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同時に 鑑賞という行為はその創造者の芸術に対する考え方 自らの創作への思想を写し出すものでもあると筆者は考える 芸術家が作品鑑賞を通して述べた発言と 芸術家本人の芸術論を照らし合わせていくと そこには共通する項目が存在することが多く見られる つまり芸術家の鑑賞眼 その作品のどこに目が向けられているか

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六代目尾上菊五郎の鑑賞眼

武 藤 太 郎

要旨 歌舞伎俳優六代目尾上菊五郎は、大正 11 年に来日したロシアの舞踊家アンナ・ パブロヴァの公演を見ている。そこで彼女の代表作『瀕死の白鳥』を鑑賞した際、 他の鑑賞者とは違う独自の鑑賞眼を見せた感想を残している。この六代目が述べ た発言の背景には、六代目自身の歌舞伎俳優としての芸の考え方、そして芸風の 確立と大きな影響関係があると考えることができる。六代目の鑑賞眼と彼の芸風 との関係がどれほど密接なものであるかを、パブロヴァの『瀕死の白鳥』の鑑賞 を通して考察し、六代目尾上菊五郎という名俳優を代表者として、芸術家が他の 芸術作品を見るときに現れる鑑賞眼の独自性と、その構築の背景を明らかにして いく。 【キーワード:鑑賞眼、歌舞伎、舞踊、「同調」】 序 「美の鑑賞とは創造と同価値だ」 画家岸田劉生は自らの文章でこう述べている。1これは洋画家として名声をすでに得てい た大正 11 年頃の発言である。劉生はこの時期、日本画、とりわけ初期肉筆浮世絵や中国 の宋元画や南画などに深く傾倒していた。そしてまさにこの時期は劉生の画風がそれまで の西洋画の趣向からこれら日本や東洋の絵画を強く意識した作品へと変化を遂げていった ときでもあった。つまり劉生本人の発言のとおり、劉生自身の絵画の鑑賞が、自らの創作 に大きく影響していることを如実に現すものである。 画家に限らず、数多くの芸術家や表現者は自らの考えや理想を、作品を通して表現する ことを目的としている。そしてその目的を成し遂げるために、様々な創意工夫、そして多 様な思考をめぐらせてきた。その表現を生み出すものの一つに鑑賞というものが存在する。

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同時に、鑑賞という行為はその創造者の芸術に対する考え方、自らの創作への思想を写 し出すものでもあると筆者は考える。芸術家が作品鑑賞を通して述べた発言と、芸術家本 人の芸術論を照らし合わせていくと、そこには共通する項目が存在することが多く見られ る。つまり芸術家の鑑賞眼、その作品のどこに目が向けられているかをあきらかにするこ とで、その人物の芸術の創造に対する姿勢を見ることができるのである。そして、逆の見 方をすれば、芸術家の鑑賞眼というものが、その芸術家の考え方を裏付けるものの一つで あるとも考えることができる。 歌舞伎俳優の中にも、劉生同様に独自の鑑賞眼を持っていた人物がいる。それが歌舞伎 俳優六代目尾上菊五郎(1885~1949)である。六代目は明治・大正・昭和を通じて歌舞伎 界の第一線で活躍した人物である。特に独自のリアリズムの考えに裏打ちされた演技をは じめ、当時の歌舞伎界では異彩を放った彼の芸風は「自己の新しい解釈をも加えた点にお いて、六代目の存在は、歌舞伎史上のターニングポイントとして、演劇史上注目する価値 がある」2とまで言われている。その意味では、六代目が近代の歌舞伎の最も重要な人物で あることには間違いない。 六代目独自の演技や芸が構築されたのは、六代目自身の芸に対する考え方に独自の考え 方や美意識があったと考えることが出来る。つまりこの六代目の芸の特性を作り上げてい る姿勢が、六代目の芸の礎となって存在しているのではないかと考えられる。 このことを明確にする上において、筆者が重要視しているのが、六代目自身と他の芸術 作品の人物との交流である。六代目は生涯を通して、国内外を問わず数多くの芸術家との 交流が存在した。その交流を通して、実際に作品を鑑賞した際に六代目が残した言葉には、 六代目自身の芸術観、さらには六代目の美意識などが明確に表されている。さらにこの諸 芸術と交流を通しての美意識は、六代目の歌舞伎における芸の姿勢などともつながってい ることが多く見られる。 中でもロシアの舞踊家、アンナ・パブロヴァ(1881~1931)の『瀕死の白鳥』を鑑賞し たことは六代目の鑑賞眼の特性、そして六代目自らの芸に対する考え方を明確にする重要 なファクターである。六代目がパブロヴァの舞踊を見て述べた発言は、他の鑑賞者とは違 ったものであり、同時に六代目自らの独自の鑑賞眼と芸の構築の姿勢を表すものとなって いる。この点から見てもパブロヴァの舞踊を鑑賞したことと、パブロヴァ本人との交流は、 六代目の芸の本質を追求する上でも重要な要素である。 本論文は六代目の『瀕死の白鳥』の鑑賞から、六代目の鑑賞眼の特性、そしてその鑑賞

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眼と六代目自身の芸の特性との関係を明確にして、なぜその鑑賞眼が現われるに至ったか を考察し、鑑賞という行為が芸術家の創作に対する考え方と密接に関係しているというこ とを明確にするものである。 1:六代目の『瀕死の白鳥』鑑賞 アンナ・パブロヴァが日本公演のために横浜に海路到着したのは大正 11 年の 9 月 4 日 であった。その後東京へと入ったパブロヴァは東京駅で多数の日本の芸術家の出迎えを受 ける。この中に六代目も加わっていた。 パブロヴァの公演は帝国劇場で 9 月 10 日から 29 日まで行われた。この中では当然なが ら彼女の代表作である『瀕死の白鳥』も演じられた。『瀕死の白鳥』は全一幕。1907 年に サンクトペテルブルクの帝室マリンスキー劇場で初演された。静かな湖面を舞台に、死に ゆく白鳥の姿を通して、死を運命付けられている生あるものの永遠の闘いを描いており、 パブロヴァ自身が初演でも主役を務め、以後、彼女の代表作となっていた。3 イギリスの批評家シリル・ボーモントはパブロヴァの『瀕死の白鳥』を次の様に評した。 …両腕は翼のように伸ばされ、弱々しくはばたく。飛び立とうと懸命に努力し、やが て彼女は大地に倒れる。あらん限りの力を振るって、彼女は立とうとし、頭は後方へ とのけぞり、身体はその努力のために震える。身体は次第に立つ。再び、翼のような 腕は、ゆっくりと、高く、さらに高く挙げられる。(中略)片脚は身体の下に曲げられ、 もう一方の脚は前方へ伸ばされて動かない。両腕は哀れにもおののき、身体には、か すかに戦慄が走る。両腕が頭の上方で固く組まれ、伸ばされた脚に向かって降ろされ る。頭が胸にがっくりと付く。やがてすべてが静止する。白鳥は死んだのだ。4 ボーモントの批評の主軸になっているのは、パブロヴァが死を迎える白鳥の姿を演じて いるときの身体表現である。細かい描写でパブロヴァの身体の動きの柔軟さを明確に表現 することで、パブロヴァの持っている身体表現の秀逸さを明らかにしている。 日本公演には数多くの著名人が足を運び、パブロヴァの舞踊を鑑賞した。そしてそのと きの感想や持論を文章などで述べている。帝国劇場に足を運んだ作家芥川龍之介はこの公 演の感想を次のように文章で書き残している。

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…『瀕死の白鳥』等七種の舞踊が始まつた時、僕は忽ち快活になった。 『瀕死の白鳥』は美しい。少なくとも『瀕死の白鳥』と云ふ日本訳の名よりも美しい。 一体アンナ・パブロワ5の舞踊は巧妙とか何とか思う前に、骨無しの感じを与へるもの である。実際我我日本人は骨無しと称するもの以外に、ああ云ふ屈曲自在を極めた、 しなやかな体を見ることはない。骨無しは勿論グロテスクである。(中略)が、『瀕死 の白鳥』になると、突然この骨無しの感じのも消滅してしまったのは不思議である。 僕は唯パブロワの腕や足に白鳥の頸や翼を感じた。6 芥川はパブロヴァの演技に高い評価を与えている。その一方で、岸田劉生もパブロヴァ の舞踊を鑑賞している。その上で自らが鑑賞した歌舞伎について持論を述べた文章「観劇 所感」の中で、パブロヴァの舞踊について持論を述べている。 丁度此の月アンナ・パブロワが来て、世界的の踊の名手であつて、非常に好いもので あるといふ事を聞いたので行つて見た。併し、私は終ひに芸術的陶酔を受けることが 出来なかった。(中略)「白鳥の死」は美しいものだった。併し舞台の美として之を見 るとき、動作によつて起る舞台面の空気の動き、所作と所作の間に於ける味(中略) これらの芸術的な味覚が誠に甘い。7 劉生は「味」という彼独特の言葉を用いて、パブロヴァの演技を「美しいもの」と評価 しながらも、厳しい見方をしている。このような評価になったのは、序章でも述べたとお り、劉生はこの時期、日本や東洋の芸術作品に深く共鳴していた。その中には歌舞伎も存 在している。劉生は自らの歌舞伎に対する考え方を述べた文章「旧劇美論」のなかで、自 らの歌舞伎への賞賛の一例を、西洋と東洋の舞踊を比較して指摘している。その中で西洋 の舞踊について「西洋の踊なら手先は遠心的に放射的にのばし放しの形に極まるのである」 と指摘し、歌舞伎に代表される日本の舞踊の特性を「旧劇の所作は、その基調がすでに、 抑えた、のび切らぬ拍子に乗っている」8と述べて身体的特性に重点を置いた考え方を述べ ている。ちなみに劉生は、芸術の深い美しさというものが、日本の舞踊のような前面に美 を押し出さないことであるとして、日本や東洋の美を真の美しいものとして、西洋の美は そこには及ばないという見解を表している。 賛否の違いはあれど、芥川、劉生双方ともパブロヴァの舞踊に大きな関心を持っていた

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ことは確かである。彼らの文章を見ていくと、ボーモントの批評と同様に、パブロヴァと いう舞踊家の持つ身体が描き出す白鳥の優雅にして繊細な形の美しさに重点を置いて発言 している。 これに対して六代目は『瀕死の白鳥』を鑑賞した際、次のような発言を残している。 あの人の至芸は『瀕死の白鳥』だ。脚をのばして、白い衣装に羽をだらりと伸ばして 死ぬのが幕だ。僕はこれを四度見に行った。そして四度とも、パブロバがあのまま死 んじゃうんじゃないか…と、はらはらしながら見ましたよ。あの死ぬ感じをパブロバ はどうして出しているのだろうかと僕は思った。(中略)ぴんと張った両手が次第に垂 れていく。この時、パブロバは一つも息をしていないんだ。これだっ、ああ、これだ っ、僕は思わずつぶやいてしまったね。9 六代目も前述の芥川同様に、パブロヴァの身体の側面に視線を向けている。しかし芥川 と明らかに異なっているのは、六代目の「あのまま死んじゃうんじゃないか…」という言 葉にもあるように、演者が観客に心理的な表現をどのように見せているのかについての疑 問に着目していることである。そしてその疑問の追求のためにより近くで見れる場所で彼 は鑑賞行為に至っている。 パブロヴァがこの場面の演技で見せたのは「表面的」な死の演技ではなく「肉体的」な 死の演技であると言える。パブロヴァの演技を見て「このまま死んでしまうのじゃないか」 と六代目に思わせたのは、白鳥が死にゆく表現がただ「目をつぶって横たわる」というよ うな表面的な形だけのものではなく、呼吸を停止するなど、演者であるパブロヴァ自身が 心理的・肉体的な限界をあえて作り出すことで、死への状態を表現したいたからこそ、六 代目を含めた鑑賞者に、白鳥が息絶えて、パブロヴァ自身の死をも思わせるような姿が表 現されていたことがわかる。つまり肉体的にも精神的にも演技を超えた表現をする姿勢に 六代目の関心は向けられていたのである。 2:「肚で踊る」 六代目尾上菊五郎が「瀕死の白鳥」を鑑賞した際に見せた鑑賞眼は前述の芥川や劉生の 視線とは一線を画すものだった。それは身体の美しさへの視点だけではなく、それを踏ま えた上で、何故六代目自身がパブロヴァの演技に対して「あのまま死んじゃうんじゃない

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か…」と思ったかを追求しようとする姿勢と視点であった。六代目自身もパブロヴァ同様 に、身体を駆使した芸の創造者であるから、その部分から見たという考え方もできる。し かしそれならば芥川や劉生が指摘したような身体の部分をより具体的に述べれば納得がい く。しかしなぜ観客席を離れて、舞台袖まで近づいて見ようとしたのか。それは六代目自 身が「あの死ぬ感じをパブロバはどうして出しているのだろうか」と述べているところか らも、そこまでする必要がある追求をしたからであろう。 この六代目の鑑賞眼の特性に着目する上において、六代目自身の芸について論じる必要 がある。前述のように、六代目は「型」という言葉があるように、様式性を重視した歌舞 伎の世界において、芝居においっても舞踊においてもリアリズムを重視した役者として後 世に名を残している人物である。その中で六代目が自ら舞踊について述べた以下の二つの 言葉がある。 「大分前の事でしたけれども、今の成駒屋の姉さん(歌右衛門10の妻女の事)が、私 の『身替座禅』11の踊りを見て、『六代目の踊はよく解が分って面白い』と云ったそう ですが、何も『身替座禅』に限らず、踊は踊っている理由の分るように踊るのが本当 でせう」12 「踊というものは、単に、手先や足さばきだけで踊るのじゃない。腹で踊らなけりゃ ならないということなんだ。どうもそれを腹で踊る人が少ないんだな。(中略)つまり 酒をのむにしても酒を飲むという真実の気持が踊ににじんでこなければならない。そ ういう気持で踊れば酔っぱらっていなくとも自然に酒をのむ形ができるんです。」13 役の人物の精神状態を追求する考え方については六代目自身も自らの言葉で、舞踊の部 分においても心理的側面を重視する意識を持っていたことを説明している。 これら六代目の発言の中で大きなキーワードとなっているのが「腹」という言葉である。 歌舞伎の世界での「腹」とはすなわち「肚芸」のことである。「肚芸」とは歌舞伎に基より 存在した演技方法の一つで、物語の進行上、役の気持ちの変化や決心などの心理表現をす る際、台詞や動作や表情といった表現しやすい動きをいちいち派手に表面に出さずに、全 てそれを抑制し、静的で地味な動き、つまり「おもいいれ」で表わしながらも、それを観 客に十分に分からせる方法である。六代目が述べた「理由の分かるように踊る」というの

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が、この「肚芸」の真意である。 そもそも歌舞伎の歴史において、数ある演技方法の一部に過ぎなかった「肚芸」を、 演技の最重要項目にしたのは明治期の俳優、九代目市川団十郎であった。九代目団十郎は 自らが創始した「活歴劇」、つまりそれまで荒唐無稽な演出が主流であった歌舞伎の演目、 とりわけ時代物14について、歴史的史実を忠実に脚色し、時代考証に則って扮装や演出を することを重視した演劇において、この「肚芸」を積極的に採用したのである。「肚芸」の 姿勢について九代目は次のように述べている。 舞台に登りました以上は、己を忘れ、舞台を忘れ、其の役、其の者になりきってしま わねば、何うしても本当の事はできません。(中略)それは表面ばかりでなく、腹とい ふものが大事です。そうしても本当の感じといふものは、心から心に伝はるものでは 行かないので(中略)それだから私が、形を写すことも或る場合に於いては無論大切 であるが、それよりは心を写すやうに心掛ける。心を写すとは即ち腹にある。15 九代目の言葉にもあるように、肚芸において重要なことは「心を写す」ことである。肚 芸は説明などを見ていると、写実、あるいはリアリズムと同一のものであると考えられる が、三浦雅士は肚芸の特性を「すなわち役になりきるということ以外ではない。変身であ り、同調である」16としている。 三浦は舞踊において役者が持つべき重要な要素として、「舞踊の力は、観客を身体的に同 調させる力である。たとえば、たったひとりの踊り手の身体の動きが、数百人、ときには 数千人の観客の呼吸を、一挙に支配するのである」17と述べている。 これら三浦の考え方はすなわち、肚芸というものが、舞台上でリアリズムを追求する演 技あるいは舞踊をするという段階のものではなく、役者が舞台上で役の人物との同一化を はかり、さらにその舞台上の人物の心情と、その舞台を見ている観客の心情を同一化、つ まり三浦の述べた「同調」をさせるということができる演技方法であるというものであっ た。そのため舞台にいる演技者は、演技においても舞踊においても、その人物になりきり、 その心情を観客に伝えることが重要になるため、リアリズムという概念以上の「変身」が 必要となってくるのである。表面的なリアリズムだけでは伝えきれないものを、肚芸は伝 えきれると考えたからこそ、九代目は自らの口で「己を忘れ、舞台を忘れ、其の役、其の 者になりきって」しまう、つまり「変身」することを重視した肚芸で、観客との心情の同

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調を試みていたのである。 九代目は自らの活歴劇でこの「肚芸」を採用して歌舞伎の新たな可能性を追求していっ た。しかし実際には古くからの歌舞伎愛好者などからは、あまりよい評判を得ることはで きず、結果的に活歴劇は挫折したといっても良い。 六代目は幼少期に九代目から芸の大半を学んでいる。そのため九代目団十郎の影響を強 く受けていることが多い。それは六代目自身が「五代目(おやじ)を思い出すことは稀だ が団十郎さん(おじさん)のことは終生、念頭から離れません」18と自らの芸談で述べて いるほどである。その九代目から「肚で踊る」ことを学んだ六代目は、前述の自身の言葉 にもあるように、舞踊の「手先や足さばき」の美しさの追求よりも、舞踊劇の中の主人公 がどのような精神状態で舞を舞っているかを明確に表現できる最もよい手段として考えて いた。 実際、「肚で踊る」姿勢の舞踊は、見ている人間からも明確に理解することができた。そ れは『六代目菊五郎評伝』の著者である渥美清太郎が、次の自らの文章でも指摘している。 「彼れの踊は、踊のための踊ではない。「肚で踊る」団十郎の教育はいま見事に生きて、 実に観客の「よく解る」踊を踊るのである。何を踊るかということが、大衆にハッキ リ諒解できるのである。(中略)だから菊五郎の踊は、どんな予備知識のない観客が、 どんなに長く見ていても決して飽きないのだ。そうした舞台を楽しませてくれたこと が、舞踊に対する菊五郎が第一の功績だと思う」19 渥美はさらに続けて六代目の舞踊について具体的な作品をあげて次のように述べている。 厄介なのは『道成寺』20や『鏡獅子』21のように、小姓の踊を連続した曲を踊る場合で ある。肚が欠けていたら、ただ娘や腰元が動いているだけになつて、感激させるわけ にはゆかないが、菊五郎の『道成寺』は、花笠で踊ってもクドキ22で手拭を持てても、 鐘からの執念のはなれ得ない、娘の亡霊であることは絶えず解らせてくれた。『鏡獅子』 も正面に将軍が控えて見物しているという肚は決して忘れなかった。23 この渥美の発言にもあるように、六代目の「肚で踊る」姿勢は、舞踊の持つ表面的な美 しさや華やかさに重点を置いてものではなく、舞台上の舞踊のストーリー展開やその中で

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の主人公の心情を表現することに重点を置いていたものである。『道成寺』においては、鐘 の中に入り、最後は大蛇の魔物として鐘から出てくるストーリーを観客が認識しているが 故にこそ、六代目はそのクライマックスの下地を重視することで、より観客を劇の舞踊に 引き込ませていっている。 また六代目舞踊の最高傑作といわれる『鏡獅子』でも前半の小姓弥生が踊っている姿は、 一見舞台において、一人で踊っているように見えるが、実はその場が将軍の前であるとい うことを、身体的な緊張感を与えることで作り出している。それによって、観客にシチュ エーションの部分にまで想像性を掻き立てる踊りになっている。 「よく解る」と渥美が述べているように、六代目の舞踊は、六代目自身がその役の人に 肚芸をすることで、役に「変身」し、その役の心情を「同調」させる。それが見ている側 に六代目演じる役の心情が伝わっていることを意味している。つまり舞台上の六代目と、 客席の観客の気持ちに「同調」が現われることを意味している。つまり「肚」を備え付け ることによって、より踊りの深い表現を生み出していくと考えたのである。だからこそ、 六代目の舞踊は、観客にその状況や心情が伝わりやすく、また理解しやすいものだったの である。 九代目が肚芸を基準に歌舞伎の新しいスタイルを試みたのに対して、六代目は既存の歌 舞伎演目に肚芸を取り入れたことで、演劇の部分でも舞踊の部分においても、それまでの 作品に人間的なドラマの深みを加えることができた。このような部分に九代目団十郎と六 代目菊五郎の肚芸の対する考え方、そしてその失敗と成功の違いが存在している。 3:六代目菊五郎に見る鑑賞眼と創造の関係性 六代目菊五郎が九代目から学んだ「肚芸」は六代目自らの舞踊の基盤を成していた。こ の六代目が生み出した独自の芸の姿勢が、六代目の「鑑賞眼」にも大きく影響していると 考えられる。では実際に六代目がパブロヴァの『瀕死の白鳥』を鑑賞した際の鑑賞眼には どのような特性が見えてくるのだろうか。 結論から述べれば、六代目はパブロヴァの舞踊に、自らが持っている「肚芸」と同一の 姿勢を見たのではないだろうか。 六代目がアンナ・パブロヴァの『瀕死の白鳥』を鑑賞した際に述べた「あのまま死んで しまうんじゃないか」と思った発言には、パブロヴァの見せた、白鳥の衰弱しきった姿を 見ることができる。つまり白鳥が弱っていて、まもなくその死を迎えるという心情が、観

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客に明確に伝わっていた。すなわち「肚芸」において重要であり、六代目自身の舞踊の根 幹を成していた、演者自らの役への「変身」とその役の心情との「同調」、そしてその「同 調」した役の心情が観客にも伝わることで、舞台上と客席との間での「同調」が現われた ことを意味する。これら様々な「同調」の意識を六代目自身も持っていたからこそ、観客 席からパブロヴァの白鳥の姿に強い感情を抱いた鑑賞眼が現われたのである。 その一方で、六代目は「あの死ぬ感じをパブロバはどうして出しているのだろうか」と 述べているように、このパブロヴァの白鳥の姿がどのように生み出されているのかという 別の鑑賞眼を持っていた。それが六代目を舞台袖にまで足を運ばせた要因である。舞台袖 の六代目の眼に映ったパブロヴァの姿は、死にゆく白鳥の役と「同調」を、身体を通して 試みているものであった。 前述の六代目の舞踊と比較してみていくと、六代目の『鏡獅子』の小姓弥生は、一人で 踊りながらも、それが将軍の前であるという緊張感を、身体を通して表現するものであっ た。それに対してパブロヴァの白鳥は、息絶えながら死んでゆく姿を、実際に演技中に呼 吸を止めるという肉体的な極限を駆使して表現したものであった。これは六代目にとって は自身の芸にはそれまで無かったものであったに違いない。だからこそ六代目は思わず「こ れだっ、ああ、これだっ」という感想を述べたのであろう。 このパブロヴァの中に自然と生み出されていた歌舞伎の肚芸に通じる姿勢は、パブロヴ ァ本人の口からも語られている。パブロヴァと六代目が舞台を離れたところでも親交を深 めていた際、六代目はこの『瀕死の白鳥』の最後の場面について「もしあのまま幕が下り なかったとしたらどうする?」と六代目が聞いたところ、パブロヴァは「このまま死んで しまったら、と思うことが何回もあるんです」と六代目に述べた発言が残っている。24 のパブロヴァの発言こそ、「肚芸」を行うときに重要とされている、写実以上の「変身」あ るいは「同調」の姿勢の象徴の考え方なのである。パブロヴァは歌舞伎の「肚で踊る」と 同様の意識を独自で持っていたからこそ、絶命していく白鳥の心境・身体と自分の心境・ 身体とを同体にして演じていたことが分かる。その結果「死んでしまうんじゃないか」と 六代目に思わせる状態にまで自らの舞踊を追求していた姿が分かる。 同時に、六代目自身がそのパブロヴァが持っていた舞踊の姿勢と、自らの舞踊の姿勢に 肚芸に通じる同様の姿勢があったからこそ、六代目の目にはパブロヴァが肚芸を持ってい た人物であったということを見出すのが可能であったのである。 六代目の中に、見ている側にこの舞踊がどのような意味を持ち、踊っている人物がどのよ

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うな気持ちで踊りなのかを「よく解らせる」踊りではなく、見ている側がその踊りの舞台 上の世界観を感じとり、「同調」するような「よく解る」踊りを踊ろうとする姿勢があった。 それが六代目の独自の舞踊演技であった。 パブロヴァは「肚芸」という演技法を知らなかったのは当然ながら、「肚芸」と同一の演 技姿勢を持っており、さらに「肚芸」の重要な要素である「おもいいれ」を持っていた。 それだけでなく、同時に表面的な形で表現するのではなく、自らの持っている肉体全てを 使って役の心情が表出できるような状態を作ることで、さらに「変身」や「同調」を強く させることができるということを、六代目はパブロヴァの息をしない演技を通して新たに 発見したのである。 結論 六代目尾上菊五郎がパブロヴァの『瀕死の白鳥』を見た際に見せた鑑賞眼は、六代目自 身の芸の姿勢に裏付けられたものであったことが、六代目の芸の考え方やパブロヴァの舞 踊との比較を通して明らかになった。パブロヴァが六代目が持っていた芸の姿勢と同様の 考え方を持っていたことで、六代目の持っている独自の鑑賞眼が表出されたことで、鑑賞 者としての六代目の独自性も見出すことができた。 六代目は、パブロヴァと舞台を離れたところで聞いた前述の発言を受けて、六代目は自 らが演じた『京鹿子娘道成寺』のなかで次のような感情を持ったことを芸談に著している。 鐘の中に入って後しての仕度をすると鐘が上がるわけだが、その時僕は、鐘が上がる のがいやだった。この鐘へ入るまでの踊があんまり気持ちよく踊れたからなんだ。こ の時ばかりは踊っていて後の音楽が聞えなくかった。それで踊はぴったり合っている のだ。(中略)鯉三郎に、「いままでの気持ちがふいになるから鐘をあげてくれるな」 といったら、「どうしたのですか?」とびっくりしている。だから「このままの気持で 死にたいのだ」といった事がある。25 このエピソードを語った後、六代目は「僕は気狂いになりたい、踊の気狂いにね。正気で 踊っている、それが踊っているうちにだんだん気狂いになる、お芝居ではなくほんとうの 気狂いになる26」と述べている。 パブロヴァが舞台上で感じた感覚を六代目も『京鹿子娘道成寺』で感じたことを述べて

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いる。自らも同じ状況になって分かる演技を超えた感覚は、舞踊家として後世に名を残す 六代目菊五郎にとって、重要なものであった。それだけにパブロヴァとの交流は六代目菊 五郎の舞踊に対する姿勢に大きな影響を与えている。 六代目の鑑賞の姿勢は、六代目の芸の特性だけでなく、六代目自身の芸の創造における 意識をも見出すことができる。六代目はパブロヴァの他にも、ロシアの声楽家フョードル・ シャリアピンの映画作品、あるいはフランスの詩人ジャン・コクトーなどの海外の芸術家、 さらには横山大観や前田青邨といった日本の美術家など様々な芸術家と交流を持った人物 である。そしてその交流をとおして自らの芸に参考となるものを積極的に見出そうとして いた。歌舞伎という演劇の固定観念を崩すことなく、しかしその固定観念の外側にあるも のにも関心を持ち、芸の向上になるものであれば受け入れていこうとしていた姿が、六代 目を後世にまで残る名優にしたのである。

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「注」 1 富山秀男『岸田劉生』岩波新書 1986 p. 162. この発言は劉生が「江賀海鯛」(=絵が買いたい)という ペンネームで書いた文章「海鯛先生の清玩論」に載せられている。 2 南博『日本の芸術』東洋経済新報社 p. 108. 3『瀕死の白鳥』の説明を作成するに当たり、小倉重夫編『バレエ音楽百科』音楽之友社 1997 pp. 296~297. を参照。 4 小倉重夫編著『瀕死の白鳥 アンナ・パブロヴァの生涯』富山房 1978 pp. 191~192. 5 本論文ではアンナ・パブロヴァを「パブロヴァ」と表記しているが、本論文では原文を忠実に再現す るために、記されたとおりの「パブロバ」という表記のまま参照した。 6 小倉『瀕死の白鳥 アンナ・パブロヴァの生涯』 pp. 125~126. 原文は「新演芸」大正 11 年 9 月号に掲載。 7 岸田劉生「観劇所感」『岸田劉生全集 第四巻』岩波書店 1979 pp. 574~575. 8 岸田劉生「旧劇美論」『岸田劉生全集 第四巻』pp. 496~497. 9 六代目尾上菊五郎「おどり」p. 41. 10 五代目中村歌右衛門(1865~1940)九代目団十郎や五代目菊五郎の相手役を努めた明治期の名女形。 「成駒屋」は中村歌右衛門家の屋号。『歌舞伎事典』pp.300~301. 11『身替座禅』:歌舞伎舞踊。太郎冠者が主人の身替わりとなり浮気を援助したが見破られて、奥方にや りこめられる滑稽舞踊 12 尾上菊五郎「音羽屋百話」川尻清譚『名優芸談』pp. 417~418. 13 尾上菊五郎「おどり」『舞踊・邦楽 日本の芸談 第四巻』九芸出版 pp.9~10. 14 時代物:歌舞伎狂言の分類の一つ。江戸時代よりも古い時代の通俗日本史上の様々な事件を題材に取 り扱った劇。人物名を歴史上知られているものを使用する一方、一部をもじって使用することが特徴。 「活歴」も時代物の一部。通常は通俗史によりながら独自の虚構で武家・公家の抗争の悲喜劇を描いて いるため、対象とする時代の風俗や歴史的事実も半ば無視されていた。『歌舞伎事典』p. 209.参照 15「歌舞伎の身体論」『岩波講座 歌舞伎・文楽 第五巻』岩波書店 1998 p. 231. 16 同 p. 230. 17 同 p. 227. 18 六代目尾上菊五郎「おどり」『舞踊・邦楽 日本の芸談 第四巻』九芸出版 1979 p.90. 19 渥美清太郎『六代目菊五郎評伝』富山房 1950 p. 421. 20 正式題名『京鹿子娘道成寺』歌舞伎舞踊。道成寺に清姫の亡霊が白拍子の姿で訪れ、舞を見せるうち に鐘にとびこみ、蛇体となって現れるが、押し戻しによって屈服させられる。この作品は能の演目「道 成寺」から出発したいわゆる「道成寺物」のひとつ。恋に狂った女の執念を描いた作品。解説作成にあ たり『歌舞伎事典』p. 379.参照 21 本題『春興鏡獅子』:福地桜痴作。大奥の女小姓・弥生が舞を踊っているうちに名匠の魂こもる獅子頭 がのりうつり引かれていく。そして後に白頭の獅子の精に変わり勇壮な舞を見せる。 22 クドキ:くり返して説く、という意味の名詞で、一般に慕情・哀愁などを表現する箇所。 23 渥美『六代目菊五郎評伝』p. 426. 24 六代目尾上菊五郎「おどり」p. 42. 25 六代目尾上菊五郎「おどり」pp. 42~43. 26 同 p. 43.

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