1920193019401950196019701980199020002010 図12東 京都 心 と吉祥 寺の 年 平気 温変 動(1926-2013年) さ らに,1年 で も っ とも寒 くな る1月 の 最 低 気 温 につ い て,両 地 点 の気 温 変化 を 比 べ て み る と,図13で 示 す よ うに 年 平 均 気 温 とは 異 な る変 化傾 向 が 認 め られ ま す 。 と くに1980年 代 後 半 に ジ ャ ンプ す る よ うに 上 が っ た 気 温 が,1990年 以 降,都 心部 で は 上昇 傾 向 が止 ま り,吉 祥 寺 で は や や 低 下傾 向 に 転 じて い る こ とが わ か りま す 。 な ぜ 冬 の 最 低 気 温 が 吉 祥 寺 で 下 が り始 め た の か,そ の 理 由は わ か りませ ん 。都 市 的 要 因 の 大 きな 大 手 町 で 最 低 気 温 の 低 下傾 向 が 抑 制 され て い る と解 釈 で きな い こ と もあ りま せ ん が,今 後 の検 討 課 題 と した い と思 い ま す 。 最 後 に,年 間 で もっ と も暑 い8月 の 最 高 気 温 の 変 動 を 比 較 して み ま し ょ う(図14)。 冬 の 最 低 気 温 とは 異 な り, 両 地 点 の 気 温 差 は 最 大 で も1℃ 程 度 で,大 手 町 の 方 が 吉 祥 寺 よ りもや や 高 め で す が,近 年 は 都 心 も吉 祥 寺 も差 が 無 く,1990年 以 降 は 気 温 が 上 昇傾 向 に あ り,と くに2000 年 以 降 の 気 温 上 昇 率 は 吉 祥 寺 の 方 が 大 手 町 よ り大 き くな っ て い ま す。 以 上 の こ とか ら,成 瞑 学 園 の あ る吉 祥 寺 の 気 候 環 境 は 都 市 か 郊 外 か とい う疑 問 に 直 接 答 え を出 す こ とは 難 しい で し ょ う。 過 去100年 間 の気 温 上 昇 率 が約3℃ で 大 手 町 と変 わ らな い とい う点 で は 都 市 で あ る と言 え る し,冬 季 の 最 低 気 温 が 平 均2∼3℃ 低 く,近 年 そ の 差 が 大 き くな っ て い る とい う点 で は 郊 外 と言 え るか も しれ ま せ ん 。 。C 5 4 3 2 1 0 -1 -2 -3 -4 -5 -6 -7 1920193019401950 196019701980199020002010 図13東 京 都 心 と 吉 祥 寺 の1 (1926-2013年) 。C 34 33 32 31 30 29 28 27 26 月 平均 最 低 気 温 変動 25 1920193019401950196019701980199020002010 図14東 京 都 心 と吉 祥 寺 の8月 平 均 最 高 気 温 変 動 (1926-2013年) 6.5お わ りに 本 稿 はESD成 瞑 フォ ー ラ ム の 「持 続 可能 な 開発 の た め の教 育 」 とい う趣 旨 とは必 ず し も整 合 しな い 内 容 とな っ て しま い ま した が,90年 の歴 史 を持 つ成 瞑 気 象観 測 所 の デ ー タ を有 効 活 用 させ て い た だ い た とい う点 で,少 しは フ ォ ー ラ ム に貢 献 で き た の で は な い か と思 い ま す。 は じ め に も述 べ ま した が,100年 近 い長 期 の 気 象観 測 デ ー タ を有 す る観 測 所 は,都 内 で は気 象 庁 管轄 の 東京 管 区 気 象 台 と成 険 気 象 観 測 所 の2カ 所 しか な く,地 球 温 暖化 や ヒ ー トア イ ラ ン ドの研 究 に とっ て も大 変 貴 重 な 存在 で す 今 後 と も,長 期 に わ た っ て成 険 気象 観 測 所 が継 続 的 な観 測 を続 け られ,精 度 の 高 い気 象 情報 の発 信 源 と して研 究 教 育 に貢 献 され る こ とを願 っ てや み ませ ん。

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