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佐陀川源頭部的における砂礫流下と流路変動

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(1)

鳥大演報 醜111979

佐陀川源頭部における砂礫流下 と流路変動

奥 村 武 信

郡 典宏 で 高橋研二

※ゝ※

谷 口博之

※※※※

Debris Movement and Channel TraveHing

in VVild Headwaters of the Sada

by Takenobu OKUMURAr Norihiro KoRIFX Kenii TAKAHASⅢ※※※

and Hiroyuki TANIGUCHI※ X※※

Summary

ln autumn of 1977, lve started the study on the debris movement or floThr on a talus in WIisenzawa, headwaters of the Sada, cutting in Mt,Daisen. However, iuSt after the start, an event of great interest happenedi a debris flo、 v ran over into the brush and incised a shorter llray to、 vard another channel,

Therefore, our researches concentrated upon this event, by a follo、 v―up survey of the channel configuration during one year, and by an investigation of the variances in the size characteristics of the gravel deposit, as lvell as the vegetative cover gro、 vth and damaged trees on the former course.

WVe recognized, also, through aerialphotographs taken in 1958, 67 and 74, that such channel travelling occured frequently in the surroundings, associated with breakings of the talus or blocking of the channels by deposits.

In such wild regions as the headhraters of the Sada, where abundant debris allo、v only shallo、v channels to dissむ ct, even constructions for channel stabi― lization may cause such blocking and channel travelling, to say nothing of those built for checking debris or the frontal deposit of debris flo、vs,

は しが き

大 山火 山の主峰弥 山を北側か ら侵食す る佐陀川源頭部 には

,多

数 の崖 錐が現在 も盛 んに発達 してい る。そのため源頭部支渓群 は

,周

辺林地 とわずかの落差 しか有 さない

,砂

礫堪積地あるいは流過帯 と

鳥取大学農学 部砂 防工学研究室:LaboratOry of FOrsiOn COntrOl,Fac.Of Agr.,TOttOri Univ・ ※※

鶴新 」‖i Shゞru surVeying CO.

※※※ 国際航業蜘 ;Kokusai Aerial Suweys CO,Ltd. ※※※※ 東興建設俯;Toko Construction lnc.

(2)

Q∝) 奥村武 信 ・郡 典 宏・ 高 橋 研 二 ・谷 口博 之 して存在す るにす ぎない。流水 は

,融

,降

雨 時に も砂礫堆積 内の微低地にわずか に認 め られ るだけ で

,強

雨時の流水 は土石 流の形 で流下す る。 したが って

,そ

の流路 も頻 々と変化 して いる。 この こと は既知の ところであ るが

,そ

の実態につ いて従来調査 された ことはない。発達 しつつある崖錐周辺で の砂礫流下 に関す る研究 を一支渓で始 めよ うとして いた

1977年

11月に

,た

またま流 路 変動 を もた らす よ うな土石流が発生 したので

, 2'3調

査 した。 本文 は一事例 の記載 に止 ま るところが あるけれ ど も

,構

造物の配置等かか る流域 で治 山 。砂防工事 を計画す る上で一つの示唆 を与 える もの と考 える。

1.調

査 地 域 の 概 況 中国地方随―の 巨峰大 山火 山の主峰弥 山

(1,711胞

)に

続 く主稜北側斜面 には

,爆

裂 によ り現 出 し 図

-1

佐陀川源頭部地形図 た と想像 されてい る馬蹄形の破壊面が急崖 をなす巨大 な谷が形成 されて い る。 これが佐陀川源頭部で あ り, 144 haの面積 に掌状 に展開す る各支渓 は

,標

高 1,000胞 付近 までに

1本

の流れ となる。 角 閃石安 山岩質の きわめて もろい熔岩流

,火

砕流堆積物 そ して板状節理の発達 した熔岩 円頂丘か ら な る

D安

定 しない山腹崩 壊面か らは絶 えず風 化岩 屑が崩落 している。 とくに融雪期後期 には

,落

石の 音の絶 える間がない。面積約 66 haの 特 殊 崩壊地が

,年

間約 2×

104″

の砂 礫 を生産 して いると推定 されて い る

?こ

れ ら崩壊面か ら落下す る風化物質が急崖下部に形成す る崖錐は未だ平衡せず

,強

雨時, 崩雪時に安定 を くず し渓流 に多量の砂礫 を供給tノて いる。また

,流

下砂礫の流路 とな るべ き渓流 には, 平時 には水が伏流 し

,表

面流が ほ とん どな く

,

ご く微細な ものを除 く砂礫 は豪雨時 にのみ土石流 とな って流下 してお り

,流

路 は固定 的な もの とい えない。

(3)

佐陀川源頭部における砂礫流下 と流路変動 (1∝) 今 回流路変動 を起 こした調 査対象 区間は

,図

-1に

斜線 をほ どこした

,佐

陀川

B支

渓 通称 中の沢の

1部

であ る。 こ の支渓 は

,写

-1に

み られ るよ うに

,剣

ケ峯真下の縦横 それぞれ

750肥

,200れ

程 度 の椀状崩壊下部 に形成 された 崖錐の西縁部壁面 との境 を流 下 して くる もの であ り

,対

象 区間では西側の比較的安定 し た崖錐 との間の凹部 を流下 し て い る。崩壊面か らの落石 は 無雪期 で も対象区間最上流端 剣ケ峯 , 裕 ■ や 一   .一 ■ 写真

-1

ワ9号堰 堤か ら見 たB支渓 まで転動到達 してお り

,対

象 区間は

,北

壁 と呼ばれ る特殊崩壊地か ら崖錐面 に落下 した砂礫が移動形 態 を変 えて下流域へ流下す る流路であ るとい える。 なお

,剣

ケ峯直下 の崖錐 は

,一

つ の尾根を飲み こ んで発達す る大 山周辺で現在 も生長中の ものの うち最大規模 の ものであ り

,東

縁辺 は元谷 に達す る。 佐 陀川流域の治 山事業 は

1919年

に始ま ってい るが

,標

高 1,000腕 合流点か ら上流域へ の構造物の 築設は

1951年

以降である。上述のよ うな状況か らこの地域 を「 生産・ 堆積地帯」 と規定 した うえで, 1,000れ 合流点の

2基

の高 媛堤へ の貯砂 によ り渓床勾配を緩和す る とともに低媛堤群 で各野渓の勾配 修正 を図 り

,生

産土砂礫 を生産源近 くへ可能 な限 り留止す る方 針の もとに

?既

に約

50基

の 堰 堤手 床 固群 と護岸工 が施工 されて きてい る。

2.1977年

10月末 の

B支

濃 の状 況I

1977年

10月

末∼

11月

初に

,B支

渓の

1部

分で砂 礫移動 の調査 をすすめ るべ く渓床形状把握の ための計測を行 った。計測は

,図

-2Aに

示す骨格での縦横断測量によった。

1977年

10月

末の流路の形態は以下のとお りであった。 巾

2p,高

さ6れ を越す大転石の障害物でせばめ られたT5を 抜 けた流路は, T4ま で両岸に明 瞭な 堤をつ くる。それか らT3までは

,

流心部 に浅い洗据部をもつ上 に凸な土石流堆積に特有な横断形を 示す。

T3か

T2の

,右

岸側は崖錐面端部に生育す る狭い樹林帯縁辺に 5∼

6れ

の急斜面をつ くり, 左岸側に堤をつ くる。 この堤の

1部

を越 した土石は

, 22∼

26に

小規模な砂礫円錐をつ くる。 この円 錐は

,径

5∼

10伽

,樹

高 3脇 をこすダ イセ・ンヤナギ

,

ヒメヤ シャブシを主体 とする疎林の中に堆積 した もの乱 数条の流跡がみ られる。

T2か

ら流 路 は次 第に比高の大 きい堤にと りまかれ るよ うにな り

,Tl∼

3で は両岸に比高

3∼

5胞の堤を残す

V∼

U字

型の侵食溝 となる。 この侵食溝は

T6で

左 に

(4)

Q06) 奥 村 武信 ・郡 典 宏 ・高 僑研 二 ・谷 口博 之 図

-2

調査区間における流路の平面的変動

A!計

測測線の骨格

B:1977年

10月末

C i ll月

8日発生土石流の流過域(太縦縞) D l 1978年8月中旬 までに横断形が変化 した範囲(格子

) C i 10月

下旬 までに横断形 が変化 した範囲(黒塗) 一

I雫 0 50,

(5)

佐陀川源頭部における砂礫流下 と流路変動 大 きく転向し

,T7で

小規模の砂礫円錐 を形成 し弥山沢に落ちこむ。

THか

T12に

向 っていた流路は

,数

10胞

間 隔に流謝の明瞭でない堆積 をくり返 しなが ら

,弥

山 沢に合流 していた。堆積の強 いところで も

,樹

林帯 との間にはわずかなが らも落差を残 してお り

,両

岸は明確である。図

-1に

示 されるように

,

この流路には

1952年 , 53年

に床 固が

3基

築設 されて いたはずであるが

,最

上流の ものは確認で きず

,他

2基

も袖の天端のごく

1部

分が堆積砂礫の下に 探 し出 され るにす ぎない。 図

-3は

, 1978年

8月 に流路に巾2胞の調査 帯 をつ く り

,木

本 類の出現頻 度を調査 した結果 を 単位 面積あた りの値 で示 した もので ある。出現木 本 は, ダイセ ンヤ ナギ

583,

ヒメヤシャブシ288, その他 イタヤカエデ

,ヤ

マハ ンノキ

,オ

ノエヤナ

38

ギ各約

20,

コ ミネカエ£ タニ ウツギ

,ハ

ウチ ワ カエデ各数本で

,そ

の約半数は

T12下

流 の調査帯 図

-3

流路におけ る木 本出現頻度 (本/ガ) に出現 している。それ らの多 くは未 だ数

10印

に しか な らない もので あるが

,T6断

面 と比 較 して も 流心部で

10倍

以 上 の頻 度で出現 してい ることは

,砂

礫の移動が比較的長期 間な く

,堆

積物 が安定 し て い ることを明確 に示 して いる。 Tll∼

T12間

は,よ く分級 された礫におおわれ 同様粒度の堆積が右岸側樹林の内部に拡散

1フ

てい

ること

,後

述するように平均勾配の

%に

近い緩勾配部分を残し

,右

岸樹林の中に至るまで単一の勾配

をもつ堆積をつくっていることから, B支 渓を流下した土石流が堆積したものの音端部であると考え

らオ

化る。

1953年

B支

渓 には渓床 を洗掘す るよ うな砂礫移 動 があ ったので

,床

固 を築設 した。 この床固の 効果 もあ って

,そ

れ以後 に発生 した土石流 は先行土石流が形成 した堆積上流側 にそれぞれの舌端部を 置 く形 で停止 して いた。 もちろん

,先

行土石流 よ り大規模の土石流 は

,先

行土石流の形 成 した堆積地 形 を押流 して しま ったで あろ う。 けれ ども

,両

岸へ の偏流は比較的堅固で落差のあ る安定 した渓岸に よ って阻止 されていた。 ところが

,舌

端部 をTll∼

T12間

に お く土石流 は

,両

岸の拘束 を解 く高 さに にまで堆積 した。その後 の土石流は この堆積 を越 えるほどの慣性 を もたず

,欠

壊 口 を弥 山沢の方 向に 求めた。欠壊 口を得 た後 の 流 れ は

,T4∼

11間

に 塩 積 をつ くる土石流までは規模の 大 きい土石流力ゞ発生 しな力>った こと もあっ て

,新

しい平衡に向か っての侵食 を繰 り返 し

,明

確 な溝 を形成 して きた。 この部分の 流路変動 の経緯 を

,下

流部流路の堆積状況 な どか ら考察 して

,以

上の よ うに物語れ る。

3断

面 か ら下流部の横断形状 を図

-4に

示 15 10 5 0 5 1 0 図

-4 Nα

3よ り下 流断 面 の形 状

(6)

奥村 武信 ・ 郡 典 宏 ・高橋 研二 ・谷 口博 之 したが

,欠

壊口と元の流路

,堆

積面 との間に約 6れ の落差がついたこと

,T7の

左 岸 側 に小規模な砂 礫円錐を形成 していることがわか る。 図

-2Bで

,T7に

欠 壊 口 を得 てか らの流路 とそれ以前の ものを

,そ

れぞれ横縞

,縦

縞で表わし た。斜縞は

,樹

高約 2胞 以上の樹木のある範囲である。

この区間のB支 渓の流路平均勾配は約

%で

あるが

,T4∼

11間

および

T,1直

下流部ではそれぞれ%,

%と 緩勾配になっており, 25断 面上流では%と 極端にゆるい。いづれも

,砂

礫円錐か流路内に堆積

が卓越する個所である。

ところで

,T71こ

欠壊 口を形 成 した流路変動 はいつ越 った のだ ろ うか。 また

22∼

26に

砂 礫 円錐 を 形成 した土石流はいつ頃か ら発生 したのだ ろ うか。流路周辺の傷痕木 にみ られ る樹皮巻 き込 みの時期 を,‐年輪解析か ら推定 してみた。解析幹の径はせいぜい

5印

で あ った。図

-5は

その結果 彦示す もの で あるが

,調

査木採取地点 と各調査木の樹皮巻 き込 み状況か ら判定 した傷 痕形成時期 を表現 した。調査 本の数が少 な く採取個所 も分散 して いるた めに

,ま

た落石が転動到達 して い る区域でその衝突 による傷 痕が含 まれ る可能性が あ るに もかか わ らず土石流に よ る傷痕 との差 を明確 に判別す る手段がないた めに, 各時期の傷痕本の分布 を系統的 に示す ことがで きな か った。た とえば

,流

路東側崖錐縁辺の樹林帯縁で

1977年

晩伐形成朝 に傷痕の ある調査木 を

2本

採取 して い るが

,渓

床砂礫の色調や植生 の侵入状 況か ら みて この時期 この部分に砂礫移動の影響が及んでい た とは考 え られない。落石の衝突 によ る傷痕が土石

予定年

流によるものかの判定には

,流

路の状態が情報 とな る。また

, 53年

床 固の位置で も割 目が新鮮な角 礫がみ られ

,落

石の到達可能な場所であることを示す。傷痕をつ くった原因が伺れであったかの判別 は調査木を可能な限 り多数にす ること

,あ

るいは傷痕木が分散的に存在するか集中的に存在す るかが 明確にされることによ り容易になろ うが

,場

所が らそれは不可能であ った。 しか しなが らも

, 74年

夏期 に はTll下流へ の砂礫移動が広範囲で傷痕木をつ くっていること

,同

時期に弥山沢への欠壊口下流部弥山沢狽j壁部に集中的に傷痕本を創っていることはわか る。すなわち ,

T7へ

の決壊日は

74年

夏期に決定 された ものであると考 えられ る。また

75年

秋 の傷痕が流路南側の

2本

の調査木にみ られ ることは

,

この時期すでに

26方

向へ の上砂移動のあったことを示す ものであ ろ う。

3.1977年

11月

8日

の 流 路変 動 ここに流路変動が起 こったことは

11月

9日 に確 認 したが

,以

後降雪のため

,変

動後の計測は融雪 よ1953床 孔L°

71ノ

升/

-5

流路周辺残存木にみ られ る傷 痕形成年代

E:早

伐形成時

L:晩

伐形成時

(7)

1陶fI嫁

蒙報にお

1す

る砂礫疎下と読路変動

C109J 2 . 血 ︲ ︲

酪︲

呻麟

響躙

と0 も 榛 断彰 状

9変

化 Iや″ '年10月末 解 コ

(8)

010) 奥 村武 信 ・郡 典 宏 ・高 橋研 二 ・谷 口博 之 が完全 に終了 した5月下 旬 とな った。 この期 間

,標

800脇

の大 山寺で 2れ を越す積雪が観測 されて お り

,対

象 区間ではそれ を大 き くこえる積雪 が あ った と思 われ るけれ ど も

,積

雪直前 の

12月

下 旬 に 流路 に適宜置 いた着色礫がすべて原位置に確認で きたので

,地

形 は保存 されて いた もの と考 える。 い くつかの断面での形状変化 を図

-6に

示す。 最上 流断面

T5で

,大

転 石 と崖 錐縁辺部 に族まれた狭い流路 に

15れ

程 度 の砂礫堆積が生 じ

,堆

積面 はその後約

1年

間わづかづつ上昇 を続 けて い る。

T5∼

T4間

で流れ は右岸側の既存の堤に規制 さ れ

,新

しい石列 をその流心側 につ くるのみで あるが

,左

岸側 の堤が比較的低か った断面

,た

とえば 12 断面 では

,右

岸 堤 と同 じ規模 の堤 を形成 した。

12断

面 で は

,そ

の後

1年

間 わず か に堆積が進ん でい る。

T4∼

T32上

に凸な断面形 を示す堆積上 をわずか に洗掘 していた流路区間で

,流

向 は左岸狽」ヘ ふれてい る。 この傾 向は

10月

末 ま で に も幾分認 め られた けれ ど も

,今

回の土石流で明確にな った。

15,11断

, 18,T3断

面 にみ られ るよ うに

,せ

いぜ い

20∼ 30側

の 高 さの石列が流跡 を示すだ けで

,明

瞭な流路 を もって いなか った。 これ に対 し

,土

石流 内部の流れ は

, T5∼

T4間

右 岸側 に発達 していた堤に強 く規制 され

,左

岸側 に向 きを とって いた。 この傾 きは

,T4∼

T3の

よ うに流れを規制 す るほ どの堤がない部分 で変 わ ることがない。 しか も流れ は

, 12断

面 に み られ るほ どの 堤 を左岸側 に形成で きるだ けの規模 であ った。 そのために

,既

成の浅い流路 に規制 され ることな く

,流

れ は左岸 側へ進行 した。 この部分 での流路変動の機構は

,以

上の よ うに説明で きよ う。土石流内部 に左岸方 向 へ の流れがあ ったために

, 15, 11断

, 18,T3断

面で も

,左

岸側 に よ り高 い堤 を形 成す るこ とに な った と考 える。 もっと も

,右

岸側 の堤 を

1部

分越 える派流が生 じてい るが

, 7断

面 までの最深 部 に 薄 い堆積 をつ くってい るにす ぎない。右岸側の堤の尻 は

,最

深部 まで至 って いない。

22∼ 26断

面 に形成 されていた砂礫 円錐はその規模 を拡大 し

,流

路 も明瞭 にな った。

25断

面 左 岸 側 の堤 に

3条

の石列が み られ ることは

, 11

月8日の上石流 も数波 の流れか ら成 り立 って いた ことを示す。右岸 側 の堤 は, ここでは既 往の流路

T2∼

Tl∼ T6

の左岸堤上 にあ った石 列 を こえること力ゞで き ず

,植

生 の ある細 い帯 を残 した。

27断

面 で は

,以

前 はほ とん ど堆 積がなか ったが

,今

回 の上石流は最高3れに 写真

-2 1977年

12月下旬の流路

A:弥

山沢への氾濫

B:T2∼

T6流路の堤

(9)

佐 陀川源頭部 にお ける砂礫流下 と流路変動 及ぶ堆積を作 った。その後流れは分散す るんら 主流は弥 山沢右岸の高 さ約 5れ の岸崩壊頭部に深 さ約 2脇 の欠壊口をつ くり

,岸

崩壊脚部に砂礫円錐を形成 した。 (写 真

-2)

今回の土石流の堆積物の範囲を

,図

-2Cに

太い縦縞で示 した。また

, 78年

8月 中旬

, 10月

下 旬の横断形状に変化のあった範囲をそれぞれ

D, Eに

示 した。 これを見 ると

,図

-7に

示すよ うに, 流路変動 を もた らした土石流の誘因となった降雨以上に強 い強度の降 「ハmn1/hr 50 雨が あった けれ ども

,78年

の 砂 礫移動は前年

H月

の 上 石流が形成 した堤 に拘束 され る程度の小規模 な ものであ ったことがわか る。そ し て

,

これ らの砂礫移動は縦断形の凸部 を侵食 し凹部 に堆積 をすすめて お り

,流

路 は新 しい平衡勾配への修正の過程にある。 この期間佐陀チll 源頭流域 では

, 11月

の 同 じ雨によ って

A支

渓で

, 5月

下旬∼8月中 旬の間 には

A支

渓 および弥 山沢で

, 9月 29日

の雨 で

A支

渓 およ び元

谷の支渓「砂すべ り」で

,流

路の様相が一変するような大規模な砂礫

移動があった。この流路で も

,上

流端の巨石によって作 られ る狭窄部

上流には砂礫堆積 は進行 してお り

,そ

の影響は

12断

面 に まで現われ てい る。 この堆積が不安定 にな るほ ど進行す れば

,今

回 と同 じ規模の 土石流の再 び発生す る可能性 は十分 ある。その場合

,今

回形 成 された 流路 に も土砂堆積が進行 し

,堤

が流れ を規制す るだ けの比高 をな くし ておれt島 新 らしい流路 変動が起 るで あろ う。 この今 回形成 された流路が恒常的な もの とな ることは

,周

囲の地形 か ら判断 して考 えられない。 0 50 形成 され た流路が安定であ るの は

,あ

る程度の比高 を もつ堤が存在 しつ づける限 りにお いてであ る とい えよ う。Tll断面や

11断

面の よ うに

,流

路 へ の 堆 積が進行 し勾配が緩和 され 明瞭な堤 をな くし た と き流路は変動す る。 どの程度の堤であれ ば流れを規常1し流路 を固定 しつづ けるか

,

どの程度の勾 配であれ ば土石流の停止 によ る勾配の緩禾町 堤の比高の減少 を生 じないか。 それは

,砂

礫 移動の規模 に よって も支配 され るであろ う。その関連 を解明す る ことは今後の課題であ り

,土

石流の制御のた め の構造 物の規模・ 配置 を考察す る上で も解明 され るべ き課題 であろ う。

4.流

路 堆積 砂 礫 の 粒 度 組 成 流れの状態に関す る先の記述は

,流

路変動 を説明す るための苔意的な解釈であったか も知れない。 流路に堆積す る土砂礫の粒度を明 らかにすれば

,そ

こに生 じた流れの状態の説明がよ り確かなものに なると考え

,い

くつかの断面において流路表面 を覆 う砂礫の粒度を

1978年

8月

に調査 した。 調査および整理の手法は

,つ

ぎの とお りである。 ① で きるだけ平面的な堆積面をえらび

, 1れ

四方枠の表面礫を可能なか ざり垂直上方か ら写真撮 影 し, 40,π フルイを通過す る礫の 1部 は持 ち帰 る。 図

-7

主 な降 雨の時間強度 (大山治 山事業所

,標

8002)

(10)

Qlの 奥 村 武信 ・ 郡 典 宏 。高 橋 研二 ・ 谷 口博 之 ② 写真はスライ ド投影 し

,粒

径階

(di∼

d二十

1)ご

との礫の個数 を数 える。 このばあい

,礫

径は 像の短径を採用 し

,縮

尺は四方の枠につ けたスケールの縮率の単純平均 とした。また

,計

数す る範囲 は

40翻

網 フルイのOpening 3 8翻以上の もの で

,礫

形 が推定で きる

50%以

上 撮影 されてい るもの まで

%位

で計数 した。 ③ 映像における枠内の面積

AOと

,計

数 された礫の占有面積

Aを

測定す る。 ① 表面の状態が最大礫の深 さ

dmaxま

で同様に くりかえされていると仮定すれば

, 1胞

×1脇 ×

dmaxれ

の礫層に存在す る各粒径階の諜の重量および重量百分率は

,そ

れぞれ

Wi=C・

Ni・ dmax・ di・

di+1,

M*―

衿ド寺 ×

100

と計算で きる。 ここに

, Cは

空隙率 と比重によ り決まる係数であるが

,

とくに問題 とはな らない。 ③ 持 ち帰 った礫は標準網 フルイで舗分す る。各粒径階の重量ωiが 1胞×1れ×

dmax用

の礫層に 占める重量百分率は, ×

100

と計算で きる。 ③ 以上 のよ うに計算 された重量百分率か ら

,表

面 を覆 う砂礫 の 粒度曲線が描ける。 ただ し

,空

隙率が粒径 によ って相違 しない との 仮定 が あ る。 各調査地点 での平均粒径

, 90%粒

,分

級度 げヽ

5/d25)を

, 調査時点 での横断形 とともに図

-8に

示 した。 最上流 断面

T5流

心 付 近 の 5月 以後の堆積物 は

,細

粒で狩級 は中 程 度であ る。小規模 な流れが掃流的に輸送 した もの と考 え られ る。

11月

の 上 石 流で形成 された右岸石列外側斜面の砂礫 は分級が悪 く, 崖錐面 を落下 した礫斜面 と考 えるよ りも

,よ

り大規模な土石流堆積 の崩れ面 と考 えた方がよいぎその堆積面 は

,左

岸側 巨石 の高 さに近 か った ろ うと推定で きる。 巨石外側の砂礫が

, 10%粒

径 も20V12と 大 きく細粒部 を欠 き分級 がかな りよい ことか ら

,土

石流が形成 した 堤頂部外狽Jの堆積 と考 え られ るか らで あ る。 11月の土石流で

70翻

ほ ど侵食 され8月 まで 目立 った形態変 化の なか った

18断

面 中 心部では

,堤

構成砂礫 よ りも粗粒でよ く分級 さ れて い る。数波の土石流後期の濃度が低い流れや梅雨期の流れが細 粒部分 を掃流的に選択流 出 させ た結果で きた アーマー コー トで あろ う。堤構成砂礫 は右岸側で幾分粗粒であ るが

, 25%粒

径 は2∼ 3聰 0 2 図

-8

堆積物表面の粒度 棒 グラフは

,左

か ら平均粒 径a軌 90%粒得翻および分 級度(yd5/dか

]一A

×

ωi

一豹

〓 W 10 o lo R T5

(11)

佐陀)II源頭部における砂礫流下 と流路変動 で さほど違わない。左岸堤上部の斜面の砂礫は

,分

級が悪 く

,

ここも古い土石流増債の崩れ面である ことを示す。細粒で分級が非常によし、 この断面最右翼の調査砂礫は

,T3断

面右岸低部に 11月 土石 流の派流が堆積 した ものであって

,

この流れが非常に小規模で浅い ものであったことを示す。 この粒度特性や右岸堤外側 さらには

25断

面 堤外側の砂礫の粒度特性 を比較すれば

,土

石流によ り 形成 される堤頂部か ら外部に向か っての粒度特性の変化についてよく知 られている傾向を示 している。

B断

面各調査砂礫の粒度特性は

,土

石流によ り堤が形成 されその後流心部で掃流形態の上砂移動が 卓越 しアーマーコー トが形成 されて きた ことをよ く示 している。 Tll断 面左岸側

2個

所の砂礫は

,い

づれ も土石流堆積の崩れ面の ものであるが

,粒

度組成は全 く異

なっている。層相変化など堆積学的調査をしなければ明確なこと畔いえないけれども,こ の堆積はた

1回

の土石流によ って形成 された もので はないよ うだ。右岸内側の堤外側面の砂礫が非常によ く分 級 されて い ることか ら

,

この 堤は これよ り左岸側 を通 った土石 流が形成 した ものであ ることがわか る。 また

,そ

の土石流の規模 は

,こ

の部分の砂礫が さらに右岸側の 堤外 側の堆積物に比較 して細粒である ことか ら考 え ると

,Tll断

面 に高 く堆積 した土石流 に比 してかな り小 さか った。

T12下

流約10脇

0

堆積物 は

,平

均粒径

85翻

, 90%粒

190,2,分

級度

209と

,Tll断

面最右岸 の調査砂礫 と全 く同 様 の特性 を有 してお り

,

この

2箇

所 は同一の土石流 による堪積 と考 え られ る。

TH∼

T12に

舌 端 部 を 置 いて堆積 した土石流がいか に大規模 な ものであったか を想像 させ る。Tll断面 低部 では

,や

は り細 粒分が選択的に流出 してい る。 5日 空 中 写 真 に み られ る流 路 変 動 佐 陶H源頭部流域 にお いて過去 にいか なる流路変動が あ ったか を明 らかにす るために

, 1958年

6 月(山

103),67年 (CG-67-lX)お

よび

74年

(74TOTTORI PASCO)1こ

撮影 され た 空 中写真 の判読 をこころみた。一対の写真を実体視 しスケ ッチ した ものにす ぎず その正確 さは きわめ て 低い もので あるけれ ど も

,こ

の流域 にお ける流路変動 がいかに頻繁 に

,広

範 囲に起 って い るか を知 るには十分な結果 を得た。 1,000れ 合流点よ り上流 の各支渓についての判読結果 を図

-9に

,ま

77

年11月 土 石 流によ る流路変動調査対象 区間

B支

渓近傍 につ いて のそれ を図

-10に

示 した 。横縞 お よび縦縞 はそれぞれ

,移

動 が は げ し く安定 しな↓彬 写真上に自っぱく映 って い る砂礫堆積お よび比 較的 安定 した と判読で きる砂礫堆積で ある。高 い渓岸の崩れ面は後者に含 まれてい るであろ う。また

,斜

縞 は灌木以上の植生のみ とめ られ る部分

,図 -9の

空 自

,図

-10の

塗 りつ ぶ し部分は残雪である。 さ らに

,確

認 で きる横 断構造物および埋没 して判読示可能 な構造物の位置 をそれぞれ太線

, 2重

線 で示 し

,標

100肥

間隔の等高線のみを描いておいた。

1958年

当時

, 1951年

竣功 の堰堤

(27号

)①

の 個 所 で は

,左

岸 側の流れ が深 く砂礫 も活発 に 流下 して いたが

,右

岸側 には元谷②の狭 く浅 い流れ にわずかな砂礫流下があるのみで植生 も旺盛に繁 茂 して いた

b元

谷の流下砂礫 は

,本

来 の流路② よ りも

,現

在 で はま った く砂礫流下のみ とめ られない

C支

渓 とよばれ る流路③ を通 っていた。

1974年

ごろまで もこの流路への砂礫流下 は継続 しているが,

(12)

奥 村武 信 ・郡 典 宏 ・高 橋 研 二 ・ 谷 口博 之 最上流床固地点へ の砂礫 堆積が流下量 を減少 させ たた めに

,下

流部 の床 固 を埋没す るには至 ってい ない。一方 この堆積が流路②への砂礫流下 を促進 させ ることにな った結果

,流

路② は次第にその巾 を拡大 して きた と考 え られ る。 行 者谷下流部① では

, 1958年

当時

, 54年

竣 功の媛堤の効果 もあ ってか

,砂

礫流下 は余 り激 し くな く安定 した砂礫上 に灌本の生育 もみ られてい た けれ ども

, 67年

ま で には この

2基

の堤 もほと ん ど埋没 して しまい

, 27号

堤 堆 積 域 へ 多 量 の 砂礫 を吐 出 している。

A支

渓 ⑤ と

B支

渓 ③ に は

1958年

までに構造物の築設 は終 ってい るのに対 して

,そ

の間の

2∼ 4で

弥 山沢 と呼んだ流路 には 現在 も構造物がま った くない ことは

,治

山事業所 で個有の名称 を与 えて いない (あ えて呼ぶ ばあい は

D支

渓 )こ とをあわせ考 えると

,こ

の流路が, 写真

-2で

見 られた よ うに

B支

渓 そ して

A支

渓 よ りも低 い個所 を通 る もので あ るけれ ども

,比

較的 遅 く形成 されて きた もの

,あ

るいは砂礫移勃が活 発 にな って きた もの と考 え られ る。

58年

の 写 真 で⑦

,①

の よ うに

,

この流路上流で

A支

渓 と

B支

-9

佐陀川源頭支渓の流路状況 A l 1958年

B:1967年

C i 1974年 渓 に向 って分岐 して いた形跡が み られ るこ とは

,

この考 えを強 くさせ る ものである。

2で

述べ たよ うに現在 ではその所在の確認が非常 にむつか し くな ってい る

B支

渓の

3基

の床固の う ち

,下

流の ものは

67年

までに

,上

流のヽもの は

74年

ま で に す っか り埋没 して しま った。 中流の床 固 は

, 2で

述べ た

74年

夏 ∼ 秋の大規模な土石流によ って埋没 したのであろ う。

58年

か ら

67年

の間に

, B支

渓 と元 谷 の 間の大崖錐が大規模 に崩れた ことがわか る。 しか し

,こ

の崖錐上の砂礫移軸は継続的な ものでな く

, C支

渓 に向 った流跡上③ では

67年

に はすで に植生 の回 復がみ られ

, 74年

ま で にはか な りの部分で回復 してい る。 この崖錐の崩れ は

,今

回流路変動 を起 こ した個所では

B支

渓 をつ き切 り弥 山沢に達 していた。 さらに

, 1953年 A支

渓 下流 な竣功 した床 固へ の堆積が

,A支

渓の弥 山沢への合流点 を上流へ移動 させ た 色とが み られ る。 しか しこの堆積上の流れは不安定で固定せず

,

もとの合流点 と

67年

当 時 の 合流点⑩ との間の灌木帯にわた って振れ

,広

く堆積 をすす め るとともに

,渓

岸侵食 を伴 な った左岸側 へのふれを も起 こして い ることがわか る。 さて

,今

回の流路変動調査対象区間最上流端 にあ る巨石 ⑥は

, 1958年

当時か らあったよ うで あ る。

(13)

佐陀川源頭部における砂礫流下 と流路変動 また

1958年

当時

,

この区間の

B支

渓は

77年 10

月時点よ りもかな り巾広 く砂礫移動が起ってお り, とくに

22∼

25断

面に相当す る部分へのふ くらみ ⑥が大 きくみ られる。 このふ くらみは

,B支

渓の

A

流れの偏流によるもの とも

,弥

山沢か らのか って の流入流路⑤が不安定なまま残 ったもの とも考 え られ る。また

,T7断

面での欠壊 国の端緒 も

58年

の写真にみ られな くもない。(③ し力>し

,B支

と弥山沢の間の灌木帯◎は

, 58年

67年

の間に

B

大崖錐か らの大規模な砂礫移動によ リー度まった く破壊されてお り

,地

形の変化 もあったはず で, 現在の欠壊口とこれとが同 じものとは考 えられな い。 しか し

,こ

の個所で

74年

の写 真にみ られる 欠壊口は

,2で

述べたように

,現

在の欠壊口に引

C

きつがれ る もので あろ う。

53年

竣 功 の床固が埋 没 す るほ どには

B支

渓での堆積が進行 して いない 時点 でこのよ うに弥 山沢へ の欠壊の端緒がみ られ ることか ら

,秀

山沢右 岸の岸崩壊が この個所で

B

支渓流路 にまで進 んだ こと も

B支

渓 の流下砂礫 を 図

-10

調査区間近傍で の過去 の流路状況

A:1958年

B:1967年

C i 1974年 C115) 弥 山沢へ誘 導す る一 因 とな って い るこ とが考 えられ る。

58∼ 67年

に起 った大崖錐か らの大規模 な砂 礫 流下はまた

, 53年

床 固 上 流部の

B支

渓の 巾を大 きく拡 げて しま った。

4で

述べ た

,T5断

面 両 岸 部およ び

18断

面 左 岸の 崩れ面 にあ らわれた堆積 は

,

この移動時に形成 された もの であ り

,こ

の移動 は

,少

な くと も

B支

渓 のつ くる凹部で は

,土

石流の形 態 を と って いた と考 える。 この大規模 な流れの 跡へ も

, 74年

には④の よ うに著 る しい植生の回復がみ られ る。けれ ど も

77年

11月 土 石 流 が と っ た流路の部分で はその回復 は遅 く

,④

の よ うに

,わ

ず か なが ら砂礫 の流れ込 みがみ られ る。 以上

,空

中写真 を判読 した結果 につ いて述べて きたが

,各

支渓 を流下す る砂礫 の量 は未だ増加の傾 向 にあること

,お

よ び人工 的に築設 した横断構造物への砂礫堆積が流路を変動 させ る一つ の要因であ るこ とがわか った。かか る浅い流路 しか発達 しない地域 では

,横

断構造物 によ る流路の固定 は非常 に 困難であ って

,構

造物上流での堆積 ば容易 に埋 めつ くす ことので きない落差 を河 間地 との間に もつ流 路 区間を選 ばなければな らない。また

,人

為的 に流路 を変動 させ砂礫 を分散堆積 させ ることが構造物 築造の 目的であるな らば

,構

造物上流への堆積によ り容易に消せ るほ どの落差 しか河間地 との間に も たな い個所 を選べば

,少

数 の構造物で その 目的 が達成 で きよ う。

(14)

Q16) 奥 村 武信 ・ 郡 典 宏・ 高 橋研 二 ・谷 口博 之

おわ りに

流域 面積 の

40%を

こえる特 殊 崩 壊地か らの砂礫生産 が不断 に繰 り返 され

,十

分 な深 さを もった流 路が形成 され ることの少 ない佐陀サII源頭部 にお ける流路変動 の実態 につ いて述べた。最初 にふれた よ うに

,

とくに

77年

11月

B支

渓 で 起 った流路変動 の一事例 に重 点 をお いた もので あ るけれ ども

,流

路 での砂礫 堆積 によ る周辺地 との落差の消滅が流路の変動 を もた らしてい ること

,そ

の堆積 は流路安 定 を 目的 とした横断構造 物の築造 による勾配緩和 によ って も促進 されてい ることがわか った。侵食の 激 しい流路の固定 と異 な って

,わ

ず かの勾配 の緩和 が流路 内へ大量 の砂礫 を堆積 させ る ことにな るよ うな流域 では

,流

路が あ る程 度の急勾配 を安定 的に維持 しつづ ける ことが流路の固定 につなが るで あ ろ う。 最後 に

,本

研究 をすす め るにあた り種 々便宜 をはか って戴 いた倉吉営林署大 山治 山事業所 の方 々に 心か らの謝意 を表 した い。

(1)吉

谷 昭彦・

1973

松尾康 史 :大山火 山の地質

,大

山隠岐国立公 園大 山地区学術調査報告

, PR33∼

42,

1967

足尾 荒 廃 地 にお け る崖 錐 の形 成 プ ロセ ス;地理 学 評論

,

48-(2)倉

吉 営 林 署 :大 山治 山事 業 概 要,

(3)町

田 貞・ 松 本栄 次・ 石 井 孝行 :

11, R R768∼

783, 1975

参照

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