疼痛理学療法の診療トピックス 519 疼痛理学療法の動向 痛みとは「実質的または潜在的な組織損傷に結びつく,ある いはそのような損傷を表す言葉を使って表現される不快な感 覚・情動体験」であると定義されている(国際疼痛学会 IASP, 1986)。つまり,痛みは,他の体性感覚のような感覚的側面だ けでなく,情動・認知的側面を含めた多面性を有する。さらに, 痛みは,組織損傷に起因する急性痛と,組織損傷との対応が見 いだされず歪んだ認知・情動処理により複雑な病態として表現 される慢性痛に分類されている。また,IASP では,慢性痛は 生物学的所見を伴わず,通常の組織治癒期間(3 ヵ月)を超え て持続するものと提示されている。急性痛に対しては従来の理 学療法で奏効しやすいが,慢性痛に対しては様々な治療をもっ てしても難渋することが多い。そんななか,米国議会による 「Decade of Pain Control and Research 痛みの 10 年(2001 ∼ 2010 年)」宣言は,世界的規模で慢性痛医療・研究に取り組む 潮流を生みだし,疼痛医療の発展に大きなエポックを画した。 世界各国で侵襲的治療のみならず非侵襲的治療に関する検証が 進められ,疼痛理学療法のエビデンスが数多く提示されるに 至った。現在の疼痛理学療法のグローバルスタンダードとして は,生物医学的モデルに基づく痛みそのものに対する対症療法 ではなく,痛みを有する患者,つまり“1 人の個 whole body” を対象とした生物心理社会的モデルに基づくリハビリテーショ ンが推奨されている。 疼痛理学療法評価─疼痛評価を再考する─ 疼痛理学療法が奏功するためには,患者を客観的かつ包括的 に捉えうる評価が必要である。従来,痛みの評価に視覚的アナ ログスケール(VAS)や数値評価スケール(NRS)など痛み 強度,つまり痛み「感覚」の尺度化が広く用いられてきたが, これでは患者全体を包括的に評価できない。なぜなら,前述の ように,痛みには感覚だけでなく心理社会的意義が存在するか らである。Turk1)により提示された「痛みの五重円モデル」 (図 1)をもとに考えると,急性痛と慢性痛それぞれの患者に とって痛みの意義は異なることがわかる。急性痛であれば,組 織損傷による侵害受容とそれに伴う痛みが患者の中で主要なも のであるため,痛みの「感覚」を定量化することで痛みをある 程度は客観化できる。一方,慢性痛では,組織治癒期間を超え ている,つまり侵害受容に対応した痛みではなくなっており, その間に患者は痛み行動をとり続け周囲からの報酬を得ること で,痛みが社会的意味,役割をもつようになっている。こうな ると,痛みの生物医学的評価ではなく,痛み患者の「心理社会」 的評価が必要となる。IASP 支部欧州連盟(EFIC)は,慢性痛 の身体的・心理社会的変化として,「不活動と筋力低下,関節 拘縮」,「食欲・栄養状態の悪化」,「睡眠障害」,「薬剤依存」,「家 族への過剰依存」,「医療・ケアシステムの不適切使用」,「職業 遂行低下,仕事不能」,「社会・家族からの孤立」,「不安,恐怖, 恨み,苛立ち,抑うつ,自殺」,「経済的負担(医療サービスコ スト,他サービス・薬剤コスト,失職,職場問題,収入減少, 経済的・家庭内での生産性喪失,家族・友人・雇用者の経済的 負担,補償コスト・福利・保護返済)」2)を挙げており,理学 療法で一般的に行われる身体機能評価に加え,心理社会的要因 に視野を拡大し評価する必要性がうかがえる。これらの心理社 会的因子は,“yellow fl ags”として痛みのリスクファクターに 含まれている。慢性痛では組織損傷とそれに対応する痛みに 固執することなく,yellow fl ags をもとに,(1)痛み(痛みの 意義と役割),(2)身体的問題(ADL・活動性低下など),(3) 心理的問題(カタストロファイジング,抑うつ・不安など), (4)社会的問題(社会的立場の喪失,生産性の減少など)の 4 大問題が評価・治療のターゲットとなる(図 2)3)。 IASP が推奨する教育カリキュラム4)において,疼痛評価に 関して,急性痛と慢性痛の鑑別,包括的評価,生物心理社会的 評価,痛みの多面性の評価,一般的な疼痛評価法の特性把握, 疼痛評価の修飾因子,信頼性・妥当性・再現性のある評価,治 療効果の確認とプログラム変更に生かす評価,評価への専門職 者の関わりの重要性が提言されており,痛み患者に向き合う医 療者の疼痛評価スキルを向上させる道筋が示されている。以上 のことより,包括的な疼痛評価として臨床で活用できるものを 表 15)にまとめた。 疼痛理学療法介入─疼痛リハビリテーションの考え方─ 従来,我が国では痛みに対し物理療法,徒手療法,装具療法 などが行われてきたが,急性痛と慢性痛を鑑別することなく, 理学療法学 第 40 巻第 8 号 519 ∼ 522 頁(2013 年)
疼痛理学療法の診療トピックス
*
松 原 貴 子
1)2)大会長企画シンポジウム
*Clinical Topics of Pain Physical Therapy 1) 日本福祉大学健康科学部リハビリテーション学科 (〒 475‒0012 愛知県半田市東生見町 26‒2)
Takako Matsubara, PT, PhD: Faculty of Health Sciences, Nihon Fukushi University
2) 愛知医科大学学際的痛みセンター
Takako Matsubara, PT, PhD: Multidisciplinary Pain Centre, Aichi Medical University, School of Medicine
キーワード:疼痛理学療法,痛みの多面性,疼痛評価 Japanese Physical Therapy Association
理学療法学 第 40 巻第 8 号 520 図 2 痛みの yellow fl ags と慢性痛の問題点(文献 3 を改変) 図 1 痛みの五重円モデルにみる痛みの意義─組織が治癒しても痛みは膨らむ─(文献 1 を改変) 1.疼痛の主観的評価 疼痛強度 ・視覚的アナログスケール(VAS) ・数値評価スケール(NRS) ・語句評価スケール(VRS) ・フェイススケール 疼痛性質 ・マクギル疼痛質問表(MPQ) ・短縮版マクギル疼痛質問表(SF-MPQ) 3.身体機能評価 疼痛特異的 ADL 評価 疼痛全般 ・疼痛生活障害評価尺度(PDAS) ・簡易疼痛評価表(BPI) 腰 痛 ・ローランド・モリス機能障害質問表(RDQ) ・オズウェズトリー腰痛障害質問表(ODI) ・日整会腰痛評価質問表(JOABPEQ) 頸部痛 ・頸部機能障害質問表(NDI) ・日整会頸髄症治療成績判定基準 など 4.行動評価
パフォーマンステスト ・timed up and go (TUG) test ・5 分間歩行テスト など 身体活動性 ・活動量モニタリング
・疼痛−行動日誌 など
5.心理評価 ・pain catastrophizing scale (PCS)
・hospital anxiety and depression score (HADS) ・state trait anxiety inventory (STAI) など 6.包括評価
QOL 評価 ・SF-36 など
表 1 包括的な疼痛評価(文献 5 を改変)
Japanese Physical Therapy Association
疼痛理学療法の診療トピックス 521 また,単一的な評価に基づく治療であったため,痛み感覚の変 化に着目するあまり,痛み患者,特に慢性痛患者に対する治療 ターゲットが明確にできず,なおかつ患者にとっての効果,満 足度は低かった。前述したとおり,痛みには多面性があり,特 に精神心理社会的問題が痛み患者の苦痛や障害を生みだしてい る。“疼痛の悪循環”を示す病態モデルとして知られている「恐 怖−回避モデル fear-avoidance model」(図 3)6)7)によると, 誰もが体験する痛みがひとたび生じると,回復に向かうか,悪 循環に陥り痛みを増悪,持続させるかに分かれ,その岐路とな るのがカタストロファイジングとされている。カタストロファ イジングとは,痛みを消極的・破局的に捉え思考する疼痛認知 の極端な偏り・歪みのことで,疼痛の悪循環の主因のひとつ で,痛みを増悪,持続させる代表的な認知的要因である。カタ ストロファイジングのため痛みや状況にうまく対峙できなけれ ば,痛みに関する恐怖や不安がかきたてられ,行動を過剰に回 避するようになり,不活動 disuse,抑うつ depression,能力障 害・社会生活への適応障害 disability といった身体的・心理社 会的機能の障害に至り,痛みがさらに増悪・慢性化することに なる。このサイクルの中で,患者がカタストロファイジング, 恐怖や不安,行動回避・制限,身体的・心理社会的機能の制限 のいずれに強く固執しているのか,逆にいえば,このサイクル のどのポイントが遮断されれば苦痛が減じるのか(ADL/QOL を向上させうるのか),各項目を評価し,前述の 4 大問題とと もに痛み患者の障害像を解釈し,その問題に適した介入プログ ラムを立案することが痛み患者の包括的アプローチとなる。 IASP が推奨する教育カリキュラム4)において,疼痛治療に 関して,評価結果からの適切な治療の抽出・連結,有効な治療 の概念(痛み軽減だけでなく,機能障害軽減と機能向上),患 者本位の介入方法(受け身の治療ではないこと),家族や職場 との連携(社会的役割・立場の復活)が必要とされており,そ のための方法論を表 2 に示す。前項の「疼痛理学療法評価」で 述べたように,急性痛と慢性痛を鑑別したうえで,患者が“本 当に困っていること”を見きわめ,それぞれの痛みに対応した 解決策をエビデンスにもとづき導入することが必須である(表 3)8‒10)。その際,痛みの軽減・消失だけに焦点化するのでは なく,機能障害を改善し,心理社会的問題を好転させることで 図 3 疼痛の悪循環−恐怖 - 回避モデル fear-avoidance model(文献 5 を改変)6) ・患者教育 1)治療に関する神経科学的教育とセルフマネジメント導入の影響,根拠 2)教育学に基づく適切な患者教育 3)年齢,性,文化を考慮した治療における教育の時期 4) 治療的教育のスタイル(生物医学,心理学,神経科学)と提供形態(対面, Web,グループ) 5) 患者(セルフエフィカシー,健康知識,同時罹患率,文化),医療者(医療従 事者の疼痛関連信念),メッセージ(マルチメディアの活用),背景(保険制約, リスク軽減,傷害予防)のような治療効果に影響する要因確認 ・行動学的マネジメント 1)疼痛状態の機能的行動分析 2)持続する機能・能力障害を予想する心理的要因のスクリーニング 3)行動学的アプローチ(身体・認知行動要素)導入と効果評価 ・運動(療法) 1)治療的運動のパラメータ(様式,頻度,期間,強度) 2)疼痛状態,年齢,心理要因,健康状態に関わる運動パラメータの修正 3) 運動の指示書に関わる補助療法(生物心理社会的・恐怖−回避行動学的・カタ ストロファイジング・認知行動療法) 4)治療的運動処方時の患者教育(動機づけ,ペーシングを含む) ・その他の理学療法介入 1)徒手療法(マッサージ,マニピュレーション,モビライゼーション) 2)鍼,3)TENS,4)レーザー,5)リラクセーション,6)バイオフィードバック 表 2 国際疼痛学会教育カリキュラムで提示されている理学療法介入方法論4)
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理学療法学 第 40 巻第 8 号 522 ADL/QOL を向上させることを目指す。急性痛であれば,組 織損傷の部位や程度に対応する痛みが生じているため,痛みそ のものが苦痛になり,様々な機能を制限することになる。その 場合であっても,fear-avoidance モデルにみられるカタストロ ファイジングや極度の恐怖心が過剰な行動回避から不活動,抑 うつ,機能障害をもたらし疼痛の悪循環を招く可能性があるた め,表 3 で示された「安心感を与える」教育的サポートは重要 である。一方,慢性痛では,痛みの因果関係が明確でなく痛み そのものが苦痛となっているのではなく,不適切な疼痛認知・ 行動による様々な身体的・心理社会的障害が ADL 能力や社会 的機能を低下させている。それでも患者自身は「なんらかの原 因があって今の痛みがあり,“痛みそのもの”に苦悩している」 と信じている。したがって,慢性痛患者に対しては,運動療法 (エクササイズ)のほか,生物心理社会的アプローチとして認 知行動療法,助言・指導を含む教育的アプローチ,集学的リハ ビリテーションにより活動性を維持,漸増し,疼痛の悪循環を 断つことが非常に重要となる。また,最近,ニューロリハビリ テーションによる疼痛認知の是正に関する有効性も示されはじ めている。このような患者自らが積極的に参画する主体的なプ ログラムは,ADL や QOL の向上だけでなく,痛みを軽減する ことも示され,世界的に広く普及するようになった。 以上より,疼痛理学療法として,急性痛に対しては“痛みを 長引かせない”ために,物理療法や徒手療法に合わせて早期か らの運動,活動継続を,一方,慢性痛に対しては“不活動と疼 痛悪循環からの脱却”のために,運動,認知行動療法,教育的 アプローチ,集学的リハビリテーションがグローバルスタン ダードといえる。いずれにしても,治療対象は痛みとその原因 ではなく,痛みを訴える“患者”であり,評価であきらかとなっ た身体・心理・社会的機能の復権を目指した治療を医療者は提 供しなければならない。 文 献
1) Turk DC, Okifuji A, et al.: Behavioral aspects of low back pain. In: Taylor J, Twome L (eds): Physical therapy of the low back. W.B. Saunders, Philadelphia, 2000, pp. 351‒368.
2) Alon E: Chronic pain: a disease in its own right. EFIC Newsletter 01/2012, 2012. Available from: http://www.efic.org/userfiles/ EFICNewsletter1_2012(1).pdf 3) 松 原 貴 子: 疼 痛 を 理 解 す る. 理 学 療 法 ジ ャ ー ナ ル.2013; 47: 359‒363. 4) h t t p : / / w w w . i a s p - p a i n . o r g / C o n t e n t / N a v i g a t i o n M e n u / GeneralResourceLinks/Curricula/Therapy/ 5) 松原貴子:疼痛,理学療法技術ガイド(第 4 版).石川 齊,武富 由雄,市橋則明(編),文光堂,東京,2013,印刷中.
6) Vlaeyen JWS, Linton SJ: Fear-avoidance and its consequences in chronic musculoskeletal pain: a state of the art. Pain. 2000; 85: 317‒332.
7) 松原貴子:痛みの基礎,ペインリハビリテーション.松原貴子, 沖田 実,他(編著),三輪書店,東京,2011,pp. 2‒47. 8) Koes BW, van Tulder M, et al.: An updated overview of clinical
guidelines for the management of nonspecifi c low back pain in primary care. Eur Spine J. 2010; 19: 2075‒2094.
9) Balagué F, Mannion AF, et al.: Non-specifi c low back pain. Lancet. 2012; 379: 482‒491.
10) Van Middelkoop M, Rubinstein SM, et al.: A systematic review on the eff ectiveness of physical and rehabilitation interventions for chronic non-specifi c low back pain. Eur Spine J. 2011; 20: 19‒39.
急性痛 慢性痛 教育 安心感を与える(良好な予後の説明) 安心感を与える(良好な予後の説明) 活動・安静 安静回避(必要であれば 2,3 日以内) 活動継続 安静回避 活動継続(再開,漸増) 運動療法 発症後 1 週間は特別なアクティブエクササイズ (筋力増強,ストレッチング,屈曲エクササイズ) を助言しない 軽度なエクササイズを推奨(腰痛教室やマッサー ジと組み合わせて) ・短期教育と合わせて ・ 短期間の脊椎マニピュレーション,筋リラク セーション 管理下でのエクササイズ(高額なトレーニングや マシンエクササイズでなく,特定・特別なタイプ でないもの) 認知行動療法(段階的・漸増的活動とグループ療 法を含む) 集学的リハビリテーション ・短期教育と合わせて ・(必要なら)短期間の脊椎マニピュレーション 認知行動療法 セルフマネジメント ストラテジー(健康増進活動) セルフモニタリング デシジョンメイキング(自己決定) 物理療法 必要に応じて短期間 推奨されない 装具療法 必要に応じて短期間 必要に応じて期間,時間,目的に限って 表 3 非特異的腰痛を例にした疼痛理学療法のグローバルスタンダード8‒10)
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