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平成 25 年度 6 月号 2 6 月 7 日 ( 金 ) 発行 / 連邦大交流 と オープンデー 連邦大交流 にぎやかに大成功! 6 月 5 日 ( 水 ) 午前 9 時 40 分 リオ デ ジャネイロ連邦大学の文学部棟の前に本校の18 名の子どもたちと教員が乗ったオニブスは到着しました 萩野リカ

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Academic year: 2021

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「連邦大交流」にぎやかに大成功!

6月5日(水)午前9時40分、リオ・ デ・ジャネイロ連邦大学の文学部棟の前に 本校の18名の子どもたちと教員が乗った オニブスは到着しました。萩野リカ准教授 はじめ日本語科の学生たちが数十人出迎え を受け、あいさつもそこそこに、直ちに学 級毎の交流会をやる2階の会場へ向かい、 4つの部屋に分かれて第一部のグループ別 交流に入りました。

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1 年生>

1 年生は「ブラジルのおとぎ話や歌を教 えてほしい」とリクエストしていました。 学生たちは 1 年生の子どもたちに3つのお 話しと2つの歌を教えてくれました。 1 年生からは音楽の授業で練習した「黒 猫のタンゴ」の歌をプレゼントしました。 写真は交流の開始直後の自己紹介の場面 です。全員元気に自己紹介をしました。

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3・4

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4 年>

3・4年生は「ブラジルと日本の関係」に ついて質問していました。学生たちはブラ ジルと日本との繋がりが深いことを、19 08年に最初の移民船「笠戸丸」がサント ス港に到着したことを教えてくれました。 また、それだけにとどまらず、ドイツやイ タリアからの移民や各国の繋がりについて もくわしく調べ、分かりやすく映像を使っ て教えてくれました。子どもたちはしっか りメモを取りながら聞き入っていました。 平成25年度6月号② 6月7日(金)発行/「連邦大交流」と「オープンデー」

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<5・6年>

5・6年はブラジル人に人気のある観光 地や食べ物(食事やお菓子)やスポーツや 音楽などについて質問していました。学生 たちはこの質問に対して、たくさんの資料 を集めて映像にして、日本語のメモを見な がらも一生懸命教えようとしてくれました。 その情熱が良く伝わって来ました。

<中学部>

中学部はブラジルの様々な文化について 質問をしていました。例えば音楽に関する ことでは楽器やダンスとの繋がり、スポー ツではサッカーやカポエイラなど、環境に 関してゴミの分別収集の現状やブラジル人 の意識などについても教えてくれました。 カポエイラについては二人の学生によるモ デル演技も見せてくれました。

<全体会>

連邦大学に到着する時間が実は10分程 度遅れたことが影響し、全体会も少しずれ 込んでしまいました。それで最初のプログ ラム・中田教諭による「アイス・ブレーキ ング」はパスとなり、直ぐに開会あいさつ に入りました。 全体会の開会に当たって、リオ・デ・ジ ャネイロ連邦大学文学部東洋スラブ語学課 日本語科の二宮ソーニヤ教授から「この交

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流会が長く続くことを願っています。」と親 しみを込めた歓迎のあいさつがありました。 続いて澄教諭による「大阪弁講座」です。 標準語と大阪弁の違いを映像も使って分か りやすく教えていました。中でも学生たち に人気があったのが「ちゃうちゃう(ちが う)」と「なんでやねん(どうして)」でし た。澄教諭は締めくくりに「ブラジルうま いもんの歌(「大阪うまいもんの歌」をもじ ったもの)を紹介しました。学生たちだけ でなく保護者にも大いに受けていました。 続いて私の出番でした。日本から持参し たスクリーン紙芝居の「どてカボチャ」を みんなで歌って物語を進めました。(この作 品は京都府長岡京市に住む私の友人である 表現作家の石神誠氏がストーリーを書き、 同じく友人の大阪府在住の宮里幸雄さんが 絵を描いた作品です。リオに来る間際に原 作者から提供を受けてきたものです。)ひら がなとカタカナの歌詞が画面に出てくるの で日本語の勉強にもなるのではとやってみ ました。拍子木はボランテイア講師の登美 子先生にお願いしました。 次に学生たちが手遊びと、女の子たちの 間でよく遊ばれる「ゴム跳び」のような遊 びを教えてくれました。手遊びは参加者全 員でやって楽しみました。次の2枚の写真 は4人でやる手遊びです。 次の写真は「ゴム跳び」のような遊びです。

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お返しに日本の手遊びの紹介をしました。 私の持ちネタの「ゴンベさんの赤ちゃん」 をやりました。学生たちだけでなく、本校 の子どもたちや保護者の皆さんも一生懸命 やってくれました。 最後に、本校の子どもたちが前に立ち「ふ るさと」の歌を参加者と一緒に歌いました。 学生たちも映像の映し出された日本の風景 とひらがなを見ながら、一緒になって歌っ てくれました。 閉会宣言の前に子どもたちからの感想が 発表されました。本校の子どもたちを代表 して小学部3年の男子1名、女子2名の3 名が前に出て「皆さんのお陰で楽しい交流 ができました。ありがとうございました。」 と元気にあいさつしました。 連邦大学からも感想が述べられました。 次に、ソーニヤ教授と萩野准教授から子 どもたちにプレゼントがありました。代表 して6年生の男子が受け取りました。 最後の最後に全員で記念写真を撮りまし た。とても心温まる交流会になりました。 その後、学生食堂でブッフェ方式の昼食 を取った後、先生方や学生さんたちとお別 れしました。保護者の皆様にも早朝よりご 参加いただき、交流会を大いに盛り上げて いただきました。心から感謝致しておりま す。ありがとうございました。

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オープンデーにご参加

ありがとうございました!!!!

連邦大学との交流の翌日、6月6日(木) は年に2回実施している「オープン・デー」 の日でした。保護者の皆さんに加え、一般 の方の参加があり、6時間目まで大いに賑 わいました。子どもたちはどの時間も一生 懸命授業や行事に元気に取り組みました。 <各クラスの授業から> 1年生(国語) 3年生(国語) 1~3年生(音楽) 3年生(理科) 4年生(国語) 5・6年生(算数・複式指導) 小4~6(音楽)

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中1(理科) 中1(英語) 中2(数学) 中2(国語) 昼食時間を挟んで、午後からは5時間目 は「なかよし遠足」と「修学旅行」の報告 会を体育館で行いました。 全体の司会を中1の女子が担当しました。 最初に、「なかよし遠足」の報告でした。4 年生の二人が中心になり発表していました。 男子が映像を見ながら説明を行い、女子が 画面を変えるパソコンの操作を息を合わせ てしていました。 「修学旅行」の報告は参加者全員が事前 学習で調べたことを報告し、参加した9名 全員が修学旅行中に撮りためた写真の中か ら「私のベスト3ショット」を発表してく れました。オウロ・プレットの素敵な景色 の写真以外に、世界的にも珍しい2本対に なった鍾乳洞の石柱、素敵な夕焼けの写真、 ベッドにダイビングするショット、面白い 表情の顔写真等があり、参加しているみん なを大いに楽しませてくれました。

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続く6時間目は運動会の「親子競技」な どの練習でした。最初に「大玉転がし」を、 続いて「二人三脚」を、そして最後に交流 競技の「借人競走」の練習でした。 「大玉転がし」では親子で大きなパンツ をはき、紅白の玉を転がしての競走です。 前方のコーンを回るのがなかなか大変そう でした。 続く「二人三脚」は、背丈が大きく異な る親子で歩幅を合わせるのがなかなか大変 そうでしたが、一生懸命の子どもたちの表 情と保護者の皆さんの笑顔とが入り交じっ たとても楽しいひとときになりました。 「借人競走」は、競技者に対して「~~ の人」という指示が出され、それを聞いて 該当する人を連れてゴールするという競技 です。「めがねをかけた人」、「黒い靴を履い た人」などの指示を聞いて大急ぎで該当す る人を探してはゴールをめざしていました。 こうして1学期のオープンデーは、保護 者の皆様のご理解とご協力のお陰で楽しい 1日にすることができました。受付でオー プンデーに関するアンケート用紙をお渡し 致しましたが、是非ご記入の上、ご提出く ださいますようお願いいたします。 1年生の作品「なかよしえんそく」力作ぞろい!

参照

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