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Vol.116「【特集】ルネッセ「場」−都市を問い直す」 - 書籍・出版/CEL【大阪ガス株式会社 エネルギー・文化研究所】

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Academic year: 2021

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(1)05. C E L J u l y 2 017.

(2) C O N T E N TS. 02. 対談. 日本的な価値を取り戻し、 再起動へ ――ルネッセ特集にあたって. 松岡正剛[㈱編集工学研究所所長]× 池永寛明[大阪ガス㈱エネルギー・文化研究所所長] 特集. ――都市を問い直す 「場」 ま. ち. Special Feature / “Field” – Reframing the Place 対談. 12 震災が問う社会と 「場」 谷直樹[大阪くらしの今昔館館長]× 三浦史朗[構匠、㈱三角屋取締役] 対談. 18 江戸に学ぶサステナブルな都市のあり方 アズビー・ブラウン[金沢工業大学シニアアドバイザー]× 板東洋介[皇學館大学准教授] 対談. 24 五感でまちを捉え直す 島原万丈[LIFULL HOME’ S 総研所長]× 加藤政洋[立命館大学教授]. 36 外からの目で上方文化の本質に迫る. ──「大阪・和の暮らしを体験する会」成果報告より. 鶴見佳子[文筆家]= 文. C E L. 44 都道府県と旧令制国では、 地域の特性が際立つのはどちらか. ﹄は、. 号まで. 1 1 8. 情報誌﹃. 号から. 「ルネッセ︵再起動︶ 」をテーマに、. 日本社会の抱える問題への. 新たな視点を提起する. 連続特集企画をスタートします。. 」とは、 「ルネッセ︵再起動︶. ︶ 」と ラテン語の「再び︵ ren. 「実在する︵ esse ︶ 」を組み合わせた造語です。. 産業構造が変化し社会の流動化が進むなか、. 従来の制度・ルールと現実とが不適合を起こし. ち. 社会の諸相にさまざまな課題が生じています。. ま. 私たちの生活文化の基盤「都市」に. 蓄えられてきた価値を掘り起こすこと、. 「ルネッセ」させることで、. 未来へつなぐ価値づくりを目指します。. 1 1 6. 30 江戸時代の学びと教え 沖田行司[同志社大学教授]= 文. ──最新のマーケット・データの比較分析から. 林裕之[㈱野村総合研究所主任コンサルタント]= 文. 48 . [連載]. ことばと場. 新しい方言の生成――行カンカッタ・飲マンカッタの生まれるところ. 大西拓一郎[国立国語研究所教授]= 文 表紙・扉/「新板増補大坂之図」。1678 年刊行の大坂全図。水路を張り巡らした 「水の都」大坂のまちのあり方がわかる。 裏 表 紙 /「繁 栄 御江 戸 絵図」 (部分)。 1867年刊行の江戸全図。江戸城を中心 に武家地、町人地、寺社地が広がる。 いずれも『地図で読む江戸時代』 (山下 和正著、柏書房)より. 52 大阪はつながっていく 柴崎友香[作家]= 文. [書籍案内]. 54 「場」を問い直すための 10 冊. [CEL からのメッセージ]. その場所に、 なぜそれがあったのか? 池永寛明.

(3) 対談. [㈱ 編集工学研究所所長]. 松岡正剛. Ikenaga Hiroaki. Matsuoka Seigow. 池永寛明. [大阪ガス㈱エネルギー・文化研究所所長]. 日本的な価値を 取り戻し、 再起動へ ――ルネッセ特集にあたって. 日本的な価値は、古来、我々の生活文化の基盤であった都市に埋め込まれている。 」では、 連続特集企画「ルネッセ(Renesse) 古今東西の情報から日本を日本ならしめる編集法を研究してきた 松岡正剛氏をスーパー・アドバイザーに迎え、 日本的な「本質」を再起動させ、それを現代・未来につなげるべく道筋を縦横無尽に提示する。 栗林成城=撮影. 3. C E L J u l y 2 017. C E L J u l y 2 017. 2.

(4) 都市に埋め込まれた 本質を掘り起こし、 再 起 動 へ. て き じゆく. でしょう。過去には豪商が懐徳堂や適塾をつくり、. かいとくどう. 態も浮き彫りとなり、これも近畿圏の地盤沈下の 日本中の若者に門戸を開き人づくりをした。 とはいっても、余裕がないと文化資本は生み出. 一因かもしれません。首都圏や中部圏に比べてス マホや コマースの利用が遅れています。かつて せないし、シードマネーもつくれません。大阪に. 周 年 を 迎 え、 今 それがないとするならば、第三の方法を見出せば. 号を、「ルネッセ(. はどこよりも新たなものを受け入れ、スピーディ. 号から に自分のものにしていたはずです。阪神・淡路大. 池永 情報誌『CEL』は創刊 いい。やんちゃなもの、ハイブリッドなものなど、 もん. 震災を体験しているにもかかわらず地震保険の加 え. ) 」をテーマに Renesse. ざ. 頁) 。自国との違いに気づく一方、自国との共. 池永 先日、 「大阪くらしの今昔館」で、外国の 方を招いて上方文化体験プログラムを行いました. 新たな異なる情報を編集し、 モデル化してきた大阪. に、心中事件と人形浄瑠璃を組み合わせる発想は. ちかまつもん. 日本のこれからを考えていきます。「ルネッセ(再. り. 他では複合しないような組み合わせを大阪で起こ. およそ. 入率が低い。未来を考えるよりも短期的な行動を. だん. せばいい。近松門左衛門の「曾根崎心中」のよう. こ. とるという傾向が強い。. 起動) 」とは、ラテン語の「再び( ren ) 」 と「 実 在 ) 」を組み合わせた造語です。 する( esse. 地域社会に関わるなかで感じることがあります。 けい. 大阪でしかありえなかった。かつてあったそうい. せ い りよう. なことでもないという意味ですが、いまの大阪は. ほ. 松岡 それを聞いて思い浮かぶのは、江戸後期の 儒学者海保青陵の『稽古談』にある「凡大坂ノ利 うものを取り戻す必要があるでしょうね。. さらに日本は少子高齢が進み、社会・産業構造 いか。また大阪の枠を外れると、すぐにあきらめ. 「利に対する編集力」が弱くなっているのではな. かい. 江戸時代以来「ないものからつくりつづける」東 ニ精シキハ、浅キコトニアラズ」という言葉です。. も大きく変化しているにもかかわらず、価値観や てしまう。どこで間違ってしまったのでしょう。 (. 通項を見たという外国人が多く、まさに文化の本. 在しているはずなのに忘却している。この本質を. された近畿圏には日本的なる「本質」が育まれ存 ます。しかし、この現象の本質を踏まえなければ、. 下の台所」の水路ネットワーク構造とよく似てい. か? 今、インバウンドが伸び、関西空港から大 阪に入り京都、奈良に移動される。かつての「天 松岡 それは大阪だけではなく、日本全体が抱え る問題でもある。日本人が日本文化を説明できて. たということにも大阪の弱体化を感じています。. 一方、私たちが自らの文化を説明できなくなっ. 池永 情報と情報を組み合わせ、新たなものを創 り出す力が弱ってきているのではないでしょう. 」 さ せ る こ と で、 都 市 に 新 た 「 ル ネ ッ セ( 再 起 動 ) 一過性で終わってしまう。. 質で「ルネッセ」の原点になると考えています。. な価値を創造できないかと考えています。. 費構造が鮮明になりました。「ルネッセ」的に考. 阪府より摂津国と捉えた方が地域の人の行動や消. 在の行政区分と旧令制国区分で比べてみると、大. であれば国が予算をつけて観光客が増えるように. していたかもしれません。インバウンドも、東京. 自由なことができるはずだという錯覚を日本中が. です。その理由のひとつに、大阪では好きなこと、. 青陵のいう「利」は、いわば実学です。そこを実. 商都大阪が大きな役割を果たしてきました。海保. を抱えた滋賀、こういった地理・時間軸のなかで. 易港としての神戸、古都としての奈良、壬申の乱. ることができたのは大阪だったのです。. らの情報を編集し、大阪モデルをつくり先頭を切. なぜかといえば、かつての都としての京都、貿. えていくことが必要ではないかと考えています。 計画したでしょう。ところが、大阪は任せていて 地でやれたのは、大阪だけでした。最先端の外か. トロネージュの文化が切れてしまったことも原因. 大阪らしい先駆性を維持できていないのは、パ. も大丈夫だろうと思ってしまった。. 同じ問題意識を感じました。. 松岡 その視点はおもしろいですね。先日、関西 のある銀行関係者と話をする機会がありましたが、. いないのです。まず大阪が率先して、上方の文化 経済や歴史を説明していくべきです。. 分 析 」( 頁 )を 行 い ま し た。 近 畿 圏 の 動 き を 現. その先駆けとして、「近畿における消費行動の 松岡 いろいろな事象、チャンスの兆しは起こっ ているのに、長続きしないのはなぜかという問題. くことができないだろうか。古来より都市が形成. 過去より掘り起こし、現代・未来へとつないでい. 私たちの生活文化の基盤「都市」にある本質を. 合不全が顕れています。. 制度や仕組みが従来のままであるため、諸相に適. くわ. 京に対して、明治以来「なくしたことを隠しつづ 利に精しいのはつまらないことではないし、簡単. e. ける」大阪という地域構造の課題です。. 30. 池永 新しいものに対する受容性が低いという実. 自身が所長を務める編集工学 研究所内での松岡氏。所内に は日本文化に関わる書物が百 科全書的に網羅されている。. 4 C E L J u l y 2 017 C E L J u l y 2 017. 5. 36. 3 44.

(5) 大阪も成功していたのではないでしょうか。たと. ル化を行い、外に展開するところまでができれば、. ちくざん. ど、中井竹山時代に権力にへつらうようなことが えば吉本興業は、じっくりと大阪で吉本モデルを. い. 古代に難波京があり、遣唐使がそこから出て文 起きた。現代も、おもしろいことをやっても、後 つくりあげてから全国に展開して成功しました。. なか. 化の入り口となり、竹内街道を越え飛鳥京へとつ には評判が悪くなったり、余所に出ていったりす 芸人を続々と、全国のメディアや劇場にぶつけて、. どう. 池 永 水 上 物 流 か ら 鉄 道 物 流 へ の 移 行 に つ づ き、 明治末の電話開通も関係する。電信技術の進展に. つくれなかったのでしょう?. ることはできました。なぜそういうものをもっと. それでも阪急文化圏のようなものをつくりあげ. ジェクト化を図り小さく分け、機能性の高いもの. 小さくすることはできないので、モデル化やプロ. 値を生み出す力が消えてしまった。大阪府や市を. そ. る。こうなってしまうことを、もう一度考え直さ. か. 伴う銀行決済システムの変化などで大阪に本店を. に切り替えていけばいいはずです。. よ. ながるパイプがあった。中世では渡辺党が上町台 なければいけません。. ば. 地をつくりあげた。大阪は上町台地にできた街だ. 吉本以外にもありますが、モデル化ができていな. せん. から、まず上町台地型の摂津・船場文化と畿内の 池 永 私 は、 大 阪 が「 大 阪 の た め の も の だ 」 と 思った瞬間から大阪が弱体化したのではないかと い段階で全国展開しようとしたのでうまくいかな. やけせきあん. 私は懐徳堂が好きなのですが、5人の豪商がつ み. つぼ. げつ. おく必然性がなくなった。そのときに大阪として. 池永 時代背景として、 「大大阪時代」であった ことが挙げられます。関東大震災があり、東京の. くりあげてからの三宅石庵時代は素晴らしいけれ を抜いて、 「利に対する編集力」を弱くさせてい. 日本全体のタレントにしていく。大阪発のものは. 各都市文化、歴史の違いを説明できなければいけ いう仮説を立てています。 かった。せっかくできつつあるものを仕上げず手. ません。 松岡 成功した早い段階で編集力をきかせ、モデ る。大阪の企業は、外に出す前に、 「大阪モデル にしてから外に展開する」という大阪合意のよう なものをつくった方がいい。. 産業構造の変化と 上方文化の衰退 池永 編集し、モデル化することが弱くなったの は、大阪市内に大学がなくなったことも大きいと 考えています。 松岡 それはどうしてだったのでしょう? 池永 高度経済成長時代、大阪市域での工場増加 に伴う人口増加が問題になり「工場等制限法」が できたのですが、それは工場だけでなく大学の新 設・増設をも制限するものでした。そして大阪市 内に大学が減った。学生が減り学びの場がなくな り、ビジネスだけの場になってしまった。 松岡 商都大阪の失敗ですね。イギリスが、ラン カスターやバーミンガムなどの工業都市の大学を 大事にしてきたのとは違う。イタリアのミラノや ローマも、アルマーニに見られるファッション産 業やチネチッタに見られる映画産業をつくりあげ てきたのに、大阪の現状は非常に由々しきことで す。メディアの華も咲かなかった。. いちぞう. 松岡 小林一三は阪急をつくったけれども、ほか に挿し木してハイブリッドにするのではなく、小 林文化だけが残ったという感じですね。アメリカ 村と小林文化が合体するなんていうことにはなら なかった。 る. 池永 本来の上方モデルであれば、外国や日本の 優秀な若者を集め、坩堝にして、新たなものを生 み出せたはずです。 けん. 松岡 江戸の研究者たちと上方のことを話すと、 惜しむことが三つあります。まず木村蒹葭堂がア ジア文化をメディアとして取り込んで、知の一大 う. センターにしたのに、それを引き継ぐものが生ま あきなり. れなかったこと。次に『雨月物語』を書いた上田 秋成のように自由に編集できる上方モデルが生ま れたのに広がらなかったこと。さらに、近松門左 衛門と井原西鶴という編集力と早さの両者を語れ る人がいないこと。 池永 天下の台所をつくりあげたトランスファー 文化を失い、明治に入り大きな産業資本、分業モ デ ル に 呑 み 込 ま れ、 も の づ く り と 商 い の 強 み で あったデザイン力が弱まってしまった。 松岡 商業文化を経済にできなかったのですね。 大阪は大きくなりすぎ、コストのかかる大企業・. の情報の流通網の組み替えができなかった。. 「大大阪」として伸びました。が、上方の本質で. 産業構造に巻き込まれ、大阪商人の本質や付加価. 松岡 やはり、才能とかキャパシティといったソ フト面、それから情報という目に見えないものに. ある「トランスファー文化」とは違う産業システ. 資 本 が 大 阪 に 移 り、 東 京 の 代 替 機 能 も 取 り 込 み. だい おお さか. 対し、「利」とは何か、型にするにはどうしたら. ムがつくりあげられたのではないでしょうか。. 松岡 私は、大阪はもっと「煎茶」に賭ければ勝 てたと思っています。抹茶ではなく、秋成も蒹葭. 日本的な文化、精神性を引き継ぎ、 アジアの拠点に. いいのかと考えるところが甘かったのでしょう。. 6 C E L J u l y 2 017 C E L J u l y 2 017. 7. 過去から現在そして未来まで、日本や近畿の文化をめぐる対談は2時間に及んだ。.

(6) に変えたことが、ターニングポイントだったと言. 池永 1960年代に、心斎橋の百貨店が「おい で や す 」 と い う 挨 拶 言 葉 を「 い ら っ し ゃ い ま せ 」. 美学とを両立させていくことです。. と、「ええなあ」「上品やなあ」という船場の高踏. は、ヒョウ柄のようなケバくてギトギトした文化. 松岡 茶室はどこにでもありますが、大阪は茶室 空間を増やすべきたった。もうひとつ大切なこと. が「スマート」と感じとっています。. 宅には江戸以来の文化が残っていて、外国人の方. や掛け軸にも表れています。大正・昭和初期の住. 池永 住文化でいえば、京都と外観は似ています が、大阪らしい実利的、機能的な商人文化が障子. 松岡 あったんだけれど、大阪独自の作法や仕切 りにしなかった。何でも無料サービスにした。. 池永 船場・商人文化のなかにはあったのではな いでしょうか。. て、一杯一銭のやり取りを広げてほしかった。. りあげたしつらえ、ふるまい、おもてなしに対し. 堂も好きだった煎茶文化ですね。抹茶文化がつく. 融合して価値創造される淀川として捉えるべきで. す。観光客が来る街づくりではなく、イコンとア. を取り込み融合させた拠点を大阪は目指すべきで. 阪のアジア化、アジアとのトランスネットワーク. こすべきです。かつてのアメリカ村のように、大. 出して、大阪とアジアのトランスミッションを起. 仙人的なものですよね。こういうものをもう一度. がもっていた心学で、道教はエビスさんみたいな. 松岡 儒教、仏教、道教といったものを捉え直す 必要もあります。儒教はまさに懐徳堂以降の商人. まっています。. の に、 活 躍 す る 場 が 少 な い、 不 適 合 が 起 き て し. なってしまい、大阪で働きたいという女性はいる. 池永 女性文化が花開かないのは、女性の働き場 が少ないということもあります。東京一極集中に. 性的になってしまう文化がありました。. てマヒナスターズが歌っていたような男性すら女. のような女性がしっかりした作品もあれば、かつ. そ れ か ら、 女 性 文 化 も 大 切 で す。 『夫婦善哉』. 松岡 上方文化には江戸の分節力にはない「間」 があるんです。. く変わった。. 動できるかというモデルをつくりあげられたらい. 松 岡 よ い 案 だ と 思 い ま す。 「 場・ 交・ 耕 」 で ト ランスミッションをどうきかせ、どう本質を再起. 池永 そういう精神的な部分が、近畿圏のみなら. 仰とか全てもっている。それを出すべきです。. というのはとても大事なことで、百太夫、淡島信. ていく。ヒルコ的なものが恵比須的なものになる. 松岡 恵比須さんを「えべっさん」と呼ぶのは大 阪だけです。正負がひっくり返り、負が正になっ. 松岡 それが大阪の隠れたよいところです。四天 王寺、蓮如、日想観、俊徳丸、説教節、観音めぐ. る温かい目線がこの地にはありました。. にあり、外から来たものを受け入れ、弱者に対す. 池永 恵比須さんは商人の神様や福の神として知 ら れ て い ま す が、 障 害 を も っ て 生 ま れ た エ ビ ス. が先取りできれば強みになります。. 精神や心を振り返りはじめるでしょうから、大阪. んと考えるまでには至っていませんが、そのうち. イドルに満ちた儒・仏・道を加えた方がいい。ア. 池永 近畿にそのイデオロギー、精神が脈々と流 れています。. りなど、みんな弱者救済型です。. (ヒルコ)が西宮にたどりついたヒルコ伝説が起源. ジア圏の多くはまだ新興国で、儒・仏・道をきち. われています。この100年で大阪の言葉は大き. す。. いですね。. ま. ずこれからの日本にとっても大切ですね。 「ルネッセ」は、 「場・交・耕」をコンセプトに. る チ ャ ン ス で す。 松 岡 さ ん の 編 集 工 学 の 基 本. 池永 人口構造、技術、インバウンドなど劇的な 変化が起こりつあり、都市や都市文化を豊かにす. 「交」では海・川・道などネットワーク網と“交. す。. その方法論でルネッセを進めていきたいと思いま. も自由だ」という言葉があったのが印象的でした。. 「 守・ 破・ 離 」 の「 守 」 に、「 “型”は思ったより. 「耕す・栽培」としての文化です。. る。そして「耕」は、カルチャーの本来の意味の. わる”という視点からトランスファー文化を捉え. 未来という時間軸のなかでの都市のあり方を問い、. ていく予定です。今号の「場」では過去から現代、. め お と ぜん ざい. 松岡 決して大阪だけがダメなのではなく、日本 全体がダメだから、大阪はチャンスと考えるべき 、3号を通して具体的な考察を進め して ( 頁). 松岡 私はかねてから、川を主体に文化をつくる ことができないかと考えています。川は区画を越 えていきますからね。たとえば淀川はどうでしょ. この「場」 「交流」 「文化」を見直し、かつて確. 松岡 期待しています。. 方法 ﹄ ﹃松岡正剛千夜千冊﹄︵全. 巻︶. 7. う?. 実に存在した本質に新たな情報・技術を融合して、 たいと思います。. 都市、 そし て日本 をル ネッセ (再起動)して いき. いけなが・ひろあき. 池永寛明. 池永 淀川は、モノの交易・人と情報の交流の場 でした。天下の台所をつくりあげたのは水路ネッ. まつおか・せいごう. ㈱ 編 集 工 学 研 究 所 所 長、 イ シス 編 年 ㈱ 工 作 舎 設 立、 総 合 雑. 連 載 を 開 始。 ﹃ 知の編 集 工学 ﹄ ﹃知. ブックナビゲーション﹁千夜千冊﹂. ト 上 に イ シ ス 編 集 学 校 を 開 校 し、. トに従事。2000年インターネッ. 文 化 を 重 ね る 研 究 開 発 プロ ジェク. 所 を 設 立。 以 降、 情 報 文 化 と 日 本. 87. の編集術﹄ ﹃多読術﹄ ﹃ 日 本 とい う など著書多数。. 82. 集学校校長。1944年、京都府生 誌﹃遊﹄を創刊。 年編集工学研究. ま れ。. 71. 「場・交・耕」を切り口に 日本を捉え直す. です。. 本の茶室に見立てられた編集工学研究所の 玄関口。床の間がしつらえられ、素木づくりの 本棚には古今東西の全集が設置されている。. 大阪ガス㈱エネルギー・文化研究所 所 長。1959 年、 大 阪 市 生 ま れ。 年 大 阪 ガ ス 入 社 後、 天 然 ガ ス 転 換 部 に て 人 事 勤 労、 営 業 部 門 に て マーケティングに携わる。日本ガス 協 会 に て 企 画 部 長 と し て、 エ ネ ル ギ ー・ 環 境 制 度 設 計 対 応 を 担 務。 大阪ガス帰社後、北東部エネルギー 営 業 部 長、 近 畿 圏 部 長 を 経 て 2016年より現職。. 松岡正剛. ト ワ ー ク で す。 海 と 船 上 輸 送 に て 外 と つ な が り、. 研究所内には「守・破・離」の提灯が吊されている。 基本の型を変幻自在に応用するための思考法だ。. 8 C E L J u l y 2 017 C E L J u l y 2 017. 9. 10.

(7) とは--Renesse(再び [ren]×実在する [esse]). ﹁ 場 ﹂. . 日本は新たな情報や技術を外より収集し受け入れ、過去と現在を融合させ、価値をアップデートしてきた。 さらに「守」 「破」 「離」というプロセスを経て日本を成熟させてきた。. しかしいつからか、かつてあった日本的なるものから新たなものにつくり替え、都市・地域を、価値観を変えてしまった。 分断された過去と現在とを、内と外とをつなぎなおし、都市・地域が持っていた「本質」を ルネッセ(再起動[ Renesse])させ、新たな価値をつくりあげていきたい。. ◉再現. ◉再生[アップデート]. ◉再起動[ルネッセ]. 昔あったもの(囲炉裏)をそのままの形である囲 炉裏として戻す. 囲炉裏空間を現代的な新たなものにアップデー トして置き換える. 囲炉裏で過ごすということの「本質・意味」を 読み解き、新たな情報や技術と融合・編集し、 新たな価値を創造する. ◉「ルネッセ」の方法論. 2. 外の軸 目指すべき 新たな 価値 新たな情報 異なる情報. ま. ︱︱ 都 市 を 問い直 す. 4. 未来の軸. 「内」×「外」と「過去」×「未来」という 4 つの軸を組み合わせ、 「守」 「破」 「離」の3つのステップを踏んで、新たな価値を創造する。. 守. 昔あった佳きもの、美しきもの、本質を発掘し、 「型」 「モデル」をつくり、見える化、アーカイブ化する。. STEP 3. 離. ち. STEP 2. 破. STEP 1. 破. 過去より引き継がれるものに、新たなもの、 外から学んだものを組み合わせて、 価値のアップデートを図り、新たな「型」をつくる。. 離. アップデートされた価値に、内×外、過去×未来という 4つの軸を融合することで、新たな価値を創造する。. 過去の情報 内からの情報. 守. 現在の価値. 1. 内の軸. 3. 過去の軸 アーカイブ化. 都市・地域・コミュニティに埋め込まれた価値は、一様ではなく相互に連関した複合的・多様なものである。 その複合的な本質に、 「場」 「交」 「耕」の3つの視点から迫り、3号の有機的なつながりから、 本質を再び実在させるべく「ルネッセ(再起動)」戦略の全体像を提示する。. 場. 116 号 ま. ち. 都市を問い直す 日本は過去にあった日本的なるものを捨て、新 たなまちづくりを進めてきた。過去の再現でも 再生でもなく、かつて存在した「本質」を掘り起 こし、新たなものと融合し、新たな価値を創造 し、都市・地域を再起動する方法を考える。. 117 号. 交 つ な が り. 交流を問い直す 水路・陸路の結節点には物とともに人・情報 が集まり、交流・変換がおこなわれた。内と 外からの新たなもの・優れたものと、その場 が持つ本質とを掛け合わせ、交えて流すという 「トランスミッション」のあり方を考える。. 118 号. 耕 文化を問い直す. 文化はラテン語の 「耕作し栽培する」が語源。 種から作物を収穫するプロセスの円滑化×各 ステップの最適化にて文化が生まれる。地 域を耕作し、地域をよりよいものにし、未来 に引き継ぐ文化のつくり方を考える。. C E L J u l y 2 017. 10.

(8) 震災が問う 社会と ﹁場﹂ 大山直美 =構成 奥山淳志 =撮影. Tani Naoki. Miura Shirō. 災害が多発する近年の日本では、被災地での復興をはじめ、まち づくりのあり方が根底から問われているが、まちの歴史や文化を 継 承 し た 豊 か な 生 活 空 間 =「 場 」の 再 生 は い か に 進 め ら れ て き た か。大阪くらしの今昔館で館長を務め、上方の建築文化・生活文 化を研究する谷直樹氏と、数寄屋建築の手法を用いて精力的に東 北の復興に携わる三浦史朗氏に、今後、地域・社会を再起動する た め の「 場 」づ く り に 必 要 な 視 点 に つ い て お 話 を う か が っ た 。. 年間に気仙沼で. 件の. 件が進行中です。. たって落ち着いた街並みになるのか。まちという. レ ハ ブ の 住 宅 に 置 き 換 わ っ て、 は た し て 数 十 年. 無力さを感じました。芦屋の重厚な邸宅が軽いプ. でこわいから建て替えるとおっしゃる方が大半で、. たら二度とつくれないと話しても、命に関わるの. 的に意味がある大事な建物で、なくなってしまっ. ンと思ってしまう。僕たちがいくら、これは歴史. ローカードを貼ると、貼られた所有者はもうアカ. が倒壊の危険があるというレッドカードやイエ. 況を手分けして調査したんですが、構造の専門家. 屋風の邸宅など、阪神間の歴史的建造物の被害状. 谷 そこまで含めて一緒に建物がつくれるという のは、大変だけど建築家冥利に尽きる仕事ですね。. 職能になりうるなという発見がありました。. づくりの経験から、これは今後さらに求められる. にはそういう判断はしてくれない。被災地での家. かります。通例では不動産屋の仕事ですが、実際. れば健康的ないい家が建つというのは感覚的にわ. 地を選ぶプロにもなっていたので、この土地であ. つくるプロの仕事をするうちに、知らず知らず土. 離を考えると選択肢は意外に少ない。自分は家を. 住むにはどんな場所がいいか、会社やまちとの距. の選定に約. 三浦 もとの家は海のそばにあって津波で流され たので、新たに山の方の土地に建てました。土地. えたわけです。. なすべきことのヒントやエネルギーになればと考. の矜持をうかがうことが、これから自分が大阪で. しい建物をつくっているのか、その建築家として. 計画が持ち上がりましたが、それではものすごい. た と き に 構 想 し た も の で す。 そ こ で は. 三浦 これはもともと、気仙沼市と隣接する岩手 県陸前高田市の集落をどう再建するかを考えてい. 想はどこから来たんでしょう?. 盤の上に木造の建物群が建っていますが、この発. 三浦 僕が最初に気仙沼に来たのは、震災から約 半年後で、以前からお付き合いがあった糸井重里. 量の土が要るし、空間としては何も生かされない。. の高. さんに「距離が離れたところにいても現地で必要. それより、現代の技術を使ってまず安定した骨格. 12 m. さに土を盛って、その上にまちをつくろうという. 右は気仙沼観 光タクシーの 社長、宮井和夫さん(写真左) の自邸。建築設計だけでな く、土地探しから庭づくりま で三浦さんが担当。 「三浦さ んを信じ、すべて任せること を突き通しました」と宮井さん。. 対談 [大阪くらしの今昔館館長]. 谷直樹 三浦史朗 [構匠︑ ㈱三角屋取締役]. きに行こう」と声をかけていただいたのがきっか けです。その直後に縁あって出会ったのが気仙沼. い」と頼まれました。僕のことも三角屋も誰一人. 被災地で発見した自 分 の 新 し い 役 目 谷 今回の対談を行う場所として、三浦さんの手 がけた建築がある候補地のなかから、ぜひ気仙沼 知らないまちに来たことで、自分の新しい役目が. 観光タクシーの社長、宮井和夫さんでした。初対. に行きたいとお願いしました。大阪を拠点とする 開けた気がします。この. 分 ぐ ら い 話 し た だ け で「 家 を 建 て て ほ し. 私としては、阪神・淡路大震災のときにいろいろ プロジェクトに携わり、今も. のは馴れ親しんだ街並みが徐々に変わっていくこ. こちらの社屋の方は、鉄筋コンクリートの人工地. 谷 ご自宅はどちらに建てられたんですか?. 面で. 思うところがあったからです。 当時、私が主査をしていた日本建築学会近畿支. とによって深みが出ると思うので、途中で断絶し. 年かかりました。宮井家が今後代々. てしまったのは非常に残念です。. 部の建築史部会では、昭和初期に建てられた数寄. 10. なものがわからないから、ひとまず現地に御用聞. それだけに、三浦さんがどんな思いで東北で新. 3. 12 C E L J u l y 2 017 C E L J u l y 2 017. 13. 2. 6. 10. 京都に本拠を置く三浦さんが縁あって設計した㈱気仙沼観光タクシーの新社屋にて。 谷さんは気仙沼に今後の大阪のまちづくりのタネを見つけに来たと語る。.

(9) 高田の八木澤商店の新社. たんです。例えば、陸前. の一部に充てることにし. 分が関わる建物の工事費. はいわゆる津波のような勢いはなかったけれど、. 目に見える形で遺そうと思ったんです。この地域. るかに寿命が長いので、ここはどういう場所かを. 大切にしていることです。建物は人の一生よりは. 三浦 このタクシー会社の社屋に関して、もう一 つ付け加えると「被害を建物に遺す」ことは僕の. 付したお金と同額を、自. 屋では、外壁の側面を全 まで水. じ わ じ わ と 水 位 が 上 が り、 地 上. も再現することが、将来. 澤商店の佇まいを少しで. 角屋です。歴史ある八木. たが、あの壁の施主は三. 被災地で役目を担った人間として絶対にしておか. れば、かつての被害を建物にとどめておくことは、. かないので、被害があった敷地を再生するのであ. くるべきではないですが、物事はそう簡単にはい. に浸かりました。本来はそういう場所に建物をつ. ・. 面「なまこ壁」にしまし. にわたりまちにとって意 の高さに人工地盤. ないといけないと思いました。本当は周辺の建物 ・. 階にデッキを設けてくれたら、より. もみんな同じように. 味を持つと思ったので。. 5 m. をつくって. 2. 谷 普通は会社として貢 献するか、個人としてボ 5 m. ランティア活動に参加す いますが、現実はなかなかそうはいかないですね。. まちの記憶も残り、まち全体がつながるのにと思. まちづくりに建築家の個性は要らない. るというふうに分かれが スよく実践なさっているんですね。そういう会社. ちですが、会社と個人の両方の社会貢献をバラン. できないかと発想したんですが、結局実現には至. 夫先生がおっしゃっていましたが、 「京都は外か. 同じ関西でも大阪と京都ではだいぶ違う。梅棹忠. 谷 その土地の歴史や文化をどう残していくかは、 地域によっても違ってくると思います。例えば、. 年ぐらいに凝. て ほ し い と お 願 い し た ん で す。 開 館 当 時 か ら い. ちに、あの空間の中で自由にお客さんをもてなし. 今、ボランティアの「町家衆」と呼んでいる人た. と思い、月 日は東北にくることに決め、前年寄. うな感じがしました。それで、まず自分が動こう. 自分たちが稼いだ大事なお金が消えてしまったよ. たんです。でも、何にどう使われたかもわからず、. 三浦 実は最初の年は三角屋の利益のうちから、 ある金額を日本赤十字社を通して被災地に寄付し. た意識でつくれるかがこれからのプロの生き方で. る。町として、景色として、いかに全体感をもっ. で、外観はある意味、コピーしやすい状態でつく. ンスは要らない。それは内部で発揮すればいいの. 考えるべきであって、そこに建築家の天才的なセ. と思います。. まちの記憶につながる場の原点をつくられたんだ. ればと思う人も出てくるかもしれない。そういう. ら建築家のなかにも、これを超える仕事をしなけ. 事に触発された職人も出てくるし、ひょっとした. 響が何年にも及びますから。きっと三浦さんの仕. 谷 それほど充実感があるとなかなかやめられな いでしょうね。建築は完成時だけでなく、その影. 縮して体験させてもらった感じです。. へ修業に入ったのは. 三浦 広がらないですね、僕もはっきり言って変 。 大 学 院 ま で 出 て、 大 工 の も と 人ですから (笑). 建築家のなかでは広がりつつあるんでしょうか。. 大阪の「人」ではないかと思いました。そこで、. しさを伝える博物館で展示する価値があるのは、. 初にどう運営しようかと考えたときにも、大阪ら. 私が館長を務める「大阪くらしの今昔館」を最. 真髄がだんだん薄れてしまう」と。. から来た人に合わせてしまうので、大阪の文化の. や。ところが、大阪人はサービス精神旺盛で、外. らきた人が自分たちのルールに従わないと排除す. 火はこうやって焚いたんや」と話すと、お客さん. の主人になりきって、「昔のへっつい (かまど)の はないかと思うんです。. 人中数人でしたし。 2 0 0. こちらが満腹で帰るという、このギャップに毎回. 。 何 も な く な っ た は ず な の に、 い つ も です (笑). 三浦 気仙沼の人たちも本当に温かく迎えてくれ る人たちで、もう「ウェルカムの塊」みたいなん. もあるような建物が並んでいるのは残念ですね。. 士、まったく縁のないデザインで、どこの都市に. ことです。この周辺のまちの復興を見ても、隣同. 谷 確かにその土地が持つ共通の建築デザインを 生かして、まちをつくるというのはとても大事な. 職人魂を持ってらっしゃいますね。ものづくりの. 。 お 話 を 聞 い て る と、 三 浦 さ ん は す ご く す (笑). 「君はちょっと体が悪いんか」と言われたほどで. たから、私が歴史をやりたいと言ったら、先生に. 谷 昨日今日と三浦さんが手がけた建築を見て回 り ま し た が、 建 主 の 皆 さ ん は あ れ だ け の 被 害 に 遭ったら、将来への展望を失った時期もあったと 思うのに、自分たちでやっていかなければという 気持ちがとても強い。それは空間やデザインが持 つ力も大きくて、形があるというのはすごいこと だと思います。三浦さんのようにいい仕事をすれ ば、ちゃんと次の展望が拓けるんだなあと。今さ らながら建築の力を再確認する思いがしました。 三浦 特にまちづくりを考える際、建築家が持ち が ち な「 作 品 を つ く る 」 と い う 意 識 は 邪 魔 で す。 きれいごとではなく、この社屋も自邸も宮井さん の作品であって、僕はそれを長く持たせるために 雇われたにすぎない。そういう立ち位置を誤ると、 その場所らしさや住む人らしさは全然とどまらな いんです。 そもそも今の建築家の多くは、新たにデザイン することと、過去や周辺から参照して持ってくる べきことの線引きをまちがっているんじゃないか と僕は思っています。新たにまちの骨格をつくる には、何か共通のデザインをベースにした建物を. D N A 上/広いデッキのある2 階。鉄筋コンクリートの人工地盤の上に、木造の建物が建ち、緑が茂る。 下/道路側外観。建物の構成が一目瞭然。カラフルな車体は地元の子どもの絵をあしらったもの。. 感動して帰っていく。. まち・京都で生まれ育ったから、そういう. で、学生の大半は建築設計や都市計画を選びまし. 1. 今、三浦さんがおっしゃったような意識は最近の. にすごく伝わるんですね。. 90. るが、ルールに倣えばとても住みやすいまちなん. らっしゃる 歳のボランティアが着物を着て薬屋. ぐらいかけてやることをギュッと. 三浦 ともかく何もなくなってしまったまちなの で、 お 題 も む ず か し く 速 度 も 必 要 で、 年. 常に感心しました。. 2. 谷 私も大学の建築学科で、建築史を専攻したの は 人中 人でした。当時は高度経済成長の後期. いますね。. 必要だから、 層の構造はちょうど理にかなって. 谷 なるほど、まちづくりのモデルを縮小して当 てはめたんですか。タクシー会社は広い駐車場が. 経営のしかた、お金の生かし方があるのかと、非. をつくり、なおかつ車と人を 層に分けることが. 新社屋の中庭から2 階を見る。シンボルツリーはなんじゃもんじゃの木。. らなかったため、ずっと温めていたんです。. 2. 目に見える形で被害 を 建 物 に 遺 す. 2. 1 0 0. 5. 14 C E L J u l y 2 017 C E L J u l y 2 017. 15. 2. 3. 86.

(10) さんは、お互い異端児だったと意気投合。京. 業に入った三浦さんと、建築史を専攻した谷. 都人である三浦さんから、大阪には日本が進 むべき未来のタネがあるとエールを送られ、 大阪人の谷さんは満面の笑みを浮かべた。. をやるプロになって、優秀な職人たちのメンバー. なく大工や左官と同じように、職能としての設計. よく建築家は指揮者だといわれますが、そうでは. もちろん、中村外二さんも天才的な職人でした。. 章さんというすぐれた左官と出会ったことです。. 三浦 僕が中村外二工務店で日本建築や数寄屋を 学ぼうと思ったきっかけは、大学院のときに久住. て、それこそが本当の意味での数寄屋だという気. いていきながら、自分なりの数寄屋をつくってい. んのところで厳しく数寄屋を学び、それを 回砕. る人が少なくないですが、三浦さんは中村外二さ. ばずして「おれは数寄屋をつくった」と言ってい. れません。建築家のなかにはちゃんと数寄屋を学. 形式化してしまったところに悲劇があるのかもし. を受け継いでるのかなと思いました。. に入りたいというのが目標でしたから、そう言っ が し ま す。 誰 も が 知 っ て い る 形 で な い と 数 寄 屋. 谷 数寄屋とは桂離宮とか茶室のことだと日本人 は 考 え が ち で す が、 利 休 が 出 て 年の間に. ていただけるととてもうれしいですね。 じ ゃ な い と 批 判 す る 人 も い ま す が、 そ ん な こ と 言っていたら文化財としてしか残らないし、現代. の個性を最大限引き出すための方法だと思います。. 来「数寄者」から来た言葉で、住まい手や使い手. 三浦 僕は今、数寄屋というのが和のステレオタ イプになっているのが気に入らない。数寄屋は本. 谷 三浦さんは数寄屋をどんなふうに捉えていま すか。. シックだとは思っていません。僕が中村外二さん. るからでしょう。だから、僕は数寄屋を単にクラ. 代が断絶せずにつながっている点に可能性を感じ. たちがなぜ数寄屋に憧れるかというと、過去と現. 三浦 数寄屋はもともと新し物好きの人が、いか に伝統的なものに新しいものを採り入れようかと. や未来に継承していくのはむずかしい。. つまり、数寄屋には多様な方法があるべきで、今 のもとで学んだのは亡くなるまでのわずか 年半. 学んで砕いて 自分なりの数寄屋をつくる. 後は数寄屋という手法を使って、将来その場所の でしたが、幸い三角屋にはそこに. して考え出されたスタイルです。今、アジアの人. スタイルになるようなものをつくりたいと思って います。 かくいう僕も昔、苦い経験をしたことがありま. 年いた職人も. 含め、数寄屋のベースを知るメンバーが大勢いま. さが決まっているんだと説明すると、やっとわか. 座った高さに合わせて天井や床の間の掛け軸の高. が低いなあ」と言うんです。そこで畳に座らせて、. に連れて行くと、みんな突っ立ったままで「天井. 床の間や畳すら知らない人もいる。今昔館の座敷. り学んだことは非常に大きいとは思っています。. とはいえ、洗練された質の高い数寄屋建築を一通. を、より心がけて取り組むようになりましたね。. れ以来、その場に合ったものをつくるということ. 同じ失敗は二度と繰り返すまいと思いました。そ. そのまま他に持っていった瞬間に下品に見える。. 細な数寄屋建築は京都という場所には合うけれど、. 並みの一角に数寄屋の店をつくったんですが、繊. 地元の職人さんの力を借り、その人たちを励まし. さんのように現地の調査をしっかり行ったうえで、. に提案するだけではダメだと思う。やはり、三浦. も、東京の設計者が机上で設計したものを一方的. コンクリートの近代的な建物で防災面は大丈夫で. 的に空間が変わってしまうでしょう。いくら鉄筋. 場合によったらそこに座る人の着物まで一体感が. 三浦 そうなんです。今は建築と工芸、空間とし つらえにも境界線がありますが、本来は一体で、. 谷 きわめて東洋的なつくり方ですね。. 材料の半分は石材です。. 物と共に庭をつくるため、三角屋がストックする. ひとまず全部受けるところから始めています。建. 建築だけでなく庭の骨格まで設計者が考えたりと、. 今、三角屋では施主に合わせて材料を選んだり、. すから、その環境は強みですね。. る。今昔館はできるだけ空間を体感することで、. て い く こ と が 大 切 で す。 そ う い う 仕 事 を、 私 も. す。依頼を受けて、ある地方の重厚な佇まいの街. 日本の伝統的な住まいのよさを知ってもらいたい. みうら・しろう. 三浦史朗 構 匠、 ㈱ 三 角 屋 取 締 役。 1969年生まれ。早稲田大 立住まいのミュージアム︶館 長。1948年生まれ。大阪. 設 計 部 に 入 店。 退 店 後 は ㈱. 院 卒 業 後、 中 村 外 二 工 務 店 と ふ う を 設 立。2005 年、. 学 理 工 学 部 建 築 学 科・ 大 学. 専攻博士課程修了。専門は、. 年には㈱ 六角. 学 大 学 院工学 研 究 科 建 築 学. 務める傍ら. ﹁三角屋﹂に改名し取締役を. 所 の 内 装 や﹁ 気 仙 沼 の ほ ぼ. 運 営で日 本 建 築 学 会 賞 およ に﹃町に住まう知恵︱︱上方. を手がけている。. 日 ﹂ な ど、 多 数 の 設 計 施 工. 任 す る。 東 京 糸 井 重 里 事 務 三都のライフスタイル﹄など. 屋 を 設 立、 代 表 取 締 役 を 兼. がある。. び同教育賞などを受賞。著書. 学。今昔館の先駆的な企画・. 建築史・居住文化史・博物館. 市 立 大 学 名 誉 教 授 。京 都 大. 大阪くらしの今昔館︵大阪市. たに・なおき. やっていきたいと思っています。. まちづくりの役に立てるよう、博物館の世界でや れることをモデル化したいと考えています。 例えば、高齢者が今昔館に来ることは、認知症 のリハビリになる。回想法といって、昔のことを. 谷直樹. と工夫を凝らしています。 三浦 僕自身も京都人なので、正直、大阪はごみ 、考え ごみして苦手なところがありますが (笑) てみれば茶道は堺で生まれたものだし、何かが生 み出される力のある土壌が大阪にはあると思いま す。そこから派生して非常に洗練されたものが京 都にとどまっているので、京都の役目は今後も続 くでしょうが、もう一度、大阪の豊かな土壌や賑 わいのなかから生まれてくるものが育っていかな いと、日本の未来はないと思います。. はありますが、逆を言えばいろんな実験がしやす. 。 谷 力 強いエールをありがとう ございます (笑 ) 大阪は柔軟すぎて伝統を絶やしかねない土地柄で. すべき方向や方法がたくさんある気がします。. い場でもあるので、私は今後、今昔館を通じて行っ. 人です。彼らの感想を聞くと僕自身も学ぶことが あるし、あの場で日本や大阪の良質な文化をちゃ んと伝えていくことで、お客様に何かを感じても らい、それがまたタネとして広がっていくのでは. 思い出すと頭が活性化するんですよ。このように、 が持つ力をもっと一般の人にもわかってほしいで. 博物館は実利的にも意味があるし、伝統的な空間. 三浦 いま「体感」として歴史を感じる場所がほ とんどないから、そういう意味では今昔館は建築. とは、それほど大事なんです。震災復興でも、劇. けたりします。記憶の中の風景が連続しているこ. 実際、人は年を取るほど、引っ越しただけで呆. すね。. 谷 体感というのは大事なことですね。今、茶室 を体感しようと思っても、なかなか気軽に入れる. 学科の学生も見に行って学ぶべきだなと思います。. ないかと期待しています。. た多様な実験を理論化、普遍化することによって、. 谷 今 昔 館 は イ ン バ ウ ン ド 需 要 が 非 常 に 増 え て、 今や年間 万人の来場者のうち、半数以上が外国. あの人たちが憧れるものに、僕たち日本人が目指. て、 今 昔 館 も 外 国 人 客 が と て も 多 い そ う で す が、. 三浦 未来のタネということで言うと、今、日本 建築や数寄屋が好きなアジアの人たちが増えてい. 外からの視点に 日本が目指す方向が あ る. と未来のタネになっていくのでしょうね。. ん最先端を読んでいる感じがします。それがきっ. で、自覚はなかったのかもしれないけど、いちば. うやく見直されています。三浦さんは確かに異端. は劣ったもののように扱われてきましたが、今よ. では、鉄筋コンクリートと鉄骨しか教えず、木造. かもしれません。かつて大学の工学系の建築学科. 谷 建築は本来、風景からインテリアまで含めた 総合芸術なのに、それを切り分けてきたのが近代. いでしょうか。. 合わせて引き直していかないといけないんじゃな. あってもいい。どこに境界線を引くかは、時代に. ともに大学で建築を学びつつ、工務店に修. ところがないし、大学生でもマンション育ちだと、. 1. 3. 16 C E L J u l y 2 017 C E L J u l y 2 017. 17. 2 0 0. 30 12. 57.

(11) 経済活動の中心を担い発展を 遂 げ た 近 代 都 市。 と こ ろ が、 そ の 行 き 過 ぎ た 消 費 経 済 が、 気候変動や生態系の変容など の深刻な問題を引き起こして い る。 今、 そ の 消 費 活 動 の 背 景にある人間の行動様式その ものを根本的に見直す必要が あ る の で は な い だ ろ う か。 現 代社会に転用可能な江戸時代 の循環型生活スタイルを提唱 す る ア ズ ビ ー・ ブ ラ ウ ン 氏 と、 経済発展により格差が進んだ 江戸社会における思想を研究 す る 板 東 洋 介 氏 に、 サ ス テ ナ ブルな都市を実現させるため の ヒ ン ト を、 多 角 的 な 視 点 で 語っていただいた。. ある熊沢蕃山という人も、岡山藩で新田の開発よ. くまざわばんざん. のです。. 江戸時代における自然観と労働観. りも後背地としての山や川の重要性を説き、植林 することが急務だと主張した人でしたが、そこで. Azby Brown. 江戸に学ぶ サステナブルな都市のあり方 脇坂敦史 =構成 栗林成城 =撮影. 対談 [金沢工業大学シニアアドバイザー]. Bando Yosuke. アズビー・ブラウン. 板東洋介 [皇學館大学准教授]. 江戸時代の循環型生 活 の 基 層 に つ い て. も同じようなシステムが働いていたと思います。. 同で農作業するとか、武士が合戦をするといった. 板東 そうですね。ただ日本の場合、はじめに思 想があってそれを典拠として道徳ができていると. 板東 アズビー・ブラウンさんが「サステナブル な生活」という視点で江戸時代の生活を解説され プラクティスが先にあり、それを表現するとき禅. いえるのか、微妙なところがあります。農民が共. た『江戸に学ぶエコ生活術』という本を読ませて. や 儒 教 の 言 葉 を 借 り て み た、 と い っ た こ と も 多. 初めて日本に来たとき強い印象を受けたのは、日. ブラウン 大変光栄です。今の日本人は儒教、特 に朱子学については何も知りません。でも、私が. 方が伝わってくるのではないかと思ったのです。. 語徴』を読むよりも、ダイレクトに日本人の考え. 美しいイラストを見ている方が、荻 生 徂徠の『論. なかった。この本に描かれた生活の細部にわたる. 入した西洋の思想が大衆の生活とつながることは. の古典に向かいました。明治以降の日本でも、輸. を批判し、『古事記』や『万葉集』といった日本. あったのか? そこにはかなり疑問があります。 江戸時代の国学者も、そのような考えから儒学. い く、 そ の 生 活 過 程 と 本 当 に 絡 み 合 っ た も の で. たしてそれは多くの日本人が働いて生きて死んで. を解釈するという営みが思想の中心でしたが、果. で書かれた儒教、とりわけ朱子学や陽明学の文献. それぞれの地域に合った問題の解決をうながすよ. なく、もう少しやわらかく基本的な考えをまとめ、. しい法律で全国を無理やり従わせるという形では. しかし、その成立や運用を見ていると、幕府が厳. 入るだけで死刑といった極端な部分もあります。. い仕組みができた。もちろん、刃物をもって山に. という、伐採や立ち入りを禁じるような素晴らし. 深刻な土壌浸食や洪水も起きた。そこで「留山」. ブラウン 江戸時代初期に建築用の材木が不足し、 多くの山が丸裸になったことがありましたよね。. きたのだと思います。. わめて現場主義的かつ現実主義的な政権運営がで. 徳川家康が戦で勝ったことによるのであって、き. あった。一方、江戸幕府の正当性はつまるところ. の中国や李氏朝鮮では政策決定の基準が儒教に. 政権の性質そのものにもあると思います。同時期. 板 東 と り わ け 江 戸 時 代 に 経 験 に 基 づ く プ ラ ク ティスと思想がずれていると感じる理由は、武家. ブラウン 確かにそれは、どちらが先か分からな 。 い (笑). のであると考えた。. き、川が流れるように人もあらなければならない. を送るようにうながすものです。いわば、鳥がな. りも、四季のリズムに従い、環境に調和した生活. す。それは、自然を統制したり使役したりするよ. り方なのであるという強制力は強かったと思いま. 一方で、自然に従っているのが人間の正しいあ. わなかったのではないでしょうか。. 当たり前で、人間が自然を破壊できるなどとは思. ませんが、自然のなかに包まれて人為があるのが. いう発想はなかったと思います。だからこそ、か. ればならないほど、人間と自然が対立していると. 板東 自然に近い言葉といえば、天地、森羅万象、 あるいは山川草木でしょうか。ただ、保護しなけ. る」という概念はあったのでしょうか?. どうでしょうか。たとえば江戸時代に「自然を守. 表現に違和感はないんです。けれども日本語では、. 私 の 本 は も と も と 英 語 で 書 い た も の で す が、. かったのではないか。. いただき、大変感動いたしました。 たとえば古い民家の形というのは、日本人の考. 本人の生活と価値観に深く染みついた、たとえば. うな独特のやり方があったように思うのです。. ブラウン 江戸の思想家たちが自然について、ど のような考えをもっていたのか興味があります。. 先輩と後輩というような考え方です。西洋でいえ. ブラウン 「自然を守る」という概念がなくても、 ひじょうにうまく自然を守ることができたわけで. えと生活の反映です。私自身は江戸時代の思想を. ば、多くの一般常識や諺が『聖書』に基づいてい. 板東 明治以降と違い、中間団体の自律性を最大 限に認める形で、トラブルが起きたときは内部で. すね。ときどき、江戸の人が産業革命につながる. ちよう. お ぎゆう そ. らい. には、それがなかなか現れてこない。当時は中国. 専門に研究しておりますが、書かれた資料のなか. る の と 似 て い ま す。 で す か ら 私 は、 江 戸 時 代 に. 解決させ、その報告を上に上げるという形をとっ. ような機械をつくらなかったのは、もしかしたら. えって過剰伐採につながることもあったかもしれ. さんせんそうもく. ヨーロッパ言語の文脈では「自然を守る」という. あったような循環型の生活の基層にも、儒教や神. ていたということですね。江戸初期の陽明学者で. とめ やま. 道、そして仏教的な価値観があったと感じている. 18 C E L J u l y 2 017 C E L J u l y 2 017. 19. 江戸時代のシンボルである江戸 城の跡地周辺は、千鳥ヶ淵公園 などに整備され、現在でも、水 と緑のある豊かな自然と都市と の共生を見ることができる。.

(12) たからではないか、とも思うんです。. 儒教の価値観でそれが怠け者のすることを意味し. 的」になりうる。. たぐとか、きちっと生活すること自体が「生の目. から、たとえば畳の縁を踏まないとか、敷居はま. て、生活は何かの手段ではないという美意識。だ. り前の日常生活それ自体が目的・価値なのであっ. れでコミュニティが損をしている。これから大き. プライバシーが重視されますが、全体としてはそ. て場で「井戸端会議」が行われていました。今は. 顔見知りで必ず挨拶を交わし、朝になるとゴミ捨. が住んでいる横浜でも、ごく最近まで近所はみな. 板東 今もそうですが、日本人には、生活を苦し くしている構造的な問題を考えてそれを改善する. 芸品のような加賀毛針がそこから生まれた。. 趣味でやる。羽毛や金箔、漆まで使った豪華な工. しいんです。もちろん武士だから、商売ではなく. 分の魚を釣らないとだめだということになったら. り。あるとき加賀藩で食料が不足して、武士も自. くらい。あとは庭いじりしたり、趣味に没頭した. ブラウン でも江戸時代には、意外と暇な人が多 かったみたいですね。武士なども仕事は週に半分. 。 ジア人の夢ではありませんね ( 笑 ). ら感じることがあります。ここまでやるのか、と. ブラウン 仕事のすべてが一種の修行だという感 覚は、たとえば宮大工のような職人たちの気質か. んじゃないかと思います。. は、おそらく日本人はいまだに根強くもっている. 美しい生活それ自体が人生の目的であるというの. 寧な暮らし」というのもそのロジックですので、. 。 で も、 い わ ゆ る「 丁 エネじゃないですね (笑). グをずらして炊き合わせる。だから、ちっとも省. 火の通りにくい野菜は最初に煮ておき、タイミン. くかがポイントですが、すべてに手を抜かない。. 大事なのは料理です。今の家庭料理はどう手を抜. 禅の修行は常住坐臥すべてが修行ですが、特に. ります。今よその子を預かっているし、うちもそ. 能として、たとえば育児の外注というか分担があ. 題になっているように感じます。長屋の大きな機. いう身も蓋もない理由です。今は東京でもシェア. それは単純に支え合わないと生きていけない、と. 士は兄弟だから相互扶助せよ、という話です。. ね。長屋の大家と店子は親子同然。また、店子同. 板東 ひとつは儒学の影響もあると思うんですが、 江戸幕府は擬制の親子関係を奨励していたんです. か。ある意味、それは都市計画の問題です。. シーを守りながらも交流できるような場をつくる. な 挑 戦 に な る と 思 う の は、 ど う や っ て プ ラ イ バ. う考え方は強かった。マルクス的なユートピアは. 板東 仕方なくやるような義務ではなく、労働も 「誠」であってナチュラルな営みなのであるとい. という方にいかず、生活や趣味のなかにちょっと 驚くほど細部にまで注意を払い、それが使う人や のうちお願いするから、という形で身を寄せ合っ. 「 労 働 の な い 世 界 」 か も し れ ま せ ん が、 そ れ は ア. した慰めを見いだすという習性があるのかもしれ モノそれ自体への尊敬にもつながっている。アメ て生きていく。これは日本でもあと 年、 年後. ハウスが増えていますが、やっぱり同じことが問. さらに長屋にはもうひとつの形成要因があって、. ませんね。 リカのシェーカー教徒がつくった家具などにも言 に主流化する可能性がある。. ウスは. 代、 代の若い個人が中心ですが、やが. イニングのような共同空間もある。今のシェアハ. えることですが、背景に似た考えのあるところで 美しいデザインが生まれるのかもしれませんね。. 美意識の背景にある も の ブラウン こういう日本人の生活と深く結びつい た美意識の背後には、何があるとお考えですか?. 長屋的なものと現代 ブラウン 今の日本でも少し想像力を働かせると、 江戸時代の面影を感じることは、少なくありませ ね。. て 子 育 て を 助 け 合 う よ う な 家 族 単 位 の「 ネ オ 長. くる、瞑想する。特に道元禅師以降、日本の禅宗 ん。東京の小さな路地などに入ると、住人が緑を. 板東 確かに、空間デザインの問題は大きいです. 屋」のようなものも、できるかもしれない。. は修行それ自体が悟りなのであるという考えが強. 板東 私は禅の影響が強いのかなと思います。仏 教の修行というのは身体でやるものですから、ど. は、無駄をそぎ落とした、ミニマリスティックで. 20. ブラウン シェアハウスには私も注目しています。 自分の部屋というプライバシーもあり、台所やダ. 10. 大切にして、ちょっとした隟間にも植物を育てて. 共同便所. うしても修行は生活になる。掃除する、ご飯をつ. 30. くなってきました。. 共同の空き地. 貸店舗(表店). 排泄物は仲介業者に より買い取られ、下 肥専用の運 搬システ ムで 運ばれた後、田 畑の肥料に使われる 稲荷が設けられてい ることも多い. 稲荷. ゴミ捨て場. リサイクル 品も置 か れ、住民は自由に利 用できる 防犯用の鋭く削った 竹(忍び 返し)がつ いている. 入り口の木戸. どぶ(排水溝). 井戸. 木の板や角材で覆われていて 簡単に取り外せるようになって いる。町ごとに専門の請け負 い人がどぶさらいを行う. 共同の洗い場は水の節約と ともに、情報 交換の場にも なっている. 20 C E L J u l y 2 017 C E L J u l y 2 017. 21. 20. ブラウン ご存じのように、かつて屋敷に門を構 えられたのは武士だけでした。明治時代になると、. 表通りに面した 大家の家. いるのを見ることができます。あるいは、狭い長. ひと間の借家が 片側に6 ~ 8 軒並ぶ. 建物は土地の境界線ぎ りぎりに建てられ、壁に は窓や広い隙間(または その両方)がある. 江戸の町の構成と町屋敷の仕組み 裏通りに面した貸店舗 裏長屋. 町人地区は「町割」と呼ばれる区画 方式に基づき設計されている。1 区 画をひとりの地主が所有し、共同設 備や広場などの管理も行う。. 表通りからの 入り口. 中央の路地. 室町時代以降、武家を中心に禅の思想が広まり. だけでなく人々のコミュニケーションの場までさまざまなサステナブルな工夫がなされている。. それに憧れてみんなが門をつくった。ただ江戸時. 内ではモノクロで掲載)で詳細に伝えられている。農村とは異なる限られた空間のなかで、住環境. 屋の生活スタイルも、なんとなく想像できる。私. ブラウン氏著書『江戸に学ぶエコ生活術』では、当時の町に暮らす人々の様子もイラスト入り(書. ましたが、その端的な表れが茶道でしょう。当た. ◉江戸時代の町屋敷.

(13) 代の生活を調べていて思うのは、長屋暮らしでも お互いの関係のあり方で、プライバシーを守るこ とはできる。無視する、見ないふりをするとかね。 今 で も、 電 車 に 乗 る と き に は み ん な や っ て い る。 お裾分けのような文化も、貨幣経済やお米の経済 とならぶ、ひとつの経済システムでしょう。今も 田 舎 の 方 に い け ば、 そ う い う「 循 環 型 経 済 」 が、 ちゃんと続いている。 板東 落語などでよく長屋の「味噌、醤油は借り てくるもの」みたいな感覚が描かれますね。私も 昨年から三重で暮らしているのですが、(近所の方 から)旬の野菜や魚をたくさんいただくので、あ. まりスーパーマーケットに行く必要がないくらい で す。 私 は 学 者 で す か ら 何 も あ げ る も の が な く、 白菜のお返しに論文の抜き刷りをお渡しするくら 。 いですが ( 笑 ) 。 ブラウン 知識のお裾分けですね (笑). 学ぶことそれ自体が 楽 し い ブラウン 江戸時代の身分制度はもちろん厳しい ものでしたが、武士も歌舞伎を見にいったり、町 人も武士と一緒に詩を書いたり勉強したり、結構 羨ましいと思うことも多いですね。何よりも、江 戸時代の識字率の高さには目をみはるものがあり ます。 板 東 近 世 日 本 の 学 習 熱 と い う の は 大 変 な も の だったわけですが、今の研究者がよく分からない のは、なぜみんなそれほど学問が好きだったのか、 ということ。他の儒教国は勉強したら科挙に合格. 能力主義が一般化することはなかったと思います。. ゼミナールですが、そこには読書量と年功 (何年. 『江戸の読書会』でいう会読というのは今でいう. かい どく. 学 問 の 場 に は、 身 分 の 差 と い う も の が な い。. 。 論は「楽しかったから」というんです (笑) そ こ に い る か )の 序 列 し か あ り ま せ ん か ら、 た と. んだのか? 思想史学者である前田勉先生の『江 戸の読書会』という著書があるのですが、その結 ブラウン 武士がより重要な役職につくための試 験などがあったことはないのでしょうか? 経典解釈はおかしいと言っても構わない。だから. 学ぶことに実用的な目的ができると、どうしても. まった。立身出世とか、学歴、偏差値という形で. かかわらず余暇で学んだ。なぜそれほど熱心に学. も日本には科挙がないし、職業は世襲です。にも. 長く続けば続くほど、システムは安定するし、誰. それがあったから成り立っていたんでしょうね。. ブ ラ ウ ン 「 結 」 の よ う な 共 同 作 業 で あ る と か、 お金の貸し借りを含んだ組合のような仕組みも、. いうルートもでてきました。けれども、最後まで. がつくられ、藩校の成績が藩の役職につながると. ないと感じます。もちろん、ひとつのことを専門. 本は、西洋と日本の両方を知らなくては十分では. ブラウン 文学、建築、思想……あらゆる分野で 同じことが言えると思うのですが、これからの日. が明治以降は、学が「役に立つもの」になってし. 楽しい、というのもあったのでしょうね。ところ. えば下級武士の息子が家老の息子に対してお前の. 板東 江戸時代を通し、家柄主義と能力主義の対 立はありました。 世紀に入る頃から各地で藩校. 面白くなくなってしまう。 もが信用するでしょう。. ないかもしれない。でもプラスアルファとして知る. して役人になれますから、明確な動機がある。で. ブラウン 知識のための勉強、自分を磨くための 勉強というのは素晴らしいですね。私も日本の大 板東 「いやだったら抜けられる」という人間関 係に変容したら、この社会はもたないと荻生徂徠. ことが大切ですし、その意味は重いでしょう。今. にいかないから、逆にいうと、生まれ落ちた共同. きて死ぬしかない。 「いやだったら出て行く」わけ. 板東 近世における社会デザインの基本は、いわ ば選択可能性を減らすこと。生まれたところで生. 残念なことです。. な利益を考えて行動しなければならない。とても. 考えることができない。その暇がないし、短期的. 年単位で見ている。今はそういうスパンでものを. 育てることもそうだし、大工がつくるものも数百. ブラウン 江戸時代の人は考えている時間のスパ ンが長かったなあ、と強く感じます。林業で木を. の専門家だけしか読めない特殊なものになってし. ほとんどの日本人は読むことができません。一部. ていないのに、くずし字や漢文で書いてあるため、. 江戸時代の文献は、まだ. 国を大事にする。そして、環境を大事にする。. ないでしょうか。自分、そして家族を大事にする、. えたら、ある意味でみんな同じ結論になるんじゃ. になってくる。何を大切にしたいか、を真剣に考. ための勉強や旅、モノづくりといったものが大切. と。だからこそ何かを目的としない、それ自体の. 生まれ。イエール大学で日本. アアドバイザー。1956年. 的に学ぶだけでも大変ですから、勉強する時間が. れます。. に考えている。「大学に来る理由は、仕事を見つ. や 太 宰 春 台 は 考 え ま し た。 だ か ら、 民 を 地 に 落. 日のお話を伺いながら、それをより強く感じました。. ゆい. けることではない」と話すのですが、残念ながら. ち着けてよそに行けないようにしなければいけな. 学で教えているけれど、学生たちはかなり合理的. 就職率の向上を目指している大学側の考えは違う. いと。都市と地方の格差が広がる現代にも通じる. ざ い しゆん だ い. ところにあるようです。勉強のための勉強という. 問題意識だと思いますが、これを今そのまま主張. だ. のは今、贅沢なのかなあ?. することは難しいでしょうね。 ブラウン 今は選択肢が多すぎて、それが問題に なっている。なんでも自由ですが、そのなかで自. 体に対してちょっとくらい自分が貢献しすぎてそ. ま っ て い る の が 残 念 で な り ま せ ん。. 本 倫 理 学 会 和 辻 賞 受 賞。 共. 長期的な視点をもつ. の見返りがなかったとしても、世代を重ねればい. 上も前に書かれたシェイクスピアの作品でさえ、. ニア ア ド バイ ザ ー と して 活 動するほか、MITなど内外. 著 に﹃ 自 然 と 人 為 ︱︱﹁ 自. 分に一番合っているものを見つけるのは大変なこ. つかは戻ってくるんだと考えられる。たぶんそれ. 英語圏の人間は努力すればなんとか読むことがで. の 機 関 に て 幅 広 く 活 躍。 著. 然 ﹂ 観の変 容︵ 岩 波 講 座 日. 年くらいしかたっ. 年以. 金沢工業大学産学連携室シニ. 建 築 を 研 究 後 来 日 し、 東 京 修 士 課 程 を 修 了。 金 沢 工 業. 大学大学院工学部建築学科 大 学 未 来 デ ザ イン研 究 所 所 長 を 経 て、 現 在 は 同 大 学 シ. e s e n a p a J f o s u i n e G e h y r T t n e p r a C ﹄ ﹃ 江 戸に学 ぶエコ. ﹄など。 本の思想 第四巻︶. 皇學館大学文学部神道学科 准 教 授。1984 年 生 ま れ。 東京大学文学部思想文化学 科、 同 大 学 人 文 社 会 系 研 究 科基礎文化研究専攻倫理学 専 門 分 野 修 士 課 程 を 修 了。 日本学術振興会特別研究員 P D を 経 て 現 職。 専 攻 は 日 本倫理思想史。2010年日. ばんどう・ようすけ. が相互扶助の基本にあったと思います。一種のゲー. きるのに……。. 書に﹃. 板東洋介. ム理論といえなくもありませんね。一回の人生な. 生活術﹄など。. あずびー・ぶらうん. ら 相 手 を 騙 して 得 を した 方 がいいかもしれ ない。. 板東 よく日本文学研究の方も、くずし字と漢文 のリテラシーがないからシェイクスピアと同時代. アズビー・ブラウン. でも何度も世代が交代し繰り返しますので、結局. の文献が日本ではまったく読めないと嘆いておら. それにしても、今回いろいろ教えていただいた. のところ一番よい戦略は利他的であることになる。. 4 0 0. 2 0 0. 22 C E L J u l y 2 017 C E L J u l y 2 017. 23. 19. 「江戸は諸国の掃き溜め」と称したのは荻生徂徠。現代の東京をはじめとした都市のあり方を見直す ためにも、ブラウン氏や板東氏など分野を超えた識者が交われる「場」をつくることも重要だ。.

参照

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