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杜甫「述古」三首の「雜擬」詩性について

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(1)杜甫﹁述古﹂三首の﹁雑擬﹂詩性について. 鈴 木 敏 雄. 来たしたと指摘した上で'李白・杜博の取り組みに言及Lへ. 供に擬する所を言はずと錐も'然れども李の﹁擬古﹂は、乃ち. 李・杜の集は、李には﹁擬古﹂有り'杜には﹁述古﹂有り'. ﹁古風﹂∴一巻の外に在り'而して杜は﹁李陵・蘇武は是れ吾が. ﹁ 緒 言 ﹁雑擬﹂詩についてはへ李白・杜商もこの文学形態を運用し、. 師﹂と稲すれば、夫れ量に率爾として弧を操る者ならんや。. ﹁雑擬﹂詩とはいかなるものか、その定義と特質に関わる一つの問. らんや﹂という指摘に注目すると、李・杜の取り組みは、同時代の. と言う。この中で、﹁(李・杜は)夫れ昌に率爾として弧を操る者な. (-). 題を投げ掛ける取り組みを行なっている。. 清の文選学者注師韓はその著﹃詩学幕間﹄所収の論文﹁難擬雑詩. 言し、﹁雑擬﹂詩を定義して'﹁﹃擬古﹄の類は往古の名篇を取りて、. はず﹂と言ううちの李白の﹁擬古﹂十二首は、確かに'﹁古詩十九. るとの確信が示されていると考えられる。荘師韓が﹁擬する所を言. 他の詩人とは異なり、﹁雑擬﹂と﹁雑詩﹂とを意識的に区別してい. (I・]. 之別﹂の中で、﹁雑擬﹂詩は元来﹁雑詩﹂とは区別があることを明 其の意調に規模す﹂と言う。また、﹁﹃雑詩﹄は其の異に従ひ、・. (3). 義は各おの同じからず。﹃雑擬﹄は其の同じきに従ひ'--古に催. 韓の指摘どおりである。. 首﹂中の十二首各l常々々に擬したものであることは判明し、荘師. 問題は、杜甫の﹁述古﹂三首にある。. ﹁難語﹂とは﹁古詩十九首﹂や﹁蘇・李﹂の詩などの各徒詩および. りて以って式と為す﹂とも言い、それぞれの区別を明らかにして、. ﹁詠懐﹂・﹁詠史﹂・﹁七哀﹂・﹁百二・﹁感遇﹂・﹁遊仙﹂・. 注師韓の論じ方は、﹁李陵・蘇武は是れ吾が師﹂と杜甫は言って. いるので、その﹁述古﹂詩も﹁古﹂を師とする﹁雑擬﹂詩の一種に. ﹁招障﹂の各詩を指しへ﹁雑擬﹂詩とは﹁擬古﹂詩や﹁倣古﹂詩な どを指すと具体例を挙げている。. ﹁述古﹂三首に﹁雑擬﹂詩の1種とは見徹しがたい面のあることは. 違いないと言っているものと解することができるが、他方、当の. して弧を操る者﹂ではないとの欲目が介在するのではないかとの疑. 否めないo法師韓のこの筆舌の背景には、杜甫である以上﹁率爾と. そして、その新出以来風潮化した﹁古風﹂・﹁古意﹂・﹁古興﹂・. ﹁依古﹂・﹁訊古﹂・﹁続古﹂・﹁述古﹂等'﹁雑擬﹂とも﹁難詩﹂. ﹁古詩﹂や、﹁覧古﹂・﹁詠古﹂・﹁感古﹂・﹁倣古﹂・﹁紹古﹂・ とも区別のつかない詩体に関して、これらはみな唐代以降に混乱を. 74.

(2) 念が生ずる所である。 杜甫﹁述古﹂三首には擬作対象が有るはずであるとの根拠として 琵師韓が示す﹁李陵・蘇武は是れ吾が師﹂の句は'杜甫の﹁解悶﹂. 属する詩体であって'狂師韓自身の定義に照らせば、もとより﹁雑. 擬﹂詩ではな-'﹁雑詩﹂として扱われるべきものである。. 以上の概観からも'杜甫の﹁述古﹂三首は﹁雑擬﹂詩には属さず、. うとしている。江をしてそのように思わせる理由はどこに在るのか。. しかし'それでも猶お江師韓はこの﹁述古﹂詩を﹁雑擬﹂に入れよ. ﹁雑詩﹂のうちの﹁詠史﹂詩に属するであろうことは言えると思う。. 李陵蘇武是吾師、孟子論文更不疑。1飯未曾留俗客、数篇今見. 十二首の其五に'. 古人詩。(李陵蘇武は是れ吾が師、孟子の論文更に疑はず。一. 以下、その点に言及しながらへ併せてこの﹁述古﹂詩の特質の一端. 察する煩は避けるが'少な-とも最も基軸となるテーマでさえも'. 李﹂の作(現存する七篇の離別詩)とを比較すると、改めて引用考. しかし、杜甫﹁述古﹂三首と、﹁師﹂の1つに挙げられる﹁蘇・. げて、蘇武・李陵は、自らの師承する詩人であることを明言している0. て用いるという手法上の特色がある。すなわち、史上の事件-当時. の関連で述べるように、この三首には史上の出来事を寓意表現とし. ことへ言うまでもない。ただし、以下に清の陳抗﹃詩比輿等﹄評と. あろうと述べたのは、それが史上の出来事を詠んでいるからである. 杜甫﹁述古﹂三首は﹁雑詩﹂の中でも﹁詠史﹂詩に属するもので. 二も﹁詠史﹂詩としての﹁述古﹂三首. にも触れてみたい〇. 飯末だ曽て俗客を留めざるに、数篇今見る古人の詩。) と見える。杜商は自らの苦悶を解消して-れる文学として孟浩然や 王維らとともに、西漢に成立した五言詩の祖蘇武・李陵の詩に追随. 両者の間に関連性は見出だせない。江師韓は杜甫にも古人の詩を. になっている。以下しばら-'具体的に詩の表現に即し、その手法. 杜博が遭遇した事件(=制作背景)という構造を持った﹁詠史﹂詩. した同時代(磨)の詩人孟雲脚の古風な詩文があることをここに挙. ﹁師﹂とする企画のあったことを﹁蘇・李﹂への言及で代表させよ. に挙げてあることからも明らかである。これらの中で'﹁倣古﹂等. 自ら疑問視する﹁﹃覧古﹄・﹃詠古﹄﹃述古﹄﹂のうちの1つ. ことは'江師韓自身が、唐代以降区別がつかな-なっているとして. 鳥間数者誰. 悲鳴涙至地. 非無菌里姿. 赤額頓長腔. (其一). 為に間ふ敬老は誰ぞと. 悲鳴して涙の地に至れば. 万里の姿無きに非ず. 赤塀長腔に頓-ち. (5). うとしたに過ぎず、﹁述古﹂詩が﹁蘇・李﹂を直接の擬作対象とL. を見ておきたい。. は明らかに﹁雑擬﹂に入るが'卑見に基づいて予め結論づけるなら. 7体へ﹁述古﹂という詩題自体がすでに﹁雑擬﹂詩の範噂に無い. s ていないことは明らかである。. ば、﹁覧古﹂・﹁詠古﹂および﹁述古﹂は、いずれも﹁詠史﹂詩に. 75.

(3) 竹花不括實. 何意復高飛. 鳳風従東来. 古来君臣の合ふは. 念ふ子が朝に飢うるを忍ぶを. 竹花は実を結ばざれば. 何の意ありてか復た高-飛ぶ. 鳳風東より来たるに. ﹁此れ賢士の不遇を傷むなり﹂と言い、賢者を用いることのできる. の王嗣爽﹃杜臆﹄が﹁臣有りて君無きを傷む﹂と言うのを踏まえへ. 詞なり﹂と言い、杜甫自身の不遇を詠んだとするが、仇兆繁は、明. 景となるのは粛宗時代であろう。陳抗﹃詩比輿等﹄は﹁子美感遇の. (6). 念子忍朝俄. 物の理を以って推すべし. 主君がいなかったことを詠んだとする。. 可以物理推. 古来君臣合. 利に於いて錐刀を競ふ. 市人口中に集ひ. (其二) 市人日中集. 膏を烈火の上に置けば. 賢人分を定むるを識れば. 於利競錐刀. 哀々として自ら煎未す. 進退園より其れ宜しからん. 置膏烈火上. 農人歳の稔るを望み. 賢人識定分. 哀哀自煎敷州. 進退国共宜. ﹁赤撰﹂・﹁鳳風﹂=李泌・張縞・房増ら諸賢. 農人望歳稔. この其一に関しては、仇兆驚﹃詳註﹄に引-趨次公の注に、 ﹁駁者﹂-粛宗. 失敗を喫Lへ所謂﹁房増事件﹂をおこしていて、賢相張鏑は軍事に. の宰相であり杜甫の詩友でもある房増は、陳陶斜・青坂で軍事上の. げる環境を必ずしも得られず、不遇を憂えていたO特に玄宗朝以来. ら歴代宰相は玄宗朝から粛宗朝に代わった後、思い通りの政横を挙. 李泌(七二二∼七八九)・張鏑(c-H房埼(7-七六三). 秦時任南牧. 身尊道何高. 舜畢十六相. 邪窟無乃努. 所務穀島本. 相率除蓮高. 法令牛毛のごとし. 秦時南牧に任ずれば. 身尊-して道何ぞ高き. 舜は挙ぐ十六相. 邪巌乃ち労する無し. 済むる所は穀をば本と為し. 相率ゐて蓮高を除-. という寓意が示されている。. 疎い房靖を弁護して杜甫とともに連座させられている。清の楊倫. 法令如牛毛. ﹁舜﹂-明皇すなわち玄宗(ただし前期). 背景を見出だそうとしている。具体的には、﹁九家集注﹂では、. ﹁此れ昔時の財を理むる者を謝るなり﹂と言い、当時の経済政策に. 其1と同様に君臣関係で捉えようとする。それに対して仇兆架は、. ﹃杜牒﹄は﹁言ふこころは治を囲るは相を揮ぶに在りと﹂と言い、. :o. o. ﹃杜詩鏡鐙﹄にもこれらの諸賢は﹁其の後或いは罷め或いは斥けら れ或いは蹄隠し、君臣の分は終-されず。--君臣の遇ひ合ふは其 (7). の難きこと此-のごとし。賢者は進退の義に明らかならざるぺけん や﹂と言われるように'当時においても皇帝補佐役の登用と改革は. ﹁赤額﹂と飢えを忍ぶ﹁鳳風﹂に仮託したと見ることができる。背. 期待できなかった。その彼らの不満を、杜甫は﹁敬老﹂のいない. 76.

(4) 休運終四百. 羽翼共排掴. 軟質亦宗臣. 図画雲台に在り. 休運終に四百とせ. 羽翼共に排掴す. 秋要亦た宗臣. ﹁農人﹂・﹁十六相(八元八億)﹂=玄宗の﹁開元の治﹂を補佐し. 固垂且在雲垂. た宰相の挑崇(六五〇∼七二1)・宋頭(六六三∼七三七). 鋸あり﹂の陰険宰相李林甫・楊貴妃一族の小吏あがりの事務練. 将軍郭子儀・李光痛. 復の諸将/粛宗を即位させ、安禄山軍を破りへ失地を回復した 3. ﹁斎何﹂・﹁曹参﹂/﹁冠佃﹂・﹁都南﹂・﹁秋﹂・﹁晋﹂-恢. も仇兆薫を引-。そして具体的に、. を収め、而して佐くるに武功を以ってすと﹂と言う0﹃杜詩鏡鐙﹄. い、﹃杜臆﹄も﹁言ふこころは中興を園る者は、徳浮を以って人心. この詩に関しては、仇兆薫は﹁此れ中興の諸将を念ふなり﹂と言. ﹁市人﹂・﹁商執﹂-玄宗朝の儀臣の代表、﹁口に蜜あり、腹に. 達の士楊国忠 と寓意を示すのに対して、仇兆蕉﹃詳註﹄に引-朱注では、. s. めに塩法を設けて高額の消費税を課した財政官僚第五埼(七一二∼. ﹁市人﹂・﹁商鞍﹂-安禄山軍平定後のウイグル軍への報酬のた. 七八二)・劉曇(七一五∼七八〇)ら宰相. ﹁農人﹂的ではな-'﹁市人﹂的な補佐の臣が発する法令の煩項. とする。楊倫﹃杜詩鏡鐙﹄、陳抗﹃詩比輿等﹄も'ほぼ同じである。. であると寓意を示す。したがってへ. ﹁漠の高祖﹂-(李淵あるいは玄宗). を嘆いていることから考えると、第五埼ら財政官僚出身の宰相を風 刺していると見たい。時代背景としては、ちょうど粛宗朝から代宗. ﹁後漠の光武帝﹂=(粛宗). という寓意も自ずと具現するO仇兆架も﹃杜膿﹄を引-0. 朝に代わった時期に該当する。. 経論中興業. 功自粛曹釆. 呈惟高祖聖. 酢永固有開. 漢光得天下. 吾は慕ふ冠郡の動. 何れの代か長才無き. 経給す中興の業. 功は粛菅より来たり. 童に惟に高祖の聖なるのみならんや. 砕永きは固より開-有り. 漠光天下を得. 君臣関係および下臣の在り方が問題にされていることが確認できる。. ね成宗朝以降が時代背景に在り、l連の事件の寓意からは唐王朝の. 詩中にも﹁中興﹂の語が見えることから、粛宗が諸賢に佐けられた. 李泌が入っている以外は、ほぼ同じ寓意を想起している。とすれば、. 陳抗﹃詩比興葺﹄も、李・郭の前に玄・粛・代宗の三朝に仕えた. 何代無長才. 時を済ふは信に良きかな. (其三). 吾慕冠都勅. また背景に関しては、以上のほか、仇兆驚﹃詳註﹄に引-鶴注の. 以上から、﹁述古﹂三首は﹃詩比興薯﹄等に言うように、おおむ. ﹁中興﹂期が背景となっていると見たい。. 済時信長哉. 77.

(5) じ順E. ように'代宗時代に杜甫が梓州に在った時の作であるとする説もあ. 二六∼七六八)のもとに身を寄せへ苛の草堂にいたが、ちょうどそ. 例えば仇兆蕉﹃詳註﹄に引-趣次公の注には﹁﹃述古﹄(古を述ぶ). 表出する手法を意味するものなのか。些か詩題にも言及しておきたい0. では'﹁述古﹂という詩題こそは'﹁詠史﹂を寓意化してテーマを. 三'﹁述古﹂という詩題について. の時へ厳武が京兆の声として玄・粛両帝の葬儀の長に任命されへ杜. とは'古事を引きて以って今を謝するなり﹂と言い、王嗣爽﹃社歴﹄. る。梓州時代、杜甫は詩友であり経済的支援者でもあった厳武(七. 甫はその旅立ちを送って局を出、直後に苛で勃発した乱のために草. では﹁古を述べて以って今の然らざるを傷むなり﹂と言う等へ古き. l ‖ ,. 堂に戻られな-なり、そのまま途中の梓州に一年八カ月のあいだ足. 良き昔の出来事を述べて今がそうでないのを風刺する詩体を意味す. ( S ). 止めを食らっている。時に代宗は吐蕃の侵犯により威陽宮を脱出し、. 例を見ない。類似概念と考えられるものには、例えば﹁述史﹂とい. そもそもこの﹁述古﹂という詩題の命名は、杜甫以外にあまり類. るとされる。陳抗﹃詩比興等﹄も同様である。. 駅西に亡命したOその時の作であるとするo いずれとも決定しがたいが、少な-ともへ局中や梓州時代に限定. う語がある。それは例えば、初唐の﹃文中子﹄に﹁昔、聖人史を述. する必要を今は覚えない。寧ろそのような'﹁詠史﹂自体を寓意と してテーマを表現する手法をも、元来杜博は得意としたことを確認. s. しておきたい。例えば﹁洗兵馬﹂詩の、. 汝等呈知蒙帝力汝ら豊に知らんや帝力を蒙るを. 天下轟化爵侯王天下尽-化して侯王と為る. 撃龍附鳳勢莫富龍に撃り鳳に附して勢ひ当たる莫-. り出でて雑ふべからざるなり﹂と見られるように、史実を記した経. 明らかなり、故に鳶れを考ふれば皆常ならん。此の三者は同に史よ. 故に鳶れを究むれば皆得られん.其の﹃春秋﹄を述ぶるや邪正の迩. れを索むれば皆着られん。其の﹃詩﹄を述ぶるや衰興の由蘇はれり、. ぶること三たび、其の﹃書﹄を述ぶるや帝王の制備はれり'故に薫. 時来不待誇身彊時来たるも身の強きを誇るを得ず. 普(聖人の書)を学び、それを為政に適用することを意味する。. ここでは、﹃論語﹄述而篇の冒頭の﹁述べて作らず、信じて古を. 関中既留蔚丞相関中既に留む粛丞相. と言うように'独自には創作せず、事をありのままに記述するのみ. ﹃集注﹄で﹁﹃述﹄は膏を博ふるのみ、﹃作﹄は則ち創始するなり﹂. 幕下復用張子房幕下復た用ふ張子房. も、漢の粛何で房靖を寓意し、張良で張鏑を寓意する等、この手法. 好む﹂を想起しておきたい。その﹁祖述﹂に関しては、例えば朱嘉. を杜甫は頻用している。. であることを意味する。もしも杜甫がこの﹃論語﹄を踏まえて詩題. に﹁述﹂字を入れたのであれば、それは聖賢の精神をそのまま休す. 78.

(6) (S. 時事の記述にとりわけ腐心した杜甫は、必ずとはいかないまでも、. 唐代に入ってからも李白(字は太白)が追随しているのとは別に、. している。六朝では飽照(字は明遠)がその左思の流れを継承Lへ. 案Lへ従前とは期を画する進展を遂げている。杜甫はその点も知悉. 極力祖述を旨として過去をありのままに詠じ、先躍となる事件の本. 高適・王昌齢・張九齢・瞭然・白居易・李商隠・劉宗元・慮照鄭-・・. ベ-古をありのままに述べた詩を意味することになる。. 質および問題の所在を霧顕させ、そこに現在を仮託することによりへ. 等も﹁詠史﹂詩の題で挙って詠み継いでいる。. 体を歴代の詩人たちも数多-運用したと見ればよい。しかし、一本. た一詩体と見るならば、代々に散見する現象は、﹁詠史﹂という詩. ところで、これら六朝から唐代までの﹁詠史﹂詩をジャンル化し. 眼前の問題への対処、すなわち聖賢の精神の発揮を為政者に迫ろう としたのではないか。﹁述古﹂という詩題は、それを可能にする手 法の詩であることをも意味しているように思われる。. たかも﹁難擬﹂詩のように継承され続けているかの現象を呈してい. なわれていると見ることもできる。﹁詠史﹂というスタイルが、あ. の流れと捉えた場合、多-の詩人たちによって代々詩体の継承が行. 杜甫﹁述古﹂三首は、元来史実や事件そのものを歌詠の対象とす. ることになる。すなわちへ類似の詩体が代々詠み継がれる以上、原. 四へ﹁詠史﹂詩の流れに於ける﹁述古﹂詩. る詩であって'﹁雑擬﹂詩の一種である李白の﹁擬古﹂十二首のよ. 詩こそ特定できないもののへ﹁詠史﹂詩も﹁雑擬﹂詩の一種ではな. いかとの錯覚が生じても不思議ではない。そして、狂師韓の見方も. い。李白のような手法の運用は、杜甫は当初から考えていない。従っ. まさし-それではないかと考えられるのである。. うに特定可能な先賢の詩などを模倣対象(原詩)とする詩ではいな. て、既述したとおり、﹁述古﹂三首は詩題から判断しても﹁雑詩﹂. させたと見倣Lへそれがどのような意味を持ち得るのかという問い. かし、敢えてそれを'﹁述古﹂という詩題で﹁詠史﹂詩史上に合流. 杜甫は﹁述古﹂三首を﹁詠史﹂という詩題では詠んでいない。し. の一種﹁詠史﹂詩に属する。それを匠師韓が﹁雑擬﹂詩のように見 ているのであるがへその原因のlつは、﹁詠史﹂詩の流れに在るの. を設けてみる。すなわちへ﹁詠史﹂詩の詩体継承という観点から. ではないか。. ﹁詠史﹂詩については、﹃文選﹄の﹁詠史﹂の部に王条・曹植・. (17). 左思--等の﹁詠史﹂詩が載録され、杜甫は随時それらをも目にし. も見えて-ると思われる。. ﹁述古﹂三首の位置づけをしてみるとへこの詩の新たな価値の一端. r古詩源﹄に﹁太沖の﹃詠史﹄は、必ずしも専ら1人を味じ専ら1. ている。中でも左思(字は太沖)の﹁詠史詩﹂八首は'清の沈徳漕. たのかどうかを併せ考える必要が生ずるが、それらの問題に関Lへ. その際は必ず杜甫も飽照・李白と同様に左思の取り組みに合流し. 唱なり。後へ惟だ明遠・太白のみ之れを能-す﹂と評されるように'. 興味深い示唆を与えて-れているものが清の陳抗撰﹃詩比輿等﹄で. 事を味ぜず。古人を味じて、己れの性情供に見はる。此れ千秋の絶. 史実を詠むだけでな-、その上に自己の思いを露顕させる手法を考. 79.

(7) した論評は見当らないが、陳抗﹃詩比興等﹄の論評には'ある種の. ある。管見の及ぶ限りでは﹁述古﹂三首を正面切って﹁雑擬﹂詩と. 故に曲る有りて達し、情は激しかるべからず、故に誓へ有りて喰さ. に依りて興を取り、類を引き境へを誓ふ。詞は裡ぐなるべからず、. の起こる所を知らしめ'即ち志の之-所を知らしむるなり。--請. 逆らへば、始めて三百篇の皆仁聖賢入費慣の作る所なるを知る。=-﹂. る.-・・・詩を諭し世を論ずれば、人の聞幽を知り、意を以って志に. ます. 継承性を感得している形跡が窺えるのである。 五'﹁述古﹂詩に於ける﹁比興﹂表現の継承. 陳抗﹃詩比輿隻﹄は、﹁古詩十九首﹂等をはじめ、阪籍﹁詠懐﹂. 表達に最も有効であることを例証するために、その成功例の1つと. は'古来からの手法である類比や誓喰表現こそが文学における﹁志﹂. ち﹁志﹂を表出するのに最も有効であるとする。これに拠れば陳抗. と言い'﹃詩﹄三百篇の﹁比輿﹂の手法こそが聖賢の精神、すなわ. 詩、陳子昂﹁感遇﹂詩など'後世、比較的多-の者が詩体を継承し. して杜甫の﹁述古﹂三首をも載録したことになる。. 1. ﹁比輿﹂の精神および手法を有効に継承した詩を載録し論評を加え. 知るのみ。甚だしきは謂ふ、源は聾雅に出で'而して風人の旨. 世の杜陵の詩史を推すは、止だ其の顧らかに時事を陳ぶるを. ﹃詩比興等﹄中の﹁杜甫詩等﹂によれば'. ている﹁雑詩﹂を載録Lへ評注を加えている。それは'﹃詩経﹄の ることによりへ﹃詩﹄の﹁志﹂の行-末を見極めようとするもので. その編纂方針は清の魏源による序に詳しいがへこの﹃詩比輿等﹄. ある。. の編集方針に合致する典型として'他にへ陶淵明﹁擬古九首﹂、江. こと竿れなりと。然らんかな、然らんかな。今其の古詩の寄託. する者若干籍に室するも、律詩は尚は未だ及ぶに暇あらず.若. 或いは放け、髄は直ちに賦すること多-、而して比輿の義聞く. し夫れ風月を褒足し、混沌を穿聖することへ黄鶴の徒のごとき. 掩﹁放古(放院公詩)十五首﹂、李白﹁擬古十二首﹂、毒魔物﹁擬古 ることも、この撰集特有の、かつ注目すべき特徴となっている。そ. とある。杜甫には元来﹁直賦﹂によって﹁顧らかに時事を陳ぶ﹂と. 詩十二首﹂、同﹁雑醋五首﹂等の﹁雑擬﹂詩が数多-載録されてい. いう手法を採る傾向があるにもかかわらず、このような﹁比輿﹂の. は'亦た取る無し。. 表現を効果的に用いていて、その擬古詩類も自ずとそれを腰承して. れは'それらの原詩である﹁古詩十九首﹂や﹁詠懐﹂詩が﹁比興﹂. ﹁述古﹂三首も、l般には撰集には載録され難い詩篇の1つであり. いることを買っての載録であることにも起因する。そしてへ杜甫の. 忠貞/悪禽臭物1歳侯/塞修美人1君王/窟妃侠女1賢臣/虻龍鷲. 再び貌源の言葉を借りれば、﹁比興﹂とは具体的には﹁善鳥香草1. ﹁風人の旨﹂は、必ずしも﹁映いて﹂いない。. 体を敢えて用い、﹁古﹂に寄託することもあったというのである。. ながらも、これらと同等の方針の下に載録されていることは、極め (18). 魏源は﹃詩比輿等﹄序で陳抗の代弁をし、﹁--讃者をして比輿. て興味深い。それは一体、何を物語るのか。. 80.

(8) らゆる物がその表現のために動員できると言う。史実自体も例外で. 自然現象から人事まで、﹁天地の問の形といふ形、色といふ色﹂あ. 類比・誓喰関係(1印で示した)を用いた表現手法を指し、鳥獣、. 鳳1君子/親風雷電1小人/珍賓1仁義/水深雪雰1孟構﹂など、. して史事は暗かに含む。或ひは止だ史事を述ぶるのみにして、而し. 意を以って之れを断ず。或ひは止だ己が憲を述ぶるのみにして、而. して史事を以って之れを讃す.或ひは先づ史事を述べ、而して己が. て以って己れの懐抱を詠むのみなり。或ひは先づ己が意を述べ、而. と言われるように、優れた特質を備えてはいるが、沈徳潜にも﹁己. て己が意は黙して寓す。各おの還た懸解し、乃ち能-脈絡貰通す﹂. ﹁述古﹂三首も'﹁比興﹂表現を継承することで﹁舜の十六相﹂・. れの性情供に見はる﹂と評されたと同様、逆に己が意が色濃-露顕. はitい。. ﹁粛何・曹参﹂ら﹁仁聖賢人﹂の﹁志﹂を休し、杜甫らの﹁費慣﹂. していて、﹁比輿﹂表現が退色する嫌いがあるO同時にへ﹁祖述﹂の. 彰彰澗底松、離離山上苗。以彼径寸聾へ蔭此百尺候。世自衛高. 手法からも遠ざかる。それに、例えば左思﹁詠史﹂其二は、. 位へ英俊沈下僚。地勢使之然、由来非1朝.金張籍膏業へ七葉. を存分に表出できているからこそ載録されたことになる。その具体. それらが有効な表現手法として機能していることはすでに二で指摘. 例に関してはもはや賛言を費やさないが、﹁虹龍驚鳳1君子﹂など、. したとおりである。. 珂漢籍.漏公呈不偉、自首不見招。(彰々たり潤底の松へ離々. たり山上の苗O彼の径寸の茎を以って、此の百尺の条を蔭ふO. 世胃は高位を績み'英俊は下僚に沈む。地勢の之れをして然ら. 2. ところで、その﹃詩比輿等﹄は﹁詠史﹂詩の期を画するとされる. しむるは'由来1朝に非ず。金張は旧業に籍り、七葉は漢窮を さ. 左恩の﹁詠史﹂八首、およびそれを継承する飽照・李白の﹁詠史﹂. 珂す。鴻公豊に偉ならざらんや、自首なるも招かれず。). いるものの、左思の作は自己の後退した在り方の表明に収束し、政. に﹁比興﹂表現を用いた﹁詠史﹂詩という点ではもとより類似して. と詠む。これを例えば前掲の﹁述古﹂其二と比較してみると、とも. ﹃詩比興篭﹄に載録されている典型的な﹁詠史﹂詩としては、曹. い。その意味するところは看過できない。. や﹁覧古﹂詩を'後世の評価が高いにも拘らずへいずれも載録しな. 植﹁三良﹂詩・陶淵明﹁詠荊軒﹂詩・張九齢﹁詠史﹂詩など、比較. うに思える。おのずと'陳抗の撰からは漏れることになる。. ﹃詩比興等﹄が杜甫の﹁述古﹂三首を載録し、左思の﹁詠史﹂八. 治への関心度、すなわち﹁志﹂および﹁仁聖賢人の発憤﹂が弱いよ. それに対し、後世に﹁詠史﹂詩の新たな流れを作ってい-左思. また﹁比輿﹂の手法と﹃詩﹄の精神を﹁詠史﹂詩の流れの中に意識. 首を載録しなかった事実が物語ることは'杜甫は己が意の露顕を抑. 的僅かであるoこれらが載録されている理由は、第1にはやはり聖. (字は太沖)の﹁詠史﹂八首は、例えば張玉穀﹃古詩賞析﹄にも. 賢の﹁志﹂を表出する﹁比輿﹂表現が有効に働いているからであろう0. ﹁太沖の味史は、初めより史事を呆術するに非ず。特り史事に借り. 81.

(9) 人﹂の﹁志﹂の発憤を有効に表達したということではないか. らんや﹂と直感したのであれば、杜甫﹁述古﹂三首の詩史全体への. 取り組みをも含めて﹁(杜甫は)夫れ豊に率蘭として紙を操る者な. からも、﹁詠懐﹂詩に近い。後者は明らかに史実に自らを寓意させ. 詩というよりも、史実を典故とする表現を部分的に用いていること. じて1詞を賛せず。漢人詠史の通則なり﹂とあるo前者は﹁詠史﹂. 懐の遺なり﹂とあり、﹁昔者鹿徳公﹂詩の陳抗葺には﹁--章を通. 詩とは異なる'類例を見ない詩題を持つ﹁述古﹂詩の特性の1端は、. 相の発憤を表達する手法を採った。唐代の他の詩人たちの﹁詠史﹂. 嘘の効果を最大限に発揮することで事の真相を描き出し'房増ら宰. まに﹁祖述﹂し、それを﹁比輿﹂表現によって寓意化し'類比や誓. 謂﹁漢人の詠史﹂の流れを汲み、八元八億ら聖賢の事件をありのま. 己れの性情供に見ゆ﹂といわれるような作詩手法を抑え、陳抗の所. 杜甫は、左思のように己が意の露顕の過ぎる、﹁古人を味じて、. 位置づけはう忽視できないものとなろう。. 的に合流させ'新派の左思とは並行する別の流れに乗りへ﹁仁聖賢. 杜甫に﹁遣興﹂五首がある。うち四首が﹃詩比輿等﹄に載録され. た﹁詠史﹂詩の体であるoその陳抗隻に注目すると、杜甫の寓意に. ているが'そのうちの﹁魯龍三冬臥﹂詩の陳抗葺には﹁--詠史読. よって時事を詠んだ詩が、﹁漢人の詠史﹂すなわち恐ら-は左思以. そこに在ると考える。. なると、﹁雑詩﹂との区別が不分明になる。それと同時に﹁雑擬﹂. いが、﹁雑擬﹂詩の定義が継承者(擬作する詩人)において唆味に. 杜甫﹁述古﹂三首はもとより﹁雑詩﹂であり、﹁雑擬﹂詩ではな. 六へ結語. 前の己が意の表面化しない、﹁仁聖賢人﹂の発憤を無駄な-表達す る曹植らの﹁詠史﹂詩と同じ風を具えたものであることも見えて-. いると言うことができよう。あるいは、狂師韓も左思以前の﹁漢人. 穿竪する﹂ものではない。同様に漠代の﹁詠史﹂詩の流れを汲んで. 詩特有の手法も生かされな-なり、ジャンルとしての存在意義も薄. るo﹁述古﹂三首も手法上で同方向にありへ﹁風月を褒足し、混沌を. の詠史﹂との類似性を杜甫の﹁述古﹂詩に感得したからこそ、﹁雑. 創的な表現を唐代の詩人が求めた逆の証なのかも知れない。. れる。﹁雑擬﹂詩と﹁雑詩﹂の区別の暖昧化は、模擬によらない独. 擬﹂詩に入るとの感を抱いたのかも知れない。 勿論へ﹃詩比興等﹄も荘師韓同様に、杜甫﹁述古﹂三首を﹁雑詩﹂. 以上の考察から、杜甫﹁述古﹂三首という﹁雑詩﹂には模倣性が. として扱っている。従って、﹁詠史﹂詩の流れの中に位置づけよう との企図は、直接は窺えない。しかし'ある種の類似性を有する詩. かを述べてきたつもりであるが'ここで改めてまとめておきたい.. それは、元来﹁雑詩﹂であるこの詩が、①、﹃文選﹄登載以来継. 有るのではないかということを狂師韓に直感させたものが何である. 承され続けている﹁詠史﹂詩の流れの中にある0②、﹃詩経﹄以来. に限り載録した﹃詩比興等﹄に載録されたこと自体が、﹁詠史﹂詩 ﹁詠史﹂詩を﹁詠史﹂ではな-、敢えて﹁述古﹂と命名した理由も'. の流れの中での杜甫独自の継承をも物語っている。杜甫が自らの. 実はその独自性に在るのではないか。そして、法師韓がもしもその. 82.

(10) む﹂という手法に立ち返った結果、漠代(魏晋)の﹁詠史﹂詩の持っ. し、別の流れを分岐させようとして﹁述べて作らず、信じて古を好. 持った上に、③、左思以来定着していた﹁詠史﹂詩の体を再び刷新. -い。それだけなら﹁雑擬﹂詩とは感得できないが、①・②を併せ. だけでは﹁雑詩﹂の手法と変わりが無-、従って模倣性も感得Lに. 家を成して、去取を受けざる者なり。公自ら﹃李陵蘇武是吾師﹄. 十四籍に如くは無しO所謂紋として黄初の諸子に隷ひ、自ら一. 以等差其高下。--﹂(杜詩の最も古に入る者は、﹃前・後出塞﹄. 自云﹃李陵蘇武是吾師﹄、實能得其員侍、不必淀引﹃十九首﹄. 塞﹄十四篇。所謂奴隷黄初諸子、日成一家へ不受去取者也。公. 鳳講撰﹃杜工部詩話﹄巻二の﹁杜詩最入古老、無如﹃前・後出. が挙げられる。そのようなものの有ることに関しては、清の劉. ては、従軍の苦悩を詠む﹁前出塞﹂九首・﹁後出塞﹂五首など. ていた特質を襲用することとなった。そこには杜博の積極主義とも. と云ふはう実に能-其の真侍を得たり、必ずしも淀-﹃十九首﹄. (4)因みに、杜甫の詩の中で﹁蘇・李﹂を﹁師﹂としたものとし. 言ってよい、聖賢の発憤を詠出しようとする精神が盛られるが、①. を引きて以って其の高下を等差せず。--)という指摘などか. の﹁比輿﹂の手法および﹁仁聖賢人の礫慣﹂の精神を襲用している。. ②③を併用することで'﹁比輿﹂と﹁祖述﹂の手法および聖賢の精. 以上①・②の二点は、それぞれの要素を別個に具えていても、それ. 神を色濃-具えた'﹁漢人の詠史﹂を防裸とさせる詩、すなわち杜. らも窺える。. ﹁古に依りて式と為す﹂という﹁雑擬﹂詩の定義を江師韓は感得し'. (ォ)1八l九年の状元Oその著﹃詩比輿等﹄はl八五四年刊。. したが. 甫﹁述古﹂三首が出来上がっているのではないか。そしてそこに'. (6)﹁東﹂字、﹁九家集注﹂本は﹁天﹂に作る。また、﹁釆﹂字、. (S)﹁鹿徳元年(七六三年)、代宗即位の後に作る。時に公梓州に. 京へ返してもいる。. (3)郭子儀は吐蕃に占領された長安を回復Lへ都落ちした代宗を. に代わり、しかも李泌をも忌んだ元我を含める。. (S)慮元昌注では、必ずしも劉曇らのみではな-、賓雁年間に彼. (9)﹁任﹂字、﹃詩比興等﹄は﹁用﹂に作る0. (8)﹁邪窟﹂は、邪な手段で儲けるO. 此。賢者可不明於進退之義乎。﹂. (7)﹁其後或罷或斥或婦随、君臣之分不終。--君臣遇合其難如. ﹁九家集注﹂本・﹃詩比輿等﹄・﹃杜詩鏡鐙﹄は﹁時﹂に作る。. それを﹁李陵蘇武は是れ吾が師﹂というような﹁師﹂を有する詩と 錯覚したのではないだろうか。 ﹁述古﹂三首は、詩を歴史を記述する手段とするために腐心した 杜甫ならではの特質を備えた作品であると言えよう。 近. 楊復吉の枚がある。. (-)1七三三年の進士。その著﹃詩学纂聞﹄には、1七九二年、. (2)陸機﹁文賦﹂より出る語に基づ-。﹁触﹂は、文字。. 究15号)で論じた。. (3)このことに関しては'﹁李白﹃擬古十二首﹄考﹂(言語表現研. 83.

(11) 在り﹂と言う。 (2)杜甫は苛の草堂にいた時期、﹁乱世が終わりを告げ、倹徳の. ﹁詩史﹂と呼ばれるドキュメンタリーの詩篇を数多-残してい. 政治が行なわれ、世が一新する﹂ことを理念として願いへ後世. るが、川田純三は﹁そうした理念は英明有徳の人物の出現を待 望することにもなる。だが'現実にはそうした人物は現われず' 杜甫の心は歴史上の人物に向けられた﹂と言う(新潮選書﹃杜 再の旅﹄)0. 風今也﹂と言う。. (1)﹃杜詩錬鉄﹄もほぼ同じ-﹁朱鶴齢日、題目述古、述古事以. (3)晴の王通の言に仮託した書とされる。 (S)﹁述﹂という言い方は、唐詩では他に﹁述徳﹂﹁述懐﹂詩など にその例が散見できるが'杜甫の詩題には他に﹁述懐﹂一首が あるくらいである。それはドキユメンタルなルポルタージュで ある。 (15)胡刻本﹃文選﹄は巻二十一に所収。 (1)﹃唐詩晶嚢﹄巻八には、評注無しで﹁述古﹂其1のみが載録 されている。. その流れの中に'いわば擬﹁三良﹂詩とでも言うべき新たな流. (S)曹植﹁三良﹂詩なども元来﹁詠史﹂詩のスタイルを有するが、. れを形成しているとも言える。もはや杜甫﹁述古﹂の濫腸では ないが、本流を同じ-する支流の1つであるとの見方もできる。 (すずきとしお・兵庫教育大学). 84.

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