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ゲーテにおけるディレッタンティズムの可能性

―『親和力』から『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』へ―

はじめに ヨーハン・ヴォルフガング・ゲーテ(1749–1832)は,文学のみならず,美術批評から 自然科学にいたるまでの幅広い分野において偉大な足跡を残したが,多様な物事に関心 を抱いたからこそ,その一生はディレッタント,すなわち素人愛好家としての自覚と葛 藤とともにあった。若い頃から抱いていた画家への夢はついに叶うことはなく,自然科 学研究ではアカデミーや大学の学者集団とときに距離をおいた。小説家ゲーテにとって もディレッタントの問題が重要なテーマであったことは,残された作品からも明らかで ある。『若きヴェルターの悩み』(1774)のヴェルターは画家にあこがれる青年であり, 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(1795/96。以下『修業時代』)の主人公ヴィル ヘルムは演劇の道に挫折する。本稿で扱う後期の二つの小説,『親和力』(1809)と『ヴィ ルヘルム・マイスターの遍歴時代』(1821/29。以下『遍歴時代』)にも,多くのディレッ タントが登場する。しかしその理由をディレッタントに対するゲーテ個人の愛着にだけ 帰することはできない。本稿の目的は,19世紀前半に成立した『親和力』と『遍歴時代』 という二つの小説において,ゲーテが近代化する時代のなかでディレッタントに見出し た価値を解き明かすことである。 さらに,この二作品を考察対象とする理由は,その成立過程にも求められる。『親和 力』はもともと『遍歴時代』の一挿話として構想されたが,執筆の段階で予想以上に長 大化し,別個の長編小説として独立した経緯がある。それゆえ『親和力』と『遍歴時代』 には共通する要素を見出せるはずだが,両者の関係を論じた先行研究は意外にも多くな い。1)『親和力』と『遍歴時代』に登場するディレッタントを比較検討し,両作品にテー —————————

テクスト: Johann wolfgang Goethe: sämtliche werke nach Epochen seines schaffens. Hg. von karl Richter in Zusammenarbeit mit Herbert G. Göpfert u. a. München (Carl Hanser) 1985–1998. 括弧内に該当巻数,ページ数を示す。その他,必要に応じて次のゲーテ全集 を使用する。

Johann wolfgang Goethe: sämtliche werke. Briefe, Tagebücher und Gespräche. 40 Bde. Hg. von Hendrik Birus u. a. Frankfurt am Main (Deutscher klassiker Verlag) 1987–2013. [=Fa]

1) クリスティアン・ミッテルミュラーによれば,ゲーテの四つの小説を概観する研 究を除くと,『親和力』と『遍歴時代』をひとつのテーマのもとに比較分析するモノグラ

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マのつながりを見出すことは,研究史の穴を埋める点でも有意義である。 今日,ディレッタントという言葉は専門的能力に欠ける仕事の下手な素人をもっぱら 意味するが,2)元来イタリア語で「楽しむ人」を表すこの言葉に否定的ニュアンスが付 与されるのは,ドイツでは18世紀後半のことである。この頃市民層が芸術の受容や創 作に参加するようになると,従来貴族階級がみずからの身分を誇る称号であったディレッ タントの語は,ネガティブな文脈でも使われるようになった。3)若干の例外はあるもの の,4)カール・フィリップ・モーリッツやフリードリヒ・シラーをはじめとするドイツ の作家たちの多くは,ディレッタントに厳しい評価をくだしている。5)その後もおおむ ね否定的評価が続き,19世紀末にはディレッタントは道徳の退廃やデカダンの問題とも 結びつけられた。6) ドイツでディレッタントの存在が注目を集めるようになった18世紀末において,ゲー テはその問題にもっとも精力的に取り組んだ作家のひとりである。事実,ディレッタン —————————

フィーはほとんどないという。Christian Mittermüller: sprachskepsis und Poetologie. Goethes Romane „Die wahlverwandtschaften“ und „wilhelm Meisters wanderjahre“. Tübingen (Max Niemeyer) 2008, s. 5, anm. 12.

2) 例えばブロックハウスドイツ語辞典には,ディレッタントについて「(たいてい 蔑みの意味で)いいかげんに,あるいは必要な知識と能力をもたずに仕事をこなす人。素 人仕事をする人,能なし」とある。Gerhard wahrig u. a. (Hg.): Brockhaus wahrig. Deut-sches wörterbuch in 6 Bdn. stuttgart (F.a. Brockhaus, wiesbaden, und Deutsche Verlags-anstalt) 1981. Bd. 2, s. 234f. またドゥーデン外来語辞典には、「(しばしば蔑みの意味で) 非専門家。専門的な教育を受けずに芸術や学問にかかわる人」とある。Dudenredaktion (Hg.): Duden. Fremdwörterbuch. 8., neu bearbeitete und erweiterte auflage. Mannheim u. a. (Dudenverlag) 2005. Bd. 5, s. 234.

3) ユルゲン・シュテンツェルは,1750 年代に勃発した貴族のヨアヒム・フォン・ モルデニットとその師匠で市民階級に属するヨーハン・ヨアヒム・クヴァンツの諍いを 紹介している。みずからのほうがフルートの演奏を熟知していると考えたモルデニット に対して,クヴァンツは手紙のなかで侮蔑的なニュアンスをこめてディレッタントの言 葉を使ったという。Jürgen stenzel: »Hochadeliche dilettantische Richtersprüche«. Zur frühes-ten Verwendung des wortes ›Dilettant‹ in Deutschland. In: Jahrbuch der deutschen schiller-gesellschaft 18 (1974), s. 235–244, hier s. 239f.

4) 例えばゲーテと親交のあったヨーハン・ハインリヒ・メルクの文章からは,ディ レッタントに対する肯定的評価が読み取れる。Johann Heinrich Merck: Zürich. In: Johann Heinrich Merck: werke. Bd. 2. Hg. von arthur Henkel. Frankfurt am Main (Insel) 1968, s. 547–550, hier s. 548.

5) モーリッツ自身はディレッタントという言葉を使っていないが,その美学論がシ ラーとゲーテのディレッタント批判に大きな影響を与えたと考えられる。Vgl. Hans Rudolf Vaget: Das Bild vom Dilettanten bei Moriz, schiller und Goethe. In: Jahrbuch des Freien Deutschen Hochstifts (1970), s. 1–31.

6) Vgl. Hans Rudolf Vaget: Der Dilettant. Eine skizze der wort- und Bedeutungsgeschichte. In: Jahrbuch der deutschen schillergesellschaft 14 (1970), s. 131–158. 小黒康正: 孤独化す るディレッタント―ブールジェ,マン,カスナーの場合[九州大学独文学会『九州ド イツ文学』第 26 号,2012,1–26 頁]。

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トに関する昨今のさまざまな領域の研究でもゲーテは重要な位置を占めているが,7) の最大の理由は,ゲーテが1799年にシラーと共同で構想したひとつのプロジェクトに ある。このプロジェクトにおいてゲーテとシラーは,ディレッタントが芸術創作におよ ぼす悪影響を分析し,批判しようと試みた。プロジェクトはわずか5カ月足らずで挫折 してしまったものの,ゲーテとディレッタントの問題に関して先駆的な研究を行ったハ ンス・ルドルフ・ヴァジェーはこの計画をディレッタンティズム・プロジェクトと呼び, 「もし実現していればヴァイマール古典主義の主要ドキュメントと見なされただろ う」8)と評価する。プロジェクトの挫折後,ゲーテは『親和力』と『遍歴時代』におい てディレッタントを描き続けたが,二作品のなかでどのようにディレッタントの問題を 掘り下げていったのだろうか。この問いを論究するにあたり,ヴァジェーの研究は参照 する価値がある。ヴァジェーは,1980年の論文9)において『親和力』の主人公エードゥ アルトを,1983年の論文10)において『遍歴時代』に登場するヨセフ2世を,それぞれ自 己欺瞞と模倣衝動に基づく生のディレッタントであると説いた。ヴァジェーによれば, エードゥアルトとヨセフ2世は,1799年のプロジェクトで芸術のディレッタントの欠点 と見なされた自己欺瞞と模倣衝動という二つの特徴を人生のレベルで体現しているとい う。ゲーテにおけるディレッタントのテーマが芸術だけでなく生の領域にも及ぶもので あることを明らかにした点で,ヴァジェーの説は注目に値する。11)しかし『親和力』と 『遍歴時代』の作品全体を視野に入れてディレッタントを論じていない点で,彼の研究は 不十分である。また両作品の執筆時にゲーテが強い関心を示していた学問領域のディレッ タントについても,ヴァジェーは考察していない。 以上を踏まえて本稿では,ヴァジェーの論を補足する形で,ゲーテにおいて芸術領域 ————————— 7) ファウストをディレッタントと見るミヒャエル・ヴィーラーの研究から,18 世 紀の絵画史におけるディレッタントの役割を再検討するアレクサンダー・ローゼンバウ ムの研究,さらには 1800 年前後の諸分野でのディレッタントを論じる 2006 年刊行のモ ノグラフィーにいたるまで,ゲーテは格好の考察対象になっている。Michael wieler: Dilettantismus. wesen und Geschichte. am Beispiel von Heinrich und Thomas Mann. würz-burg (königshausen & Neumann) 1996; alexander Rosenbaum: Der amateur als künstler. studien zu Geschichte und Funktion des Dilettantismus im 18. Jahrhundert. Berlin (Gebr. Mann) 2010; stefan Blechschmidt u. a. (Hg.): Dilettantismus um 1800. Heidelberg (Univer-sitätsverlag winter) 2006.

8) Hans Rudolf Vaget: Dilettantismus und Meisterschaft. Zum Problem des Dilettantis-mus bei Goethe. Praxis, Theorie, Zeitkritik. München (winkler) 1971, s. 10.

9) Hans Rudolf Vaget: Ein reicher Baron. Zum sozialgeschichtlichen Gehalt der „wahl-verwandtschaften“. In: Jahrbuch der deutschen schillergesellschaft 24 (1980), s. 123–161.

10) Hans Rudolf Vaget: Johann wolfgang Goethe: wilhem Meisters wanderjahre (1829). In: Romane und Erzählungen zwischen Romantik und Realismus. Hg. von Paul Michael Lüt-zeler. stuttgart (Reclam) 1983, s. 136–164.

11) もっとも,早い時期にカール・ヴィエトールがヴェルターとエードゥアルトを 「生のディレッタント」と呼んでいるが,そのテーマをより広い視野のもとで作品解釈と 結びつけたのはヴァジェーの功績である。Vgl. karl Vietör: Goethe. Dichtung, wissenschaft, weltbild. Bern (a. Francke aG.) 1949, s. 210.

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のみならず,学問領域,さらには生の領域のディレッタンティズムが問題になることを, まず古典主義期のプロジェクトから『親和力』への変化において跡づける。次に,『親和 力』と同様に『遍歴時代』においてもさまざまな領域で展開されているディレッタンティ ズムを分析する。そして最終的にゲーテが,近代を一面性の時代として描くなかで,ディ レッタンティズムがもつ可能性をどのようにとらえていたのかを明らかにしたい。その ためにまずは,1799年のプロジェクトを概観しておこう。 1. ディレッタンティズム・プロジェクトとその挫折 ゲーテとシラーはディレッタントの芸術創作を批判的に検討しようと論文の執筆を目 指していたが,途中で挫折したため,プロジェクトの概要を物語る基本資料は,論文の ためのシェーマと二つの草稿(「ディレッタンティズムについて」と「いわゆるディレッ タンティズムについて,あるいは諸芸術における実践的愛好」)である。12)ミュンヘン版 全集においてシェーマは全部で20頁,二つの草稿はそれぞれ3,4頁ほどの量しかない。 草稿では芸術におけるディレッタント一般の特徴が分析されている一方で,シェーマで は造園,音楽,演劇,建築,舞踊などの八つの芸術分野において,ディレッタントのも つ肯定的側面と否定的側面とが,メモ風の箇条書きでまとめられている。1799年5月頃 からゲーテはプロジェクトに着手し,草稿やシェーマを作ったが,9月には計画は頓挫 してしまった。 草稿「ディレッタンティズムについて」では,ディレッタントの欠点が叙述されてい る。ディレッタントが「時代の傾向に追随する」(Bd. 6.2, s. 174)点,さらには芸術作 品から多大な影響を受けていながら,その影響を「客観的な根拠や動機と取り違える」 (Ebd.)点に批判が向けられる。時流に流される模倣衝動と,芸術作品から受けた印象を 自分自身の力と信じ込む一種の自己欺瞞とが,ディレッタントの根本的な問題点と見な された。すなわち,ディレッタントは主観性や感傷性に特徴づけられる。13)その一方で, 「初期の諸段階のこの上なく厳密な規則に従い,その上であらゆる段階を非常に正確に遂 行しようとするとき」(Bd. 6.2, s. 175),ディレッタントは許容される。換言すれば, 「ディレッタントは芸術家よりも厳格な判断に従わなければならない」(Ebd.)。他方,芸 術家,すなわち「マイスター」(Bd. 6.2, s. 174)は,ディレッタントに欠如している芸 術規則や知識の体得者であり,すでに「あるたしかな芸術基盤に基づいている」(Bd. 6.2, ————————— 12) ミュンヘン版全集には,このほかにもゲーテの草稿が二つ収録されているが(Bd. 6.2, s. 1039f.),どちらの内容もシェーマや「ディレッタンティズムについて」と重複し, 分量もそれぞれ 1 頁に満たない。 13) ヘルムート・コープマンは,敬虔主義の影響で勢力を増した感傷癖にディレッタ ントの主観的な芸術態度の一因を見ている。Helmut koopmann: Dilettantismus. Bemer-kungen zu einem Phänomen der Goethezeit. In: studien zur Goethezeit. Festschrift für Lie-selotte Blumenthal. Hg. von Helmut Holtzhauer u. a. weimar (Hermann Böhlaus Nachfolger) 1968, s. 178–208, hier s. 199.

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s. 175)。このように客観的な芸術規則を重視するプロジェクトは,古典主義期の価値観 を多分に反映している。 プロジェクトが実現しなかった理由はこれまでにいくつか指摘されてきたが,14)なか でももっとも有力な原因のひとつは,シラーとゲーテの立場の相違である。理論家のシ ラーと異なり,ディレッタントとしての自覚を抱いていたゲーテは,シェーマの図式的 分類に疑問を感じるようになった。15)またプロジェクトと同時期の短編『収集家とその 友人たち』(1799)においてディレッタントとその仲間による芸術論議を描いた後,小説 によってディレッタントのテーマを扱いたいという思いがゲーテのなかで大きくなった と考えられる。16)先行研究には,プロジェクトのディレッタント観とその後の小説の記 述内容との一致を論証したものもあるが,17)芸術理論の範疇にとどまらない問題である からこそ,ゲーテは小説のなかでディレッタントを描き続けたのだろう。そこで,プロ ジェクトの挫折後に書かれた小説『親和力』において,ディレッタントがどのように描 かれているのかを次に見てゆきたい。 2 『親和力』における学問と生のディレッタンティズム 『親和力』の主人公たちのディレッタントとしての造園活動が1799年のシェーマで批 判された内容を反映していることは,従来の研究でも指摘されてきた。18)しかしその際, 作中のマイスターについて論じられることはほとんどない。造園のマイスターである庭 師は,第1部第17章で,流行りの植物ばかりを育てるエードゥアルトの造園を無意味な ものとして批判する。「接ぎ木して育てて,ようやく実がなると,そのような木々を庭に おくのに,骨を折る価値がないと分かるのです」(Bd. 9, s. 392)。プロジェクト構想時 と同様に,庭師はたしかな知識や技能をもたないディレッタントの上に立っている。し かし着目すべきは,第2部において庭師が第1部と異なる状況に陥る点である。庭師は ————————— 14) ローゼンバウムは,プロジェクトの成果を発表する予定であった芸術雑誌『プロ ピュレーエン』の廃刊を挙げる。Rosenbaum: a. a. O., s. 142f. またコープマンは,天才 性に欠けるディレッタントは結局杓子定規に陥るため,プロジェクトで重視した芸術規 則の遵守が大きな意味をもたないことが判明したからだと述べる。koopmann: a. a. O., s. 205.

15) Vgl. Vaget: Dilettantismus und Meisterschaft, s. 209f. 16) Vgl. ebd., s. 207 und 210f.

17) たとえば以下の研究は,プロジェクトのディレッタント観を図式的に当てはめて 『親和力』を分析しているきらいがある。Hermann Bitzer: Goethe über den Dilettantismus.

Bern (Herbert Lang & Cie) 1969; werner schlick: Goethe’s „Die wahlverwandtschaften“. a middle class critique of aesthetic aristocratism. Heidelberg (Universitätsverlag C. winter) 2000, s. 39–163. また本稿とは直接的に関係はないものの,プロジェクトに着目しつつ『修業 時代』におけるディレッタントの問題を論じた研究として,次のものが挙げられる。Ill-sun Joo: Goethes Dilettantismus-kritik. „wilhelm Meisters Lehrjahre“ im Lichte einer ästhe-tischen kategorie der Moderne. Frankfurt am Main (Peter Lang) 1999.

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「最近開けてきた植物学の無限の領域を前にして,そこで飛び回っている耳慣れない名前 にある種のおじ気を感じて,不快な気持ちになった」(Bd. 9, s. 464)。植物学の急速な 発展に伴う学問知識の氾濫を前にして,プロジェクト構想時はディレッタントにとって 絶対的規範であったマイスターの地位は危うくなる。このようにゲーテは『親和力』に おいて,プロジェクトの頃と同様に芸術領域のディレッタントとマイスターとを対置さ せる一方で,近代科学の発展が両者の関係におよぼす影響をも描いている。『親和力』に おけるディレッタントの問題を論じるためには,先行研究のようにシェーマや草稿の記 述をあてはめるのではなく,むしろプロジェクトとの相違点に着目すべきだろう。その ため以下では,プロジェクトで考察されなかった学問と生という二つの領域において, 『親和力』のディレッタントを分析する。 2.1 エードゥアルトと大尉―学問のディレッタント 『親和力』で学問のディレッタントが描かれるのは,第1部第4章の化学をめぐる会 話である。シャルロッテに親和力という言葉の意味をたずねられた大尉は,かつて学ん だ内容が「最近の学説に合っているかいなかは,私にも分からない」(Bd. 9, s. 314)と 不安を口にする。エードゥアルトがその後に続く。 「本当にひどいことだ」とエードゥアルトが叫んだ。「今では学んだことが一生の間 通用するなんてありえないんだ。ぼくたちの先祖たちは,若い頃にうけた授業に頼っ ていた。でも今やぼくたちは,完全には流行に乗り遅れたくないと思うならば,5 年ごとに学び直さねばならない。」(Ebd.) 1660年に発足したイギリスの王立協会の例を見ても分かるように,学問の細分化が進む 以前は,貴族階級のディレッタントたちが,自由に科学を研究する環境が整ってい た。19)しかし,専門の研究に従事する学者が増え始めると,ディレッタントの仕事はと きに価値の低いものとして扱われるようになる。ゲーテ自身,1784年の人間の顎間骨の 発見や『色彩論』(1810年)などのみずからの自然研究に対する大学やアカデミーの学 者の冷淡な態度に大きな失望を味わった。科学が発展するなかで次々に新しい知識を習 得することに学者たちは疑いの目を向けないが,大尉とエードゥアルトはディレッタン トとして,その時々の流行を追いかけることに腐心しなければならなくなった学問世界 の状況を悲観する。 ————————— 19) エリーザベト・シュトラウスによれば,王立協会のメンバーであったディレッタ ントたちは,もっぱらデータの収集に従事し,理論の形成や科学法則の発展に関心をも たなかったが,抽象的な議論よりも経験を重視するその態度が,科学を世間に開かれた ものにしたという。Elisabeth strauß: Zwischen Originalität und Trivialität. Die Rolle der virtuosi für das wissenschaftsprogramm der Royal society. In: Dilettanten und wissenschaften. Zur Geschichte und aktualität eines wechselvollen Verhältnisses. Hg. von Elisabeth strauß. amsterdam u. a. (Rodopi) 1996, s. 69–82, hier s. 82.

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学者たちは学問領域を次第に占有してゆき,多くの専門用語を作り出すが,彼らの世 界だけで通用するそのような言葉は,知識をもたない外部の人間を排除してしまう。そ れゆえ大尉は,親和力の現象を説明する際,素人のシャルロッテにとって理解の妨げと なる専門用語を「おぞましい」(Bd. 9, s. 319)ものとして退け,代わりに実験を見せた いと述べる。エードゥアルトも,なじみのない人にとって専門用語が「面倒なもの,い やそれどころか滑稽なものと思われるにちがいない」(Ebd.)と語り,アルファベットに よって親和力の現象を説明する。専門家の世界から閉め出されたディレッタントは専門 家と素人とのあいだに立ち,ときに両者を仲介するのだ。20)芸術領域だけを考察してい たプロジェクトと異なり,『親和力』では学問領域においてもディレッタントが登場する が,彼らは外部に対し閉ざされてゆく学者の世界を批判するだけではなく,専門家と素 人とを結びつける役割も担っているのである。 2.2 エードゥアルト―生のディレッタント プロジェクトとのもうひとつの相違点は,『親和力』においてディレッタンティズム が,芸術領域にとどまらず生の領域にまで拡大することである。第1部第11章でエー ドゥアルトはシャルロッテの靴に接吻するが,このシーンの後に二人は互いに別の人を 思いながら結ばれるため,一見妻への深い愛情表現に見えるエードゥアルトの行動は, 実際は偽りの愛である。ヴァジェーは,エードゥアルトの行為の動機を,「あの方の靴に 口づけしたいと思う」(Bd. 9, s. 360)という直前の伯爵の発言に求めている。靴への接 吻が伯爵からの受け売りにすぎないにもかかわらず,エードゥアルトはそれを真の愛情 表現のように見せかけるのだ。21)古典主義期のプロジェクトで分析された芸術のディレッ タントの二つの欠点,すなわち模倣衝動と自己欺瞞とをエードゥアルトが人生の原理に していることを,ヴァジェーは生のディレッタンティズムと呼ぶのである。 さらにヴァジェーは,オッティーリエへの愛を語る第1部最終章の独白に,生のディ レッタントとしてのエードゥアルトの性質が表れていると説く。22) ぼくは面と向かってではないにせよ,おそらく気づかないところで非難されてきま した。あいつはたいていのことで,へまばかりし,下手くそなことをするだけだと。 そうかもしれません。しかしぼくは,それでなら自分がマイスターになれるものを3 3 3 3 3 33 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 まだ見つけていなかったのです3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 。愛する才能において,ぼくをしのぐ人を見てみた ————————— 20) 例えばエリーザベト・シュトローヴィックは,シャルロッテをディレッタントと 見做している。Elisabeth strowick: Poetik des Dilettantismus in Goethes „Die wahlverwandt-schaften“. In: Poetica 39 (2007), s. 423–442, hier s. 435. しかし,化学の知識をもたず,日 頃専門書を読む習慣のないシャルロッテはディレッタントとは言い難い。むしろディレッ タントは,ある程度の化学の知識をもち,好んで実験を行うエードゥアルトと大尉であ り,両者と素人のシャルロッテとの関係に着目すべきだろう。

21) Vaget: Ein reicher Baron, s. 144f. 22) Ebd., s. 141f.

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いものです。(Bd. 9, s. 397)[強調は筆者] 古典主義期のプロジェクトでは芸術領域において使われた「マイスター」という言葉が, 新たに恋愛の問題に関して用いられることで,ディレッタンティズムは人生のテーマと 結びつく。23)またエードゥアルトは,みずからの造園や演奏に対して「面と向かってで はない」非難がなされてきたと考えているが,それは例えば大尉の批判を指しているだ ろう。第1部第13章で,みずからのヴァイオリン演奏に対する大尉の非難をエードゥ アルトは伝え聞く。遊び半分の演奏に対する大尉の言葉は,「目標を目指して努力するこ とがない」(Bd. 6.2, s. 175)芸術のディレッタントを分析したプロジェクトの頃の批判 意識に基づいているが,芸術のディレッタントに向けられた非難は,エードゥアルトに よって生の領域の問題へと移される。独白のなかで「そうかもしれません」と自身の技 術の未熟さを認めた直後に,エードゥアルトは恋愛の「マイスター」,「愛する才能」を 自負するのである。 小説の第2部最終章でも,エードゥアルトは生のディレッタントとしてふるまう。愛 に悩むオッティーリエが絶食し息絶えた後,彼は同じように断食によって死のうと試み る。「真似できないことを真似する」(Bd. 9, s. 529)ことでオッティーリエへの究極的な 愛を成就しようとするエードゥアルトは,第1部と同様に模倣衝動に突き動かされてい る。しかし断食に苦しむエードゥアルトは,「殉教にさえもすぐれた才能が必要なんだ」 (Ebd.)と嘆息し,「才能」という言葉を生死の問題と結びつける。みずからの行く末を 決定するオッティーリエとそれを模倣しようとするだけのエードゥアルトは,天才とディ レッタントの関係に等しいとヴァジェーは説く。24)ここで着目すべきは,エードゥアル トが小説全体に占める位置であろう。第1部と同様に第2部でも,天井画の製作などプ ロジェクトで考察された芸術活動が描かれた後で,エードゥアルトはディレッタントの 問題を人生の領域と結びつける。しかも第2部では,エードゥアルト自身のディレッタ ントとしての芸術活動はほとんど描かれず,第1部の最終章で領地を去った彼が再び戻っ て来るのは,全18章からなる第2部のうち後半の第12章からである。第2部における エードゥアルトの存在意義は,物語の最後で芸術から生へとディレッタンティズムを拡 大する点にこそあると言ってもよい。 以上のように『親和力』においては,プロジェクトで論じられた芸術領域に加えて, 学問領域のディレッタントが問題になるだけでなく,エードゥアルトによる芸術から生 の領域へのディレッタンティズムの拡大が描かれている。そしてこれら三つの領域のディ レッタントの問題は,次の小説『遍歴時代』でも大きな意味をもつことになる。 ————————— 23) シュトローヴィックは,恋愛の下手なエードゥアルトがマイスターを自認する点 にゲーテのイロニーを見出す。strowick: a. a. O., s. 433.

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3 『遍歴時代』における一面性の時代のディレッタンティズム 鉱山学者モンターンの言葉からも分かるように,さまざまな能力を伸ばす「多面的形 成」(Bd. 17, s. 270)に代わり,ひとつの能力に特化することで誰もが社会にとって有用 な存在になるべき「一面性の時代」(Ebd.)の到来が,『遍歴時代』の主要テーマのひと つとなる。それは今日まで続く,専門的技能を重視する傾向のはじまりでもある。『親和 力』ではそのような時代の端緒として,学問の急速な発展と学者たちの世界の閉塞化を 感じつつも,貴族の主人公たちはディレッタントとしての立場を維持し続けていたが, 『遍歴時代』において時代の変化は決定的になる。「悠長なディレッタンティズムの存在 する余地がない」25)一面性の時代にありながら,ゲーテがなぜディレッタントを描き続 けたのかを考察するために,本章ではマジョーレ湖と造形解剖学の各エピソードを分析 した上で,最後にマカーリエ圏とフェーリクスの特性を明らかにする。その前に『親和 力』との接点として,『遍歴時代』の冒頭のヨセフ2世のエピソードを検討しておこう。 3.1 ヨセフ2世―生のディレッタント 聖ヨセフ一代記の絵に昔から感銘を受けてきたというヨセフ2世は,父親と同じ桶職 人の道を選ばず,大工になったことをヴィルヘルムに告白する。絵のなかに「大工の仕 事道具が大変詳しく,かつ正確に描かれているのを幼少期から目にしていた」(Bd. 17, s. 252)ため,大工にあこがれたのだという。このような点からヴァジェーは,ヨセフ2 世を,エードゥアルトと同様の生のディレッタントと見ている。26)エードゥアルトが伯 爵の言葉やオッティーリエの断食の模倣を試みたように,ヨセフ2世もまた聖者を真似 して,人生の重要な要素である職業を決定してしまうのである。 大工になってからも,聖ヨセフに対する模倣欲求は高まってゆく。ヨセフ2世は,ひ とりの女性を聖者の絵から抜け出してきたかのような存在だと感じ,彼女に会いに出か ける。彼が目にしたのは,女性とその亡夫との間に生まれた赤ん坊の姿であった。 するとすぐさま,あの絵のなかでマリアとヨセフの間に,純潔な関係のしるしとし て地面から生えた百合の茎が頭のなかに浮かびました。その瞬間からあらゆる抑圧 が心のなかから取り除かれました。私はみずからのすべきこと,みずからの幸福を 確信しました。(Bd. 17, s. 259f.) 自然な愛情によってではなく,聖ヨセフとマリアとの間に生えた百合の茎を想像し,聖 ヨセフを模倣できたことに思いを馳せてはじめて,ヨセフ2世は幸福を実感する。やが て彼はその女性と結婚するが,職業選択と並ぶ人生の重要な出来事,すなわち婚姻にお —————————

25) Hans Rudolf Vaget: Goethe the Novelist. On the Coherence of His Fiction. In: Goethe’s narrative fiction. Hg. von william J. Lillyman. Berlin u. a. (walter de Gruyter) 1983, s. 1–20, hier s. 15.

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いても,聖者への模倣衝動が決定的な役割を果たしている。27) たしかにヴァジェーの説くように,ヨセフ2世はエードゥアルトと同様の生のディレッ タントであろう。しかし留意すべきは,ヨセフ2世のエピソードは『親和力』に先立ち 1807年頃に口述されていただけでなく,その最初の構想がディレッタンティズム・プロ ジェクトの計画時期にまでさかのぼる点である。28)すなわちプロジェクト構想時にすで に,ゲーテのなかでディレッタンティズムが芸術理論の範疇を越えて生の領域と結びつ いていたことを,ヨセフ2世の物語は示唆している。ヨセフ2世の短いエピソードを書 き上げた後,次は生のディレッタントという同じテーマを近代科学の発展という時代背 景のもとで展開しようと考えて,ゲーテは長編小説『親和力』を書いたのかもしれない。 そしてゲーテの最後の小説『遍歴時代』では,一面性の時代と正面から向き合うなかで, ディレッタンティズムの可能性が模索されることになる。 3.2 マジョーレ湖のユートピア―芸術のディレッタント 教育州は,ある特定の能力を伸ばすために生徒を教育する場として,一面性の時代を 象徴している。例えば,教育州では音楽が素養の基礎とされているものの,下手な子ど もは隔離され,一定のレベルに達するまで孤独な練習を積む。このように「まわり道を 短くする」(Bd. 17, s. 379)ことを重視する教育州の方針は,第2巻第7章のマジョー レ湖における自由な芸術体験とは相容れないものである。教育州にフェーリクスを預け た後,ヴィルヘルムはひとりの画家と行動をともにし,ディレッタントとして絵画鑑賞 を楽しむ。やがてノヴェレ「50歳の男」に登場するヒラーリエと未亡人がヴィルヘルム たちの仲間に加わり,絵画を創作する。画家の歌は「しずかなひとときを,まったく心 から生き生きとしたものに変える伴奏」(Bd. 17, s. 459)である上,彼は「楽器をすぐに 調律し,とても上手に心地よく扱い,その場にいる人々を大変気分良く楽しませること ができた」(Bd. 17, s. 459f.)。教育州はなにかの目的に従事する点に芸術の価値を認め, 芸術家が他の分野に手を出すことを簡単には許さないが,マジョーレ湖において画家は 絵や音楽といった芸術分野を軽々と飛び越え,歌や演奏を楽しむことができる。 エピソードの後半では,ヒラーリエの絵の素質が明らかになる。細部に拘泥してしまっ ていたヒラーリエは,画家の「非常に大胆な筆づかい」(Bd. 17, s. 467)に触発され,「い くつかの主要原則」(Ebd.)を教わると,格段に上達する。そして「師と弟子のあいだに めったに燃え立つことのない至極幸福な競争がはじまった」(Bd. 17, s. 468)。「主要原 則」やこつを教える画家は古典主義期に考察されたマイスターであり,プロの画家を目 指すわけではないヒラーリエは,師のもとで腕を磨くディレッタントである。ただし二 人の交流は,かつて考察されたマイスターとディレッタントの絶対的な上下関係という よりも,むしろ芸術を介したゆるやかな結びつきというほうがふさわしい。有用な能力 ————————— 27) Ebd., s. 146f. 28) 1799 年 5 月 10 日のマイヤー宛て書簡を参照。Fa II, Bd. 4, s. 672f.

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が重視される一面性の時代に失われてゆく自由な芸術体験の喜びを,ゲーテは愛着をこ めて描き出している。それはあたかも,「楽しむ人」というディレッタントの言葉の本来 の意味に立ち戻るかのようでもある。 しかしヒラーリエと未亡人は別れを告げ,「諦念者としての第一級の苦しみのすべて」 (Bd. 17, s. 470)を感じたヴィルヘルムも,ディレッタントとしての芸術の享受を諦め る。マジョーレ湖は,ゲーテが有用な能力に大きな価値がおかれる時代状況を冷静に認 識しつつも,それに抗うように芸術のディレッタントの幸福を描いたひとときのユート ピアなのである。 3.3 造形解剖学―学問のディレッタント マジョーレ湖での体験の後,外科医を目指すヴィルヘルムは解剖学を学ぶが,「自然の 生んだこんなにもすばらしいものをさらにゆがめることへの反感」(Bd. 17, s. 555)か ら,彼は解剖実習において,水死した女性の腕にメスを入れることができない。やがて ヴィルヘルムはひとりの男に出会い,本物の死体の代わりに石膏模型によって人体の知 識を習得する造形解剖学の存在を知る。芸術と解剖学の融合を目指す造形解剖学は確立 された学問領域とは認められず,男と助手を含めわずか数人だけが携わっている技術で ある。造形解剖学者はみずからの技術の価値に自信を抱く一方で,「専門の人間がこの仕 事を見下して話題にする」(Bd. 17, s. 557)ため,「極秘に作業を進めなければならない」 (Ebd.)という。「専門の人間」である解剖学者たちから,造形解剖学者は意識的に距離 をとっている。29)造形解剖学者に弟子入りしたヴィルヘルムもまた,その技術の有用性 を説明する場面において,レナルドーの否定的な反応を見て次のようにいう。「君たちの 述べていることは,僕はもう以前に,学者たちや素人たちからくりかえし聞かされてい るよ。前者は偏見と惰性から,後者は無関心さからそのようなことをいうのだ」(Bd. 17, s. 561)。造形解剖学に従事する人間は,専門家からも素人からも理解されないものとし て,みずから両者の中間,すなわちディレッタントの立場をとるのである。 本稿の第2章で見たように,学問のディレッタントが素人とも学者とも異なる立場に 立つことは,『親和力』の化学をめぐる会話ですでに描かれていたが,造形解剖学のエピ ソードにおいて,学問のディレッタントはより大きな意味を担っている。ヴィルヘルム は,解剖実習用の死体不足に起因する墓荒らしの問題に目を向ける。30)「人体が次第に足 ————————— 29) このことは,ドイツで当時実際に造形解剖学がおかれていた状況を考え合わせる とより納得がゆく。「造形解剖学」と題された文章のなかで,ゲーテはその技術の価値を 説いているが,解剖学者たちの反応を次のように予想する。「専門の人間たちもまた,わ れわれの提案を冷淡な態度で扱うでしょう」(Bd. 18.2, s. 541)。 30) 『遍歴時代』の執筆当時,実際にドイツでは解剖実習用の死体を確保するルート が一部で生まれていたが,解剖学の発展による需要増加に伴い,死体を研究機関に売る ための墓荒らしが横行したという。Vgl. Moritz Baßler: Goethe und Bodysnatcher. Ein kommentar zum anatomie-kapitel in den „wanderjahren“. In: Von der Natur zur kunst zurück. Neue Beiträge zur Goethe-Forschung. Hg. von Moritz Baßler u. a. Tübingen (Max

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りなくなり,珍しくなり,高価なものとなって,生者と死者との間に本当の衝突が起き るだろうね」(Bd. 17, s. 562)。解剖学者たちは研究に必要な死体を入手するために手段 を選ばないが,それによって引き起こされる墓荒らしを,ヴィルヘルムは生者の側の論 理で死者の世界を蹂躙する行為と見なす。蠟模型を使う造形解剖学の側に立つことで, 彼は知的欲求を満たすために倫理を無視する解剖学者たちを批判するのだ。造形解剖学 者も,ヴィルヘルムの解剖実習が失敗した原因を,知識欲が「人間性という感情」(Bd. 17, s. 561)の前に消え去ったからだとする。身体を無機質な研究対象としてだけ見る解 剖学者とは対照的に,ヴィルヘルムの人間らしさが擁護される。『親和力』では,エー ドゥアルトと大尉は外部に閉ざされてゆく学問世界を批判していたが,造形解剖学のエ ピソードにおいてディレッタントは,学者たちが見失ってしまっている倫理を体現して いるのである。 たしかに,世間で造形解剖学が認められる余地がないことをヴィルヘルムはレナルドー に語っている。しかしマジョーレ湖の場合と同様に造形解剖学のエピソードにおいても, ゲーテは一面性の時代の避け難さを冷静に捉える一方で,人間性を失わない学問領域の ディレッタントの姿を描いているのである。 3.4 ディレッタンティズムの可能性―マカーリエとフェーリクス ヴィルヘルムは,生のディレッタントであるヨセフ2世の物語に共感し,マジョーレ 湖ではディレッタントとして芸術を享受する。造形解剖学修業では学問のディレッタン トとして活動する。たしかに物語の最後で,ヴィルヘルムは専門の能力を身につけた外 科医になって登場するが,彼に体現されるディレッタンティズムが一面性の時代の前に 屈したわけではないだろう。ヴィルヘルムのように多様な領域に関わろうとするディレッ タントが生き残る余地を,ゲーテは最終的にマカーリエとフェーリクスに託しているよ うに思われる。第1巻第10章では,マカーリエと天文学者の間で以前からかわされて いた数学の話に加わろうとして,ヴィルヘルムは次のように述べる。 どんなになじみのない物事について話されるのを聞いても,私はそのなかから常に なにかを取り出すことができました。だってひとりの人間の興味をひくものは,他 の人間のなかにも共鳴するでしょうから。(Bd. 17, s. 349) この言葉は,さまざまな物事に興味をもつディレッタントとしてのヴィルヘルムの性質 を物語るが,31)マカーリエと天文学者もそのような彼の立場を快く受け入れる。天体観 測の場面では,ヴィルヘルムが不思議な夢の内容を語ると,それが科学的思考を越えて マカーリエの精神世界に迫ろうとする「奇跡」(Bd. 17, s. 354)であることを天文学者も ————————— Niemeyer) 1997, s. 181–197. 石原あえか: 科学する詩人ゲーテ(慶應義塾大学出版会) 2010,95–96 頁。

31) Vgl. steffen schneider: archivpoetik. Die Funktion des wissens in Goethes „Faust II“. Tübingen (Max Niemeyer) 2005, s. 52.

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認める。マカーリエのもとでは,学者もディレッタントも,彼女の理解者として互いの 立場を認め合い,共存することができる。また,マカーリエの周囲ではディレッタント の芸術活動や学者同士の交流も許される。詩作が趣味の少佐は,ノヴェレ「50歳の男」 のなかではディレッタントとして苦境に立たされていたが,第3巻第14章でマカーリ エを囲む一員として物語に再登場する。少佐は「文学愛好者,それどころか教訓詩人と してさえ賞賛に値し,天文学者やその他の家人たちから快く迎え入れられた」(Bd. 17, s. 666)。さらに第3巻第14章では,山に籠る孤独な地質学者であったモンターンが,マ カーリエの家で天文学者というふさわしい話し相手を見つけ,科学の会話を楽しむ。 このようにさまざまな領域・立場で活動する人々を結びつけるマカーリエは,化学の 会話におけるエードゥアルトや大尉のように,専門家と無知な素人との間に立ち,とき に両者を仲介するディレッタントの役割を思わせる。もっとも,マカーリエ本人は実体 に乏しく,みずから芸術創作や自然科学研究に携わることはない。この点に,ヴァジェー の説く生のディレッタントとの決定的な違いがある。ヴァジェーは,『親和力』と『遍歴 時代』のなかに模倣衝動と自己欺瞞に特徴づけられる二人の生のディレッタントを見出 したが,ヨセフ2世の物語はひとつのエピソードにすぎず,エードゥアルトは小説の最 後で命尽きる。人生におけるディレッタンティズムの問題を考え続けたゲーテは,『遍歴 時代』のマカーリエにおいて,ディレッタントというひとりの人間ではなく,それを超 越した存在,すなわち人間の生をゆたかにするディレッタンティズムの精神ともいうべ きものにたどり着いたのではないだろうか。ヴィルヘルムはマカーリエの家で星空を見 上げながら,次のようにみずからの過去を振り返る。「誰がいささかもうろたえずに,み ずからの過ぎ去った人生を振り返るというのか。その人はたいてい気づくだろう。意志 は正しく,行動は間違っていた,欲求は非難すべきものでも,得られたものは望ましい ものであったと」(Bd. 17, s. 351)。マカーリエのもとであれば,ヴィルヘルムは『修業 時代』の頃のディレッタントとしての演劇の挫折や,マジョーレ湖での絵画鑑賞や,ま た造形解剖学の修業さえも人生の遠回りではなく,かけがえのない経験として受けとめ ることができるだろう。一面性の時代において,マカーリエ圏は多様な人々を結びつけ るだけでなく,機械のように効率化を目指す生き方とは異なる,人間らしい生のあり方 を受けいれるのである。 そしてディレッタンティズムの未来を暗示するもうひとりの登場人物は,ヴィルヘル ムの息子フェーリクスである。フェーリクスが教育州で学んだ乗馬や筆記の技術が一人 前のレベルに達しない点に,ヴァジェーは教育州のプログラムの挫折を読み取ってい る。32)たしかに,教育州で訓練を積んだにもかかわらず小説の最後で落馬してしまう フェーリクスは,まだ有用な能力を身につけていない。しかしフェーリクスは,ヴァ ジェーが批判する自己欺瞞と模倣衝動とに特徴づけられる生のディレッタントとして描 かれてはいない。『遍歴時代』の最後で落水した後,「愛情深い外科医」(Bd. 17, s. 687) —————————

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ヴィルヘルムの処置によって,彼は一命をとりとめる。この箇所にひとつの能力に特化 したヴィルヘルムの姿を看取する研究は多いが,33)それと同時に強調されるべきは,白 紙の存在ともいうべきフェーリクスへの世代交代であろう。教育州のプログラムから逸 脱したフェーリクスは,父親のヴィルヘルムのように,ときに芸術や学問のディレッタ ントとして活動するかもしれず,あるいはヨセフ2世のような生のディレッタントの話 に感動するかもしれない。一面化が進行し続ける世界をフェーリクスがどのように生き 抜くのか。その答えは読者にゆだねられる。ディレッタンティズムの可能性に対する開 かれた問いを残して,『遍歴時代』は物語の幕を閉じるのである。 おわりに ゲーテは,プロジェクトでシラーと取り組んだ美学的分析を断念した後,小説表現の 力を借りてディレッタントの問題を探究した。『親和力』では,古典主義期に考察された 芸術領域のディレッタントとマイスターとの関係の変容が近代科学の発展した時代状況 を映し出す。さらに学問領域のディレッタントが,外部に閉ざされてゆく学者の世界を 批判し,専門家と素人とを仲立ちする。またエードゥアルトは,プロジェクトで芸術の ディレッタントの欠点と見なされた自己欺瞞と模倣衝動とに特徴づけられる生のディレッ タントとして,物語の筋の進展とともに芸術から生の領域へとディレッタンティズムを 拡大する。『遍歴時代』のヨセフ2世のエピソードがプロジェクトと同時期に構想されは じめていたことからも,すでに早い時期にゲーテのなかでディレッタントは人生の問題 と結びついていたといえるが,そのテーマがプロジェクト挫折後にはじめて展開された 小説は『親和力』であった。 『遍歴時代』においてゲーテは,一面性の時代と対峙するなかで,ディレッタントを登 場させている。マジョーレ湖と造形解剖学修業のエピソードではそれぞれ,芸術のディ レッタントの幸福と,学問のディレッタントによる学者批判とが描かれる。しかし,最 終的にゲーテが人生におけるディレッタンティズムの可能性を託したのは,マカーリエ とフェーリクスであった。フェーリクスは父親のヴィルヘルムに代わり,一面化の流れ から自由な存在として,物語の最後にディレッタンティズムの未来を象徴する。またマ カーリエ圏にヴィルヘルムがはじめて参入する場面には,ゲーテがディレッタントに大 きな価値を見出していた理由が端的に示されているかもしれない。なじみのない物事か らも「常になにかを取り出すことができました」というヴィルヘルムに「ある種の精神 の自由」(Bd. 17, s. 349)がそなわっていることを,天文学者は認める。多様な事柄に関 心を抱くディレッタントの性質は「精神の自由」として評価されるのだ。『親和力』を経 ————————— 33) 例えばアンネリーゼ・クリンゲンベルクは,冒頭のヨセフ 2 世のエピソードを ディレッタントの物語と解釈するならば,小説の最後でヴィルヘルムは,塔の結社の有 能な一員として専門的能力を発揮するマイスターになっていると主張する。anneliese klingenberg: Goethes Roman „wilhelm Meisters wanderjahre oder die Entsagenden“. Quel-len und komposition. Berlin u. a. (aufbau) 1972, s. 43.

(15)

て『遍歴時代』においてはじめて,ゲーテは一面性の時代における「精神の自由」とし てのディレッタンティズムの希望を描くことができたのである。 序論で触れたように,ドイツにおいて元来芸術理論の範疇に限定されていたディレッ タンティズムが19世紀末頃に人生の問題と結びつけられることを考えると,ゲーテに おける芸術から生へのディレッタンティズムの領域拡大は,その概念が後世にたどるこ とになる道筋を先取りしたものである。しかも,世紀末にはときに道徳の退廃など,生 の堕落の元凶と見なされたディレッタンティズムを,ゲーテは「精神の自由」という生 のゆたかさとしてとらえた。それは同時代人の誰よりもディレッタントとしての葛藤を 抱え,その問題を考え抜いたゲーテだからこそ可能であったのだろう。『親和力』と『遍 歴時代』,この二つの作品は,プロジェクト挫折後もディレッタンティズムの可能性を探 究し続けた小説家ゲーテの自分自身との,そして変わりゆく時代との格闘を物語ってい る。

Goethes positive Sicht des Dilettantismus

in Die Wahlverwandtschaften und Wilhelm Meisters Wanderjahre

Yuta I

wasakI

Johann wolfgang Goethe hat auch außerhalb seiner Dichtung in

verschiede-nen Bereichen Großes geleistet; doch war er sich hier, wo er sich auf keinem

Gebiet spezialisiert hat, seines Dilettantismus bewußt. Man kann in seinen vier

Romanen dafür Belege finden. Die vorliegende abhandlung erörtert die Frage,

wie Goethe sich mit dem Dilettantismusproblem beschäftigte, am Beispiel seiner

beiden letzten Romane, Die Wahlverwandtschaften

(1809) und Wilhelm Meisters

Wanderjahre

(1821/29).

Zunächst wird das Dilettantismus-Projekt betrachtet, das Goethe gemeinsam

mit Friedrich schiller 1799 entwarf. Dabei sollten die Mängel eines Dilettierens

in den einzelnen künsten analysiert werden. In diesem Projekt bildet der

Dilet-tant eine kontrastfigur zum Meister. Es wird scharf kritisiert, dass der DiletDilet-tant

immer nur nachahme, sich aber dabei über sein Talent täusche, ja das eigene

schaffen für originell halte. aber das ambitiöse Projekt scheiterte, weil Goethe

nicht die theoretische Erörterung, sondern die Darstellung im Roman für den

besten weg hielt, um den Dilettantismus zu problematisieren. Deshalb wird hier

mit der Änderung von Goethes ansicht über den Dilettanten zugleich der

wechsel von diesem Projekt zur Darstellung von Beispielen für Dilettantismus

in den danach geschriebenen Romanen untersucht.

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auch im wissenschaftsbereich vorgeführt. Hier wird deutlich, dass der Dilettant

eine durchaus nützliche Rolle spielen kann, wenn es darum geht, das

wissen-schaftliche spezialistentum zu kritisieren. wichtig ist zudem die von der

kunst-theorie auf die Lebenspraxis erweiterte anwendung des Begriffs Dilettantismus.

Nach Hans Rudolf Vaget macht Eduard die selbsttäuschung und den

Nachah-mungstrieb, die in dem genannten Projekt für den Dilettanten charakteristisch

sind, zum Lebensprinzip.

In den Wanderjahren wird das Problem des Dilettantismus unter den aspekten

kunst, wissenschaft und Leben thematisiert. Das kapitel sankt Joseph der Zweite

handelt vom Dilettantismus im Leben; in der am Lago Maggiore spielenden

Erzählung geht es um den in der kunst und in den Reflexionen über anatomie

um den im Bereich der wissenschaften. aber angesichts einer „Zeit der

Einsei-tigkeiten“, in der sich die Menschen nach Goethes ansicht immer mehr

spezi-alisieren mussten, stellt er am Beispiel von Makarie und wilhelms sohn Felix

den Dilettantismus auch als eine positive Möglichkeit dar. am Ende des Romans

erscheint Felix geradezu als eine symbolfigur für die Zukunft des Dilettantismus.

Und im kreis um Makarie sind wissenschaftler und Dilettanten freundschaftlich

verbunden. Dort bezeichnet der astronom den Dilettantismus wilhelms als eine

„Freiheit des Geistes“. Man kann daran eine positive auffassung Goethes vom

Dilettantismus ablesen.

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