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「日本のコウモリ洞総覧」こぼれ話--香川県の巻---香川大学学術情報リポジトリ

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Academic year: 2021

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(1)

香川生物(KagawaSeibutsu)(23)‥39−44,1996 「日本のコウモリ洞総覧」こぼれ話

【香川県の巻−

沢 田

〒630 奈良市法蓮佐保田町1934の4

Further NoteonaListofCavesofBatHabitationinJapan

−AcaseinKagawaPrefect・ureM

IsamuSawada,1934−4,Horen−Sahoda−ChoNaraCity630,Japan

られ,2人の高校生と私の次男の5人車に乗り 込んで雨の中を満濃他に向かった。満濃池ほ大 宝年間(701∼704)国守道守朝臣が侵食谷を利 用して造り,821年空海が修築したという日本 有数の農業用ため池である。周囲およそ19り7km, 丸亀平野のうち96km2をうるおすかんがい用の水 源である。堤防に立って眺めると余りにも広す ぎて池というよりほ湖といった感がする。堤防 上に造られた道路を池に沿って東進すると左側 の山よりに人工の導水トンネルの入口が見えて きた。入ってみると直立歩行が可能で底にほわ ずかな畳の水が流れており,約240mで行き止 まりとなる。まだ掘削磯の跡がそのまま残って いることから何かの原因で掘削が中止されたの であろう。l、こ/ネルの処々の天井にユビナガコ ウモリ〟よ花よ叩とer昆ぶSCんreiわers£り弘gな£几OS弘Sが ぶらさがり,その総数ほ50∼60頭。ライトをあ てるとすぐ飛びたってしまった。捕獲した教頭 の雌の腹をおさえると可成り大きいので,胎児 を宿した出産直前のユビナガコウモリであった。 (2)導水用塩入トンネル(仲多度郡満濃町) (1)のトンネルを後に他に沿って更に4kmばか り南東に走行すると小川の上にかかった小さな 橋にでた。この小川に沿って500∼600m上流に 向かって歩くと塩入導水トンネルが見えてきた。 奥の方から堤防ぎりぎりにあふれるような多量 の水が流れ出ている。水深が不明であるので採 沢田は1965年以来最近まで行ってきた日本産 コウモリの調査結果をまとめ,「日本のコウモ リ洞総覧」として発表した(沢田,1994一)。こ の間に.行った各地の石灰洞,凝灰岩洞,旧トン ネル,導水トンネル,石切り場跡,鉱山廃坑及 び防空壕跡などの詳しい調査記録を残しておけ ば,年々減少しつつあるコウモリの生息環境を 守る自然保護の面から極めで有意義であると考 え,「日本のコウモリ洞総覧」こぼれ話と題し て1994年長崎県の巻を最初に,†t熊本県の巻,” くt隠岐諸島の巻”を発表してきた(沢田,1995,1996)。 今回ほ香川県下の調査結果について述べるこ とにする。香川県の讃岐平野一・帝ほ処々に第四 紀層が交った旧火成岩地層からなりたっている のでコウモリが生息できるような自然洞窟(石 灰洞など)は見あたらない。しかし,導水トン ネル,廃坑,石切り場跡などがあちこちにあっ てコウモリの生息が知られている(森井,1967, 1971,1973,1980)。本調査ほ1981年と1982年に 行われた(沢田,1982)(図1)。調査にご協 力下さった森井隆三先生(県立坂出高校教諭) に対して厚く御礼申し上げます。 (1)※導水用トンネル(仲多度郡満濃町) 1981年5月3日朝から雨に.なった。奈良を6 時に出発し,宇高連絡船で高松港着。この頃か ら雨ほ激しさを増した。JR丸亀駅で下車,前 もって連絡しておいた初対面の森井先生に.迎え

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(2)

香川.県

図1‖ 香川県における調査地点 で左折して南進し,荘原寺を・めざした。そして 寺の南にある井関池(農業用ため池)から田植 え時に放水する導水トンネルの入口に着いた。 入口が狭いうえに天井が低いので中腰で内部に. 入ったが,10mも入ると天井が高くなり,立っ て歩くことが出来るようになった。水量が少な いので奥まで入ってみたが長さは約100mくやら い。入口に近い天井の2箇所に1頭ずつのキク ガシラコウモリが巽で体をすっぽり包んだ特有 のポ・−ズで休んでいた。ライトをあてると体温 が上昇し始めたのかぶらさがっている後脚の屈 伸がゆっくり始まり,あの美しいポーズが崩れ てしまった。外にでた時にほ山に日が沈んでう す暗く,国道11号線を一・路坂出市に向かって走 行した。 (4)廃坑 (綾歌郡国分寺町) 集用に.持参した竹の棒をたよりに水路に足を入 れると膿まで水に/つかった。トソネル内を覗く と天井が高いので立って奥まで進めそうである。 速い水流に流されないよう足元に注意しながら 奥に入るとユ・ビナガコウモリのコロニ・−があち こちに見られ,その総数ほ250∼300頭。途中の 天井にキクガシラコウモリ月んi花OZqpん払S/占rr弘一 meq弘よ几昆m花加071が2頭ぶらさがっているの を確認して外に出た。トンネルの長さほ100∼ 150mく“らい。水量が豊かで流れの速い暗黒の ナンネル内を調査する際にほ細心の注意が必要 である。 (3)導水用トンネル (三豊郡大野原町) 満濃池周辺にある導水トンネ′レの調査を終え, 国道32号線にでて,買田で右折して国道377号 線を通り大野原町に.向かった。町内に入る手前 −40−

(3)

空港に降りたった頃から激しい雨となる。県庁 前のホワイトホテルに宿をとった。床についた ものの,明日の天候が気になってなかなか寝つ かれなかった。翌23日,限が覚めたら快晴とな る。8時40分ホテルのロビーーで森井先生と高校 生2名一・緒になり,タクシ・−で高松中央港に向 かう。9時30分先のブル・−ラインに/乗船し,約 1時間で草壁港に.着いた。港からタクシ・−で神 懸通りを北上し,ロープウエイへの道の分岐点 で下車,道路の右側の狭い山道を石門まで登り, そこから水の枯れた石ころだらけの渓谷を登り 始めた。登るにつれて勾配がきつくなり,やっ とのことで廃坑の坑口にたどりついた。 この洞窟ほ金山の廃坑で,坑口が比較的広く, 天井も高いので楽に入ることが出来た(写真3)。 入、つて70∼80mまでほ坑道が平坦であったが, 坑道が左右2つに分岐する辺りから右側の坑道 が下降し始め,最深部でほ約50・mの落差となっ ている(図2)。全長200∼250mく■らい。坑口 から約20mくヾらい入った天井から奥に向かって コキクガシラコウ1モリの小さなコロリ・−が見ら れ,右側の坑道の最深部の手前の天井にコキク ガシラコウモリの大きなコロニ・−が認められた (写真4)。その他,坑道のところどころの天 井や側壁にキクガシラコウモリが20∼30頭,エ ビナガコウモリが5頭,モモジロコウモリが3 頭生息しているのを確認した(図2)。 翌5月4日雨があがってよい天気になった。 宿を9時に.出発して国道11号線を国分寺町に向 らナて走行した。町内で左折して蓮光寺山の東側 を北上し,国分台への登り口で車を降りた。曲 りくねった狭い山道を歩くこと約40分,道の左 側の崖下に廃坑らしき坑口があるのを見つけた (写真1)。この廃坑はある鉱石を探す目的で 掘りかiナた試掘坑跡のようである。腹ばいに.な ってやっと通れる狭い坑道で,途中でUタ・−ソ 出来ない苦しい坑道が続く。私は途中で引き上 げたが森井先生,高校生2名と私の次男の4人 ほ最深部まで入ったようで,長さほ約100∼150 mぐらいらしい。出てきた4人によると最深部 の天井にコキクガシラコウモリ月ゐi花OgqPん弘S cor几弘£uscor几α£弘Sが1頭のみぶらさがってい たそうである。 (5)屋島洞窟 (高松市屋島西町) 国分寺町を後に.高松局内をぬけて屋島西町に ある屋島洞窟をめざした。洞窟は高松局内の中 心部から約10km海岸線に沿った屋島の北嶺(海 抜281い8m)の中腹にある石切り場の跡である。 主として凝灰角礫岩からなり,石材を取る為に 掘った人工洞窟で(写真2),大小10個余りか らなっている。入口付近の洞床はどこも乾燥が 著しいが,内部に入るに従って湿度が高くなる。 洞窟の奥行ほ深いもので120mぐらい。いくつ かの洞窟に入って調査したがわずか1箇所の洞 窟の最深部の手前に約30頭のユ・ビナガコウモリ がコロニ・−をつくっていた以外ほコウモリほ見 かけなかった。高松市内に近いのでレジャ・一化 の波に.のって人の出入りが多ぐなり,最近では コウモリの生息数が激減したようである。森井 先生によれば以前ほユゼナガコウモリの巨大コ ロニ・−の外にキクガシラコウモリ,コキクガシ ラコウモリ並びにモモジロコウモリ 凡才γ0£まs mαC′0血cとツg捉Sも生息していたそうである(森 井,1971)。 (6)神懸洞窟 (小豆郡内海町草壁) 1982年10月上旬,森井先生から小豆島の神 懸洞窟にコウモリが生息しているとの知らせを 受けた。11月22日調査に出かけた。22日大阪空 港発16時5分のYSllに乗り高松空港に向かう。 図2.神懸洞窟

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(4)

写真1.廃坑(国分寺町,国分台)

写真2.屋島洞窟

(5)

写真3.神懸洞窟

写真4.神懸洞窟のコキクガシラコウモリ

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(6)

調査終了後,朝下車した地点でタクシ1一に乗 り土庄港に向かった。途中,道路の左側のあち こちにオリ・−ブの林が見られ,小豆島らしい風 景に見とれているうちに土庄港に着いた。15時 5扮発の高速艇で岡山新港に向かい,岡山発17 時28分のひかり号で帰途についた。 ま と め 今回の調査を通して香川県下にほエビナガコ ウ・モリ,キクガシラコウモリ,コキクガシラコ ウモリならびにモモジロコウモリの生息が確認 された。中でも満濃池周辺にある導水トンネル にはコ∴ビナガコウモリの分娩コロニーが,神懸 洞窟に.はコキクガシラコウモリの冬眠コロニ・− が形成されることが判明した。これらのコロニ ・−を自然破壊によって解消させないように保護 することが極めて大切である。自然環境が荒ら されれば屋島洞窟のユゼナガコウモリのように いつの間にかその姿が永久に消えてしまう。コ ウモリを守ることほ森林を守ることにつながる。 コウモリの生態をよくわきまえて生息環境をこ れ以上破壊しないようにする行政が望まれる。 ※図1の調査地ナンバ1−・と一・致する。 引 用 文 献 森井隆三.1967.香川県産コウモリの数種につ いて…香川生物(3):2ト23.. ..1971..香川県屋島洞窟のコウモリの 生態い 動物と自然1:13−16..

・∵・

…1973..香川県の小型哺乳額(食虫目, 巽宇目,げっ歯目).香川県高等学校教育研 究会理化生地部会誌(9):59−63‖ +・ .1980..香川県産モモジロコウモリ (財γ0££smαCr0血c£γ∠弘S)の外部および内部 形態と出産時期について.香川生物(9):5 −9..

沢田 勇..1982..Helminth fauna of batsin JapanXXVIIりBull.NaraUniv。Educ”31 (2):39−45… ・∵ ∴1994..日本のコウモリ洞総覧..自然 誌研究雑誌一.(2∼4):53−80.、 +・ …1994.「日本のコウモリ洞総覧」こ ぼれ請い.−−一長崎県の巻−… 長崎県生物学会誌,. (44):99−103.. ㌧・ .1995.「日本のコウモリ洞総覧」こ ぼれ話.−熊本県の巻−.長崎県生物学会誌.. (46):30−52. ∴..1996.「日本のコウモリ洞総覧」こ ぼれ話.一隠岐諸島の巻−.隠岐の分科財. (13):30−37, −44−

参照

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